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01月31日 水  初心表明


           

           

 いや、なんかいろいろ荒んでくると、原点を忘れがちになるので。


01月30日 火  そこまでやるか

 『埼玉県鳩ヶ谷市の無職男(20)が、埼玉県警武南署に未成年者略取容疑などで逮捕されるまで、戸籍がなかったことが30日わかった。両親が「戸籍を取っても、学校に行かせる金がない」などと出生届を出していなかったためといい、男は義務教育を受けずに成長した。男は逮捕後の2006年10月、戸籍を取得したが、法務省は「聞いたことがない事案」と話している。同署によると、男は06年6月25日、鳩ヶ谷市の路上で、女児(当時4歳)に声を掛けて、スーパーのトイレに連れ込み、下着を脱がせて盗んだなどとして、同10月、未成年者略取と窃盗容疑などで逮捕された。男は現在、公判中。男は、同署の取り調べの際、名前や住所、生年月日は答えた。しかし、戸籍の所在地は知らなかったため、同署が母親に確認すると、戸籍がないことが判明した。1月30日15時37分配信 読売新聞』。
 その青年が精神的にも未就学児童なみだったから、その行為に走ってしまったのかどうかは、未確認なので判らないが――いやはや可能なのだなあ、過疎村でもない街中で、こうして戸籍のない人間を20年育て続けることが。
 ウスラ親さえ目をつぶれば、ウスラ子供が女子高生を長期監禁するのも女子小学生を家畜化して育てるのも可能、すでにそんな世の中であるのはだいぶ前から判ってしまっていたわけだが、考えてみればそれ以前に、そのウスラ親を看過してしまうその周囲も充分『なんでもあり』状にウスラなのであり、「給食費なんて払いたくないから払わない」も、「学費なんて払いたくないから初めからこの子はいないことにしよう」も、本質的には大差ないわけである。で、結局、その責任は最終的に、無事『行方不明』になって行くのだろうなあ。
 ともあれ、創作物に『当然のごとく給食費を踏み倒す親』を頻出させないとかえって不自然な社会がすでに到来しているだけでなく、『戸籍のない謎キャラ』をストンといきなり出しても、なんら不自然ではない社会になったのも確かだ。こうして世間は、着々と社会派からスラップスティックにヌケてゆくのか。
 世の中、『なせばなる』と『なせてもなさない』が、ほぼ同じくらい要ると思うのだが、どうか。


01月29日 月  水冷だぬき

 昨夜寝る前にまた熱が上がってきたので、「ああやっぱり、なんか、もうどーでもいーや」と彼岸と此岸を行きつ戻りつしていると、明け方にいきなり汗まみれで目覚める。気温も湿度も立派に冬なのだが、蒲団をはいでも暑くてたまらない。とにかく下着を替えるついでにしばらく裸で汗をしずめ、また寝て朝になったら、熱は37度を割っていた。狸の体は単純な水冷式らしい。目覚めてふと、「あれ、これってなんか、『地竜』?」と思った。
 以前も書いたと思うが、昔、狸が医者に行く暇のない時などよく利用した薬に、漢方の『地竜』がある。その正体を『みみず』と書いてしまうと売れなくなるからか、あくまで『地竜』エキスとして、あるいは他の漢方系感冒薬と調合して売られているようだ。なかなか強力な解熱作用(消炎鎮痛作用も)があるので、37度台程度の微熱にはかえってむかない。その程度なら、ルルでも飲んで早寝したほうが無難だろう。もう夜中で医者はやってないが、38度を突破してしまった、このままだと39度になっちゃうのではないか、そんな時に服用する。独身者の場合、枕元に替えの下着を用意しておくのが吉。で、寝汗が滝のように出て、熱も毒素も流し出してしまう――そんな算段。スタミナも大量に流し出すので、事後のケアにもちょっと気を使う要がある。
 しかし今回は、医者にもらった薬しか飲んでおらず、その中に抗生物質はあるが、解熱剤は含まれていない。まあ助力を頼んだのが抗生物質でもミミズでも、最終的に細菌となんかいろいろするのは確か自前の白血球連中だから、「まあこのまんまおっさんゴロゴロ寝かしといてそれっきりになってもツマランから、いっちょ、カツ入れてやんべ」、ようやくそんな合意に達してくれたのかもしれない。
 食欲も戻り、久々に食った松屋の牛焼肉定食(フンパツして肉ダブル)が、大変美味だった。


01月28日 日  みれんだぬき

 熱はなんとか38度を割ったが、飯の味はまだ戻らない。明日も世間並みの時間には活動開始しなければならないので、体力を温存するため主に寝床でのたくっているのだが、過去に収集した朗読音源を昨日から延々と聴き続けていると、「ああ、なんか、もうどーでもいーや」などと、そのまんま彼岸に渡ってしまっても無問題のような気がしてしまう。
 といって、そればっかりだとさすがに飽きがきて、ふと起き出してパソを立ち上げると、投稿板のデータ破損とやらで、直近の投稿物件がありがたいご感想ごと消えてしまっており、なにせ長編の最終回だからそのまま消えっぱなしというわけにもいかず――結局投稿しなおしたりしている未練な狸。げほげほ。


01月27日 土  たれだぬき

 ああ、やはりもう若くないのだなあ。10年くらい前なら、ドタバタ仕事しながら回復に向かう程度の風邪でも、今回はちょいと世間にもまれただけで、熱が上がる一方。買い置きの薬を飲んでひと晩寝れば下がるかと思いきや、目覚めても38度5分。「風邪みたいなんですけど」といつもの医者に行ったら、「ふつうの風邪でこうはなりません。いつものアレですね」――結局、扁桃腺に行ってしまったのである。まあインフルエンザではなかったから、先日電車でバラまいた心配はない。
 熱があるので、カトキチの冷凍肉うどんの味がよくわからず、とてもくやしい。しかし昨夜寝床で朦朧と聴いた朗読テープ『高野聖』は、実にグッド・トリップだった。


01月26日 金  バテ

 久々に朝7時半に起きてなんかいろいろドタバタせねば、などという日に限って風邪をひいてしまう。インフルエンザでもなく、いつもの扁桃腺でもなさそうなゲホゲホ型で、熱も38に届かないし咳も電車の中で顰蹙をかうほどでは――などという日に限って、電車が亀のようにしか動かない。まあツキという奴は、見放される時は徹底してカケラも残さず見放されたりしがちだから、きっちり満員電車内のすばらしい空気の中で咳をしまくり、盛大に顰蹙をかってしまった。まあマスクはしていたし、流行り風邪でもないのでかんべん。
 しかし、電車亀化の理由が、いつものような『人身事故』でないのは、なにより。これでまたアレによるナニだったりしたら、もはや現在自分自身ソレにナニしたくなってしまいかねない。助けてくれる身内もおり五体満足なこの狸身、たかだか微熱と咳が止まらないくらいでそうそう鬱っていてはいけないのだが、満員電車亀化は、田舎育ちの狸にはなかなか応えるのである。
 ところで例の韓流映画『デイジー』は、本日も数枚全部貸出中である。『日本沈没』などより、よほどレンタル人気は高いようだ。また明日の買い物の時にでも、覗いてみよう。


01月25日 木  死にゆく者の視線

 先週録画しておいたのに、ちょっと辛くて観ていなかった『男はつらいよ・拝啓車寅次郎様』を観る。このあたりになると、もはや寅さんはほとんど『助演』である。あまり動けない渥美さんをどう元気に見せるか、スタッフの苦労が想像できる。それでも『とらや』の茶の間で見せる、いわゆる『寅のアリア』の趣向、今回も短いながらしっかりこなしていた。かたせ梨乃さん演じるマドンナともほとんど絡まず(というか、絡めず?)、終幕近くの見せ場でも満男といっしょにただ遠くから幸せを祈るだけ、そんな構図である。リアル・タイムで観た時には、当然物足りないと思ったが、今となっては逆に感慨深い。死にゆく者の視線として、実にせつなく、また潔いからだ。
 さて、今週はいよいよ最終回。記憶によれば、渥美さんはもはや瀕死に近い。健康色のはずのメーキャップが、まるで死に化粧のようで、当時渥美さんの病状を知らなかった狸でも、ああ、これはもう次はないのではないか、そう予感してしまったほどだった。しかし作品としては、久々に充実したカタルシスがあったとも記憶している。おそらく主演者もスタッフも他のキャストも、明らかに、あるいは意識の底で、個人差はあろうが、これが最後の花火と予感していたのだろう。ありがたく『楽しませて』いただこう。


01月24日 水  告白と沈没

 さて、あえてここには詳しく記していないが(ずいぶん昔から、日記ではなく随想として公開しているので)、実は主要取引先がポシャってから今月にかけて、7社訪問して7社とも断られている。今日も1社からボツの電話を受けた。ことほどさように、中高年の再就職は難しい。それでもかつかつ生きているのは、正直、売り食いと、身内に頼っているのである。現在の自分の収入は、家賃に毛が生えたくらいしかない。よくまあこんな身分でのほほんとたかちゃんと遊んだりしているもんだと自分でも呆れてしまうかというと実はそうでもなく、空いた時間に頭を抱えて悩んでいるよりは、その時間をわずかな方々とともに『楽しむ』時間に変換したほうがまだまし、そんな気分だからであるというのもあくまで気分の半分くらいで、まあ、たかちゃんたちのほうが「書いて書いて」と出てきてしまうのである。といって死ぬまでこのままというわけには行かないので、『正社員』とか『職種』とかにこだわらず、ただ食うために生きる覚悟をそろそろ定めなければいけないのだろうなあ。よい子のみなさんは、絶対こーゆー大人の真似をしてはいけません。

 で、いけないけないと言いつつ、駅前のツタヤで以前ゅぇ様に聞いた『デイジー』を探したら貸出中だったので、『日本沈没』(新しい方)を借りてきて、途中で寝てしまうわ、結局日本沈没しないわ、そのわりに(それだからこそ?)徹頭徹尾盛り上がらないわ、よくまーこんなシナリオで撮影開始OKするもんだ制作者と感心してしまうわ、樋口監督お願いですから特撮とアニメの絵コンテでおたくをまっとうしてくださいあなたには致命的に『人間演出』『物語構造構築』の素養が欠けているのですと泣いてお願いしたくなるわ――よいおたくのみなさん、絶対あーゆーおたくの道を踏み外した創作行為に走ってはいけません。


01月23日 火  小言幸兵衞のうなずき

 今どきテレビのバラエティーなんて信用するほうがどうかしてるぞの納豆騒ぎやら、よくまああの方を選ぶなあ物珍しきゃなんでもいいのかなあ知事選やら、せめて情況証拠だけでも固めてから心中か他殺か決めてくれよ長野県警やら、公共の公園を自分の法的住所にしてどーすんのよ人権問題以前に甘えんなよホームレスさんやら、あいかわらず日がなブツクサの種の絶えない今日この頃だが、正気なニュースもちゃんとある。
 『
[北京 22日 ロイター] 中国で女性からバッグを奪い取ったひったくりが、被害女性から送られてきた携帯電話のメッセージに感動してバッグを返すという事件があった。新華社が22日に報じた。それによると、自転車で帰宅途中だった山東省の教師Pan Aiyingさんは19日、オートバイに乗った男に携帯電話や現金4900元(約7万7000円)、銀行のカードなどが入ったバッグをひったくられた。Panさんは最初は警察に届け出ようとしたものの、ひったくりの若い男を説得してバッグを取り戻そうとを決意。同僚の携帯電話を使い、盗まれた自分の携帯電話にメッセージを送ることにした。最初のメッセージは「教師をしているPan Aiyingといいます。つらい時期を過ごしているのでしょう。もしそうなら、私はあなたを責めません」というもの。その後「本当に必要なら4900元はあなたにあげます。でも他の物は返して下さい。過ちは人の常です。自分の過ちを正すことが何よりも大事です」などと合計21通のメッセージを書いた。返事は一回も来なかったが、21日の朝になって自宅の中庭に盗まれたバッグが置いてあるのを発見。バックの中身はそのままになっていたほか、「Panさんへ。ごめんなさい、間違いを犯しました。許してください」などと書かれた手紙が入っていたという。最終更新:1月23日17時51分』。
 21回メールを打つPanさんの心根が、そして犯人の本心が那辺にあったかにかかわらず、まあ、社会的に生きるということは、そーゆーことなのではないか。全宇宙的な事象の根源は知らず、ともあれ人為はすべて相対なのである。


01月22日 月  恋人バトン(?)


【1】今付き合ってる恋人はいますか?


いますが、よほどのことがないと口をきいてくれません。

【2】その恋人とは付き合ってどのくらい経ちますか?

4年くらいでしょうか。

【3】この恋人と付き合ったキッカケは?

前の恋人が老衰でお亡くなりになったので。

【4】この恋人以外に過去にどれくらい恋人いました?

ひとり。

【5】一番長く続いた恋人とはどれくらいでした?

だから前のひとりで、6年おつきあいしました。

【6】逆に一番短かった恋人とはどのくらい?

ふたりめがまだお亡くなりになっていないので、不明。

【7】恋人を色で例えると?

代々、おもしろくもなんともないブルー。

【8】恋人との思い出があればどうぞ!

正直言って、在職中は昼夜問わず仕事の話ばかりだし、プーの時期やフリーターの現在はほとんど口をきいてくれない。きっと正社員じゃないと相手にしてくれないタイプなのだ。

【9】浮気願望はある?
 
ひとりでも、もてあましております。

【10】今の恋人に一言

ほとんど引きこもりでごめん。

 ……えーと、ゅぇ様から渡された、『ケイタイを恋人にたとえて答えるバトン』でした。引きこもりがちの中年フリーター(身辺に知人なし)がやると、あんまし盛り上がらなくてすみません。
 実際は5年前にお亡くなりになった前の恋人のほうが、波瀾万丈でした。仕事上のアレコレに加え、たとえば休みの夜にパートさんから「利息払えなくて、街金の事務所に軟禁されてます。お金貸してください。ここは東京駅八重洲口の――」。おいおい、私ゃ出張闇金か。


01月21日 日  天ぷらの少数派(?)

 久々に図書館に行き、坂口祐三郎さんの『赤影・愛と復讐』や、薩摩剣八郎さんの『俺は俳優だ』といったおたく系俳優本と、精神バランスを保つため、今西錦司氏編の『大興安嶺探検』も借りる。精神バランスなどと言いつつ、今となってはみなさん偉い古参学者さんである方々が、昭和17年(1942)の若き日々(大半まだ学生だったらしい)に敢行した学術探検などは、ある意味行動系おたくの究極の様と言ってもいいだろう。当時のように『だいこうあんれい』と読んでも、狸が子供の頃教わった『だいしんあんりん』と読んでも、現在の中国を尊重して『ターシンアンリン』だか『ターヒンガンリン』だかよくわからない名前で読んでも(たとえば甘木様あたりは、正確な発音を知らないだろうか)、とにかくあの旧満州北部に連なる大山脈は、なんじゃやらロマンをかき立ててくれる。まして当時は関東軍の手も届かない僻地だ。

 で、いきなりワカメのかき揚げの話である。図書館近くのダイエーで、これまで見かけなかったその総菜を見つけた。今までスーパーや総菜屋ではほとんど見かけず、独り身ゆえ自分で天ぷらを揚げることも皆無なので、自分の脳裏からもほとんど忘れ去られていたのだが、子供時代、我が家の食卓にしばしば乗ったかき揚げである。懐かしさにふたつ購入して蕎麦と食ったら、これがたいへん美味しい。定番化してくれればいいのだが。なんで西友や長崎屋では売らないのだろう。
 もうひとつ、これは昔の我が家以外で一度もみたことのない、天ぷらを思い出した。スルメの天ぷらである。
 今どきの柔らかい一夜干しの『スルメイカの天ぷら』ではない。内陸部の田舎に住んでいたのと、大昔の我が家はけして豊かではなかったせいで(ようやく中流化したのは狸が小学校に入ってからか。まあ、日本中そんなもんだと思うけれど)、幼少時の自分がイカという生物を全てスルメ状のカチカチの奴だと思っていたのは、以前にも記した気がする。で、そのカチカチのスルメを、ひと晩水でもどす。その出汁の水で、小麦粉を溶く。で、多少柔らかくなったがまだまだ固いスルメを適宜切り分け、その衣で揚げる――それだけである。これが、とても美味しい。天つゆや大根おろしでなく、なぜか生醤油だけで食うと、なおうまい。日常的に肉や刺身の食える時代になってからも、母が元気な内は、時々送ってもらったりした。飯にもビールにも最高なのである。……ぐびり。
 どこかにないかと思って、今検索してみたら、会津の名物にあるらしい。あ、身欠き鰊の天ぷらもある。そういえば、あれも好物だったなあ。でも、近頃のはみんな柔らかそうだ。山形には――ありゃ、見当たらないなあ。母はどこで教わったのだろう。


01月20日 土  原作と漫画

 漫画家・浦沢直樹氏がNHKの『プロフェッショナル』でとりあげられており、興味深く録画を観た。作画という職人芸と、物語的なうねりをどう結び付けるかで、ああ、やっぱりあの方も『創作の神を待つ祭祀者』なんだなあ、と、えらく共感した。
 狸は昔、通勤時間がときおり大幅に変わる転勤生活で、青年漫画誌は毎週読んだ時期もあれば、きれいさっぱり読まなかった時期もある。そしてスポーツ少女物もやや苦手だったりするので、実は番組で多く取り上げられた『YAWARA!』や『HAPPY!』は、ほとんど読んでいない。最近の『20世紀少年』や『MONSTER』も、実は読んでいない。『パイナップルARMY』や『MASTERキートン』あたりの連載を毎回楽しみにして、単行本も全巻揃えた読者である。つまり、今となっては浦沢氏と原作者のゴタゴタばかり論じられる、『原作付き』作品群ですね。
 今回のドキュメントでは、当然そこいらのゴタゴタに話題が及びかねない作品群は、NHKらしくきれいさっぱり無いことになっていたのだけれど、今現在浦沢氏のブレーンとして定着している元編集の方と、浦沢氏の共闘ぶりを観るにつけ、おそらく昔から言われている噂、つまり『MASTERキートン』もタイトルにある原作者はネタ提供程度で、実際の展開は浦沢氏とその編集の方が協力してやっていた、そんな噂を信じる気になった。まあいずれにせよ、作画という『最終演出』は、漫画家個人にしかできない。
 世間には様々な原作者の方がおり、またそれと組む漫画家の方も人それぞれだから、原作に沿って几帳面に作画された作品もあればそうでない作品も多かろうが、どっちみち最終的に『世界』を創る漫画家の方が、『物語』の生殺与奪の権を握るのは明らかである。ネタや動作や会話内容といった『情報』だけで世界が組み上がるのなら、この世には文芸も漫画もいらない。あの独裁者的原作者・梶原一騎氏が、『あしたのジョー』のちばてつや氏にだけはストーリーや会話の改変を許したというのも、ちば氏の『世界』にシャッポを脱いだのだろう。
 実は狸も学生時代、五十嵐氏の実質上のプロ・デビューにほんのちょっぴり関わらせていただいた事があり、シナリオ形式の原作をじっくり書いたが、出来た作品は当然99パーセント五十嵐氏のオリジナル作品であった。それでも協力者として小さく名前を出してもらい、かえって恐縮したりもした。小説やシナリオ形式の物語が、まんま漫画になるはずはないのである。思えばあの時、狸は『漫画』というとんでもねーメディアへの参画を完全に諦め、文芸志向に戻った気がする。
 文芸だけならば、自己満足ながら「ああ、いい世界を創った」と思える時もある。しかしあっちの世界だと、番組で浦沢氏が言っていたように、脳と手の直結した主線が引けないかぎり、思い通りの世界は創れない。そして文芸界とはちがい、あっちには手塚治虫というそのメディアの創造主まで、厳然と直近に立ちはだかっているのである。


01月19日 金  まだ生きている

 久方ぶりに、表を更新した。まあちょっと季節に合わせて壁紙を変えたりはしていたのだけれど、事実上、半年ぶりの更新である。『たかちゃんシリーズ』二本立て、合わせて原稿用紙換算500枚弱、いっきに追加――少しずつ細かく追加していくのがネット界の王道らしいのだが、個人的に長編はいっき読みしたいたちなので、自作もなるべくいっきに載せている。まあ投稿板の方のお客様が大半と思われるので、こっちで読まれる方はほとんどいないと推測するが。
 それにつけても、時々気になるのは、ネット界に漂う更新停止ページの群れである。特に、けっこう実力も人気もある方のページが、ある日を境にぱったりと更新が止まり、事情説明もないままそれっきり掲示板もアダルト広告放置で荒野状態――そんなのが、一番気になる。無料スペースでないなら、料金を払わずただ放置すればいずれ削除されてしまうわけだから、その管理人さんの口座は生きているはずで、ならばお亡くなりになったわけでもあるまい。なんだか濃霧の中の幽霊船マリー・セレスト号を見ているようで、そこから不逞の輩がコピペを持ち出し私物化するのも、外野から根本的対策はとれない。
 ちなみにこのページの場合は、狸が死んだらそのふた月後くらいには沈没してしまうはずです。もしこの狸穴の更新さえ予告なく停まり、しばらく後にアクセスも不能になったら、狸はすでにミイラ化あるいはケムリになっている公算が大きいので、お線香の一本もあげてやってくださいね。


01月18日 木  女体《にょたい》

 しかしまたものすごいタイトルだなあと斜に構えつつ、ケーブルで昭和34年(1959)の新東宝映画『海女の化物屋敷』を観る。以前観た『怪談海女幽霊』よりは、花があって面白かった。ドラマ自体は土ワイ的な(それもあまり出来のよくない時の)スリラー・サスペンスなのだが、刑事役の若かりし日の菅原文太さんが実に引き締まった体で格好よく、海女物だけに全編半裸で泳ぎうろつきまくる女性たちが、いかにも当時のどっしりした肢体で、棟方版画の女体《にょたい》といった感じだ。
 つらつら鑑みるに去年のお気に入り『三丁目の夕日』も、堀北真希嬢や薬師丸ひろ子さんのどっしりした重心の低い体型(褒めてます)や、小雪さんのガリガリ体型(あんまし褒めてません)が、いかにも昭和30年代にマッチしていたから、狸世代でも違和感がなかったのかもしれない。昨今日本人の体型が西洋化したと言っても、首から上はスッピンになってしまえばあいかわらずなのだから、妙にくびれたナイス・バディーに扁平なお顔が乗った女性を巷で拝見すると、失礼ながら「ああ、あれでもう少し寸詰まりで腰が太かったらバランスとれるのになあ」と、つくづく惜しんでしまうことが多い。
 まあ、女性を体のみで評価してはいけないのだろうけれど。


01月17日 水  音訳

 なんだ、昨日記した『声の花束』も、青空文庫のリンクにあったのだ。それ以外にも、けっこう音訳に関わるHPは、たくさんあるのですね。さっそく何箇所か覗かせていただいたのですが――ふと、疑問。なんで同じタイトルの人気古典が、あっちこっちに並んでしまうのだろう。
 宮沢賢治、太宰治、夏目漱石――昔から有料物件でも数多く音声化されており、おまけにボランティアでもあちこちで聴ける。まあ聴き比べて楽しむという考え方もあるし、読む方にも「ここは自分なりの読み方で」という自負もあるのだろうが、実際『音訳』というものを趣味としてでなく、あくまで『視覚的に読めない方に音声で伝達する』ための活動としてとらえれば、たとえば有名作家の作品でも、まだ誰にも読まれていないものを選択するほうが、ずっと有意義なのではないか。ボランティアの方にあえてこう言うのは失礼かもしれないが――すでに『お手本』や『参考物件』のある仕事、そんな基準で仕事を選んでいらっしゃる方も多いのではないか。
 まあ、目明きの身で怠惰に音訳物件を漁る自分が何を言う資格もないのだろうけれど、このところCDに焼かせていただいたガーネットさんの音訳にしみじみ聴き入るにつけ、ああ、初めて耳で聴く綺堂作品はなんて新鮮で心にしみるのだろうと、つくづく感謝してしまう狸なのであった。ちなみにガーネットさんも、あちこちで聴ける半七捕物帳シリーズも読んでいらっしゃるのだが、『青蛙堂鬼談』中の作品をいくつも読んでくれているのはガーネットさんくらいしか見当たらず、それはガーネットさんの『オリジナルな表現』に他ならない。


01月16日 火  声の花束

 いいHPを見つけた。朗読ではなく音訳というのは、点字約などと同じ意味合いなのだろう。あくまで文字という視覚情報を声という聴覚情報に変換するのが主眼で、演技や演出は二の次のようだが、プロではないボランティアの方々が一語一句噛み砕くように読んでくださる音声は、プロの役者さんがかなり主観的演出で朗読する有料物件よりは、よほど文章そのものの味が受け取れる。
 さっそく岡本綺堂の青蛙堂鬼談より三作をダウンロードさせていただいたが、音訳担当の『ガーネット』さんはかなり年配のご婦人らしく、多少乱れる口跡が、かえって情感につながっている。某所の有料コンテンツで好き勝手に自己流演出している若い女性プロの方などに、ぜひ真似していただきたいほどだ。もとが静謐な文学作品なだけに、演出過多の朗読ほど、聴いていてしらけるものはない。
 ただ残念なのは、ストリーミングはともかくダウンロードも、音楽CDには焼きにくいramファイルである点か。ファイルの小ささは買えるのだが、実際それを視覚障害者の方に聴いてもらおうとした場合、有料ソフトを使うか、フリーソフトなら何種類か併用しないと音楽CDに落とせない。多少ファイルがでかくなっても、MP3あたりを用意するべきではないか。
 ともあれ、『ガーネット』さんの穏やかなお声を拝聴しながら、なんだか夜の長椅子で老婦人の長い語りを聴くような、ある種の既視感を楽しませていただく、寝床の狸であった。


01月15日 月  変貌

 駅に出る途中の煙草屋が、様変わりしてしまった。
 何ヶ月か前までは、角地のちっこい木造店舗で、三丁目の夕日どころか初期のサザエさんに出てきそうな煙草屋だったのだが、しばらく改築工事のため近所の空き店舗で仮営業、そして現在は真新しいマンションの一角に、麗々しくオープンしている。周辺の土地とコミでマンション化したから、たぶん自分の出した地所のぶんを、マンション一階の角に確保したのだろう。その煙草屋さんにとってはおめでたい出来事なのだろうが――哀しいことに、それまで自販機に入っていた『わかば』『エコー』『ゴールデンバット』といったマニアック・アイテム(貧乏人アイテムでもある)が、窓口販売オンリーになってしまった。
 まあ、下さい頂戴で行けば昔どおり愛想良く売ってくれるのだけれど――改装前は「しょっちゅうフィリップ・モリスをカートン買いする客」が、改装後は「ゴールデンバットを時々小刻みに買っていく客」に変貌しているわけである。やっぱり、なんかちょっと、とってもアレな気分である。


01月14日 日  観れば観るほど

 昭和49年(1974)版『砂の器』、久しぶりに再見。歳をとればとるほど、細部のアラが見えてくる。しかしそれ以上に、全体としての深さもまたなんぼでも見えてくる。やはり一生の観賞に堪える名画だ。制作当時、全国ハンセン氏病患者協議会からの抗議によって加えられたという字幕『ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰は続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、戦前に発病した本浦千代吉のような患者は日本中のどこにもいない』――映画の情感バランスとしては無い方がいいわけだが、あえてそれを入れなければならなかったという当時の現実が、30年を経た現在でもさほど変わっていないという事実、それがまたずっしり重たかったりもする。つくづく、衆愚の業は深い。

 昨夜BS2で放送された『男はつらいよ・寅次郎の縁談』(46作目)も観る。シリーズ最後期の作品で、リアルタイムで観た平成5年(1993)には、前作や前々作で気息奄々に見えてしまった渥美清さんがまた元気になってくれた気がして、その嬉しさばかり先に立ち、作品全体としてはシリーズ中でも目立たないような気がしたのだけれど、良く見ればこれがまた絶品、蕩々と流れる清水のように澱みも濁りも無く、美味なのであった。また、前作までとはカメラワークや美術がずいぶん印象が違うようにも思え、スタッフを再確認してみれば、シリーズ全作を担当したと言われる名キャメラマン高羽哲夫が『撮影監督』となり、『撮影』そのものは池谷秀行氏となっている。また美術も、出川三男氏だけでなく横山豊氏という方が加わっている。長いシリーズだけに、渥美さんだけでなく、他のスタッフの高齢化もなんかいろいろあったのだろうか。詳しく調べたわけではないので即断はできないが、たとえば『特技監督』が円谷英二の中期ゴジラでも現場での特撮演出は有川貞昌氏、そんな事情なのかもしれない。まあゴジラとは違いあくまで『男はつらいよ』だから、山田洋次演出と山田・朝間コンビのシナリオがメインだし、カメラや美術の変化も、新鮮味があって良かったのだけれど。
 しかし来週と再来週で、また瀕死の渥美さんの最後の苦行を観るかと思うと、複雑な心境。リアルタイムで観た時には、「ああ、やっぱり年齢的に寅さん役は限界なのかなあ」などと軽く思っていたのだが、もう44作の頃から、実際は立っているのが不思議なくらいの重病だったのだ。

 狸が映画のシナリオそのものに興味を抱き始めたのは、実は『男はつらいよ』の第一作がきっかけだったりする。それが載ったシナリオ集を中一の時に買って、それからあわててシナリオの入門書を買ったりして、物語の構造やらキャラ造形やらセリフのリアリティーやら箱書きの仕方などを、『おたく』し始めた記憶がある。その次が『家族』で、三番目が『忍ぶ川』だったか。つまり自分にとって、漫画における石森先生の『龍神沼』(同世代の漫画おたく御用達『マンガ家入門』ですね)、それが映画においては『男はつらいよ』なのである。山田監督は未だ健在だが、漫画と違って映画は集団芸術、渥美清という役者さんがいなかったら、狸は映画観賞において、あくまで『特撮おたく』の域を一歩も出ていなかったかもしれない。もし自分が大金持ちだったら、全国各地に『寅さん地蔵』でも置いて回りたいほどだ。


01月13日 土  しつこくZ級ぐるめ

 数日前、内職関係の方から缶詰をもらった。ビンボだと愚痴っても仕事は増えないので、代わりにくれたのか。お歳暮のお裾分けらしい高価そうなコンビーフと、少なくとも特売品ではない鰯の缶詰である。で、すでに両方ともありがたく食させていただいたのだが――ううむ、もはや狸の舌には、どうもいつもの『ノザキのニューコンミート』(ほとんどお馬ですね)や『あけぼの鰯しょうが煮』(特売魚缶の中ではかなりいける)のほうが、ずっと美味に感じられるようだ。もし同じ値段だったとしても、いつもの方を買うだろう。旨い上に100円でお釣りが来るのだから、こんなにありがたいことはない。これは袋ラーメンにも言えることで、なんじゃやら高価な物件よりも、たいがい明星チャルメラの方がうまい。

 ところで、たかちゃんご贔屓の不二家が、エラいことになっているようだ。しかし、誰一人食中毒になったわけではない。正直、賞味期限やら消費期限のほうが、贅沢にハバを狭めすぎなのではないか。まだ食えるものを片っ端から捨てることによって需要を増やそうという社会は、ちょっとおかしい。自分だって匂いを嗅いで大丈夫なら何でも飲み食いしてしまう。
 工場に鼠さんワンサカとかも大騒ぎしているようだが、たとえばデパートの食品階やスーパー内部で働いた方なら、よほど過酷な風土でもない限り、深夜のゴキブリや鼠の闊歩は常態と知っているはずだ。駆除業者が日参しても駆逐できないのである。現に狸が昔働いていたショッピング・センターの多くでも、鼠の糞などしょっちゅう転がっていたし、前の食品売り場では、囓られた米袋を毎朝どけてから開店していた。田舎の弱小スーパーの、大昔の話ではない。大手チェーンの都内店、ついウン年前の話である。
 先日の話題と同様、けして不二家を擁護するわけではない。しかし消費期限切れ原料の使用や、基準値を超えた細菌を含む物件の出荷は、どちらもあくまで『基準』から逸脱しただけであって、トサンと違いけして『違法』『犯罪』ではない。そして世の中には、ゴキブリや鼠だって食ってしまう社会もある――まあ、そんな話である。


01月12日 金  価値観の相違

 ひさびさに某氏(えーと、甘木さんとは無関係です。念のため)に会う。以前、醒獅液=バイアグラをくれた、ちょっとアブナイ系の方である。いや、ただのアングラ系薬品個人輸入代行商人です。ただしウン年前、会社の売上・在庫品を横領、失踪の経験がありますが。狸はけして某氏が好きなわけではないのだけれど、思い出したように電話が入ると、つい会ってしまう。まあ落ちこぼれ同士、損得勘定がからまないからだろう。妙な薬を買う金など、自慢ではないが一銭もない。

 四方山話の内に出たのが、氏の知り合いの金融業者が、歳末に都の処分を受けた話。
 面白そうなのでネタにもなるし詳しく聞くと、その知り合いはいわゆるトサン業者で、高金利と契約書関係の違反により、いわゆる『都(1)』を取り消されてしまったらしい。「そりゃ法定金利きれいさっぱり無視してたんだから、仕方ないんじゃないの」と言うと、某氏は「それじゃ、ブラックの人間はどこで金借りればいいの?」と、真顔で問い返す。そう言われてしまうと実も蓋もない。まあそれは価値観の相違としか言いようがないのだが、某氏によればその業者さんは、けして詐欺師でもなく暴力金融でもなかったのだそうだ。あくまで「貸してくれ」と言ってきた人間に、「トサンだよ」「一日でも遅れると即取り立てに行くよ」「家族にも電話するよ」「会社にも電話するよ」「らちがあかなきゃ給料差し押さえるよ」「それでもだめなら即家財差し押さえるよ」等々と、きちんと(?)説明した上で、それでも貸して欲しい人間に貸していたのだから――そんな理由である。まあ『トサン』で、しかも契約書にそれを明記しないという事実がある限り、法的には立派な犯罪者なのだが、確かに一分の理がある気もする。そこまで言われても借りる人間がいるから貸すのであって、詐欺的な押し貸しをするわけではない。
 狸が「……でもやっぱり、貸す奴がいるから借りてしまうわけで」などと、ついついいい子ぶった発言をしても、あくまでそっち側の倫理に生きる某氏は、「悪質な取り立てで首を吊る奴もいるけど、どこからも借りられないで首吊る奴は、もっと多いよ」――こうなると、もはや綺麗事は通じない。某氏によれば、その知り合いは立派な人間だという。自分の店に似合わないような「ホントにどうしようもない段階ではない客」が何かの間違いで借りに来ると、「あなたが来る所じゃない」と、なるべく貸さずに帰してしまうのだそうだ。そして綺麗に返してくれた客には、「またどうぞ」ではなく「二度はおつき合いしたくないですね」。――ちょっと、その知り合いに会いたくなったりしてしまう狸だった。もしその筋の方だと恐いので、会わないけれど。

 ところで、今回はヤクのお土産も原価販売もなかった。某氏も不景気なのだろう。


01月11日 木  モノホンの映画

 森田芳光監督、松田優作主演の『それから』を観た。晩飯ごとに古い映画をおかずにできる。やはり、ケーブルはいい。一般にはスカパーとか言うらしいが、よくわからないのでやっぱりケーブルと言わせてもらう。だって外からケーブルで繋がってるんだもの。
 夏目漱石の原作は読んでいないのだけれど、いわゆる高等遊民のモラトリアム青年が友人の妻との不倫を通じて社会に対峙してゆく、そんな話である。不倫と言ってもウケ狙い的なわざとらしい盛り上げなどはまったくない。微妙な心理を徹底的に映像化するのが狙いである。最大の見物といえば、長回しの告白シーンで最高潮に達する優作兄ィの抑えた演技力、そして藤谷美和子嬢の類い希な美しさか。アクション皆無の松田優作、プッツン以前の藤谷美和子――いずれも間違いなく『本物』であり、無論森田監督の演出も『本物』である。なにか新作映画『ユメ十夜』(しかしまあなんでなんでもかんでもカタカナとアルファベットなんでしょうね)に絡んだ特集らしく、今月は山本嘉次郎監督の『吾輩は猫である』やら色々とやっているのだけれど、この『それから』ほど凄い出来の映画はなかなかないようだ。
 逆説のようだが、純エンタメ志向の創作者の皆様にも、ぜひ観ていただきたい作品だった。これを観て退屈に感じる方は、おそらく花も実もない絵空事しか創れない。心理を軽んじたドンチャン騒ぎのほうが、よほどかったるいのである。たとえばジョン・ウー監督のアクション映画など、あれだけ大馬鹿な(す、すみません)設定で嘘八百を並べながら、きちんと心理にのっとって演出・編集している、それだけで気持ちよくだまされることができる。そこいらが欠落したただのドンチャン騒ぎだと、何十億円かかっていても途中で安眠してしまう。


01月10日 水  燃えよドラゴン

 新しい映画で観たいものも結構あるのだが、ネット・レンタルを解約してしまった。どうがんばっても古い映画はほとんど増えないし、新しい物を観るだけなら、駅前で借りてくればいい。なんて、ビンボなだけなんですけどね。それでもケーブルを解約しないのは、言うまでもなく古くて目立たない邦画を次々と放映してくれるし、懐かしの洋画なども結構やってくれるからだ。
 本日は晩飯を食いながら『燃えよドラゴン』の録画を観て、思わず糸を引いてしまった。納豆を食う箸の先を、条件反射でアチョーと振ってしまうのですね。高校時代あたりに生まれて初めてブルース・リーを観た狸世代の男性なら、きっとその気分を解っていただけると思う。今見ても、充分凄い。凄すぎる、と言ってもいい。あの締まった東洋人体型にまとわりつく、鋼の糸をよりあわせたようなスルドイ筋肉の美しさには、往事のシュワルツェネッガーでもスタローンでも、絶対かなわない。リー独特のあの怪鳥音と明王のような憤怒相、そしてキレのいいカンフー・アクションには、昨今のワイヤー・アクション曲芸など、束になってもかなわない。実際、コナンのシュワルツェネッガーにシメ殺される、あるいはマトリックスのキアヌに蹴り殺されるとしたら、狸は確かに恍惚としながらもやはり成仏はできないだろうが、ブルース・リーに蹴り殺される、あるいは殴り殺されるのなら、納得して成仏できると思う。それほど肉体的存在としての超越感が違う。去年の『マッハ!!!!!!!!』のトニー・ジャーも結構すごかったが、どちらかと言えばジャッキー・チェン以降の曲芸的アクションで、それ以前の「これが闘技!」といった緊張感ではなかった。
 『燃えよドラゴン』のブルース・リーが見せてくれるのは、それはもう鷹のように美しい闘技で、あまりに殺気に溢れていたため、すでに彼自身が撮影後突然死していることを知っていた狸仲間は、「なるほどまさに『殺気』だったのだなあ」などと、うなずきあったものだ。死因は未だに謎に包まれているようだが、なんにせよ、きっと自分の運命を使い切ってドラゴンを演じてくれたのだろう。アチョー!!


01月09日 火  古本市場

 ご近所新古書チェーンあるいは神保町、どこでも買取不能だった古い雑本や文庫を段ボール二箱、4キロほど離れた古本市場(ネット検索で見つけた)というチェーンに、持ちこんでみた。事前に電話して訊いてみたら、かなりのレベルまで引き取ってくれそうだったからだ。で、実際買取不能と言われたのは目立ったシミのある成年コミックのみで、残りは全部引き取ってくれた。と言っても当然1冊5円が大半なのだけれど、ブックオフではヤケているので駄目とゴミにされかけたコミック文庫に、50円の値がついていたりする。全部で1500円弱。まあ段ボール箱ふたつをチャリにくくりつけて運動不足解消にもならないほどの距離を走っただけで1500円なら、御の字である。
 このところの売本経験を総轄すると、取引は老舗の専門古書店と古本市場、それだけで良かったような気がする。少なくともブックオフという企業は、ピカピカ本以外を問答無用でゴミにする組織と思ってまちがいなさそうだ。いかにも飽食の国らしいリサイクル感覚である。5円の仕入れ物件を100円で売る商売という構造は、どのチェーンも同じなのだろうが、ヤケていても本は本、ちょっと汚いからといって無差別に捨てられるよりは、誰かに読まれる可能性を残してやりたい。


01月08日 月  時代

 正月に録画した旅番組を早送りしながら観ていたら、民主党のとんでもねーCMが挟まり、げっそりと萎えた。ミニチュアの帆船とベタベタのCGで、庶民の生活を変えてくれるつもりらしい。お偉い方々、グリーンバックで何を遊んでいるやら。これで投票対象の党が、またひとつ減ってしまった。あの方々はもう立て前と本音、理想と現実の区別を失っている。
 口直しにケーブルで『あんみつ姫』を観る。1954年(昭和29年)の作。うああああ、雪村いづみさんって、こんなに可愛かったのか。か、かーいいようかーいいよう。狸の生まれる前から、こんなにかわいかったのだ。今も70歳になんなんとしながらけっこう可愛いし、美空ひばりさんや江利チエミさんと三人娘をやっていた頃の映画『ジャンケン娘』(1955)でもキュートな娘さんだなあとは思ったのだが、その一年前にはこんなかわゆいろりであったのだ。ろりと言っても計算してみたら当時17歳、しかし今どきの体型換算なら14歳くらいか。それでも終戦時代から米軍キャンプで歌っていただけあって、なんといいますか、きゃぴきゃぴ具合に芯が感じられる。ううむ、これからの狸穴は雪村いづみの時代かもしれない。実際、もうぺろぺろなめ回したいくらいのろりっぷりであった。
 さて、本日からNHK『ビッグショー』の再放送がBS2で始まり、手始めは1974年の森繁久弥さんの回。実はその頃の森繁さんは、もう偉くなりすぎて苦手なのだけれど、当時のビッグショーでは、我が心の師(純文学・仏様方面)森敦先生が、毎回ゲストと対談しているのである。その回でも、ヘビー・スモーカーの森先生のこと、森繁さんと差し向かいで両者もうもうと煙を吐きながら対談している。ああ、いい時代だったのだなあ。
 ところで6日に記した某投稿板の感想の方が、なにやら反省文とポイント修正を入れていた。まさかここを覗いていただいているはずはないので、自分で気づいてくれたのだろう。よかったよかった。


01月07日 日  曖昧頭

 おう、一般に『曖昧法』というと、まさに曖昧な法律を示すらしい。『朦朧法』が正しいのか。しかし朦朧法というと、なんだかヘンリー・ジェイムスとかの怪奇文学にしか、あまり使われないようだ。国文学だと、詩歌などで『朦朧体』という表現をよく使うが――すみません。私は勝手に『曖昧法』という概念とゆーか言葉の意味を、でっちあげていたようです。ごめん。ごめんで済んだら警察はいらないので、どうか通報しないでください。
 まあとにかく、曖昧な作品の鑑賞に際し、作者が馬鹿なのか自分が馬鹿なのかは、自分の頭の中だけ覗いていても解らず、作者の文章だけ分析していても解らないので、あっちこっち外を徘徊して、なんでも覗いてみるのが吉。しかし自分が馬鹿だと道に迷って帰ってこれなくなったりするので、パンくずや豆を目印に撒いて歩くのが大吉。ただし雀や鳩がいると食われてしまうし、代わりにパチンコ玉を撒いて歩くとさもしいオヤジに拾われてしまうおそれもあるので――どうやったら、人間、迷子にならないで済むのでしょうね。

ところで『
あなたの過去が知りたいバトン』というのがあちらやそちらから回って来たのだけれど、つらい過去の思い出は栗子峠の雪に埋めて来たので、曖昧にお答えしたいと思います。

Q1 あなたは昔何系でしたか?(ヤンキー、ヤマンバ、オタクなど)
おたくと言う呼称はまだなかったが、今も昔も自他ともにその傾向。

Q2 あなたは昔習い事をしていましたか?
お習字。意識すればするほど下手になりました。
 
Q3 今と昔、一番変わったなぁと思うことは?
ビンボ。生まれてからつい3年ほど前までの実態は、あくまで中流だったつもりなのだが。

Q4 今と昔、変わらないなぁと思うことは?
精神年齢。

Q5 昔からのトラウマはありますか?
ゴキブリ、同●運●のおねいさん、自称右翼の♪ぴー♪。だって問答無用でなんか走ってきたり飛んできたりイジメてきたり。

Q6 昔なりたかったものはなんですか?
漫画家→映画関係者→小説家→ホームレス→小説家

Q7 あなたの過去の失態を教えてください
たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんに、触る前に告白してしまった。いきなり触ってしまえば、若気の至りで済んだのだ。

Q8 今と昔の異性の好みを教えてください
昔→ろり。
今→ろりと、大人の女性(もはやウーパールーパー以外なら見境がない)。

Q9 昔の口癖を教えてください
口癖……特にあったか? 「リリーズ」「モスラ」は、口癖というより嗜好だし、「ろり」は昔はこっそりしか言えなかった気がするし……。
あ、社会人初期は、「えーとですねえ」を連発し、上司や先輩に顰蹙を買いました。えーとですねえ、自信の無さの現れに聞こえるそうなんですが、自分としては、えーとですねえ、いきなりなんでも言っちゃうとまずいような気がして、えーとですねえ、ワン・クッション置くような感覚で、えーとですねえ――すみません。自信なかったんです。


01月06日 土  曖昧法

 ありがたいことに、さっそく『たかちゃんとさんた』を通読した感想をいただけた。最後まで楽しんでいただけたようで、とても嬉しい。指摘していただいた誤字、そして曖昧に流しすぎて読み取っていただけなかった部分、さっそく修正・補填しようと思う。しかし誤字はもちろん直せば済むが、曖昧法のほうは、ちょっと難しい。それは恣意的にあえて曖昧に流したとしても、読者の方に「作者は果たして筆が足りなかったのか、それともそこは読者が好きに想像していい部分なのか」、その区別だけは何らかの形で悟ってもらわないと、それは失敗による曖昧で、恣意的曖昧法にはならない。

 曖昧と言えば、途中で好意的な感想を入れていただいてとても励みになった初対面(?)の方の作品をふたつ読ませていただき、欠点も美点も腹蔵なく感想に書かせていただいたのだけれど、本日気づいたら、狸の褒めたショートをミソクソに貶している他の読者がおり、困ってしまった。いや、別に俺とおんなし感想を抱け、などというつもりはまったくないのだが、その読者は作者の筆の足りなさを指摘するだけでなく、曖昧法として成立している(それが作者の意図的なものかどうかは別として、構造的に成立している)部分も、自分の勝手に解釈し、無論曖昧なのだから勝手に解釈するのはその方の自由であるにしろ、その『自分が解釈した構造』が納得できないと怒って、マイナス・ポイントを入れたりしている。あのう、それ、あなたの解釈のほうがちょっとアレだと思うんですけど。つまり、その読者は自分の解釈に対して怒っているのであって、自分の脳味噌にマイナス・ポイントを入れているわけである。ただの子供だろうか。それともアラシ? ――いずれにせよ、ことほどさように、曖昧法は難しい。 


01月05日 金  なんかいろいろ

 探食活動再開――いや、まだ燃えないゴミの袋は漁ってませんけどね。

 久々に上野に出、ついでに上野公園を散策したら、やたらと猫が増えていた。こんなに猫の多い所だったろうかと驚嘆しつつ、今年度の『猫の撫で初め』。 しかし猫に限らず動物がなつく人間を選ぶ基準は、どこにあるのだろう。自分は狸なので猫の気持ちは解らないし、ゴロゴロ言ってくれる猫も無視する猫も逃げる猫も様々なのだけれど、たとえば心底面倒がっている顔のホームレスのおっさんに自分からすり寄っている猫もいれば、餌を配っている猫好きおばさんを敬遠して逃げる猫もいる。犬もそうですよね。犬好きの人間にぎゃんぎゃん吠えかかり、恐怖するほど犬嫌いな人間にふんふんなついてみたり。
 これも久々にカレー屋『クラウン』でカツカレーを食うと、480円が500円に上がっており、その代わりカツの肉が厚くなっていた。とても哀しい。ペラペラの安いカツカレーが、世界から絶滅してゆく。

 年末年始にほぼべったりだった、『たかちゃんとさんた』、とりあえず完結し、板に載せる。やたら魂が濃くなった。発作的に打ち始めただけに、実は深層心理に充満していた趣向なのだろう。途中で明太子様のご感想にもあったが、実際ぽこぽこと湧き出てきた世界なのである。もちろん媒介者として誠意は尽くさねばならないので、解釈に苦労したが。


01月04日 木  差別意識の目覚め

 最初にお断りしておくが、ここを長くご覧いただいている方なら、信じていただけると思う。私は性差別者ではなかったつもりだ。そしてオカマも嫌いではない。自分はノンケだが、そもそも幼時から美輪明宏さんの大ファンだし、社会人初年に新宿で二丁目のお客さんなども多く接したので、それら一般社会のソノ気の方々も、明らかにノンケより善人が多いと確信している。また、オカマではなくただ女装趣味の男性、これもこっそりやったりあくまで同好の士が集う場で楽しみ合うのは、一向かまわない。美しかったら舗道を闊歩してもいい。そしてゲイだって、私を押し倒してこない限り、石をぶつけようとは思わない。
 しかし――元旦に録画したなんでも鑑定団の録画をようやく観ようとして、途中で断念し、生まれて初めてそうしたセンスの方々の中のひとりを、石礫をもって虐めたいと思ってしまった。どうも有名なメイクアップ師の方らしいのだが、あれはどう見ても、こっそりやったりあくまで同好の士が集う場で楽しみ合うしか、許されないレベルのビジュアルだと思うのだが、どうか。 だって体型がズドンでお肌カサカサよ。胸元なんか荒れまくりよ。お顔だって声だってただのアンちゃんレベルよ。これがテレビで平然とアップになるのよ。ウッソーウッソー、おばちゃま、信じらんなーい。なんでみんな石ぶつけたりしたくならないの? それとも、おばちゃまの審美眼が、老眼と老人性白内障で曇っちゃったの?

 とまあ、人格上なんら問題のない実在の人物を、外観のみで久々にイジメたくなってしまい、己の未熟さに錯乱する狸であった、まる、と。


01月03日 水  クドい

 22日(正確には23日未明)に発作的に打ちはじめた、たかちゃんとサンタクロースの話が、三が日を過ぎてもまだ終わらない。 原稿用紙で数十枚程度の短編になるはずだったのに、もう150枚を越えている。昔から自分の完結作は、着想時推定の二割増し、近頃は五割増しくらいになっていたのが、今は倍である。ふと、夏の終わりに始めてまだ終わっていないたかちゃん物をチェックしてみたら、もう220枚になっていた。ギャグっぽい童話形式のパロディが、である。正直、クドいので読み手を選んでしまうのだろう。しかし、自分は歳をとるほど叙情と叙事を間引かず語らないと気が済まなくなっているだけで、けして無駄に長いわけではないと思う。これでもずいぶん描写など省いているのだ。
 昔の西洋の大文豪作品のような、ひとつの部屋を描写するだけで文庫で数頁ぶん費やしてしまうような『表現行為』、思うにあれは人生の残りを豊富に持っている若者にこそやって欲しい気がするが、いざそれをやっているのを見ると、無意味な重複や形ばかりの矛盾した修辞でそれらしく膨張しているだけのケースが多く、大文豪作品のような、『世界』をドッカリと紙面に据え付けてしまうような視線(根性?)が感じられない。
 といって巷に氾濫する小説の体裁をとったシナリオ、つまりビジュアルや演出の多くを読者の脳内補完(あるいはイラスト)に丸投げしてしまう形式は、まあ多くの読み手にとって短時間で読め、自己投影度も増すわけだが、自分でそうした物は書きたくない。文章形式による『未組立フィギュア』と捉えれば、その存在価値は当然評価できるのだけれど、やはり自分は原型師ではないし、もうラムちゃんのおしりを自分好みにパテで修正している残り時間はないのだ。
 やっぱりオリジナルを、原型から色塗りから、植毛や着付けまでやってみたいのですね。


01月02日 火  餅、その他

 正月なので、晩飯(と言うにはやや早い日暮れ時)に雑煮を作った。
 雑煮というのは全国様々、家庭によっても千差万別だそうで、たとえば天童に近い母親の実家は人参や里芋など具だくさんの味噌仕立てだったが、山形の我が家では父の生まれの都合で、鶏肉と青菜だけの東京風だった。だから自分で作るときも、鶏肉と芹しか使わない。三ヶ月前に買った山形の餅の残りと、姉に送ってもらった新しい生協の餅のどっちを焼こうか迷ったが、両方焼いてみた。米沢の『(有)力餅本舗』とあるほうは、開封後長いのでちょっと黴臭かったが、それでも大昔の杵つき餅に似た一種のざらつき感(?)があって、懐かしい食感だ。生協の餅は新しいので無論黴臭さはないが、例によって機械生産の、あまりに滑らかな、ちょっと煮ると完全に溶けてしまう薄い風味である。まあ仕方ないのだろうなあ。何事も人件費の時代、スーパーの店頭実演で杵を振るったりしていても、実際の商品はやっぱり工場生産品だったりする。黴臭くても山形、いや米沢の勝ち。

 雑煮を食いながら、歳末に録画した『年忘れにっぽんの歌』を、ほとんど早送りで観た。市川昭介先生と宮川泰先生の追悼コーナーがあり、市川先生は演歌中心なので自分には幼い頃の名作が感慨のメインで後期の作はちょっと分別しにくかったのだけれど、宮川先生は本当に守備範囲が広く、大昔のポップス調流行歌からヤマトまで、狸の情操に影響を与えた歌がてんこもりだ。今回の録画で楽しみにしていたリリーズも、なんと持ち歌ではなくこの追悼コーナーで、 宮川先生がザ・ピーナッツのために作った曲を、代わりに歌う役回りなのであった。まあいいか。リリーズは映画でモスラの小美人をやる機会こそとうとう無かったけれど、昭和ゴジラ映画の制作中断期に復活を望むイベントで小美人に扮し 、『モスラの歌』を歌っている。つまりペア・バンビに次ぐ、幻の三代目小美人でもある。

 夕飯を食って少し寝て(正月早々ライフスタイルは完全破綻している。たかちゃんたちのせいである)、起きがけにエラい夢を見てしまった。ふと目覚め身を起こすと、昔茨城にいた頃のアルバイトの短大生お嬢ちゃんが、隣の蒲団に全裸で寝ている。掛け布団を投げ出しうつぶせに寝ているので、豊満なヒップがまるでゴム鞠のように弾みそうだ。触ろうか触るまいか一瞬迷っているうちに、本当に目が覚めてしまった。現在のこの部屋に、蒲団をふたつ並べて敷くスペースなどないのである。ああ、自分の馬鹿馬鹿。なぜ見つけた瞬間のしかからなかったのだ。夢ならセクハラで訴えられる心配もないのだぞ。ただなのだぞ。

 蕭然と入浴し、またたかちゃんの世界に戻ろうと思う。


01月01日 月  めでたくもあり

 めでたくもなし、と打とうとして、ありゃ、冥途の旅の一里塚ならもうめでたいんじゃないの、などと首をひねっている疲れた狸が一匹。といって、今すぐこの穴に猟師が鉄砲つっこんできて「んじゃお前、今晩、俺んちの鍋ね」と言われたら、やっぱり困るんですけどね。巣穴の奥ではたかちゃんたちが、まだクリスマスも終われずに大騒ぎしている。
 たかちゃんたちと共に継ぎ目無しでいつの間にか訪れていた新年、とりあえず、ゅぇ様&某氏から渡されたバトンで、始めてみたいと思います。

【十四歳の時何をしていましたか?】
 大真面目な学級委員長として13歳から繰り上がったが、突然学校の二階の窓から張り出し屋根に旅立ち、そのまま庇伝いに学校を周回し、それっきり「もうキレた奴」とイロモノ扱いになってしまった。
【十四歳の時何を考えていましたか?】
 自分はここで精神年齢を止めねばならないと思った。これ以下に幼いのも恥ずかしいがこれ以上にスレてもみっともない、そんなふうに考えていた。
【十四歳のイベントと言えばなんですか?】
 あ、最初のがイベントだったのかな。最初のと入れ替えてください。昼休みの校庭の草地で寝ていました。
【十四歳でやり残したことはなんですか?】
 隣のクラスのたかちゃんにさわれなかった(ちなみに13歳ではくにこちゃんにさわれなかった。そして12歳ではゆうこちゃんに――)。
【十四歳に戻れたら何をしますか?】
 そのとき自分の家にあった漫画本やおたく物件、昭和レトロ関係品をすべて貸金庫に収める。今『まんだらけ』や骨董屋に持ち込めば、半年寝て食えるのではないか。
【十四歳の頃何系でしたか?】
 生涯文系おたく。
【十四歳の頃の自分に一言】
 お前は自分が当時思っていたほど馬鹿ではなかったみたいだ。
【昔は十四歳だった五人に回してください】
 ちょっと今たかちゃんたちしかいないので。