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08月31日 日  狸をやめることにしました

 ※タイトルを「学校(仕事&趣味)を辞める(止める)ことにしました」に設定すること。地雷バトンです。
 と、あったのですが、狸穴はとても狭いので、地雷などとゆー贅沢なシロモノを埋める余裕がありません。
 
▼みたらすぐやるバトン←これ大事  ※見た人必ずやること...今すぐやること
 ともあったのですが、それに従うと、痛烈な便意を覚えている方や台所から火が出ている方などが今後の人生を誤ってしまうような気がするので、ご自由にどうぞ。ちなみに狸は4日くらい前に見たよーな記憶があります。


HN:バニラダヌキ。

職業:某ラボ契約社員。

病気:脱腸。メタボ。扁桃腺肥大。

装備:狸腹(ベリードラム・ソニックウェーブで敵を粉砕する)。葉っぱ(お金に変えて買い食いする)。

性格:日和見。

口癖:えーと、えーとですねえ。

靴のサイズ:26

兄弟:いません。姉なら、ひとり。


▼好きなもの
[色]
ぽふぽふ色。もも色。

[番号]
とにかくいちばんおしまいの番号。

[動物]
猫、だんごむし。

[飲み物]
輸入発泡酒。桃の天然水。

[ソーダ]
そーか?

[本]
興味次第でジャンルを選ばず。

[花]
谷間の百合。土手のたんぽぽ。冬薔薇。

[携帯は何?]
ドコモの古物。

[コンピューターから離れられる?]
2〜3日なら。

[殴り合いのケンカしたことある?]
なし。殴られないよう充分に留意しながら、仲裁にだけ参加する偽善者。

[犯罪犯したことある?]
消しゴムの万引き。

[お水/ホストに間違えられたことある?]
ある! ……ウソです。すみません。まだビンボではない頃、教師や医者にはよく間違えられました。

[ウソついたことある?]
一日一嘘程度。

[友達とキスしたことある?]
……いやっ! フケツだわ! 

[誰かの心をもて遊んだことある?]
あー、一生に一度くらいは、そーゆーゼイタク、してみたいですねえ。

[人を利用したことはある?]
もー、人様に依存しなければとっくに餓死してます。

[使われたことは?]
そりゃ給料もらってるくらいですから。……しかし、このバトン最初に作ったのは、やっぱり賃金労働未経験のシヤワセな方なのだろうなあ。

[髪染めてる?]
染めてませんが、そろそろ白髪染めしようかなあ。

[髪の毛巻いてる?]
ほっとくと自然に巻きます。

[タトゥーしてる?]
『生涯偽善者』と、背中にでっかい勘亭流で。いや、キモチだけですが。

[ピアスあけてる?]
うふ。ピアスの狸、かわいいかしら。プスっとあけてみよっかな〜。……やめとけ。

[カンニングしたことある?]
あります。もー私小説化したら珠玉の一編になりそうな、児童の貧富や差別問題にちょっと絡んだ、中学時代の苦くて胸キュンな思い出につながっております。

[お酒飲む?]
一缶89円の輸入発泡酒。

[ジェットコースター好き?]
好きです。Xウィングに乗ってる気分で。でも体調が悪いとゲロつきます。

[どこかに引っ越しできたらな〜と思う?]
フィンランドの森に穴を掘って永住したい。

[もっとピアスあけたい?]
うふふふふ〜。そんなに狸のピアス、見てみたい? じゃあ、こんど、いっしょに夜明けのコーヒー飲みながら、見・せ・て・あ・げ・る。……うふ。

[掃除好き?]
半年に一度やるくらい大好きです。

[丸文字?どんな筆記?]
POP書体。

[ウェブカメラ持ってる?]
持ってません。

[運転の仕方知ってる?]
無免許ですが、古いマニュアル車なら動かせます。理由は聞かないでください。

[何かを盗んだことある?]
だから消しゴム。

[拳銃手にした事ある?]
ホンチャンはありません。改造拳銃なら、小学校の頃、近所のワルいおにーちゃんに持たせてもらいました。当時のモデルガンは金属製のスッポヌケが当然だったので、高校生くらいの器用なワルになると、けっこう原っぱでデモンストレーションを見せてくれたりしました。まあガラスや陶器を撃ち砕くくらいですが。46年規制(1971)以前の話です。

[今着てる服]
甚兵衛。

[今の臭い]
獣臭

[今のテイスト]
狸汁にもってこいの味噌味。

[今したいこと]
ニート。

[今の髪型]
天然パーマ。

[聴いてるCD]
廉価版ワゴンのジェットストリーム。

[1番最近読んだ本]
ムーミン谷の夏まつり。なんべん読んでも興趣が尽きません。

[1番最近観た映画]
えーと、金欠のため劇場ではとんと観ておりませんが、テレビなら『ジャイアンツ』。アメリカはテキサス、大牧場一家の30年に渡る変遷を描いた、1956年、狸が生まれる前の大作でした。旦那さん役のロック・ハドソン、ちょっと武骨ながら、いかにも頼りがいのある二枚目ですねえ。今のスタローンにも、ちょっと似ておりますね。残念ながら1985年にエイズで亡くなりましたが、ゲイだからこそ演じられる男の魅力、確かにあるんですねえ。そして、はい、奥さん役のエリザベス・テイラー。綺麗ですね、美しいですね、色香がむんむんと匂い立ちますね。撮影当時は、23歳の若さだったんですよ。でも、『名犬ラッシー』のかわいいかわいいお嬢ちゃんの頃から定評のあった演技力をフルに発揮して、奔放な、でもきちんと思慮深い教育を受けた東部娘を、その晩年の姿まで、見事に演じておりましたね。エリザベス・テイラー、まだまだ元気に生きておられます。女はバケモノなんですねえ。さらにもうひとり、忘れてはならない永遠の青年、ジェームス・ディーン。もう、なんにも言うことありませんね。余計な解説、必要ありませんね。皆さんもなんにも言わないで、ただじっくりとご覧くださいね。彼に比べれば、ディカプリオなんて坊ちゃんは、ただのチンピラですね。はい、それでは、お時間がまいりました。皆さん、またいつか、天国でお会いしましょうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ――。

[昼ご飯]
午後3時まで寝てたので省略。

[1番最後に電話で喋った人]
姉。

[初恋覚えてる?]
小学校の入学式で一目惚れした、みうらゆうこちゃん。

[まだ好き?]
思い出すたびに胸がぎゅううううんと痛むほど。なにせ中学高校と成長すれば成長するほど可憐さにも美しさにも知性にも拍車がかかり、大学以降は一度もお見かけしておりませんが、なんか立派な医療関係者になられたとの噂で、まあもはや狸と同い年のオバハンになっているはずなわけですが、なんか怖くて会いたいとも思いません。いや、またマジに惚れ直してしまうのではないか、そんな恐れです。なまねこなまねこ。

[新聞読む?]
はい。結局、新聞屋のあんちゃんの懇願に負けて、まだ朝日とってます。死神の件では、その後謝罪もしたようですし、ののちゃんにも未練があるんですねえ。

[ゲイやレズの友達はいる?]
いない――よなあ?

[奇跡を信じる?]
信じません。神や仏も、いれば必然、自然現象。

[成績いい?]
中学時代までは、トップ3内。高校では、ケツから20番目くらい。いきなし創作意欲や鑑賞意欲に目覚めてしまったんですね。

[帽子かぶる?]
かぶりません。いや、仕事で毛髪付着防止が必要なときは、アミっぽいのを。

[自己嫌悪する?]
しません。したとしても、それ自体が自己愛の一部なので。

[何かに依存してる?]
狸族にとっての存在とは万物への依存である――狸聖典より。

[何か集めてる?]
いろいろ集めてましたが、みんな売り払いました。100円均一古書は、今でも集めてます。

[身近に感じられる友達はいる?]
おります。幸いにして。

[親友はいる?]
おります。主観的に、幸いにして。

[自分の字好き?]
嫌い。肉筆物件のすべてが、個人商店のチラシのようだ。


08月28日 木  顰蹙覚悟

 先日の雑想を読み返していたら、ふと、遠い昔の記憶が蘇った。
 あれは確か大学生時代、明大漫研の大先輩である少年画報社の戸田さんに、夕食を奢ってもらった席でのことである。五十嵐氏や渡辺氏や田川氏も同席していたように思う。
 ちなみに戸田さんというのは、明慢関係者以外の方々はご存知ないだろうが、先だって漫画編集者生活40周年のパーティーが開催されたときには、松本零士先生やら藤子不二雄A先生やら錚々たる大御所たちがずらりと勢揃い、もしご存命中だったら石森先生も列席確実と思われる、なかなか偉い方である。狸は学生時代に2〜3回タダ飯タダ酒を恵んでいただいただけですが。
 で、その学生時代の記憶の席で、なんじゃやら「ラーメン漫画のアイデアを出してくれ」そんな話が持ち上がり、その場で種々のギャグっぽいラーメンが考案されたのだけれど、今ではもはや記憶の奥底で腐ってしまっており詳述できないが、ただひとつ、ウン10年を経ても鮮明に思い出せる、とんでもねーラーメンも発案された。誰が発案したのだったか、それもまたもはや記憶の奥底でミイラ化してしまっており定かではないが、名づけて『ピカドン・ラーメン』。アインシュタイン級の天才ラーメン屋主人が生みだしたそのラーメンは、もはや超弩級の破壊力を持つほど美味であるため、ラーメン屋のカウンターでひと口すすった客たちは、あまりの衝撃に一瞬ピカリと白閃し直後にドンと爆発、あとには背後の壁に焼き付いた人型の影が残るのみ――そんなラーメンなのですね。これには、まだ若い我々一同かなり笑ったが、ただひとり現役編集者、つまり立派な社会人の戸田さんだけは、なんじゃらとてつもなく『にがい笑い』を浮かべていらしたのである。そりゃそーだ。いくら笑えるにせよそんな漫画を掲載してしまったら、その号の『少年キング』(当時まだあったんですねえ)は、囂々たる抗議の嵐に見舞われ即刻回収、下手すりゃそれっきり次号が出せなくなります。

 てなことを思い出し、かつ往年の英国シニカル・ギャグ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』なども脳内で反芻しているうち、今夜、発作的に、ある実況中継パロディー小説を構想した。
『全日本大学生ひきこもり選手権』、『全日本高校生リストカット選手権』、『全日本中学生登校拒否選手権』、以上の連作です。いずれもけして浅薄な垂れ流しではなく、それなりに奥の深い、ただしとてつもなくイタいギャグの連打になるわけだが――これって、マジに打って某投稿板に載せたら、やっぱり削除されちまうだろうなあ。


08月27日 水  公園で踊って何が悪いんじゃボケ

 広島の平和記念公園で、ゲームキャラのコスプレで踊る動画を配信した女子大生さんたちのブログが、抗議のカキコやらなんじゃやらで大炎上だそうだ。そのカキコに曰く、
「日本の恥 場所をわきまえろ」
「これはちょっとひでぇww同じオタクだとも思いたくないし、同じ国民だと思いたくないです」
「あなたの祖先のお墓の前で、誰かがエロゲーの曲に合わせて踊っていたら、どう思われますか?」
 さらにその女子大生さんの一方が長崎の大学生らしいとのことで、
「長崎県○○(原文は固有名詞)大学のモラル教育はどうなっているのでしょう」
「長崎県○○(原文は固有名詞)大学の学生がこんな馬鹿なことをするなんて...ご苦労にも広島迄出向いて原爆ドーム前でこの変な服を着てパンチラ踊りをすることに、何か意味があるんですか」等々――。
 わははは、馬鹿や。いや、もちろんこんな白痴的コメントを発作的に垂れ流して無神経に他人を傷つける、おそらくは自分を善人だと思っている寸足らずたちが、である。
 えーと、観光地の公園に遊びに来た若い娘が浮かれて踊って、なにが悪いのかな?
 場所、まったく問題なし。現状、あくまで公共の公園です。
 同じオタク? なんですべてのオタクがあんたと同じ日陰オタクじゃなくちゃなんないの?
 平和記念公園は、お墓じゃありません。
 大学はモラル教育するとこじゃありません。
 原爆ドームは立地上写りこんでしまうんですね、あそこで踊ると。
 土台、あの原爆投下の日に失われてしまった無辜の命たちが、年に一度しかめっつらで黙祷だのなんだの捧げられて、嬉しいとでも思っているのか。そんなのはあくまで生者の無念、祈念、あるいは偽善にすぎない。もう死んでしまっているのだぞ。永遠にその意識は途切れてしまったのだ。今さら仮定してもせんないことだが、熱い熱いと呻きながら死んでいった夏服の少女たちは、もしも生前の日本に現在のような平和が訪れていたとしたら、むしろ笑いさざめきながら盆踊りの輪に加わったり、夏祭りの晩かなんかみんなでちょっと夜遊びして羽目を外したり、そんな屈託なき乙女の夏を過ごしたかったのではないか。「あ、あそこで変なお姉さんたちが踊ってるよ」「ありゃ、パンツ見えてる見えてる」「きゃはははは、やっだー、ウソウソ」――。

 最後にちょっと、現在打鍵中の『ゆうこちゃんと星猫さん』より、たかちゃんのママの言葉を引用。

 何かを失うたびに、優しくなれる人もいる。何かを失うたびに、冷たくなってしまう人もいる。自分が何を失ったかばかり気にかける人は、どうしても、心を閉じてしまうのね。自分が何かを失うことばかり、恐れてしまうから。でも、ほんとうは、『自分が何を失ったか』なんて、大した問題じゃない。それは自分ひとりだけの問題。ほんとうに大事なのは、『失われたそのものが、どうであったか』なのよ――。


08月24日 日  祭り囃子が聞こえる

 いきなり秋になった秋になった肌寒い肌寒いと驚喜したのもつかのま、本日は生温い小雨で、またむじじど状態に復帰。まあ先週に比べればずいぶんましとはいえ、やっぱり「あーうー」などと呻きながらコインランドリーに行ったり図書館に行ったりコンスタントに湿気っていると、どこぞから威勢のいい和太鼓の連打が響いてきた。体はぶよぶよじめじめと水気や脂気でふやけていても、心は愛や情熱に飢えきってカサカサに乾いてしまっているニヒルな狸なので、和太鼓の熱気に惹かれて駅近くの商店街に彷徨い出ると、なんじゃやら歩行者天国化した街路に露店まがいのテントが立ち並び、交差点ではスタイリッシュな黒の祭装束でキメたあんちゃん嬢ちゃんたちが、数名並んで和太鼓叩きに余念がない。アップテンポでずんずんと体に響く和太鼓というものはもはやロックに他ならず、老いた狸も思わずシェイクしたり熱い涙を浮かべたりしてしまうのだが、思えばそれらスタイリッシュな若衆太鼓組も商店街の露店もどきも、狸にとっては郷愁ではなく、あくまで平成っぽいというか、ナウいものなのですね。
 まあ近頃は故郷山形で誰かの結婚式に呼ばれたりしても、いきなり地元の若衆たちがミニ鬼太鼓座やプチ鼓童を始めたりするのだけれど、もはやフュージョンやハードロックっぽい16ビートであり、昔懐かしい祭り囃子、つまりオールデイズのロックっぽい8ビートのどんどんひゃらら〜どんひゃらら〜とは、かなり風合いが違う。まあ地方によっては昔からハゲしかったのかもしれないが、少なくとも日々蛋白質の不足しがちだった故郷の近辺で、いかに祭とはいえあれほど無茶して知ったホントの俺を的な叩きまくりは、幼時に聴いたことがない。いや、けして文句を言いたいわけではなく、もーいっそ32ビートで叩きまくってあんちゃん嬢ちゃんそろってヘロヘロのトリップ状態、そんなのも、現代の祭なのだからとっても望ましいんですけどね。
 いっぽう、商店街の方々が臨時に開いているらしい露店の列に関しては、正直、ある種の寂寥を感じざるをえない。あまりに日常性の延長というか、ハレとケの差異も何も感じられないのである。街路をそぞろ歩く客はあくまで十年一日の市井の人でも、せめて露店のほうは、やっぱりプロの香具師の方々=異界の方々にきっちりシメていただいて、いつもの味気ない街頭を、一種いかがわしくアヤしげな、でもそのぶん子供心が「ああ、何かが道をやってくる」とブラッドベリ的ピュア&ダークな世界に攫われてしまいそう――そんな感じで、夏祭りの晩くらいは頑張ってほしいものである。


08月20日 水  夏だれは続く

 いや、昨夜からすでに新モデムでネットに繋がっていたのだが、盆休みボケといいますか、残暑でたれ続けといいますか、帰宅後はぐったりと仮死状態になって稲川淳二さんや一龍斎貞水師匠のお世話になるばかりという……今さらながら『たかちゃんおばけ』などという中編ネタも浮かんだのだが、今から打っても秋になってしまうし、やっぱり、もはや読み続けてくださる方もほんの2〜3名になってしまったとはいえ、生きているうちに優子ちゃんと星猫さんの話を完結させたいし……でもこのままだとマジに1300枚くらいになってしまうなあ、つまりあと500枚くらい……今の生活だと、最速でも来春までかかるわなあ。どこぞの賞に挑戦できるようなシリアス物件も、またでかいのを打ちたいのだが……うひゃあ、狸っていつまで生きてるのかしら。


08月17日 日  ネットカフェ難民

 といっても、家賃を滞ってついに巣穴を失ってしまったわけではなく、15日夜半、どうやらヤフー貸出のADSLモデムがいかれてしまったのである。いつもならチカチカと明滅しているなんじゃやら無数のダイオードがちっとも光らず、我がパソは以来スタンド・アローン化している。代わりのモデムは週明けでないと届かない。まあ現在仕事とネットは無関係状態なのでさほど実害はないが、それまではメールも開けず、他の方のHPやブログも覗けない。
 とゆーわけで、本日は駅前のネットカフェからメールチェックしたり、ここを更新してみたり、あちこち覗いてみたり。当然時間制のため、懐の寂しい狸は長居できません。しかしおゼゼさえあれば、自宅パソなどより遙かに快適に繋がるのですね、こうした環境は。種々の設定やちょっとしたアプリケーションを外付けメモリー上で処理できるようにすれば、ネットカフェ転々でも確かに生きられそうです。
 しかし5連休も今日でおしまい――心身ともに文字どおり『休』だけで過ごしてしまったなあ。まあ好きに観て読んで歩いて、打鍵も少しはできたのだけれど――いや、それでいいんだな、『休』なんだから。


08月16日 土  戦争を知らない子供たち

 という歌があり、狸は昔から大嫌いなのだけれど、ずいぶんノッて歌ったりする同世代の方々も多いのですね。なんでだろう。世の中に『知らない』ということを高らかに歌える事物なんてのは、恥知らずなクソ野郎やクソ女の思考形態くらいしかないと思うのだが。
 夜中にNHKのラジオで、人間魚雷回天に関するドキュメントをやっていた。現代の高校の放送部員たちが、コンクール用のドキュメントのテーマとして、ある兵士の手記をとりあげる。いったん回天で出撃して死にきれず、再出撃前の訓練中に事故死してしまった、学徒出陣兵の手記である。この部員たちの賢明なところは、現在存命中の兵士の知己や縁者を、きっちり取材している点にある。そうした行為から、初めて『想像力』が生まれるのである。存命中の兵士の妹さんが、若い生徒に対して、「近頃よくある『誰でもいいから殺したかった』などという事件は、その犯人にちゃんとした想像力さえあれば起こらなかっただろう」という意味の言葉を残したのが、甚だ印象的だった。
 ちなみに狸の父親は、まさにその兵士と同じ世代だが、理系の薬学部だったため学徒出陣は免れた。そのことを負い目にしていたのかどうかは定かではないが、幼時の狸が『ゼロ戦はやと』だの『紫電改のタカ』だのに憧れて、「でもやっぱり悪かったのはアメリカだべ? 日本は悪くなかったんだべ?」などと食い下がっても、「どちらかが悪いとか善いとか、そういう話じゃない」などと、はぐらかすだけだった。それで正しかったのだと思う。そのはぐらかされたという事実が、狸の想像力をより刺激して、後年の戦記好き――事実としての戦争に対する関心に繋がっているのである。


08月15日 金  夏の徘徊

 しかしやはりお天道様の頑張っている間は、引きこもる気にもなれないのである。大体、パソ部屋は南向きなので外よりも暑い。昼間はエアコンもろくに効かない。とゆーわけで、大汗かきながら緑地公園までチャリで進軍。
 いつもの場所で猫見しようと思ったら、さすがにこの炎天下では、野良猫もたむろしていない。猫おばさんたちが餌付けする時刻でもなかったから、どこか林の奥で、人知れず涼をとっているのだろう。それでも植え込みの中などにだらありとへばっている姿が散見され、はじめはあまりのだらありっぷりに死骸なのではないかと焦ってしまったが、近づくと気怠げに首だけこちらに向ける様は、やはり狸同様夏だれしているだけのようだ。狸同様痩せてもいない。ただ、顔見知りの茶縞猫が、片目になってしまっているのには驚いた。傷は塞がっているのでまだまだ生きられるとは思うが、烏との勝負に負けたのだろうか。
 町場の烏はとにかく増長する一方で、その公園でもベンチや水場にまでどーんと羽を休めており、狸が近づいても逃げもしない。以前にも記したが、幼猫など捨てられたとたんに烏の餌になってしまう。烏だって懸命に生きているのだ、と言ってしまえばそれまでだが、それにしても癪に障る。なんとかフライドカラスかなんかにして、旨く食う算段はできないものか。
 帰途に通った雑木林の空気は、街と同じ湿度でも、ひんやりしているので快。藪蚊さえいなければ、そこでテントを張りたいくらいだ。また江戸川の土手を吹く風も、川面を渡って来ているので涼味がある。
 河川敷に並ぶいつもの青ビニールハウスのうち、かつて注目していたしっかり設計のハウスが今回は姿を消しており、ついに貧しさに完敗したのか、それとも定住の場を見つけたのか、後者ならいいなあと思いながらチャリを進めると、かなり離れた鉄橋の下の日陰に、ちゃっかり移転していた。入口のテーブルや椅子はそのままに、本体は、橋桁を利用して、以前よりも安定のいい構造に改築されている。ホームレスの中にも、ホームレスなりに生活というものをきちんと(?)考えている方がいるのである。

 さて、本日は終戦記念日――例年ならドキュメントや戦争映画で夜を過ごすわけだが――中川信夫監督の『東海道四谷怪談』と小林正樹監督の『怪談』、これにしよう。こうした、個対個の怨念や微妙な心理を掘り下げて恐怖する頭があれば、十把一絡げの殺戮行為など、アレすぎてとてもできない。


08月14日 木  あづい

 神保町はあづがっだ。
 電車の中や店の中は当然冷房が効いているのだが、いかんせんその他、大半の世間があづがっだ。
 薄手の文庫本4冊が計8000円に化けてくれたのは喜ばしいが、でもやっぱりどにがぐあづがっだ。道筋の100円ワゴンや100円棚はたいがい露天なので、もばやどーじよーぼないぐらいあづがっだ。でもまあ平野威馬雄先生の『おばけの本』とか黒沼健先生の『霊と呪い』とか、丹波哲郎先生の『霊人の証明』とか、各種納涼物件が手に入ったので良しとしよう。
 以前ろり関係の写真集を高価で引き取ってくれた店を覗いてみると、あいかわらずその手の物件が目の玉の飛び出るような価格で並んでおり、官憲のやることなんてのはほんとにタテマエばっかしなんだよなあ、と脱力する。しかし新刊書店に氾濫する『ヒモのような水着でも一応着衣だから何やってもOKだよねU15エロ写真集』の表紙などに比べれば、そのほとんどがよほど上品で愛らしく審美的なのだから、摘発など受けないで当然なのである。売り買いする側にどんな思惑があろうと、客観的に見れば往事の少女ヌード写真集の大半はやはり肉よりも心に訴える美的物件であり、昨今のアレは明らかに猥褻物だ。まあ現在の世間そのものが、少女雑誌の編集部などまで含めて、ヤクザ同様シノギのためにはろりの情操など知ったこっちゃないのだから、もうこんな世の中なんぞ猛暑による自然発火で人類もろとも滅びてしまえ、などどあばりのあづざに太陽に向かって吠えたりもしたくなるが、冷房の効いたロッテリアに入って久しぶりに好物のリブサンドなどはぐはぐしていると、前言撤回、焼け死ぬのは恥知らずのクソ野郎やクソ女どもだけでいいです。
 さあて、残りの盆休み、ご先祖様を偲びつつ、録画しっぱなしの怪談映画も観なくちゃなあ。たかちゃんたちとも、遊ばなきゃなあ。


08月13日 水  夏休み

 ああ、なんか、何十年ぶりかの純粋『夏休み』――勝手な自己設定ではなく、世間様なみの『お盆休み』である。遠出する資金なぞまったくないが、とにかく日曜日まで暇だけはある。といって、あーもしようこーもしようなどと浮き足立つ気力はすでに大汗と共に流れ去ってしまっており、昨夜(いや、今朝か)は明け方までだらだらとパソをつっつき、午後に起きだしてまたパソをつっつき、のっけから楽しい引きこもりの予感。某小説投稿板で、立て続けに座布団を配りまくってしまったが、必ずしも連休のくつろいだ気分でオマケしたわけではなく、夏らしい空気感と情緒に満ちた短編や、長編の熱い展開が、実際に快なのである。ああ、みなさん、ほんとうにお若いのだなあ。若いってすばらしい。
 まあ狸おやじもだらありとパソ前でたれているだけではお天道様に申し訳ないので、まだ陽のあるうちに図書館に進軍。三橋一夫先生の『三橋一夫ふしぎ小説集成』全三巻、ひいふう言いながら持ち帰る。こうした『新青年』系の、孤高の幻想作家(晩年はなんじゃやら軽い明朗サラリーマン小説や健康法の本ばかり書いていたが)の作品が新たに刊行されるからには、日本の出版文化いまだ滅びず、そんな感じで嬉しくなる。ああ、橘外男先生の選集も、地元の図書館で置いてくれまいか。もう絶版だから無理か。
 帰宅後、ふと思い立ち、まだ売らずに大事にとっておいた古い春陽堂文庫の、三橋一夫先生の『ふしぎなふしぎな物語』シリーズ全四巻、今売ったらなんぼになるか、神保町の『@ワンダー』に電話で訊ねてみる。一時期蔵書の大半を売り飛ばしたとき、怪奇・幻想系ですばらしく正しい評価をしてくれた、マニアックな古書店である。ソノラマ文庫の海外ホラーなど、物によっては一冊四千円で引き取ってくれたのだ。しかし、あれらは二度と刊行されるはずのない物件で、三橋さんの幻想系短編はもうほとんど読めるからなあ。数年前の古書市あたりでは四巻揃いならボロボロでも売価一万円越していた記憶があるが、古書という奴は文豪の初版でもないかぎり、「同じテキスト情報が現在入手できるかどうか」で、ずいぶん相場が変わってしまうものなのである。
 で、どうやらまだ覚えてくれていたらしいそっち系担当の中年女性に、「高校んとき集めて大事にとっといたので、本体はそれなりにヤケてますが破損なし、カバーはピカピカです」等々アピールすると、もちろん現物を見ないと断言できないが揃いなら数千円以上はカタいのでなはいか、とのこと。「ぜひ持って来て下さい」とのお言葉も。
 明日あたり、久々に神保町を歩いてみようか。


08月11日 月  今はもう誰も

 ああ、いい時代だよほんとの話。さすがにダイソーのフライパンはちょっと原始的すぎて買う気になれなかったが(なにせ取っ手まで鉄が剥き出しで、炒め物にいちいち鍋つかみが必要なのである)、西友オリジナルはフッ素加工がしてあっても550円。まあお亡くなりになったフライパンと同等のテフロン最強品を探したら、今でも3000円以上するようだが、それだって大昔に比べれば三分の一以下である。しかし狸の懐は猛暑に負けず酷寒なので、結局、西友の奴を購入。ああ、これでQQの餃子がまた焼ける。できれば例の食品バッタ屋さんでもっと旨いのをもっと安く仕入れて思うさま焼きたいが、残念ながらこの陽気だと、さすがに露天でチルドや冷食の山積み叩き売りは不可能らしく、乾物系しか並んでいないのである。うるうるうる。

 さて、酷寒の懐に張り合うように世間は相変わらずの猛暑、寝苦しい夜のお供にYouTubeを検索していたら、山のような心霊話の中に、こんな懐かしい映像が見つかった。池田貴族さんに景山民夫先生――もはやお二人とも、語る側でなく鬼籍のほうに引っ越されてしまったのだが、あちらの世界はきっと涼しいのだろうなあ。

          

 もうひとつ、こんなCM映像も発見。

          

 ああ、景山先生も、お盆にはこっちに戻ってきて、今となってはほとんど語り手のいなくなってしまった、洒落た大人のホラ話――花も実もある絵空事を、なにか聴かせてくれまいか。できれば幸福の科学に入信する前のノリで。


08月09日 土  雑想

 北京オリンピックの映像はまだ一度も観ておらず、話題の開会式もラジオでの実況を聴いただけで、どことなく北のマスゲームの中継を聴いているような気がしてしまった。実際はそんな画一的な光景ではなく、バラエティーに富んだ、歴史絵巻的な、それはそれは感動的な構成だったらしいのだが、一種の内政的プロパガンダにも聞こえたのは確かである。念のため、狸は中国四千年の歴史をけして軽んじる気はない。むしろ血湧き肉躍る世界である。漢詩も大好きだ。しかし現状、お祭り気分で盛り上がるにはあまりに問題山積みの気がする。ちなみにサンケイ新聞の記者さんが、報道員宿舎からパソコンで新疆ウイグル自治区テロ関連のネット検索をしようとしたら、とたんにパソがフリーズしたそうだ。それが中国批判の得意なサンケイの部屋だからなのか、他の部屋も同じなのかは知らず、おまいらはとにかくこっちでしっかり用意したショーだけ観てればいいんだよ、といったスタンスなら、やっぱり根本的には北と同じである。
 などと記していたら、観光客が殺害されたとのニュース。男子バレーボール米国代表チームのコーチの親類の米国人男性1人が死亡、妻の米国人女性とガイドの中国人女性の計2人が負傷――自殺した中国人犯人は、なんらかの不満分子だったらしい。どんなに治安当局が警戒しても、やはり、そんな現状なのである。

 話は一転、いきなし卑近に落ちる。四半世紀に渡り大事に使ってきたフライパンを、駄目にしてしまった。当時は1万円以上した、テフロン加工のスグレ物だったのに――。
 狸は本日も仕事で、例によって獣臭を発しながら脱水状態で帰宅、夏バテ防止のため野菜とレバーを炒めて食ったあと、水を張ってちょっとあっためて洗いやすくするつもりでいたら、ころりとそのまんま忘れて、コンロの火をつけたまま風呂に入ってしまったのである。よりによって、樹脂製のフライ返しも浸したまんま。
 いい気分で風呂から上がったときには、水は完全に蒸発し、溶解したフライ返しが煙を上げながらいい具合に泡立っておりました。
 ――ああ、夏なんですねえ。お湯はあっという間に湯気になり、脳味噌はもはや湯気の中。


08月06日 水  さくぶん

 ぼくわ、たぬきです。
 ばにらの実や、みがきにしんや、ゆにゅーはっぽーしゅが、だいすきです。
 でも、すんでいるまちには、あんましエサがなっていたりおちていたりしないので、しかたなく、ぶよんとしてしまりのないひとにばけて、まいにちおしごとにかよっています。
 きょうわ、かえりのでんしゃで、とってもこわいおもいをしました。
 つりかわにつかまって、ああ、きょうもいちにちつらかった、あとははっぽーしゅあおるだけ、と、こころのなかで、おかばやしのぶやすさんのようにやけくそぎみにうたっていると、どこからか、なんだかとってもいやあなにおいが、ただよってきました。
 饐えたような獣臭です。
 ぼくわ、おもいました。
 ああ、このでんしゃには、きっとぼくいがいにも、にんげんにばけたたぬきがのっているのだなあ。でも、ばかなたぬきだなあ。まいにちおふろにはいって、きちんとからだをあらっていないと、たぬきは、たぬきみたいに臭ってしまうので、もし、たぬきだとばれてしまったら、つかまえられて、たぬきじるにされてしまうのに――。
 ぼくわ、こっそり、なかまのたぬきをさがしました。でも、つりかわにつかまっているのも、すわっているのも、みいんな、にんげんばっかしです。
 おや、おかしいなあ。
 ふしぎだなあ。
 しばらくきょろきょろしているうち、ぼくわ、たいへんなことに、きづいてしまいました。
 獣臭を発しているのは、ぼくのからだだったのです。
 あさ、いえをでてから、ずーっとあせをかいたまんまなので、なまがわきのたぬきのにおいに、なってしまっていたのです。
 ……たぬきじるは、きっと、おいしいのだろう。
 でも、たぬきじるにされるたぬきは、おいしいたぬきじるを、たべることができません。おいしいたぬきじるをたべるまえに、シメられたりツブされたりバラバラじけんにされて、おにくにされてしまうのです。
 ぼくわ、巣穴のあるえきにつくまで、でんしゃのなかで、ずーっと、ぷるぷるふるえていました。
 ああ、ぼくも、いつか、おかねもちのたぬきになって、いっしょーおふろのなかでくらすんだ。
 そのおふろには、ちゃあんとばにらの実やみがきにしんがいつもうかんでいて、ふろおけのよこにはゆにゅーはっぽーしゅもたくさんひえていて、ぼくわ、のんびりそれをたべたりのんだりしながら、ずーっとおふろにはいったまんまで、しやわせないっしょーをおえるのだ――。
 そんなゆめをみながら、ずーっと、ぷるぷるふるえていました。


08月03日 日  合掌

 ついに赤塚不二夫先生もお亡くなりに――いわゆるまんが道世代のトキワ莊仲間(通いの方含む)の方々で、ご存命中なのは、藤子不二雄A先生、水野英子先生、鈴木伸一先生、よこたとくお先生、永田竹丸先生、つのだじろう先生、長谷邦夫先生――これくらいか。もう半数以上の方々がお亡くなりになってしまったのだなあ。どなたかお亡くなりになるたびに、ああ、また漫画の世界から『地べた感』が減っていく、などと思ってしまうのは気のせいか。漫画特有の浮遊感や飛翔感(まあ精神的にも現象的にもいろんな意味で)は、当然地べた感あっての浮遊感なのであって、はじめっから浮きっぱなし飛びっぱなしだと、どうも頭が水に浮いているバケツのようで落ちつかない。

 今夏の狸穴は、亜熱帯の風に恵まれてゴキブリだけが元気だ。狸がぐったりもそもそと半ば義務的に晩飯を咀嚼していると、いきなりでかいゴキが畳の真ん中を堂々と近寄ってきたりする。こちらはもう驚愕して飛び上がる気力もなく、湿った体で緩慢に追い払おうとするのだが、気配くらいではちっとも逃げない。もはや狸は死体と間違われているのか。それともやはり相手が特別に元気なのか。今まではこそこそと物陰で盗み食いしながら惨めに生きてたけど、今年の夏はもうギンギンだから、ここはひとつ逃げも隠れもせずに堂々といっしょに飯食ってみようゴキブリだって人間だ――とか。でもやっぱしゴキはゴキなので、狸は「あーうー」などとうめきつつ、のそのそとチラシなんぞで突っついて卓袱台から遠ざけ、毒物で虐殺するんですけどね。ああ、また無益な殺生をしてしまった。あーうー。


08月02日 土  人生花火

 明け方、部屋の中で3センチくらいの小人さんたちが、花火を上げていた。玩具扱いのセコい花火ではない。河原の花火大会で打ち上げるような、モノホンの花火である。ただし小人さんたちに合わせてミニチュアサイズなので、天井の蛍光灯の横あたりに、華麗なミニチュアの尺玉(?)がいくつも花開く。これがたいそう壮麗なのであった。
 夜はモノホンの江戸川花火大会を観に行く。夢にみるほど楽しみにしていたわけではないのだけれど、実地に観ればそれはやはり夢のように壮麗で、しばし下界の憂さを忘れる。ただし、その酩酊感の3割方は、ベタつくシャツの不快感で割引されてしまう。土手の上で風に吹かれているのに、まったく汗が乾かない。さかんに湯気を吹く加湿器の真ん前で、花火見物をしているような気分であった。
 日中はひたすら引きこもり、録画物件を観まくっていた。『逢いたくて逢いたくて』『星のフラメンコ』『学園広場』といった懐かしの(といっても初見だが)日活歌謡青春映画に加え、昭和30年の歌舞伎中継『修善寺物語』など、まさにBS様々である。さらに花火大会の後は、黒澤明の『生きる』――ほとんど夕日の三丁目映画祭、というより、昔の名画座の、オールナイトのノリですね。
 しかし日活青春物や綺堂の新歌舞伎に浸っているときの懐旧の情とは別状、『生きる』のなんと生々しく身につまされることよ。ラスト近く、志村喬さんが、例の雪の公園で果てる直前に『ゴンドラの唄』を歌いながらブランコで揺れているシーン――あの、静けさの中で多層的な情動がいっきに交響曲のごとく胸にこみ上げるシーンでは、もはや滝涙。現在ハリウッドでリメイク中だそうだが、あの物語は何百年たっても、全てのしょぼくれたおっさんたちに「あんた、生きてるかい?」とツッコみ続けることだろう。確か初めて観たのは高校時代にリバイバル上映されたときだが、そのときは、なんであの映画がそんなに傑作と言われるのか、ちっとも理解できなかったものである。まあ当時の田舎のくっせー男子高生徒なんてのは、青春ドラマ観ながら「♪ うっまっれってっきた〜のは なーぜっだっ ♪ おっしっえってっ ぼく〜らは だ〜れさっ ♪」などと気負って歌っているわりには、まだ生まれきってもいなかったのですね。

 ♪ い〜のち〜みじ〜かし〜 恋せよ〜乙女〜 ♪


08月01日 金  うあああああああ

 時々覗かせていただく猟奇系画像掲示板(絵画やコミックの。実写だったら単なる人体破壊臓物露出写真板になってしまう)に、なんじゃやらまさに実写のナマモノ写真を大量に送りつけてきた方があり、既知外か、あるいはそうした二次元創作物を弄ぶ趣味者に対する皮肉・警句のつもりかは知らず、狸が何年か前に死美人物件を打鍵するとき根性を据えるため覗いた死体写真板の画像などが延々と続いて、社会復帰途上(?)の狸はかなり頭を抱えたのだが――猛暑中に見るにはあまりにツラい人体の事故写真や犯罪現場写真(国によってはそうした写真が堂々と一般雑誌に掲載されるのですね)に混じって、かなりの小動物虐待惨殺写真が紛れこんでいたのには、正直仰天した。
 さて、ここから先は、気の弱い方・動物好きの方・全世界にすでに数名しか現存していないと言われる『汚れ無き良い子』の皆さんなどは、なるべく反転しないでください。
 
ハムスターのミキサーがけの動画は、以前YouTubeで見かけてとてつもなく鬱った記憶があるが、どうやらこの世界には本当にたくさんの『自分がやったとバレなければ何を実行してもOK』な既知外――自宅で調理目的でなく犬猫を屠殺解剖したり、生きた犬や猫に火をつけて録画する奴などが現存しているらしいのである。それにしても、あの子猫たちをいきなり力いっぱい踏み殺す動画は、まさか現実じゃないよなあ。シロトが自主制作した悪趣味なスプラッタービデオかなんかの、ギミックだよなあ。近頃はアマチュアでもプロなみのギミック作るもんなあ。お願いですからそうだと言ってください、どこかにいるんだかなんだかわからない寸足らずな各種の神よ!!
 とにかく、ここまでネットという奴が既知外の見本市になっている以上、狸はもはやヒトラー伯父さんのように激しく拳を振るって、このような悪逆非道の記録を姑息に物陰から垂れ流すような輩はひとり残らず検挙して夜と霧の奥に葬るべし! 全世界のサーバーをキビしく検閲するべし! などと演説ブチたいイキオイで血圧上げながら、でもその映像たちのあまりに哀しい即物性に対抗できず、やっぱり生きる気力を失ってしまったりもしてしまいそうなのである。
 何を言ってやがるんだかこのろり板常連の違法画像所持しまくりのおまけに猟奇板まで時々覗いてやがる偽善者め、といった善良者・偽悪者の方々の罵声は、ちっとも怖くない。狸の愛好する猟奇的諸作品を生んでいる方々は、ああ、ろりのハラワタを華麗にぶちまけてみたい、ろりがどろどろと腐敗してゆく様を見つめながら自分は首を吊ってみたい、しかしそれをこの世で実行したらろりも自分もこの世から失われてしまう――そうした欲望と理性の拮抗の中で精一杯偽善的に生きているのであり、いわば逃げも隠れもできないところまで追いこまれながらしかし狂ってしまうにはあまりに理性的すぎて、結果、きちんと己の人生棒に振る覚悟で己の妄想を仮想に昇華し発表しているのである。「ちょいとヤバい橋渡るけど商売商売」とか「何をやろうがこっそり隠れてやりゃあ大丈夫」といった偽悪者ではない。まして「殺したいから殺します」といったプラナリアなみの正直者でもない。

 偽善者としての嘘と正直、正直と嘘のギリギリのせめぎ合いの中でこそ、人間の品性が試されるのだ。