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09月30日 日  雨の紫烟草舎

 物好きにも小雨の中を緑地公園に出張る。ことほどさように、涼しいということは狸を活性化させる。当然ながら公園ではほとんど人に会わない。それは貸し切り状態のようでいいのだが、猫にも会わないのでいささか残念。
 紆余曲折の大きい詩人・北原白秋が、一時名声を失ってビンボしていた頃に引き籠もっていたという紫烟草舎も、小雨の下で雨戸を閉じている。狸の母方の実家(大昔の田舎)を、四分の一スケールにしたような質素さだが、その後の再起へと繋がる童謡を多数産みだした家なのだから、けして精神的には閉じていず、むしろ日本家屋の持つ『開かれた濃密さ』というか、住む者の精神を外の空気ごとしっとり凝縮してくれる、そんな空気を感じる。

    

 このところ、米良美一さんの近況を、続けて見聞する。旅行番組で女性演歌歌手と屋久島を旅していたり、新聞の日曜版で二週続けて『逆風満帆』なる特集に採り上げられたり。一時期のどん底状態からようやく這い上がり、居直ってくれたようだ。昔は絶対に触れなかった身体障害の事なども、淡々と口にしている。過去のプライドというか、その事を『売り』にするまいという過度の気負いが、いい具合に抜けたようだ。昔の美声やパワーは、やはり若干陰っている。しかし、かつてアルバム『母の唄』や『うぐひす』で聞かせてくれた天界の声は、森羅万象を声と言霊をもって涅槃レベルにまで高める、そんな米良さんの『自己実現』の噴出として狸の中で永遠だし、仮にそれが『自己表現』という一般的な次元まで降りてきたとしても、人として正しい歩みなのだろう。
 狸が昔の『イカ天』などを無性に恋しがるのは、あれが若者たちの『自己実現』パワーに溢れていたからなんだよなあ。十代や二十代の若さで、初めから『自己表現』しか感じさせない歌い手さんたちには、どうしても馴染めない。


09月28日 金  言論統制は軍事政府の基本

 なので、ミャンマーでの記者射殺が狙い撃ちであったことは、遺憾ではあるものの、意外ではまったくなかった。
 そもそも軍事政府とは、『人殺し』を主な手段として国家を統制するものであり、でなければ政府関係者が率先して鉄砲持ち歩くはずないです。

 BSで録画しておいた、在日朝鮮人関係のドキュメントを観る。あくまで日本人としてたくましく生きることを選んだ二世さんの視点だったし、彼の両親も強制連行されたわけではなく、むしろ極貧の故郷から少しでも豊かな生活を求めて自発的に植民地支配国へ渡ってきたようなので、番組全体にも恨み辛み色は濃くなかったが、それでもやはり『被差別』『差別』がらみで、胸の痛むシーンもあった。

 また、地上波で録画しておいた『シェナンドー河』(1965年の作)、カット部分が多くてちょっと困りもしたが、昔レンタルビデオで観たときよりは格段に画質が良く、ニューシネマ以前のハリウッド西部劇の美しい映像と、アンドリュー・V・マクラグレン監督の骨太で単純で浪花節な演出(『ワイルド・ギース』なんかも、泣けましたね)を、楽しませていただいた。南北戦争時代のバージニアを舞台とした、『裏・風と共に去りぬ』といった風情の、むさくるしくも潔い男系農民一家映画である。
 もっともこの映画もまた、『戦争』や『差別』と無縁ではなく、物語自体もけしてハッピーエンドではないのだが、B級男節マクラグレン監督らしい明快なビジョンが、混迷の現代であればこそ、無性に快い。結局『戦争』とは金と命の無駄な浪費であり、男のB級アクション的闘争本能とは別の、きわめて野暮なシロモノなのだ――そして『人種差別』だって、結局は個人対個人の浪花節に帰結するべきなのだ――そんなビジョンである。同じ南北戦争時代のドラマでも、あのなんだかよくわからないスカーレット・オハラの「黒人差別も戦争も、あたしゃなーんも関係ないもんね。色男めざして死ぬまでズブトく生きるんだもんね」的な居直りとは180度違った、いかにも家長オヤジらしい地道なカタルシスを与えてくれる。


09月27日 木  命がけ

 本日は居職系のなんかいろいろで、昼前に上野に出た。出かける前には晴れていたのに、しっかり俄雨だもんなあ、といった天候系のグチはちょっとこっちに置いといて、その帰りにアキバに寄って性懲りもなく地雷源(エロゲの処分特価品ワゴン)を覗き480円の奴を爆死覚悟の上で購入したりしたのもちょっとこっちに置いといて、さらにその帰り、神保町めざしてお茶の水駅前を通過したときのこと――。

    

 ――高所恐怖症気味の狸は、心底感服してしまった。かねてより、「あーゆービルの壁面の、中途半端な位置にある看板やポスターはどうやって張り替えるのだろう」と思ってはいたのだが、まさか命綱も着けずに縄梯子でぶら下がって、ゆらゆら揺れながらやっているとは。まあ縄梯子に体を通してハリハリいるときは、見た目より安定しているようだが、上のライトがくっついているバーを横に歩く時など、もはや壁面には何の掴み所もないのである。おまけに小雨が降っているのですよ。……あれって、時給いくらになるのかしら。落ちたら保険効くのかしら。

 命がけと言えば、某相撲部屋の金属バットやビール瓶には、さすがに仰天した。竹刀や肉弾攻撃なら、元来肉弾戦の修行のこと、アリとも思うが――まさか凶器まで使っていたとは。現代日本らしい箍の外し方というか。
 あの朝青龍が、とても愛くるしく感じられてしまいました。


09月26日 水  各社各様

 本日も、おとついと同じ流通拠点でバイト。ただし、おとついは一階で仕分け後のオリコン(折り畳み式の配送用の箱ですね)を台車に積み上げたりガラガラと移動したりしていたわけだが、本日は二階で仕分けそのもののライン作業。で、現場に入って仰天した。な、なんと、エ、エアコンが効いているではありませんか。冷凍物やナマモノではない生活用品の倉庫内ライン作業で、全室エアコンにめぐり会ったのは、少なくとも狸の体験では、これが初めて。比較的穏健な文具関係や玩具関係でも、扇風機と換気扇がでかければ御の字だったのだ。な、なんとゆー人に優しい会社だろう。おとついの一階は、トラックの発着場が開放されているからエアコンを入れても無意味だが、それでも強力冷風機があったのは前記のとおり。無論『無印良品』の会社が直でやってるわけではなく、あくまで請け負いの某運輸会社の倉庫のひとつだが、その運輸会社の現場すべてが冷風機やエアコン付きとはとうてい思われず、やはりそこまでやっても見合うだけの元手を依頼主が出してくれているからこそ、それが可能なわけだろう。ううむ、無印良品、あなどれず。そして、人への優しさと関係あるかないかは微妙だが、そこの休憩室もまたおおらかなのである。禁煙スペースと喫煙スペースの広さが、今どき3対1くらいなのですよ。
『平和のためなら率先して戦争します』のアメリカから、世界中に広まりつつある反ケム・キャンペーンの成功で、今はどこの現場に行っても、正規の休憩室の喫煙スペースは『ガス室』と呼ばれるせせこましい隔離室に限られている。あのさあ、ろくに水場もないクソ暑い倉庫で安い時給で馬車馬のように従業員こき使って、なーにが『健康のため』だよこのスットコドッコイ――そんな現場が大半なのに、今回の現場では、のびのびとした休憩室の窓辺のカウンターっぽい席に座って、東京湾の彼方に房総半島の海岸線を微かに遠望しながら一服――そんなことが可能なのである。
 まあ、その代わり時給も最低ラインだったりするのだが、キツくて臭くて暑くて時給も最低、そんな現場も多いのだから、これこそ民間企業としては正当な労働対価だと思うのですね。少なくとも狸の経験では、親方日の丸か、あるいはそれに準ずるザルのような団体の仕事以外に、楽して高給な現場などありえない。


09月24日 月  雑想

 本日は早朝から午後までのバイト。昨夜は早めに寝ようとしたものの、このところ夜型生活が続いていたので眠れるはずもなく、ほんの30分ほどうとうとしただけで出勤。結局徹夜、じゃねーや、徹昼ですね。あいかわらずの湿気ながら、気温が低かったのが救い。もっとも倉庫という奴は、狸穴と同じで、室外よりも冬寒く夏暑い。冬はたぶん厚着で済ませるシステム。夏は正社員さんやレギュラーさん用に大扇風機があれば、派遣にもそこそこおあまりの風が回ってくるが、下手をすると正社員さんまで蒸し風呂の中で作業している。
 しかし本日の現場には、面白い物があった。大型強力冷風機、とでも言おうか。最近あまり広告でも見かけなくなったが、ご家庭用の冷風機がいっとき流行りましたね。気化熱を利用したいわゆる冷風扇ではなく、あの、エアコンの偽物みたいな。原理的にはエアコンと同じだが、前方から冷気を吹き出し、廃熱はまんま後方から熱気を吹き出し、排水は内部のタンクに溜める奴。つまり前方にいれば涼しいが後方にいるとサウナになってしまい、室内の平均気温はまったく変わらないアレである。
 で、今日の現場にあったのは、まさにその倉庫用サイズと言うか、上部の首振りダクトから作業現場方向に冷気を吹き付け、人のいない後方に熱気を吹き出す機械なのであった。サイズは家庭用数台分くらいか。だだっ広い倉庫内作業用としては、スグレモノと言っていいだろう。四畳半や六畳間とは違い、だだっ広い空間だからこそ、ドタバタしている一角だけ冷やすのもアリなのである。ちなみにその労働者に優しい現場は、『無印良品』の流通拠点です。あそこの商品には下層民の怨念があまり籠もっていないので、余裕のある皆様は安心してご利用下さい。

 帰宅すると、台所の流しのまん中で、ゴキブリのカップルが心中していた。いや、実は他殺死体なのであって、犯人は狸である。早朝、出がけにでかいのを一匹見かけて殺虫剤を吹き付けたのだが、もう一匹も付近に潜伏していたらしい。以前に見かけた同じカップルなのかどうかは、不明。しかし、あたかも昭和枯れすすきの歌のように、世間の無情を訴えるようにきれいに並んで仰向けになっていると、さすがに心が痛む――というのは大嘘で、思わず笑ってしまった。ほんとうに睡眠薬自殺でもしたかのように、仲良く並んで逝っていたのである。


09月23日 日  近所の景色

 またまた他人様の家に勝手に上がりこもうと、徒歩で『水木洋子邸』を目ざしてみる。この前『木内ギャラリー』でもらってきた種々の市内文化スポットのパンフレットによれば、狸穴から2キロも離れていない住宅地で、そんな物件が公開されていたのですね。昭和の邦画の黄金期に活躍した、女流脚本家さんであり、後に離婚されたが、谷口千吉監督の最初の奥様でもある。没後、市に寄贈されたそのご自宅は、けして豪邸ではないが当時の平屋の日本家屋の姿をかなりとどめていそうで、水木洋子さんの晩年の生活臭などもかなり残されているようなので、期待して行ったのだが――おう、門が閉まっている。第四日曜なら公開されていると聞いたのだが、なんじゃやら変更があったらしい。
 本日は曇天で湿っぽいものの、かなり涼しく、歩き回っても汗が出ないので、どんどん先に進んで真間川に突きあたり、それに沿って4キロほど歩き、隣駅方向に折れて電車で帰穴。汗が出ないと、あまり歩いた気がしない。今年はとにかく初夏から発汗の連続だったからなあ。まあ、明日からも発汗は続くのだろうけれど。

     


09月21日 金  秋情

 永遠の夏のように思えても、やはり季節は遷ろう。
 夜に働いていれば東の空はなかなか白まないし、昼に働いていれば日暮れの早さにふと驚いたりする。
 そして二尾148円の生サンマは、このところどんどん旨くなっている。
 などと、けんめいに風流がってみるものの――んだがらいづまでぐぞあづいんだようごどじのあぎはよう。夜に寝ていても昼に寝ていても、蒸し蒸しと寝苦しくて安眠できない。まあ、夏はことさら暑く冬はことさら寒い老朽賃貸に住んでいるせいもあろうが、それにしても今年は酷い。あっちこっちのアセモが常態化してしまって、痒くてしょうがない。

 大体、本音を言えば、昔の山国に育ったビンボな狸は、脂ののった旬のサンマなどよりも、泳ぎ疲れて痩せ細ったような、あるいは半年冷凍庫で死んでいたようなパサパサっぽい2月頃のサンマのほうが、実は生臭くなくて好きだったりする。現に、買った日にすぐ焼いて食った一尾よりも、冷凍庫に入れて一週間後に食った一尾のほうが、なんぼか淡白で、大根おろしにだって良く合うのだ。開いて干したのもいいですね。

 酷寒の冬を待ちわびる今日この頃、ふと、幼時に母方の田舎で正月に食った『からかい煮』など、無性に食いたくなったりする。エイの干物を甘辛く煮たやつ。各種慶事やお盆にも重宝されたらしく、そう言えばお赤飯に良く合った記憶もあるような気がするが、なかば老朽化した今の狸の脳裏には、冬場の煮凝り状態しか浮かんでこない。ふと気になって検索してみたら、調理済み真空パックの300グラムが1100円。原料の段階だと、同じ重量ならもっと高い。もはやブランド牛なみの価格なのである。
 ……別にいいんですけどね。輸入発泡酒も、ショップQQの干物も旨いし。


09月20日 木  夢日記

 深夜労働を終えて、夜明けの湾岸を歩いていると、いつのまにか浅草の雷門が見えてくる。
 ありゃ、道が違う、とあわてて横の路地に折れると、一見しもた屋ふうの木造家屋の玄関に、『映画 寿司』と記されたブリキの看板が下がっている。『映画 寿司』とは何か――はなはだ興味を引かれるが、財布には千円札一枚しかないので、うかつには入店できない。しかし良く見ると、玄関脇に『全品105円』と記された木看板も置いてあるので、ああ回転寿司の一種か、と安心して入店する。
 中は薄暗いカウンターだけで、寿司は回転しておらず、注文のつど握る形のようだ。調理場の奥の壁が一面スクリーンになっており、古いモノクロの洋画(カサブランカに似ていた)が映写されている。それで『映画 寿司』なのだろう。調理人や客は、入口からはシルエットにしか見えない。
 品書きは後ろの壁に筆書きの短冊で並んでおり、かんぱちやしまあじ、アワビや中トロなどもあるようなので、これは安いとまとめて注文する。シルエットの調理人は、うなずいて握り始める。無言のままなのは、映画の邪魔にならないためか。出された寿司は、奇妙なほどうまい。
 映画はいつのまにかカラーの時代劇(若山富三郎が出ていた)になっている。次の注文のため、振り返って壁の品書きを見ると、大変なことに気づく。すべての品書きの下に、『時価』という文字が並んでいる。それでは玄関脇にあった『全品105円』は、この店の看板ではなく、隣かどこかの看板だったのか。
 目眩がしそうな不安に襲われる。シルエットの調理人は、微動だにせず、こちらの注文を待っているようだ。自分の背中が、汗びっしょりになるのがわかる。

 午後遅く、そんな夢を見て、とてつもなくアレな気分で目覚めてしまったので、精神鼓舞のためにかっぱ寿司に行く。人間、分相応が一番である。


09月18日 火  すすしい

 夜勤が明けたら、朝の風は涼しかった。と言っても、ちょっと動けば汗がたらたらなのだが、昨日までは、まったく動かなくとも汗がたらたらだったのだから、大した進歩。朝風呂に入ってハイなうちに、たかちゃんの打鍵を進める。肉体はくたくただが、エンドルフィンかなんかで脳内のみ活性化、そんな時に、狸の頭は最もたかちゃんワールドに適応するようだ。イっている、とも言いますね。

   

 で、唐突に、懐かしい写真が出てきたので疲労、じゃねーや、披露。フジペットで撮った写真だから、昭和43年の冬頃か。自宅の二階の窓から、南側の農機会社の倉庫の庭を撮ったもの。もはやこの町そのものが消滅しているわけで、この写真をここで目にして具体的な郷愁を覚えてくださる方は皆無だろうし、日本の全国民に見ていただいても推定10人程度しか思い出せないのではないかと思うが、現在あの山形市内最高層のどでかくて立派な『霞城セントラル』は、こんな町の上に建っているわけです。


09月16日 日  たらたら

 YAHOOの天気予報の汗かきマークを見ると、狸穴近辺は、今週も連日みごとに『たらたら』が並んでいる。たとえば本日の午後にジーンズやシャツを洗濯してベランダにつるし、晴れて風もあるので夕方までには乾くだろう、などと思っていると、一部吹き飛んで行方不明になるほどの強風にもかかわらず、残りは夕方になってもまだ湿っぽい。風というより、水蒸気が吹いているのである。どうも、これが当分続くらしい。脳味噌はすでに茹だっている。一挙一動ごとに「なんだコノヤロウなに考えてこんなに流れてんだ汗のコノヤロウ海のくせに湯気吹かすんじゃねーよ東京湾コノヤロウ」などと、無意識の内に口に出している自分がいる。

 お嬢様方のブログで面白いものを拝見し、自分でもやってみる。ハンドルネーム、ペンネーム、本名の順に並べてみる。ただ名前を入力しただけで、何を基準に図化しているか不明の冗談解析だが、狸の場合、なんだかずいぶん当たっている気がして、大笑いしながら感心してしまった。

     

     

     


09月15日 土  よそ様の家

 昨日の『木内ギャラリー』で、お金持ちの家に上がりこんで勝手にうろつき回る快感に目覚めてしまい、調べてみたら狸穴近辺(と言っても徒歩40分とか自転車で30分とかだが)にも、いくつか著名人の私邸が文化財として寄付され公開されているので、本日は散歩がてら自転車で30分の『旧片桐邸』を訪ねてみた。
 故・片桐勝蔵さんという方は、関東の電気器具商としては立志伝中の人らしく、明治の末に「電灯こそ新時代の照明」と確信して問屋を起こし、東京芝浦電気と取引し、大阪の松下商店の関東進出時には代理店として尽力し、ヤマギワ電気の社長さんなども、かつての部下だったのだそうだ。
 その方が、昭和13年に建てて昭和55年に亡くなるまで住んでいたという高台のご自宅が、公開されている『旧片桐邸』。わくわくと上がりこんでみると、さすがに木内別邸に比較するとこぢんまりとした印象で、あくまで中企業の社長さんの家らしい日本家屋なのだが、なんといいますか、ワンポイントのステンドグラスがあしらわれた洋風の応接間や、かつては海が見えたという和風の庭に面した長い廊下や、奥の廊下の隅にあるちょっとした物入れや、廊下側にまで窓のある広めの風呂場や、ちょっと怖い感じの暗い納戸など、いかにも当時の日本家屋らしい『空間的余裕』『余白の遊び』が見られ、ほどのよい贅沢さであった。
 ご立派な裏庭もうろつかせていただくと、かつて遠望できたという海はとうに埋め立てられてどこまでも広がる街になってしまっており、さらには狸が時々日雇いに出向く臨海倉庫地帯に繋がっているわけである。そしてそのほぼ無一文の狸が、今は主のないお屋敷に勝手に上がりこみ(いや、ボランティアらしい管理のおじさんはいたのだが)ふんふんとうろつきまわる――。豊かな生活感を残したままの無人の座敷に注ぐ明るい夏の日差しと、あるかなしかの風に、なにやら諸行無常の囁きを聞いた気もしたりする、今日この頃。


09月14日 金  夏は来ぬ

 夏ですね。
 蚊はプープーと飛び回り、ゴキはカップルで元気に駆けまわり、89円の輸入発泡酒がつくづく美味。

 本日はで上野でなんかいろいろの帰り道、例によって途中下車、雑木林方向ではなく、逆方向の高台、真間山方向にどんどん登ってみる。どうせすでに汗だくなら、下りよりも上りのほうが運動になるだろう――ヤケクソとも言いますね。
 覗きがいのあるお寺や女学院(小学校から高校まで、みんな良さげな女の子ばかり)など、文教地区らしいなかなか充実したコースで、結局それきり電車には乗らず、6キロほどを徒歩で狸穴まで戻ってしまった。最後の1.5キロほどはゴミゴミしたいつもの地元なのだが、東京寄りの隣駅からさらに隣駅にかけては、なかなか起伏に富んだ情緒ある地区なのである。

 途中で見つけた『木内ギャラリー』という所は、木内重四郎さん(明治大正の政治家さんで、朝鮮総督府農商工部長官や貴族院議員や京都府知事などを務め、三菱・岩崎財閥の番頭ともいわれた、バリバリのブルジョア)の別邸の洋館部分のみを復元した建物で、今はマンション群に囲まれてしまっているものの、かろうじて『林の中の古風な洋館』、そんなムードを味わえた。往事は周囲一帯一万坪の敷地内から水路が伸び、真間川を経て江戸川に下ることができた――つまり自分ちの庭から自前の水路をたどって江戸川の船遊びに出られたという、とんでもねー大金持ちのお屋敷である。まるで優子ちゃんのお屋敷(ここを覗いている方なら、半数はご存知だろう)のようなとんでもねー設定が、当時の日本では個人として可能だったのですね。まあ、そのぶん『オラたち百姓は死ぬしかねえだか』的な地方も、多かったわけですが。
 現在復元公開されている洋館部分は、あくまで表側のハッタリ部分といったあんばいで、さほど広壮ではないのだが、それでも狸などには畏れ多いくらいの大正ロマン、中の展示室には往事の写真や間取り図が多数掲げられており、それによれば洋館部分の何倍もあったらしい和風のお屋敷部分がこれまた贅沢で、緑地公園内の北原白秋の旧宅『紫烟草舎』などとは天地の開き、いや、地核とアンドロメダ星雲くらいの開きがある。
 正直、紫烟草舎の縁の下に住み着くのと、木内別邸のサンルームで首輪に繋がれて生きるのと、どちらを選ぶか問われれば、もうふるふると尻尾を振りつつ、ふんふんと首輪に鼻を突っ込んでいきたい狸であった。


09月12日 水  こねこ

 現代ロシア映画の状況は、今一歩解らない。旧ソ連の頃は、かの国営モス・フィルムが、湯水の如く予算を使った歴史大作を盛んに発表していたし、共産主義国家らしく共産主義をグチらない限りどんな採算の取れない芸術映画でも量産していた。自殺未遂後の黒澤監督を『デルス・ウザーラ』で復活させてくれたのも、モス・フィルムでしたね。しかし自由化した現在は、いまだ共産主義(だかなんだかよくわからないけれど)を標榜するフシギ国家・中国の、映画界を含めたヤケクソ気味な景気に比べると、ロシア経済界や映画界はなんだか元気がないようだ。
 で、『こねこ』である。バリバリの低予算映画で、なかば自主制作なのではないかと思われ、調べてみたら映画学校の卒業制作作品なのだそうだ。つまり監督さんにとっては、長編デビュー作ですね。もっとも一度社会経験のある、すでにお子さんもいる監督さんだから、その視線はしっかり腰が据わっている。監督のご両親は昔モス・フィルムで働いていたそうで、本作にも協力しているし、お子さんたちも子役で出演しているそうだから、文字通りのファミリームービーというところか。
 後半の主役(いや、全編の主役はあくまでシマシマの子猫なのだが、人間側としての主役ですね)を務める、とってもさえないおっさん役者が、実は世界でも珍しい『猫の調教師』なのだそうだ。映画内では、数匹の猫だけが友達の社会的敗者、そんな設定だったが、これがもう実に見かけのまんま。こう言っては失礼だが、猫を調教したというより、ひたすら『猫が遊びたがる性格・体質』の方なのではないか。
 で、結論として――ね、ねこにゃんたちがかわいいようかわいいよう。動物映画でしばしば気になる不自然な演出も、度の過ぎた擬人化も、商売っ気見え見えの臭い泣かせなどもいっさいなく、ただすなおに「ああ、ねこにゃんねこにゃん」、と相好を崩しながら観通して、観終わった後も、当分フヤけた笑顔のまんま生きられる――そんな感じの佳作であった。
 やはり大中国より大ロシアのほうが精神的に成熟している――そんな印象を低予算猫映画一本だけで抱いてしまうのは早計も早計だろうが、どうも、やっぱりそんな気がしてしまう今日この頃。


09月11日 火  地デジ難民

 なる言葉が近頃耳に入るので、あ、それは自分の近未来の姿か、などとも思うのだが、まあケーブルが繋がっていればテレビは旧型ブラウン管でも問題ないし、現行の地上派そのものをほとんど観ていないわけだし、どっちみち橋の下に住むようになれば、ラジオくらいしか使えないだろう。図書館さえ開いていれば、退屈することもなかろうと思う。新聞は駅で拾えばいいし、ネット喫茶もありますもんね。
 そもそも、地デジ切替をきっかけに本当にテレビそのものの視聴を断念する人間が増えれば、それはそれでめでたい気もする。テレビの勃興期に「テレビばかり観ていると悪い電波で頭が悪くなる」という風聞があったが、現在はもう番組やCMそのものが明らかに悪い頭の量産を目ざしているので、たとえわずかでもその影響から逃れうる人口が増えれば、それだけ利口者も増えるのではないか。災害時の緊急放送だのは、100円ショップのラジオがあれば充分事足りる。
 などと言いつつ、ツタヤのオンライン半額クーポンで、ロシア映画の『こねこ』と、『乱歩地獄』なるDVDを借りてきた。やはりどんなにビンボをしても、パソとDVD再生だけは確保したい今日この頃。


09月09日 日  たらありたらり

 と、あいかわらずノンストップ発汗の続く日々。今年は秋が無くて来月まで夏になりそうなのだそうだ。なんということだ。狸に死ねと言うのか。本気で北欧に向かって旅立ちたい今日この頃。しかし徒歩では行けないのだろうなあ。海を渡るのには金が要るのだろうなあ。

 一昨日、雨の故郷をうろついた時、高校の近くに奇跡的に残っていた古本屋で、久々に4冊ばかり買いこんだ。1冊は、ちくま文庫の『映画をたずねて 井上ひさし対談集』で、去年出たばかりの、いわゆる新古本。ただし中身は、本多猪四郎・黒澤明・山田洋次・渥美清・小沢昭一・関敬六・澤島忠・和田誠・高峰秀子といった、要は本物の映画(あえて『古き良き邦画』とは言わない)や大衆芸能に真摯に関わってきた方々との、対談集である。井上ひさしさんの映画に対する視線は、実に狸の認識と重なる部分が多く、夜行列車で読んでいる最中は、こくこくこくこくとうなずきっぱなしであった。映画や作家の対峙する『大衆』の多くが、現在のように自己防衛のための小理屈や情報選択ばかりに汲々とする精神年齢14歳未満の人々ではなく、たとえ思考回路は今の子供より単純で知識量は何分の一でも、感性的にはきっちり『社会人』であり『大人』であり『生活者』であった、そんな時代のエンタメというものを、じっくりと考えさせてくれる。
 残り3冊は、いきなり古い。昭和39年の『駅弁パノラマ旅行』、昭和44年の『ふるさとの味パノラマ紀行・東日本編』と『西日本編』。グラビアのいかにも総天然色といった色合いや、時々混じる色ズレなども懐かしい、いずれも千趣会編のガイドブックである。価格なども細かく記してあるので、資料にもなる。これが一冊200円――昔のまんまの田舎の古本屋は、本当に面白い。


09月08日 土  台風行

 さて、6日はまだ良かったのである。台風から逃げる形で北上、午後無事に故郷にたどり着けば、東の空は雨雲だが西の空はまだ晴れており、時折東から吹きつける雨もそう大したことはなく、下校中のろりを眺めつつ虹の下をグループホームに向かい、母親を見舞って外での食事を共にし、夜は山形駅前のビジネスホテルに一泊、安宿ながら大浴場で脚も伸ばせた。

  

 7日も昼頃までは大した雨ではなく、墓を拝んだのち一年ぶりに染太の鰻を堪能、昔の通学路を辿って駅まで戻り、途中、なんじゃやら美麗に改装されたカトリック教会付属幼稚園(昔はずいぶん汚れていたのである)の写真を撮ったりして、これなら帰路の鉄道も大丈夫だろう、などと大甘の予想で奥羽本線で南下を始めたのだが――。

  

 はい、米沢駅であっさり台風に捕獲されてしまいました。山形新幹線はとうに止まっていたのだが、在来線はかろうじて動いていたので、なんとかなるだろうと思ったのが甘かった。米沢・福島間が終日運休と決まってしまったのである。ホームの米沢牛はあいかわらず寡黙に佇んでいるが、土産物や弁当のスタンドはすでに閉まっている。改札口では、怒ったおっさんが「代替バスくらい出ないのか!」などと詰め寄っているが、どうで列車が諦めた山越えが、バスで可能なはずもないのである。じゃあ山形駅に引き返して仙台回りで――残念、仙山線も常磐線もみんな運休決定。仮に仙台回りで長距離バスを乗り継ごうにも、高速道路があっちこっちで閉鎖されてしまっている。ならば米沢でもう一泊――そ・ん・な・金・は・な・い・ぞ。

  

 結局、米沢・新潟間の在来線が動いていたので、夜までかかって新潟に出、新潟から夜行列車に乗り、本日早朝に都内へ。乗り継ぎの待ち時間4時間を含め、無慮14時間の鉄路を辿ることになったのであった。
 なにせほとんど雨天の夜光列車ゆえ、後半通過したはずの上越の山々も懐かしの高崎近辺も、いっさいが水滴の流れと暗闇。ただ、米沢から新潟の坂町に抜ける米坂線での2時間は日没前だったので、朝日山地と飯豊山地の間を縫うように走る山あり谷ありの路線が目の当たりにでき、雨に煙る峰々から幻想的にたなびく水気の群れ、荒々しい谷川の濁流など、悪天候だからこその旅情を味わえた。
 さて、座りっぱなしで腰がガタガタだが、早急に風呂に入って寝なければならない。深夜のバイトがある。台風一過の東京湾沿岸は、またずいぶんと暑いのだろうなあ。


09月05日 水  湿狸・各駅停車の旅

 正業(?)の納品やら、なんかいろいろの私事で都内をうろついていたのだが――湿気る。台風の影響か、生温い水気の中を泳いでいるような気分。今のところ雨は時折どっと来るパターンで、特に激しく打たれはしなかったのだが、狸毛は内側から濡れてしまうので猛暑と変わりがない。
 さて、実は明日から帰郷の予定である。天気予報によれば、どうも台風といっしょに移動するような案配。行きは節約のために新幹線を使わず各停を乗り継いで行こうかと思っているので、移動中は車中や乗換駅の中だから雨でも晴れでも関係ないのだが、明後日の墓参りや故郷散策は、豪雨でないのを祈るのみ。
 時刻表をチェックしながら、もはや奥羽本線は新幹線以外まともに繋がっていないのだなあ、そんな感慨にふける。乗り換え6回。しかも早朝発で上野から下る時はなんとかうまく繋がる(福島で一時間の待ちがあるが、昼飯にちょうどいい)のだが、上りで深夜ぎりぎりにたどり着くには、各停だとどうしてもうまく繋がらない。いや、鉄道線路のことゆえ日本全国繋がることは繋がっているのだが、途中、二時間待ちの駅などが生じてしまう。帰りは新幹線を使うしかなさそうだ。
 各駅停車の旅、故郷まで8時間。新幹線なら3時間。余分にかかる5時間と、節約できる新幹線料金5千円――5時間も多く列車に乗れて、おまけに時給1000円の儲けといったところか。


09月03日 月  小バテ

 正業(?)で午後から上野に出て、例によって帰りに雑木林駅(?)に途中下車して歩き回っていると、いきなりダルさにみまわれ、へたりこむ。典型的なシャリバテ状態。確かにいつものクラウンのカツカレーは省略したが、狸穴を出る時に備蓄のパンを一個食っているので、夕方までは保つはずだった。体重が落ちすぎたのだろうか。よろよろと自販機に這い寄り濃いめのネクターを飲んでやや復活、背に腹は代えられないので緑地公園前の喫茶店に入り、贅沢にオムライスを食って完全復活。普通の喫茶店に入ったのは、何ヶ月ぶりだろう。
 春には80キロに届こうとしていた体重が(そういえば昔、西田敏行さん主演の『池中玄太80キロ』なんて、いいドラマがありましたね)、派遣バイトを始めてから順調に落ちだし、75〜6で安定していた。それが今年の猛暑で、73まで落ちた。身長に比較すれば、まだまだぶよんとしてしまりがないのだが、やはり体そのものが慣れてしまった脂肪や水分の備蓄は、急激に減らしてはいけないのではないか。まあ三度三度きっちり食えばいいだけの話かもしれないが、少なくとも昨年は、水分だけ補給すれば半日くらいは動き回れた。座り仕事なら一日半は起きていられた。
 メタボやら何やら姦しい世の中だが、せっかく秋になるのだし、馬同様に狸が肥えても問題ないのではないか。ありがたいことにこの豊かな国では、太るだけならさほど金がかからないのだし。


09月02日 日  苦あれば楽あり

 某玩具量販チェーン(アメリカ渡りのあそこです)の拠点倉庫内作業は、とても良かった。扱う品物は皆軽く、店舗毎の荷物がカゴ車単位ではなくパレット単位なので、仕分け後の運搬は当然フォークリフトがやってくれ、人夫の力仕事はパレット敷きの時くらいしかない。何よりテンポが鷹揚である。おまけに夜食休憩には、仕出し弁当やお茶まで出た。これで時給は中の上くらいなのである。以前、某文具会社の倉庫も和気藹々としていい感じと記した記憶があるが、玩具やベビー用品も、おおむね和やかのようだ。そりゃあ子供用品の流通過程が、宅急便やスーパーや安外食系のようなギリギリの薄利多売系業種のごとく、労働者の汗と怨嗟にまみれていたら、なんか怖いですもんね。ベビー服に悪い電波が染み付いていたりしそうで。ちなみにいっしょに働いた若い衆の話によると、今年の猛暑はやはりハンパではなかったらしく、現場によっては毎日リタイアする派遣社員がいたそうだ。狸は夜間がメインゆえ、まだ救われていたのだろう。
 もっとも今回のバイトも、行き帰りにはちょっと難があり、最寄り駅前で集合していると、いきなりトラックの荷台に詰め込まれたのには驚いた。送迎バスではなく、荷物運搬と同じ扱いである。そして帰りは現場によって終業時間がバラバラのため、トラック送迎もなく駅まで2キロ強を徒歩。まあ帰りの歩きは東京湾の朝焼けなども見られ、けして辛くはないのだが、行きはなんだかタコ部屋にでも送られそうでビビりました。着くまでは現場の雰囲気など、いっさい知らないわけですからね。

 QQショップのおでんや発泡酒や餃子で夕飯を食いながら、録画しておいたチアリーディングの全国選手権大会を観る。打鍵中のたかちゃんがチアリーダーなので、参考のためである。邪念はいっさい無い。ほんとよ。で、実際、邪念など起きようもないほどなんじゃやら杓子定規なマス・ゲームを観ているようで、正直、萎えた。いや、技術的には大した演技ばかりで若さも力も躍動しているのだが――なんでここまで杓子定規にやらんといかんのでしょうね。すでに応援行為ではなく、ルールに縛られた競技種目そのものなのですね。誰かを励ますための躍動や、鼓舞するための声援を期待していたので、ちょっと興ざめ。