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04月30日 日  つれづれ

 例によって明け方までなんかいろいろやらどーでもいーことやらをごにょごにょしており、昼前まで惰眠を貪っていると、姉よりTEL。3日4日に郷里の母親を見舞うのでいっしょにどうか、とのお誘い。これは交通費ロハで気分転換やら山形・染太の鰻やら味わういい機会、正月に食った安達太良パーキングエリアのわっぱめしも美味だったよなあ、じゅるり、などと思い浮かべつつ、その丸2日を明けてしまうと私はたいへんなんかいろいろになってしまいそうなので、涙を飲んで不参加を表明。一週前にお誘いがあったらやりくり参加したのだが、世間一般とは違い、ほっといても間違いなく暇なのは年末年始だけで、あとはなんかいろいろの成り行き次第なのである。まあ、母親はグループ・ホームに越して以来惚け具合も安定してくれているので、親不孝のようだが、またの機会に。当分いなくなる心配はなさそうだし、無理して会いに行っても別れた一瞬のちには、今まで会っていたことも忘れ去ってしまうのだし。そうなると、あとはこちらの気持ち次第だ。あれって案外、忘れられるこっちが精神的にコタえるのである。

 昨深夜に録画しておいた、『聖飢魔II』の限定復活ライブを観る。ごひいきの『白い奇跡』は、紅白の映像が一瞬流れただけだったが、同系列のバラード『BAD AGAIN』は、たっぷり歌ってくれた。バラードだけで言えば、当時の『X JAPAN』などよりは、よほど完成度が高い。メタルとして見るなら、やはりイロモノなのだろうが、古狸はイロモノ・メタルが好きなのである。しつこいようだが、昨今の和風ラップもどきでぐにゃぐにゃするくらいなら、御詠歌やお経でも聴いたほうが、よほど建設的だ。まだメタルで老いた頸椎をキビしく痙攣させたほうが、肩こりも和らぐ。

 買い物ついでに図書館にろりを見に行き、ついでに大道芸や昔風紙芝居のCDを借りてくる。今ちょっと聴いてみたら、声だけ聞くとエラくクドい。ロックと違って、あくまで対面芸なのですね。いや、ロックも本質はそうか。


04月29日 土  だからゴムを

 『昨年1年間にエイズウイルス(HIV)に感染した人と、エイズを発症した人の国内での報告数は、過去最高の1199人で、2年連続1000人を突破したことが、厚生労働省エイズ動向委員会の調査でわかった。先月末までの感染者数と患者数の累計は1万1326人になった。同委員会によると、昨年、日本人の新たな感染者・患者の合計は1043人で、男性が1000人と大半を占めた。99年以降、日本人の男性間の性的接触による感染が急増しているが、昨年も日本人の643人が男性間の感染だった。委員長の岩本愛吉・東大医科学研究所付属病院長は「特に10代後半から30歳代にかけての若い男性の性感染が増えており、学校現場などでの教育や啓発が大事だ」と話している。(読売新聞)4月28日21時46分更新』。
 数字的にはいくら読んでも細部でわけの解らないところがあるにせよ、やはり同性愛が関係する部分は大きいのだなあ、と思いつつ、少々不思議な点も残る。男性約1000人のうち約640人が男性間感染ということは、約360人はあくまでも女性が相手だったはずである。しかるに新たな感染者・患者に占める女性の割合は、ほとんどいない。……と、ゆーことは、昨年、女好きの男はほとんどもらいっぱなしで、新たに女性に広めなかったとゆーことに、なるのでは。となると、あくまでも推測に過ぎないが、HIV感染者の女性と知らずに、つまり正体の定かでない女性と一過性でヤル時にはナマでやり、そうでない女性、つまり正体が定かな女性が相手の時は、しっかりゴムを付けているのか――どーしても、そんな理屈になってしまう。
 巷ではホスト・クラブなども相変わらず盛んだそうだが、やはり風俗の大半は、少数の女性を大量の男が買う構図なのだなあ、と、つくづく再確認してしまったり。まあ、なんであれ、やはり子作り目的でないアレの場合ゴムを付けるのは、家庭内のみならず家庭外でも、男の側の絶対常識ということで(相手の性別に拘わらず)。


04月28日 金  さいばーぱんく

 何日か前にNHKで録画した、現在のサイボーグ技術やそのネットワーク化を扱ったドキュメントを観た。あの情動派知性人(必ずしも否定的な意味でなく)立花隆さんがメインで、テーマ上『攻殻機動隊』とカブるからか、根はアナログ魂の押井監督などもやや的外れに(これもまったく否定的な意味でなく)最先端世界を描く旗手のように扱われ、にこにこと眺めてしまった。扱われている技術はおおむね既知の研究ばかりで、それに対する情動的反応もまた予想通りのものであり、人間、ネットワーク化されたサイボーグになろうが孤独なホームレスになろうが、本質はまあ原始人と大差ない。脳味噌なんぞなんぼいじくっても、やるこたいっしょで社会的影響の規模が変わるだけである。その規模を進化というなら、確かに進化なのだろう。しかし知性派ほど声が小さくバカほど声がでかい傾向もまた、テクノロジーの発達によってその社会的規模が増幅し、人類の終焉への刻は日に日に短縮されているのだろうなあ、と、逆に清々しい気分になる。
 個人的には、失明したら何も見えない世界についてフルに知りたいし、半身不随になったら日がなじーっとして考え事でもしていたい。それは健常者のエゴだと責められるかもしれない。しかし、自分が過去執着していた生の営み上の快感物件などは、たとえば滅びつつある銀塩フィルム等、ほっといてもなんじゃやら新しいテクノロジーに押されて日々消滅していくのであり、それらへの哀惜感は、自分の衰え行く手足とさほど変わらない気がする。どっちみち、自分の脳味噌も体も、ひとつあれば充分だ。損じたら不自由になり、損じすぎれば死ぬ。人類全体がこうした消極的なものであれば、弥勒に出会うには56億7千万年かかる。
 しかし人類というものは、これだけテクノロジーの最先端に排便しまくる下衆の脅威にさらされながら、なおせっせとそれを拡大拡散していこうとする。下手に新奇なネットワークに繋がってしまって、下衆にハッキングでもされたら、それこそ『個人』としては生きながら地獄に堕ちてしまうと言うのに。これらの傾向は、キリスト教等の一神教からはすでに明らかに乖離している。そうして臨界に達した人類は、けしてどこぞの神に似たものなどであるはずもなく、最終的になんだかよくわからない意識のカオスと化すのであり、案外早めに弥勒と対峙できる存在になるのではないか。つまり、人類は涅槃に向かって、フル・スロットルで加速しているのだ。いわゆるチキン・ランに命をはる、明日無きティーン・エイジャー。もし断崖絶壁を越える寸前にブレーキを踏める知性があれば、そこにいるのは、あるいはエホバなのかもしれない。私としては、歴史的に考えて、絶対崖から落ちて仏様になると思う。それでいいのだ。
 あるいは創造主という概念は、法身仏ネットワークのために生み出された目立つロゴ・マーク、里程標だったのかもしれない。


04月27日 木  批評家?

 教養あるいは客観といった『批評』の前提条件をものの見事にすっぽかして、己の好悪・都合だけで世渡りするバカが『映画批評家』などと称していると、さすがに腹が立つ。一般のファンが己のブログやHPで好き勝手言い立てるのは、無料だしここもそうなのでまだ許せるが、それで飯を食っている大人がいるから困る。
 東陽一監督の『わたしのグランパ』をケーブルで観た。個性的な監督なのでやや不安があったが、中学生同士のイジメやバカ教師やヤクザなども、いい匙加減で気持ちよくまとめられており、佳作であった。主演の菅原文太さんも、枯れた侠気で最高。
 しかしこのような佳作でも、前田有一(自称批評家の映画ゴロ)などは、『
まあ、話はマンガだ。大して深いテーマがあるわけでもなく、美しい映像や音楽があるわけでもなく、ただとにかくカッコイイ文太がいるだけという、それだけの話だ。』などと切り捨て、100点満点中35点などと書き散らかしている。イジメ中学生やバカ教師や仁義を失ったヤクザの側の感性が横溢した映画評、いや、無責任な私言である。美しい映像や音楽等、子供にでも認知できる部分は認知できるらしいが、ちょっと奥まったテーマなんぞ、読み取る頭がないのである。そのくせ『YAMATO』などは、いつもの放言スタイルの手前あちこち突っついて見せながら、最後には角川に尻尾を振って、でもまた自腹で観たいなどと、やっぱりただの私見(?)で締めている。大体、ソフィスティケーテッド人情映画とも言うべき『わたしのグランパ』を評するにおいて、『浅野忠信は、相変わらず若いくせに妙に存在感があるいい俳優だが、へたくそなライフルの構え方を何とかして欲しい。せめてその辺の警察にでもいって半日習ってこいといいたい。売れっ子だから役作りをする時間がないのもわかるが(というか、この程度の映画のためにそこまでしちゃいられないというのが本音か)、銃の扱い方は、日本の俳優にもっとも足りていない部分だ。』などとツッツいておいて、『YAMATO』の敬礼や頭髪等身だしなみのでたらめさなどには、一切触れてもいない。素養が欠けるのみならず、人情映画と戦争映画の区別もつかない人間が、映画評で飯を食っているかと思うと、つくづく腹が立つ。ちなみに『YAMATO』は75点だそうである。その差40点は、そのまま評者の『素養評価』と言っていいだろう。
 日本映画が活況を呈していると言われるが、それを長続きさせるためにも、批評家も観客も『愛の鞭』精神を失ってほしくないものである。『恋』は直観的好悪のみでも成立するが、『愛』には深さ、あるいは広さが必要だ。淀長さんの死が、あらためて惜しまれる。


04月26日 水  ウィニー?

 近頃毎日のように喧伝されるウィニーがらみのウィルスによる個人情報漏洩騒動、そもそもウィニーという奴を使っていないので良く解らないのだが、要はどこの誰だか解らない人々がどこの誰だか解らない人々とどこだか解らないところでなんだかよく解らないファイルを交換し合うシステムらしい。まあ、それが著作権を無視したナマな情報なら、当然バカは喜んでバカの限りを尽くすだろう。知性人による法に触れない有意義な情報も多々あるのだろうが、それを選別する手間を初めから顔のないユーザーに委ねたシステムなのだから、なかばバカのために存在するシステムと言ってよい。現に、ちょこっとウィルス仕込まれただけで、山のようなバカの存在が明らかになっている。おそらくファイヤー・ウォールもろくに知らないバカが、『無知』という永遠の開き直りを武器に、せっせと悪に加担しているのだ。賢いお方はとうにご存知だろうが、ネット常時接続のパソは、ほぼ一年中、世界中から得体の知れないアクセスを受けている。「知らなかった」もまた、法律に『不知はこれを罰す』とあるように、すでに罪なのである。その法律が悪法であれ尊い法であれ。
 しかし、その種の記事を読む限り、会社所有でも個人所有でも、ウィニーをインストールした張本人のパソに、アンチ・ウィルスやファイヤー・ウォール系のソフトがインストールされていたか、それがきちんと更新されていたか、そのあたりの言及がほとんどないのには首を傾げる。新聞だと、それらソフトの必要性を別ページの文化欄で扱ったりしているが、記事自体にそれらの情報がないのは、すでに解決した殺人事件の記事で、凶器や殺害方法にいっさい触れていないのと同じ杜撰さだと思うのだが。もしそれが会社の備品で、なおかつまともなウィルス対策が為されていなかったとしたら、その会社自体も立派な共犯者だろう。聞くところによると、経費等の要因で経営者側がそれらをいい加減に扱ったり、新聞社ですら年配のお方などは未だパソは人任せなどとも聞く。個人的に「パソやネットなんぞ知るもんか」は、当節かえってひとつの矜持とも言えるが、自分の責任下にそれを抱えつつ「知るもんか」だとしたら、それもまた見事なバカっぷりだ。

 結構昔からパソ類を使っている割には、ネット歴はまだ8年弱、元来内気で小心な自分なので、未だ『匿名社会』という環境に慣れない。近頃、ミクシィのような匿名性の薄いネットワークが流行りなのも、やはり本能的な自衛だろう。正気な人間はやはり相手を選ぶし、現実に根を下ろす。それを閉ざされた閥とか馴れ合いとかめんどくさいとか嫌う方々もあろうが、覆面をしたバカが土足で自宅の寝室に上がりこみ妻の下着をあさるような状態を放置する旦那がいたら、それは博愛主義や平等主義というより、やっぱり同程度のバカだ。


04月25日 火  続・浮草の日々

 五十嵐氏より急なお誘いを受け、映画のマスコミ試写を観に、午後三時、京橋へ。2日続きで買い物以外に出かけることは、半引き籠もりの身ゆえ、珍しい。氏の仕事繋がりと言う小田一生監督にも、「これはろりブンガクの研究家です」「いえいえ半無職のフリーターです」などと、冗談交じりの紹介ののち、試写の前後に計一時間弱、なんかいろいろ会話の機会を得る。ドラマや映画のVFX、またCMの監督としてはベテランとのことだが、お若いお顔から32.3のお歳かと思いきや、すでに41歳。長編映画を自ら監督するのは初めて、つまりデビュー作である。樋口真嗣監督や山崎貴監督等、VFX出身の監督進出が成功しているので、その流れなのだろう。もと五十嵐氏のファン・クラブにいた関係で、過去ゲームの仕事などを共にしたとのこと。
 さて、肝腎の映画『笑う大天使』(公開予定は夏休み)。原作の少女漫画も小田監督の過去の仕事も知らず、しかし試写前の監督の話では大林宣彦監督の『ハウス』の話も出たり、「とにかくかわいい映画にはなったと思います」などの自薦もあったので、少女映画好きの自分としてはかなり期待して本編を拝見すると、なるほど、たいへんファンタジックでキュートで、ほくほくの作品なのであった。聖ミカエル学園の制服、かわいいことかわいいこと。何より好感が持てたのは、主演の上野樹里嬢はじめ少女役者さんたちが、みんな昨今珍しく口跡がしっかりしている。一部の20代に入ってもふにゃふにゃの女性タレントさんたちに、見習って欲しいものだ。まあ予算やスケジュールの関係で「甘いところはあると思いますが」という監督のお言葉どおり、重箱の隅は数々あれど、昨今のお若い監督の作に比べれば、たとえば樋口監督(失礼)等に比べれば、ドラマ演出も良く練られている。古い一般の名画なども、よく観ている方の仕事だ。
 ただ気になったのは、前半のとてもキュートかつコミカルな少女漫画世界が、後半のクライマックスで、いきなりビンビンのカンフー・アクションになってしまった点。ドシロウトのあつかましさで、試写後監督にそんな話もしてしまう。なにせ商売上の繋がりなどない一般人兼コテコテの少女物おたくなので、五十嵐氏などが当人相手に言えないような重箱の隅まで、言ってもかまわないのである。すると監督は、突如ジャッキー・チェンやカンフー映画への愛着を語り出し、そのアクションの細かい演出の意図など、蕩々と語り続けるのであった。しまいにゃジョン・カーペンターの『ゴースト・ハンターズ』まで持ち出される。そう来られると、カンフーおたくでない人間としては、ああ、この人も初めての長編に自分のおたく要素を懸命に具現化しようとしたのだなあ、と、納得するしかないのであった。そういえば『ハウス』でも、神保美喜嬢が、あだ名もクンフーで暴れていたなあ。自作のくにこちゃんもしょっちゅう暴れてるなあ。でも、やっぱりあのかわゆい制服でかわゆく少女っぽくアクションやってくれてたりしたら、100点満点なのになあ。ぶつぶつぶつ。
 その後、夜8時頃まで五十嵐氏と映画・ドラマ談義。身の程知らずのキリギリス、餓死も近いに違いない。


04月24日 月  浮草の日々

 ああ、たかちゃん、かばうまはとっても眠たいよ眠たいよと嘆きつつ、朝からなんかいろいろの外出を済ませて帰着するとまだ午後の陽差しは温かく、思わず最安価中国製チャリにまたがり、あてもなく南に走る。まだ通ったことのない裏道、といっても当節やはり車の行き交う旧街道的道筋をひたすら走っていると、あんがい瓦屋根の古い木造商店などが多く残っており、江戸川を渡ってちょっと上ったあたりで、まるで田舎の古い納屋のように粗末な、しかし香ばしい煙を漏らしている鰻屋を発見。午後も遅いのに営業中で、しかも汚いガラス戸の中には、ご近所の方らしい身なりを正した老人たちが数名、お重をじっくりと召し上がっている。これは美味いに違いない、と確信するも、色褪せた料金看板に記された価格は、都会の老舗とさほど変わらぬ数字である。金がない。居職系フリーターのくせにろくに働いていない身には、かつて何度か訪ったそれら老舗の料金体系は、すでに年に一度か二度許されるか許されないかの高嶺に去ってしまった。でもいつかきっと再訪しようと思うが、きっとその頃には、木造納屋紛いの建物でなく、モルタルかコンクリになってしまっているのだろうなあ。サミしくチャリ再発進。
 しかしそうした抜け道的な通りを走っていると、こんな都会でも案外鄙びており、古びた個人商店は多々見当たるが、コンビニがほとんどない。なぜかセブンイレブンのハム・チーズのブリトーを、バドワイザーで無性に食いたくなり、郷里の田舎道でもあっちこっちにはびこる大チェーンのこと、そのうち見つかると思ったのだが、これが一時間半走っても、存在しない。無論幹線道路を探して進めば一瞬にして2.3軒行き当たるのだろうが、それもまた今さらな気がして、そのうち安チャリゆえ尻が痛くなり、別の裏道を引き返す。都合3時間の孤独中年サイクリングであった。
 帰途江戸川を渡る橋は大変狭く、交通法規上チャリは車道と知りつつ、車とガードレールに挟まれてすりつぶされるのはまだ気が向かないので、やむをえず歩道を行く。もっとも地理的に元来人など渡らない橋らしく、歩道といっても行き交うのはチャリばかり。そこもまた狭く、2台のチャリが走ったまますれ違うのは困難なほど。勢いどちらかが停まって片側に身を寄せねばならず、根っから気の小さい自分は自ら身を寄せる側に回ってしまうのだが、これがなかなか面白く、普遍的事実を再認識させてくれるのであった。つまり、身なりの整った(高価そう、という意味ではありません。清潔感レベルでの『身だしなみ』ですね)紳士や婦人はすみませんすみませんと頭を下げつつ通り過ぎてくれる。きっちりした学生服の高校生なども、どもども、と頭を下げてくれる。ところがアヤしげな風体の大人やヨレヨレ学生などは、これがほぼ例外なく、なんの反応もなく当然のように通り過ぎてゆく。
 世間では『人を身なりで判断してはいけない』などとよく言うが、やはりファッションという物は自己主張の一部でもあり、貧乏・金持ちに関わらず、「どう関わりたいか」という心の表れなのだ。また抹香臭くて申し訳ないが、それこそが仏教的な『縁起』の認識でもある。その証拠に、橋を渡って入った商店街では、高価そうな派手背広を羽織ったまことに割腹のいいおっさんが、路上喫煙禁止の歩道のど真ん中で、通行人の流れを妨げつつ、堂々と立ち止まり煙草を吹かしたりしている。なんの商売で儲けたかは知らないが、いずれ『縁起』のカケラもない人間で、その悪趣味な背広は、「わし、あんたらに何かあげる気なんてカケラもないからね。もらうだけだからね」、つまり立派な体や銀行預金を所有しながら、物乞いと同レベルの服装をしているのだ。その意味で、鼻にピアスを下げた若者などを瞥見しても、やはり根本的には人間より牛方向をめざしているのだろうなあ、と、敬遠するより牧草や飼料を与えてやりたくなったりするひねくれた私です。
 さて、餓死防止活動と共に、新しいたかちゃんをHPに上げる準備もせねば。今回はハチャメチャを減量、己の遠い過去の童心と青年期の諦観と人生の半ばをとうに過ぎても未だ捨てきれぬはかない希望、そんなものを同じ舞台に乗せて、たかちゃんたちに絡んでもらったのだが、いずれ最終的にはたかちゃんたちのやることなので、なんだかよくわからないような気もする。でも、ほんとうにかわいい。

 話はコロリと変わって、なんか、点数入れないことが、あの板のスタンダードになりつつあるのかな? 自分としては、きちんと最後まで読めて感想入れられるレベルで『0(普通)』、主観的に面白いと思わせてくれれば客観的欠点の多寡により『0(普通)』か『1(良い)』、主観的にああ得した得したと思わせてくれれば当然自分にとって良いものなのでやはり客観的欠点の多寡により『1(良い)』か『2(とても良い)』、そんな感じなのだが――独り言。いや、読者様によってポイントの入れ方など様々と知りつつ、面白いとご感想を下さって不満点のご指摘もないのにポイントは『0』だったりすると、ついつい「ほんとはそんなに面白くなかったのかなあ」と萎縮してしまうのですね、自意識過剰オヤジとしては。感想の付け方をある程度お願いするのもアリのようなので、いっそたかちゃんシリーズに関しては、「たかちゃんたちがどんだけかわいいか」だけでお願いしてしまおうか。で、あんましかわいくない、などと書かれたお方には、レス返しでたかちゃんたちに媚びたりシメたり泣いたり勝手にやってもらうのはどうか。


04月23日 日  たかちゃん中毒

 本日は、たかちゃんたちと、ほぼ終日ランデブー。コメディーなりに、そこそこブンガクもできたように思う。ラストの2枚ほどは、風呂に入るのも忘れて修正を重ね、久々に隣室の老人に気兼ねしつつ、夜半過ぎの入浴となってしまった。まあ、いちんちくらいはかんべんと言うことで。板に上げたら、もう24日の午前2時である。
 このところ朝方になっていたのが、打鍵が乗るとたちまち夜型にシフトして行く。まあ自分の場合、軽く酩酊→思考→でろんでろん酩酊→思考、そんな創作パターンなので、でろんでろん(アルコール抜きの情動的な形容です)は、やはり暗くないと萎縮する。
 さて、読者様にご感想をどれだけいただけるかは、皆様なにかと多忙な春先ゆえ定かではないが、とにかくたかちゃんたちは心ゆくまでお花見してくれたので、脳内扶養者としては、安らかに眠れそう。


04月22日 土  人事

 日々ナイアガラ大瀑布のように流れ落ちてくる迷惑メールの中に、こんな文面があった。

   
あなたは弊社の出張ホストとして採用されたい事をお知らせいたします。
   <仕事の流れ>
   1申し込み(完全無料)ここへ
   http://●●●.deardear.net?num=●●●●
   2お客様がPF情報をもとに、気に入ったホストがいましたら、連絡を取る。
   3予約が確定しましたら、お客様がホストの口座に入金される。
   4入金が確認出来た時点で契約完了です、お客様のご要望のサービスをお願いします。
   ☆出社の義務はありません。都合の良い時間に活動して下さい。
   <仕事の内容>
   デート(1時間) \10,000  延長(30分) \10,000
   性感ノーマル(1時間)\30,000 延長(30分) \10,000
   アブノーマル1時間)\50,000 延長(30分) \10,000
   ☆出張費用:すべてVip女性が負担致します。
   ☆女性職業:経営者、資産家、女医、デザイナーetc(すべて年収3000万以上)
   今すぐ申し込み(完全無料)ここへ
   http://●●●.deardear.net?num=●●●●
   ★注目:海外出張チャンス有り・当社から一切請求しません★


 さて、正気の人間が上記の日本語を正確に解読できるかどうかはちょっとこっちに置いといて、単に『タダで金送れ』という趣旨を、この文面にまとめ上げる頭に、はたして脳味噌は何グラム存在しているか。
 ちなみに送信者は『人事』、件名は『☆年収800万であなたを採用します☆』であった。まさにこれらの根性が、『人』の『事』だと思うと、夜中にひとりで大笑いしてしまう今日このごろ。思わずたかちゃんシリーズを打つ指に、力が入ってしまったり。


04月21日 金  からんころん

 といってもゲゲゲの歌が聞こえてきたのではなく、なんかいろいろの途上でまた上野駅に降りたら大層天気が良く、思わず不忍池に逃避、さらにいつか歩いてみようと思っていた『牡丹灯籠』の幽霊・お露さん逍遥コースを、記憶を頼りにぶらぶら辿ってみたのである。夜中にお墓から愛しい恋人のもとへ、そんな時刻にそんな方向で歩けばいいのだろうが、上野からのついでだと、逆にお墓に帰るコースになる。
 まずは不忍池。一見のどかでウン10年前の修学旅行の時と変わっていないようだが、ふりかえればにょきにょきと高層ビル、やはり江戸も昭和も遠い過去になりつつあるのですね。

  

 上野寛永寺の八つの鐘がごーん、それから何処からともなくからんころんと下駄の音――とまあ、色男・萩原新三郎が住んでいたのは、根津の清水谷。現在の根津一丁目界隈らしい。お露さんは谷中の三崎の寮で死亡、お墓は新幡随院。上野から歩くとなると、不忍通りをまっすぐ北へ、根津→千駄木と地下鉄二駅ぶん歩くだけで、迷子になる心配だけはない。

  

 で、何度か歩いたことのある地下鉄根津駅近辺にさしかかると、なんのことはない、どうやらそのあたりが新三郎君の家なのである。昔、紀行物で、裏道に入れば下町情緒が残り云々、そんなフレーズがあったので、ちょっと裏に回ってみたが、残念ながら一見の通りすがりには、雑居ビルやマンションしか見当たりませんでした。まあ、新三郎君は、浪人だが親譲りの家作を所有し悠々自適の独身生活、そんなうらやましい設定だから、現代ならそこそこの賃貸マンションのオーナーの坊ちゃん、でも内気なのであんまり出歩かず読書や古書収集三昧、といったところか。

  

 さて、からんころんとそのマンションの一室、じゃねーや、新三郎君の家を夜明け前に辞したにゃんにゃん後のお露さんと女中のお米さんは、当然地下鉄千駄木駅ならぬ三崎坂方向に帰るわけだが、現在のこんな不忍通りどころか、なんぼか下町っぽい裏道を辿っても、残念ながら往事を想像するよすがにはならない。なんとなれば、当時は下町どころか、田んぼや畑や小川のせせらぎ、そんな田舎だったらしいのである。むしろ郷里・山形の郊外に、江戸の地形を想い重ねてでっこまひっこまさせたほうが、実情に近そうだ。

  

 そうして、お露さんの住居――お墓のある新幡随院。……ありません。こんな感じの、ただの坂道になってます。しかし今でもさんさき坂はお寺の連続なので、ご近所の墓地を写させていただきました。

  

 とはいえ、やはりそこはかとない下町情緒はあちこちに漂っているのであり、西には乱歩ゆかりのD坂――団子坂。東にずんずん歩けば、さらに下町情緒全開の谷中墓地界隈――とまあ、知ってはいるのだが、昨今の運動不足が祟って疲れ果て、千駄木駅から一路巣穴をめざす根性無しの狸であった、まる、と。
 今夜は寝ながら先代の林家正蔵師匠の『お札はがし』でも、聴こうか。


04月20日 木  法律と心

 などとまた大袈裟なタイトルの割には、単なる落書きの話である。

19日午前11時45分ごろ、奈良県斑鳩町の法隆寺で、東大門(国宝)のヒノキ製柱に「みんな大スき」と彫られた落書きがあるのを県教委文化財保存事務所の作業員が見つけた。県警西和署は悪質ないたずらとみて、文化財保護法違反や器物損壊の疑いで調べている。文字の一部は柱を深くえぐっており、寺は文化庁と補修方法を検討する。落書きは縦約60センチ、幅約8センチ。門を支える12本の柱のうち、北西の柱(直径約40センチ)の高さ約1メートルの位置に、石のような硬いもので刻まれていた。寺によると、午前7時の開門時には異状はなかった。東大門は三棟造りと呼ばれる珍しい様式で、1952年に国宝に指定された。五重塔や金堂を主体とする西院伽藍(がらん)と夢殿を中心とした東院伽藍の間にあり、観光客らの往来が多い。(読売新聞)4月19日19時27分更新』。

 これは、読む側の立場によって、あるいは犯人の年齢性別によって、激怒から微苦笑まで、反応が千変万化する記事だろう。ちなみに自分が番人で犯人が子供だったら、とりあえずしょーがねーなーと軽くおつむにゲンコをくれて、その後歴史上の遺跡のなんたるかを滾々と説教するだろう。また犯人が少女だったら、しょーがねーなーと笑いながら、歴史上の遺跡のなんたるかをウケを狙いつつ説教し、とりあえず住所氏名を確認して、あとで悪用して自分が逮捕されたりするかもしれない。少年ならばすなおに謝ればよし、態度によってはご近所の竜田川つながりで、花魁・千早(本名・とは)のごとく水くぐってもらうかもしれない。成人ならば問答無用で警察送り、そんなところか。まあいずれにせよ、文化財保護法違反や器物損壊であることは確かだ。
 しかしここで考えてしまうのは、落書きというか彫刻されてしまった東大寺の柱さん本人(本柱?)がどう思っているか、そのあたりである。もし小学生や中学生のろりに、「みんな大スき」などと彫ってもらったら、その北西の柱さんは、他の柱さんたちよりも、とてもシヤワセだったのではないか。植物にも痛覚があるという説もあるが、伐採後何百年もたっていれば、そう痛くはないだろうし。少なくとも、「夜露死苦」とスプレーをかけられる高架下のコンクリ壁さんよりは、ひゃくまん倍シヤワセであったろうと思われる。
 このあたりは、おとついの話題にもちょっと重なるのかなあ、などとも思ったりする。もし彫られた言葉が「仏恥義理」だったりしたら、その犯人の性別・年齢にかかわらず、同情無用でからくれないに水くぐってもらうしかあるまい(しかしここを覗いてくださっている方々ならば、落語の『千早振る』は、ご存知ですよね?)。

 2.3日前に投稿板にたかちゃんの新作の前半を揚げて、後半を打つ内に色々と改変の要が生じ、今のうちに直しておこうと修正に行ったら、またパス・ワードが弾かれてしまう。今までも頻繁にバグっていたのだが、どうもシステム上の問題で、他の方にも多発しているらしい。管理人さんも多忙らしく、システム全体を改良するまでは個々に修正する暇がないので、続きは新規投稿として上げてくれ、とある。しかし、前半の修正ができなければ、後半との齟齬が生じる。どうせまだ感想もついていないことだし、いったん削除してしまおうかと思ったが、削除もまたパスワードが通らなければできない。まあこの場合、次回いったん重複投稿はやむをえないとして、当然それも一度上げたら当分修正できなくなる可能性大なわけで、ご感想やご指摘による修正のために投稿している身としては、ちょっとお困り。
 まあ、近頃めっきりご感想を下さるお方も、ご感想を入れたいお方もまばらになってきたので、そろそろ爺いは去りゆくべきか、とも思う。土台、同じ板に2年も3年も出入りしているほうが、近頃は稀なのかもしれない。といって、他に良さげなところも、心当たりがないのよなあ。どなたか、爺いでも居着けそうな小説系投稿板(どこぞのようにプロを目指す板と標榜しつつ、独善的自意識全開感想乱れ飛ぶ板でなく、客観的大人読者もいてくれるような)など、ご存知ありませんか。

 などと記してから覗いたら、そのバグは直ったようなので、引き続き当分また某所に出没予定。


04月19日 水  人食い雪女、萌え

 なんかいろいろ関係のお若い方から、先週久々にエロゲーを借りて、本日どうやらトゥルー・エンドを迎える。この種の貸借もまた立派な違法行為なのだろうが、すみませんもう金ないんですこれまで斯界にはずいぶん散財したんで許して下さい許して下さい、って、過去あえて自前で買ったメーカーさんはその散財額の多いほうから次々と潰れ、借りただけのメーカーさんは元気に生き残ったりしている。それほど自分の趣味は偏っているらしい。とゆーことは、今回借りた『雪影』という作品のメーカーさんは、きっと長く元気に生き残るであろうと思われます。いやあ、おめでとうございます。
 民俗学系伝奇・田舎・冬・雪女――そこいらの条件を満たしてくれていると言うのでやってみたら、むしろ『姉萌え』が旗印で、現実的に頭の上がらない姉がいる身としてはちょっと初期の感情移入を危ぶまれたが、要は『水月』の雪さん調の存在で、辛い浮世からぬくぬくと逃避。ストーリーもまた山の民とか山人とか、雪さんっぽい、というか『よくある民俗学系ネタ』で進んで行くが、オチのカニバリズム趣向は新しく感じられた。ただ、ゲームとしてはループ構造で、4周目でようやく真実にたどりつく趣向なのが、ややまだるっこしい。重複部分はスキップしまくりで、肝腎の本ルートがすなおに流れない。分岐構造だけで、うまくやればストレートに攻略可能なほうが、謎解き伝奇系にはしっくりくる。しかし『姉萌え』のケがなくとも、美しい雪女っぽい色白のおねーさまなら、やっぱり萌えるわなあ。
 山人の禁忌性を食人習慣と結びつけるというアイデアは、寡聞にして過去に知らない。近世以降、現実的には有り得ない設定だが(いや、食人行為そのものは過去の飢饉時などいくらも個人あるいは小集団レベルで例があるが、それは山岳採集狩猟民よりも、むしろ農作物にしか依存できない里人の側に多かったはずである)架空民俗としてはなかなか説得力があり、むしろゲームより伝奇小説向きか。
 それにしても、いわゆる三大禁忌――『殺人』『近親相姦』『食人』の内、『食人』だけは、いささか禁忌として腑に落ちない。疫病等、衛生上の問題が多かった時代ならいざ知らず、現在の衛生条件で自然死した個体なら、充分食用にできるのではないか。それを許せば食うために殺す連中が跋扈すると言うなら、それはあくまで『殺人』の禁忌で否定できるはずだ。大体我が身を思っても、食うためでもないのに理由もなく、あるいは勝手な快楽のために殺されるよりは、飢えた人間に食われたほうが、まだましである。まして美しい雪女のおねーさまが相手なら、無駄に化石燃料を消費して火葬場の灰などになるよりは、ぜひ食ってほしいくらいだ。まあ、根が狸汁の材料だからかもしれませんが。


04月18日 火  アブなくないか? アブないか?

 さて、生身のろりに手を出すクソ野郎に関しては、現在の児ポ法歓迎と、何度も記した。
 また仮想媒体に関しては、近頃あまりに『愛のない』鬼畜表現が跋扈しているにせよ、いたずらに規制されるよりは、まだマシだと思う。何が汚らわしく何が愛なのか、などという根本的な命題は、結句ひとりの人間の矜持しだいだ。
 ただ、太古からろり板など愛好している『ありすおやじ(今勝手に浮かんだ造語)』としては、現在の実写ろり(アングラ除く)に対する、下着や全裸は駄目だが水着OKだの、そうした即物的な規制には、まさに己の『矜持』として、ときおりヘドを吐きたくなるような嫌悪を感じる時がある。
 水着(あるいはどう見ても下着っぽい水着)さえ着用していれば、子供に「さあナンボでも劣情を催して頂戴」ポーズをクソな大人がなんぼ演出しても、断罪されないのはなぜか。肉体的に搾取されていないなら、何をやってもOKなのか。今どきの性に明るい子供たちにとっては、それは明らかに『精神的売春』のはずである。「体は売っても心は売らない」のと、「心は売っても体は売らない」は、どちらが『売春』なのか。仮想媒体と違い、そこには現実のろりがいる。『法律』などという即物的なザルが出来てしまえばこそ、精神の箍はいいように外されていく。
 さて、ここからの趣向は、一部現在の児ポ法に触れるかもしれず、また著作権および肖像権を思いっきし侵害する可能性があるが、罰金や賠償金など一文も払えないビンボで姑息で小心なおっさんとしては、あくまで論評のための資料――社会的問題提起のための資料と、主張しておく。ちなみに児ポ法上の扱いとしては、前者はあくまで合法画像であり、現在その世界でかなり人気を呼んでいる撮影時14歳の少女。そして後者は、現在写真集自体は非合法物件扱いにされてしまった、昭和44年ノーベル書房発行『12歳の神話』(撮影は剣持加津夫氏)の中の一葉、わが永遠の憧れの少女である。もちろんウロンな書物ではなく、モデルは著名な洋画家・梅原龍三郎氏の孫娘、梅原多絵ちゃん。
 そして念のため、自分もまた見境なくあっちこっちで劣情を催すクソな大人の、立派な一員である。ただ、前者が合法であり、後者が『児童ポルノ』などというレッテルを貼られ公的図書館でも閲覧不可となるような社会は、もしかして『俺なんかよりずっとすっげークソな社会』なのではないか――そんなところで。

注・大家さんよりクレームが入ったため、画像は削除いたしました。狸穴を追い出されちゃあ元も子もないのよなあ、ぶつぶつぶつ。


04月17日 月  外で遊んでろ

 もうこの国の政府は『義務教育』『初等教育』を、通常の授業時間内で行うつもりはないらしい。こんな記事を見た。『経済的理由などで塾に通えない子どもを支援するため、文部科学省は来年度から、退職した教員OBによる学習指導を全国でスタートさせる方針を固めた。通塾する子どもとの学力格差を解消するのが狙いで、放課後や土・日曜に国語や算数・数学などの補習授業を行う。来年以降、団塊世代の教員が相次ぎ定年を迎えることから、文科省では「経験豊富なベテラン教師たちに今一度、力を発揮してもらいたい」と話している。教員OBによる学習指導は、希望する小・中学生を対象に、放課後や土・日のほか、夏休みなどの長期休暇を利用し、小・中学校の教室や公民館、児童館などで行う。受講は無料とし、テキスト代などは参加者に負担してもらう方向で検討する。教員OBの確保は、講師希望者を事前登録する「人材バンク」のような制度の整備を目指しており、計画が固まり次第、各都道府県教委などに協力を呼びかける。講師への謝礼などについては、今後さらに協議する予定だ。文科省は、長崎市で2003年7月に起きた少年による男児誘拐殺人事件などを受け、地域住民と子どもたちが一緒に遊びやスポーツを楽しむ「地域子ども教室」を推進している。教員OBによる学習指導は、この事業を拡大する予定で、各都道府県を通じ、市区町村に運営費用を支援する。(読売新聞)4月16日3時7分更新』。
 子供って、そんなに勝手に遊んじゃいかんのかなあ。我々の子供時代には、そもそも『学習塾』などというシロモノは、よほどいいとこの坊ちゃん嬢ちゃんでないと、『恥ずかしくて行けなかった』気もする。せいぜい日曜の午前中だけ、当人の好みか親の経済力によって、書道塾だの算盤塾だのピアノ塾だのに遊びに行くくらい、あるいはカトリック教会でやってる英語教室に遊びに行くとか――それとも田舎だからのんびりしてただけで、都会は当時から修羅場だったのか。

 まあ子供なんてものはいつの時代も、『誰それちゃんもやってるからあたしもボクも』だから仕方がないのだが、何も国や親まで同じレベルに合わせる必要はないだろう。昨今、大人のほうは何かと言えば『学力格差』を持ち出すが、正直に言って、せっせと塾に通う今の子供のほうが、昔の子供よりバカが増えているのではないか。日本語能力や単純計算能力などは、その代表的な例だろう。とすれば『学力』って、何をもって判断してるんだろうなあ。やっぱり、偏差値とか? そんな言葉も、我々が子供の頃にはなかったが。いや、大人の世界ではあったのかもしれないが、少なくとも生徒の立場でそんなシロモノを意識したのは、大学受験からである。
 『学力』はともかく、確かに昔のガキは栄養条件等のハンデで、みっともなくハナたらして、みんなでウスラボケーっとしてましたよ、オイラも誰それちゃんも。でも、喧嘩で相手を殴り殺したり蹴り殺したりするバカは、ほとんどおりませんでしたね。イジメもイジメラレもありましたが、イジメ殺したりイジメラレ死んだりするのも、ほとんどなかったですね。そりゃそーだ。そんなことをしでかす『権利』は、昔の子供にはなかったのである。まあ、大人と子供の『権利』の差異を、現在の大人自ら見失ってしまったからこそ、子供も妙に勘違いしてヒネてくるのだろう。やんちゃ坊主のまま、首相になる子まで出てくる。
 言っとくが、ガキは外で遊んでろ。でも知らない奴についてっちゃだめだ。日暮れまでには帰って来い。夜には出歩くな。宿題やったか? 風呂入ったか? なにい、学習塾? 勉強嫌いなガキが、そんなとこ行って何しようってんだ? おめえ、バカじゃねーのか? まあ勉強好きってんなら、止めやしねーけどよ。

 で、新しいガメラの予告編を見たのだが、なにかジュブナイルに戻るという話だったので期待していたら、どうも童心から100億光年離れた修身の教科書に退化しているようである。当節の『半分大人の子供』が、大人の方法論みたいなもので子供の映画みたいなものを作ろうとしたようだ。昭和ガメラの湯浅監督のような『半分子供の大人』が、子供の方法論で子供の映画を作る、そんなノリは、もう映画界には戻ってこないのだろうなあ。おたく一般からは評判の悪かった平成モスラ・シリーズが、最後の『児童怪獣映画』なのかもしれない。汚れきった自分としては、もはや昭和ガメラや平成モスラより、平成ガメラ第一作や『大怪獣総攻撃』のほうが楽しめるが、劇場のちっこい子供たちは、あのトンデモ・モスラのほうを、明らかに本気印で応援していた。怪獣の実存に小難しい理屈はいらんのが、子供の子供たる権利である。しかし、大人はそうも行かない。そのあたりの境界線が、今はすっかりとっちらかっている。


04月16日 日  あっちこっちで拾い物

 えーと、ドンベさんのところで見つけたバトンです。以下、コピペ(一部、コピペのコピペ)です。

   
とりあえずルールを説明します。
   ・・やり方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   1.まず適当に「い」で終わる形容詞を8つ書き出します
   2.隣り合う二つの形容詞から連想する言葉を、その下に計7つ書き出します
   3.同様にして次は6つ、その次は5つ…という風にピラミッド式に連想を続けます
   4.最後に連想した言葉が一つになったら完成です
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上・・
   説明って言うかすおうさんの日記からまんまコピらせてもらいました。
   すおうさんありがとうございますー。
  (怠慢をお礼で誤魔化す……)


 なんかおもしろそうなので、勝手にやらせていただきます。

 ちっこい  やわらかい  白い  甘い  すがすがしい  いさぎよい  かわいい  しぶい
 ろり  小猫  ましゅまろ  睡蓮  主人公  ヒロイン  しぶがき
 泰西名画  おもち  昼下がり  和気顕(総門谷Rの主人公)  エンタメ  たかちゃん
 和洋混淆  田舎の冬  戦士の休息  伝奇  きゃははははは
 旧校舎  会津戦争  焚き火  荒唐無稽
 白虎隊  美少年  火の精
 高畠華宵  絵本
 幸福の王子

 
  で、ここで隠しルール出現。

   ――この逆ピラミッドは、下にある言葉ほど
     あなたにとって大きなテーマだと考えられます。
     自分の作ったピラミッドをみてどうですか。感想をどうぞ。

 ……ありゃ、最後は案外良識老人的にまとまってしまった。
 どうも、近頃自分は急速に枯れていっているような気がする。たとえばろり板でこんな画像を拝見しても、画像の大半を占めるにゃんにゃん娘さんより、明らかに餌につられて大人しくしている右下の猫のほうと、同棲したくなったりする。その一方で、こちらの画像などにはかなり反応したりもするので、ただヤバさが増しただけなのかもしれない。まあ、こんなふうに猫に怒られないよう、充分身辺には注意を払いたいものである。

注・大家さんよりクレームが入ったため、画像の一部を削除いたしました。狸穴を追い出されちゃあ元も子も以下略。



04月15日 土  さくら

 おはなみに進軍するたかちゃんが、例によって桜がらみの歌を歌いたいようなので、といって文部省唱歌の『さくらさくら』では、せっせと歩くというより日舞でも踊ってしまいそうだし、森山直太朗さんのもちょっと大人しいか、何かナウい(古語)やつで元気なのはないか――などと調べていたら、ケツメイシとやらの桜がらみの曲を知り、全歌詞どこかにないかと検索していたら、また盗作疑惑とやらに行き当たって、そのMP3を聴きくらべると――えーと、どっちもメロディーと言うほどのメロディーじゃないんで、盗作も何も関係ないじゃん、てゆーかんじ?(なぜにギャル古語)
 てゆーかー、今の若い子たちの歌って、ノリノリのリズムにてきとーにドレミファのっけて、いつの時代にもあった若さの歌詞を繰り返してるだけなんじゃないかって、おばちゃま、思ったりするのよ? まあもともとPOPSとゆーのは、同時代性ってゆーか、歌い手の同世代性にこそ商品価値の大半があるってのも解るんだけど、やっぱし今のカンジだと、どれもこれもおんなじ95パーセントの古くせーだけのクソ演歌と、おんなし方法論でみんな仲良くノリノリになってるだけ、って気がしちゃうの。まあ、楽しきゃなんだっていーんでしょーけど、やっぱしおばちゃま、あの一晩明けたらなにがなんだか解らないアンちゃんたちが何始めるかわかんないみたいな、イカ天時代が恋しかったりしちゃうの。CD売れない売れないって、そりゃどれもこれもおんなしみたいだったら、買ってもしょーがないものねえ。まあお歌ばっかしじゃなくて、映画も漫画も小説も、『売れるかどーか解んない物は出さない』なんてメジャー根性丸出しだと、みんなそろってリトル・メジャーの再生産に走ってジリ貧あたりまえ、やっぱし一発新しいジャンル作っちゃおう、みたいなビッグ・マイナーを探し求めて路傍でのたれ死に、そんなこんじょー入ったプロデューサーや編集者さんの屍累々の上に、時代を越えた花が咲くんじゃないかしら。ねえ、たかちゃん?

「♪さ〜く〜ら〜 さ〜く〜ら〜 いざまいあがれ〜 と〜わに〜さんざめく〜♪ ……とわに? ……さんざめ?」
「はいはい、たかちゃん、それはね、じゅっぴきのワニさんとさんびきのサメさんに襲われた桜さんたちが、とびあがって逃げだしてる、そんなお歌なのね。漢字で書くと『十鰐三鮫苦』」
「こくこく」
「はいはい、ほんきにしないでね」
「むー」
「はいはい、たかちゃん、たにんなんてけっこーいーかげんだから、しんようしちゃ、だめよ。うそつきのひとも、しょーじきなひとも、みんなおんなし、身過ぎ世過ぎ。ただ、『許せる人』と『許せない人』がいるだけ。じゃあ、たかちゃんもがんばって、お花見してきてね。なんだかよくわかんないお花見してくると、モア・ベターよ。おばちゃまも、なんかいろいろ、がんばるわ」
「こくこく」


04月14日 金  自暴自棄

川崎市の小3投げ落とし事件で、無職今井健詞容疑者(41)=女性(68)への殺人未遂容疑で逮捕=が、13日までの神奈川県警多摩署捜査本部の調べに対し「自殺願望があり、それが他人に向かった」と動機を供述したことが分かった。捜査本部は、自殺願望が無差別な他人への殺意に変わった原因があったとみて、昨年秋以降の今井容疑者の言動や、周囲で起きた出来事を調べている。調べなどによると、今井容疑者は飛び降り自殺をしようとして昨年10月、現場の同市多摩区のマンション15階に行ったが、下を見て怖くなり、自殺を思いとどまったことがあったという。11月には自宅で2度、電気コードで自分の首を絞めようとしたが、家族に目撃され止められたこともあった。(共同通信)4月13日23時29分更新』。
 まあ、確かに自殺願望が他人に向かうという心理はあるらしいのだが……自分で言うか? 根本的に、甘えちゃいけない物に甘えてないか? と言うか、自分で言える時点で、詐病だぞそれは。そりゃ自分の無駄にでかい体より女子供のほうが宙に放りやすいだろうが、女子供より自分が優先するということ自体、自分には解らないし、解ろうとする気もない。ろくな取り柄もないおっさん仲間として言わせてもらうが――あんまし男として惨めすぎると思わんか?

 などと偉そうに言いつつ、明日をも知れぬ狸は、後悔必至の放蕩に走るのであった。
 扁桃腺も自然治癒しつつあるし、また徘徊に及ぼうと調べてみると、群馬方面行きの高速バスは、東京方面からの日帰り往復は不可能なタイム・テーブルと判明。午後遅くでないと、東京からは発車しないのである。むしろあちらからこちらに、日帰りするためのバスなのですね。ああ、群馬の舞茸弁当やソースカツ丼はもはや永遠の幻か、と失望していたら、昨日朝の折り込み広告に、長野新潟物産展、などと言うデパートのイベントを発見。最寄り駅ではなく少々遠いのだが、新潟加島屋のさけ茶漬の瓶詰を販売するし、長野のソースカツ丼(幻のナントカ豚)を特設スペースで食わせる。いずれも大層高価な食品だが――うう、食いたいよう食いたいよう。そんなわけで、エロゲー売却金の中から大事にとっておいた万札一枚、天気もすぐれないことだし、近場での浪費を決意。ついでにさらに電車で東進、この近辺では唯一押井守監督の『立喰師列伝』を上映しているシネコンまで、脚を伸ばすことに。で、なんかいろいろのついでに電車を乗り越し買って食って観て戻って、冬場に溜まっていたクリーニング物件をまとめて出したら、もののみごとに万札は一日で消滅。でも、千代幻豚さんのカツ、とても美味しゅうございました。加島屋のさけ茶漬さん、これから数日天上の茶漬を味わえます。『立喰師列伝』、大いに笑えました。もう思い残すことは何もありません。今後、身分にそぐわぬ本日の放蕩を後悔して自ら宙に舞ったりするかもしれませんが、そのせつは、なにとぞ先立つ不幸をお許しください。

 ところで『立喰師列伝』に関する種々のレビューなど拝見すると、好意的なファンの評価の一方で、やっぱり大多数の皆様が眠ったり当惑したり、的外れな視点で褒めたり怒ったりされているようなのですが、まあ押井監督の実写作品(アニメの一部も)は『同世代の衒学難解理屈映画おたく限定エンタメ』ですので、そこんとこ誤解がないように、よろしくお願いします。でも正直、近頃の空騒ぎ大作を、怒りも眠りもせず観ていられる方々のほうが、よほど社会的に忍耐強いと思えるのですけどね、個人的には。


04月13日 木  占領下の鳴門(推定)

    でも、とってものどかっぽい。平和って、いいですね。

      

      

      



         


         


         


         


         


04月12日 水  昭和25年(推定)からの絵葉書

 ある日、こんな絵葉書だかなんだかよくわからない封書が、届くわけである。

         

 開封すると、なんじゃやら妙な写真が8枚入っており、封筒自体がそうとう変。

    

 封筒を『飛び出す絵本』の要領で組み立てると、こんな具合。

    

 で、そのステレオヴィジョンとやらを覗きますと、あら不思議、鳴門の景色が手に取るように(ただしモノクロ)。

          

 とまあ、封書の切手が8円という部分から、昭和24〜6年の物ではないかと推測したのだが、幼時からの立体写真おたくとしては、なんでこんなに楽しい物が現在廃れてしまったのかなあ、という疑問を抱いてしまうわけである。もっとも、約10年周期くらいで、どこぞのメーカーがそれらしい企画を立ててくれ、現に自分が在職中にも、フジやコニカで使い切りカメラ用の立体アダプターやら立体専用使い切りカメラなど、製品化してくれた。しかし、長続きしない。世界的に見ればそれらに類する製品は連綿と続いているのだけれど、どうも一般化しない。タレントさんやエロ写真の企画物もたまに見かけるが、なぜだかやっぱり一般化しない。
 一方で、やはり自分の幼時から入れ込んでいた「どこでもスパイ活動ができるちっこいカメラ」のほうは、デジカメや携帯ですっかり万人の所持品と化した。しかし、なんでこの3D時代にスチル写真のみ皆様2Dで納得してしまうのか、不思議でならない私です。



04月11日 火  数字について

 『たばこを吸う人は吸わない人に比べ、心筋梗塞(こうそく)などの心臓病にかかる率が3倍程度高いことが厚生労働省研究班(担当研究者・磯博康大阪大大学院教授=公衆衛生学)の大規模調査で分かった。心臓病で治療を受けている患者は全国で約107万人と推計されているが、調査結果を当てはめると、うち約31万人は喫煙しなければ発症しなかった計算になる。英国の循環器病予防専門誌4月号に、論文を発表した。磯教授らは、全国の40〜59歳の男女計約4万1000人にたばこを吸う本数などを聞いた後、90〜01年にかけて平均11年間追跡し、心筋梗塞や心臓の異常による突然死などが起きたかどうかを調べた。その結果、男女計326人が心筋梗塞などを発症し、うち109人が死亡していた。喫煙との関係を調べると、喫煙男性の発症率は吸わない男性の約2.9倍、喫煙女性は吸わない女性の3.1倍だった。男性の発症率は喫煙本数とともに増え、1日14本以下は吸わない人の2.3倍だったが、15〜34本だと3.0倍、35本以上は3.1倍になった。心筋梗塞などによる死亡者は、全国で男女とも年間約1万5000人。調査結果からは、うち男性6900人、女性1400人の計8300人の死者が、たばこの影響とみられた。一方、禁煙から2年以上たつ男性の発症率は元々吸わない人と変わらなかった。肺がん予防では同様の効果が出るまで禁煙後10〜15年かかるが、心臓病予防の効果は早めに出た。女性は禁煙経験者が少なく分析が難しかったが、同様の効果が見込めるという。磯教授は「たばこを吸うと、ニコチンの影響で血管が収縮し、血液もネバネバになって心臓の血管が詰まりやすくなる。禁煙するとこうした悪影響が消える」と予防効果の理由を説明している。【高木昭午】 (毎日新聞 - 04月11日 15:05) 』。
 ――この記事などはまだましなほうで、メディアによっては『発症率3倍!!』とのみ煽り立て、流行りの喫煙撲滅キャンペーンを繰り広げている。まあ、その数字は確かに3倍なのであるが、いつものように喫煙者としての居直りを抜きにして、一言のべさせていただきます。『41000人を調査』と麗々しく述べられているが、実際は、『たった326人の心臓病発症者』から計算した数字でございますね、この数字は。喫煙以外の細かいデータなど何も明らかでない326件の例から抽出した数字を『大規模調査データ』扱いし、『
たばこを吸う人は吸わない人に比べ、心筋梗塞(こうそく)などの心臓病にかかる率が3倍程度高いことが厚生労働省研究班の大規模調査で分かった。』と表現するという行為は、詐欺とは言えないまでも、明らかに誇大広告ですので、そこんとこ、よろしく。
 そんなこんなで、ほんとに本気で禁煙したくなる『科学的データ』は、今のところ私には確認できておりません。煙草やらない親戚知人も、ぷかぷか仲間も、自分の周囲ではほぼ同数先立ってるし。むしろ明らかに酒で死んだほうが、多かったりしますね。酒で殺した人間はさすがに親戚知人にはいないが、世間では日々せっせとやり続けておりますね。私もケムを吸いたくない方の前や禁煙表示のあるところでは絶対吸わないようにしておりますので、飲酒撲滅キャンペーンやノー・アイドリング運動とかのほうも、よろしく血眼でお願いします。個人的にはそっちも『個人の良識』にお任せしたいのだが、禁煙のみ『良識』扱いされつつあるのは、明らかに不公平。


04月10日 月  三寒四温

 などという言葉は、このあたりだと本来三月あたりに終わっていてしかるべき気候なのだが、今年はしぶといようだ。毛布がいるのかいらないのかなんだかよくわからない日々で、また扁桃腺が腫れだした。微熱段階に留まれば自然治癒待ち、上がり始めたらまた涙をのんで医者に行かねばなるまい。近頃は初診料がばかにならんのよなあ。脛の貨幣状湿疹も、今年はなかなか痒みが消えない。いつもなら三月末には治まるのよなあ、ぶつぶつぶつ……ただの老化か?
 趣味の打鍵物はなんかひとつ過去のリライト物件を某所あてに投函し、ぼちぼちこの前夢から着想した中世というかギリシャ神話的異世界物短編などを打ち始めたりしていると、いきなり「わーい、さんかんしおんさんかんしおん」と喜びながらたかちゃんが花見にくりだそうとしており、さっぱわやや。正月前後に着想した裏たかちゃん物件も、ぼちぼち細部の構想を固めたりしてはいるのだが、どうやら膨らみすぎてまんまでやると7・800枚になりそうなネタと化しつつある。中断中(?)の『蝶の峪』同様、専業でもないとなかなか踏ん切りがつかない。そんなネタは、このウン十年、いくつかあるんですけどね。まあ自分だけは頭の中で反芻し楽しんでいるから、そのまんま橋の下でも楽しんでいればいいのだろうが。
 今はやっぱり、たかちゃんたちがかわいい。もはやお筆先に近い存在だ。


04月09日 日  めしと哀愁

 また性懲りもなく『あらすじ』を打っていると、気が滅入る。どうせまた黙殺されるんだろうよ、などと思いつつ、それでも打つのだから、けして鬱でもないのだろう。しかしストレスが溜まる。ストレスが溜まると美味い物を飲食したくなるが、金はない。そこで、こーゆー情報を参考にする。どうも2チャンのアーカイブらしいのだが、単身者、特にビンボな男性には有難い。ああ、外国の豚さんの肉丼が、うまい。
 缶ビール飲みながら、ケーブルで録画した『劇場版パトレイバー2』を観る。これこそが現代日本のリアルな戦争映画ではないのか。伊東和典脚本・押井守監督作品の中でも、最高傑作と言っていいだろう。熱い感動など無縁、しかしなんとも切実な情感が秀逸。


04月08日 土  茂吉の古酒

 図書館で借りた新潮カセットの『斉藤茂吉秀歌』を、テキスト片手に聴いていたら、もはや人生なんてどうでもよくなるくらい酩酊してしまった。ああ、日本人に生まれて良かった良かった。なにせ膨大な歌からの抜粋ゆえ、我が愛する『ものみなの饐《す》ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ』が入っていないのが少々残念だが、息子さんの北杜夫氏の編集ポリシーにもよるので、仕方がない。しかし、さらに愛しい『水のべの花の小花の散りどころ盲目《めしひ》になりて抱《いだ》かれて呉れよ』は、ちゃんと入っている。朗読の高橋昌也さんの声が、またいいんだこれが。高校時代あたりに一時啄木やら寺山修司やら近代短歌も読みふけったが、今にして思えばいずれも青春内向派の内に終わってしまい、歌のために状況を小説なみに創ってしまう自意識というか外連味が勝って、それもまたとても若々しく酔えるものの、やはり我が郷土出身の巨人・茂吉の、地道な、しかしけっこう悲哀に満ちた人生と共に『広がっていく深さ』にはかなわない。
 
このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜《あまよ》かりがね――終戦前後、60代の歌である。
 
茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠《とほ》のこがらし――最晩年の作である。

 ころりと変わって、面白バトン。今回はたかちゃんがお答えします。

01.ガケから落ちそうな牛乳キャップと、セロハンテープ。どっちを助けよう?
  たかちゃん、ぎゅーにゅー、すきなの。せろはんてーぷ、おててにぐるぐるくっつくから、きらい。

02.手紙を出しに行ったらポストに「このポスト危険」という張り紙がしてあった。
  ……かみつく? だったら、くにこちゃんに、たいじしてもらうの。

03.アンパンマンの顔が新しいヤツに変えられた後、前の顔はどうなる(またはどこへいく)んだろう。
  たべたい。

04.こんちちは
  どんぱぱぱ。

05.これを持ってるとお金が貯まると言われ、人形を手渡された。
  ぶたさんのちょきんばこに、ならべるよ。んでもって、よなかにこっそり、みはるの。

06.ナルトのぐるぐる渦巻きって、何の為にあるんだろ?
  うーんとね、おはしにはさんでね、ぐるぐるしてね、めがまわって、おもしろいよ。

07.輪ゴムを思いっきり引っ張ってちぎる根性と勇気はある?
  やだ。でも、くにこちゃんは、ときどき、やってるよ。

08.ひたすら叫べ
  どどんぱどどんぱどどんぱどどんぱっ!! きゃははははははは!!

09.黒板って可愛いよね?
  たかちゃん、こくばんけしさんのほうが、かわいーの。ぽふぽふ、って。

10.「穴があったら入りたい」と思っていたら実際に穴があった。
  このまえはいってみたら、たぬきさんが、ねむってた。

11.朝起きたら顔だけヨン様になっていた!!
  たかちゃん、よん様、あんましすきくないの。ごー様のほうが、すきなの。
  ♪きみたちおんなのこっ ごーごー♪ ……って、ほんとにあたし、いくつやねん。

12.今のアナタより幸せなマリモに生まれ変わらせてあげると言われた。
  たかちゃん、いまでも、シヤワセだよ。
  でね、でね、このまえ、ママとパパと、さんしゃいんすいぞくかんに行ったらね、
  まりもさんはね、あかんこに、かえりたいんだって。そーゆってたよ。
  だからね、まりもさん、シヤワセにしてあげてほしーの。

13.ネクストランナーは5人! 回してくれる? (※必ずYESと答えなさい)
  ……ね、ねくすと? か、かならず……うーんと、えーの……。ぶー。たかちゃん、わかんない。


04月07日 金  声の大きい奴の勝ち?

 というか、要は目立った者・ウケた者が勝つ、という事ですね。
 『
テレビドラマの優れた脚本を対象とする第24回向田邦子賞が5日、都内で発表され、日本テレビ「女王の教室」(昨年7月放送、主演天海祐希)を手掛けた遊川和彦氏(50)が選ばれた。三谷幸喜、宮藤官九郎両氏をおさえての受賞に「感謝のひと言です」と喜んだ。成績順に児童への扱いを変える冷血女性教師を描き、苦情殺到の問題作として話題になった。遊川氏は「ケンカを売る覚悟で書いていたので、途中で主人公をいい人にしようとは思わなかった。嵐のような苦情電話にしめしめと思った」。俳優主導で、小説や漫画の原作に頼るドラマ界にも疑問を投げかけ「だから視聴者から『連ドラなんてこんなもん』とナメられる。視聴者をこっちに向かせるには横っ面をひっぱたくしかねえなという無謀な賭けだったが、こちらに信念があれば大丈夫だと思っていた」とも。選考委員の市川森一氏、池端俊作氏らは「オリジナリティーあふれる視点で学園ドラマに新しい光を与えた」と絶賛した。7月にはTBSで田村正和主演のドラマ、来年1月には日本テレビで再び天海祐希とのコメディードラマが決まっている。「ずっと天海さんとコメディーがやりたかった。男を追いかけても報われない女、という演歌の世界観を描く」と構想を語った。(日刊スポーツ) 4月6日9時58分更新』。……盗作問題は、どうなったんだろう。まあ基本設定段階のパクリのみで個々のドラマはオリジナルだとしても、「だから視聴者から『連ドラなんてこんなもん』とナメられる。視聴者をこっちに向かせるには横っ面をひっぱたくしかねえなという無謀な賭けだったが、こちらに信念があれば大丈夫だと思っていた」って、そこそのものがパクった基本設定でしょうよ、あなた。きっと顔の皮が数センチの防弾仕様なのだろうなあ。まあパクリも昔から創作上の定番手法ではある。しかし、ドラマの主人公の現代日本女教師を別の創作物の現代日本女教師から趣向の細部を含めて着想したというのは、普通、『原案として使用させていただいた』と明記するべきだと思うぞ。
 などと偉そうに言う以上、自分の打鍵物などにも、一昨年から自分の思い当たる『影響を受けたもの』『パロ元』は、作中であからさまに『パロであること』が解るように表現するか、あるいは注として明記するようにしている。声の大小・社会性の広狭に関わらず、ネットはすでに公共の場所なわけだし。でも、ほんとは版権の切れていない物件は、たとえ明記しても、ほんの一部引用でもマズいそうですね。そのうち道で鼻歌をうなるのも禁止になるのか。で、人気の売れっ子は居直り可、と。
 また一方で、ネット華やかなりし昨今、種々のパクリ指摘で出版社や作家・漫画家が負けを認めるケースの『目立ち具合』に憧れてか、けしてトレースではない参考程度の物件を、鵜の目鷹の目でいやらしく追求するページも目立つ。それをやっている方々もまた、成功した先達の手法を、見事に『パクって』いるから情けない。
 書くことも描くことも読むことも観ることも、バイブやシリコン・ホールではなく、アレとアレのこすり合いでいきたいものである。ただしバーチャル物件とはいえ病気が移ると困るので、きちんと精神的ゴムつけて。


04月06日 木  狸の散髪→うれしいような→こわいような

 数ヶ月ぶりで、1890円の床屋に行く。カットのみ980円の店だと、980円ぶんの仕事はしてくれるのだが、それはやはり1000円でお釣りの来るギリギリの仕事である。1890円の店なら、洗髪も顔剃りもしてくれ、個人経営の3800円の床屋に近いくつろぎとリフレッシュ感が得られる。年に2回くらいは贅沢していいだろう。

 
 帰宅後パソのメールをチェックすると、こんな物が届いていた。昨年まではパソの住人・ペルソナ・ウェアの春菜嬢が起動時に正装で祝ってくれたのだが、今は小銭惜しさに更新を止めてしまったので、これがなかったら何日か気づかずにいただろう。数年前一度登録したら、何も買い物しなくとも毎年送ってくれる。最初の頃は、ムーミン一家のネクタイやら嬉々として注文していたが、ここ5年ほどはたまに覗きに行くだけだ。すっかりマーケット主体になってしまい、ちょっと悲しい。

 ころりと話変わって、例のドキュメント北朝鮮を三回分まとめてDVD−Rに焼こうとしたら、なんと途中で2回も機械がフリーズした。金さん一家の悪口を言った粛正だろうか。近頃はメディアが安いからいいようなものの、3年前だったら首領様に泣いて許しを乞うてしまうところである。


04月05日 水  たれ、のち、ろり

 何ヶ月か前に冷食4割引で買っておいた担々麺を午後湯がいて食ったら、なんだか頭に吐き気が襲ってきて、かなりたれる。どうも自分の吐き気は、近頃胃袋ではなく頭に来る。やはり脳味噌が痛んでいるのだろうか。担々麺のほうはカチカチの冷凍ゆえ傷んでいたとも思われないが、あるいは運搬中に一度溶けていたのかもしれない。それとも、大昔新宿にいた頃、特定の店の餃子を食うと必ず嘔吐が襲ったりしていたから、中華料理のなんらかの成分と、相性が悪いのか。
 それでも、夜間『歴史はその時動いた』の白洲次郎の話など観る頃には、白洲パワーの助力もあってか、なんとか回復する。パワーと言うより、頑固で痛快な美学ですね。正統派冒険小説の主人公のようだ。妙な悲壮感や湿り気がなく、一貫した正論というか平衡感覚そのものが頑固で痛快なのである。なんとなく、また景山民夫さんの『虎口からの脱出』を読み返したくなる。思えばあの主人公は、映画化するなら白州氏のビジュアルなどぴったりだ。生きた時代も(片方は架空の人物だが)10年くらいの違いだろうし、吉田茂との絡みなども、しっくりくる。もしや景山さんの脳裏にも、白州氏のイメージが多少あったのではないか。資料調べの段階で、当然知っていただろうし。
 風呂から上がって『虎口からの脱出』を探すも、どこに紛れ込んだか発見できない。代わりに脈絡もなく時代背景が同じ戦前のろりに走りたくなり、大昔の愛読書、獅子文六氏の『悦ちゃん』を引っ張り出す。で、ぬくぬくと読み始めたわけであるが――おうおう、小学校の図書館や大学のレポート用で読んだ時の記憶よりもさらに新鮮、これもまた見事な大人の大衆文学なのであった。一時困窮して売り食いに走るシークェンス等、切実ながらけして暗くはないその日暮らしの庶民感覚も、現在の自分には、他人事とは思われない。また俗物たちのもっともらしい立て前や、それに右往左往する大人たちにはおかまいなく、ろりらしい本能でかけまわる悦ちゃんは、やはり痛快。
 しかし当時は、ビンボな子供はやっぱり都会の小学生でも『食うために』働いてたんですね。納豆、タワシ、封筒、シャボン、新聞、そんな販売例が出ている。大卒でも半数は職がなかったそうだから、それが時代なのか。悦ちゃんは中野の駅前で木箱ひとつ鈴ふたつを元手に夕刊売り。しかしちっとも悲愴さなどない。まあエンタメ小説のことだから、じきに少女レコード歌手としてブレイクしたりするのだが。当時一般的な都会の10歳のろりと言う奴は、たぶん現在にすれば肉体的・精神的には8歳程度、しかし社会感覚は12歳以上と思える。ただしセクシュアルな感覚・知識は、特殊な環境の子供を除いてやはり8歳程度か。ああ、いいバランスだ。


04月04日 火  きゅうくつ狸

 昨日購入したのがすでに夜間だったので、裾上げは今日の仕上がりである。午後に起きて取りに行き、その後風呂に入るまで慣らしのためはき続ける。さすがに買ったばかりだと、ストレッチ加工でも、まだきつい。それほど腹がでかいのである。ならば腹を縮める努力をすればいいのだが、当節の日本、狸タイプの中年は、太るより痩せる方が金も努力も暇も要る。

 録りためていた北朝鮮のドキュメント、本日放送を含め3回分、通しで観る。とても興味深い。歴史の隙間を要領よくくぐり抜ければ、実にまあ賤しい我欲で国家すら独占できるのだ。しかしその国の民衆の方々にはつくづく同情しつつ、畢竟その我欲が虐げられる側にもあればこそその体制に従うしかないのであって、言わば『保身国家』ですね。要は張本人があまりにも心身ともに俗物であったため、『民意の象徴』たり得てしまったのである。本来なら、大昔の最低限自給自足できる集落でもなければ有り得ない政治体系が、大国家単位で仕上がってしまったのだ。他山の石と言うには、あまりに痛い。やはりビンボでも太っていられるこの国は、すでに極楽だ。そしてその極楽にもまだ不満なほど、あるいはマヒしてしまうほど、人間の賤しい我欲には限りがない。

 『そよ風の中でつかまえて』を読んでいただいたお若い方(たぶん)より、久々にご感想・ご指摘などメールをいただく。基本的には充分楽しんでいただけたらしい。これは他山の石どころか、窓から万札を放りこんでもらったように嬉しい。気分が良くなったところで、徒然にバトンなど。

1. 実家? 独り暮らし?
  ウン10年、ひとりぼっちなの。でも、負けないの。
2.部屋に写真はありますか?
  飾ってないけど、悲しい過去の映像だけは、しこたま残ってるの。未練なのねえ。
3.壁に何かかかってる?
  本棚やなんかいろいろいかがわしいものの段ボール箱で、壁、ほとんど露出してないの。
4.ぬいぐるみはいますか?
  たれぱんださんと、おっきいキティーちゃんと、ちっこいキティーちゃんたちがいるの。
5.まんがはありますか?
  地震がくると、圧死するほどあるの。
  けがれなきいたいけなのから、けがらわしいいけないのまで、なんでもあるの。
6.部屋にある機械は?
  地震がくると、床が抜けるほどあるの。
7.部屋で、これだけは人に……。
  部屋そのものが、ヤバイの。でも、鼓笛隊ルックのアリスちゃんとか、みんな、かわいいの。
8.寝るとき、周りに必ず置くものは?
  すでに、枕の周りも漫画や本で、地震がくると――しつこい?
9.バトンタッチ
  部屋そのものがヤバげな人に、くわしく教えてほしいの。


04月03日 月  ジーパンとハマちゃん

 実際はいて外出してみると、股ぐらの穴はよほどかがまない限り目立たないようなのだが、一度経年消耗であいた穴という奴は、これみよがしに無駄に開けた穴とはちがい、加速度的に大きくなるはずだ。帰りに駅前のSCで安いのを物色する。もはやラングラーなど購う余裕はなく、中国製1980円裾上げ不要などという物件に大いに気を惹かれるが、なにせ中年腹なので腹に合わせると裾がハカマになってしまい、長さも中途半端なものしか見つからない。結局ストレッチ加工で裾上げも別料金のはきやすそうな物を、計2800円で購入。まあまた2年ははき続けるのだから、820円の差は我慢しよう。

 夜は今日に限ってなにやらTVが面白そうなものを一気に放送しており、地震物や懐メロにも大いに気を惹かれたが、結局昨夜もやっていた北朝鮮ドキュメントの続きを録画(後でまとめて観るつもり)、リアルタイムでは『釣りバカ日誌・12』を観ながら飯を食う。あいかわらずマンネリに見せて、ツボもハズシも心得た良作。戯画化した社会性を含め、見事な平衡感覚。『亡国のイージス』のスタッフも、これくらいシナリオを練ってくれればなあ。
 ルールというシロモノは、現代の若い方々の多くには、なにか非常に無機質で絶対的な何かであり、疎みながらもそれに沿わねばならぬもの、そんな感覚があるのだろうか。思えば『バトル・ロワイヤル』形式にしても、ネチケットにしても、それらルールそのもののみならず踏み外し方までが見事にルールに縛られて、結果、情動の発露そのものまでルールと相対化した定型に押し込まれている気がする。エンタメ分野にしてからが、近頃のものはその傾向が強い。
 本来スポーツ的『ルール』と言う奴は、限定されたフィールドで人間のとりとめのない感情・行動を明確に数値化するため、最大公約数的に纏めたものであって、そのスポーツを行う上では絶対的な物だろうが、反面、宗教上の『契約』や実生活上の『法律』は、未だ非常に曖昧なザルであって、結局『心』により好き勝手に左右されてしまう。つまり実人生には、『ルール』などない。『心』だけがある。その『心』そのものを描く前提として『ルール』を設定するのは、よほど嘘が上手くないと無理である。天才的詐欺師のみに許される手法だろう。まあ騙されやすい人間だけ狙えばいいのだろうが、それを狙うと、創作上のルールを本気にしまう人間も出てきて、けっこうあぶない。異世界物やファンタジーならまだいいが、一見学問的・社会的な風合いのトンデモを、現実と勘違いする騙されやすい方々も多い。
 自分がエンタメに希望するのは、いかに『ルール』を破壊していくかの過程であって、いかに『ルール』に従って上手く行動するか、ではない。たとえ結末で『ルール』を突破したとしても、その過程が大半狭い『ルール』の中で動いていると、全体を通してのカタルシスは得難い。近頃の007シリーズやゴジラなどを観ている途中で、あの喧噪と派手派手演出にもかかわらず、どうしても途中で寝てしまうのは、おそらくその構造ゆえである。『物語原型』や『王道』『お約束』といった『心』の集積を、せせこましい『ルール』と勘違いしているのだ。一方で、昔の007やゴジラ物(『ゴジラの逆襲』を除く)や黒沢作品や寅さんシリーズ(『釣りバカ』も)、アニメで言えば高畑・宮崎・押井作品などは、どんなに教条的であろうが定型であろうが、けして眠くならない。一貫して『心』を追っているからだ。いわば『心』というアナーキズムの集積が、『王道』に凝っているのである。それはけして、せせこましい他律的ルールなどではない。
 あくまで個人的趣味と言ってしまえばそれだけのことなのだけれど、映画『亡国のイージス』を『沈黙の戦艦』と比較し「パクリ」などと言ったりする見当違いな方々には、ぜひアリステア・マクリーンの『黄金のランデブー』(原作)を読んでいただきたいものである。


04月02日 日  また今日もありがたくごはんをいただきながら徒然に

 まあ「殺しやすい相手を楽に殺したい」のと「殺しても可」を混同した時点ですでに狂人なのだけれど、被リストラ中年で、もと何かの店長と聞いたのでもう少し調べてみようと思ったら、どうも自発的欠勤の連続から辞職に追い込まれたらしい。例の痛ましい投げ落とし殺人の男である。これは、リストラではないですね。その処遇がリストラなら、辞表を書いて誰にも止めてもらえなかった自分なども、立派に「リストラされたよ!」と吹きまくって被害者面していいはずである。まあ「辞めろと言わんばかりの人事」などというリストラ手法もこの世には数多いが、辞めるか辞めないかは結句自分の心ひとつだ。「自殺願望があった」などとも発言したと聞くが、自殺願望はほぼ鬱病(あくまで物理的病因のある疾病)に由来するもので、赤の他人を殺そうなどという積極性が消失したからこそ、最も矮小な自分を消してしまうのである。誰か道連れを求めた段階で、それは「自殺願望」などではなく、積極的悪意だ。ヤケのヤンパチ、という奴ですね。信じて付いて行った無邪気な子供の存在を、あくまで自分よりも弱者と規定してしまう事自体が、唾棄すべき歪んだ自尊心の肥大化に他ならない。それは集団自殺を画策する方々や無理心中を企てる方々と同じで、「自分は無力」であることにすら他人の道連れを必要としてしまう、鼻持ちならないとんでもねー思い上がりに過ぎない。

 さて、自主リストラおっさんとしては、その犯人などもうさっさと吊すか15階から投げ落としてケリをつけて欲しいが、どっちにしてもその男の子は生き返ってこない。うじうじ内向しているとこっちが鬱に落ち込んでしまうので、また青梅でもぶらついてたかちゃん方向に逃げようかなあ、と思いながら録画物件を観ていると、昨夜放送された旅番組で、『東京から1時間で行ける温泉』などという特集をやっており、現住所からそう遠くない船橋や、昔から好きな上野・根津・谷中界隈や、遠い昔に初めて店長をやらせてもらった群馬の藤岡などにも、けっこうよさげな温泉旅館があるのを知る。しかし、安くない。それでも宿泊にこだわらなければ、なんと池袋から片道1600円、所要時間1時間程度で、藤岡行きのバスが出ていると知る。JRより、遙かに安くて早い。臨時収入が残っているうちにいっぺん再訪し、ついでに高崎のあの美味な『上州舞茸弁当』を食ったり、前橋駅前でカリカリのソースかつ丼(まだその店があればだが)を食ったりしようか。

 しかし奥に入ればまだまだのどかな山里的藤岡近辺も、駅前などはすっかり小綺麗になってしまったようだ。自分が赴任した頃は、まだ日航機御巣鷹山墜落の記憶も新しい頃で、前年のその時にマスコミ取材陣によって店のフィルムの在庫がカラになったとか、遺体収容所に使用された体育館がらみの不気味な話(あとで稲川淳二さんも『関係者から聞いた話』としてやっていた)とか、豪雨の夜にタクシーの運ちゃんから聞いた慰霊碑がらみの不思議な話(これはまさにその夜の限定体験談だったので、類話は広まっていない。お化けは直接出ない、地味で悲しい話だから、広まらないのだろう)とか、種々の思い出がある。
 その頃は駅も木造なら駅前のトイレも木造汲み取り男女兼用という田舎ぶりで、赴任した頃男の落書きがたまに見られるだけだった大の個室の板壁には、まもなくなぜか女の子の丸文字の悪戯書きがひしめき始めた。BUCK−TICK(初期ビジュアル系っぽいロック・バンドですね。今でも元気)のメンバーが全員藤岡高校出身者だったため、わざわざその出生地を訪ねてきたファンたちが、「ATSUSHI、おうちみてきたよ! はあと」などと、記念に落書きしていくのである。しかし、汲み取り便所の壁に書かれては、ATSUSHI君もHISASHI君も、あんまり嬉しくなかったのでは。自分はそのメンバーのどなたかの御実家だという煙草屋で、毎日煙草買ってました。ちなみに氷室京介さんも、同じ高校の先輩だったそうである。


04月01日 土  亡国のジーンズ

 今さらながら、DVDで『亡国のイージス』を観る。原作は読んでいないので、人間関係把握に苦労した。そのこと自体がすでにシナリオの致命的欠陥なのだが、その欠陥は情動操作においても顕著で、泣かせのための感情移入要因を、ほとんど『泣かせのシーン』の後で提示するという手法。おいおい、「ああ、そうだったのか!」は、主に知的カタルシスとして使うか、あるいは情動的カタルシスとして使うなら、ダメ押しの大泣かせで使わないと意味がないだろう。セルジオ・レオーネの情動的回想インサート手法など、ライターさんたちは観たことがなかったのか。しかし、それらの失敗がなく一直線キャラとして描かれた真田広之さん演じる先任伍長だけは惚れ惚れと言って良く、他の大言壮語風悲愴幹部や表層的に流れてしまった某国テロ集団などの説得力不足もあって、なおのこと「理屈や立て前は良く解らんけど、俺はしっかり仲間と仕事やって、なるべく殺したり殺されたりしないで、しっかり妻子養って行くんよ」といったオヤジの矜持こそが社会の要、そんな構図が結果的に際立ったのは、怪我の功名。これだけの話を2時間以内に収めるなら、本来そっちに主眼を据えるべきで、あの錯綜した幹部やテロリストや工作員や政府首脳たちをあえて生かしたいなら、最低2時間40分かけて巧みに過去のしがらみを織り込まねば無理だろう。
 直接関係ないが、ついに2年間はき続けたジーンズの股の内側が擦り切れて、穴が開き始めてしまった。若い女性などなら、それをはいて階段など上ったり屈みこんだりすれば、大いに世の男性を楽しませることができるだろうが、中年男では、ムサくてオヤジ狩りに遭いかねまい。涙を飲んで新しいのを買わなければならない。しかし近頃巷に見かける、通常の経年劣化では絶対に穴の開かない部分をこれ見よがしに初めから傷ませ穴まで開けたジーンズという奴は、つくづく滅入る。それこそ映画の実直高卒オヤジ先任伍長的矜持とは対極にあるものであり、どこかからのミサイルで吹き飛ばされても文句は言えまい。そこまでして自分の力と心を出し惜しむか。店によっては、『ブロークンデニム』などと、たわけた誤表記までしている。きっとラングラーも泣いているぞ。穴が開くのは使った結果であり、もったいなくて悲しい事なのだ。膝や肘なら継ぎを当てるという手もあるが、股の内側だと男の場合、あそこがゴワゴワして――ありゃ、女性でもゴワゴワするか。