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11月30日 金  紙芝居

 録画しておいた『なんでも鑑定団』で、元紙芝居屋をやっていた方が、貸元の廃業時に安価に譲り受けた大量の紙芝居作品を鑑定依頼し、550万という値がついて驚愕していた。確か250話前後あったから平均2万程度だが、それにしてもさすがに昭和レトロブームである。楽しかったのは、その現在大きな八百屋さんを営んでいるというお爺さんが、昔取った杵柄で披露した、実演の模様。現在CD化されている現役のプロの実演などより、数段うまい。現在のプロ老人たちは、どうも『古き良き紙芝居屋を演じているレトロ調芸人』、そんなわざとらしさがつきまとい、その八百屋さんのような時代色に、かえって欠けているようだ。
 しかしあの街頭紙芝居屋さんたちは、実際、いつごろまで巷で営業していたのだろう。現在も営業している方がいる以上、まだ滅びてはいないわけだが、今回の番組では、昭和35年頃にはほとんど廃れたと表現していた。しかし、狸は確かに小学校の低学年の頃まで、街角に響く拍子木の音を心待ちにしていた。すでに昭和39年である。番組の司会者である島田紳助さんも狸とほとんど同じ世代だが、やはりその頃まで楽しんでいたようだ。もっとも紳助さんは、その頃すでにテレビっ子であり、紙芝居そのものの内容にはあまり興味がなく、紙芝居屋さんとのコミュニケーションを楽しんでいたようだ。その点が、都会と田舎の差だろうか。狸の家にもすでに白黒テレビはあったが、民放はただ一局で、あとはNHKとNHK教育のみ。だから貸本屋と並んで紙芝居屋もまた、大切な『子供向け物語の供給源』だった。以前創作内にも記したことのある紙芝居作品『赤い目青い目』など、思わせぶりな初回だけ観せられて、それっきり紙芝居屋さんが来なくなってしまっただけに、今でも一種の精神的トラウマになっている。
 以下、過去の自作の長編より、主人公と老婦人の会話を抜粋。主人公は、狸より少々若い設定。

「子供の頃、城南の陸橋の下で――ご存じですよね、あの病院から、まっすぐ線路沿いに駅に向かって歩くと」
「ええ、毎日あの下を通《かよ》っておりましたわ」
「幼稚園の帰り道、いつもあそこに同じ紙芝居のお爺さんがいたんです。午後になると、間を置いて何度か回って来て、あの拍子木を鳴らして。あそこは色々な所の通学路でしたから、幼稚園から小学校の上の子まで、帰りの時刻に合わせていたのでしょう」
 老婦人は遠い目をしてうなずいた。
「わたくしも、ときどき昼帰りの日に、お若い方をお見かけしましたけれど、同じ方なのかしら」
「そうかも知れません。僕は洟垂れ仲間といっしょに、いつも水飴やあの薄っぺらい煎餅を買って、五円の小遣いもない仲間は、背中に隠れて首を伸ばして」
「それは、たぶん同じ方ですわね。たいていの紙芝居の方は、お菓子を買わないお子さんは、邪険に追い払ってしまいましたもの」
「はい。――そのお爺さんが、ある日、とても怖い紙芝居を始めたのです」
 ほう、と言うように、老婦人は僕の顔を見つめた。
「ある偉大な科学者がおりまして、幼い子供――たしか中学生の兄と、小学生の妹がおりました」
「はい」
 子供が話す幼稚園での出来事を聞く母親のように、老婦人は目を細めた。
「科学者の秘密の研究を狙った陰謀団が――たぶんそうなのだろうと思うんですが――ある晩その悪漢たちが、子供たちを誘拐してしまいます。絶海の孤島の秘密基地に、監禁です」
「あら、まあ」
「そこで黄金バットが高らかに笑いながら、それともその真似っこでも、とにかくなにか颯爽としたヒーローが登場――みんなそう思ってたんです。けれど肝心のヒーローは、間に合わない話だったのですね」
「ほう」
「子供たちは、なぜか悪漢たちに手術台にくくりつけられて、なぜか目玉に注射されてしまうのです。眼球に、直接、注射されてしまうのです」
「……いやなお話でございますわねえ」
 老婦人が吐息した。
「はい、それはもう聞いただけで、みんな『いやあな』顔です。紙芝居だけに、毒々しい色使いの絵まであるからたまらない。気の弱い連中など、もうそこで腰が引けてました。大人の映画では、そんなシーンも当時からあったのでしょうが、白黒テレビもろくにない時代で、ましてや幼稚園児など、そういった『いやな』話に、まったく耐性のない時代です」
「はい、そんな時代でしたわね」
「鬼太郎の目玉親父は紙芝居や貸本でもういましたが、お化けや妖怪じゃあない、等身大のこの世の子供の目に、いきなりプスリ、ですもの。みんな固唾を飲んで、びくびく怯えて次の絵を待っていると――お兄さんの目が、真っ青に染まります。黒目も白目も境がない、全部真っ青です。そして妹の目は、やはり境のない、眼窩すべてが真っ赤です。もうみんなして、ほとんど恐慌状態でした」
 老婦人にまでいやな思いはさせたくないし、自分の当時の陰惨な印象もそのまま表したくはなかったので、僕はことさら大袈裟に、身振り手振りを交えて話した。
 そんな子供たちの反応のほうを想像してくれたらしく、老婦人も頬笑ましげにうなずいている。
「そんな僕たちを前に、お爺さんは、いつもの切り口上を述べるわけです。『さてこの不幸なサトル少年と幼いルリコの身に、これからどんな運命が待ち受けているのでしょう。連続空想科学探偵物語〈赤い目青い目〉第一話、あとは明日のお楽しみ――』」


 しかしそれっきり廃業しちまうというのは、無責任だよなあ。


11月28日 水  それとろりと何の関係がある!!

 香川県坂出市の、祖母と孫ふたりの行方不明事件は、最悪の後味を残して終わりそうだ。
 殺意の原因は、祖母の借金にあったわけだから、裁判となれば、例によって弁護側は情状酌量を強く訴えるのだろうが――吊すべきである。
 何百万の貸し倒れで人生が狂ったのは、確かに同情する。しかし61歳にもなって、殺しに行ったら予期せぬ幼い孫たちがいたからそれもいっしょに殺してしまうと言うような、糞味噌の愚かな狂い方しか出来ないその男に、狸は一片の人権も認めない。さらに詳細が解れば、その男の行動を『理解』はできるかもしれないが、それでも絶対に人権など認めない。
 茜ちゃんは五歳、彩菜ちゃんは三歳だったそうだ。うああああああ、痛かったろうなあ、泣いてたんじゃないかなあ。
 とにかくもう誰がなんと言おうと、許しません。


11月26日 月  煙草呑みの味

 なんかいろいろで上野に出て、昼飯を奢ってもらう。相手は二十も年下だが、ちゃんとした月給取りだからいいのである(いいのか?)。
 で、以前にも入ったことのある中華屋で、鮭炒飯やら酢豚やらを遠慮無くいただいたのだが――前よりも、ずいぶん味が薄い。不味くはないが、なんじゃやらものたりない。高級店などではけしてなく、むしろ体で働く客の多い定食屋のようなところとしては、いささか上品に過ぎる。調理人が変わったのか、と厨房を見ると、以前と同じ親爺さんが、以前と同じように鉄鍋を操っている。しばらく様子を窺って、ようやく気がついた。親爺さんが、煙草をくわえていないのである。
 調理人が仕事中に煙草なんて――そう眉を顰める向きもあろうが、海外の田舎の紀行番組などでは、珍しくない光景だ。いや大都会でも、絢爛豪華な満漢全席をくわえ煙草で料理している名人なんてのを、中国ルポで確かに見た記憶がある。その上野の親爺さんも、以前はぶかぶか吹かしながら鉄鍋を操っていた。
 聞くところによると、喫煙者が禁煙してまず感じるのは、味覚の向上だそうだ。荒れていた味蕾が復活し、微妙な味や香りが戻るらしい。しかし、狸はヘビー・スモーカーである。奢ってくれた若い衆も、ぶかぶか吸う。そんなふたりが、濃厚で豊かな味と感じていた中華は、やはり煙草呑みの親爺さんの舌によって成立していたのではないか。荒れた味蕾同士の、濃厚で豊かな交歓――。
 まあ、店内全席禁煙になっていないだけ、まだましなのだろう。いよいよ煙草呑みのくつろぎにくい、今日この頃。


11月23日 金  訂正

 サミいと愚痴ったら、故郷方面の方より「そちらも寒いですか。こちらは大雪です」とのお言葉をいただいた。すみませんすみません。こっちは寒いと言っても朝晩だけです。昼は陽が出るとまだ暑いくらいで(あくまで狸の主観)。
 で、『最後の猿の惑星』も、放送は明日なのであった。すみません。惚けてます。

 本日は世間様なみに全休(アブれたとも言う)、たかちゃんたちと遊ぶ。いよいよ果てしなく長くなりそうな気配。一年がかりで千枚を超すのではないか。まあ事実上、長編2本分の構成だからなあ。しかし、ギャグ中心のファンタジーでこの長さ、もはやビョーキか。というより、何かの呪いではないのか。前世でたかちゃんたちをいぢめてしまったとか。
「ふるふる。ただの、びょーき」
「んむ。じぶんのびょーきを、おれたちのせいにしては、いくないな」
「……すやすや」
 ゆうこちゃんは、とうぶん冬眠中らしい。


11月22日 木  サミい→職人芸

 2月の山形でも同じ身なりで雪道を散歩していた狸が、11月の東京近辺でこんなに寒気を感じるのはなぜだ――まあ急激に冷え込んできたためもあろうが、これはやはり、ここ10年でせっせと身に着けてきた肉蒲団、つまり皮下脂肪を、今年になって数キロも失ってしまったからだろう。以前にも記したように飯も回数食わんとシャリバテするし、多少脚が軽くなった以外は、ほとんどメリットがない。狸腹が多少へこんで、風呂で全裸になったとき、直立状態で陰毛や亀頭が見下ろしやすくなった(以前は出腹に隠れて見にくかった)からといって、嬉しくもなんともない。走るとき腹部が上下にたぷたぷ波打ってうっとうしいのと、ふだん町を歩くときやたら寒いのとどちらが不快かといえば、明らかに後者だ。メタボがどーのこーのと巷ではかしましいが、中年のオヤジなどというものは、やはりある程度腹が出ているのが自然なのである。まあ元来痩せ型の方は別にして。

 今週はBSで毎日のように映画『猿の惑星』シリーズを公開順に放映しており、DVDレンタル代にも事欠く狸は、有難く録画してちょこちょこと再確認している。再確認というのは、全作リアルタイムで劇場で観ているからですね。小学校高学年から、高校にかけてのシリーズ全5作。余談ですが、ウィキペディアで検索すると『当時SFは子供騙しとされ、興行としても「制作費が回収出来れば成功」と言われており、その点は本作も例外ではなく、大ヒットはしなかった。』などと大嘘が記してあり、あそこの情報の味噌糞状態をみごとに象徴しております。どこのどなたが記述されたか知りませんが、ヒットしなかった映画を5本も続けてシリーズ制作する映画会社が、ハリウッドに存在すると思うか、普通。ちなみに第一作は、かの『2001年宇宙の旅』と同じ年の公開で、ストーリー性は『猿の惑星』のほうがずっと豊か(小学生同士でも、ラストのドンデンがえしに「うひゃあ、こ、これはまたちょっとびっくり」「やっぱり戦争はいくないよなあ」「まったく人間とゆーものは」などとマジ・モードで話し合うほど)だったため、全世界で記録的に大ヒットしました。でなけりゃ近年、ティム・バートンがリメイクしたりするはずもない。
 まあ回を重ねるごとに予算が激減し、舞台のスケールも矮小化していった感は否めず、子供心に「ありゃ、なんか猿のマスクの作り置きで稼げるだけ稼いどこうって感じ?」などと思ったりもしたわけだが、これが今にして通しで観ると、よくこれだけひとつのテーマをりちぎに毎回掘り下げていったものだと、改めて感心したりする。第1作の衝撃のラストを発案した脚本家ロッド・サーリング御大も偉大だが、2作目の『続・猿の惑星』から4作目の『猿の惑星・征服』まで3本続けて、加速度的に縮小する予算にも負けず物語世界に心棒を通したポール・デーンという脚本家に、今回は職人の意地を見た。『007・ゴールドフィンガー』や『オリエント急行殺人事件』も脚色した方である。しかし明日放送予定の5作目『最後の猿の惑星』は、公開時、テレビシリーズなみのセコさにさすがにダレた記憶があり、今検索してみたら、やはり脚本は別の方々だった。


11月19日 月  スタンド・アローン

 YAHOOからの振込用紙をきれいさっぱり失念しており、昨日の昼前に派遣から帰ったら、ネットに繋がらなくなっていた。まあ一日くらい関係ないやな、と思っていたら、これが旅行中などならいざ知らず、たとえばたかちゃん物を打鍵していて、ちょっとした設定で引っかかり検索調査しようと思っても、当然不可能。おとつい見つけてコピペしておいた某投稿板の力作に、一晩越しの感想を入れようと思っても、当然不可能。なんか落ち着かなくてしょうがない。やはり現在の狸は、ネット依存症スレスレなのであった。本日起きてすぐにコンビニに走って振り込んだら、帰った時にはもう繋がった。これもまたオンライン様々なのである。

 NTTの子会社の倉庫は、さすが元親方日の丸だけあって、システムは最先端、しかしその運営はなんじゃやら杓子定規で一部非効率的とゆーか、やはりお役所的なのであった。人使いも荒い、というより物言いや態度が頭ごなし。当然派遣仲間もピリピリと殺気立つ。そうした環境では、個々の人格の本音の部分が出るから面白い。一見親分肌で磊落なところを見せていた、ちょっとベテランっぽいあんちゃんが、切羽詰まるととたんに自己中化して理不尽な命令口調になったりする。いや、それが妥当な命令ならいいのだが、おじさんはあんたのために不可能を可能にするほど器用じゃありませんがな。同じ時給の派遣なんだし。
 また、襟にボアのついたファッショナブルなジャケットを羽織った、倉庫ではまず見かけないファッションのあんちゃんがひとり、それはそれは優雅にマイペースで動いたりしており、これにはさすがに誰も意見できない。正社員さんさえも意見しない。普通、倉庫にビジュアル系のイキモノは紛れこまないから、なんか恐いのだろう。バイトで糊口をしのぐ若いビジュアル系ロッカーでも、たいがい倉庫にはそれなりの作業ファッションとスッピンで出勤する。そしてそれなりに調和しようと動く。新宿二丁目の倉庫(あるのか?)は知りませんけども。

 本日は全休、録画しっぱなしだったBSの『100年インタビュー』の、井上ひさしさんと山田洋次監督の回を、襟を正して、いや、スーパーの焼き鳥片手に発泡酒をチビチビやりながら拝見する。知性的で穏健な実力派の方の言葉というのは、平易でありながら深く、しみじみ勉強になる。それぞれ風合いのずいぶん違うお二方だが、特に『笑い』に関する考察は、人間が人間である証し、また生きるための糧であるという点で、一致している。
 もちろん『泣き』もアリなのだけれど、狸としては、やはり『純粋な笑い』や『泣き笑い』が物語の理想であって、『泣き』だけの物語は、やはり片手落ちな気がする。純シュールや純シリアスは、また別にして。


11月17日 土  貨幣状湿疹

 今年も両脚の脛がむずむずとうずき始めた。毎年のことですっかり色素沈着した、4カ所ほどの貨幣大の部分が、「あうあう、水っけちょうだいアブラっこいものちょうだい」と、訴え始めているのである。胴体のほうは、まだまだ寒くもなく湿気も養分も充分足りているのに、困ったものである。歳なんですねえ。
 クリーム買うのも金がいるのよなあ、ということで、今夜は吹きさらしの倉庫(たぶん)で稼いできます。まあ天下のNTTの子会社らしいから、そう劣悪な環境ではないだろう。――甘いか?


11月14日 水  惚れた

 何度目かの化粧品容器製造工場に派遣されたら、本日は前回までとは違い組み立てラインではなく、印刷のラインだった。正社員のお嬢様方が、ルージュの容器の各パーツを、一個一個シルクスクリーン印刷機にかけ、ブランド名をプリントしてラインに流す。それを狸がチェックして箱詰めにする。組み立てに輪をかけて単純作業の繰り返しだが、例によって何を考えながらでもこなせる作業なので、たかちゃんトリオの今後を煮つめても、脳内でカラオケをやっていてもかまわない。
 製造ラインでは一切の私語が許されないし、男ばっかしのコーナーに居付きなので気づかなかったのだが、その工場に勤めているお嬢様方は、本当に気持ちがいい。やたらと規律のやかましい工場に根付いている方々だから、という部分もあるのだろうが、別に抑圧されてお行儀よくなっているわけではなく、なんといいますか、大人なのですね。作業の過程でときおり交わされる会話は、若いなりにきゃぴきやぴと愛らしいが、他のラフな現場やテレビなどで多々見られる、今風の、唇がトコロテンで出来ているようなふにゃふにゃした舌足らず発音の少女がほとんどいないのである。皆さん高卒で女工さんをやっているわけだから、失礼ながら、学業成績などは特に優れているわけではなかろう。それでも電車の中の女子大生さんたちなどがしばしば白痴のような物言いしかしていないのに比べれば、明らかに会話に知性を感じる。いや知性というより、やはり世間知か。いいなあ、と思って、ちらちらとお嬢様方のご尊顔など窺ったりすると、皆さんかなり顔面造作のレベルも結構なのですよ、これが。

 えーと、しかし本日のタイトルは、すぐ隣で働いていたミルキー・フェイスの女工さんに惚れたとか、そーゆーことではけしてございません。惚れたのは、ボクシングの内藤大助選手の顔にです。
 帰宅後ちょっと贅沢にスーパーの串カツやらほうれん草の胡麻和えなどを肴に発泡酒を飲んでいたら、ちょうどテレビで『いい旅夢気分』の3時間スペシャルをやっており、まず前田吟さんが、米坂線紅葉の旅などという趣向で、狸も9月に台風の中を乗ったばかりの、二両連結ローカル線で旅に出ていた。ああ、あの墨色だった山間も濁流の渓谷も、今の季節はこんなに美しいのだなあと垂涎しながら観ていると、続いて内藤大助一家が、那須方面の旅に出た。で、内藤選手の夫顔・父親顔を初めて拝見し――惚れてしまった。対亀田戦などでいい男なのは知っていたが、私生活でも、まさかこんなにいい顔をしてるとは思わなかった。ちょっと崩れた味のある表情に、性格の良さと強さが滲み出ている。仏像に彫って四天王とか十二神将あたりに加えたいような顔だ。
 現役選手としてはそろそろ歳なので、もし役者にでも転向してくれたら嬉しいが――今のメジャー映画界やドラマ界では、あの味が使い切れないかもなあ。


11月12日 月  柿食えば

 小ぶりの柿1個――本日のデザート、78円。ちなみにメインディッシュは魚肉ソーセージ入り卵焼き、副菜としてキャベツと納豆。結局デザートがグラム当たりにすると最も高価なのだけれど、ふだん果物はあまり食わない狸でも、やはり秋には柿が食いたくなる。
 たいがいの果実というものは太陽の味がするが、こと柿に限っては、土の味が勝っているようだ。あ、他にも通草《あけび》や枇杷《びわ》が、そんな感じですね。もっともそちらは、田舎にいた頃たまに食っただけで、ここ何十年も買っていない。
 山形の母親が元気な頃は、毎年冬になると大量の干し柿を送ってきた。ふだんはさほど甘味に執着しない狸も、田舎の砂糖菓子より遙かに甘いあの吊し柿という奴は、昔からなぜか好んでむさぼり食った。それもまた、その甘味が土の甘味に通じていたからなのかもしれない。
 やはり狸は、そのうち道端の骸になったら、火葬場のケムや灰ではなく、まんま土に還りたい気がする。


11月11日 日  人気作・期待作

 明日は派遣で早起きをしなければならないので、早めに風呂に入り晩飯を食っていたら、地上派で『トリック・劇場版』とやらが始まった。仲間由紀恵さんは大好きである。しかしTVドラマはほとんど観ない狸なので、その劇場版も当然観ていない。大層ヒットしたらしいから、タダなら大歓迎と思って観始めたのだが――15分でパス。なんといいますか、ギャグもコメディもシリアスも区別がつかない中学生の自主エンタメ作品、そんな風合い。作劇上それなりの社会的説得力が必要なキャラも、全部お子様レベルの造型しかされていないのである。おかげさまで全てのキャラが浮き足だって、それはもー小気味よいほどツルツルとスベるスベる。これは演出家さんがヘボというより、ライターさんの責任と思われる。演出自体は、なんか独特の間があって面白いんですけどね。

『続・三丁目の夕日』の評判は、上々のようだ。心待ちにしていた続編なので、早く観たいが、金がない。邦画でこれほど続編を待ち望んだのは、『陰陽師』以来だろうか。あの頃はまだ金があったから、いそいそと『陰陽師U』の初日に出かけ、愕然としてマジにスタッフを再確認した記憶がある。同一スタッフの仕事とは思われないほど、ガタガタの出来だったのですね。今にして思えば、あれは原作者の夢枕貘さんが二作目のシナリオにしつこく関わったからではないか、そんな気がする。一作目は、原作を素材としてなんかいろいろ調理したその手際が、鮮やかだった。しかし二作目は、なんじゃやら各種のナマモノを皿に並べられて「付け汁など邪道! あくまで塩だけで味わうのが通!」などと強要されたような気分だった。筆の流れと映画の呼吸は違うのである。その点『三丁目』は、続編も、あくまで原作を素材として独自の人情喜劇を展開した前回の延長戦らしいから、大いに期待できる。しかし金がない。
 えーと、1000円ポッキリで観られるのは、毎月一日だったか。ありゃ、来月の一日は土曜のようだが、それでもポッキリにしてくれるのか?


11月09日 金  雑想

 押し入れから、数個の缶詰を発掘。いずれも賞味期限切れから数年を経ている。前回の引っ越しの時、捨て損なった古い缶詰をまとめて袋に入れ、そのまま忘れていたのだ。正社員として会社勤めをしていた頃の自分の経済感覚がいかに狂っていたか、あらためて痛感する。缶詰などというものは、脹らんだり穴が開いたりしていない限り、50年たっても100年たっても食える。それを当時の自分は捨てていたのだ。もし叶うなら当時の自分の部屋に侵入し、捨てようとしているところを背後からいきなり金属バットやバールのようなものでボコボコにして、その腐った性根を叩き直してやりたい。「まだ食える物を捨てるんじゃねえ、昔の俺!!」。――とりあえず、イワシの味噌煮を温め、シャケ缶を味噌汁に入れてシャケ汁にし、ゴージャスな海の幸で晩餐を楽しむ。腹が膨れると怒りがいくぶん治まる。まあ、もったいないお化けが大量発生しそうなその生活を通してでないと、得られない感性もまた多々あったのですね。でもやっぱり捨ててしまった食料を思うと――「頭丸めて土下座しろ、昔の俺!!」。

 派遣疲れの脚を伸ばそうと銭湯に入ったら、番台のお婆さんと常連らしい老人が、なんともやるせない話をしていた。
「しばらく来なかったけど、どうしたの?」
「いや、火事で焼け出されて」
 番台のお婆さんのみならず横で聞いていた狸も驚いて、詳細に耳をそばだてると、その老人がひとり暮らしをしていたアパートの下の住人が自殺、それも火の始末をしないで逝ってしまったため、アパート丸ごと燃やしてしまったらしい。上に住んでいたその老人は、急場のことゆえ身一つで避難せざるをえず、代わりのアパートは大家さんが紹介してくれたものの、焼けてしまった家財いっさい丸損らしい。いたたまれないのは、その自殺した下の住人というのが、その老人よりひとまわり年上の、やはり独居老人――ああ、やるせない。
 そういえば、先日もどこぞのパルコの屋上から飛び下りた若い女性が、働き盛りの会社員を押しつぶし、半殺しにしておりましたね。死ぬほうに悪意はないのだろうけれど、正直、無差別テロや通り魔事件と同レベルなのよなあ、周りにかける迷惑は。

 天高く馬肥ゆる秋のはずなのに、狸の体重は春先よりも6キロ減で安定している。依然としてぶよんとしてしまりがないものの、脚運びは軽い。しかし以前にも記したように、ちょっと飯を抜いただけで明らかなシャリバテ状態を呈してしまうのには往生する。一日三回なんらかの食料を摂取しないと、元気に動けないのである。一日一食でも動いていられた夏頃までの、全身に備蓄していた6キロの余剰皮下脂肪が、今さらながら恋しく思われたりする今日この頃。狸の適正体重は、やはり80キロ弱なのではないか。


11月06日 火  ティーバックゆらゆら

 このところようやく夜が涼しくなり(あくまで狸の主観)、ティーバックの紅茶を愛飲している。去年まではスーパーの徳用玄米茶を急須で淹れており、そのほうが安上がりでもあるしカフェインも効くようなのだが、日本茶はどうも喉が渇く。飲んで間もなくトイレ直行で、体に留まらないようだ。夜中にがぶがぶ飲みながら打鍵していると、明け方には喉がカラカラになっている始末だ。紅茶をちびちびやっているほうが、喉にも良さげ。安ウィスキーをちょっと入れたりすると、頭も程良くこなれる。

 なんかいろいろで上野に出たのだが、派遣バイトと違いその日に技術料が出るわけではないので、アキバにもどこにも寄れない。今週の懐具合では、クラウンのカツカレー大盛り600円を食うのがやっとだ。
 帰途、無料の図書館で、講談社ブルーバックスを3冊まとめて借りてくる。たかちゃん物の新章が、なりゆきでとんでもねーSF仕立てになる予定なので、宇宙論関係にどうしても目を通さなければならない。先にタキオン関係やカミオカンデ関係を読んだだけでもクラクラ目眩のしていた耄碌頭だし、まして宇宙の誕生だの終焉だのとなれば、脳内の血管がぷっつんぷっつん切れ出すのは目に見えている、いや、目に見えるように感覚できそうな気がする。
 しかしあくまでトンデモ話の設定用ゆえ、ざっと飛ばし読み(おい)した段階では、多少脳味噌が煮えたくらいのほうが具合が良さそうだ。なんとなれば、大宇宙の実像も脳味噌の中同様に、結局「理論的には諸説紛々、まして現実的には今のところなーんも解っていない」らしいのである。ましてスペースファンタジー的世界観ならば、巷に溢れる数々の作のように、一見もっともらしい世界観を構築しといて、あとはお伽話でもなんでもかまわんのですね。しかしまあ、どうせデタラメでもやっぱり最低限の説得力がないと、いかに情動の力業を講じたとて、望ましい読者相手の結婚詐欺は成立しない。とゆーか、結婚詐欺をやるには、どーしてもお近づきになるまでの先行投資は要るのである。ただのヒモになれるほどの力やイロケなど、一介の狸は持ち合わせていないのだから。
 などと言いつつ、その話にバニラダヌキだの巨大猫だのがウロウロしているのはどーゆーわけだ。……まあ、それこそ世界観という奴なのですね。しかしファンタジー側でなくリアルタイプのキャラにまで、中坊のような学者や小学生なみの賢者、猪突猛進するだけの智将、一生排泄しない生身の美女、そんなのが紛れこんでしまったりすると、たかちゃんトリオや巨大猫までが、その情動の寄って立つ大地や宇宙を失ってしまうのである(あくまで狸の作法)。
 それにしても、この世界は広い。地球<太陽系<銀河系<銀河団<超銀河団、そして宇宙そのものの果て、さらにその宇宙を擁する空間だかなんだかよくわからないところ――やっぱりたかちゃんたちは、結局その『なんだかよくわからないところ』に縁が深いのだろうなあ。

 図書館では、森富子さんの『森敦との対話』と、新井満さんの『森敦――月に還った人』なども借りてくる。前者は養女として晩年の森夫妻を看取った元生真面目文学少女(ちょっと失礼な言い方だが、そんな感じの方なのである)の著作であり、後者はあの『千の風になって』の訳詞と作曲で一躍著名になった方(それ以前から数々の作曲や著作で活躍されており、1976年には森氏の『月山』を組曲にしたLPも出している)による、森氏との個人的交遊録のようだ。前者は特に芥川賞受賞以前の森夫妻(受賞以前と言っても、すでに老夫婦)のなかなか壮絶なビンボっぷりや、独特の精神的生活が描かれているらしい。後者は受賞後の表舞台活躍期の交遊だし、大らかな作者なのであくまでのほほんとしているのだろうが、そうした内と外の対照もまた興味深かろう。


11月04日 日  秋の花火

 某家電量販店の流通拠点で大型液晶テレビや冷蔵庫を仕分けしていると、まだ閉ざされたトラック搬入口のシャッターの小窓から、夜空に開く花火が見えた。少し遅れて、あの耳に心地よい破裂音も響いてきた。たまたま派遣仲間の若い衆とふたりだけになっていたので、次々と開く花火を、思わずのんびり眺めたり。
「なんでこんな時期に、花火?」
「舞浜がすぐ近くですもん」
 なるほど、別の路線から送迎バスで運ばれてきたので、忘れていた。ディズニー・ランドかディズニー・シーで、上がっているのだろう。
 楽しい休日の夜を過ごす平和な人々に幸あれ――若い衆の表情にも、羨みや妬みはカケラもなく、やがて小窓に闇が戻れば、ふたりで営々と家電を引く。
 帰途の電車は豊かな笑顔でいっぱいだろう。この国の平和が、永からんことを。


11月02日 金  まだ?

「やっほー! やっぱし、まーだだよー!」
「そうか? んでも、あっちのへやでビールのみながら、なんかぶつぶつゆってるぞ。えーと、なんか日やといに出かけたら、エラくいーかげんなげんばで、いちんち正しゃいんのオバハンのざつだんにつきあわされて、かえってすげーストレスたまった、とかなんとか」
「ぶつぶつぶつ――まあ給料は出るからかまわんのだがなあ。見たこともないドラマやつまんねー映画の話題ばっかり繰り出されても、相槌打つのにほんと往生するのよなあ。しかし派遣が正社員に意見するのは、御法度だからなあ。大体、あのオバハンも狸も、肝腎の某輸入発泡天然水の検品なんぞ、ほとんどできとらんと思うぞ。ちょっと覗いてラインに流しただけだぞ。飲む奴も災難だわなあ。まあ、酒場で業務用に使うらしいから、腹こわしても別のもんのせいになるとは思うが――ぶつぶつ」
「……ごめんね、ごめんね」
「ありゃ、ゆーこちゃん、だれにあやまってるの?」
「んむ、これはやっぱし、かばうまや、ゆにゅーかんけい者のかわりに、しょーひ者のみなさんにあやまっているのだろー」
「……こくこく」
「きにするな、ゆーこ。どうもおまいは、きがよわくていけない。にんげんとゆーものは、ちょっとよごれた水のんだくらいで、死にゃあせんのだ。おれなんか、山ではいつも地べたのたまり水、すすってるぞ。山のあじがして、なかなかんまいのだ、これが」
「そーそー」
「……ふるふるふる」


11月01日 木  まだ

「やっほー! まーだだよー!」
「んむ。これは、まだだな」
「……ごめんね、ごめんね」