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05月27日 火  続・にくの大和煮

 で、例の食品バッタ屋さん兼68均ショップには、三日に一度は寄るほどの常連と化しつつあり、一般のスーパーでは処分特価でもありえない半値以下の価格で各種チルド食品や冷食を入手し、日々感動を新たにしている。同じようなチルド餃子でも、QQ商品とは比較にならないほど美味な製品が、なんと78円だったりするのだ。欠点といえば、バッタ屋さんだけに、そうした珠玉の目玉商品はほとんど一回こっきりの入荷で、気に入ったから翌日まとめ買いというわけにはいかない。まあ、もともと消費期限が翌日や翌々日だったりするので、当然といえば当然なのだが。
 しかし缶詰は、期限切迫品でも何ヶ月かは間があるし、腐らない限り半永久的に食えるので、例の『にくの大和煮』などは、その後、数缶もまとめ買いしてしまった。大缶だから、一度開けると二日は同じおかずになるが、淡白な食感で、ちっとも飽きない。お馬さんのお肉というものは、鯨同様、牛や豚よりもよほど大和煮缶詰に向いているのではないか。
 そういえば、昭和30年代だったか40年代だったか、こんな話があった。某中小缶詰会社で、牛肉3割馬肉7割の『牛肉大和煮』を販売していた。当時は後ろにこっそりその旨を記しておけば、無問題だったのですね。で、業績が上がってきたので、思いきって牛肉10割にモデルチェンジ、さらなる発展を期したところ、問屋や小売店から「近頃おたくの牛缶の肉質が落ちたとお客から苦情が入っている。勝手に質を落とされては困る」と連絡が相継ぎ、会社のほうでは「なあんだ、昔どおりに儲けさせてもらっていいんだ」と、さっそく牛肉3割馬肉7割に戻し、一件落着。
 つまり、実際誰が食しても、大和煮缶詰は牛さんよりお馬さんが美味らしいのである。狸もそう思う。大和煮に限らず、たとえばコンビーフも、正直『コンビーフ』より『コンミート』とかのほうが、さっぱりして美味だと思うが、どうか。


05月24日 土  正しい怪談

 図書館でふと気が向いて、沢野ひとしさんの『休息の山』というエッセイ集を借りた。この作者はご存知の方も多かろうが、昔の挿絵画家・宮田武彦さんあたりを思わせる、一見不安定で簡略な線の、ヘタウマ系っぽい、しかしきっちり個性化されたイラストレーターで、エッセイ集も多数出している。山好きとしても有名ですね。
 で、今回も、本文・挿絵ともに、独特の気の抜け具合で頭のコリをほぐしてもらおうと思ったのだけれど――おお、なんとゆーことだ。歩くわがままだと思っていた沢野画伯が、なんだか成熟している。もうすっかり落ち着いた大人、立派な日本のお父さんになられている。山旅の描写も日々の生活も、なんじゃやら社内報に連載された総務部長さんのエッセイというか、感性が円熟しすぎて、正直、ちっとも味がない。ああ、人間とゆーものはいつのまにかオトナになってしまうものなのだなあ、などと、狸よりも歳上の方を相手にずいぶん失礼な感慨にふけってしまった。イラストは相変わらずのヘタウマ・タッチで、見ているだけで心が和むのだけれど、肝腎の文章があまりに無味無臭で、なかば匙を投げかけていると――おお、またまた、なんとゆーことだ。最後の最後で、とんでもねー至芸をかましてくれるのであった。
 エッセイ集のラストにあるのだから、その『縦走路の女』という一編も、当然創作ではなく実話なのだろうけれど、これが珠玉の怪談なのである。ある夏の終わり、槍ヶ岳から穂高への縦走路で、沢野さんが出会った不可解な女性――古典的怨念型でも、あざとい新耳袋調の似非実話っぽくもなく、淡々として思わせぶりで、狸の背中にぞわぞわと凄味を這い上がらせてくれながらも、あくまで根底の人間観は優しくそして哀しく――久々に、大人の怪談を聞いた気がする。謎の女性のセリフの曖昧な奥深さも絶妙ながら、その前までのエッセイに感じていた物足りなさ、つまりあまりの平衡感覚と味の薄い文章が、もうまったくプラスに作用してしまうのですね、こうした題材だと。
 昨今の神経症的なキリキリ怪談や新耳袋調に飽きた方、きちんとした怪談に飢えている方は、ぜひご一読を。


05月21日 水  ペットボトルの謎

 水を入れたペットボトルというものは、本当に猫よけになるのだろうか。
 もうひと月も前から、狸穴のあるアパートの門のすぐ横に数本の水入りペットボトルが並んでおり、どうも邪魔くさくてしかたがなかった。ときおり隣のマンションに出入りする車が轢きつぶしたりして、これで無くなるかと思えば、翌日にはいつのまにかまた並べてある。
 アパートの管理人さんが野良猫に餌付けをしている話は、以前にも書いた。そんなアパートの入口にわざわざ猫よけを置くというのは、いわば宣戦布告に等しい行為なのだが――昨日深夜スーパー帰りに、その根性のある住人の正体を目撃してしまった。狸の隣の部屋の、あの爺さんだったのである。隣のマンションの犬がうるさいと窓から絶叫したり(まあこれはその飼い主にも問題ありまくりなのだが)、いっとき狸にも深夜騒音の苦情攻撃をしかけてきた、あの爺さんだったのですね。近頃は狸との関係は良好なのだが、向こう隣の住人が入れ替わったときなど、必ず一度は夜中に窓から絶叫する。
 なるほどあの爺さんの性格ならば、野良猫などは天敵に等しい存在だろう。勝手気ままな猫たちのこと、サカリがつけば夜中の裏庭でおわあおわあとラブコールを響かせたりもする。しかし、アパート前という公共の場所にうっとうしいペットボトルを夜中にこっそり勝手に並べるというのは、それこそ違法行為なのではないか。
 で、狸は堂々と爺さんに意見を――なんて、やりっこないのである。こそこそと横道にそれ、しっかり爺さんがいなくなるのを待って部屋に戻りました。そりゃそーだ。過去の諍いの再燃はご免である。だいたい、あんなもんなんぼ並べても、野良猫はきっちり出入りしておりますしね。
 しかし管理人さんも、たぶん知っていながらシカトしてるんだろうなあ。変に事を荒立てて、猫たちをシメでもされたら大変だし。なまねこなまねこ。


05月15日 木  たすぽ

 職場からの帰りに行きつけの煙草屋さん(昔は汚かったが、今はマンションの一角化した、例の品揃え豊富な老舗さん)の前を通ると、なんじゃやら運動会の即席貴賓席のようなテントやテーブルやベンチが並んでおり、きれいなおねいちゃんたちが盛んに呼び込みをしていた。聞けば、その場でタスポの申し込みができるそうで、添付用の写真まで撮ってくれるとのこと。喜々としてちっこいインスタントカメラで写真を撮ってもらい、書類にカキコする。酒は出ないがねーちゃんは綺麗だった。JTも必死なのですね。
 そう言えばGWに帰省したとき、北の故郷ではすでにタスポが導入されており、温泉旅館の自販機の前では、女中さんがタスポを持って、ほぼつきっきりでお客の煙草購入を助けていた。いっしょにいた姉は、昔は狸同様のスモーカーだったが、結婚後、妊娠を機に煙草をやめてしまい、夫にまで禁煙を強制したほどだから、お前もいいかげんにやめろやめろとかしましい。世間でも、「喫煙は慢性的な自殺」といった意見がある。まあ自殺という奴は自発的に速攻でこの世をオサラバするための行為だから、慢性的自殺という表現はいささかおかしく、喫煙はあくまで嗜好である。たとえば電車もバスもひっきりなしに通っている市街地で、わざわざ自家用車を乗り回すのと同じようなタイプの嗜好ですね。あれも、自分がバラけたりつぶれたり、人をひきつぶしたりはね殺したりする確率が確実に高くなる。狸はいわゆる受動喫煙のアヤしげなデータはいまいち信用していないが、それでも吸わない方の前で許しもなく吸おうとは思わないから、通行人の許可を得ずに勝手に走り回り、うっかり他人をひきつぶしたりはね殺したりする可能性をほとんど看過しているドライバーさんたちに比べれば、なんぼか良心的だろう。ちなみにドライバーさんたちを責めているわけではまったくなく、単に世間に対して「ほっとけ、好きで吸ってんだから」、そう言いたいだけである。
 ふと思えば、タスポってのは、早い話が喫煙免許なのだなあ(正確に言えば自販機煙草購入免許だが)。

 地震に襲われた中国が、ようやく他国からの人的支援を受け入れてくれたようだ。まあオリンピックがらみでなんかいろいろの思惑もあるのだろうけれど、瓦礫の下の人々を思えば、もっと早く見栄を棄てていてくれればなあ、と、つくづく思う。一時間の差が何十の命に繋がるわけで。しかし、今のところ日本限定なのは、やはり数々の震災経験を見こまれたのだろうか。
 一方、サイクロンに襲われたミャンマー政府の頑なな対応に関しては、残念ながら、国民さんたちの不幸を遠目で哀しむしかない。タテマエからして軍事政権なのだから、人の命は単なる手駒でしかない。殺し合い死に合う、それが軍事の本質だもの。早い話、こうした天災による混乱などは、表立ってつぶせなかった微妙な連中をドサクサにまぎれてこっそりなんかするのに、最適のタイミングなのだ。断言してもいい。あの政府は、現在、他国に見られては困るようなことをせっせとやってます。その証拠に、現地を訪れた数少ない外国人の話では、被災地に軍の支援などほとんど来ていないそうだ。どこかで別のことをやっているのだろう。


05月13日 火  雑想

 職場の喫煙所は、かつて訪れた数多の派遣先同様、休憩室の片隅に隔離された、通称『ガス室』である。空気清浄機らしいシロモノはデンと居座っているが、なんせ喫煙者全員が短い休憩時間にわらわらと集合して一度に吸うから、それはもうヘビースモーカーですら辟易するような有様になる。しかし幸い、ちょっと遠い裏口の外にも灰皿が置いてあり、10分休憩の半分を行き来に費やす覚悟があれば、露天喫煙も楽しめる。で、本日も雨天の下で傘をさしながら吸ったりしたわけだが、息が白いのには驚いた。最初は自分の吐いたケムかと思ったが、よく見ればやはり息が白いのである。ああ、冬が来たのだなあ。もうすぐ春が来るのかなあ。

 T社発行のコミック誌Rに連載中だったI氏の漫画(甘木様あたりはご存知ですよね)が、残念ながら打ち切りになるそうだ。日頃からなんかいろいろお世話になっているだけに甚だ残念だし、何より悔しい。
 確かにI氏の作品は、今どき抑制の効きすぎる感はある。キャッチーな素材でも、モロに一般読者に媚びたり、派手に大上段に構えたりしないので、通にはけっこうウケても、不特定多数のミーちゃんハーちゃんにはあまりウケない。
 たとえば、女性のお尻である。一般ウケする男性漫画家の描く女性のお尻は、たいがい男に触りたいと思わせるためのお尻であり、まあそれはそれで狸もけして嫌いではない、いや、実はとっても大好きなのだが、I氏の描くお尻は、どちらかと言えば、あくまでその女性キャラの属性としてのお尻である。それが少女の発展途上のお尻でも、I氏好みのグラマラスかつ締まった外人女性のお尻でも、彼女ら自身の属性を越えて「見ろ見ろとにかくオンナのケツだよケツ」といった媚びを売ることがない。自立した人間のお尻といっていいだろう。
 ことほどさように、矜持や節操とおまんまは両立しがたい。個性が大事のなんのと言いつつ、商品である限り、量販できない個性は淘汰されてしまう。ここんとこのアキバのエロゲコーナーを見ていてもエロ同人誌を見ていても一目瞭然だ。「見ろ見ろとにかく萌え絵だよ萌え絵」。――狸はパブロフの犬にだけはなりたくない。しかし今やオタの大半はパブロフの犬と化している。パッケージ化された、オタの詰め合わせとでも言おうか。

 ふと、80年前後のアキバを舞台にしたマイコン少年たちの冒険譚など、着想したりする。映画『ウォー・ゲーム』よりもっと昔の話で、『ナーズの復讐』よりも切実なオタ話。


05月11日 日  世界のクロサワ

 BS2で一年がかりで放送してくれるという黒澤監督全作品、必ずしも制作順に放送するわけではないようで、今のところは自殺未遂(確か1970年頃だったよなあ)以前の作品を飛び飛びに見せてもらっている状態なのだが――いやあ、昔は気づかなかったのだが、世界のクロサワと言われるだけあって、初期のスピルバーグの演出呼吸なんか、もうエンタメ時代のクロサワの影響が見え見えだったのですね。なるほど、採算考えずに『夢』(1990年)の制作資金くらい出してくれても当然なほど、パクリすれすれの参考にしていらっしゃる。コッポラ監督やルーカス監督の作品に関しては、当人たちがおっしゃるほどの影響は感じないのだが。
 狸としては、実はエネルギッシュなエンタメ(『生きる』や『白痴』をエンタメ扱いしてはいけないのかもしれないが、やはりあのドラマ運びはどう見てもエンタメだろう)以降、というより自殺未遂以降の『デルス・ウザーラ』から最晩年の『まあだだよ』に至る作品のほうが、なぜだか好ましく見たりする。『トラ・トラ・トラ』降板騒動と自殺未遂の間に撮った『どですかでん』では、まだ中途半端に残っていた英雄主義の視線が、『デルス・ウザーラ』以降は、ほどよく枯れたような気がするのだ。まあ、狸がリアルタイムで自発的に追いかけた黒澤映画が、中学時代に映画教室でなかば強制的に見せられた『どですかでん』を除けば、高校時代の『デルス・ウザーラ』以降なので、単に感情移入度の違いなのかもしれないが。それとも、狸がすでに高校時代から黄昏れていただけか。
 たとえば本日録画を観た『椿三十郎』、確かに文句なしにエネルギッシュで痛快で巧みに構築されたエンタメなのだけれど、ふと、あのデルス・ウザーラのなんともいえない『地べた感』が、無性に懐かしくなったりするのです。


05月08日 木  出来事

 職場にずいぶん古いカラーネガが回ってきた。すでにビニールのネガシートに入ってはいるが、紙ケースにはなんとフジカラーN100の広告が出ており、推定1970年代前半の古物である。狸自身も古物なので、当時のカラーネガの目にも鮮やかなオレンジベースなどが記憶にあり、懐かしくチェックすれば、すでにドドメ色に近いオレンジに退色している。あかん、さっぱわやや。ここ20年ぐらいの自社ネガなら、お得意の自動補正技術でなんとか見られるプリントを焼いてしまうフジのデジタルラボ機も、さすがに40年近く前の、しかも退色しきったネガではどうしようもない。ポジフィルムなら、アナログの時代でもおゼゼさえ使えば、CMYの内の退色した色のみのポジを起こして重ね焼き、などという芸もできたし、今のデジタルラボなら一瞬で補正できる。しかし、ネガフィルムはどうしようもない。三原色の問題だけでなく、オレンジベース自体が変質してしまうからだ。比較的新しいネガなら、各社の各銘柄のオレンジベースのデータが、すでにラボ機に登録してあるし、ちょっとした変質にも対応できるが、ものには限度というものがある。40年近く前のドドメ色ネガとなると、これはもー、被写体の部分ごとに手彩色のノリでやるしかないのである。あ、なんか田川氏のmixi日記で、昔、おんなしようなコメントを記した記憶が。
 で、それが本日の『出来事』の本題なのかというと、実はそうではないのである。ここから先は、特に女性には顰蹙モノの内容になりますので、以下、あまり反転しないでください。
 ネガシートの中から、なぜか一本の
陰毛らしいものが出てきてしまったのである。
 すでに第二次性徴を迎えた方なら、お心当たりがあると思うが、
陰毛というやつは、一般の毛髪や体毛とはかなり異質の縮れグアイと太さの変化がある。どう見ても、部屋の掃除や風呂掃除でけっこう出てくる、あの陰毛なのである。ネガの内容は、中学の入学式である。当時としてはかなり立派に発育されたお嬢さんと、その両親も写っている。まあ、フィルムの被写体とシート内の異物に、必ずしも直接の接点があるとは限らない。受けた写真屋のバイト君がチェックしたとき、なぜか彼の陰毛が紛れこんだのかもしれない。
 しかし、もし直接の接点があった場合――まさかこの女の子のじゃないよなあ。ずいぶん長くて立派な
陰毛だもんなあ。当時の中学の新入生なんて、今なら小学校高学年よりも幼い体だったような気もする。狸自身も、股間に発毛を確認したのは、中学校入学以降だ。じゃあ、もしかしてこのお母さんの――うんうん、いかにもの立派なお腰をしていらっしゃる。いや、まさかこのお父さんでは――げ、しっかり指でつまんじまったぜ。なまねこなまねこ。いやいや、別に当時から紛れこんでいたとは限らないのだから、このお嬢さんが成人後に何かの拍子で――あるいは、今回バカ高い手焼きプリントなどわざわざ注文した人物の、ごく最近の陰毛か。それがもしこのお嬢さん自身だとしたら――げげ、狸と同年代のおばはんのか?
 ――種々の懊悩の末に、結局捨ててしまったのだが、ふと、不安も生じる。
 来週あたり、ある写真屋の店先にこの仕上がりを受け取りに来た老人が、「実は、最前亡くなってしまった娘の形見の
陰毛を、うっかり袋に入れたまま出してしまったのだが、今見たら無くなっている。棄てられてしまったのだろうか」などと、哀しそうに訴えはしまいか――そんな不安である。


05月05日 月  五月の濡れた狸

 おとつい早朝、礼服抱えて小雨の中を旅立ち、新幹線自由席車輌の満員電車状態デッキでいい具合に蒸し上げられ、米沢から先はようやく座れたりもしたものの、故郷の北国に降り立てば、そこは真夏のような暑さなのであった。姉夫婦や姪や母親と一泊した温泉の夜もなかなか蒸し暑く、翌日は黒服着こんでの炎天下の墓掃除や法事で、上着まで汗びっしょり。で、本日は姉夫婦の車に便乗したのでエアコンは快適だったものの、連休も明日でおしまいなので当然高速道路は超低速道路と化しており、10時間近く座りっぱなしのガタガタ腰で狸穴の街に帰着すれば、また小雨がジトジト。こうした気象攻撃は、明らかに狂った地球生命体ガイアによる、ミュータント狸族への宣戦布告なのだが、まあ、法事後一席設けた『染太』の鰻がこの世の最期の輝きかと思われるほど旨かったので、良しとしよう。母親のアルツも、相変わらず現状認識能力は無きに等しいが、過去の記憶は、ときおり孫(自分の娘の娘)を姪(自分の兄の娘)と間違えるくらいで、そう悪化していないようだ。

 きょうわ、こどものひ、です。
 ぼくわ、まだごじゅーちょっとのおとこのこなので、かしわもちをたべて、こいのぼりをあげたいのですが、かしわもちも、こいのぼりも、だあれもかってくれません。しかたがないので、おむかいのまんしょんのべらんだにつるしてある、せこいこいのぼりをながめながら、もうよるなのに、これからひとりさびしくおせんたくをします。ごしごし、ごし。……またちょっと、あめが、ふってきました。でも、あしたはいちんちおさんぽをしたいので、おせんたくを、つづけます。ごしごし、ごし。……ぼくわ、ちっとも、かなしくないです。

 ところで、山形や天童の農家の庭先を車窓からながめていると、数年前までは林立していた正調鯉のぼりが、今年はやけに少なかった。ラジオでは、なんじゃやら『古き良き童謡や唱歌をこれからも伝えていくにはどうしたらいいか』というような特集をやっており、それが子供の日の特別企画らしい。狸世代にとっては郷愁と不可分の、情緒に満ちた歌詞やメロディが、今はほとんど教科書から消えてしまっているのですね。
 もう、子供の『基礎教育』ではなく、『基礎情緒』を考えなければいけない時代なのだなあ。ごしごし、ごし。


05月01日 木  Z級グルメの逆襲

 相変わらずしみったれた話で恐縮なのだが、旨い物は旨いのである。
 ちょっと前に、100均やQQや68均の乾蕎麦に旨い物なしと記したが、調査が足りませんでした。例のバッタ屋さんの68均コーナーで見つけた、(株)信州更科の『信州そば・とろろ入り』、ほぼ2食ぶんの230グラム入って、きちんと蕎麦の香りもすれば、歯応えも充分なのである。あまり太くないのが玉に瑕だが、色もそこそこ黒っぽい。念のためあちこち覗いてみたら、QQでも売られている。狸は当然バッタ屋さんで買い続けるが、全国のQQに近い方々は、ぜひ一度お試しあれ。

 ところで、今夜の晩飯は天ザルにしたくて、あちこちの総菜売り場に寄ってみたのだが、なぜか野菜の掻き揚げばっかりで、お目当ての海鮮掻き揚げがどこにも見当たらない。1店だけなら単なる売り切れとも思えるが、地元のスーパー3店、どこにも並んでいないのである。地球規模で桜海老や小海老が枯渇しつつあるのだろうか。いや、ダイエーに定番のイカゲソ天麩羅すら並んでいなかったのを考えると、もしや地球温暖化で海洋生物の生態系になにか重大な異変が――。んなことねーか、鱚や鰯はきちんと並んでるもんな。ガソリンはさておき、ちっこい海老の高騰があったとも聞かないし、これはやはり、地域規模の狸に対する嫌がらせなのだろう。