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03月31日 金  老狸の晩餐

 97円均一ワゴンのシューマイはただ蒸すだけだとなんだか存在感が薄いので、フライパンで油焼きにすると揚げシューマイ的になり、けっこうおかずになる。といってそれだけだとやっぱり物足りないので、同じ97円均一のおでんを温める。それにダイソーで6食分100円のインスタント味噌汁にやはりダイソーの乾燥ワカメをたっぷり入れて――どうでしょう。これで結構豪華な晩餐だと思ったりしているのですが。明日は残りのご飯を玉子炒飯にしておかずは100円のブリ缶と、乾燥野菜のいっぱい入ったインスタント味噌汁(だいぶ前に姉から送ってもらった援助物資の残り)――どうでしょう。これで一日一食でも、うっかりすると、すぐに丸形狸になってしまうのです。本当に、この国は豊かだ。まともな大人が餓死しようと思ったら、犯罪にまきこまれるか栄養摂取できない病気にならない限り、『餓死を志す』しかない。
 テレビではなにか英国の8歳の少女が遺伝子の異常ですでに老化しており寿命は13歳まで、などというドキュメントをやっており、その他にも10代や20代でいきなり老化が加速してしまう病気とか、生きることそのものに難渋している方々も多数。物を食いながら泣くのははなはだ消化に悪いと聞くが、見始めてしまったものは仕方なく、食ったり泣いたり忙しくなってしまう。番組の要所要所をブチ壊しにしてくれる愚劣なCMを厭いながらも、自分もまたそのCM同様の無駄に消費活動するだけの存在のような気もして、そのちっこい8歳の少女に残りの寿命の大半送ってあげられたらなあ、などと精神的に退化しつつ、しかしその少女は初潮も迎えないまま肉体的には老化しながらもあの無邪気な子供の感性のまま苦しみに耐えて短い生涯を終えるのだと思うとそのあまりの存在としての『清冽さ』にろくでもない大人としてはもうごめんようごめんようと泣きながら取りすがって許しを乞いたくなってしまったりする。きっとあの子はなにがなんだかわからなくても、とりあえずなでなでしてくれそうな気がする。番組中で、その子が『永遠に生きられる』天使に憧れているような話があったが、老狸から見れば、その子こそ13年間だけこの世に下りてきてくれた天使に他ならない。


03月30日 木  寒いよ

 桜が満開と思ったらまた木枯らしのような風の街。いつまで続く三寒四温。とはいえ、生まれ育ったところなどはしばしば卒業式に雪が降っていたのだから、それを思えば関東東南部は南国。

 駅前の西友で買い物をしていたら、階段の踊り場で、ちっこいろりがぺらぺらの絵本のようなものを繰りながら、ひとりで喋ったり歌ったりしている。隣のママは、携帯のメールに没頭。通りすがりに見るともなく警戒心を抱かれない程度に、でもじっくりとワンマン・ショーを楽しませていただく。とてもかわいい。絵本のようなものは、どうやら階上のダイソーで買ってもらった童話の塗り絵の本らしい。その後ダイソーで確認してみたら、『つるのおんがえし』やら『マッチ売りの少女』やら、100円で色々出ているのですね。アニメ調の絵柄はコミカル調から叙情的なものまで結構達者だが、本文も絵も、いっさい著作者の名前はない。どこかのイラストかアニメか漫画関係者の方々による、買取作品なんだろうなあ。でもろりの楽しみ具合は、先日電車の中で見かけた『ふたりはプリキュア』の着せ替えブックレットで遊んでいたろりと、まったく同じボルテージのゴキゲンさなのであった。無名の作者さん達に、ぜひ見せてあげたいような光景である。いや、日本のどこかのダイソー近辺で、こっそり作者自らごらんになっているのかもしれない。

 近頃巷の幼女を見ていると、とにかくこっそり持って帰って、育ててみたくなる。とてもあぶない。そんな時に思い出すのは、漫研の大先輩(無論面識はない)のほんまりうさんが昔ガロに描かれていた、『純愛記』という作品である。
 人生に敗れた孤独な中年男が幼女を誘拐、というより単にしばらく連れ回して、結局逮捕される話である。男はその幼女になんら猥褻な行為などははたらいていないのだが、取り調べに当たったふたりの刑事の内、若い刑事は感情的に怒鳴りつける。「あんたがなにもしていなかろうと、世間的には、あの子は一生『傷物』になってしまったんだ!」。犯人の中年男はうなだれながらも、「私はあの子といっしょにいる間、ひとつの言葉を覚えてもらおうとしました。『純愛』、という言葉です。今は意味も解らないでしょうが、大人になって、この事を思い出した時……」。もうひとりの刑事――犯人同様中年の刑事は、確かにその幼女が、無事に保護され犯人と引き離される時、優しかった彼を慕って泣きながら、「ジンアイのおじちゃーん!」と叫んでいたのを思い出す。しかし地道な生活者であるその刑事は、責めるでも諭すでもなく、こうつぶやくのである。「そうか、あれは、その事だったのか。――私には、『塵埃』と聞こえたのですが」。犯人は力なくうなだれ、「……そうですか。そんなふうに、聞こえましたか」。
 うう、さ、寒い。重々自戒せねば。
 なお、『純愛記』の作品内容は、まったく大昔の記憶に頼って記したため、セリフなどはかなり違うと思われますが、内容的にはおおむね合っているはずです。


03月29日 水  今さらポー

 さて、図書館で借りた物件の内、今さらながらエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の末裔』や『黒猫』などという古典を読み返していたりする。去年の今頃はあの死美人物件のため江戸川乱歩などずっぷしだったなあ、そんな回想によって借りてみたわけだが、いやあ、自分もつくづく歳をとった。中学時代に田舎の深夜浸っていた頃とは、ずいぶん印象が違う。当時は『アッシャー家の末裔』のようないかにも重厚ゴシック調の散文詩的な不健康を好み、『黒猫』はちと不健康度が日常的すぎ、などと思っていたのだが、今読めば前者はやたら大仰な外連味がいささかキッチュに感じられ、後者はもう心理的になんぼでもずぶずぶと奥深くハマってしまい、それこそなんかクスリ中毒の底なし沼のようだ。
 またこれも今さらながら、乱歩の世界というのはやっぱり『ポー様、萌え』だったのだなあ、と改めて納得。粘っこい語り口など、時々「まんまやないか」とツッコミたくなるし、舞台設定を広げれば広げるほどキッチュ感が勝り、内にこもるほど底が深い。
 ふと、小学校の頃読んだ、少年探偵団物以外では初の乱歩体験『幽鬼の塔』など、読み返したくなる。今度図書館で借りて来よう。


03月28日 火  ちょっと躁

 徘徊を重ねたおかげか昨夜は久々にたかちゃん方向のイキオイが憑依し、明け方までギンギンと趣味に没頭。午後目覚めて光に当たっても鬱気味になることなく、返却期限のなにやらを抱えて図書館に行き、ほのぼのと児童館のろりなどながめる。
 夜は鑑定団に、これもまた久々の素晴らしい掛け軸が登場。目にした瞬間、その墨だけで描かれた滝の絵から、深淵な水音は響くは水沫をしっとり含んだ風は渡ってくるは、思わず現世を逃れてそっち側に移り住みたくなる。そんな掛け軸を床の間のある家に飾る身分になれたらどんなに幸福か、しかしこの精神破壊力だと100万は下らんのだろうなあ、と思ったら、やっぱり100万だった。生涯買えまい。しかし、本物の滝に移住してしかばねになるのは、タダでもできるからまあいいか。
 風呂でラジオを聴いていたら、NHKニュースで、これもまたまた久々に、思わず風呂の中で笑い転げる。北朝鮮が、脱北者に協力した日本のNGO関係の方々を、拉致・誘拐犯として告発し、日本政府に因縁つけてきたらしい。わはははははは。いや念のため、その脱北者さんたちのほとんどは、こっちで生まれ育っていったんあっちに帰国したものの、故郷の大ウソぶりに落胆して、また戻った方々である。いやはや、あちらの政府としては、拉致問題にうるさい日本になんらかの意趣返しを試みたつもりなのだろうが、もはや漫才の狂気型ツッコミと化している。いよいよ『ならずもの国家』を脱皮して、『ピー国家』になりつつあるのか。しかしギャグと言う奴は、古来、やってる方が大真面目であればあるほど、大笑いできる。


03月27日 月  徘徊癖

 なんかいろいろの帰途、上野まで乗り越して、またぞろ神田近辺、というかアキバへ。月末の苦しさに、なんかいろいろ関係以外にもあらかじめ手付き袋いっぱいの謎の物件を携えて、部屋を出たのである。しかして謎の物件とは――などともったいぶるのも恥ずかしい、かつて羽振りがいい頃買い集めた、やらしいゲームの数々。しかし『葵屋まっしぐら』などという自分でもすっかり忘れていたパッケージもちょっと色あせ気味の古いゲームを、7200円で買い取ってもらえたのには仰天した。絵もお話も大した出来ではなかったはずである。まだウィンドウズが98であった世紀末の冬の深夜、疲れた躰を引きずって部屋に帰った中年おたくを、2週間ほどそこそこ慰めてくれたのだから、まあけして愚作でもなかったのだけれど、旅館経営エロゲーと銘打って、ほとんどが軽い脱力ギャグの世界だった。なにか原画家さんかソフトハウスが、大ヒットでも飛ばしてレア・アイテム化したのだろうか。何せかの名作『水月』でも4200円、そのイベント限定販売アフター・ストーリー『みずかべ』(なんで半白髪のおっさんがそんなの持ってんだ、というツッコミはちょっとこっちに置いといて、けっこうレアのはず)でも、4000円なのである。定価と比較すれば、その『みずかべ』に近い、超高価買い取り額である。無論、そう旨い話がころころ転がっているはずもなく、他はけっこう良作でも1000円行けばましな方で、中には定価8800円でそう古くもなくパッケージもツヤツヤなのに買い取り価格10円(!)などという情けないシロモノもあり、結局12本運んで実入りは24120円。それでも秋葉原デパートでペッパーランチではなく980円のステーキを食ってしまうほど、嬉しい臨時収入ではある。
 ちょっと懐が潤ったのと、すっかり春のぽかぽか陽気にあおられて、また一昨日歩いたばかりの、神田明神方向を散策する。たった2日で、桜が一気に開花している。それから湯島聖堂から聖橋へ――エロゲーを始末したばかりの身には、ちょっと罰当たりなコースか。しかし道筋の公園のベンチに、しばしば家のないおっさんたちが座っているのには、ちょっと閉口。まあ、彼らもまた立身出世を志して都会に出てきたかつての学徒かもしれず、なにもホームレスになりたくてなっているわけではないのだろうが、やっぱりもう少し隅っこで遠慮しててもいいのではと思うのですね。いや、いつ仲間入りしてもおかしくない人間として。

 
で、(1)湯島聖堂――昔の孔子廟、昌平坂学問所ですね。 (2)みんな大成したかったのだ。


03月26日 日  交通博物館の表と裏

   
 (1)わーい、SLだあ!  (2)わーい、SLの腑分けだあ!  (3)わーい、たかちゃんだあ!

  
 (1)謎の地下壕(嘘) (2)暗い階段を上ると、幻のホームであった (3)実はけっこう歴史あり

 で、先日の追記。
 交通博物館はジオラマやミニチュアの宝庫といったあんばいでなかなか楽しく、鉄道関係の連絡船のコーナーにあった貨車専用フェリーのミニチュアに、なぜか興味を引かれる。甲板いっぱいに数両連結の貨物車両が数列びっしり並んでいる船というのはなかなかシュールで、ゴジラに沈没させたり(おい)密輸やテロがらみのアクションのクライマックスに使ったりしたら、さぞ映えるのではないか。また近頃どこもかしこも禁煙のため、唯一の喫煙場である屋上に出たら、なにやら見ず知らずの鉄道マニアの子供が渡辺氏を相手に勝手に講釈を始めたり、それも
またその場所ならではの情景だろう。
 ところで、屋上の地べたはてっきりコンクリだと思っていたのだが、一部になにかぶよんと膨らんだ部分があったので踏んづけてみたら、どうやら屋上はゴムらしい堅めの樹脂でコートされており、その一部が接着不良かなにかで膨張していたのですね。腐食防止か、あるいは転倒時の配慮なのか。交通とはまったく関係ないが、これもまた
何かの趣向に使えそうである。


03月25日 土  うろついた(またちょっと飲んだ)

 本日(もう昨日や)は先週に引き続き、学生時代の漫研がらみメンバーで神田近辺を徘徊する。メイン・イベントは、もうじき埼玉に引っ越してしまう交通博物館見物と、それに伴い消滅してしまう旧万世橋駅遺構の見学。万世橋駅というのは、昭和18年に廃止になってしまった、神田とお茶の水の中間駅。交通博物館のほうが、昔はその駅のオマケだったのですね。肝腎の予約制遺構見学は、ほんの一部をちょっと見せていただいただけという感じだったが、いかにも廃墟っぽい淀んだ空気がいかにも遺跡侵入といった趣で快。
 それから秋葉原のメイド喫茶で一休みの後、神田明神界隈のあっちこっちの坂など徘徊し、あらためて江戸の町はずいぶん凸凹していたんだなあ、と実感。時代劇の捕物帳などでは、撮影所がたいがい平地なので捕り方のみなさんも平次や半七も主に平らな道を右往左往しているが、リアルさを追求するなら、どどどどどと坂道を下ったり、はっはっはっはっと駆け上ったりしながら、捕り物をやっていたのではないか。
 夕方から母校近辺の店で飲んだわけだが、母校自体はすっかり巨大ビルに変身してしまいまったく別の建物構成になってしまっているので、もはや懐かしさではなく喪失感を強くするのみ。しかし、なんであんな鋭角的未来調デザインにしてしまうかなあ。きっと最終的に長老ばっかりで決定してしまうからだろう。いわゆる老人にとっての『未来的』=『ナウい(死語)』の感覚ですね。壮年の教員や若年の学徒だったら、せっかく歴史のある学舎なのだから、むしろもっと重厚な風合いを求めるのではないか。
 先週よりもちょっと鬱が勝っており、また運動不足ゆえ昼の行軍でややくたびれてしまい、やくたいもない酒話に全力投球できなかったのが、ちと残念。その代わり深夜帰宅した頃に元気になってしまい、日が変わってから「さあやるぞ」とパソを起ち上げたりしているわけである。きっとこれが高じると、昼間がダメになり、いきなり電車に飛び込んだりしてしまうのですね。飛び込む前に、夜を待つのが吉。あるいは日のあるうちは交通博物館で童心に返ったり、こっそりろりをながめたりするのも吉。


03月24日 金  乙女の澄んだ瞳に映る狸の濁り目

 しかし、あの方々の瞳は、なぜあんなに澄んでいるのだろう――いや、たまたま所用で上野駅の丸井前を通りかかると、また純情そうな娘さんが種々の被災者への募金を募っていたのだが、実は去年の秋に自分も募金してその後その団体の正体を知って愕然とした、北●鮮寄りの奇妙な首領様が主催する珍団体の方である。ほぼ去年と同じ『ちゃあんとした慈善団体ですほれこの通り領収書や感謝状も』のスクラップブックを使用しており、じゃあその後私の寄付したおゼゼはまだ被災地に渡してないのね、どこに溜めてあるの? 総連に貯めてあるの? などと思わずツッコミたくなるが、これ以上関わり合いになりたくないので「忙しいの」と退散する。しかしその娘さんの瞳は、相変わらず、昔テレビで見たライフ・スペースの女性達のように、あくまでも清く澄み渡っているのであった。悲しい。人間、『正直』すら馬鹿の言い訳にはならないのだ。いっそ彼女らのように何かを祀り上げて思考停止盲信状態に陥ることができれば、自分もまたあんな澄み切った瞳になれるのかもしれない。しかし世界規模・国家規模から地域マイナーまで、類似の団体のご本尊様を拝見する限り、その瞳はたいがい人一倍濁っている。きっと盲目的信者の方々が人間として当然備えているべき『濁り』を、そのご本尊様たちが吸い上げているのだろう。水清きが故に尊からず。
 昨夜、NHKに新生フォーク・クルセイダーズが出演しており、日韓北三国の子供達と『イムジン河』を披露していた。いっしょに歌っている子供たちは、ほんとうにかわいい。現代っ子はなんのかんのと言っても、やっぱり小川のせせらぎを想わせる愛しさだ(念のため、小川などというものは、けしてかわいいメダカや澄みきった水だけでは構成されていない。うにょうにょの水草もあれば、得体の知れない虫も棲息している)。願わくばそのせせらぎにやがて流れ込んでくる『濁り』をしっかりと流れに希釈しながら、豊饒の海へと流れ続けて欲しいものである。見かけの透明度なんて、気にしなくていいですからね。
 新生フォークルにははしだのりひこさんは初めから参加していないようだし、ご本業の精神科医で忙しいのか北山修さんも今回は出演なし。代わりにアルフィーの坂崎幸之助さんが参加しているのだけれど、アルフィーもロックと言うよりはロック調フォークというかむしろ昔のグループ・サウンズに近い叙情寄りなので、案外ぴったりマッチング。あの方も、実にまあ好ましい濁り具合である。


03月23日 木  つれづれをたばねて

その1 見た人はすぐやるバトン

◎今、どこに居る?

寝室兼仕事部屋。

◎今、一番近くに誰が居る?
たかちゃんたちが寝ています。おばちゃまは鬱が嫌いらしく、近頃見かけません。

◎今 どんな服装?
おっさんジャージ。

◎今、何食べたい?
食っても食ってもなくならない炒飯。

◎今、何飲みたい?
飲んでも飲んでもなくならない桃の天然水。

◎今、真後ろには何がある?
万年床の向こうに壁一面の本棚。

◎今、まわりを見渡して、いちばん目についたものは?
99パーセントの悲哀の種(=性懲りもなく送り続ける自作のプリントアウトの束)。

◎今、誰に会いたい?
十代前半の自分に会って抱きしめ、十代後半の自分に会ってフクロにしたい。

◎その人に今伝えたいことは?
前者には「お前は結構いい奴だった」、後者には「お前が諸悪の根源だ」。

◎今一番歌いたい曲は?
中島みゆきさんの『歌姫』。

◎今頭の中でパッと思い浮かんだ言葉もしくは台詞は?
富士の樹海。

◎今の体調は?
夕方までぐったりしていたが、日没後は復活(鬱の典型)。

◎今どんな気持ち?
離脱、じゃねーや、解脱したい。

以上、
『見た人は全員やること』だそうです。


その2 血液型バトン

◎自分の血液型は何ですか?

A型。

◎血液型で合う合わないはあると思いますか?
ほぼ結果論にすぎない。どう見ても自分に良く似たBの方もあれば、納豆のように糸を引くOの方もいる。

◎自分の血液型は周りにどう評価されていますか?
たいがい「そうだろ」と納得される。ただしブラックなギャグ中心の場では、「うそでしょ」と言われる。

◎自分の血液型で得した、あるいは損したことはありますか?
他の血液型になったことがないので、判らない。

◎友達で一番多い血液型は何型ですか?
あまり確認したことがない。

◎各血液型に持っているイメージを教えて下さい
あくまでも個人的に見た代表例ですが――
A→細かいようで意外にいいかげん。
B→いいかげんのようで細かい。
O→いいかげんのようでやっぱりいいかげん。
AB→いいかげんなのかいいかげんでないのか判別しにくい。

◎もし生まれ変わるなら何型になりたいですか?
AB。

◎苦手な血液型はありますか?
苦手な相手は血液型まで確認しません。

◎恋人(好きな人)は何型ですか?
A型かO型だった。……だった。……だった! ……なんだよ。何見てんだよ。ひとりにしといてくれよ。

◎気になる人が自分の苦手な血液型だったらどうしますか?
だから判らない。

◎旅行に4人で行くことになりました!
A→会計係。途中で破綻しふてくされる。
B→スケジュール係。途中で破綻しふてくされる。
O→破綻しても勝手にうろつくので平気。
AB→初めから予算も予定も気にしないので平気。

◎バトンを回したい5人をどうぞ
えーと、外で拾ってきて穴に溜めこむタチなので。すいません。


03月22日 水  鬱勃

 WBC優勝おめでとうやったねといっときの高揚はあるものの、我が精神は確実に倦怠感のほうが勝りつつある。
 ごにょごにょ物件が一次も通らなかったのはまあ例年のことだし誤字脱字残しまくりだったしそもそもあそこは一次の次はもう最終選考という敷居の高さだし送った物件はちっとも恐怖じゃないしとかなんとか重々納得しつつ、ことによったらやっぱり素人芸なのかもしれんし、やっぱり脱力する。誰かひとりでも通しで読んでくれたかどうか、それさえ把握できないのが歯痒い。
 新版たかちゃんを打ちながら時々聴いていた『宇宙戦艦ヤマト』の作曲者・宮川泰さんが死去され、それは寿命と穏やかに冥福を祈ろうとしても、修行不足ゆえやっぱり虚無感が勝ってしまう。
 仙台の筋弛緩剤事件は相変わらず怪しげな物的証拠をろくに再検証しないまま二審でも控訴棄却だそうだし、ということはこの国の司直そのものも相変わらず『真実』を追っているのではないという点でろくな仕事もする気のない奴多数と見て間違いなさそうだし。守被告が実際何をどこまでやったかなんて、私にもさっぱり解らない。ところが同じ情況証拠(少なくとも物的証拠と言えるほどのデータはない)しか見ていないはずの裁判官は、何を思うてか「全部やったに違いない」と断定する。わたしゃただ、白黒を勘で付けずに理屈で付けてほしいだけなんよ。こんな状況では、安心してお巡りさんにつかまることもできやしない――ぶつぶつぶつぶつ。
 あーもーうっちゃーしーこーなったらもー予定を早めて今から富士の樹海に行っちゃるわい、などとやけになって現世の土産にと『交響組曲・宇宙戦艦ヤマト』のLPなど引っ張り出せば、CDと違いでっかくて見栄えのするジャケットの上では、無限に広がる大宇宙に浮かぶゆうこちゃんを背景に、ヤマト艦橋部のハリボテをしょったくにこちゃんが、雄々しく平泳ぎでイスカンダルをめざしていたりする。良く見れば艦橋の四方に突き出ている手脚や前方に覗いている顔は、たかちゃんなのであった。
 まあどうせ旅立つならそっちのほうが面白そうなので、富士の樹海はあっさり延期。


03月21日 火  思い出の中にだけ?

 録画しておいた『愛と死をみつめて』、平成版ドラマを見る。期待していなかった割には、良作だった。草薙剛さんの存在感は歳をくうごとに説得力を増すし、犬童一心監督の演出も、まったく深みがないぶん、けして浅くもない。しかし広末嬢のミコは――まあ、何をやってもヒロスエでしかないお嬢さんなので、ファンの方は泣けたのかもしれない。私としては映画『鉄道員《ぽっぽや》』の時同様、彼女のおかげで「心から泣きたいのにとうとう泣けなかった」のだけれど。
 いかにも古風な回想形式を取ってしまった脚本にも、甘さがある。原作が殺人的な情感を持つのは、もっともらしい回想記でも俯瞰的ドキュメントでもない、書簡集であるがゆえである。読者にとっては、それは回想ではなく、リアルタイムな疑似体験なのである。それが遠い過去の出来事であろうとなかろうと。初めから単純な回想形式をとった時点で、この場合は当然、構造上、マコの物語としてしか成立しえない。『タイタニック』のように、あえて回想形式を取りながらラスト一発『ディカプリオ様永遠にラブラブよ』に収束してみせるとか、あるいは自分が昨年試みたように回想がそのまんまラスト一発回想ではない未来に転嫁してしまう、そんな仕掛けがない限り、ミコはしょせん初めから終わりまで、マコを通してしか実感されない。先頃の『YAMATO』同様、単なるマコの「昔こんなことがあってのうぶつぶつぶつ」である。脚本段階でストレートな回想形式をとるということは、客観的に悲劇を俯瞰するということであり、回想者=スタッフ=観客に帰結せざるをえず、それは『書簡集』という形の中に息づいていたマコとミコそのものの『実存』に、フィルターをかけてしまうのではないか。一昨年もセカチューがらみで記したことを、そっくりまたここにコピペしてしまおう。『まあ、ミコちゃんの死後、ふたりの往復書簡がベストセラーで映画化大ヒット、マコさんは主演の吉永小百合さんに思わずにこにこサイン頼んで「俗物だ」などと叩かれたりしたが、違うのではないか。そういう正直な青年だから「だれか助けてください」とは叫ばないし、ミコも最後まで彼と「生きる」ために「生きて」いたのではないか。いわゆるセカチューと比べて、暗い、救いがないなどと言う人もいるが、貴様がなにを失ったかが問題なのではないぞ。失われたそのものがどうであったかが問題なのだよ、と根暗な爺いは思うのであった、まる、と。』
 さて、この構造問題は、なにも悲劇だけに限った話ではない。たとえば極端な話、『愛と死をみつめて』を、パロディーとして徹底的にギャグ化したらどうか。顔半分なくなってしまったミコちゃんが嫉妬妄想に狂ってマコに興信所員を派遣するとか、マコが「やっぱし半分だとちょっと物足りないなあ」と、ラブシーンで鏡を持ち出すとか、ふたりがドタバタと生にしがみつきつつことごとく裏目裏目に出てしまうブラックなスラップスティックにしてしまったら、どうか。おそらくそんなシロモノを発表したら、世間の『良識』ある方々からは、怒号と石礫が雨アラレと降り注ぐだろう。しかし、他人事として俯瞰するのでなく、あくまでも二人の本質に迫る手法としては、けして志を誤っていないと思う。かつてのモンティ・パイソン・シリーズが、その手法で過去も現在も未来も他人も自分もすべてを同じ時間軸上で等価に笑い飛ばしつつ、ひたすら『本質』にこだわっていたのと同じである。
 つまり今回の『愛と死をみつめて』は、主観・客観・過去・現在ともに備えていたという意味であくまでもマコさんの話であり、ミコさんは過去の客観としてしか描かれていなかった。だから泣けなかったのだろう。
 とまあ、そうしたドラマとしてとらえればけして完成度は低くないのだが、ラストだけには、ちょっと個人的・感情的に文句を言わせていただきたい。きどって焼くんじゃねーよ、手紙。それは『お前がもらった手紙』であると同時に『彼女が発した言霊』なのだぞ。お前は、単に生き残っただけなのだ。勝手に幻影に頬笑ませるんじゃない。


03月20日 月  変換バトン

*ルール*
お題のテーマを一発変換して下さい。やったら、一つのお題を増やして下さい。
それで5人の人に回して下さい。

1 あいーん

愛ーん
(それにもっとも飢えている)

2 どっくふーど
ドックフード
(ドッグフードじゃあ……まあ、出たからいいんですけど)

3 こまねち
駒根知
(それは元和元年霜月なかば、甲斐の国、駒根知の里での出来事であった――なんか、ありそう)

4 みかん
蜜柑
(学習済みらしい)

5 だっちゅーの
ダッチューの
(あ、そうだったのか。ごめんごめん、ダッチュー)

6 りかちゃん
利香ちゃん
(昔の同級生らしい)

7 ふぉー
フォー
(……だから?)

8 ・・・
・・・
(あの、すみません。変換対象外だと思うのですが)

9 きれてないっすよ
切れてないっすよ
(どこに目ぇつけとんじゃ、こんガキャあ! きっちり切れとるやないか! まどえ! はよ、まどえ!)

10 かんじゃにえいと
患者にエイト
(正体不明)

11 やっさん
やっさん
(もうお亡くなりになって、息子さんが現世を彷徨ってます)

12 かとぅーん
かトゥーン
(そーいえば、そんなふうに飛んでますね、蚊)

13 ぶいしっくす
V6
(ぶいぶいぶいぶいぶいぶいっ! きゃははははははは!)←(たかちゃんがしゅつげんしたらしい)

14 きんききっず
キンキキッズ
(きんきは、ひものにして、やいてくうとうまい。うっす、くにこだ)

15 ひつがやとうしろう
筆が雇う屍蝋
(……な、なんだか、よくわかんないけど……ゆ、ゆーこ、とっても、こわいの……)

16 むし
無視
(…………! …………!!)←(たかちゃんが、張り合って無視しているらしい)

17 おんざれぃでぃお
オンザれぃでぃお
(正体不明。たんなる英単語だったら、出るはずないし)

18 おれさまのびぎによいな!
オレ様の美技に良いな!
(何かアイテムを探していたらしい)

19 おきたそうご
起きた相互
(とゆーことは、これまで絡みあって寝ていたのね。まあ、いやらしい)

20 むひょうとおる
霧氷通る
(ほう、見たいものだ)

21 くさのじろう
草野次郎
(昔の同級生?)

22 ぱんだ
パンだ
(だから? くれる?)

23 きくまるびーむ
菊間ルビー無
(そりゃ菊の間でも梅の間でも、旅館にはめったに落ちてないだろう)

24 ばんぷおぶちきん
バンプオブチキン
(正体は知らないが、合ってそう)

25 てくまくまやこん
テク間クマや紺
(分裂症の初期のようだ)

26 たばこがさんらん
煙草が産卵
(す、すばらしい。みんな立派に育ってくれ。すぱすぱ)

27 しかめつつら
顰めつつ羅
(正体不明)

28 いそふらぼん
イソフラボン
(これは最近のATOKなら出ます)

29 いんりんおぶじょいとい
員鈴おぶ女医トイ
(なんかわけがわからんが好みの単語は多くふくまれている)

30 さかぐちゆうと
坂口悠人
(知らない人です)

31 ありすないん
アリスナイン
(これは出ますね)

32 じじ

(俺を見ながら変換しているな)

34 おれんじれんじ
オレンジレンジ
(こりゃふつう出る)

35 あるふぉんす・えるりっく
あるフォン棲・得るりっく
(ひさびさの太古ワープロ的変換)

36 やる
やる
(くれ)

37 いってよし
言って良し
(おーし! 言ってやろやないか)

38 れみおろめん
レミオロメン
(正体不明)

39 ひじかたとうしろう
土方等屍蝋
(……好きなキャラですが、しかばねはいらない)

40 いなごらいだー
イナゴライダー
(仮面ライダーの従弟さん?)

41 ぎんたま
銀玉
(昔撃ちまくったのは『ぎんだま』だったか)

42 みすたーちるどれん
ミスターチルドレン
(いや特にファンではないのですが)

43 えばねっせんす
エバ熱戦棲
(最後の学習不備がおしい!)

44 くろさきいちご
黒さ木イチゴ
(そうか? 色盲なんじゃないか?)

45 たっきーあんどつばさ
タッキー安堵翼
(羽根があれば墜ちても安心)

46 えげなばいざー
江下名バイザー
(よくわからんが、日本人としても何かしなければいかんという気になる)

47 ぎゃんつんろぼしゅしょう
ぎゃんつんろぼしゅしょう
(正体は知りません)

48 けんたっきーふらいどちきん
ケンタッキーフライドチキン
(これは出るわな)

49 ろべると・はいどん
ロベルト・ハイドン
(これも出るわな)

50 さのせいいちろう
佐野精一郎
(大学――いや、違うな。高校の同級生か)

51 ざんこくなてんしのてーぜ
残酷な天使のテーゼ
(正体は知りません)

52 りゅうかくさんのどあめ
龍角散のど飴
(たぶん学習済み)

53 すけさんかくさん (有栖川様の追加)
輔三画さん
(うう、十一画も足りない)

54 こーぷせいきょう(ゅぇ様の追加)
コープ生協
(たぶん学習済み)

55 あいとしをみつめて(バニラダヌキの追加)
愛歳を見つめて
(やっぱし、問題は歳の差らしい)

あと5人――私だけでもすでにお二方のお家で見かけたからには、すでにあっちこっちで5人以上の方がご覧になっているのでは。


03月19日 日  生きる

   

 先日は、飲む前に小一時間、半田氏の案内で北千住を千住大橋方向にうろつき回ったわけだが、古き街の変貌やら歴史のなごりはちょっとこっちに置いといて、実に感慨深い家を見つける。ひとの家を通りすがりの人間が云々言うのもなんだが、旧日光街道=公道に面した家屋だから、その外観は公共の光景と言っていいだろう。
 ビルに挟まれて片意地のように残る木造モルタル家屋は、間口のガラス戸から見て、かつてはなんらかの商店だったらしい。しかし現在は、ガラス間際まで廃物が積まれ、まるで廃屋のよう、いや、廃屋よりも世間を拒んでいるように見える。二階も雨戸が堅く閉ざされたままらしい。しかし――真新しい衛星パラボラのケーブルが、しっかりと内部に繋がっているのである。
 どんなところに棲息していようと、人は新たな繋がりを求めるものなのだろうなあ。と言うより、生きていること自体が、大気を通してすでに森羅万象に繋がっているのだ。


03月18日 土  飲んだ

 

 漫研の後輩で立派な会社人(実は少々アヤシイ気も)の半田氏に案内され、渡辺氏や田川氏と、北千住の『大はし』で飲む。こんな店である。
 会社を辞めてからは飲み会という行事は年に数えるほどになってしまい、僅かなビールと梅割り焼酎で危うく熟睡しかけたが、畳などないカウンター中心の古い居酒屋ゆえ、寝込むに寝込めずそのうち復活する。夕方4時半の開店直後に入ったのだが、まもなく満員御礼で待ち客も多数。長居は無用、軽く粋に引っかけて潔く去る、そんな雰囲気も感じつつ、結局3時間近くゴテついてしまういやな客。その後適当な串揚げ屋に居所を移し、やくたいもない話を脈絡もなくしかし熱心に続けたわけだが、土曜の夜だというのに9時前にはラスト・オーダーを宣告されてしまう。さすがは江戸から続く『やっちゃば』の街、存外健康的なのである(『大はし』は11時頃までやっているらしいが)。


03月17日 金  消しゴム

 

 いや、だからそれがどーしたと言われると困ってしまうのだが、ダイソーで3個100円の消しゴムである。

 学生時代からの知人などは、良く消えて紙を傷めずカスも払いやすい消しゴム必須の方々が多い。今どきは漫画家さんでもパソで仕事をする方が増えているが、やはり余程特殊なCG的絵柄でない限り、主線は鉛筆下書きでペン入れ後スキャニング、そんな太古の漫画技法が入魂に繋がるようだ。多くのパソ絵師さんもその手法でやっており、主線までパソになると、とたんに『動かないアニメ』化してしまうケースが多い。
 一方自分は社会に出てからもまた引っ込んでからも、実用消しゴムとは無縁の生活を送っている。メシのタネはほとんどご家庭のアルバム写真やお仕事写真だし、趣味はもう20年前からワープロ・データ、10年前からはパソのテキスト・データである。近頃電話の用件やふと浮かんだアイデアを手書きメモで残そうとすると、小学生レベルの漢字が書けない。また、読むのは比較的得意のはずなのに、自分の書いた字に限っては、時折読めないことさえある。しまいには『自筆文盲』とでも言うべきありさまになり、パソなしでは生きられない体になるのだろう。パソだけは、橋の下には持っていけない。いや、持って行けても、橋の下にはコンセントがない。図書館には勝手に入れても、そこのパソ部屋には住民票がないと入れてもらえない。そうなったら、拾った紙の裏に拾った鉛筆で書き拾った消しゴムで推敲することになる。まあ辞書は持って歩けるとしても、近視老眼ともに進行していることだし、今のうちに、シリアス物もひらがな中心の文体に変えたほうが――って、逆だ、逆。


03月16日 木  続・もう手遅れなのかもしれない

 昨日の一件、今朝の朝日新聞で詳細を知る。また、ネットでもより寸足らずではない情報が配信される。
2009年に実施される裁判員制度に向け、最高裁の司法研修所は15日、刑事裁判の量刑に関する国民と裁判官の意識を比較した調査結果を公表した。殺人事件の量刑について、国民の意見が死刑から執行猶予付きの懲役刑まで大きなばらつきがあったのに対し、裁判官は互いに似通った意見を示すなど、両者の違いが鮮明になった。最高裁は制度開始に当たり、裁判官に調査結果を重要な参考資料としてもらう方針だ。調査は、前田雅英・首都大学東京教授(刑事法)と現役の刑事裁判官が中心となり、昨年8〜9月にアンケート形式で行った。対象は、東京、大阪、仙台など全国8都市で無作為抽出した国民1000人と、刑事裁判を担当する地裁・高裁の全裁判官766人。調査では、金銭トラブルや心中、暴力団抗争など、10種類の殺人事件のシナリオを用意。それぞれふさわしい量刑を、死刑から執行猶予まで10段階の選択肢で聞いた。その結果、国民は全事件で回答が分散。一方、裁判官は、それぞれの事件で狭い範囲に8〜9割の回答が集中していた。また、犯行の計画性や前科など事件の性質を示す複数の要素について、量刑を重くする事情なのか、軽くする事情なのかを聞いたところ、〈1〉被告が少年〈2〉飲酒で判断力が低下〈3〉被害者が配偶者――の3要素では、「重くする」とした国民が目立ったのに対し、裁判官は「軽くする」との回答が多かった。少年事件や家庭内の事件について、重罰を求める国民の意識が浮かび上がった。(読売新聞)3月15日22時37分更新』。
 まあ、同一人物のアンケートを個々に細見しなければ完全な結論は出ないにせよ、とにかく『自己責任』という量刑の決定において最も重要であろう意識が、この国で崩壊しつつあるのは確かなようだ。「自分でへべれけに酔っといて何を言い訳するか馬鹿野郎」、これは解る。「結婚までしといて、何やってんだお前ら」、これも、背後の状況によっては解る気がする。しかし『未成年であること』は、100パーセント当人の『自己責任』ではない。無論『成年であること』も、ただ時の流れに過ぎないのだが、『自己責任』の重さは、厳然として違うのだ。『成年でありながら寸足らずであること』と、『未成年で寸足らずであること』の差を、その25パー超の『市民(裁判員制度がらみのアンケートなのだから、当然成年のはず)』は、感情にまかせて見失っている。司法の意識は知らず市民社会のあるべき良識においては、「子供だからという理由で量刑が軽い」のではない。「大人だからという理由で量刑が重い」のである。
 やはりこの国に、陪審員的制度はまだ無理――と言うより、もう無理になってしまった、そう思わざるを得ない。なぜなら裁判員の中に、「自分は子供よりも責任能力が低い」と無意識にでも感覚している大人が、25パー超も紛れ込む可能性があるからだ。


03月15日 水  この国はもう手遅れなのかもしれない

 わはははははは、いや、おかしいおかしいとはここ10年ほど思い続けていたのだが、もはやこの国の成人の25パーセントが確実に正気を失っているらしいと推測できる数字に行き当たったので、ここに紹介させていただきます。『殺人事件の被告が少年だった場合、市民の4人に1人が「成人よりも刑を重くするべきだ」と考えている――。最高裁の司法研修所は15日、市民と裁判官を対象に実施した量刑意識に関するアンケート結果を発表、両者に大きな隔たりがあることが明らかになった。調査は2009年春までに導入される裁判員制度に向け、量刑の「市民感覚」を探るため実施。全国8都市の市民1000人と刑事裁判官766人が対象となった。殺人事件を素材とし、39の量刑ポイントについて意見を聞いたところ、違いがはっきり分かれたのは少年事件。裁判官は「軽くする」が90%を超え「重く」はゼロだったが、市民は約半数が「どちらでもない」を、25.4%もの人が「重く」を選択した。将来の更生のため刑を軽くするなどの配慮がある少年法を前提とした「裁判官の常識」が通用しないことが浮き彫りになった。(共同通信)3月15日18時23分更新』。まあこの報道自体、『市民』の抽出方法に一切触れていないので、それが無差別抽出なのか特別寸足らずなフィールドで選んだのか年齢層はどうなのか判らないが、調査内容から考えて、成人が対象であることは間違いないだろう。
 し、しかし――まさか25パー超の大人が、『自分は子供より弱い存在である』と、自ら認めてしまうとは――大笑い海水浴場。私なら少年犯罪云々と同時に、その25.4パーセントの『市民』のほうを、幼児教育からやり直すのも必須だと思いますね、いや、真面目な話。そんな幼児レベルの市民に囲まれているから、赤子なみの少年犯罪が跋扈するのです。いや、これも真面目な話。

 ケーブルと地上派でなぜかほとんどいっしょに放映された、『雨あがる』を観る。地上波のほうが画質が良かったりするのは、この地のケーブルがいいかげんなのか、単にテレシネの原版が違うだけなのか。いずれにせよ、映画自体は当節貴重な一服の清涼剤で、晩年の黒沢明脚本の『諦念を越えた真摯さ』が、手堅く演出されていた。映画によってはちょっと臭くなりがちな佐藤勝さんの音楽も、控えめで程良くマッチング。しかし、『トラ・トラ・トラ』の監督降板・自殺未遂を経て、『デルス・ウザーラ』で復活した以降の黒沢作品、あいかわらず過小評価する鈍感な方々が多い。以前の『七人の侍』等のエンタメ作品も優れているのは言うまでもないが、黒沢監督らしい『過剰なまでの真摯さ』は、後期の作品にもまったく同じレベルで、死ぬまで保たれている。きっと黒沢監督は、『トラ・トラ・トラ』の東映撮影所でハリボテ然とした小道具や買ってきたばかりの真新しいカーテンが無神経に跋扈するセットを見たとき、そしてそれらを納得の行く状態に交換するのを拒否されたとき、もうこの国で自分の納得できる『とことん真摯なエンタメ映画』を撮るのは不可能と、絶望してしまったのだろう。だから、復帰後は『エンタメ』をあえて抜き、『真摯さ』だけにこだわったに違いない。それを老人の枯れたマスターベーションと誤解してしまう方々、ではあなた方はなぜ、他の薄汚いザーメンを窓から通行人に引っかけるだけのマスターべーション映画群を、易々と評価しているのか。
 映画にせよ他の創作物にせよ、自分は男のマスターベーションだけは見たくないのです。本当に心底愛し合っている男と女のセックスを、その同じ部屋の片隅の椅子に腰を降ろし、ふたりが共に果てるまで、真摯に見守っていられたら、人は誰も、仏になれるんじゃないかと思うのですね。でも自分はなかなかそんな境地に至れないので、女性の場合はマスターベーションでも見ていてキショクがよければ――だからやめとけ。


03月14日 火  うろうろバトン

 昨年秋になにやらゴタゴタのもとのひとつとなった、アルツ老母が訪問販売老婆に売りつけられてしまったウロンな物件の内、エルメスもどきの皮の財布をもらっていたのを思い出し、図書館に行くついでに、途中のリサイクル・ショップ(半分質屋さん)に持ち込んでみる。推定2万円で売りつけられた物だが、エルメスを真似てはいても、金具のメッキなど一目で荒いとわかる代物。それでも駝鳥の革らしいから、せめて500円にでも1000円にでもなれば、牛焼肉定食とビールを――などと甘い考えでいたら、なんと革も駝鳥には違いないが無価値な部分を良部らしく型押ししただけのまがい物と判明。無論、一文にもならない。やけになって、週末お誘いを受けた飲み会ではその悪趣味ピンク模造エルメス一応駝鳥財布から、しわくちゃの1000円札と汚れた100円玉で会計してやろう、などと、なんの意味もない着想にふける。昔のヨレヨレ500円札でもあれば、ムードとしては完璧か。しかし、よくもまあこんな代物を惚け老人に高値で売りつけるものである。エルメスと主張したわけでもないし粗悪品でも駝鳥は駝鳥、けして詐欺ではないという事なのだろうが、高貴な『嘘』があるように、糞以下の『真実』もある。その糞真実が、母とは違い正気の老婆なのだから、もはや富士の樹海に行きたい気分である。しかし、樹海の獣や虫の食物連鎖に格別不満はないのだが、樹木で首を吊るとキショク良くなる前にちょっと苦しいそうなので、ちょっとでも肉体的に苦しいのはイヤなので、樹海には行かず図書館に行く。ゴジラ本から『半七捕物帳』の朗読テープから入江相政さんの『壕端随筆』からヨハン・シュトラウスのCDまで、なんでもタダで貸してくれる。近頃はろくな税金も払っていないのに、ありがたい話である。しかし国民年金だけは、所得とは無関係なので馬鹿高いままである。いや、無論あまりに低所得だと免除や減額はあるが、老後の受給にも当然影響する。こーなったら死んでも長生きして元を取ってやるのだ。橋の下だと年金がもらえないのなら、市役所の駐車場に段ボール置いて、そこに座ってきゅうんきゅうん鳴いてやるのだ。でもそれはまだ将来の希望なので、今はなんの脈絡もなく、バトンをくわえてみたりするのだ。

1.回してくれた人を動物に例えると
タヌキ猫。いえ、悪気はないんです。子供の頃、母の実家の近所の藁屋根に、いつもそんな感じの猫が丸くなってたので。

2.自分を動物に例えると
言うまでもないです。

3.ネコ派? 犬派?
どちらかと言えば、猫ですね。犬と遊んでやるのも楽しいですが、猫に弄ばれるともっと楽しいです。

4.飼ってみたいのは?
死なない猫。車に轢かれても、腹にタイヤ・パターン刻印したまま、そのドライバーの喉笛を噛み切って、その後50年ほど生きて立派な猫又になれるような猫。――子供の頃、そんなトラウマがありました。

5.自分の周りにいる方5人を動物に例えて!!
うーむ。長く生きれば生きるほど、人間はどうしても人間なんだなあ、そんなつまらない感慨に浸ってしまいます。子供や若い世代はまだ動物園っぽく思えるのですが、現在あんまり身近にいないので。あ、姪っこふたりは、『きょん』と『ちゃうちゃう』、そんな感じか。たかちゃんたちはやっぱり子猫ですね。謎のオバちゃまなどは、やっぱり古狸です。

6.最近プッシュしてる麺を動物に例えると?
め、麺? この設問を最初に考えた方は、天才か、あるいはなーんも考えてない方なんだろうなあ。明星チャルメラを食べていると、こいつにだけは自発的に行動してほしくないと思うし、とびきりそばだと、やっぱりやまいもの香りだし。

7.この世界で一番可愛いのは?
子供の頃、家で預かったことのある、生後3〜4ヶ月の白猫ちゃん。大事な14インチ白黒テレビの上でオシッコする姿が、もうどーしていーやら子供心に悶え狂うほど愛しかったです。


03月13日 月  時の流れに身をまかせ

 昼飯を食いつつ(先週の青梅行きあたりから、また昼型に戻っている)、ケーブルのヒストリー・チャンネルで録画した『20世紀のファイルから』の、『8ミリの時代』の回を観る。8ミリビデオすら死物化しつつある昨今だが、この場合、当然それ以前、8ミリフィルムの話である。高度成長期から約四半世紀の間、ホーム・ムービーと言えば、フィルム一巻にたった三分半程度しか記録できない、それしかなかった。
 アマチュア8ミリ作家出身の大林宣彦監督の、「ビデオは常に目を開いている世界で、フィルム・ムービーは半分が闇の世界」といった意のコメント、興味深く伺う。闇と言っても別にダーク・サイドではなく、むしろその逆、兵器戦後の経済戦争を身を粉にして戦っていたおとっつぁんたちが、過酷な経済の荒野において、束の間目を閉じ家に待つ妻子を想う、そんな『想い』のニュアンスを、映像の半分はフリッカーによる暗転状態であるフィルム・ムービーの世界に、なぞらえたわけである。番組自体も、滅び行く8ミリフィルムのテレシネ変換にたずさわる人々や、それらで残された懐かしき家庭映像、現在も8ミリ機器でアマチュア映画を撮っている若者たち等、去年NHKでやっていた類似の趣向よりも、メディア論自体に踏み込んでおり、良くできていた。8ミリ映画という奴は、一般市民が動く個人的映像を残せる、史上初のメディアだったのですね。
 番組中、取材先のフジカラー・サービスで黒沢さんが登場した時には、思わず「昔、ラボ研修の時はお世話になりました。お元気で何よりです」などと、モニターにぺこぺこ頭を下げてしまう。役職はテロップに出なかったが、偉くなっているのだろうなあ。頭を下げた炬燵の上には、食いかけのチキンラーメン(袋の奴)と、100円ショップのちっこい馬肉缶が、わびしく並んでいる。いやいや、わびしがる必要はない。その研修の前の学生時代に、戻っただけだ。まあ、その頃は100円ショップなど存在しなかったから、いちばん安い鯨缶が並んでいたわけだが、鯨なんて今は高級食材である。馬肉だって、四半世紀後には高級食材化しているかもしれない。
 閑話休題(って、このページすべてが閑話か)。
 大林監督のおっしゃった『見えないだけで映像の半分を占めている闇』は、映画館自体の『闇』にも通じますね。昼と夜、陽と陰。明喩と隠喩。行動と真意。妥協と理想――これって、創作物すべてに当てはまりそうな概念なのではないか。ただ目に見える表層の垂れ流しだけに囚われていると、『単語』と『言霊』、『形骸』と『絵画』、『反古』と『作品』の区別もつかなくなる。一見やくたいもないどこかの赤ん坊のフィルムに、なんぼでも撮り直しのきく冗長なビデオよりもぬくもりを感じたりするのは、あながち時代へのノスタルジーだけではないような気がする。

 さーて、なんぼなんでも昨日の夜更新したばっかりの分には、まだ感想ついてないだろうなあ、などと思いつつ古巣の板を覗きに行くと、こ、こりはびっくり。現行ログがきれいさっぱり消滅している。アタックかシステム上の不備かは、はっきりしないようだ。自分の読んだ皆様のお作は、ほとんどその時点でキャプチャーしているから、個人的には影響ないが――ありゃりゃ、そうか、昨夜更新した時点での自作は、キャプチャーしていないのである。と言うことは――ああ、やはり記憶によると、甘木様からいただいた前回分へのご感想と、そのお返しが消えてしまった。ちょっと残念。
 しかしこうしたアクシデントがあると、このところやや寂しくなっていたあの板が、さらに寂しくなるのではないかと心配。アタックによるものだとすれば、それだとまさにテロリストの目標完遂になってしまう。といってこのところ多分に楽屋落ち的なギャグしか投稿していない自作をさっそく再投稿してしまうと、初めてその板を覗いた方などに、悪い誤解を与えてしまいそうな気もするし――どないしまひょ。


03月12日 日  夢ネタ

 某板の前回更新分が思ったよりウケず、少々停滞していたたかちゃん話、昨夜から久々に打鍵が進む。もうちょっとで終わるはずだったのにどんどん長くなりそうで、ダレてはいないかと心配――と言うのは半分ウソで、実際このシリーズは、ダレようがダレまいがたかちゃんトリオの行動しだい、自分はそれをなんとかもっともらしく構成・成文化しているだけなのである。キリのいい所まで上げてみたが、今回のご感想やいかに。
 そんなふっきれた気分のためか、すばらしく壮麗なビジュアルの夢を見る。ギリシャ・ローマ神話っぽい、しかし異世界の闘士たちの夢である。無論夢のこと、経緯や背景は曖昧なのだが、とにかく闘技場(?)の構造があまりにも爽快だったので、ここには記さずに短編化をもくろむ。こうした史劇的異世界物は、むしろテリトリー外なのだが、いっぺん試みる価値はあるのではないか。


03月11日 土  蠅男のビンボな息子

 深夜の地上派でやっていた、『ザ・フライ2 二世誕生』を観る。1989年の作。
 往年のホラー『蠅男の恐怖』をリメイクした『ザ・フライ』の方は、異形への偏愛コテコテのクローネンバーグ監督の名作で、歪んでいるぶんだけマニア感涙の大傑作ホラーである。クローネンバーグ監督にしてはハリウッド色が濃く、かなり一般的なヒットもした。ヒット作には当然柳の下『2』が出る。今でこそ『2』は、『1』のヒット具合によってはさらに倍増の資金を投入されたりするが、それは『エイリアン2』や『ターミネーター2』等、恵まれた大作の成功の反復を経てから高まった気運で、当時の『2』はあくまで便乗商品、安く適度に柳の下を狙っていた。まあ、今もホラーやSFでは大半そんな感じだが。
 で、その蠅男の息子なのだが――推定予算4分の1以下、下手をするとケタひとつ落としたと思われる企画でありながら、やはり感涙物なのである。前作で怪優・ゴールドブラムが演じた父蠅男の、身も世も有らぬ壮絶な無念を、息子の青年蠅男は、単純だが整ったシナリオと手堅い演出によって、ものの見事に晴らしてくれる。それはもう、「おし! 金もないのに良くやった! 君の立派な蠅男姿を見れば、お父さんもきっと草場の陰で喜んでいるぞ!」と肩を叩いてやりたくなるほど。歪んだ異形偏愛が少ないぶんだけ、単純にハラハラどきどきできたりもする。
 画面に登場するハイテク大研究所(設定)のコンピューター端末(設定)から守衛所の監視モニター(設定)まで、すべて当時のSONYのMSX2パソコンだったりするのも、たった1セットのパソコンをあっちこっち使い回しする美術スタッフの奮闘を思わせ、涙が出そうになる。モニター上のCGまで、それで作ったのかもしれない。しかしそれは、当時として合理的な選択だろう。企業用スパコンや馬鹿高いマックなど使えない(効果外注の予算もない)貧乏人が、手作業でそこそこ見栄えのする256色CGを作れるのは、当時MSX2くらいしかなかったのだから。
 そのように、ところどころ志よりビンボさが勝ってしまうので、大傑作とまでは言えないかもしれない。しかしそれでも、正しい『志』は、『低予算』に勝てるのである。監督や脚本は、今でも低予算ホラーやモンスター物で頑張ってる方々のようだが――おうおう、脚本にフランク・ダランボンが参加している。昔の『ブロブ・宇宙からの不明物体』あたりでも、すでにただ者ではないと思っていたが、今となっては『グリーンマイル』『マジェスティック』等、ハリウッドの一流ライター兼監督兼制作者である。


03月10日 金  お相手確認

 70歳を越したお寺の住職が、児童買春で逮捕されたそうである。児ポ法以来、警官・教師・議員等、まあ珍しくもないニュースになってしまったが、なんでただの会社員などだと、ほとんど報道されないのでしょうね。いや、聖職者差別といった観点からではなく、一般会社員差別なのではないかと思ったり。それとも、報道する方も「一般市民は児童買春あたりまえ」という社会通念に忠実なだけか。もう片っ端から実名報道していただきたいものである。需要があるから供給する子供だって出てくる。もっとも、当節17歳というラインはあまりにもナイス・バディーに過ぎて、見た目に区別のつかない場合も多い。特に都会で生活していると、大量の露出狂的超ミニ女子高校生ルックのお嬢様方が、果たして娼婦のように見えてしまう女子高生さんであるのか、それとも制服需要を見込んで働いている娼婦さんであるのか、あるいはどっちも兼ねているのか、まず判別が困難だ。下手をすると小学校高学年や中学1.2年で、それはもう私の趣味嗜好を逸脱してしまうほど育ってしまっている。今後も趣味嗜好を幾許かでも満たしてくれるご容貌の娼婦さんがますます減ってしまいそうで、ほんとうに探すのが大変――って、逆だ、逆。

 ころりと話変わって、近頃夜半トイレでしゃがんでいると、壁の向こうから何やらコンコン音がする。壁の向こうは、ただの自室の押し入れのはずで、今のところ誰も閉じこめたり壁に塗り込んだりはしていない。返事をくれるのではないか、などとわくわくしながら叩き返してみても、残念ながら返答はなく、ランダムに時々鳴っているだけである。推測するに、去年の配管工事により無用となった屋内配管が空洞化し、なにか遠くの音が伝達されてくるだけなのだろうけれど、何しろ好きなたちなので、古典的な『ノックの回数で霊と会話』パターンなど思い起こしながら、ついついどきどきと叩き返したりしてしまう寂しい狸なのであった、まる、と。


03月09日 木  心にも理屈は要る

 『その時歴史は動いた』の、ゼロ戦の回を観る。種々の戦記物(ただし、左右問わず馬鹿ではない方々の作品)を読んだり観たりする時同様、もっともらしい精神論がいかに危険であるか、痛感させられる。『死ぬ気でやれ!』などと言うのは、『そーすりゃ後の事なんてどーでもいいからな』とケツをまくっているのと同じなのですね。いざ死なされる方々の銃後への思いはともかく、お偉いさんが銃後でそれを言ったらおしまいよ。愛も根性も勤勉も、馬鹿の言い訳にはならない。『愛』がしばしば合理性を欠いてしまうのは、あくまでも結果なのであって、合理性を欠く言い訳に『愛』を持ち出したら、それはただの馬鹿、あるいは『愛』ではなく『欲』である。
 しかし一体いつまで、みんなで仲良く赤信号渡ってなきゃならんのだろうなあ、この国も。そりゃ私だって、正直、ろりのために死ねと言われれば、死んで役に立つなら喜んで死にますよ。しかし靖国に祀られるのは、ちょっとかんべん。なんとなれば、実際愛のために死んだ人たちや、よくわかんないけどとにかくお国のために散った人たちのみならず、『国のために自ら死ね死ねとさんざ他人に言っといて、自分は結局吊された人たち』や『戦場にいただけで実はただの快楽殺人犯や暴行犯』とも、永遠にみんなで仲良く英霊やってなきゃならない。これは絶対疲れるぞ。


03月08日 水  春の徘徊

 なんかいろいろの振込を確認、今月も(いや、ちょっと遅れて先月分の)公租公課・光熱費等無事入金、まあ来月もどうにかなるだろうと根拠のない楽観を抱きつつ銀行を出て空を見上げれば、すでに立派な春の日差しなのであった。発作的に切符を買い、西をめざしてしまう。往復2420円、駅ソバ490円(豪勢に天玉キツネ)の青梅逍遥。しかし昼前から缶チューハイ片手にウツロな微笑を浮かべつつ電車に揺られているおっさんというのも、もはや救いがたい。一歩間違うと確実に橋の下である。
 しかし、まだ2度目の徘徊なのに、青梅という土地は自分の脳内ですっかり第二の故郷化している。昼下がりの街道には、下校中のたかちゃんたちなども多数行き交っており、ウロンなおっさんがデジカメ片手に徘徊していても、まるで警戒しない。もちろん当節のこと、あえてデジカメを向けるような自殺行為には走りませんが、なんぼ人目の多い昼の道とはいえ、少しは後ろ指をさしたりお巡りさん呼んだりしてくれても、かまわないんですけどね。

   

 以前にも記したように、『昭和の町』を町興しのテーマとしており、あっちこっち古い映画の絵看板を、とことん根性を入れて飾っている。駅のホームの蕎麦屋から地下通路まで、すでにこんな状況である。

   

   

 旧・青梅街道も、もはやこんなありさまである。いや、いい気分なんですけどね、ここまで徹底してくれると。ちなみに赤塚不二夫先生が企画に協力しているので、パロ看板もちらほらと。

   

 で、道草をくわなければ10分ほどで、すでに奥多摩渓谷っぽい河原に出てしまいます。このあたりで、たかちゃんトリオも遊んだりしてるわけです。しかし、『たかちゃんたちのふゆ』で歩いてもらった右上の人道橋は、実は橋の名前をひとつ上流の橋と間違えていたと判明。『鮎美橋』という、風流なお名前でした。今回の散策で、近所の神社などもテキトーこいていたのに気づき、修正の要あり。ことほどさように、地図だけで実在の地名を扱うのは、とっても困難。プロ作家の山岳ミステリーなどでも、勾配を間違えたりして、時々マニアに笑われておりますね。

   

 橋を渡って、釜の淵公園を郷土博物館方向に歩くと、こんな田舎家が移築復元してあります。『重要文化財・旧宮崎家住宅』――なんかものものしいですが、中を覗けばもはや我が故郷の郊外に子供の頃まで現存していた親戚の農家などと、ほんとに、そのまんま。ある意味、白川郷の合掌造りなどよりも、貴重な過去の一般的農家建築物と言えるでしょう。多少間取りをいじれば、一太郎の家(もう誰も覚えとらんわ)になります。また、くにこちゃんが『もったいないおばけ』に遭遇した、じーちゃんばーちゃんの家にも似てます(あんましウケなかったみたいで残念)。

 で、帰途の電車で、四谷から乗ってきた制服の私立小学生が、夜間の勉強疲れかゲーム疲れかぐったり眠りこけていたりするのを見るにつけ、やっぱり子供は陽のあるうちに外で遊ばせときたいなあ、と、しみじみ思う狸であった、まる、と。


03月07日 火  食うか食われるか

 などという物騒なタイトルの割には、猫科動物ってほんとに可愛いなあ、そんな話である。
 『トゥー・ブラザース』という、本来なら『仔虎物語』とでも邦題をつけたほうが当たったのではいかと思われる映画を観た。人間によって密林から別れ別れに引っ張り出されるはめになった、ちっこい兄弟虎の話である。『連合艦隊』とはまったく違ったジャンルの映画でありながら、実は一種通じる、肉親間の情の物語でもあるのですね。結局、数奇な運命を経て再会し、共に街を脱出したその兄弟(立派に育ってしまっている)を、今後も人を食わない可能性に賭けて見逃す因縁のハンター(ガイ・ピアースが渋い)や、虎のお友達少年の甘いラストに、うるうると救われました。いいじゃないですか、まだ食ってないんだから。
 猫科生物などというものはおおむね本来平和主義で、猫と同じぐうたらで、寝るのと遊ぶのが仕事である。まあ腹が減ると獲物を狙うのは人間と同じだが、同族はめったに襲わない。おまけに大概の人間より、はなはだ愛らしかったり精悍だったりする。まあ他に食う物がなかったら、当然人間をも捕食するだろうし、自分だって身内が食われそうになったら撃ち殺すだろうが、自分ひとりだったら、むしろ餌になってやりたい気もする。ただし、あんまり痛くないように、一気に噛み殺してくださいね。
 そもそも、人食いになるかもしれないという仮定の理由で先に殺していいのなら、次のようなニュース――『
健常者が車に「車椅子マーク」を付けて障害者用駐車場に止めている、との苦情が増え、マークの権利を持つ日本障害者リハビリテーション協会が、製造業者に注意書きを要請。商品に添付されるようになった。しかし苦情は一向に減らず、同協会は「本当に困っている人たちのために、どうか悪用しないで」と訴えている。(毎日新聞)3月7日3時3分更新』――の犯人たち(立派な詐欺犯でしょう)などは、見つかり次第両脚をもがれても文句が言えないはずである。


03月06日 月  違いのわかる男

 でもなんでもないので、ダイソーではない100円ショップに大変容量の多いクリーミング・パウダーを発見、試しに購入してインスタント・コーヒーに入れてみれば、3〜400円のものと大差ない味なのであった。ほくほく。これでコーヒー自体も同程度の製品を売ってくれればさらにシヤワセなのだが、残念ながら、世の中まだそこまでは甘くないようだ。
 ところでC・C様、有難いご感想にまたまたヒネた玉を打ち返してしまいましたが、今回は『はなび』の時とは違い、あくまでも感性の違いの話なので、気になさらないでくださいね――姑息な独り言。ちなみに自分にとって、ゆうこちゃんは、触れたいお話したいと小学校の6年間常に思いをつのらせつつ、ついに触れることもまともに会話を交わすこともできなかった深窓のお嬢様であり、言ってしまえば『永遠の憧れの少女』、くにこちゃんは春の放課後の教室でどきどきしながらコント55号野球拳勝負など(もちろんふたりっきりじゃなく男女選抜グループで、しかも男子はランニングとズボン姿まで追い込まれたのに、女子はリボンやらベストやら卑劣なアイテムの装備により、ブラウスすら脱がせられなかった以降省略)やったりしたおてんば娘であり、言ってしまえば『解りやすいけどもう手に負えない少女』、そしてたかちゃんは、放課後隣のクラスの前を通りかかると廊下の端にしゃがんで通りかかる生徒すべてにきゃはははと笑いながら足払いをくわせ、男子の逆襲に会って真っ白パンツ丸出しで転がったりしていた、『なんだかよくわからないがとにかく見てると面白い蠱惑的少女』だったりします。

 さて、バトンのブラックホールなど、また少しずつ。

1:春っていえば?
冬眠後の餌探し。

2:ぽかぽか気持ちいいある日、どこにいきたいですか?
江戸川の土手。電車賃があれば、新宿御苑。飯代もあれば、青梅のたかちゃんち界隈。

3:桜の下で歌うとしたら…?
『ゴンドラの唄』。♪い〜のちぃ〜短ぃかしぃ〜恋せよぉ乙女ぇ〜♪

4:ランドセルにまつわるエピソードを…
ある春の土曜の午後、半ドンなので『れんたい』(知ってる人しか知らんわ)の噴水池でサブマリン707のジュニア二世 (プラモデル)の竣工式をやろうと、はりきって学校から家に駆け戻ったら、なぜかランドセルをしょっていなかった。つらつら鑑みれば教室に置いたままだったので、とぼとぼ学校に取りに戻った。やけになって予定変更、ランドセルしょったまま学校裏のたんぼで蛙の卵を探した。

5:新学期、中学生のあなたは風邪をひいて、一週間遅れて初登校。教室ではすでにグループができてるようです・・・どうしますか?
もっともくつろげそうな穴を探してもぐりこむ。

6:もう、冬も終わってしまいます…
冬眠から醒めなければならないので、かったるい。

7:今年度はどんな年???
このままだと確実に銀行預金が破綻する。人間に化けて麓に降りて、また定職探しか。

8:次は?
すみません。ブラック・ホールということで。


03月05日 日  お詫びとバトン

 昨日すばらしい誤入力をやったのをある方にご指摘いただき恐縮しつつ、あんまり面白いので笑い転げて修正を惜しむわたしは自己陶酔者。

1.あなたの特徴を挙げてください。
とにかく穴の外では化けたがる。

2.あなたの好きなタイプの異性を挙げてください
『異性』を感じられる方なら、ほんとはどなたでも好きなんですが――しいて言えば、14歳以下20歳以上。あるいは、これから生まれる予定の女性か、すでに死んでしまった女性。
 
3.あなたのすごいところを挙げてください
化け損ねても、人間に追われるまで気が付かない。

4.あなたの今までで一番よかったテストの点数を5位まで挙げてください
100点から1点きざみに96点まで並びます。おお、優秀。でも範囲限定なしだと、18点(高校の数IIB)まであります。
 
5.あなたの異性に求める事柄を5つ挙げてください。
人間あるいは狸であること(いや、マジで)。
自分外想像力をカケラでもいいから備えていること。
相手の話が終わらない内から、反論を組み立てないこと。
堅めのごはんが炊けること(ただし、恋愛対象の場合は除く)。
おしりは年齢・身長とのバランスに比してやや大きめであること。

6.あなたの萌え要素を5つ挙げてください
余分な物がついている(例・猫耳、尻尾、角、夜間の牙、羽根)。
普通あるべき物がない(ただし、それを別の過剰装備できっちりカバーしている)。
自分の美しさに対して仁義を通している。
他人の美しさを素直に認められる。
とにかくなんにも考えていない。
――以上、タイプは様々ですが、我が萌えキャラの個々の特徴です。

7.朝起きたら目がベルバラ風になっていた時、あなたの取りうる行動を挙げてください
どきどきと宝塚の願書を請求する。
直接光源のある所でしかサングラスを外さない(目にきっちり星を飛ばすため)。

8.あなたの願い事を5つ挙げてください
ろりに仇成す輩がひとり残らず事前に非業の死を遂げますように(ただし、ろりを除く)。
他人を殺さなくても生きていける人間が、ラクのため、あるいは趣味で他人を殺さない世界が、いつか実現しますように。
世界の人口が男女比3対7くらいになりますように。
預金通帳がどこからも振込みがなくてもたまーにケタひとつ増えたりしますように。
いつか誰かのお金で本が出ますように。


03月04日 土  隣の隣

 久しく空室だった隣の隣に、人が入った。まあ、今のところたいがい人間が何度も住み替わり、犬や猫が入居したことはないが、今度も若者のアベックである。夫婦かどうかは、昨今の若者ルックなので判別できない。夕方通路でホーム・センターの袋や洗濯竿など楽しそうに運んでいるのに行き合ったところ、挨拶も陽気にしっかりできている。さて、問題は――いつまで、もつか。前回のカップルは、けっこうしぶとく1年もった。それ以前は、長くて1年短いと3ヶ月。間取りは大昔風2Kで陽光も南側の部屋しかまともに差さず、給湯もシャワーもないが、そのぶん家賃はこの界隈の鉄筋マンションとしては破格に安い。亡霊とかも出ないようだし、投石もこの2年は治まっている。少しは長居する住人がいてもおかしくないのだが――良さそうなカップルだけに、ちょっと心配。昔のように、引っ越してきたら同じ階の住人に毛拭いでも配って歩く風習が残っていたら、少しは円滑に動くのかもしれないが、実は自分も前々回の転勤あたりから、手拭い配りをやめてしまっている。誰もやっていないようだし、やっても妙な顔をされたりするからだ。しかし、この建物のこの階でだけは、やっておくべきだった。
 幸いお隣さんは、このところ機嫌がいいようだ。しかし通路で会ったりすると、顔色がちょっと良すぎるというか、血圧がずいぶん上がっているように思われる。今さら隣の隣に詳しい事情を説明してあげるのもなんなので、お若いカップルが夜中に騒いだりしないよう、祈るばかりである。


03月03日 金  みぞれのひなまつり

 世間は桃の節句だというのに、妙に肌寒い。つかのま小雪までちらついている。まあ陰暦と太陽暦のズレがあるのは仕方がないとして、そんな時候の話題とはまったく関係なく、妙なニュースを聞く。麻原被告の息子さんが、中学入学試験に合格したにも拘わらず、「麻原さんちの息子である」、ただそれだけを理由に入学拒否されたという話だ。親がアレだと子供も苦労するのはある程度仕方のない宿命とはいえ、やはり、痛みを覚える。同情と同時に、麻原もアレだが学校はなおアレである事実に、痛みを覚える。そのくせ、問題行動がないとは言えない姉が入学拒否した大学を告訴したら、地裁で賠償判決が出ている。教育機関や司法機関は、ちゃんと『当人を見て』、種々の判断を下しているのか。その息子さんは、小学生にして当人に素行不良でもあったのだろうか。こうして今後もこの国は、寸足らずたちがせっせと寸足らず仲間を産みだし続けていくのだろうか。

 ひさびさに『連合艦隊』など、再見。しばしば悶絶して慟哭する。思わず拍手もしたりする。『YAMATO』も落ち着いて考えてみれば、言わんとするところは解るのだ。ただ『連合艦隊』のように、ツボ・ツボとハマる脚本、それを観客に伝達するための技術、それら映画の根幹とも言うべき部分がスッポ抜けていただけである。……なお酷評になってる気もする。なんにしろ、『連合艦隊』でたった1シークェンス登場するいたいけな年少兵のエピソードだけで、おっさんはもうおいおい泣きながら「なにが特攻だこのヌケサク首脳陣!」と納得してしまうし、凛々しい兄(若い頃の永島敏行さん)の遺した処女妻(若い頃の可憐な古手川祐子さん)と結ばれつつも結句大和と共に沈んでしまう弟(だれかさん同様プロ野球選手の息子さんでも演技力では比較にならない金田賢一さん)やら、これが映画デビューの中井貴一さんのそれはもうほれぼれするような締まったご尊顔やら、おばちゃま、もう目頭もほっぺたもあんなとこやそんなとこもしとどにうるおったりうずいたりしちゃったの、うるうるうる。やっぱし、元海軍士官だったりお坊さんだったりするキモの据わった監督さんが、戦友たちへの慟哭を籠めつつなお冷静に戦局を俯瞰し、さらに次世代への輪廻の願いをこめて思わず浪花節うなったりしちゃうお姿は、心への浸透力が違うと思うのよねえ。もう、敬礼やモミアゲひとつとっても、とにかく『シマって』るの。凛々しいの。背筋が伸びてるの。矢でも鉄砲でも持ってこいって感じ?

「おーい、かばうま! しろざけ、もっと、もってこーい!」
「……いまのは、おれじゃ、ないぞ。なあ、ゆーこ」
「……こくこく」
「ひゃは。ひなあられ、んまいんまい。ふじやのひなけーき、んまいぞ。きゃははははは、ひっく」
「まあ、たかちゃんも、やっぱし今現在この国に生きる幼女として、さまざまなストレスがあったりするのかしらねえ。どれどれ、おばちゃまも、お相伴にあずかりましょうね。昭和の中頃にすでにアガってしまっているとはいえ、おばちゃまも、こころはきっちりフリフリよ、フリフリ」
「ひゃはははははは。しわしわ怪人しゅつげん! すぺしゅーむこーせん、でゅわーっ! きゃはははは」


03月02日 木  あげあげ

 ありゃりゃ、ずいぶんひでーこと打ってるなあ昨夜の俺、などと頭を掻きつつ、まあ世の中には相変わらず自分の見えない方々が多いので仕方がない。自分しか見えないだけなら、それに徹すればたとえ低確率でも天才である可能性もあるのでまだいいのだが、自分と他人の区別がつかない状態は、やはり不毛だ。その証拠に、いい歳こいて恥も外聞もなくきゅうんきゅうんと甘えれば、お若い方々より実のある忠告が得られる。それもまたあるタイプの方々から見れば『媚び』なのだろうが、おっさんなどはすでに感性の散弾で獲物を蜂の巣状に吹き飛ばすようなイキオイを、ずいぶん昔に失ってしまっている。少ない弾とせいぜい火縄銃しか持っておらず、おまけに近視でさらには老眼まで患いつつあるのだから、ハズした時は「もうちょい右よ」などと的の兎さんご自身に指摘していただければ、とっても有難いわけである。この場合、弾と言ってもそれは狸の『心』なので、当たっても痛くありません。もちろん「あ、こんなとこ当たっちゃった」とか、「うーん、もうちょい左だと天国行き」なんてのも、有難い。まあそれなりの弾をこめれば、まるっきり反応なしということはまずないんですけどね。あったとしたら、たぶん『はじめっから当てる気がない』とバレている、あるいは『オレの弾には的のほうから当たってくるはずだ』などと思いつつ、実は弾をこめ損ねているのである。
 そんなこんなで、ゆうこちゃんの美少女ぶりに自ら惑わされ、観察力に盲いていた自分に気づかせてくれたのは、やはり読者様である。また全体的につまらなくはないと鼓舞してくださるのも読者様であり、といって作者自ら「この娘はもう俺には制御できなくなってしまった」と判断したくにこちゃんなどは、もう自分の年齢も予定調和も読者様も作者も置き去りにして、好き勝手に芸をやりまくり続けている。もとよりたかちゃんは、とくになんにも考えてくれない。これでいいのだ、きっと。『たかちゃんワールド』という弾は、確実に我が火縄銃から放たれて、宙をぽよんぽよんと飛んでいる。弾と言うより風船ウサギですね。応援してれば、月にとどくのではないか。ああ、雪さんといっしょにマヨイガに行きっぱなしになりたい。(エロゲーネタ御免)


03月01日 水  くれくれ

 そりゃみんな感想欲しいよなあ。ワタシも欲しい。読んでいただきたいお方が読んでくれたかどうかさえ、現在の一般的な投稿板では、感想をもらわない限り確認のしようがない。そこいらの節操は貯金同様まったくない人間なので、サミしい時にはここに愚痴を書き、あまつさえ自作の中でまでギャグのネタにしてしまう。恥も外聞もない。舞台で芸を見せたいだけのために、日々苦吟しているのである。そこが檜舞台でなく大道の一角でも、芸は芸だ。
 しかし――感想がつかないからといって、誰も読んでくれていないわけでは、けしてないだろう。その証拠に、記憶によると70枚だか80枚だかあった某投稿作品を、自分は最初から終わりまで全部読んでいる。最初は、これは面白そうだと思った。文章もいつもながら整っている。文章さえ整っていれば、これでもウン10年社内文書につきあっているので、何十ページあっても通読・内容の把握はできる。すらすら読み進める内に、なかなか面白くならないがこれは絶対面白くなるはずだと思った。しかし最後まで、面白くならなかった。問題は、それに『面白くなかった』と感想を入れても、それは自分にとって『感想』の条件を満たさない。じゃあ自分流儀の感想を入れるとなると、その作品の場合、キャラ論からギャグ論から芸人の心得からパロ元並びに原典を知らない読者に対する誠意の欠如やら世界観のいい加減さやら、推定何百枚のとんでもねー大長編批評になってしまって、『面白くなかった』ものに、とてもそんな労力は費やせない。よって、自分の感想は書けない。
 まあそうした例などはいまだかつてその一本くらいしかなく(あ、あった。その方の書いた他の作品群も、実は大概全部読んでおり、いずれも上記のような理由の複数が該当し、感想の入れようがなかったのだ)、たとえば一度読み始め感想も入れた他の連載中の作品に途中で感想入れを断念するのは、自分個人がその世界に関して何かを言う権利・素養・意義がすでになくなった、そう思われた時くらいである。そうした作品は、他の肌の合う方が続けて感想を入れてくれるので、途中で抜ける申し訳なさも少ない。いずれにせよ自分で言える事・言う時間があれば、しつこいくらい言う。それが『続きを読ませていただく』ための、自分なりの仁義だ。市販の書籍なら購入するだけでその仁義を通せるが、掲示板ではお金を払えない。
 きっと自分の駄文にも、読んだ上で感想を入れたくても入れられない方が多数いるのだろうと信じつつ、でも自分の駄文の場合はすべての批評・批判に対して真摯に対処する用意があるので、アラシでもなんでもなんかポチっとカキコしてほしいなあ、そんな気のする孤独死候補の老狸なのであった。それがそのジャンルの駄文で対処不能な要求なら、別ジャンルの芸を考えるなり、きゅうんきゅうんと媚びてその場をごまかす手もある。
 奇術の舞台で演技する動物たちは、ちっこい犬から巨大な虎や熊や象まで、きちんと『観客』を意識して行動するのだそうだ。死ぬまでブンブクチャガマの綱渡りを続けるくらいしか芸のない狸でも、その動物たちには負けたくない。