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05月31日 木  嘘八百

 『ヨード卵・光』そのものには、なんの恨みもないのだけれど、あのCMはやめていただきたい。『健康ブーム』など人類の歴史と同じほど太古からあるし、『食の安全』も1960年代後半からヒステリックなほどに叫ばれている。まあ『広告』そのものが愛すべき嘘八百に他ならないとはいえ、ああまことしやかにソフトに語られると、30年前に生きていなかった若者などは、本気にしてしまうといけない。
 そうした『願望』が『事実』とすり替えられがちな時代が長く続くと、なにかと怖いわけである。戦争だってテロだって、その風潮の果てに起こるわけだし。そしてその風潮が高まると、逆に本当の嘘(?)のボルテージが下がる。絵空事がつまらなくなるのである。発泡スチロールのギターでハードロックをやっているようなあんばいになる。発泡スチロールのギターしかなければ、ギミックとしてコメディーやコントをやればいいのだし、ハードロックがやりたければ必死こいてバイトしてマジな楽器を揃え、それなりのテクも磨かなければつまらない。
 別にコントもバンドも興味がなく、体に良くて美味しい卵が作りたいだけなら、黙って鶏さんとがんばっていればいいのである。30周年を迎えてまで、過去を歪めることはない。


05月30日 水  阿弥陀堂だより

 『雨あがる』の小泉堯史監督作品だから、よもやハズレはあるまいと思いつつ、録画しておいた『阿弥陀堂だより』を観る。黒澤監督の後期作品を助監督として支えた方らしく、徹頭徹尾、揺るぎのない脚本と映像美。こーゆーのを、『真摯』な作劇というのである。この地味で教条的にも見えかねない正論ドラマは、全ての登場人物をその職業や人生まで緻密に練った上で、正論として成立させているのである。さりげないパニック障害の描写ひとつとっても、とことん『現実』をふまえてキャラと融合させている。幸い市井の評価も高いようだが、例によって、砂糖漬け眼球あるいは激辛性味蕾麻痺による的外れな批判も散見されるようだ。感受性も知性も共に鈍磨してしまっているのだから、黙っていればいいものを。だいたい、根のない教条主義と正論の区別もつかない人間が、どのツラ下げて「生活感が希薄」「説教臭い」などと発言できるものやら。世の中、そう甘くもなければ辛くもない。
 『阿弥陀堂だより』とは関係ないが、近頃の和製エンタメ作品の多くが妙にスケール感や説得力に乏しいのも、トぶための土台をしっかり構築しないからではないか。花も実もある絵空事を成立させるためには、当然根っこがいるはずである。


05月29日 火  野良猫の哀愁

 先週味をしめた雑木林と緑地公園をめざし、今週も途中下車。さすがに二度目となると、雑木林の狭さがやや物足りない。一方、公園の野良猫たちはすこぶる蠱惑的なので、餌付けを試みる。発泡酒は飲まないだろうから、99円ショップでツマミに買った小魚の干物を使う。まだ陽のあるうちから公園で一杯やってんじゃねーよおっさんおっさん、といったツッコミは、代わりに夜中に働いているのでかんべん。
 さて、住宅街やオフィス街のささやかな公園ではなく広大な緑地公園に生きる野良猫というものは、野生味が豊かでそのぶん警戒心も強く、たいがいちょっと近づいただけで脱兎のごとく消えてしまう。しかし中にはやや人慣れしている鷹揚な猫もおり、人通りの少ない奥まったベンチで丸くなり、少々離れたベンチに見知らぬおっさんが座ったくらいでは動じない。で、そのおっさんがのんびり飲み食いを始めたりすると、警戒しながらもなんじゃやら期待の眼差しで、こちらを窺ったりする。しかし野良としての自尊心も捨てきれないらしく、おっさんが干物を差し出しても自分から近づこうとはしないし、おっさんのほうから近づくと慌ててベンチを下りて、ちょっと離れた木陰から、なんじゃやら複雑な視線でこちらを見守っていたりする。そこでおっさんは、その猫のお気に入りらしいそのベンチに干物を置いて、もとのベンチに戻る。
 そろそろ傾き始めた木漏れ日の下、干物の置かれたベンチをはさんで、微妙に緊張感があるようなないような、心理の探り合いが展開し――。
「かーかー!」
 いきなり樹上より舞い降りたカラスが、干物をくわえて飛び去ってしまう。
「…………」
「…………」
 なんかとても間の抜けた沈黙が、あたりを支配する。
 野良猫はおずおずとそのベンチに戻り、ふんふんと嗅ぎ回り、未練げにペロペロなめたりしている。だからお前遅いってんだよ、おい――そんなツッコミを入れても、まあ野良猫なので仕方がない。おっさんは再度、干物を持って近づくが、まだ警戒心の解けない猫は、再度木陰に逃れてしまう。おっさんは仕方なく、また干物をそこに残して退くが――。
「…………」
「…………」
「かー!」
「…………」
「…………」
 結局、野良猫は3度目でようやくカラスより先に干物をくわえ、「もー俺んだぞ! カラスにはやらんぞおっさんにも返さんぞ!」、そんなイキオイで茂みの奥に駆け去ったのであった。
 おいおい、ゆっくりそこで食ってりゃ、まだ続きがあるのになあ。
 ――まあ、ことほどさように、野良猫の生活も、なにかと難儀なのであった。


05月28日 月  小さな幸せ

 例のコンビニの深夜バイトから、一日ぶんの弁当類と大量のパン類をいただいて帰宅すると、いきなり漫研時代の仲間の訃報が届いていた。もう1年も前に会社で倒れ、そのまま息を引き取っていたのだそうだ。呆然としながらも、立ちづめの体は餓えと渇きを訴え、発泡酒を呷り焼肉弁当を詰め込む。生きていればこその嚥下であり咀嚼である。ただ生きている我が身を慈しむ。ただ生きている他人を祝福する。でなければ生活の途上で望まずに死んでいく者に申し訳が立たない。またそれだけに、松岡利勝農相の自死などは、あまりに不毛で情けない。死者に鞭打ちたくはないのだが、いったい自分の存在の意義を何によって計っていたのか。あれでは中学生以下である。それとも立派な鬱病だったのか。

 一昨日図書館で借りた橋口五葉の展覧会の目録を繰り返し眺め、館内閲覧限定だった豪華画集の美しい画業を反芻しようとするが、やはり印刷が小さくて粗い。画集が欲しい。しかし1000部限定のその画集は、古書店でも1〜2万円はするようだ。今のところ手が出ない。
 いっしょに借りてきた『紙芝居がやってきた!』(鈴木常勝・著)は、俗悪呼ばわりされた往年の無名作品が多数紹介されており、その小さな図版から吹き出すようなとんでもねーバイタリティーが圧巻。現代のいかなるエログロ猟奇系漫画も、足元にも及ばないカタルシスである。生への渇望と死への怨嗟の欠落した近頃の露悪は、ただ解剖図鑑の絵柄で表層を描いているだけではないのか。つまり、ちっともトンでいないのである。一期一会の紙芝居のとびっぷりに拍手。自分にとっての『物語』の原点は、やはりそこにあるようだ。


05月26日 土  Z級ぐるめ・100アンダー編

 【職人の技ビーフカレー】――販売会社は(株)エフジーフーズ。ダイエーの98円均一コーナーにて購入。
 100円前後で買えるレトルト・カレーは種々あれど、お気に入りを見出したのは、ダイソーで売っている和風カレー以来か。その手の製品には珍しく、ドロリとネバつくタイプではなく、さらさらしたスープっぽい感触である。よって200グラムの一袋で、一合ぶんの飯を優にカバーできる。目玉焼きでも添えれば完璧である。感心に肉の塊まで入っていると思ったら、成型肉だったのはご愛敬。ただ、ダイエーの均一セール品はスポット的に消えてしまう場合が多いので、安定供給可能かは未知数。

 NHK・BSでアニソンの特集をやっており、堀江美都子嬢や水木一郎兄イの健在ぶりに感心。ささきいさお大兄は一般の歌番組でもけっこう見られるが、他のベテラン勢は、その手のイベントでもないとステージ姿は見られない。番組全体は、選曲や構成の意味がよく解らない気もしたが、久々に『山ねずみロッキーチャック』の主題歌も聴けたので良しとしよう。しかしアニソンに限らず、懐メロ番組などを観ていて思うのは、歌い手さんの摂生具合(?)の諸相である。狸が子供の頃すでに大人であった方々が、何十年も変わらぬ声質と声量を保つ一方で、たいした歳でもないのにもう声のつぶれている方もいる。つぶれた声の某ガンダムは、かなりサミしい気がした。たいして古いシリーズじゃないんだがなあ。
 それにしても堀江美都子嬢や水森亜土嬢は、もしかして我々とは別の時空間で生きていらっしゃるのか。


05月25日 金  なりわい

 本日は珍しく日中に大汗系のバイト。しかし気の良い若者の多い職場で、休憩時間には派遣生活や人生観に関する率直な話なども聞けた。こんな日は、同じ大汗でもジト目のアンちゃんに精神的に蹴りまくられて冷や汗をかく日とは違い、帰宅・入浴後、98円均一おでんを肴に輸入発泡酒を飲みながら、「今この世界に自分ほど旨くビール(もどき)を飲んでいる人間はいるまい」、そんな気になれる。録画しておいた『よろずや平四郎活人剣』などもしみじみ心地よく、原作と比べてどうこうだの時代考証がなんのかんのだのは、もう完全に横に置いて楽しめる。志が正しければ、と言うより、誠意がきっちり見えればとりあえずいいのである。
 もっとも間に挟まるCMばかりは、相変わらず一見美しいようでいて正直ヘドをつきたくなるような映像が過半数を占め、よくまあ世間の皆様方は、あれらを流すスポンサーに対して不買運動を起こさないものである。また、なんじゃやら初等教育において株だの金融だの経済教育を行うのは是か非か、みたいな公共CMも流れていたが、別に教えたけりゃなんだって教える意義はあるし、子供にだって学ぶ権利があるだろう。しかし、第一次産業やブルー・ワーカーの存在意義をちっともふまえないで要領のいい金転がしばかり教え込んでいると、ヘドをつきたくなるような美麗CMばかり流れる社会になりかねないので、理性と知性を保つのが吉。


05月24日 木  またひとつ美しい物

 本日は休日。とゆーか、夜も昼も仕事にアブれると休日なのである。
 録画しておいたトリュフォー監督の『黒衣の花嫁』、何十年ぶりかの再見だったが、主演のジャンヌ・モローが案外小太りの年増風に見えたのは意外だった。少年時代に観た記憶では、とても凛とした美しいおねいさん的な印象だったのである。しかしその冷酷・冷静な復讐者ぶりはやはり逸品で、殺された夫との幼少時からの回想が語られるシーンなどは、かえって年増風の現在とのコントラストが鮮やかで、悲哀を醸し出していた。しかし本日のタイトルの『美しい物』は、ジャンヌ・モローさんではない。いや、モローさんも美しいんですけどね。『現金に手を出すな』とか『死刑台のエレベーター』とか『雨のしのび逢い』とか。
 で、『なんでも鑑定団』に出てきた、橋口五葉の版画である。『髪梳ける女』――あまりの美しさに、くわえていた身欠き鰊をぽとりと落としそうになった。その版画自体は複製品だったようだが、鑑定士の方も褒めるほどの出来映えで、浮世絵と同じ手法の版画と言うから、オリジナルより新しいぶんだけ美しかったのかもしれない。聞けば橋口五葉という方は、明治期のポスターや夏目漱石の書物の装丁で有名な版画家(と言うより、浮世絵師の末裔か)で、谷崎潤一郎の書物の装丁なども手がけられたそうだ。泉鏡花と小村雪岱(この方も浮世絵師の生き残り的画風ですね)の繋がりは、原本の画像や弥生美術館の本から知っていたが、漱石と五葉の緊密な関係は知らなかった。そもそも漱石の原本など見たこともない、浅学の身だものなあ。
 あわてて近所の図書館の蔵書を検索したら、画集は残念ながら閲覧のみの持ち出し禁止、しかし展覧会の目録が二種ほど借りられるようだ。ぽん、と腹鼓。


05月22日 火  足の裏の懐旧

 昨夜、図書館関係の検索を入れながら、ふと、この市内の緑地に関する広報のリンクをたどると、整備された公園ではなく、まんまの雑木林に地元の人々が遊歩道を設けた、そんな地域があるのを知る。市内と言っても私鉄で駅三つぶん離れているが、ちょうど居職系なんかいろいろの出先がその私鉄でも行けるので、本日帰途、途中下車してみる。
 その駅は、大学から小学校まで多くの教育施設が集まった、いわゆる文教地区に接しており、江戸川沿いの起伏に富んだ地形が多くの公園を擁しているのも知っていたが、『ただの雑木林』というのは初耳だった。広報によれば全長200メートルちょっとに過ぎない遊歩道とのこと、さほど期待していたわけではない。それでも駅を出たとたんに、まず下校途中の大量の女子学生さんに遭遇、これが行く手の狭い歩道を数限りなくこちらに流れてくるので、当世風のミニから正調セーラー夏服姿まで、少女の奔流の中をひたすら遡っているようなあんばいになり、それも公立私立問わずきっちりした学校が多い地区だから、生徒たちの会話や立ち居振る舞いに破綻がない。つまり、うるさ型の古狸にとっては、至福の少女の群れである。なんだか純正少女風呂(?)に浸かったような気分になる。
 そしてお目当ての雑木林は、宅地の合間に残されたわずかなものではあったものの、紛う方無き正調雑木林であり、よくある近郊のハイキング・コースのように多くの観光客によってカチカチに歩き固められることもなく、その柔らかい腐葉土の細道は、足の裏が遠い昔の故郷の遠足をありありと思い出すような感触であった。特に奥まった谷地部分には道路の車輌音も届かず、つかのま深山気分を味わえる。
 帰りは江戸川沿いの整備された大公園を通ってきたが、そこもまた適度に起伏に富み、野良猫や老人たちが三々五々遊歩しており、北原白秋が一年ほど住んだという木造家屋が江戸川の対岸から移築復元されていたりもして、『文教地区』の面目躍如といったところ。その白秋宅は、大正5〜6年、彼がまだ32歳の清貧時代に住んだ家屋(つまり自称『紫煙草舎』そのもの)とのこと、その頃はこのあたりもただのド田舎・葛飾郡だったわけで、ごくささやかな平屋である。しかし瓦葺きの屋根もわずかな縁側も無性に懐かしい風情で、そのままこっそり縁の下から潜り込んで住み着き、夜毎『揺り籠の歌』や『ペチカ』など、和やかに腹鼓を打ちたくなるような佇まいであった。


05月21日 月  あうあう(嗚咽)

 NHKで録画しておいた『神様がくれた時間 〜岡本喜八と妻 がん告知からの300日〜』を観て、しばし落涙。食道癌に冒されてゆくと同時に、痴呆も進行してゆく岡本監督の痛々しさもさることながら、映画制作上の同志でもあったみね子夫人の介護観の飾らない真摯さが、悶絶級に心を打つ。そして、妻を妻と認識できなくなった監督が、その『なぜか身近にいるかわいらしい女性』に恋愛感情を抱いてしまうという――泣くだろう、これは。まあ実際、老いてもなお凛々しく美しく可憐なみね子夫人だからこその、出来事かもしれないが。
 ところで岡本監督の晩年の作品、黒澤監督後期作品同様、ジャンクフード状脳味噌の眼球砂糖漬け精神厨房たちがろくでもないレビューを垂れ流しにしがちで、困ったものである。まあ往年の暗黒派奇才サム・ライミ監督が日向のクラゲのようになってしまってからのスパイダーマン・シリーズなどが世界中で大ヒットする時代だから、仕方がないのか。岡本監督が、痴呆状態になる寸前まで手直しを続けていた『幻灯辻馬車』のシナリオ、それをみね子夫人と読み合わせチェックを入れる光景に、ドラマとは情動を知性で制御するものであるという理想を見る。「その人物は、そうは動かない」――そう、ライターが何を狙っているかも、観客が何を望んでいるかも、実際キャラがどう動くかとは、根本的に別の問題なのですね。

 昨夜は某コンビニで派遣のバイト。扱う商品に違いはあっても、POSレジや納品陳列は基本的に旧職に似たシステムなので、ストレスなく働けた。部分的には慣れないながら、倉庫内作業などと違い、体育会系の現場責任者アンチャンにウスノロじじい呼ばわりされる心配もない。「また来て下さい」と言われた上に、消費期限の迫ったお弁当やパンをいくつもいただいてしまった。あれはお客様の持ち帰り時間を考慮して、期限のかなり前にPOS上で廃棄処理してしまうのですね。おかげで本日の食費はゼロである。焼肉弁当も洋風幕の内も大ソーセージカツパンもふんわりブレッドも、食い放題なのである。また行こう。やはり自分は軽(?)労働や流れ作業向きではないようだ。配送助手はけっこう楽しかったが、あれも軽労働と言うより、ドライバーさんとの協調ですもんね。


05月19日 土  悲交々

 いつしか表のカウンターが20000に近付いているような。いわゆるキリ番を踏まれた方は、よろしければ教えてください。お礼になんらかの腹鼓を打たせていただきます。

 『ウォレスとグルミット・野菜畑で大ピンチ!』は、五十嵐氏のお薦めだけあって、見事な完成度であった。邦題にだまされて観ないでいたが、原題はまんま(内容もかなり)ハマー・プロの古典的ホラー映画『吸血狼男(THE CURSE OF THE WEREWOLF)』のパロディーなのですね。大笑いしながら手に汗握り、しかも、その世界全体がとてもチャーミング。妙な比較になるが、映像的な細部の作り込みなど、最近のスター・ウォーズを越えていたように思う。何十匹も出てくるかわいいイタズラ兎が、それぞれ個性を持っている(ように見える)のである。そして何よりグルミット君の寡黙な(そりゃ犬だから寡黙なのは当然なのだが)ヒーローっぷりがお見事で、「おお、狸もあんな犬になりたい」と、本気で願ってしまった。

 ところで先日の『ハイジ』、クララの造型にも感心したことを附記しておきます。いかにもお嬢様っぽい線の細い上品さではなく、あくまで引っ込み思案の気弱な寂しがり屋さん(でも根は普通の子)、そんな表情が、ラストで思わず立っちゃったりするところの自然さを、醸し出しておりました。
 連続物ではなく単発の映画としては、あの「クララが立った」シークェンスにくだくだ時間を割こうとすると、ただでさえ急ぎがちな前半の山編や中盤のフランクフルト編を、さらに窮屈にしてしまいます。そこで今回の脚色では、わずか3分でクララを立たせてしまう。そのための脚色と演出が、お見事なのですね。はぶんちょされたっぽいペーターが、むしゃくしゃして、こっそり車椅子を蹴飛ばす→車椅子は斜面を転がり加速→あわてて追いかけたハイジ、崖から転落(しそうに)→その手を必死に掴むアルムおんじ→そのアルムおんじの足を必死に支えるペーター――とまあ、こんな情景を目の当たりにしたら、あくまで気の持ちようで立てなかった弱虫さんであればこそ、思わず立ち上がってしまいそう。

 そして――塩沢ときさん、死去。
 テレビのバラエティーにおけるイロモノ的な存在としての彼女は、ほとんど知らない。トレードマーク的に語られる奇抜な髪型も、実はほとんど記憶にない。狸にとっての塩沢ときさんは、彼女のフィルモグラフィー上では『ジャンケン娘』(1955年制作、美空ひばりさんや江利チエミさんや雪村いづみさんのトリオ映画)から観ていることになるが、それはあくまで後年フィルムセンターあたりで確認したのであって、リアルタイムではテレビドラマ『おくさまは18歳』あたりの、すでにコミカルな年増姿、そしてあの『レインボーマン』の、魔女イグアナの怪演姿からである。それ以前に、映画『怪獣大戦争』にも出ておられたそうなのだが、残念ながら記憶に浮かばない。ましてデビュー当時の清楚な美人女優姿というのは、想像もつかない。しかし、あの奇っ怪なイグアナを真摯に演じる姿を思えば、そのベースに存在した『清楚な美人』もまた、さぞ説得力のある姿であっただろうと思われ、機会があったらぜひ拝見したいものである。
 それにつけても、正統派の二枚目や美人女優が減少していくのと比例して、悪の秘密結社や怪人をきっちり演じられる方々も、どんどん減っていくなあ。


05月18日 金  ハイジ、萌え萌え〜〜〜

 いや、居職系なんかいろいろに区切りをつけて駅前の松屋で豚めしの大盛りを食いながらいつのまにか値上がりしているのをちょっと嘆き悲しんだあとでツタヤに入ったあたりでは、五十嵐氏お薦めの『ウォレスとグルミット・野菜畑で大ピンチ!』だけ借りる予定だったのである。しかし、その時ふと目に止まった『ハイジ』のタイトルと、なんじゃやらたかちゃん級のほっぺのふくらみ具合とまあるいおあごの幼女――昨年ちっとも知らないうちに細々と公開されていたらしい、2005年制作の英国映画・実写版ハイジとの出会いであった。あうあう、こーゆーのを大宣伝して拡大公開してくださいよう、クソ大作の大風呂敷ばっかり広げてないで。
 で、中身としては、ちょっとハイジが良い子すぎかなあ、という部分もあるのだが、なんであれ、あのぺこちゃんほっぺとおあごとぷくぷく体型を悪く言える奴は断じてろり野郎ではないと天上天下あまねく叫びまくりたい狸です。エマ・ボルジャーちゃんという子役さんでした。またそれを取り巻く大人たちのキャスティングも、なにこれヨーロッパ系名優大集合じゃん、と驚いてしまうような面々で、あのマックス・フォン・シドーがアルムおんじをやっているかと思えば、ロッテンマイヤー女史にはジュラルディン・チャップリン、クララのおばあさまにダイアナ・リグと、実力派老婆好き(いや昔は皆さん美人女優だったのですが)にとってもなかなかに堪えられない豪華さ。そして言わずもがなの、伏し拝みたくなるようなアルプスの風景――ああ、おじさんはおじさんは、このまま涅槃に行きたいと思ってしまったよ。
 と、ゆーわけで、公式HPからいただいた壁紙のうち、いちばんでかいのを貼ってしまううるうるお目々の狸であった、まる、と。




05月17日 木  ビューンと飛んでかない28号

 いや、けっこう飛んでるんですけどね。劇場用アニメ『鉄人28号・白昼の残月』の話です。
 本日は夕方から、久々に元明大漫研の五十嵐氏や田川氏や渡辺氏と待ち合わせ、新宿武蔵野館(てっきり無くなったと思っていたら、シネコン風味の改装でまだ残っていた)にて、アニメ観賞。待ち合わせと晩飯段階では、漫画アシスタント専業青年の坂井君もいた。一日300円の食費で生きており、未だにパソも携帯も持たないという古色豊かなビンボ青年で、昔のスプラッター映画のマニアと言うから大いに親近感がわくのだが、アニメ趣味は薄いらしく、晩飯のみでリタイア。ちなみにビールも晩飯も、五十嵐氏の奢りである。後輩勢はそれでいいとして、同輩のオヤジ狸としてはそれでは情けないのだが、もはやそのような見栄はドブに捨ててしまった狸なのである。でもきっと五十嵐氏は仕事の経費として落とせるに違いないからいいのである(ほんとうはいくない)。
 で、『鉄人28号・白昼の残月』に関しては――異色の意欲作でありその志は買えるが、戦後レトロを背景としたミステリー仕立ての盛りだくさんなシナリオがちょいちょい綻び引っかかり、種々のドンデンがあるぶんメイン・キャラの性格も錯綜して立ちずらく、といってコメディー・リリーフの典型的キャラなどもシリアスな雰囲気にマッチしておらず、つまり作劇上の技巧があまりに拙い――などと列記すると糞味噌のようだが、最初に記したように間違いなく『意欲作でありその志は買える』がゆえに、とにかく「惜しい」「あ、そこもうちょっとアレしないと」「このキャラでこの行動は違うだろう」「アイデアがもったいない」の連続だった。なんと言いますか、先頃連続で観た市川監督の金田一シリーズ、あれらで堪能できる複雑な犯人像を情動的に納得させてしまう演出の巧さや、シリアスで重苦しい話にコメディ・リリーフの役者で色を添える巧さ、そのあたりの呼吸がすっぽり欠落していたように思う。劇中音楽に故・伊福部昭先生を起用していたところは、重厚さという点では大半効果的だったが(けっこう初代『ゴジラ』の風合いもあるアニメなのである)、アクション・シーンにはやや重すぎの感も。
 などと無数のツッコミを加えながら、全編眠りも怒りもしなかったのは、少なくとも作者の意欲だけは常に見えていたからか。エンタメ技巧のみの軽量級パッケージ商品よりは、ツッコめるだけ中身がある。


05月15日 火  与太郎戦記

 神保町の100円ワゴンで、故・春風亭柳昇師匠の『与太郎戦記』を見つける。古物だがシミだらけの重版なので、実に安かった。現在も文庫が出ている定評作だが、昔、フランキー堺さん主演の映画化作品を観た記憶があり、正直言ってあまりいただけない喜劇だったので、その原作にも手を出さずにいた。しかし今回読ませていただいたところ――目からウロコが落ちるような、貴重な戦記だった。これだから、映画だけ観て原作にまで先入観を抱いてはいけない。
 そもそも映画では、もともと落語家の主人公が、その滑稽さをウリに軍隊を渡って行くような話で、見え見えの下ネタも多い。しかし原作は、あくまで落語家入門前の生真面目な一青年の淡々とした戦記である。まあ生真面目な青年と言っても、そこはそれ後年あの春風駘蕩的芸風を披露してくれる柳昇師匠のことだから、軍隊を描く視線も、一貫して穏やかに市井を見る目と変わりがない。無論そこは日本陸軍の戦場のこと、ビンタも生死を賭けた戦闘もあり、戦友は次々と散り、師匠も大変な傷を負っている。しかし、それら自分を含めた戦友たちの生死を見つめる視線は、上官に対しても部下に対しても、あくまで一市民の平衡感覚を保っている。いや、ここまで平衡感覚を保てること自体が、すでに才能か。さすがは将来、あの春風高校校長として、あの光画部や、あの究極超人あーるを御してしまうキャラである(いや、ただモデルにされただけなんですけどね)。
 戦場と兵隊の数だけ、種々の戦争がある――そんな当然の事実を語り継ぐためにも、このユーモラスな手記は、水木しげるさんの超個性的戦記や、小林信彦さんのシニカルな作品などと並んで、なにかとキナくさい今こそ、広く読まれるべきなのではないか。沈んだのはヤマトだけではなく、散ったのはカミカゼだけではない。


05月14日 月  不幸のオーラ

 宅急便の仕分けの派遣には二度と行くまい、などと己の弱腕を棚に上げて愚痴りつつ、泥のように疲れてバドワイザーをあおりながら、録画しておいた『チャーリーズ・エンジェル』を見始めたわけだが、これまでの経験によるとアホな映画は疲労回復にいいはずなのにちっとものめりこめず、鬱陶しくなって、すぐに消去してしまった。
 狸は古ろりのご多分に漏れず、ドリュー・バリモアのファンである。『ET』や『炎の少女チャーリー』の子役時代もいいが、その後の若年性アル中やヤク中を克服し、再出発した頃のC級B級映画、つまり彼女が10代後半だった頃の翳りのある表情が、一番好きだった。往年のペキンパー監督作品の常連脇役だった個性派俳優クリス・クリストファーソンが、尾羽打ち枯らした感じで主演したC級ハードボイルド『ノー・プレイス・トゥ・ハイド』で、巨悪に追われる孤独な少女を演じた頃のけだるい哀切感、あるいはB級ホラー『ドッペルゲンガー』で多重人格少女を演じた頃の、清楚さと淫靡さがいっしょになった未分化少女の眩惑感――それらは今となっては完全に『克服』されてしまったらしく、近頃はなにやらハッピーなピープルの代表にまでなってしまったそうだ。まあ当人が幸福であればそれはそれでめでたいのだけれど、『チャーリーズ・エンジェル』の徹底して空疎なハシャギっぷりは、やはりハッピーな人々にしか賛同を得られないのではないか。
 続いて見始めた往年の大作名画『ドクトル・ジバゴ』、ロシア革命時の波瀾万丈人間ドラマを巨額の予算で豪華絢爛に描いているため、一昨年再見した時は、貧窮のシーンですら巨額の予算が垣間見えてしまい感情移入しそこねたのだけれど、今見れば、やはり巨額の予算と満ち足りた名優の演技と贅沢な演出を費やしてこそ描ける窮乏状態もあるわけで、それこそが銀幕の魔術なんだよなあ、と、吐息したりもする。つまりこっちのほうが、アン・ハッピーな人々をも、いっとき、きっちりと鼓舞できそうな気がするのだ。


05月12日 土  著作権無視の嵐(オイ)

 金もないのにまた古いエロゲを買ってしまった。パッケージ痛みの処分特価980円。古いと言っても2003年発売の、『秘女一夜』。ほとんど評価もされず、ブランドもこの作品を含め2作を発表したきりで解散――まあその業界では珍しいことでもないのだが、なぜそんなシロモノを買ってしまったかといえば、『秘女一夜』の制作には、かのREGRIPSが関わっているのではないかという噂が、昔からあったのである。以前ここでも記したことのある、同人上がりのREGRIPS――発表作は『MIST』『ひまわり』のみ、いずれもシステムは児戯に等しく、一般的にはいわゆるクソゲー扱いだが、その原画とシナリオと音楽には未だにごく少数ながら根強いファンを持つ、奇妙なブランドである。
 『秘女一夜』のブランド名は、あくまで『あいあい』であり、REGRIPSとの関連はいっさい否定していたようだが、いわゆる立ち絵は、明らかに懐かしの都月りこ嬢に他ならないようだ。もっともそのペンネームはREGRIPSといっしょに夜逃げ同然に消えてしまったからか、あくまで別人の男性名になっている。ただしイベント絵はさらに別人のエロ漫画家さんが担当しており、立ち絵とはまったく違った絵柄になってしまう。このあたりからして、すでにいわゆるクソゲーの領域に踏みこんでしまっているようだ。シナリオもまたえらくアンバランスで、伝奇属性の臆面もない淫靡な儀式などを巧みに『花も実もある絵空事』に昇華するハッタリ能力や知力を備えながら、こと人間関係の感情描写になると、小学生レベルに墜ちてしまう。これもまた、伊藤弘司さんがメインの仕事とは思えない。
 結局REGRIPSとの関連性は、都月りこ嬢の立ち絵と、音楽担当の平林征児氏くらいか。平林征児氏はエロゲに限らずその業界では売れっ子の方で、必ずしもREGRIPS関連の方とは言えないのだけれど、藤原もりじ氏などと共にソルシエール・サウンド・デザインの一員として、『MIST』『ひまわり』の双方で、とんでもねーシステムの苦痛を叙情的BGMで癒してくれていたのは確かである。
 で、結局、今回、狸が何を言いたいかというと――実は『秘女一夜』においても、狸は主題歌のみで泣けてしまったのである。はっきりと、うるうる級の名曲だと思う。しかし、この歌もまた一般的にはハズレのゲームの一部である以上、エロゲ好きの中でもほんの一部の耳にしか届かない。まして市井に広まることなど、このままでは絶対に、永遠にありえない。
 そーゆーわけで、ここに著作権をいっさい無視し、例によってなんかいろいろしてしまおうと思う。これらの曲が、巷に流れる有象無象の曲の中で、無名のまま埋もれてしまってはいけない気がするので。ただし、これまた例によって、音質はかなり落としてあります。

  『MIST』テーマ曲  ソルシエール・サウンド・デザイン
  『ひまわり』主題歌   作詞・河村好乃 作曲・藤原もりじ 歌・南響理子 
  『秘女一夜』主題歌   作詞・河村好乃 作曲・平林征児 歌・樋口レン


05月10日 木  地べた方向へのオーラ

 とびきりそばの旨い季節になった。自宅で湯がく乾麺の場合、冬場のかけ蕎麦なら安物でもけっこう食えるが、風味とコシが勝負のざる蕎麦だけは、さすがに安物ではいただけない。たとえ価格が4倍でも、やはり故郷は小川製麺所の『とびきりそば』に手が伸びる。なんといいますか、食感が大地に根ざしているのですね。まあ価格が4倍といっても、400円前後で大盛り3回食えるわけだし。
 ずるずるとずるずるしながら、『キンキーブーツ』といっしょに借りた、『男はつらいよ・望郷編』など観賞。シリーズ5作目、1970年の作。あたかも大阪万博の年であり、山田監督があの秀作『家族』をものした年でもある。山田組一同、そちらの全国ロケでてんてこまいだったのではないかと推測されるが、無論寅さんのほうにも手抜きはない。初期の寅さんの『どーしよーもない困った奴』的な感覚が少しずつ和らいできており、といって後期のような訳知り顔の苦労人でもなくやっぱり『ちょっと困った奴』で、その微妙な存在感が心地良い。まあそうした風合い以上に、本作の随所に『地道な労働』の象徴として登場する蒸気機関車が、実は圧倒的に心に迫った。
 当時の狸が日常光景として捉えていた、SLがどんどん走る野や街。そしてそれらが集う国鉄の機関区――。今となっては、あの重厚な、愚鈍さと紙一重の威風の群れは、やはり昨今のCGでは再現できない。『三丁目の夕日』の集団就職列車など、本体は現存するSLの合成らしくかなり良くできてはいたが、どうしても現実にその風景の中を黒煙や白煙を吹きながら走っているとは、実感しがたかった。かの『タイタニック』などもそうだったが、まず煙がアナログになりきれていないし、本体も海や地べたにしっかり食いついていないのである。
 また、端役で出ていた故・谷村昌彦さんの存在感にも、改めて心をわしづかまれた。ろくなセリフもない点景的な役柄だが、とにかくそのシーンをしっかり地べたに根付かせてくれる。同郷の、山形訛りを売り物とする役者として、伴淳三郎さんほどの花はなかったかもしれないが、脇役としてはむしろ優れていたのではないか。たとえば狸が脳内で自主映画を制作するときなどは、準主役の東北の親爺に、伴淳さんではなく、谷村さんのほうをキャスティングしてしまう。芸というより、「地味だろうが目立たなかろうが品がなかろうが、俺はとにかくここでこう生きているしかないのだ」、そんな、足の下の地面下のオーラを感じるのである。


05月09日 水  マイノリティーの踊り

 I氏が『元気が出る映画』と言っていた『キンキーブーツ』を、TUTATYAで借りる。伝統的職人仕事中心ゆえに倒産寸前の田舎の靴工場、それを相続した優柔不断な青年が、ロンドンの裏町で出会ったドラッグクイーンのシンガーと協力して、セクシーな男性用女性ブーツ(?)開発で再起する――ひと口で言えば、そんな話。ありがちな人情コメディとはいえ、そこはそれ英国映画、個人のアイデンティティーをしんみりと微妙に肯定して、確かに元気も涙も出た。随所で披露されるドラッグクイーンたちの歌と踊りが、マイノリティーの居直り(というか、少数派ゆえの一部屈折した自負心ですね)むんむんで、とても華やかで楽しい。考えるまでもなく、量産の安物に駆逐されつつある職人仕事も、カミングアウトした服装倒錯者も、現代においては同じマイノリティーなのですね。どっちも好きな狸としては、ご同慶の至り。

 ところで、角川スニーカー賞の次の途中経過発表はまだかまだかと思っていたら、4月末の月刊スニーカーで、とっくに発表されていたらしい。てっきり途中経過はHPでしか発表しないと思っていた。現物の雑誌はまだ確認していないが、2チャンのラノベ公募関係スレに、カキコがあった。それによると、我がパンダ物件ライト版は、2次選考通過の10本には残ったものの、3次の4本には残れなかったようだ。それでも七百何十本のうち、ベストテンには入れたのだから、自尊心はかなり満たされたと言ってよかろうし、直せば直すほど評価は上がるという原則も確信できた。まあ本にしてもらえる可能性はゼロなので、負け惜しみですけどね。ぐぬぬぬぬぬぬう。

 ともあれ、マイノリティーとしての鬱屈を内に秘めつつ(だだ漏れか?)、しょせん己が人生のステージのクイーンは――おばちゃまひとりよ〜! フ〜リフリ〜!!


05月08日 火  スーパーにて

「……ねえねえ、くにこちゃん、ゆーこちゃん。かばうまさんが、へん」
「あいつは、いつも、へんだぞ」
「?」
「んでも、すーぱーのお酒んとこで、うごかない。ずーっと、うんうんうなってる」
「……あれはなあ、なかなか、むずかしー問題なのだ。きのうの朝、かばうまは、とーきょー湾の朝日をながめながら、こんびにで買った、ばどわいざーとゆーびーるを飲んだ。ひと月ぶりに、ゆにゅーはっぽー酒いがいの、んまいびーるを飲んだのだ。ひとばん中、体ではたらいたあとだったから、それはもー、しぬほどうまかったそーだ」
「こくこく」
「?」
「んで、あんましうまかったんで、きょうも買ってのみたい。んでも、ここは、こんびにではなく、いつものすーぱーだ。89円のゆにゅーはっぽー酒が、きちんと、売っている。ばどわいざー1本のかねで、2本も買えるのだ。んで、きょうのかばうまは、すわりっぱなしで、手先しか使っていない。そんな、きょうのじぶんに、ばどわいざーをのむ資格はあるのだろーか。そんなぜーたくは、ゆるされないのではないか。きちょうな百円玉を、いちんちに2個も、びーるにつかってしまってもいいのか。そんだけあれば、ゆにゅーはっぽー酒なら、あしたも飲めるからな」
「こくこく」
「?」
「つまり、あれだ。おまいらも、だがしやで、なやんだりするだろー。あそびにいくとき、おふくろに、2じゅーえん、もらう。2じゅーえんあれば、ちっこいよーぐるとが買える。あの、へらでしゃくってちびちびあじわう、んまいこーきゅー品だ。んでも、よーぐるとをがまんして、梅じゃむにすれば、ふたつも買える。梅じゃむだって、けっこう、んまいからな。――そーゆー大もんだいだ。だからかばうまは、ずーっとうなっているのだ。じゃましては、いけない」
「……こくこく」(うなずきながらも、むしろくにこちゃんの人生を思い、ちょっとなみだぐんだりしている。)
「……?」(おじょーさまなので、もう話のすべてが理解できない。)


05月07日 月  その日暮らしの心得

 ワンコールワーカーの問題点、という奴は、なるほど一度登録して数回働いてみれば、すぐに実感できる。巷で言われる「月に10回しか仕事を回してもらえないので月収8万円」とか、「びっしり働いても月収13万」とかいう話は、やはり当人の選り好みの問題に過ぎないようだ。今回の狸の場合、GWの内の6日を「なんでもOKです。ただし極端な力仕事は腰がヤバいのでパス」と申し込んで、アブれたのは1日だけだったし、5日で43000円になった。つまり週休2日で働いても、16万は超すはずだ。NHKドキュメント『わが青春のトキワ荘』で、かの脱落者代表・森安なおや先生が従事していたのが日給8000円の解体工事作業だったから、それと同程度か。
 ただ仕事内容となると、カラオケ屋や配送助手はまあ良きにつけ悪しきにつけ他人とのコミュニケーションが感じられるが、サンドイッチ工場のライン作業や業務用チルド食品の冷蔵倉庫内ピッキングは、責任者やハンディーターミナルの指示に従って、ただひたすら黙々と『多少複雑で不規則なアナログ動作も素早くこなせる、複合センサー付き産業用ロボット』として、無機質な時を過ごすことになる。それらの現場には外国人労働者の方も多く、狸たち単発の派遣よりはずっとベテランで能率もいいようだが、おそらく賃金は似たようなものだろう。
 格差社会の激化――中流が消えて上流と下層に分化するだのと言われるのも、まあ確かにそうなのだろうけれど、それよりも実感してしまったのは、確かに経営者側により近い人々の利益のために下層労働者が安く酷使されている現実と同時に、その現場で扱われているものはまさにそれら下層労働者寄りの製品に他ならない、そんな事実である。早い話、コンビニで大量に売られる安サンドイッチを、上流の人々は常食するか。ファミレスや大衆焼肉チェーンを、上流の人々は常用するか。つまり、需要と供給の大半をむしろ下層寄りの大衆の世界内で帰結させ、そこから生じる利潤だけが自然と上に吸い上げられて行くわけです。しかしこのシステムを壊すと言うことは、まさに下層労働者のささやかな贅沢――たとえば狸にとっての99円ショップ食品や、回転寿司を失うことにもなる。これが現代の文明(経済)社会の構図です。巧妙で効率的ですね。一揆など起こしようがない。歴史的に淘汰された末の経済構造ですから、当然良くできてますし、国家全体の『富』を念頭に置けば、為政者たちがそれを奨めるのも道理。

 ともあれ下層であろうが負け組であろうが、まあプライドさえ捨てなければ、疲れ切って帰途に着く夜明けの街も東京湾も、それなりに美しく詩的です。体は売れても心は売れないですからね。


05月04日 金  その日暮らし通信

「かしわもち、おいしーね。もぐもぐ」
「んむ、このはっぱのかおりが、とてもふーりゅーだ。むしゃむしゃ」
「ちまちま……ぽ」
「んでも、かばうまさん、おふろやさんから、かえってこない」
「んむ。あいつは、ビンボなくせに、ぜーたくなのだ。せんとーであしをのばしたいなんてのは、おーがねもちのすることだ。きっと、あしをのばしたまんま、やすらかに逝ってしまったのだ。ゆぶねで、どざえもんになって、ぷかぷかういているのだ。おんあぼきゃー」
「ふるふるふるふる」
「うおーい、ただいま」
「おう、おかえりーい」
「なんだ、いきて、かえってきたか」
「……ほ」
「いやー、ようやく足の鬱血が引いたわ。極楽極楽」
「ほい、かしわもち」
「おお、まだ残ってたか。てっきり食い尽くされたと思ってたが」
「んむ。なんぼおれたちでも、そこまで、ひどーではない。ちゃあんと、残しておいてやったぞ。いっこだけ」
「むしゃむしゃ……ああ、アンコの甘味が、五臓六腑に……汚れ無き幼年の日々の追想が、走馬灯のように……ぐす……ほろほろほろ」
「こらこら、いーとしこいて、なみだぐむんじゃあ、ない。あしたも、しっかり、どっかでかせいでこい。GWいっぱいは、いつものしごとが、ないんだからな。んでもって、おみやげは、けんたでいーぞ」
「こくこく……むしゃむしゃ……ぐすん」
「なでなでなで」
「……なでなで」
「こらこら。かたこも、ゆーこも、こーゆーおとなのくずを、あまやかしては、だめだ」

 ――と、ゆーわけで、どこかのSCの大型ブティックに整然と並んでいる馬鹿高い衣装群は、けしてお店のファッショナブルでお上品な方々が全て整えているのではなく、深夜、半白髪のおっさんやぶよんとしてしまりのないフリーター青年ややせっぽちの学生が、徹夜で畳み直したりサイズ整理し直したりしたものかもしれません。しかしユニクロ物に身を包んだ当人たちは、「まさかこーゆー仕事だとはなあ。納品助手のはずじゃなかったか?」などと首をひねりつつ、「あ、そこ違う」「指が遊んでる」などと、初体験の羞恥に耐えていたりするわけです。

 ころりと話は変わって、初見の時はあまりピンとこなかった『病院坂の首縊りの家』が、これほど佳作だったとは。前作までの鄙びた旅情による情緒が抜けたぶん(逆に都会的な戦後レトロ感が楽しめますが)、純粋な因縁悲劇が怒濤のごとく涙腺を刺激し、『悪魔の手毬歌』よりもわなないてしまった。狸の加齢による涙もろさもあろうが、これはやはり市川監督の力業に、こっちの感性が追いついて来た部分もあるのではないか。
 ところで桜田淳子嬢は、左右の目の配置が上下にズレているのですね。花の中三トリオの頃にも、本作の初見のときも気付かなかったが、今回じっくり観賞させていただいた21歳時の白塗りっぽいエキセントリックな役柄ではくっきり浮き上がって、とても神秘的であった。異様の寸止めの顔面左右非対称というのは、アイドル時代の林寛子嬢の唇など、不思議な婀娜っぽさに繋がるようだ。


05月02日 水  その日暮らしのバトン

 出勤(登校)バトン……ううむ、3年前なら気軽に受けられたのだが、現在だと、ちょっと(しこたま?)変則的。

【1】交通手段は?
   居職系の納品・請負に行くとき――電車。
   その他なんかいろいろのとき――なんかいろいろ(たいがい電車とバス)。

【2】家から時間はどの位かかりますか?
   居職系の納品・請負に行くとき――約40分。
   その他のとき――なんかいろいろ。

【3】何時に出勤(登校)しますか?
   居職系の納品・請負に行くとき――おおむね午後1時。
   その他のとき――なんかいろいろ。

【4】欠かさず持っていくものは?
   居職系の納品・請負に行くとき――以前はMO。現在はDVD−RAM。
   その他のとき――なんかいろいろ。軍手やカッターの時もあれば、背広着用の時も。

【5】職場(学校)に着いて最初に何をしますか?
   居職系の納品・請負に行くとき――「どーもどーも」と頭を下げる。
   その他のとき――なんかいろいろ、って、マンネリか? しかし現実。

【6】特有の挨拶・用語などはありますか?
   なぜか昼間や夜でも「おはようございます」が多い。

【7】どんな仕事(勉強)をしていますか?
   主に、フォトレタッチ。
   しかし現在は、名実ともに、なんかいろいろが多い。

【8】変わった職員(学生)などはいますか?
   エロゲ好きの若者のいる会社は、幸い存続中。
   去年つぶれたほうには、未だに専用ワープロしか使えないおじさんとかが棲息していた。
   なんかいろいろの方は、もはや百鬼夜行(凶眼の責任者から仏の責任者まで)。

【9】お昼は何を何処で食べることが多いですか?
   居職系の納品・請負に行くとき――上野のクラウンのカツカレー。
   その他のとき――日替わり。弁当が出れば感動。

【10】休み時間はどんなことしていますか?
   居職系の納品・請負に行くとき――現場には2時間程度しかいないので、なし。
   その他のとき――たいがい勤務中は禁煙なので、ひたすら喫煙。

【11】社内(校内)で噂はありますか?
   おそらく「エロゲ爺い」などと陰で言われているのではないか。

【12】職場(学校)で自慢出来ることはありますか?
   ふと思えば、一番多い『職場』は、狸穴そのものなのではないか。
   なんかいろいろの時は、千変万化で興味深く社会勉強にもいいが、自慢にはなりませんね。

【13】仕事(学校)が終わって何をすることが多いですか?
   読む。観る。喰う。風呂。寝る。(最近は趣味の打鍵も滞りがち。)

【14】バトンを渡したい人は?
   無職の方・不登校の方(……すでに嫌がらせモードに墜ちてないか?)


05月01日 火  その日暮らしの手帳

 さて、29日の夜から朝までは、ご近所某駅近くのカラオケ店で臨時の派遣店員。着くなり「アップお願いします!」とか言われて、盛り上がっている酔客(深夜なのでさすがに若者が多い)に、可愛がられたり絡まれたり、あるいはこの歳のせいか、妙にいたわられてしまったり。無料ドリンクを何度も何度も持って行くので、若い女の子に「あー、おじさん、また来たあ」などとご愛顧をこうむるのはたいへん嬉しいが、しまりのない若造たちとスベタの群れがわだかまっているVIPルーム(なんでVIPルームなのかも知らないのだけれど)で、悪酔いしたジト目の餓鬼に「……俺、あんた、なんかキライ」などと眼鏡をひったくられたりすると、さすがに殺意を覚える。まあウン10年客商売をやっていたので、殺しませんけどね。特に相手が若者の場合、どんな相手でも正気に戻っている時なら、まず誠意は通じる。本当に殺すべき客は、たいがい乳児なみの自意識のままでなぜだか一般社会人の場所に落ち着いてしまった大人(男女問わず)である。あれらは人の誠意を、大人の打算を使って自分の快楽オンリーに換算しますからね。
 で、30日の朝9時に帰って午後3時に起きて、今度はちょっと遠い某鉄鋼団地の冷食配送会社にお邪魔し、夕方6時から翌朝6時まで、トラック野郎さんのお手伝い。某コンビニの某ルートに、せっせとアイスクリームや冷食を配送・陳列して回る。いわゆる『配送助手』の求人だが、これはカラオケ店より時給がいいのに、むしろ仕事は楽だった。12時間の内の半分は、移動の助手席でドライバーさんの眠気覚ましの話相手をやっていればいいのである。性格の良いドライバーさんに当たれば、ストレスはほとんどない。今回は狸と同年輩の方で、たこ焼きやお茶を奢ってもらえた。
 で、始発のバスやら電車やらでようやく本日9時に帰宅、夕方まで眠って、ご近所の派遣会社にチャリで日給を受け取りに行き、しめて2万ちょっとの臨時収入――これが、50を過ぎて今回初めて利用させてもらった、派遣会社経由の日雇い仕事の概略である。

 帰宅して2日ぶりのダラケビールを楽しみながら新聞をめくると、いきなり『自由と生存のメーデー』(東京)やら『明るいビンボ・メーデー』(大阪)やら、フリーターさんや日雇い系ホームレスさんが集まって練り歩いたという記事。プラカードの中には「時給2000円を」「有給休暇を」「最低賃金を時給1500円に」等々が見られたそうだが、ふと首を傾げて、自分の定職在職中最後の年収を、ちょっと計算してみた。……時給1800円にしかなっとらんがな。有休なんてほとんど取れてないがな。なにせ弱小企業の、しかも残業の付かない名ばかり監督職。まあ退職金というやつがどーんと出たのは確かだが、それとて20年勤め上げて、その最後の年収にも満たない額なのであった。わはははは、狸はずーっとワーキング・プアだったのだろうか。
 しかし不思議なのは、新聞記事にある『月収10万』とか『月収8万』等の、いわゆる『悲惨な賃金』。たとえば今回、狸はただ派遣会社の窓口で履歴書さえ出さずに簡単な書類に記入し、翌日電話をするだけで、2日で2万の日雇いにありついた。これって、そんなに幸運だったのだろうか。夜間だったから昼間よりは割がいいのだろうが、仕事内容と時間にこだわらなければ、今どき月収10万はなかろうと思う。仕事を選ぶのは労働問題ではなく、個人の好みだ。母子家庭でそんなに働けない等というのも、基本的には労働問題ではなく、むしろ生活保護等、社会福祉の問題ではないのか。まあ確かに今回の狸の労働も、それらの管理を派遣会社ではなく役所のほうでやってもらえれば、噂によるととんでもねー金額らしい派遣会社のピンハネぶんの内、半分くらいは時給が増えるのかもしれない。
 いずれにせよ、フリーターの方から「時給2000円を」「有給休暇を」「最低賃金を時給1500円に」と言われても、自分が経営者なら、とてもそんな待遇はできません、と、ご遠慮を願うしかあるまい。たとえば今回心底疲れたカラオケ屋にしたところで、正社員の方々だってけして高給のはずはないし、その正社員の方々がお客の少ない時間帯には厨房でくつろいでおり、派遣は洗い物で時間いっぱいコキ使われるにしても、こちらは料理もできなければ、そのチェーンに特化されたPOS処理もなーんも出来ないのである。

 録画しておいた『悪魔の手毬歌』、やはりしばしば悶絶、後半は初見の時のように涙でうるうる状態。この作品に関しては、原作も横溝正史作品の中では抜きんでた完成度であり、この映画化も当時の金田一耕助物ブームの中で最高傑作というのがすでに定評なので、役者さんたちの名演と緻密な演出等、いまさらこまごま語る必要もないだろう。本格ミステリーは苦手の狸にも、趣向の全てに納得できる。犯罪のケレンが、情に噛み合っているからですね。自称・お孫さんの少年などには、まだまだキビしく修行していただきたいものである。
 それにしても、あのラストの『そうじゃ』は――もはや神の域に達したウィット。下手な俳優と監督がやったら大笑いになりそうな素材を、しっかり快い哀感に編み上げている。演出ではなく偶然だという説もあるようだが、監督本人がなんと言おうとそれは含羞の為せることに違いないと、狸は確信している。あの市川監督が、それに気付かないはずはないのである。あるいは無自覚のうちに、映像に魂を入れていたのだ。