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06月30日 土  懐かしき旋律

 ♪ たぬきのね たぬきのね お〜やじ〜が〜ね〜 おなかにしもやけできたとさ〜〜 ♪ わらいかわせみには〜なす〜なよ〜 ♪
 いえ、本日、狸のデバラに霜焼けはできてませんけどね、足の指先はやっぱり痺れました。とはいえ近頃のこの陽気になると、零下25度での労働は、全身的にはむしろ望ましかったりもする。冬の通学は鼻毛が凍ってあたりまえ、そんな子供時代を送った北方産なので。
 で、風呂から上がって足の指の感覚も戻り、だらだらと発泡酒を飲みながら、録画しておいたNHK・BSの『昭和の歌人《うたびと》たち』を観ていると、冒頭の替え歌の元歌が流れてきたわけである。作詞はサトウ八チロー氏、作曲は中田喜直氏――今回は、故・中田喜直氏の特集だったのですね。
 『めだかのがっこう』やら『もんしろ蝶々のゆうびんやさん』やら、昔ながらの制服(というより、昭和レトロな正調おめかし児童ルック)の音羽ゆりかご会の子供たちがなんともかわいらしく、また少し大人よりの愛唱歌を歌われたボニージャックスの方々も、お一方は病気療養のためお若い方とチェンジしたとはいえ他の方々は健在そのもの、安田祥子さん・由紀さおりさん姉妹もお年を召してなお美声――種々の意味で心地よい番組だったが、『夏の思い出』を歌われた石井好子さんの声質には、残念ながら年輪以上に老いを感じた。いかに往年のシャンソンの女王とはいえすでにデビュー60周年、数年前までは老いの衰えを年輪の味が凌駕していたが、さすがにそろそろ限界のようだ。
 しかし、そうした老いの哀しさもまた人間の真の生に他ならず、ああ、昭和28年に『雪の降る街を』を最初に歌われたシャンソン歌手・高英男さんもまだご健在のはずだよなあ、ステージだけじゃなく映像メディアにも出てもらわんとビンボな狸には現状確認できんのよなあ、昔は紅白だってなんべんも出てるはずなのになあ、と、今回の番組に出演依頼しなかったNHKに不満も覚え、ふと検索してみると、残念ながら高さんは本年2月に引退表明されたらしいのであった。検索の過程で、氏の歌唱としては唯一ダウンロード販売されている『雪の降る街を』を発見、さっそく落とさせてもらう。新しいレコーディングらしく、さすがに老いの色の濃い歌声だったが、まだまだ年輪が勝っていたので、とても嬉しい。
 さてそうなると気になるのは、美輪明宏さんがいつまであの歌声を保ってくれるか――石井さんよりもひとまわり、高さんよりはふたまわり近く若いわけだから、まだまだ大丈夫だと思うのだが。ありゃ、中田喜直氏を中心に古き良き童謡や愛唱歌の話にするはずが、いつのまにか古き良きシャンソン歌手の話になってしまった。まあ中田喜直氏も東京音楽学校時代は密かに同学の石井好子さんに憧憬していたと言うから、無問題だろう。

 芯から心優しい旋律に和みきったせいか、久間章生防衛相のあまりの腹芸の欠如にもなぜか激昂することなく、むしろ「あーあー、ハンパな爺いがいちばん始末に困るのよなあ」などと、脱力したのみ。久間さんは1940年生まれというと終戦後に学童期を迎えた若手(?)だから、アメちゃんべったりなのも仕方がないのかもしれないが、少なくとも狸よりは17年も長く生きているはずで、お願いですから本音と立て前の区別くらいは学習してください。まあ防衛相ともなると、本音として市民の10万や20万灰になっても痛くも痒くもないのは理解できます。しかし――政治家でしょ? それこそ『生涯偽善者』を貫くべき立場でしょ? 売れりゃ勝ちの評論家じゃないんだから。
 ああ、いかん。打っているうちに腹の底からムカムカしてきた。
 あああああ、『夏服の少女たち』なんか頭に蘇って、目頭が熱くなってきた。
 すみません。やっぱりハラワタが煮えくりかえって来ました。涙もこぼれそうです。
 久間章生防衛相さん、狸はあなたを怨みます。ビンボな労働者の、つかのま和やかな夜の憩いをブチ壊してしまったあなたを怨みます。氏ねとまでは言いませんが、あなたが今夜死去されても惜しみません。


06月28日 木  トゥモロー・ワールド

 久々に「完敗」と平伏して、その志と技能を讃えたい映画を観た。先日五十嵐氏に勧められた、『トゥモロー・ワールド』である。巷では賛否両論ある作品だが、『否』を唱える方々は、残念ながらある種の感性や知性、あるいは映画というメディアに関する根本的な素養が不足していると思って間違いない。
 これから子供を殺そうとしている人や、すでに殺してしまった人に見てもらってももう手遅れだろうけれど、これから死のうとしているすべての子供たちには、ぜひ一度この映画を観てからその後の挙動を選択していただきたい、そんな映画であった。比較するのも畏れ多いが、自作の脳天気コメディー『たかちゃんシリーズ』の根源的なテーマは、このシリアスでヘビーな近未来SF映画と同一である。

 過去なくして今が成立しないのと同様、今を忘れて明日はない。そして明日がいらないと言う権利は、すでに『今』に存する我々にはすでにない。それらのことを、ただ『在る』だけで体現してくれているのが、思春期前の幼児や乳児なのである。で、しょたよりもろりにその具現をより多く見てしまうのは、まあろり親爺狸のことなので、かんべん。もっとも『トゥモロー・ワールド』でも、明日を象徴するのはしっかり女の子だったので、我が意を得たり、そんな感じで。


06月27日 水  僕らはみんな生きている

 と、ゆーわけで(どーゆーわけなのかは微妙ですが)、ゅぇ様よりバトンをいただきました。
 【無駄にいろいろ聞くバトン3】だそうです。
 
●これパート3なんですけど【無駄に色々聞くバトン】&【2】ってやったことありますか?
ありません。
 
●懲りずに無駄に色々聞きたいんですけど良いですか?
本日のノルマは果たしたのでOKです。
 
●お決まりですけどお名前と年齢は?
ここではバニラダヌキで、どこでも50歳。。
 
●コーヒーブラックで飲めますか?
はい。でもちょこっとクリームとお砂糖が入ると狸好み。
 
●好きなドレッシングは何味?
フレンチドレッシング。

●初恋の思い出を語って下さい。
小学校の入学式で一目惚れした三浦優子ちゃん。6年間えんえんと憧れ続け、結局指一本触れておりません。そして半世紀を生きてしまった現在でも、未だ彼女ほど眩しいろりを知りません。
 
●よく買う雑誌は?
……三ヵ月前の『リュウ』を買ったのが最後かと。ビンボなので。

●コンビニでついつい買ってしまうものは?
99ショップもコンビニの範疇に入るとすれば、冷凍シメサバ。
 
●子供につけたい名前は?
女の子なら、たかこ。たかちゃんほっぺになれますように。
男の子なら、宏傳。こうでん、と読みます。広く伝える、そんな夢ですね。 

●身長何センチ?
約40。ただし人間形態時は、172。

●好きな季節は?
冬。

●海外に行くとしたらどこに行きたい?
そうですねえ。まずは夏のスイスでハイジと遊び、それから秋のオーストリアで紅葉を愛でつつライラ(誰や)の過去を探り、ドイツに入ってライン河を遡りマリオやブルやセイコ(だから誰や)の無事を確認、さらにデンマークに北上してやっぱし人魚姫は見ておきたいですね。で、それからスカンジナビア半島に渡りスエーデン、ノルウエー、フィンランドで北欧神話っぽい森林地帯やムーミン谷での冬眠を満喫、春になったら起き出してロシアをちょこっと覗いてでもやっぱしバルト三国のエストニア・ラトビア・リトアニアあたりの激動の歴史風土も捨てがたく、さらにポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリーと東欧を南下してやや陰鬱な東北の田舎っぽい人心に触れた後、最終的にルーマニア山間部にわけいり荒れ果てた古城にぽこぽこと迷いこんでドラキュラに吸血され、不死狸となって帰国――とまあ、そんな軽くささやかな旅をしてみたいですね。
 
●最近買ったCDは?
……買ってません。過去のCDはパソに落として全部売り飛ばしました。るんるん。
 
●家族構成は?
一匹狸。いえ、母と姉がおりますが、すでに離散。
 
●ゴールデンウィークの予定決まってます?
おう、鬼が笑っている。
 
●自宅から一番近いコンビニまで何分?
徒歩3分。
 
●今まで呼ばれたことのあるあだ名を全部書いて下さい。
かばちゃん(小学校の頃、図書委員のかわいい下級生にそう呼ばれて嬉しかった)。
かばとっと(中学生の頃、むさい同級男子にそう呼ばれて殺意を覚えた)。
おかぴー(就職後、一部の職場でそう呼ばれて寒気を感じた)。
……まあ、流行ってたんですね、ノリピーとか、そーゆー呼び方が。
 
●どんな財布使ってる?
近頃は各店のポイントカードやスタンプカードをフルに利用しているので、収納枚数が多く取り出しやすい、けっこう高いサイフを使っている。ただし、現金収納部分だけは常に空疎。
 
●掃除好き?
まあ季節の変わり目にやってます。
 
●髪の長さはどれくらい?
金がないと長く、ちょっと余裕ができると耳が出る。
 
●部屋は何畳?
四畳半と六畳。台所も二畳程度はあるか。
 
●口癖ってありますか?
えーとですねえ、自分では特にないとは思うんですが、えーとですねえ、たまに指摘されるのは、えーとですねえ――

●結婚してもイイと思う漫画またはアニメのキャラクターは?
ペリーヌ!! (でもまだ12歳)
 
●このバトン答えるの疲れません?
いや全然。考えなくとも打てるモノはラクです。
 
●そうですか。
そーなんですよカワサキさん。

●でわお疲れ様でした。無駄に色々聞きたい人に3人に回して下さい。
うふ、ひ・み・つ。


06月26日 火  誰に何に甘えるか

 日曜の夜から月曜午前までは軽作業で明かし、風呂に入って一息ついたらもう午後で、ちょっと眠って、その夕方に五十嵐氏宅を訪問しそのまま泊めてもらい、ああ、持つべき物はやはり友であるなあ、と、なんかいろいろ骨の髄まで実感しつつ本日狸穴に帰着、途中の100円ショップでレア物件の鮭のハラミ缶やらグリコ大盛り牛丼等もゲットできて、さて本業(と言うより割合としては近頃そっちが副業)もしっかりやらねばとパソを立ち上げると、いきなりキーボードを殴りたいようなニュースを見てしまう。

1999年4月、山口県光市で会社員本村洋さん(31)の妻の弥生さん(当時23歳)と長女の夕夏ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われた元会社員(26)の差し戻し控訴審の第2回公判が26日、広島高裁(楢崎康英裁判長)であり、被告人質問が始まった。
 元会社員は弥生さん殺害について「危害を加えるつもりはなかった」などと述べ、1、2審で認めた殺意や乱暴の目的を全面的に否認した。
 昨年6月、最高裁は「特に考慮すべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」として、2審の無期懲役判決を破棄、審理を差し戻した。犯行当時、18歳1か月だった元会社員に対する死刑適用の是非が最大の争点で、殺意や乱暴目的の有無のほか、犯行状況についても弁護側は争う姿勢を見せている。【6月26日16時44分配信 読売新聞 】
』。

 この記事だけでは詳細がまったく伝わらないが、もはや詳細を記すだけの冷静さはトンでしまっているので、興味のある方はご自分で検索を願いたい。要は、馬鹿な鬼畜餓鬼を大学出の馬鹿どもがよってたかって甘やかすと、無教養な鬼畜餓鬼がどこまでつけあがって馬鹿に輪をかけるか、そんな事例である。もはや呆れ果てて唾棄する気にもならない。しつこく主張してしまうが、種々のごもっともで人道的な死刑廃止論にも負けず、狸が改めて死刑肯定への信念を強くするのは、こうした鬼畜にまで『人道』を適用するのは己に潜む鬼畜までも容認する『甘え』に他ならないと思うからだ。
 かく言う狸も、正直、すでに社会的には唾棄すべきレベルまで墜ちている。自分友人知人親族社会のすべてに『甘え』ながら、脆弱な日々を送っている。そして、街を行く色っぽい若奥様を見れば、卑猥で卑劣な妄想も抱く。18歳当時も、50の今も。しかし、その若奥様を現実に絞殺して死姦し、隣で泣く赤子を床に叩きつけ殺す存在があれば、やはり吊すべきだと思う。それが他人であれ自分であれ、18歳であれ50歳であれ。

 狸が誰に何に甘えるか、誰を何を甘やかすか、その対象は狸が望む『生涯偽善者』の道に即して曖昧に選ばざるをえないが、普通(こと欲望実現レベルにおいて)、恣意的・積極的に他人の不幸を蜜として自分に許していいのは、せいぜい初等教育前期までではないのか。


06月23日 土  ゴールデンバットスーパーライト

 以前にも記したように、ビンボなので常用煙草をゴールデンバットにしたが、両切りなのでどうもそのままでは吸いにくく、ウン10年前にバレンタインでもらった水パイプを押し入れから発掘し、併用している。ウィスキーの小壜の形をしており、水の代わりに安物のウィスキーなど入れると、とても風流だ。しかし扁桃腺の腫れやすい狸身、油断してブカブカやると喉にくるし、外で労働する時などはパイプも面倒で、つい以前のフィリップモリス・ワンを奢ってしまう。
 で、外出から帰って、余ったモリスと買い置きのバットを見比べているうち、ふとひらめいた。つまり近頃の軽い煙草は、ほとんどフィルター周囲の微細な空気穴から取りこむ空気でケムを薄めているだけ、そんな事実に着目したのである。携帯用灰皿に残っていたモリスの吸い殻からフィルター部分を揉み取り、そこにバットを装着してみた。これがまさにジャスト・フィット、見事に差し込める。ワンとまでは行かないだろうが、ゴールデンバット・スーパーライトの誕生である。風味も悪くないし、喉にも優しい。フィルター部分も2〜3度は反復使用できそうだ。

 携帯のジョグダイヤルが、接触不良を起こした。受信だけは可能だが、機能の多くにアクセスできず、なにより肝腎の電話帳を呼び出せない。さっそくDoCoMoショップに持ちこむと、若く愛らしく頭の良さそうなお嬢さんは、当然のごとく買い換え方向で話を進めようとする。そりゃそうだ。4年も前の安物で、液晶も小さく、カメラもなければ音楽も聴けない。しかし現在の最安価品と修理代の僅かな差額が、今の自分には何日分かの生活費に相当するのである。結局修理をお願いして、仕上がりまでの代替機に、データを移してもらった。お嬢さんは嫌な顔ひとつ見せず、バックアップのCDも焼いてくれた。
 渡された代替機は、当然カメラも付いているし液晶も大きいし音楽もまともに鳴る。なんじゃやら複雑な心境でいじくりまわしつつ、ゴールデンバットスーパーライトを楽しむ。


06月22日 金  朝日ソノラマ

 ああ、じめづぼい、むじあづい。しかし冷水器など置いてある人間的な荷下ろし現場で良かった。でなけりゃ脱水症状で死んでいるぞ狸は。
 えーと、念のため、別に朝日ソノラマで荷下ろしをやったわけではありません。朝日ソノラマが解散してしまうのだそうだ。幼い日々の怪獣物ソノシートから昔の仕事関係出版物まで、公私ともにずっぷしつきあってきた出版社だけに、本当に残念。
 田川氏のミクシィの日記に『サンコミックス、マンガ少年、ファンコレ/宇宙船、ソノラマ文庫と、漫画やアニメ・ジュニア小説(ライトノベル)では様々な点でパイオニアと言って良い存在でしたね。ジャンルが認知された頃には後続他社に埋もれていると言う地味さがまた…(^^; 』という一節があったが(勝手にコピペしてかんべん)、実はカメラ関係のマニアックな雑誌や書籍、海外ホラー小説の翻訳にも、とことん凝ってくれた会社なのである。
 10〜20年ほど前のクラシックカメラブームが起こるはるか以前から、営々と続いていたメカニズム中心のカメラ雑誌『カメラレビュー』は、当時我々カメラおたくの聖典とも言えた。特にクラカメ関係の微に入り細にいった特集号など、資料的価値において千金の値があった。問題は、それらの情報が一般のカメラ小僧やカメラおやじにはあまりに濃すぎて、なかなか商売に繋がらなかった点だろう。また初期ソノラマ文庫で力を入れた数多の海外ホラー物件なども、選択があまりに濃すぎて売れなかったようだ。現在の古書市場では、文庫としてはとんでもねー価格で取引されている。
 一般のおたくレベルを超越した『濃さ』――それゆえに潰れるのか、あるいはそれを失ったから潰れるのか――昨今のソノラマ文庫などを見ていると、どうも後者っぽい気がしないでもない。むしろ居直って果てしなく濃度を高めてゆけば、当節、まだ活路はあった気がする。


06月20日 水  お嬢さん、かわいそうだがそれは無理

 『母親が前夫の家庭内暴力から避難している期間に出産したことなどで戸籍がない滋賀県の高校2年の少女(16)が、出生以来使っている実父の姓での旅券発給を認められず、今月ある海外への修学旅行への参加を断念した。19日、京都市内などに住む支援者らと県庁(大津市)で記者会見した少女は悲しみとともに、今後も国に改善を求める思いを語った。【太田裕之】
 少女は今年1月に旅券を申請して拒否され、2月に外務省と法務省を訪れて発給を要請。国は6月から、離婚後300日規定への対応で戸籍がなくても旅券が発給できるように改めたが、法律上の姓の記載などが条件づけられた。少女の場合は出生時に母と前夫との離婚が成立しておらず、法律上の姓が前夫の姓となるため、支援者らと集めた1万4603人の署名を持って12日、麻生太郎外相に面会。実父の姓での発給を改めて要請したが、外相は「偽造パスポートになる」などと述べたという。
 母親と並んで会見した少女は「私の16年間の人生は何だったの? 私の名前は偽造なの? そんな言葉が頭を巡り、とても悲しくつらく悔しい気持ちで、いまだに立ち直れません」と心情を吐露。「見た事もなく母に暴力をふるった人の名前では行きたくない。修学旅行はあきらめざるを得ません」と語った。
 要請に対し、外務省は「民法772条がそうだから」、法務省は「外務省の判断ですので」などと説明したという。少女は「(責任の)なすり合いをする大人はずるい」と指摘。「この問題は終わりではない。次に泣く子が出ないよう、これからも私ができる事を精いっぱいしていきたい」と決意を語った。
 会見には、婚外子差別に反対する京都市の市民団体「LEMON+C」と、兵庫県の「民法と戸籍を考える女たちの連絡会」のメンバーらも同席。「少子化の中で一人一人尊重すべき子供の人格・人権がないがしろにされ、とても悔しい。弁護士会への人権救済申し立てなども検討し、運動を続けていきたい」と話した。少女の通う高校の校長の「社会に一石を投じた。彼女の強い信念に学びたい」とのメッセージも紹介された。 【6月20日15時2分配信 毎日新聞】
』。
 ……まるでミックスジュースのような論旨の錯綜である。早い話、この少女は「私の姓名とは違う名前でパスポートを作って」とオネガイしているわけで、そんな無法が許されるはずはない。無論この少女に何の落ち度もないのは確かだが、問題は暴力前夫だけでなく、そのズブドロの渦中にいいかげんな出産状況を展開し、戸籍上の不備を許した母親や実父にもあるわけだ。狸は麻生太郎外相は嫌いだし、戸籍法も杓子定規だとは思うが、それと旅券法はまったく関係ない。このケースで特例を許すような外務省だったら、それこそ高校生の学級会レベルだ。

 ところで『冷凍倉庫』という呼称は、法律上は存在しないらしい。マイナス20度以下を『F級冷蔵倉庫』、10度からマイナス20度までを『C級冷蔵倉庫』と大別するのだそうだ。昨日はF級を初体験したらしい。ちなみに腕時計は外しておいたほうが無難ということで、狸は控室に置いて行ったが、以前防寒着のポケットに入れて作業した若者の話によると、外に出たらガラスが割れてしまったそうだ。そりゃ気温差が4〜50度あるんだもんなあ。
 しかし人間の体というものは大したものである。数名の派遣の内、誰一人リタイアしなかった。まあそれでなくては冬山登山もできないし、北海道にだって住めないだろうが。第一ちょっとした用事で顔を出す社員さんなどは、短時間とはいえ、夏服のまんまで入って来る。


06月19日 火  零下の狸

 零下25度の現場でバイトをした。過去の冷凍食品関係現場では、作業中大汗をかいて呆れられた多汗体質の狸だが、今回はさすがに汗一滴流れず、鼻毛が凍り、足の指が一時感覚を失った。また作業自体はいつものピッキングと大差ないのに、やたらと指や腕や脚が疲れる。筋肉や腱の疲労にも、寒さが影響するらしい。帰宅後風呂に入っても、まだ指を動かす腱が痛い。凍死寸前の環境では体中の筋肉がバキバキ痛むと、吾妻ひでお先生の『失踪日記』にあったが、それと軽く似た状態だったのか。もっとも現場の人心は、極めて和やかだった。扱っているのが甘いアイスクリーム類だから、というわけでもあるまいが。

 今週はBSで、ひばり・チエミ・いづみの三人娘映画を、立て続けに放送してくれている。まだ昨夜録画した『ジャンケン娘』しか観ていないが、たわいないストーリーながら、とても楽しい。細部はともあれ、全体の風合いはちっとも古くない。脇を固める役者さんたちの実力に加え、あの三人娘の躍動感と歌唱力と演技力は、やはり只者ではない。みんな10代後半の頃の作品だが、なんと言いますか、存在に不安定感がなく、さすがに子供の頃から終戦後の混迷した芸能界を渡ってきたお嬢様方である。個々のオーラが、すでに観客のシンパシーを必要としないレベルまで、確立しているのですね。


06月17日 日  懊悩

 毎週入っていたコンビニの夜間派遣が、消えてしまった。その店が、鷹揚なフランチャイズからシビアな直営に変わってしまうのである。直営だと、さすがにコストの高い派遣などは使ってくれないようだ。いっそ、確実に期限切れお弁当をもらえるコンビニのバイトがどこかにないか探そうか。って、事前確認できる条件でもないのよなあ。
 けっこうお世話になったので挨拶に寄ってみると、店長さんは実家に帰るのだそうだ。もともとただの雇われ店長だったのであって、オーナーは別におり、そのオーナーが経営から手を引いて本社が引き受けた、そんな形らしい。これまでの店長さんは早い話リストラだが、帰る実家があるだけまだ幸せか。まだ若いし。
 これからは、あの大量の期限切迫食品は、おそらく直で裏のゴミ置き場行きになるのだろうなあ。もっとも相当在庫を絞るようになると思うが、ロスがゼロはありえない。夜中にこっそり回収したいが、ゴミでも勝手に回収すれば窃盗になるのだろうなあ。そもそも施錠されてるからなあ。ぶつぶつぶつ。


06月16日 土  バニラの館→処女作

 煙草を買いに出て、ご近所の住宅街を歩いていると、強烈なバニラの香りが流れてきた。それはもう体中が甘いソフトクリーム化してしまいそうな濃度である。自分は学生時代からバニラダヌキと自称し、当時のキャラ設定ではバニラの実を常食とする南方産の小動物なのだが、しかしてその正体は北方産のササニシキ育ちの狸なので、あまりに高濃度のバニラが吸気に含まれると、さすがに快感より当惑が先に立つ。なんじゃこりゃ。
 ふんふんとあたりを嗅ぎ回ってみると、その気流は瀟洒な邸宅の裏庭から、さかんに流れてくるようだ。奥様やお嬢様のお遊び料理にしてはいささか度が過ぎるなあ、と思いつつ表に回って見ると、門構えはまったく普通の住居なのに、なんじゃやら洒落た手書きのちっこい看板と、お品書きの記された黒板が出ている。つまり、ごく普通、いや、ちょっと高級な邸宅の応接間にお客を上げ、お茶やお菓子で饗するお店らしい。バニラダヌキとしては、床下あたりに潜り込んで住み着いてもいいのだけれど、どう見ても有閑マダム連の世界だわなあ。お茶とケーキで1000円弱。まあ手作りモノとしては高くないのだろうけれど、あかん、縁、ないわ。それだけあれば、超豪華な正餐が可能ではないか(あくまで狸レベル)。
 それでもあまりのバニラ臭に本来のキャラ設定を呼び起こされてしまい、駅前に出て、マックに潜り込む。シェイクのSなら、100円ですむ。思わずマックチキンまで注文してしまっても、計200円ポッキリだ。

 図書館で借りた、森敦先生の『酩酊船』を読む。心の師、などと言いながら、その22歳時の処女作にして新聞連載小説は、まだ読んでいなかった。あの名作『月山』で芥川賞をとられたのは62歳の頃だし、その間40年、ほとんど書かなかった方である。自分の傾倒した作品もまた晩年のものばかりだから、正直、その方の若書きを読むのは、かなり怖くもあった。
 で、感想としては――うひゃあ、か、かわいい。って、罰当たりな狸。しかし、この若々しい、気取った、自意識の勝った、正直ちょっと困ってしまう新進気鋭の若者の純文学短編は、もし現在投稿板にでも載ったら、現在の狸としては頬を赤らめつつ、みっつもよっつもツッコミを入れてしまいそうな世界だったのである。しかるにまた、文章の根本的な『正しさ』、また一見とりとめのない世界を内と外から同時に組み上げるような『構造』は、やっぱりとことん森敦印なのであった。


06月15日 金  どっちもどっち

 『【ワシントン14日聯合】従軍慰安婦問題に対する日本政府の謝罪を求める決議案が米下院で係留されるなか、日本の国会議員40人余りがワシントン・ポストの全面広告を通じ、慰安婦の動員に日本政府や軍の強制はなかったと主張した。
 日本の自民党と民主党、無所属の議員45人と教授、政治評論家、ジャーナリストらが共同で出した「事実」(THE FACTS)と題する広告で、当時の日本政府や日本軍が慰安婦動員に介入したという文書は見つかっておらず、日本軍が若い女性を性奴隷にしたとして日本を糾弾している米下院マイク・ホンダ議員の慰安婦決議案の内容は歴史的事実と異なると反論している。特に日本政府と軍は当時、女性を拉致して慰安婦にさせてはならないという命令を出しており、女性を慰安婦として連れ去ったブローカーが警察に摘発され処罰されたという韓国メディアの報道もあると指摘した。
 また、慰安婦が通常「性奴隷」と描写されているが、実際には許可を受けて売春行為をしており、慰安婦の収入は日本軍の将校よりも多かったと強調した。こうした売春行為は当時、世界的にも普遍的なものであり、米軍も1945年の日本占領後、米軍兵士による女性暴行を防ぐために衛生的で安全な「慰安所」を設置するよう日本政府に要請したとしている。
 一連の主張に対し、ホンダ議員の代理人を務める弁護士は「広告の主張はこれまで数十年間にわたり繰り返されてきた正確でないもの」とし、これらの主張はすでに誤りであることがわかっており、説得力もなく論評の価値もないと切り捨てた。 6月15日9時59分配信 YONHAP NEWS
』。
 ……結局あっちもこっちも持論に都合の良い資料(あるいは『資料がない』と主張する対象項目の選択方法)のみ正当と主張しているのだから、永遠に噛み合うはずもなく、永遠に噛み合い続けるのだろう。なんじゃそりゃ。いや、日本語としてはどっちも『噛み合う』で正しいのだから紛らわしい。ことほどさように、人間の主観は曖昧だ。しかしまあ、帝国陸軍の行くところ(で、比較的治安の良い所)にはことごとく陸軍専用の慰安所があったのは事実であり、慰安婦の大半が現地徴用だったのも事実である。当然、お仕事と割り切ってやった方も、ドサクサで強制的に追いこまれ泣きながら耐えた方もいるだろう。また政府のタテマエはどうあれ、陸軍の末端がみんなタテマエ遵守の存在であったなどというファンタジーは、仮想世界でも非リアルだ。
 なんにせよ、感情的に放言させてもらえば、仮にも売春禁止法などというタテマエを戦後標榜する国家の議員が、いまさら打てる広告じゃねえやなあ、恥ずかしくて。糾弾されているのは過去の事実のみならず、現時点での精神構造もコミなのである。そして感情的にではなく理屈として言わせてもらえば、なんで今さらアメリカ相手に大騒ぎしなきゃならんのだろう。従軍慰安婦さんのいた国は、他の国だよなあ。
 ところで、将校さんは間違いなく自発的に職業軍人としての道を選んだ方々なので、賃金比較に持ち出すのは、なんかおかしいですね。もっとも赤紙で引っぱられた一兵卒の給料は、もっともっと安かったのだけれど。
 
 本日は全休。天気予報では雨のはずだったが、午前中にふと目覚めるともうやんでいたので、起き出して電車に乗り、例の雑木林や公園を、時間制限なしで散策する。手頃な石やベンチがまだ湿っていたせいか、野良猫が見当たらなかったのが残念。しかし濡れた葉々や草々、細やかな水滴を一面に宿しキラキラと光る蜘蛛の巣など、眼福。久々に回転寿司で思うさま鮮魚を食らった後(と言っても予算は千円どまり)、午後からは図書館でくつろぐ。図書館を出る頃には世間もすべて乾いており、近所のちっこい神社の置石の上で寝ていた白猫の喉を、思うさま撫でまくって帰宅。これからまだ明るいうちに入浴し、『よろずや平四郎活人剣』の最終回2時間スペシャルを観ながら、サンマの開きと冷や奴を肴に発泡酒を飲み飯を食うのが、楽しみでならない。ごろごろごろ。


06月14日 木  ネタ元に注意

 先週BSで観た『帰らざる河』に関して、ネットの一部に、モノクロ映画をカラーライズしたなどという情報が散見される。例によって何かの勘違い情報が、コピペ変形の末に広まったのか。まあ荒筋もあっちこっちでいいかげんなのは、元ネタと思われるYahooやgooの映画紹介までいいかげんなので、仕方ないのだろうが。
 念のため、『帰らざる河』は1954年のテクニカラー作品です。確かに『カラーフィルム』という単独の光画記録媒体は使用されていない。と言うより、まだ劇場用映画のネガとしては技術的に完成していなかった。で、テクニカラーというシステムは、専用カメラで撮影時に三原色それぞれに対応した三本のモノクロ原版を起こし(つまり三色分解)、劇場で映写用に使われるのは、それらを元に作製したフィルムと言う名の透過性染色物である。なので大昔の作品でも、元の三色分解原版はモノクロだから、ほとんど退色がない。ロケ地となったカナディアン・ロッキーの神々しいまでの風景が、その後のイーストマン・カラー作品のみならず近頃のデジタル・ハイビジョン映像さえ凌いで見えるような気がするのは、その色再現が、究極のアナログ職人芸だからなのかもしれない。
 ところで同じ頃の珠玉の名作『ローマの休日』があくまでモノクロなのは、モノクロ的美意識のためもあろうが、むしろ制作コスト上の問題だったのだろうなあ。ただでさえ湯水のようにフィルムを回すハリウッド映画で、さらに三倍のフィルムが必要になるわけだし、ロケだってイタリアだもんなあ。モノクロはモノクロでいいのだ、という方々も多く、狸もモノクロならではの階調美は、むしろ好きなたちである。でもやっぱり『帰らざる河』同様、総天然色で拝みたかったよなあ、あのトリップ・ファンタジーは。


06月13日 水  ん〜、マンダム(しかしまた古いフレーズだわなあ)

 で、昼間バイトの帰途、若い衆といっしょに現場倉庫からの送迎バスに揺られていたりすると、男子高時代の部室棟にも似た、いわゆる『男臭さ』が車内に充満して、なかなかに懐かしい気分になったりもする。「若いわねえ……ふっ」などと気怠げに白髪交じりの前髪をかき上げ、ヨレヨレの腰を見栄で伸ばしつつ夕暮れの最寄り駅で車を降り、ひとり群衆に紛れ――ありゃ、なんか、いつまでたってもあたりが男臭いぞ。……お、俺やがな。
 なんと自分もまた何年(何十年?)ぶりかで、くっせー野郎臭の発生源になっているのであった。根が狸なので多少の獣臭、あるいはこの歳なのでそろそろ加齢臭が漂うのはいたしかたないが、今さら野郎臭を漂わせる身になるとは思わなかった。

 ところでGW以降に訪れた種々の倉庫内軽(?)作業現場、そこには明らかにひとつの法則が成り立つようだ。扱う物品の雰囲気が、現場の人心に、なにかしら影響するのである。たとえば文具や事務用品を中心としたピッキング作業現場は、体力系でもきわめて紳士的であった。無印良品の仕分け倉庫も、不思議なほど人心が穏やかだ。対して某大手スーパーの冷凍魚介類の拠点などは、人を人と思わないかのごとく冷酷陰惨である。また外食チェーン系のチルド食材ピッキング現場も、冷凍ほどではないが、かなり冷たい。
 まあ、これはあくまで半分冗談であり、非情のサンドイッチ工場やらケツを蹴られそうな某衣料品会社やら、例外も多々あるんですけどね。


06月11日 月  もったいないおばけ

 さて、今朝は夜間バイト先のコンビニから2日分の弁当やお握りやパン類を抱えて帰った狸であり、夜中の休憩時にも『ホタテ弁当』などという高級品をいただいたので、先だってとは違い入浴後の毛並みも実にツヤツヤしたりしているわけである。消費期限切れなど、この時期なら常温でも一日くらいは平気だろうし、冷凍してしまえばなんぼでも保つ。食料というものは、食って腹さえ壊さなければ、立派な食料だ。なんぼ新しくても、ノロ・ウィルスの数個も付着してしまえば、毒になるが。しかし心残りなのは、まだその店のバックルームに残された、何倍もの期限切れ食品類である。あれらの大半が昼にはゴミ置き場行きになってしまうかと思うと、全て持ち帰り冷凍する術を持たない我が身が情けなく、慚愧の念に堪えない。
 もっとも、そうやって従業員がある程度消化できるのも、そこが大らかなフランチャイズ店だからであって、マニュアル遵守の厳格な直営店など、即廃棄処理されてしまうと聞く。まあ大型チェーンでそうした生鮮食品をマニュアル的に処理するには、それが結局一番コストがかからないのも解るのだけれど。吾妻ひでお先生の『失踪日記』に、ホームレス時代にスーパーのゴミ置き場の期限切れ食品で食いつないだ話があったが、そのような無駄のない利用法をシステム化できないものか。最悪、飼料や肥料にしてもいい。期限切れ即ゴミでは、あまりに情けない。世の中には今この瞬間餓死していく子供も、大勢いるのである。
 問題は、やはり飽食の国家の生活感覚だ。たとえば弁当ではなくカウンターの保温器で売られるフライドチキン等の調理スナック類は、一定時間売れ残れば、そのフランチャイズ店でも即ゴミ箱に直行してしまう。「うああああ、もったいないおばけが……」などと古狸が絶句しても、お若いバイトの方々は、それはもうなんの躊躇もなく、ポイポイとゴミ箱に放りこんでしまう。できるものならその瞬間だけ、狸はゴミ箱に化けたいくらいである。
 まあ今でも個人商店などはなんかいろいろ有効利用しているのだろうし、昔は大企業でもけっこう大らかだった。学生時代に夜間清掃のバイトをしていた某百貨店では、清掃係が廃棄を兼ねていたので、現場の偉い人順に欲しい物を取り、下っ端の学生バイトにもポテトフライくらいは回って来た。また就職後にテナントで入った某SCでは、閉店後、売れ残りを従業員出口のワゴンに並べ、退社する社員やパートたちに捨て値で売っていた。それがまっとうな生活感覚だと思うのだが、結局業界で生き残り上位に君臨するのは、マニュアル通り、合理的に『即廃棄してしまう』企業である。アナログ的労力を使って売るより配るより、即『0』あるいは『マイナス』として数値化してしまったほうが、結局『コスト』がかからない。
 先進国の経済界で『無駄を省く』『合理化する』ということは、残念ながら多くの場合、世界的な生活レベルでのエコにも福祉にも繋がらないのである。それはおそらく、昔から市井の台所に住んでいた『もったいないおばけ』とは、まったく似て非なるもの、『もったいなくないおばけ』に憑依されている。たった今餓死していくどこかの子供たちが『無駄』や『不合理』であると規定されていればこそ、それらを救おうとする活動は『ボランティア』、つまり『無報酬の善意』と規定されてしまうのだ。


06月09日 土  陽の光

 脆弱な狸の身には少々辛いので二度と行くまいと思っていた体育会系(?)の夜間バイトだが、たまたまそこしかないなら行かざるをえず、レギュラーの方々の「しゃーねーなあおっさん、途中でぶっ倒れるんじゃねーか」的視線を背中やら腹やらで受け流しつつ狸なりに化け続けていると、これが繁忙日らしく予定時間では終わらず、なんと半日以上続いてしまったのであった。途中休憩は1時間である。労働基準法もなにもあったものではないのだが、レギュラーの方々は、これをコンスタントにやっているわけである。若いってすばらしい。一夜限りの老狸は干物になりました。一応最後まで立ってましたけどね。
 さて、豚めしをかっ食らうついでに無慮2リットル超の冷水を一気に補給の後、帰宅後昼風呂に浸かっていると、小窓からふりそそぐ陽光はいかにも心地よく、しばしなんじゃやら山の出湯にでも浸かっているような錯覚を覚える。窓を開ければそこに空や木々があるような気がするのだ。近頃は入浴剤の力を借りても夜間だとなかなかそんな錯覚は抱けない安アパートの窮屈風呂場なのに、うらうらとした陽の光、それだけで入浴感性が五割増し(当社比)になるから不思議。思わず室生犀星の『叙情小曲集』の、『寂しき春』が脳内に浮遊したりする。

   したたり止まぬ日のひかり
   うつうつまはる水ぐるま
   あをぞらに
   越後の山も見ゆるぞ
   さびしいぞ

   一日もの言はず
   野にいでてあゆめば
   菜種の花は
   遠きかなたに波をつくりて
   いまははや
   しんにさびしいぞ

 この『寂しさ』がけして不快ではなくむしろ叙情そのものである、そんな生意気な口をきいて国語の先生とうなずき合っていた中学生の頃の自分が、我ながら愛しく追想される今日この頃。
 しかしまた入浴後、冷や奴を肴に発泡酒を飲みとびきりそばを啜りながら、録画しておいた古典的西部劇『帰らざる河』を観ていると、子供の頃には今一ピンと来なかったその大自然と生活のロマンが五臓六腑に染み渡り、澎湃として涙湧き流れたりもする。マリリン・モンローの豊かな胸や臀部やハスキー・ボイスに宿る神性も、昔は感知できなかったものだ。やはりどんな人生であれ、長くやれるに越したことはない。


06月07日 木  なんかいろいろ

 なんかいろいろの複合要因で、どたばたとあっちこっち彷徨う。
 ふと気付くと、この一週間で体重が4キロ減っていたり。

 とりあえず、田川氏に平伏多謝。いずれ報恩後もこの御恩は死後まで忘れませんので、狸が先に死んだ場合(十中八九そうなると思われる)も、背後霊となってなんかいろいろ誠意だけは示したいと思います(節操のない動物霊なのでかえって迷惑か)。
 追伸・以前拝借した『宇宙快速船』の収録されたDVDロムは、無事所在確認いたしました。改めてちょっと覗いたら、この昭和36年の矢島特撮は、部分的になんじゃやら円谷特撮をも凌駕するものすごい神技なのではないかと感嘆。ましてこの前の『日本沈没』CG特撮などよりは、ひゃくまん倍(当社主観比)破壊力があるのである。ところで同じDVDに、『秋立ちぬ』も入っていたのだなあ。うるうるうる。


06月04日 月  美欲味欲

 NHKBSハイの『迷宮美術館』が面白い。本日の話題の中では、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂の彫刻を修復する日本人彫刻家・外尾悦郎氏の話が、大層劇的だった。美しいものを理屈と直観の両輪で追う様に、職人の理想を見る。こういった番組が、たとえば『なんでも鑑定団』と同様の扱いや視聴率になってこその民度、そんな気がする。どうせ一億総欲ボケ方向に邁進するなら、金銭換算欲と共に、美そのものへの欲にもズブドロにはまって欲しいものだ。
 ところで、その番組を観ながら、99円ショップで買ったシスコのココナツサブレをポリポリと囓っていたのだけれど、これがまたエラく美味い。狸の幼少時から『ちょっと贅沢系のおやつ』として有名だったが、あの頃より数段洗練された味になり、しかも一枚当たりに換算したら駄菓子以下の価格になっている。「♪シスコ〜 ココナツサブレ〜 アロハ〜♪」――当時ひっきりなしにTVで流れていた、そんなCMソングの歌詞とメロディーをご記憶の方ならお解りだろうが、当時は「ココナツ」も「アロハ」も、見果てぬ南国への夢のキーワードだったんだよなあ。『フラガール』のスパリゾートハワイアンズが、まだ農協御一行様御用達的キワモノ大浴場施設・常磐ハワイアンセンターだった頃の話である。それとて山形の一地方公務員の家庭では子供がせがんでも連れて行ってもらえず、代わりにご近所の山交ランドのほんのちょっぴりトロピカルっぽく設えられたプールでがまんして、それでも内心「おう、アロハ! アロハ〜」などと喜んでいた頃の話である。
 ふと、思う。たとえば江戸時代の浮世絵などは、あくまで駄菓子レベルの大衆向け量産印刷物だったはずである。大層な美術品になってしまったのは、明治以降、海外で評価されてからの話だ。ならば、先だって狸が感動した橋口五葉氏の浮世絵手法による版画とか、あるいは牧野義雄氏の水彩画とか、複製品をダイソーや99円ショップで売れないものか。現代の技術なら、数さえ刷れば100円以下でもそれなりに複製印刷できるはずだ。希少価値・投機的価値以外の観点でとらえれば、芸術も駄菓子も、同じ快感なのではないか。


06月02日 土  とりとめもなく

 雅子様がお元気になられたようでなによりと喜んでいると、なんじゃやら岡山の高校生3人組が、山陽自動車道を通行中の車輌にせっせと石や花火を投げつけていたという記事も。「事故が見たかった」のだそうだ。20キロの石もあったとのこと。わはははははは、どうも近頃ネットのカキコなどを見ていて「もしかしてそーなのか?」と思っていたのだが、やはり今は幼稚園児程度の知能でも、みんな高校生になれるらしい。思わず憂国の念に囚われる一方、脱北家族漂着の記事などもあり、まあ乳児なみの独裁者に牛耳られていないだけまだましかこの国も、そんな一抹の安堵も覚える。

 NHK・BSで、劇団状況劇場の昭和60年の舞台(赤テントですね)『ジャガーの眼』を観る。いや、観ようとしたのだが、15分ほどで置き去りにされる。たとえば寺山修司さんの天井桟敷系は大好きで、どんな作品でも感情移入できるのに、唐十郎さんの世界にはどうしても同調できない。育った精神風土の差か。赤テントは、あまりに直截で僻みがないように思う。


06月01日 金  風に吹かれて

 『[ロンドン 30日 ロイター] 英国の4歳の少年が文通相手を探すために風船を飛ばしたが、風船が届いた相手はエリザベス英女王だった。デーリー・メール紙の報道によれば、ロンドン西方のハンプシャー州に住むトム・スタンコム君は、外国の文通相手を探そうと、メッセージを付けたヘリウムガス入りの風船を飛ばしたが、その風船はわずか32キロ先のウィンザー城に落ちたという。
 女王は執事に返事を書かせ、トム君は両親に手伝ってもらいながら、何度か手紙のやり取りをしたという。執事からの手紙には「(女王は)あなたの風船がはるばるウィンザー城の庭まで届いたことを喜んでいます」と書かれていた。
 トム君の父親は手紙のやりとりがさらに続くと思うか尋ねられると、「もう手紙は来ないだろうと思いますが、わざわざ返事をくれたことそのものが信じられません」と答えた。【5月31日20時0分配信 ロイター】

 ……同じような風船が、皇居や御用邸に飛んできたら、どうなのでしょうね。こういった件で、彼我を比較してどうのこうの言っても無意味だろうが、トム君はきっと王室というものを概念ではなく生身の人間の家として語れる人に育つだろう。

 このところ雑木林に萌えてしまった狸は、狸穴より9キロほど北東に、キャンプ場を兼ねた市内最大の雑木林があると知り、排ガスの街道をチャリでチャリチャリと走ってみた。で、行き着いた先はどうでこの市内だからちょっと歩くと宅地が垣間見えてしまうようなキャンプ場だったのだけれど、ログハウスっぽい管理棟(この時期は無人らしい)の階段に腰を下ろして一服していると、なんじゃやら故郷での幼き日々がアホはアホなりに切実に追想されたりして、思わずしばし、たれきってしまうのであった。
 ♪ も〜りで〜たれ〜ましょほほ、む〜すめ〜さん〜、よ、ほ〜ほ ♪