奥州たかちゃん伝奇








     
壱ノ巻   ~ 深山幽谷行 ~



 ナンタラ伝奇などという御大層なタイトルに、過大な期待を抱かれた方々には申し訳ないのだが、波瀾万丈の怪異な冒険やら歴史上封印された驚天動地の異説などは、残念ながら始まらないのである。
 なんとなれば、俺はあくまでも某プリント・チェーンの青梅近辺某支店の雇われ店長だし、珍しくGWに一週間の休みが取れて帰省したここ東北、蔵王にほど近い山間の旅館の一室、隣の蒲団で三つ巴状に丸く固まって子猫かハムスターのように寝息をたてているのは、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんだからである。嘘のようだがその証拠に、「……どどんぱ」などという寝言が聞こえるし、それに「……どぱんど」などと答える寝言も聞こえるし、あまつさえ近頃その怪しげな言語体系をマスターしてしまったらしいお嬢様の口から、お上品な「……どどぱどん」などという寝言まで聞こえてくるのだ。
 そうした状況をここに告白した場合、当然「ついにお前も人間を辞めたか」と即断される方々も多いと思われるので、腐ったトマトや炎天下に一週間放置した生クリームパイなどが飛んで来る前に、念のため言っておく。俺はまだけして人間を辞めてはいない。それどころか「貴様はろりぺどではない」と、昔から常連扱いだった某ろり系掲示板、それもパソ通時代から連綿と続く、パスワードをもらうだけでこの世界では大御所扱いの老舗板から、追放処分さえ喰らった身である。
 まあ、あの青梅拉致未遂事件以来、その掲示板がどこからかマスコミに漏れてしまい、だいぶ迷惑をかけてしまったのは認める。英雄扱いに増長し、さんざでかい面をしてしまったのも認める。しかし何十年も昔の高校時代から、デンマーク語の辞書まで駆使して本場ろり本の個人輸入を試みて、バイト代の大半を為替に換えて海外に送金したあげく、半分は税関と郵便局に呼び出され「なんでこんな物が届くんでしょうねえ。ボク、わかんない」などと言いつつ権利放棄書にサインして焼却炉に送り、でも半数はいい加減なその時の役人に感謝しつつ入手していた自分としては、今になって「ろりぺどではない」と、当のろりぺど親爺達にまで排他されてしまっては、いささか忸怩たるものがある。さらに「貴様はろりぺどではなくただの子供好きだ」などと断言されてしまうと、中年になるまで大切に培ってきた『幼女こそ神』という己のアイデンティティーすら、疑わしいものになってしまう。いや、そんな事は断じてない。俺はろりぺどだ。
 しかし――たかちゃん御一行様を引き連れて旅をしていると、「やはり俺にはろりぺどとしての基本原理が欠落しているのだろうか」と、疑念を生じてしまう瞬間が多いのも確かである。確かに大半の時間は非常に愛しく食ってしまいたいほどなのだが、ときおりふと「えーい、やかましい! このクソジャリども!」などと叫んで、『誰か拾ってください』と大書きした段ボール箱に並べて、道端に捨ててしまいたくもなったりするのだ。さらにすっぽんぽんで温泉の男湯に乱入してきて、かつて夢にまで見た愛らしい○○○ちゃんを惜しげもなく披露してくれる三人にアタックを喰らいながら、「でもやっぱり隣の女湯で『こらこら戻ってらっしゃい』と叫んでいる、お目付役として派遣された三浦家のお手伝いさんのほうもいっしょに乱入してきてくれないかなあ」、そんなふうに願っている自分に気づく時、やはり自分にはろりぺどとしての資質が欠けているのだろうか、そう煩悶せざるを得ない。しかしそれでも、そのお手伝いさんは三十近いバツイチではあるものの、身長は一五〇に満たず推定一四五、胸も少年のごとく清々しい、つまり薄いのだから、やっぱり俺は純ろりぺどではないにしろ、限りなくろりぺどに近いという自負を捨てまいと思う。その自負まで捨ててしまったら、この歳まで嫁ももらわずろり道に励んできた半生が、無に帰してしまうではないか。
 ――そんなやくたいもない思いに耽りながら三つ巴の寝姿に目をやると、慣れないお子様浴衣のためか三人ともおなかぽんぽん丸出しで、グンパンから高そうなショーツから丸出しなので、慌てて蒲団を掛けてやる。おなかぽんぽんが冷えて夜尿でも漏らされた日には、また段ボール箱に放り込みたくなってしまいかねない。
 ああ、次の間のお手伝いさんも、こんな寝乱れた姿を、清楚かつ色っぽく蒲団に横たえているのだろうか。
 ――いや、いかんいかん、浮気してはいかん。俺はろりおたであり、ぺどなのだ。知らない内が花なのよ、などという俗世間から超越した、宗教的精神的高次小児愛者なのだ。夜尿など待ちわびるくらいの真性ろりぺどなのだ。でもそんなもん洗ってやるの面倒だよなあ。ちょっとかわいいけど。


 しかし、自分の実家がどこに行ったか判らないというのも、つくづく情けない話である。おまけにそこに続くはずの道まで、丈高い藪と化している。
 点在する廃屋の間の藪を分けながら振り返って見ると、恵子さん――三浦家のお手伝いさんは、そろそろ限界が近そうだ。顎が完全に上がっている。
「すみません、もうすぐ着く……のでは、ないかなあ、と」
 正直な男が社会的に評価されるとも限らない。恵子さんは明らかに「この男は信頼するに値しない」、そんな汗まみれの笑顔を浮かべている。さすがにいいとこのお手伝いさんである。
「わーい、やまおく、やまおく」
 たかちゃんはとにかく初めて観る物は全て肯定的に好奇心の対象としてしまうので、とてもかわいい。デニムのオーバーオール姿が、アラレちゃんのようにろり心をくすぐる。
「くまはいないのか?」
 くにこちゃんは狸をシメるのに飽きてしまったらしく、もっと手応えのある対戦相手を求めているようだ。街にいる時と同じユニクロのショートパンツで、藪で膝が引っ掻かれようが脛に木の根が当たろうが、おかまいなしに山野を徘徊している。離れるなと何度諭してもじきに姿を消し、ふと気づくと野兎の耳を掴んで豪快に振り回したりしている。街にいるより山で野生化したほうが、健やかに育てるタイプかもしれない。羆すら敵ではないだろう。天然記念物のカモシカなどが、うっかりこの娘の前に出現しないよう祈るばかりだ。
「すやすや」
 ゆうこちゃんは、ひたすら背中に重い。旅の始めに青梅駅に現れた時は、まるで戦前の有産階級が上高地帝国ホテル近辺で山歩きをするような高級ニッカボッカ姿だったので、いいとこのお嬢ちゃんも結構アウトドアをやるのかと思ったのだが、山に入ってからはほとんど俺の背中や肩に乗って移動している。たかちゃんやくにこちゃんと違い、けして自分から「ねえ、おんぶ」とか「おい、のせろ、かばうま」とかは言わないのだが、上目遣いに「わたくし疲れておりますの。こまってしまっておりますのよ?」と言うような儚げな視線を投げかけられてしまうと、あえて突き放せる人間は存在しないだろう。いるとしたらそれは人非人――までいかないにしろ、少なくともろりぺどではない。それにしても、リュックを腹に回すと、これほど腰が苦しいとは知らなかった。
「過疎の村と聞いてはいましたが、まるで廃村みたいですねえ」
 おほほほほ、という恵子さんの鋭い笑いが、加熱した俺の体を、内側から冷やしてくれる。恐くてありがたい笑顔だ。
「わーい、どいなか、どいなか」
「らいおんはいないのか?」
「くーくー」
 でもやっぱり俺には、成熟して社会的仮面を駆使する女性より、ろりかもしんない。


 しかし、実家が消えてなくなったはずは無いのである。
 昨年の冬、インフルエンザで仲良くぽっくり逝ってしまった両親は、晩年は市街地に下りて暮らしていたが、この山の村に残した実家を、避暑や山菜採りの時、結構使っていたと聞く。秋の紅葉狩りでも使ったそうだから、少なくとも半年前までは、人が暮らせたはずなのだ。田舎の旧家らしくしっかりとした屋台骨で、平屋でもずいぶん入り組んだ広い屋敷だったから、一冬越して多少屋根が傷んでいても、雨露をしのげる部屋は残っているはずだ。
「うわー、でっけーおばけやしき」
 また姿を消していたくにこちゃんの声が、藪の先から聞こえた。
 期待して藪を分けると、懐かしくも崩壊寸前の廃屋が、すでに崩れた門の奥に佇んでいた。今年の冬は、ずいぶん雪が多かったらしい。くにこちゃんは早速、崩れた門を強靱な脚力で蹴り散らしている。
「とりゃ、とりゃ」
 瞬く間に、通行可能な地面が現れる。
「てごたえのある、おばけはいるか?」
「わーい、おばけやしき、おばけやしき」
 後から藪を抜けてきたたかちゃんは、とととととと駆けだして、くにこちゃんの無印良品Tシャツをひっぱった。
「どぱぱん?」
「いや、どどぱんど」
 ふたりして嬉しそうにうなずき合っているが、果たしてどんな精神的交情があったのか、無学な俺には判らない。
 たかちゃんはまたとととととと駆け戻ってきて、今度は俺のシャツの袖をひっぱった。
「ねえねえ、くにこちゃんよりつよいおばけ、いる?」
「うーん、いないんじゃないかな」
「よかったあ。じゃあ、もったいないおばけ、いる?」
 俺は自信を持って首を横に振った。
 生活能力のない親父のおかげで、ご先祖様から受け継いだと言う種々の換金可能な財産は、すべて固定資産税と化して税務署の露と消えた。俺が家を見限って上京する前から、野菜くずも貴重な食料だったし、魚なども骨までしゃぶって、残った骨は庭の畑の肥料にしていた。
「お化けは見たことないなあ。でも、天井裏に、青大将がいるかもしれないよ」
「……あおだいしょー」
「おっきい蛇」
 子供らしく怯えるかと思いきや、たかちゃんは「わーい、あおだいしょう。 ♪ あおだーいしょー ♪」と嬉しそうに歌っている。
「よし、じゃあ、そのおおへびを、まっぷたつにひきちぎろう!」
 くにこちゃんが闘志満々で叫んだ。少なく見積もっても二〇キロはあると思われる廃材を軽々と蹴り転がしている。確かにこの子なら、地球の裏側は大アマゾンに棲息するという、巨大アナコンダすら敵ではないだろう。まだ小学一年生なので、体格差からいったんは飲み込まれてしまうかもしれないが、きっと内側から腹を食い破り、雄々しく生還するに違いない。
 恵子さんはまだか、そう思って藪を振り返ると、赤いリュックがひとつ、ぷるぷると震えていた。成人女性としては大変小柄なので、後ろ向きにうずくまってしまうと、一見リュックそのものに見えてしまう。しかし良く見ればリュックの下で、スニーカーの踵に乗ったお尻がやはりぷるぷると震えており、それはいかにもバツイチらしく柔らかくておいしそうだ。
「……帰る」
 そう呟く声もぷるぷると震えている。
「でも、これからだと、夜道になりますよ」
「蛇、駄目」
「えーと、でも、危なくないです。毒はありませんから」
「そーゆー問題じゃありません。足のない長いのは、みんな嫌いです。蛇も嫌いです。鰻も嫌いです。穴子も許せません。結婚前は『俺も嫌いだ』なんて言っといて、隠れて食べたりする人も嫌いです。『忘年会でマムシの血まで飲んじゃった』なんて酔っぱらって笑う人となんて、とてもいっしょには暮らせません」
 なるほど、これは骨の髄から嫌っているのだろう。ちなみに俺は鰻も穴子も大好きだ。蛇だって焼けば食える。マムシの血は生臭くて願い下げだが。
「大丈夫です。あれはお子様向けリップ・サービスです。家の中に蛇はいません。そっちの藪のほうが、山楝蛇《やまかがし》――毒っぽいのがいるかも」
 小声で耳打ちすると、赤いリュックがぴょんと跳ねて、俺の背中からゆうこちゃんを奪い取り、さらにたかちゃんの手を引いて、脱兎のごとく門のほうに駆けだした。
「わーい、きょうそう、きょうそう」
 手を掴まれてなかばひらひら宙に舞っている状態を、競争と言っていいのかどうか、無学な俺には判らない。
 しかしとっさの場合に責任感を優先できる小柄な女性は、やっぱり俺の好みだ。狭くてビンボな店の、少数精鋭型パートさんに向いている。鰻と穴子を断つ価値が、充分あるかもしんない。蛇はもともと、食いたくて食ったわけではないし。
 優柔不断な俺の嗜好は、ろりと成人女性の間を、微妙に揺れ動きつつあった。


 いざ玄関の前に立つと、崩壊した門から想像したよりは、ずっと原型を保っていた。まるで誰かが雪融けの後に軽く手入れをしてくれたようだが、無論そんなはずはない。もともと雪国向けに造られているから、軒先などは特に頑丈なのだろう。
「わーい、ゆーれーやしき」
「ゆーれーは、つよいか?」
 かつて住人だった自分で言うのもなんだが、確かにいかにも出そうな家だ。昨今流行りの見境のない馬鹿っ母怨霊などではなく、古色豊かなすすり泣きタイプ、たとえば皿屋敷のお菊さんとか。遙か昔に成仏した祖父さん祖母さんなどは、よく人魂だの先祖にまつわる因縁話だの、夏の夜話に語ってくれたが、残念ながら俺は一度も見たことがない。
「大丈夫ですか?」
 また帰ると言い出すのでは、そう心配して恵子さんを見下ろすと、
「あ、平気です。私、背後霊が高級霊ですから」
 やっぱり共に生活を送るには、少々難儀かもしんない。パートさんなら別に構わないが。
 でもゆうこちゃんはけっこう怖がるかも、そう心配してさらに下を見ると、
「おばあちゃんのおうちみたい」
 母方は江戸以来の旧家だと聞いたから、古屋敷慣れしているのだろう。
 誰からも文句は出ないようなので、俺は玄関の錆びかけた鍵を開け、がたぴしと戸を引いて――仰天した。
 俺の実家は、いつから時代劇の牢屋になってしまったのだろう。三和土の向こうに、なぜか図太い角材の格子ができている。
「……面白いお家ですね」
 恵子さんが皮肉とも感嘆ともつかぬ呟きを漏らした。
 俺が訳も解らないなりに何か答えようとした時、
「――どちら様?」
 いきなり奥から不気味な女の声が響いた。
 恐いと言うよりとにかく驚いて、俺たちは瞬時にひとかたまり仲良しさん状態と化した。
 さすがの脳天気たかちゃんも「わーい、びっくりした」とレスポンス良く喜びはしない。豪傑くにこちゃんも不意打ちは苦手らしいし、お嬢様ゆうこちゃんなどはおもらし寸前らしいし、まだちょっと性格の掴めない恵子さんは見えない背後霊ごと固まっている。高級霊でも不測の事態には虚《うろ》が来るらしい。
 ここは、なんとしても最年長の男である俺が、俺自身ちびってしまいそうだとは言え、仕切らねばならないだろう。
 恐る恐る牢格子の奥の暗い廊下に目を凝らすと――なにやら数人の人影が、なにやら卓を囲んで、なにやらごにょごにょと蠢いている。
 おのれ妖物、などと身構えた俺の耳に、今度は男の声が聞こえた。
「あー、すみません。訪問販売の方は、お断りしておるのですが」
 人の良さそうな中年声である。
 ようやく暗がりに目が慣れて、その人影たちの正体が掴めた。
 いかにも昭和レトロ風の卓袱台を囲んで、ほとんど磯野家状態の一団が、玄関口の広間で、仲良く飯を食っているのだ。
「新聞なら、うちはもう峰館新聞とってますよ」
 波平さんの立場と思われる和服の老人が、やはりのどかな声で続けた。
 しかし、中年や老人と言ったのは、あくまでも声からの推測にすぎない。
 なんとなれば、その推定一家は、大人から幼児まで、全員が白いゴムのマスクで顔全体を覆っていた。つまり一家全員が、横溝正史原作市川崑監督石坂浩二金田一耕助の映画『犬神家の一族』に登場する、犬神佐清《すけきよ》状態だったのである。
 呆然と立ち竦む俺たちを慕うように、年齢不詳の白黒ブチ猫が格子際まで寄って来て、にゃあ、と人なつっこく鳴いてみせた。
 その立場上タマと思われる推定子猫もまた、しっかり白いゴムマスクを被っていた。さすがに両耳は穴を開けて出してある。
「わーい、へんなねこ、へんなねこ」
 早くも気を取り直して佐清猫に駆け寄ろうとするたかちゃんを、俺は「ほんとにもう君はいったいどーゆー感性をしているのだ」と心中で嘆きながら、しっかりと片腕で確保した。






                     
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