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03月31日 土  向上心?

 雇用の上向きで都会のホームレスは減少している、そんな記事を見つけ、なるほど最近街で見かけるあの方々は確かに減っているなあ、と感心したものの、ふとその記事からリンクしているなんじゃやら『月刊チャージャー』というページ(YAHOOでやってるサラリーマン向けのWebマガジン――早い話が広告収入で成り立つ雑誌のようなものですね)を覗いたら、次のような記述があって、首をかしげてしまった。

ホームレスからの復帰が難しい日本社会
 昨年、最も注目を集めた国会議員・杉村太蔵センセイの「国会議員とニートは紙一重」という名言ではないが、「会社経営者とホームレス」が密接な関係にあるのは知る人ぞ知る話。リスクの高い立身出世を目指した結果、ホームレスに転落した人は実に多い。
「大学3年のときに、アパレル関連の会社を起業。しかし、取引先のメーカーが倒産したことがきっかけで、連鎖的に倒産。妻とも離婚し、息子や娘とも離ればなれに……」
 渋谷区内の公園でホームレスをしているEさん(47歳)は、4年前の出来事を遠い過去のように思い出す。
「結局、4億円の借金だけが残ってしまった。自分の心の甘えの当然の報いだと思い、日々生活してます。でも、いつかは社長とまではいかなくても、普通の生活ができるようになりたいですね」と、再び這い上がるのを夢見て、空き缶集めに精を出す日々を送っている。
 現在、日本のホームレス人口は2万5000人以上。この中から、元の生活に戻れる人はごく少数。自立支援の道が開かれていない日本において、一度落ちてしまったホームレス生活からの社会復帰は、難しいのが現状だ。
気楽なホームレス生活が人の向上心を奪う
 ホームレスは、二極化する資本主義社会の犠牲者というイメージが強いが、一概にそうとは言い切れない。自身もホームレス経験を持ち、周辺事情に詳しい作家の松井計氏は、いまのホームレスの生活について、次のように話す。
「ホームレスはみんな、生きるか死ぬかの生活をしているように思われるがそうともかぎらない。特にビニールハウスで生活している人は意外といい生活をしている。本や缶を集めれば、ある程度の金にはなるし、この飽食の日本では、食べ物も手に入れやすい。ある意味で、普通に生活するよりラクな部分もあるんです」
 たしかに取材してみると、ビニールハウス生活者の中には、テレビやDVDプレイヤーを所有する人たちもいた。だが、その便利さが彼らの自立、社会復帰を妨げているというのだ。
「体力的にも、精神的にもきついかもしれないが、贅沢さえしなければ生活は可能。それが、彼らから社会復帰する気持ちを奪っていくんです。不衛生な環境だから体は蝕まれ、さらに心までもが病んでしまう。そして、気ままなホームレス生活から抜け出ることを拒絶してしまう人が多いんです」
 ホームレスの中には、夢を追い求めて上京した20代半ばの男性や、元経営者という人も数多く存在する。彼らの多くは、始めは社会復帰を計ろうとしてしたかもしれない。しかし、この自由な生活に身を置いたら最後、“向上心”という人間にとって大切なものを失ってしまうようだ。


 さて、確かに『向上心』というシロモノは、たいがい人間の肯定的な部分として扱われ、狸の高校時代なども、エラい校長先生から始終「現状維持は退歩である」、そんなハッパをかけられながら鬱屈していたのだが――正直この歳になって、現実社会におけるその『向上心』という概念のあまりの強欲さに、辟易しているのも確かである。
 そもそも、体が蝕まれ心までが病むということ自体、ホームレスさんたちに負けず劣らず、家のある側にも多いのは誰がどう見ても明らかな事実である。その蝕まれ方や病み方の方向性(はためいわく性と言ってもいい)を見れば、むしろ家のある側のほうがよっぽどヘン、そんなケースも多い。むしろ杓子定規な外部規定による『向上心』とやらにがんじがらめになって、自分が何をもって満たされたとするかという本能を失った腹一杯の『餓鬼』が日々一般市民レベルで増殖しているからこそ、人類そのものは、ひたすら破局への臨界へと『向上』し続けているのでは、そんな気もする。

「ぶー。んでも、たかちゃん、いちごみるふぃーゆが、いい」
「まてまて、たかこ。おまいはどーも、ぜーたくでいけない。この、ひゃっきんのちょこだって、とっても、んまいぞ。むしゃむしゃ。んむ、ほっぺたが、おちそーだ」
「ちまちま……ぽ」
「みろ。おーがねもちのゆーこだって、んまそーにくっている」
「むー。……いちごみるふぃーゆ。……ぶつぶつぶつぶつ」
「……たかこ、おまい、ちかごろ、かばうまに似てきたぞ」
「ぎく!!」


03月30日 金  国家と身欠き鰊の無関係な憂鬱

文部科学省は30日、主に高校2年生以上が来春から使用する教科書の検定結果を発表した。日本史で、太平洋戦争末期の沖縄戦の際、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに検定意見が付き、各教科書会社は「日本軍により」という部分を削ったり、「自決した住民もいた」という表現などに修正したりした。理科や数学では、学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が倍増した。
 沖縄戦の集団自決を扱ったのは6社8点。うち5社7点に「実態について誤解するおそれのある表現」と意見が付き、「日本軍に集団自決を強制された人もいた」が「集団自決に追い込まれた人々もいた」(清水書院)などに改められた。
 2005年度(主に高校1年生対象)は申請段階から今回意見が付けられたような記述がなかったが、04年度は「日本軍に…『集団自決』を強制されたりした」と記述した中学の歴史教科書が合格している。
 文科省は「以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた」と説明している。 3月30日17時1分配信 時事通信

 まあ実際いつぞやの裁判で、軍による自決命令や自決強制が、島民による補償金目当ての嘘であった、そんな事例もありましたね。しかしまあ、数多くの方々が自決したのも間違いのない事実で、「そーゆー時にはみんなでしっかり自決しようね」と教育指導したのは間違いなく当時の日本国政府だったのだから、どうせなら「政府の指導により集団自決を決行した人々もいた」とでも修正していただきたいところ。すでにない日本軍だって、まだ存続している日本そのものの過去に他ならない。

 コロリと話は変わって、近頃、身欠き鰊が西友やダイエーの売り場に見当たらない時が多く、これは文明国家として恥ずべき事態だと思うのだが、どうか。長崎屋にはあるのだが、低価格なぶんちょっと痩せすぎだし、マルエツにあるのは、程良い肉のりながらあまりに高価だ。狸としてはやむをえず、他の100円均一や98円均一の干物類――サンマの開きやエボダイをハグハグしているのだが、脂ののった身欠き鰊がこのまま豚めしより高級な食品になってしまうとすると、ますますこの国の前途を悲観してしまう。


03月29日 木  無責任?

 植木等さん死去。スポーツ新聞などでは石原裕次郎氏なみにTOP記事になったようで、確かに歴史上の存在と言っていいコメディアンだが、実は狸は自作にも氏の歌など何度も引用しておきながら、ほとんどテレビの『シャボン玉ホリデー』の頃の氏の姿しか知らないのである。子供の頃、何か特撮映画の同時上映で『無責任シリーズ』だったか『日本一シリーズ』だったかを観て、そのあまりにポジティブで無責任でもなんでもない有言実行のキャラクターに、かえって「シャボン玉と違って、ちっとも無責任じゃない」と、萎縮してしまった記憶がある(ヤなガキや)。
 本日追悼放送された『日本一のホラ吹き男』でも、やはりとことん有言実行キャラだった。たぶんその湿り気のない軽さを伴ったポジティブさが、高度経済成長期のまなじり吊り上げた社会人たちにとっては、プラス方向のオアシスだったのだろうなあ。『無責任』を標榜しつつ、実は何事もシャカリキにこなそうとしているのである。正直、観ていて疲れてしまった。
 しかし狸の脳内限定で、ブラウン管上のエンターティナーとして、つらつら思い起こすに――クレージー・キャッツの珠玉のコント群や、『だまって俺について来い』『スーダラ節』等の多面性・重層性に充ち満ちたコミック・ソングを脳内で反芻するに――やはり巷の評価どおり、ある種宗教的なヌケさえ感じられるのである。
 少なくともナンセンス・コメディやギャグにおいて、日本映画は、ほとんどブラウン管や舞台や高座の世界を越えたことがないように思う。植木さんを追悼するなら、ぜひ往年のテレビでのコントや歌唱を、再放送していただきたいものである。


03月28日 水  ぼたもちねこ

 駅に行く途中の路地で、植木鉢の横でたれていた、うまそうな猫とお知り合いになる。何十年(?)生きているんだか、でっぷりと肥大化しており、くすんだ薄茶色の虎縞が、いかにも香ばしくて美味そうだ。初対面の狸が触っても、けだるげに「まーかってにふにふにしといてください。とりあえずオイラはここでこーやってたれていられれば、モンダイありません」、そんな緩い反応を返すだけである。
 幼時、母方の田舎(今でこそ普通の町になってしまったが、昔は『スキー通学』などという概念もあったような土地である)に遊びに行くと、ご近所の藁葺き屋根にいつもつきたての餅のような白い老猫がたれており、狸は勝手に『ぼたもち猫』と呼んでいた(以前にもどこかで書いた気がするが、すでに記憶は茫洋としている)。本日親しんだ猫も、色こそ違え、ちょうどそんなあんばいのナゴミ系の猫だった。
 狸もまた、その隣に寝そべって、人生の八割方を怠惰に寝てすごしたいと切に願うが――なんじゃやら春からは多少忙しくしないと、いよいよ巣穴の維持が困難になってきた。まあ当節の中古狸としては、忙しくするあてが見えただけでも幸運と言うべきなのだろうが――正直――もし生まれ変わることができるなら、私は貝ではなく、ぼたもち猫になりたい。


03月27日 火  連続バトン

 まずは、見たらすぐやるバトンだそうです。

  ・見た人は必ずやること。
  ・今すぐやること。
  ・足跡をつけた瞬間、『見た』と判断されます。
  ・強制的にやらなければいけないバトンです。

 とまあ、なんじゃやらコワいので、やってみます。

 [職業]  不定
 [装備]  尻尾
 [性格]  穏和(惰弱とも言う)
 [口癖]  ぶつぶつぶつぶつ
 [ペット]  自分自身
 [靴のサイズ] 人間形態時・26センチ 狸形態時・はかない

 ■好きなもの
 [色]  白・桃色・茶色
 [番号] ゼロ
 [飲み物] 自腹なら輸入発泡酒、奢りならなんでもいいから高価なの
 [本] 根っこのしっかりした伝奇小説・広義のファンタジー・ビッグマイナー系コミック
    知性的純文学・ズブドロ大衆文学
 [花] 菜の花とかたんぽぽとかヒマワリとか、素朴で綺麗でしかしそこはかとなく哀しい花

 ■質問
 [髪染めてる?] まだ白髪染めは使っていません
 [髪の毛巻いてる?] 天然反重力毛髪なので波打ちがち
 [タトゥーしてる?] 狸腹に『生涯偽善者』と(嘘)
 [ピアス開けてる?] ピアス・鼻輪などは、狸社会では『反動』とイジメられる
 [お酒飲む?] はい
 [ジェットコースター好き?] 先頭に乗りたがるくせに、いざ乗るとゲロをつきそうになるタイプ
 [どこかに引っ越しできたらな〜と思う?] 北欧の森林地帯
 [掃除好き?] 基本的に、しない
 [丸字?どんな筆記?] 子供字
 [ウェブカメラ持ってる?] なし
 [運転の仕方知ってる?] 免許はないがマニュアル車の走らせ方は知っている(つまりとてもアブナイ)
 [携帯何] えーと、SO212iとか書いてあります
 [コンピューターから離れられる?] ないとこに行けば
 [殴り合いのケンカしたことある?] ありません
 [ウソついたことある?] 狸なので毎日
 [誰かを愛したことある?] ……あれは確かジュラ紀の終わり頃……ふっ
 [友達とキスしたことある?] つがいたい雌の狸ちゃんだけですね
 [誰かの心をもてあそんだことある?] そんなよゆーはありません
 [浮気されたことある?] 浮気ならまだいいが、別口に本気されてしまうんだよなあ
            (普通、フラれたと言いますね)
 [何かを盗んだことある?] 中学の近所の文房具屋の消しゴム
 [拳銃を手にしたことある?] したいしたいしたいしたい

 ■今現在
 [今着てる服] おっさんジャージ
 [今のムード] プレ・ホームレス
 [今のにおい] 狸臭(でもお風呂好き)
 [今の髪型]  反重力毛髪
 [今やりたいこと] 狸寝入り
 [今聞いてるCD] 自分で焼いた富山敬さんとか沢りつおさんの朗読(ベテラン声優は朗読が巧い)
 [一番最近読んだ本] 『浄土』(森敦)
 [一番最近見た映画] 『釣りバカ日誌 ハマちゃん危機一髪』。
 [一番最後に食べたもの] たつ家の牛丼特盛り(なぜか今日明日は400円!)
 [一番最後に電話でしゃべった人] 近所の葬祭屋さんの勧誘
 [ドラッグ使った事は] 昔合法で今違法な系なら少々(正直、単なる気の持ちよう)
 [ほかの惑星にも人類がいると思う?] 少なくとも『人類』ではなさそうな
                  (いわゆる知的生命体なら、どこかにはいるでしょう)
 [初恋覚えてる?] ゆうこちゃん
 [まだ好き?] どきどき
 [新聞読む?] 読みます(現在は朝日)
 [ゲイやレズのともだちいる?] 友人にはいませんが、昔のお客さんにはおりました
 [奇跡を信じる?] いや、起きてしまえば、それは現実
 [成績いい?] ……あれは確かジュラ紀の終わり頃……ふっ
 [帽子かぶる?] かぶりません
 [自己嫌悪する?] 我が身かわいやほーやれほ、という自分にちょっとアレになったりしますが、
          そのアレな我が身もかわいい
 [なんかに依存してる?] 妄想
 [何か集めてる?] 過去は種々の物件を巣穴に隠匿していましたが、今はあらかた餌に替えました
 [身近に感じれる友達いる?] 身近――ううむ、みんな空間的には遠方の感
 [自分の字好き?] 子供字なので嫌い
 [見た目気にする?] もはやそんな余裕はない
 [一目ぼれって信じる?] はい。たとえば、ゆうこちゃんの時。
 [ビビビ!を信じる?] 小学一年の入学式だったなあ
 [思わせぶりははげしいほう?] 昔からそんな余裕はない
 
 ■自分のこと
 [よく物思いにふける?] もーうっかりすると常時ふけってます
 [自分は性格悪い?] ほぼ人畜無害(稀に攻撃的になるのは、まあ、狸のやることなので)
 [シャイ?] ……ぽ
 [よくしゃべる?] しゃべりたい事があれば
 [疲れた?] 訊くなよオイ


 続いて、
名前がわからないバトンです。

 1.回してくれたご友人は?
   ゅぇ様です。

 2.このバトンを回すご友人を書いてください。
   えーと、すみません。あっち方向だと、もうたいがい回ってるような。

 『ここから先は1、2で答えたご友人で回答してください』
  げ。だから、2は書けないってば。テキトーに進めます。

 3.一番面白いご友人は?
   うーむ、なんかその若さがとっても面白い、神夜様とか、くら様とか。蛇好きの水芭蕉様も侮れない。

 4.結婚しても良い、むしろ結婚したいと思えるご友人は?
   明太子様。だって甲斐性がとってもありそうなんですもの。あれで野郎でさえなけりゃなあ。ぶつぶつぶつ。
   ちなみに生き別れの父と娘だと、やっぱしヤバい気が……将来ボケたら同居介護してくださいね。

 5.ルームシェアしても良いと思えるご友人は?
   甘木様あたりの蔵書が狙い目ですね。

 6.一緒にブレイクダンスを踊りたいご友人は?
   ぶ、ぶれいく……できんがな。狸のぶんぶく茶釜踊りなら、狸腹仲間ならどなたでも。

 7.超能力が使えそうなご友人は?
   私も市川イチ様(しかしまた微妙なお名前に)あたりに、姉的神性を感じますね。

 8.カワイイ!なご友人は?
   ゅぇ様のカラフル(空振る、じゃないですよ)な行動パターン。

 9.頑張っていたら助けてあげたくなるご友人は?
   まだ見てくれているのかな、エテナ様とか。

 11.一緒にバンドを組みたいご友人は?
   音楽系となると、やはりドンベ様とか甘木様とか。

 12.一緒に旅行に行きたいご友人は?
   国内節約旅行――甘木様。海外取材旅行――明太子様。


03月26日 月  文盲狸

 『七里ヶ浜の哀歌』、あるいは『真白き富士の根 (嶺)』と呼ばれる古い愛唱歌がある。♪まし〜ろきいふじ〜のねえみど〜りのおえの〜しいま〜♪の、アレですね。 実はその詞が後付けの替え歌であるのは有名な話で、『明治唱歌』に採用された段階では、あくまで『夢の外』 (大和田建樹作詞) 。ゴスペラーズとは無関係で、ゆめのほか、と読む。つまり七里ヶ浜での中学生転覆遭難事件が起こるまでは、そっちが一般的な歌詞だったのである。
 さて、狸は田舎の山の狸らしく昔から古くせー歌が好きで、中学時代に岩波文庫の『日本唱歌集』を読んだ時から、その元歌である『夢の外』の歌詞が知りたくてたまらなかった。たとえば山の中でひとり(一匹?)サミしく口ずさんだりするとき、海難事故の哀悼歌よりは、『旅泊』とか『旅愁』とかの系列と推定される歌詞のほうが、あのメロディーにふさわしい気がしたのである。しかし、その元祖『夢の外』の歌詞、なぜかどこをどーやっても出てこない。種々の唱歌集にあるのは、あくまで『夢の外』という旧詞があるという情報ばかりで、実際掲載されているのは、いつもの♪まし〜ろきいふじ〜のねえみど〜りのおえの〜しいま〜♪ばかりである。
 ことほどさように、情報という物は、たいがいの場合使い回しであって、オリジナルを独自にツッコんでくれるケースは少ない。それは現在のネットなどでも同じ事で、情報の共有と言えば聞こえはいいが、要は他人のフンドシで相撲をとっているわけである。狸も純創作物件あるいは私事以外、たいがいそうです。すみませんすみません。
 しかしまた、やはりネット界というものはありがたく、こうしたナマの物件が公開されていたりもする。

     

 ――す、すみません。日文専攻などと言いつつ根っから活字世代なもんで、部分的にしか読めないんですが。
 必死こいてテキスト化された情報が公開されていないかと検索してみたが……どなたか、これ、全部読んでくれませんか?


03月25日 日  秘蔵

 というほどの物ではないが、往年の栗田ひろみちゃんファンでも、この画像をお持ちの方は少ないのではないか。

    


03月24日 土  見境

 木村ユリカさんという女性から、メールが来た。ユリカさんではなく静香さんという人が、いつのまにか狸のものとなったらしいのである。会えば食事代もホテル代も、みんな出してくれるというのである。つらつら鑑みるに、今年に入ってすでに数百名の見知らぬお嬢さんや奥さんが、メールによれば狸のものとなっている。すばらしい社会になったものである。

 例の槇原敬之さんと松本零士先生の盗作騒ぎは、いよいよ泥沼にハマリつつあるようだ。松本先生も、川内先生同様お歳を召されて、弱冠被害妄想あるいは誇大妄想の気が出ているのも否めないが、槇原さんのほうも、四十路間近にしてはあまりに自分の記憶力というものを過信している気もする。大体、時間が夢を裏切らないかどうか、夢が時間を裏切らないかどうか、そんなのは、あくまでケース・バイ・ケースである。その夢もまた記憶の一部である限り、時間に負けて、脳の記憶野からスッポンスッポンと日々抜け落ちていく部分も多い。

 要は、どう『見境』を失うか、いや、失うためにどう『見境』を得るか、そんな問題なのだ。先般図書館で借りた森敦先生の『十二夜』が相変わらずちっとも理解できないので、昔買った講談社文芸文庫の短編集『浄土』を読み返していたら、その中の一編『門脇守之助の生涯』で、涙が止まらなくなった。生死一如というか、夢現一時というか――講演では理解できない理屈の部分が、一見さりげない小説の形で、するすると表される。

 ユリカさんも、いや静香さんも、勝手に狸のものにならないで、とりあえず食事代とホテル代を、先に送ってきてほしいものである。


03月23日 金  100円ワゴンから

 神保町の100円ワゴンで、『月と兵隊と童謡』というタイトルの古い三省堂新書がふと目に止まり、手にとって見れば同郷の童謡詩人・結城よしを氏の遺稿集なので、迷わず購入した。

 ♪ 
ないしょ ないしょ ないしょの話は あのねのね にこにこ にっこり ね、母ちゃん ♪

 皆様ご存知と思われる定番の童謡だが、その作詞者の人となりをご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないのではないか。実は狸も、同郷の身でありながら、また幼時によく遊んだ霞城公園内の児童文化センターの庭に立派な詩碑まであるのを何度も眺めながら、その詩人の人生については何も知らなかった。
 大正9年に東置賜郡で生まれ、高等小学校を卒業後、山形市内の書店・八文字屋(狸も在郷時よく通った、市内有数の老舗書店である)の住み込み店員、早い話が丁稚奉公をしながら、ひたすら童謡を作詞してはあちこちに投稿、自分でも乏しい給金(というより、丁稚に定期的な給金は出ないので、盆や正月や祭礼の時などに出るおこづかい)をもとに、17歳で同人誌を主宰。その頃実家は香澄町にあったらしいから、なんと狸と同じ町の方でもあったのだ(今はなき狸の実家は、昭和30年代に『城南町』と町名変更されたが、幼時はまだ『香澄町』の一部だった)。そして昭和14年、代表作『ナイショ話』(当時は歌の名前も歌詞もカタカナ表記だったらしい)がキングレコードから発売、しかし昭和16年、太平洋戦争勃発の5ヶ月前に教育招集、以降19年の夏に小倉で戦病死するまで、弘前の部隊の野砲兵、秋田の部隊の高射砲兵、そして暁部隊の船舶砲兵として氷雪荒れすさぶアリューシャンから南洋はパラオ・シンガポールまで――三省堂の編集部による巻頭の小伝の一節に、『
船舶兵に余裕があろうはずはない。ノートの切れはしに、軍の通信紙に、鉛筆で書かれた遺稿の一枚一枚は、潜水艦監視のさなかに、高射砲の砲身に紙をあてがって、淡い月の光をたよりに書かれたものかもしれない』とあり、それが最後まで一等兵だった理由ではないかとも推測される。
 内容は、まだ電車の中で読み始めたばかりだが――なんと翳りのない、透き通った方なのだろう。この方にとっては、兵役もまた叙情の一部であり、自分だけでなく他の兵士もまた『童心』の現所有者だったのだろう。そして敗戦に至る前に散ったからこそか、本当に無邪気な『皇国少年』(けしてまなじり吊り上げた軍国少年などではなく、あくまで自分の故国の正義を信じていた、そんな意味で)のまま、兵役中にも無数の童謡を紡いでいる。

  
ないしょ ないしょ
  ないしょの話は あのねのね
  にこにこ にっこり ね 母ちゃん
  お耳へ こっそり あのねのね
  坊やの おねがい きいてよね

  ないしょ ないしょ
  ないしょの おねがい あのねのね
  あしたの日曜 ね 母ちゃん
  ほんとに いいでしょ あのねのね
  坊やの おねがい きいてよね

  ないしょ ないしょ
  ないしょの話は あのねのね
  お耳へ こっそり ね 母ちゃん
  知っているのは あのねのね
  坊やと母ちゃん 二人だけ


 ふとなぜか、以前に観たアドルフ・ヒトラーのプライベート・フィルムなど思い出した。家族や親類の子供たちと、まったく人のいいおっさん顔で、昼下がりに憩っている姿である。
 もし昔のドイツに『ないしょ話』のような童謡があったら、ヒトラーだって、けっこう愛着したのではないか。どんな人間にも歴史にも、童心や叙情はあったはずである。


03月22日 木  鈍狸

 本日は居職なので助かったが、まだ体の節々が痛くてたまらない。やはりこの歳になると、『軽労働』系の仕事はきつい。そもそも、どこが『軽』やねん。しかし、自分よりはるかに高年齢の方々も数多く頑張っているのだから、やはりこっちの体が鈍りきっているのだろう。そもそも、ここ何年かやった運動といえば、ほとんど歩くだけである。
 『十二夜』は、平易な話言葉だけなのでひと晩で読んでしまったが、四方山話的な内容からいつのまにか仏教やら論語やら数学的構造論などの内容に紛れ込んでしまうので、ただ「はあはあ、なるほどなるほど」とうなずくしかない状態である。うなずいてはみるものの、ちっとも理解というか、観念として実感できない。やはり自分の脳味噌も、鈍りきっているのだろう。そもそも、ここ何年かやった脳味噌活動といえば、妄想の成文化だけである。
 ともあれ生死一如、宇宙は宇宙でないものはないことによって宇宙である――若者も爺いも、社長も土方も、森羅万象みな宇宙らしいのである。


03月21日 水  雑記

 本日は、狸も人並みに休日。午前中に目覚めたが、体の節々がギシギシと痛みとても起き出せず、午後になってようやく巣穴を這い出る。
 のたのたギシギシと、しゃっちょこばりながら図書館へ。まだ読んでいなかった森敦先生の『十二夜』(小説ではなく、月山の注連寺で行われた講演をまとめたもの。もう20年も前の本である)や、寅さんの名セリフCDなど借りてくる。
 小公園でおべんとびらきしていたろりやしょたの群れを観賞しながら、一服。
 帰りにダイエーに寄って、好物のイカゲソの天ぷらを買おうと思ったら、以前よりずいぶんちっこいので当惑。いつもなら、それだけでごはんを2杯はカバーできるボリュームだったはずだ。発泡酒のツマミは省略したくないので、飯のほうの主菜の予算は150円以内に収めたい。で、サンマのフライにしておく。これなら、常に一尾ぶんの嵩がある。
 いつもの89円の輸入発泡酒を買っていると、休日デモのおねいさんが、試飲用のサントリーの発泡酒を、タダでくれた。すかさずその発泡酒を他の買い物物件の底に隠し、時間差で何度もウロついて、結局3本もせしめてしまった狸は私です。すみませんすみません。今後サントリーさんにご恩返しできるかは今のところちょっと不明ですが、昔はずいぶんアレしたので許して下さい許して下さい。

 帰宅後パソを立ち上げると、取り調べ室で容疑者のアバラを蹴り折った警部補が書類送検と減給の懲戒処分、そんな配信記事があった。わはははは。お巡りさんなら、それだけやっても現行犯逮捕も馘首もくらわないのである。また、例の児童死体写真・裸体写真HPの小学校教諭(とっくに起訴済み)が、19日付けでようやく都教育委員会から懲戒免職をくらったという記事も。わはははは。とゆーことは、あんだけやっても18日までは馘首になっていなかったのである。親方日の丸、最強。


03月20日 火  冬の労働者

 明日は春分の日だというのに、相変わらず妙に風が冷たい。本日は朝から晩まで、暖房のない空間で重い物を持って右往左往していたので、汗をかいたりまた冷えたり、喉は渇くは唇は割れるはで、夜の風呂と輸入発泡酒と98円のチーズ入りソーセージだけが心の支えだった。ああ、なんだかますます森安直哉先生の末期に近づいていくような。
 まあ、あくまで臨時で、まだそれが毎日のアレではないのだが、あんがい充実した気分だったりもするので、世の中こんだけ人間がなんじゃやら複雑に蠢いているのだから、その日暮らしで体が動かなくなった時点で人生終了、そんな人間も多数存在したほうが、少なくとも社会全体のバランスとしては正しいのではないか、そんな気のする今日この頃である。
 負け犬の遠吠え?
 しかしまあ、どんな文明も底辺がなければ存在しえないのであり、文化もまたしかり。


03月19日 月  酩酊

 実に久方ぶりに、へべれけに近い状態まで酔った。昔の会社の同期が、ようやく結婚したのである。高卒入社なので狸より数歳若いが、それでも四十面下げて、ようやく華燭の典。
 式自体には当然呼ばれなかったが、3次会にお声がかかって顔を出した。そのあたりになると、もう酒席も初めから無礼講状態なので、「すみません、ビンボなフリーターで〜す」などと言いながら、結局一文も払わず飲み食いしてしまった。まあめでたいんだから、いいやな。
 ちなみにその彼は、今まで独り身だっただけあって、とても顔が悪い。凶眼に加え、キバがあるのである。人間の犬歯とは思えない尖り具合だ。まあそのぶん、人なつっこく笑うとかえって好印象になるんですけどね。若妻(いや、正直、すでに肝っ玉かあさん状態なのだが)も、そのあたりのギャップに惑ったのだろう。しかしここの存在を教えていないのをいいことに、好き勝手打ってるなあ、自分。すみません、まだ酔ってます。
 しかし、たいして飲んだわけではないのである。このところ輸入発泡酒の350缶くらいしか飲んでいなかったせいか、アルコール分解能力がすっかり失われてしまったようだ。もともと若い頃は父親譲りで、実はビール一杯で真っ赤っ赤の質だったのである。それが某駅ビル勤務中のウン年間に、テナント会と称する連日のドンチャンで、それなりに鍛えられたわけだが――ああ、今夜はせっかくタダなのに、損した損した。
 ……なんかみみっちくてアレなので、もう寝ます。


03月18日 日  綱渡り

 まあ現代文明などというものは、狸のフトコロ同様に自転車操業でかろうじて存続しているようなものだから、ちょっとしたバランスの取り違いで、いつ何どきバッタリと転倒してしまうか解らない。ある部分では、自転車どころかギリギリの空中綱渡り、狸が巣穴を追われ橋の下に住むどころか、何万人単位で奈落の底にまっさかさま、そんな脆さを確実に持っている。
 今さらながら発覚した志賀原発の臨界事故隠しなど、1999年初夏というタイミングもあり、恐怖の大王もあっちこっちでこっそり下準備だけはやってたのかもしれんなあ、などと感心してしまった。
 その件でさらに感慨深かったのは、『
北陸電力志賀原子力発電所1号機(石川県志賀町)の臨界事故隠しで、問題発覚の発端は、当時働いていた1人の社員の内部告発によるものだったことが分かった。同社は原子力安全・保安院の指示を受けて、昨年12月に発電設備点検委員会を社内に設置。「不適切な取り扱いなどはないか」など技術系の社員ら数百人を対象にしたアンケートが行われた。この中で1999年6月の事故発生当時に同原発で働いていた1人の社員が「臨界事故を隠しているようだ」などと指摘した。点検委員会は、さらに内部告発者を含めて、当時の関係者から聞き取り調査を行い、3月13日に「ほぼ間違いない」と事実を確認し、15日になって発表した。最終更新3月16日17時18分 読売新聞』というニュースである。
 まあ所長さんなどの偉物だと、どうしてもヤバい現場に直接立っていないものだから、「結局無事だったんだから問題ナシね、ナシ」、そんな感覚になりがち。職責上の保身意識もあろうが、何より『ヤバさの実感』に欠けているのでは。つまりサーカスの団長にとっては、実際綱渡りで誰が落っこちそうになろうが、職場内アクシデントに過ぎません。しかし渡っている芸人当人にしてみれば、綱の張りが緩かったりすると、生死に直結してしまうわけで。
 原発にしろサーカスにしろ軍隊にしろ国家体制にしろ、とにかく末端が正気を保っていないと、何がどう転ぶか判ったものではない。末端すなわち、狸とか、皆様方ですね。まさかエラブツがこんなとこ覗いてるはずないし。


03月17日 土  ラベルと中身

 その大きめの缶詰は、もう2年も前から、流しの下にあった。備蓄というより、なにがなし放置していたのである。もとは、母がまだグループホームに移る前、ケアハウスの個室にいた頃に冷蔵庫の中で忘れ去られていたもので、その時点ですでに紙ラベルがはがれてしまっており中身の正体は不明、缶の表面にも少々錆が出始めていた。持った時の感覚と大きさから、なにか果物らしく思われたが、もとより母は、その出所も正体も記憶していなかったので、下手に開けて妙な物が出てきても始末に困ると思い、そのまま狸が自分の巣穴に持ち帰った。
 以来、2年――食うに困った狸が、本日おそるおそる、いや、実は「食えるもんならもうなんでもいーや」と開けてみると――おお、大量のパイナップルではないか。さっそくむしゃむしゃと夕飯のおかずにさせてもらった。パイナップルをおかずに明星チャルメラを啜るというのもなかなかアレだが、まあチャルメラには玉子も入れたので、栄養的にはバランスがとれているはずである。それに、昔贅沢だった頃には見向きもしなかった安物らしいクドい甘さが、なんとも頬が落ちそうにおいしいのである。なんだかよくわからないものを開けて嬉しいものが出てきた感じが、なお嬉しい。
 チャルメラを食い終わっても、パイナップルはまだ半分残った。こちらはデザートとして、今週BSで再放送された寅さんのベスト5の録画を観ながら、ありがたくちまちまとかじる。 
 渥美清さんの後半生を、『山田組の寅さん』という商品ラベルと一体化しただけの存在と見るむきも多いが、缶詰の中身の味は、あくまでラベルでは決まらない。確かに後期の作は、渥美さんの体調悪化のためか、すっかり山田組作品として端正にまとまり過ぎたきらいもあるが(もっとも、それとて昨今貴重な存在だが)、中期までは、山田組の端正さをカタパルトに渥美さんのアドリブが軽快に飛ぶ、そんな高揚感がある。ラベルと缶だけきんきらきんで中身はナマ煮えとか、ラベルも缶もお粗末で中身までナマ煮えとか、そんな近頃の話題作など敵ではない。


03月16日 金  冬支度→天才がいっぱい

 都内で初雪が降ったのだそうだ。
 例年冬場になると狸の脛に生じる貨幣状湿疹も、おとついあたりから疼きはじめた。
 ああ、冬ですね。あわてて冬眠の準備を――って、もう三月も半ば過ぎじゃん。狸は冬眠しないし。

 ところで昨日、小松御大や手塚先生を『天才』と記し、まあそれ以前にも数多の先達の方々にこの場で賛辞を送っているが、ふと本日古本屋で西岸良平氏の『鎌倉ものがたり』の23巻目を購入しながら、考えてみればこのシリーズも長いよなあと感慨にふけり、帰ってその第1巻の奥付を確認すると――もう20年以上続いているのですね。ついでに『三丁目の夕日・夕焼けの歌』を確認すると――うひゃあ、とうに30年を越しているのである。まあ『三丁目』のほうは、登場人物もシチュエーションも多岐に渡っているので、単発物や幾つかの連作短編の集積とも見られ、中にはエッセイ的な内容の話も多いが、『鎌倉』のほうは、恐るべきことにほとんどが同一キャラによる一話完結の、それもアイデア重視ミステリー&ファンタジーの集積なのである。藤子F先生の『ドラえもん』の話数に比べれば数分の一であるにしろ、一話ごとのストーリーのうねりを考えれば、やはり尋常ではない。あまりにさりげない作風ゆえ、なんだかいつの時代もあってあたりまえに感じていたが、こうした仕事もまた『天才』の業に他なるまい。


03月15日 木  空気の底から

 押し入れから出てきた手塚治虫大先生の『空気の底』の上下巻初版本を、売ろうかどうか迷いながら、久しぶりに再読した。
 幼時は御多分に漏れず『鉄腕アトム』のカッパ・コミックスを宝物のようにしていた狸も、さすがに思春期に入ると「一旦卒業」の意識が芽生えた、と言うより他のトキワ莊の若手やその後継者たちや劇画の奔流に嬉々として流され、さらに『ガロ』などにハマってしまうと、「やはり手塚漫画はもう古いのか」などと小生意気につぶやいてしまったりもしたのだが――高校時代、以前にも記した『空気の底』という短編集に接して、その底知れずダークなヒューマニズム(?)と珠のようなアイデアと見事な語り口のバリエーションに、改めて「……て、天才や」と絶句してしまったわけである。突きつけてくる世界観の多様性と深さにおいて、当時の狸が「天才」と断言できたのは、タイプ違いかもしれないが作家の小松左京御大くらいか。しかしあくまで知性が勝ってしまい、その天才っぷりに濁りのない小松世界よりも、なんじゃやら一種背徳的な歪みに満ちた手塚世界のほうが、実際『空気の底』に生きるいじましい狸としては、年々歳々、畏敬の念が増してくる。

 しかしまあこの前の映画『日本沈没』といい、『どろろ』の予告編といい、やはり原作者とガブリ四つに組むだけの感性や根性のない方々の手にかかると、どんな天才の原作も変換者の感性と根性レベルまで墜ちてしまうわけである。映画『どろろ』本編を観ようという気はもはやまったくないが、差別と取られそうな恐れのある表現はきれいさっぱり除外したという噂は、本当なのだろうか。
 ふと思えば、一昨年にロードショーで観てあきれ果てた映画『奇談』など、ほとんど話題にもならず評判も芳しくないまま消えてしまいそうだが、ただ技術的に未熟なだけで、魂の部分は諸星大二郎世界になんとかガブリ四つに組もうとしていたのだから、まだ良心的だったのかもしれない。


03月14日 水  著作権

 以前にもここで取り上げた、音訳ボランティアの『声の花束』のサイトが、繋がらなくなって久しい。運営している社団法人・日本フィランソロピー協会さんのサイトによれば、不調サーバーのメンテ中とのことだが、あまり長引くので、思わず「ありゃ、これは何やら著作権保護期間の延長問題に絡んで、実は様子見?」などと勘ぐってしまったり。
 著作者の死後50年、と言うのが現在の日本の著作権保護期間で、これを先進的(?)アメリカさんあたりのご意見などもムニャムニャして70年にしよう、そんな気運がお上の方で高まっているのですね。当然賛成反対双方の意見があり、狸が行きつけの『青空文庫』さんなどは、当然反対である。で、狸も反対である。
 極端な話、著者が亡くなった時点で創作物の独占権などいっしょに昇天しても不思議ではないのだが、さすがにそれだと、職業的創作者さんのご遺族など、一家の働き手を失った瞬間から、路頭に迷ってしまう場合も多かろう。だから、子の代くらいまでは確保するとして、半世紀が妥当だろうと思う。70年といえば、もはやお孫さんの代まで伸びてしまう。いや、その作品がきちんきちんと巷に流れ続けるなら、別に100年でも1000年でもかまわないのである。しかし現実的には、このオゼゼ中心の社会においては、その時点で「商売にならない」と判断されてしまうと、どんな作品でもまず再刊されない。たとえば、狸が保護期間切れを心待ちにしている橘外男先生の作品群など、アンソロジー収録の定番作を除けば、古書としてもなかなか入手できない。少数の人間が「読みたいよう読みたいよう」と悶絶しながら、あるいはテキスト化したものや音訳を公開しようと希望しながら、為す術もなく待ち続ける期間が20年も延びてしまう。そうして20年も延びてしまうことによって、モノによっては、それっきり時の流れに消え去る恐れも増えてしまう。

 正直『著作権』と言う概念そのものが、恐怖のJASRAC大王さんのような流儀で解釈されてしまうと、我々としてはうっかり公の場で鼻歌も歌えなくなったりしてしまうわけで、そっちのほうも重々考えていただきたいところ。
 また、「もう著作権切れてるもんね」と、著作者への敬意などドブに捨てて、こっそり恥知らずな流用・改作を始める輩も多いので、むしろ無期限の『著作者表示義務法』でも定めていただきたいところ。


03月13日 火  無常

 100円缶詰のコーナーにあった『鮭のハラミ』は、もう二度と現れないのだろうか。貧乏人のお茶漬けに、最高の具だったのだが。同じく100円だったちっこいカニ缶も、もう二度と現れないのだろうか。やはり100円の『たまごにグー』と併用すれば、曲がりなりにも蟹玉が出来たのだが。そもそも玉子2個用のチョンガー向き『たまごにグー』そのものが、最近見当たらず、玉子を3個使うご家族向き製品ばかりだ。幸い定番化してくれたらしい『イカと里芋の煮物』缶詰をつまみに、輸入発泡酒を飲みながら、そぞろ無常の思いにとらわれる今日この頃である。ぶつぶつぶつ。

 例の『おふくろさん』騒動――川内康範先生と森進一さんのズブ泥は、長引く一方のようだ。森さんの奢りと川内先生の軽アルツの、悲しいすれ違いに思える。しかしアルツ初期の老人の逆鱗さえ想像できなかった森さんに、真の演歌は歌えまい。狸はその頃の演歌が結構好きなたちだが、残念ながら森さんの声から、魂を感じた記憶がない。森さんの自己陶酔と、彼のファンの陶酔は確かに重なっているのだろうが、その世界は残念ながら社会的に閉じている。世間知らずに魂の『演歌』は歌えんのよ。それよりも、川内先生のアルツ(相手に非があるとはいえ、明らかに被害妄想が加わっているのも確か)のほうが、今後、心配である。


03月12日 月  歩く

 フーテンの寅さんの科白に、「各駅停車の列車より特急や急行のほうが料金が高いのはおかしい」、という意の言葉がある。なぜなら、長い時間乗っていられないから。「時は金なり」と反論しようとしても、それは極めて一面的な反論にしかならない。あくまで列車さんを主として見た場合、『時』が『金』ならば、当然長い時間かけて走る列車のほうに、多く払わなければおかしい。つまり乗客は、『列車に乗っていない時間』を、大枚はたいて買っているわけですね。
 で、歩くのは、無料。たとえば秋葉原から狸穴まで歩いて帰るとすると、途中休みながらかなりいいかげんに歩いて、約4時間です。脇目もふらずに根性で歩き通せば、3時間くらいだろうか。料金は無料――と言いたいところだが、どうしても途中で清涼飲料水が欲しくなるので、ペット・ボトルに150円、そんなところ。電車賃290円で30分弱の不快なぎゅう詰め立ちんぼ時間を買うか、150円で4時間のペット・ボトル付きお散歩を買うか――まあ、好き好きなんですけどね。

 ころりと話は変わって、ゅぇ様より、『
色バトン』が届きました。

 
好きな色
 傍目で見るなら、パステルピンク。自分の毛皮や持ち物としては、ベージュや茶系。

 
嫌いな色
 特に嫌いな色はない――いや、コンクリ打ちっぱなしの灰色。

 
携帯の色
 青。
 
 
心の色
 実務時まっつぁお、趣味時パステルピンク、寝ている時だけ白。

 
回してくれた人の心の色
 朝焼け色。

 
次の7つの色(赤・青・橙・桃・黒・白・緑)に合う人を選んでバトンを回して下さい
 カラフルなバトンなので、誰にも渡さず巣穴に飾っておきます(てゆーか、未配布先がもう残ってないっぽい)。


03月11日 日  エロ漫画

 『成年コミック』という表記が生まれる前の、いわゆるエロ漫画も押入れにいっぱいあり、思い入れのない奴はすでに一山いくらで煙草代にしてしまったが、いよいよ思い入れのある作品も生活費のたしにしてしまおうかと思い、また押入れを漁っていると、もともと思い入れがあるものだから、たとえば村祖俊一氏の一連の単行本など、どーしよーかどーしよーかとさんざん迷ってしまう。谷口敬氏の『水の戯れ』から『義娘』(平田のりお名義)に至る作品群とかも、まだ『ろり』が徒花的存在だった頃からの歴史的遺産として、残しておきたい。まあ『水の戯れ』や、村祖さんの『娼婦マリー』は近年復刻されており、その頃のいわゆる代表的異色作品はのきなみ復刻ムードのようだが、他のマイナーなお耽美作品群は、なかなか復刻されないからなあ。
 ふと気になって、そのお二方の消息などネットで検索してみたら、お二人ともホームページを持っておられ、しかし村祖氏のほうは、漫画執筆も生活も、なんだかよくわからない状態のようだ。新作はもう出ないのだろうか。一方谷口氏のほうは――あらら、美少女漫画ではなく、どうやら生活のための漫画やイラストをなんかいろいろがんばっていらっしゃるのだなあ。いや、歴史漫画だって実用漫画だって挿絵だって、プロにしてみれば大事な仕事なのだろうが、無責任なロートル・ファンとしては、この『ろり』全盛時代になんで編集の奴らも若いおたくも『谷口ろり』を求めないのかと、つくづく不可解。
 ところで谷口敬さんって……もしかして、実家は山形? おまけのページにある『法事』で、山形新幹線に乗って帰っているし、おまけに地元の料理が『だす』とは……。

(注・『だす』の正体は、『谷口敬』で検索したほうが、すぐに見つかると思います。ちなみに、狸は苦手でした。だってきゅうりがなんかいろいろとまぜこぜになってるんだもん。)


03月10日 土  萌えるパンダ、迷える死美人

 ライト版(?)パンダ物件は、無事スニーカー賞の第一次をクリアしたようだ。ストーリーは同じ角川の野生時代に送って二次まで行った版と同じなので、その三次落ちが判明してわずか一月ちょっと後に類似作を同じ会社に送るというのは、「ナメてんのかオラぁ!」と怒られるのではないかと思ったが、念のため「前の選評を参考にライト調に改稿しました」と応募票に附記しておいたので、無事別物扱いしてもらえたのか。
 思えば、一昨年に一度某ライト系の賞に応募したときは一次すら通らなかったのだから、まあそれからもずいぶん推敲を重ねたとはいえ、やはり題材と文体が乖離していたのだろうなあ。いや、狸としてはあくまで昭和中期の明朗娯楽文芸調で正しかったと思っているのだが、現代の業界の方々から見れば、やはり『おたく』や『萌え』は、ライトに語ってほしいのだろう。
 ほんとうは『おたく』も『萌え』も、狸の青春時代、つまり四半世紀以前から立派に萌芽していたんですけどね。いや、人類が言語や文字や絵画に目覚めた頃から、情動的には存在していたはずである。土偶や埴輪を造っていた連中だって、きっと何かへのおたくであり、日々何かに萌えまくっていたに違いない。

 ところで、昨年4月以来リニューアルのため休刊している講談社の雑誌『メフィスト』、去年の予告どおり来月復活してくれるんだろうなあ。いわゆる『メフィスト賞』にも死美人物件を送ってあるのだが、あの賞はあくまで講談社ノベルズという範疇に対して持ちこまれた作品を、雑誌『メフィスト』において講評し、商売になりそうだったらその刊行をもって『賞』とする、そんな形式なのだ。よって応募して次の『メフィスト』さえ発行されれば、「よくわかりませんが才能らしきものを感じます(でもわかんなきゃ売れねーよ)」とか、「とてもいい作品だと思いますが商売にはなりそうもありません(お願いだからこーゆー地味な話はウチに送ってくんなよ)」(注・括弧内はあくまで狸の邪推)とか、どんな作品でもとにかくひと言、編集の方のコメントがいただける。しかし肝腎の『メフィスト』が発行されないと――でも、まだ刊行予告すら出てないのよなあ。高橋克彦先生の『総門谷R・将門編』の連載も、中断して久しいし。まあ、それは高橋先生が忙しすぎるからかも知れないが……ぶつぶつぶつ。


03月09日 金  仮想と現実

 もうご覧になった方も多いのではないかと思われるが、ミクシィでこんなニュースを見た。

(ゲンダイネット - 03月08日 10:00)
 映画「マトリックス」みたいな“仮想社会”が現実の話になってきた。全世界で会員数300万人を超える米国発の仮想空間オンラインサービス「セカンドライフ」が、もうすぐ日本に上陸する。一部では「ニートが急増する」と懸念する声も聞こえるが……。
「セカンドライフ」は、会員がインターネット上の仮想都市に自分の分身をつくり、自由気ままに生活するゲームみたいなサービス。分身は男でも女でも構わない。現在、360万人の“住人”が起業したり、モノを作って売るなどして仮想通貨が流通している。この通貨は現実の米ドルに換金できるというからビックリだ。IT業界に詳しいジャーナリスト・井上トシユキ氏が言う。
「すでにさまざまな商売が成立しています。映画の自主製作が趣味で、仮想都市に映画館を建てて自分の作品を上映したり、土地を買って開発し、高騰させてから売って100万ドル(約1億1600万円)相当の大儲けをした人もいる。会員数は毎月30%以上も急増しています。企業も続々と参入していて、英国のロイター通信は『セカンドライフ支局』を開設、仮想都市で起きた出来事や事件をニュースにしています」
 漫画みたいな話だが、トヨタもこの中で新車発表をしたり、本物とソックリの車を売っている。米IBM、ナイキ、日産、中古書籍のブックオフなども次々と仮想店舗を出店しているのだ。風俗店もあり、レイプ事件も起きている。
「米国ではここで得た収入への課税ルールを検討しているほどです。課税が決まり、正式な収入と認められれば、職業欄に『セカンドライフ』と書く人も出てくるかも知れない。パソコンに向かっていれば仮想社会だけで収入を得られるため、現実社会に対応できないニートなどが逃げ込み、ますます社会復帰できないケースが増える事態も想定されます」(井上トシユキ氏=前出)
 とんでもない世の中になってしまった。
 【2007年3月5日掲載】


 まあ、どうであの週刊現代系の配信だから、某スポーツ新聞と大差ない娯楽記事だし、そもそも現実のカネが直接絡んできた段階で、すでにそこは仮想どころか生臭い実社会なわけで。
 こうしたニュースを見たあとで、東宝映画の『世界大戦争』を再見して大泣きしたりすると、人間というものの業の深さに、改めて頭を抱えてしまう。仮想仮想とおっしゃいますが、所詮みんな人間の脳味噌の仕業、個人の脳味噌という物理的存在自体は、あくまではかない肉塊なのである。なるべくミサイルで一瞬に炭化したり、ツブしたりツブされたりしないよう、外界にも気を配るのが吉。


03月08日 木  うちの子たち、返してね

 なんのかんの言いつつ、北の首領様はあいかわらずゴネ得の帝王のようだ。駆け引きが巧いなどと言う説もあるが、巧い下手と言うより、「お菓子くれなきゃイタズラするぞ」のハロウィンの子供と同次元なのである。このシンプルさに、理屈で対峙できる大人はいないだろう。ましてその♪ぴー♪が頭に肥桶を乗せていたりすると、やたら張りとばしたらこっちまで汚物まみれになってしまうので、それもえんがちょである。つまり、解決策は『ない』。拉致問題にしても、ただの子供なら「嘘ついてました、ごめんなさい」もアリだろうが、なにせ自分ち限定で宗教的な神の立場にあるのだから、それは絶対に言えまい。ならば多少の汚物はぶちまけられる覚悟でツッパるか、無視してほっとくしかないのである。アメリカと言うお山の大将も、安倍さんは小泉さんほどかわいくないのか、どうやら高みの見物に落ち着きそうだし――安倍さん、どーする?
 などと他人事のように言っているバヤイでもないのだが、♪ぴー♪相手に道理や道義を垂れても通用するはずもなく、といって治療施設に強制収容するのも不可能だとすれば――悲しいかな、あっちの家に閉じこめとくしかないのですね、普通の大人としては。現に、たいがいの国家はそっちを志向している。同じ『拉致問題』を抱えているとはいえ、韓国はどうしても『同民族』と認識しているわけだし。
 しかし狸個人としては――このろりたちに対する仁義を通すためなら、あえて国際社会からの孤立を恐れたくない。その孤立は、♪ぴー♪の孤立とはまったく異質な、人としての矜持によるからだ。

          
         (この写真の肖像権は、横田めぐみさんにあります)


03月07日 水  オーディオ・カセット・テープ

 学生時代(つまり太古)に録りためたオーディオ・カセットが、軒並み寿命(?)を迎え始めたようだ。いや、メーカーによってはもう何年も前から磁性粉落ちまくり状態で、ラジオ番組等再入手不可能な音源はMDに移したりしていたのだけれど、某一流メーカー品で磁性体もしっかりしていたのが、早送りや巻き戻しをやると、最後に止まる時のイキオイで、テープがリールからスッポ抜けてしまう。アナログ物件ゆえ、当然手間さえ惜しまなければ修理可能だし、早送りや巻き戻しを控えれば、とりあえず使用可のようだが――どこかでアナログのカセットからワンタッチでMDやMP3に落とせる機械は出ていないか。いや、出ていたとしても、買う金がないか――これはもう、パソに繋いで根気よくデジタル保存してやるしかないですね。
 なにはともあれ、各種録画録音再生規格があれよあれよと栄枯盛衰を加速するこのウン10年、VHSビデオとオーディオ・カセットだけはまだ当分機器的に不自由がなさそうなので、結局この世は長い物に巻かれるしかないのかなあ、などと、ふがいない洒落が身にしみる狸であった、まる、と。


03月06日 火  雑想

 え? 雨? 聞いてねーよ! などと夕刻の出先で、水の漏らない靴ではなく、先般自分で補修した底割れ靴を履いていた狸は大いに慌てふためいたわけだが、幸い補修剤の効能書きに偽りはなく、無事耐水性が証明された。もういつ買ったのかも判らない、セメダイン株式会社の『シューズドクター』、確かに効きます。

 志布志事件、無事に全員の無罪が確定したようだ。何度も言うが、各種冤罪事件の『真実』などは、神ならぬ狸の知る由もない。ただ、物的証拠どころか状況証拠すらなく、官憲の推測だけで『事件』が成立してしまっては、もはや『冤罪』どころか『仮想』なのである。戦前のアレコレの弾圧事件と、捜査方法に変わりがない。まあ戦前だって、狂的な警察官もいれば良心的な警察官もいたのだし、現代でも、たとえばこの狸穴に防犯チラシを配って、ついでにウロンな狸が住み着いていないかチェックしてゆくお巡りさんなどは、とても木訥そうな好漢なのだけれど。

 ところで、『売り飛ばす』系のシミったれた話ばかり記していたためか、さるお方より「コミックスという奴は、そんなに高く売れるもんなのか?」というご質問をいただいたのだが、こればかりは「モノによる」としか言いようがありません。よほどの稀覯本でもない限り、ゲームのように日々の相場がほぼ確定できるわけではないし、絶版本でも二束三文の場合もある。ただ、いわゆる新古本と違い、狸の場合はウン10年に渡って、リアル・タイムで集めた『古い新刊書(?)』が多いわけです。成りゆきで、初版第一刷が多いのですね。たとえばビッグ・マイナー系のロングセラーのコミックスで、現在でも重版の新品が入手可能なもので、新古本屋では無差別にゴミの値段になってしまうような作品でも、初版に限っては、神保町の漫画専門店あたりまで運べば、一桁違った買取価格になったりする。まあこのあたりに、いわゆる『背取り』さんの活躍する余地もあるのでしょう。


03月05日 月  ひがみこんじょの花

 映画評論家・田山力哉氏の『伴淳三郎 道化の涙』を読む。狸と同郷の、往年の人気コメディアン兼個性派俳優の人生を描いた、実名小説である。
 狸の幼時、夏の花笠祭の山車から陽気に手を振っていた、そして東宝の喜劇映画では不可欠の脇役だった、そして『飢餓海峡』などで『名優』の域に達したあの方が、極めて非常識で困った性格の方だったという事実、そして一生涯、低学歴・無教養・田舎者としての『ひがみ』に一貫して囚われていたらしいという事実、まあそこいらのちょっと哀しい真実は、以前から他の方々の芸能関係作品(たとえば小林信彦氏の)で知ってはいたのだが、じっくりとその一生をまとめて読まされると、あらためて『ひがみ』という感情の底知れなさに慄然としつつ、また心底からの共感を抱いたりもする。
 たとえば狸が、かつて買い集めた大量の漫画本をあらかた売り払ってしまって、ギャグ関係だと、とり・みきさんの単行本はすでに一冊も残っていないのに、なぜ唐沢なをきさんの単行本はあらかた手付かずで残っているのか――それは、同じメタ・ギャグというジャンルでも、とり・みきさんの作品からは潔いほどに感じられない『ひがみ』の感覚が、唐沢なをきさんの作品には、常に横溢しているからである。横溝正史は売り払っても、乱歩は残しておきたい――それもやはり、大乱歩作品が最後まで失わなかった『ひがみ』への同調があるからだ。
 狸が伝奇ロマン好きなのも、たぶん『ひがみ』に由来している。たとえば半村良大先生は、高橋克彦先生を同族的に思っていたらしいが、菊池秀行氏や夢枕貘氏はどうやら正統な伝奇仲間と思われていなかったらしい。それは作風の違いというより、市井の底流のさらに底流に潜むものとしての『伝奇』でなければ真の伝奇ではない、そんな矜持によっていたのではないかと思う。
 日陰者の『ひがみ』に咲いた花からは、華やかと言うより、より濃厚な香りが揮発している。


03月04日 日  おばちゃまと金魚

 さあて、おばちゃまが若い頃、高畠華宵先生に描いていただいた肖像画なんか、ご紹介いたしちゃいますね。
 まあ華宵先生の活躍された時代から計算しちゃうと、「じゃああんたもうすぐ100歳かよ」、そんなかわいくねーツッコミが入っちゃったり、「おいおい著作権どうなってんだよ」、そんなしゃっちょこばったご意見もおありでしょうけれど、そこはそれ、おじちゃまが『華宵ラブ』の心をこめてスキャンしたりレタッチしたりしてくれた画像なので、こっそりナマツバ飲むだけにしてちょうだいね、うふ。

     


03月03日 土  雛祭り

「さあて、おばちゃま、お久しぶりに、フリフリよ、フリフリ〜♪ さあさあ、たかちゃんもくにこちゃんもゆうこちゃんも、今日は思いっきし、甘酒かっくらって、、パーっとハメを外しましょうね、パーっと!」
「おう、ごーせー。えびふらい、ちきんろーる、さくらもち。んでもって、お赤飯においなりさん」
「んむ、いろんなぱっくにはってある、このおひなさまシールが、とってもひなまつりだ。んでも、この『処分価格』シールは、ちょっと、ビンボくさいな」
「……ぽ。……あまざけさん、あまくて、ぽかぽか。……ひっく」
「なのはなのてんぷら、おいしーね」
「んむ。このほのかなにがみが、なんとも」
「……はるのかおり。……ひっく」
「んでも、かばうまさん、かえってこない」
「んむ。そもそも、このビンボな巣穴のどこに、こんなかねが、あったのだ?」
「はーい、そこんとこは、おばちゃまがご説明いたしましょうね。かばうまさんは、実は本日、人としてやってはならないことを、やってしまいました。まあ『沙耶の唄』とか『腐り姫』とか『黒と黒と黒の祭壇』とか、昔自前で買って今まで売らずにとっておいたすっげー偏った趣味のエロゲをソフマップに売ってしまったのはまだ許せるとして、『憂国』『約束の地』『寒い朝』などなど、漫研の先輩・いしかわじゅんさんの初版本までことごとく中野書店に売り払ってしまったとゆーのは、もはや人の道を踏み外しております。ですのでおばちゃま、そーゆーいけないおじちゃまは、猿ぐつわをかませふんじばって、これこのように識域下の押し入れの奥深く、封じさせていただきました」
「……もが、もが」
「つんつん。おう、まだ、いきてる」
「んむ、なかなか、しぶといやつだ。んでも、しんでしまうと、あとしまつがたいへんだ。おい、ゆーこ。しなないていどに、なんか、のこりものをやっておけ」
「おろおろおろおろ」


03月02日 金  牛丼がふがふ

 吉野家の牛丼特盛りが復活した。昨日から、牛丼販売時間も延長したのだそうだ。並盛りでは満足できない体なので、というか、朝昼兼用の食事に吉野家の並――丼に軽く一杯の飯とギリギリの具――を惜しみ惜しみ食べるなら、松屋の豚めしの方が、安くて具も多くて味噌汁まで付く。ならば思い切って贅沢に、吉牛の特盛りに味噌汁玉子生野菜追加で、どーんと一日の『正餐』にしてしまったほうが、腹も精神も満たされる。
 別に脳天気アメリカ畜産業を擁護するつもりはないが、吉野家の牛丼は擁護したい。

 もう30年以上も昔、故郷を離れ仙台の予備校に通い出した頃、昼飯には主に三つの選択肢があった。
 まず、『飯のはんだや』。仙台ローカルのチェーンで、自分で好きな総菜の皿や小鉢を選ぶ、ドヤ街タイプの定食屋である。けしてうまくはないが、とにかく早くて飯の盛りが良くて安かった。
 それから、授業の都合でちょっと早めに食う時は、予備校近くの大衆食堂で、カレーを狙う。『狙う』というのは、開店後しばらくは前日に作ったカレーの残りが出てくるので、例の黄色くてベタベタして肉の少ない大衆食堂カレーでも、充分煮つまっているせいか奇妙にうまかった。しかしこれは、タイミングや前日のカレー需要によっては、その朝煮たばかりの黄色くてベタベタして肉の少ない単なる大衆食堂カレーが出てくる恐れもあり、一種の賭けだった。
 そして真打ちが、駅前に燦然と輝く、吉野家である。
 当時の仙台は、地下鉄などはまだ影も形もなかったが、さすがに東北一の大都会のこと、なんぼでも洒落た店はあった。しかし肝腎の狸の懐には、ビンボな今よりもさらに乏しい小銭しか入っていなかった。ところが、山形ならどんな汚い食堂でも数百円は下らない『牛丼』という豪華物件が、仙台では半額で食えるのである。さすがは大都会、文明開化の世界――大袈裟なようだが、当時は単品メニューの外食チェーンという業態そのものが、田舎にはほとんど進出していなかった。実際大都会のはずの仙台でも、吉野家で狸ががふがふ食らっていると、後から来たお客が「天丼」「カツ丼」「親子丼」などと様々な注文を出し、店員さんに「うちは牛丼だけなんですよ」と頭を下げられ、びっくりしていたものである。

 さて、復活特盛りを味わった感想は――味付けは以前のままのようだが、肉質は、30年前と比べれば格段に良くなっている。まあ脳味噌が海綿状になる可能性もゼロではないのだろうが、今のところ、車に轢かれて狸煎餅になるよりは、ずっと低確率のはず。あとは、味噌汁無しの並盛りでも、松屋の豚めし(味噌汁付き)に比べ90円も高い、そのあたりのモンダイを、ちょっとでも善処していただきたいところである。


03月01日 木  正調(?)オモライさん→アフリカ河下り

 なんかいろいろの帰りに久々に秋葉原を歩いたら、路傍に乞食の人がいた。昔懐かしい、小銭の入れ物を前にただ座っているタイプのオモライさんである。人の流れの中から瞥見しただけだなので、あえて歩み寄って援助したくなるだけの『気』は感じられなかった。しかしまた見かけることがあったら、じっくり風体のニュアンスまで、参考にさせてもらおうと思う。ネタとしてだけでなく、明日は我が身という気もするし。これからの時代、またそのパターンの方々が、増えていくのかもしれない。

 やや蕭然と帰宅の後、BSで録画していたジョン・ヒューストン監督の『アフリカの女王』を観る。第一次大戦が勃発した頃のドイツ領コンゴを舞台に、ちっぽけな蒸気船、というよりポンポン船(?)で個人営業運搬渡世を送っているカナダ人無頼漢と、ドイツ軍の略奪がらみで宣教師の兄を亡くし天涯孤独になってしまったツンデレ型の英国婦人が、いっしょに激流を下ってドイツの軍船(これまた軍艦と言うにはあまりにのどかな蒸気船)を沈めようとする冒険物語である。高校の頃に一度テレビで観た時は、背景や状況のわりにはなんかずいぶんのどかな映画だなあと思った記憶があるが、再見したら、のどかと言うよりとても骨太でストレートで、とてつもなく清々しい娯楽映画なのであった。大人のための脳天気映画、とでも言おうか。今のハリウッド映画からはほとんど失われてしまった『大人のエンタメ』の匂いが、一種哀しさを感じるほど懐かしかった。ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘプバーン、いずれもお見事に、その世界のそのキャラとして、息づいております。