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2004年03月〜12月


12月31日 金

おお、ちょっとだけど、雪だ雪だ。
「ねえねえ、この『解凍お雑煮用』パックで、いいのかなあ」などと若い旦那にかわゆく訊ねている若妻の仕草など、にこにこ眺めてしまう、爺いの大晦日である。はい、その鶏肉でけっこうですよ。独りの爺いも、それを買いましょう。
年越し蕎麦用に、奮発して特大海老天なども買ったのだが、あう、やっぱり『年忘れにっぽんの歌』を観ながら食っていると、普通の掻揚げのほうが良かったと後悔。値段が3倍でも、しょせんスーパーのお惣菜なのであった。
ああ、やっぱり昭和の淘汰された歌謡曲は、いい。まあ昔のヒット曲も大半はありふれたローテーション・ワークとして消えてしまったのだが、現在の、たとえば紅白初登場曲が30年後まで残る確率はいかに。社会状況や消費サイクルが変わってしまったのだから仕方ないが、せめて現在CDを買った若者たちは、30年後も聴いていることを望む。
紅白は一応録画しているが、じっくり観る気がちょっと。アキ子姐御に同調するわけではないが、芸能の本質をすでに忘れているのは明らかである。世の中が悲惨であればあるほど、華やかに歌舞くべきが芸能でしょう。小林幸子さんが自粛するのは地元を思う個人の気持ちとして解るが、NHKという座頭まで、クレーム怖くて尻尾巻いてどうするのか。
関係ないが、確か1970年、左翼系ジャーナリストの竹中労さんが音頭をとって、マレーネ・デートリッヒの来日コンサートを開催したとき、当時としては非常識な2万円という入場料(今なら5万か6万か)に、他の左翼も右翼も批判の声を上げたことがある。「竹中は貧しい労働者のことなど、考えていないのではないか」そんな抗議。で、竹中さんの反論。「あのリリー・マルレーンを聴くために2万出せない人間に、革命などできるはずがない」。──まあ、1ドル360円の時代に世界的歌姫を呼ぶのだから、それだけかかって当然なのである。お祭りだって政治だって革命だって、社会を盛り上げるのには、クレーム覚悟のケツまくりが不可欠。
なにはともあれ、旭兄イの歌は、最新曲含めて俗で元気でした。60過ぎても毎日肉を600グラム食うそうです。100歳まで渡り鳥気分を保ってほしいものである。
しかし淘汰されて残った歌謡曲を聞いていると、どんなにオチャラケた曲想でも、歌詞や作曲がプロが考えて練ったものであるのが解る。一部の市井の愛唱歌から広まったものやアマの作品は、けして悪くはないのだが、やっぱり造りが甘く、その時代の社会現象として残っている、そんな感じだ。それもまた立派な思い出作りなんですけどね。イカ天の頃なんかも、そうやって『時代』として残って欲しいし。
さて、もうすぐ2004年もおしまい。まあ一瞬の空白もなく2005年に続いてしまうのだから、冥土の旅の一里塚などという感傷はもはや感じない、ほど良いボケ具合でぽこぽこ打鍵しながら年を越します。こんなページを見ていただけるお優しい方々の、来るべき未来が明るいものでありますように。(まあそれなりにだいじょうぶだと思います、などとこっそりつぶやく、ひねくれ爺い。)

12月30日 木

ようやく『もらった』つもりの生き物、捕獲。うう、やはり複数回のわいせつ行為犯歴ありか。
馬鹿な自分もあながち誤ったことばかり言っているわけでもなさそうな気がする。やっぱり2度目でタマを抜いておけばよかったのではないか。何はともあれ、年内に捕獲されて、少々安堵。さらなる被害者など出ていたら、もうさっぱわやや。
いくらかでも気がおさまって、ニュースハイライト2004というのを続けて見ていると、自分のいるこの国が、なんのかんの言ってもやはりけして三流国家ではないのだ、そう思えてさらに気が落ち着く。痛ましいニュースは災害中心に、てんこもりである。しかし、国家体制自体は、やはり原則的には出来ていると思う。ふだん愚痴ばかりこぼしてしまうにしても、これだけの自然の猛威にさらされて、これだけの被害で済んでおり、被災者の現状もけして理想的とは言えないが、少なくとも文明国家としてのレベルは、なんとか保たれているのではないか。歳末で感傷的に甘くなっているかもしれないが、やはり自分はこの国が好きである。昔は老後はフィンランドあたりの厳寒の土地で着膨れて暮らしたい、などと夢見ていたが、今はやっぱり日本の河原の橋げたの陰あたりで、人知れずミイラ化するのがいいか、などと思う。
まあ単に、ハイパーレスキューの活動など個人的興味でちょっと調べて、今日もニュースハイライトでその凛々しいご尊顔を拝んで、気分が明るくなっているだけか。あの台風で水没したバスの上で一夜を過ごしたご老人たちの話なども、つくづく敬服できたし。
日々のニュースやネットでは、どうしてもマイナス面ばかり目に付いてしまうが、まあ日本はまだまだ大丈夫なのだと信じる。若い人だって、大半ちゃんと育っている。願わくばウスラバカばかり目立つマスコミやネットに惑わされず、現実の地道な社会と少しでも多くの接点を持ちながら、『主観』を『客観』まで育てられますように。
などといいつつ、やっぱりハイパーレスキュー隊員さんたちの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい居眠り公務員とか、10リットル飲ませてもどうしようもなさそうなので、子供の代わりに津波で流れ去っていただきたい天下り爺いなども、やっぱり大量に存在するわけですが。

12月29日 水

NHKで昼に録画した坂本九さんを偲ぶ記念コンサートなど拝見、けしてノスタルジアだけではない名曲に涙にくれつつ、続いて津波関係の特番を見ると、あれよあれよという間に、人も街も海にのまれて行き、別の意味でもらい泣きしそうになる。
しかし天災などというものは、ほんとにいざとなると瞬時に世間の様相が変貌してしまうのですね。何年か前に茨城の職場で、異様な雹(ひょう)害に遭遇したとき、驚いてその晩知人にメールした内容を、ちょっと紹介。

『11時過ぎに帰宅したので、ニュースはまだ見てないが、結構話題になったのではなかろうか。
とにかく、そこそこ晴れていた昼下がりの空が、あっと言う間に暗転、ピンポン玉ほどもあろうかという雹が、だしぬけに降りそそぎ始めた次第。
これが北からの強風に乗って、がんがん建物を直撃するものだから、SC全体が小刻みに震えていると錯覚するほどの反響音。
7階建の5階フロアでそれだから、最上階の窓際は、パニック状態だったらしい。
7階の本屋の店長によると、窓ガラスの外界が真っ暗になって、直後に真っ白になってほとんど視界ゼロ、そこに無数のでかい雹が直撃してくるので、みんな窓の近くから避難していたとのこと。
それでもビルは耐衝撃ガラスだから無事に済んだが、かわいそうなのは 一般家屋。
その本屋のパートさんの家では、たまたま一家全員出払っていたため、雨戸を閉めるわけにもいかず、北側の窓ガラスが大半割れて、家中水浸し。帰宅した家族があわててガラス屋に電話したら、注文殺到で、しあさってならなんとかしましょうと言われてしまったそうな。
さて、雹だけなら数分のパニックで済んだのだろうが、さらに、文字通りバケツでぶちまけたような豪雨が十数分。
雹の怖さは、雪と違って、落下時の破壊力に加え、どこにでも転がり込んでしまう点にもあるわけだ。
側溝や排水口に転がり込んだ雹が、あっというまに角々に詰まり、豪雨の水はそのまま地表へあふれ出す。
つまり、わずか十数分で、局地的洪水を生じてしまうのですね。
雹が降り始めてわずか30分後、嘘のようにあっけらかんと晴れ上がった空の下には、あちこち窓ガラスを失った建物や、穴だらけに壊れた看板や、ばさばさになぎはらわれた街路樹、ぼこぼこになった車、雹でスリップして横転した車、一部まだ川状態の道路などなど。
で、たったいまニュースで、柏から取手にかけての映像を見たのだが、当然、事後の後始末の映像でしかなかった。
お客さんたちが夕方まで持ってきた写真のほうが、迫力数倍。
駐車場で半分水に浸かった車の群れ。これはまあ台風シーズンならあちこちで見られるのだろうが、この光景ががわずか30分ほどで出現し、2時間ほどできれいさっぱりもとにもどってしまったというのが怖い。
もし車の主が、都心に勤めていて、多忙でニュースも見ずに1日過ごし、夜半帰って来たとすると、彼は朝と変わらぬ乾いた駐車場で、なぜかぼこぼこにあばたができ、さらに中まで冠水して使い物にならなくなっている愛車と、唐突に遭遇するわけだ。
それから、降りたての雹そのものの写真。
庭一面に、白い丸い玉が、積もるというよりはごろごろと転がり、丸いまんま積み重なってました。
丘陵地の団地に住んでるお客さんの話では、団地の間の坂道が、いっとき川になって轟々と丘の麓まで流れ下って行ったそうな。
いやはや、テレビのニュースでは意識的におさえているとしか思えないほど、渦中ではパニック映画なみの出来事だったぞ。』

ほんの少し負傷者が出ただけの雹害でも、起きるときはパニックなのである。洪水にしろ地震にしろ津波にしろ、過剰警戒くらいでちょうどいいはず。などといいつつ、自分は――防災食、すぐに食っちまうんだよなあ。あっさり死んで行くタイプ。

12月28日 火

NHKの大自然スペシャルを観ながら晩飯を食べようとしていると、大津波関係のニュースの延長で、番組変更。津波のニュース映像を録画していると――いきなり『おとなの学校 〜妻が病に倒れたら〜』の再放送が始まって、仰天。美輪明宏さんがコメンテーターを勤める佳作だと聞いており、8月の放映を知らずに、11月の再放送を心待ちにしていたのだが、新潟地震関係の特番で、流れてしまっていたのである。しかし、事前に一報もなくいきなりここで再放送とは。危うくまた見逃すところだった。妻の介護に奮闘する夫がテーマで、大庭みな子さんの被介護状況なども見られ、終始感動の涙が流れそうになり、しまいには慟哭。愛だよ、愛。ほんとうに等身大の、叫びもなく淡々と、生涯続く日常的な愛。偕老同穴、比翼の鳥。ぜひシリーズ化してほしい、事実連続バラエティー番組のパイロット的造りなのだが、今のNHKじゃ無理か。いきなり臨時で再放送するというのも馬鹿にした話で、これで見逃していたら次回の集金なんぞ、追い返してしまうところ。
などといいつつ、続いて以前録画しておいた『高松宮日記の昭和史』再放送で、皇室から見た太平洋戦争前後の流れなど、興味深く鑑賞。先だってお亡くなりになられた喜久子様の、まだお元気なコメントに、感慨深し。かつて日本がアメリカに占領されていたことを知らない若者なども増えていると聞くが、まあ学校の日本史など、その前にタイム・アップしてしまうという話だから、やむをえないか。
板のほうで中学生・高校生の方々が三百枚越すような達者な力作をガンガン飛ばしてくるので、再度自分の過去をチェックしたりしてみると――うん、量だけは互角か。しかし、ほとんど未完なんだよなあ。なにせ、誰一人読んでくれるでもない、大学ノートのシャーペン書き。ラストまで持って行く、気力が続かないのである。お若い創作者の方々、現代はほんとに素晴らしい時代なんですよう、とボヤきつつ、高校時代に部誌で活字化された掌編をOCRでテキスト化して、あえて名前や地名のみ変えただけで、他は加工せずにアップしてみたり。きわめて内容は薄く独善的でわがままで世間知らずで自慰的で浅薄でカッコだけツッパった文章だが、まあ皆様と同じ世代の時はこんなもんでした、ということで。こんなことして意味ないよなあ、などと自分にツッコミながら、爺いはサミシイのよ、そんな感じ。僅か14枚の掌編だが、活字化して印刷するには、経済的に限界があったのである。ふだんはガリ版で、イラストすらガリ版の原紙に直接引っ掻いていたんだもんなあ。しかし、本性ともいうべき長編夢物語は、中にはちょっと使えるかな、なんてのもあるのだが、長過ぎてもはやテキスト化不能。メイン・アイデア自体が、すでに『ファイナル・カウントダウン』のオチで、出てしまってるしなあ。しかし着想はこっちが先だぞ、などといくら嘆いても、モノのレベルが違うので、どうしようもなし。
姉より、歳末のお恵みが届く。お餅、カップ麺、各種レトルト食品、野菜ジュース、お菓子、栄養剤、その他――ああ、これでお正月も大丈夫。

12月27日 月

スマトラでも、またえらい事になっており――冗談抜きで、なにか『天地が怒っている』ような気がしてしまう今日この頃。しかし、天地は一度怒ると無差別攻撃を仕掛けてくるので、恐い。神様に似ている。というより、周囲の自然から神を作り上げてしまうのが人間なのだろうが。
ドンキあちこちで燃やされる一方、性犯罪がらみのニュースも多々。紅白でいっぺんしか見たことがないが、ヒステリック・ブルー(解散済み)の赤松直樹被告(25)が強姦罪で懲役18年。有名税を考えれば、妥当な線か。無名人なので全国ニュースにはなりませんが、私の現在居住している市内で、無職有賀仁被告(32)という人も、約1年半にわたり、小学生3人を含む女性16人にわいせつな行為をしたとして、本日懲役20年の判決。強盗強姦や強制わいせつ、強盗致傷などを繰り広げた挙句の判決です。子供に「黙らないと殺すぞ」で、わいせつ行為に及ぶというのは、私的には死刑判決出してほしいところなんですが、刑法上強姦罪の求刑は、懲役20年まで。他の国で見られるように、件数に応じて刑期を累計する、というのはどうか。なんとなれば、強姦で服役した受刑者の再犯率は、仮釈、つまり受刑態度良好な者で4割近く、満期出所者だと5割を超えております。性犯罪という行為は、そんな性質のもの。女性のいない所でいくら服役させても、改心の有無など見極めようがないのである。ただし、五部五部で改心しているのも事実。となれば――再犯で死刑はどうだ。まあそれも人権上うんぬんあるならば、再犯者はタマを抜く、これしかないですね。ワンちゃんや猫ちゃんの雄だけタマを抜く、というのも不公平ではないでしょうか。同じ自然だか神だかが産んだ生物なのに。
ところで『もらった』つもりの生き物が、まだ捕獲されていないのだが、天網ももはや破れたザルか。

12月26日 日

著作権、などという物を自ら主張しておきながら、やっぱり人様の著作物である物を置いておくのはまずかろう、というご意見をいただいて、谷山浩子さんの歌詞や、リリーズのおふたりの歌など、修正したり引っ込めたり。まあJASRACなどに発見されるべくもない僻地の物置のような部屋でも、ある日突然管理人が発狂し、駅前で全裸になって少女にコンニチワ、即逮捕、『それ、そんな馬鹿のHPは』などということになって、JASRACから刑務所に請求来てもアレだし。
前作の推敲しがてら、バーティカル・エディタの設定をシコシコと。うーむ、これで文字のアンチエイリアスと印刷機能がもう少し充実していれば、それこそこのソフトひとつで創作のみならず読書もプリントアウトもオールOKなんだが。まあそのへんはO’sエディタがあるのでOK。あれもこれも、と言ってしまうと、また重くて凍る万能ワープロ・ソフトになってしまうのだろう。
謹んで渡辺氏とフリー・ソフトの作者様に、あらためてペコリ。

12月25日 土

おお、本日がクリスマスで、昨日はイブだったのですね。さっぱわやや。あらためて、メリー・クリスマス、と、だあれもいない部屋の空間に語りかける私。まあ昨夜のハーブ・チキンはなかなか美味だったので、良しとしよう。
クリスマス話にちょこっと手を入れて、板のほうを更新しておこうとすると――ありゃ、もう過去ログに引っ込んでいる。せめてクリスマス当日までは、表にいてほしかったんだがなあ。ぶつぶつ。連載開始日で整理されるんだから、仕方ないか。
本日はHPのお勉強。といっても、他人様のページのまねっこ、どうしたらできるんだろうなあ、などと姑息な事しかできないのだが、クリスマス物の体裁を、ちょっとおしゃれっぽく変えてみたり。来年はもう少々、全体をなんとかしなければ。

12月24日 金

さて、クリスマスの街を買い物などでとぼとぼ独り歩いておりますと──おう、なんの感慨も感傷も涌いてこない。20年近くクリスマスに女っけなどないのであった。大体、イブに休めたためしもなかったし。若手がにゃんにゃんと休むためのシフト。
いつのまにか駅ビルの福引補助券が貯まっていたので、どたんばの大行列に並んで、結局残念賞のアルミホイルもらう。わーい、アルミホイル、欲しかったんだい、などと喜ぶはずねーだろう、おい。せめてマグカップでも当たればなあ。思い起こせば福引なんぞ回すのも、下手すると四半世紀ぶりではなかろうか。あれは確かジュラ紀あたりに、若く愛らしい牝の恐竜ちゃんと、いっしょに福引回したような原初記憶がある。あの頃はティラノサウルスほどではなくとも、草食恐竜程度には元気だったような。
独身者には鳥の丸焼きは食いたくともでかすぎる、そんなネタで更新したクリスマス・ストーリーにギャグも入れたりしたのだが、せめてクリスマス限定らしいチキンの焼いたのを買ってみたのだが、美味いのだろうか。
何はともあれ、このようなうらぶれたページに訪れて下さる皆様に、謹んでおクリスマスをお慶び申し上げます。

12月23日 木

昨日ようやくクリスマス・ストーリー打鍵終了、板にアップ。ちょっと頭を冷やしてからまた推敲して、HPにも上げよう。
替えの下着が完全に尽きてしまい、やむをえず久方ぶりのコイン・ランドリー。冬場は汚れ物が発酵しないのでありがたい。しかし本日は祝日だったのですね。コイン・ランドリー大入り満員。
15分待ちで機械にありつき、乾燥待ちにいっぺん部屋に戻って、昔ダビングしたまま忘れていた、ブライアン・ユズナ監督の『スピーシーズ・リターン』とやらを、ふと思い出して観たのだが──監督がユズナで主演がアーノルド・ボスルーで、クリエーチャー・デザインがスクリーミング・マッド・ジョージとくれば、こりゃもうゲテゲテのBC級ホラーを観られるかと思いきや──なんかアブダクションものの地味なサスペンスのシナリオ。問題は、低予算が低予算のまま作品に出てしまっており、ゲテやハッタリもなし。地味なシナリオがもう淡々と進むのみ。どうも安手間仕事でケーブルテレビ用に1本、そんな作品らしい。まあ食うための仕事も必要なんだろうが……つらかった。

12月21日 火

いやあ、泣いた泣いた。
昨日結局ほとんど打鍵が進まなかったぶん、本日は朝から夕方まで飯も食わずに打っていたのだが、それでもやっと25枚程度。ものすごい勢いで板を更新してゆく若手の方の半分といったところだろうが、まあ自分だって毎日大学ノート5ページくらいはびっしり書き込んでいた高校時代などもあるわけで。うう、体力と気力が続かん、と嘆きつつ、登場人物に感情移入してしまって泣きながら打つのは、クスリに勝るトリップ感。まあおクスリはやったことがないが、なぜか某氏に醒獅液といっしょにもらったRUSHなどという小壜が机の上にあったりして、あぶねーあぶねー。
でも、こんなもん鼓動が早くなって血圧上がるだけで、それで効いた気になってるのはただのプラシーボ効果だよなあ。それなのにアンパンなみに体に悪そう。お若い方々、トリップするには、寝ないで食わないでとにかくなんかやり続けていれば、脳内麻薬でしっかりイけます。ああ、でもこれもアンパン並に体に悪いかも。

12月20日 月

演出というものによって、ストーリーというものがいかに変貌するか、そんな感慨にふける『秋立ちぬ』でありました。というか、荒筋などというものは、描写された作品とはやはり無縁のものである、と確信。話自体は悲劇でも、これほど温かい気持になれる語り口の妙。ああ、強く生きて行くんだぞ男の子、優しく生きて行くんだぞ女の子、などと、しみじみエールを送りたくなる幼き日々の追体験的佳作でした。まあ爺いのノスタルジーの色眼鏡や、一木双葉という子役の可憐な正調小学生ルックに対するロリ野郎の色眼鏡、そんな感慨も含まれてしまうのですが。
1960年当時のデパートの屋上に立つ子供――その目の前にあるのは、本当に子供でも簡単に乗り越えられそうな金網だけであって、そこから自発的に子供が宙に舞ってしまう可能性などというものは、誰も考えなかった時代の話である。その少年の立場がひたすら悲しいものであるにしろ、少年の眼下に広がる街は、生きている生きるための生きるべき街なんだよなあ。まあ大人はけっこう飛び降りたりしてたんでしょうけど。
打鍵物消滅の悲劇を記すと、渡辺氏より自動セーブについての助言をいただく。そうなんですねえ。推敲・印刷用には現在O’sエディタというシェアウェアを使用おりまして、青空文庫形式のテキストなんかが完璧に印刷物読書感覚で読めたり、当然自動のセーブもあるのだが、思考垂れ流しであっちゃこっちゃひっかきまわすのには、アウトライン形式メモ帳、とでも言うべき、フリーソフトのストーリー・エディタというのを使っていたのでした。で、興が乗るとそこに本文どんどん垂れ流しにしたり。これはしかしほんとに単純な機能しかなく文系頭でも直感的に使えるかわり、単純すぎて自動セーブ機能がない。以前渡辺氏にご紹介いただいたバーティカル・エディタも使っていたのですが、アウトラインから印刷まで一本化するための設定が面倒で、というか悪い頭では使いこなせなかったんですね。しかしまあ今回さすがに困ってしまってわんわんわわん、アウトライン段階はやっぱりバーティカルでやろうと思って、設定いじっていたらもう夜。
うう、クリスマス・ストーリーがイブまで終らないと、サマにならんぞ。

12月19日 日

先夜は昔の漫研仲間の忘年会。五十嵐氏、半田氏、渡辺氏、田川氏、坂田氏――会ったばかりやらちょっと前に会った人やら数年前に会ったきりやら二十年ぶりに会う人やら。まあ自分も含めて外観上あまり劇的な変化は見られず、ちょっと安心。頭が薄くなったり白髪が増えたり、横幅が増えたりはご愛嬌。
待ち合わせ場所の『弥生美術館』、東大の敷地沿いと聞いても、東大には入ろうと思ったこともなくこれから入る予定もなく、昔から畏れ多くて近寄ったこともないので、携帯による誘導に頼る。後着で美術館は見なかったが、高畠華宵メインのレトロな挿絵画家さんたちのコレクションらしく、後日ゆっくり覗こうと思う。夢二もあるようだし、近所には立原道造記念館なんてのもあった。おお、浪漫チック。
『根津の甚八』という小さな居酒屋さんは、明治時代の下町風の民家をそのままお店に改造したそうで、カウンターの地面は土間ででこぼこしてるし、その目の前が調理場ならぬ座敷そのものであるという、田舎の寄り合い的状態。すっかりくつろいで、愚痴をこぼす。アンキモや限定焼酎、とっても美味でした。帰りは根津から京成上野まで歩いたわけですが、池之端界隈、気のせいかやっぱり江戸の名残りなど思わせ、いっぺん牡丹灯篭のお露さんのお忍びコースなども、歩いてみたいと思う。
さて気分転換OK、ということで、今日は朝からポコポコと打鍵を始め、軟弱ロリ野郎になりきって自己弁護などに努めて、それなりにうまくいったと思っていたのだが――うああああ、やっちまったい。パソ作業必須の上書き保存を忘れて昼飯に雑煮を作り始め、オーブントースターと電気ポットの同時使用、さらにテレビやDVDレコーダまで立ち上がっていて……はい、ブレーカーが落ちました。こーゆーボケをやらかす時に限って、憑依的な心理描写などで頭がイッてしまっているため、二度と同じ内容は再現できないのである。殺すぞオラァ、などと自分の首を締めても死にきれるはずもなく、仮死状態でうつろに雑煮を食べ、同じシーンを打ち始めるのですが、どうも消えてしまったモノのほうが、数段良かったような気がしてなりません。まあどうせ己の頭から出たモノなのだから、大差のない駄文なんでしょうけど。
いいや、もう。田川氏にいただいたDVD-Rでも観て、夜を過ごそう。『秋立ちぬ』から『宇宙快速船』まで入ってるし。

12月17日 金

自衛隊官舎にイラク派兵反対ビラを配りに行って逮捕・起訴された市民団体メンバー、ようやく無罪。いやはや、未だに警察さんも公安さんも検察庁も、無駄にがんばってるんだなあ。あの3人が有罪なら、訪問販売チラシ配り新聞勧誘員、通報したらみんな起訴してくれますか。そんなことやってる暇があったら、その人物がいなくなれば靖国問題即沈静化・中国も首相参拝黙認にしてくれるはずの偉い方を別件で引っ張って激怒させて脳の血管破ってあげるとか、いよいよ宮崎さんちのススム君の模倣犯化してきた『もらったつもりの奴』の捜査に少しでも手を貸すとか、やって欲しいことは色々あるのだが。まあ縄張りが違うので不可能でしょうけど。
さて『ハウル』の世評など探ってみると、ほう、やっぱり世間では評価が二極分化のような。やはりストーリーがわからんという意見も多い。まあわかるもわからないも、あのとおり、だと思うのだが。キャラの行動に必然性がないという意見もある。まあ必然性とかは気にしないで、ああ行動させたかった、というだけのことでは。宮崎監督の作品は押井作品同様常に個人映画であって、鑑賞対象者、というものを意識したのは私の目には『千尋』だけなのではないかと見えたり。ところでキムタク声にも賛否両論あったのは、ちょっと意外。あれは誰が聞いても役に成りきれていたと感じるだろうと思っていたのだが。
ところで『ハウル』は初期段階でジブリの若手が絵コンテ切ったもので、それを制作サイドの都合で宮崎作品に鞍替えしてどうのこうの、それがショックで若手は東映に移ってどうのこうの、だからトーンが不統一でどうのこうの、といった裏話をレビューに投稿されている方がいたのだが――まあ、監督チェンジなんてよくある話だし、その絵コンテが使用されたはずもないから、映画自体の出来とは関係ないのでは。べつにジブリ擁護の気持はまったくないが、コンスタントに宮崎作品を回転させなければならないジブリも、色々大変そう。
とにかく私は高畑監督の大真面目なお説教のほうが、ズレていようがいまいが、今の日本には必要な気がします。ウザいと言われるのがいやで大人が説教しなくなり、ウザいといえば大人なんて説教しなくなるんだと頭の悪い若者が思ってしまう、結果頭の悪いままの大人が増えてまともな説教できる人間が減る、そんな感じが現代なのではないかと思ってしまう今日この頃。

12月16日 木

『ハウルの動く城』、観てまいりました。とりあえず終始楽しめました。特にキムタクさんのハウルは、仰天物。声だけでここまでやれる人だったのですね。ううん、もう好きにして頂戴。……やめろって。美輪さんもまあ本当に芸域が広く、ここまでコメディ・リリーフ細かくやれる人だったとは。ううん、もう好きにして頂戴……しつこいって。倍賞さんのソフィーは、たぶん賛否両論あるでしょうが、つらつらかんがみるに、やっぱり正しい選択。ミスキャストの声もあるようですが、少女から老婆まで常に変化しながらひとりでまぜこぜにこなせる役者さん、じゃあ他に誰がいるゆうてみい、と反論できます。最善の策でしょう。
全体としては――『イノセンス』の時のように「なにがなんだかわからんぞ」のブーイングが巷に沸き起こらないのが不思議なくらい、説明を排してころころと転がりました。まあストーリーに追いつけなくとも、映像と情動で充分流れに乗れてしまうところは、さすがに宮崎アニメ。もののけの「やっぱりどうも自分で自分の世界観がとらえきれなくなってきましたが、とりあえずとらえがたいまんま映画にしてみます」→千尋の「ではちょっと自分を殺して小学校高学年の女の子へのメッセージを」、そんなこんなで世間大ヒットにもかかわらず私としては少々欲求不満が続いていたのですが、今回は「もう誰もついてこなくても好き勝手に転がします」な感じで、満足でした。しかしやはり太古からの爺いファンとしては、宮崎本線は『パンコパ』始発『トトロ』終着だったのではないか、それ以降の興行的評価はそこまでの宮崎ワールドへの社会からの努力賞なのではないか、などと思ってしまう。むしろ忘れ去られつつある高畑本線が『ホルス』発で『山田君』で時間待ち停車中、まだ終着が見えていないのではないか、そんな気がします。生きているうちにもう一本、名作アニメをやっていただきたい。映像的革新性、という意味でも、今回霧の中から圧倒的に出現するハウルの城よりも、山田君のほうが奇跡的アニメ映像に観えていたのは、私だけではないと思うのだが。はっきり言って、シナリオはともかくその映像において『山田君』に驚嘆しなかった人は、少なくともアニメを体系的にどうのこうの言ってほしくない。

12月15日 水

あーもうこの年の瀬にきて嫌な物ばかりテレビに映るなあ、と、リモコンでOFF。ドンキの社長さん、まともな腹芸もできない方に、企業の社長の資質なし。あれでは死んだ社員さんも浮かばれまい。かつてのうちの会社の社長、自分の息子が突然死した時だって、あんな三流芝居は打ちませんでしたよ。男の私が見ても、これは渋い、と感心するくらいでした。土台、社員が死んだくらいで、外であんな涙もこぼさず見え見えの悲しそうな顔作ってる神経が信じられない。兵隊死ぬたびに指揮官泣いてたら、企業戦争できんでしょう。泣くのは家で本涙一筋流してもらえばいいです。まあ、あの分じゃ家ではふんぞり返って、やれやれ、とか言ってるんでしょうけれど。まあ、私も利用させてもらっているのだから、火事になったら死ぬ覚悟で買いますけど。店のためじゃなく、懐具合。
未だにつかまらない例の『もらった』犯人を名乗り、こんどは妹だ、などという着信があったそうですが――当人でも悪戯愉快犯でも、これはもう判明次第、全裸にして住友三角ビルの吹き抜けに、死ぬまで逆さ吊りにしてクリスマスを祝いたい。死ぬまでにごめんと言ってくれれば本人ならちゃんと裁判にかけて死刑、便乗悪戯犯なら未成年でも氏名公表の上なら釈放してあげてもいいが、ごめんと言わなかったらどっちもそのまま風化するまで放置、というのはどうだ。

12月14日 火

このところ、妙に動悸・息切れを自覚してしまうのだが、これで眩暈も加わったら『救心』か。カレーばかり三日間食い続けているので、スパイスでも影響しているのか。
まあ単に、生活が完全に自然の昼夜から離脱して、不定サイクルになっているからなのだろう。体が眠くなっても頭が起きていて、頭が眠っていても体は起きている、そんな時間が長くなっているような。これは一度、しっかり夜型に戻した方が――逆だ逆。
さらにこのところ、自分の打鍵物がとみに散文的になっているような気がする。まあ散文を打っているわけだから問題ないのかもしれないが、無性にメロメロの浪漫的な若かりし頃が恋しくなってきたりして、思わず丸山薫や田中冬二や立原道造の詩集などを引っ張り出してみると――ああ、ええわあ。もう貴方の世界に連れてって頂戴、などと悶える自分。で、また打ち始めると――わやや。頭にある情景が浪漫でも、描写がビジネス文書になってしまう。現在打鍵中のクリスマスネタが終ったら、思い切り本妻の方を一区切りハード・ボイルドして、ビジネス気分放出しつくして、絶対踊る死美人をやるのだ、などと決意。

 ――満月清爽。
 円城谷家の若旦那様が夜間飛行演習にお立ちになられましたのは、そんな秋の宵のことであったと申します。
 わたくしは女の身ゆえ、その『赤蜻蛉』という愛称から、ついついかわいらしい羽根を振るわせて、秋の野をゆく姿などを思い浮かべてしまうのですが、お乗りになっていたのは霞ヶ浦の練習用複葉機と申しますから、けしてそのような遊行気分のものではなかったのでしょう。
 いずれにいたしましても、後日うかがったお話によりますと、眼下に広がるのはただ朧な月明かりを浴びる蒼黒い山々の連なりばかりで、むしろ満目蕭条、そのような――――

などと打とうとすると、マイクロソフトIMEしかない環境だと、『蕭条』すら、単漢字変換でのたうちまわらないと打てないのですね。ちなみに、書院IMEだと、ちゃんと出ました。やれやれ。
ところで、ドンキの火災で焼死された3人の店員様のご冥福をお祈りするとともに、ドンキという会社自体はけして被害者ではなく、放火犯と共犯の、『未必の故意』による殺人犯である、と、かつて店舗管理責任者であった自分としましては、ここに断言させていただきます。完全に遵守してもまだまだザルな消防法にすら違反した店舗を次々に展開するというのは、すべての従業員および顧客に対する殺人未遂、ということにもなりますね。

12月12日 日

おうおう、半日もよく寝た、と言ってもその前に丸一日寝てなかったからいいか、などと、不摂生の歳末が続く。まあ打鍵物が久々に増えたので良しとしよう。えーと、アレですね。好き勝手に打ちたいものを打ちたいがままに打つという、春に打鍵再開した時の開放感が、久々に戻ってきているような。まあどこに送れるようなシロモノでもないマスターベーション的な話だからこそか。ありゃ、でもいつもそんなものだったか。やはり冬という季節が自分に合っているのだろう。早くもっと寒くなって欲しいもの。
数年ぶりに自力でカレーを作製。といっても、けして『男の料理』などというレベルではなく、インスタントのルウを使う安直カレーの自己流アレンジ。♪ジャガイモはっ、入っれなっいほーおが、おっいしーのよっ♪ などと化石化したCMソングを歌いつつ、ニンジンすら入れずに、とにかく大量のタマネギをみじん切りにして、茶色くなるまでよーーーく炒めます。ピーマン大好き人間なので、これも大量にみじん切りにして、ちょっと焦げるくらいに炒めます。で、牛肉なんですが、これはもう一番安い外国産を質より量でフンパツしますが、カレー用のでかいのなどでなく、得体の知れない薄くて細かくて安いパック。これを銀行預金の許す限りの量で、ニンニクとチーズといっしょに炒める。ニンニクとチーズが、この段階で参加するのがキモですね。それらをばお湯と野菜ジュースとブイヨンで、なんとなくソースと醤油もちょっと入れてみたりして、ことこと煮込む手間はまったくなし、初めからみんな細かいので、ひと煮立ちしたらもうルウ投入。このルウがポイントで、これは絶対『ハウスジャワカレー』。はい、これで完成です。チョンガー用の小型カレー・ルウが存在しない以上、そして未だに冷凍庫を所持していない場合、これで当分の間、おいしいカレーを毎日食べ続けなければなりません。モノが腐らない冬場に、チョンガーの方はぜひお試し下さい。しかしこれだと、ピーマン嫌いの方には拷問に等しいだろうなあ。

12月10日 金

完全引き篭もり3日目に突入。運動不足で体重激増かと思いきや、夢想打鍵風呂睡眠のサイクルで生きていると、間の食事がどーでも良くなるので、逆に激減したりする。まあひと区切りついたあとに、しっかりリバウンドが来るわけですが。でもそろそろ兵糧が尽きてしまうので、明日には買い物しないとなあ。

12月8日 水

えーと、現在朝の七時で、もう8日で――日記によると、ゴジラを観たのは6日で――板を更新したのは8日の午前1時頃で、その後飯食ってまた1シーン打鍵して――おや、すると、今手元にある唐沢俊一さんの文庫新刊と、『ギャラリー・フェイク』の近刊は、いつ買って来たのだろう。ゴジラの帰りでないことだけは確かだよなあ。ということは、12月7日がまちがいなく存在していたわけで――。
これだけ悩んでやっと昨日一度は外出して駅ソバ食った事実を思い出す自分は、すでに廃人なのではないか。まあいいや。夜もすっかり明けたし、さあ、寝よう。
♪とーきょーへはっ もーなんどもいきましたねーっ♪ ……なんだ、そりゃ。
結局午後の2時にようやく就寝し、夜の8時に目覚め、家ソバ食って風呂入って、さあ打とうと思ったら頭が回らなくて、横になったらもう9日の1時で、夢見は呼べど戻らぬ去りにし過去の淡く甘い日々――マジ長くねーぞ、おい。まあ未来はないが過去はあったということで、爺い、深夜の復活。

12月6日 月

『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』を、この前新聞屋さんにもらったタダ券で観に行く。さて、世間では賛否両論、というより八分二分くらいで幻滅表明が多いようである。しかしてその実態は、というより一ゴジラ愛好者の私見は――寝てしまった。
今まで劇場で寝てしまったゴジラ映画は、かの悪名高き『スペゴジ』のみの自分が、寝てしまったのである。まあ『スペゴジ』の場合、その後ビデオやDVDで何度挑戦しても途中で寝てしまうという最強の睡眠薬映画なので、今回のファイナルは、そこまででもないだろうと思う。というのは、前半はもう熱狂的に観ていたのである。はやりのめまぐるしいカット割で次々と広げられて行く大風呂敷は、どこまで面白くなってくれるか、大期待だったのである。水野久美さんも若々しく存在感抜群だったし、ケインも元気だったし、過去の東宝特撮へのオマージュもてんこ盛りだったし。ところが――後半、風呂敷を広げる手がぴたりと止まり、あとはえんえんと同じような人間アクションが続くばかりなのですね。その単調な人間アクションに、我がゴジラの大活躍が分断されてしまい、アクションでうとうとしてると、肝心のゴジラのバトルを見逃してしまうというジレンマ。
あれは並行描写で人間の戦いとゴジラの戦いをダブル・イメージにしようという腹だったのだろうが、すでに形骸化しつつあるカンフー調ワイヤー・アクションの羅列や、単独で見ればキメてるのだろうが流れに乗っていない人間シークェンスの羅列と並べられてしまうと、けっこうがんばっているゴジラまで、盛り上がらないのである。寝ている間に見逃してしまうのである。
そんなこんなで、DVD出たら後半は自分で30分くらいカット編集して、ゴジラ映画にしてみようと思うおたくが約1名。北村監督は、これまでの作品評価にこの作品でとどめをさしたの感。木を見て森の見れないタイプは、映画監督は無理なのでは。ミュージック・クリップやCMなどなら、向いているのかも。いや、でもアクションやカット割りのパターンも、どうやらネタが尽きたようなので、あとはどこまでハッタリを通せるか――でもオファーは続くんだろうなあ。まともな制作者の少ない昨今、ハッタリと話題性だけで監督選ぶ傾向強いし。
ちなみに特撮は、懐かしの手作り特撮部分がかなり結構。情報伝達型平面的3DCG(勝手に考えたんですけど。別名・金も時間もないので質感まだまだですが、とにかく良く動くので誠意だけは認めてくださいよCG)も、昨今の風潮ゆえ当然多用され――まあ好きな人は好きなんだろう。

11月5日 日

久々にフライドチキンなど、ひとり寂しくもそもそと食してみたのだが――旨くない。腹は空いていたし、ひとりでもそもそなんてのはいつものことだし、在職中はけっこう喜んでビールといっしょに(茨城ではビールもケンタで売ってたんだよなあ。条例かなにかで、このあたりでは禁止か)旨い旨いと食ってたのに、嗜好が変わってしまったのか。それともケンタの味が落ちたのか。
味覚で言えば、ここ数日、どうも自炊の飯も旨くない。米飯そのもののことです。パソ周辺機器といっしょで、電気釜もそろそろ怪しいかも。パソどころではない、二十年選手の炊飯器だからなあ。これもケチらないで、マイコン炊飯ジャーのなんかいろいろ機能付き、なんてのに替えたほうが良か。米に関しては嗜好が変わったはずもなく、現に夜部屋で焼いた餅の米の味、それだけでも満足なくらい美味だったし。
餅を食いながら、テレビの温泉番組など。湯治中心の宿が中心の番組で、そうか、自炊の長期の湯治なんてのも、まだ預金残高余裕があるうちに、やっとけば良かったと後悔。一方で、古い実物民家の改造宿やら、超美景温泉リゾートなども紹介され、その別天地のような雰囲気に「ああ泊りたいよう浸かりたいよう」などと身もだえしつつ、料金を見てあっさり断念。先週の箱根の、3倍から10倍の一泊最低料金なのである。わはははははは。15万あったら、自分、ひと月暮らせるがな。ま、いいや、ゴキちゃんいっしょでも山の宿気分はちゃんと味わえたし、自室の風呂だってダイソーの入浴剤入れてテレコでアンドレ・ギャニオンでも流せば、気分は国際高級温泉リゾート。まあタオルで背中洗うと、両肘がガンガン壁に当たるから、洞窟風呂というところか。
秋田の大衆的湯治場で、アトピーの治療のために休職して自炊療養中、などという若者たちの泣かせるエピソードもあり、昔職場でアトピーと格闘しながら良く働いてくれた、バイトの娘さんなど思い出す。あれは、コンディション狂うと、ほんとに生き地獄に等しい状態になってしまうそうなのですね。高校時代なんて、全身のアトピーの粘液で、布団が毎晩べとべとになってしまったそうです。花の乙女がですよ。そんな修羅場に耐えてそれでも生きるために自立しようとがんばっている若者もいれば、一方で五体満足の人々が部屋に目張りして七輪に火を起こしたり、車に幼女を誘い込もうとしたり――まあ森さんなどという思考回路を持たないおっさんがかつて首相をやっていまだに訳のわからんお囃子で踊ってたり、小泉さんも元気で総理やってる国だからなあ。天下り役人の給料を適正化すれば、みんな安く湯治して精神をリフレッシュできるリゾートくらい、いくつも作れる計算なのだが。

11月4日 土

祝・『イノセンス』日本SF大賞受賞。興行的ヒットや華々しい映画賞は逃しても、おたくの巣窟に君臨できれば、本望だろうと思われます。もうどこかで書いたような気がするが、井の中の蛙大海を知らず天の高きを知る、というような。昔からの押井節再見するたびに、深い井戸の底から遥かな頭上の光を目指して、果てしない螺旋階段をひたすらぐるぐる昇っている、そんな気がします。いきなりポーンとジャンプできたりはしないんですね。下手をすると同じところをぐるぐる回っているだけのようにも見えながら、実は確実に上昇しているのがミソかと。
新聞の契約更新で、いつもの洗剤やビール券に加えて、トーホーシネマズの券を2枚ももらってしまう。うおう、ラッキー。ゴジラもハウルもロハですよ、ロハ。先走って身銭きらないで正解。まあ新聞代から出ているわけでしょうが。
しかしそんな浮かれ気分もまた、DVDの『沖縄決戦』で一発大撃沈。いや、子供の頃一度劇場で観たので、救われようのない話であるのは知っていたのだが――ラストの屍累々の浜辺で水を飲むちっこい男の子に、岡本喜八監督らしいギリギリの楽天性はあるのだろうが――自分はとても立ち上がれず、他の屍といっしょに死にました。やっぱり正義のためだろうが宇宙の平和のためだろうが、戦争は民間人抜きの職業軍人だけにしてほしいものです。

11月3日 金

久々のお掃除やら大物洗濯やらで主婦的活動にいそしむ。ほんとにたまにしかやらないので、結構気分転換に良。日常的感覚が戻ると、逆に自分の仮想のほうがやたら現実乖離のイってしまったものに思えてしまうが――イけるからこその仮想だよな、などと復帰(泥沼?)。
夜、早くもDVDドライブ到着。先にドライバやらアプリケーションを入れろと説明書にあったので、パソ本体のCDドライブに付属のディスクを突っ込むと、おお、なんということだ。本体のCDも反応なし。どうがんばっても反応なし。結局、新しいドライブをいきなりUSB2に繋いでみたのだが、OKでした。専用ドライバ入れなくとも、CD読むのはOK。そちらから色々インストールして、DVD読み書きもオールOK。しかし本体もいよいよ怪しいか。なまねこなまねこ。

12月2日 木

おう、もう師走。って、昨日からもう12月なんですね。このペースだと来週は2006年元旦あたりで、自分は腐乱後白骨化しているのではないか。なまねこなまねこ。ところでこの「なまねこなまねこ」は、椎名誠さんと唐沢なをきさんの、どちらが先に考えたのだろう。それとも昔からあるフレーズなのだろうか。
ネット通販で安価なDVDドライブ探すと、マルチでなくフォーマット限定ならば、焼けても一万円以下で買えてしまうのですね。壊れた読み専門は、三年前に二万円以上していたもの。なまねこなまねこ。さっそくカード払いで頼んでしまったが――引き落としの時、口座にお金が残っているだろうか。取立人がアパートを訪れると、そこにはミイラ化した老タヌキの死体が、とか。うーむ、なまねこなまねこ。
ニュースを聞いていると(打鍵中はラジオなのです)、愛犬を助けに火事の家に戻った子供が焼死。うう、などと滅入っているところへ、九州では放し飼いの犬がバイクに当たって犬即死ドライバー重症、ところが犬の飼主の酔っ払い中年男は、ドライバー放置して、救急隊員に「犬を助けろ。病院に運べ」と殴りかかり、公務執行妨害で逮捕――。はい、動物愛護の鑑のおっさんですね。愛は時空を越えるといいます。先のニュースの子供と入れ替わって、焼死してくれれば良かったのに。犬だけ助けて。なまねこなまねこ。

12月1日 水

先だってお邪魔したときにお願いしておいた、古い日本の戦争映画てんこもりのDVD-Rが、I氏より3枚も届いて狂喜乱舞しながら観ようとしたのだが――パソの外付けドライブが、ひょわひょわ、などとしか回らない。あわてて他の地図ソフトなども試したが、やっぱりひょわひょわ言ってるばかり。スキャナーの次は、こう来ましたか。大昔のオリンパスのMOなどは、いまだに元気そのものなのだが。どうもすべてのハード機器、新しいほど寿命が短くなっているような気がする。そのかわり、値段も何分の一。価格ぶんの寿命、ということか。
テレビにつないであるほうのHDD・DVDレコーダーに、試しにつっこんでみたりしたが、当然ファイル形式違って読めず。
パソ本体もCDロムだけの古物なので、この際本体ごと替えてしまえばいいのだが――ちょいと懐のあんばいが。今時はDVD焼ける外付けドライブもずいぶん安くなったようだから、ちょっと探してみよう。
なにはともあれお時間をかけてコピーしてくれたI氏と、録画主のT氏に多謝。ケーブルの録画と聞いたので、違法ではないのかも知れないが、怖いのでちょっと仮名にしてみたり。
うふふふふ、『沖縄決戦』等の東宝8・15シリーズや、大映・東映・新東宝が、てんこもりなのです。

11月30日 火

あう、また知らないうちに2日が過ぎてしまったようだ。ここはどこ? 私は誰? などと仮想世界をさまよっているうちに、どうやら少しは打鍵物が増えたので、とりあえず板を更新しておこう。このHP自体は、最近日記以外、何も更新していないような気がする。あの投稿板の皆様などは、HP優先で板が他流試合、といったあんばいの方も多いようだが、それが正しいのだろうか。どうも自分の場合、外で働いている時期が長かったせいか、このページは自分ちだから、外で稼いだものを家に運ぶ、そんな意識が強いのかも。
ゴジラの東京SOSを、自製鳥ソバ(少しコツが解ってきて、けっこう旨かった。市販の汁の素だけでなく、安い鶏肉でおダシをとればよかったのですね)食べながら観ていて、そのまま鑑定団やらナントカガイアやら、ニュース番組までずっと見呆けてしまう。テレビというのもたまにだらだら見ていると、けっこう刺激になるものだ。ゴジラはアレでしたけど。劇場でも観たんだが、あのシナリオでなんで製作決定してしまうのか、ちょっとそのチェック過程が理解できない。それらしく「かっこよくてもっともらしい」台詞を並べた不出来なアニメのシナリオに、棒読みの若手のっけて、派手にゴジラ予算つっこんでは、もったいないと思うのだが。せっかく懐かしの小泉さんとか、がんばってるのに。鑑定団や第三セクター再生ドキュメントのほうが、ずっと面白いとは。
さて、母親用の年賀状刷らねば。でも、ほんとに自力で書けるのかしら。去年の歳末は、それにつきあって発狂寸前まで行ったものなあ。しかし、出したいと言う希望には協力してやらねばなあ。

11月28日 日

外泊中食堂やよそ様の家で食べた日本蕎麦が美味だったので、ふだん夏のザルでしか自宅では食わない蕎麦を、カケで試みたのだが――やはり自分で湯がく温かい蕎麦は、あんまり旨くない。まあ自分で作るものが旨かったためしはないので、やはり玉子でも魚でも、焼いてお醤油たらたら程度が我が自炊の限界か。
最終ゴジラの特番などチェックした後、そのまま珍しくテレビをつけっぱなしにして本を読んでいたら、なにかNEETという若年不労層の増加問題をやっていた。しかし、なにか奥歯に物の挟まったような表現が続いて、どうもよく解らない。一度も働かないで30過ぎまでいた、ということは、単純に親に食わせてもらっていた、あるいはそうしているだけの財産がすでにあった、ということですよね。私には「うらやましい」が先に立ってしまって、特に深刻な問題とは思えなかった。親掛かりの遊び人というか「フラフラしてる人」なんて、いつの時代にもいたような気がするし、単に「いつまでもあると思うな親と金」を、実感したことがないだけではないのか。一部フリーター増加ともからめて表現していたが、あれは雇う側がビンボになってきて正社員枠絞ってパートさんやフリーターばかり歓迎している以上、増えて当然の就労形態だろうし。まあ犯罪にでも走らない限り、「やりたいことが見つからない」から「なにもやらない」というのは、はっきり言ってすごくうらやましいです。親御さんは心配でしょうけど。
さて、ハッタリ全開の北村監督版ゴジラ、くれぐれもポストプロダクションの隅っこまで、ハッタリを削っていないといいのだが。

11月27日 土

小田原城に登って戦国時代に想いを馳せたり、宿にたどり着くのに道の選択を誤ってひと山越える羽目になったりして、無事温泉にぷかぷか。予算の関係で駅から遠かったのですね。山の斜面に、上へ上へと増築を繰り返した、階段の多い迷路的な小旅館で、夜はゴキ君も散歩してましたが、従業員の方々が丁寧で、オールOK。去年母親を施設の面接に連れて行った帰りに宿泊した某旅館の従業員に、箱根の女中さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいでした。料理や部屋がなんぼ良くても、結局サービス精神のないやっつけ接客では、温泉に浸かっても気が晴れません。久々の夜の山の宿という雰囲気を体感。
翌日は彫刻の森などうろついた後、小田急沿線の五十嵐氏のお宅にお邪魔。500円の小田原土産ひとつで、一宿二飯の恩義にあずかる自分も、我ながらふてえ奴だと思いますが、そこはそれ経済力の差ということで(読んでたらすまんすまん)。
二日に渡り繰り広げられた、中年同士の社会情勢に関する論議や世間へのグチのこぼし合いによって、氏の気分転換にいくばくなりとも貢献できたら幸い。
しかし彫刻の森のピカソ館が、ピカソ作品ほんのちょっぴりで、ピカソ・グッズ・ショップだったのには笑ってしまった。出口付近の箱根土産ショップのフロアにも。空の下に点在する美術品はまあ結構なものもありましたが、流れる雲がいちばんすごいのではないか、という点で意見が一致。それにしてもあの入場料は――さすがフジ・サンケイグループ、という点でも意見が一致。

11月24日 水

本日初めて、樋口一葉さんの新5千円札を拝みましたが、もうちょっとお顔に陰影があってもいいような。昔風白化粧の芸者さん、そんな皮膚感に見えてしまった。それから、文芸家としての価値はともかく、あんまり経済活動にヤル気の起きるお札ではないような。清貧のお札、そんな気分。まあ今の時代にはマッチしてるか。
さてそれらのお札をちょっと多めに持って、明日はちょっと箱根湯本に湯治に行ってきます。白化粧の芸者さんとふたりで。嘘ですけど。五十嵐氏もお暇ということで、くたびれた中年男のそぞろ侘しいふたり連れが、近頃の侘しい世間のグチでも言い合うのでしょう。
早寝したほうがいいか、などと思いつつ、風呂で発作的に思うところあって、またブルの修正を始めていたり。まあ明日は露天風呂に浸かれるのだから、ぐったりしててもOK。

11月23日 火

続おたく物件打っているうちに夜が明けてしまい、ひとくぎり板に上げて、昼頃就寝。さすがに3時頃には目がさめてしまったが、続きはひと休みで、ちょこっと推敲やらうだうだと音楽やら本やらで夜になってしまう。打鍵物にちょっと出てきたB,zの曲やら、ICEMANやら岡村靖幸やら、すでに懐メロ化しつつあるあたりを聴きながら、兵隊さんの本など読んでいると、罰当たりな気もする。
ネットや新聞見ていたら、アーヤ様の持参金は一億五千万だそうだ。案外少ないんですね。五億くらい持って出れるのかと思っていた。まあ育ちのいいお子様育てるには、今時最低限だろうな。こんなご時世だから、仕方ないか。
○○○や、ひがみ屋ばかりの掲示板などではまた批判も多いのだろうが、私ゃOK。養いたくもない無駄な官僚や、生きていて欲しくない連中に三度三度飯を食わせるために高い税金払っていると思うより、まだ自分の存在にロマンと歴史的意味を感じられますからね。
階層、というものについて考える。敗戦前、布張りの練習用複葉機・通称赤とんぼに爆弾抱かせて、中学出たばかりみたいな年少兵乗っけて特攻に出す。当然敵艦などに到達するはずもなく、ただの海の藻屑です。一方で、将校は週に一度はフランス料理のフル・コースを食っている。あるいは空襲で真っ赤に燃える市街地を見下ろしながら、「大変ですわねえ」などと眉を顰め、パーティーに興じる高台のマダムたち――。しかし、まだ具ー多を食う余裕のある自分としては、そうした話に必ずしも矛盾は感じない。無駄に死んでいった者たちへの限りない慟哭は覚えるが、といってその将校たちや上流階級の人々が同時に存在していたことには、ある種の安堵を感じる。もし日本人全てがマジに飢えた階層だったら、この国は敗戦の時点で、アメリカの完全な属国か、あるいは北朝鮮のような国家になりかねなかったように思う。まあ、明星チャルメラしか食えなくなった時点でどう思うか、解りませんけどね。
そんなこんなで(なにがだ)打鍵参考にレンタルしてきた『金環蝕』を、まあ政治の世界も大変だよなあ、でもあの政治家の描き方の悪辣さは、キャメロン監督が社会派映画撮ってるみたいだよなあ、まあ面白いからいいけど、などと観終わって、さらに続いて『ああ野麦峠』などを観ていると――山本薩夫監督のあまりの無神経さに、ぎりぎりと歯噛みしてしまう。巨悪の退廃美を描く感性はピカ一の監督だし、娯楽監督としての腕も確かだ。『牡丹燈篭』の美しさも忘れ難い。しかしこの監督は、あの貧しい少女たちに対する共感も憐憫も、まったく持ち合わせていないのではないか。つまりこの方は、将校や高台のマダムの観点で社会を見ており、けして巷で評価されているような、巨悪に翻弄される庶民を描いた社会派ではない。それはそれでいいのである。『金環蝕』のような巨悪美映画や社会派風味のエンタメを作ってくれれば、たいへん結構なのだから。しかし、あの少女たちの描き方はないだろう。少女たちは、ただの「巨悪」と対比させるための駒か。捨て駒か。お前、あの湖のシーン、何考えて撮ってんだ。とまああんまり腹が立ったので、『ああ野麦峠』は、最後まで観られず。

11月22日 月

こんなご時世なのに、夕方暗くなってから人通りのない道を、赤いランドセルしょってひとりで歩いてる女の子がいたんですけど、お母さんや先生、あぶなくないですか。心配になって、10分くらい後を追って家に着くまで見てたんですけど、その間誰にも会わなかったんですけど、あぶなくないですか。よろしかったら私が毎日送りましょうか。あぶないですか。冗談言ってる場合でもないと思うんですけど。あぶねーよ、おい。私は車持ってないからいいけど。
『三丁目の夕陽』実写映画化とのこと。監督さんは――山崎貴さん。うぐ。壮絶な失敗か、大成功か。オール・オア・ナッシングの世界になりそう。まあギリギリ昭和30年代生まれだしオタクだし、見え見えのCG以外の裏方CGもやった方だから、期待はするのだが――だいじょぶか。空気感出せるか、CG昭和三十年代。

11月21日 日

新聞を開いたら、いきなり飯島愛のアップで仰天。HIVとエイズの区別は知らなかったそうです。昔の本番裏ビデオでは、コンドーム着けてなかったよなあ。呪怨より怖い。大丈夫か、おい。学校ではまだコンドームの重要性を教えていなかったのか。まあ教えていても、授業なんて聞いとらんか。しかしなんのチャリティーだかキャンペーンだか解らんが、早めに売春禁止法引っ込めて、きちんと管理された公娼制に移行したほうが良くないか。で、学校ではきちんとコンちゃんの効用を、教えないとまずいのではないか。もう教えてるとは言うのだが、いまだになにも知らない中学生が、ナマでナニモノかを売ったりしているのはどういう訳だ。素人ナマに限るなどといいながら、買ってるおっさんなんなんだ。おっさんこそが、コンドーム着用遵守してこその、文化国家だろう。まあ、文化も文明も怪しいですけどね、世界中。こうなったらロリっぽい娼婦さんなどは公務員として優遇し、文化の最先端で活躍してもらうとか。飯島愛かついで冗談やってる場合じゃないぞ。
『弟』、最終回。シナリオは闘病物にシフトしてしまったが、状況上やむをえないか。まさに闘病だけの晩年でもあったのだから。しかし青春編以降も、語り手である慎太郎氏の状況などもっと並行描写して、『兄弟』のドラマに昇華して欲しかった。とはいえ、満足。昭和六十一年当時に使われていておかしくないワープロが、ちゃんと慎太郎氏の机に乗ってましたし。ところでひとつもっと強調してほしかったのが、裕次郎氏がデビュー時、身長180センチで脚長80センチ、やることなすこと最先端湘南ボーイといった、当時の他の若者とはそもそも物理的に存在感の違う『スター』であった、そして当時はテレビなども家庭にはほとんど存在せず、映画で主役一本やるだけで、すでにひとつの芸能人としての到達点であった、そのあたりの社会状況でしょうか。渋谷の風俗が1週間で東北に飛び火してしまう現代とは違う世界であり、またイケメン風ひょろ長あんちゃんが山形の七日町をうろつく世界とも、違っていたのである。
しかしこのドラマを観て泣く年輩の人々のうち何人が、あの石原プロが倒産寸前までコケた『ある兵士の賭け』を、劇場で観てくれましたかね。そりゃあ確かに期待した大騒ぎ映画じゃなかったでしょうけれど、地味だが男らしいいい映画でしたよ。私ゃちゃんと小遣い二か月分使って、劇場で観ましたからね。裕次郎映画全盛の頃には間に合わなかった若輩者ですが、『黒部の太陽』を作ってくれた方に、子供なりに仁義通す必要は感じましたので。
仁義通す、という意味で、『ハウル』も観なければ。『パンコパ』への仁義。美輪明宏さんの声の出番も多いようだし。ああ、来年はNHKの義経も観なければ。美輪さん+白石加代子さんだもんなあ。じゅるる。へへへへへ。あぶねー。でも白石さんに岩波ホールのかぶりつきで、ツバとばしてもらった時のあの異様な迫力は、神がかりだったよなあ。美輪さんの舞台も、一度は観てみよう。エレガンスで、ツバは飛ばないでしょうけど。麻原彰晃が空中浮遊しながらサリン撒きに来ようが、池田大作が耳ぷらぷら揺らしながら女はべらせて仏壇売りに来ようが、大川隆法がかわいいマスクで本や前売り券ただで配りに来ようが、しょせん彼ら彼女らのシャーマンぶりにはかなうまい。
などと好き勝手バチ当たりを打っていると、手首を蚊がチクリ。天罰か。それとも昼間あったかくて、ちょっと勘違いして出てきただけか。まあいいや。吸ってください。夏なら即座にぺしゃんこにするところだが、晩秋の蚊は打てんわなあ。

11月20日 土

『黒部の太陽』――本編が観たい。ああ、観たい。観たいよう。小学生の頃初めて観た、純粋に児童向けではない映画だったし――いや、その前に学校の映画教室で『怒涛一万哩』を観ていたか、ということは、初めて自分の意志で観に行った、だな。どうもソフト化は石原プロ自体が、裕次郎の偉業をスケール感のないモニターで観て欲しくないから、という理由で禁じているようなのだが、もう大丈夫でしょう。DVDで細心の注意を払って再現すれば、うちの25インチの二万円の球面ブラウン管でも、迫力満点なのは『夕陽のギャングたち』などで確認済みです。
『弟』3回目までゆっくり再見、できる限りがんばってるなあ、の感。今時珍しく、演出やはり細かい。当時の風物で、ないものはない、と居直るのも、現代のドラマ造りでは正しいのだろう。その代わり、当時あるはずのない光景をあえて活用するのも、予算上、確信犯としてならば可ですね。少なくとも最近の篠田正浩さんの映画のように、CGで動く懐かしの『書割』を連発するよりは正解。ただし1回目の、渡哲也さん主観のライカのファインダー映像、ここだけはしっかり当時のライカのフレームなど再現して欲しかった。たいしてお金もかからないだろうに。あと、お母さんたちが『太陽の季節』を映画館で観るシーン、試写なのだろうか。それとも逗子あたりのお行儀のいい映画館、という設定だからなのだろうか。当時の邦画館の喧騒や熱気、まったく感じられなかったのが残念。テレビ普及も不充分な時代、一般のコヤでは、土日などもう扉が閉まらなくなるくらいに観客つめかけ、スクリーンに一喜一憂して、大騒ぎしていたのである。事実、扉の後ろから背伸びして観ていた記憶も、私より年輩の人にはあるはず。ヒット映画なら、最前列の通路にまで人がしゃがんでたり。ごにゃわしゃと。だからこそ「裕次郎が辞めたら日活つぶれる」そんな台詞も成立するのですね。一期一会の動くビジュアル。銀幕のスター。
さて、これから4回目、いよいよ黒部の太陽を5社協定と戦いつつ製作の場。うまく仕上がっているだろうか。どきどき。
ところで育ちも良くなく品もないぶん、体張ってがんばってた旭兄イの単純無国籍映画群は、近頃ビデオ屋でもあまり見かけないですね。当時裕ちゃんはなんとなく敷居が高いので、渡り鳥の旭兄イ命、なんて若い衆も多数存在したのだが。長生きしてこのまま品のない不良老年になりそうなあの浮遊感も、捨て難いと思うのだが。
で、4回目が終了。さすがに青年編から晩年編への役者さんの移行は、ちょいと違和感あり。三浦友和さんと渡哲也さんの、年齢差が感じられ過ぎて、親子に見えてしまう。個々に見れば、良くやっていると思うのだが。あとは大成功の『黒部の太陽』から大失敗の『ある兵士の賭け』に至る大作群の変遷が、あれよあれよと進んでしまい、年数経過が当時それを追っていた世代でないと、解らないのでは。いや、ほんとに二年ちょっとで大絶賛大成功旗揚げから、あれよあれよと大赤字に転落してしまったわけですね。
印象に残った脇は、石原良純さんと舘ひろしさん。『凶弾』や『暴力教室』でのデビューの頃を思い起こすと、裕次郎さんの死去以上に、隔世の感あり。しかし松竹梅のCMで、ドラマ中の和尚役を息子の寺尾聡さんが演じ、直後に当時の宇野重吉さんのCMをリバイバルで流すというような趣向、楽しかった。

11月19日 金

雨の中を買い物から帰ると、右足の前半分がびしょ濡れ。いつのまにか靴に穴が。いよいよ自分も少しばかりうらぶれて来たかな、などと靴下を履き替えつつ、まあその靴も晴なら履けるし、漏らない靴だってまだ黒と茶がひとつづつ残ってるもんな、と気をとりなおす。しかしDVDや本は欲しいとあらば何千円でも払ってしまうのに、衣類や日用品だと、ダイソー以上の品はどうしても考えてしまう。ダイソーで靴も売ってくれないか。最近は200円商品や300円商品だって扱うのだから、1000円くらいで。店名も『デフレショップ』とかに改名して。などとしみったれて考えつつ、いざとなると一万円超のエドゥィンのコーデュロイのパンツとか、二万五千円のロベルトのジャケットとかも、買ってしまうんだよな。しかしあれらは何年ももつし、そもそも着用感において他に代わりのないものだからな。心理的に本と同じ。などといいつつなどといいつつ、もったいなくてユニクロの安物しか普段は着れない。まあ中身が中身だからなあ。
家庭用品売り場で最近はDVDの廉価版や話題作のスタンド販売やっており、本日は例の「だれか助けてください!」が、流れっぱなし。同情しつつもあまりのしつこさに、「てめーでなんとかしろよ」などと反応してしまう自分は、やっぱり歪みつつあるのか。しかしやはり自分が幼少時涙した「愛と死をみつめて」あたりのやるせなさ厳しさとは、別の世界の『泣かせ』に思えてしまうのだ。ミコちゃん、骨肉腫で顔半分切除だもんなあ。実話だもんなあ。顔半分なくなった少女はけなげに生きようと闘病を続け、学生服のマコさん励まし続け――インパクトのレベルが違うわなあ。ああ、思い出しただけで泣けてくる。まあ、ミコちゃんの死後、ふたりの往復書簡がベストセラーで映画化大ヒット、マコさんは主演の吉永小百合さんに思わずにこにこサイン頼んで「俗物だ」などと叩かれたりしたが、違うのではないか。そういう正直な青年だから「だれか助けてください」とは叫ばないし、ミコも最後まで彼と「生きる」ために「生きて」いたのではないか。いわゆるセカチューと比べて、暗い、救いがないなどと言う人もいるが、貴様がなにを失ったかが問題なのではないぞ。失われたそのものがどうであったかが問題なのだよ、と根暗な爺いは思うのであった、まる、と。
それから「もらった」つもりの生き物、ずいぶん色々やってくれていたようですね。どこのどういう生き物で、過去に何があったかはまったく知らないが、とりあえず望む死刑。同様の事件再発防止のために、当然精神鑑定や心理分析はたっぷり時間をかけて行いますが、たとえ治療可能な心の病気でも、やっぱり望む死刑。くれぐれも「あの漫画を見てやりたくなった」などとほざかないで欲しいものだが、もし言ったら、鑑定前でもシメるのが世のため人のためではないかと。

11月18日 木

おう、気になってHDをほじくりかえしてみたら、昨日の日記にデタラメ記していた。例の時効の犯人は、妻の留守中に自宅の掘り炬燵の下に、死体を埋めていたのでした。つまり、生活空間の下に埋めた死体を、忘れていたのですね。そして、区画整理で立ち退き話が出たのは十年前。ここで、十六年ぶりに死体の存在を思い出した。で、この犯人さんは、当人の自白によると、後悔して罪の意識を抱いたんだそうです。その時点で、刑事事件としては時効。だったらそこで自首しろよ、と言いたいところですが、彼は頑として立ち退きを拒否し、門を二メートルの鉄製に改装、塀はトタンや有刺鉄線で外敵遮断、表と裏には監視カメラを設置。ここらへんの気持ちは、大変興味深い。しかし今夏、なぜか移転を承諾して、千葉に妻名義の自宅を建築、そこに引っ越した直後に自首――。おいおい、後悔して罪の意識を抱きながら、老後の生活まで計算するんじゃねーよ。ちなみに民事上も二十年で時効成立してますから、犯人は現在完全な自由市民です。権利的になんら制約はありません。年金もちゃんと出ます。さすがに奥さんとは離婚調停中とのことですが。
さて、テレビでは石原慎太郎原作『弟』放映中。テレビドラマをまともに録画するのは何年ぶりか。昨日はまだ1回目だが、戦前の小樽での生活などは、いい感じに仕上がっていた。少年時代のご兄弟役も、とくに慎太郎さん役は上出来。しかし、青年編のおふたり、どうも似て無さすぎのような。あのお二人のお坊ちゃん的なオーラが、見られない。今様鋭角イケメン風。そのふたりが今夜、最盛期(?)の、太陽の季節から黒部の太陽あたりまでをどう演じるか、ちょっと楽しみ。ところで、あの浜辺で家族に詰問する兵隊さん、ちょっと類型的過ぎやしないか。いくら戦時中でも、それなりの身なりで風格もある富裕層の紳士を、いきなり殴打はないはず。まあ金持ちにコンプレックスのあった兵隊か。そんな奥行きはまったくありませんでしたが。大体あのお父様のご身分なら、将校クラスと宴会やるのも仕事だし、地元の名士だったはず。
結局『弟』2回目は、なかなかいい出来。裕次郎さんの役に関しては、やっぱり違和感ぬぐえないが(甘さに品がない)、これはモデルと比較するのが間違っているのだろう。シナリオも演出も、キメ細かく、好感。最初の卓袱台返し大喧嘩のあたり、格闘は大仰だが、そこに到る表情の芝居など、心理細かく、説得力あり。
さて、「もらった」と称するそこの生き物へ。お前ともあなたとも呼べないので――そこの生き物、なにも「もらえて」いないし、なにも残っていない。ひとりの天使がいなくなっただけだ。そこの生き物の世界には、ただそこの生き物が一匹、ただ狂っているだけだ。まあ何を言ってもそこの生き物の世界には届かないだろうが。そこの生き物の世界には、そこの生き物一匹しかいないのだから。
あーもう北朝鮮も相変わらずそこの生き物の同類がエバってるだけだし。もはや息をするのもかったるいが、息をしないと打てないからなあ。観れない読めない聞けない話せないからなあ。でも、そこの生き物は、息しなくていいです。

11月17日 水

お天気お天気、ということで、ひさびさに無制限散歩。といってもまた三時間ほど河原を歩いただけで、最寄の駅を探して電車で帰るパターン。本日は柴又通り越して金町に到達。まあとっとと歩けば一時間半くらいなのだろうが。なんだかよくわからないものの話がほぼ細部まで頭の中で動いたので、良しとしよう。
帰途ちょうど夕方の買い物時で、隣駅で降りてダイエーや古道具兼古本屋などに寄る。サンマのてんぷらはすでに姿を消していたが、小栗虫太郎の『青い鷺』の文庫本入手。買い物がエリ――なんですかそれ。マイクロソフトIMEさん。10年前の日本語ワープロでも、そんな変換しないぞ。お願いだから日本語勉強してから日本語版出してよ。――買い物帰りに、女子小学生さんのジーンズのおしりなども多数見られて、にこにこ帰宅。あぶねー。
高妻多――いいかげんにしろよ。なんで『こうずまおおし』が――まあ誤変換ではないにしろ――やっぱり誤変換だよなあ。こうづま、じゃなく、こうずま、と打ってるんだからなあ。――好事魔多しとやら、帰宅後アマダイのてんぷらで飯を食っていたら、NHKの集金さん来襲。ここに引っ越して5年半、いままで見つからずに過ごして来たのに、なんで今頃。まあドラマもバラエティーも見ないにしろ、ドキュメントやニュースは見ているので、観念して支払う。自分を鏡で見るような、押しの弱そうな人だったし、今夜も『その時歴史は動いた』、録画する予定だし。
それからニュース関係をひとつ。『26年前に東京都足立区立中川小学校の女性教諭を殺害したとして、千葉県に住む元同小警備員の男(68)が今年8月、警視庁に自首してきた事件で、同庁捜査一課は17日、この男を殺人、死体遺棄容疑で東京地検に書類送検した。すでに殺人罪の公訴時効(15年)が成立しており、不起訴になる見通し。(読売新聞) - 11月17日13時29分更新』。これだけの記事ではなにがなんだかわからず、罪を犯しながらも処罰を恐れて時効まで隠れていた犯人が、時効を機にせめて悔悟の情を表そうと自首した、そんなニュアンスに受け止める方も出て来ると思いますが、とんでもはっぷんあるいてじゅっぷん。小学校の警備員が放課後の学校の廊下で女性教師を殺害(殺害の経緯は不明ですが、犯人の前歴から推測して、アレ方向と思われます。ここでは断言できませんが)、妻もいる自宅の庭に埋め、しばらくしてそれを忘れてしまい(当人の発言です)ごく普通に仕事を続け、最近自宅取り壊しの話が出て、あ、いかん、庭にアレ埋めてあったんだ、バレるわな、でも時効だから大丈夫、そんな軽い気持ちで自首した、という事件です。――時効ってなんなんだ。

11月16日 火

ネット注文した『予科練の空』――ありゃりゃ、霞ヶ浦に移る前の、横須賀時代のバリバリの、飛行艇乗りの方の著作だ。こりゃ当座の資料にはならないなあ、などと頭を掻きつつ、ためしに地元の古本屋へ。予科練物はなかったが、アメリカの研究者さんの『評伝ラフカディオ・ハーン』など発見。やったね。日本語や日本そのものを知らないあちらの方の本だから、3分の2は日本渡航以前の記述。こういうのが読みたかったのである。へるん先生や小泉八雲になる以前の、具体的な人生が詳細に読めるぞ。
昨夜は結局おたく物の続編の冒頭を、板にアップ。本妻のほうはもうなにしろ会話ひとつ調べながらでないと進まない部分なので、学生時代のお勉強より気詰まり。やめときゃ良かった。しかしやっぱり、大人側の世界も無いと、ゆくゆくお山の少年少女のクライマックスが、盛り上がらないんだよなあ。ボチボチ進めるしかないか。

11月15日 月

さて本日は、駅ビルの回転寿司が半額の日。この日のために2日間袋ラーメンで過ごして来たのである。嘘ですけど。久しぶりに外食しようと思って駅前に出たら、たまたまその日だったのですね。明け方まで起きながら夢を見ていて、起きたのが昼で、それからコインランドリーなど済ませてから出たので、時間も午後4時と、行列もっとも少ない幸運。10分待ちで座れました。お会計は十皿とビールで――775円? 目算よりずいぶん安い。いいのか? あとで間違いだなんて追っかけてきても払わんぞ、などとあせりつつレシートを見ると、おお、前に来た時はビールは普通の値段だったのに、今回は全額を値引き処理しているのだ。神様、ありがとうございます。唯一神でつっぱってひとりでは手が回らず殺し合い放置状態であるにしろ、あるいは八百万人でごちょごちょ馴れ合って適当こいているにしろ、とにかくデフレにだけは感謝いたします。
アーヤ様も無事お輿入れ先が決まられたようで、謹んでご祝福いたします。美智子妃様や雅子妃様とは逆に、皇室から民間でご苦労もなされるでしょうが、どうかいままで耐えられたぶんせっせと子作りに励み、育ちの良いお子様を、ひとりでも多くこの国にお増やし下さい。見過ぎ世過ぎべったりの世俗から、半村良ワールドは生まれても、高橋克彦ワールドはなかなか生まれませんので。いや別に高橋先生が苦労知らずとは言いませんし、無論華族皇族でもないですが、金銭に疎く育ちが良いのは確かで、それが精神的な純化に繋がっているのも確か。貧乏人や、ぽっと出の成金の馬鹿息子などでは、こうは行きません。過去の文筆家などを見ても、それは明らか。
帰宅してメールをチェックしていたら、アブナそうな画像ページに飛んで、けっこうほんとにアブナそうなので思わず「今すぐ画像を見る」などクリックしそうになったが、いけねえヤバい、と思いとどまり、トップページの片隅までチェックすると――ほーら、クリックしたら利用規約を許諾したことになるのですね。そしてその利用規約をクリックすると、ほーら、「Not Found」。どうせクリック即課金などと書かれたページを、わざと繋がらないサーバーにでも置いてあるんだろう。やめとけ。これだから身過ぎ世過ぎに過適応した下衆は醜いってんだよ。で、それに引っ掛かる下衆も醜い――って、自分だ自分。すみません。お線香焚いて般若心経でも唱えましょう。

11月14日 日

いよいよボケてきた。打ってる間、えもんかけを横文字でなんと言ったか、どうしても出てこない。グラビア雑誌形式の単行本を横文字でなんといったか、これも頭に浮かばない。はい、ハンガーとムックですね。こんな日常語が、本当に『記憶をうんうん唸りながら探る』という過程を経ないと、出てこないのである。こうして馬鹿はますます馬鹿になって行くのであった。
結局『蝶の峪』と、おとつい思いついた『なんだかよくわからないものの聖夜(仮題)』を、並行して打っている――というより、本妻に疲れて浮気に走ったらそっちも疲れる、いっそ先週考えた踊る死美人も打ち始めてしまおうか、そんな混迷状態。全く別のタイプの話を三本並行して――おお、なんだか手塚治虫先生みたいでかっこいいかもしれない。そのうち頭が本格的に馬鹿になり、凄艶なる死美人が内閣調査室のエージェントとしてなんだかよくわからないものを巡る陰謀に立ち向かったりするかもしれない。
などとボケているうちに、うんとアダルトな十八禁すれすれのバイ・セクシュアルヒロイン(兼ヒーロー)が突如脳内に出現し、いけない事件など追い始め――さっぱわやや。年表だけ作った伝奇はどーすんだ。もう発狂寸前。しかし、気分的には幸福なのである。明星チャルメラにモヤシ魚肉ソーセージ炒め乗っけると、とても美味なのである。エンゲル係数急降下の代わりに、ぼよよんと夢を見ている時間は、たっぷりあるのである。
エンゲル係数極限まで削りつつ、じゃあなぜ佐川急便さんがDVD届けてくれるのか。預金残高は大丈夫なのか。まあ来年の春くらいまでは大丈夫、などと現実に背を向けつつ、ついに届いた『夕陽のギャングたち完全版』。レーザーも出ず、画質最悪のレンタル・ビデオしかなく、テレビ放映ではカットされ――なぜこれほどの男泣き大作がこれまでまともなソフトになっていなかったのか。いや、過去の愚痴はもう忘れよう。おたく市場拡大に感謝。そしてそのおたく市場に、果敢におたくのままで挑戦する、(株)スティングレイ様に感謝。画質なんでこんなに美麗。完璧なマスター求めて東奔西走の末に、入手してくれたらしい。最新ハリウッド超大作に、画質的に劣らないクオリティーではないですか。泣くぞ。実際観ながら泣きましたけど。一流会社のビデオの、寝ぼけた映像はなんだったのだ。
嗜好キーワードとしては、『西部劇』『セルジオ・レオーネ』『エンニオ・モリコーネ』『ジェームス・コバーン』『ロッド・スタイガー』『メキシコ革命』『アイルランド独立運動』――これだけ揃えば、もはや男泣きフルセット。酩酊必至。実際観ながら酔いましたけど。

11月13日 土

またちょいと気になるニュース。
『小6同級生殺害事件が起きた長崎県佐世保市立大久保小の校長が、事件後に保護者に対し「子供はウソをつく」という趣旨の、児童を傷つけるような発言をしていたことが分かった。また、当時の6年担任の男性教諭が事件前の4月に「このクラスを受け持ちたくなかった」と保護者に話していたことも判明。市教委は事実を確認したうえで、校長と男性教諭に対し、保護者との信頼関係を築き、児童を傷つけることのないよう口頭で注意した。
校長の発言は、9月の市議会文教厚生委で委員が取り上げた。委員によると、市教委の事件に関する調査報告書と、児童の証言が食い違うことを個人的に指摘した保護者に対し、校長が「子供はウソをつく」というニュアンスで食い違いを説明したという。
市教委の調査に対し、校長は「ウソをつく、とは言っていない」と反論したが、同趣旨の不適切な発言をしたことを認めたという。
一方、男性教諭は4月の懇親会の席で、保護者に担任になることが嫌だった、などと話していたという。教諭は、児童が5年生だった時に6年次の担任になることを断っており、こうした発言と併せて事件後に一部保護者から、教諭へ批判も上がっていた。【川名壮志】(毎日新聞) - 11月13日15時6分更新』
えーと、なんのつもりでこの校長と担任を並列に扱っているのかな。「子供はウソをつく」――プロとして保護者に対してまっとうな発言ですね。正確には「子供も大人も」なんでしょうが。あなたの子供が「ウソつきまくり」の普通の人間であることを、糾弾した保護者はご存知ないのだろうか。一方で、「このクラスを受け持ちたくなかった」――プロとして保護者の前で最低の発言ですね。この教師は確かに教師失格。そう思っても「ウソをつく」のが教師の仕事です。
で、なぜこの二つの発言が、市教委で同列に扱われるのか――そこのところが、やっぱり親も社会もおかしいから子供もおかしくなるのか、などと思ってしまった。お願いだから、大人は正しい偽善者として生きてほしい。クレームをミソもクソもいっしょにしてただ頭を下げるのは、商売人の世界(あ、私がいたとこだ)だけで充分。
打鍵も政治がらみは自分の頭の知力がおっつかず、ひたすら難行。気晴らしにビデオで『パイレーツ・オブ・カリビアン』に逃避。いや、何べん観ても楽しい。子供の頃ディズニーの劇映画(アニメは実はディズニー苦手でした。今も苦手ですが)で一喜一憂していた頃の、「か、かっこいい。こーゆーのになりたい」気分満載。

11月12日 金

本妻打鍵物をうんうん唸りながらちょぼちょぼ進めつつ、以前のオタクギャグで登場した『なんだかよくわからないもの』を狂言まわしにしたクリスマス・ストーリーなど浮かぶ。クリスマスまでに打ってみようか。
ネットで『ビートルズの曲「Ob-La-Di, Ob-La-Da」が、インターネット上で行なわれた「Worst Song Ever(これまでで最悪な曲)」投票で堂々の1位に輝いた。ビートルズは、“駄作”として悪名高きギャザ&リンディスファーンの「Fog On The Tyne」やステップスの「5,6,7,8」を上回る票を得てしまった。』などという記事を見つけ、首を捻る。なんだろうこれは。愉快でいい歌だと思うのだが。日本語で子供向けに訳された歌詞はまったくの創作みたいなものだから別物として、原詞のあの最後の夫婦逆転が、不道徳にでも思われているのだろうか。気になってさらにネットで調べてみたら、なんか色々な解釈があるんですね。額面どうりでゲイやバイセクシュアル等性倒錯肯定の歌であるとか、いや最後に酒場で歌っているのは「She」だからあくまでも女房であって、旦那は昼も夜も女房を働かせてお化粧してぐうたらしているのだとか、夫婦逆転はもともとただの歌い間違いであって、それがライブで受けたのでそっちをメインにしてしまったとか。おお、実際逆転してないテイクも存在するのか。うふふふふ、などと微笑んでしまう。まあどっちでもいいじゃん。どっちにしたって♪Ob-la-di, Ob-la-da, life goes on bra La la how the life goes on ♪――いい歌だよなあ。人生は続く、いや、人生まだまだこれからさ、そんな感じか。

11月11日 木

『私は貝になりたい』の演出家さんが死去、とのニュース。昭和がどんどん遠くなる、と消沈しつつ、自分が幼児期の昭和をしつこくほじくり続ける。単なる退行的な感傷とも思いつつ、どうも現代社会に村単位のファンタジーを突っ込むのは無理があるし。その点はまだ得体の知れない共同体が存続しうる海の向こうの環境がうらやましい。現代日本だと宗教団体あるいは家族単位個人単位以外で、現実的異世界を成立させるのは難しそうだ。まあ学校、病院、ビルといった空間単位もある訳だが――そのうち都市単位でも、なんとかやってみたいかも。
押入れの掃除をしていたら、昭和60年の秋に買ったワープロのカタログ発見して感慨。現物はとっくの昔に廃物化してしまった。しかし33万定価で謳い文句が「プロが持つ、プロが書く。」で、フロッピーディスクと32ドット印字と第二水準漢字(死語?)も使えるのが自慢。無論モノクロ熱転写。――それでもようやくまともな個人用オール・イン・ワン日本語ワープロが出た、と狂喜して買ってしまったんだよな、3年月賦で。給料10万いくらの時代に。ハードディスクなど、夢のまた夢の時代でした。8千字も打てばメモリ満杯、そのたび章変えしてフロッピーに移し、漢字も旧字などは第二水準にも無いのが多く、外字作成ばっかし。でもやっぱり嬉しかった。それまでの液晶で10文字しか表示できない、一度に2枚しか打てない、データレコーダーしか使えない日本語タイプライターもどきに比べれば、まさに夢の文書作成・印刷機だったのだ。シャープWD-600ミニ書院。機能的には現在化石なみとはいえ、当時のゼイタク品だから、キーボードの感触などは、今でも思い出してうっとりするほど、官能的だった。現在の最高級キーボードにも勝る、実用品というよりやっぱり嗜好品だったのだろう。あれだけは壊れても保存しとけば良かった。あれが出た直後から本格的ワープロ専用機時代が訪れ、一年後には機能向上価格半額の機械が、各社からどっと出ていたのだ。もっともキータッチなどは、打てればいいでしょそんなもの、になってしまっていたが。
ところで当時の謳い文句に、「9万語の辞書!」というのがあるのだが、現在このマイクロソフトIMEが何十万語か知らないが、文法解析や意味の解析では、全く進歩していないと言い切っていいだろう。日本語としてあり得ない熟語をバンバン出してくるのは、変換してくれないよりも始末が悪い。差別語っぽい言葉を全く変換しないのは、時代による退化といってもいい。

11月10日 水

ああ、頭がさっぱわやや。だから俺は政治経済なんて解らないんだってばよう、などと音を上げながら、打鍵物に内閣調査室など絡ませてしまったおかげで、霞ヶ関関係のHPを泣きながらチェックしている今日この頃。いいじゃん荒唐無稽なホラ話なんだから、極秘のスパイ組織で、などと逃げ道も考えたが、やっぱりその給料は国民の血税から出ているのだろうから、それなりの架空の職制作ってやらないとまずいだろう。そうなると親方日の丸だから、ドンパチやるにも無数の関連組織が絡んで来たりして――ああ、めんどい。池田総理の頃の内調を統括するのって、どんな人だ。ええい面倒だ、結局親玉は総理だろうし、内閣官房長官あたりがその下か。じゃあ官房長官どんな人だ。しかし警察庁出向者が内調のメインだとすれば、実際には公安寄りだろうし、どっちかというと知性派官僚だったらしい当時の池田傘下の面々とは、ほんとは仲悪かったんじゃないか。――そんなこんなで、もう適当に打ち飛ばすにしても、なかなか飛ばせない今日この頃、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでございましょうやいなやへろへろ。
しかし昭和の高度経済成長期の内閣の事をほじっていると、まあ金環蝕ネタだの色々怪しげな事もある訳ですが、それでも『知性』が内閣や官僚組織を統括していたのは、間違いなさそうだ。昔の光、今何処。
ところで小泉さんはあんまり内調に好かれていないそうですね。防衛庁寄りだからかしら。だいじょぶか、小泉さん。

11月8日 月

ちょいと打鍵の参考に朝日文庫の『値段の風俗史』を引っ張り出したら、上巻がどうしても見つからない。時間だけはあるので、部屋から押し入れから棚から全部探しても見つからない。引越しを繰り返す内に、あるはずのものが無くなる、というのはどうしても避けられない。まあ群馬か茨城の部屋の天袋にでも置いて来たのだろう。(埼玉に忘れて来たらしい貴重な初期ロリ本は、やっぱり恥をさらす前に部屋といっしょに焼けてくれたのだろうか。)
都会中心のデータの本なので、今回の参考にできる部分は少ないのだが、やっぱり後々無いと困るということで、ネットで検索。とっくに絶版なのは当然だが、残念ながら古書も見つからず。ただしエッセイ部を省略した値段データだけの『戦後値段史年表』というのが出ているようなので、久々に神保町に遠征。ついでにひろさちやさんの『てのひら般若心経』という写真入りの文庫本、お地蔵さんがかわいいので買ってしまう。
しかし電車では相変わらず若い女性が衆目の中で平然と化粧しているは、いっぽうでロッテリアのトイレに入るといきなり録音のジャージャーが響き始めるは、なにがどう恥につながるのか、この国の自意識は順調に破綻しつつあるようだ。気にしたいものだけ気にする恥、恥の中心に自分しかいない恥の意識というのは、これはすでに恥知らずなのではないか、などと思ってしまう。
このところ朝起きて夜寝る生活を続けているので、昼になると腹が減る。会社勤めの頃なら当然でも、本日のような外出時にはやっぱり不便。巨大ビル化してしまった母校を、なんだかなあ、まあ駿河台でずっとやってくためには仕方ないか、などとながめながら、何年ぶりかで昔と変わらぬ洋食屋でカロリー焼きなど食おうと思うと、当然学生さんで満員。結局回転の速いいつものファースト・フード。まあリブサンドも昔から変わらないのでいいんですけどね。
おっと、予科練関係の本も探せばよかった、などと帰宅後気づき、ネットでまた書籍検索。ネット上の記載も結構見つかるのだが、具体的なそこでの生活となると、やはり書物でないと無理そう。ついでに今日のお買い物では現品見つからなかった生活品価格関係の本なども、コンビニ受け取りで注文。

11月7日 日

昨日は結局『青い沼の女』、堪能しました。岸田理生女史のシナリオは相変わらずトンデモの寸止め。実相寺監督の演出でなかったら、鼻をつまんでチェーンを引いていたかも。一応鏡花の『沼夫人』が原作ということになってはいるのだが、八雲でもなんでも岸田印戯曲にしてしまう方だから、原作とは無縁との解釈で見ないと、腹が立つだけで終ってしまうからなあ。今回は実相寺印のケレン味と、全編スタジオセットの異様な幻想美で、お見事でした。それにしても、二十年近く前のTVドラマで予算もなかっただろうに、この空間感覚はすごい。撮りようなんだよなあ、などと改めて感心。ところで脇で出ていた堀内正美さん、同じDVDに収録に収録されていた『東京幻夢』でも、故・岸田森さんをちょっと甘くしたような変な奴感が際立っていた。実相寺監督ごひいきなのは、そのためなのか。
本日は一転して『マッケンナの黄金』、西部劇と言うより、壮大なグランド・キャニオンをシネラマで見せるための、大アドベンチャーというか、活劇ショー。『青い沼の女』とは一億光年くらい離れた空間感覚、酩酊。25インチの非ワイド・モニターで観ても、臨場感たっぷりのカメラワークが最高。ラストの大峡谷崩壊特撮以外にも、要所要所でマットアートやミニチュアワークが使われているのだが、やっぱりCGよりスケール感がある。この前の『ドリームキャッチャー』などでも、当然CG使いまくりだったのだが、あの「あ、またCG」の感覚、なんでそのたびに感心よりがっかりしてしまうのか。もっともCG育ちの若い層は、逆にミニチュアが出ると「あ、模型」などとがっかりする傾向もあるようだから、まあ育ちの問題だけなのかも知れない。しかし爺いにとっては、『トロイ』の時なども、ああ、これが巨大プールのミニチュアだったら実在感100倍なのに、などと思ってしまうシーンが多かった。
自分の打鍵物、ほんの1シーンだが、まとまったので板に上げてみる。いきなりトーンが激変するので、予告というか、様子見というか、我ながら姑息。幸いその線で進めても問題なさそう。さらに一区切りついたら、例の新青年調の踊る死美人も、短編で並行してみたい。

11月6日 土

おう、昨日の日記がないぞ。昨日はなかったのだな。違うか。
5枚分くらいは打鍵物増えているようだ。そうか。大昔のつのだじろうさんの短編集『バラ色の海』を久しぶりに読んで『月下美人』というキーワードがなんか頭にひっかかって、それから唐沢俊一さんの『怪奇トリビア』(戦後のカストリ雑誌から編んだ脳がトロけそうな変な無名の方々のアンソロジー。唐沢さんの自作も入っていたが――漫研の誰かが書いたような奇妙な話)いるうちに、猟奇系の短編が浮かんでいろいろいじくっていたのだ。新青年系の大仰でメロメロなタッチにするか、それとも現代の少年たちの、キングっぽい幼き日の友情の思い出なんぞ絡めて――いや、これじゃモロにキングになってしまう。面倒だがやっぱり大正か昭和の戦前か――深山に不時着した予科練の青年が主人公というのはどうだ。なんせ踊る死美人と絡むんだからなあ――などと楽しんでいるうちに一日は終ってしまったのだな。もはやリアルな実社会には、戻る精神構造を失いつつあるタヌキ。
さて、まだ午前中だし、今日はレンタルしてきてまだ観ていない西部劇『マッケンナの黄金』にするか、実相寺監督の『青い沼の女』を観るか――だから読んだり観たりばかりじゃなくていちんち20枚くらいは打てよ、と自分にツッコむタヌキ。

11月4日 木

昨日のへろへろを弱冠残したまま、今度は『ドリームキャッチャー』を観始め、おお、脚本家出身のカスダン監督までトンデモ化か、などと前半で思ってしまったのは、昨日の後遺症による頭の歪みで、すみませんカスダン監督、読んでませんが文庫4巻分もある原作を、良くここまでまとめあげたものです。さすが売れっ子脚本家出身。原作読んでないので無責任な事は言えないが、あのキングが珍しく映画化作品を褒めていたのを考えても、ツボ、ツボ、と決まっていたのは間違いないでしょう。少年時代から中年時代まで続く男たちの友情を軸に、予測不能のエイリアン侵略サスペンス、おおお、などと感激の結末、堪能しました。
先日更新した板の長編、翌日修正に行ったら過去ログに飛んでしまっていて、ちょっとびっくり。おふた方にはすでに感想をいただいていたのだが、他のごく少数の読者の方々、更新に気付く間もなかったのではなかろうか。まあ短いのが山のように毎日アップされる板になってしまっており、長編連載組には、近頃居辛い板になりつつある。次からは、区切りの時期まで心配する必要がありそう。今回は幸い、ちょうどの区切りで飛んだ、といったところ。しかし正直言って、完結してひと通り感想の集まり終わったショートも、連成中の長編も、無作為で初投稿日の日付で過去ログ行きというのは、ちょっとおこまり。まあ利用させていただいている立場だから、文句を言えた義理ではないのだが。管理する側では、パンク予防にそうするしかないわけだろうし。

111がつみかか みず

へろへろへろ。
などと錯乱してしまいそうなほど、脳が味噌って美味しいですよね、へろへろ。
何があったかと言うと、観てしまったのである。よりによって文化の日に、石井輝男監督の『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』を。輸入盤と称する海賊盤DVDで。ネット通販で買った奴。
この感覚は、前にもあったぞ。読むドラッグ、などと言われた徳南晴一郎さんの貸本漫画の復刻本『怪談・人間時計』。異論も多かろうが、拝んだ後の脳がトロけてしまうような感覚が同じ。内容はピーがいろいろピーしたり、ピーの限りを尽くすピー。どちらも作者あるいは監督は、ズレているだけでピーではないのだけれど、作品自体はクスリそのもの。脳をトロかしたいと思った時におすすめ。クスリ同様副作用もあります。その証拠に味噌の中の頭が脳になっへろ。これは現在正規ソフト化当然アウトなのだが、名画座系では超人気と言っても過言ではないカルトですね。私もぜひ大画面でしっかり観てみたい。今回のは、昔の裏ビデオの孫ダビング画質、しかもタイムコード入りだったので。それでもこれだけ効くのだから、鮮明画像ならイッてしまうのは必至。しかし昔一度はビデオソフト化もされているわけで、時代は確実に悪く閉塞に向かっている。いっそ音声をちゃんとピー化して、画像もまずい部分はボカシを入れれば、さらにカルト化するのではないか。大半見えない聞こえないノーカット版! などとキャッチ・コピー付けて。

11月2日 火

やはり憑依部分は半分ほど打ち直し。もうちょっと先に進んでからにしましょうね、森君、なんて自分のキャラに意見するようではいよいよ電波人間。具ー多シリーズは、当たりの企画だと美味ですね。ハズレだと高価なだけでがっかりなんだが、それが美味という方も多いから製品化するのだろう。
しかし袋ラーメンのアイテムが縮小される一方で、ちょっとおこまり。まあ明星チャルメラが存続してくれれば、それさえ食っていればいいのだが、さすがに半年も1日置きに食っていると飽きてくる。昔はもっと好みのアイテムがたくさんあったものだが。今はほとんど数種類限定状態のようだ。選択肢少なすぎ。いっぽうカップ麺は、百花繚乱の体。いきおい金がないと言いつつ、最近はそちらに手を伸ばしてしまう。まあいいか。150円の坦々麺は、ご飯のおかずにたいへん美味。それだけだと炭水化物ばかりになってしまうので、玉子や野菜ジュースも補充しましょう。
しかし米だけは毎日何十年食い続けても飽きないのが不思議。玉子も飽きないですね。黄身が半熟の目玉焼き二個ぶん、それをご飯に乗せてお醤油たらり、これだけでなんでこんなにも美味で、しかも飽きないのか。やはり神様はいらっしゃるのか。『美味しんぼ』で実生活の参考になったのは、実はこれだけだったり。
打鍵物やっとひとくぎりついて板を更新しに行き、久々に雑談板のほうを覗いて見ると――やはり人間がみんな仲良く生きるなんて不可能だし、ネチケットなんてのも幻想だよなあ。お若い方の雑談までは口を挟まないことにしているので、弁護も仲裁もできないのだが――Mさん、怒っちゃ負けだと思います。ハンドルネームの世界では、敵も味方もおーい雲。作者と読者、それだけでいいと思います。「ぉぃ」などという白痴はモノを読んでいると自分で思っているだけの文盲でしょう。あれじゃ他人の感想を読む能力すら、怪しいものです。たぶん自分の読みたいようにしか読めない(それを『読む』とは言わないわけですが)。S君たしかに礼儀や常識は知りません。でもときどき妙にハマる作品出しますね。たぶんMさんほど精神力は強くないのでしょう。だから指摘系の感想を嫌うのでは。Mさんは繊細でも、打たれ強いですから。――なんてここに書いているだけの自分は、ほんとに偽善者だわなあ。すまんすまんと思いつつ、自分の仮想世界にまた引き篭もるタヌキ。

11月1日 月

昨夜は寝付けないで夜明けまでうだうだ打っていると、久々にキャラ憑依。勝手に台詞を言い始めて、こっちの計画から外れて行こうとしているが、こんな時はもうキャラに任せるしかないでしょう。面白いし。しかし夜8時になって、さすがに支離滅裂化してきたようだ。風呂に入って寝よう。ああ、その前に、空腹。買い置きの具ー多を食おう。ああ、贅沢。

10月31日 日

なにか情報が錯綜混乱していたが、最終的には――残念。無念。
コーランの解釈しだいで何をやっても神様OKなんだから、自衛隊派遣以前にお偉いさん狙いでもやっといたほうが、派遣阻止の意味ではよほど効果があったのではないか――なんて言っても無駄ですね。それにしても、ろくに言葉も通じない相手に、問答無用で首を落とされるのは勘弁。しかし、アメリカも日本も、いや、世界中の多数の国家が、過去同様の行為を「自分から他国に突入して」行ってきた過去も、じっくり省みる必要もありますでしょう。アルカイダに同情はしません。過去のわが国の一部の人々の行動を、正当化しないのと同じ意味で。結局サイボーグ009は人間社会と未決着のまま流れ星になった後、ファンタジーの迷宮で神々と対峙し、未完に終るしかないのか。それが人の世というものなのか。しかし人の世で妻を娶り損ね子を成し損ねた半端者としては、ファンタジーの中で朽ちるのも宿命なんでしょうか、どこかの神様。
高橋克彦先生の短編を、吉田光彦さんが漫画化した『ばく食え』、購入。吉田氏は本業はイラストレーターの方だが、ガロで漫画作品も発表された方で、独特の筆致。高橋先生が前書きで述べておられるように、部分的には文章に勝るビジュアルとしての強みが見られたが、やはり自分には原作の凄みのほうが勝っていると感じられる。
しかし今気が付いたのだが、数多の尊敬する小説家の方々の中で、なぜ高橋克彦先生だけ『先生』なのか。漫画家だと手塚先生石森先生赤塚先生、小説家だと――おや、都筑道夫先生と岡本綺堂先生クラスの意識内先生か。これはあれだ。脳内私淑度。たとえば高橋克彦先生登場以前に同系のジャンルで夢中になっていた、半村良さんなどは――半村良氏、といったイメージか。すみません。悪意はないんですが、たぶん高橋先生の育ちの良さ――皮肉ではなく、また世間知らずといった意味でも無論なく、どんな醜さや悲惨さを描いても、常に浄化作用を伴う筆致が、自分にとっての『先生』なのか。でも、都筑先生岡本先生、漫画家の方々の先生は、それぞれタイプが違うな。まあ、単なる自分の刷り込みや無意識の発露なのだろう。

10月30日 土

今日こそ出そう出そうと思っていた燃えるゴミ、また出し損ねる。目覚めるとちょうど収集車が行ってしまうところ。このところ生活が乱れているなあ。以前はちゃんと朝まで起きて打っていたので、ゴミを出してから寝れば良かったのだが、ここ1週間ほどは、夜中の2時には寝てしまう。打鍵も新しい方のプロットばかりで、本妻さん全然進まないし。やっぱり、アウトライン・プロセッサーという奴は、自分に合わないのか。もともと夢想こそがメインで、書くのはその結果でしかない人間だからなあ。といってつじつまは後回しで、夢想の垂れ流しで成立するような話でもないし。バランスの問題か。しかし大袋ふたつぶんの燃えるゴミ(生ゴミ入り)が溜まってしまった。夏場だったら地獄。
イラクでは――ああ、やはり。今回は捉まった相手が相手だから、こうなる予感はしていたのだが、やはり残念。非戦闘員を片端から拉致して殺すのも許される思想の持ち主が跋扈する国である、という事実に対する認識が、足りなかったのだろう。なにせ神様がOKと言っている(と一部の神の子が信じている)ところですから。オウムがサリンばら撒いている地下鉄に、入って行くのと同じ。祈る、冥福。
ところで島田紳助さんが何か大騒動の渦中のようなんだが、まあ、どっちも意識的にしろ無意識にしろ、現実を歪めているのだろう。現実は双方の言い分の中間だろう。しかし紳助さん、よほど腹に据えかねたのだろうが、まずかった。激怒している人間というものは、現実よりも怒りを優先してしまうので、問題自体がすでに理屈の外。
まあ在職中のクレームなどで、こちらが絶対にやってもいないし言ってもいない事を、めんめんと本部に本気で訴える人も多かった。当人がそう記憶を増幅してしまえば、それは当人にとって現実なのですね。怒りというものは、ほんとに単純。最終的にお互いに自戒できれば一番いいのだが――無理っぽいか。まあ一発殴るのも、数発殴るのも、殴られるほうは同じ怒り。殴られていないのに、『殴られたほど怒った』=『殴られた』と信じてしまう人間も多いのだから、実際殴ったら、もう負けです。ヤの付く商売の方は別でしょうが。『殴るよ』→『殴ったよ』→『もっと殴るよ』。
ところで久しぶりに筋肉少女帯のアルバムを続けて聴いていたのだが、『キラキラと輝くもの』がアルバムとして頂点なのではないか、という気持ちがほぼ固まる。『僕の歌を総て君にやる』あたりは、ほんとに大昔サイモンとガーファンクルの『明日にかける橋』を聴いたとき以来の感動作だし、他もなんというか筋少の祭祀としての音楽が最も洗練されている時期なのではないか。初期の作も得体の知れないパワーはあるんだが、だったら最近の特撮のほうが先祖帰りしていて歳食っただけ狡猾さも加わり、爺いの耳には快い。ああ、でも、昔の『蜘蛛の糸』も、やっぱりいいなあ。
最近ツタヤでかかる曲などを聴いていると、何を聴いても昔の歌に似ている、としか聴こえないで弱ってしまう。歳はとりたくないものだ。イカ天の頃の無茶苦茶な混沌が、懐かしくなってしまう。最近のポップスって、なんか演歌化してないか。いや、曲調がではなくて、供給と消費のパターンという意味で。1パーセントが名曲で、1パーセントが駄作で、残り98パーセントは物理的に全部同じ、みたいな。
関係ないが、便所の横のふたつの燃えるゴミの袋をぼーっと眺めていたら、『萌えるゴミ』というタイトルが浮かんだんだが、どうか。
ああ、筋少の聴きすぎで、頭がボヨヨンしている。
夕飯に身欠き鰊食いながら(しつこいようだが、やっぱり旨い)、呪怨2といっしょに借りた『ハンテッド』観る。フリードキン監督らしい男のリアル肉弾戦を満喫。ロケにしこたま予算がかかっているだろうに、それを地味に控えめに見せるのが渋い。最近のド派手CGアクションに辟易した目には、『フレンチ・コネクション』の頃が彷彿として、血沸き肉踊るの感あり。ストーリーも感情描写も、抑えに抑えてひたすら渋い。去年の公開時、ランボーの焼き直しだの心理的説得力不足だのビンボ臭いだのシナリオ悪いだのフリードキン老いただののネット上感想に惑わされて、劇場で観なかった自分をつくづく恥じる。やはり他人の感想に惑わされてはいけない。全部逆ではなかろうか。今年に入ってネット覗きの時間が増え、つくづく感じるのは、なんかアラ探しのために映画感想書いてるようなページが多く、あとは映画製作やシナリオの事など何も知らないらしいのに、金かかってないだの演出やシナリオの悪口ばかり書いてあるページも多い。あ、自分もその気があるか。所詮私も素人の好き勝手言ってるだけなんだよなあ。淀長さんを見習わねば。もっとも晩年はずいぶん悪口も言ってらしたようだが、少なくとも自分の馬鹿さを映画の馬鹿さと勘違いしたりは、絶対しなかったよなあ。
おお、その後のニュースによると、イラクで発見された死体は別人? じゃあその死体さんは、どこのどなたなのだろう。

10月29日 金

昨日はまってしまった続きの『呪怨2』を、さっそく借りてきて期待しながら観て――困った。1作目の美点がなんだかみんな逆方向に行っている。向上したのは恐がらせのあくどさくらいか。1作目は世間で訳が判らんなどと言われた時系列のかきまぜも、終ってみればちゃんと整合性とれていたのだが、2の千春シークエンスは、どう観てもただ混ぜてみただけ、という舌足らず。朦朧法の使い損ねか。おかげさまで以降のクライマックスが、素直に恐がれず欲求不満。それにどうも伽椰子さん、日記を見る限り、お亡くなりになる以前から電波系困ったちゃんだったらしく、旦那もやむにやまれず殺害し即とり殺された、というような想像も成り立ってしまう。おまけに今回、俊雄君はかわいそうに途中でお母さんから忘れ去られてしまった様子。息子さんほったらかしにして自分だけ転生してどうする、伽椰子さん。ただの馬鹿っ母だったのか。がっかり。のりピーがまだまだ綺麗だったのが救い。こうなるとアメリカ版も、ちょっと不安。どうも監督は前作からの想像とは違う方向の確信犯だったらしい。
一昨年の群馬での女子高生殺害事件、坂本正人被告の死刑判決に安堵。1審が甘すぎたのである。縁もゆかりもない人間を自分の都合で拉致して、色香に迷って暴行し、さらに殺害後笑いながら身代金せしめようとする生物を刑務所で長生きさせるために、私は税金納めているのではない。暴行殺害まで到らずとも、覗きや痴漢にあっただけで女性の精神的な衝撃がどれほど甚大なものか、職場が駅ビルやSCが多かったので、けっこう実地に見てきている。トイレの上や下から覗かれるだけで、普通の若い女性は半狂乱になって泣きじゃくります。
土台、しつこいようだが文明国家(?)は加害者に甘すぎるのである。十両盗めば首が飛び、殺せば当然殺された江戸時代の、日本の犯罪発生率がどれだけ当時の鎖国外の世界よりも低かったか、少しは考えてみてもバチは当たるまい。人道、人権、それは確かに結構なのだが、拡大解釈すればいいってものでもあるまい。確かに加害者も人間だし、事情もあれば人格もある。しかしそれを必要以上に拡大解釈することは、犯罪者でない人間の尊厳をかえって貶めているのではないか。

10月28日 木

レスキューの皆様、ご苦労様です。報われない可能性を充分自覚しつつ万分の一の可能性に賭けるという行為は、結果にかかわらず魂によってすでに報われていると思います。ニュースを見て銀座に行って義援金のかわりにしっかりコシヒカリもらって食ってしまう私を、情けない奴だとお笑い下さい。
別の大事では案の定誹謗中傷の電話が実家に殺到しているようですが、かけている方々の一生が出来得る限り惨めで不遇でありますように、心よりお祈りいたします。今すぐお亡くなりになっていただければ、当方それ以上の喜びはございません。生きているだけ資源の費えですので。
アメリカでえらい事になっているという『呪怨』、もとの映画版のほうのビデオ借りて、ようやく観る。リングのシリーズや他の類似作品だと思って、今まで観なかったのだが、いい映画だった。ラストのラストまで、恐いというよりそのあまりのおどろおどろしさに笑って観ており、伽椰子さんを演じる藤貴子さんすげえすげえとのみ感心していたのだが、最後は思わず伽椰子の悲痛な思いに涙。なにせ、加害者の夫はとっくに成仏しているらしく、自分と息子だけ幽霊だものなあ。俊雄君もお母さんといっしょに、末永く無差別に祟ってほしいものだ。それこそが死者を軽視する現代への警鐘。しかし勝手に深読みさせていただくと、伽椰子さんは被害者軽視の時代に登場した、ポストお岩さんではないのか。その存在感において、貞子の比にあらず。ビデオ版もアメリカ版も2も、観ねばなるまい。確か松谷みよ子さんの『現代民話考』だったと記憶しているが、野原で暴漢に殺された娘が、「去年も十九、今年も十九」と夜の原で唄いながら踊っている情景を思い浮かべてしまった。近頃の新耳袋より稲川さんの話が好きなのは、そんな匂いがするからなんだろうな。

10月27日 水

さて、またイラクでは邦人拉致。今回は――現在の情報では、自分のために自分の意志で入国した、海外浪人の青年のようにお見受け。ボランティア活動でもないようだ。その好奇心は若者として好ましいが、結果は自己責任だろう。親御さんの気持ちを考えると複雑な心境だが、当人が24歳と立派な成人であり、あくまでも個人的自己確立のために行動していたのなら、現場で何が起こっても、それは自分だけの選択肢。親御さんのもとにまた嫌がらせ電話をかけたり手紙送ったりする既知外が、どうせまた出現するのだろうが、それはイラクまで行って青年に直接言いなさいね、ついでに青年の代わりになって傷んだお頭を切除してもらうといいかな既知外、ということで。
新潟中越地震のその後、気になる。車中の母子は全員無事に救出されるだろうか。ところでどさくさ紛れの盗難や、被災関係を装ったオレオレ詐欺も発生しているとのこと。大正時代、関東大震災の跡地で、遺体の金歯を抜いたり、指輪集めに指を切りまくった輩も跋扈したそうだから、まあ明治以降の日本の民度というものは、順調に堕ちて行く一方なのだろう。開化。
今月も無事、管理人さんに家賃納める。いつまで納められることやら、って、自分の民度はギリギリ保ちたいもの。
ああ、お母さんは生命反応なしか……強く生きろよ、男の子。まだ車中らしい女の子も、頑張って!。
ニュースの合間にNHKの『その時歴史が動いた』を久々に観る。幕末の『ええじゃないか』を取り上げていたのだが、ちょっと一面的にすぎはしないか。あれじゃ幕府や会津が無能な敗者で、民衆ただ歴史に踊らされているだけだよなあ。ラストも薩長政権のその後の問題をちょっと匂わせたと思えば天皇制自体はしっかり擁護したり、終始玉虫色。まあどっちからもクレームつけられないため、そんな台本にせざるを得ないのだろう。ちなみに自分は天皇制擁護派。大臣やら人民代表が執り行う新嘗祭なんて、ごめんですからね。といってあの頃の岩倉さんや薩長勢力にも、はっきり言ってブーイング。クーデターなんて所詮権力闘争であって、何を神輿にかついだかは戦略に過ぎないのではないか。ちなみにラスト・サムライは最高だった。夢と知りせば、ですけど。
ああ……お姉さんも心音確認できず、か……ううう。

10月26日 火

DVDで借りた『ジェヴォーダンの獣』を観る。一見アメリカ映画かぶれかと思っていたら、髄までフランスで安心する。前半のストーリー進行とは無縁の雰囲気描写に長々と贅を尽くす部分の味、たいへん美味。この贅沢さが、フランス映画の妙味だろう。アメリカあたりなら、こういった娯楽作の場合、観客を退屈させるとか言って、30分はカットされてしまうのではないか。で、子供でも退屈しない菓子映画にする、と。あるいはもっと見せ場つっこんで、見せ場だけで2時間にしてしまうとか。テーマもフランスらしく、善人であれ悪人であれ獣であれ、真に己を確立している者が尊いのであって、操られる者は哀れな愚者、そんな感覚が横溢。アメリカ映画は一見同じようなテーマでも、結局多数決の世界に収まってしまう。派手なカンフー混じりがトンデモ映画扱いの種になっているようだが、西洋映画ではモンゴル系の顔の民族は結局みんな混同されてしまうので、この映画だけがおかしいわけではないし。カンフーもインディアンもニンジャも、みんな東洋の神秘になってしまうのですね。ここは容認してやらないと、西洋映画みんなムカつきの種ばかりになってしまう。マーク・ダカスコスさんが、とにかく無条件でカッコいいので可。それと同調する白い狼さん、最高。ラストのハッピーエンドにも苦い痛みを伴わせるあたり、おフランスでいいわあ。堪能しました。
ダイソーで眼鏡の上に付けられて不要な時は跳ね上げられる老眼用レンズを見つけ、喜んで購入。これは重宝とさっそく使い始めたら、なんというかあっという間に白く曇り、拭くといったんはきれいになるが、またすぐに曇る。そういえばアメリカのブランドの東南アジア製の玩具的カメラなども、アクリルやプラスチックレンズがすぐ曇る。変質するわけではなく、拭けば透き通るのだから、なにか静電気でも帯びやすい材質なのか。日本製のカメラでも、昭和40年代に導入され始めたプラスチックレンズ部分で、良く見られた現象。まあ今回の100円レンズは拭きながら使うにしても、古カメのファインダーが曇ったりすると、分解しないと拭けないので鬱陶しい。

10月25日 月

しかし国保と国民年金と市民税だけで、しめて69300円、ただこの国で普通の顔して生きてるために今月も納めてきたのだが……来年は減るんだろうな。国民年金はともかく、国保も市民税も、算定基準の所得がまだゼロですからね。それでも民間の保険や共済もやめずに毎月支払っているのだから、いくらか戻してくれるのかしら。来年の確定申告のとき、調べてみよう。
ライフホビー打鍵しつつ、別の長編のこの前作りかけた年表に色々肉付け。発端の事件から現時点の事件まで十数年、あちこちの人間があちこちで関わって来るから、考えてる当人が訳が解らなくなってしまう。結局全員、最後には歌舞伎町あたりに終結して、散ったりツッパリきったりするはずなんだが、さて、モノになるやらならぬやら。脳内主題歌としては、映画版パトレイバーのイメージソング『約束の土地へ』なんかが鳴り響いているんだが。
ところで気分転換にネット散歩していたら、とんでもなく愉快なgifを拾って、笑い転げてしまった。この動画は実写なのだろうか。それともCGアニメか何かなのだろうか。拾いの拾いらしく、出所不明。どなたかご存知の方は、いらっしゃらないだろうか。

                     どて


10月24日 日

結局スキャンに走るが、やはりモニターに表示される立体写真は、解像力の限界で迫力に欠ける。しかしまあ、臨場感という意味合いでは、やっぱり楽しい(自分では)。少しでも多く原画の臨場感を出そうと修正など繰り返しているうちに、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。といってスキャンしっぱなしのままでは、肉眼立体視不能の方には、ただの寝ぼけたちっこい写真が並んでるだけになってしまうし。
しかし昨夜の地震は恐かった。驚いてニュースを見ると、新潟の方がえらい事になっている。阪神大震災の時は衝撃の方が勝ってしまい、被災地の被害のあまりの大きさに、かえって我が身としての危機感は希薄だったが、今回は実感としての恐さがある。現地の方々に、心よりお見舞い申し上げます。自分も非常用に色々用意しておこうか、などとも思うが、阪神のとき購入した非常用食品などは、結局好奇心からみんなじきに食ってしまって、それっきり。アルファ米類はあまりおいしくなかったが、牛飯や鳥飯の缶詰は、ちょっと高いが美味だった。また買ってみようと思って検索したら、ほんとに非常用としてしか売っていないのですね。昔はスーパーで缶詰コーナーにあったものだが。レトルトよりは、ほんとに美味だったのだが。

10月23日 土

やっと先の見えない大長編に、メインキャラのスキャナー少女が本格参入を始めたのだが――180枚越してようやくメインキャラ発動というのも、今時絶対流行らない構造だよなあ。まあいいか。ライフホビーだし。しかし昨夜掲示板に上げてから、書き足りない部分や主観の乱ればかり目につき、またまた大幅に修正。根気よく感想を下さる方に申し訳ないと思いつつ、翌日にはずいぶん中身が変わってしまっているのであった。こればっかや。
新しいキヤノンのスキャナーは、反射原稿は良く読むが、フィルムだとプレビュー画面と出力結果の濃度や色調がまったく違うという難物。まあ安価なフラットベッドのフィルムスキャン自体がおまけみたいなもので、HPやホームプリントにだましだまし使えれば、御の字だろう。ネガはモノクロもカラーもいいかげんな出力で、リバーサルならなんとか使えるか、といったところ。まあ昔なんのかんので10万かかったニコンのクールスキャンと比較するほうがおかしいか。しかし手間暇かからないのは嬉しく、HPにコダクロームで撮った立体写真をアップするのも、夢ではなさそうだ。しかしステレオ写真メインのHPを開いている方々、よくあんな大量のスキャンをこなす暇があるものだ。それだけのために生きているのかも知れないなあ。
さて、まだ朝の七時だが、寝るか打つかスキャンに走るか。

10月21日 木

かっぱ寿司で生魚の補給をしながら、古本屋で買った森敦さんの『わが青春 わが放浪』など読む。昔61歳で芥川賞を受賞した『月山』以降、大概の著書は読ませていただいたが、なぜかこれだけまだだった。檀一雄、太宰治といった同世代の人々との若き日の交流の部分しかまだ読んでいないが、20歳で新聞連載を書いた後、40年間作品は発表せず、あちこちうろうろ、職転々。小説家というより、哲学的な詩人、といった趣。この方の奥様も精神病を患っておられたようなのだが、光太郎智恵子といい、詩人の伴侶というものは、やはり精神的に疲れるのだろうか。ああ、でも、丸山三四子さんなどは美しく理性的でかつ健康だったか。詩人の側の女性観によるのか。
エンガワ美味。ヒラメではなくグロで安価ななんとかガレイのエンガワだろうが、自分にはこっちのほうが旨いのだから、文句なし。鯛でなくティラピアだろうが、本物の鯛を食う金のない人間にしてみれば、100円で鯛っぽいのが食えれば可。本当にいい時代だ。
思い起こせば就職当初は、なんのかんので手取りは月に10万ちょっと、そこから六畳一間風呂なしトイレ共同の上井草のアパート代が、雑費込みで2万6千円。残り7万5千円ほどで、ひと月賄っていたわけである。そのとき安価な外食の筆頭だった牛丼は、すでに350円くらいだったはず。現在は狂牛病関係で、豚丼になってしまったが、290円。で、本日帰りに買った、明日が賞味期限のサバの半身が、138円なり。デフレ大歓迎の、貧乏人。
しかし、労働条件のほうは、どうなんでしょうね。入社直後の平の時代は残業も夜間手当もあったわけで、店舗改装で残業の連続で手取り20万超なんて月もあったが、昨年離職直前は、手取り32万で日々12時間拘束で忙しいと半月休みなしで残業いっさいつかず。過労死寸前。
まあ、現在はほぼ24時間フリーで当然ながら無収入、過労死寸前の頃の貯金で生きているわけだから、我ながら極端。デフレだけが頼り、といった反社会的境遇。
話変わって、ここ二年ほどの母親や姉関係のデジカメ写真を先日ネットでプリント注文し、本日近所のDP店で受け取る。使用カメラは200万画素、300万画素、400万画素と状況によってまちまちだが、サービス判のプリントだと、ほとんど見分けがつかない。フジのオーダーだからフロンティア処理なのだろうが、自分がいじっていた頃よりも、さらにソフトが向上しているようだ。大昔に入れ込んでいたミノルタ16よりも小さい200万画素機で、これだけのプリントができてしまうのだから、恐るべし。同じ画像を注文しても、二年前と現在では、プリント結果が全然違うのですね。

10月20日 水

システム復旧に忙殺。これはこれでいい気分転換かも。ノートンさんがどうしても不安定なので、結局アンインストール。といって垂れ流し状態も恐いので、トレンドマイクロさんに鞍替え。ノートンさんの、トロイの木馬警告と、敵のサーバーの場所の表示なんかは大好きだったのだが、ONでネット接続できないのでは、入ってないのと同じだものなあ。それともとっくにこのパソコン自体がどなたか奇特な方の手中にあるのか。HP開設当初なんか、山のような謎メールが届いていたし。「アハ! ユー・アー・ネイクト.」なんて英文のもあったからなあ。その割に、特にウィルスも添付されていないし、メールアドレスなんてあちこちで公開してるから、単にロリ野郎を笑ってみたかっただけなのか。いまだにスパイウェアもウィルスも、ノートンさんやトレンドマイクロさんによると、食い込んで来てはいないみたいなのだが。しかし油断は禁物。検疫隔離消去物件は結構あるし、覗き屋さんも世界中に蔓延しているようだし。
さて、アイデア涌き涌き期も終ったようなので、地道に打鍵に戻らねば。

10月19日 火

結局ヨドバシでフィルムスキャン機能付き、といってもローエンド機以外はほとんどもう付いているようなので、手頃な奴を雨にも負けず仕入れて来たのだが――なんと言う事だ、やっぱり認識しない。結局システム自体がおかしい、ということで、半日かけて再セットアップ。再起動の嵐。結果、ハード関係はつつがなく復活したのだが、今度はノートンさんのファイアーウォールをONにしておくと、いっさいネットに繋がらなくなってしまった。なんだこりゃ。再インストールの過程で、Windows自体を完全にアップデートしたのだが、そのアップデート自体がファイアーウォールONで出来ていたということは、つまりWindowsアップデート自体がその原因としか考えられない。インターネットエクスプローラーも完全にアップデートしてしまったわけで、それらの新しい何かとノートンさんが反発しているのか。ノートンさんの方をアップデートしても、結果は同じ。どないせえっちゅうねん。ブラウザソフトを変えるしかないのか。まあ、ウィルスチェックはONでも繋がるようだが――もはや訳がわからん。様子見しかないか。しかしもう夜中の1時半。昼に駅ソバ食っただけなので、さすがに空腹。スキャナーが向上しただけを慰めに、買い置きの餃子とラーメンでも食うか。

10月18日 月

図書館で借りた資料をスキャンして保存しようとすると、スキャナー作動せず。キャノンのHPから自動でドライバーを入れ直したら、ドライバーは飲み込むのに、本体は認識しない。本体自体の故障だったらしい。そんな中途半端な状態のためか、ウィンドウズ2000のデバイスマネージャーまでまったく表示されなくなる。どないっせえちゅうねん。まあスキャナー自体は数年使ったので寿命なのだろうが、新しいのくっつけた場合、デバイスマネージャーは復活してくれるのだろうか。Win2000という奴は、比較的安定性はいいのだが、一度妙な状態を覚えこんでしまうと、再インストールしない限りてこでも元に戻らないという特技がある。システムの復元も、大概最後にエラーになって、なんの役にも立たない場合が大半。今回もしかり。
ああ、また出費が、などと嘆きつつネットショップを見ると――おお、こんなに安くなっているのか。フィルムスキャンできても一万円台ではないか。一万円でお釣りが来る奴でも、壊れた奴より高性能。フィルムスキャナーも数年選手のスカジー接続のトロいのを愚痴りながら使っている状態なので、ここはちょっと奮発したほうが、のちのち正解か。

10月17日

結局昨日はナースマンを見始めるが、あっと言う間にオープニングの五十嵐氏の絵は終ってしまい、続きを見ようとしたが途中で寝てしまう。本日改めて録画を見始めたが――すみません。ギャグとコメディの区別のつかない方が、シナリオ書いてるのかしら。オープニングの前のプロローグ部分で、ちょっと匙投げ気味。最初に主人公腹痛で恥をかくシークエンスの医師や看護婦の会話で、すでにギャグとコメディーの区別ついてません。ギャグやコントならOKでも、コメディーならあの看護婦さんたちすでに全員看護婦不適格者のお笑い担当の役回りのはず。医師の反応もしかり。でも、けしてそういう話ではないようなのですね。主人公の演技はけっこう頑張ってると思うんだが(実はTOKIO好き)。結局オープニングのみ保存。こういう時、HDDレコーダーは超便利。
しかし去年の暮れに期待して観ようとした『砂の器』といい、もうテレビドラマはやっぱりパス、といった感じ。鼻をつまんでトイレのヒモを引く、といった往年のアメリカ映画などで見るジョーク的動作、思わず多発しそうになる。昔の映画の『砂の器』を、クサいなどと評しているお若い方がいたが、現在のテレビドラマやお笑い番組を、平然と観ていられるのはなぜなんだろう。まあ、私が時代的にズレてるのも否定できませんけど。
長編の打鍵、遅々として進まず、更新先送り。その代わり、一昨日あたりから、短編や長編の初期アイデアばかりが、次から次へと頭に浮かんでくる。まあ、こんな時期もないとつまらないし、学生時代以降めったにない事なので、悪い状態でもないだろう。片っ端からアウトライン・プロセッサーのタイトルばかり増えてゆく。おまけに夕方、かなり具体的な長編のストーリーが脳内始動してしまい、主要登場人物全員の年表まで作り始めていたり。マジな伝奇物で、人もどんどん死ぬ。やっぱり、おたくギャグと田舎ファンタジーの反動か。

10月16日 土

結局短編2種のアウトライン組んだり、某長編ちょこちょこ打ったりしているうちに、夜明かし。昼近くになっても眠れず、かっぱ寿司へ。ついでに久々にビデオ屋に寄り、『緑の館』などと古いところを借りてくる。
帰途、近所の文化会館で何か催し物に向かうらしい、女子高生の河に遭遇。河というのはあながち誇張でもなく、実際信号から信号までの1区画まるまるの歩道を、埋め尽くして流れていたのである。それがこの前おたく物件のモデルにした女子高の生徒たちで、全員が同じブレザーに同じ膝丈の濃緑のチェックのスカート、まったく同じソックス、髪型はまちまちだが校則で真っ黒のままという、正統派女学生ルック。思わずその流れに身を投じたくなってしまったが、実行すると逮捕必至なので思いとどまる。ロリでなくても、スベタでなければ可ですね。とにかく表情が素朴でしかも千差万別。苦労を知らない少女たちというのは、まこと結構なものです。願わくば生涯苦労を知らず、愚かな外面的個性だのに目覚めませんことを。どうも盛り場を闊歩する、頭からファッションまで千差万別の少女たち、かえっておんなじような表情とおんなじような言葉しか、備えていないようですから。
帰って『緑の館』鑑賞。南米ロケ、風景圧巻。オードリー・ヘプバーン嬢はやはり都会のほうが似合うが、アンソニー・パーキンス青年、案外ベイツ・モーテルだけでなく、ギアナ高地も似合う存在感。線が細くて、しかも狂熱的な感じが良。早川雪舟相変わらず演技してるんだかしてないんだか判らず、ヘンリー・シルヴァはこういう単純悪役はまるなあ、などと思っているうちに……結局ラストははらはらと落涙して、オードリーはやっぱり妖精さんなんだい、などと確信してしまうのであった。やっぱり往年のハリウッド映画、夢と潤いがあっていい。特に原作の悲劇的ラストを、のうのうと泣かせハッピーにしてしまうなど、最高(まあ怒る人も多いでしょうけど)。
五十嵐氏が今日夜九時から日本テレビでやる『ナースマンがゆく』とやらのタイトル絵を描いたそうなんだが、それまで起きていられるか。念のため録画予約しておこう。

10月15日 金

おお、晴天だ。ちょっと澄み切ってるとは言い難いが、とにかく秋の晴天だ。といって起きたのが昼過ぎなので、遠出は控えて(金もないし)河原を今度は東京湾方面にどんどん下ってみる。デジカメでパチパチやったり、途中座り込んでぼーっとしたり、六キロ程度を二時間かけてお散歩。できれば江戸川の河口まで出たかったのだが、運動不足がたたって、ちょいと手前の京葉線に当たったところで、電車で帰って来てしまう。
途中の道路沿いの土手に、なにやら石碑が建っていたので近寄って見ると、そこで小学生の子がふたり、交通事故でなくなってしまったらしい。かわいいマグカップがふたつ並んで、新しい水が入っていたので、日々お参りしてくれる人がいるのだろう。お母さんなのかも知れない。謹んでお参りさせていただく。
最寄の駅までの住宅地を歩いていると、妙に低い高架下のトンネルがあり、ここを車高の高めのボックスなどが通ったら屋根をこするか、などと見ている内に、新しい短編のアイデア浮かぶ。さっきの石碑が頭にあったので、事故がらみのホラー調ファンタジー。これは使えるかも。しかし、まずいのではないか。これはもし事故でお子さんを亡くした親御さんなどから見れば、唾棄すべきストーリーなのではないかとも思うが、しかし自分としては、亡くなった子供たちにも、たとえどういう形であれこの世に関わってほしいし、幸せに成仏して欲しい訳で。しかしまだここに書くわけには行かないが、よくこんな歪んだ設定を考えてしまうものだ。
そういえば、昔別のある設定をI氏に話したら、『猟奇人情物』などと嘆息された事があった。当人はリリカルなファンタジーのつもりなんですけどね。大体、世間の怪談話などで、異形の死を遂げてしまった無辜の人々が、なぜ外観だけで化け物扱いで恐怖の対象にならねばあかんのだ。元は普通の人だろう。

10月14日 木

などといいつつなどといいつつ、まだ旧作をいじり続ける未練な私。
さらに、一昨日アルファポリスに送ったテキスト原稿、エディタでルビを印字するために青空文庫形式のルビ情報入れまくりの古いテキストだったと判明。さらにアルファではhtmlで掲載する方が多いようなので、新規にルビを最小限にしたテキストからhtml作り直し、再送付してみる。こちらのミスなので、どうなるかは先様のスタッフの方にお任せするしかなかろう。
今日は雨は降らなかったようだが、やはり無制限散歩日和にはほど遠く、明日の晴天予報をちょっと首を捻りつつも、やっぱり期待。夏の直後に梅雨が来てしまって、とにかく鬱々と気分優れず。まあ、正直言って未練未練の演歌系人間なので、落選ショックも気分の底に澱んでいるような。こんな時は、青空の下をひたすら歩くに限るのである。
と、ところで、下記の記事は現実なのだろうか。
『都が設置した「青少年の性行動について考える委員会」(座長・加藤諦三早稲田大学教授)の第2回会合が12日、都庁で開かれた。中学生以下の性交渉を禁じる条例制定の是非をめぐって、議論は白熱した。
 六本木で産婦人科診療所を開業する傍ら、10代の少女の相談を受けている赤枝恒雄医師は「10代のHIV(エイズウイルス)感染者が今年は昨年を上回った。年齢の歯止めがあれば子どもにも、子どもを対象にする大人にも効果がある」と条例制定に賛意を表した。
 泌尿器科医で性教育やエイズ対策に取り組む岩室紳也委員は「法律を作っても、影響がない子どもたちも出る。性の多様な価値観を認めるような対策があらゆる側面から必要だ」と慎重な姿勢を示した。
 都公立中PTA協議会健全育成委員長の吉田千恵子委員は「性教育ができない親が多く、行政、学校、地域、家庭が話し合い、性教育や人間教育を充実させることが大切」と指摘した。
 このほか、「子どもは大人の背中を見ている」との意見も出た。
 また、女子高校生約70人を対象としたアンケート結果も報告された。「お互いの同意があれば誰とセックスしてもかまわないか」との問いには「そう思う」38%、「そう思わない」39・5%、「どちらとも言えない」22・5%――といった結果だった。
 竹花豊副知事は「交通に例えるなら、ルールやリスクを知らない歩行者が道路に飛び出している現状。中学生かどうかは別にして、その年齢までは性行為は駄目だという対応をとるべきじゃないか」と語った。【田中義宏】10月13日(毎日新聞)』
……そりゃ白熱もするだろう。肝心の副知事が既知外老人と化しているのだから。他の正気な委員の方々、既知外は声が大きいので、負けないように頑張ってくださいね。しかし、まさか東京都副知事まで箍が外れているとは。どーなるんだ、この国は。仮にあなたがもう勃たないにしても、条例と道徳の区別もつかないのだろうか。アルツ入ってる可能性があるので、ちょっと病院で診てもらったほうがいいのでは。


10月13日 水

また南京大虐殺問題で、ヤンジャンに抗議か。読んでいないが、本宮ひろ志さんの作だったら、さぞかし迫力たっぷりだったんだろう。
高校時代あたりに図書館でずいぶん文献読んだ記憶がある。あったかなかったか、で言えば、あったに決まっている。虐殺行為がなかった戦争なんて、少なくともまだ聞いた事がない。しかしその規模と具体的状況については、確かに文献もおかしいのが多い。結局、その場に居なきゃ、真実なんて誰にも判らない。居ても判らないのかもしれない。なんとなれば、嬉々として暴行・略奪のできる人間と、自失してやってしまう人間と、やりたくないけどやってしまって結構楽しんでしまった人間と、やりたくないけど種々の事情でやむをえずやってしまって後悔した人間と、やりたくないからやらなかった人間と――兵隊さんだって、色々いる訳で。現在の社会と、なんら変わりはないはず。日々のニュースを見ていれば、楽しんで人を殺したり貶められる人間や、利己的・事務的にそれのできる人間が一般社会のなかにどれだけ多数存在するか、誰にだって解るはず。一方で、殺したかったにしろ殺したくなかったにしろ殺してしまって後日発狂してしまう人間もいるし、殺せなくて殺されてしまう人間もいる。
自分はそのうちどれなのか――戦争に行った事がないので不明。できれば生涯行きたくないものだ。生涯偽善者で生きられる社会にいたい。昔、太平洋戦争で赤紙が来たある青年に、母親が言ったという言葉が、記憶に残っている。「無理に殺すんじゃなかと。無理に死ぬんじゃなかと」。……うう、深くて痛い。つまり生きるのにも死ぬのにも、偽善者でいてはいけないという言葉。こんな場に絶対立ちたくない。もし自分に赤紙が来てしまったら……富士の樹海か、鴨居にロープ。七輪でもいいか。

10月12日 火

などといいつつ、落選物件、アルファポリスに掲載申し込んでみる。3ヶ月以内に読者の支援が仰山溜まると出版検討、などという面白いサイトなのだが、無論他の一般の方々の感想がお聞きしたい、というところ。いっそ3万円払って、どこが商品としてまずいのかアップルシード(最近流行り始めている、マジなエージェント業のサイトでした)で見てもらうという手もあるが、まあ、とりあえず無料で一般の方のご意見をお聞きしたい。で、次に備える、と。
楽園という掲載サイトにも、HPと某短編の登録申し込んでみる。ここも少数だが現プロが掲載していたことがあるような。
なんて事をやっている内に、日が暮れる。天気が悪いせいもあるのだろうが、近頃、あっという間に夜が来る。いかんいかん。過去の相手と浮気ばかりしてないで、現在本妻の大長編も打たねば。

10月11日 月

おお、残念。7月に送った奴は、第1次選考すら通過せず。おかしいな、面白いはずなんだが、と、今頃日本中の推定何百人かが首をひねっているはず。そりゃそうだ。面白いと思うから、みんな書いてるわけで。
まあ自分の場合、学生時代の幼稚な駄作を除けば、事実上初めての応募だからなあ、当然当然、などと表向き居直りつつ、実は内心は昨夜からくよくよと女々しく思い悩んでおります。梗概が何を間違えたか規定より30文字オーバーしていたとか、後日誤変換と誤字数箇所発見してしまったとか、知らなかったとはいえ不要なルビを振りまくってしまったとか、やっぱり題材や人名で田中芳樹さんの影響強すぎかと思われてしまったかとか(違うんですけどね。設定とキャラ自体は氏のデビュー以前の創作なので)、トーマス・マン趣味モロでオマージュというより部分的剽窃と思われてしまったかなとか、某HPを鵜呑みにして12ポイントで規定の40×40でみっちり印字してしまったのはやっぱり読み難かったかなとか、そもそもSFというよりやっぱりメルヘンチックな少年物なので、SF関係の下読みの方によっては冒頭ですでにSFアウトだったのではとか、まあ布団の中で泣きながらくよくよと眠れぬ夜を過ごした訳です。嘘ですけど。夢見も良かったですからね。中学時代の憧れの少女と、肩組んで歩く夢だったもんなあ。我ながら逃避的な部分だけは強靭になったと感慨。若者は体の傷はすぐに癒えるが心の傷はなかなか癒えない、老人は体の傷はなかなか癒えないが心の傷はすぐ癒える、で、中年はどっちもそこそこ癒えるってことか。
しかし、どんな下読みさんや作家さんのHPでも、一度落ちた作品を別の賞に出しても無駄、とあるんだが、ちょっと疑問。そりゃ同じ下読みさんにドンピシャ当たったら無駄だろうが、第1次選考というものは「落とすために」行われるのも事実で、現にある賞の1次で落ちた作品を他の賞に送って入選した方など、過去にいくらでもいらっしゃる訳だ。まあ徹底的に推敲して、初志の方に来年また送ってみよう。もう個人的な恥なんて何度上塗りしても、気になるほどウブじゃない。

10月10日 日

ああ、やっとひとかたまり打てた。先の話の細部考えながら打っていると、2日間なんて、あっという間に過ぎてしまう。
台風の勢いで昨日も家を出られなかったし、明日あたりは無限散歩したいなあ、でもまた河原は臭うだろうなあ、などと悩む暇人。
晴れていたらいっそ新宿御苑あたりに、出てしまうのがいいかも。
夜、台風22号関係のニュースを、資料用に昨日から1日録りっぱなしだったHDDレコーダーから抽出ダビングしていると、『小さな旅』で長野県の秋山郷を取り上げていて、現代の山間の集落の生活、興味深く観る。山で一抱えもある自生の舞茸を採集するシーンがあり、思わずよだれを垂らしながら転げまわる。食いたいよう。群馬にいるとき一抱え三十万円(!)という天然物の舞茸を、ちょっと食わせてもらった事がある。これが死ぬほどの美味なのである。ああ、あの天麩羅を思い出してしまっては、今夜はもう何を食っても虚しいだけなのではないか。マイタケというネーミングが、見つけた人が歓喜に舞い踊ってしまうから、というのも誇張ではない。最近はスーパーで栽培物を安く売っていて、それはそれで旨いものの、やはり天然物は、旨さ推定百億倍。日本でいちばん旨い駅弁は、高崎駅の『上州舞茸弁当』(栽培物ですが、調理が絶妙)。なんでスーパーやデパートの駅弁大会、ごく普通のお味の『だるま弁当』しか扱わないのか。不勉強ではないのか。
などといいつつ、夕飯の身欠き鰊(そればっかや)も、やっぱり旨かった。

10月8日 金

おたく物件郵便局に出し、この天候では散歩もままならず、サイゼリヤめざす気力もなくまた焼きソバ焼いて、大長編の続きなど始めたわけだが、どうも自分は始めから長編を書こうとしてはいけないのではないか、などと考えてしまう。300枚だろうと思うと540枚、120枚くらいだろうと思うと200枚越すし、つまり自分のクドさをなめていたのではないか。これで800枚くらいかなあなどと言うものを続けていると、マジ1200枚くらいになってしまう理屈。現にストーリーの入り際で、もう150枚。ど、どうすっべ。……まあ、とにかく進めてみよう。途中息切れしたら、またコメディでも挟むことにして。話の大筋自体は頭の中に最後まであるのだから、死ぬまでには終るだろう。これはほんとにライフホビーになってしまいそう。
などと言いつつ、散歩のかわりに、昔の映画のサントラのシングル盤を、せっせとMP3に落としたりして、なまける自分。しかし自分のイマジネーションというのは、おおむね音楽から出てきてるのだろう。打ってる間は気づかなくとも、後で思い当たる事がビシビシと。たとえば今日落とした『チップス先生さようなら』の中の『あなたと私』なんて曲は、読んでくれたごく小数の方は覚えていてくれるかもしれない、マリオと聖子の墓地の鬼ごっこシーンの情動そのものなのであった。

10月7日 木

ようやく送付用プリントアウト完成。例によって、この話はもう見たくない状態。でもまた送ってしばらくして見直したりすると、書き直したい部分、絶対見つかるんだよなあ。
板の方々にはけっこう受けたし、打っている間は無論当人も面白いから打ってるわけだが、根掘り葉掘り推敲していると、そのうち細部のアラばかり気になって、全体には飽きてしまうんですね。そりゃそうだ。同じ筋書きを繰り返し読んでるのだから。
とにかく送ってしまって、次、いや、続きにかかろう。
その前に、また無制限お散歩と、久々のステーキでも奢ろうか。

10月6日 水

だからもう『あらすじ』『梗概』といった概念は、データベース的な目的以外、捨てたほうがいいのではないか。少なくとも、作品自体の本質とは、無関係のものだろう。なんて、ただ面倒なだけなのだが。なにせ今回はギャグがメインなので、骨子だけ書いても、作品紹介にはならないのである。しかしたとえば筒井康隆さんの抱腹絶倒系の作品と同等の作品をどなたかが応募するとして、本質的な『あらすじ』などを書ける人間は、当人含め誰もいないはずである。そしてそんなものを事前に読んでも、楽しみの邪魔にしかならないはずである。いっそどこぞの応募要綱にあった、『キャッチコピー』でも付けたほうが、下読みさんもよほど楽しめるのではないか。で、誇大広告書いてきた応募作は当然期待を裏切ったことになるので点がからくなり、地味なコピーで中身が以外に面白かった作品は、好感度アップとか。つまり、第1次選考がある程度バクチ化して、お互い楽しめそうな。まあ、最終的にはどっちにしても本編勝負なのだから、味もそっけもない『あらすじ』などよりは、よほど作者の資質が見えるのでは。
「おたく渦巻く学園祭を、愛のパンダが駆け抜ける! パンダは猫耳っ娘を救えるか!? ノンストップ学園ラブコメ・ファンタジー!!」――だめかしら。
ところで20字×20字をA4に2段で印字すると、まあ用紙は食うものの、チェックは案外しやすいですね。やっぱり編集部様も、信用して良さそう。
おう、まだまだ修正点があるではないか。溶け合う猫と少女の双方が、まだ生きていないのではないか。嫋々と、うたのように溶けていないのではないか――まだいじるんだ、俺は。

10月5日 火

インクと用紙追加に街へ。
いやあ、よく降る。昨日はずっとひきこもり状態だったので確信はできないが、おとといから降りっぱなしではないのか。気象さん、今年は梅雨を省略しいきなり猛暑に突入してしまったから、今頃きっと物置のぞいて、ありゃ、しまった、忘れてた。でも今年中に使い切らないと、来年度の雨予算がカットされてしまう、とかなんとかで、無理に降らせているのだろう。
何年ぶりかで、キネマ旬報なども購入。学生時代は毎号かかさず購読していたものだが、就職してからはとんとご無沙汰。久しぶりに買ってしまったのは、小林旭兄イのロング・インタビューが載っていたからですね。
他に、恥ずかしくて人には言えないようなモノも購入(何をいまさら)。このところ、そのヤバいアンソロジー・コミック・シリーズは購入を止めてしまっていた。まあ嗜好があまりに非現実的な方向に行ってしまっていたせいでもあるんだが、主因はごひいき大山田満月氏が、迷走(私から見れば、ということですけど。多くの人たちには、そのほうが罪悪感がなく楽しめたのかもしれない)しているとしか思われず、虎の穴で見本誌見るたびに、悲しくなってしまっていたからである。それが本音であるにしろ、あるいは商業的意図であるにしろ、初期の満月氏のある種陰鬱で背徳的で叙情的で社会的で情動的で自己懐疑に満ち満ちたかわいやらしい作品群を、処女作以降ずっと追いかけていたファンとしては、『夏のおわりに』は、久々の慈雨だったのである。自分が偽善者であることを、あえて糊塗する必要はないのではないか。ロリ・ペドと言うものは、思想的にも社会的にも、古今東西問わず、偽善性を失った瞬間から、腐って行くしかないものなのではなかろうか、と私は思います。たとえ時代や地域が、お金で欲望を満たせる状況だったとしても。相手は人形ではなく天使ですからね。
というわけで、ひたすら仮想に走るタヌキであった、まる、と。
しかしまあこの仮想というやつもなかなかやっかいで、なんぼチェックしても修正点がみつかってしまう。まあ、前回の大長編など、一応完結してからとりあえず最終稿まで持っていくのに、ひと月以上かかってしまったのだから、今回の小長編でも、1週間やそこらはかかって当たり前か。プロだって、連載中と単行本と文庫本、多くの場合みんな細部が違ってるし。
で、現在もう夜中の2時なんですが、緊急追記。以前某氏よりいただいて、一気飲みして大変困ってしまった『醒獅液』というドリンクは、なんのことはない、バイアグラそのもの、つまりシルデナフィル成分がてんこもりだったそうです。なんかそれ以外にも薬事法に触れる漢方成分が含まれていたということで、某氏も現在取り扱い中止中とのこと。まあ、シルデナフィルそのものは、個人輸入代行してても大丈夫らしく、某氏のお仕事自体も大丈夫だそうですが。しかし、1本に通常使用量の4倍ぶっこんであったそうで、そりゃあ視覚異常も起こって当たり前。半日○起してても当たり前。いやあ、死ななくて良かった良かった。ということは、自分の心臓はまんざら虚弱でもないのだろう。そういうことなら、大事にとっておいて、ここに書けないようなところで書けないような活動をする時に、ちびちび服用すれば良かったのか、などと後悔する古ダヌキ約1匹。まあ、お医者で処方なんぞ受けなくても、個人輸入品がどこにでも転がっている時代ですが。

10月4日 月

いやあ遅い遅い、今日のパソコンは亀さん、などとつぶやきつつ、プリントアウト。結局204枚まで増幅。あとはプリントアウト見ながら、また推敲しましょう。
五十嵐氏より漫研OB会のデジカメ写真などメールでいただき、しばし感慨にふける。『友が皆 我より偉く見ゆる日よ 花も買わずに ひとりクダまく』、といったところ。啄木だって奥さん(それも若くてちょっと色っぽいの)がいたのだから、あながち不幸とも言えまい。
HPのパノラマ写真いじっているうちに、もう夜。今日は最後までしみじみたれてしまいそう。しかし今年は、晩夏の次はいきなり晩秋の気配。気象さん、すっかりアルツのご様子。この分だと、12月あたりに、あ、忘れてた、ごめんごめんなどと言いながら、いきなり初秋を迎えたりするのではないかと推測。

10月3日 日

某ライト系の応募が200枚以上700枚までなどと幅広い規定で、おたく物件が推敲の結果、201枚。おう、ギリギリOK、と喜びワープロ原稿の書式を確認すると……印字も20×20とある。まあ私はいいのだが、500枚越すような人は、原稿の束というより、原稿のカタマリを送付することになるのではなかろうか。2段に印字してもいいようだが、それにしたってかさばるし、1段ごとにノンブル打つのって、割り付け機能でできるのかな。40×10で左右に印字も可とか、もはやヤケクソとしか思われない記述もある。大丈夫だろうか。この応募要綱作る編集の人たち、信用していいのだろうか。おまけに、どっちの場合も、400字詰め換算(?)枚数記載必須。20×20って、400字詰めイコールでは? ……まあ、いいんですけどね。でも、こんな紙資源の無駄遣いは、ちょっとなあ。第一、こんなパラパラスカスカのワープロ原稿なんて、読みにくくないのかしら。やっぱり、こうした難条件でかつ読みやすく印字する、その誠意が第一次選考であるとか。うーむ、応募界、神秘。
さて、休止中の大長編の続きにかかる前に、ハード・ボイルド気分(打ち掛けの章の、次の章がマジ内閣調査室が舞台になる予定なので)を高めようと、それらしいBGMを仕入れに街へ。懐かしの刑事アクションのテーマ曲集を見つけ、購入。ついでに夕飯を外食で済ませようとしたら、日曜夕方で、どこも満員。結局またホカ弁買って帰る。最近曜日を意識するのは、この日記を打ち始める時だけだったり。
帰ってCDを聴いていたら、『非常のライセンス』のテーマと天地茂さんの歌、モロに情動を直撃。気分を高めるどころか、天地さんの会田刑事そのものが脳内で刑事アクションを展開し始め、あわててそのストーリーだけ書きとめたり。ハードボイルド気分、高まり過ぎて往生する。

10月2日 土

プリントアウト用におたく物件推敲しつつ、HPに久々のパノラマ写真追加。何枚ものデジカメ写真を合成しているうち、瞬く間に夜。修正物件、その前に読んで下さった皆様にすまんすまんと思いつつ、板に更新。
サイコ系ホラーが観たくなり、ずいぶん昔ダビングしていっぺん観たきりの、『ドッペルゲンガー』など引っ張り出す。邦画じゃなくて、アメリカのB級扱いになっている、10代後半の頃のドリュー・バリモア嬢が、さかんに過剰なお色気をふりまいていた頃の作品。個人的には小品ながら実に良く練られたシナリオで好感度高し。ところがこの作品、予算B級でも演出手堅くシナリオはA級なみの多重人格ホラーなのに、つじつまが合わないだの理解不能だの馬鹿にされる場合が多く、筆者のごひいきミュージシャン・大槻ケンヂさんでさえも、トンデモ脱力映画に分類されている。まあ、とことん感性人間の大槻さんが勘違いするのも無理はないのであって、多重人格要素とモンスター要素を愛で統合するべく練りに練って組み立てたシナリオ、よほどサイコ・ホラー見込んで、かつ愛してないと同調はできないのかも。あちこちで見かけるストーリー紹介なども、gooなど大手ですら、でたらめの誤解あらすじが記載されている始末。そんな話じゃないだろ、おい。これは父親に性的陵辱を受け、それを愛憎の板ばさみで深層心理に沈めてしまった少女が、さらにロリコンの精神科医の欲望によって多重人格化、別人格を操られ母親と弟を殺害してしまい、ついに肉体的にも分離モンスター化してしまうが、主人公のお人好しの売れない作家の愛によって、分離モンスター化してもなお自ら統合を決意し、少女に戻って過去のトラウマを受け入れ克服してゆく――そんな、とってもいい話なんですよ。どこをどう観てもそういう話です。キャラもみんな立ってて、適度なユーモアまであるし。

10月1日 金

おう、もう十月とな。どうりで預金残高が減っているわけだ。
などと他人事のように感嘆しつつ、しつこく修正したり、春以降の打鍵ペースを確認したり、現実逃避し続ける自分。
途中中断全部合わせると、未発表含めて1500枚程度……完結したものだけだと1000枚程度……そればっかりやってる割には、やっぱり少ない。
とりあえずおたく物件、推敲したらジャスト200枚、なんとかライト系には送れる分量のようだ。ちょいとまた考えてみよう。
しかし自分の打ったものを読み返してみると、つくづく現実逃避命のものばかり。そりゃそうだ。逃げるため逃がすために打ってるわけだから。
まあ、何から逃げるかの『何か』だけは、見失わないようにしないとなあ。でないとただの迷走で終ってしまうし。
などといいつつ、HP、久しぶりの更新。

9月30日 木

午後、おたく物件一応完成、板に上げて長い散歩。また河原を一時間ほど歩く。昨夜の雨でけっこう水かさが増し、はっきり言って臭かった。都会の川は、たいがい大雨の後は臭いのだが、下水と関係しているのか。
夜、板を覗くと、早くも感想多数で感謝。ううむ、やっぱりあの体育館シーンは力量不足か。200枚弱のけっこう長編になってしまったので、もういちど全体を見直さないと、このままではもったいないような気がする。まだHPには載せないで、ちょいと模索してみよう。すっきり流す手も、見直せばまだありそうな気がする。

9月29日 水

おお、なんということだ。なぜ今は29日の朝なのだ……。
えーと、昨日の火曜日は――そうか。月曜の夜に布団に入って、結局頭がキワキワ(?)して二時間ほどで目覚めてしまい、それからおたく物件の続きを打って、ひとくぎりしたので板に上げてまたしつこく修正入れて――ああ、買い物に行ったか。そう、ダイソーで祝・カツ復活(結局ただの長期欠品だったらしい)で五袋も買ってしまったのだ。で、夕方帰って来たらさすがに眠くなって――おう、14時間も寝てしまった。風呂にも入らず歯も磨かず。これはあれだな。まだ山形疲れが抜けていなかったのかも。それとも単に生活が破綻しているだけか。
まあ、あっちでもあんまり安眠できなかったのは確かで、いつも明け方寝たりしている人間が7時前に起きなきゃいかんし、同室者は眠剤切れると夜中に突然歌ったりするし。でも、その歌自体は『新庄節』や『ふるさと』だったりするので、けして不快ではなかったのだが。昔から歌はうまかったんですね。
――『あの山高うて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や』。
この民謡の場合、新庄は故郷なのだろうな。そこに恋人でも住んでるんでしょうね。哀切な節回しが、粋なんだか野暮なんだかよくわからない土の匂いがして、いい民謡です。酒席で男衆が歌いだしてもけっこう泣けるし、夜中に真っ暗な部屋で突然ボケ老人が歌い出したりすると、布団の中でのたうちまわるくらいの哀愁。
――『こころざしを果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと』。や、やめてくれってば、かーちゃん。
とまあ、そんなこんなで、睡眠不足が溜まっていたのかも。山寺で体にトドメ刺したし。
さて、まだ早朝。朝風呂入って飯食って、焼きソバ焼こう。なんだかおたく物件でキャラに焼きソバばっかり食わしているうちに、自分でも食いたくなって買ってきてしまった。

9月27日 月

ちょっと不思議がひとつ。なにか世間にカツ排斥運動かなにか、起っているのだろうか。カツといってもあの普通のトンカツなどではなく、駄菓子や珍味扱いで売られていた、あの魚のすり身のぺらぺらをカツっぽく揚げた長四角のやつ。ソースが塗られていたりもしますね。あれがどこにも見あたらないのである。山形行きの前にも見つからず、たまたま売り切れなのかと思っていたのだが、今日買い物に出て探しても、きれいさっぱり見あたらない。西友長崎屋ダイエーマルエツ、各種コンビニ、前に見かけたダイソーにもなし。まあほとんどパン粉と油だけの成分なので体にいい物ではなさそうだが、好物なのである。ビールのつまみにもなるし。それが街中から消滅してしまった。この街だけの傾向なのだろうか。駄菓子コーナーからも消えてしまっている。製造元が一気に倒産――なんて事もなかろうと思うのだが。狂牛病とも関係なさそうだし。謎。

9月26日 日

例によって発狂寸前で母親の部屋から引き上げ、帰りに山寺の奥の院まで上って、へろへろになって鬱を振り切る。
さらに山形市内を徘徊してあちこち写真を撮り、なんとか正気に戻って帰宅。
しかし気象庁さんには、裏切られ続けた毎日でした。短期予報もけっこう外してくれるなあ。まあ今年の夏で、全身びしょぬれ状態には体が慣れておりますから、風邪も引きませんでしたが。
行き帰りの新幹線車中では、ごひいき景山民夫さんの『虎口からの脱出』を再読し、つくづく良く組まれているなあ、と感心。
帰宅後ちょっとネットで検索していたら、とんでもない発言を発見し仰天。ウェイン町山さんが、本作を山田正紀さんの『崑崙遊撃隊』の盗作などと決め付けている。「(吉川英治文学賞の)審査員も全部バカ。だって関東軍が暗躍する中国で、はぐれ者のヒーローと運転手が雇われて秘密を握る少女を連れて逃げる、ってプロットが丸ごと同じ。しかも愛用する拳銃までコルトSAA。ヒドすぎるよ。」だそうな。
うーむ、町山さん、『崑崙』読んでないですね。メンバーはもっと複雑で多数だし、少女は出ないし、逃亡要素はほんの一部で、メインは秘境探険です。で、ラストは壮大な本格SF風味でシメ。大体あの時代の中国を舞台にすると、関東軍出ないほうが異常だし、風物や史実の書き込みは『虎口』の半分以下です。その代わり秘境探険純SFとして、とても面白い訳ですが。大体純SFを丸ごと盗作して歴史アクションにできる作家がいたら、それは立派な創作活動だわなあ。
町山さんは昔景山さんの担当編集で、ずいぶんいじめられたなどともおっしゃってるので、誰かが書いた間違った『崑崙』の粗筋でも読んで思い込んでしまったのか、それとも誰かに聞いた誤った毒舌を、そのまま使ってしまったのか。町山さんの変調な映画評などは大好きだったのだが――ちょっと残念。いくらマニアックなアマっぽさが売りでも、プロの批評家なんですから、読まずに比較しちゃあかんでしょう。
などと思っていたら、すでに他の方のHPでも同様の指摘(盗作だ、じゃなくて、町山さんどうしたの、というご意見)がもうあったり。そりゃそうだよなあ。両方読んでる小説好きなら、誰だって困ってしまう。で、そういう人間は、たいがい町山さんの映画評なんかも好きだったりするんで、なお困ってしまう。
あともう一点、『虎口』はその長大な物語のなんときっちり前半分を、じわじわと歴史の中に主要登場人物や逃亡設定を練りこむためにのみ費やし、後ろ半分で一気にもうここからは何をやってもOKでしょう、それでは逃亡トンデモ大活劇をしこたまどうぞ、という実に大人な物語構造なんですが――間違ってたらすみません、町山さん、たぶん後半のアクションだけじっくり読んで、前半の歴史部分、飛ばし読みしてるのでは? そこらへんの性格が、細部にこだわる景山さんからイジメられた原因だったり。
――とまあ、プロの世界でも色々あるんですね。ただやっぱり晩年、新興宗教とエンタメを混在させてしまった、という点では、景山さんの小説観にも揺らぎはある訳ですが。
などと偉そうに記しつつ、さて、おたく物件の始末に入ろう。母親の部屋にいるうちに、また色調が変わって鬱が入りそうだが、破綻したらしたで、結局自分も意志や矜持とは別に、所詮惰弱な感情に頼るしかない存在なのだ。だから町山さんの映画評も、やっぱり好きな訳で。

9月22日 水

滅入る人様(しかしやっぱりこの表記はなんか言葉の意味を通り越して、微笑んでしまう私。すみません)に亀+様のHPを教えていただき、さっそく確認に行ったら――じょ、じょしこーせい様? うーむ、侮れず、ヤングパワー。などと色々感慨にふけりつつ、伝言板にお礼をカキコしていて、今ごろになって気がつく古タヌキ。滅入る人様のアイコンが、お、女の子なんですけど……もしや、滅入る人様も?
 ひええええ、てっきりお二方とも大学生以上の男性かと想像いたしておりました。こ、こういう親爺に気を許すと危険ですよう、などと惑乱しつつ、手を出そうにもネットでは不可能なので、ご安心下さい。
まあ、自分がかつて惑溺していた少女漫画家様たちも、少女だろうと思っていると私より古いおばさまであったり、大人だろうと思っていると10代だったり。惑溺対象ではなかったんですが、大学の頃『美季とアップルパイ』がヒットした山本優子さんの投稿作を、自分が小学校低学年の頃のりぼんで発見したときは、仰天したもんなあ。逆にデビューの時から感受性すげえと感心していた山岸涼子さんなんかは、リアルタイム少女だった訳だし。
今考えれば、納得できるんですけどね。ネーム上で技巧勝負はやっぱりベテランで、感受性勝負はお若い方とか。しかし作画力(小説なら文章力ですね)ばかりは、やっぱり後得的な知識以上に、感覚的資質と言う奴もあるからなあ。うーむ、感覚的な部分は14歳で止めてしまった自分としては、色々複雑な気分。
さて、明日からはしばらく留守をして、ネット環境から離れます。携帯でアクセスしようにも、このページは対応してないし、板のほうは例の大騒動の荒らしさんと同じ機械使ってるんで、アクセス制限食らってしまうのですね。
ああ、とうとう自作更新も間に合わなかった。

9月21日 火

山形行きの切符や何やらの外出から戻り、昨日の板の人は何か返事くれてないか見に行くと、返事はなかったがまた新作を投稿していた。あんまり愉快なのでここにコピペしたいのだが、小学生であれ日本語覚えたての外国の方であれ馬鹿を装った荒らしさんであれ、著作権は本人にあるのでそうも行かないですね。でもあのでたらめ日本語小説モドキは、意図的に書いてるのだろうと推測。あの言語感覚で詳しく感想入れてくれたら面白いのだが。
ダイソーで買い物ついでにまた性懲りもなくCD付き入浴剤に挑戦。ついに『真夜中のギター』ゲット。これでコンプ。
打鍵中のおた話に出てくる劇中劇の題名を『猫の森には帰れない』などとつけたので、久しぶりに谷山浩子さんのLP聞いたら、おお、なんと言う事だ。自分の書いてる話そのものが、同じLPの中の『河のほとりに』と、感情的にはモチーフ同じではないのか。もちろん猫とおたくとギャグ抜きの部分で。よし、内心主題歌に決定。『ねこの森には帰れない』のほうの歌詞は、猫がらみでも感情的に違うので、ちょっと内心主題歌にはならないし、劇中劇の設定とも、逆方向だし。
これが終ったらまた小休止中の大長編に戻り、そのうちまた小休止したくなったら、今度は『お早ようございますの帽子屋さん』を主題歌にしてなんかやりたい、などと、しみじみLPに聞き入る。

9月20日 月

『長いと忙しい時大変ですよ。あと点数は入れるきはありませんきずつけろれたひとのことを考えると(原文のままコピペ)』
今日の午前中までかかって仕上げた分を板に上げて、しばらく修正続けてまた板に行くと、ありがたいいつもの方々の感想に加え、以上のような感想も入っている。なんじゃこりゃ。えーと、すみません。まだ130枚くらいなんですけど、長すぎると言われても……。そしてまたこの後半の日本語は……。とにかくまあひとをきずつけろる気持ちはまったくないので、どのあたりがそう感じたのかお聞きしたのだが、とくに返事のレスはないようだ。午後また修正入れに行くと、その方も何か投稿したらしいが、規約違反だかなんだかですでに本文がデリられており、タッチの差で読めずに終る。デリられる前に他の方が入れた感想によると、なにか小学生なみの、小説でなくシナリオのようなものだったらしい。ああ、やっぱり子供の結果荒らしさんだったのか。そりゃ130枚は大変だったでしょうね。でも、どう考えてもまともに読んだとは思えんわなあ。単にギャグとしての誇張を、おたくやデブを侮辱しているとでも感じたのか。すみません。当方、いまだにおたくであり、多少デブです。子供の頃は放課後肥満児教室まで行かされました。しかしその方の文(?)も見てみたかった。

9月19日 日

まいったね。○○さん、まだ借金地獄から抜けてないらしい。すみません。もう貸せません。私、現在失業者です。在職中にお貸しした○十万円はもういいですから、あんな便箋1枚の借用書なんてもうどこ行ったかわかりませんから、見栄や外聞は捨てて自己破産するのが絶対良です。
ところでこの世間にお住まいの、悪徳サラ金、闇金、俺々サギ始め美学を伴わない詐欺師、やらずぶったくり、一部の自称宗教家等々の皆様、今後私はそういった努力を伴わないで他人を貶める事によって収入を得ようとする方々を、当て字もピーも伴わないただのキチガイ、いわゆる金の亡者として、一生賤民として差別させていただきますので、あしからずご了承ください。
しかしまあ、やっぱり最近この国はおかしい。うっかりしてたら盗まれても仕方がないのが世界の常識って、そんな愚劣な世界にわざわざ擦り寄ってどうすんの。
口直しに、おたくメルヘンに逃避。……私は夢の亡者になって、河原で腐るほうがいいです。まあどっちも落伍者なんでしょうけど。

9月18日 土

色々あった。って、清水義範さんか、俺は。まあここに書けない社会的行動もある訳で。失業者でも。
明日にはまたおたく物にひとくぎりつけられそう。でも山形行きまでには終らないだろうなあ。勢いで最後まで行きたいところなのだが。

9月17日 金

関係ないですが、きん、と入力して変換すると、金武、と最初に出てくるのだが、これはなにか有名な人名かなにかなのだろうか。それとも一般的な日本語に疎い分、サービスでオマケしてあるとか。うーむ、マイクロソフトIME、神秘。常識より芸、とか。それとも私が常識に疎いため、金武をきん、と読めないだけか。ふと思いついて、なにか自分で間違って辞書登録したのかと調べてみたが、そうではなかったようだ。
……むしむし。まだ、蒸し暑い。来週後半には秋らしくなると気象庁は言っているが、今度こそ本当ですね。この場をごまかすために、いいかげん言ってるんじゃないですね。……信じていいのね。またこんどもウソだったら……死んでやるうう。
母親は無事現在の介護保険が適用。別にお国に感謝はしません。ちゃんと払えと言われるだけ払い、節税もなんにもしてませんから。よろしく頼むぜ、私ゃもうどうでもいいですから、痴呆老人くらいは。
さて、行こう行こうと思っていた山形行き、来週決行。向こうはもうさすがに涼しいらしい。しかしなかなか難しいもんで、長期間いっしょにいれば親孝行になるかというと、そうでもないんですね。つまり記憶力も判断力も失われているので、やっと施設にいるのだと記憶が定着し、その環境に適応したところを無用に混乱させてしまうと、また家族と温泉旅行に来ているとか、明日は昔の家に帰るんだなどという誤認識が復活してしまい、無用な混乱を招く危険がある。そうなればまた、本人にストレスを復活させるだけ。難しいもんです。
さて、自分はいつまで正気でいられるか。もう正気ではないような気もするが、まあ、打てるうちに打っとこう、ということで、打鍵に入る。

9月16日 木

ああ、疲れた……おたくギャグ、折り返し点に到着。まただいぶマニアックになってしまったが、笑っていただけるだろうか。そろそろギャグは控えめにして、しみじみしておかないと、それこそ脱線してしまう。
コインランドリー、また何ヶ月ぶりかのお掃除など行いながら、大昔のマグマ大使のLDや、マイティ・ジャックなど。しかしマグマ大使というのは、なぜちゃんとしたソフトが出ないのだろう。ビデオ勃興期にはレンタル屋にあったような気もするのだが、持ってるLDが総集編なので、おたく事項が確認できない。第1話ですでにあんなにヒビワレだらけだったスーツが、途中からリフレッシュしてピカピカになってたり、そのあたりの流れが個人的に知りたいだけ、ただそれだけなんですけどね。

9月15日 水

……ああ、父親自身もゾク上がりの方だったのか。奥さんどうした。まあ族即不可とは言わないが……つるんでりゃいいってもんでもないわなあ。走り屋さんは旧職場にも時々いて、けっこう働けたんだが。頭クラスはさすがにすぐに店長になれますしね。
ぽこぽこと打鍵。昼の日差しはきついが、なんとかしのげる季節になった。
ちょこちょこと読み続けている中村武志さんの『目白三平・駅弁物語』、タイトルにだまされた、という気分。それもすこぶるいい意味で。軽いエッセイを期待して買った訳だが、これが実に現実的記述からなんぼでも情動的なネタの浮かぶ、滋味たっぷりのエッセイなのであった。目白三平、というのが作者の小説シリーズの主人公名であることも、作者が内田百鬼園(ひゃっけん、と漢字で入力すると、どうもYAHOOだと文字化けしてしまうようだ)さんに師事した正統な文学者であることも、当方寡聞にしてこの歳まで知らずにいた訳で、まことにお恥ずかしい。
なにか出久根達郎さんの古書エッセイにも通じる滋味で、目白三平物というのも、検索して購入しようと思う。

9月14日 火

……シャブ中でしたか。以前からおかしかったらしいですね。だから野放しは危険なんだ。再審の可能性のない死刑確定囚を後生大事に食べさせておく予算があったら、他人に危害を加えそうなあきらかにおかしい人間は、やはり強制的にでも隔離治療させるべき。とにかくこの国は、殺される側の人権より殺す側の人権を尊重しすぎではないのか。また子供たちが消えてしまった。
ところでまた投稿板の方がお一人、このページの存在に気付かれたようだ。ああ恥ずかしい。過去の日記に色々好き勝手なことも書いてありますが、怒らないで下さいね、神夜様。すべて自分を棚に上げて、言いたい事言ってるだけなんで。言い訳するくらいなら書くなよ、と言われそうだが、それだと日記にならないんで。後から修正入れるのは、誤字脱字や、社会的な既成事実関係の誤謬だけにしてます。
と、いなおりつつ、おたく小説に戻るバニラダヌキであった、まる、と。

9月13日 月

えーと、一昨日あたりまでの予報だと、今週は曇って30度行かないはずだったと思うんですが、気象庁様、どうなったんでしょう。汗がだらだら流れてくるんですけど。かんかん日差しが降り注いでるんですけど。きええええ。
うちのパソも錯乱したらしく、いつのまにか日本語キーボードから英語キーボードに変身して、再起動しても英語なんですけど。日本語キーボードのドライバ入れようとすると、あー、だめ、そこ違う、痛い痛い、なんて言ってるんですけど。無理やり入れましたけどね。
さて、ここで問題です。投稿板のおたくギャグ小説の更新パスワードが、はじかれてしまう。たぶんおかしい状態で前回入力してしまったのだろう。修正願いをメールしたが、管理人様もお忙しい学生の方なので、すぐには無理だろうなあ。勢いでどんどん打ってるので、どんどん乗せて行きたいところなのだが。
さて、そろそろ気温も最高潮に達する時刻。――夏眠に入ろう。夏だ。夏本番。きええええ。

9月12日 日

昼に就寝して夕方起床――逆転生活3日目。打鍵がはかどるので、良しとしよう。暑くないし。
ぺらぺらのトンカツが発作的に食いたくなり、駅ビルの丼食堂でカツカレー丼。最近はスーパーのトンカツもけっこうぶ厚いので、幼児からぺらぺらのカリカリで育った身としては、ときどき妙に薄切り肉のトンカツが心理的に必要となる。
食いながら古本屋で買ったばかりの中村武志さんの『目白三平 駅弁物語』というエッセイ集を読んでいると、『里帰りする布』の項でなぜか涙が出てきて往生する。越後上布の雪晒しを題材とするエッセイだが、なにか日本の失ったものの大きさ深さが身にしみて、いろいろな哀愁的エピソードが連想されて、頭が飽和してしまったのである。年寄りは涙もろくていかんのう。
帰宅後板を覗くと、おたくコメディーまだ好評のよう。気合を入れて――いや、なるべく脱力しておたく煩悩ギャグの続きに入る。

9月10日 金

といいつつ、実はもう11日の朝6時なのであった。アパートの前を、なにやら酔っ払いが口汚くののしり合いながら、通りすぎてゆく。さっきは男女の痴話喧嘩も聞こえてたし。そんな街なのですね。酒は恐い。恥を忘れる程度に飲んでいるうちはいいが、そのうち恥を世間中に振りまいて回るようになる。朝っぱらから。しかしこの街の大人や老人、おかしすぎ。子供が憎たらしくないのは、大人を反面教師にしているからか、などとまで思ってしまう。
昼は図書館帰りについついシネコンに足を運んで、『ヴァン・ヘルシング』。これは当たりでした。もともとこのソマーズ監督という人は、昔『ハックルベリ・フィンの冒険』など撮っているころから、私の観たい映像を観せてくれる方で、『ハムナプトラ』の冒頭なんか、どんな大作の古代エジプトよりも、私の古代エジプトの夜そのものだった。今回はドラキュラ中心のルーマニア近辺、やっぱり私の心のドラキュラ城近辺そのもので、まるで小学5年の頃、夜の寝床で読めない漢字に悩みながら頭に描いていたほとんどまんま。ストーリーはいつもの映像のためのてんこもり話で、強引かつ時々おいおいなのだが、とにかくこんだけの見たい映像を実現してもらうと、もう話の細部などどうでもいい。大筋は充分快だったし。
上機嫌で帰宅して、ぽこぽこ打鍵したりたれたりしているうちに、夜が明けてしまったわけだが、まあ眠くなるまで打っていようと思う。オタ話、筆も軽く進む。

9月9日 木

日中たれて夜から復活――夜行性タヌキ。ああ、それで正常なのか、タヌキとしては。
しかし昨日ほどのキレの気配がないのは、日中も部屋で夏眠していたためだろう。
それにしてもこの夏、せっかく減っていた体重が、また在職中と同じまで増加してしまった。いくら食欲減っても、その分動いていないからなあ。いつかきっと爽やかな風の中でどこまでも歩き続けられる日が来る……のだろうか。その頃にはもう、銀行預金が尽きているのではなかろうか。
いずれにせよ、この夏はしみじみときつい。本気でどこか北方か高山に移住を考えてしまう。
本式に涼しくなるまでは、もうオタ話だけ打とうかと思う今日この頃。

9月8日 水

もうあきらめた――などと思っていても、3日も続くともうだめですね。暑いです。たれのち発狂しそうになります。
せんだって換装したグラボがもうダウン。PC画面真っ黒けで音のみ。まあ、もともと古い奴なので仕方がない。安価なボードでPCIというとやっぱり玄人志向だろうなあ、と秋葉原へ。無事入手して換装して正常に表示されたのだが――もう汗だく。つゆだく。よだれたらたら。
きええええ、などと山岸涼子さんのサイコ物のようにうつろな目で明るく叫びながら、すぐには打鍵再開する気力もなく、なんぼか楽になる夜間を待つ。負けるな、自分。明るい夏が続いてるんじゃないか。台風の被害もない土地で、路上の車もビルもいきなり爆発しない街で、子供たちの死体を見る心配もなく、ダイエーの120円のサンマのてんぷらはなんだか不思議に旨いじゃないか。……ああ、打ってるうちにやっと涼しくなってきたような気がする。きええええ。
むふふー。ねこにゃん。猫耳にゃん。……昨日板に上げさせていただいたオタ全開物に、『バニラダヌキさんが壊れていく』などとありがたい感想をいただいたのだが、もともとこうです。すみません。フェチという概念は、枝葉末節から事物の根幹へと遡るための極めて確実な手段では。神は細部に宿る、とも言いますね。猫耳という存在がなぜ多くのオタたちの心の琴線に触れ、星のたてごとを全宇宙にポロロロロロンとかき鳴らし響かせたりするのか……それはオタたちの原女性=アニマが、あの猫という愛らしくも不可解かつ蠱惑的で追いかけると逃げてしまうくせにふと気づくといつしか膝の上であたしの世界はあなたの膝の上なのよみたいな顔で安らかに眠っていたりまあなんというかああねこにゃん、という至高の生物に仮託されたものであって、『いつかお姫様がぼくの前にあらわれ、優しくキスしてくれるんだ。そのとき僕は醜いアヒルの子から白鳥の王子になって……』というような場合のお姫様の頭からかーいいお耳がぴょこん、などというのは駄目ですか暗すぎですかすさみすぎですか。――なるほど、壊れている。
オタと呼ばれ案外辛い目に遭っているお若い方もいらっしゃるようですが、極めれば道というものは必ずどこかに繋がっているものです。そこが地獄だったら、すまんすまん。
ぽこぽこと打ち始めた2000文字分ほどが、入れたばかりのボードの設定がらみで消失。あうあう、こればかりはやっぱり書院が恋しい。書院は100タッチごとに自動的にバックアップしてくれたのだ。
もはやすべてのガラス窓を叩き割りたい尾崎豊のごとき心境に達し、キーボード放り出して、ブドウパンやけ食いしながら、『二枚目の疵』の残りを全部読んで過ごす。臨終前後の記述に涙。なんというかこう、妙な神格化のない、かつ愛情に富んだ視線というのは、かえって長谷川一夫さんという役者さんの『生涯主役』という魂を、彷彿とさせる。
後日譚の章で、作者・矢野誠一さんの浅草論が、昔読んだ半村良さんの浅草観と正反対なのに、驚きかつ感心。田舎物の自分には理解するすべもないところだが、人と人、人と土地の関わりというものが、いかに人の数ほどの真実を含んでいる事か。
己の信は己の信であって他者の信ではない、しかしまあすべての信に幸あらんことを――そんな不可能を可能にしてくれるものでない限り、たとえ造物主であろうがなんだろうが、絶対的帰依など誓っちゃあかんのだ。

9月7日 火

昨夜発作的に新しい短編のアイデア浮かび、これは勢いで打っちまったほうがいいパターンと判断、さっそく打ち始める。おたく向け猫耳ライト・ファンタジーの予定。。自分なりのライト・ノベル層を意識した展開にしてみようと思う。つまり意識的にビジュアル志向の、整合性よりも感覚メインで狙う、というような。学園物という点では、進行中の大長編と同じなんだが、あくまでもコメディにしようと思う。で、板のコメントに『萌え』『おたく用』『猫耳』などとテーマを書いたら、案外それらを表立ってアピールするのはバクチ的な事らしい。真面目な投稿板である事は認めるが。でも、すでに『おたく市場』の経済効果まで説かれる現在、『猫耳っ娘、萌え』は、立派なテーマのひとつだろう。ああ、ねこにゃん、ねこにゃん。

9月6日 月

ああ、暑くない暑くない、寝やすい寝やすいなどと就眠して、汗だくで目覚めたりするわけですが、もうめげません。大汗かきながら、河原にお散歩。しかし、さすがに途中でバテて川面をながめたり、ハトと遊んだりしながら、隣駅あたりまで歩いておしまい。
だから銀行預金も減る一方なのによう、などと自分を責めつつ、結局書店に寄って2冊購入。矢野誠一さんの『二枚目の疵』。長谷川一夫さんに関する評伝集ですね。二年も待てば文庫に入るんだろうなあとは思いつつ、やはりあの顔切り事件の真相、当時の日本興行界の構図、一世を風靡した名優の人となりなど、礼賛でも露悪でもなく書ける人の文章で読めるという誘惑は、河原で腐る前に負けておく必要を感じてしまう私。もう1冊はゆうきまさみさんの『鉄腕バーディ』6巻目。しかしコミックスってのは、作者さんの手間を考えれば、安すぎるのではないか。かたや税抜き1619円、かたや505円、自分にとっては情報としても嗜好品としても、それほどの差はない。
ところで、せんだって購入した『秘境を行く』が大変面白く勉強にもネタにもなったので、作者・宮内寒弥さんをネット検索したら、この日記そのものが検索に引っ掛かってしまって、びっくり仰天。Googleの検索って、どういう基準で行われるんだろう。このHPを立ち上げた時、カウンター回したくていろいろな検索サイトには登録したわけだが、最近までトップや看板のページしか検索対象になってなかったはずだ。だからトップページにあんなトラップ置いたんだもの。ところが本日びっくりして確認したら、この日記ページに記した人名や書名、みんな検索対象になってるんですね。うひゃあ、こりゃ今までみたいにいいかげんな事は書けんなあ、などと思ったが、それだと日記にならないので書きますけどね。
投稿板に上げた連載の続き、あんまり感想入らなくなって、ちょっと意気消沈。まあペースがペースだから、当然なんですけどね。大体、自分だって読んでも感想入れる時間がない場合も多い訳で。しかし、読みきり短編、あるいは短期連載中篇だと、けっこう感想は多い。そのほうが感想入れやすいのは確か。いっそ感想ぬきでいいから、ただ『読みました』ボタンかなにかも設置していただけるとありがたいですね。長期連載の場合。とにかく完成させる気力、という大問題があるので。

9月5日 日

『【ワシントン5日共同】太陽から宇宙空間にふき出す太陽風の粒子を収めた米航空宇宙局(NASA)の探査機ジェネシスのカプセルが8日、地球に帰ってくる。宇宙からの試料回収はアポロ宇宙船による「月の石」以来となる。NASAは大切な試料が地上への衝突で傷むのを防ぐため、上空に待機させたヘリコプターでカプセルをキャッチするアクション映画並みの回収法を採用する。ジェネシスは2001年8月に打ち上げられ、今年4月まで宇宙空間で太陽風の粒子を直径約1・5メートルのカプセルに集めてきた。何年もかけて集まった量はたったの20マイクログラム。塩で言えば数粒分で、いかに貴重な試料かが分かる。』
うーん、昨今のアメリカに関してはまあ色々悪口が多くなってしまうが、やっぱり今時まともに宇宙まで行動範囲と考えてくれるのは、あそこしかないんだよなあ。あうあう、月の石は子供心に実は見たくもなかったが、太陽風の粒子は見たい舐めたい触りたい。物理的にどういう形状のものであるかなんて、全然知らないですからね。コロナやらプラズマやらイオンやら、言葉でしか知らないのだから。舐めるとしょっぱいのかしら。死んじゃうのかしら。どきどき。
とまあ、暑くなくなると、とたんに好奇心が夏眠から目覚めるバニラダヌキであった、まる、と。
しかしあのロシアの学校占拠の、あまりにもやりきれない結果。イスラム過激派にも言い分はあるんだろうし、抗議行動に出る気持ちも解るんだが、はっきり言って、あのイスラム教という宗教自体の独善性は、キリスト教も凌いでるよなあ。自然信仰レベルで生きてる身としては、アラビア語しかしゃべらない創造主なんて、どう考えてもおかしいと思ってしまう。いるかもしれませんよ。そういう神様だって。でも、いたからといって、言ってる事に同意できるとは限らないわけで。第一、世の中の大半の人間はアラビア語を知らないんだから、もうちょっと神様の方で勉強して成長してから、もういっぺんコーランを発表しなおすというのは駄目ですか。なんてことを言うだけで、バチ当てられるかも知れませんが。しかし、子供というものを『未完成の人間』としか捉えない視線というのは、あんがいヨーロッパを含む世界の広くに見られる人間観なのだなあ。親子の情とかは、年齢とは無関係なんですね。あくまでも、血族、同民族といった情であって、他人であればそれが大人でも大人未満でも、同じただの『他者』なんですね。つまり犯人たちにとっては、我々が『幼い子供まで撃つなんて』と嘆く感覚が、始めからない。抵抗する大人も、ただ怯えて泣く子も、ただの邪魔な『他者』であり『異教徒』。
この点に関してだけは、大昔からこの日本を訪れた海外の人々が、「なんてこの国は子供を大切に扱うのだ」と記しているような国に生まれて、良かったのかもしれない。まあ、甘やかしすぎておかしくなってる部分もあるが、可愛いものは大切に、ということで。

9月4日 土

先日夜半、もう「発送しました(からまん)」とのメールをいただき、あまりの迅速なご対応に思わずお礼のメールを送ると、さらにそのご返事までいただいてしまい、恐縮至極。こちらはもう単行本未収録作を自力で出していただけるだけで、十二分に感謝いたしております。
どんより蒸し暑いいやあな天気の下、午後買い物からどんより戻って着替えていると、さっそく郵便屋さんの声。思わずパンツ一丁のまま、即行で受領。おっさん同士だから、かまわんわなあ。
『パチモン大王』という作品自体、われわれ世代のおたく心直撃の仕事。それもフルカラーで自費出版というのは、余力というより自分の仕事への心意気を感じてしまう。他のマイナーなコミケ中心の作家の方の、モノクロ同人誌と比較する訳にはいくまいが、実際ぺらぺらのモノクロ本が800円、それもコストと需要のバランスのためなら仕方ないが、たとえ5000円でフルカラー刷っても完売まちがいなしの作家さんが、カラー原稿をモノクロに落として安全パイ的に発行してたりするのを見ると、やっぱりこの業界でメジャーあるいは孤高に達する資質というのは、己の生み出すものに対する執念であり責任であるなあ、などと思ってしまう。

9月3日 金

たれているばかりという訳にも行かないので、ハローワーク、お買い物など外出。
昨夜久しぶりに唐沢なをきさんのHPを覗いたら、単行本化の流れた連載物を自費出版した奴、通販してくれている。この歳になるともはやコミケは生きて帰れぬ恐れがあるので、ありがたく注文させていただく。振込み口座もメールも奥様のお名前で、なんかいいですね。さっそく振り込みました。わーい、楽しみ。
で、最後の千賀かほるさんを狙って、ダイソーでふたつもCDつき入浴剤買ってしまったんだが、なんと森繁さんの知床旅情がふたつという、とんでもない戦果。涙の太陽同様、3枚になってしまった。だれかとっかえてくれないか。
古本屋の100円均一で、山口晋平という方の、『白い役人』なる作品購入。昭和27年の出版の自叙伝。よくあるお名前ではありますが、明治42年生まれで、保険外交員、役者、おでん屋、易者、露天商、従軍通訳、それからなぜか高級官吏試験にパスして人事院報道課長、という実にユニークな半生を歩んだ方らしい。店先でぱらぱらめくっていたら、昭和19年のシンガポール行きの一文が目に付き、しめた、と思って購入。これは絶対、のちのち資料として使えるぜ。他に古い保育社カラーブックスの『食べられる野草』。こっちは昭和42年。古いほうがいいんですね。これは昭和39年が舞台の話の参考にするので。
ところで、エディタやアウトライン・プロセッサーって、ほんとに便利な物ですね。ウインドウズ導入して6年、ずっとワープロ使ってた自分が馬鹿でした。DTPやるわけじゃないんだし、変換はIMEがやるんだからなあ。あとは、書院のユーザー辞書をMSでも使えればいいんだが、こればかりは無理のよう。

9月2日 木

たれていた。
『テレビ朝日は2日、5日午後9時から「日曜洋画劇場」で放送を予定していた米国映画「ボルケーノ」を同「L・A・コンフィデンシャル」に変更すると発表した。「ボルケーノ」は米ロサンゼルスの真下から火山が爆発するという内容のパニック映画。変更の理由について「社会情勢にかんがみて作品を変更した」と話している。』だそうな。そんなにクレームが怖いのかなあ。まともな報道もできない日本のマスコミの体質を、端的に現しておりますね。仮想に対するクレームすら怖がる人が、まして真実なんてまともに言えるはずもない。
ああ、だるい。突然ですが、十代目馬生さんの『佃祭り』が聞きたい。聞きたいよう。なんでNHKさん、収録してるのにCD出してくれないかなあ。お父さんの志ん生さん、いまだに人気だし、弟の志ん朝さん、確かにうまかったんだが、私ゃ馬生さんが好きなんだよう。馬生さんのCDも、残らず出してくれよう。……もうみんなお亡くなりになってますが。

9月1日 水

さあ、待ちに待った夏だ! 朝からエアコン全開! コインランドリーへの往復にも、買い物にも、下着とりかえっぱなしの本格的な夏の到来だ! みんな、愛し合ってるかーい、イェイ!
……一挙一動ごとに、周囲に罵声を浴びせたくなる自分に、絶望しつつある私。きっと今年は冬まで夏が続くのかもなあ。
この夏の精神・体調不良は、暑さだけではなく自分の現在の生活に対する後ろめたさや――ああ、たった今頭に浮かんだ単語が、もう記憶から失われている――とにかくそういったものもずいぶん影響しているんだろう、などと自己分析していた訳だが、どうも全く関係ないみたいですね。その根拠は、この2ヶ月以上の猛夏の間に、ほんの3・4日存在した涼しい日には、もう朝の目覚めの時から明らかに人生観が違っていたり。やっぱり自分にとってもっとも苦痛である気候が2ヶ月以上ほぼ連荘というのは、正直、地獄に等しい。
突然パンツいっちょで包丁持って世間様に無差別攻撃しかけたりしないため、秋までは『たれる』に徹しようと思う私でした。

8月31日 火

一進一退の喉と暑さに音を上げて、自分の存在に引導を渡したくなる今日この頃。
しかし、いろいろとネット上の小説投稿板など覗いていると、出版界と何ら変わらない真理に行き着くわけですね。要は『好き好き』。
たとえばタッチを変えていろいろ上げてみると、この方にはショッキングでスピーディーな展開、この方にはじっくり緻密な描写とリアルな展開と、狙って好評価を得るのがある程度可能。結局、わが道を行く他はなし、ということか。

8月30日 月

また日差しかんかんの我が部屋ではあるが、喉の痛みが引いてきたので、良しとしよう。
結局、ワードも書院も見限って、打鍵はエディタに統一、さらにアウトライン・プロセッサーも導入。みんなフリーソフトで、ありがたいありがたい。本日は、現在打鍵中の果てしない馬鹿話の今までできた分を、それらに移植(?)。もうこの先は、アウトライン・プロセッサー抜きでは組み立て不能と判断。しかし、前回の500枚超、ワープロと記憶とブラウザだけで、よく組んだもんだ。涼しかったからなあ。

8月29日 日

昨日は、喉痛むものの発熱はないようなので、いつものごとくたらたら打ったり観たり読んだりして過ごす。
本日もほぼ同様。ようやく涼しくなったというのに、空気じとじと、関節ぎしぎし、頭ぼんやり、喉ひりひり。
爽やかなお散歩またできるのはいつの日か。

8月27日 金

『回想の江戸川乱歩』の中に、松本清張さんの『ゼロの焦点』の雑誌初出時の原稿が、編集者の校正で朱筆でまっ赤っ赤になってしまい、清張さんは「雑誌はゲラと同じ」とのたまわり、編集者憮然、なんて一節があり、にやにや。やっぱり最初の原稿なんてのは、まちがいだらけでも仕方ないのかも。
本日もあまり暑くないのでまた土手に出かけたら、散歩中にまた扁桃腺痛み始め、やれやれと引き返す。もう今年の夏は最後までぐったり過ごすしかなさそう。

8月26日 木

公租公課、訪問看護費、光熱費等々――ううう、生きるって何? などとうめきつつ、やはり日中は暑くて散歩も断念、銀行から涼しい本屋に逃げ込み、小林信彦さんの『回想の江戸川乱歩』など購入、ついでに図書館で資料用の山形の山の本、特撮関係の『デジタルSFXの世界』など借用。後者は有田勝美さんという日本からアメリカに果敢にも移住してしまった特殊技術の人の著作で、おたくの海外雄飛、といった趣。カメラマン助手からデジタル・エフェクトへ――技術的な事より、その行動力がすごい。以前、スクリーミング・マッド・ジョージさんの本を読んだ時のように、浪花男の土性骨を思い知らされる。
しかしフォトショップひとつで合成なんて簡単にできちゃう時代。どうりでアメリカB級映画に、チープなCGやデジタル合成が氾濫する道理。でも、やっぱり素材段階での資金力や職人芸抜きでは、どう加工しても下手は下手。そういえばこの前観た『宣戦布告』でも、いきなりCGまるだしヘリが出た時は、さすがに萎えたものなあ。今時はミニチュア操演より、コストがかからないんだろうが、クライマックスであれはなあ。
さらにビデオ屋さんで、なんか人体破壊の限りをつくすという『殺し屋1』というのを今ごろ借りて観たんだが、三池崇志監督って、とことんライトな人なんだろうなあ。あんな精神的に表層的な部分でいくら過激な描写やっても、痛くもなんともない。笑えもしない。最近のあっけらかん本番映像に似ている。やりゃあいいってもんでもないだろう。まあ、あんだけ軽いから、どんな映像作っても許されてしまうんだろうが、女性のおっぱいさきっぽちょんぎりシーンなんか、なんというか、周囲の人物みんなスカスカで、これじゃちょんぎられた女性もあんまりちょんぎられがいがないよなあ、などと思ってしまいました。まあ、そういう映画を作りたかったのかも。

8月25日 水

まあ、先週までより暑くないのは確かとしても、『すごしやすい風が』どうのこうのというのは、やっぱりおかしいよなあ、NHKラジオさん。最高気温28度弱と直前に教えてくれたのはその放送なのだが、28度のどこがすごしやすいのか。まあ、台本書いてるひとはNHK局内か喫茶店にでもいるのだろうから、過ごしやすいでしょうけど。ちなみにうちはきっちり30度越してます。同じ放送で、電話出演の田舎のおとっつあんが、オリンピックテレビ観戦の興奮を「きちがいみたいになって」と表現してしまい、すかさずアナウンサーが「不適切な表現」をお詫びしたりしていたのだが、実に的確な表現だと思うんですけど。
昨日完結のホラーは投稿板の方々には楽しんでいただけたようで、ほっとひと息。お若い方向けに、というより中高生だった頃の自分を読者に想定してエンタメしてみたのが良かったか。推敲しながら自分で読み返したら、オーメン2・ダミアンみたいで、けっこう悪魔的に凛々しい主人公になっている。逆にいつも他の長編に感想入れて下さる方々からはあまり反応がないところも、実は予想通り。作為的にタッチを変えてみた訳です。
ところで、先月某所に送ってしまった長編を、渡辺氏に教えてもらったエディタで本式に原稿用紙の書式にしてみたら、450枚どころか、540枚もあったんですね。ちょっとびっくり。

8月24日 火

ああ、やっぱりお日様さんが出てしまうと、やっぱりまだ暑いんですね。なんだよう、ぬか喜びさせやがってよう、などとぼやきつつ、短編のホラーのほうをやっと終らせ、板にアップ。お遊びみたいにいきあたりばったりで進めたので、あんまり面白がってくれないかも。約70枚か。あっちが今120枚くらいだから――ひと月で190枚くらいか。バテてるなあ。まだ当分残暑は続くらしいし、憂鬱。
ところで、モンティ・パイソンの吹き替え、納谷悟朗さんの代わりが納谷六朗さんってのは、いくら兄弟とはいえ、短絡的すぎやしないか。声質全然違うのに。六朗さんも好きなのだが、やっぱり違和感あり。

8月23日 月

またまるまる26時間ほど眠れず、昨夜22時頃寝て今朝10時に目覚めたということは――半日寝ていたのか。まあ、週間で平均すれば、普通に寝ているのだろう。
とにかく目覚めがいつになく爽快。暑くない。ああ、また暑くない日が再来したのだ。曇天で今にも小雨がぱらつき始めそうな雲行きではあるのだが、いいのよ。暑くないだけでいいの。
昼飯とビデオ屋へ――などと思い外出、ところが外を歩きながら、ああ、暑くない暑くないなどと喜んでいるうち、気が向いて駅とは正反対の江戸川の土手方面へ。たいしてきれいでもない都会の河川敷だが、暑くないからいいやと、どんどんどんどん歩く。こんな天気でも小型船舶の操縦練習やら、水上スキーの練習やら、けっこう河っぽくていい感じ。歩くこと自体に飢えていたんだろう、そろそろ戻ろうと思っても脚のほうが『いいじゃん、汗も出ないし、歩いてれば』と主張するので、どんどんどんどん歩き続ける。進行中の話の細部なども、どんどんどんどんとりとめもなく浮かぶので、『暑くない』『歩いている』という至福の時を満喫。
いいかげん空腹と脚のだるさで帰宅を決意すると、そこはマジで渥美清さんが歩いていそうな柴又近辺なのであった。約1時間半、歩いていたことになる。距離にして8キロ弱。さすがにくたびれて、駅前でラーメン定食食って、電車で帰宅。
しかし、川っておもしろいですね。そのままどんどんどんどん歩いていれば、昔住んでいた群馬のアパートの近くとか、さらにがんばれば水上まで遡上可能。
電車を降りると、脚はよれよれ。情けないが、夏場は『1日4キロ以上歩く』というノルマを、さぼってばかりだったので、こんなものだろう。在職中は立ち仕事だったから、10キロくらいは平然と歩けたのだが、もう立ち仕事への復帰は難しいか。
5分で着くはずだったビデオ屋に、3時間かけてたどり着き、本日は『宣戦布告』と『モンティ・パイソン人生狂騒曲』など借用。さっそく前者を鑑賞、意外な面白さ。まあ細かい事を言えばきりがないが、キャスティングがうまく、この手の映画でありがちな、俳優さんのリアリティーの欠如で途中下車、という事態をまず回避、さらにセットや小道具のおそまつさで途中下車、という第二の関門もクリア。特にセット美術に関しては、近頃の邦画としてはずいぶん奢ったのではないか。政治おたくでも軍事おたくでもないので、巷で言われたそのあたりのリアリティー不足などは判らず、楽しめました。ただ、米軍からんで来ないのは、予算の関係だろうが、ちょっと不自然。
『モンティ・パイソン』のほうは、当然昔ビデオで観ているのだが、DVDだと青野武さんなどの吹き替えが聴けるらしい(大昔のメンバーは揃ってないらしいが)ので、そっちをダビングしたくて借りる。鑑賞はまたのお楽しみとして、打鍵に入る。

8月22日 日

1960年代の歌謡曲をいろいろ調べてるんだが、和泉雅子さんのディスコグラフィーがどうしても見つからない。映画と、だいぶ後の北極点到達ばかりどにでも情報あって、それ以外は『二人の銀座』くらいしか見当たらない。たいがいどこかに転がってるものだが。

8月21日 土

昨日はなぜか夕方睡魔に襲われて3時間ほど眠り、それきり眠れなくて朝までちょぼちょぼ打鍵して、くぎりがついた所で板に上げ、昨日買い忘れた入浴剤買いに外出。ダイソーで6袋入り100円の奴をまとめ買い。例によって懐かしCD付きも1個だけ。ちなみに、入浴剤追加のたびに1個づつ集めてるんだが、10種のCDの内、9種は揃いました。まあ、エイミー・ジャクソン『涙の太陽』が3回も続いてしまうという不幸もありましたが、他はダブっていないので、優秀な戦果か。しかし、ここに重大な落とし穴が。つまり最初から一番欲しいと思って買い始めた千賀かほるさんの『真夜中のギター』だけが、まだ出ていないのである。ここいらへんが、昔から自分の運勢の典型なんだよなあ、などと、今日はけっこう過ごしやすいのに、がっくり脱力。

8月20日 金

相変わらず灼熱の太陽と温風と水道ぬるま湯の日々が続いて、入浴剤を買いに出てついでに他の買い物も、などといいつつ帰ってきたら入浴剤だけ買い忘れているような、自己の生存を自分でも確認するのが難儀な今日この頃、皆様方におかれましてはお元気でございましょうや否や。
ところで、日々届くやくたいもないメルマガの一部に、『いやー、ここ数日幾分過ごしやすい日々が続いてますね。夏将軍もお盆休み、といったところでしょうか。イージーシーク通信をお読みいただいてる諸兄にあられましてはますますご健勝のことかと存じます』などという一文があったのだが、いやがらせなのだろうか、それともやけになって私同様おかしくなってるだけなのだろうか、あるいは職場の冷房がよく効くだけか。いずれにしても、イージーシークとのおつきあいは今後控えたいと思います。一日こっきりをのぞき、先月からまるっきり過ごしやすくないです。てゆーか、受動部分は生きてますが、能動部分は死んでます。9割9部9厘。
スーパーの冷凍食品コーナーなど通りかかると、ああ、許されるならこの場で安らかに生涯を閉じたいと思います。ここ5日間で、たったの20枚分くらいしか打ててません。

8月19日 木

さて昭和30年代後半の山間の炭焼き状況は――なんでこんな事調べなきゃならんかなあ、などと愚痴りつつ、サブキャラがそういう家の息子なんだから仕方がない。骨格が荒唐無稽な馬鹿話であればあるほど、そのキャラがどうやって生きていてどうやって食ってどんな家系であるのか、そんな家の息子が義務教育以上の高校にいるのはなぜか、そもそもそんな山間に高校を存在させるには――まあ、そこらへんが自分の考えるエンタメの条件なんですね。ビジュアルなら、どーんとそれらしい絵を突っ込めば済むかもしれないが、文章ですので。人はパンのみに生きるにあらず、なんてのはパンが天から降って来てくれる純メルヘンの世界の話で、リアルな環境あらざればリアルなメルヘンもまた成立不能。大体、いきなり魔力や超能力で格闘できるなら、私だったら魔力で食い物ゲットして、死ぬまで寝て暮らしたい。戦争するのにどんだけ金かかるかも描写せず、ナントカ国は戦乱の巷であった、勇者たちはどうのこうの、という訳にも行くまいし。
姉よりいきなり宅急便届き、レトルト食品やら好物の鎌倉鳩サブレなどゲット。ああ、血脈あればこそ、こうして天から食餌が降臨してくれる事もある。あわててお礼の電話。
ところで母親の介護保険の等級が、そろそろ見直し時期らしいんだが、ケアマネージャーの方の話によると、現在の要介護1から要支援に変わる可能性もある、などという連絡が姉の元にあったらしい。冗談は良子さん。容態が好転したわけでもないのに、なんで自己負担増やされなければならんの。無収入の私からあんだけ莫大な介護保険料徴収しといて、やらずぶったくりかこの国は。こっちはもう自分の老後のまともなケアなんぞ、国には期待しとらんのだ。現在の母親のためだと思うから、きちんと納めとるのだ。まったくもう失業給付は予告もなしに減額になってるし――ごめんなさい。これは働いてない私も悪いのでした。でも、痴呆老人の自己負担増やすのはやめてくれ。

8月18日 水

本日も順調に暑い。
夜の7時になってから発作的に『サンダーバード』観たくなり、ネットで上映時間調べると、おお、最終の9時過ぎの回は、1200円なんですね。差額600円で、松屋の牛焼肉定食も食える、ということで、のこのこ外出。
観始めて、ありゃりゃ。悪い意味ではなく、楽しめてしまったのである。これは――そうだ、あくまでも小学生くらいまでを対象とした、確信犯的児童映画。世間の評価は分かれるだろうが、児童並みの精神年齢である私はOK。主役が児童たちで、それが大人を救うというのは、昔のガメラに近いノリですね。『対バイラス』とか。ごひいき2号のコンテナの、あの胴体がすっこぬけるデザインがちょっとあいまいで残念だったが、CGメカも出番少ないなりに、かなり頑張っていた。とくにトレーシーアイランドの実在感、夏バテの頭にトロピカルな涼風。ところでミンミンがいなくてティンティンというトロピカルな女の子が、アランといっしょに走り回ったり実はフッドの姪っ子で念動力ありとか、色々頑張っていたのだが、個人的にろり心萌え。ペネロープとパーカーも、好感度高し。続きがあるなら、また観てみたいんだが、続編ができるかどうかは日本とイギリスの観客動員しだいらしいので、男の子をお持ちの親御さんたちには、『ポケモンのほうがいいよう』などと駄々をこねるのを張り飛ばしたり締めたりして、映画館に連れ込んで欲しいものだ。絶対入りたがるって、国際救助隊。入りたがらない男の子は、張り飛ばしたり締めたりして……。

8月17日 火

おたくっぽい系を仕入れに秋葉原へ。『みずのかけらORIGIN』は、ソフマップで最後の1箱になっていたが、売れているのか。まあこんなじじいも買っているのだから、売れているのだろう。ついでに虎の穴で『さちことねこさま2』と『ことみ大事典』。行くたんびに世代の乖離感が強くなって行く我が身ではある。
なぜだか行く先々の自動販売機にコインや紙幣を拒絶されてしまい、厄日か魔日か、などとぼやいていると、ぬるま湯の大雨まで降ってくるし。雨だか汗だかわからんびしょぬれ状態で帰宅、病み上がりの体力も流れ出してしまったらしく、ええいもう今日は仕事(趣味なんだが)なんてやってられっか、などとゲームをインストールしたり板を覗いたり。
世代の乖離、という点では、10代中頃から20代前半まで、といった感じの現在使わせてもらっている板だって大変な乖離なんだが、おっさんが愚痴をこぼしつつ集っている小説板、なんてのはほんとにどこかにないものか。でも描いてるのがホラーやファンタジーだからなあ。

8月16日 月

まあすんなり涼しくなるなどとは期待していなかったのでかまわないのだが、ハローワークから帰ると汗でびしょぬれ。
しかし病気のほうはほぼ快癒したようなので、あとは体に気をつけて――なんて、結局どう暮らしていても、おかしくなる時はおかしくなる。不摂生の限りを尽くしても元気な時は元気。
ちょぼちょぼ打ちつつ、例によって飯時のビデオ鑑賞、本日は1954年のアメリカのミュージカル『ブリガドーン』。100年に一日だけスコットランドの山地に姿を表す、伝説の村。たまたまそこに迷い込んだヤンキー旅行者二名。そんなファンタジー・ロマン。レンタル屋でジャケットの写真を見て、なんだか観た記憶があるような気がしていたんだが、予想通り、あちこち記憶にあったり。たぶん小学校とか中学校の頃に、NHKあたりで観たのだろう。ころっと忘れて、良く似たストーリーのファンタジーを、昔から考えていたり。でも、この手の伝説は、桃源郷やらシャングリラやら、定番なので無問題だろう。物語原型のひとつですね。きっちり泣ける。

8月15日 日

終戦記念日。英霊の皆様の思し召しか、気温急落。ただ「暑くない」だけで人生はこんなにも希望に満ちているのだ、と身にしみつつ、コインランドリーその他。でも、部屋の中は結構暑いんですけどね。建物自体があったまってしまっているので。
喉の痛みや微熱は昨日と変わらないし、あいかわらず生あくびばかりだが、なんせ涼しいのだから全てOK。許す。
ちょいと現在進行中の田舎小説の参考にしようと、石森章太郎先生の『龍神沼』など、ネットで購入。パソコン上でそのまま閲覧できるので、便利。一コマ一コマ見ていくと、ああ、あの人は手塚先生よりもある意味天才だったんだなあ、と、あらためて実感。ところで、今まで印刷物では見たことのなかった『かげろう』という初期作品、ページの多い別冊付録を急いで描いたらしくネームのまとまりが悪いんだが、作画にあきらかに赤塚先生の手が入っているところなどは、いかにもトキワ荘の匂いがして感慨。

8月14日 土

喉の痛みはかなり軽減。微熱のみ。抗ヒスタミン剤、ボケた頭に実に良く回り、一日中生あくびばかり。いっそ眠ってしまえと昼間っから横になったりしてみても、全然眠れる訳じゃない。ただ生あくびが出て眠いような気がするだけってのは、なにか損してる気分。

8月13日 金

おお、13日の金曜日。だからと言う訳でもあるまいが、昨夜は2時ごろ寝たのに昼過ぎても起きられず、喉に激痛。あんまりおかしいんで医者に行ったら、熱まで出ていて38度。ダルいはずだよ、病気だ、病気。
行きつけの医院がもうお盆休みに入っていたので、昔引っ越してすぐに行ったっきりの、近所の医院へ。耳鼻咽喉科なんだが、先生も看護婦さんも年配の女性――というより、おばあちゃまばかりなんですね。いえいえ、けしておばあちゃまぎらいではありません。ただ、在職中は一日も早く症状を抑えるのが優先だったので、ドライにすぐ抗生物質を処方してくれる、若い男性医のいる医院に行っていた。おばあちゃま医院では、前に漢方とか軽い薬しかくれなかったので。
でも今回は、喉を覗くなり、しみじみと「痛かったでしょ?」などと心配そうに言ってくれて、こちらもしみじみと「ええ、痛くてダルくてしんどかったです」などと答えて、ちゃんと抗生剤も処方してもらえました。喉も鼻も耳も、いつもの扁桃腺から中耳炎への途上にあったような。
どうも暑気あたりだけでなく、このところじわじわと進行してたようだ。不思議なもので、「ああ、モノホンの病気なんだ」と納得してしまうと、ダルさも当然として受け入れられる。暑すぎて熱がある事にも気がつかなかった。そういう意味では、やっぱり猛暑も怖いが。
安静にしていなさい――ということで、寝転んで『砂の器』(昔の映画の方)など観てまた泣いたり、熱も引いて来たようなのでちょぼちょぼ打鍵したり。あれ、いつもと同じではないか。
お医者とお薬で3100円ほどかかってしまったんだが、考えてみるとあの莫大な国保から7000円以上回収できたという事でもある。損したような得したような。

8月12日 木

往復5キロまでは自転車使わず歩く、という運動不足解消のための原則、もはや暑さのため守れず、自転車復活。それでも買い物から帰るとぐったり。長編の第一章ようやく終り、夜、板にアップ。あとは稲川淳二さんの怪談話観ながらたれる。生き人形の話の完全版のライブ。いやあ、話芸ですね、もう立派な。落語とも講談とも違って、民話っぽいところがいい。
それにしても今年の夏は、しつこいようだが、なんなんだこれは。寝ていても「あ」起きていても「つ」ひたすら「い」。「あつ」を「だる」に代えても可。

8月11日 水

おお、またいつのまにか2日たってしまった。ちょぼちょぼ打っていた。以上。いや、それだけではないな。たれながらもしっかりビデオ屋に行って、『日本沈没』と『君よ憤怒の河を渉れ』借りて、か、かっこええ、ミニチュアの出来具合は?だったり!?だったりするものの、役者衆の存在感と脚本・演出の当時の真摯感が、方向性は違うものの、やっぱり正しくて気持ちいい、などと思ったりしたし、二日合わせて15時間も寝てるし。訪問看護婦さんにお礼状書いて送金したりもした。ああ、日本語がおかしい。
でも、この虚脱感はなんなのだろう。昨日の朝板に上げた分のご感想を見に板に行くと、新しい方のご感想あったので、そちらのHPを覗かせていただいたりすると、高校卒業後すぐ就職し、暑さ40度の生産現場で働いていらっしゃる。自分も昨年まではそれに近い状況だったが、就職するまでは大学で遊んでいたし、就職後も店頭に出れば冷房効いていたし――ああ、そうか。私も就職後数年は、帰宅してから何やら書き散らかしたり打ったりしていたのだなあ。若かったのだなあ。若いってすばらしい。いまさら若返りたいかと問われると、それもかんべん、というじじいなのだが。
とにかく暑気で鬱になりがちなものの、実際いままで稼いだ金で食っているんだし、別に自分だけ楽しているような負い目を感じる事もあるまい。そのうちまた働かないと食えなくなるんだし、遅かれ早かれ。

8月9日 月

姉より電話。おお、もう2ヶ月も音信不通だったか。失礼しました。色々ご心配おかけして申し訳ない。愚弟の今後の身の振り方やら、母親の神奈川の空室どうするかやら、月末の私の母親訪問の件やら、色々話題はあった訳だが、故郷の親戚から私の見合い話など持ち掛けて来ていると知らされ、びっくり。親戚筋には、現在無職である事など、無論ないしょ。丁重にお断り申し上げるしかあるまい。まさかいっしょに河原で腐りますかとも言えない。
板を覗いていたら、クローン病の少女の半私小説らしい作品が投稿されている。あれも生死に関わらないけれど人生に関わる病気なんだよなあ。夏バテくらいでうだうだ言っている自分、しゅんとなってしまう。どうかじっくり書き進められて、私に勉強させてください。

8月8日 日

なんだか毎日毎日愚痴ばかりこぼしているなあ、と我ながら情けなくなりつつ、また愚痴をこぼしつづけるたれおじ1名。水がまずいよう。この時期ぬるま湯だと、水のまずさが最もきわだつ。去年は家で水を飲む頻度が少なかったからなあ。故郷山形の幼少時、法事などで都会方面の親戚などが泊ると、水がうまい水がうまいと繰り返すので、まあこんな田舎だと水くらいしか褒める物もないんだろうなあ、などと思っていた。山形でも市街地の家だったから、自分では家の水なんて田舎に比べれば塩素臭くてまずいと思っていたし。でも、いざ都会に来てみると、ほんとに感心するほど水がまずい。何が混ざっているんでしょうね。浄水蛇口付けてちょろちょろ汲めば、飲めない事もないが。ちょろちょろじゃなくじゃあじゃあやってしまうと、水道管の錆で薄茶色の水になってしまうし。
打鍵相変わらずちょぼちょぼぐったり打ちつつ、4時間ほどで音を上げ、ビデオに逃避。本日は、昔録っておいた、『ホーンテッド』。劇場公開で『月下の恋』、ビデオ化されて『ホーンテッド』、で、DVDでまた『月下の恋』……まあ、原題はホーンテッドなんですが、邦題としては『月下の恋』なんて、実に良く雰囲気が出ていて良。エレガンスで渋くて美しくてほんとに怖い。念のため、『ホーンテッド・マンション』とも『ホーンティング』とも無関係の、ちゃきちゃきの英国監督ルイス・ギルバートさんが、七十代も後半になって撮った幽霊映画です。やっぱりそのくらい歳をとらないと、この渋みは出せないか。製作はコッポラなんだが、自分で撮った『ドラキュラ』が勘違い英国風珍作だったのに比べ、ケネス・ブラナー監督に任せた『フランケンシュタイン』の奥深さとか、やっぱりその国の方が撮ると、英国怪奇物は様になるようだ。

8月7日 土

夕方買い物に出ると、なんだか周りの道が路地まで含め通行人でいっぱい。浴衣がけの家族連れなども多数。会話より、1.5キロほど南の河原で、花火大会があると判明。この土地に越して4年にもなるのに、まったく知らなかった。去年までは土日祝は必ず出勤しており、寝るためだけに帰宅する毎日だったから、帰る頃にはそんな催し物はとっくに終了しているので、知る由もなかったのですね。せっかくだから花火見物でも、という気分にはなぜかなれず。アベックや家族連れの中でおっさんひとりだとまあなかなかあれな訳で、さらに現在途中でバテてしまう危険もある。まあここが街中の味気ない河原でなく、以前住んでいた群馬や茨城、あるいは故郷ののどかな河原だったら、喜んで出かけたかもしれない。
昨夜、古レコードなどといっしょに、見失っていたコピーガードキャンセラーなども発見できたので、ちょっとAV機器類の接続をいじり、DVDからSVHSに相互ダビングできるような繋ぎにしてみる。このところレンタル物をコピーして残しておくという行為はほとんど行っていなかったのだが、例のレンタル屋さんに、色々マイナーな掘り出し物もありそうなので。手始めに『大怪獣総攻撃』のDVDを借りて、SVHSに録画してみる。以前テープを借りて観ているのだが、東宝怪獣物は、レンタル用テープがなぜかあんまり画質が良くない場合が多い。DVD買うには今時信じられないような価格だし。で、画質的には実に良好なダビング結果でした。これであの可憐(?)な小型バラゴンの大奮闘、幼時に悪夢で見たままのような凶悪ゴジラ、ごひいき宇崎竜童さんの凛々しいお姿など、いつでも楽しめる。しかし東宝特撮物のDVD、いくらなんでも今時暴利をむさぼりすぎではないのか。まあレーザーディスク時代よりは安くて高画質なのは認めるが。次は『南海の大決闘』を借りて来よう。ああ、『怪獣総進撃』も、レーザー買ってなかった。いや、昔ビデオ勃興期に一度ダビングしたんですけどね。しかしこれが、今となってはおじんおたくギャグのネタにしかならない、ベータなのであった。流れよ我が涙。もはや再生不能。
8ミリビデオも何百本とあるぞ。二度と放映されないような古い邦画もあるぞ。まあ、徐々にDVDに落としてはいるが。篠田正浩監督の『夜叉ヶ池』とか。あれも主演の玉三郎さんが出来に不満があったとかで、永遠にソフト化されないらしいが、鏡花原作幻想物の映画化としては、玉三郎さん自ら監督の『天守物語』と並んで、原作のトーンに精神的に忠実だったと思うのだが。先に記した『白夜の妖女』などもそうだったが、原作の物語構造がほぼ完成しているのに、なんでわざわざ下衆なサブ・ストーリーつっこむ脚色ばかりなのか。
このあたり、私のごひいき『伊豆の踊子』なども、その悪弊がありますね。大昔から少女アイドル主演映画の定番だった訳ですが、なんでか絶対あの原作の、あえて世間の厳しさや汚濁を隠し味程度にとどめた叙情性を破り、社会性を露悪しないと気がすまない監督ばかり。『忍ぶ川』が熊井啓監督作のみであることを、天に感謝。あれはほんとに思わず拝んでしまいそうな映像化だった。真に社会性を把握してるから、隠し味に出来るのだろう。

8月6日 金

広島原爆記念日。しかしこれだけのジェノサイドかまされて、わずか数十年しかたってないのに反米デモのひとつも起こらない国というのは、つくづくいい国だと思う。皮肉抜きで。でも、一般の民族や国家では、むしろ中国の重慶などの方が感情的に自然である、という事も忘れちゃいけないんだよなあ。広島の原爆写真展など、今でもアメリカではボイコットされるそうだが、あの脳天気国家はあいかわらず最新映画などでも原爆をナメてるようなので(『トータル・フィアーズ』観て、ほんとうにあの国は馬鹿ではないのか、と本気で心配し、谷啓さんの『ガチョーン』などかましたくなったのは私だけか)、劣化ウラン弾の破片をアメリカの水源地にばら撒くくらいの作戦、アルカイダもやってみる価値があるのではないか、などと構想してしまう脳天気エンタメの私。アメリカの方が無害だって言ってるんだから、テロじゃなくてオチャメなの、と開き直ればいい。で、オチャメで脳天気な大人たちが阻止する、と。
ああ、すさんでいる。腹も結局治ってないみたいだし、1キロ先のビデオレンタル屋さんへの往復の途中、路傍の小公園で思わずベンチにうずくまってしまった。明日もしっかり暑いとの予報。OK。今年はもう存分に加熱して下さい。築34年の鉄筋アパートはすでに全体が保温状態で、夜中になっても床が暖かい。全戸完全暖房。隣室の一人暮らしの爺さんは一日中ドアを全開して、少しでも風のあたる玄関口に座りっぱなし。その前を通らないと買い物にも行けないので、会社に行ってないのがバレてしまいました。フリーランスで部屋で仕事するようになった、などとごまかす私。
さあて、『蝶の峪』ではやっとドンパチが始まって、いきなり陸自のヘリまで出現するんだが、昭和30年代後半のヘリって、どんな型だったんだろう。ああ、また調べなければ。
で、夜中の2時に突然なんなんですが、はるか彼方の昔に紛失したと思っていたタイガースのシングル盤(姉のコレクション)などといっしょに、西崎緑ちゃんの『小さなプリンセス』などがある段ボール箱から発掘されまして、当時幾つだ彼女は。どうみても小学校低学年だよなあ。か、かーいい。もしかしてこの子が私のロリ嗜好のルーツではないのか。か、か、かーいい。くれ。といっても現在はりっぱな中年女性だよなあ。でも美人だよなあ。タイムスリップして学校帰りのところを拉致して私が育てるというのはだめですか暑すぎますか歪みすぎですかすさみすぎですか天にも地にも許されざる行為ですかでもかわいすぎるんですものおじさん惑乱。

8月5日 木

まあすでに6日の午前3時30分なのだが、夜半前から腹が下り始め、日記を書く気力もなく夜半過ぎに床に着き、さらにトイレに何回か通い、うとうとしたところで、今度は地震。いきなり、どん、と揺れたので、地震と言うより近所でガス爆発でも起こったのかと錯覚。
ちょっと余震はあったようだが、それきり平穏、お腹も中身が出尽くしたのか、平穏に戻る。まあこう暑いと、体も地盤もなんかこう一発ヤケになったりしてみたかったのだろう。別に古い物食った覚えもないし。
目が醒めてしまったので、またちょぼちょぼと打鍵開始。本当にまあ今年の夏はきつい。1段落ごとに次の段落に悩んでしまうような。それでももう『蝶の峪』、80枚近く進んではいるのだな。それでもやっと最初の事件が始まったばかり。冗談抜きで、1000枚行っちまうのではないか。誰が読むんだこんな物と思いつつ、それでも板では根気良く読んで下さる方もいらっしゃる。ありがたいありがたい。気晴らしのホラーの方も、オチを考えないとなあ。

8月4日 水

うーむ、昭和30年代中頃の日本の僻地――過渡期だったんですね。確かに封建的搾取構造やら、貞操観念の欠如による私生児出生率の高さや、一方で乳幼児死亡率の異常な高さや、嫁は子という労働力を生むための家畜的扱い――『ヨメタタキ』なんてのは唐沢なをきさんのギャグかと思ってたら、実際風習として残っている。ところがですよ、その山の中の掘っ立て小屋のような炭焼き小屋の中に入ると、こぎれいに整理されており、トランジスターラジオなどもきちんと並んでいる。当時のマスコミによると、未だに電気もないはずの秘境なのに、実は全戸自家発電で電球光ってたり。……混沌期だったんだろうなあ。でも、現在はナビ・ソフトやネットで調べてみると、過疎化して消滅しているどころか、ほとんど『さあ、観光客さん、お車でいらっしゃい』状態。むしろ中途半端な田舎のほうが、都市に人を吸収されて、消滅しているような。
などとタイムスリップしているうちに、大事な物をころりと失念していたのに気づく。例の51枚に増やした短編、しまったまま完全に忘れていた。まだ締め切りにはずいぶんあるが、忘れてしまったら元も子もないので、フロッピーともども送付してしまう。

8月3日 火

蛇口から、本当にお湯が出る。生暖かい水、ではなく、じゃあじゃあ流しても体感温度がきっちりお湯だ。いよいよ蕎麦も冷蔵庫で冷やした水でさらさないと、盛り蕎麦にならなくなってしまった。
やけになってハローワークついでにがしがし歩いていると、つぶれたと思っていた古本屋さんが、再起しているのを発見。いわゆる新古本ではなく、昔ながらのややマニアックな匂いの古書店。喜んで物色。100円均一コーナーで、昭和43年発行の東北のトラベルガイド。さらに800円で、昭和36年発行の、宮内寒弥さんの『秘境を行く』。当時は良くマスコミで、日本のチベットなどという表現が好奇的に使われ、大怪獣バランなども飛び出したりしていた訳だが、実際のところどうなのか、昔から知りたかった。ネタにもなるし。ほうほう、北上山地、つまり北上山脈と太平洋岸のリアス式隆起海岸にはさまれたあたりが、通称、日本のチベットだったのですね。さて当時の状況が判ったとして、現在の状況は、などとナビ・ソフトを立ち上げて……夜中になってしまった。今日も打鍵は、2本立て双方1シーンのみ。頭が夏期休暇に入りっぱなし。

8月2日 月

ありました、新しいレンタル屋さんに。この前苦労した『エル・アラメイン』なんかも、しっかり置いてあった。潰れる前に、せいぜい利用しよう。その前にこちらが潰れているかも知れないが。『飢餓海峡』と『ナバロンの嵐』借りる。で、打鍵もそこそこに2本立て鑑賞。この無茶苦茶な取り合わせは、昔の浅草の名画座なみだなあ。左幸子さん、ほんとに抱きしめてあげたくなるような不憫かつ愛しい存在感。三国さんも伴淳三郎さんもしみじみ名演。邦画黄金期の底力。次がいきなりダム爆破橋崩壊のミニチュア特撮というのは、いかにも自分の趣味の脈絡もない羅列で、しょうがねえなあ、でもやっぱりCGより迫力あるよなあ、と確認。『飢餓海峡』の洞爺丸沈没シーンだって、ミニチュアであるからこその存在感。例の実写版サンダーバードも観たいのだが、かんじんのブツは、CGなんだろうなあ。

8月1日 日

V・A・C・A・T・I・O・N、楽しいな。――嘘です。スイカだけが楽しみの、脳内リゾート人間です。
さて、飛ばし書きのヤング・ホラーも、死ぬ思いの昭和レトロも、微々たる進行具合ながら、ちょっとひとくぎり。やけになって蒼天の下を散歩。部屋にいても暑いなら、まだ外を歩き回るほうが、頭に血がまわる。いよいよ峡谷アクションに突入すべく、脳内でアクション展開しながら、大汗の散歩。いっそ歩きながら古いレコーディング・ウォークマンで口述録音とか。いよいよ電波人間化したと思われてしまうか。もう電波入ってるんですけどね。戻る道ないぞー、帰る道ないぞー。『飢餓海峡』の左幸子さんの声の電波。で、三国連太郎さんのように、耳をふさいで怯える私。ああ、突然、あの映画が観たくなってしまった。レンタル屋さんにあるかな。待てよ、図書館にあるかも。

7月31日 土

♪世間は夏でも祭りでも 私には関係ないのさ♪ ――ああ、あれはほんとは春で歌い手はフランスの貧しいお針子で、祭りなんて関係ねーよビンボ暇なしだもんね、などとひねくれてるところにいい男が寄って来たりして、なになにイケてんじゃんやったね今日はホームランだ、などとつかの間舞い上がっていると、けっきょくイケメン君は踊りの人ごみの中ではぐれてしまって、ふん、やっぱりあたしゃ人ごみも祭りも大っきらいだいひとりぼっちなんだい――。シャンソンの『群集』ですね。
アスファルトの道路を車両通行止めにして、つかの間の盆踊り。浴衣の君はダイソーのかんざし。もちろん私の連れじゃないですけどね。私ゃたまたま通りかかっただけ。故郷じゃそろそろ花笠祭りか。……夏祭り、暑けりゃこその、スイカかな。
父親は死んだきりまだ一度も盆に帰って来た形跡はないが、まあ、母親の所に一晩くらい出てやってくれ。きっと死んだ事なんかすっかり忘れて、いっしょに温泉にでも泊まってるつもりで喜ぶぞ。翌朝はそんな夢を見た事すら忘れているだろうけど。くそ、想像してるとマジに涙が出てくるぞ。買ってきたスイカの角切り食って、風呂入って寝よう。夏らしい落語でも聞きながら。先代の馬生さんがいいな。

7月30日 金

もう何も言いたくない。口を開くと、「あ」と「つ」と「い」くらいしか声が出てこない。
コインランドリーに行ったり来たりする間にも、使ったハンカチ四枚。下着も3回お取替え。
まったくもう、ようやく人から借りて観た、私が生まれた年の邦画『白夜の妖女』は、途中から鏡花の世界からトンデモの世界に逸脱してしまうし。どこが原作・高野聖やねん。高野聖ーナの間違いではないのか。なんでこんなのがキネマ旬報の怪談映画ベストに入っているのか。ああ、前半だけ観れば良かった。昔のテレビ録画テープなので、CMは懐かしくて面白かったが。榊原郁恵ちゃんがまだ若くてかわいい。大道芸の坂野比呂志さんがまだ健在で、浅草の地区CMなんかに出てるし。
しかしまったくこのマイクロソフトIMEは、『妖女』も『岩棚』も登録せんと変換しないんだもんなあ、アメリカ人が語彙まで編集しとるのか。
……すみません。誰に謝ってるんだかわかりませんが、荒れてます。鬱も去りません。でも、キーボードは一個一個打ち続けるんだ私は。
ワードがフリーズしなくなったのが救い。やっぱりUSBのマウス系と、うちの環境は相性が悪いらしい。

7月29日 木

目覚めたら雨。やったね、これで少しは涼しくなってるだろうと買い物に出たら、ただ湿気が増えているだけの蒸し風呂状態。
ハローワークで検索。隣に座った同年代のおっさん、検索内容にいちいち一人で文句を言ったり突っ込み入れたりしている。これはそろそろアブナイ人なのではないか、などと身を引いてしまったが、暑さで一時的におかしくなっているだけかも。自分も自室では、パソコン相手に突っ込み入れてるものなあ。声に出して。「この大馬鹿野郎」とか。
ワードのスクロール時のフリーズ多発に音を上げ、試みにUSBマウスとタブレットのドライバをアンインストールしてみる。昔は大長編のスクロールなどしたことはなかったが、普通のマウスポートを使用して数枚のレポート打っていた頃は、こんなフリーズはなかったような気がするのだ。
『蝶の峪』、ようやく主人公たち、鮪を仕入れに塩竈へ。たったそこまでで、もうこの前の長編の10分の1くらいの枚数になってしまっている。まだ最初のドンパチすら始まっていないのに。いいのか、金も無いのにこんな事続けてて。しかしもう、続けるしかないんだ。まだ登場もしていない薄幸の少女を救うため。

7月28日 木

脳内に山の光景はしっかり浮かんでいるものの、打鍵難航、これは反動による弾みが必要か、などとボケた頭で判断、一人称のホラーなど開始。これはワープロ初購入時、シノプシスを途中まで書いて投げ出したもの。当然、今回の純新作よりは打鍵が進む。夜、さっそく導入部を板に上げてみる。『蝶の』と違ってテンポ速いので、皆さん目を通してくれやすいようだ。『蝶の』も高校生物だが時代が古いし、意識的にくどくどと三人称で説明部分入れてあるからなあ。

7月27日 火

ああ、中島らもさんも夭逝されてしまった。階段から落ちてしまったのか。酔いどれていたか、ラリってたんだろうなあ。その人そのものが一ジャンル、といったタイプの作家の方は、どうも早く逝かれてしまうようだ。景山民夫さんとか。合掌。ガダラの豚、ありがとうございました。もちろん、他の作品も。
まあいまさらなんですがしつこくなんども暑い暑い。打鍵進まず、思わずまだ中途半端なのに板に上げてしまい、ブーイングもくるだろうなあ、などと心配していたら、毎度2名の方、楽しんでいただけたとのこと。すみません。次回はまたどーんとエンタメに持って行ける予定です。その後はしばらく、田舎版少年ドラマシリーズ化しますが。
脳内に山が足りない(?)と自覚し、市立図書館へ。ここも往復四キロの距離にあるので、運動不足解消にいい。レンタルショップなどにはない自然関係のビデオも沢山ある。黒部峡谷と、中央アルプスのビデオ借り出し。もちろん無料。ありがたいありがたい。
買い物の帰途、時々見かける野良猫の親子、いつも当然人影を見ると脱兎のごとく消えてしまうのだが、暑さでたれていたのか、子供の方が逃げ遅れて、道端のビン・缶ゴミ用ポリケースの裏で、雪隠詰め状態。ふっふっふ、などと怪しく微笑しながら、追い詰めてしまったり。ほーら、おじさんといっしょに遊ぼうね、こわくないよいたくないよ、などと言いつつ、戸惑っている子猫を愛撫。これがまた、ちょっと困ったなあ、というような表情で、なー、とか鳴くので、思わず拉致して監禁して思う様に蹂躙したくなってしまったが、思いとどまり、ビールのつまみに買ったカニカマボコ(無論、タラ主原料の模造品)を進呈。母親もいっしょに食ってくれただろうか。
まあ、自分のたれ鬱状態など、子猫一匹で半減してしまう、お気楽なもの。しかしこの暑さだけは、どうにかならんか。
黒部に逃避。実際に行って行けないこともないのだが、ビデオで本当に行きたいと思ったような光景の場所は、やっぱり熟練の登山者でもきついような峨々たる峡谷の奥。一生行けない。行けぬなら、行かせてみよう仮想自我。そのあたりを山形と宮城の県境に移植、車道を通して少年たちを陸王で走らせてしまう事にする。低予算脳内アナログ合成。

7月26日 月

ううむ、昨日は日記すら、すっかり忘れていた。もう26日昼。ボケ続けている。
日曜はまだ多少鬱状態の中、安価な録画用DVD-Rを求めて、久々に秋葉原へ。
日曜の秋葉原は、歩行者天国だったんですね。
なつかしいおたく状の人々と、ごく普通の家族連れと、様々な国の人々との中をうろつき回り、精神的に多少復活。
しかし体力的には、あいかわらずしんどい。
予報では残暑もとことん頑張ってくれるらしい。
とにかく、なにか精神的な活を入れないと、打鍵も進まない。
例のムエタイ・アクションでも、観てこようかと思う。高校時代、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』を初めて観た時のような衝撃は、今のこすっからい自分には得られないだろうが、あの反日の国の体ひとつのアクションは、なんらかの活を入れてくれそうな気もする。
で、午後より上野まで出て、『マッハ』を観る。ワイヤー・アクションにほとんど感情移入できない私としては、素直に驚愕の拍手。まあドラマ部は映画黄金期(経済的に)の邦画のプログラム・ピクチャーを数倍泥くさくしたような人情物だが、かえって好感を持ってしまったり。なんだかキャッチフレーズでは、早回しも使っていないと断言してましたが、アクションシーンの一部、きちんと使ってました。ばれるぎりぎりの早回し。それでも、やってるアクションそのものがすごいので、むしろ技術的に歓迎できる。で、アメリカも日本もけちょんけちょんに嫌われているみたいなのだが、笑ってていいのかしら。
あそこまですごいのは無理でも、ちょっと前のケイン・コスギの『マッスルヒート』など、かなり期待していたのだが、かんじんのマッスルやヒートをほとんど見せてくれなかったしなあ。当時のケインなら、あんな余分な金などかけなくとも、アクションだけで見せられたと思うのだが。アクションというのは、たとえばポピュラー音楽などで言えば、メロディーラインそのものだと思う。で、『マッハ』はもう素直にメロディーそのもの。『マッスルヒート』は、妙なアレンジやごてごてしたリズムセクションに、メロディーが埋没しかかっていた。
上野の古書店で、大正2年の『新撰小學校管理法』という教育者向けの実務書、900円で見つける。安いのか高いのか判らないが、即座に購入。使うあてなどないのだが、これで大正初期の教師の側からの学校運営など、具体的な原則が判る。判ってどうなるか。そうですね。たとえば大正初期の幼女趣味の小学校教師が思わず生徒に手を出してしまうが、その生徒は生活苦から遊郭に売られてしまい、教師発奮して艱難辛苦の末、少女が貞操を奪われる寸前に身請けしてめでたしめでたし、などというロリ小説が書きたくなったとき、役に立つのではないか。
同じ本屋でまた小林信彦さんの『ぼくたちの好きな戦争』、100円。帰りの電車で読み始めたら、これがまあ例によって目から鱗がばりばり落ちて電車の通路にはらはらこぼれるようなシニカル・コメディー純文学。つくづくすごい人だよなあ。

7月24日 土

言いたくない。言いたくはないのだが、あづうううううい。
1日1シーンだけ打ってぐったりしてしまいそうな毎日。本日はビデオ観る気も起きず、とびきり蕎麦をすすっただけ。さすがにそれだけではますますバテると思い、汁に玉子を入れたり。現在朝起きて夜寝る生活続いているのだが、昼なんて仕事(趣味ですが)にならない。やっぱり少しはエアコンの効く夜間に活動すべきか。
打鍵につまって板を読みに行くと、また壮絶な嵐が襲って来ている。まあ、涼しい時でも既知外なのだから、こう暑いとそれをさらに越えて、脳内天国にでもいるつもりなのだろう。文字なしや意味不明数文字の大量投稿に混じり、下手糞なエロ小説みたいなのを山のように送り付けているので、まあこれも文章があるだけましだわなあと思いつつ、あまりの決り文句の羅列と陳腐な描写に、やっぱり自称していたような社会人や夫婦などではなく、ただの高校生あたりの童貞君なんだろうなあと結論、歌舞伎町あたりで修行をつんだほうがいいでしょう、と正直に感想入れておく。ほんとは荒らしは無視しろと管理人さんも言ってるんだが、あんまり暑っ苦しいんだ、既知外。頼むから家族の人、気が付いて救急車呼んでくれ。まあ、実社会で何かやらかす度胸はないだろうが。他の若者たち、こんな暑さでも真面目にがんばってるんだぞ。じじいは体力が落ちているので、半ばたれてしまっているが。
今日の格言。『既知外にキーボードとネット回線』。ほんとにメルアドさらして感想入れてあげたんだから、返事くらいこっちにも下さい。暑くて創作困難でも、口喧嘩ならできますよ。
おっと、これは暑さゆえの愚行と言い訳できないレベルの失敗。あのエロ文は、荒らしが別の投稿板から無断で引っ張って来たものだったそうな。まあ、感想自体は変わらないわけだが、事実確認もせずに妙な誹謗を行ってしまったのに変わりはない。管理人さんが呆れるのもごもっとも。事後の全ては管理人さんにお任せいたします。それはそうだ。管理人さんの板なんだから。アクセス制限覚悟。

7月23日 金

ハローワーク検索、今期一回目。
去年ドンキ・ホーテで購入した中国産のCDラジカセ、早くも壊れる。テープ回らず、ボリューム下げられず。やっぱり2980円は節約しすぎたか。もはや修理に持ち込む価値も見出せず、しかし枕元用に1台ないと不便なので、西友でお買い物ついでに4980円の台湾物購入。やっぱり音も操作性もいい。いちがいに扱ってはいけないだろうが、中国製はやっぱりバクチ的な所がまだある。どうも生産地域によって、労働者の意識にバラツキがあるのではないか。たとえばカメラなどにしても、都市部のほうがあきらかに仕上げがずさん。奥地のほうが生真面目。このあたりも、しっかり近代化されて来ているのかもしれない。
食事時に恒例化しつつある、ビデオ鑑賞。本日は『レイズ・ザ・タイタニック』。『タイタニック』といえばキャメロン、というようなイメージになっているが、ドラマ部分はともかく、やっぱりCGと実物大といっても張りぼてに近い質感のあの大作よりは、小型貨物船を改造して超大型ミニチュアにしてしまった本作のほうが、特撮自体は楽しめる。ストーリーの方はこちらはB級アクションなので、肩がこらなくて猛暑向き。原作者がドラマ部分の脚色に激怒したという話があるが、まあ浮くはずの無いものを浮かしている原作だから、原作通りである必要はないのではないか。だって、どう考えてもあの方法で浮くはずがない。感情的に浮いて欲しいから許す、というレベルに達していない。自分としては、『リング』に近い読後感を持ってしまった作品。ビジュアルでしか成立しないと思う。まあ、リングのほうは、最終作の『ループ』で、前二作をまとめて仮想世界でした、と落としているから、まあ理論的にはつじつまが合った訳だが、おいおい、の感はぬぐえず。
などといいつつ、自分の『おいおい』をでっち上げ続ける自分なんだが、自分が馬鹿であることは常に自覚していよう。感情命。

7月22日 木

昼頃ようやく序章脱稿。我ながら荒唐無稽の趣向なので、板の反応が不安。
その後飯を食いながら『太平洋の翼』見始めたら、ちゃんとカラーの大作のようだ。今まで見かけたスチルやジャケットがみんなモノクロだったので、本編もモノクロかと勘違いしていた。のっけからミニチュアが気持ち良く飛んでいる。
見終わって、これが大満足。『太平洋の嵐』も、真珠湾特撮は見事だが、物語はあまりに悲壮で、ただ夏木陽介さんなどの当時の俳優さんたちの端正で説得力のある顔立ちに感服しながら、最終的にはあまりに虚しく、涙すら出なかった。しかし、こっちの『翼』は、ちゃんとエンターティメントとして成立している。とはいえ歴史上全ては悲劇的に終らざるを得ないのだが、紫電改を大空に駆る第三四三航空隊、ノン特攻隊。最終的に特攻同様、大空に海に散るのはやむを得ないにしても、意識設定が違う。同じ死ぬにしても、背中に『悲壮』だけしょって死ぬのと、脳内に『己の意思』を掲げて死ぬのでは、泣け具合が全く違う。これは脚本が須崎勝弥さんである事が勝因なんだろう。テレビの青春シリーズのメインだった人だし。『これが青春だ』とか。夏木陽介、佐藤充、加山雄三の三隊長も描き分けも個性的で良かったし、三船敏郎さんってこんなに演技できたっけ、と思うような人間味。これはスクリーンで観たかった。
ちなみに、太平洋シリーズのモノクロは、かなり古い『鷲』でした。大河内傳次郎の山本五十六、これも観たいわなあ。
{序章}の修正に、板のご感想を拝見に行くと、ハッタリ全開の予告編ゆえか、なんとか好評のよう。本編はじわじわ展開の予定なので、見せ場を予告するような導入部にしてしまった訳だ。ただし、写実派の方から、差別語に対するご指摘。いや、クレームなどではありません。やばくないですか、という好意的ご心配。なんせサブキャラの属性が、『みつくち』『白子』『山窩』『血筋』。まあ本編ではそれぞれじっくり客観的解説が練りこまれる予定だが、ここではメインキャラがそれらをごく普通の旧友ととらえている訳で、まだ言い訳を練りこむのが不可能。しかし、完成後どこかに送ったりする時は、先に牽制球投げないといけないんだろうなあ。差別意識なんて、ほんとにないんですけどね。厳密な意味では、東北人みんな歴史上被差別者。

7月21日 水

長編の序章、打鍵続ける。今日も隙あらばたれようとする猛暑。連日昼頃になると、光化学スモッグ警報。
煮炊きする気力も無く、かっぱ寿司に脚を向けてしまう。豚めしはちょっと重くてパス。暑くてふらふらでも、縁側はうまい。
かっぱ寿司の隣の魔のスポット(?)に、新しいレンタルビデオ屋がオープンしていた。この物件は、自分がここに引っ越してきてから4年の間に、4回中身が変わっている。最初は新古本のチェーン店、次がディスカウント・ストア、次が仏具屋、次がゲーム・ソフトの中古とレンタル、そして今回がビデオ。つまり、こういった物件の最小契約期間で、全ての業者が匙を投げた立地。よくこんな場所に出店するものだ。事前調査とか、ちゃんとやってるのか。オープンセールで、入会金無料のレンタル半額だったので、鵜の目鷹の目で物色。どこから引っ張ってきたのか、ジャケットが変色してしまっているような古い作品も多数あり、めったにレンタルでは見かけない東宝の戦記物『太平洋の翼』発見。真珠湾メインのカラー作『太平洋の嵐』は、時々見かけるんだが、モノクロの古い大和ネタの『翼』のほうは、まず見かけない。さっそく入会、借り出し。来年までは店が続くはずなので、よく探索しておこう。
今日のところはまだ鑑賞せず、とりあえず序章だけは打ってしまおう。しかし、たれがちな精神状態で打っていると、ぜんぜん陳腐な話を深追いしているような気分になってしまう。まあ、どっちにしても完全エンタメ系なので、つまらなかったら当然受けないだろうし、その時はまた別の話を始めるしかないだろう。巷では被差別者と呼ばれる立場のキャラも登場するが、元気に活躍する予定だから、問題ないだろう。


7月20日 火

ああもう許してお願いと泣いて哀れみを乞うても、暑い。
ああ、あなた、無収入の私にどうしてこんな酷い仕打ちを、と恨んでみても、国民健康保険今月41100円なり。市民税と国民年金はまあ納得できる金額なんだが。
せめてこの暑さだけでも、お許しいただけないでしょうか。長編導入部、意味もないのに酷暑シーンにしてしまった。だって暑いのである。たれないで書こうとすると、酷暑シーンになってしまうのである。たれるよりはましだろう、と思って一個一個キーを叩くのである。

7月19日 月

しかしまあ、この3年ほどで、いったい何人の知人がこの世を去っただろう。それも皆五十代以下の、壮年であり青年であり、事故ではなく病死なのだ。知らされたのは今朝だが、先週、またほぼ同年輩の在職中の知人が死去。心筋梗塞とのこと。葬儀は昨日終ってしまったとのことで、とりあえずお参りに埼玉まで。かつての職場のひとつである、SCの近所。ということは、かつて居住していたアパートの近所でもある。
会社は違っていたが、同じSCに入っていた地元の眼鏡屋の店長で、昼飯でよくいっしょになったし、当時流行り始めていた深夜番組の怪奇体験のトークショーの存在など、教えてくれた人物。自分もその手の経験ありとのことで、こちらもその手の話が大好きだから、けっこう話が合っていた。同じ会社の人間だったら、すぐにどこかから知らせが入ったのだろうが、このところは年賀状の行き来だけだったので、葬儀に出席したもと同僚のメールから、やっと知れた次第。
まあ当人はきわめて淡白な人柄だったし、自分同様まだ独身だったので、後顧の憂いもなく、迷わず成仏してくれたとは思う。しかし、早い。なぜ同世代以下ばかりぱたぱたと去って行ってしまうのか。たとえば社内の例をとっても、はるか高年齢の幹部たちなどは、元気いっぱいなのである。脳腫瘍で半年入院しても、術後すっかり復活したりしているのである。まあ、高度経済成長期の修羅場を生き抜いて来た人たちだから、すでに淘汰されてきた猛者なのだが。とにかく我々世代は弱い。ある日突然、コロリと消えてしまう。
けして、過保護に育った世代ではないはずだ。子供時代は、多少の体調不良くらい物ともせず、空き地を駆け回っていた世代だ。これはやっぱりあの高度成長期に子供であった事が遠因なんだろう。たとえば幹部連中の世代だと、あの戦後の窮乏時に成長期を過ごす過程ですでに淘汰され、さらに高度成長期を実社会で生き抜いてきている。一方我々世代は、たとえば環境汚染やら食品添加物やらの部分では、実は最悪の時代に成長期を過ごしている理屈なのだ。学校給食にだって、現在禁止されているような防腐剤や添加物、入りまくっていたのだし、河川の水質基準なんかも、ザルに等しい時代だもの。その中で、現在の子供たちよりはずっとハードに活動していた訳だから、それなりに体質的な齟齬が生じているのではないか。
まあ、今更考えても仕方がない事ではある。彼の冥福を祈る事は、誰かが明日の自分の冥福を祈る予告みたいな物だし。
そんなこんなで図らずもかつての居住地を、炎天の下訪ねる事になったのだが、埼玉のベッドタウンゆえ、まさに今浦島の感。当時は肥料の匂いに悩まされたアパートの周囲の畑も、肥料ではなくあの精液に似た匂いに悩まされた栗林も、きれいさっぱり住宅地。自分の住んでいたアパートは、引越し直後に焼失した事は知っていたのだが。
そうそう。これも、彼との怪奇談義で披露した事がある。つくづく妙なアパートだったのだ。まず、独身者ゆえ、ついつい生ゴミのビニール袋を出し忘れて放置してしまったりすると、まあ蛆や蝿がたかるのは自然の理として、そこのアパートでは、正体不明の虫が涌く。ゴキブリでもない。強いて言えば、海岸にいるフナムシのような多脚の楕円形の虫が大量発生するのである。さらに、妙な表現だが、火事になりたがる。たとえばコタツの上の灰皿に置いておいた吸いかけの煙草など、ちょっと目を離すと、なぜかこたつ布団の上に転がってくすぶっている。お前がだらしないだけだろう、とつっこまれるかもしれないが、今まで住んだ他のアパートでは、まったくそんな事はなかったのである。あとは、妙な夢を何回も見る。夜、店を出て、栗林を抜けてアパートの前に来ると、巨大な和服の女性がアパートの向こうから上半身を乗り出し、屋根に覆い被さっている夢を、繰り返し見る。後日、手塚真監督の『妖怪天国』を観た時、ラストで巨大な女性が地球に覆い被さるビジュアルがあったが、雰囲気があまり似ているので、驚いたものだ。
まあ、何がどうであったにしろ、結局自分が転勤で群馬に引っ越した直後に、一階から出火して(自分が住んでいたのは2階だったが)アパートごと焼失、現在はごちゃごちゃした道筋そのものがすっきり新しくなり、コンビニだらけになっていたので、もう位置はつかめなかった。自分が引っ越すのを待って焼けてくれた訳だから、悪因縁でもなかったのだろう。
帰途いろいろ思うところあって、新しい短編の構想できたり、長編の細部けっこう浮かんだりしたので、明日は我が身と心得、たれていないで本格起動しよう。
ところで、帰途買い物に寄った駅前のスーパーで、またすさんだ爺さんが周囲に不快な毒舌を振りまいていたのだが、高年齢になるほどすさんでいるこの街って、なんなんだろう。以前このあたりで窓ガラスに投石していた(うちもやられた)犯人も、爺さんだったらしいし。なんだかモンティ・パイソンの老人暴走族が若者を襲うギャグ、現実化しそうで怖い今日この頃。マジこええ。体も丈夫そうだし。

7月18日 日

なんということだ。昨夜というより18日朝までかかって新聞記事ひとつでっちあげて、眠れないのでいきなりビデオで夏の007大会に逃避してしまい、例によっていつの間にか意識が途切れ、目覚めると23時ではないか。これ打ってるの、もう19日の2時半だぞ。
これは、あれですね。やっぱり、今年の暑さがいけない。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、昨日届いた国保の請求額が昨年度の収入から算出されてしまっているのも、みんな暑いからにちがいない。
しかしまあ、扇風機にあたってビール飲みながら、『ロシアより愛をこめて』『女王陛下の007』『ユア・アイズ・オンリー』『消されたライセンス』と、歴代ボンド役者の好きな作品みんな観てしまったのだから、時の流れも当然。ブロスナンも『ゴールデン・アイ』だけは評価しているんだが、さすがに気力が続かなんだ。
バニラダヌキという生物の特性が、また一つ明瞭化した。一定以上の気温になると、夏眠に入るのである。冬場は元気。夏になると、ところかまわずたれてしまうのである。それはもう、巣の中でも森の小道でも駅前のロータリーでも、ところかまわずたれてしまう。一見目を開いているように見えても、脳内は夏のリゾート地と化し、海岸でビール飲んでるつもり。国道を渡る途中でたれてしまい、北海道の道路名物キタキツネせんべい同様と化してしまっても、自己の死すら認識できず、温泉で露天風呂に入っているつもり。みんな夢の中。

7月17日 土

あれ、今日は何日だ、などと、目覚めて本気で混乱。えーと、日記によると一昨日は午前中に起きてそれから本で徹夜して、昨日は午後から夕方まで仮眠して、それから今日の朝――そうか、今日の午前中にいつのまにか眠ってしまい、目覚めるともう夜の19時30分――さっぱわやや。まあ、とりあえず旧作のけじめはつけたから、いよいよ新作を、などと考えつつ板をのぞいたりニュースのぞいたり、飯食ったり風呂に入ったりすると、これがもう18日に入ってしまっているのであった。
昼間見た夢はひどかった。また在職中のクレームの夢。夢という奴は、仮想と違って見ている間は現実だから、物によっては本気で辛いし怖い。そのかわり極楽にも本気で行ける事もあるので、曲者だわなあ。
在職中に出会った様々なクレームは、今思い起こせば、綺麗事抜きで人生勉強だったと、改めて感謝。いや、今でもあの一家の家に夜中に忍び込んで、子供から親から全員バールのような物で撲殺し、家ごと灰燼に帰してやるのが世のため人のためなのではないか、などと歯噛みしてしまうケースもあったんですよ、実際。あの子供がこれからまっとうな人間に育つのは、あの両親がいるかぎり不可能だろうし。でも、結局職業上の立場として土下座したのは自分だし、またその土下座を義務としてテナントに要求したSCが、そうした接客ポリシーによってこの不景気に業界でもめずらしい高収益を保っているのも事実。いちぬーけた。
でも、不特定多数の人間と直接関わる職業は、空想馬鹿にとってはマジに勉強。神も悪魔も一般社会の人としてきちんと存在しており、ゆえに仮想者としての自分はそれを直接描く意味はない、そんな自分なりの方向性がはっきり見えたし。
さて、いつのまにやら18日、次の馬鹿を開始しましょうか。しかしまた伏線トップ、この前考えた導入部よりはるか以前の、アメリカの地方新聞記事、なんてのをひとつでっち上げて置いたほうが、後々展開しやすそう。今夜もネット様のお世話になりましょう。
話自体は山形の山間部の高校生たちの話なんですけどね。当初は全部山形弁をしゃべらせようと思っていたが、それだと字幕が必要になってしまうので、石坂流大衆小説路線、あるいは田舎ネタエロゲー路線、つまり若者は標準語に近い架空田舎語だろうな。しかしその前に、アメリカの新聞記事。

7月16日 金

結局、寝床で『劇画狂時代』を読んでいるうちに、夜が明ける。本日はハローワーク認定日なので、今更寝る訳にもいかず、そのまま徹夜。『雪娘』いじり、しつこく続ける。時間経過の矛盾に気づき、itumoナビでルート所要時間確認修正。投稿板の御意見参考に、語句の修正なども。で、昼過ぎに帰宅したが、もう汗まみれ。重い荷物なくとも、全身濡れ鼠。今年の夏は無事に越せるか、自信がなくなって来た。幸い、日当たりの悪い4畳半は外より気温が低い。たれながら眠ってしまい、目覚めるともう夕方。
さて、また梗概なんだが、50枚の短編でも1200枚の大長編でも、やっぱり5枚程度、という表現なのですね。なんだかなあ。とりあえず書いてしまうが、郵送は来月まで待とう。この前の長編も、送った後で、誤変換1箇所、入れておけばよかった単語一つ、見つかってしまったからなあ。
で、たった四枚ちょっとの梗概に、朝方までこねこね。神経戦ですね、これは。短編に梗概なんて、意味ないだろうと真剣に思う。オチ命の過去の受賞作品の方なんかの、梗概も発表していただきたい。どんなふうに書いてたんだろう。

7月15日 木

本日はまともに10時起床。って、まともじゃないだろう。コインランドリーの合間に、風呂場の大掃除などでさわやか水浸し。昼頃、光化学スモッグ警報。まあ、いまさら気にしても仕方がないので、お買い物に。
結局買い物に出ると、本買ってしまうんだよなあ。『劇画狂時代――ヤングコミックの神話』、以前この日記でも記した、高校時代の文芸部の先輩(会った事ないですが)・岡崎英生さんの著作。ビニール包装されてしまっていたので中身は事前に見れなかったが、題材が興味のツボだし、なにより氏の単独の著作(編集者、劇画原作、フリーライターがメインの活動なので)。著者のプロフィールで改めて知ったのだが、私より干支でひとまわり以上年配の方だったんですね。その方の作の掲載された部誌が、高校時代の部室に並んでいたというのは、当時の時の流れの緩やかさを思わせて、感慨深し。もうあるはずないか。かっぱらって保存しておけば良かった(おいおい)。そうか、早大仏文に進んでらっしゃったのか。こりゃ、当時からレベルが違ってて当たり前。漫才ネタでもあったよなあ。明大の人間が早大の人間を殴ったりしたら、恐れ多くて腕が曲がっちゃうぞ、とか。殴れんわなあ。昔、恋人を略奪されてしまった相手も、早大だったからなあ。今でも早大と聞くと、シッポをたれたり振ったりしてしまう、トラウマ持ちの私。
さて、一方で、通販で頼んでおいた、いののさんとみほとこうじさんの旧作同人誌到着。文学的シリアス劇画の世界から、いきなりろりできょぬーと真性ろりに跳んでしまうところが、自分の限界――いや、可能性でもあるような気がする。いやいや、可能性に違いない。とりあえず、そうしとこう。しかし、みほとさんは、一時期ろり系メジャー(?)から特集本出版の計画があったはずだが、流れてしまったようだ。モノクロ同人誌でしか、まとまった画業が見られないのは痛い。HPはもう閉鎖されているようだが、あちこちで散見する氏の言葉から察するに、編集と喧嘩してしまったとか、面倒になってしまったとか、そんな感じか。いずれにせよ、氏と大山田満月さんのカラー・イラストに関しては、ろり系出版社が、社会的義務として後世に残しておく必要があると思うのだが(押入れに過去の掲載誌ずいぶん隠してあるが、とても網羅している訳ではないので)。
で、改稿した『雪娘』をしつこく投稿板にアップして、またちょっと疑念が生じる。何のことはない、よくある『である』と『だ』のバランス。日本語、微妙すぎだってば。

7月14日 水

結局、今日は『雪娘』の最終稿をめざして、こねこねうじうじと過ごす。追加シーンがいかにも説明的で、地になじませるため、どっちもねちょねちょと修正の繰り返し。まあなんとか形がついたな、と思って400字書式にもどしてチェックすると、51枚。応募要綱ぎりぎり。400字書式のまま最終プリントすることにして、B5用紙を引っ張り出すと、残りわずか。どうせプリント後にまた修正入れるのは見えているので、また100枚入り買ってこよう。
いつになったら始まる新作。

7月13日 火

認定用ハローワーク。これで次回認定も大丈夫だろう。しかし失業給付期間も、後半に入ってしまったなあ。
書店にて、『つげ義春の魅力』と、椎名誠さんの『くねくね文字の行方』購入。前者は勉誠出版というあまり聞いた事がない出版社の、それも3年前の出版物のようだが、二十数名の様々な方が数十の短文(研究・論考・感想・エッセイとかなんでも)を寄せているようなので、妙なつげ入れ込み本よりは楽しめそう。どなたかリアリズムの観点から論じてくれているとありがたい。シュールとリアルを同一の手法で描く、というのがつげさんの魅力だと思うので。たとえばつげさんの夢(希望じゃなくて、あの無意識の夜の夢や、白昼の幻想の事)や現実は、自分の夢や現実とは全く異質な訳だが、それを描く手法というものは、実にはまるし参考にもなる。
たとえば、私がある日買い物に出たら、近所の高層マンション群の間の空に、大きなシャボン玉がひとつ浮いていて、その中に膝を抱えた少女が眠っていたとします。もちろん夢です。さて、これを他人にわかるようにどう表現するか、それが手法ですね。自分の場合、ずいぶん昔から文章に限定されてしまうのだが、なるべくつげさんの漫画の具象に近づけるよう描写したいなあ、などと思う。この場合、手塚先生の絵柄では駄目なんですね。なぜかと問われると困ってしまうのだが。
いずれにせよ、『私がある日買い物に出たら、近所の高層マンション群の間の空に、大きなシャボン玉がひとつ浮いていて、その中に膝を抱えた少女が眠っていた』だけでは、たとえば某投稿板の多数の少年少女のレベル、つまり情報を伝えているだけであって、描写ではない。それこそ挿絵が必要になってしまう。絵柄がない。で、どういう絵柄を思い浮かべていただきたいかをくどくど表現するのが文章表現になる訳ですが、やっぱり『ねじ式』や『海辺の情景』あたりまで書き込めたら、もう思い残すことはない、そんな感じ。もちろん、自分のイメージする場面場面で、背景が消えたり効果線だけになったりはしますが、この夢で見た情景は、そこまで書き込んで初めて自分の夢になる、そんな感覚。
一方、椎名誠さん、これはなんというか、実生活そのものが自分にとってファンタジーに近い行動派だし、本来体育会系の方が文学するとどうなるか、という得難い見本になる。自分だけでは作れない、キャラクター見本そのもののような方。文体も同様。
近頃はこのあたりも路上喫煙禁止になってしまい、駅前の路地の誰にも不快をあたえないであろうと思われるあたりで一服していたら、居酒屋の壁のビールのポスターが目に入り、おねいちゃんたちの海岸でビールジョッキ抱えたある意味シュールな写真の一群に、ああ、夏なんだなあ、などと感慨。なぜか、構想中の新しい昭和レトロ長編の、導入部とラストシーンが浮かぶ。やったね。これで書き出せる。今度は浮気しないで、これだけに集中しよう。ああ、その前に、あれをまた推敲してプリントして、某所に送付しておかねば。


7月12日 月

昨夜2時ごろには着床したのだが、寝床で久しぶりにまた三浦哲郎さんの『忍ぶ川』を読んでいたら、澎湃として涙が涌き流れ、もはやとどめる術を知らず、といった精神状態になる。あああああ、美しいよう。読み返すつどに、ツボ直撃の連打。恋愛叙情小説において、川端康成の『伊豆の踊子』が中高生必須課題だとしたら、『忍ぶ川』は、大学生あるいは若き社会人の、必須課題だろう。どちらも、今時きれい事言ってんじゃねえとか、いい気になってんじゃねえとか、つっこむ人間が多いのは知っているのだが、その時点でその叙情に身を浸せるか浸せないかで、人間としての叙情の器が、かなり違ってしまうと思うのだ。
こういう至高の叙情がこの世にすでに存在する以上、自分もやっぱり寝てる場合じゃないなあ、などと起き出し、きっかけを待っていた野望第2弾、『雪娘』の50枚に増幅を開始。そのまま本日16時頃までかかって、34枚の話を、50枚まで加筆する。馬鹿には馬鹿なりの叙情があったりする。
へとへとだがいい気持ちで就寝、21時に起床。さて、また新しい1日が、なんて気分になれる訳もなく、その50枚のチェックにかかる。
長編はもう気分がすっかりできているので、きっかけを見計らってヨーイ・ドンの予定。1度始めてしまうと、またひと月やふた月は、そればっかりに生きる事になるからなあ。

7月11日 日

自民・共産はパス、というような消極的投票しかできないのが、このあたりのつまらないとこですね。投票もまた暑かった。選挙戦自体は熱くもなんともないが。
で、前言撤回、マイクロソフトIMEでも、『きどう』と入れれば『綺堂』になりますね。ただし、『おかもときどう』だと『尾かもと起動』ですが。なお、『せいはく』や『きちがい』や『さんか』などは、やっぱり書院でしか出ない。もはや個人の責任においてしか使用すべきでなく、一般文書では不可、そんな認識なのかな。まあ、現代の日本で当り障りのない文書を作成するのが、マイクロソフトの眼目なんだろう。
いままでの打鍵はやっぱり中断、昭和レトロに走る事にして、いろいろ資料収集と模索開始。石坂洋次郎さんの世界にスキャナーズみたいなのをぶっこむ、という方向性で行こうと思い、タイトルも『山の彼方に』にしたいところだが、あんまりまんまなので、とりあえず『いつか見た蝶の峪』などと仮称。資料収集の合間に藤山一郎さんの戦後間もない映画主題歌と、自分が小学校の時の、舟木一夫さんのテレビドラマ主題歌などを聞きつつ、気分を盛り上げる。今年の夏は、これで行こう。
ちなみに、こんな歌詞です。

(1) 山のかなたに あこがれて  (2) 月をかすめる 雲のよう
   旅の小鳥も 飛んで行く        古い嘆きは 消えて行く
   涙たたえた やさしの君よ       山の青草 素足で踏んで
   行こよ 緑の尾根越えて        愛の朝日に 生きようよ

(3) 赤いキャンプの 火を囲む   (4) 山の彼方に 鳴る鐘は
   花の乙女の 旅の歌          聖(キヨ)い祈りの アベ・マリア
   星が流れる 白樺こえて        強く飛べ飛べ 心の翼
   若い時代の 朝が来る         光る希望の 花乗せて

以上が、西条八十作詞、服部良一作曲、藤山一郎歌唱の昭和25年作。

(1) 若さみなぎる 眉あげて     (2) ふるいこよみに さよならを
   仰ぐわれらの あさぼらけ     告げて夜明けの 鐘が鳴る
   山の彼方に きらめく虹に     君の笑顔か 雪割草の
   君もゆけゆけ ぼくもゆく      花も谷間に ゆれて咲く

(3) すぎた昨日を 思うより
   生きるよろこび 歌おうよ
    山の彼方に ふくらむ夢に
    風もはばたく 雲もゆく

以上が、丘灯至夫作詞、山路進一作曲、舟木一夫歌唱の昭和41年作。

ところで、石坂洋次郎さんについてネットで調べていたら、『誰もセックスをしないのが、今となっては異様。それが石坂洋次郎文学の限界』などと真面目に書いている大馬鹿なページがあって、爆笑。この筆者、小説なんて論じてないで、エロゲーだけにしといたほうがいいのではないか。みんなセックスしてくれるぞ。この筆者やその周囲の人間は、とりあえずセックスが異性間の好意の表現なのかしら。ああ、そうかも。ごめん。そうだったんですね。どうぞ、止めません。失礼しました。
さて、高校生が陸王の側車付き転がしても逮捕されない時代は、何年までか。現代だと普通免許だよなあ、側輪駆動構造だから。また調査。


7月10日 土

郷里の母親関係で、自分の身分証明が必要になり、近所のコンビニで保険証と住基カードをコピーしていたら、後ろから奇声。近所に住んでいるらしい精薄者の青年が、なにやら面白がって覗きこんでいる。30前後と思われる風貌だが、時々前の道でなにか楽しげに叫んでいる様子を見ると、意識的には3歳児くらいの感じ。遊んでやる気分でもないので、コピーの様子だけ見せてあげてさよならしたが、自分もやってみたいのか店員さんに何か話しかけていた。多少のお金は持っているみたいだが、コピーする物もないのにコピーを使いたいと言われても、困るだろうなあ。
最近は彼などを見ていると、この世に輪廻転生があるとすれば、明らかに前世では自分より高次の存在だったんだろうなあ、とつくづく思う。子供の頃、郷里の奥羽本線の鉄橋の上でいつも汽車が通るたび奇声を上げていた、『汽車バカ』の事など、懐かしく思い出す。去年の今頃なら、うっとうしいからどっかに消えちまえ、などと思っていた訳で、現在の無為徒食も無意味ではないな、と実感。人間、自分ががんじがらめでもそれが外的あるいは内的どっちかだけなら、まだ他人に優しくなれるが、外的にも内的にもがんじがらめになってしまうと、他人もがんじがらめにしないと気が済まなくなり、結局キレてしまうんだろうなあ。せめて自分に対してだけは、フリーでいたいもの。
夕飯(相変わらず一日一食)で身欠き鰊(なんか豚めしとブリの次に良く食うなあ)と、冷奴と、無料のビールを楽しみつつ、岡本綺堂先生の『綺堂むかし語り』を読んでいると、晩年胃弱の綺堂は、冷や奴は好きでも食えなかったらしい。これは胃弱のためと言うより、明治の衛生上のためだったんだろう。冷や奴なんて、消化に悪い物ではないはず。その点、現代は夏場でもバイキンさんの心配はほとんどいらないものの、豆腐そのものの味なんかは、綺堂の食べていたもののほうが、絶対豊かだったはず。善し悪しだわなあ。子供の頃の、近所の小さな豆腐屋の豆腐なんか、それだけで飯が食えるだけの味があった。
この夏は昭和レトロどっぷりがいいかも、などと思ってしまい、また別の話の構想が浮上してしまい、バイクの『陸王』の側車付きの事など、ネットで調べ始める。なにやってんだろ、自分。甘えとフリーは別もんでしょ、などと自分に突っ込みつつ、銀行預金の続く限りは、あえて混同しようと思う今日この頃。
ところで、今日の日記の中で、『精薄者』と『岡本綺堂』のふたつの単語、書院IMEだとデフォルトで変換するのに、マイクロソフトIMEだと変換しないので自分で辞書登録。それぞれ別の意味で、なんだかなあ。

7月9日 金

就寝サイクルまた一巡して、早朝に目覚めたのだが、とにかくもう朝から暑くてたまらん。故郷を離れて以降アパート転々の人間なので、自分で設置でき、どんなアパートでも対応可能の窓用エアコンしか持っていないので、本気で太陽さんががんばっている間は、対抗しきれんのだ。打鍵再開する気力もなく、投稿板に読みに行ったりネットでうろうろしたりしながら、とりとめもなく浮かんでは消える――昔と違って記憶力が失われているので、本当に消えてしまうと困るため、そのつど記録してはいるのだが――突拍子も無い設定やシーンを独りで楽しみつつ、朝を過ごす。
イオからのメルマガによると、『みずのかけらORIGIN』が来月発売とのこと。システム改善や主人公以外フルボイス化はうれしいのだが、なにも最初から全年齢対象の佳作を、わざわざエロに変えなくてもなあ。たかみちさんの絵も、当然エロ部分の追加になるんだろうなあ。それはそれで嬉しい気もするが、本来エロ不要の叙情的なシナリオに、わざわざエロ入れるの、普通逆だろ、と思ってしまう。まあ、あちらも商売でやってる事だし、結局購入するのだが。でも、さすがにこの歳になると、草薙の背景とか叙情シーンとか増やしてもらったほうが、よほどありがたい。
たかみちさんの原画といえば、本来エロゲーとしてがっちり構成されていた『果てしなく青い、この空の下で』のコンシューマー版って、どんなふうに改作されたんだろうなあ。メイド巫女猫耳眼鏡を全部伝奇につっこんで、叙情もエロも絡ませて、特に破綻もないという大した作品だった訳だが。ゲーム機持ってないので、確認の手段なし。関係ないが、みほとこうじさん原画のエロゲーとか、どこかで作ってくれないか。
郵便局が開いた頃外出、例の投稿物件を送付。あとはもう成り行き任せ。
買い物の後、午後は午前中に夢想してしまった、忍者物(?)の空想が頭の中に広がるに任せる。一昔前にアメリカで流行ったニンジャ物のスケールアップみたいな話なんだが、いろいろこねくりまわしているうちに、忍者部隊月光の暗黒版、悲壮玉砕版みたいな様相を呈して来た。こうやって夢想しているだけなら、本当に楽なんだが。

7月8日 木

と、いうわけで(何がだ?)、送付用のプリントアウト完了。もういいや。この話はもう当分見たくないといった心境。結果的に、少しずつ修正の加わった3種のプリントアウトが後に残るのだが、破いてしまうのももったいないよなあ。どなたか欲しい方があればご一報下さい。HPや投稿板よりも、読みやすい事だけは確か。誤変換や漢字表記の不統一は、意識的な部分以外修正済み、かつ文章的にも補筆してあります。
で、あづうううううい。みんなあづうううういのだろうが、それにしても暑い。ドッコ沼あたりで、避暑しちまおうか。でも、少しでも長く食いつなぎたいからなあ。暑苦しい都会で蟄居しているほうが、安上がりな現代。
さて、どれを本格的に続けたらいいかもわからないまま、打鍵と模索を続けよう。そのうち、また物語の神様が、降りてくるだろう。
メインのパソコンのガリガリは、すっかり定例化。とりあえず外部HDに色々バックアップ。懐具合の都合もあるし、とりあえず限界まで働いてもらおう。

7月7日 水

ああ、いつもの投稿板から、結構人気のあったアラシさんが追放――というより、最悪の品性下劣な最後っ屁を放って、逃げて行った。結構書ける人だったんだが、結局一度も感想入れられなかった。なんとなれば、『唯我独尊』の垂れ流しばっかりだったからなあ。まあ、同じIPアドレスから色々やったり、一瞬他の方の名を騙るような状況も見られたので、いわゆる確信犯の愉快犯、つまり性格破綻者なんだろうなあ。しかし、ほんとに夫婦さんの部分もあったとすれば、奥さんも大変だわなあ。まあ、悔し紛れに嘘を残して行った可能性も高いわけだが。しかし、案外こういう方、実生活上ではおとなしかったりする。仮想無頼、ちょっと哀しいが、くれぐれもネットからはみ出さないで下さいね。ほんとにいくつかのHNのうちの二つがご夫婦であったなら、七夕の夜でもありますし、またどこかの板で、仲良くアラシを展開して下さい。『ネットは無限だわ』。でも、あの板ほど荒らしがいのある所、なかなかないかも。
猛暑の中を5キロに渡って散歩兼買い物。帰宅して入浴後体重を計ったら、冗談抜きで1.5キロも減っている。全部汗の分なのだろう。でも、子供の頃から七夕というと雨が多かったので、本日ばかりは猛暑でも晴天歓迎。琴座のベガ(織姫)さんと鷲座のアルタイル(彦星)さん、さあ、1年に1度の突撃だ。がんばってお子さんを作って、宇宙をメルヘンにして下さい。
などと夢見つつ、チェックとプリントと打鍵を続けているのだが、もはやどれが続けられそうか判らず、怖くて板に載せられない状態。

7月6日 火

自分も馬鹿で、ワードも馬鹿。自分の馬鹿は、『窺う』と『伺う』の変換ミスに気づいていなかった事。で、それを機に徹底的に漢字チェックを始めた訳だが、なんせ大量の文字数ゆえ、検索・置換をフルに使用する。ところがワードの検索という奴は、たとえば『やつ』を『奴』に統一しようとすると、『やつ』『やっ』『っや』『や、つ』『ゃ、つ』などなど、ならびにそれらの片仮名、果てはそれらの『、』が『ー』であっても、全部『やつ』として認識してしまうのですね。口語体の文、特に会話の多い作品で、それらの文字列がどれほど多いか。これを1日、それもこの暑さの中で続けていると、発狂寸前に到ります。まあ、以後の打鍵のいい勉強にはなったが。しかし、下手にあせって送付しないで、つくづく良かった。

7月5日 月

うーん。収拾がつかなくなって来た。結局またプリントアウトしながら別の打鍵続けているのだが、ライト・ホラーの導入部が2種類始まってしまい、どっちもどうも途中でまだ詰まりそうな気がする。いまいち気分が熟していない。戦争物はまあ先に送るとしても、実はまた別のファンタジーのキャラたちのほうが、こっちのみーずはあーまいぞ、などとクライマックスまで頭の中で演じ始めている。だめだこりゃ。いっぺんじっくり再考してからでないと、長編開始は無謀そう。やっぱり短編の補強・増補を先に片付けよう。これはこれで、難しくはあるんだが、すでに話は完結しているので、理屈でできる作業だからな。
などと悩乱しつつ、薬局に行ってドリンクまとめ買い。昨日からのけだるさは、ビタミンB系の不足と判断。しかし、ドリンクの値段ってのも、つくづくいいかげんだよなあ。ほぼ同一の成分にもかかわらず、リポDが10本1100円強で、エスカップが12本で700円弱。単純に、CMのコストと人気の差なんだろうなあ。まあ、もともと気分の商品だし、化粧品と同じか。もちろん私はエスカップ。
ところで、パソコンのCドライブが、今朝から奇妙な音をたて始めている。これは、しこたま嫌な予感。あーるひとつぜん、パソがとまーるのー、などとデュエットで歌ってしまう前に、やっぱり新しくしたほうがいいか。どんなに安い奴でも、現在使用中の物よりは速いはず。

7月4日 日

ああ、いかん。まだ修正点がある。でも、ここを直すとまた以降をプリントしなおしだ。まあ、いいんですけどね。紙代とインク代は、またかかってしまうが。
なぜだか、本日は体調最悪。熱がある訳ではないんだが、体の節々がだるく、買い物帰りも気息えんえん。昨日というより今朝、久々に無理をしすぎたか。
それでも気が向いて打ち始めた長編の冒頭部は、結構すんなり流れる。もっとも冒頭部のハッタリなので、打ちたいように打ってればいい。先の展開部の難儀さを思えば、楽しむのは今の内。
一方、買い物中に、ふと戦争物のほうのキャラクターが一人頭で活動開始したりして、どうすりゃいいのか思案橋。このままライト・ホラーを続けるか、死ぬ気で大風呂敷を広げ始めるか。ちょっと様子見。
とにかくだるいので、本日は早寝。

7月3日 土

もう夜中過ぎなので4日なのだが、ようやく送付用のプリントアウト終了。つまらない梗概も添付。ああ、づがれだ。さて、これ以上いじくっていてもきりがないので送付しようと思うのだが、前記の『下読みの鉄人』さんによりますと、応募要綱に記載がなくとも、原稿は綴じるのが常識、とある。そんな常識は業界だけの常識でしょ、というのが世間一般の常識だろうが、まあ、お説に従い、クリップ買ってきましょう。穴あけしくじったら、またプリントアウトだもんなあ。
さて、ぼーっとしていても仕方がないので、また本格的に打鍵を始めるわけだが――ああ、違った。短編を膨らませて、50枚に持っていくつもりだった。まあいいか。締め切りは来月末だし。次の長編をホラーのジャンルにして、来月末まで仕上げるのは、不可能か。まあ、そっちは見切り発車で、同時進行してみよう。どうせ大筋と導入部と結末は決まっていても、中間部の展開は前作と同じで、キャラクターが勝手に動くだろうし。
ううむ、でも、男泣き戦争アクションも捨てがたい。でも、あまりに難儀。気が変わったら途中で切り替えてもいいか。注文や締め切りがあって打つわけではない。風の向くまま、河原で腐敗。でも、夏はやっぱり富士の樹海が涼しくていいかも。
などと言いつつ、夏はやっぱり怪談だ、と発作的に旧作の雨月物語ネタをリライトして、掲示板にアップ。他の方のお作も読んでいたら、おお、朝の6時になってしまった。さすがに眠い。

7月2日 金

しかしまあ、これだけチェックを続けても遺漏が見つかるというのは。市販の書物で誤植を発見するたび「馬っ鹿でい」などと言っていた自分を、つくづく恥じる。
梗概はざっと書いたら1800字。応募要綱では、1200文字以内。どないせえっちゅうねん。元原はワードによると約162691文字。0.7パーセントに圧縮するわけだ。14000字の中に二転三転四転五転つっこんだ部分もあるような話をですよ。まあ、ストーリー自体も間引きするしかない。これをつきつめていくと、なるほど「色々あった」で正解なわけですね。なんとかやってみましょう。
この時期、買い物帰りが重くてたまらない。今日も風はけっこう爽やかなのに、帰宅時は汗だく。まあ、ハローワークや長崎屋が冷房をセーブしていたためでもあるんだろうが、主因はやっぱりコーヒーの1リットルパックやダイエットコーラのペットボトル。
「あらまあ、バニラさんちの奥様、お宅は日本茶党でいらしたんじゃございませんの?」「いえね、お隣の奥様、宅の主人も涼しいうちはそう申していたんでございますよ。でも、このところ妙にお暑うございましたでしょ。でも当人が好きだと言うんだからと思って、昨日の午後のお茶にも日本茶を出したら、いきなり卓袱台返しを喰らわすんでございますのよ」「あらまあ、それは剣呑」「でございましょ。あたくしも素直な性質(たち)でございますから、その卓袱台で思い切り主人の頭を張り飛ばしてやりましたの。そしたら、やっぱり暑さで体が弱っていたんでしょうねえ、今朝っから足腰が立たないで、死ぬ前に冷たいものが飲みたい、なんて贅沢をぬかすんでございますよ」「あらまあ、そんなに甘やかしてはいけませんわ。うちの主人なんか、暑い間も何も飲ませてやらなかったら、もう蛆がわいておりましてよ」「今晩あたり、いっしょに河原に捨てにまいりましょうか」「あらあ、それはよござんすわねえ」。
でも、1リットルパック100円の無糖アイスコーヒーは、安いわなあ。三つも買っちまったい。
さて、2キロ先のラオックスで、超お徳用マット紙もインクも仕入れて来たし、最後の仕上げを続けましょう。
しかしまあ、プリント中のパソコンの反応の遅いこと遅いこと。思わずデスクトップ返しを喰らわせそうになりつつ、HPの更新なども。

7月1日 木

久々に風が温風暖房ではなく、肌に心地良い。といって梗概も打たず次作の模索やら『幽』の続きを読むやら投稿板の感想入れなどで、くつろいで午後を過ごす。くつろいでいる場合じゃないだろお前、と言う天使と、いいじゃんいっしょに地獄行こうよ、と言う悪魔の掛け合いも、今日の風の中では快いBGM。
『幽』の怪談映画紹介で、1968年の大映映画『怪談・おとし穴』が紹介されている。紹介者は怪談映画専門家の山田誠二さん。愛があるなあ。この映画は日本でも珍しい現代怪談映画なので、ぜひDVDでリリースしていただきたい。まあ『リング』に始まる現在のブームのジャンルも怪談映画なんだろうが、社会の中での個人の情念の絡みあいを『はて恐ろしき執念じゃなあ』でオーソドックスかつスリリングかつおどろおどろしくやってくれるのは、あんまりないからなあ。ビジュアルもう飽きた。ちなみに『リング』は映像でこそ成立するエンタメで、原作の小説は根本的な部分をあざとくボカしてしまった(まさかあんな根本的な物理現象の理論的矛盾に気づかないほど愚かな著者とも思われないので)商売上手作品。読後、なんじゃこりゃ、とあきれて古本屋直行。展開の上手さは認めるにやぶさかではないのだが、メイン・アイデアそのものがなんの解説もなく投げ捨てとは。もっともその投げ捨て部分が、なぜか世界に受けてしまった訳だが。
しかし、子供時代の映画館の夏の怪談大会、ほんとに異世界への入り口という感じで、怖かったよなあ。今夜は円生さんの『牡丹灯籠』でも、通しで聴くか。貞水さんの『四谷怪談』がいいか。ああ、でも、久しぶりに伯龍さんの『小夜衣草紙』がエグくてブキミでシュールでいいかも。『雨夜の駕籠』のくだり、もはやシュール。
で、夜中に梗概打ち始めたのだが、つ、つまらん。自作の粗筋なんて、なんもおもろくない。昔、中学や高校の試験で、何十文字で要約せよ、なんて試験でやってたのを思い出す。清水義則さんの『国語入試試験問題必勝法』の世界。あのまことしやかな要約法の末に、「色々あった」という最強の要約に落ち着き、感性が破綻していく話。

6月30日 水

野望のチェック一通り終ったが、また送付用に全部プリントして、梗概という一番苦手な奴を付けないといけない。まあ、これはどこに送るにしろ必須のアイテムなんだが、やや疑問のシステム。粗筋がつまらなくても語りが面白い小説、そもそも粗筋の書きようのない面白い小説はいくらでもあるわけで。前述の『下読みの鉄人』さんでも色々理由が書いてあったが、結局、膨大な応募作の第一次選考はそこで済ませましょうということなんだろうなあ。応募する側としては、応募される側の好意など一切期待してはいけないわけで。実内容の2倍増しくらいのテンションにしないとまずいだろう。それ以上でやってしまっても、詐欺扱いされそうだし。
『幽』はやや期待はずれ。八雲の特集は色々新しい知識も得られたが、その他は漫画作品含めて、編集スタンスが不明瞭。実話創作語り物を明瞭に区別しない、民話収集的スタンスなのか。それはそれで鷹揚に楽しめばいいのかも知れないが、それならもっと確信犯的に楽しませてほしい。最近の『新耳袋』もそうだが、なんというか、虚実皮膜に至る手間を惜しんでいる、そんな気がしてしまうのですね。あっちやこっちの事象の羅列。
で、八雲なんですが、私、ハーンという男は、アメリカ時代の青年期は、屈折・焦燥・無頼・野望などなど、巷で語られるよりも、よほどナマでささくれ立った青年ではなかったかと推測しております。いきなりニホンシンピテキデスステキデスなどという浅薄な外人ではなかったという事は、八雲ファンなら常識でしょうが。日本文化への傾倒だって、クレオール文化どっぷり時代とか、インド等南洋嗜好の延長線上にあったわけですし。そうした孤独の旅人は、結局日本にも裏切られて孤立化してしまう。でも自分を核とする家族がそこで得られたのだから、良き旅路の果てではあったのでしょう。八雲=日本好き、なんてことはないような。失われた母なる地を求めてさまよった旅路の果てが、たまたま日本であって、それが日本にとって実にラッキーだった、そんな構図なんだろうなあ。

6月29日 火

すみません。などと自分に対して謝っている私。エアコンのカバー、ついに外してしまいました。ただたれぱんだの日を送るわけには行かない私。頭が動いてくれないと、生きてる意味がなくなってしまう。これが親の遺産でもあって、ぼーっとしててもいいんだったら、いくらでも汗まみれでたれ続けていたいところなんだが。たれてても打ってても、案外ビールの味も飯の味も、変わらないみたいだし。
野望のチェックに飽きて、板に小品(駄文ぎみ)を載せたりして、冷奴を買いに西友へ。ビールに冷奴、それに中国鰻という黄金の夏の晩餐。でも、この時期、前にも記した網焼き加熱は、本当に暑い。でも、チンより絶対美味いんだから、やるしかないんだ。
書店にて、日本初怪談専門誌『幽』などという雑誌が発刊されていたので、思わず購入。昨今の作家の執筆陣には、残念ながら期待していないのだが、小泉八雲をあえて発刊号の巻頭企画に持って来た、編集センスに期待。花輪和一・諸星大二郎・高橋葉介といった書き下ろし漫画の執筆者選択にも妙。『新耳袋』の新刊も出ていたのだが、パス。あれはもう怪談好きにとっての存在意義は、旧版の1冊目で終っているのではないか。ここんとこの数巻は、売れているから出す、といった趣。もう明らかに作り(編著者たちのか取材対象者たちのか)だらけ。オチがいらなければ、いくらでも類話なんて出せるわなあ。

6月28日 月

今日は普通の日。普通の日とは何か。掃除洗濯家賃母親関係送金等々、生活的な部分がメインであったということですね。もっとも、その間プリンターは動きっぱなし。200枚くらい紙の入るプリンターが欲しい。チェックはまだせいぜい4分の1。
洗濯物は、まだ替えの下着とか余力があったのだが、プリントアウト中はパソコンの処理速度が落ちて(古いんです)他の作業がしにくいので、その時間を利用してコイン・ランドリーへ。夏場でもあり、さすがに汚れた下着などをこれ以上(2週間以上)放置しておくと、もはや腐敗に近い状態になってしまうので。
こういう話を書くと、顔をしかめる方もいらっしゃるかも知れませんが、なんのなんの、同年代の故郷の知人に、某高校の英語の女性教師がおりまして、この方などは、箪笥を開けると汚れ物がぎっしり詰まっていて醗酵に近い状態になっており、たまに訪れた家族が本気で正気を疑うほどの猛者でした。女性でもこういう方が、ちゃんといらっしゃる。まあ、教師をやりながら、かつ本気で英文学がどうのこうのという生活だと、とうてい掃除洗濯炊事の暇など、あるわけがない。でも、この方は晩婚でしたが、旦那さんに恵まれました。旦那さんは二つ年下の営業職の方で、給料は自分ひとり食うのがやっとの、いわゆる甲斐性はあまりない方でしたが、掃除洗濯炊事が大得意な方だったんですね。割れ鍋に閉じ蓋、じゃないか、割れ鍋さんと鋳掛け屋さん、といったところ。ここ数年会ったことがないので、お子さんがどう育っているか、ちょっと気になりますね。きっと家庭的な男の子に育ってるでしょう。奥さんは死ぬまで英文学関係にしか、興味示さないかも。
ところで、トップ・ページの伝言版が、容量・機能ともにパワーアップしました。長文も返信も可です。ちょっと掲示板みたい。渡辺氏はお気づきになったようですが、他の方もご利用下さい。当方、サビシー奴ですので、悪口でも消さないで、ああ、もっと言って頂戴もっとよう、とか、喜悦に悶えると思われます。羞恥プレイですね、うふ。
ひさびさにHP、文字以外の更新。といっても、パノラマ写真を1枚追加しただけ。今日は起きてからこの日記と訪問看護さんへのお礼状の打鍵のみで、創作的打鍵はいっさいしていなかったので、ゆっくりフォトショップをいじりたい気分になったので。いやあ、くつろぐ。かつての仕事場でも、フォトショップやらラボのプリンター関係のソフトをいじるのは、大好きだったわけで。納期があるのが仕事で、納期がないのが趣味、という某プログラマーさんの言葉は、この前の小説でも使わせていただいたが、まったくだよなあ。やってること自体は、変わらないんだ。ネガとスキャナーとモニターとマウスとキーボード。
この写真の右端に写っている後姿は、実は元気な頃の母親。三脚にワイドラックスをすえてもたもたしている自分の横では、父親もうろうろしてたんだよなあ。隣のネガには、二人並んでこっち向いて写ってるし。懐かしさよりも、そぞろ無常感にとらわれる今日この頃。

6月27日 日

さて問題です。投稿者たちの必見サイトである『下読みの鉄人』によりますと、ワープロ原稿は読みやすい12ポイントで印字すべし、とある。余白はなるべく四方30ミリ以上、右は少し余分に、とある。で、応募要綱にある40×40で印字するとなると……はい、ワープロ原稿作った事のある方ならご想像の通り、とてもチェックなど不可能な文字の塊がびっしり印字されますね。自分でもチェックする気がおきないような文字の塊を、下読みの方が読む気になるはずがない。といって10.5ポイントの原稿を何百枚も読むというのは、やっぱりきついと思われます。そこで余白を調整し、応募要綱に原稿を綴じろとは記されてないので左右も大幅に広げ、なんとか読める体裁にする。で、ためしに印字すると、こりはびっくり。ルビがその行の右ではなく、隣の行の左にくっついてしまうのである。なんじゃこりゃ。で、ワードのマニュアルを引っ張っても、行間あけるしか手がなさそう。空けられないんだ。40行並べにゃあかんのだから。改めて知るワードの馬鹿。しかし、実は書院でも、ルビ打ちは面倒なんですね。ルビを独立行として、行間調整しなければならない。さて、色々試行錯誤の末、10.5ポイント以下だとなんとか行間に位置してくれるのを発見。どうもポイントを上げるごとに、該当文字とルビの間隔も、一定の割合で開いてしまうらしい。うーん、おまぬけそのものの仕様。結局、10.5ポイントのB5で組みなおし、A4に拡大印刷すると、なんとか見やすく印字できるのを発見。こんだけのことに半日がかりなんだわ、これが。
でも、なんで40行なんて書式を要求するのだろう。単に400字詰めに換算しやすいからなんてことはないよなあ。改行条件まったく変わるのだから。いっぽうで30行なんて間延びした書式を要求する募集もある。うーん、よく解りません。ほとんどの日本語ワープロのA4の書式は35とか36行で、実際それが最も読みやすいと思うのだが。案外そこらへんで、真面目に応募してくれているかを、チェックするのかも知れませんね。妙な条件でも読みやすく印字する、それもサービス精神の一部であるとか。
しかしまあ、何度推敲しても誤植が出てくる。これはほんとに、ストレス満載のお仕事。でも、プロだってゲラのチェックとか、しっかりやっているんだからなあ。
かれこれ6年前のエプソンのプリントン初号機を使っているので、印字品質に不満はないのだが、『きれい』モードだと、恐るべきトロさ。ううう、キレてしまいそう。


6月26日 土

で、次作の前に、前作をただ眠らせておく訳にもいかないので、どこかに送ってみようとネットで調べ始める。なんと言ってもSFっぽいファンタジーなので、選択肢は限られてしまう。もう客観的にどうのこうの考えてる状態の自分ではないので、とりあえずでかいところに送るだけ送ってみようと思ったら、ファンタジー大賞は締め切ったばかり。げ、SFくらいしかないのか。あとは年中受付中のNEXT……これは持ち込みと同じような感じだな。メフィストもファンタジー可か。でも、両方とも、畑違いの感強し。いいやもう、SFに送っちまえ、ということで、募集要項の書式に組みなおし始めたものの、いやはや、再チェックかねてると、当分終らないですね、これは。長い長い。でも、やらないと送れない。これは仕事だと思ってやるしかないか。思い起こせば、ウン10年前に第一次選考にも引っ掛からなかったのは、今は無きSF専門誌だったよなあ。雪辱戦というところか。まあ、相手はでかいほうが、落選しても悔しくない、という利点あり。短編ももうちょっと膨らませて50枚にすれば、ホラーが間に合うな。もう身の程なんて、どうでもいいんだ。どうせ後も先も今は見えない。ならば転がる石のように、死ぬまでロックン・ロールだぜ、イェイ。

6月25日 金

ああ、未練なのねえ、などと美空ひばりさんのようにつぶやきつつ、結局昨夜は夜明けまで『雪娘』ひねり続け、正午に起きてまだちょいひねり、板もHPも修正、印刷用の校正も。知れば知るほど、ワードは便利。でも、書院が恋しいこともしばしば。やっぱり日本語のプロセッサーってのは、昔からみんな一長一短。
板は無事だったが、容量の都合とやらで、更新中でも感想ログのでかい奴は、過去ログに放り込まれてしまったような。自分のはあの馬鹿でかいのは完結しているので構わないのだが、他の方の長期連載物の一部も過去ログ行きになってしまったようだ。あわてて過去ログから探して、ページごと保存。でないと、更新の時、感想ログが消えてしまうはず。つまり過去に自分で入れた感想が、消えてしまうはず。
午後遅くから宇宙論の本読み出すが、だめだこりゃ。すげえすげえと思うだけで、何一つ理解できんのだ。もともと文系頭だし、シナプスは歳とともにぷっつんぷっつん切れてくし、恒星系ひとつ観測不能状態からいきなり出現させるなんてのは、私の頭では不可能。でも、カミオカンデってやつは、つくづくロマンだよなあ。政府さん、予算削ったりしたら、無能の上塗りですぜ。目先だけが世界ってもんじゃないと思います。宇宙だって、素粒子の世界だって、事象の地平線のあっちがわだって、同じ世間ってもんじゃありませんかい、旦那旦那。
でも、やっぱり次作は地球上が舞台のアイデアにしましょう。
ところで『雪娘』はとっても短いので、この日記を読んで下さっている投稿板以外のお客様でまだの方がいらっしゃいましたら、ご一読いただければうれしいです。

6月24日 木

ようやくワードの使い方に慣れてきた。やはり進化を続けているソフトは、基本性能も進化しているので、特に推敲が楽。ただ、大量のデータをスクロールしている時に時々フリーズしてしまうのは、自分の環境のためなのだろうか。
さて投稿板様々という気分で、『雪娘』推敲。色々感想や指摘をいただけると、有り難涙で修正できます。他の方への感想も、まじめに入れないと。しつこく推敲して更新したら、なにかまた板の調子がおかしくなっている。また負荷がかかりすぎているのか。有料サーバーに移行して課金が発生したりしても、使わせていただきたいところ。妙な広告だらけの無料サーバーへの移行は、ちょっとかんべん。
今日のおかずはしゃけさんだい、などと機嫌よく冷蔵庫を開けたら、雪崩発生。せこい小型冷蔵庫に巨大ペットボトルなども寝かせて突っ込んであったので、どどどどど、と崩落。卵4個が被災。内2個は即死。残り2個は全身打撲で重態。しかしこの前の天麩羅といい、天は我を見離しつつあるのか、って、みんな自分が馬鹿なんだが。ええ、今回も食いますよ。しゃけさんは明日に回ってもらい、即死分はどんぶりにすくい上げて、100円カニ缶と100円タマゴにグーを投入し、贅沢に蟹玉。埃なんて平気。目に見えないダニ君だって、加熱すれば蛋白源。昔の西欧の貴族は、健康食だと思ってシラミ食ってたそうだし。生で食って病気してたらしいけど。重態分は目玉焼き。ああ、独身者に精がつくとこまるんだよなあ。ビールと冷奴もあるぞ。完璧。
栄養取りすぎ状態で、HPにも『雪娘』アップ。さて、いよいよ次作の模索。

6月23日 水

4時就寝の11時起床と、本来の自分の生活に近づく。しかし、頭はさっぱり元に戻らず、というよりこのボケ頭が本来なのかも知れないが、夕方からようやく物語が憑依し、23時近く『雪娘』脱稿。原稿用紙だと三十数枚か。一通り推敲したら、板とHPにアップしよう。ああ、でも、HPは目次ページの書き換えや追加が面倒なんだよなあ。いっそ、この日記のスペースにそのまんまテキスト乗っけてしまうとか。いいかも。この1ページに全てを闇雲に追加していけば、楽でしょうがないわけだ。誰も読んでくれないだろうけど。
さて、風呂に入ろう。昼にざるそば食ったきりなので、さすがに空腹でもある。しかし、この猛暑はいつまで続くのだろう。水道からぬるま湯しか出てこないので、そばが冷えない。風呂がすぐ沸くのは、経済的なんだが。

6月22日 火

以前在職中に使っていた鞄から、ビール券発見。送別会で同僚からもらったのを、そのまま忘れていたのだ。通勤用の鞄なんて、ずっとほったらかしだったからなあ。狂喜して数えると5000円分もある。やったね。これでしばらくは、部屋で飲むビールは無料。さっそく西友に行って、『ダイエット』の350ml缶まとめ買い。これをちまちま飲んでると、太らないんですね。ついでにダイソーで、A4の分厚いファイルも3つばかり購入。
大汗かきながら帰宅。真夏の陽気。しかし今年は「さわやかな初夏」がほとんどなく、梅雨まで怪しくなってきた。えー、気象さん、気象さん、そんなに私を苦しめたいですか。そんなに私がきらいですか。そんなにエアコンで電気代使わせたいですか。ふん。いいもん。おじさん、すねちゃうんだから。いけず。
こうなったら意地でもエアコンのカバーは真夏まで外さんぞ、と決意して、最強状態の扇風機を友に短編『雪娘』打鍵再開。じっくりリアルに導入部、一気にハッタリ展開部、そこまでは終ってるので、残りのあれよあれよとメルヘンの世界、に入る訳だが、東京、銚子の次はどこに場所を移すか。土地鑑だと蔵王が簡単なんだが、ちょっと遠いか。那須インターあたりから山に入ってもいいか。人の行かない山なんて、実はどこにでも転がってるんですよね、せまい日本でも。車で行けるとこまでしか、土地がないと思ってる方が多いようですが、登山の果てにある温泉宿(山小屋じゃなく、ちゃんとした温泉宿)なんてのも、結構存在するそうな。いっぺん行ってみたいよなあ。
7月に泊りに行くと、母親に電話。3日間くらいは泊る予定。でないと種々の雑事が終るまい。しかしまあ、また自分も発狂寸前になって帰宅することになるんだろうが、もともと母親がアルツハイマーを患ったおかげで、アルツハイマーに関する知識も得られた訳だし、自分だっていつ若年性アルツで正気を失うかわからない、それなら正気な内に死ぬとき後悔しない生活を、なんてことでかわいい450枚も仕上がったんだから、結果オーライ。絶対次の1000枚も、銀行預金の続く内にやっとかねば。でも、まだどっちのジャンルにしようか、迷ってますが。

6月21日 月

ハローワークで認定の後、銀行で公租公課振込み、さてまだ午前中なのでふらふらと欲望の導くがままに映画館へ。結局、『トロイ』を観る。えー、最初の1時間で、実は観るのをやめて帰ろうかと思ってしまいました。映画を観てこんな気分になるのは、人生で3度目。一度目は『食人族』で、二度目は『007 ダイ・アナザー・デイ』。どんな組み合わせじゃ、とつっこまれそうだが、なんといいますか、映画館に入る前に自分が期待したその物語の世界観に、真っ向から冷や水をぶっかけられるような気分だった訳ですね。予想外、ならまだいいんです。一見予想通りの外観っぽくて、実は正反対あるいはずれまくっているとしか思えない世界が展開してしまうと、それ以上見続けるのは、苦痛以外の何物でもないんだこれが。でも、記念すべき途中退場3作目には、結局ならないで済みました。これはギリシャ史劇でもなければギリシャ神話とも無縁の、古代っぽい抗争劇である、と割り切ってしまえば、まあいいじゃないか、そんな気分になった訳だ。仁義なき戦いコスチューム・プレイ版とか。そう考えてしまえば、大枚1800円分に見合う程度の娯楽作品ではある。しかしこれだけ予算かけまくって、ドラマも光景も奥行きに乏しいよなあ。パリスはなんか甘やかされて育ったやんちゃな次男坊だし、アキレスも格好はいいんだが、なんかニヒルな無頼漢が仁義切ってる感じ。まあ、天上の神様たちは単なる物言わぬ偶像、神官は木偶の棒扱いの世界だから、仕方ないか。カサンドラなんて、確かに出しようのない世界観。でも、やっぱり神様に事前にしっかり絡んでもらわんと、あんな見え見えの木馬を城内に引きずり込むってのは、ただの馬鹿だよなあ。同じ監督の『Uボート』や『アウトブレイク』は、大好きなんだが。ドイツ人らしい真面目さや律儀さが、裏目に出たか。今年の夏のドイツ監督勝負は、確信犯で馬鹿の振りをしている、エメリッヒの勝ちか。『ID4』の時には、確信犯である事に気づかなかったが、もう明白。「理屈じゃないんだ。びっくりどきどき笑い泣き全部こみの、大法螺なんだ。面白けりゃいいじゃないか。自分もみんなも楽しくて、しかもちゃんと節約してがっちり儲けてるし」そんな居直りもあそこまで行けば立派。
『雪娘』、ようやく一区切り進行。板にアップ。といっても短編なので、もう一区切りで終了予定。終ったらHPにアップ予定。

6月20日 日

しかし、このところ朝起きて夜寝る生活を続けているのだが、一種危険な精神状態。いや、世間的にはきわめて正常かと思われるのだが、新しい文章が頭の中に涌いてこない。映像とかストーリーとか台詞は浮かぶんだが。で、明け方ふと目を覚ました時など、夢や空想が文章で頭の中を流れているのがはっきり判る。ああ、これが打鍵進行中にしばしば経験した、明け方の黄金の時だったのだなあ。やっぱり逆転生活に戻るべきか。とりあえず明日はハローワークの認定日なので、朝起きなければならないが。
記憶力の減退も甚だしい。過去に自分で書いたはずのフレーズが正確に思い出せず、パソコンの中やら大昔のノートやら引っ掻き回してみたが見つからず、ふと気づいたら、とっくに大学時代の漫研の会誌で活字化されてたんですね。というより、その活字化された作品の存在を丸々失念していた。ショートと短編のオムニバスなので、駄作もあるが、リライトすればけっこう面白そうなのもある。HPに使えそう。
短編『雪娘』打鍵続けるが、苦戦。明け方2回もあれば終わりそうな短い話なのだが。

6月19日 土

そ、そうか。お若い方の多くは、ライト・ノベルとやらで育って来ているのか。などと、いまさら感心しているじじいが約1名。まさか自分がこれからそれらを読むのはちょっと難儀。でも、あれって最初から大量の挿絵で文章を補間する、いわば絵物語だよなあ。まあ、私らが子供の頃から、朝日ソノラマさんあたりが、ハード・カバーで先鞭をつけていた訳だが。ちょっと反省。もともと違う土俵のものに、知らんもんがあれこれ言ってはいかんような気がする。でも、資本主義社会の大人の手に、はまりっぱなしじゃまずいぞ、少年少女。まあ、昔ながらの文学少年少女も少数ご健在らしいので、安心なんですけどね。という訳で、自作と、気の合った作品のみ、今後は語りを限定しようと居直る自己中の私。
プリントアウトしてチェックした紙束が、3センチ厚になってしまったんだが、さてこれをどうするんだ、自分。それこそライトノベル系に持ち込もうにも、長さで論外だろうし。まあ、いいか。河原で腐るときいっしょに腐れば。さて、中途半端で放置していた短編終らせたら、もっと長いファンタジーが打ちたくなってしまっている自分。もうどこまで馬鹿を上塗りするかが、生きる目的化しているような。
さて、やっと短編の続きを始めて、場面設定は最後まで頭の中で終ったので、西友でお買い物。ねえねえお隣の奥様、今日もぶりの切り身がとってもお買い得、ってしつこいな私も。夕食後ビールに枝豆入りかまぼこみたいなのをつまみつつ『エル・アラメイン』。ひええ。こんなにシリアスな最前線物だったのか。地味だがやっぱり男泣き。イタリアらしいウエットな感性も横溢。ところで、映倫があいかわらず馬鹿なのかビデ倫がたわけなのか知らないが、あの野郎4人が海に向かって走る前半の名シーンで、ボカシが入るってのは、一体なんなのか。あの開放感はフルチンでしょう。男なら誰だって解るはず。ああ、そうか。あのボカシを入れた人は、きっとあの男たちに欲情してしまったのか。そうだったんだ。きっと映倫の人は、みんなそういう趣味なんですね。で、こんないいもの他の人には見せてあげないよ、ということなんでしょうね。うふふ。わかったわかった。って、わかってたまるか
ううむ。次の長編は、やっぱり男泣きの戦争物にしたい気も。昔から考えてる話はあるんだが、そうなると兵器おたくでも戦記おたくでもない自分が、一から資料収集しないとあかんのだよなあ。なんせ終戦直後を舞台に、それぞれ戦争のトラウマ背負って帰還してきた男ども(旧制高校時代の山仲間)が、シベリアに抑留されてしまった友人を、死期間近な婚約者に対面させるべく、進駐軍の輸送機(爆撃機かも)を強奪して救出に向かう、そんな大それた話だからなあ。この嘘八百を成立させるには、嘘400枚に真実600枚くらいは混ぜないと、自分の考えるエンタメ小説というものには成り得ないだろう。さて、どうする。やっぱりファンタジーにするか。でも、この前のもファンタジーだから、河原で腐る前には別ジャンルに挑戦がいいか。450枚書けたんだから、1000枚だって行けるかも。

6月18日 金

8時起床。よしよし。
次作どころではなかった。プリントアウト見ながら推敲すると、次から次へと訂正したい個所だらけ。とりあえずA4で220枚全部プリントし、直す算段。
プリント待ちの間、文中で引用した映画『風と共に去りぬ』のシーン記憶に自信がなくなり、再見の必要生じる。午後からまたビデオ屋に行こうと思い、まだ観ていなかった『ドクトル・ジバゴ』鑑賞。おおおおお、涙が止まらない。これはイギリスだかカナダだかの、テレビ用映画なんですね。確かに昔のデビッド・リーン監督作に比較するとはるかに地味だが、その分、雄大な景色やら壮麗な音楽やらに惑わされず、ドラマだけで、おおおおお、なんですね。しかし、同じテレビ大作といった扱いのドラマでも、一昨日の『十戒』に比べたら、脚本も演出も演技も段違い平行棒。主演のハンス・マシソンさん、映画のオマー・シャリフさんが大根に思われてしまうほどの熱演。少年少女よ、このドラマを見よ。そして自分の小ささを自覚し、広い世界にあーやだやだめんどいと嘆きながらでもいいから、旅立つんだ。つまるところ不倫ドラマなんですけどね。大人も大変なんすよ、社会ってやつがあるもんで。
昔の大作映画版も観たくなってしまったので、『風と共に去りぬ』といっしょに借りてこよう。『エル・アラメイン』はもう戻って来てるかな。
で、3作とも借りてくる。『風と共に去りぬ』は、シーン確認のみ。実はスカーレットさん、どうぞ好きに生きてください、私はどうでもいいです、という感じなんだよなあ。大昔、これと『アラビアのロレンス』の好悪をめぐって、従姉と論争したことなどを思い出す。男のロマンは女にとって身勝手で、女のロマンは男にとって身勝手なのか、などと十代の少年少女は思ったりしてたわけだ。『ドクトル・ジバゴ』リーン監督版、あっちのドラマを観た後だと、あまりにも壮大すぎて美しすぎて立派すぎて、正直、胃もたれしました。泣くに泣けないんだ。ご立派すぎて。この予算の10分の1でも、あっちのドラマに回してあげたいところ。『エル・アラメイン』は、明日以降じっくりお楽しみ予定。
いつまで続くプリントアウトのチェック。


6月17日 木

9時起床。昨夜寝たのがたしか2時頃だから、早くも昼型崩壊の兆しか。
プリントアウトし始めるも、インクも用紙も全然足りない。お出かけ前にまた板を覗き、発作的に、作品感想以外では2度目のレス入れてしまう。先日の厨房さんの発言に。いやあ、『利用者全員に謝罪して下さい』という一言が、どうしても引っ掛かったもので。中2にもなって、いくら感情的になったとしても、それはないだろう、ってことで。あなたは利用者代表でもなんでもないのよ。
2キロ先のラオックスに、徒歩でお買い物。隣接の映画館で色々迷った末、結局『トロイ』ではなく『デイ・アフター・トゥモロー』を観る。いやあ、びっくり。前半怒涛のスペクタクル見せまくり、後半人間ドラマ中心、クライマックスで両者噛み合わせ、というパニック映画のひとつのパターンに忠実なんだが、見せ方が過去の同監督作に比べて、実にうまい。素直にパニック・シーンのイメージ力に驚嘆し、親子の情愛に感動し、若い二人にハラハラどきどきで2時間あっという間。今回は『ID4』と違って、アメリカ万歳路線をちょっと崩したから、ヨーロッパで笑い者になることもないでしょう。母国にもエバって顔向けできますなあ。あ、そうか。エメリッヒ監督もペーターゼン監督も、両者タイプ正反対だがドイツ人なんだよなあ。よし、比較のためやっぱりトロイも後日観ておこう。ところでエメリッヒ監督って、ほんとにお金の使い方がうまい。ミニチュアやマットで済むところにわざわざ3DCG使ったりしないし、物理的な迫力、良く判ってますね。CGはミニチュアの味付けで使ったほうが、絶対リアル。で、どうしてもミニチュアで不可能なところは、ドーンとスケール感・質感たっぷりのCG。ところで、予告編でやってたのは、マジにアシモフの『我はロボット』? ウィル・スミスが攻殻やってるのかと思った。
さて、ここから先は、某投稿板を知ってる方でないと全く何が何やら解らない事を少々。ほんとに作者と読者というのはピピッと来るかどうかだけ、という点もあるんで、評価って難しいですね。たとえば高校生の主人公の自宅に少女ロボットの入った箱ががいきなり届く、という、どこかで聞いたような話だがけして嫌いじゃなく、ぜひ楽しませて欲しいような導入部の作品があるとします。しかし、その箱の出現に対する主人公の心理に全く同調できない、現在の環境に対する主人公の心理が非人間的というかリアリティーが感じられない、つまりどうしてもその主人公が生きているようには感じられず、ただ作者がストーリーを語るためのマリオネットにしか見えない、とまあ私が感じたとしても、他のお若い方はガシガシ食いついている訳ですね。そりゃ少女ロボットなんて、モロ私の好みのテーマであり、いっしょに食いつきたいところなんだが、肝心の主人公が生きてるように感じられなければ、ストーリーを追うこと自体が不可能な訳だ。一方、大学生の部屋に謎のどでかい甕が次々と現れる、という非常にシュールな導入部の作品があって、こちらはそれに対する主人公の心理や反応が極めて自然に描写されているため、本来私にとって無縁であるはずの糠漬けの甕が、充分物語に引っ張り込まれる興味の対象となる訳です。これならなんぼでも続きが楽しめる。で、ここで問題です。当方としては前者の作者の方にもぜひ自作の感想がいただきたいところなんだが、頼めない訳だ。第一、私みたいにその方も、私のキャラに同調できないから読めないだけなのかも知れないし。うーん。リンダ、こまっちゃう。
しかし、両親が保険金残して他界して、高校生が不自由なく一人暮らし。そりゃ、子供たちは飛びつく状況だわなあ。おいしいもの。でも、書かれている作者さんがそれを確信犯でやってるなら、ちょっとまずいわなあ。肉親が死亡する事によって生じるあの無数の社会的出来事を、この作者さんはすっ飛ばしている訳だ。勿論精神的リアクションも。両親急逝して3ヶ月であっさり復活するか、息子。まあそれが現代の子供たちにとってリアルなのだとしても、葬式や法事はどうなったの。親族がやってくれたなら、その親族はなぜ遺産問題に絡まんの。もしこの作者さん自身がまだそこまで人生経験のない方だとしたら、想像力が一方通行だわなあ。夢想力はめいっぱいありそうな方だが。まあ、そういう細部は深く追求しないでストーリーやフィーリングで勝負、という考え方もあるか。自分には不可能だわなあ。
自分の中学の時書いた馬鹿や、高校の時書いた馬鹿を、そのまんまアップしてみたくなる、今日この頃。もう異世代なのかしら。ああ、でも、同調してくれる方も少数はいらっしゃるかも。
さて、うだうだ言ってないで、次にかかろう。平均寿命の半分、とっくに過ぎちまったし。

6月16日 水

本日も6時半には起床。世間一般には健康的な生活パターンなんだろう。チェックにもいい精神状態。今日でチェックは終ってくれるか。しかしいざ新しい打鍵始めたら、またあっという間に昼夜逆転だろうな。
WinのIMEは、本当にビジネス用。書院IMEは、執筆用、といった塩梅加減。使い分けしたほうが合理的か。
午前中、チェックで一息ついたところで、投稿板へ。無論自作の更新ではなく、読みと感想のため。ついでに雑談板を覗くと、先日の騒動の奥様(?)がご帰還のご様子。いいんじゃないでしょうか。天気もいいし。ふと気になったのは、日付も時間も新しい、管理者削除のスレがあったんだが、これはスタッフさんの仕事なんだろうか。管理人さん本人だったら、立場上あっちにも一言あってしかるべき。ちょっと様子見。
昼から自転車で隣駅まで。ようやく『エル・アラメイン』のあるレンタル屋発見。ただし、貸し出し中。とりあえず会員に。免許も社員証もないので、写真入り住基カードを作ってふだんは重宝しているのだが、バイトのお姉ちゃん2名、どちらもそれをはじめて見るどころか、住基カードそのものの存在を知らなかった。写真入りだからいいんじゃない?などと相談しながら、入会させてくれたんですけどね。せっかく遠出したのだからと、リメイク版の『十戒』『ドクトル・ジバゴ』と、その間にこっそり挟んで『小さな唇』など。冗談ですけどね。どうどうと借りても別に恥ずかしくはありません。ロリでも大真面目の文芸映画。
本日の食事はとびきりそばの天ざるにしようと思い、帰りにマルエツで買い物をしたら、久々の自転車で勘が狂ったか、カゴから荷物が転げてしまった。よりによって、穴子君と烏賊ちゃんと南瓜氏が、仲良くアスファルトで日向ぼっこ。もちろん拾いましたよ。ええ。もちろん埃を払って、部屋で美味しく食べましたよ。もうお向かいのとんかつ屋の残飯だって、食いたいとこなんだ私は。腐ってさえいなければ、再加熱すればなんだって食えます。蝗食って育った田舎者ですので。アジア某所では油で揚げたゴキブリ食べるそうですけど、さすがにゴキだけは勘弁。でも百足なんかは、ポッキーみたいで食えるかも。
食後とりあえず『十戒』を観る。ベン・キングスレーにフランク・ランジェラ、クリストファー・リー、音楽はエンニオ・モリコーネ。でも、テレビドラマだったんですね。期待は大きく外されてしまった。口下手なモーゼ君の自立物語に仕立てた脚本の趣向は面白いのだが、いかんせんセットもロケもスケール小さく、ファラオが田舎の地主にしか見えない。紅海もいつの間にか割れてるし。とどめは、異教徒は涙を流し苦悩しながらでも、やっぱり殺しましょう、そんなオチ。アメリカかモーゼは。ああ、そうかも。
『小さな唇』も続けて観ると、ニュー・リマスター版などと謳ってあるぶん、旧版よりは確かに画質は良かったようだが、少女の自慰を暗喩するようなカット(勿論もともと成人女性で撮影)は、当然のように切ったり貼ったりしてました。でも少女本人が綺麗に見えるからいいや。しかし、結局、戦争で男性の機能を失ってしまった男が、最後の拠り所の少女すら少年に奪われてしまい、自殺してしまうというだけのストーリーなんだよなあ。ナボコフより酷い。ところで本編の前の、デビット・ハミルトン監督作とかいう少女映画の予告編の、映像の下劣さはなんなんだろう。少女は可愛いんだ、確かに。しかし見せ方はもはや頭の悪いエロ中年の視線だわなあ。ああはなるまい。
22時、ようやく印刷用の体裁整う。文章の細部もちょこちょこと変わってしまったが、これをまたテキストとしてHPに上げるのは、あまりに難儀。あちらは誤字訂正に留めさせていただこう。板の誤字も気になるが、いまさら更新も気が引ける。2個か3個の文字訂正のために、えらい負荷かけてもなあ。
などと言いつつまた板を覗くと、例の件にまたスレで怒っている厨房さん約1名。まあ気持ちは解るんだが、普通の判断では自称ご夫婦説がハテナであるのも事実だし、あなたの作品は残念ながらいたずら書きだし、あちこちに満点つけて回るのは逆アラシだし、もう少し大人の社会に対して好奇心と探究心を持った方がいいんじゃないかな、いきなりタイマン張らないでさ、などとあそこに書き込んだらどうなるんだろうなあ。しかし、ネットって本当に幼い対人関係しか知らない世代には危険かも。顔が見えないんで、対等と錯覚してしまうんだろうなあ。

6月15日 火

昨夜は夜半前に寝てしまったので、朝6時半には起床。大量の横書きテキストをワードで縦書き印刷用の体裁に整えつつ、結局同時に校正も開始。これはそう簡単には終るまい。
ルビの表現方法ひとつでも、テキストとワープロじゃ違うし、改行による読み易さの感じも全然違う。しかし今回の長編で、ついに20年間お付き合いしてきたシャープの書院に、別れを告げる決意。専用ワープロ時代に熟知してしまっていたので、Win95導入時もソフトを買った訳だが、その後まったく進化しないし、2000やXPでは、逆に退化してしまった。ワードはワードで不満は多い訳だが、やはり相対的には便利。しかしラ行の入力がRでもLでもできる書院入力で指が動いてしまうのには、当分悩まされそう。あれはワードでも取り入れてほしい機能。
ハローワークの後、11時前には駅ビルへ。もう行列ができていた。回転寿司屋で今日は半額なんですね。普段はかっぱ寿司よりも高くて120円だが、今日はなんと60円。10皿食ってビール飲んでも1000円でお釣がくる。なんとか20分待ちで本懐をとげ、店を出る時にはすでに3倍くらいの列。
『エルアラメイン』探しにビデオ屋めぐり。ないの。どこにもないの。だって町田のビデオ屋さんにはある訳でしょう。なんで、ねえ、教えて。ここってそんなにセコイ街なの、って、セコイ街なんですね。飲み屋や風俗っぽいのはいくらでもあるのに、パソコンショップの一軒もない街。大人が荒れてるのも当たり前。市役所の所在地のくせに、酒と女がメインの街という事ですから。まあ、ゆうきまさみさんの『鉄腕バーディー』の新刊が出ていたので、良しとしよう。
しかしアクションはやっぱり映像や漫画にはかなわんなあ、と思いつつ、やっぱりひとつの背景を断片的に話や会話に混ぜ込んで盛り上げるとか、背景そのものにたっぷり感情を語らせる、なんてのは文章じゃないと無理なんだよなあ。一長一短。
さて、外出時以外ずっと校正というか推敲し続けて、すでに17時半なんだが、まだ半分も終らない。無駄は書いたつもりがないんだが、とにかく長い。よくここまで続いたものだ。これはやっぱり少数の方でも、続きが楽しみと言ってくれる方々がいてくれたおかげ。あらためて感謝の意を強くしつつ、ひたすらチェックし続ける。

6月14日 月

いつも寝ない時間に寝ようとしても、そうは問屋が卸さず、2時間もせずに目が覚めてしまう。のんびり全体の推敲を続ける。これが終わったら何日かねかせて、最終的に完成作に持ち込もう。
で、また『バトル・ロワイヤル』バッシングに持ち込む訳ですか、良識ある方々。もういいかげん先が見えているので、あらかじめこの場を借りて絶叫させていただこう。
「だからてめーらのその首の上にくっついてる目鼻のある代物の中身はからっぽか。頭カチ割ってぬるぬるはみ出してくるのは、タラの白子か。馬鹿が。てめーらマスコミやら良識者やらが、仮想と現実いっしょくたに扱ってるから、子供にも区別が付かなくなっちまうんだよ。白痴どもが。宮崎さんちの勤の馬鹿がとち狂った時に、お前らがいっしょになって繰り広げた馬鹿騒ぎが、どんだけそん時の子供らをヤバくしちまったか、そんなこともわからんか。死ね」
……あー、すっきりした。子は親の鏡、ってことで。ちなみに、けして頭に血が昇った訳ではなく、これでもめいっぱい押さえた発言です。世界の中心にいるつもりもありません。ごく常識的な状況判断。じっくり考えても、不可だもんなあ。でも本当に不思議なんだよなあ。普通の感性持ってる人間なら、そう考えて当たり前のはずなんだが。まあ、日本は当分おかしくなる一方なんだろうなあ。声の大きい立場の人間ほど、まともな感性じゃないようなので。――ああ、でも、この罵倒は筒井康隆さんの『読者罵倒』の影響が強いか。
さて、『ブル&ライラ』推敲はとりあえずここまでにして、投稿板の修正もここまでにしよう。あとはHPのほうで気長に。
水道が塩素臭い季節になって来たので、浄水蛇口を買いにダイソーへ。ついでに入浴剤も補充。100円ショップのありがたみ痛感。他の売り場で買えば、3倍の価格。
帰りにツタヤで『エルアラメイン』探すが見当たらず、店員さんに検索してもらうと、在庫していないとのこと。おやまあ。最近はツタヤも手堅くなってしまって、メジャーばかり目立つようになって来た。後日ちょっと遠方のレンタル・ショップを当たろう。
投稿板上での最終更新済ませて、例の件が沈静化してくれたか雑談板みてみると、なんだか聞いたことのない方が、しつこく書き込んでいるなあ。管理人さん本人が何も書き込まないのを、一方的に責めてる、というより逃げてるような表現で責めている。荒らしさんか、ただのやじ馬さんなんだろうなあ。少なくとも過去ログ見てる人じゃない。あそこの管理人さんは、途中でケンカやめるタイプじゃないと思います。「ネット環境なんて、本人にその気があればどうにでもなるでしょう?」などと非常識な事まで言いきるとは。この方は残念ながら、世界の中心に行っちゃってますね。この世の中、そんな甘い世界じゃないです。yagi様などが聞いたら、泣くか怒るぞ。私のような、暇人ばかりじゃありません、世の中。

6月13日 日

12時起床。うーむ、先日の板の件は、自称ご夫婦さん引退か。正直言って、管理人さんからの鋭いツッコミに対する反応の仕方の方で、やっぱり嘘ついてたんだなあ、と判ってしまいますね。今までの自称夫さんの感想や作品の感性だと、あっさり消える方とは思えないような。まあ、単なる私の推測であって、真実は当人以外判らない、それが現実。たとえばこの自分のHPにしたところで、いっさいがっさいがこの日記ふくめて創作、という可能性だってある訳だ。いや、当然昔から正体バレてる人々には、あの馬鹿は相変わらず馬鹿だ、と判断できるでしょうが、HP開設以降の、私の素顔を知らない方々は、気をつけた方がいいよなあ。なんせバニラダヌキという生物自体、神出鬼没・正体不明・ただバニラ・エッセンスの香りだけを求めて行動するという設定(?)のキャラだし。なんにつけ、匿名のままで悪意のあるなしにかかわらず嘘をついてしまうと、その匿名(まあ筆名でも偽名でも)で行動していた自分のキャラを殺さなければいけなくなるわけで、匿名でいる時だけは嘘をつくまい、と思う私でした。本名の時なんて、人に迷惑かけない嘘はつきまくりですもん、特に在職中は。今だって完全失業中なんてことはご近所にも大家さんにも内緒だし。でも、そこは本名の世界なんだから、自分で責任持てばいいわけだ。仮想の世界でくらい、正直に暮らそうよ――あれ? 自分で打っていて、これは普通逆か、という疑問も生じたが、そこを追求すると根本的に自己否定に繋がるような気がするので、この話題は終了。
最終回は、アップ後あんまり修正入れるとみっともないし失礼なので、ちょっとまた推敲。
15時頃まで推敲、ショッピングセンターで昼食兼お買い物。長編終了記念にステーキ食ってしまう。おおお、贅沢。昼間っからビール(青リンゴのビール。ニュートン?だったか)も飲んだり。一食2800円も使ってしまった。びくびく。その後ダイエーでお買い物。日曜の夕食のお買い物ピーク。家族連れが無数にひしめいており、買い物というより買い物客観賞。このあたりは憎ったらしい子供が案外少なく、大人の方が荒れてる感じ。結局、大人が荒れてるから、子供も荒れていってしまうのか。薬局でティッシュやビックスドロップやボラギノールを買ったら、ごていねいにボラギノールだけ紙袋に入れて、ポリ袋に入れても外から見えないようにしてくれる。そんなに痔って恥ずかしいかな。痔だよ。痛いの。差別しないで。
さて、とりあえず{終章}をアップしよう。
アップしてまた誤字発見して修正しに行くと、もう『明太子』様がありがたくも最高点を入れてくれている。けっこう点の辛い方なので、楽しんで頂けたのだろう。ついでに雑談板を覗いたら、例の件で大騒ぎ。管理人さんに投稿者の方のブーイング集中か。まあ確かに管理人さんの『下手な奴は来なくていい』的な、むしろケンカしたがってるような書き方にも問題はあるんだろうが、私は嫌いじゃないし、むしろ本音っぽくて好きなタイプの青年(たぶん)ですね。文法や表記のデタラメさで読めない若書きが大半なのも事実だし。でも、問題の根源は、その管理人さんのケンカを正直に受けないで逃げてしまった投稿者夫婦(?)にあるわけで。あまり騒ぎが続くようだったら、利用者として参加せざるを得ないだろうなあ。でも、管理人さん含めてお若い世界に、作品のみならず雑談板にまで、じじいが口を挟んではまずいような気がする。
作品全体の推敲を始めて、寝る前に気になってまた雑談板を覗くと、現在ネット接続できない管理人さんに代わり、サポーターさんが謝罪兼反論、なんとか場はおさまりそう。台風一過、というところか。サポーターさんは大人ですね。管理人さんとはいい組み合わせか。

6月12日 土

結局昨日は夕方ちょっと寝るつもりで布団に入り、目が覚めるともう午前3時半。本来ほっとくと毎日7・8時間は寝ている人間なので、寝不足が溜っていたのだろう。
日本茶美味美味と呟きながら最終章のとっかかりを掴めず、投稿板の雑談板を覗くと、感想アラシさんとかそのアラシさんがなりすましの騙りらしいとか、作品投稿者の二人が同一人物かどうかとか色々ある模様。騙りは当然ただの既知外でしょうが、作者が複数のペンネーム使うのは一向かまわないのではないかと。ああ、でもご夫婦なのでIPアドレスいっしょと説明されている。まあ顔が見えない限り、確認のしようもない訳だが、作風から見て別人なんだろうなあ。どちらも私には読み続ける事ができないタイプなので、断言はできないが。しかし管理人さんもマメにチェックされているんだなあ。ご苦労様です。
作品に感想なども入れて、それからニュースを見ていると、あんまり大笑いできたので、そのままコピペしてしまおう。
『東京都立南葛飾高校の今春の入試で、本人が知らない間に別人が受験し、合格して入学手続きをしていたことが分かった。入学式も含めて一度も登校しなかったことから、担任が母親に問い合わせて、発覚した。同校は父親が知人に頼んで替え玉受験させたとみて、10日に入学許可を取り消した。学校側の説明によると、本人は1年前に中学校を卒業した女子。受験票には別の女性の顔写真が張られ、面接は写真の女性が受験し、合格した。4月7日の入学式に本人は欠席し、「父親の知人」を名乗る人物が保護者会に出席して「事情があって今は登校できない。しばらく待ってほしい」と申し出たという。学校は「不登校」として処理していたが、中間テストも受けなかったため、担任教師が6月2日に家庭訪問したところ、母親が「娘は何も知らないと言っている」と答えたことから、不正が発覚した。本人は中学校卒業後、アルバイトを続けており、母親は「子どもの将来を考えた父親が知り合いに頼んだようだ」と説明したという。都教委や学校側は父親から確認がとれていないが、父親が独断で別人を手配したとみている。都教委によると、現役生の場合は中学校の校長が願書を確認するが、既卒者は出願前にチェックを受ける仕組みはない。大平一男校長は「不登校の生徒は少なくなく、担任も本人と一度も会っていなかったため気づくのが遅れた」と話している。【奥村隆】(毎日新聞)』
まあ笑っちゃいけないのかもしれないが、これって一昔前なら、ハジけたギャグやコメディーでしか有り得ない世界だよなあ。これを現実に展開する父親、ある意味前述したオウムと同じくらい現世から乖離しており、なおかつ現世に介入してもいいと錯覚してたんだろうなあ。やっぱりもう仮想と現実の『箍』は、一般市民からも外れてしまっているようだ。
夏のアルプスを(もちろんモニター上で)眺め続け、『エーデルワイス』を聴いたりして、ああ、エーデルワイスの語源がドイツ語だったじゃん、などと思い出す。やったね、{終章}のとっかかりはこれだな、などとひとりでほくほくしつつ、打鍵再開。
さて午前1時、{終章}なんとか脱稿。1シーン22枚分、本日で一気。ひたすら眠い。推敲は明日に回して、とりあえず寝よう。ああ、また尻が少し痛い。朝から座りっぱなしなので、当然か。
などと打ちつつ、歯を磨いたり顔を洗ったりしていると、眠気が去ってしまった。HPの伝言板にyagi様の足跡。超多忙の方らしいのに、おありがとうございます。とうとう450枚を超える長編になってしまいました。打鍵開始時の目論見120枚、半分来たかな、と思った時にすでに150枚、あれよあれよと300枚、もうわけがわからずへろへろでゴール。打鍵開始が先月の26日だから、約1.5カ月か。ああ、長かった。結局推敲を夜明けまで続ける。すでに5時半。寝よう。

6月11日 金

最終章どころじゃなかった。明け方の黄金の時に、板で客観的にチェックすると、次から次へと穴を発見。キャラが言ったり思ったりするはずのない、あくまでも作者が書きたかっただけの事を、どうしても最初は書いてしまう。かててくわえて、作者の予期せぬキャラの発言等々。一度や二度の推敲では、全部は気がつけないんだよなあ。
その点、この日記は楽でいい。矛盾していようが誤謬があろうが、それは現在の自分の馬鹿の記録であって、読んでくれた方にも、別に失礼ではないと思うし。しかし、小説となると、そうは行かない。自分が造った世界でも、キャラはそれぞれその人格で生きてるわけで。ああ、しんどい。とりあえず昼までは、推敲に時間をあてよう。
昼からは掃除洗濯等の日常業務。と言いたいところだが、掃除はまた3カ月ぶりで、洗濯は2週間ぶりくらいか。これでも誰からも文句が出ないのが、独り者の特権(?)。

6月10日 木

昨日18時起床で、現在17時20分。その間、ずっと起きていたのか。さすがに眠い。打鍵は大苦戦。{13}は16時30分ごろ一応終了。最終章の一歩手前だけに、必要な情報を残す訳にはいかず、といってキャラは勝手放題。3分の1は、推敲ではなく、ほぼ打ち直し。本当に繋がっているのか、眠くて判断不能。とりあえず、寝よう。ああ、でも、HPにも上げておきたいなあ。もう少し活動続けよう。
結局掲示板の方にだけアップして、力尽きて寝てしまう。22時30分起床。板でまた誤字修正。こんな馬鹿でかいデータで負荷かけまくりで、本当に管理人さんすみません。おお、もうお二人の感想が。良かった。流れは繋がっているようだ。
風呂から上がると、もう0時過ぎ。ほんとはここからもう11日なんだが、このところの活動は、ほとんど夕方から昼までの区切りなんだよなあ。そうだ。10日の昼間は買い物にもハローワークにも行ってるはずだ。ツタヤでエルアラメイン探そうと思ったんだが、眠さとだるさで途中で引き返した記憶もある。まあ、最終章を仕上げてから、ゆっくり没頭するか。
しかしまあ、まさかここまで長くなるとは。ああそうだ、HPにもアップするんだった。人生もはや朦朧状態。
さて、飯を炊こうとすると、米がない。インスタントみそ汁もない。二日続けて麺類だったので、また麺はちょっと勘弁。昼間の買い物で、副食物は補充したのだが、肝心の主食がない。深夜のマルエツへ。ついでに好物の身欠き鰊も補充。客は例によって自分一人。24時間営業なんて、かえって人件費の無駄遣いになってるだけのケースが多いんですよね、チェーンやフランチャイズ問わず。コンビニにまかせとけば、と思っても、まあどんなところでも画一化しないと気がすまないのが日本。
資料と実用を兼ねて契約した『its-mo Navi』にはまる。地図ソフトはプロアトラスの全国版があるのだが、やはり地方の細部は粗い。『its-mo Navi』だとWeb上の動作なのでレスポンスは劣るが、とにかく日本中細かく調べられる。たとえば架空の外国の島をでっちあげる時、日本の同じような緯度の離島をモデルにする、などというときに便利だし、なによりバーチャル全国散歩に便利。
ところで、日常茶飯事なので今までここに記した事はなかったのだが、ADSL導入時、ファイヤー・ウォールをパソコンに入れた瞬間から、全世界のあらゆる土地から一日中トロイの木馬を仕掛けに来てるのが判るんだが、たとえば在職中パートさんの家のパソコン事情など聞くと、みなさん案外何も対処されてなかった。これって、実害はどの程度の物なんでしょうね。
ああ、だらだらと遊んでいるうちに夜が明けてしまった。最終章にかからねば。

6月9日 水

起床直後に日記というのもおかしな話だが、現在18時。寝たのが12時過ぎだから、離職直後のように思う存分寝ている訳でもないのだが、やっぱりなにか後ろめたさを感じてしまう小心者の自分。
ふだんなら起床してメールチェックして日本茶マグカップで2杯、このあたりでまず創作物の打鍵に入るのだが、本日は起きがけの夢見が最悪で、頭がまだ重い。なんせ、在職中の月一の店長会議の帰り道、店長仲間が次々と道筋のビルから投身してしまう夢だもんなあ。しかしなぜか一緒に歩いている社長は、けっこうハイなテンションで対応してるんですね。自分は今でもあの会社自体には、感謝の念こそあれ、不平不満はほとんどないんですが、これはあれだ。また鬱がくる前兆。
きちんと朝起きて夜寝ていると、なんというか理性や感性は動くのだが、かんじんの創作物のキャラたちが、憑依してきてくれない。したがっていきおい、いつのまにか昼夜が逆転してしまう。そうすると1週間くらいで、鬱が来そうになる。で、昼夜を戻してハローワークなどへ。4月の末から、その繰り返し。
今日寝る前は、もう昼の12時頃まで憑依されっぱなしで、少年少女はおずおずと可愛らしく、しかし勝手に舌を使い始めるやら、神父はなんだか作者も曖昧に流しておいた部分を自発的に分析仕出すやら、まあ色々と楽しめてしまった。作品のレベルは横に置いといて、きっとウルフガイの平井和正さんが完全にあっちに行ってしまったのも、現在最も愛着を抱いている高橋克彦先生が、長編ミステリー執筆中に『〇〇さん、私、犯人が判ってしまいました』と編集者に電話してきて驚愕させたという逸話も、キャラあるいは物語そのものが、憑依していたのだろう。
なんにしても、自分の物語も、大筋やシーン設定は当初の構想に近く動いてくれたものの、予想とはかなり違った色合いで終りそう。キャラが自分で物を考え出すと、こちらがどんなにメロメロの泣きや綺麗な着地を演じさせるつもりでいても、やっぱりその通りには動いてくれない。こっちはそのたびに、事後の策を繰り出さねばならない。キャラに任せっぱなしでは、あの初期の壮絶なウルフガイたちが天使になってしまったりするし。ここはやはり、高橋克彦先生路線で、エンタメの道だけは外さないようにしよう。景山民夫さんのまだ若き晩年の作なんかも、あっちに行ってしまったおかげで、エンタメになりきれなかったなあ。

6月8日 火

えーと、まだ火曜日だよなあ。昼夜逆転生活がすっかり身についてしまい、ますます社会復帰から遠ざかる今日この頃。そろそろ鬱も来がちになっているので、注意せねば。
しかしあの少女が、小学生にして殺し合い小説を書いていたというのはショック。なるほど。確かに情動の発現以前に情報が入って来てしまうのは危険か――いや、違うな。だって自分などは情報から情動を形成されて育ってきたのだから。バトル・ロワイヤルだって、そんな無神経なものではなかったはず。これは、あれなんだろう。表層的に自分にとって快やカタルシスに繋がるところしか、見えないんだろう。やっぱり教育問題だな。なんて偉そうに言っておきながら、前にも書いた自分が高校時代大学ノートに延々書き綴っていたのは、タイトルが『県立殺人高校』。あの少女も、いっそ仮想に逃げ切ればよかったのに。それも一種の悟りであると、私は思う。ただ、外部に行動として浸出したら、やっぱりまずいよな。なぜそれがまずいのかを決定的に表層化したのは、やっぱりオウムだよなあ。あれは今からでも絶対に根絶すべき。しかし、今更遅いか。表層化するのもアリ、という事をすでに提示してしまったのだから。地下鉄サリン事件が、世間の『箍』をはずしてしまったのではないか、つまりやっていいこととわるいことの境界をなくしてしまったのではないかと、小林信彦さんも書かれていたが、歴史的に見て、当たっていると思う。
別に小林信彦信者という訳ではありません。筒井康隆さんがある件で、小林さんちょっと困ったと苦笑していたりするのも、同意見です。つまりそれが自分にとって『可もなく不可もなく』なんだな。正と正がぶつかり合うことも、不正と不正がお互い正と見なしあうことも、実社会では有りなんでして、そこんところが現在の初等教育ではきれいさっぱり抜けてるんではないか、そんな気がするのです。大体、運動会で順位付けないってのは、本当なのかしら。負けた子がかわいそうだとか萎縮するからとか。それは全員が『可』であることの強制ではないのか。ちなみに私は小学校時代から大デブでした。運動会、いつもビリ。でも、だからこそ図書館貸本屋分野ではイッチバーンでありたくて、せっせと修行してたんだよなあ。まあ、現在こうやって人生に落ちこぼれてはおりますが、『箍』ははずしてないつもり。
さて、{13}の少年少女ラブシーン(あうあう)に入りましょう。くそう、まだ中学生のくせになんてわるやましい(赤塚不二夫さんの造語?)奴らだ。って、自分のキャラに嫉妬してどうする、自分。
うおおおお、作者に無断でディープ・キスなんて始めるんじゃねえよ。俺なんてこの中年になってもまだ二人しかしたことねーぞ。厨房の分際で、いつまでもくっついてんじゃねーよ。って、ほんとに正気か、自分。
でも、たとえばなんというか一過性のプロの方相手の場合、たとえ相手の無言の許可があったとしても、あれって出来ないよなあ。どんなに当たりの方でも。不思議ですね。いいやもう、私の人生、二人でベロ打ち止め。

6月7日 月

結局気が済むまでインストールの後、午前3時半頃{12}アップ、例によって推敲の嵐。
10時就寝16時起床。結構いい夢を見ていた記憶があるのだが、またセールス電話に起こされる。だからリフォームのお勧めをアパートにかけてこないでね。電話帳にはそこまで載ってないか。19時頃までかかってさらに推敲、板も修正。いつも真っ先に感想を入れてくれる『卍丸』様って、どんな生活してるのか。自作も次から次だし。他の方の更新ペースは、わかるような気がするんだが。もっとも、自分も高校時代や大学時代にネットと投稿板なんてのがあったら、夜毎更新していただろうな。
五十嵐氏のメールによると、『トロイ』はイマイチかイマニくらいのようだ。残念。でも、結局観に行くでしょう。ギリシャ・ローマ神話ネタは、どうしても観てしまうんですよね。パリスやカサンドラはどんな感じだろう。アキレス君は元気ならそれでいいと個人的に案外軽くみてしまうキャラだったり。なぜかカサンドラさんが気になって仕方のない私。あの方が幸せになってしまうとんでもないストーリーを、中学の時夢想してたり。げ、今検索したら、カサンドラはキャラ省略? ……やっぱり観るのやめようか。トロイ戦争からあの姫省略するシナリオ・センスだと、パリスが私好みに仕上がってる可能性も、まずあるまい。代わりにツタヤに行って、氏もお勧めの『エルアラメイン』観る方が正解だろう。砂漠で戦車で泣けるなら、これは理想的。
『晶』様より、真面目そのもののメール。真面目に返信。祈る御健闘。
例の事件の、被害者の父親の手記で、思わず泣く。殺すということは、そういう事なんだよね、加害者のお嬢さん。この大空に浮かんでいた、君の小さなシャボン玉の中がどんな苦しみで満ちていたとしても、他のシャボン玉に突撃して割ってしまっていいのかどうか、もうちょっと待ってみて欲しかった。大空の中から、二つも小さなシャボン玉が消えてしまった。君がまた作ったり増やしたりするシャボン玉が、少しでも大きくてキラキラしてるといいね。もうシャボン玉を作らないという選択肢は、君には許されないと思うし。
ああ、そうか。このシャボン玉というイメージは、北杜夫さんの短編から浮かんだのだな。たしか自分の入っているシャボン玉が小さいと嘆いている精神薄弱者さんの話だったか。北さんもすっかり老人ボケっぽくなってしまったが、一見おどけているように見えても、みごとな大人の純文学者だったなあ。他の方の劇的な山岳小説なんかも大好きだが、それは自分にとってファンタジーだからであって、北さんの『白きたおやかな峰』のような劇的表現を押えた大人の視線は、何よりも得難い。実社会の市民がヒマラヤに登るということの意味。シャボン玉を少しでも大きくするためには、やっぱりそっちも子供の頃から教えないとなあ。
ラジオで、呉智英さんが『論語』について語っていた。「可もなく不可もなく」という表現は、平凡やありきたりという意味ではなく、可とか不可とかをいきなり二分的に即断しないで、臨機応変に物事に対処して行くことを表現しているのだそうだ。おお、またひとつ利口になった。つまり可と不可の間をうろうろしててもいいんだよな。故事成語の「井の中の蛙大海を知らず」に、「天の高さを知る」という後付けがあるのを知った時以来の感激。後者はこの前大河ドラマで広まったようだが、「可もなく不可もなく」の真意も、大々的に普及させたい理念だわなあ。
さて、独り言ばかり打ってないで、{13}にかかろう。まあ、今のところ、すべては独り言に近いのかもしれないが、あちらには感想入れてくれる方もいる。
と、その気になったところで、いきなり深夜の二階の窓から、女性のうめき声が聞こえ始める。おお、私もついにあっちからのお呼びが、などと不気味な感動に震えていると、すみません。やっぱりつまらないオチ。蒸し蒸しするのでサッシが開けっ放しで、といって隣は目前が他家だから内戸の障子が半分閉めてある、そんな状態なので、障子に風が当たるたび、妙な音をたてているのでした。しかしこれは、みごとに女性のうめき声だよなあ。これが旅先の旅館だったりしたら――まあ、こんなふうにして、日々怪談は増えていくのかも。いや、いわゆる霊魂の世界は実は信じているのだが、あんまり金儲け目的の自称霊能者が馬鹿話を垂れ流すので、近ごろ閉口。稲川さんなどはもはや民話の語りの世界なので、大好きですが。

6月6日 日

19時、{12}ようやく終了。やっとあのスピード狙いの頭から、完全に切り替わってくれたようだ。鬱防止のため、ニュース等はいっさい見ず。我が身可愛やほーやれほ。まあ、いつ寝ていつ起きたのか現在思い出せないくらいなので、頭はあっちに行ってしまっていた訳なのだが。でも、何を食ったかは覚えている。100円シューマイとモヤシ卵入り袋ラーメンと、トマト2個。よしよし、栄養は充分。
風呂に入って、板とHPにアップして、ちょっとパソコンをいじらねば。しかしAとC以外のドライブ名が、ちょっと接続いじるだけでころころ変ってしまうのは、なんとかならないものか。昔からのSCSI ドライブをいくつも引き継いで使ってるので、そっちにインストールしてしまったソフトの一部が、立ち上がらないのだ。ドライブ名を思い通りに入れ替えるのは、ハードウエア削除して物理的にもバラしてまた一個一個追加してゆくとかで可能なのかも知れないが。でもいちいち最起動なんぞしてるより、ソフトをインストールし直した方が早いか。
などと言いつつ、風呂から上がったら突然岸田森さんの吸血鬼姿がどうしても観たくなり、『血を吸う薔薇』を観て、さらに『怪奇大作戦』まで二話続けて観てしまう。『狂鬼人間』と、『二十四年目の復讐』。ああ、岸田さん、萌え。実生活では蝶のコレクターだったそうで、夜間蝶の羽化シーンを撮影中、スタッフの目の前で、羽化したばかりの蝶が岸田さんの手に止まりに行ったという、有名な話があるが、そんな現場をその場で観られたら、ううん、もう、好きにして頂戴、という気分だろうなあ。
『狂鬼人間』、はい、伝説化しちゃってますね。「既知外が野放しになってるような社会には問題がある」という意味の科白がある、というよりそれが作品のテーマであるという理由で、封印されてしまった第24話。で、現在、きちんと社会では、既知外が野放しになっております。すばらしい。良かった良かった。既知外も一人の立派な人間なので、みんなで仲良くいやな目にあったり殺されたりしましょう。それが人類皆平等。ちなみに、子供の頃純粋な精神病者と同居していた自分としては、得難い体験ではありましたが、やっぱり早めに病院に行って貰った方が、当人にとっても痛い思いをせずに済んで、良かったと思います。また、中途半端な治療で退院したりしないで、良かったと思います。現在きちんと退院して、生活保護を受けながら、静かに老後を送っております。
『二十四年目の復讐』、あの「おねーちゃーん」というせつない叫びを、子役の声などではなく岸田さん自身に言わせた鈴木監督は偉い。ここで失笑するか泣きそうになるかで、あなたの感性が問われる! などとびしりと指さしたおっさんの指の先には、ただたれぱんだがぐったりとたれているばかりであった、まる、と。まあ、一般的感性ではなく、岸田さん萌えの感性でしょうけど。


6月5日 土

夜明けの黄金の時ようやく訪れ、{12}の2シーン目ほぼ終了。夜明けどころか、昼の12時まで起きていた。17時頃まで眠り、2シーン目にけりを付けて、また自炊めんどうになり、こんどはまたかっぱ寿司へ。しかし、今日は土曜であることを、ころりと失念していた。時あたかも21時30分。外食産業のピーク。ありとあらゆる安い店は「たいへんお待ちください。帰ってくれてもいいです」状態。ホカ弁のステーキ弁当を奢って済ませる。自分の状況から見て海苔弁だろう、と天使は囁くのだが、昨日袋ラーメンだったんだからいいじゃん、という悪魔の囁きに負ける。まあ、人間いつ死ぬか判らないのだから、今夜『ああ、やっぱりステーキ弁当食っときゃ良かった』と悔やみながら脳梗塞で死んでしまい、ホカ弁屋に化けて出たりしてもみっともない、などと自分に言い訳。じゃあ明日はどうするんだと言われれば、やっぱり財布の中身を考えて、とびきりそばあたりで済ませる訳ですね。小心。
またあの事件関係のニュースを見ていて、どこかの教師関係の一文にまた呆れ返る。
『事件翌日の2日朝、千葉県の公立小学校。6年生の教室で、50代の女性教師が事件を報じた新聞を開いた。驚きや悲しみが広がる中、何の感情も見せない児童がいた。「事件が多すぎて無感覚になっているのか」。ショックを覚えた。』
――なんの感情も見せない生徒がいるのは、当たり前。そんな馬鹿な事件になんて、拘わってらんねーよ、というのは、薄情ではあるかも知れないが、現実的反応。事件に関わっていながら何の感情も見せなかったら異常ですけど、普通の子だったら、現実遊離でもなんでもないと思います。ただし、その生徒がなぜ反応しなかったのかを冷静に把握するのがプロの教師の仕事。全員同じように驚いたり悲しんだりしなければならぬ、と嘆くのは、ただの日〇組。だからどんどん同じような事件が拡散するんですよ、いや、ほんとに。
などと偉そうに打鍵しつつ、オンボードのグラフィックだと、動画がまともに動かないのに気づいて、困っている私。DVDも、五十嵐氏のCGアニメなども、みごとにコマ落ち。やっぱりグラボが必要。といって、また4年で逝かれてしまうくらいなら、本体ごと一番安い物でもいいから、買ってしまったほうがいいか。CDドライブも、時々読まなくなるし。
結局深夜3時までかかって、旧パソコンからグラボを移動。PCIカードスロットをいじってしまったため、ドライブ構成が変ってしまい、ショートカット使えなくなるやらなにやら。しかし換装するたび色調も明るさもコントラストも、ワープロの文字の見え具合さえも、ころころ変化する。デジタルにおける色の扱いの難しさ実感。

6月4日 金

夜明けの黄金の時は残念ながら出現せず。とにかく映像のみ最後まで想像していると、結局10時就寝17時起床。
『河村文科相は「パソコンゲームなどを見てもリセットボタン一つ押せば元に返る社会。こういう影響をもろに受けている」と事件の背景を指摘。「(この影響を)防ぐには、もっと深いところで命の大事さを心に刻まないといけない。そういうものに引きずられない教育を目指す必要がある」と語った。(西日本新聞)』
……だめだろうなあ、これじゃなあ。とにかく子供大人問わず、匿名や覆面だとなんでもありの時代になってるから、顔を合わせてもそんな物言いのままいがみあうパターンが多いのではないか。学校や教育委員会に、またずいぶん中傷や暴言が届いているそうだし。そうした自分の行動パターンそのものが病理であることを気づかない限り、同じ悲劇は続いてしまうのだろうなあ。すぐにリセット感覚やら命の大事さやら定形句でくくろうとする大人ばっかりだし。生命の価値なんて、いくら教条的に教えても無駄。相対的なもので、等価でもなんでもないんだから。とにかく子供に人間皆平等だの暴力は絶対いけないだのしつこく狂信的に教えるの、もうやめようよ。実社会がそうじゃないのだから。自分の嫌いな人間や気に障る人間に、何やってもかまわんと社会現象が明言しているのだから。差別の仕方差別のされ方、暴力のふるい方ふるわれ方――それが社会的な学習というものでは。ベースはもう想像力しかないでしょう。とりあえず、何を言うのにもまずきっちり名乗ってからにしましょう。匿名のクレームって、ほんとこまっちゃうんですよ、お客さん。堂々と名乗ってくる既知外のお客さんも困るけど(世界の中心で叫んだりする人)。
で、こんどはまた番組自粛か。また同じことの繰り返しか。違う違う。もう現実で人の首カッターナイフで切るのがいやになるくらい、センセーショナルに血みどろ絵を繰り広げるの。あるいは人の首カッターナイフで切るのが馬鹿馬鹿しくて恥ずかしいくらい、思いきりナンセンスに笑い飛ばすの。そして一身に批判を集めながら居直るの。それが古来正当な芸能者の姿でしょう。芸能と報道いっしょにしてるマスコミも、その二つをいっしょにしている視聴者も、みんな殺した少女や殺された少女と同じ錯覚の渦中。
夜半、いきなりモニターの画面が、フラダンスを踊り始める。ドライバ入れ直しても踊っているし、結線ゆるんだ訳ではないし、古いパソコンに切り替えると正常に表示したので、メインのパソコンのグラフィックボードがいかれたと判断。本体は在職中会社ルートで仕入れたHPのビジネス用のWin2000マシンなのだが、フォトショップでどでかいデータを扱うため、メモリーとグラボは追加していた。貧乏人ゆえメモリーはノーブランド、グラボは玄人志向の安い奴。本来オンチップのグラフィックで動いていたので、追加直後は感涙物だったのだが、今回いかれたグラボを引っこ抜いてオンチップに戻して見たら、これがまた感涙物のクリアー画像。ということは、このところずっと劣化した画像で使用していたのか。少しずつ劣化していたのに、まったく気がつかなかったということか。うーん、教訓的出来事。このところ生意気こいてた自分への戒めか。当分オンチップで頭を冷やそう。どうせフォトショップも本稼働の予定はないし。
自作でまた詰まって、板に逃避。しかし、好きな感受性の方々にマイナスポイント付けて回っている『楽人』って何者? 『明太子』さんは大人に受け流していたようだが、新人『村越』さんは、ちょっと戸惑っているのかムカっとしているのか。気にしないでくださいね。ただの既知外ですから。その証拠に、情緒的な部分や具体的描写にはいっさい触れず、判ったような一言を無責任に投げてるだけ。この点に関しては、いくらでも生意気こかしていただこう。
たとえあなたが自分をどんなに大きな人だと思っていても、誰かから見れば、きっとちっぽけでつまらない人。一生懸命物を考えてる人間に、具体的意見を通して批評するならまだしも、幼児的独断の一言で評価したような気になってる評論家は、ただの馬鹿。というより、自分の気に入らない作品が好評価を受けていると、マイナス入れないと気のすまない人なのか。この方には、本当に自分の作品に何か言ってもらいたい。長編読むほど読書力はあるはずないから、無理か。ちょっと一言言ってやらないと、まずいのではないか。黙考。
結局、『村越』さんに、励ましの再ポイント。読者として。読者は何言ってもいいよね。読んでるんだから。
ついでに自分の作品とカブるテーマらしいのが投稿されていたので、期待して読んでみたら……残念、小説ではなく、粗筋と台詞だけだった。

6月3日 木

18時ちょっと前まで、昏々と眠る。寝過ぎると起床後だるかったり怒りっぽかったりすることが多いのだが、今日は良好な目覚め。天候の好ましさと、山場を抜けてストレスが緩和したおかげなんだろう。
例の少女の事件は、またテレビドラマの関連問題になっているようだ。人間が模倣によって成長していく以上、避けられないことなんだろうか。ただ悲しい。模倣すべき仮想は、まだ無限に存在していたというのに。
昔からおんなじことの繰り返しなんだよなあ。テレビであるにしろ映画であるにしろ、本であるにしろ太古の民間伝承であるにしろ。昔教育実習やってた時、テレビドラマで中学生の不良グループが、他校の校門から殴り込みをかけるというシーンを放映したとたんに、実際の他校の馬鹿がそっくりそのまま突入を試みたことなど、思い出す。
自分は本当に恵まれていたのだな、と、時代と親に感謝する。仮想の初期はゴジラ、アトム、そしてウルトラQやヤンソンやリンドグレーンであった訳だし、小学校高学年には父親に買ってもらった世界名作全集(ルビは振ってあるが、極力子供をなめた妙な抄訳なんかは避けている、岩波のやつ)、父の蔵書だった乱歩・正史・ウーリッチ、自分で買った木本正次・秋山正美、それからブラム・ストーカーやくまのパディントン。およそ雑多なジャンルを節操なく摂取し続けられたものなあ。少女漫画少年漫画もかたっぱしから回し読みしてたし。中学に入って、ブラッドベリ等の創元文庫や、とどめのアニメ攻撃――高畑・宮崎・大塚・小田部・森。そして当時は『ゆとり教育』なんて馬鹿な平均化教育は誰も言っていなかったから、国語教科書や副読本経由で、北杜夫・鏡花・星・その他の古典。高校に入れば、今度は県立図書館が通学路にあったので、岡本綺堂からつげ義春まで、無料の仮想世界はなんぼでも。その間普通の子供なみにテレビ大好き人間でもあったし、映画はテレビ放映も含め年間100本以上(含むホモのおっさんの手を振り払いながら観る東西エロ映画)。――本当に、なんて幸福な日々だったんだろう。人並みに反抗期で家出未遂くらいはやったが、刺したり切ったり殺したりする暇なんて、全然なかった訳だ。
しかし、人が情動において殺し殺されるという構図の虚しさと悲しみを最初に味わったのは、なんと言ってもアイリッシュ(ウーリッチ)の『黒衣の花嫁』であり、笹沢左保の『霧に溶ける』。あれらを11歳や12歳の自分に与えてくれた(父の本棚からこっそり持ち出したんだが)環境に、心より感謝。
しかし、ここを読んでくれているたぶんごく少数の方のうちで、『黒衣の花嫁』と『霧に溶ける』を未読の方がいらっしゃったら、乞うご一読。特に『霧に溶ける』は、当時まだ紅顔の青年だった笹沢左保氏入魂の叙情サスペンス兼本格推理で、当時の三丁目の夕陽時代の裏側にあった飢餓感と歪みを清張なみにモチーフにしながら、実際の展開は哀愁に満ちた情動のからみあいであり、かつトリック満載でそれが情動に違和感なく融合しているという、希代の名作です。なんでか最近まで埋もれていたみたいですが、4・5年前光文社の推理文庫にやっと復活したので、入手可能。走れ書店へ。長編でも分厚くないので、お忙しい方にもおすすめ。ただし、ミスコンが美貌の女性にとって名実ともに社会の頂点に躍り出るための手段となった、当時の戦後色の残る時代背景を実感(あるいは想像)できる方でないと、堪能は難しいかも。それでしばらく入手不能だったのか。当時がいまや懐かしい歴史の一部として認識されつつあるので、復刊されたのかも。
結局自炊が面倒になり、松屋へ。何回も書いてしまうが、貧乏人の外食に限っては、本当にいい時代だ。山場乗り越え記念にビールと牛焼き肉定食大盛りと、おまけに豚皿まで追加してしまっても、1500円に満たない。そして、一日一食も快適だ。何を食っても旨いし、たらふく食っても体重が増えない。
食いながら昨日買った小林信彦さんのエッセイを読んでいて、突然、頭をぶんなぐられるようなショックを受ける。別に内容が衝撃的だったのではない。大人の達観した日常だ。ただ、その一節を読んで、自分が子供の頃から学生時代まで、世界の中心、という言葉を嫌悪していたことを、思い出してしまったのだ。なぜあの愛を叫んだりする小説や映画を、読んだり観たりする気が起きないかも判ったし、なぜ子供たちやアラシさんたちがキレるのかも、納得できた。これはきっと、高校時代口論して喧嘩になりそうになった、あの日〇組かぶれの高校教師が言っていたような、愚劣な平等意識や平和感覚やら平均化意識が、たぶん現在の子供たちを、実際に取り巻いてしまっているのだろう。平等という理想論に激高していたあの教師の目付きは、まさにその理想論を唱える自分が世界の中心にいると語っていたし、その前の自分は、閉口しながら、失われた地平線の、シャングリラの理念などを思い浮かべていたはずだ。たとえあなたが自分をどんなに大きな人だと思っていても、誰かから見れば、きっとちっぽけでつまらない人。たとえあなたが自分をどんなに小さくてみじめだと思っていても、誰かから見れば、きっと大きくてすばらしいひと。世界は丸い。
あわてて帰宅し、現在の作品をまたチェック。20年の実社会生活で、もっともらしい詭弁は身につけたかもしれないが、摩耗した精神で呼び起こしたキャラたちは、妙な錯覚に捕らわれてはいないか。だとしたらごみ箱直行だ。
で、なんとか安心。猪突猛進のきらいはあるが、なんとか他者との連環の中で活動している。一人徹底的に自己中の俗物として揶揄したキャラもいるが、結局ヨゼフ爺さんに手玉に取られて、愛すべき悪人に堕ちている。良かった良かった。
少年少女さんたち、愛をさけぶときも、人を殺す時も、絶対に世界の中心に行ってはいけない。そんなものは、どこにもありゃしない。地球は丸いし、事象はメビウスの輪か、クラインの壷。シュレディンガーの猫を、なんだか自己中的に感覚してしまう人もいるようだが、あれはただの確率論。
自分の続きはまた夜明け待ちで、投稿板へ。その後、ROMとして雑談板へ。しかしまあ皆さん若くて元気でタッパもあって体も動いて、俺ほんとにこんなとこに紛れこんでていいのか、という気分。どこかにおっさんオタ専用小説板なんてのはないのか。しかもデブ専とか。

6月2日 水

結局頭が冴えてしまって、いやちがう、呆けたままだが眠りそびれて、10時頃就寝。14時半頃起床。日本茶を飲みながら、まずはパソコンの立ち上げ。もはや依存症。真っ先に昨日のニュースの続きをチェックして、なにやらHPの書き込みがらみの激情による行動らしいと知る。ううう。投稿板の雑談板に時々出現するキレ的書き込みや、小説自体の感想などにもまれに見られる、発作的な悪意、捨てぜりふなどを思い出す。お互い顔を合わせないまま瞬間的に反応できてしまう、という、よくあるネットの落とし穴が生んだ悲劇か。
現在打鍵中の拙作は、あえてネット終焉後を設定して、その代わりに宗教が世界をゆるやかに繋いでいる、そんな社会を匂わせている。SF的な未来に、世界名作劇場のペースを持ち込むには、それしか無かった訳だが。全ての事象はけして目前の短絡的な物ではなく、繊細でとんでもなく大きい織物が形造っている、メビウスの輪の一部なのだ。それをネット上で悟ることも大人には可能なのだが、子供、そして精神的な子供には、難しいのだろうな。
などと言いつつ、おっかなびっくり、その板へ。一転して酷評、なんてことになってるのではないかと心配だったが、いつも真っ先に感想入れてくれる『卍丸』様は、お気に召してくれたようだ。あとは他の文章そのものにもかなりこだわる方々が、どう反応してくれるか。あらためて自分でも目を通して、なぜこの1週間ストレスの連続だったか、つくづく理解。アクションをスピード感を維持して描写する(しようとする程度だが)のが、生まれて初めてだったからなんだよなあ。ううう、ほんとにこれはちゃんと書けてるのか。噴飯物ではないのか。
ああ、もう16時になろうとしている。続きはまたのほほんワールドにもどる予定なので、陽のあるうちに、散歩兼買い物に行ってこよう。
結局2時間散歩。途中の本屋で小林信彦さんのエッセイの文庫新刊購入。よしよし。
散歩中に、現在打鍵中の話のBGMが、リリーズよりも映画『太陽にかける橋』のサントラのほうが合うかなあ、などと着想、帰宅後大昔のアナログLP引っ張り出し、本編の続きも書かずにMP3化開始。たまには息抜きも必要、って、息抜きの合間に人生やってる私。
投稿板に、また読みに行く。『明太子』様の気持ちのいい連載に、またアラシが捨てぜりふとマイナス・ポイントを入れている。私的には、以前雑談板で総スカン食らってなりをひそめた人間が、感想部だとIP表示されないのをいいことに、またアラシを開始したのではないかと推測。下手に刺激するとまたつけあがって、作者に迷惑をおかけしてもいけないので、無視するしかないのが歯痒い。既知外は病院へ、とだけ、ここに書いとこう。もし推測が違っていたとしても、単に自分の感性に合わないというだけで、文章力も描写力も無視してマイナス・ポイント入れるような『書かない人』は、やっぱり既知外なので病院に行った方が良。
自分の作品も、しつこくチェック。いつもの方々もなんとか楽しんでくれたようだ。泣きの寸止めくらいに盛り上がってくれたようなので、おおむね狙ったところに当たったか。自分のところにもアラシさん来てくれないかと期待していたのだが、新しい方がおひとり増えて、楽しんでいただけたようだ。アラシさんもこないかな。挑発してHPまで引きずりこんで、楽しませてあげるのに。
さて、山場も越えたし、あとは反動でもうみんな桃色ハッピーの予定。そのためのこじつけは、みんなここまでで用意したはず。強引でもいいんだ。ハッピーならば。プロのミステリー作家だって『偶然です。恐ろしい偶然です』やら『それはたまたまのチャンスだったのだが』とかで、完全犯罪(?)でっちあげて、それを探偵や刑事に解決させているのだから。
{12}の導入部の打鍵を始めると、自分本来の情動垂れ流しだったためか、頭がクール・ダウンして、ここまで全体を俯瞰出来そうな精神状態になる。あわてて板に行き、それを見ながら、ワープロのデータを修正加筆。ずっと気にかかっていた、{7}のシナリオっぽい会話の羅列にも、ようやく潤いを補填。ここまでの全体も、ちょこちょことまた修正。しかし、このままだと400枚を越えて、500枚に近づいてしまうのではないか。同じようなキャラをわずか80枚で動かしていた学生時代の自分の部屋に戻って、よしよしと頭を撫でてやって油断させておいて、それから思いきり蹴りを入れてやりたい気分。でも、あの頃の情動自体が、変った訳ではないんだよなあ。蹴りはやめて、電気アンマくらいで勘弁してやろう。などと馬鹿を夢想していると、また朝の10時。寝よう。


6月1日 火

結局朝10時頃まで、悶々とし続ける。車のシーンはなんとか過ぎたものの、今度は少年とロボットの主観にもどれない。本当に齢をとってしまったんだなあ。
起きたのは午後3時。けっこう爽やかに目覚めたので外を見ると、2日続いたうっとうしい天気が嘘のように、雨上がりっぽい涼しげな晴天。やったね、おっさん、などととたんに生気を取り戻し、食料補給に外出。お向かいのトンカツ屋の裏の生ゴミがなんだか美味そうだったが、それは銀行預金が尽きてからのお楽しみということで、西友へ。
途中の道も爽やかそのもので、リードを外されて上機嫌に駆けてくる子犬、「いやあ、この2日はほんと寝苦しくてまいったよなあ、おっさん」などと目が語っているデブ猫2匹などなど。
思わずイルカさんの昔の歌を、頭の中で歌ってしまいました。いーつーもーこんな日ーだったらーいいーのーになー。
これでやっと永遠の少年(ロボット君)に変身できるか。お天気即精神ってことで。それとも飯を食ったらまた眠くなってしまうのか。それもまた良しとしよう。だってとってもいいお天気なんですもの。うふ。って、ここんとこの自分は、ほんとに正気か。
帰宅してネットでニュース閲覧。一転して、意気消沈。なぜ殺す。なぜ死ぬ。君たちは今の日本に生きていられることの幸せと不幸を、なぜそんな幼いうちに結論しようとする。殺すべき相手と死ぬべき時を、なぜ時間をかけて模索しようとしない。それとも首をカッターで切ると失血死することや、高所から落下するとすさまじくみじめな姿になるということを、誰も教えてくれないだけなのか。……そうかも知れないよなあ。とりあえず私は、私が子供の頃、布団を自分の血でぐっしょり濡らして、人間は首を切ると死ぬかもしれないという現実を教えてくれた〇〇に、今は心からありがとうと言おう。しかしあれは未遂に終わって良かった良かった。純文学の才能でもあったら、あの頃のことは、ぜひ一度書いてみたいよなあ。
午前3時、{11}とりあえず脱稿。へとへと。まだ後半の書き込みが足らないような気もするが、スピード感優先の章でもあるし、とりあえず板とHPにアップ。その板の読み易い表示で推敲続けようと思ったが、気力続かず、他の方の作品で骨休め。明日以降、クール・ダウンしてから、じっくりまたチェックしよう。読者の方の意見も、参考にしたいし。しかし、本当に面白いのか、もはや自分では判らなくなって来た。キャラの暴走が、空転してなければいいが。
などと言いつつ、布団に入ってまもなく、フレーズひとつまるまる書き忘れているのに気づき、修正に直行。ああ、この時間だと、さすがにまだ誰も読んでくれていないようだ。慌ててその板の場で、直接直しに入る。いざ加筆を始めると、語句の重複やら描写漏れやら次々に目についてしまい、結局朝の7時半まで修正し続ける。そんなこたあ自分でワープロでやってからアップしろよ、と怒られそうだが、板で他の方のを読むのと同じ表示法で客観的に見られるのが、遺漏発見しやすいのですね。しかし、6時半にも更新してたりする方もいる。やっぱり徹夜組か。ああ、もうとっくに6月2日。

5月31日 月

だから俺は車で全力疾走でコーナー切ったりしたこと無いんだってばよう! って、何をひとりで叫んでいるのだ、私は。でも、キャラが主観でそれを実行する以上、なったふりし続けるしかないんだ、こうなったら。昔、在職中、もと走り屋のヘッドだったという噂のあった店長仲間の車の助手席に同乗し、日光のいろは坂を下った時の記憶を必死に蘇らせながら、その店長仲間になりきろうと大汗かいてる私。でも、走り屋さんから見たら、噴飯物かも。いいや。それは後日修正ってことで。この上ここにこだわってたら、いつまでたっても終わらない。たった数枚に、また丸1日。
もう夜の7時か。昨日の夜とびきりそばと天麩羅3個食ってから、何も食ってない。でも次はいよいよクライマックスのてっぺんだから、頭に栄養やっとかないと。ウインナーの賞味期限がもうすぐだから、一袋いっき食いして、あとは袋ラーメンというところか。野菜ジュースもトマトもあるな。でも、食って風呂に入ると、また眠くなってしまうかも。風呂は熱めに沸かそう。
うああああ、やっちまったい。袋焼きそば、耐熱容器でチンした後、流しにぶちまけてしまった。流しが綺麗ならこのまま食っちまうんだが、ちょっと今の流しはなあ。くそ、ラーメン作りなおしだ。頭が別の世界に行ってるからなあ。
で、結局やっぱり眠くなる。でも文章は浮かばないが映像は浮かんでくるので、可能な限りは起きていよう。ああ、夢想の映像をそのまま活字化できるプロセッサーが欲しい。でも、かえってつまらんか。文章そのものを紡ぐ楽しみもあるし。

5月30日 日

正午頃起きる。あづうううい。思わずエアコンのカバー外しそうになったが、一人暮らしでエアコン使うと、電気代が倍になる。今年は死にそうになるまでは使うまい。扇風機で我慢。
大汗で買い物から戻り、投稿板でちょっと感想入れたりして、{11}の続きにかかる。
侵入計画シーンこそ長くなったが、いざ実行となると、案外あっと言う間になりそう。短期決戦シーンなんだから、当たり前か。でも、情動的にはまさにクライマックスなんだから、それなりに盛り上げないと。いや、それなりにでははなく、身も蓋も無くメロメロに。
それにしても、あづううい。今年は陽性の梅雨か、陰性の梅雨か。ラジオによると、陽性の梅雨は多目の雨の日と晴れの日のメリハリがあって、気温もそれなりに高く、お百姓さんなんかは喜ぶパターン。陰性の梅雨は、じとじと降りっぱなしで気温も上がらず、冷害の心配なパターン。ああ、私は陰性の人間だから、梅雨も陰性だといいなあ。お百姓さんごめんなさい。デブで汗っかきなもんで。いつか氷点下の雪原に赴いて、激辛カレーをむさぼってみたい私。通常の社会でそれをやると、お店の人が本気で心配してくれるくらい、前進汗まみれで濡れ鼠。でも、今の尻だと、シベリアに遠征しても激辛カレーはパスか。
ところで、無糖コーヒーと調整豆乳を混ぜると、けっこう美味なのを発見。今年の夏は、日本茶とこれか。
などと打っているうちに、一天にわかにかき曇る気配。望む陰性。
ニュースによると、やっぱり真夏の気温だったそうな。明日はまた下がるそうなので、ほっと安心。とりあえず主人公が切腹(?)したところで、気分転換にまた板へ。しかしまあほんとに玉石混交。ほんとに3行読んで吹き出してしまう小学生レベルの非小説に、けっこう書ける人が苦肉の感想入れてるのは、やっぱり自己作品の感想へのお返しなんだろう。僭越ながら、お願いだから自分のには感想入れないで下さいね、という方多数。もっとも、幸いにして現在感想を入れて下さるごく少数の方々は、別にひいきをする訳じゃないが、大人の読書の可能な方のようなので、ひとまずは安心。私はスピード感のある文体が苦手なので、『晶』様の戦闘シーンなんか、参考になるもんなあ。逆に、その方の書きっぷりが良くても、やっぱり感性の関係やらジャンルの問題で、あえてこちらから感想入れらない方もいるんだよなあ。その方がお返しにこっちの作品読んでくれても、かえって恐縮だし。でも、『亀+』氏、やっぱり戻って来ないようだ。おーい。帰って来て下さい。

5月29日 土

昨夜は結局{10}の手直しと{11}の構想で夜明けまで。午後起きて手直し分の投稿板アップと、他の方の感想入れなど。
その後、横浜の姉の家へ。母親の件の打ち合わせと、当方のアパート更新の保証人印もらう。ところが、義兄名義の実印がどれだったか判らなくなってしまうという呑気な話で、それらしいのをとりあえず押してもらう。更新料はもう振り込んであるので、もし印が違ってても、いきなり追い出されはしないだろう。書類作り直しになるかも知れないが。しかし過去あちこちのアパートを転々としていた訳だが、保証人の実印まで要求されたのは、今のアパートを契約したエイブルが初めて。街の不動産屋であたればよかった。でも、ここに越すときは在職中だったんで、実質2日しか部屋さがしの休みが貰えなかったのだから、条件が合った時点で即決せざるを得なかったんだよなあ。
夕飯をごちになり、深夜帰宅。帰宅途中の風呂屋の前で、十数人の男女取り混ぜた若者たちが、風呂上がり姿でダベリング中。近ごろは風呂屋でコンパやるのかな。それともどこかの会社の独身寮の共同浴場が壊れて、今日は蒸し暑いのでみんなで銭湯に来たとか。何かのネタになりそうな光景だったので、通り過ぎながら観察。
さて、帰宅して風呂にも入ったし、どうせ眠くなるのは明け方過ぎ。じっくり考え事を進めよう。
結局朝6時までかかって、原稿用紙換算4枚程度の、四駆で突進シーンを終える。免許なし人間が運転シーンを書いてる訳だから、こんなものだろう。マニュアル車の走らせ方くらいは知っているが、アクロバット走法なんて、全然知らないぞ私は。大好きな景山民夫さんの『虎口からの脱出』の後半なんか思い出しながら、見て来たような嘘をつき続ける講釈師気分。致命的なミスがあったら、ありがたい読者の方は無免許ばかりでもないだろうから、きっと指摘してくれるだろう。その節はよろしくお願いします、いや本当に。

5月28日 金

ああ、もう週末か。実生活を営んでいるという感覚が、本当に失われつつある。もう社会復帰は無理かも知れない。部屋の更新で、貯金まとめて減ったし。でも、ほーむれす狩りのちゅーぼーさん、いぢめないでくださいね。たとえみちばたにおちている風船さんのかけらでも、まるまるとふくらんでいるうちは、みなさんのようなよいこたちといっしょに、楽しく遊んでいたのでしょうから。……くどいな私も。
{10}はちょっと短いが次章とのからみで、いったん区切り。推敲の後、午後遅く投稿板とHPにアップ。日本茶を飲みながら、始めからまたチェックして、誤字訂正に板を覗くと、もういつもの方々が感想を入れてくれている。ありがたいありがたい。はい、萎みかけた風船でも、中身はただの空気でもなかろうと思うので、お空を目指して浮くように心掛けます。
夕方、書留が届く。今度はTOPカードの期間延長。東急でテナントに入っていた時、おつきあいで作らされたカード。これも40万使えるんだよなあ。よしよし。全てのカードを換金して、北をめざして逃避行。遥か、遥か彼方にゃオホーツク、紅い真紅なハマナスが、海をみてます泣いてます。いよっ、健さん。……いい唄だなあ。『紅い真紅な』の重複が、なんの違和感もなく、ハマナスを引き立てておりますね。ちなみに、今打ってる話のヨゼフ爺さんとアレク爺さんは、『網走番外地』の頃の嵐寛寿郎さんと、まだ若くて妙な凄みものぞかせていたころの左ト全さんを混ぜ合わせて、遠心分離器にかけて二つに分けた、そんなイメージ。
さて、昨日の昼から例によって食ってないので、身欠き鰊でも焼こう。納豆もあるし。

5月27日 木

{10}の1シーンだけで結局夕方までかかる。その間、4時間くらい眠る。ずっと打ってた訳ではなく、次のシーンのことやら、別の話が頭を占拠するやら。部屋をうろうろの繰り返し。気分転換に午後1時間ほど、お散歩。暑かった。
別の話というのは、昨夜投稿板の雑談板の方を久しぶりに覗いたら、『卍丸』さんが、私にハードSFを書いて欲しいなどと書き込んでくれていて、その気になった訳ではないのだが、学生時代でっち上げたシナリオ『星の女』が、脳内に再浮上してしまった。一部ご記憶の方もいるかも知れないが、あれはたしか五十嵐氏や西村嬢がわざわざネーム切ってくれる程度には、情動的には流れてたんだよなあ。ただあまりにもハード部分や宇宙そのものの把握がガキで破綻していたため、結局流れてしまったんだろうなあ。記憶によれば、ラストの『泣き』そのものが、現実的・理論的に有り得ないわけだ。ただ、絵画的には成立してるよな。しかしあの『泣き』は、島宇宙やらなにやら持ち出して舞台そのものを事象の地平線クラスまで広げてしまえば、案外さらに馬鹿でっかい『泣き』に持って行けるんじゃなかろうか。でも、そんな筆力自分にあるとは思えんなあ。とにかく今はブルフィンチを男にしてやってから、その後でブルー・バックスでも探しに行こう。考えてみれば、ブルー・バックスも、ここ10年買ってない。

5月26日 水

結局朝6時近くまで起きていたのと、1章終わってやや気が抜けたのと、このところ睡眠が足りていなかったのとの相乗効果で、起きたのが午後2時半。もう横浜行きは週末でいいや、と投げて、とりあえず更新料のみ振り込み。
ハローワークで検索、今日は試しに正社員でなくパートで検索してみる。代々木公園の夜間巡回などという面白そうで時給もいいのがあったが、間をおいてとはいえ1日9時間は歩き回るらしい。立ちっぱなしなら平気なんだが。
買い物を済ませてから、{10}の模索。暴走キャラたちの暴走内容自体は決まったのだが、一般社会でそれだけ大騒動を繰り広げて器物破損をほしいままにしたら、当然責任問題も問われるし、莫大な賠償問題も起こるだろう。逃げっぱなし、という中途半端なノーマルエンド、玉砕のバッドエンド、それぞれゲームの選択肢としては有りだが、トゥルーエンドとして120パーセントのハッピーを目指すのだから、ちょいと厄介。
狭い部屋をうろつき回って、やや強引なアイデア浮かぶが、ここまで引っ張ったんだから、それでも収束可能と判断。それで再開することにする。
さて、決まったところで、{9}の評判をチェックに投稿板へ。おおむね好評のようで、ひと安心。『明太子』さんが、中学二年生で「叙情的」という気の利いた形容が自然に出るかなと書かれていたが、これは主人公が古典詩大好き人間なので、問題ないかと。最近の国語の教科書はいざしらず、昔の教科書や副読本は、バリバリでした、文学趣味。

5月25日 火

昨日の夜何時に寝たのか、どうしても思い出せない。朝9時には目が覚めたのだが、何時間寝たのだろう。1時間ほどネットでニュースの閲覧、それからぼちぼち打鍵開始。昼すぎからようやく波に乗り、午後7時頃、ようやく{9}終了。へとへとで風呂に入って、昨日の昼以来の食事。規則正しく飯を食っていると、どうしても御筆先が降臨しない。24時間くらい絶食した方が、その後から脳の活動が活性化、というより、脳内麻薬が出るようだ。もちろん牛乳やら豆乳やら、野菜ジュースなんかは補給してるし、日本茶はほとんど入れっぱなし。
{8}を上げたのが20日だから、5日がかりで、えーと、48枚分か。でも、このうち半分は、今日だけで打ってる勘定。波があるなあ。というより、案外お馬鹿なシーンほど、それらしくまとめるのは難しい。キャラは言うこと聞かないし。さあて、続きは本当の山場で正念場。ここで泣いてもらわんと、ここまでの300枚、ただの紙屑、じゃない、ただの文字テキスト。
でもその前に、ちょっと横浜の姉のところに、母親の件の打ち合わせやら、アパート更新の保証人印をもらいに行かないと。まあ、気分転換にちょうどいいか。
さて、とりあえず板とHPに、{9}をアップしよう。
結局、脳内麻薬の切れない内に、午前4時半までかかって、{9}の推敲。例によって、シナリオっぽい部分の補填。眠くてたまらない一方で、けっこう頭の芯は活動している。とりあえずここまで、と投稿板にアップすると、こんな時間でも更新者続々。最初にアップする時も、2回も失敗。こりゃ負荷がまた増えているんだろうなあ。

5月24日 月

ハローワークの認定済ませ、クリーニングやコインランドリーや買い物など済ませ、エイブル(不動産屋)で「自由業でいいですよ」と気楽に言われて安心し、さて打鍵の続きをと、例によって意識鼓舞のため投稿板に新しい感想がないか見に行くと、『晶』さんが、また貴重なご意見を入れてくれている。『朝未だきの怜悧な大気』の、『怜悧』がピンとこないとのこと。そうなんです。おかしいんです。雰囲気だけでなんとなくそう表現してしまっただけで、空気に利口や馬鹿があるわけじゃない。まあなんというか、悪意のないキレ(プッツンではなく、「お前スルドイなあ」って時の)みたいなニュアンスかな、と自分では思ってたんだが、確かに言葉の選択が甘い。場合によっては「フィーリングですよ」とごまかせば済むのだが、ここではまずい。うーん、なんと言い換えようか。鋭利、違うな。冷涼、季節感が違うな。玲瓏、全然違うな。冷徹、そんな拒否感のある空気でもないんだよな。そうか、空気にこだわらず、この二人のイメージでいいか。よし、決まり。ありふれてるが、『清冽』でいこう。これも辞書的に「おい、空気って、水かよ」とつっこめないこともないのだが、許容範囲だろう。すぐに修正したいが、あまり負荷かけると、また板が止まっちゃうといけない。次回の更新で直しておこう。
お買い物シーン冒頭を、気が変わって人称変更して、午後のお茶にしようと思ったら、日本茶が底をついている。また買い物に出掛け、本屋に寄ったら、福本清三さん(聞き書きは小田豊二さん)の2冊目、『おちおち死んでられまへん』が平積み。ラストサムライ出演時の談話もあるので、文庫化待てず、買ってしまう。1500円あれば2・3日は食えるのだが、やっぱり趣味は別会計。福本さんもいい味だが、まとめる小田さんもうまいんだよなあ。前に読んだ三木のり平さんの本の時も、ほんとに当人の話を聞いてるような感じで、資料的なこともちゃんと伝えてくれるし、むしろ役者を素材とした1人称の創作に近い作業なんだろうなあ。結局、夕方まで読み続けてしまう。
昨日のキャラの暴走を黙認したため、結局、四苦八苦。打鍵に詰まって、こんどは投稿板の感想を入れに行く。飛ばし過ぎて詰めが甘くなってる『卍丸』さん、相変わらずまさに怜悧で、かつ情感もある『晶』さんと……ああ、『白雪苺』さん、気持ちはわかるが、10代の人間に、20代以上の世界を俯瞰で書くのは、エンタメ以外、たぶん不可能。そんなことのできた人間は、この日記に前に書いた岡崎英生さんしか知らないぞ。どんな早熟の天才と謳われた人でも、10代には10代の視点から書いてるでしょう。でも、自分でも通ってきた道だから、仕方ないんだろうなあ。ああ、あの頃はこんな恥ずかしい物を書いてたんだ、でも、なんだか可愛い――そんな足跡も必要なんだろう。でも、それを今の彼女に言いたくはない。結局、彼女の作への感想は入れられず。すまんすまん。

5月23日 日

カンヌは少々残念だったが、まあ、カンヌらしい結果なので、よしとしよう。しかしムーア監督の『華氏911』は、ミラマックスの国内配給を親会社のディズニーが止めたという話だが、あそこも自由自由と叫びながら、相変わらずのパックス・アメリカーナ。ムーア監督を無条件で指示する訳でもないんだが。『イノセンス』は、むしろ審査員全員がフランス人だったほうが、受賞の可能性があっただろう。タラちゃんが審査委員長なので、受賞の可能性があるんじゃないか、などという大馬鹿記事がけっこうあったが、おいおい、タランティーノだって、立派に映画製作の務まる大人であり、商売人だぜ。私的におたくでありつづけるためにも、公の立場でゴリ押しなど、するはずがない。もっとも『攻殻』以上に押井節全開の新作、タランティーノ監督が堪能できたかは不明。アカデミー賞みたいに細かい技術的な賞があれば、受賞確実だったんだが。
夕方、ふだんの衣類や日用品や、人形の衣類(?)などをネット注文していたニッセンから、カタログには載っていないという、秋田小町(お米)の紹介電話。米は一番安い無洗米しか買わないので、丁重にお断り申し上げるが、自分よりもっと年輩の方で、しかも本日は日曜だ。日曜出勤で、しかも6時近くにセールスの電話。みんな大変なんだよなあ。
すみませんすみませんと思いつつ、打鍵に戻る。
明日はハローワークの認定日。認定用の書類を書いて、沖縄限定のカップそば食って、打鍵を続けていると、キャラが暴走を始める。ラスト直前の処理施設侵入計画立案シーンなのだが、こっちは処理施設を設定しただけで、どう侵入するかなんてのは、キャラにまかせて書いている。スパイ大作戦的なサスペンス方向かな、と思っていると、あにはからんや、こいつら作者と同じで欲求不満状態だから、どんどん過激に走ってしまう。ああ、次のシーンのもっともらしさ対策を練らないと、と困惑しつつ、面白いのでどんどん走らせる。この楽しみが長編の楽しみなんだよなあ。まあ、いつになるやら判らなくなってきたが、当初の目的地に着地さえしてくれれば、文句はない。
結局、ブルが『忍ぶ川』のオマージュを自分でやってくれたので、よしよしの流れ。次のもっともらしさ補完も、アレク爺さんお買い物シーンを着想したので、解決できそう。立案シーンは精神的に走ったから、ここで多少足踏みしても、流れは大丈夫だろう。お買い物シーンの冒頭まで打って、明日に備えて就寝。5時間は寝れる。

5月22日 土

また自炊をさぼって、かっぱ寿司へ。一皿100円と馬鹿にしたものではない。縁側など、味だけで比較すれば、どこよりも旨い。デカネタ自慢なんて所もあるが、バランスの問題だし。貧乏人の外食に限れば、いい時代になった。
帰ってラジオ聴きながら打鍵していると、山崎ハコさんが、すさまじく優しげな歌を歌っている。甘い。タイトル自体が、『やさしいうた(漢字は不明)』だそうだ。昔を思うと、意外ではあるが、これでいいのだろう。永島慎二(水島新司じゃないぞ)さんの、『シリーズ・黄色い涙』の一遍で、中年の作家が布団にあおむけに潜ったまんま、煙草吸ってるシーンがあって、落ちた煙草の灰が布団の襟元で、ジジ、などと音をたてて、作家は呟くのだ。「甘いってのは、いいね。俺は近ごろ、好きだねえ」。ハコさんは、数年前映画『押絵と旅をする男』で、覗きからくりの夫婦役で出演していたとき、ずいぶんふっきれているように見えたのだが、確かにそうだったのかもしれない。いいじゃないですか。人間年とって甘くならんでどうする、などと思う。渋柿だってちょいと焼酎振って寝かせとけば、とろとろの甘い柿になる。
消息不明の大友裕子さんだって、案外、子沢山のおっかさんになって、孫までいたりするのかも知れないし、むしろそうなっていてほしい。昔のイメージ壊さないために、あえて再顔出ししないとか。リリーズのお二人は昔ながらに無邪気に見えたが、やっぱりおばさんになっていた。いいんだ、それで。きっとかわいいふたりの婆さんになるんだ。第二のキンさんギンさんを目指してもいいな。
感慨にふけりながら、ちょぼちょぼと打鍵を続ける。もう、焦らないことにする。もう270枚を越して、一気に読めたおもしろい、なんて言ってくれる若い衆もいてくれるんだから、焦ってペースを崩して、描写尻つぼみなんてのは、避けたい。現実の社会は、理不尽なならず者にしっぽを振ってなだめなきゃならんような社会でも、せめて仮想世界では、けなげな少年少女を幸せにしてやるのだ。そして糖度120パーセントの大甘ハッピーエンドを、リアルに成立させてやるのだ。それが私のカタルシス。

5月21日 金

ハローワークでノルマ検索。チクらないでくださいね。失業手当がどうしても欲しい私。この前のおっさんは、残念ながら(?)見当たらず。
台風一過のあまりの好天に、急遽、かねてよりの計画を実行。先週ロンドンのハイド・パークのシーンを打鍵している時に思いついた、『新宿御苑でお昼寝計画』。
いやあ、最高でした。結局、芝生がまだ湿っていて、出先から直行でシートも何も持たない身では、ベンチでうたた寝するのが精一杯だったが、お散歩が最高。3時間ほどじっくり散策させていただきました。{9}の箱書き頭の中で組んだりしながら。
しかしまあ、好事魔多しと申しますか、帰宅すると、アパートの更新の用紙が届いている。またお金がまとまって出ていくなあ。職業欄は失業者でかんべんしてくれるのかしら。家賃は滞ってないから、大丈夫だと思うんだが。自由業の名刺でも、勝手に作ってしまおうか。自由業なら自称ナントカ家でも、確か詐欺にはならないんだよな。フォトレタッチとか、写真修正とかなら、実際職があれば出来るんだし。
意識の鼓舞のためまた板を覗く。『明太子』さん、ありがとうございます。板がまだ仮状態で更新作が少ないので、前より目立ってるような。今の内に新しい読者が増えると嬉しい。
『卍丸』さんの更新の感想レス入れようとして、タイトル入れただけで送信してしまうという馬鹿をやってしまう。本文には前の方のカキコが>で入ったまま。ああ、恥ずかしい。
しかし、また荒らしが来てるなあ。レスつける気にもならない捨てぜりふなので黙殺させてもらうが、ほんとに世の中、既知外が野放し。
さて、いよいよ大詰めにかからねば。新宿御苑が効いたのか、スルリと{9}が開始したので、ここは大丈夫と判断、気になっていた{8}の資料再検索。

5月20日 木

午後までかかって、{8}の推敲。あまり寝てないせいか、涙もろくなる。『待っていてくれるな。嫁になんか、行くな』の科白だけの借用なので、よくあるフレーズでもあり盗作にはあたらないと思うが(当人はオマージュのつもりなので)、一定の状況でキャラにしゃべらせると、なんて殺人的な情動を呼び起こすフレーズか。自分で打っといて泣きそうになっている私は馬鹿か。馬鹿ですね。でも気持ちがいいから許す。どこに挿入するか、当初から迷っていたエピソードなのだが、結局本編から見ればアナザー・ストーリーなので、独立した章として扱うことにする。掲示板の方では、ゲームがトゥルー・エンドに向かっている時のみ出現するスペシャル・イベントなどと言い訳したが、良く考えれば、まんまやがな。
しかし僅かな科白の京都弁すら、正しいのか確信できない自分。記憶によれば、あそこは「……あかしまへん」だよなあ。そうなると、その前の「あきまへん」は、大阪弁なのかなあ。それともどっちも使うのかなあ。ニュアンスが違うという判断で使った訳だが。まあ、まちがってたら、誰かが指摘してくれるだろう。
昨夜8時頃松屋に行ってから、さーたーあんだぎー(沖縄のお菓子)3個しか食ってないなあ、と、夜7時頃気づく。飯を炊きながら入浴。体重計ると、このところまたじわじわと増えつつあったのが、一気に減っている。一日で痩せられる小説ダイエット。別に小説でなくてもいい訳だが、食わなきゃ。これから食う缶詰のシチューと納豆と御飯は、合わせて何百グラムあるんだろう。
投稿掲示板で誰か{8}になんか感想入れてくれてないか見に行くと、かっとび『卍丸』さんがもう感想入れてくれている。趣向は褒めてくれているみたいだが、やっぱり泣きはむりか。昭和30年代前半くらいまでに生まれた方でないと、戦争ネタはなあ。おお、『和宮樹』さんも書いてくれてる。でも{7}までの感想か。『晶』さん毎度どうも。ご指摘にしたがって、{7}の冒頭、修正しました。ありゃ、『風』さんもちょっと書いてくれてる。ちょっとおこまり。その板で大人気の『風』さんとか、『神夜』さんとか、私には感想書けないんだよなあ。上手いんだが、その感性にどうしても同調できないというか。たぶん『風』さんも、私のような情動エンタメ系は、苦手なんじゃなかろうか。
などといろいろ覗いていたら、荒らしの感情不安定な女の子(たぶん)が、キレて周りにキレを飛散させようとしている。こういうのは無視しろと掲示板の規約にあったような気がする。下手にレスつけて刺激しないように、というところなんだろう。確か、レスつけた方も同罪とみなし、アクセス制限がどうのこうのとあったような。別にかまわないので、やんわりとレス付ける。相手が子供だとしても、言いたいことは言わないと。しかし、自分では何も書かないで、評論家ぶってきらわれていた子のようだが、そもそもそのキレる心を訴えたいがために、ほかのみんなは苦労して小説を書いたりしてるんだから、それを書かない評論家に、キレる権利などないぞ。あなたもその気持ちを小説にすればいい。小説投稿板なんだから。
さて、こちらはいよいよクライマックスに入らねば。引っ張るだけ引っ張ってラストで萎んだら、ただの馬鹿になってしまう。馬鹿でもいいんだが、『ただの』はまずい。ドーンと花火だけは上げとかないと。一直線にストーリー走らせるなら、三人称に収束させるのも一考だが、ここはやっぱり面倒でも、今までのマルチサイト形式を続けたい。でも、それだと山場のカットバックが数行ずつ分断されてしまうか。馬鹿は馬鹿なりに、沈思黙考。
やっぱり『神の視線』ではなく、マリオに戻らねばと結論。これだけのことに2時間かかって、もう午前2時。なんと贅沢な今の私。さて、テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、マリオになあれ、などと呪文を唱えても、京都西陣の神からからライン河畔の街の少年に戻るのは、けっこう大変なんだ、これが。昔は少年に戻るなんて一瞬にできたものだが、そのかわり爺さんや神父には全くなれないで、ガキなみの爺さんや神父さん書いてたんだから、一長一短か。

5月19日 水

ああ、余計な事を考えなきゃ良かった、と思ってももう遅い。結局『奪う。志乃を奪う』よりは、『……僕が兵隊に行っても、待っていてくれるな。嫁になんか、行くな』を頂く(パクる)ことにしたのだが、伊賀の組紐を感情回路に例えるのはあまりに難儀、そこで舞台を西陣織の京都に変えたりすると、今度は京都弁なんて知らないぞ、私は。しかし、こうなったら最後まで、見てきたような嘘をつきとおすしかない訳だ。原稿用紙で僅か数枚の挿話に、1日がかり。いったいいつになったら、春風の中でつかまえてくれるんだろう。
本日は自炊が面倒で、また松屋の豚めし。おお、290円にまた値下げしている。ラッキー。

5月18日 火

昨夜、じゃなく今朝6時頃、寝る前にCASSHERNが公開中なのを思い出し、検索してみるとトーホー・シネマズで上映中。正午に起き出して、袋ラーメン卵入り食って、野菜ジュース飲んで、徒歩で映画館へ。往復4キロ強の距離なので、散歩にもちょうどいい。
CASSHERN、予算やら納期やら根気やら、恐らく色々あったのだろう、突っ込みどころは多々あるものの、とにかくドラマチックでカッコよかったので、みんな許しちゃう。ほんとに私は根がミーハー。スピリチュアルな部分と現実の噛み合わせ、ズバリ好み。ただ、キャシャーン様であるかぎり、いきなりメットぶっ壊してあの三日月を一度もかぶらないって法はないでしょう。あの脚本で、世界観やドラマあそこまで具象化しちゃうと、いつもメット持ち歩く訳にいかないのは、重々わかるんですよ。でも、せめて一回戦くらいは、かぶってキメてほしかった。あと、ラスト5分のCASSHERNの科白というかナレーションは、全部不要。映像だけで全部わかります。伝説の神CASSHERNと同化して、世界にリセットかけたという解釈でよろしいのならば。
しかしまあ、あれだけのドラマを2時間強につっこんで、理解可能にまとめ上げる力量は、驚嘆に値する。個々のキャラみんなそれぞれ泣けるんだもの。例によって訳が分からず退屈などという評判もあるようですが、イノセンスの時もそうだったが、想像力と理解力のない人はSF観るな読むな、ってことで。
ところで、庵野監督のキューティー・ハニーの予告編、もう何度も観てるんだが、あれくらい予告編だけ観て本編観る気を失う映像も珍しい。エヴァ騒動の時も、会社の店長フォローアップ・セミナーで、経営コンサルタントの先生が取り上げるほどの盛り上がりだったので、ビデオで借りて観たのだが、一巻目で投げました。あの監督のやろうとしてることが、どうにも同調できない。私の想像力と理解力も、不足してるのかしら。
あと、劇場で上映を待つ間、ずっと平井賢さんの同じ歌と映像が流れっぱなしだったのにも、ちょっと往生。愛を叫ぶ、ですか。うーん、観たら大泣きできるであろうことは予測できるのだが、『愛と死を見つめて』以来、あの手のストーリーは語り尽くされているしなあ。それに出来が良ければ良いほど、自分の精神不安定を誘発してしまう。去年だったか一昨年だったか、ゲームで『グリーン・グリーン』の早苗ちゃんルート終えた時などは、夜中に20分くらい号泣してしまい、2・3日仕事場でもボーッとしてたもんなあ。あの肺腑を抉るような喪失感をまた食らったりしたら、今の精神状態だと、ちょっとやばい。
さて、自分の創作物も、続きにかからねば。{8}ではいきなり導入部を、三浦哲郎さんの『忍ぶ川』か、北泉優子さんの『忍ぶ糸』(映画で言うと、熊井啓監督・出目昌伸監督)で、かっくらわす心算なのだが、さてどっちがブルフィンチを盛り上げてやれるか。これが今晩これからの、あれこれ模索のお楽しみ。

5月17日 月

現在まだ朝の10時だが、朝寝床の中で唐突に{7}の穴に気付き、また忘れるといけないので6時半に起き出して、穴埋め。
母親関係で現金封筒も補充しなければならないし、ハローワークにも行っとかなきゃならんし、訪問看護婦さんにお礼の手紙も書かねば。
とりあえず、2日続けての外出に、GO。
さて、昨日に続き、生暖かい最悪の小雨の中を、帰宅。しかしまあ、新小岩の駅の裏の店に中学生になんとか見えないこともない女の子がいるとか、ゴムじゃないサガミはなんだかかえって息子にしっくりこないとか、そんなことを常連のおっさんに聞きに行ったんじゃないんだ私は(でも今度行って使ってみようか)。日本経済は、相変わらず厳しい。少しでも安く限界までこき使おう、そんな求人ばかり。もっとも、いつの時代もそうなのかも知れないが。今週中にもう一度行っとかないと、次の認定が危ない。あのおっさんにまた会えたら、シェイブ済みかとか、もしそうだったらおいくらくらいかも聞いておこう(おいおい)。
雨はほんのいっときで上がったようだが、湿っぽい温風が吹き荒れている。蒸し蒸しの部屋で、訪問看護婦さんへのお礼状と、送金準備。続いて{7}の推敲と、HPおよび板へのアップ。板はまだ仮復活だけあって、アップするのに2回失敗。かなり重いようだ。
夜、母親に電話。ご機嫌は良好。しかし、嫁はまだかを数回反復されたのには閉口。
風呂上がり、{7}を再チェックして、要所要所でただのシナリオ状態になっていると判断、描写総チェック。潤いを追加。終わったら、もう朝の5時過ぎ。


5月16日 日

傘がいるようないらないような、生暖かい雨の中を買い物へ。また外出3日ぶり。もっとも嫌いなパターンの天気だが、近所の長崎屋でもブリが安かったので、よしとしよう。中国鰻も今日は激安。やったね、これでしばらくは栄養満点。
上のどこかの部屋で引っ越し中。入居者は学生さんらしく、それを両親が手伝っている形。築30年のボロアパート(いちおう名前はマンションですけど)とはいえ、2Kに学生さんの一人暮らしは贅沢だわなあ。老夫婦、赤ちゃんのいる若夫婦、高校生の娘がいる未亡人、千本のビデオともはや計量不能の書籍を抱えた失業者(自分)などが、4畳半・6畳・それにようやく料理出来る程度の台所、うずくまらないと沈めないような風呂、それだけのスペースで生活している。学生さんだったら、一間で悶々としていただくのが良かと。風呂もいらんだろう。このあたりにはまだ風呂屋もあるし。……って、自分の学生時代と比較して、くやしがってるだけ。
カンコンキンのビデオ到着。結局、すぐに観てしまう。いやあ、過去の思い出を美化していたなあ。90分近いギャグの内、笑えるのは20分程度であった。しかし漁火兄弟の『モロッコ街道』は、やっぱり笑い転げた。兄弟のファッションにも記憶の錯誤があり、若者のほうは案外いいガタイをしており、上半身は裸で、黒革のパンツの股間に般若の面を付けてました。おっさんの方は、ボンデージ・ファッションに近く、お尻に他のコントの流れで、大きな将棋の角駒付けてました。『この角駒は、私の純潔』という科白が、別のホモネタのコントにあったのですね。
それにしても、ラストが本当に絶妙。原曲の『右は越後へ行く北の道 左は木曽まで行く中山道 続いてる コスモスの道が』のところを、『右はモロッコ行くモギリ道 左はシスコへ行くニギリ道 届いてる 君の中指が』と歌い上げながら、おっさんがしとやかに若者の手を取って、自分のお尻にその指を導く、その後に見つめ合う抑えに抑えた情熱の視線が、実に大人で絶妙。
打鍵は、ようやく{7}終了。ここでまた全体を推敲の上、以降2章で転・結に一気走りの予定。板も仮復活したと晶様に教えてもらったので、そちらにもUPしよう。ただ、感想レスは現在もらえない模様。最後まで読んでくれるのは何人の方か。

5月15日 土

昨夜も大事をとって、1時前に就寝。8時起床。このパターンは、身体には確かにいい。微熱も去ったようだし、耳もほとんど抜けている。ただし、創作物の打鍵だけに的を絞ると、これがくせ者。やっぱり深夜から夜明けまでが、一番波に乗れる。しかしそれを1週間続けると、体調が崩れ、鬱が来る。どうすりゃいいのか思案橋。
尻の痛みもほぼ快癒。ただし、痛まないだけで、疣は膨らんだまんま。あう、このまま慢性化してしまうのか。
カンコンキンは、もう本日発送済みとのメール。明日が楽しみ。打鍵中の{7}が終わったら、ゆっくり笑い転げよう。

5月14日 金

微熱下がらず。どうも扁桃腺以外のもう一つの持病である、中耳炎系か。右耳ちょいと詰まった感じ。これはもう、気にしないことにする。どう気をつけたところで、自然治癒か医者で抗生物質かのどちらかにしかならない。
小泉首相、国民年金保険料未納とかでもめているようだが、イラク問題とは違い、あまり責める気にはならない。感情的な部分で。あれって本当に入金するとき、一種の空しさが残る。まあ、現在の高齢者の生活を自分たちが支えているのだ、と納得するしかないのだけれど。そして、そういう意味で、小泉さんのような経済的余裕のある立場の人の未納というのは、もっと腹が立っていいような気もするのだが……なぜか腹が立たないんですね。微妙。
また安楽死問題、というか、延命措置停止で、殺人容疑のニュースも。これも微妙だよなあ。人は自力で生命活動を維持できなくなった時点で、他者の意志に頼るしかなくなってしまう訳で、当人にとってそれ以降のことは、社会的な問題でしかないのだから。生かす愛もあれば、殺す愛もあるでしょう。もう愛の量ではなく、方向性だけの問題だもの。
カンコンキンシアターへの未練捨てきれず、新星堂に発注するも、すでに廃盤。ネット検索で中古が見つかったので、そちらを発注。漁火兄弟の映像記録、どうしても残しておきたいので。伊東四朗・三宅裕司 コンビの、突然歌い出すコントも、いまのうちに確保しておいたほうがいいか。部分的なものは、TV録画が残っているのだが。
日美野梓ちゃんのデジタル写真集、新刊とのメルマガ。発作的にダウンロード購入。今度は会田我路さんの撮影ではなく、同じくロリ系乱撮り状態のおーくま真写春さんですね。あんまり期待出来ないかな、と思いつつダブル・クリック。――やっぱりなあ。いや、ちゃんと写ってるんだが、写ってるだけですなあ。我路さん恋しやほーやれほ。
などなど今日も1日パソコン前に座りっぱなしで、打鍵中。ヨゼフ爺さん海外珍道中・南国編。大巨獣ガッパの島が、なぜか緯度0大作戦のあたりにあるという。並行世界が舞台とはいえ、地球の地理だけは矛盾させたくないので、なかなか往生。それが終わると、今度はマリオのお料理教室編。なにやってんだかなあ、と思うのだが、キャラがそうしたいと言ってるんだから、もはやそれをさせてやるしかない。しかし、本当にいい時代だよなあ。資料がネットで同時収集できるんだものなあ。昔だったら、そのたびに大型書店巡り。

5月13日 木

3日ぶりに世間のニュースを見る。皇太子様、思いきって大論争覚悟で、先手をお打ちになったかな。いずれにしても、帯状疱疹は多くストレスが要因で発現するので、雅子妃が心配。昭和天皇・平成天皇・現皇太子様の三代は、なぜか親近感を抱いてしまう。美智子皇后・雅子妃は、さらなり。民間から全き正史の世界に組み込まれるというのは、異次元に転移するようなものだろう。そして象徴天皇ご自身、皇室の中ではきっと微妙な立場であらせられるのだろう。私は女帝になんら問題はないと思います。過去の女帝がたとえ傀儡や中継ぎっぽかったとしても、先例としては立派に存在するんだし。夫婦別姓の時代に、今更男親一辺倒にこだわらなくても。
ようやく次章{7}の流れが頭中でまとまり、ネットで資料を検索した後、夕方、打鍵開始。
低反発クッション到着。なんか妙な感触だが、尻には良さそう。渡辺氏に、感謝。痛みもだいぶ引いてきた。
今日は頭が重い。風邪のぶりかえしかと思って熱を計ると、やっぱり37度ちょっとの微熱。流れさえ掴めればあとは打つだけなので、今日は早寝しよう。

5月12日 水

とりあえずの推敲が終わったので、打鍵中の長編、HPに上げてみる。またあの板が再開したら、そちらで続けたいとは思うのだが。あそこの表示は、ほんとうに長文が読みやすい。
移行にあたって、タイトルを改題。本当はリリーズのMP3もいっしょに置きたいくらいなのだが、摘発されても困るしなあ。
一部の方はご記憶かもしれないが、主要キャラは大学時代にいっぺん出てきた奴です。ただそれを現在のロートルおたく(自分のこと)でも楽しめるように書き込んでいるので、それに伴ってストーリーもあっちこっち発展してしまい、もはや書いてるほうが頭を抱えている状態。
横溝正史さんの随筆に、大戦中、疎開中の田舎で夜明けに執筆に詰まり、悩乱しながら田舎道をさまよい歩いた、なんて件があったが、気分だけは良くわかる。書いてる物のレベルはともかく。次章のとっかかり、どう掴もうか、そんな気分。実際、気分転換に夜明け前に買い物に出て、新聞配達とすれ違ったり、コンビニの配送トラックにぶつかりそうになったり。
などと言いつつ、他のHP見ていると、MP3でも曲の一部をビットレート落としてモノラルで置いてある例があったので、リリーズの2曲を1コーラスでまとまるように編集して、小説の前後に置いてみる。全曲聴きたい方はCDをご購入下さい――これで宣伝になったら怒られないんじゃなかろうか。章の構成も、若干変更。

5月11日 火

渡辺氏お薦めのテンピュール低反発クッションをネットで検索したら、あんまり高価なのに仰天。でも、類似品で手頃なのもあったので、とりあえずそちらを注文。届くまでは、ボラギノールのサンドイッチ攻撃(想像すると食欲が失せるので、読み流したほうが良)で対処。しかし田川氏、脱肛は怖すぎるような。痛くはないのかしら。
4日がかりでようやく打鍵中の{6}終了。400字換算43枚か。資料引きながらの章なので、こんなものか。クールダウン後、推敲予定。ハローワークにも、そろそろ行かねば。
晶様、本当に、どうしましょうね。あの板ほどオープンでバラエティー豊かな小説投稿板、なかなか無いようです。表示自体の読み易さ、という点でも。

5月10日 月

   春老いて 嘘八百の 楽しさよ   (蛮仁羅)

字余りでも、『春に老いて』としたほうがいいか、なんて一句詠んでる場合じゃないぞ。尻が痛い。ずきずきと痛い。この前と違って出血はないが、かなり腫れているようだ。この日記を読んでいる、たぶんごく少数の皆様。たとえば座りっぱなし生活が多いと思われる、渡辺氏等々様。あなた方は、いかなる肛門対策を施しておいででしょう。ぜひご一報下さい。とりあえず、皆様、さようなら。私はボラギノールを求めて、旅に出ます。
などとUPしようとすると、今度はyagi様の足跡。あの小説板止まって、みんな困っているんだなあ。続きを読みたい、と言っていただけると、勇気100倍。しかし、まだ{7}が終わらない状態。ペースは最初の週の3分の1にダウンか。視点を頻繁に変える趣向なので、そのたびに意識の切り替えが必要。これがなかなか切り替わってくれない。ストーリー進行を急ぐあまり、そのキャラクターが思うはずのないことを延々と打ってしまったりして、途中で気づいて構成しなおし、そんな模索の繰り返し。

5月9日 日

板が相変わらず一時閉鎖中なので、初めて雑談板の方を覗いて見たら、ほんとにお若い方が多い。それとは無関係なのだが、自分がこの板に本腰を入れる要因となった『亀+』氏、批評の厳しさとか、騙りの出現とか、2種のHNとかの色々な問題で、「責任とって板を出ていく」などと発言されてるんですね。まあ、他のお若い方がそれを止めようとして下さっている構図のような。気になるのは『亀+』氏のその後の進退が、肝心の投稿板そのものが見れない状態なので、確認できない点。あの力作『戦後という日常の下で』の続き、どうなるんだろう。確かにヤング中心の板では浮いていた訳だが、といって当方同様年配と推測するのも早計。高校の時文芸部誌で読んだ、まだお合いしたことのない岡崎英生先輩の作品などは、すでに完成した端正な文体を成していた訳だし。それはともかく、本体の板が復活し、『亀+』氏がもし実際に引き揚げられていたら、行方を探さないとなあ。
しかし、仮にも小説板で、日本語文法や表記について、その正確さが必要であるかどうか、みたいな論争があるのは、少々ショック。いくら若くても、甘えちゃいけません。自由詩じゃないんだから。小説なんだから。正確な日本語表記のできる人間に厳しくチェックされたからと言って、怒ってどうするの。私みたいに初めから無視してしまう偽善者より、よほど貴重な先輩だと思うのですが。
などと思いつつ、そこにカキコもせず、自分のだけ打って載せてる、偽善者の私。面白いのはちゃんと読んでますが。それだって、好みのジャンルだけだけど。すみません。人生の残り時間、少ないもんで。
徹夜後ひと眠りしてここのカウンターを覗きに来たら、なんと晶様の足跡。拙作の続きなぞ気にして頂いて、ありがとうございます。こちらも晶様の続きが、気になるところです。お互い焦らずじっくり、進めて行きましょう。万一あの板を出られる時などあったら、行き先を教えて頂ければありがたいです。

5月8日 土

某小説投稿板に修正に行ったら、一時ストップ中。サーバーに負荷かかりすぎとの注意が来て、対策中とのこと。さもあらん。あんなに投稿者の融通の効くシステムの板はない。当然大繁盛で皆さん長編更新しまくり。閉鎖は考えていないとのことだが、システムが簡易化したりしたら、皆さんがっかりするだろう。
どうしても和独辞典が必要になり、近所の古書店あたるが在庫なく、書店で新刊購入。使えそうな奴は、なんと4200円。えらく高いが、やむをえず。独和は学生時代のがあるのだが、和独がどうしても見つからない。
さて、打鍵再開するも、四苦八苦。学生時代は夏休みひと月書きっぱなしで、手首はよれよれだが、頭は平気だったものだが。もっとも、中学の時から書きっぱなしだった訳だし、書いてる内容も情動オンリーでつじつまなんぞ横に置いといたんだから、今ならこんなものか。まして10年ぶりに架空の話、書いてるんだものなあ。

5月7日 金

昨夜21時頃母親との電話を終えてから、どうも腰や膝がだるかったのだが、風呂から上がって昼間アップした投稿板のチェックをしていると、頭痛が始まる。体温計使うと、37度5分。平熱より1度高い。持病の扁桃腺かと思って鏡を覗いてみたが、それ自体は腫れてはいないようだ。むしろ喉の上部が赤い。これはいわゆる一般的感冒の初期症状だろう、と判断。あいにく風邪薬は切れているので、かねて試そうと思っていた実験をしてみる。
在職中はこの程度の熱では休めないので、売薬で散らすか、医者で抗生物質もらって治す、というパターンだった。世に言われる「栄養のあるものを食べて、暖かくして、ゆっくり寝ている」という風邪治療法の最後の部分が、たまたまシフト上の休日でないかぎり、不可能だったので、一度試してみたかったのだ。
卵やストックの沖縄の中身汁を食べ、野菜ジュースをいつもの倍量飲み、エスカップも飲んで、タオルケット1枚余分に掛けて、午前2時就寝。そのまま16時まで眠る。で、熱も下がったし、だるくもないし、喉の赤みもほとんど消えている。なるほど、と納得。まあ、ただの睡眠不足だったのかも。
メールをチェックすると、いつもの判読不能のウィルス付きに混じって、英語のなんとか読めそうな、正気っぽいのが1通。なんか「あなたの絵に関して個人的に意見があるので、添付のファイルをお読みいただきたい」とか。添付ファイルをノートンさんに見て貰うと、当然のようにウィルス付き。ピクチャーが単数形だったとこを見ると、もくさんの絵板にカミングアウト記念に上げた1枚か。大学時代のカレンダー絵を修正した奴。勝手にしてくれ、と、即受信拒否。あんなメルヘンタッチの絵にまで文句があるなら、日本語読めるようになってからハッキングでもなんでもしてくれ。ノートンさんフル装備でお待ちしてます。今までは自意識過剰の被害妄想には陥るまいと思っていたのだが、やっぱり海外の反ロリ勢力は、かたっぱしからチェックしているのか。日本語勉強してから、HPのほうにどうぞ。
そういえばいののさんの日記にも、山のような迷惑メールの件があったなあ。
身体は治ったものの、今度は眠り過ぎで、頭が働かず。続きを4行打って音を上げて、とびきりそばを啜っていると、いいアイデア浮かぶ。文章そのものではなく、意識の鼓舞法。もともとリリーズ聴きながら遊んでた設定なんだから、またリリーズ聴けばいいのだ。食後、さっそく実行。決まりですね。オープニングが「春風の中でつかまえて」で、エンディングが「水色のときめき」。そういうアニメの連続物を1クール、作っている気になればいいのだ。
やる気になって再開したものの、今度は映像ばっかり頭に浮かんで、やっぱり文章は説明文になってしまう。やっぱり明け方から陽が昇りきるまでの、我がゴールデン・タイムを待つしかないか。

5月6日 木

母親への電話を10日さぼっていたら、あちらからかかって来た。もっとも、当人はいつ電話があったかなんて、記憶していないのだが。5分の内容の話題を、1時間ほど繰り返す。しかし機嫌は悪くなかったので、上出来。
渡辺氏より、この日記の誤記のご指摘のメール。どこを間違っていたのかは、ないしょ。

5月5日 水

ああ、昨日はあんなことを書いてしまったが、全部読めば、まだまだ実力派もいるんだろうなあ。でも、そこまで目を通していたら、こっちの続きが書けなくなっちまうしな。
打鍵に詰まったところで、旧作1本、上げてみる。昔のショートだが、趣向が複雑過ぎて、一般のかたに話が読取ってもらえるか不安だった、「カワイソウナカワイイボウヤ」。ショートなのですぐに色々な意見が入って、やっぱり参考になる。
買い物帰りに、長崎屋の前で廉価版CDをデモっていたので、発作的に「狩人」購入。あらためて聴いてみると、「コスモス街道」、底知れぬ歌唱力。あの当時のディスカバー・ジャパンのコマーシャリズム丸出しな感傷的な歌詞と、これでもかこれでもかとけれん味たっぷりに盛り上げるメロディーを、しばき倒すみたいに歌いこなしてしまうんだものなあ。
発作的に、漁火兄弟の「モロッコ街道」ギャグ見たくなり、夕方、ツタヤへ。残念でした。私の知らない若いコメディアンの作品ばっかりで、カンコンキンシアターなんて、一本もない。
遅ればせに家で検索してみると、おお、1本昔のがまだ在庫ありか。って、そもそもその1本しか、出てないのか。これに「モロッコ街道」入ってるはずだなあ。でも、わざわざ買うのもなあ。
漁火兄弟、あいかわらずボンデージ・ファッションで、がんばってるんだろうか。検索で見つけた「そしてホモ」ってのも、見てみたいものだ。ステージでないと見れないようだが。
ちなみに、漁火兄弟をご存じないかたのために記しておきますと、関根勤さんやルー大柴さんがやってた「カンコンキンシアター」のメンバーで、ボンデージファッションに身を固めたまじめそうなおっさんと細身の青年が、ホモ系の替え歌で笑い転げさせてくれる、というスタイルです。というか、私の知ってる時代は、そうでした。

5月4日 火

打鍵中のファンタジー、再開したところで前半部の推敲の必要また生じる。14歳の少年とロボットが架空のドイツで繰り広げる人形話で、大学時代にも一度試みた設定だが、自分もさすがにあの頃よりは馬鹿の具合が違っているので、架空であればあるほど細部を立てておかないと、後半解説に邪魔されて走れなくなり、どーっとラストにもっていけないことは目に見える。その細部を話にどう練り込むか。昔はその破綻そのものに目をつぶり、恥を曝していたわけだが。なんて偉そうに言っても、未だにダレ場ひとつ流すのに、汲々としている私ですが。
あらら、昨日ここに記した読者の方も、投稿を始めている。状況説明と読点の使用が甘いが、ギャグは大笑いできる。ギャグセンス、良好と見る。
たまにはいつも見ているかたがた以外の作品も見てみようとしたのだが、すみません。3つ目くらいで、めげました。ほとんど小説になってません。まことに申し訳ありませんが、3行目でぶっと吹いて、思わずブラウザ閉じちゃった作品も。でも、おかしいなあ。よしんば大人向けの読書をしたことのないお若い方だとしても、漫画やアニメやゲームは、それなりにやってると思うんだが。文章なんて最初は稚拙で当然。物を語る気持ちが読めれば、可。ただし、ただの文字や情報の羅列のみは不可。自分の頭の中にあるゲームのストーリーブックや攻略本書いても、そのゲームそのものを作ってからでないと、あんまり意味ないと思う。

5月3日 月

ここいらで気分を締めておかないと、ということで、本日は小休止、雑用、郵便物の整理など。
GCから、限度額120万までアップとのこと。内100万はキャッシングの枠。お買い物枠は縮小し、現金は倍増。つまり、これはすでにクレジット・カードではなく、消費者金融のカードと化したわけだ。どこも大変なんだなあ。これまでのカード利用の支払いは怠っていないし、退職したなどということもわざわざ知らせてはいないから、利用履歴に従って、機械的に更新されたのだろう。いざとなったら、これで一気借りして酒池肉林を繰り広げ、それから富士の樹海に行く手もあるなあ。あぶないあぶない。これは封印。
冷たい蕎麦の旨い季節になり、袋ラーメン間食路線に、乾し蕎麦追加。昔から好物の、山形の小川製麺所の『とびきりそば』、関東各地どこでも買えるので、ありがたい。
某小説板、レスのペースは落ちたが、自分では投稿しない方がおひとり、週一のペースで褒めてくださっているのは、ありがたい。利害関係もライバル意識もなく、純粋におもしろがって読んでくれているわけだ。こういう読者は、無料だからこそ、つまらなければ投げ出すはず。そんな方が掲示板の奥から引っ張り出して続き物を見てくれるというのは、実に励みになる。最初褒めてくれた方々、進行につれてレスとだえたのは、くどすぎて飽きられたのか、それとも自分の作品の更新で手一杯なのか。それとも初期に告知していたHPを見て、こんな馬鹿とはつきあいたくないと思ったか。描写がくどすぎるとしたら、すみません。読むのも書くのも、描写自体を楽しむ口なので。でも、新しく感想入れてくれた、まだ10代らしい少女さん、最後までお付合いくださいね。噛付きません。ROMの方も、よろしく。たくさんの他の投稿者の作品にレス付けてお礼として見て貰う、という手もあるのだが、感想を言う以前のレベルの作品に、感想入れるのも無意味だし。

5月2日 日

このところ、1日過ぎたな、と思うと、もう2日過ぎている。やっていることがずっと同じだからですね。これは在職中の感覚に近い。やっていることは、お金のための義務労働と、お金を全く生まないお楽しみの違いがあるが。
しかし、このお楽しみ、けっこうきつい。身体は使わないが精神は酷使するし、尻の穴にも良くない。でも、今やっとかないと、生涯悔いが残るだろうし。
構想上の前半が終了したので、試しに400字詰に換算してみると、もう150枚来てるんだなあ。120枚くらいで終わると思っていたストーリーなのに。このままだと、300枚になってしまう訳か。
以前、ここ十数年の日本の小説がどんどん長くなっているのは、ワープロが普及したからという説を読んだが、その通りですね。ブラインド・タッチもできない自分が、1週間でこれだもの。手書きの時代だったら、手首が痛くて推定半分のペースか。切ったり貼ったりもすぐ出来るし、構成の模索も楽。ただし、全体像を確認するのは、昔、原稿用紙畳に散らかしていた時のほうが、楽か。

4月30日 金

相変わらず、打鍵に淫している。36時間眠らず食わず。もちろん模索している時間が大半なので、結果のテキストはたいして増えないのだが。しかし、風呂だけは生きる楽しみになってしまっているので、毎日つかっている。体重計がガンガン変化して行くので、おもしろい。
しかし、体と言う物はやはり良くできているもので、あんた、やばいよ、というサインはちゃんと出る。完全に思考停止する。体力のほうは、皮下脂肪が半端でなく蓄えてあるので、十分動く。ファミレスへ。野菜ジュースも、馬のように飲む。劇的に減少している体重が、また増えるとつまらないのだが、頭が働かないのでは元も子もない。
メールは相変わらず無法状態。だから無駄ですってば。あなたがたの努力でうちのコンちゃんが人様に迷惑掛けそうになると、システム自体が止まっちゃうの。その前に削除しちまいますが。でも、ときどき交じり始めた、Let's be friends という件名で、本文のないメールは、なんなのだろう。検索してみると、文字化けして読めないメールが羅列しているページだったり、ごくふつうのページだったりする。

4月28日 水

やっぱり、HPに乗せたメルアドの方に、迷惑メール、ガンガン入り始めた。ウィルス付きががやがやと。中には、あからさまにロリ系のファイル名で添付してくる奴も。まあ、Yahooのサーバー上で処理できるので、実害はないわけだが。しかし、消去自体がうっとうしい作業。今更遅いのだろうが、メルアド消すことに。
26日夜から本日夕方にかけて、ひたすら打鍵状態。某板にもまったく行かず、その間食事は2度ばかり。睡眠も2日で6時間程度か。でも、楽しい。これは脳内麻薬のおかげなのだろう。打ったそばからサイトに上げて行くと、今回のファンタジーは好評のよう。完成したら、HPにアップしよう。

4月26日 月

某小説投稿サイト、昨夜覗いて、唖然。かなり書ける人が何人かいたのだが、その内『亀+』さんというペンネームの方。前作もかなり読ませてくれたのだが、新連載、なんと戦後の東宝撮影所を題材とした、純文学の長編らしいものを始めている。で、これが、導入部から、読ませてくるのである。じっくりと、正統派の整った文体で。いやあ、やっぱり世の中は広い。拙作などすぐに引き上げたくなったが、まあへたっぴいさんたちもガンガンとばしてるんだから、と考え直し、といって近代文体3人称だけでこれ以上そこに行くのもつらく、またコメディー・ファンタジー路線で並行進行しようと思う。
9時半より、ハローワーク認定。無事認定受けるが、GWのため、振り込みは来月10日 ごろまでかかるとのこと。
国民年金や光熱費の振り込み済ませ、松屋で例の4杯目は無料キャンペーンで、無料で豚 めし。ということは、今月だけで4回豚めし食ってるんだな、自分。
あさりよしとおさんの「るくるく」3巻目、ようやく購入。寝る前の楽しみ確保。
夜間、またネット不通状態。Yahoo、もうだめか。緊急メンテ、結局予定のメールで告知した時間帯は、やってなかったみたいだし。

4月25日 日

Yahoo、その後も夜半すぎるとつながりにくいと思っていたら、明日午前2時から緊急メンテとのメール。やれやれ。まあ、これで不都合なくなれば、いいのだが。主に深夜から彼誰時にかけてさかんに活動する人間なもんで。
母親の声聞きたくなり、電話。聞かなきゃ聞かないで、やはり心配。だいぶ施設に慣れたのか、安定してきたようだ。
カーネーション、来月届くようニッセンに注文。


4月24日 土

小林信彦さん連読、「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」途中。1970年代後半から、1960年代をパロりつつ、同時に今(1970年代後半)をパロる構造。このあたりになると、旬に読んでいなくとも、資料的価値すらあるし、無条件で楽しめる。
楽しみつつ、ビール飲みたくなり、近所のファミレスへ。外食、10日ぶりか。ファミレスは何カ月ぶりか。久々の贅沢、楽しむ。食道楽の小説をファミレスで楽しむ、作者は顔をしかめるかもしれないが、すみません、この読者、野田岩の鰻よりも山形の染太が旨いと思う、田舎舌なもんで。
久々のファミレスで、いささか感慨にふける。自分の部屋で読書するよりは、やっぱり純粋に楽しめる。在職中は、昼飯時もいつ呼び出し入るか分からなかったので、コーヒーにサンドイッチくらいで済ませていた。夕飯のホカ弁かコンビニ弁当か深夜ファミレスが主食であり、中でもファミレスは、長時間の読書で昼間のストレスを解消するには、最適の場所だった。ビールも飲めたし。
そうだ、その深夜ファミレスすら携帯で邪魔される時代になり、さらに私生活も母親の件で頭がわやわやになってしまい、仕事、やめたんだもんなあ。自主退職自体は、後悔しておりません。あのままだと、いずれ電車に飛び込んじゃうの、見えてましたもん。在職中は、その手の飛び込みで通勤電車が停まるたび、なんとまあはた迷惑な、ちったあ場所選べよ、などと思っていたものだが、すみません、いまならあなたがたの気持ちが良くわかります。はた迷惑などという概念から遠ざかってしまうほど追いつめられており、富士の樹海に至る時間すら残されていなかったんですね。貯金や退職金でしばらくは食いつなげそうな、富士の樹海にも好きな時に行ける独身の自分、まだ幸せでした。
久々のぜいたくで酔っ払い、コミックス大散財。島本和彦さんの「アニメ店長」、松本正・狩撫麻礼コンビの「湯けむりスナイパー」新刊、さらに須藤真澄さんの「マヤ」ときたね。給料も出とらんのに、いいのか、俺。
で、昨夜のネット不通は、やはりYahooさんの不手際だった。をいをい。

4月23日 金

某小説投稿サイト、あらためて色々覗いて見ると、ほんとうに皆さん、お若い。じじい乱入すみません、というところ。それでも懲りずに、以前粗筋だけ作っていた「雪娘」という話、また投稿連載開始。なぜこのサイトが活発に動いているのか、というと、完結作も連載も修正も最初の投稿場所で自力で好きなだけ繰り返せるからなのだろう。実際、なかなか読ませるのを書いてらっしゃる人もいるし。ここで始めるとノルマ的に続けざるをえないから、ここで完成させてHPに上げるつもり。あちこちでレスつけて顔を売らないとなかなか感想もらえない、という同様サイト共通のアレも、他のサイトに比すればずっと緩やかなようだ。あまりあからさまなギブ・アンド・テイクは、閉塞感のもと。漫研みたいに、うにょうにょやっててもいいのでは。でも、文芸部って、どこに行っても閉鎖的ではあったよなあ。
小林信彦さんの「悪魔の下回り」読了。ああ、旬に読むべき本を、遅れて読んでしまった。しかしこのシニカルな笑いは、大人だよなあ。
この日記をUPしようとしたら、Yahooのファイルマネージャー激重。皆さん金曜深夜に更新するのか。と、思いきや、どこもかしこも激重。ようするにネットそのものが大混雑の曜日時間か。などといっているうちに、ネットもメールもまったく反応なし。回線のメンテかなにかやってるのか。Yahooさん、頼むから、しっかりしてよ。弱小プロバイダーじゃないんだから。それともNTT?

4月22日 木

わーい、いののさんからご返事もらっちゃったよー、って、いののさんの掲示板にレスもらっただけですけど。しかしもくさんといいいののさんといい、近ごろすっかり気分はミーハー。実生活の鬱屈を仮想ではらす、典型的な現実逃避。逃げ切れっこないだろうに。
逃避ついでに、1度だけウケた「ママはおでかけ」、某投稿サイトに上げてみる。同好会にいきなり乱入の形なので、シカト覚悟。でも、これなら笑えるだろうと組み上げた話、オタ同士なら笑ってもらえるはずなのだが。
実は2日前にも別のサイトに投稿してみたのだが、見事に場違いだったらしく、すごすご引き上げさせてもらったという経緯あり。
夜中に恐る恐る覗いてみると、おお、もう2人も笑ってくれている。ほっとひと息。

4月21日 水

だから、政府さん、愛する日本、もうこれ以上内外に恥をさらすのはやめて下さい。世界からあきれられはじめてるのがわからないかな。根本的な矛盾は、国外からは見えないから、あいつら今頃になってなに騒いでるんだろう、やっぱりこないだまで鎖国してた国はなんか個人感覚が妙だ、くらいの本音でしょう。別に海外に理解されないことはかまわないんですが、やっぱり野蛮人、はこまる。神秘くらいにしておかないと。アメリカに尻尾振ってる意味すら失いかねないような。
母親の入居先の〇〇さんから電話。用件ここでは省略。鬱になり、大友裕子さんのMP3聴く。鬱になったときには、一度どん底まで落ちるのが一番。鬱用フォルダには、他に中島みゆきさん、山崎ハコさん等、定番女性シンガーの他、ラウドネスの「ジェラシー」、宇崎竜堂さんの「ハッシャバイ・シーガル」なども単曲で参加。
大友裕子さんはどう調べても、現在の消息が知れない。数少ないファンサイトは、昨年のCD化で一段落というところだが、主役の彼女の現状だけは不明。あの、中島みゆきさんからロマンチシズムをとっぱらったような、ハコさんのような土着感もない、男女のきりきりとした世界を、葛城ユキさんより危ういハスキー・ボイスで、血を吐くように歌う声というものは、他に類を見ない。ほんとうに底まで落ちれる。で、底まで落ちたところで、竜堂さんのロマンチックな諦観で水平飛行に移ると、精神の波立ちはたいていおさまる。
シメは現在、「特撮」が1番ですね。特撮映画じゃなく、大槻ケンヂさんの方。浮きます。

4月20日 火

「山の絵本」で、寝床で夜明かししてしまい、正午起床。
ハローワーク、戦果なし。
一転して夏のように、暖かいというより、暑い。でも、西友でぶりが安かったので、良しとしよう。
ねえねえ、お隣の奥様、西友さんってときどきブリがものすごくお安いと思いません?これでサーモンもお安かったら、言うことなしですわよねえ。ああ、でもお総菜のほうは、やっぱりダイエーさんがいちばんかしら。
買い物をして帰宅途中、私服の少女たちの大群。小学校高学年から中学生くらいか。眼福。「ロリの惑星」というギャグ短編浮かぶ。「比翼の鳥」が相変わらず頭の中でこねこね状態なので、こっちを息抜きにしてみようか。この前浮かんだ貴ちゃん・沖坂先生の続きの話も、どんどん頭の中でふくらむばかりで、まだ手が出ないし。
はい、よいこのみなさん。このおじさんは、もはやこのまま仮想世界で遊んでいられれば、このまま河原で朽ち果ててもいい、などと、みらいをほうきしはじめています。こんなおじさんが河原で腐りはじめていても、みなさん、ぜったいにさわってはいけません。ばいきんがうつります。ばかもうつります。ろりまでうつったりしたら、もうとりかえしがつきません。とってもおふけつなので、すぐほけんじょのひとを呼んで、焼却してもらってくださいね。
でも、みなさん、みちばたにおちている風船さんのかけらなどにきがついたら、ぜひたちどまって、ハンカチにくるんであげてくださいね。きっと、その風船さんが元気でまるまるとふくらんでいるうちは、みなさんのようなよいこたちといっしょに、楽しく遊んでいたのでしょうから。……ああ、楽だ。
夜、ネットで注文しておいたてんぷすから、沖縄食品届く。さーたーあんだぎー、ちょっと高いが、旨いんだよな。でも、島とうがらしソーセージは、ちょっと今の尻には辛過ぎかも。
またしっかり某板へ。貼りは常連さん中心で少ないが、不愉快な画像見ないですむので、快適。

4月19日 月 

無事出血止まり、お赤飯中止。
尾崎喜八さんの「山の絵本」、古本屋で購入。もちろん岩波文庫の安いやつのほうです。これで今夜は詩人とともに、私が生まれる以前の山々に、バーチャル登山。
某板覗くと、管理人さんが肌寒いとぼやいている。北の方に住んでいらっしゃるのか。
おはつの方のカキコたどって、別の板へ行くと、できたての板で「いっさい削除しません」などと断言してあり、違法実写画像が貼られ始めている。やめてよ、もう。どうせまもなく消えるだろうが、自縄自縛だってば。今は雌伏のときなんだってば。
夜、ひさしぶりにいののさんのHPを拝見したら、日記でイラク問題に言及してあって、あいかわらずの平衡感覚に脱帽。あの方の絵柄は、なぜか巨乳系アウトの自分にも訴えてくる繊細さというか、ちゃんと活きた肉を内在した皮膚感がある。巨乳ぷにでもいののさんだけ萌え。昔、「黒い波紋」というゲームの原画も担当されてたが、システム悪すぎで、いわゆる駄目ゲーになってしまっていたなあ。

4月18日 日

うう、痔が切れた。水洗トイレが真っ赤。明日の朝はお赤飯を炊かなくちゃ。
在職中はほぼ半日立ちっぱなしで仕事をし、部屋では大半寝ていたわけだから、このところの座りっぱなし生活は、尻にこたえたのだろう。当初日課にしていた1日4キロ以上の散歩も、近ごろは滞りぎみだし。とりあえず、ボラギノール購入で対処。現状を視認するつもりだけは、まったくなし。自分の肛門なんて、はるか昔の幼稚園時代、医学講習の一環としてご近所の某子ちゃんと見せっこしたとき、おたがい鏡で確認して以来、見たことないぞ。できれば死ぬまで見たくないものだ。
薬は高い。高いついでに、西友で鰻購入。当然、中国産のほう。この中国産、ネットで知った再過熱法で、実に旨く食える。電子レンジ直行とか、マルエツ鰻のラベルに書いてある酒蒸しでは、旨く食えない。温めた料理酒で洗って、直火で焼く、これだけで国産物より旨くなるから不思議。自分にとって最高の鰻なんて、山形の染太でしか食えないのだから、なまじ東京の老舗で関東風の鰻など大枚はたいて食うより、よほどまし。
ところで、自衛隊、いっそ国際復興支援隊とか、国際救助隊とかに改名したらどうか。国際組織という意味じゃなく、どこにでも出かけますという意味で。軍隊じゃないから、銃火器なし。日本刀オンリー。で、拉致されたりしたら、すぐに切腹するの。「春の名残をいかにとやせん……」とかつぶやきながら。判官切腹の場。これは、うけます。まず、欧米の世論は、「ハラキリ」という行為だけで、冗談抜きで一種の日本特有の宗教活動として、単純な批判から解放されます。さらにイラク民衆にとっても、大いなる親近感をもって受け入れられるはず。もともと、おしんの受ける国ですから。で、文字通りの復興支援を営々と続ければ、紛争が一段落した後の対日感情なんて、もう最高のはず。これで将来の油は安心だ。アメリカより優位に立てる可能性すらあるぞ。
HP拡充しつつ、また某板へ。リリーズの画像で立てさせてもらったスレが、案外細く長く続いている。もともと現在のロリ系アイドル主体の板なので、場違いで孤立するかと思っていたのだが、菊地桃子ちゃんやらのアイドル画像の援護もあり、通りすがりの方も、懐かしがっているような。リリーズの画像に「あの頃はお世話になりました」などと書き込んでくれる通りすがりの方などは、当然同世代なんだろうな。みんなこういう板などこっそり見てるんだな。私もですが。
しかし、マイブームの日美野梓ちゃん、案外一般受けしていないんですね。当節は、普通っぽくて可愛い、というほどほど感がないと、受けないような。小林信彦さんじゃないが、このままでは日本から美女が絶滅してしまうぞ。

4月17日 土

やっぱり町内会だったんですね。町内会費、もう納めるのやめようかな。
自衛隊の派遣問題と3人の方の行動は別にとらえるべきだと言いながらの、3人の行動に対する口汚い批判が多いようですが、あの、政府の方は、いっちゃん始めに、やめよーよ、って言ってる多数の国民を議論から置き去りにして、行っちゃってるんですけど。
……感情論渦巻く町内会。
ここ数日のニュースを見ていると、ふだんは羊のごとき自分が激昂しそうになる。カルシウムが足りてないのか。100円だって、小魚スナックには、カルシウム含まれているはずだが。
気を落ち着けて、半年ぶりに「わが青春のマリアンヌ」の、独語バージョンと仏語バージョン、続けて観る。巨匠デュビビエ監督の、晩年の作。まったく同じ演出の映画を、一部の俳優をのぞき、独俳優と仏俳優が演じて2種の映画になっているという、珍しい作品。酸いも甘いもかみ分けた監督が、最晩年にいたって「酸い」のほうをすっとばしてしまい、「甘い」郷愁のみで成立させてしまった名作。美しき湖岸に建つ少年だけの寄宿学校、その対岸にたたずむ謎の館と幽閉の美少女、遠く南米の風をはらみ転校して来た異端の少年、彼を優しく見守る年長の思索派の少年。唯一、異端の少年に肉体的な思いを寄せる院長の血縁の娘という、現実的なキャラクターも登場するが、老いた監督は、こんなものはもう俺の世界にはいらん、とばかりのきびしい描写。……ああ、甘い。その世界に溶けていきそう。自分、やおいでもショタでもないんだが。ああ、でも、三輪明宏さんがまだ丸山明宏さんだった頃から、子供心に憧れていたし、岡村靖幸さんの復活望んでるし、このところは及川光博さんよく聴いてるし、ちょっとその気もあるのかも。うふっ……て、某ろり系板にはまってんじゃねーよ。
昔は仏バージョンのほうは、少年たちが皆20代以上に見えて違和感が勝り、独バージョンのほうばかり観ていたものだが、ここ数年は、歳のせいか皆はるか年下に見えだし、仏語のやわらかい響きも楽しめるようになってきた。でも、やっぱり独バージョンのきりりと引き締まった少年たち、値千金。独語の響きは、ロマンにもハードにも、良く合う。「ああ、美しきフランソワーズ、僕は君を心から愛しているよ」よりは、「おお、金髪のインゲボルク、我、汝を愛す」のほうが、なにか説得力を感じる。差別か。もっともお国柄のほうはやはりフランス優位。筒井康隆さんもジョン・カーペンター監督も押井守監督も、芸術家に分類できる国だからな。
気持ちが鎮まったところで、某板へ。おお、管理人さん、ほんとにいい人なんですね。皆さんもこんなじじいのスレ、ボランティア精神ゆたかに反応してくれるし。上がる画像も高質だし。当節、エロは内包で、みなさん、まったりといきましょう。

4月16日 金

ハローワーク、戦果なし。
長崎屋で、100円均一のカニ缶発見。おお、これとダイソーで100円のたまごにグーを使用すれば、お安くカニ玉が食えるではないか。中身の味はわからないが、3個購入。
納豆は、いつものお気に入りが、なぜか品切れ。あう、POSデータ活用はわかりますが、少数の固定客も、大事にしてくださいね。
納豆といえば、お嫌いなかたも多いようですが、この前やったシーズウェアの「地っ球の平和をま〜もるためっ!」で、江理ちゃんが納豆排斥アジを展開したのは、悲しかったですね。伽遠蒔絵さん、納豆、きらいですか。私は納豆もあなたのシナリオも、大好きです。「散櫻」だって、ダメゲーじゃないです。「かぜおと、ちりん」も、良かったです。
ところで、シーズのHPが休止のまんまだが、大丈夫か。起死回生のリメイクも、焼け石に水だったのか。がんばってくださいよ。「DIVI・DEAD」「VIST」「蜜柑」なんてディープな奴、他のメーカーじゃ、作ってくれないんですから。ことみようじさんは他のメーカーでも見れますが、シーズの塗りが一番マッチしてるんですから。
イラク人質事件その後、政府、矛盾の上塗り続行中。寅さんなら、「おい、小泉屋、あいかわらずバカか?」なんて、明るく挨拶しちゃうところですね。だから、あの人たちが死を覚悟で支援活動を継続したいのを非難するなら、自衛隊の皆さんも、帰してあげて下さいね。自衛隊って、なんですか。復興支援って、なんですか。あなたは、国民の死を覚悟の上で、送り出したんじゃなかったんですか。どうしても民間人に渡航して欲しくないなら、愚痴なんぞ言ってないで、さっさとまたもっともらしく法律変えればいいでしょう。
死を賭して明らかに正義と信じる己の理念のために行動する人間というものは、いつの世も、周囲にとってはた迷惑なのも事実です。でも、小泉首相は国家単位で、その断行を決意したんじゃ、なかったんですか。
ぜひ渡航してください、勇気ある方々。で、政府は、右往左往、がんばってください。そのために税金払ってるんだから。町内会の旦那みたいに、愚痴ばかりこぼしていては、いけません。……でも、日本って、やっぱり永遠に町内会のまんまなのかな。

4月15日 木

先日、日美野梓ちゃん画像さがしてまぎれこんだある画像掲示板。管理人さんの誠実な人柄がしのばれる高レベルの板。思わず参加したくなり、とりあえず別のところで収集した画像(梓ちゃんではない)を貼ってみる。ついでに昔自分で撮った写真も、安心してお見せできそうだったので、貼ってみる。ところが、昨夜、というより今朝、寝る前覗いてみると、誰だ誰だ、まゆちゃんの全裸など貼った奴は。
悪意なのか無知なのか、板そのものの存続にかかわるでしょう。そもそも、まゆちゃんの画像などというのは、その板に訪れる方のレベルなら、たいがい収集済みじゃないかと。
先客の方がすでにぶっきらぼうに指摘してくれていたので、追加でやんわりと指摘。起きてからチェックしたら、管理人さん、しっかり削除してくれていた。ついでに、先客の方や当方の指摘も、ちゃんと削除してくれていた。管理人さん、ご苦労様でした。指摘自体が、現在違法画像があるよと言ってるような、ヤバさの暗喩ですもんね。すみません。でも、一刻も早く、違法画像撤去、お願いしたかったものですから。あなたの板が荒らされず、永く存続いたしますよう、心よりお祈り申し上げます。
そんなこんなで、自分のHPにも、パノラマ写真だけでなく、かわいいのの写真もアップすることにする。違法画像ではありません、念のため。
小林信彦さんの「裏表忠臣蔵」読了。著者らしい都会的なシニカルさ全開。田舎者としては、恐縮することしきり。でも、気持ちはわかるつもりです。みちのくの人間から見ても、近代というのは、南からの侵略と文化破壊の歴史ですから。
そうなんだよな。明治維新にしたところで、龍馬さんも新撰組も表看板でいまだに人気抜群だけれど、会津戦争のような蛮人による侵略としか思えない事態(あれは大戦末期のロシア軍なみの非道さだぜ)もあれば、当方・奥羽列藩同盟のような、地味ーなおっさんたちの苦慮の歴史もあるわけですから。
食事(もはや朝も昼も夜も無関係に、空腹に耐えかねたら食う、というパターン)の時、昔録画しておいた北大路魯山人のドラマを観ていたら、頭脳過熱。クールダウンに棟方志功さんが観たくなり、ビデオテープの魔境の大捜索。45分の文化映画を観るために、捜索1時間半。でも、他に再見したいのがいっぱい見つかったので、良しとしよう。おお、NHKで昔録ったまま紛失していた、「菓匠たちの冬」発見。いいドキュメントなんだよな。DVDに落としておこう。
HPのゲストブックに、五十嵐氏の足跡。暇なもんで、とりあえず浅くガシガシ広げてます。旧友の名は利用するまいと思いつつ、メタタグにしっかり入れている、姑息な私。ごめん。典型的自意識大放出・他人様からは放置プレイHPですので、そちらに悪影響が出るはずも無いと思います。検索でも、ドッコ沼の観光案内と間違えられてるみたいだし。そりゃそーだ、看板がまんまだもの。また今度、町田に遊びに行きたいね、って、ただ飯狙いか、俺。
イラク人質状況、好転との報。とりあえず、おめでとうございます。自衛隊の皆様も、ガシガシ命がけで復興支援して、目先ではなく、将来のイラクの対日感情と、日本の油事情のために、貢献してください。そのために行ってると解釈し、税金納めているので。

4月14 水

小雨もようだが、暑からず寒からず、快適な気温。
散歩と買い物。
今年は花見もできなかったなあ、と思っていたら、帰り道の側溝に、花弁がちらちら。見上げると、ご近所のお家の庭に、桜が満開。暖かい雨の中の桜、しばし楽しませていただく。眼福。
「比翼の鳥」、やっぱり構成からやりなおし。たかちゃんの続き、頭に浮かぶ。
日美野梓ちゃん、拾っても拾っても画像が落ちているので、常時接続のありがた味、満喫状態。仕事にならんぞ、って、仕事ないんだってば。

4月13日 火

お気の毒な3人の、家族の方たちの家に、嫌がらせの電話やFAXが、殺到しているとのニュース。拘束事件そのものより、陰湿。でも、これが日本の恒例行事なんだから、つくづく鬱になる。
えー、私、接客業20年強の経験から、日本人の5%は、一見正常な社会生活を営んでいながら、実はまったくの狂人、あるいは白痴である、という結論に達しております。俗に一般常識と言われる概念も、無慮1億種類ほど、存在すると思われます。
大体、政府がガキのような言い訳をするからいけない。「だから危ないから行くなと何度も言ったのに」でしょう。じゃあ、自衛隊の人は、捨て駒か。いや、あっちは軍人だから、とでも言うのか。それすら言えんのだよな、立場上。矛盾の塊。
やっぱり小泉さんは、首相、無理のようだ。
さて、自業自得覚悟で、自由に生きましょうか。

4月12日 月

今期2回目ハローワーク。戦果なし。
その後、久しぶりに秋葉。
イラクでは、未解決状態続いているようだ。もともと、反米勢力といっても、大きいのから小さいのまで、勝手にてんでにやっている状態だからなあ。お気の毒な3人の方にしても、恐らく一発狙った少数勢力が、攫いやすかった、というだけで、深く考えもせずに攫ってしまっただけでしょう。周囲の反響に攫った当人たち自身、たぶん右往左往。まさに、イ〇シ・〇ラ〇。ブラジルのアスタ・マニャーナよりも始末が悪い。
小泉首相に賛同する訳ではないが、生産的でないテロは、断固否定させていただきます。戦争、という社会現象は、サイボーグ009じゃないけれど、人間が人間であるかぎり存続せざるをえないのでしょうが、テロはただの殺人でしょう。目的と行動がともに生産的なものであって初めて、戦争が始まるべきであって、結果それは非生産的社会現象の最たるものとなってしまう場合が大多数なのだけれど、それでも当初の方向性は、違うべきです。それが人間としての最低レベルの矜持とでもいいますか。
あえて、誰も殺すな、とは言いません。人間としてちゃんと選べ、と言いたい訳です。
などと偉そうに打鍵しつつ、これから小林信彦さんの「裏表忠臣蔵」の続きを読もうとしている私。説得力、ないですね。

4月11日 日

イラクの一件も無事解決しそうで、いやあ、慶賀の至り。
日本人の大半は、自衛隊もふくめ、おおむね善人ですので、今後ともよろしく。一部下心満載の日本人もおりますが、次回はそういうのを選んで、事を起こして下さい。偉いんで攫いにくいとは思いますが。
さて、誰も期待していない「比翼の鳥」、もはや収拾がつかない状態。まだ登場もしていないキャラが、頭ん中でガンガン自己主張状態。これは初めから組み直さないと無理か。
面倒になって、過去の漫画のアップで、骨休め。

4月10日 土

唐突ですが、日美野梓ちゃんが、可愛い。まだ会田我路さん関係でしか見れないみたいだが、あうあう、かーいいよう。磯崎亜紀子ちゃん以来の、ガッチャ。そうだそうだ、河崎実監督、今は何をやってらっしゃるか知りませんが、これはもう、イコちゃんやってもらうしかないっしょ。亜紀子ちゃん以来の、真のイコちゃんが撮れますぜ、旦那旦那。
田川氏より、相互リンクしてくれたとのメール。いやあ、こんなわけのわからん私の恥ずかしい写真送ります的HPに繋げていただいて、申し訳ない。多謝。

4月9日 金

4時就寝の9時起床。逆になにか損してる気分。
久々のからりとした晴天。午後からお散歩。制服姿の女子中学生多数。よしよし。
調子に乗って、かっぱ寿司で10皿食べてしまい、苦しい思い。しかし半年前は、このう えハンバーガーまで食っていたのだから、胃袋やっぱり小さくなった。よしよし。
なぜか夜食を摂りながら少しずつ読むのが習慣になってしまった、斎藤隆介さんの「職人衆昔ばなし」、終盤に入って、また泣かせるエピソード。「二代目源さん組子噺」。市井の個人の生きる理由そのもの。

4月8日 木

9時起床。まずまず。
氏家もくさんのBBSに上げた絵に、もくさんの返信。忙しそうなのに、すみません。
イラクでは、ついに予想どおりの事件が起こってしまったようだ。
もともと戦場のど真ん中での報道であり、市民ボランティアであり、人道復興支援なのだから、起こって当たり前の事ではあるのだが、相手側に日本の状況など理解するだけの知性のある人間がいるのを祈るのみ。〇ン〇・ア〇ーでなんでもありのお国柄なので、知性があっても、こちらの知性とは違う可能性も高く、不安。
あの地域の問題というのは、紀元前に戻って修正でもしない限り、解決不能だろうし。

4月7日 水

正午起床。昨夜は4時頃まで起きていたので、こんなものか。
久々にゲーム関係のHPをのぞき、おまえのなつやすみ、というエロゲーが爆笑ものらしいので、お試し版をダウンロードしてみる。ハワイ行きそこねネタ、寅さんの4作目前半と同じ設定。バカに徹して、大いに笑える。買い。
比翼の鳥、打鍵続ける。
小林信彦さんの「和菓子屋の息子」、読了。昭和前半の東京の下町の商家、誤ったノスタルジアではない実際の生活感が伝わり、堪能する。

4月6日 火

本日も無事、8時起床。
一般的な時間帯に近づきつつあるのはいいのだが、1週間近い逆転の後遺症で、明るいうちはどうも頭が冴えない。「比翼の鳥」の打鍵再開するも、1シーンに4時間かかる始末。
午後、〇〇氏より電話。要注意人物。もと会社の人で、使い込みと失踪をやってのけた猛者。以前ひょっこり〇〇に顔を出して、ちょっと口をきいて以来。退職者仲間と思って、連絡してきたらしい。えーと、すみません、あなたは懲戒免職で、私はいちおう円満退社なんですが、と思いつつ、退屈紛れに、〇〇駅で合う。
あいかわらず、怪しい商売で食いつないでいるらしい。しかし、話しているだけだと、憎めないキャラなんだよな。
失職祝という、不思議なお祝いをもらう。現在の彼の取り扱い商品らしい。中国製の栄養ドリンクで、大層高価なものである、とのこと。私も怪しい商売に巻き込むつもりかな、と思ったら、1時間ほど話しただけで、忙しげに帰ってしまった。本当に激励してくれるだけのつもりだったのなら、申し訳ないことをした。
買い物をして、夕方帰宅。お祝いのドリンク、飲んでみる。説明書は中国語で完全には読めないが、ゼナの高いやつなどに入っているのと同じ漢方成分だけは読める。で、いきなり視界のコントラストがMAXになる。なにこれヤバい薬じゃん、大丈夫か、死ぬんじゃないか、と不安になっていると、大丈夫でした。大丈夫過ぎるくらいでした。おいおい、独身者にこんなもの飲ませんじゃねーよ。どーすんだよ、こんなに一部分だけ元気になっちまって。
あわててネットで検索すると、おお、こういうドリンクだったのか。知らなかったのは私だけか。ちなみに、醒獅液、という、たしかに高価なものでした。〇〇氏、けっこう儲かってるんじゃないのか。お付合いする気はありませんけど。

4月5日 月

昨夜は1時就寝、朝8時に起床。おお、まともな時間帯の生活に戻れるか。
帰省のため空にしておいた冷蔵庫(いまだに4半世紀前の冷凍庫なしのやつを使用しているので、冷凍機能がないため、ちょっと長い留守をするときには、空にしといたほうが無難)を満たすため、買い出しへ。
ダイソーでインスタントコーヒーと緑茶、入浴剤も補充。おっと、昭和の歌のCD付き入浴剤なんてのが、ダイソーまで進出している。昨年は昭和の銭湯のフィギア付き入浴剤を、コンプ目指して711でガンガン買ったものだが、あの頃は定職があったからなあ。でも、100円ならよかろう、と自分を納得させて、ふたつばかり購入。ヒデとロザンナ、ちあきなおみが出た。あう、千賀かほるさんも欲しかったよう。ふつうの入浴剤の6回分100円のやつも、5箱補充。風呂はいいよね。ミッチーの「ワンダフル入浴」なんて、せつなくていい歌でしたね。
西友で100円セールの食材を漁る。100円ばっかや。でも、野菜ジュースは、お気に入りのやつが、300円近くするんだよなあ。こんど遠くのダイエーまで行ったとき、まとめ買いしよ。
スーパー前で古本市という名の雑本市をやっていたので、物色。小林信彦さんの未読の文庫を数冊発見。これも100円均一。あうあう、うれしいよう。BOOKOFFだって、こんなに綺麗な状態のやつ、100円じゃ売ってくれない。小林信彦さんは、昔から読みたいとは思っていたのだが、当時は筒井康隆さんや井上ひさしさんに忙しくて、コラム物と喜劇人物だけ読んで、小説は読んでいなかったのだ。
ところで、この前読んだ唐沢俊一さんの本に、筒井康隆さんを、大家の地位欲しさに変節してしまったように表現している部分があったが、深読みの達人唐沢さんにしては、ちょっと疑問。日本語の文芸家としての筒井康隆さんの方向性は、デビュー当時から全然変わっていないでしょう。方法論は変わっているかもしれないが、たとえば「東海道戦争」と「虚構船団」だって、等価だと思うのですが。どちらも恍惚としてしまうような日本語です。
ダイソーで買った緑茶を飲み、愕然。いままで飲んでいた緑茶と、同類の物とはとうてい思えない、奇妙な味。いかに100円とはいえ、これは破棄するしかない。インスタント・コーヒーのほうは、ちゃんと飲めるのに。あわてて買い直しにでかける。といって、100グラム500円の伊藤園に戻るのもちょっと苦しく、300グラム500円弱の伊藤園玄米茶を買ってみる。で、今度はおいしくいただく。
本日の学習。日本茶だけは100円はパス。

4月4日 日

父の13回忌で、土日は山形。一昨年あたりまでは母親が仕切っていたのだが、これからは自分。お寺さんにもよろしく伝えておく。
さて、出かける時は5月の陽気で、帰ってくると1月。山形より寒い。
桜の盛りも過ぎたというのに、えー、気象さん、気象さん、もうだめですか。数年前から世界中でめちゃくちゃやってるようですが、もう限界ですか。キレた?
新幹線車中で、丸山三四子さんの「マネキン・ガール」読了。詩人の妻の昭和史、という副題。丸山薫さんの奥さんの回想記。育ちがいい、ということが、無敵であった時代があったのだ。奥様、あなたは素敵だ。でも昭和ももう終っちまったんだよな。

4月1日 木

今日は映画1000円均一。「イノセンス」再見。やっぱり名画。読取るべき間が多く、眠くなる暇もなし。間が多いと眠くなる、という人も多いが、それは「間」ではなく「無駄」なのであって、押井監督のは、実に伝統芸能と同レベルの「間」です。
前回観たあとあちこち押井監督の話をさがしていたら、最初の方の人形の目の写りこみで、すでにテーマは言い尽くしている、などとあったので、初見のとき気づかなかった身としては、気合を入れて凝視。……はい、冒頭から泣いてしまいました。
帰ってメールチェックすると、おお、ゲストブックに知らない人の書き込みが。しろたさん、どこのどなたか存じ上げませんが、おありがとうございます。でも、どこからきてくれたんでしょう。Yahoo? SEA−links? それともあっち方向? よろしかったら、後で教えて下さい。それから、どこらへんでおもしろがってくれたのか、とか、書いてくれるととっても参考になりますので。

3月30日 火

コインランドリー、買い物などで、あっと言う間に夜。メールを開くと、英語と妙なキリル文字のようなもの。しまった、昨夜紛れ込んだヤバげなページで個人情報吸い上げられたか、でも、ノートンさんフルで入ってんのにな、などと思っていると、サーパラから、あわててウィルス入り添付ファイル付きとの警告。よく見れば前のメールの送信者は、サーパラ名義。おやおや、サーパラともあろうものが、ウィルスをもらってしまったのか。まあ、こちらは、添付ファイルはウィルスチェックしてるので、ノートンさんまかせ。別に新種でもなかったようだが。
ランドリーがえりに、魚を焼くいい匂いが漂っていたので、マルエツに行って鮭購入。
はい、よいこのみなさん、この日記のおじさんは、おかあさんのようにまるぼけになって、じぶんのはんぶんぼけているあたまがこれいじょうはたんしたらこまる、そんな姑息なことをかんがえて、どうぶつせいたんぱくしつは、なるべくおさかなさんで採るようにしているのですね。
でも、しつぎょうちゅうでおかねがないので、しょうみきげんがもうあした、そんなのをはんがくしょぶんで買っています。おおきいぴちぴちのしゃけをおみやげにもってきてくれる、ひぐまさんのおともだちはいません。しかも、おさかなさんを焼くのがめんどうなときは、おもわず駅前の松屋さんに行って、ぶためしのおおもりをたべてしまったりします。こういうこらえしょうのないおっきいおともだちは、ぼけるまえにしんきんこうそくでしんでしまったり、のうけっせんではいじんになったりします。みなさんも、ひごろからちゅういしましょうね。なお、すでにみらいをほうきしているおっきいよいこのひとは、このかぎりではありません。どんどんぶためしをかっくらってくださいね。
ああ、変換ほとんどしなくていいから、この文体は楽だ。いまだにブラインドタッチなんて、不可能だからなあ。

3月29日 月

唐沢なをきさんの電脳なおさん新刊、嬉しい。ついでに立ち読みで映画雑誌を見ると、「イノセンス」にまた評者の感受性を疑ってしまうような批評。キャラが皆無表情で、特にバトーはゴルゴ13レベルだと。おいおい。20代の記者とかライターだったら、もうアメリカのドンチャン映画で頭と目が砂糖菓子になってるのが多いから仕方がないかもしれんが、あのキャラたちが、往年の欧映画レベルで、表情で演技してるのが見えんのか。声優さんたちの声の表情だって、アメリカあたりのただ聞き易いだけの声とは、別レベルなのがわからんか。もし30代以上の人間の評だったら、アニメの表情もともと読めない人か。だとしたら、そういう人にアニメの批評をさせる編集部のほうが問題だが。

3月27日 土

夕飯、というより、1日1回の飯を食べながら、HP遊びで中断していた、斎藤隆介さんの「職人衆昔ばなし」の続きを読み出す。感銘。己の職分と己の規範のみにこだわり、公などは埒外。結果、公の方からその人に擦り寄って来るわけだ。なんか最近、他の話で、これと似たような情動を覚えたな、と思ったら、プロダクションIGのHPで、デジタル技術者さんの話を読んだ時だった。なるほど、「イノセンス」もこれに支えられてるんだなあ、と納得。やっぱり、粋(いき)でしょ。
ところで、この3日、まったく外出しとらんぞ。名実ともに、引き籠りの仲間入りか。

3月25日 木

12時就寝、18時半起床。いやはや。まさに昼夜逆転。
HPに、初めて知人以外の外部からの反応。Yahooの登録、チェックしてくれる方も、いるんですね。小説のファンタジーから入ってきてくれたらしい。あそこは、登録数、写真や漫画より少ないから、見つけてくれやすいのだろう。とくに「ママおで」が気にいってくれたとのこと。その方のHPも、のぞいて見る。導入部でお気に入りキャラがいきなり死んでしまう。で、お礼のご返事というか、いきなり助命嘆願のメールを送る。しかし、あのたかちゃんを読んだ後で、「いつか見た」を読んだら、もう来てくれないかも知れないな、などと心配しつつ、チェック続け、明日にはアップしてしまおう。

3月24日 水

結局、夜明かし。これはもう、早寝はあきらめて、どんどん後ろにずらしこみ、一回転させるしかないか。
といいつつ、昼前に就寝、15時半起床。
昨夜は「ポンポン」の一部と、「いつか見た遠い海」のスキャン。「遠い海」、あえて大昔のまま最低限の修正に止め、寝室に置こ うか。どっちにしても、もとの同人誌の印刷小さすぎて、OCRが四半分は読み取り不能なので、全部チェ ック必要。
で、結局、25日朝の10時、第1次チェック終了。結局、ペドの居直りに拍車をかけてしてしまった。というより、相手が現在どういう存在であっても、その時点で本気で入れ込んでしまったのなら、走るしかないでしょ、ということ。25年前にカットしていた部分も、元原どおり書き込む。
こりゃあ、稚拙というより、もはや恥拙。他人の心理を願望でしか書いてないぞ、厨房の俺と大学の俺。公開するのか。するでしょ。1億人にひとりくらいは泣いてくれるかも知れないし。

3月23日 火

「イノセンス」観に、コルトンプラザへ。堪能して泣く。すごいわ。こういうのを観てしまうと、ちょっとしばらくは、立ち上がれなさそうな気分。押井監督の、無限に繰り返し語り続ける世界感が、階を昇るごとに語り尽くされて行くという……。偉大なるボレロ監督ですね。で、今回は、な、なんと愛まであるぜ。これはもう後藤隊長と南雲隊長が結ばれたように狂喜乱舞。大丈夫か、次はどこまで行っちまうのか、と心配になるが、大丈夫でしょう。死ぬまで語り続けるタイプだと思うので。
でも世間では、おたく向けだの、わけがわからないだの、的外れの評判も散見。ああ、淀 長さんが生きてたらなあ。久しぶりに映画らしい映画を観た、と、言ってくれるに違いない のだが。高校時代はまっていた、フランスのフィルム・ノワールとか、現代滅びてしまったジャンル、近ごろの若い衆も年寄り衆も、もう受けつけないんだろうなあ。粋、という概念、個人レベルではほとんど失われてしまってるからなあ。

3月22日 月

普通に寝ようとするも、当然眠れず、明け方まで、昔の荷物のチェック。大量の過去の文章発見。自分でももはや思い出せない断片も多く、高校時代の大学ノートなど、びっしり大長編の未完分が書き込まれている。もはや、自分で読む気にもなれず。なくしたと思っていた漫研の部誌も1冊発見。おお、HPのネタが。
ネットで注文していた古書店より、唐沢なをきさんの、夕刊赤富士扶桑社版、到着。奇書なり。これは良い物ですよ。個人的見解では、戦後のギャグ漫画には3回の進化があり、最初が赤塚不二夫さん、次が山上たつひこさん、次が唐沢なをきさん。

3月21日 日

結局11時頃まで、ママはおでかけをHP用に構成し続ける。ついでに内容も校正。
で、外の晴天を横目で見ながら就寝、20時少し前まで熟睡。世間様では、引きこもりや睡眠障害と呼ぶ生活に近付いてきたが、当人、快調だし、熟睡できる。
田川氏や渡辺氏に、HP開設の紹介と、リンク報告のメール送る。

3月20日 土

また14時起床。わーい、しゅんぶんのひだあ。で、起きると真冬の雨。ひさしぶりに歩こうと思うと、雨が降っているのが、近ごろのお約束。
いくら三寒四温といっても、5月中旬と2月上旬を交互にやるのは、やめてほしい。
くしゃみが3回でたので、ルルを3錠飲む。
翌朝午前4時45分、ママはおでかけ、脱稿。4日がかり。いやあ、くたびれた。でも、満足。しかし、400字詰換算だと、80枚を越している。まさか、こんなに長くなるとは。
HPに上げるときは、分割しないとなあ。

3月19日 金

朝5時頃、いきなり買い物したくなり、マルエツへ。お客は自分ひとり。店員は、ご主人ひとり。面積は、コンビニの10倍。大変ですねえ、と、思いながらも、特に余計な会話はかわさず。なにか言われると、嬉しいのだが、同時に妙な嫌悪も感じるのが、以前の自分だったから。
14時起床。いやはや。でも、最近は昼が長いので、お日様には当たれる。思い起こせば、学生時代の後半は、いつもこうだったはずで、精神的にも充実していたはず。体調も悪くない。やむをえずこうなったわけではなく、仙台の予備校時代から、頭を使おうとすれば自然にこうなっていたのだし、それで本番では試験もこなせたのだから、特に問題はないか。これで問題があるのなら、時差の調整と共に生きている国際的なひとびとは、みんな病人になる道理。ああ、伊藤園のお茶は、やっぱりうまい。
ママはおでかけ、打ち続ける。何の目的も無く、他人にはなんの意味もないものを、ひたすら打ち続けているのは、疲れるがやはり楽しい。

3月18日 木

なんとか、13時に起きる。
このところ、HP用に書き始めた、「ママはおでかけ」にはまっている。
ネットで、唐沢なをきさんの赤富士の旧版、2冊とも発見。それぞれ別の書店だが、片や5 50円、片や2500円。背取り商売がなりたつのも道理。上下揃いで5000円の価値はあるはず。新古本系は、ほんとにマニュアル通りの値付けしかしない。それとも、エンターブレイン版の価格を、参考にしてしまっただけか。

3月17日 水

ますます行動時間がずれてゆく。寝たのが正午、起きたのが16時。
楽しいからといって、気がすむまでやっていると、また扁桃腺に行くので、少々注意。
なまぬるい湿気た強風の中で、2日ぶりに外出、買い物。しかし、さわやかな天候、いつになったらおとずれるのか。厳冬のほうが、自分ではまだ快適。
ヤフーBB、なぜ料金は自動引落になるのに、HPが25メガ使えないのか不思議に思っていたら、無料体験の仮登録IDのまま、回線を使っていたと判明。あわてて正規登録し、容量無事増加。
夜、もと会社の知人、脳梗塞で死去との報、別の知人より。享年54歳。いやいや、本当に明日をも知れぬ人の命。明日は我が身か。
あわてて通夜へ。〇〇駅前の住人だったので、〇〇斎場。私にとっては、こんな言い方も不謹慎だが、不幸中のさいわい。徒歩1時間で行ける距離なので、交通費はかからない。

3月16日 火

行動時間がどんどんずれて行く。
寝たのが朝10時、起きたのが15時半。
HPというオモチャは結構はまる。数年前、Windowsパソコンを入れたとき、あるいは、さらにさかのぼり、PC8801やMSX2や、専用ワープロをさかんに使っていたころのような。作り話に続きを書いたのは、10年ぶり、いや、それ以上か。ろくな内容でもないくせに他人に見せたくなる点も同じ。没頭すると、それ以外はすべてどうでもよくなる点も同じ。

3月13日 土

ホームページビルダーの解説本をさがしに駅前へ。ついでに、ゆうきまさみさんのバーディ 4巻目、唐沢俊一さんの猟奇ネタ本新刊。
解説本を読んでも、こりゃあ大変だわ。当分、ストレスとの戦いか。でも、他のお手軽ソフトだと、結局そのままアップロードに持って行けないしなあ。

3月11日 木

生暖かい風がごうごうと吹き荒れる。気温は5月中旬だそうな。明日からはまた平年並み とのこと。もう無茶苦茶。
yamu氏より、リンクOKのメール。ありがとうございます。
ホームページビルダーをダウンロード購入。これでセーブしたデータは、直接Yahooにアップロードして大丈夫のようだ。
今までのおまけソフト作成分を、全部構成しなおす。Webで見る分にはいっしょだが、これでだいぶ修正しやすくやった
しかしこの新しい玩具は時間を食う。あっと言う間に夜から夜と朝の間まで。

3月10日 水

HPの模索で夜があけてしまった。
午後、山形の〇〇寺に連絡。父の十三回忌のお願い。幸い4月4日日曜の午前が空いていたので、お願いする。しかし、膨大と思われる檀家の管理は、どうしているのだろう。もと〇〇の岡〇祐〇郎の息子の〇、祐〇郎の十三回忌、等のキーワードで、すぐにわかるものなのか。どういうデータ管理をしているのか、ノートかカードかパソコンか、いわゆる過去帳なのか、一度うかがってみたい。
今年に入って初めての、本格的部屋掃除。布団が作れそうなくらいの綿埃。
HPに、「山形市の街並み」へのリンクを貼りたくなり、yamu氏にメール。以前からひんぱんに訪れ、はらはらと落涙などしていた、山形代表HP。
HPのネタ探しに、高校時代の文芸部の部誌を引っ張り出す。内容の稚拙さはともかく、 妙ないきおいと妙な空想の緻密さに感心。マスターベーションと同様、とにかく1日中、 早くもっと、かきたくてかきたくてたまらなかったのだな、あの頃は。
夜、セシールのメールで、吉野家牛丼業務用の広告。思わず買い物かごに入れかけるが、よく見れば1.5キロ1袋単位。断念。いいさ、独身者には、豚めしという強い味方がある。