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02月28日 水  情動

 『宇宙大怪獣ドゴラ』を、ようやく借りる。昔のテレビ放映の寝ぼけた画質でしか知らなかったので、DVD画質で観るドゴラの造形と操演の妙に惚れ直す。この前の『緯度0大作戦』といい、昔の円谷特撮が、けしてノスタルジー的美化でなく、実際『美学を伴った質感』に溢れていたのだと、確信できた。DVDで昭和中期の特撮物を再見すると、どうしてもピアノ線や、ミニチュアの材質感のアラが目立ちがちだが、一方で、着ぐるみの怪獣が一瞬とてつもない生命感・実在感を見せたり、明らかなミニチュアが実物以上の威圧感・巨大感を主張したりする。江戸川乱歩が『押絵と旅する男』の中で、例の人間押絵(?)を描写する際、『文楽で、名人の操る人形が、一日の舞台の中でほんの一瞬、まぎれもなく生きている時がある』、確かそんなことを書いているが、それと同じだ。昨今のCG特撮の多くは、ほとんど『情報』の段階であって、なかなか『情動』まで宿してくれない。

 『デイジー』の、アナザー・バージョンも借りてみた。なるほど、これなら納得。というより、むしろこちらのほうが本編らしくまとまっている。ひとりの殺し屋の哀話として、全体に一本の筋が通っている。筋運びの不合理は残っているのだけれど、少女漫画的劇性はむしろ薄れており、ラストを迎えた時、前回感じた「うぬぬぬぬう」と歯噛みするような虚しさではなく、すなおに「あうあうあう」と哀切感に浸れる。情動をパクウィ重点に絞れたからだろう。そのかわりヘヨンの主観は減っているので、女性が観ると違う印象になるかもしれないが。


02月27日 火  たかちゃん関係の注釈

 さて、なんの因果か『たかちゃんワールド』に指定されてしまった世界の果て・青梅ですが、今さらながら、あくまで架空の土地だと思ってやってください。
 久々に総武線→中央線→青梅線と乗り継いでロケハン(現実逃避)に出かけますと、東京都の果て・奥多摩の入口あたりにそんな名前の駅があるわけですが、実はたかちゃんご贔屓の不二家も、くにこちゃんご贔屓のケンタッキーも、見当たらなかったりします。松屋や吉野家さえ、同じ青梅市でももっと立川寄りの開けた駅に出ないと、なかったりします。あ、マックだけは青梅駅前にも、ちょこっとありますが。

  

 でもまあ、こんなのはしっかりあったりしますんで、旧青梅街道あたりはけっこう『たかちゃんワールド』に近い感じがするかも。ごく少数のよいこのみなさんしかご存知ないでしょうが、このあたりで、たかちゃんがほっぺをひきのばされてしまったわけですね。

  

 ついでに、鮎美橋からの上流方向120度(目算)パノラマなど。多摩川がちょうどぐるりと蛇行している部分なので、北北西方向を向いております。左手(西)が釜の淵公園、右手(北東)が市街ですね。この多摩川を西にガシガシうねうね奥多摩方向に遡ると御岳峡谷、やがては小河内ダム(奥多摩湖)に至るはず。画像をクリックすると巨大化しますので、河原あたりにたかちゃんたちが見えれば、あなたも立派な妄想狸。
 でもほんとうは、よいこも釣り人も、川辺では気をつけたほうがいいらしい。小河内ダムの放水などで、増水することもあるそうです。

  

 さて釜の淵公園から振り返りますと、あれに見ゆるが、渡ったばかりの鮎美橋。実際あそこからサンタさんへの風船や凧を揚げるとすると、ちょっと支柱やワイヤーに引っかかりそうな外観構造ですが、冬場はたいがい北風なので無問題ということで。

 

02月26日 月  引き際

 円楽師匠が、引退を表明された。
 脳梗塞リハビリの後、師匠自身が「ろれつが回らない」と自己評価した高座は観ていないが、本日のコメントの口調は、微妙なところだった。確かに以前の歯切れはなく、お年寄りらしいくぐもった話し方になっている。しかしそれはそれで味があり、けして聞き取りにくい声ではない。過去に倒れた後復帰した大御所の方々に比べても、よほどしっかり聞こえる。ファンとしては、ぜひ続投をお願いしたいところなのだが――これまでのきっちりした芸風を考えれば、やはり師匠ご自身の理想と対峙しての、引退声明なのだろうなあ。
 狸としては、以前の録画も録音もかなり集めてあるので、まだ一生楽しませていただける。長い間、ありがとうございました。ところでその引退口演となった『芝浜』は、どこかで放送あるいは発売してくれるだろうか。


02月25日 日  夕餉

  くにこちゃん 「……おい、かばうま」
  かばうまさん 「なんだ?」
  くにこちゃん 「……この、こんやの、ばんめしだが」
  かばうまさん 「だから、なんだ?」
  くにこちゃん 「これは、せいゆーのとくばいのうどんたまをゆがいて、
          だいそーのしるのもとを、うすめてかけただけだな」
  かばうまさん 「そのとーり。それが、どうかしたか?」
  くにこちゃん 「いんや、それはそれで、いいんだが――おい、たかこ。
          なんか、れーぞーこに、のこってないか?」
  たかちゃん  「ほーい。――おう、みっけ。なまたまご、いっこ」
  くにこちゃん 「んむ。それは、ゆうこのどんぶりに、入れてやれ。
          ゆうこは、からだが、よわいからな」
  たかちゃん  「ぽと」
  ゆうこちゃん 「……ぽ」
  くにこちゃん 「んで、とだなのしたに、かんぶつが、あっただろー」
  たかちゃん  「ほーい。――おう、はっけん。
          かつおぶし、うーんとちっこいふくろ、いちぱっく」
  くにこちゃん 「ありゃ、そんだけか。……んじゃ、たかこ、おまいのどんぶりに、
          入れてくえ。なんか、なごやのきしめんっぽく、なるだろー」
  たかちゃん  「こくこく。おう、かつおぶしさん、ちりちりちり」
  くにこちゃん 「――おい、かばうま」
  かばうまさん 「……何も言うな。扁桃腺に、臨時で2000円かかった。
          明日になれば、なんか一件、入金がある」
  くにこちゃん 「んむ。まあいい。おれは、うどんさえあれば、
          こんやくらいは、いきていける。
          んでも……なぜだろー? なんだか、なみだが、とまんない」

 というような半分洒落にならない仮想情景はちょっとこっちに置いといて、先日の『赤ちゃんポスト』の件は、あくまでネーミングが脳梅毒だと思うだけで、その存在自体は擁護する。しかし慈恵病院で呼んでいるという『こうのとりのゆりかご』のほうが、ネーミングとしては妥当だろう。安倍首相はなにか懸念を表明したようだが、まあどうで捨てられる心配もなく捨てるリスクも犯せない一族のお坊ちゃまの懸念であるから、そう気にすることはない。押し入れに放置されて骨になったり下水に流されるよりは、病院に届けられたほうが、やはり赤ちゃんとしては快適だろうと思われる。
 平気で捨てる奴が増えるのではないかという懸念は、『赤ちゃんポスト』などというネーミングがマスコミで主に用いられるほど脳梅毒な国だから当然の懸念だが、若者に避妊具の必須性も刷り込まずに恥知らずな性欲情報を湯水のごとく公に振りまくような脳梅毒国家にしてしまったのは畢竟年寄りの仕業なのだから、たとえばやくたいもない軍事衛星に湯水のごとく税金使うよりは、親に踏み殺されたり殴り殺されたり餓死させられたりする赤ちゃんを多少なりとも救ったほうが、より多く責任がとれるのではないか。
 いや、実際人類の叡智に繋がる方向なら、宇宙開発も歓迎なんですけどね。


02月24日 土  

 ガラス細工のように繊細な心を持つ狸(あくまで自己認識)なので、心が鬱ると、また扁桃腺が腫れたりする。なんて、先月末にこじらせたのがまだ潜伏しており、このところの気温のコロコロ変化で再発しただけなのだろうが。
 幸い今回はまだ微熱程度なので、こじれる前に即医者へ。
 しかし、土曜の医院を軽く見すぎた。児童を主に、なんと30人待ちである。おまけに児童というやつはたいがい親とセットになっており、待合室はほとんど立錐の余地もない。
 医院の横の駐車場で、空を見上げながら、一服つける。だから喉を腫らして喫煙すんじゃねーよ、などという良識の声など、30人待ちの前では無力である。手持ちの『昭和漫画雑記帳』(うしおそうじ先生の。図書館で借りた)を丸々読み終えても、まだ待ち人は半分以上残っているのだ。
 青空に一条の飛行機雲が伸びる。
「おう、じぇっとき」
 と、いつのまにか現れたたかちゃんがつぶやく。
 ジェット機だねえ、と適当に相槌を打っていると、今度はなにやら円形の赤い飛行物体が、ジェット機に負けない速度で、煙も引かず空をよぎっていく。
「おう、じぇっとふーせん」
「…………」
 何か適確なコメントを返そうと思っても、どう見ても赤い円盤、いや球体らしいので、なぜそんなものが高速で空を飛んでいるのか、半世紀近く生きた狸でも即答できない。
「んむ。ひこーきに、負けたくないのだな」
 くにこちゃんが、感心するように言った。
「なかなか、こんじょーのある、ふーせんだ」
 ゆうこちゃんも、こくこくとうなずいている。
 良く見れば、風船と言うには光沢がありすぎるようだ。ビニールのボールっぽい質感である。しかし、やはり正体は見当がつかない。
 その赤い球体は、つやつやと赤いまま、悠々と空の果てに消えた。
 ――どうやら熱が上がってきたようだ。やっぱり暖かい室内でおとなしく待っていよう。
 そう思って煙草を携帯灰皿でもみ消していると、さらにもう一機、飛行機が飛んで来た。
 今度のは煙を引かず、ごうごうと音だけを響かせている。
 その飛行音を聞きながら携帯灰皿を閉じ、また空を見上げると、
「……ありゃ?」
 空のなかばにいたはずの機体が、もう見えない。しかし、音だけはごうごうと低く続いている。
「おう」
 たかちゃんが、嬉しそうに言った。
「にいまるろくびん、しょーめつす」
 おたくのパパさんに、DVDを見せられたのだろう。
 軽い目眩を覚えながら、姿なき飛行音を聞き続けていると――ようやく、その現象のタネが解った。
 なんのことはない、薄く点在している雲の中に、たまたま機体が隠れてしまい、その雲が今日の強風で、たまたま機体を隠すように流れているのである。しかし空のまん中あたりだと、雲は、一見動いていないように見えるのだ。
 第二の怪事はそうして決着を見たが――先刻のあの赤い球体は、いったいなんだったのだろう。
 首をひねっているうちに、たかちゃんたちは、もう駐車場から消えていた。どこかに遊びに行ってしまったのか。
 あの赤い球体もまた、たかちゃんたちの世界のものだったのかもしれない。
 そして狸は、消えてしまった206便(?)の種あかしなど考えず、ただたかちゃんといっしょに不思議がっていれば、良かったのかもしれない。
 しかしまあ、雲の中を行く飛行機のパイロットや乗客が、「今日は晴だと思っていたのに、急に曇っちゃったなあ」などと引き続き思っていたとしても、地上から見ればその空の大部分は、やはり澄んだ青空なのである。
 自分の視界が曇っているからといって、空が青くないとは限らない。
 そんなことを想いながら、ぽこぽこと、待合室に戻る狸なのであった。

 ころりと話は変わって、朝日新聞の天声人語で、『赤ちゃんポスト』という脳梅毒状のネーミングに対する批判が紹介されていたが、朝日も(半々くらいで)いいことを書く。
 いっそ赤ちゃんのおなかぽんぽんあたりに住所を書いて、おつむあたりに切手を貼って投函すると、きちんと相手方に届くというのは、どうか。たとえば安倍首相宛にするとか、小泉さんあたりにするとか、あるいは国際郵便で、確実に育児資金のありそうなビル・ゲイツさん宛てに送ってもらうとか。


02月23日 金  岸辺の鳥

 などとまともそうなタイトルを打ってみたが、要は、江戸川の土手にいる鳥は捕獲して食ってはいけないのかなあ、そんな話である。
 日暮れ前に雨が上がったので、散歩に出た。幸い大した雨ではなかったので、川に下水の臭気はない。いつものように、カラスや鳩や水鳥が仲良く、いや、てんでに勝手に生活している。聞くところによれば、カラスはあまりの不味さに天敵がいないらしい。しかし鳩なら、世界各地で食肉として流通している。うまいはずなのである。都会の鳩は餌に恵まれて丸々と太っているし、その数も無尽蔵に見える。上野や浅草では、エサをやる人々を覆い尽くさんばかりの大群が棲息しており、半分くらい食ってやったほうが自然に優しいのではないか、そんな気さえする。
 ホームレスの方々も、なぜか鳩を食うのは稀らしい。それは、あくまで火が使えないからなのだろうが、単に食性にないからだとしたら、もったいない気もする。羽根をむしってワタを抜いて焚き火で焼いたら、うまいはずなのだ。塩胡椒くらいなら、100円玉を拾えば買えるし。
 しかし、平日の午後に土手を散策するウロンな中年男など気にも止めず、鳩は平和に群れ遊んでいる。
 自分の懐具合はちょっとこっちに置いといて、ああ、豊かな国にいるのだなあ、そんな安心感に頬笑む狸なのであった。


02月22日 木  鬱と夜の間に

 ここには記さないが、個人的リクルート連敗はまだ続いている。正直、姉との電話では「一度山形に帰って墓参りでもしてくれば」などと勧められるほど、鬱々たる声で鬱々たる心境を吐露したりしてしまう。人生のナンタラにおいて墓参り、というのは、別にご先祖様をないがしろにしているからナンタラであるとか、ご先祖様にお願いすればナンタラも好転するとか、そうした他力本願的意味合いではなく、あくまで狸にとって帰省を兼ねたそれは種々の意味合いで気分転換にもなれば気合いも入り直すだろう、そんな姉心である。読まれております。生まれてからずっとつきあってるからなあ。
 で、キーボードに向かうと、頭に葉っぱをのせてコロリとでんぐりがえり、昨夜も寝る前に4時間ばかり(おい)ハマってしまったエロゲなどに、話題が移るわけである。で、『この青空に約束を―』だが――負けたわ。自分の精神が萎縮しているからなどではけしてなく、この作品のメイン・ライターさんは、間違いなく精神・技術ともに優れた実力派である。感受性と知能の双方をもって、複数のキャラも物語世界全体も、きちんと俯瞰できる方である。こうしたお若い方(推定)にすなおに「負けた」と言えるのは、すでに人生の折り返し点を越え肥大化した自負を抱いている(まあ手前勝手に解ったつもりになっている)狸などにはかなり珍しく、かつとてもすがすがしいことなのである。「これはすごい」と思える種々の若い個性はエンタメ界にも文学界にも散見されるが、それはあくまで「すごい個性」や「すごい可能性」であって、総合的な「敗北」を先達の方々以外から感じることは、ほとんどない。
 近々墓参りする時には、ご先祖様のみならず他の諸仏にも、こうお願いしようと思う。「そーゆー若い才能はすがすがしいけれどとってもなんかハラが立つので、早めにツブれてくれますように」。……まあ、人間、歳を取ると、そんなものである。だからどこも雇ってくれないのだろうなあ。使いづらいですもんね、ハンパなおっさんは。


02月21日 水  作者という神

 「『さくらむすび』、やっぱり、ちょっとパス」などと、ただで借りたゲームを、先日贅沢にも途中返却した狸。以前に言った、大量テキスト横書き表示のみのシステムが辛いだけでなく、正直、シナリオがマスターベーション。そのうち別の展開になるのかもしれないが、冒頭から何時間もマスターべーションを続けられては、もうお手上げである。名作『水月』から、相対感覚(ドラマ)をスッコ抜いてしまったような話だ。文体の風味は同じ作者に違いないのだが、男のマスターべーションをえんえんと見続けるのはキツい。それが自分に似た人間なら、なおさらキツい。
 で、今度は『この青空に約束を―』というのを、リクエストではなくあちらのお奨めで、ちょっと前から始めているのだが――ビンゴ!! まだひとりめの半ルートほど(推定)しか進めていないが、早くも快い感動を小出しに重ね、やめられない展開である。去年の発売で、名作の誉れも高いそうだが、実際、うまい。お約束の中に、意表をついた展開をからめる呼吸も巧みだし、なにより作者の『やりたいこと』を、受け手にも『それがやってほしいことだったのだ』と感じさせる語り口が、半端ではない。実際には個性的な作者による手前勝手な展開でも、キャラが実際それをやるべき奴であり、そしてそれが受け手にとって快感であるように語れれば、どんな笑いも泣かせも快く成立するのである。

 無論、覗き部屋(出来たての頃の、謎の小穴がないやつ。古すぎか?)の小窓越しに見る、どこかのくたびれたおねいさんのマスターベーションだけでも、それを見て楽しめる客はおりますよ。ホストクラブ的な状況設定とタラシ技術だけで、一場の夢を追ってくれる客もいるでしょう。
 しかしやはり物語(ドラマ)の創作者としては、自覚のあるなしにかかわらず、もう一段高いところから、その世界を俯瞰できなければならないのではないか。たとえば心底愛し合っている男と女のセックスを、その同じ部屋の片隅の椅子に腰を降ろし、ふたりが共に果てるまで、親身に見守っていられたら、人は誰も、神になれるんじゃないかと思うのですね。って、それって、ただの透明覗き魔か? まあその対象が、愛し合ってないことも憎み合っていることもあるわけで、その際は当然悪魔として、姑息に見守るわけである。


02月20日 火  人は皆おたくであれ

 とまでは言わないが、推定中学生さんが投稿したと思われるエンタメ小説(のようなもの)で、いきなり1930年の日本で米軍の不発弾が爆発したりすると、さすがに頭を抱えてしまう。過去のナンタラが現代のナンタラに繋がって――まあそんなありがちな伝奇っぽい展開を真似したいのだろうが、その前に年表くらい開けよおい。

 そこいらの執着心の足りなさが、子供の自殺の増加などに繋がっているのかなあ、などとも思う。
 生のみならず死にも執着しないから、きっとあっさりリタイアしてしまうのだ。本当に死にたいなら、物理的・宗教的・哲学的な方向の『死』にだって、事前に多少つっこんでみたい気にもなるはずだ。気の利いた遺書のひとつも残して自死できない淡白さは、虚無感にさえ繋がらない。周囲に負のベクトルを振りまくだけである。

 おたくの果てに野垂れ死にはあるかも知れないが、少なくとも前に向かって死ねるはずである。


02月19日 月  雑想

 なんかいろいろの出がけに、近所の小料理屋の店先に種々の食器が積んであり、『ご自由にお持ちください』とある。閉店してしまったらしい。小洒落た小料理屋などはテリトリー外の狸なので、そこのお世話になったことはなかったが、『ご自由に』と言われれば遠慮はいらない。一人鍋によさげなちっこい土鍋と、高級鰻店あたりで使われそうな立派なお重を掘り出して、わざわざ一度、穴まで戻った。食い物というのはなかば気分のものなので、器が変われば中身も引き立つ。干蕎麦を湯がいて盛り蕎麦にするときも、ビニールのザルから直接すするより、ダイソーの100円の蕎麦皿(?)に盛ったほうが、なんだかもっともらしい。当然、スーパーの一人鍋セットも、中国鰻やレトルト丼も、りっぱな土鍋や高級重箱に入っていれば、良い感じに萌えるはずだ。

 ケーブルで、最近のドイツ映画『エミールと探偵たち』を観た。その映画自体は、ややガキに媚びすぎで、ありえないエンタメ趣向のきらいもあったのだけれど、元来児童映画なのだから昭和ガメラの頃に戻って楽しめばいいのだろうし、実際、田舎出のエミール君の純朴な気骨や、現代ベルリンのストリート・キッズのハジケっぷり(ジプシーやホームレスの子たちまで活躍する)が、生き生きと楽しかった。親の離婚や失業問題、階層社会やろくでもない犯罪者、まあいつの時代もなんかいろいろあるけれど、ガキの頃はみんな似たようなものなんだから、童心を失わず前向きにいこうよ――そんなケストナーの原作が持っていたユーモアの気骨は、時代や脚色が変わっても、保たれていたように思う。
 そして直後、こんなニュースを見た。『
【ロンドン18日】英国は子供が育つのに先進諸国で最悪の国――。国連児童基金(ユニセフ)がこのほど公表した報告書で、このような結果が明らかになり、英国人にショックを与えている。報告書は経済協力開発機構(OECD)加盟21カ国を対象に、子供の福祉にかかわる6つの要素について分析して指数化、国別比較した。英国は「家族・友人関係」「飲酒や麻薬の危険度」「幸福度」の3項目で最低の評価を受け、総合ランキング最下位に。上位はトップのオランダのほか、北欧のスウェーデン、デンマークなどが占めた。日本など一部の国はデータ不十分で、順位付けされていない。2月19日7時0分配信 時事通信』。
 そういえばイギリス映画など観ていると、子供にキビしい国のようですね。『子供』というものを、『未熟な人間』として接する風合いが濃い。極端な話、『エミールと探偵たち』を英国調でやったら、思慮足らずな子供の2.3人は、死んでいるのではないか。そして、それが現実の『リアル』なのであり、あえてそうした表現傾向を、失ってほしいとも思わない。それは『お国柄』でいいのではないか。大体、狸がろりに目覚めた頃(1970年代)のヨーロッパでは、オランダで撮影された児童ポルノ(ハード・コア含む)をデンマークやスエーデンで売る、そんな公然のルートがあった。国名にご注目下さい。つまり現在2000年代の現況は、あくまでやるとこまでやってしまった後の、悔悟の結果かもしれないのである。
 そして、我が日本はと言いますと――わはははは、言いたくねーや。まあ現代は、大人が子供の権利を尊重しながら、ついでに大人も子供と同じ権利を求める国、そんなところか。昔はそうじゃなかったようなんだがなあ。少なくとも明治初期あたりに日本を訪れた外人さんたちは、ほぼ例外なく「日本ほど子供を大事にする国はない」と書き残すのみならず、「日本の子供ほどすなおな子供はいない」とも書いている。豊かな都市部、貧困の僻地、そのどっちもで、である。きっと、大人の多くがまともな大人だったから、子供も安心してまともな子供をやってられたのだろう。


02月18日 日  泣けとごとくに

 で、本日『デイジー』を借りたわけですが――正直、あまりの非情さに怒りを覚えました。以下、ネタバレ注意。
 いや、三人の主役は、みんなけなげなわけです。愛情人情てんこもりだったりするわけです。それこそ三人いっしょに並ばせて、がば、と抱き寄せ、「うんうんうん、そーだよねそーだよね、人を慕いながら生きるのは美しいけれどツライよねツライよね」とみんなでしみじみうなずき合いたいくらいのキャラなのですね。ところが物語自体はと言いますと――「おいおい、論理性・合理性置き去りにしてまで、何が何でも悲劇にしたいか! スタッフ一同出てきてそこに並べ!」。
 しかしまた、この胸に去来する、なんじゃやら抗しがたい懐旧の情は――なにか遠い日々、幼少の頃の夏休みや冬休み、いつもは観ない昼メロを1シリーズ続けて観てしまった時のような、ある種の『感情移入系憤怒』と言いますか、つまり、アレです。『人妻椿』とか『あの波の果てまで』とか、太古のこれでもかこれでもか不幸系少女小説とか。ただ、唯一の違いは、「……うそ……こんだけがんばっても、おしまいまで、だあれもシヤワセにならんの?」。
 そーゆーことが、あってはならんのである。ここはもう、書いた当人以外どなたも覚えていらっしゃらないであろう、無敵の乙女老婆・綾さんに、また出張ってもらうしかないのである。『あなたはそうしてお笑いになりますけれど、そうでございましょう? それは今のように萎びた年寄りになるまで生き延びてしまいますと、世間様というものが、そんなお芝居や絵物語のようにすんなり運ぶものではない、それくらいのことは心得ておりますよ。でもわたくし、そのときは、まだ殿方と手を重ね合ったこともない、夢見がちな乙女でございました。けれど、シェイクスピアのロミオとジュリエットなどは、その頃からもう大嫌いでございました。あんな書き手のご都合のままに、愛し合うふたりが一度も結ばれずに亡くなってしまうお話など、今でも大嫌いでございます』。
 ――まあ、「それじゃ中学高校あたりで、姉が買って来た映画『ロミオとジュリエット』のサントラ盤、こっそり聴きまくりながらウルウルしていたお前は、いったいなんだったの?」と誰かに問いつめられてしまうと、すでに白髪交じりの狸としては「……ぽ」などとグロくはにかむしかないわけだが――まてよ、考えてみりゃあ、ジュリエットちゃんはともかく、ヘヨンちゃん最後にどうなったのか、良く判らんのよなあ。どうやら『デイジー アナザー・バージョン』とやらも、借りて観ないといけないらしい。こまったものである。うるうる。


02月17日 土  長いバトン(ゅぇ様提供)


1、回す人を最初に書いておく

  ⇒ビンボな人ならどなたでも。

2、お名前は?
  ⇒バニラダヌキ。

3、職業は?
  ⇒中年フリーター(半・中年失業者)。

4、趣味は?
  ⇒映画や読書や音楽鑑賞をしているように見せかけながら、
   勝手に妄想をめぐらせること。

5、好きな男性のタイプは?
  ⇒顔とヒップラインがしまっている男はん。

6、特技は?
  ⇒妄想のドキュメンタイズ。

7、検定・資格は何か持っていますか?
  ⇒一種教員免許状(大学に行くとたいがいもらえる)。
   甲種防火管理者(消防署に通うとたいがいもらえる)。

8、悩みはありますか?
  ⇒とりあえず、ビンボ。

9、好きな食べ物と嫌いな食べ物は?
  ⇒好き・・・バニラ関係全般、豚めし、鰻。
   嫌い・・・きゅうり(単体ではなく、なんかいろんな料理に混在している場合)。

10、貴方が愛する人に一言!
  ⇒私より先に死なないこと。

11、フルネームは?
  ⇒筆名・沖之司 拡(本名も、ちょっとだけ似ている)。

12、今何聞いてる?
  ⇒『緯度0大作戦』の、宝田明さんのコメンタリー。

13、一番最後に食べた物は?
  ⇒粉末コーン・ポタージュ。

14、星に何を願う?
  ⇒世界中のひとが、同じ程度のビンボになって、戦争ができなくなりますように。

15、もし、クレヨンに生まれ変わるなら?
  ⇒肌色。美味しそう。

16、現在の天気、気温は?
  ⇒ちょっと寒が戻ったそうだが、適温。

17、一番最後に電話した人は誰?
  ⇒姉。

18、現在の髪の色は?
  ⇒黒と言い切れないのが哀しい。

19、好きなスポーツは?
  ⇒根性歩き。……スポーツじゃないか。観るだけなら、バイアスロン。

20、コンタクトはつけてますか?
  ⇒十数年前につけようとしたが、眼鏡屋の店長に「もう遅いでしょ」と言われてしまった。

21、兄弟は何人?
  ⇒頭の上がらない姉がひとり。

22、好きな日はいつ?
  ⇒少しでも多く寝ていられる日。

23、一番最後に見た映画は?
  ⇒『緯度0大作戦』(現在も再生中)。

24、夏と冬はどっちが好き?
  ⇒冬。ぶよんとしてしまりがないので、汗が苦手。

25、ハグとキスどっちが好き?
  ⇒もう忘れてしまいました。

26、怒ってる時どうする?
  ⇒ぶつぶつぶつぶつ。

27、絶対このバトンをやってくれそうな人は誰?
  ⇒ビンボで暇な人。

28、絶対このバトンをやらなそうな人は誰?
  ⇒ビンボでも忙しい人。

29、ベッドの下には何がある?
  ⇒ベッドがない。

30、最近泣いたのはいつ?
  ⇒『人造人間モンスター』(カバヤ文庫)を再読したとき。

31、昨日何してた?
  ⇒探食活動。

32、「これだけ失うのは怖い」とゆうものは?
  ⇒雨の漏らない靴。

33、好きな車は?
  ⇒特にありません。

34、好きな花は?
  ⇒月下美人。

35、SとMどっち?
  ⇒ろり系のM。

36、次の言葉に連想されるものを答えて下さい。
  ⇒好きだから――穴からこっそり覗く。
  ⇒愛しいから――穴からこっそり覗く。
  ⇒もどかしいから――穴からこっそり覗きながら、みもだえる。
  ⇒会いたいから――穴からこっそり覗く。


02月16日 金  プリンセス・マサコ

 というオーストラリアの本の内容は、結局翻訳書出版中止になってしまったから、実際政府や宮内庁が言うようなウロンな内容かどうかも不明になってしまった。他のいいかげんな出版物などは出まくり出しまくりなのに、ある話題の書物だけがことさら厳しいチェックを受けてしまうというのは、ある話題だけが報道管制下にあるのと同じ事で、やはりまずい気がする。まあ今回は、彼の国の著者らしい根拠無きツッパリを幸い、講談社がうまく逃げたというところか。
 しかしまあ、政府や宮内庁の立場はちょっとこっちに置いといて、マスコミや市井の井戸端会議レベルにおいても、何も言い返せないと解っている人間に対しては何を言ってもかまわないというイジメの論理で、皇室でもなんでも話題にできてしまうこの国というのは、やっぱりすでに伝統もクソもないのよなあ。断言してもいい。もし現在、この精神摩耗した国家から天皇制が消えたら、100年以内に金日成かヒトラーあたりに良く似た『エラいの』が、降臨されますね。なぜか。国民レベルで、たとえば国賓をもてなせるだけの民度がないからです。経済と釣り合うだけの民度がない、と言ってもいい。
 正直、日本人などというものは、何度も言うようにコロコロコロコロと根源的な変節を繰り返しながら生きてきた民族であって、民族としての矜持を誇れた時期など、長い歴史の中のほんの一時期だけなのではないか。たとえば大和魂なんてのも、明治以降の新スローガンにすぎない。そんな節操のない民族に、天皇制などというものが、かなりの長きに渡って一貫して残っていること自体、奇跡なのである。もはや天然記念物的な『象徴』として、慈しんで行くしかなかろうに。
 早い話、当節の皇太子妃などというとんでもねー立場をあえて引き受けてくれた女性くらい、もうちょっと精神的に楽さしてやれよ、おい。帯状疱疹、痛いのよ。鬱、つらいのよ。ディズニーランドくらい、いつでも貸し切りにさしてやろうよ。皆様と違い、いつでも行けるって立場じゃないんだから。

 ころりと話変わって、『チョイオタ』などという言葉が出てきたというのは、本当だろうか。好意的な表現らしいのだが、あのう、すみません。『チョイ』の時点で、すでに『オタ』ではないと思うのですが。


02月15日 木  ついに開缶

 しばらく拝んでいた明治屋の缶詰『うなぎのかばやき』を、ついに食った。やっぱり『うなぎのかばやき』の風味よりは『魚缶』の風味、つまりたいがいの魚缶に共通する原料本来の油が抜けてしまった感じ、こればかりはどうしようもないのであった。紀文のレトルト鰻などにも共通する、柔らかいのだけれどまろやかではない、そんな食感である。しかしレトルトより優れた点は、缶の汁。タレだけでなく本体の旨味もそっちに出てしまっているのか、飯の上に乗せた鰻そのものよりも、汁のかかった飯のほうが旨かったりする。この汁だけ売ってほしい。斉藤茂吉先生は、鰻の美味に関しては随筆など残されているが、この缶詰鰻の味に関しては、言及しておられないようだ。やはりこの汁を頼りに、物のない戦中を耐えておられたのだろう。

 ところで、ゅぇ様から、『中学生バトン』というのが回ってきました。

1:中学生時代のあだ名を教えてください
 あまりあだ名で呼び合う風習はなかったが、体型と顔貌でイジメられるときは、『カバトット』。

2:制服はどんなんですか?
 ごく普通の学生服。田舎のオトコですもの。

3:恋をしていましたか?
 小学校から中学までは、常にしてました。

4:告白はしましたか?
 カバトットなので、水中から密かに様子を見るだけ。――いや、やんわりと好意を示して、キビしく応えられた記憶はあるかも。

5:告白されたことはありますか?
 やんわりとそれらしい好意を示されて、やんわりと応じたりした記憶はあるかも。

6:中学生時代に仲良しだった人は今も友達ですか?
 彼らは土着でこっちは漂流なので、残念ながらほとんど音信不通。ああ、駅弁屋の道楽息子は、元気なのかなあ。

7:部活はしていましたか?
 文芸部。漫研もアニメ研も、影も形もない時代だったので。あ、1年の時だけ、剣道部におりました。しかし根本的に闘争心の欠如している自分に気づき(勝っても負けてもパンパン痛いんだもん)、暗い穴に潜みました。

8:当時はまっていたものと言えば
 漫画と映画と書物。

9:誰かと大ゲンカしたことはありますか?
 「まーまーまーまー」と、止める側でした。
 
10:好きだった科目は?
 国語と美術と技術家庭と音楽。

11:嫌いだった科目は?
 体育。マラソン等、勝手なペースで完遂できる運動なら、多少過酷でも嫌いではなかったのですが、チームワーク物や対戦物は、いっさい落ちこぼれ。

12:塾に通っていましたか?
 当時の田舎に、いわゆる学習塾などというものは、ほとんどなかった。書道や算盤やカトリック教会の英語教室も、たいがい小学生向きでしたし。

13:「あイター」な思い出は?
 結局くにこちゃんやたかちゃんに触らなかったこと(しつこい)。

14:当時流行っていたテレビ・アニメは?
 中学時代はちょうどアニメが進化する端境期で、テレビ漫画なんて幼稚、そんな感覚の生徒が多かった。一年の頃だと、男子が好む『巨人の星』『赤き血のイレブン』等のスポ根がかろうじて残っていたが、『ハイジ』や『ヤマト』等でアニメというメディアそのものがひと皮むけるのは、高校に入ってから。今では考えられないでしょうが、アニメはガキの専用品、そんな感覚の時代があったのです。しかし――「第二期『ムーミン』最高!」だの「『山ねずみロッキーチャック』のポリーかわいい!」だの、大騒ぎしている馬鹿も約1名。いや、もうひとり、クラスでもいわゆる無頼漢系の奴に、「ポリー、かわいいよなあ」と、妙に同調された記憶も。ちなみにポリーは、雌の山ねずみです。とてもかわいろっぽい。

15:「ちゆうがくせい」の文字で携帯版変換のトップに来るのは?
 ち→ちゃん
 ゆ→雪国
 う→うち
 が→がんばっ
 く→区
 せ→設定
 い→今

16:実は不良でしたか?
 あくまでイロモノで、不良ではなかった。

17:異性を異性として意識していましたか?
 ぎんぎんに。

18:中学生の頃の将来の夢は?
 映画関係者。

19:一番クラスがまとまっていたのは何年生の時?
 まとまり……勝手にわいわいなんとなく集っていた感じです。

20:次にバトンを回す人5人
 戦前戦中から昭和20年代にかけて、中学生だった方がいらっしゃいましたら。


02月14日 水  TSUTAYAにて

 ついでがあるごとに寄っているのだけれど、韓国映画の『デイジー』は、常に貸出中である。パッケージは5個並んでいるのにどれも空なので、よほど一般に人気があるらしい。
 東宝の『惑星大戦争』と『宇宙大怪獣ドゴラ』も借りたいのだが、やはりいつ寄っても貸出中である。もっとも、こちらは1本のみの在庫だから、おたく需要を満たすには当分かかるだろう。
 感心してしまうのは、公開時もレンタル開始後もけして良い評判とは言えない『笑う大天使』が、数本の在庫で、常時回転していることだ。映画不評の主要因となっている原作は読んでいないが、映画そのものは、昨年試写を見せていただいた限りでは、バランスに不満があるとはいえなかなか愛らしい映画だったので、ご同慶の至り。
 結局、ようやくソフト化された『緯度0大作戦』と、いつのまにか入荷していた寺山修司監督の『田園に死す』を借りる。このあたりの古物を美麗な高画質で再確認できるのは、やはりDVD様々。


02月13日 火  狸汁調理の際は

 充分にご注意ください。
 ちなみに狸の肉は、とても臭くて食用には向かないのだそうだ。アライグマは、未確認。よって昔から『狸汁』としてけっこう旨そうに描写してある鍋物は、実はアナグマ鍋らしい。古来、日本では狸もアナグマも、『ムジナ』として混同していたとのこと。

        

 ※ 追加情報。狸の肉は死んでしばらくは臭いが、一日おけばちゃんと食えるという話も。アライグマも、狂犬病や寄生虫に注意すれば、けっこう食えるらしい。まあ獣肉の『臭み』などというものは、食う方の嗜好や慣れや、食われる方の育ちにも影響されるわけである。しかしアナグマがもっとも美味なのは、確からしい。イタチ科なら共食いにもならないので、自分も一度食ってみたいものである。


02月12日 月  焼きそばの狸穴

 わははは、ざまーみろ、自分で焼けば400円でキャベツも肉もふんだんに入った焼きそばが腹一杯一日中食えるのだ、などと言いつつ、さすがにいちんち焼きそばだけ食ってるってのは侘びしいものである。自分の部屋で、ひとりで食うんだし。

 2日連続で『季香蘭』というドラマをやっていた。原作の山口淑子さんの自伝は昔読んで感銘を受けたので、どんなものかと覗いてみたが――ううむ、まあ、こんなものなのだろうなあ。そう悪くはなかったのだけれど、やはり何もかもが浅い感じであった。たとえばかの有名な日劇7回り半の件に長谷川一夫さんが絡まないとか、種々の歴史的事物の簡略化もさることながら、主演の、えーと、上戸彩ちゃんですか、頑張ってはいるのだが、やはり本格的発声訓練を受けない限り、死ぬまで『何をやっても舌足らずのかわゆい上戸彩ちゃん』で終わるだろう。

 借りた『さくらむすび』を、ちょこちょこと始めてみれば、ありゃ、ボイスなし画面いっぱいテキスト羅列タイプのノベルなのに、縦書き表示ができない。こ、これはきつい。『水月』にしても、縦書き表示ができたからこそ、あの長いテキスト・メインの話が楽しめたのである。
 狸は他の方のネット・ノベルを読むのにも、縦表示のスタイル・シート(ネットで拾った)をブラウザに適用して閲覧する。それでレイアウトが崩れてしまう場合は、テキスト・エディタの読書モードにコピペして読む。そうした縦読み派の方々もけっこういるのではと思い、自分の創作物にも、なるべくわざわざ縦組活字版を作る。
 どこかに『さくらむすびテキスト縦表示パッチ』なんてのは、落ちていないか。


02月11日 日  濁貧

 清貧、という言葉があるが、まあ実社会においては清濁と貧富はあまり関係ないわけで、清富もあれば濁貧もあるのであり、自分の部屋などもビンボなわりにはドンヨリ曇っている。フィリップ・モリスよりは、ゴールデン・バットのほうが、確実に煙もヤニも濃いようだ。
 三つある靴の内、水が漏らないのはひとつだけで、それでも残りふたつは晴の日には履けたのだが、その一方がついに靴底がぱっかりと割れてしまった。さすがに歩きにくい。しかしじっとしていれば外見だけはまだ小綺麗なので、捨てるにもしのびない。100均の接着剤でどうにかならんかと思っていたら、何年前に買ったものやら、靴底補修材というのが物入れの底から出てきた。まだ硬化していなかったので、さっそくベタベタと補修してみる。うまく履けるようになったら僥倖。
 知り合いに『さくらむすび』というエロゲを借りた。何年か前にかなり入れ込んだ、『水月』と同じスタッフなのだそうだ。なぜかマイルド・セブン・ワンも1カートンついていた。こちらはパチスロのお裾分けだそうである。このままエロゲ貸しも煙草のお裾分けも一生継続してお願いできまいかと思うが、さすがに自分よりずいぶん若い人間に、エロゲはともかく「一生タバコちょうだい」と口にはできない。
 駅の立ち食いソバ屋の鴨温玉ソバという写真が、旨そうで困る。五百何十円で食えるらしい。しかし、あんなすぐに消化してしまいそうな軽食に、貴重なワン・コインは使いたくない。豚めしなら300円でお釣りがくる。500円あれば、豚焼肉定食が食えるのである。どうも駅ソバというやつは、近頃ボリすぎなのではないか。
 ふと、高崎駅の肉入り焼きそばを思い出す。たしか200円で、肉もちゃあんと入ってたのよなあ。……いや、それももう、十年以上前の話か。光陰矢のごとくして、中年老いやすく、じっと手を見る。


02月10日 土  Z級ぐるめの反復横跳び

 先週買った『うなぎのかばやき』缶詰は、まだ食っていない。まだテレビの上に飾ってある。もったいなくて、なかなか食えないのである。しかしそろそろ食わないと、突然死あるいは焼死したとき、未練が残りかねまい。一人暮らしの中年男の火災による死亡が増えているのだそうだ。まあ、単に孤独なおっさんそのものが増えている、そんな理由だろうが。ともあれ、必死に缶詰に缶切りを当てている形状の焼死体になったりしては、いささか外聞が悪い。
 しかしまあ、158円で買ったチルドの『浪漫亭・生餃子』なども、やけに美味なのである。14個も入っており、冷凍保存もできるから、他の100円均一あるいは97円均一餃子に比べ、けして高くない。そしてこの商品、いい加減に焼いても皮が実に香ばしくパリパリになって、安物としては珠玉の食感なのである。当然飯にもビールにも合う。他の大手メーカー品ほどメジャーではないようだが、スーパーで見かけたら、お奨めですのよ。


02月09日 金  猫が少ない

 いや、ご近所を徘徊しているいつもの猫たちは結構いるのだが、なぜか警戒心の強いタイプばかりになってしまい、遊んでくれない。
 付近のペットショップを覗いてみても、なぜか子犬ばかりで子猫がいない。
 本日久しぶりに上野公園に寄ってみたら、正月明けにあれほど群れていた野良猫たちが、ほんの数匹しか見当たらない。たまたまどこかに隠れていただけなのか、それとも実際減ってしまったのか。野良人間はあいかわらずあちこちに寝ているのだが、排他的でちっともかわいくない。
 街を徘徊する猫は、平和のバロメーターではないかと思う。子供の頃は犬も結構徘徊しており、狂犬でもない限り、子供にとってはいい遊び相手だった気がする。自分が野良人間になるときは、当世風の排他的野良人間ではなく、せめて道行く人が気軽にエサを与えたくなるような、気の良い野良になりたいものである。


02月08日 木  与太郎国家

 故・六代目三遊亭円生師匠が、昭和天皇に請われて史上初の御前落語を披露する直前のインタビューで、どこぞの新聞記者に「陛下の前でもし、つっかえたらどうします」と質問されて、その場は適当に受け流した円生師匠、楽屋で「ああいうのを、大学出の与太郎てえンです」――。
 さしづめ柳沢伯夫厚生労働相の例の『産む機械』発言は、全体のトーンはなんら女性に対する蔑視的ニュアンスなど含まれないのだが、要は典型的『大学出の与太郎』、つまり知には長けているが情に疎い(と言うよりTPO把握に疎い)、そんな発言だった。また「2人以上子供を持ちたい若者」を「健全」と表現するのは、知的にも情的にもなんら問題ないのに、ただTPOだけきれいに外している。
 で、この世でもっとも困ってしまう政治家が、TPOを把握できない政治家なのである。そしてまた、そんな方を、こんな方向違いな表現で擁護するお偉いさんもいる。『
自民党の町村信孝前外相は8日、町村派の総会であいさつし、柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言について「もう済んだ話。言葉狩りという表現がぴったりだ」と、同党内外の柳沢氏辞任要求を批判した。「2人以上子供を持ちたい若者」を「健全」と表現した柳沢氏の発言についても、「(子供が)2人、3人、4人いたらいいねと、ごくごく当たり前のことを言った」と擁護。「(一連の厚労相)批判は安倍(晋三首相)さんのイメージをひたすら落としたいという目的以外の何物でもない。私はしっかりと柳沢さんを支え、安倍内閣を支えていく」と強調した。【野口武則】毎日新聞 最終更新2月8日22時4分』。町村氏が、『言葉狩り』という言葉の意味をどう捉えているかは知らず、また、町村氏自身の知と情のグアイも知らず、とにかく柳沢氏同様、政治家としての資質に欠けていることは、まちがいなさそうである。
 正直、近頃、そんなんばっかしだ。
 この日本、もう頭の良い政治家というのは、存在できない国になってしまったのだろうか。


02月07日 水  読める

 こうしたサービスこそ、ネット界の鑑と言うべきだろう。岡山県立図書館さんの、所蔵カバヤ文庫公開ページである。
 まあ現代の良い子のみなさんにはニュアンスが通じにくいと思うが、つまり『自分専用の書籍を所蔵する』ということ自体、幼年層にとっては(たとえ『中流』でも)かなりツラい時代もあったのである。昭和32年生まれの狸の幼時でさえ、そんな有様であったから、昭和20年代後半は、なおキツかったに違いない。そんな頃、カバヤのキャラメルを買って内封のクーポン券のような物を集めると、曲がりなりにもきちんと製本された、カラー表紙の児童書がもらえた。もちろん当時の子供にとっては、わずかな小遣いの配分上、1箱10円のキャラメルを食うのだって毎日はキツかったわけだが、根気よく続けて点数を溜めれば確実に立派な単行本がもらえたのだから、やはりありがたい一石二鳥だったのですね。最低でも1点の『文庫券』というのが入っており、50点溜めると一冊もらえる。たまには2点・8点などという当たりも出る。点数によって、違った動物が印刷されていた。現物を見た話は皆無だったが、大当たり50点の券もあったのだそうだ。といっても、自分ひとりでは半年がんばってようやく一冊、そんなペースだったから、あとは仲間内で相談の上、「お前はあの本、オイラはあの本」、そんな算段で数冊はカバーできるわけである。
 で、狸の十歳年長の従兄が、狸同様にホラー寄りの子供だったので、『人造人間モンスター』とやらの担当になった。今にして思えば、かのシェリー夫人作『フランケンシュタイン』を子供向きに好き勝手にリライトしたもので、それでも当時の児童書や漫画にまともなフランケンシュタイン・ネタなどなかったから、「おお、フランケンシュタインというのは、実はこんな感動的な物語だったのだ」と、仲間内でも好評で、狸ら後輩世代にもきっちり受け継がれ、まあそのうちどこかに消えてしまった。たぶん十何年に渡って絶えず誰かに読み継がれしまいにゃバラケつくすという、アナログ書物として最も幸福な最後を迎えたのだろう。
 さて、長じて狸が中学時代、オリジナルのメアリ・シェリー作文庫本を手にした時は、ありゃ、あのお子様向けカバヤ文庫もあんがい原作に忠実だったのだなあ、などと感心して読み進め、しかしクライマックス直前、驚愕して頭を抱えてしまった。
 若きフランケンシュタイン博士によって、愛に見放された非業の生を与えられてしまった哲学的ニヒリストの人造モンスターは、復讐のため、博士の愛する存在を長幼問わず次々と殺戮してゆく。読者の誰もが「まあフランケンシュタイン博士などという惰弱な若造は死んでも仕方がないが、この娘だけは死んで欲しくないなあ」と切に願うであろうヒロインのエリザベート嬢(博士の元義妹にして現在は妻・つまり『妹萌え』キャラ)さえ、クライマックスの北極海に至る直前、虚しく屠られてしまう。そして結局自分(モンスター)ひとりを残し、関係者皆殺しなのである。つまり原作は、ひたすら孤独な自我が己の創造者にも孤独を強要してゆき、しまいにゃ完璧な孤独へと閉塞してしまうという、ほとんど一片の救いもない、鬱系哲学的大悲劇だったのですね。
 さて、カバヤ文庫のほうは、筋立ては大半そんな原作に沿って進むが――クライマックスの北極海シーン、愛する夫をも醜いモンスターをも等しく慈しもうとするエリザべートの天然愛(つまり、死んでない)に、ついに心を打たれたモンスターは、「産みっぱなしの馬鹿親野郎はともかく、この天然娘だけは殺せない」と改心し、博士とエリザベートを残して、萌えキャラの思い出を胸にただひとり氷原に去って行くという、まことにカタルシスに富んだ劇的脚色だったのである。で、原作のあまりの根暗っぷりに打ちのめされてしまった思春期の狸は、思わず追憶のカバヤ文庫に救いを求めようとしたが、すでに仲間内からも古本屋からも、そんな『駄菓子本』は消えてしまっていた。
 爾来ウン10年、ついに実物を再読するチャンスはなかったのだが――はい、本日、タダでデータ収集させていただきました。あうあう、やっぱしエリザベートさん、いい娘さんだよういい人だよう。こーゆーいい人のひとりくらいは、生き残らなきゃウソだよう。モンスターの奴も、それでこそ悲劇の大怪物だよう。やっぱり物語ってもんは、暗くて救いがなけりゃリアルで哲学的ってもんじゃないだろう、食うに困らないええとこのお嬢様よう(ご、ごめんなさい、メアリ・シェリーの若奥様)。
 まあカバヤ文庫という存在は、そうした俗な脚色が多く(なにせ原作者や脚色者の名前すら、ほとんど記載がないのである)、当然出版文化の中では『駄菓子』『悪書』扱いなのだけれど、当時の無名の学生さんやら学校の先生やらがバイトで安くリライトしていたという変形古典文学たちは、やはり地道な生活者の『生』を、肯定するための物語だったのではないか。


02月06日 火  読めない

 MOドライブを売り飛ばす前に、過去のデータ類はとっくにHDDやDVDに移したつもりでいたのだが、なにせ半惚け狸のやることなので、しっかり移動漏れが見つかった。遠い過去のワープロ時代のデータ、つまりMS−DOS形式のtxtが誕生する以前、ワープロ専用機の『書院』で打った文書データである。パソ導入時に当然テキスト変換し、フロッピーからMOに移してあるが、そのMOを読む機械を売り飛ばしてしまった。アホである。
 まあ、どうせ大半昔の会社の報告書やらなんじゃやらなので、今となっては追憶のカケラでしかないし、途中まで打った小説などは、いつか続きをやろうとしっかりパソの方に移してあるから実害はないのだが――ただひとつ、HP開設初期に表にも出していた『比翼の鳥』というシナリオ形式の駄文(数話完結の予定で、まだ2話までしか打っていない)が、どうやらそのMOの中にしか残っていない。更新を断念して表から消した時、リンクだけはずしてデータはそのまま浮遊させておけば良かった。ベータのビデオと言い、8ミリビデオと言い、VHDソフトやLDソフトと言い、ハードに見捨てられたソフトと言う奴はつくづく虚しい。特にLDやMOは、キラキラと虹色に光ってとても綺麗なぶんだけ、なお虚しい。まあVHD以外は、まだまだハード調達も可能なわけだが、もう金がない。
 せめてデータ量の少ないテキスト・データだけでも、一切合切ネットに浮遊させておこう。そうすれば、火事で巣穴ごと燃えてしまったりしても、読み出し用のハードは世界中に転がっているわけである。


02月05日 月  ページが見つからないとヤだ

 ネット上のニュースや、どこかのページから情報を得た時には、とにかくマメにキャプチャーすることにしている。初期の頃はお気に入りなどに登録して済ませていたのだが、創作執筆用の資料などをそれで済ませると、これがまあしばしば行方不明になってしまう。特に最近は、ブログ形式の発作的短文情報が錯綜し、「ああ、やっとソレらしい関係のホントらしい情報が!」などと喜んでリンクをたどると、これまたたいして古くもないのに、どこぞに消えてしまっている。『一時期そこになんかあったらしい』という形跡のみを追うのは、なかなか虚しい。地べたをほじくりかえそうにも、そこは単なるhttp跡だ。
 とゆーわけで、持ち出し禁止の表示があっても、狸は平然と持ち出し、穴の奥に隠してしまう。右クリック禁止ページでも、なんかいろいろのツールで保存してしまう。勝手に再公開したり、出所を偽って転用したりしなければ、犯罪ではないだろう。土台、ネットの海に放流した瞬間から、その情報は公共物なのだ。正誤や正邪にかかわらず、二度と『無かったこと』にはできない。――って、なんかガリ版を刷ってばらまいていた中高時代から公共意識がちっとも進歩していない気もするが、そのぶん自分の刷る『ガリ版』には、せいぜい責任を持つつもりである。たとえば、どうせほとんどだあれも読んでくれない表の創作物件なども、実は年がら年中、こっそり修正入れまくりだったりする。恥ずかしいところが見つかったら、できるだけ恥ずかしくないように、ちょっとずつでもごまかして行けばいいのだ。あとは、せいぜい破産して口座が尽きないよう、生きている限りジタバタし続けたいと思う。まあ、あちこち無料ページでホームレス化してもいいのだろうが、接続料だけは要るからなあ。

 ところで、『ひまわり』の真理子ルートやさくらルートで「う゛え、う゛え」などと泣きぬれてしまったのは、自分だけではなかろうな。タイトル・ロールに向日葵という花が含まれる創作物は、エロゲに限らず多々あるが、かつて狸が目にした広大な向日葵畑の醸し出していた、えも言われぬ『華やかな静謐』『果てしない群生全体の孤独』『ふりそそぐ陽光という悲愁』『生の集合は死も含んだ輪廻の集合』といったイメージを伝えようとしていたのは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画『ひまわり』と、今回のこのエロゲと、自分で打ったたかちゃん物の一部――寡聞にして、今のところそれくらいしか知らない。


02月04日 日  原石

 パソまわりの整理をしたら、古いDVD−RドライブやらMOドライブやら、もう一生使わなそうなタブレットやらがアブれたので、久々にアキバに出る。ソフマップで売り飛ばしたしたのである。半ジャンクみたいなものだが、それでも交通費以外に3000円近い余力が生じた。中古ゲームの1000円均一で、REGRIPSの『ひまわり』を見つけ、さっそく購入。それからCoCo壱番屋で思うさまビーフカツとかトッピングしてビールも飲んだら、ほぼ使い切り。まあ、もとがアブク銭だから、いいのである(本当はいくない)。
 REGRIPSという同人上がりのエロゲーハウスは、『MIST』と『ひまわり』という、最悪のシステムと杜撰なバグで有名な二作を残し、だいぶ前に空中分解してしまったが、それでもなぜか、未だに少数の信奉者を残す奇妙な集団である。それはきっと、ときおりメチャクチャにデッサンが崩れるが、ときおり思わず頬ずりしたくなるようなキャラの生命感とか、恐るべきバリエーションの少なさを誇るBGMが、しかし個々のメロディーはなかなかに珠玉であるとか、そういったいかにも同人的なアンバランスさの魅力と共に、やはりなにか根本的に、シナリオや会話や世界そのものに、大手や売れ線狙いの同人とは違った『個性』が色濃いからに違いない。まあ同人ソフトからメジャーに躍り出るゲームも時々見かけるが、正直、モロにガキ受けしそうな定例趣向が思い通りガキ受けしただけで、口うるさい爺いなどは、たいがい「……またや」とお試し版段階で放り出してしまう。どうせ稚拙なら、妙に小利口な稚拙さよりも、類例のない稚拙さのほうが絶対貴重だ。そして何より、その世界が息苦しいルールブックであるか、キャラの心によって世界自体が『息づいて』いるか、そこいらで『愛しさ』の度合いも違ってくる。
 で、『ひまわり』は、やっぱり『MIST』同様、システムもシナリオも稚拙さが目立つようだ。バグだらけの素人芸、と言ってもいい。しかし、やはり『MIST』同様、なんというか、抗しがたい魅力もまた多々あるのだ。女性が原画のためか明らかにやる気のないエロシーン、ストーリーのボリューム不足の割には不合理なまでにバリエーションの多い背景画等、バランスの悪さまでが、その『抗しがた』さに関わってくる。そして、要所要所でツボを突いてくる、川底の砂に埋もれた砂金のような本性の輝き、あるいはライターさん自身無自覚らしい、ダイアモンド原石のような、使い道の惜しまれる新趣向――。
 無名のまま肩を落とし消え去ろうとするスタッフをとっつかまえて、「おいおいだからその背中がゾクゾクするような非凡な趣向は、うまく使えばまだ百万倍も、みんなでのたうちまわれるんだってばよう」と泣きながら教えてあげたくなるような『原石』なんて、当節、なかなかないだろう。あっちこっちからのパクリを磨き上げ、それらしく構築したアクセサリーなら、有名無名を問わず、どこにでも転がっているが。


02月03日 土  Z級特上ぐるめ(意味不明)

 図書館で寺山修司さんのドラマCDやら吾妻ひでおさんの美少女漫画やら保育社の駅弁図鑑やら、なんの脈絡もなくなんかいろいろ借りたついでに、この前気に入ったワカメの掻き揚げを求めて、遠くのダイエーへ。しかし、残念ながら見当たらず。やはりあの頃ワカメが余るかなにかして、限定的に扱った商品だったか。スーパーの総菜という奴は、ときおりこうした異色のアイテムが現れるが、定着するのはほんのわずかで、たいがいすぐに消えてしまう。所詮は安定供給と安定消費の場、つまり人間大量飼育のためのエサ場なのだ。
 蕭然と安い魚缶を漁っていたら、ふと見上げた高級缶詰の棚に、懐かしい缶が目に止まった。明治屋の『うなぎのかばやき』のである。予備校時代や学生時代、スーパーで生鮮品としての鰻などまだ扱っておらず、紀文のようなレトルト鰻もほとんどなく、冷凍鰻はあったが技術的に旨くなく冷凍庫もチョンガー用には普及しておらず、たまに田舎から送ってくれるこの缶詰は、「わーい! 鰻だ鰻だ!」と、とても珍重した記憶がある。ところが、その頃はあんまり大事にしすぎたせいか、いざ食べた時の味や食感を、どうしても思い出せない。価格を見ると、六百四十いくらである。魚缶としては超贅沢品(あくまで狸の主観)だが、鰻としてはけして高くない。記憶によれば中身の量だって、ぎっしり詰まっているはずである。で、ついふらふらと買ってしまった。
 巣穴に帰って、とりあえずテレビの上に飾る。例によって、しばらく拝んでから食うのである。拝んでいるうちに、敬愛する同郷の歌人・斉藤茂吉先生が無類の鰻好きで、太平洋戦争前夜にあわてて鰻の缶詰を買い占めて戦時中ちまちまと食いつないだ、そんなエピソードを思い出し、ふと気になって、ちょっと資料をほじくり出すと――おお、なんとその缶詰の製造元は、どうやら今回買った明治屋製品と、同じ浜名湖の会社なのである。これは心して味わわなければ。


02月02日 金  題材と視線

 一時期かなりヒットしたという記録映画『皇帝ペンギン』を、ケーブルで観た。スタッフたちの苦労は重々偲ばれるが、まあごく一般的な自然ドキュメントだった。ペンギンさんたちの生態そのものは、子供の頃からあっちこっちの記録映像で観ていたものと大差なく、あくまでそれはペンギンさんたちの魅力であって、スタッフの仕事は、『几帳面に自分たちで記録した』、それに尽きる。考えてみれば、近頃のドキュメントと称する動物番組やウンチク物は、みんなバラエティー仕立てか妙に劇性を演出したあざとい物が多く、こうしたストレートな記録物はかえって珍しかったので、ヒットしたのかもしれない。
 そういえばちょっと前の『WATARIDORI』というのも、フランス映画らしい天然系ロマンティシズムに溢れていたなあ。ただあの映画にしても、たとえばつくば科学万博のどこかで観た渡り鳥のドキュメント・フィルムを、越えるほどの映像はなかった。どうやって撮影したのかまったくわからない、カメラの目が渡り鳥の群れと共に自由自在に空を行く映像なども、実はもう何十年も前に撮られてしまっているのである。
 例によって、また年寄りの無い物ねだりになってしまうが――もうドキュメントも創作も、形式や方向性は何をどうやっても必ず前例があるのだから、あとは視線の深さで勝負するしか、過去に対抗する手段はないのではないか。まあ、俺は前例なんて関係ないよ、と、割り切ってしまう手もあるのだろうが。


02月01日 木  頭の巻き戻し


            

            

 いや、なんかまだまだ初心が足りんなあ、そんな気分で。

 ところで、興味深い記事を見つけた。
 『
図書館から本を盗んだとして、宮城県警捜査3課などは1日、窃盗容疑で、山形県天童市高木、無職高橋雅文容疑者(57)を逮捕した。同容疑者は容疑を認め、「小説家志望だった」と供述している。同課などは、同容疑者の自宅や軽自動車から宮城、山形両県の公立図書館や公民館計8カ所の所蔵とみられる小説など計686冊を押収しており、さらに追及する。調べによると、高橋容疑者は2005年2月ごろから約1年間に、宮城県の旧矢本町(現東松島市)立図書館から書籍54冊を盗んだ疑い。最終更新2月1日20時0分 時事通信』。
 えーと、なんか一部他人事とは思えない気もする。図書館の本という奴は絶対に換金不可能な状態だから、あくまで「手元に置きたい」がゆえに盗んだはずだ。しかし、昔は確かに小説家志望だったのかも知れないが、今はやっぱり書いていないのだろうなあ。若年層ならいざしらず、その歳になって、もし現在も小説を書いていたとしたら、必然的に盗品の大部分は『資料』のはずなのだ。もし『小説本を読んで小説を書ける』と思っていたとしたら――それは、哀しい勘違いだわなあ。