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02月28日 火  赤信号、みんなで渡ればみんなで昇天

 まあ話題の『YAMATO』はついうっかり先週観てしまい、もはや何を言う気力もなかったので口をつぐんでいたのだけれど、ついつい板のほうのたかちゃん話に『宇宙戦艦ヤマト』の対極にある愚作として寸評してしまったので、ちょっと補填。
 佐藤純彌監督がおかしくなり始めたのは、やはり春樹氏の投獄前、角川映画に関わってしまったあたりからだろう。それまでは、多少荒唐無稽でもきっちり楽しめ、なおかつ貧民(個人?)の反骨心なども描いてくれる、手堅い娯楽監督だったのである。『新幹線大爆破』、『君を憤怒の河を渉れ』などは、当時大作扱いでもやはり当時のビンボな邦画界のこと、ところどころの映像のチープさには「あちゃちゃー」な部分もあったが、全体的には今観ても血湧き肉躍る佳作である。それ以前の東映プログラム・ピクチャー群だってきちんと納得して楽しめたし、『廓育ち』などは、俗な分だけその社会感覚に胸を抉られた(ロリのシークェンスもあるし)。しかし『人間の証明』あたりから、妙に大味な形だけの大作ばかり目立ってきた。もともと個人の葛藤を娯楽化するタイプの方だと思うのだが。今回の『YAMATO』に関しても、制作前の醒めた大人的発言はどこへやら、できた本編は相変わらず散漫な旧角川映画パッケージである。しかし、泣いているらしいのである。YAHOOのレビューなど観ても、老若男女、じつにまあ春樹坊ちゃんの吹くがままに踊るありさまは、まるで一時期の小泉首相の支持率のごとくである。平日の入りの少ない劇場ではそんな気配はなかったから、春樹氏お得意のマスコミ演出かもしれないが、『この映画を酷評する人は、ほんとうにこの映画を観ているのだろうか』などと、マジに訴える若者もいるくらいだ。観たよ。1800円あったら豚めし何杯食えるかと泣きながら。
 散漫で完成度が低いだけなら、まだいい。いったい日本人というやつは、いつからこんな女々しい言い訳ぶっこきながらでないと、死ねない人種になってしまったのだ。異国の『ラスト・サムライ』にさえ、戦う前から負けてるぞ。三島先生が草場の陰で慟哭してるぞ。なんて、ほんとは『葉隠』、コンプレックスむんむんで苦手なんですけどね。『忍ぶ恋』のくだりなどはすなおにうなずけるし、部分部分のフレーズにはグッとくるが、全体は矛盾だらけの言い訳みたいなものである。むしろ武士道というやつは、西行や芭蕉のような、死を越えて自己実現を追う旅に帰結すべきではなかろうか、などと思っている。小泉八雲の『ろくろ首』に出てくる遊行僧もいいですね。いずれにせよ『愛国』という本来多種多様であるべき概念をあたかもひとつのトレード・マークであるかのように無理矢理パッケージ化して、犯罪者も敗残者も被害者も無自覚者もいっしょくたに靖国神社にまつりあげ、いまだに黙って負けを認める潔さのないこの国は、当分勝ちには回れないだろう。
 『犬死に』は『犬死に』なのである。そこにはどこぞの経済評論家たちの著すような結果論も、歴史家の垂れる後付けの言い訳も、高尚な美学も衆愚の居直りも不要だ。ドブに浮かぶ痩せた犬の死骸は、おそらく死の瞬間まで『ただ生きられるように生きようとしていた』だけだろう。南京で日本兵に犯され殺された少女も、アウシュビッツのガス室で悶絶しながら死んで行った少女も、広島の夏の日差しの下で一瞬に蠢くケロイドの人型に変わってしまった少女も、おそらくその直前まで『ただ生きられるように生きていたかった』だけだろう。
 そんなこんなで、自分にとっての映画『男たちの大和』(原作は読んでいないので不明)は、古典ロリ小説にたとえれば『ペピの体験』同様、きわめて表層的な作者と読者(観客)のマスターベーション・ツールであり、タイトル・ロールの大和や淫乱幼女ペピちゃん、つまり物語の根幹そのものは、残念ながらまともに形象されていない。かつての松林宗恵監督作品『太平洋の嵐』や『連合艦隊』のほうが、一見表層的でありながら、見事に本質を突いていたと思う。さすがに僧籍にあった監督である。松本零士氏の『大四畳半物語』や『男おいどん』の生活空間が『宇宙戦艦ヤマト』と同じ宇宙であるのと同様、『社長シリーズ』の喜劇空間は、戦艦大和の沈む海に確実に繋がっている。

   
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山  ――西行

 とゆーよーなわけで、ワッテン・リヒターの『ローレ』のようなエロロリのしたたかで愛しい守銭奴(でも純愛)生涯などものしてみたいと思いつつ、イマイチ度胸がないので、今宵もキャロル方向にすたこら逃げ込む狸であった、まる、と。



02月27日 月  インドの山奥→トリノの雪山

 インドの山奥で修行したという『レインボーマン』、ケーブルでの放映がようやく2クール目に入り、おう、出たぞ有川大特撮、などと喜んだら、やはりガキの頃の記憶はいいかげんなもので、これが当時の映画『緯度0大作戦』からの流用フィルムなのであった。新撮部分は、やっぱりそぞろ侘びしい超低予算特撮のまんま。しかし、塩沢ときさんのイグアナはやはり絶品で、大満足。死ね死ね団の面々や、平田昭彦さんの首領は、正直大笑いしながら楽しんでいるのだが、イグアナさんレベルまで奇っ怪な存在感が高まると、おのずと笑いを超越して頭が下がる。なにやら有り難みまで感じるのである。考えてみれば、かつてオウムのやろうとした、いや、実際やった事などは『死ね死ね団』レベルなのであって、信者にはあのぶよんとしてしまりのない麻原も、洗脳によってイグアナさん級怪人に見えていたのかも知れない。いやいや、おそらく本来大笑いするべき首領をあえて美化して、自分たちがイグアナさん級の怪人になりたかったのかも。いずれにせよ、塩沢さんほどの想像力というか人間の器がないので、誘拐や処刑やサリン撒きを白痴的に実社会でやらかす形でしか、自己実現できなかったわけである。インドで修行しなおすのが吉。

 トリノではなんかいろいろ燃えたりしくじったりメダルの数で面目どうのこうのと大騒ぎだったようだ。自分としては、冬期種目はフィギュア・スケートを邪念たっぷり視線で見守るのを除けば、実はバイアスロンにしかほとんど興味がない。我が国ではメダルなど初めから狙えないレベルの種目のこと、ただあの黙々と雪山を進み瞬時に獲物を狙う原始的感覚が、観ていてたまらないのである。陸自の目黒香苗さんに追われて果てしなく雪原を逃げ惑い、ついに撃ち殺されて目黒さん一家の夕餉の狸汁になる(香苗さんはすでに人妻なのである)のを夢見たりするのは、雪洞に引き籠もりがちな老狸だけか。


02月26日 日  魔術

 録画しておいた『知られざる魔術の世界』、4回分通しで観る。200分あったが、全く退屈せず。手品が大好きなのである。古い宗教がらみのトリックやら、第二次大戦中のアフリカ戦線でロンメル率いるドイツ軍をトリックで煙に巻いた英国の奇術師やら、アメリカの田舎回りの牧歌的巡業手品師やら、映画や小説にしたら面白そうなネタがてんこもり。なにも派手なフーディーニ流に限らないのですね、奇術師の世界も。しかし、奇術と初期映画興行がリンクするあたりで、あの特撮の創始者・メリエスが、晩年は尾羽うち枯らして駅前の売店で細々と糊口をしのいでいた話などは、話としては知っていたが、いざ映像で観ると胸に迫るものがある。

 お料理を始めるはずだったたかちゃんトリオが、いきなり脳内で手品を始める。
 おどろおどろしいゴシック調の舞台。
 燕尾服に付け髭のたかちゃん、助手らしいくにこちゃん、そして寝台に、白衣のゆうこちゃんが横たわっている。
 サイレント映画らしく、セリフはすべて字幕。
『そのいち。きょーふの、じんたいせつだん』
『こくり』
『……どきどき』
 ゆうこちゃんのおなかに、たかちゃんの操る巨大な丸のこぎりが迫る。
 ――ちゅん。
 ほんのちょっと白衣をかすっただけで、ふ、と気絶してしまうゆうこちゃん。
『もう、しんだか?』
『きをうしなっております』
『あばれなくては、おもしろくない』
 くにこちゃん、舞台の前から、来賓の父兄に参加を促す。
 なぜかこいずみしゅしょうにそっくりのおとうさんが、こいずみしゅしょうそっくりの無邪気な笑顔を浮かべながら、舞台に上がって手を振る。パフォーマンス好きのおとうさんらしい。
 くにこちゃんが抱き下ろしたゆうこちゃんに代わり、こいずみしゅしょうは、や、や、や、と客席に手を振りながら、寝台に寝そべる。とことん目立ちたがりらしい。
『せつだん、かいし』
『こくり』
 ――ちゅいいいん。
 迫る丸のこぎり。
 ――ちゅん。
 飛び散る血しぶき。
 にこにこ笑っていたこいずみしゅしょう、がくぜんとして跳ね起きようとするが、くにこちゃん、むひょうじょうのまま、がしりとおさえつける。
 はじけとぶ、ないぞう。
 もだえくるしむこいずみしゅしょう。
 無情に押さえ続ける、くにこちゃん。
 むずかしげな顔で、のこぎりを押し続ける、たかちゃん。
 ひくひくとけいれんし、やがておとなしくなるこいずみしゅしょう。
 しゅしょうごとまっぷたつになった寝台の向きを、たかちゃんとくにこちゃん、がらがらと左右に分け、せつだんめんを観客にひろうする。
 ないぞうがぶらさがり、血がしたたる。
『せつだん、せいこう』
『こくり』
 ゆうこちゃんもはいごからとうじょう、さんにんそろって、ぺこりと客席におじぎをする。
 ――それでおしまいらしい。

 舞台、暗転。
 あふりかの川辺らしい書き割りと、水草の小道具。
 かわべでみずあびしている、原住民るっくのゆうこちゃん。
 おそいかかる、かばのぬいぐるみ。のどのあたりに、くにこちゃんの顔がのぞいている。
『かばーっ!!』
 それがかばの叫び声のつもりらしい。
『あーれー!』
 狩猟ルックのたかちゃん、さっそうと上手より登場。
 ゆうこちゃんを背中にかばいつつ、手にしていた暗幕を、ばさりとかばにかぶせる。
『かばーっ!!』
 うごめく、あんまくかば。
 たかちゃん、らっぱ銃をかまえ、あんまくかばを、撃つ。
 あんまく、動きを止める。
 たかちゃん、おもむろにあんまくに歩み寄り、ぱ、と跳ね上げる。
 とうぜん、かばがいる。のどのあたりに、くにこちゃんの顔がのぞいている。
『……かば?』
『こくこく』
『…………』
 さんにんそろって、客席におじぎをする。
『そのに。消えないひぽぽたます』
 ――それでおしまいらしい。


02月25日 土  前言撤回(こんなんばっかし)

 と言っても3日も前の駄文への追記である。
 久々に図書館に行って、内田百鬼園先生の『特別阿房列車』やら『サラサーテの盤』やらの朗読を借り、ついでに新潮カセット版の『伊豆の踊子』なども借りたのだが、やっぱり朗読は純役者さんよりアナウンサーさんや声優さんのほうが上手いなあ、というのはとりあえずこっちに置いといて、新潮カセットには川端康成先生自身の朗読も数分間収められており、やっぱり偉大な小説家だけあって朗読はとっても下手だなあ、というのもとりあえずこっちに置いといて、なんと先生は、作中の『私』を、すべて『わたし』ではなく『わたくし』と読んでいらっしゃるのであった。今日の今日まで、自分はたいへんな誤読をしていたのだ。自分だけでなく、かつて聞いた朗読者のすべても、である。しかし、その新潮カセットの篠田三郎さんも、『わたし』と読んでいるのはなぜなのだろう。作者自身が『わたくし』と、同じテープで(たとえ大昔の録音でも)読んでいるのに。意味だけ通じればいいたぐいの小説ではない。音律を味わうべき小説で、作者が『わたくし』と言っているのだから、それは絶対に『わたくし』でなければいけないと思うのだが。それが『わたくし』ならば、『二十歳』は『はたち』ではなく、『にじゅっさい』なのではないか。先生も中間部だけ録音を残さず、冒頭もラストも残してくださっていればなあ。

 ころりと話は変わり、こんな記事を読んで、首を傾げる。『
茶髪を理由に高校2年の女子生徒(17)に授業を受けさせず、髪に黒色のスプレーをかけたのは人権侵害だとして、京都弁護士会(田中彰寿会長)は24日までに、京都市立日吉ケ丘高校(同市東山区)に対し、改善を求める要望書を送付した。要望書などによると、女子生徒は茶髪を理由に学生証用の写真撮影を学校に拒否され、2年生だった昨年4月、髪を黒く染めるスプレーを無理やり教員にかけられた。8月には、同じ理由で授業を受けずに下校するよう指示され、テストが受けられなかった。女子生徒はやむなく髪を黒く染めたが、その後休みがちになり、10月、通信制私立高校に転校した。精神的ショックで、現在も精神・神経科に通院しているという。(共同通信)2月24日19時23分更新』。
 指摘するまでもなく、この記事には最も重要な点がすっぽぬけている。その高校で、茶髪禁止が校則にあったかどうかだ。あったとすれば、その女子生徒は被害者ではなく反逆者であり、反逆のリスクは当然負わなければならない。また校則になかったとすれば、その教員や校長がどんな私見をのべようと、人権侵害どころではない純粋な犯罪者である。そうした『公平のための基準』をしばしばすっぽぬかして意味不明の記事を流したのは、やっぱりいつのも共同通信なのであった。つまりこの記事は、女子高生や教師の寸足らずに関する報道にはなっておらず、配信社の寸足らずを報道しているのである。


02月24日 金  続・小さな親切余計ななんとか

 さて、あるお方のHPにリンクの加わったあるお方のノベル系サイトを覗かせていただいたら、「webで公開するなんて作品を捨てるようなもの」とどなたかに助言されたという体験談が載っており、にもかかわらずそのお方自身は共同出版した作品をwebでも公開しっぱなしという腹の据わったお方らしいので、ちょっと安心する。
 まあ、相変わらずwebはゴミ箱だと思っている方々は多く、確かにゴミ箱しか公開していないページも個人・公人・無償・有償問わず多いのだけれど、もともとなんでもありの迷宮ゆえ、やらずぶったくりから詐欺から宣伝広告から慈善活動から大道芸人から弾き語りの練習まで、何が居ても不思議はない。ガリ版刷りの自作詩集を手に、『私が書いた詩です。買ってください』と看板下げて一日中路傍に立ち続けるのも自由だし、全然売れずに深夜を迎え、ヤケクソになってばらまくのだって自由だ。買った・もらった・拾ったガリ版刷りを、読むのも捨てるのも便所で尻を拭くのも、それを手にした人の自由だ。作者名を変えて配りなおしたら、ただの詐欺だが。
 しかし、「webで公開した段階で捨てたことになってしまう作品」って、初めっから「お前、それゴミだ」と言っているのと同じだよなあ。置いてあるのはあくまでも自分ちの庭や公園やフリマのはずで、ゴミ集積所ではない。よしんば路傍に段ボールに入れて泣く泣く放置してきたとしても、にゃーにゃーとかきゅうんきゅうんとか、通りすがりのお方によっては、ゴミではないなんらかの声を聞き止めてくれるかもしれない。ことほどさように、一方的な善意の忠告という奴は、相手の胃にキリキリと穴を開けたり、己の無神経を露呈したりするので、慎むのが吉。


02月23日 木  総武線雑感

 秋葉原駅構内で、行きつけの蕎麦屋(半立ち食い)のカツカレーを久々に食べたら、食券代は同じなのにカツが厚くなっていた。目測で7・8ミリはある。とても悲しい。以前はせいぜい3・4ミリで、カリカリの固い食感が昔の学食や幼時の家のカツを思わせ、この飽食の時代には貴重な『懐かしの非グルメ』だったのに。今時厚いトンカツなど、安食堂でも食える。自分は、子供の頃母親が安い豚バラのぺらぺらの薄切りを二枚三枚重ね繋いで揚げてくれたような、ビンボなカツが好きなのだ。まあ今どき、原料段階では厚さは価格に直結しても、最終価格は残念ながら加工費や流通コスト、つまり大半人件費で決まってしまうので、8ミリでも3ミリでも大差ないのだろう。3ミリの需要が減れば、8ミリに統一されてもおかしくない。学食まで出向いても、今は往事のガリガリ薄っぺらカツなど、食えないのだろうなあ。
 なんかいろいろの帰途、下り総武の先頭車両に乗ると、久々に電車バカがいた。昔の車掌のように、駅名案内やら発着ごとの指差確認など、ご満悦で繰り返してくれる青年である。出会うときは、いつも隣駅で降りる。子供の頃、故郷の奥羽本線の陸橋で、毎日飽かずに列車運行をチェックしていた汽車バカなど思い出し、死ぬまで元気に電車バカでいてほしいと、つくづく思う。一種の精薄者なのだろうが、夕刻の味気ない満員車両では、貴重な緩衝材だ。彼に比べたら、今どき満員電車の真ん中で、携帯で部下(推定)になんじゃやら怒声で指示を出しているクソ女上司(推定)のほうが、よほど精神異常である。身なりや給料は、バカの言い訳にはならない。
 背中を丸めて暗い部屋に帰る。そろそろ兵糧が尽きそうだ。ろくな収入もないのにケーブルTVなど契約してしまう自分も、バカの骨頂だ。せいぜい汽車バカ・タイプでいたいものだと思いつつ、録画しておいた『でかんしょ風来坊』を観る。旭兄ィも浅丘ルリ子さんも、北林谷栄さんも殿山泰司さんも藤村有弘さんも金子信雄さんも中原早苗さんも、監督の斎藤武市さんも脚本の松浦健郎さんも、なんでこんなB級脳天気映画にここまで芸を尽くしてくれるのか、不思議なほど楽しい。たぶん、芸の先にある観客の視線に対する誠意なのだな。


02月22日 水  ルビ

 さて自作のルビに関しては、たかちゃんシリーズはさておきシリアス・モードだと、一般には難解そうな漢字でも字面として漢字にしたい場合は漢字にしてルビを振り、誰でも読めそうな漢字でも字面として平仮名にしたい場合は平仮名にしているのだけれど、誰でも読めそうで平仮名にしたくもなくてかつ読み方が複数ある場合、ルビは作者として責任をもって振っておくべきだろう。
 たとえば、ご贔屓川端先生の『伊豆の踊子』に、いくつか気に掛かる点がある。原稿にルビがなく、曖昧に見過ごされている部分である。冒頭近い『私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり』の『二十歳』は、朗読者によって『はたち』であったり、『にじゅっさい』であったりする。これは文意上どちらでもいいと言えるが、リズムから考えれば、川端先生の脳内では、たぶん『はたち』だったのではないか。『ららりらりりるらり、ららららららららのららららをららら』では、ちょっと間延びする。『ららりらららり、ららららららららのららららをららら』のほうが、軽やかに繋がる。そしてラスト近い別れの場の『踊子は頭を振った。』は、大概の朗読者が『あたまをふった』と読んでいるが、自分としては、文意上『かぶりをふった』に違いないと思う。まあどっちでもいいじゃん、というお方も多かろうが、やはり次の『踊り子はうなずいた』が来るまで、縦に振ったか横に振ったかわからないような不用意な表現を、川端先生ともあろうお方が、看過するとは思えない。そもそも『首を横に振った』場合、日本語としては『かぶりをふった』しかないのだが、『あたまをふった』でも、直後の『うなずいた』と相反している状況が理解できてしまうから、朗読者もディレクターも看過してしまうのだろう。とすれば、やはり作者がルビを振ったほうが読者に親切である。
 まあ川端先生も、『あたまをふった』と読まれる心配まではしていなかったのだろうが、『にじゅっさい』と『はたち』は微妙なので、死んで同じ場所に行けたら(無理か?)、ぜひお伺いしたいものである。少なくとも、どっちでもいいとは思っていなかったはずだ。


02月21日 火  小さな親切、余計ななんとか

 年明け以来、どうも右耳の付け根の上が、痛くて困っている。眼鏡のつるが合っていないのだ。
 新年に帰郷し、母親がなくしてしまった老眼鏡をあつらえている最中、所在なく店内をうろついていると親切そうな初老の店員さんが寄ってきて、眼鏡を洗浄してくれると言うので、ありがたくお願いした。やがて返された眼鏡は、かなり傷んでいた鼻あての部分まで無料で交換されており、最初は大感謝したのだが――同時にいやあな予感がした。
 鼻あての交換は嬉しい限りである。ぶよんとしてしまりのない自分がかく汗は、何か腐食作用があるらしく、痛むのは鼻あてだけではない。以前はぶりの良い時代、勤め先のテナント仲間の眼鏡店でけっこう高価なフレームをあつらえたとき、そのチタン・コーティングを三ヶ月で腐食させてしまい、「人間わざではない」と感心されたことがある。もっとも、その後の眼鏡はもっと長持ちするから、きっとチタンに対して特化された腐食作用なのだろう。閑話休題。つまり返された眼鏡は、鼻あてや各部がピカピカになっているだけでなく、微妙に変形していた全体のバランスが、妙に整っていたのだ。
 自分の頭の形は中身同様微妙に、いや、かなり歪んでいる。どんなに調整されたフレームでも、顔になじむまで半年かかる。それまでは右の耳の付け根が、大なり小なり痛み続ける。こうかなあ、などとちまちまいじくっても無駄で、かけ慣れて半年、左右のバランスが見た目にも崩れたな――そのあたりで、ようやく痛みが消える。
 親切そうな初老の店員さんにはなんの悪意もないのだけれど、ことほどさように善意や親切やサービスという奴は、受ける側の個体差によって、一筋縄ではいかない。


02月20日 月  前言撤回

 といっても幼児送迎システムや小泉ぼっちゃまの件ではなく、古い邦画について。
 以前、『花嫁吸血魔』を観たときに、やけに新東宝映画を持ち上げてしまったが、やはり昔も今も、寸足らずはやはり寸足らずなのであった。単に、うまい監督や利口なライターは予算など不足しても立派な映画を作れるとだけ、言い直さなければならない。昨日松竹映画『伊豆の踊子』といっしょに届いた新東宝映画『怪談海女幽霊』『怪談本所七不思議』を観て、ちょっとおこまり。まあ無意味なグラマラス海女たちの海中乱舞は、それを見せるための映画だから大目に見るとして、とにかくキャラの行動や心理が無茶苦茶なのである。強引な筋立てのために、「その出来事の後でその行動はねーだろう」的行動・発言の連続。それもまた、シュールなカルト作品なら一種のカタルシスだが、その両作品は、一応まともな(?)謎解きや怪談の造りで出来ている。つまり監督やライターが、人間や物語に関して、真摯に取り組んでいない。どうせ低予算でろくに制作期間ももらえないのだから適当こいていいと思っていたか、あるいは単に寸足らずだったのか。
 『花嫁吸血魔』で、あの情けないゴリラだかなんだかよくわからない着ぐるみで奮闘した池内淳子さんと、『本所七不思議』でニヒルな悪役をしっかりつとめた天知茂さん、そのおふたかたに、当時の演出やシナリオをどう思ったかなど、ぜひお伺いしたいものである。どちらも真摯にプロの演技をしているが、作品自体の一般世間的評価はちょっとこっちに置いといて、魂の報われ具合は百億万光年離れた気がする。言うまでもなく、一見もっともらしいニヒルな二枚目よりも、みすぼらしい着ぐるみのほうに、物語の魂が宿っていたのだ。


02月19日 日  みんないっしょ

 などという表現は一見『仲良きことは美しき哉』だが、どうも日本の場合(別に日本に限らんか)、なにがなんでも例外許すまじ、そんな感覚になりがちだ。特に地域社会では、そうである。そもそもグループ送迎などという厳密に父兄をプログラム制御しなければ機能しない登下園システムを作ったこと自体、いささか無理があるのではないか。天下り役人や外郭団体職員に税金垂れ流すのをやめて、送迎バスでも整備できないものか。それもまた暴走したり既知外がジャックしたりする可能性もあるわけだが、ならば警官を乗せればいい。その警官もまた必ずしも正気とは限らないが、そこはきっちり選考すればいい。まあ『聖域きっちり隠匿改革』しかやる気のない、めだつとこだけええかっこしいのやんちゃ坊主が首相をやってる限り、無理か。しかし森さんあたりから、日本の首相もめっきり腹芸が下手になった。

 ネット経由のレンタルで、野村芳太朗監督、美空ひばり・石浜朗主演の『伊豆の踊子』を観る。昭和29年の作である。そんな昔の作なのに、昭和初期の風物再現のため、きっちり時代考証担当者をスタッフに入れているからか、伊豆の風物や生活描写はモノクロでもたいへん美しく、まだ自分は生まれていなかったけれど、旧知の田舎のように懐かしい。石浜郎さんは水も滴る美男ながら一本調子、美空ひばりさんは(当時16か17のはず)は、ちょっとハスキーボイスで婀娜っぽすぎるか――よって原作の清水のような叙情は薄まっているが、さすがに市井の描写は野村監督らしく生きている。原作にはない青年側の背景が追加されており、これは原作者の川端康成さんをモデルにしたのだろう。他の映画化作品に多く見られる社会的貧富告発などの観念的なサブ・ストーリーよりも、あえて庶民生活レベルのサブ・ストーリーが、踊り子一家の境遇等に練り込まれる。それがかえって、今までに観た映画化作品の中ではもっとも原作から遠いとも言えるが、当時の川端先生は抵抗を感じなかったらしいし、原作べったりの自分も納得して観られた。そこらへんが、大衆作品でも表層的アイドル歌謡映画にとどまらない、野村監督の説得力だろう。
 これで田中絹代さんと鰐淵晴子さんの踊り子を観れば、映画化作品は全作制覇。


02月18日 土  鬼畜

 夢の中で、秋田犬を連れたなまはげに追い回された。雪原にはいくつものかまくらが点在しており、その間を雪まみれで逃げ回る。かまくらに潜んだりもする。けして生命の危機を感じるような緊張感はなかったが、寒くて、疲れる。夢のことゆえそのうち舞台はころりと転換してしまい、なぜか高校3年の夏、田舎の他校で夏期講習を受けていたりする。自分だけ模試の解答用紙が回ってこない。どうも、自分になりすました誰かが参加者に混じっているらしい。そのうちなんかいろいろドタバタしているうちに目が覚め、昼近い陽光にけだるく首を回す。
 これは、昨夜も打っていたたかちゃん話に『鬼畜』という言葉を使用したのが、無意識に引っかかったのではないか。この場でも多用している。しかし鬼は、人格(鬼格?)的には明らかに性格異常だが、少なくともその殺戮相手を強弱や貧富で区別しない。強者も弱者も、平等に殺戮する。畜生だって、弱肉強食の世界で生きているにしろ、食わない相手を狂ったカタルシスのために殺戮する確率は、人間よりずっと少ない。
 英国だったかどこだったか、動物園の中にでかい鏡が据えられており、『この世で最も凶暴な動物』と説明書きがあるそうだ。その『凶暴』もまた、なにか別の言葉に変えないと、正しい説明にならないだろう。しかし、以前たかちゃんシリーズで用いた『いやらしくてひれつきわまりないしょうねのくさったさいていのろくでもないむしけらいかのだきすべききたないふはいしきったうまれてすみませんというじかくすらないはじしらずでちくしょういかでさのばびっちでふぁっくゆーできすまいあすでえんがちょでおまえのかあちゃんでーべそなうんこ』でも、今回のようなケースでは、まだ正しくないのである。ある種の人間は、それらを自覚してすら、なお凶行に走る。

 富士の樹海に行きたい。あるいは、幻想の唯一神に逃れたい。しかし、たかちゃんたちがかわいいので、やっぱり仏を念じつつごはんをいただくことにする。


02月17日 金  つゆだくごはん→錯乱

 さて久々に豚めしではなく牛丼食ってみるか。このところ、まともな食事はまた一日一食になっているから、ここは大盛りにしたいところだが、柔らかめのごはんに汁のかかった奴というのは、硬めごはんの好きな自分にとって、大盛りだとちょっときつい。そんなこんなで、並のチケットを購入。甘みと酸味の混じった豚肉のお味も結構だが、牛肉のいかにも滋養のありそうな甘みは、高いだけあって、やっぱり贅沢気分なんだよなあ。などといささか情けなく、しかし案外ご満悦で、汁のかかったごはんにかかると――おお、ご近所の松屋のごはんが、また硬めに戻っている。人が変わったか本部のチェックが入ったか、どっちにしてもめでたい。これでまた、心おきなく大盛りをかっ喰らえる。
 たまの居酒屋などで、シメにお茶漬けを注文すると、ただのあったかごはんに汁をかけただけで、なんだか間延びした食感になっている時が多い。お茶漬けさらさらと言うより、お茶漬けとろとろですね。これなら自宅で冷蔵庫の残り飯をお湯で洗い、永谷園のお茶漬け海苔とダイソーのほぐし鮭をのっけたほうが、よっぽど旨いよなあ――これは貧乏狸の負け惜しみでもなんでもないと思うのだが、みなさん、どう思われますか? いや、べつにどーでもいーんですが、とりあえず祝・松屋の硬めごはん復活。

 などと脳天気に打った直後、また信じがたい――いや、いくらでも過去の事件記事にころがっているだけになおいたたまれないニュースが流れる。な、なんで? なんで無抵抗の幼児を刺さなきゃならんの? 犯人は送り迎えの主婦? ……絶句の後、嗚咽。その中国人妻にどんな病因があったかは詳細を待つしかないが、いずれ精神病の放置、あるいは周囲の無理解だろう。当人の責任能力うんぬん以前に、お願いだから、お願いだから、――周りが注意してやれよおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!
 まあ私が泣こうが叫ぼうがのたうちまわろうが、なんの意味もないのだけれど、ほんとになんで人間というやつは、狂うと『確実に殺せる弱者』を殺すのだろう。何故、狂ってまで、そんなに楽をしたがるのだろう。その主婦がどんな悲劇や重圧や孤独の中で生きてきたとしても、『あなたはもう大人なのだ』。狂うより先に、自分で自分にケリをつけるべきだったのだ。すでにそれが出来ないほど狂っていたとしたら、いったいその旦那は妻の何を見ながら日々暮らしていたのだ。子供まで産ましといてよう!!!!!!!!!!

「あらまあ、おじちゃま、これはもう、当分社会復帰は無理のご様子ねえ。はい、とーぶんはおばちゃまが、表で人格を仕切りましょうねえ」
「こくこく」
「かばうまは、にんげんとして、だめだ。いいとしこいて、ぜんぜん、さとってない。おれがいんどうをわたしてやろう」
「ぷるぷる。……なでなで」
 ああ、ゆうこちゃんだけは解ってくれるね。うるうるうる。


02月16日 木  真贋

 おとつい録画しておいた鑑定団、最後の若沖の掛け軸で、久々に悩む。前半の北斎もどきなどは、不真面目な落書きのようで一瞬に判別できたのだが、若沖はもとが独創的なだけに、独創的な筆致の模作者にかかると、魂が入ってるか入ってないかギリギリで、とても判断しにくい。悩んだ末に、やはり贋作だろうと判断。やっぱり贋作だったのでひと安心だが、ここまで来ると、フェイクはフェイクで端倪すべからざるものがある。この模作者がオリジナルの素材で描いていたら、案外名作になったのではないか。まあ、それで食えないから贋作を描くのだろうけれど。
 しかし若沖という画家は、死ぬまで嫁も子もなく、ただ絵だけを描いて暮らしていたらしい。あれだけ天才と呼ばれながら、晩年はかなり逼迫していたとか。贋作者がギリギリで魂を入れ損ねたのは、そこいらの生活感覚の差だったのだろうなあ。たぶん手段と目的の位相が違っていたのだ。

 ころりと話変わって、午後、神保町の地下鉄で、柱に頬をぴたりとくっつけ、小刻みに悶えている背広のおっさんを見かける。ああ、虫歯の破局がきてしまったのだなあ、と、心より同情。もはや手近な歯医者を捜す余裕もないのだろう。その気持ちは解る。以前、高崎線で往復2時間半の通勤をしていた頃、帰路の車中で破局が訪れ、見知らぬ駅で途中下車し、そのホームの鉄柱にほっぺたをすりよせ、蝉のように悶えた記憶がある。田舎の夜のこと、幸い誰にも見られずに済んだが、たとえあれが賑やかな昼の神保町だったとしても、やっぱり蝉になっていただろう。
 歯痛は早速医者に行くのが吉。


02月15日 水  当然のこと

ホームヘルパーや介護施設職員など介護現場で働く人を対象に八戸大学の篠崎良勝専任講師が実施したアンケートで、利用者や家族から、精神的な面も含め暴力を受けたとの回答が56%、セクハラ(性的嫌がらせ)を経験したとの回答が42%に上ったことが13日、分かった。アンケートは昨年6月から9月にかけて、不当な言動などで介護従事者の人権や職域を侵害する「ケア・ハラスメント」(ケアハラ)の実態を探るため、10都道県の計500人を対象に実施。286人から回答を得た。暴力のケアハラを受けたのは、自宅訪問するヘルパーの45%に対し、特別養護老人ホームなど介護施設の職員は78%に上った。全体では実際に殴られたのが35%、言葉によるものが18%だった。(共同通信) 2月13日17時24分更新
 まあ以前にも似たような記事を引用した記憶がある。その時は、確か自分が感情的に不安定な頃で、悲憤にくれた記憶がある。しかし自分もその後その現場をいくらか見聞してきたせいか、今となっては何の疑問も抱かない。正常な(まあ既知外とまでは言えないという意味の)人間でさえ、ちょっと寸足らずだと、セクハラも暴言も暴力も自己抑制できない。上の記事だと、『家族』がそれに相当するのだろう。加齢で身体的にままならない被介護者はなお鬱屈するだろうし、まして認知症ともなれば、どう当たり障りなく言い換えようと、精神異常者なのである。間が悪いと家族にまで危害を加えたり、実の娘や幼い孫にのしかかる好色性痴呆老爺だって、昔も今も少なくないのだ。
 『痴呆』は体裁が悪いからと『認知症』に言い換えても、『精神分裂症』は体裁が悪いから『統合失調症』と言い換えても、現実がなんら変わるわけではないし、むしろそれらの古語=現実を知らない子供などが今後増えてしまえば、そんな当たり障りのない語感から、油断して自他共に隘路にはまる場合も、かえって増えそうな気がする。現に「それはただの心の病気なのだよ」と下手に甘やかされ、安心して狂う人間も少なくない。言霊が霊を抜かれ、認知不全・統合失調に陥ってゆく。もしかしたら社会全体がそれを自覚しているからこそ、『痴呆』や『分裂症』といった表現を、ことさら嫌うのかもしれない。それもまた、典型的なそれらの症状の一部なのだが。呆ければ呆けるほど、そして狂えば狂うほど、当人たちはそれを否定する。
 だから、データが大切なのだ。感情論など、歴史・状況とともに千変万化して、なんらあてにならない。誰かを守るにも攻めるにも、味気ない数字を忘れてはならない。脆弱なデータを隠したビルは、地震が来れば倒壊してしまうのだ。




02月14日 火  ふにゃふにゃふにゃ

 ケーブルTVで、なにやらアイドルの卵らしい半ロリたちを紹介する番組を発見、いそいそと録画を始める。最初に気づいた先週の回は、小学生か中学生ほどの大変可憐なろりが、大いに照れながらやくたいもない無邪気なゲームや紙芝居のようなものをやってくれており、モニターの前で思わずめろめろと溶解してしまった。で、今週も当然期待しつつ録画したが――脳味噌が別の意味でトロロになってしまった。それはもうすくすくとナイス・バディーに育ちつつある17歳の美少女が、開口一番、超弩級のふにゃふにゃ赤子発音をかましてきたのである。義経のあのアイドルさんどころではない。ほんとうに知恵遅れとしか思えない発音で会話し、それをいい大人が一人前扱いで美女だのなんだの持ち上げているのである。この場合、やはり責任は、その持ち上げているいい大人側にも多くあるわけだが、当人も17にもなって自分の発音や言語に疑問を抱かないとしたら、ちょっと救いがない。よしんばそうした発音がカワユクてみんなウケるのだと思っているのだとすれば、これはもうすでに生涯救いがたいところまで脳味噌が砂糖漬けになってしまっているのだろう。結句、周囲の大人が、ハクい顔とヤラしい体があれば脳味噌なんて3グラムでいい、あるいは美少女をダシにして姑息に稼ぎたい、そんな欲望を隠す術を失っているから、美少女もまたどんどん白痴化してしまうのだ。このままでは、本当にまともな芸のできる美少女がこの国から消えてしまう。ということは、やがてはまともな芸のできる美女も減り、さらにはまともな芸のできる美老婆さえ払底してしまう。先だって、自分があらゆる有料合法ロリ系サイトから足を洗ってしまったのも、懐具合以上に、その業界自体に絶望してしまったからである。ろり自体は、今でもかわいい。かわいいからこそ、まともに育って欲しい。

 『日本巌窟王』、最終回まで続けて観てしまう。ぼちぼち観よう、などと悠長にかまえられる面白さではなかったのだ。島原の乱で生き残った天草四郎の弟・天草右京は、巌窟王に陰に陽に絡みながら最後は壮絶な死を遂げ、旗本でありながら反骨の魂に殉じ巌窟王に味方した白柄組の水野十郎佐衛門は、潔く割腹――志垣太郎さんも林与一さんも、「どうだ、いい男はこう死ぬのがいい男なのだ!」と言わんばかりに、派手派手に、あるいは凛々しく散ってゆく。まあ張本人の草刈正雄さんは、あっちこっちに悲劇を振りまきつつ、しっかり美女とともに生き残るわけだが、もともと復讐鬼だから文句はない。悪役もまあ最後まで卑劣の限りを尽くして滅びてゆく。ああ、ご都合主義の荒唐無稽伝奇物語は、ほんとうに、いい。中途半端に頭のいいライターや演出家は、表層的な理屈ばかりで、こうした人情の『ご都合』が組めない。反面、感性まかせの方々は、自分勝手なご都合ばかりで『理屈』が組めない。いわゆるしっかりした職人の組んだ作品は、両輪揃って無駄なくカタルシスに繋がっていく。あとは、やっぱり役者ですね。ふにゃふにゃ言葉のアイドルやイケメン君は、ひとり残らず過酷な発声練習に送るべき。だって、仮にも『芸人』なんでしょ?




02月13日 月  馬鹿の非効率

 まあ自分だって敗残者であり、けして他人のあれこれをクサしたりできる権利も義理もないのだけれど、近頃のお若い方々の『まともに物を相対化できない』状況は、いささか目に余るものがある。
 たとえば創作板などで、たまに新しいお名前をクリックすると、まるっきり初心者の方の自覚なきアラシはさておいて、けっこう「てにをは」や文法の整った文章でも、まるっきり『意識の共有』を考えもしなければ『伝えたいという気持ち』の発露もなく、ただ端正な独善が垂れ流しになっているケースが増えるばかりだ。文法が整っているぶんだけ、なおいたたまれない。これもまた教育の歪みという奴か。コミュニケーションの形式的・マニュアル的部分は妙に整っているのに、『うちの犬の尻尾は白い。隣の黒犬も犬である。よって、黒犬の尻尾も白い』的に、世の中を俯瞰しようとする。これでは朝日新聞である。お願いだから学校では、『世渡りのためのまともな嘘のつき方』を、きちんと教えていただきたい。野生動物だって自分に大嘘つきながら、大自然に適応しているのだ。それができないと、畜生以下である。
 そういえば昔学校に『雄弁部』などというクラブがあり、しきりに『人を論破する話術』を競っていた。そこ出身の友人との会話は、実に面白かった。無論、特に嘘を競い合うクラブではないが、仮に『黒を白と言い含める』というテーマで論戦するとすれば、それはもう弁論技術を尽くして、どーやっても黒が白であるように説得してしまうわけである。やはり『他人と丁々発止する意識』を身に付けないと、詩歌は知らず、散文は無理である。『うちの犬の尻尾は白い。隣の黒犬も犬である。よって、黒犬の尻尾も白い』の中に、文法的間違いはないが、その程度で騙される読者は、その執筆者同様の馬鹿になってしまう。

 田川氏よりありがたいメールをいただき、ケーブルTVのコピーワンス問題は、一気に解決する。教わってしまえば、なんだ、それだけのことで良かったのだ。自ら知ろうとしないということは、本当に非効率的だ。自戒。


02月12日 日  ギャグ漫画とメタ小説の間

 以前、戦後のギャグ漫画は3回進化したと、私見を記したことがある。赤塚不二夫、山上たつひこ、唐沢なをき、そんな順番だった。そのうち唐沢なをきさんは、後に続く作家が残念ながらちっとも出てこない。だから進化というより、どうも余人の追随を許さない孤高の偉才ということになりそうだ。そして山上たつひこさんに関しては、かつてあまり単行本化されなかった短期連載作などが最近続々とオンライン出版され、あらためてその凄さに驚かされる。
 今回は『主婦の生活』を購入、シリアス・ギャグ(?)とでも言おうか、そのあまりにも地に根ざしたメタぶりに、悶え喜ぶ。小説家転向後の作品は『それゆけ太平』と『兄弟!尻が重い』の2冊しかまだ読んでおらず、前者が氏の漫画作品をシリアスな文体で再現したものだったため、ナンセンス・ギャグをシリアスに描写するという異様な面白味はあるものの、それだけならば原典の漫画ほど存在価値はないのではないかなどと思ってしまい、以降のおつきあいをやめてしまっていたのである。しかし、もし『主婦の生活』があの文体の小説作品だったとしたら、その構図が完全に逆転しそうな気がする。明らかに、はじめからメタ小説として発想された世界ではないのか。似た趣向の漫画作品『ごめんください』が、『それゆけ太平』に姿を変える前の『イボグリくん』だったとすれば、『主婦の生活』は、明らかにそこからさらに文章的メタに踏み込んでいる。
 検索してみれば、氏の小説作品は、その後も多々出版されている。これは読まないと死ねない気がする。


02月11日 土  悲しき玩具

 石川啄木の『ローマ字日記』を、ふと押し入れから発掘。学生時代の授業で使った奴で、無論普通の漢字仮名交じり文に訳されている。啄木と言えば、御多分に漏れず中高時代にはその短歌を口ずさみながら城跡の土手で空をながめたりしていたものだが、その日記を今再びぱらぱら目を通してみると、いやはや、夭折の歌人らしく、恥ずかしいほど若い。もう何を見聞しても鬱勃と自分を見ているだけで、完璧な独善青年である。まともな小説の書けなかったわけが、如実に理解できる。しかるに――詩人・歌人としては、やはり殺人的な情動を弄ぶ天才なんだよなあ。小説も妙な社会性を意識せず、自意識オンリー私小説で攻めていたら、そちらでもきっと名を残せただろうに。詩歌だけで一家を養える人間なんて、今も昔もほとんどいないはずだ。啄木の場合、生活のための仕事には、いっさい適性がなかったようだし。もっとも、まさに『悲しき玩具』と心中してしまったからこそ、独善青年も永遠に歴史に残る。しかし立原道造といい中原中也といい、若い詩人の日記という奴は、読めば読むほど己ひとりに耽溺している。私《わたくし》を極めて普遍に至れる人間は、やはり天才だ。

 ケーブルTVのなんかいろいろ、ようやく解ってくる。録画物件もDVD−RAMになら、移動だけはできるのだ。もっとも保存しておきたい番組は、今のところ『日本巌窟王』と、コロンボと、映画が週に一本程度。ヒストリー・チャンネルとやらも、奇術の歴史だの、結構面白い番組をやってくれているが、月々4千円の元がとれるかどうかは、ちょっと怪しい。『レインボーマン』に、早く塩沢ときさんのイグアナさんや、本格的有川特撮が登場しないか。

 たかちゃんシリーズの新作を、ぼちぼち進める。打っている自分で言うのもなんだが、とても愉快で、かわいい。裏たかちゃんホラーは、すっかり脳内で尾ひれが付きすぎて、なかなか切り口が掴めない。その代わり、妙な短編の骨子が次々と浮かぶ。背中のゆりなちゃんが、夜中に時々首を絞めてくる。咳はそのせいだったか。


02月09日 木  けほけほ

 馬鹿だが、風邪を引く。熱は大したことがなく、もっぱら咳が出る。インフルエンザでも扁桃腺炎でもないらしい普通の風邪は久しぶりの経験で、嬉しくなって医者に行くと、やっぱりただの風邪だった。わーい、風邪だ風邪だ、けほけほ。老後の生活なんぞ気にせんで、安静にして寝てるしかないんだ。金ないけど、栄養のあるもんなんて、今はなんぼでも安く売ってるもんな。けほけほ。
 というわけで、昼飯食って医者から帰ってすぐに寝てしまい、実は現在すでに10日の朝4時過ぎ。薬が効いたか寝たのが効いたか松屋のすきやき定食が効いたかチオビタが効いたか、咳はだいぶ治まっている。14時間も眠ったのが効いたかのかもしれない。もっとも、その前には30時間起きっぱなしだったが。

 最近は国保に加入しない人が増え、その存続が危ぶまれていると言う。企業の正社員という立場ではないのだから、入ったほうが安心なんじゃないの、と思うが、どうも全く金がないからと言うより、軽い病気なら売薬、大病なら民間の保険のほうが経済的、そんな理由らしい。まあ、自分だけ生きてればそれでいい、そう割り切ってしまえば、当然そうなるだろう。今回医者に行って処方薬もらって、自己負担分2千何百円かかっている。売薬なら千何百円だろう。もっとも、一般の売薬など所詮気休め程度の成分しか入っていないし、医者という他者の客観的意見も聞けない。そして何より国保というやつは、自分のためというより、普段は他の加入者のために払っているのであり、自分が病気の時だけいくばくか還元を受ける、そんな性質のものだ。
 まあ会社勤めのうちは、ろくに医者に行く暇もなく、なんでこんなに毎月毎月さっ引かれなきゃならんのかなあ、などと愚痴っていたわけだが、母親の一件で、つくづく社保や国保や介護保険の有り難みを痛感した。保険会社の保険金などというものは、事後でないと入らない。その日暮らしの貧乏人であればこそ、その場その場で「はい、15万円になります」と「50万円になります」の差は大きい。そしてその大きさをどこかの低所得者仲間と共有するためには、やっぱり毎月何千円か、大人しく払っとくのも悪くない。


02月08日 水  トリック注意

 などと書いておいて、自分の欲する世界も全くの詐欺・虚構をもっともらしく連ねる世界であるわけだが、それでも人から何かを奪って自分だけ豊かになろうという気はさらさらないし、そうした世界のものを受け入れる気もない。
 とにかく黒のインク・カートリッジがしょっちゅう切れてしまうので(以前、価格が旧機種と同じで保ちが半分と記したのはまったくの勘違いで、価格も半分なのであった。しかし、ひんぱんに交換する手間はかかる。それに、あまり印字スピードが速いので、うっかりすると数枚ぶんも、インク切れの薄いプリントができたりする。まあこれは自分の不注意なので、本日の話題とは関係ない)、地元のラオックスに買いに行くと、例によって高価な薄型ハイビジョン対応大型TVの花盛りというか、すでにブラウン管式などは、廉価版の小型TVにしか残っていないようだ。それも時代の趨勢として、苦々しいが、文句はない。問題は、『従来の地上波』と『デジタルハイビジョン放送』を比較すると称して、寝ぼけた画面と超美麗画像を、並べて表示している商法である。ラオックスだけでなく、秋葉原などでもよく見かける。ここで断言させていただくが、あれは意図的に説明不十分の、ほとんど詐欺である。それとも、あの高価なハイビジョンTVというやつは、あくまでもデジタル波を入力したときにのみ性能を発揮するものであって、アナログ地上波を入力すると、まったくいいかげんな出画しかしてくれない、そんな機器なのだろうか。
 そもそも、すでに滅びてしまった8ミリビデオカメラ、それだって多く寝ぼけた画像しか出なかったのは、多く入力信号がそのファーマットの潜在能力に満たなかったからであって、たとえば業務用の3CCDのHi8カメラなどは、多くのドキュメンタリーや報道に使われ、立派な画像と音声を提供していた。それをきっちり地上波に乗せて、受信にもきちんと気を遣えば、絶対にあんな寝ぼけた画像にはならない。たった2万円の球面ブラウン管で出画しても、である。また、従来のアナログ地上波を、数年前まで多数売られていたが近年ブラウン管TV同様廉価版扱いになってしまっているビデオデッキ、その高級機で録画再生した画像もまた、絶対にあんな寝ぼけた画像ではない。SVHS高級機の三倍モードが、10年前にどれほど進化の極みに達していたか、その筋にちょっと凝った方なら、誰でも知っているはずだ。現在のHDDレコーダーの標準画質地上波録画を、上回る美麗さだったのである。
 何もデジタル・ハイビジョン放送そのものを、貶そうというわけではない。ラオックス等で見かける画像は、確かに恐るべき美麗さである。しかし、旧来の放送と比較すると称して、旧来の最もいい加減な入力信号を持ち出すのは、明らかに欺瞞だろう。もはや進歩を謳うというより、旧来のフォーマットをその真価以下に貶めて、新しいフォーマットを絶対視させようとしているように思える。たかがTV放送ひとつから騒ぎ立てるのは、いささか大仰かもしれないが、それは過去の歴史上のなんかいろいろ、つまり維新や革命等、種々の分節点ごとに新しい為政者が強いてきた、盲従性に似ている。維新や革命自体は、歴史上の必然として肯定できるにしろ、そのたんびにその後生じたなんかいろいろの齟齬まで永遠に繰り返すのが、人類の進化と言えるのか。
 正直な話が、2年前に新しいビンボTVを買ったばかりなのに、5年後にはやっぱし新しいテレビを買わなきゃならんのか。前のTVなんぞ、20年保ったぞ。今のビンボTVでも、けっこう画質にこだわる自分にだって、充分綺麗に見えるぞ。大体、大昔の寝ぼけた再放送番組のほうが、今流れている番組なぞより、よっぽど面白いぞ。『日本岩窟王』のライターの知能・根性のカケラでも、『義経』のライターに伝えるのが先ではないのか。――『地球に優しく』だの『スロー・ライフ』だののお題目ばかり流行る昨今だからこそ、首をひねってしまうビンボな狸であった、まる、と。

 まる、を打っといて、ちょっと今思い当たったことをば。なぜ『日本岩窟王』が、荒唐無稽ご都合主義展開にも拘わらず、これほど自然にうんうん頷きながら没頭できるか――それは、サブ・キャラの心理ひとつひとつが、ちょっとした場面できっちり押さえられているからだ。結果、メイン・キャラのトンデモ性を、世界観が吸収できてしまうのである。そう考えると、昨年の『義経』の敗因は、明らかにあの郎党たちの浅い書き込みにもあったのが解る。義経君が徹頭徹尾「なんだかよくわからんけど悩める青年かっこいいでしょ」であることは、必ずしも敗因ではないのである。それを盛り立てるサブ・キャラたちの造形、つまり個々の生い立ちや、現在の「義経様、萌え」の根拠、それさえ充分に描かれていれば、義経君なんぞただの一本調子イケメン君でも、「義経様萌えドラマ」として完成したはずなのである。


02月07日 火  語り口

 子供の頃から怪談話が好きだった。
 今現在は、書籍に限らずビデオでもネットでも、実話系怪談が決壊したダムの水のごとく氾濫しているが、今ほど有名になる前の『新耳袋』や『超・恐い話』は初登場時から飛びついた口だし、それ以前も中岡俊也さんの心霊系のうさんくさい話を眉唾ながらもどきどきと楽しんでいたし、民話・民俗学系の方々が採話して著す巷間の伝承集(新聞・雑誌の記事なども対象となる)、鵜の目鷹の目で読み漁った。
 昭和44年に初版が出た、今野圓輔さんの『日本怪談集〈幽霊編〉』(現代教養文庫)などは、後者に属する名著として、現在も版を重ねている。オンライン出版もされている。出た当初からそっち系の好きな子供のみならず、普段は大人向け文庫など絶対読まないタイプの同級生連中まで、回し読みしていたと記憶している。
 その中に、こんな新聞記事が収録されている。

     ★          ★

 日本アルプス白馬岳の中腹にあるれんげ温泉″にあった明治三〇年ごろの話――九月になって湯治客も山を下り秋色一入《ひとしお》深いある夜、妻に先立たれた温泉宿の主人が五つになる子供と囲炉裏をかこんで山鳥を焼いていたが、青白く輝く月を浴びて真青な顔をした烏打帽の紳士が一夜の宿を求めて入ってきた。
「鉄砲打ちに来たのですが、大事な鉄砲は谷に落とし、道に迷ってやっとここまでたどりついたのです。糸魚川から登りましたが……」とぎれとぎれに説明する男の声を聞きながら、主人は山鳥で夕飯を、出した。客がうまそうにタ食を食べている時、隣の部屋で寝ていた八つになる男の子が突然激しく泣き出し、
「お父ちゃん、あの人がこわいよ!」
と叫び、なだめにいった主人にしがみついて、夕食を食べている紳士を指した。そのとき宿の飼犬が二匹ともはげしく吠えたて、それが静まり返った山峡にこだまして身ぶるいするような無気味さであった。
 意を決した主人は、
「子供がだんなを恐がって仕方がありません、ほかで泊って欲しいんですが」
というと、その客は急にブルブルふるえ出し、あたふたと靴をはいて外へ飛び出していった。
 それで子供はようやく泣き止んだが、その子の話によると、さっきの客の背中に、髪をおどろにふり乱した女の人がすがりつき、予供をみてはゲラゲラ笑っていたという。恐ろしくなった宿の主人は、戸締りを厳重にし、愛児を抱きかかえてその夜はおののきながら過ごしたが、翌朝になって駐在所の巡査が、越中で若い女を殺した犯人が、この山中に迷いこんだといって来た。そこで大騒ぎとなり、宿の犬も協力し山狩りをしてようやく捕まえることができた。犯人は、
「うらめしそうな顔をしたあの女が、いつも私から離れませんでした。どこまでも、どこまでもついてきてうらみをいってのろっていました」
といっていた。(毎日新聞・昭和二八年)


    ★          ★

 ――どうでしょう。似た話を、あっちこっちでどこのどなたかの体験した実話として、聞いたり読んだりしたことがありませんか? 少なくとも私は、その後なんべんも同じパターンの話を、あっちこっちの山小屋の実話として見聞きしました。昔の雑誌から、今現在のネット上まで。
 さて、そのことに別に文句があるわけではない。民間伝承の民間伝承たる正しい伝播である。
 ただ、民間伝承も『語り口』によって立派に文学作品になる、いや、文学作品があまりに自然な語り口によって、民間伝承に変わっていくこともある、そんな話をしてみたいだけである。
 以下に、すでに著作権切れのため『青空文庫』でテキスト化されている、我が心の師(しかし何人心の師がいるんだろうなあ)岡本綺堂氏の作品をまるまる転載させていただく。

    ★          ★

  木曽の旅人  岡本綺堂


     一

 T君は語る。

 そのころの軽井沢は寂《さび》れ切っていましたよ。それは明治二十四年の秋で、あの辺も衰微の絶頂であったらしい。なにしろ昔の中仙道の宿場《しゅくば》がすっかり寂れてしまって、土地にはなんにも産物はないし、ほとんどもう立ち行かないことになって、ほかの土地へ立退《たちの》く者もある。わたしも親父《おやじ》と一緒に横川で汽車を下りて、碓氷《うすい》峠の旧道をがた[#「がた」に傍点]馬車にゆられながら登って下りて、荒涼たる軽井沢の宿に着いたときには、実に心細いくらい寂しかったものです。それが今日《こんにち》ではどうでしょう。まるで世界が変ったように開けてしまいました。その当時わたし達が泊まった宿屋はなにしろ一泊二十五銭というのだから、大抵想像が付きましょう。その宿屋も今では何とかホテルという素晴らしい大建物になっています。一体そんなところへ何しに行ったのかというと、つまり妙義から碓氷の紅葉《もみじ》を見物しようという親父の風流心から出発したのですが、妙義でいい加減に疲れてしまったので、碓氷の方はがた[#「がた」に傍点]馬車に乗りましたが、山路で二、三度あぶなく引っくり返されそうになったのには驚きましたよ。
 わたしは一向おもしろくなかったが、おやじは閑寂《しずか》でいいとかいうので、その軽井沢の大きい薄暗い部屋に四日ばかり逗留していました。考えてみると随分物好きです。すると、二日目は朝から雨がびしょびしょ降る。十月の末だから信州のここらは急に寒くなる。おやじとわたしとは宿屋の店に切ってある大きい炉の前に坐って、宿の亭主を相手に土地の話などを聞いていると、やがて日の暮れかかるころに、もう五十近い大男がずっ[#「ずっ」に傍点]とはいって来ました。その男の商売は杣《そま》で、五年ばかり木曽の方へ行っていたが、さびれた故郷でもやはり懐かしいとみえて、この夏の初めからここへ帰って来たのだそうです。
 われわれも退屈しているところだから、その男を炉のそばへ呼びあげて、いろいろの話を聞いたりしているうちに、杣の男が木曽の山奥にいたときの話をはじめました。
「あんな山奥にいたら、時々には怖ろしいことがありましたろうね。」と、年の若いわたしは一種の好奇心にそそられて訊きました。
「さあ。山奥だって格別に変りありませんよ。」と、かれは案外平気で答えました。「怖ろしいのは大あらしぐらいのものですよ。猟師はときどきに怪物《えてもの》にからかわれると言いますがね。」
「えてもの[#「えてもの」に傍点]とは何です。」
「なんだか判りません。まあ、猿の甲羅《こうら》を経たものだとか言いますが、誰も正体をみた者はありません。まあ、早くいうと、そこに一羽の鴨があるいている。はて珍らしいというのでそれを捕ろうとすると、鴨めは人を焦《じ》らすようについ[#「つい」に傍点]と逃げる。こっちは焦《あせ》ってまた追って行く。それが他のものには何にも見えないで、猟師は空《くう》を追って行くんです。その時にはほかの者が大きい声で、そらえてもの[#「えてもの」に傍点]だぞ、気をつけろと呶鳴ってやると、猟師もはじめて気がつくんです。最初から何《なん》にもいるのじゃないので、その猟師の眼にだけそんなものが見えるんです。
 それですから木曽の山奥へはいる猟師は決して一人で行きません。きっとふたりか三人連れて行くことにしています。ある時にはこんなこともあったそうです。山奥へはいった二人の猟師が、谷川の水を汲んで飯をたいて、もう蒸《む》れた時分だろうと思って、そのひとりが釜の蓋《ふた》をあけると釜のなかから女の大きい首がぬっ[#「ぬっ」に傍点]と出たんです。その猟師はあわてて釜の蓋をして、上からしっかり押えながら、えてものだ、えてものだ、早くぶっ払えと呶鳴りますと、連れの猟師はすぐに鉄砲を取ってどこを的《あて》ともなしに二、三発つづけ撃ちに撃ちました。それから釜の蓋をあけると、女の首はもう見えませんでした。まあ、こういうたぐいのことをえてものの仕業《しわざ》だというんですが、そのえてものに出逢うものは猟師仲間に限っていて、杣小屋などでは一度もそんな目に逢ったことはありませんよ。」
 彼は太い煙管《きせる》で煙草をすぱすぱ[#「すぱすぱ」に傍点]とくゆらしながら澄まし込んでいるので、わたしは失望しました。さびしく衰えた古い宿場で、暮秋の寒い雨が小歇《こや》みなしに降っている夕《ゆうべ》、深山《みやま》の奥に久しく住んでいた男から何かの怪しい物がたりを聞き出そうとした、その期待は見事に裏切られてしまったのです。それでも私は強請《ねだ》るようにしつこく訊きました。
「しかし五年もそんな山奥にいては、一度や二度はなにか変ったこともあったでしょう。いや、お前さん方は馴れているから何とも思わなくっても、ほかの者が聞いたら珍らしいことや、不思議なことが……。」
「さあ。」と、かれは粗朶《そだ》の煙りが眼にしみたように眉を皺めました。「なるほど考えてみると、長いあいだに一度や二度は変ったこともありましたよ。そのなかでもたった一度、なんだか判らずに薄気味の悪かったことがありました。なに、その時は別になんとも思わなかったのですが、あとで考えるとなんだか気味がよくありませんでした。あれはどういうわけですかね。」
 かれは重兵衛という男で、そのころ六つの太吉という男の児と二人ぎりで、木曽の山奥の杣小屋にさびしく暮らしていました。そこは御嶽山《おんたけさん》にのぼる黒沢口からさらに一里ほどの奥に引っ込んでいるので、登山者も強力《ごうりき》もめったに姿をみせなかったそうです。さてこれからがお話の本文《ほんもん》と思ってください。

「お父《とっ》さん、怖いよう。」
 今までおとなしく遊んでいた太吉が急に顔の色を変えて、父の膝に取りついた。親ひとり子ひとりでこの山奥に年じゅう暮らしているのであるから、寂しいのには馴れている。猿や猪を友達のように思っている。小屋を吹き飛ばすような大あらしも、山がくずれるような大雷鳴《おおかみなり》も、めったにこの少年を驚かすほどのことはなかった。それがきょうにかぎって顔色をかえて顫《ふる》えて騒ぐ。父はその頭をなでながら優しく言い聞かせた。
「なにが怖い。お父さんはここにいるから大丈夫だ。」
「だって、怖いよ。お父さん。」
「弱虫め。なにが怖いんだ。そんな怖いものがどこにいる。」と、父の声はすこし暴《あら》くなった。
「あれ、あんな声が……。」
 太吉が指さす向うの森の奥、大きい樅《もみ》や栂《つが》のしげみに隠れて、なんだか唄うような悲しい声が切れ切れにきこえた。九月末の夕日はいつか遠い峰に沈んで、木の間から洩れる湖のような薄青い空には三日月の淡い影が白銀《しろがね》の小舟のように浮かんでいた。
「馬鹿め。」と、父はあざ笑った。「あれがなんで怖いものか。日がくれて里へ帰る樵夫《きこり》か猟師が唄っているんだ。」
「いいえ、そうじゃないよ。怖い、怖い。」
「ええ、うるさい野郎だ。そんな意気地なしで、こんなところに住んでいられるか。そんな弱虫で男になれるか。」
 叱りつけられて、太吉はたちまちすくんでしまったが、やはり怖ろしさはやまないとみえて、小屋の隅の方に這い込んで小さくなっていた。重兵衛も元来は子|煩悩《ぼんのう》の男であるが、自分の頑丈に引きくらべて、わが子の臆病がひどく癪にさわった。
「やい、やい、何だってそんなに小さくなっているんだ。ここは俺たちの家だ。誰が来たって怖いことはねえ。もっと大きくなって威張っていろ。」
 太吉は黙って、相変らず小さくなっているので、父はいよいよ癪にさわったが、さすがにわが子をなぐりつけるほどの理由も見いだせないので、ただ忌々《いまいま》しそうに舌打ちした。
「仕様のねえ馬鹿野郎だ。およそ世のなかに怖いものなんぞあるものか。さあ、天狗でも山の神でもえてもの[#「えてもの」に傍点]でも何でもここへ出て来てみろ。みんなおれが叩きなぐってやるから。」
 わが子の臆病を励ますためと、また二つには唯なにがなしに癪にさわって堪《たま》らないのとで、かれは焚火の太い枝をとって、火のついたままで無暗に振りまわしながら、相手があらばひと撃ちといったような剣幕で、小屋の入口へつかつかと駈け出した。出ると、外には人が立っていて、出会いがしらに重兵衛のふり廻す火の粉は、その人の顔にばらばらと飛び散った。相手も驚いたであろうが、重兵衛もおどろいた。両方が、しばらく黙って睨み合っていたが、やがて相手は高く笑った。こっちも思わず笑い出した。
「どうも飛んだ失礼をいたしました。」
「いや、どうしまして……。」と、相手に会釈《えしゃく》した。「わたくしこそ突然にお邪魔をして済みません。実は朝から山越しをしてくたびれ切っているもんですから。」
 少年を恐れさせた怪しい唄のぬしはこの旅人であった。夏でも寒いと唄われている木曽の御嶽の山中に行きくれて、彼はその疲れた足を休めるためにこの焚火の煙りを望んで尋ねて来たのであろう。疲労を忘れるがために唄ったのである。火を慕うがために尋ねて来たのである。これは旅人の習いで不思議はない。この小屋はここらの一軒家であるから、樵夫や猟師が煙草やすみに来ることもある。路に迷った旅人が湯をもらいに来ることもある。そんなことはさのみ珍らしくもないので、親切な重兵衛はこの旅人をも快《こころよ》く迎い入れて、生木《なまき》のいぶる焚火の前に坐らせた。
 旅人はまだ二十四五ぐらいの若い男で、色の少し蒼ざめた、頬の痩せて尖った、しかも円い眼は愛嬌に富んでいる優しげな人物であった。頭には鍔《つば》の広い薄茶の中折帽をかぶって、詰襟ではあるがさのみ見苦しくない縞の洋服を着て、短いズボンに脚絆草鞋という身軽のいでたちで、肩には学校生徒のような茶色の雑嚢をかけていた。見たところ、御料林を見分《けんぶん》に来た県庁のお役人か、悪くいえば地方行商の薬売りか、まずそんなところであろうと重兵衛はひそかに値踏みをした。
 こういう場合に、主人が旅人に対する質問は、昔からの紋切り形であった。
「お前さんはどっちの方から[#「から」は底本では「なら」]来なすった。」
「福島の方から。」
「これからどっちへ……。」
「御嶽を越して飛騨《ひだ》の方へ……。」
 こんなことを言っているうちに、日も暮れてしまったらしい。燈火《あかり》のない小屋のなかは燃えあがる焚火にうすあかく照らされて、重兵衛の四角張った顔と旅人の尖った顔とが、うず巻く煙りのあいだからぼんやりと浮いてみえた。

     二

「おかげさまでだいぶ暖かくなりました。」と、旅人は言った。「まだ九月の末だというのに、ここらはなかなか冷えますね。」
「夜になると冷えて来ますよ。なにしろ駒ヶ嶽では八月に凍《こご》え死んだ人があるくらいですから。」と、重兵衛は焚火に木の枝をくべながら答えた。
 それを聞いただけでも薄ら寒くなったように、旅人は洋服の襟をすくめながらうなずいた。
 この人が来てからおよそ半時間ほどにもなろうが、そのあいだにかの太吉は、子供に追いつめられた石蟹のように、隅の方に小さくなったままで身動きもしなかった。が、彼はいつまでも隠れているわけにはいかなかった。彼はとうとう自分の怖れている人に見付けられてしまった。
「おお、子供衆がいるんですね。うす暗いので、さっきからちっとも気がつきませんでした。そんならここにいいものがあります。」
 かれは首にかけた雑嚢の口をあけて、新聞紙につつんだ竹の皮包みを取出した。中には海苔巻のすしがたくさんにはいっていた。
「山越しをするには腹が減るといけないと思って、食い物をたくさん買い込んで来たのですが、そうも食えないもので……。御覧なさい。まだこっちにもこんな物があるんです。」
 もう一つの竹の皮包みには、食い残りの握り飯と刻みするめのようなものがはいっていた。
「まあ、これを子供衆にあげてください。」
 ここらに年じゅう住んでいる者では、海苔巻のすしでもなかなか珍らしい。重兵衛は喜んでその贈り物を受取った。
「おい、太吉。お客人がこんないいものを下すったぞ。早く来てお礼をいえ。」
 いつもならば、にこにこして飛び出してくる太吉が、今夜はなぜか振り向いても見なかった。彼は眼にみえない怖ろしい手に掴《つか》まれたように、固くなったままで竦《すく》んでいた。さっきからの一件もあり、かつは客人の手前もあり、重兵衛はどうしても叱言《こごと》をいわないわけにはいかなかった。
「やい、何をぐずぐずしているんだ。早く来い。こっちへ出て来い。」
「あい。」と、太吉はかすかに答えた。
「あいじゃあねえ。早く来い。」と、父は呶鳴った。「お客人に失礼だぞ。早く来い。来ねえか。」
 気の短い父はあり合う生木《なまき》の枝を取って、わが子の背にたたきつけた。
「あ、あぶない。怪我でもするといけない。」と、旅人はあわてて遮《さえぎ》った。
「なに、言うことをきかない時には、いつでも引っぱたくんです。さあ、野郎、来い。」
 もうこうなっては仕方がない。太吉は穴から出る蛇のように、小さい体をいよいよ小さくして、父のうしろへそっと這い寄って来た。重兵衛はその眼先へ竹の皮包みを開いて突きつけると、紅い生姜《しょうが》は青黒い海苔をいろどって、子供の眼にはさも旨そうにみえた。
「それみろ、旨そうだろう。お礼をいって、早く食え。」
 太吉は父のうしろに隠れたままで、やはり黙っていた。
「早くおあがんなさい。」と、旅人も笑いながら勧めた。
 その声を聞くと、太吉はまた顫えた。さながら物に襲われたように、父の背中にひしとしがみ付いて、しばらくは息もしなかった。彼はなぜそんなにこの旅人を恐れるのであろう。小児《こども》にはあり勝ちのひとみしりかとも思われるが、太吉は平生そんなに弱い小児ではなかった。ことに人里の遠いところに育ったので、非常に人を恋しがる方であった。樵夫でも猟師でも、あるいは見知らぬ旅人でも、一度この小屋へ足を入れた者は、みんな小さい太吉の友達であった。どんな人に出逢っても、太吉はなれなれしく小父《おじ》さんと呼んでいた。それが今夜にかぎって、普通の不人相《ぶにんそう》を通り越して、ひどくその人を嫌って恐れているらしい。相手が子供であるから、旅人は別に気にも留めないらしかったが、その平生を知っている父は一種の不思議を感じないわけにはいかなかった。
「なぜ食わない。折角うまい物を下すったのに、なぜ早く頂かない。馬鹿な奴だ。」
「いや、そうお叱りなさるな。小児というものは、その時の調子でひょいと拗《こじ》れることがあるもんですよ。まあ、あとで食べさせたらいいでしょう。」と、旅人は笑いを含んでなだめるように言った。
「お前が食べなければ、お父《とっ》さんがみんな食べてしまうぞ。いいか。」
 父が見返ってたずねると、太吉はわずかにうなずいた。重兵衛はそばの切株の上に皮包みをひろげて、錆びた鉄の棒のような海苔巻のすしを、またたく間に五、六本も頬張ってしまった。それから薬罐のあつい湯をついで、客にもすすめ、自分も、がぶがぶ飲んだ。
「時にどうです。お前さんはお酒を飲みますかね。」と、旅人は笑いながらまた訊いた。
「酒ですか。飲みますとも……。大好きですが、こういう世の中にいちゃ不自由ですよ。」
「それじゃあ、ここにこんなものがあります。」
 旅人は雑嚢をあけて、大きい壜詰の酒を出してみせた。
「あ、酒ですね。」と、重兵衛の口からは涎《よだれ》が出た。
「どうです。寒さしのぎに一杯やったら……。」
「結構です。すぐに燗《かん》をしましょう。ええ、邪魔だ。退《ど》かねえか。」
 自分の背中にこすり付いているわが子をつきのけて、重兵衛はかたわらの棚から忙がしそうに徳利をとり出した。それから焚火に枝を加えて、壜の酒を徳利に移した。父にふり放された太吉は猿曳きに捨てられた小猿のようにうろうろしていたが、煙りのあいだから旅人の顔を見ると、またたちまち顫えあがって、むしろの上に俯伏したままで再び顔をあげなかった。
「今晩は……。重兵衛どん、いるかね。」
 外から声をかけた者がある。重兵衛とおなじ年頃の猟師で、大きい黒い犬をひいていた。
「弥七どんか。はいるがいいよ。」と、重兵衛は燗の支度をしながら答えた。
「誰か客人がいるようだね。」と、弥七は肩にした鉄砲をおろして、小屋へひと足踏み込もうとすると、黒い犬は何を見たのか俄かに唸りはじめた。
「なんだ、なんだ。ここはおなじみの重兵衛どんの家だぞ。ははははは。」
 弥七は笑いながら叱ったが、犬はなかなか鎮まりそうにもなかった。四足《よつあし》の爪を土に食い入るように踏ん張って、耳を立て眼を瞋《いか》らせて、しきりにすさまじい唸り声をあげていた。
「黒め。なにを吠えるんだ。叱っ、叱っ。」と、重兵衛も内から叱った。
 弥七は焚火の前に寄って来て、旅人に挨拶した。犬は相変らず小屋の外に唸っていた。
「お前いいところへ来たよ。実は今このお客人にこういうものをもらっての。」と、重兵衛は自慢らしくかの徳利を振ってみせた。
「やあ、酒の御馳走があるのか。なるほど運がいいのう、旦那、どうも有難うごぜえます。」
「いや、お礼を言われるほどにたくさんもないのですが、まあ寒さしのぎに飲んでください。食い残りで失礼ですけれど、これでも肴にして……。」
 旅人は包みの握り飯と刻みするめとを出した。海苔巻もまだ幾つか残っている。酒に眼のない重兵衛と弥七とは遠慮なしに飲んで食った。まだ宵ながら山奥の夜は静寂《しずか》で、ただ折りおりに峰を渡る山風が大浪の打ち寄せるように聞えるばかりであった。
 酒はさのみの上酒というでもなかったが、地酒を飲み馴れているこの二人には、上々の甘露であった。自分たちばかりが飲んでいるのもさすがにきまりが悪いので、おりおりには旅人にも茶碗をさしたが、相手はいつも笑って頭《かぶり》を振っていた。小屋の外では犬が待ちかねているように吠え続けていた。
「騒々しい奴だのう。」と、弥七はつぶやいた。「奴め、腹がへっているのだろう。この握り飯を一つ分けてやろうか。」
 彼は握り飯をとって軽く投げると、戸の外までは転げ出さないで、入口の土間に落ちて止まった。犬は食い物をみて入口へ首を突っ込んだが、旅人の顔を見るやいなや、にわかに狂うように吠えたけって、鋭い牙をむき出して飛びかかろうとした。
「叱っ、叱っ。」
 重兵衛も弥七も叱って追いのけようとしたが、犬は憑《つ》き物でもしたようにいよいよ狂い立って、焚火の前に跳り込んで来た。旅人はやはり黙って睨んでいた。
「怖いよう。」と、太吉は泣き出した。
 犬はますます吠え狂った。子供は泣く、犬は吠える、狭い小屋のなかは乱脈である。客人の手前、あまり気の毒になって来たので、無頓着の重兵衛もすこし顔をしかめた。
「仕様がねえ。弥七、お前はもう犬を引っ張って帰れよう。」
「むむ、長居をするとかえってお邪魔だ。」
 弥七は旅人に幾たびか礼をいって、早々に犬を追い立てて出た。と思うと、かれは小戻りをして重兵衛を表へ呼び出した。
「どうも不思議なことがある。」と、彼は重兵衛にささやいた。「今夜の客人は怪物じゃねえかしら。」
「馬鹿をいえ。えてもの[#「えてもの」に傍点]が酒やすしを振舞ってくれるものか。」と、重兵衛はあざ笑った。
「それもそうだが……。」と、弥七はまだ首をひねっていた。「おれ達の眼にはなんにも見えねえが、この黒めの眼には何かおかしい物が見えるんじゃねえかしら。こいつ、人間よりよっぽど利口な奴だからの。」
 弥七のひいている熊のような黒犬がすぐれて利口なことは、重兵衛もふだんからよく知っていた。この春も大猿がこの小屋へうかがって来たのを、黒は焚火のそばに転がっていながらすぐにさとって追いかけて、とうとうかれを咬み殺したこともある。その黒が今夜の客にむかって激しく吠えかかるのは何か子細があるかも知れない。わが子がしきりにかの旅人を恐れていることも思い合されて、重兵衛もなんだかいやな心持になった。
「だって、あれがまさかにえてもの[#「えてもの」に傍点]じゃあるめえ。」
「おれもそう思うがの。」と、弥七はまだ腑に落ちないような顔をしていた。「どう考えても黒めが無暗にあの客人に吠えつくのがおかしい。どうも徒事《ただごと》でねえように思われる。試《ため》しに一つぶっ放してみようか。」
 そう言いながら彼は鉄砲を取り直して、空にむけて一発撃った。その筒音はあたりにこだまして、森の寝鳥がおどろいて起《た》った。重兵衛はそっと引っ返して中をのぞくと、旅人はちっとも形を崩さないで、やはり焚火の煙りの前におとなしく坐っていた。
「どうもしねえか。」と、弥七は小声で訊いた。「おかしいのう。じゃ、まあ仕方がねえ。おれはこれで帰るから、あとを気をつけるがいいぜ。」
 まだ吠えやまない犬を追い立てて、弥七は麓の方へくだって行った。

     三

 今まではなんの気もつかなかったが、弥七におどされてから重兵衛もなんだか薄気味悪くなって来た。まさかにえてもの[#「えてもの」に傍点]でもあるまい――こう思いながらも、彼はかの旅人に対して今までのような親しみをもつことが出来なくなった。かれは黙って中へ引っ返すと、旅人はかれに訊いた。
「今の鉄砲の音はなんですか。」
「猟師が嚇《おど》しに撃ったんですよ。」
「嚇しに……。」
「ここらへは時々にえてもの[#「えてもの」に傍点]が出ますからね。畜生の分際で人間を馬鹿にしようとしたって、そりゃ駄目ですよ。」と、重兵衛は探るように相手の顔をみると、かれは平気で聞いていた。
「えてものとは何です。猿ですか。」
「そうでしょうよ。いくら甲羅経たって人間にゃかないませんや。」
 こう言っているうちにも、重兵衛はそこにある大きい鉈《なた》に眼をやった。すわといったらその大鉈で相手のまっこうを殴《くら》わしてやろうと、ひそかに身構えをしたが、それが相手にはちっとも感じないらしいので、重兵衛もすこし張合い抜けがした。えてものの疑いもだんだんに薄れて来て、彼はやはり普通の旅人であろうと重兵衛は思い返した。しかしそれも束《つか》の間で、旅人はまたこんなことを言い出した。
「これから山越しをするのも難儀ですから、どうでしょう、今夜はここに泊めて下さるわけにはいきますまいか。」
 重兵衛は返事に困った。一時間前の彼であったらば、無論にこころよく承知したに相違なかったが、今となってはその返事に躊躇した。よもやとは思うものの、なんだか暗い影を帯びているようなこの旅人を、自分の小屋にあしたまで止めて置く気にはなれなかった。
 かれは気の毒そうに断った。
「折角ですが、それはどうも……。」
「いけませんか。」
 思いなしか、旅人の瞳《ひとみ》は鋭くひかった。愛嬌に富んでいる彼の眼がにわかに獣《けもの》のようにけわしく変った。重兵衛はぞっとしながらも、重ねて断った。
「なにぶん知らない人を泊めると、警察でやかましゅうございますから。」
「そうですか。」と、旅人は嘲《あざけ》るように笑いながらうなずいた。その顔がまた何となく薄気味悪かった。
 焚火がだんだんに弱くなって来たが、重兵衛はもう新しい枝をくべようとはしなかった。暗い峰から吹きおろす山風が小屋の戸をぐらぐらと揺すって、どこやらで猿の声がきこえた。太吉はさっきから筵《むしろ》をかぶって隅の方にすくんでいた。重兵衛も言い知れない恐怖に囚《とら》われて、再びこの旅人を疑うようになって来た。かれは努めて勇気を振り興して、この不気味な旅人を追い出そうとした。
「なにしろ何時までもこうしていちゃあ夜がふけるばかりですから、福島の方へ引っ返すか、それとも黒沢口から夜通しで登るか、早くどっちかにした方がいいでしょう。」
「そうですか。」と、旅人はまた笑った。
 消えかかった焚火の光りに薄あかるく照らされている彼の蒼ざめた顔は、どうしてもこの世の人間とは思われなかったので、重兵衛はいよいよ堪らなくなった。しかしそれは自分の臆病な眼がそうした不思議を見せるのかも知れないと、彼はそこにある鉈に手をかけようとして幾たびか躊躇しているうちに、旅人は思い切ったように起《た》ちあがった。
「では、福島の方へ引っ返しましょう。そしてあしたは強力《ごうりき》を雇って登りましょう。」
「そうなさい。それが無事ですよ。」
「どうもお邪魔をしました。」
「いえ、わたくしこそ御馳走になりました。」と、重兵衛は気の毒が半分と、憎いが半分とで、丁寧に挨拶しながら、入口まで送り出した。ほんとうの旅人ならば気の毒である。人をだまそうとするえてもの[#「えてもの」に傍点]ならば憎い奴である。どっちにも片付かない不安な心持で、かれは旅人のうしろ影が大きい闇につつまれて行くのを見送っていた。
「お父《とっ》さん。あの人は何処へか行ってしまったかい。」と、太吉は生き返ったように這い起きて来た。「怖い人が行ってしまって、いいねえ。」
「なぜあの人がそんなに怖かった。」と、重兵衛はわが子に訊いた。
「あの人、きっとお化けだよ。人間じゃないよ。」
「どうしてお化けだと判った。」
 それに対してくわしい説明をあたえるほどの知識を太吉はもっていなかったが、彼はしきりにかの旅人はお化けであると顫えながら主張していた。重兵衛はまだ半信半疑であった。
「なにしろ、もう寝よう。」
 重兵衛は表の戸を閉めようとするところへ、袷の筒袖で草鞋がけの男がまたはいって来た。
「今ここへ二十四五の洋服を着た男は来なかったかね。」
「まいりました。」
「どっちへ行った。」
 教えられた方角をさして、その男は急いで出て行ったかと思うと、二、三町さきの森の中でたちまち鉄砲の音がつづいて聞えた。重兵衛はすぐに出て見たが、その音は二、三発でやんでしまった。前の旅人と今の男とのあいだに何かの争闘が起ったのではあるまいかと、かれは不安ながらに立っていると、やがて筒袖の男があわただしく引っ返して来た。
「ちょいと手を貸してくれ、怪我人がある。」
 男と一緒に駈けて行くと、森のなかにはかの旅人が倒れていた。かれは片手にピストルを掴んでいた。

「その旅人は何者なんです。」と、わたしは訊いた。
「なんでも甲府の人間だそうです。」と、重兵衛さんは説明してくれました。「それから一週間ほど前に、諏訪の温泉宿に泊まっていた若い男と女があって、宿の女中の話によると、女は蒼い顔をして毎日しくしく泣いているのを、男はなんだか叱ったり嚇したりしている様子が、どうしても女の方ではいやがっているのを、男が無理に連れ出して来たものらしいということでした。それでも逗留中は別に変ったこともなかったのですが、そこを出てから何処でどうされたのか、その女が顔から胸へかけてずたずた[#「ずたずた」に傍点]に酷《むご》たらしく斬り刻まれて、路ばたにほうり出されているのを見つけ出した者がある。無論にその連れの男に疑いがかかって、警察の探偵が木曽路の方まで追い込んで来たのです。」
「すると、あとから来た筒袖の男がその探偵なんですね。」
「そうです。前の洋服がその女殺しの犯人だったのです。とうとう追いつめられて、ピストルで探偵を二発撃ったがあたらないので、もうこれまでと思ったらしく、今度は自分の喉を撃って死んでしまったのです。」
 親父とわたしとは顔を見合せてしばらく黙っていると、宿の亭主が口を出しました。
「じゃあ、その男のうしろには女の幽霊でも付いていたのかね。小児や犬がそんなに騒いだのをみると……。」
「それだからね。」と、重兵衛さんは子細らしく息をのみ込んだ。「おれも急にぞっとしたよ。いや、俺にはまったくなんにも見えなかった。弥七にも見えなかったそうだ。が、小児はふるえて怖がる。犬は気ちがいのようになって吠える。なにか変なことがあったに相違ない。」
「そりゃそうでしょう。大人に判らないことでも小児には判る。人間に判らないことでも他の動物には判るかも知れない。」と、親父は言いました。
 私もそうだろうかと思いました。しかしかれらを恐れさせたのは、その旅人の背負っている重い罪の影か、あるいは殺された女の凄惨《ものすご》い姿か、確かには判断がつかない。どっちにしても、私はうしろが見られるような心持がして、だんだんに親父のそばへ寄って行った。丁度かの太吉という小児が父に取り付いたように……。
「今でもあの時のことを考えると、心持がよくありませんよ。」と、重兵衛さんはまた言いました。
 外には暗い雨が降りつづけている。亭主はだまって炉に粗朶《そだ》をくべました。――その夜の情景は今でもありありと私の頭に残っています。

底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
   1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「文藝倶樂部」
   1897(明治30)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです


    ★          ★

 さて、この場合、岡本綺堂氏がこのパターンの創始者とはかならずしも断言できない。氏は江戸文学や中国文学を換骨奪胎して作品化することが多い。だから、この旅人は江戸の道中者や、中国の旅人である可能性もある。しかし、この抑制の効いた、そくそくと背中の冷えるような語り口は、それそのものが名人芸だろう。髪を振り乱した死霊の見せ方ばかりを競い合う昨今のビジュアル・ホラーが、大半素人芸の域をでないのは、作品というより、まあうわさ話レベルで作劇しているからなのだろうなあ。




02月06日 月  いちばん偉い人へ

 別にさからう人間をみんな殺せと言っているわけではない、そうおっしゃる穏健な教徒の方々も多いわけだが、神と同一の言葉を代わりに語れる予言者などというものは、ただの入出力機であり神でもなんでもないのに、入出力機自身が自分をメーカーと同一と錯覚し教徒もそう錯覚しているとしたら、やっぱり両者ともに寸足らずなのである。では誰が悪いかと言えば、入出力機をこの世に供給しておいて、それっきり放置のメーカーがいちばん悪い。
 たとえば高性能プレーヤーやアンプやスピーカーは、確かに貴重な存在だ。しかしそれが特化したフォーマットしか再生できず、メーカーがたった数機種のステレオ・セットと数枚の専用レコード盤を太古に供給しただけでそれっきりサポートしてくれない場合、それは極めて悪質な業者である。むしろとっくに赤字倒産してしまった、あるいはカリスマ社長が死んでしまったと同時に整理・廃業してしまったと考えたほうが自然だろう。別に伝説の名機を命がけで整備し磨き続けるのはマニアの自由だが、その名器を馬鹿にされたというだけで相手を焼いたり殺したりしたら、やっぱりただの寸足らずである。まして楽器の名器などと違い、そのステレオ・セットは、永遠に同じ数枚のレコードしか再生できないのである。
 多くの人間は、自分と同じ欲にはいくらでも寛大になれる。そして自分と違う欲には極めて攻撃的だ。
 自分が一番偉い人になりたい、しかしなる自信も実力もない、じゃあ一番えらい人を見つけてそれをなぞればいい――いたとしても、とっくに死んでるって。それに、たとえ千年だか二千年だか前にいちばん偉かったとしても、今現在同じ教条を述べたら、齟齬だらけに決まっている。
 度一切苦厄。色即是空。空即是色。真実不虚。
 日本一の無責任男・植木等さんだって、こう歌ってらっしゃる。
 ♪ 見〜ろよ〜 青い〜空〜 し〜ろい〜く〜も〜 ♪ そ〜のうちな〜んとか な〜るだ〜ろ〜お〜〜 ♪

(注・青島幸男氏作詞『だまって俺について来い』の一部を、使用させていただきました)


02月05日 日  プアマンズなんとか

 そんな言い方が昔からあって、以前に記したヤシカアトロンがプアマンズ・ミノックスであるとすれば、プアマンズ・ハッセルは昔のブロニカかもしれないし、プアマンズ・ローライはリコーフレックスだったりもするのだろう。いずれもマニアが大騒ぎするほどの撮影能力差はない。まあ潜在能力の差は確かに厳然としてあるのだが、マニアの大半はただ「あるはずだ」という事実を拝んでいるだけで、大半その性能を満足に引き出せない。それでも工芸品的アナログ機器としてのオーラは、さすがに何倍から何十倍の価格差があるだけに、ただ置いてあるだけでも何やら神々しいほどの高貴さがある。
 さて、旧職にデジタルが絡んで来た頃から現在の内職まで、何かとお世話になっている画像処理ソフトのフォトショップ、まあ昔から画像処理プロの方々には必須ソフトであり、それに関してはなんら異論はない。10万近いおゼゼの価値は確かにある。しかし近頃、どうもペイントショップのほうが、現バージョンは当初のプアマンズ・フォトショップから完全に脱皮して、部分的に遙かに凌ぐ実力を持っているようだ。というのは、なんかいろいろの先で話を聞いて、お試しバージョンをダウンロードしてみたら、Webでちょっとアップしたいような画像加工には、圧倒的に便利なのである。単にお仕着せの自動補正がお手軽、そんな意味ではない。色やコントラストの自動補正は、相変わらずちょこちょこいじらないと使い物にならない。しかしたとえば、ダウンサイズの時の自動補正アルゴリズム。フォトショップで言えばニアリスト・ネイバーからバイ・キュービックまで時と場合によって試行錯誤しなければならないが、ペイントショップだと「スマートサイズ」と呼ばれる縮小処理で、もう一発で綺麗に縮小できてしまう。ここのステレオ写真コーナーの画像など、全部やりなおしたいくらいだ。もはや暇も気力もないのでやらないが。
 下の画像は、昔のリバーサルをスキャナで取り込んで、それぞれフォトショップ(左)とペイントショップ(右)で一発縮小をかけたものである。大差ないと思われる方もあろうが、自分の目にはペイントショップのほうがきめ細かく見える。さらにそれぞれにシャープを一回かけると――フォトショップではなんかわざとらしくなってしまい、なんかいろいろまたやらなければならない。それは縮小時のキメの荒さが、シャープネス処理によって目立ってしまうからだ。一方ペイントショップのほうは、そのままアップしてもいいくらいだ。

 

 

 まあフォトショップは、あくまでも印刷業界や映画業界まで視野に入れたソフトであり、そのための複雑怪奇な機能がふんだんに詰まったソフトである。個人のホームページレベルで比較するのは間違いかもしれない。しかし、単純なリサイズなどというものは、他の機能で補えないだけに、カメラで言えばレンズそのものの解像力に匹敵する基本仕様だろう。価格が数分の1のソフトのほうが使えるというのも、ご本家としていささか情けない気もする。カメラと違って、ただ眺めていても楽しめる存在感があるわけではないし。
 ことほどさように、プアマンズ根性は、ときとしてあなどれないのである。


02月04日 土  続・バトンの墓場

Q1. 好きな作家を挙げてください。(何人でも可)
あまりにも多数でほんの一部のアレなのですが――高橋克彦、半村良、都筑道夫、橘外男、小栗虫太郎、江戸川乱歩、岡本綺堂、小泉八雲、泉鏡花、以上伝奇・幻想系として。三浦哲郎、北杜夫、川端康成、森敦――以上、純文学系として。童話系では小川未明、ジャンル分け不能で筒井康隆。海外では、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウーリッチ)、レイ・ブラッドベリ、ロバート・F・ヤング、M・R・ジェイムス、トーベ・ヤンソン。
Q2. その理由は?
死ぬまで一歩でも近付きたいと思うような作品を多数残してくれたから。
Q3. 好きな作品を挙げてください。
これもほんの一作ずつですが――『総門谷』『石の血脈』『雪崩連太郎シリーズ』『逗子物語』『押し絵と旅する男』『青蛙堂鬼談』『知られざる日本の面影』『眉隠しの霊』『忍ぶ川』『木精』『伊豆の踊子』『月山』『月夜とめがね』『エロチック街道』『黒衣の花嫁』『10月はたそがれの国』『たんぽぽ娘』『秦皮の木』『ムーミン谷の冬』。
Q4. その作品の宣伝をどうぞ!
無条件で面白い(と思う)。あるいは、私を極めて普遍に至っている(と思う)。
Q5. 好きな作家に対して一言。 
物故された方はもうしかたがないので(大半そちらです)、ご存命の方々には、死ぬまで汗水たらしてがんばっていただきたい。
★シャワー派?浸かる派?
浸かる派。シャワーのない古貸間を転々としているので。
★最短時間は?
30分くらい。
★最長時間は?
3時間(風呂の中で寝てしまって、溺れる寸前に目を覚ましたから)。
★どこから洗う?
えーと、書けません。女性の方もご覧になっているようなので。
★歌う?
はい、時々。
★何歌う?
懐メロ。童謡。中島みゆき。
★何考えてる?
おおむね音楽や朗読やNHKラジオ深夜便などを流しているので、それに関したなんかいろいろ。
★温泉好き?
願わくば 露天風呂にて冬死なむ その霜月の新月の頃
★泳ぐ?
そんな広いお湯に入ったことないです。温泉も銭湯も人が邪魔で。
★隠す派オープン派?
隠す必要のない若い頃は隠し、みっともなくなってから居直ってオープン。ただし知人といっしょや混浴では、あんましみっともないので隠す。
★好きな人又は想い寄せてる人がいたら興奮する?
興奮というより、しみじみシヤワセを感じますね、若い頃の話ですが。
★好きな入浴剤の色は?
もも。
★好きな入浴剤の香りは?
もも。
★お風呂あがりはパジャマ?全裸?下着?私服に近い服?
夏はパンツいっちょ。冬はジャージに綿入れ半纏。中間はパジャマ。
★お風呂にあったらいいなと思うものは?
もも(いや、くだものでなく、なんかやーらかいの)。
 ――以上、まとめてバトン終着駅でした。

 秋葉原デパートの一階、カウンターお食事コーナーの、ペッパーランチは美味い。焼けた丸い鉄皿に、ごはんと生牛肉胡椒振りとバターがどーんと乗って出て、自分でかき混ぜながら焼き飯状に炒めて食う奴。松屋でも類似品を出してくれまいか。ほとんどセルフだから、楽だと思うのだが。牛焼肉定食よりちょっと高くても、自分でじゃーじゃー焼けるのが、かえって楽しい。
 ベルトは千石商会の地下で発見。エロゲーはめぼしい新作なし(おい)。相変わらず、どこかで見たような話と絵ばかり。昔のような異様・異色の底なし沼的作品は、もはや商売として無理か。
 帰宅後、たちまち例のワープロ復活。気を良くして、またたかちゃんシリーズなど、打ち始める。


02月03日 金  温故無知新

 なんかいろいろ関係の年上の知人が、自宅のワープロが壊れてしまったと言う。今時古いワープロを使ってくれているのが嬉しく、それもかつての我が愛機と同じ書院だと言うので、詳しく話を聞くと、フロッピーが読み書きできないのだそうだ。ヘッド・クリーニングしても駄目らしい。機種名を聞くと、もう20年前の、液晶にバックライトも無かった頃の古物である。喜んで修理を引き受け――というより、修理ができないかどうか、預かってバラすのを志願。メーカーでは当然とっくに預からないし、捨てるのにも金がかかる。と、そこまでは先週の話。
 で、本日預かっていそいそ腑分けしてみると、案の定、モーターとディスク回転部を繋ぐ駆動ベルトが、劣化して切れていた。モーターは元気に回っている。当時のワープロやMSXマシンの3.5インチフロッピー・ドライブは、当節のダイレクト・モーターではなく、ベルト駆動なのである。デジタル記録再生超精密機器のはずが、昔のレコード・プレーヤー同様、ゴムのベルトを介してぐるぐる回っているのだ。そういえば大昔、レコード・プレーヤーのターン・テーブルも、ダイレクトドライブが高級機のウリになっていた。もっとも現在でも、安いCDドライブなどは、きちんとベルトでうんしょうんしょと回している。なんでも腑分けしたがる自分が、実見した限りでは。
 これで、明日にでも秋葉原に出向き、パーツ屋さんで適当なベルトを見繕い、試して見ればいい。以前の経験では、十中八九復活する。わざわざそんな面倒をしなくとも、その所有者にパソコンでも買わせた方が将来のためという意見もあろうが、それは間近に迫った定年後のボケ防止でいいわけで、少なくとも現在の趣味がワープロで足りているのなら、余計なストレスを感じる必要はない。実際未だに、文書作成印字だけならワープロ専用機のほうが楽と言う方々は多く、中古市場もしっかり存続している。それにベルトなんてせいぜい200円程度。それとせいぜいサイゼリヤで飯を奢るくらいの出費で使い慣れた機械が復活すれば、所有者も損はないはずで、飯を奢られる自分もシヤワセである。まあ、腑分けや手術自体が楽しみなんですけどね。素人仕事で失敗しても、人死にが出る心配ないし。昇天されたら昇天されたで、所有者が望めば、データのほうをパソコン用に変換してあげてもいい。どっちにしても、双方シヤワセである。

 機械物の腑分けは、とても面白い。しかし近頃のメカトロニクスは、一定以上の深部は完全なブラック・ボックスになってしまい、素人では手に負えない。いや、玄人でもそのパーツごと交換するしかない。たとえば昔は、どんな高級カメラでも手間暇と工具調達さえ厭わなければ、アマチュアでも腑分けや手術が可能だった。今は子供向けのデジカメですら、保証期間内なら新品交換である。それは人件費やらなんたらもあるだろうが、肝腎のハラワタ自体が、もはや作った会社でも『分解』などできない構造だからだろう。
 デジカメ流行りでもまだ売れている使い切りカメラ(業界の正式名称は、『レンズ付きフィルム』)が、妙にかわいく思われる今日この頃。あれの外側を回収して発展途上国に送り、低人件費を武器にリサイクルして送り返し、安く売りさばく業者さんもいるが、あながち間違ってはいないだろう。ときどき妙なフィルムを詰めて、現像機の処理液まで駄目にしたりしてしまうのはかんべんだが。



 ちょいとでかいですが、注意書きが読めないと、おもしろくもなんともないので。リサイクル物の一例です。



02月02日 木  山椒は小粒で

 滅びゆくフィルム・カメラへの哀惜の念をこめて、ちょっとお遊び。

 たとえば写真史上メジャーなフィルムサイズの中では最小と思われる、ミノックス・サイズ。ここでも何度か記したが、フィルム幅9.5ミリ、撮影画面はたった8ミリ×11ミリである。小指の爪くらいだろうか。今ならデジタル用のCCDなど、もっと小さい物もあるのかもしれない。しかし、その他なんかいろいろの機械的理由で、なかなかご本家ミノックスや、我が国のヤシカアトロン・シリーズや浅沼商会のアクメル・シリーズのような、驚くほど小型のカメラ(ちゃんと写る)は、デジタルでは登場しないようである。
 ご本家ミノックスの高性能ぶりはすでに戦前から有名であり、スパイカメラ、などという呼称もしばしば見受けられる。ほとんど高級手工芸品に近い精密な造りで、実際書類複写が可能なほどの解像力があり、今でも愛好家諸氏はわざわざ自分でマイクロフィルムをミノックス用に切り出して、秘伝の自家現像法や引き伸ばし技法を駆使し、とんでもねーサイズの高画質プリントを誇らしげに展示されている。自分の場合は主に中学校から高校にかけてその世界に惹かれていたが、当然一介の中学生にそんな金も技術もあるはずはなく、当時の田舎でもなんとかカメラ店のウィンドーに麗々しく飾られていたヤシカのアトロンと、その高級機アトロン・エレクトロ、その安い方を必死の思いで入手したわけである。それでも当時の2万近い金額というのは、親戚中で掻き集めたお年玉をすべて投げ出しても、まだ足りなかった。半分は月々の小遣いから月賦払いで、父親に貸してもらった。ちなみに本家ミノックスは、その5倍以上の価格だった。家には普通サイズの現像・引き伸ばし器はあったが、無論そんな器械で手に負えるはずもなく、ヤシカのフィルムに書いてある花の東京の現像所に郵送し、仕上がりが届くまでわくわくと2週間ほど、期待に胸を踊らせながら待つのである。
 それ以前の小学校時代には、御多分にもれずちっこいブリキの玩具カメラの画質に絶望したり、お弁当箱が肥大化したようなフジペット(ブローニー判の有名な子供向け入門機)の、馬鹿でかいネガの割には見事に流れる周辺画質にちょっと呆れたりで、やはり子供向けカメラという奴は、父親の持っているセミレオタックスやオリンパス・ペンとは別格の物なのだ、やっぱりカメラの子供なのだ、そんなふうに諦めていた。(現在、三丁目の夕日的情報で、当時の豆カメラが結構写るというのは間違いである。同じ豆のようなロール・フィルムを使うカメラでも、マイクロやミゼットといった、大人価格のミニチュア・カメラでないと、まともな写真は写らない。ざらざらの粒子の中に、かろうじて友達と判る程度の画像が写るだけだ。『ローマの休日』で有名なライター型カメラも日本製だが、出てくる写真はもちろん銀幕の夢。残念ながら、アン王女と断言できる画像が写るはずもない。)
 しかし今度のアトロンは、大人価格のカメラだ。ただし、大きさは子供用の豆カメラと大差ない。でも説明書やカタログでは、ちゃんと大人の高級そうな人たちが、夢のように高級そうな都会の場所で使っているらしい――不安と夢が、もう無限に膨らんで、てんびん状にシーソーを始めるわけである。そして、やがて雪をかぶった庭先のポストに、ずっしり厚い封筒が届き、わくわくわくと封を切って――やったべ、とーちゃん、今日はホームランだべ。

   

 肖像権はまるっきり無視させていただいたりしてしまうが、同級生の生徒会長(こんなこけしみたいな子が、マジに豆タンク状の全校生徒会長だったのである)を、密かに盗み撮りした写真である。ピントが甘いのはけしてレンズそのもののせいではなく、固定焦点のカメラをノーフラッシュ・絞り開放・スローシャッターで撮ったためであり、好条件なら前に挙げた雪の日写真のように、しっかり結像する。また生徒会長の頭にずどんとストーブの煙突が重なったりしているのも、とっさの隠し撮りゆえ、ご容赦ねがいたい。隠れて見えないが、その下にはブルフィンチが(ほとんど知らんわ)佇んでいたりする。ちなみにその原板は、写真右上に貼ったくらいの小指の爪サイズ。で、ちょっと今いたずらしてみたのが、隣の懐かしきセピア調。

 現在ネットでは、ご本家ミノックス愛好者様方のページは相変わらず花盛りであり、美麗な写真も多々見られる。しかし我が国の誇るアトロンは、皆様あんまり真剣に使ってくださらないためか、あるいは三十数年以前の製品ゆえガタが来てしまっているのか、安いポケットカメラのような画像がほとんどだ。しかし日本の民生用工業テクノロジーというやつは、1960年代後半には、すでに頂点にあったと思われる。5分の1のコストで、『プアマンズ・ミノックス』などと揶揄されながら、アトロンは立派に海を渡ってもいた。さらなる高級機、アトロン・エレクトロも登場していた。しかし、その後いい加減に扱われたり戸棚に放置されたりして、さすがに現在は、瀕死に近い中古しか見受けられない。
 なんにせよ、大事なのは愛と情熱、プラス持続力である。いっとき意味ありげな視線を交わせるまでになった生徒会長は(無論当時の田舎のこと、肉体的にはフォークダンスで手を握っただけだが)、その後、横浜に嫁いだと聞く。しかし愛機アトロンは、ファインダーこそすっかり曇ってしまったが、今でも元気で我が掌中にある。下の写真は、アトロンで撮った退職直前の職場の近所と、そのスキャン・データの縮小前の一部である。

 


 フィルム・カメラというやつは、推定3〜4ミリほどの部分に、これだけ画像情報が記録できる。そして電気のない土地でも、モノクロならば現像処理が可能である。大判ネガならば、焼き付けも日光と化学薬品だけで可能。いや、ミノックスサイズだって、高倍率ルーペがあれば、鑑賞可能だ。必ずしも古い人間の懐旧だけでなく、長く続いて欲しい世界である。





 おまけとして、当時のカタログの一部。ああ、夢の都会大人生活。



02月01日 水  あてがいぶちへの疑問

 ブラインド・タッチで一日中データ入力している方々には、パソコンのパーム・レストという奴は必須なのだろうか。未だに我流雨だれ打ちの自分の場合、掌の付け根は常にキーボードより若干下で宙を移動し、指先は斜め前下方約60度の角度でキーに落ちる。邪道なのだろうが、おっさんにはけして珍しくない打ち方のはずだ。さて、デスクトップならキーボードは自由に置けるのでなんら問題ない。しかしノート・パソコンで、炬燵でなんかやろうと言う時は、かなり違和感がある。あのノートには必ずと言っていいほど備わっているタッチパッドやらパームレストやらの広大なスペースが、肝腎のキーを遙か彼方に遠ざけてしまっているのだ。昔のラップトップ・ワープロという奴は、そもそもマウスの普及する前に定型ができているので、マウスやタッチパッドが使える時代になってからも、キーボードは常に最前方に位置していた。その頃の炬燵打鍵の感覚が、近頃無性に懐かしい。
 そこで、現在この世にそうした配置のノート・パソコンは存在しないのかと、あちこち検索してみたら、どうも存在しないらしい。タッチパッド不要の人間のための省略機はあるが、あのだだっ広い空き地は、やはりパーム・レストと称して広がったままである。元来タッチパッドのないIBMのトラックポイント機すら、なぜか空き地がある。マウス普及前のDOS時代には、ノートも当然当時のワープロ同様最前方にキーボードがあった。今でもオークションなどでたまに出るようだが、残念ながらウィンドウズが動くような代物ではない。
 現代、大量生産・コストダウンのためには、易々とキーボードの位置を変えるわけに行かないのもわかるが、それにしても世界に一社くらい、ちょっと変えてみようと発想するメーカーがないものだろうか。そもそもタッチパッドという奴自体が、なんだかずるずるとカーソルが粘って、あまり使い易いものではない。IBMのトラックポイント機が欲しいくらいである。しかしそれもまた、世の趨勢に流されて、姿を消しつつあるようだ。こうしてすべてのノート・パソコンは、同じ外観になってゆく。

 以前五十嵐氏が面白いと言っていた、『アイランド』を観る。汚染された外界を逃れて徹底的に清浄な管理閉鎖社会に生きていたと思ったら、実は臓器提供用のクローン増殖場であり、自分もクローンであった、そんな話。なるほど、なにか往年の『ソイレント・グリーン』や『未来惑星ザルドス』、あるいは『カプリコン1』や『ローガンズ・ラン』を思わせるような、手堅い近未来アクションSFだった。『マトリックス』にも、ちょっと構造が似ている。もっとも前二者ほど重くはなく、あくまでもマイケル・ベイ監督らしい、逃亡アクション主体の娯楽作。明るい爽快さと言う意味では、『カプリコン1』が最も近いか。クローン人間のアイデンティティーという、一見かなり重い素材を使いながら、結局「生き延びるためならなんでもやるさ」は、いかにも大昔の西部劇のようで、脳天気に逃亡活劇を楽しむのが吉。しかし一見アメリカらしく『個性と行動力』を前面に押し出しながら、実はしたたかな創造主否定論みたいな話は、欧米ではあまりウケなかったのではないか。まあ表向きは、創造主そのものではなく、それに代わろうとするマッド・サイエンティストを始末するという、フランケンシュタイン以来の古典的宗教観に基づいているとも言えるが、自分の目には、むしろ創造主との決別を決意した未来のアダムとイブ、そんなふうに見えてしまった。