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12月31日 水  残り物には福があるといいなあ

 おお、例の食品系バッタ屋さんで、小鯛の甘露煮をなんと100円でゲット!! これで明日のお節が、イッキにひゃくおくまん倍説得力を増します。このお店は今どき大胆にも正月4日まで休むらしいので、ほんとの処分特価なのですね。残念ながら天麩羅はすでに売り切れていたが、駅前の長崎屋の年越し用天麩羅も、不景気を反映してか200円と、去年より安価に価格設定したようだ。海老天や海鮮入りかき揚げ、確か去年は240円してたもんなあ。
 ……昨年に引き続き、最後までビンボな話ですみませんすみません。でも今年は愚痴じゃないだけ、狸も少しは成長したのかもしれません。順調に貧しさに負け続けているだけかもしれませんが。なまねこなまねこ。

 ふと表のカウンターなど、一年ぶりにつらつら勘定しまするに、ここを訪れてくださる方々も昨年の半分程度になってしまったようで、まあろくな人生を歩まずメジャーっぽい打鍵もしていないのだから当然のことで、今もしぶとく狸の挙動を窺ってくださる推定十名程度のお若い方々、新しく狸に興味を抱いてくださったひとりかふたりくらいの方々、そしてまた本年も多大な迷惑を振りまきつつ未だその御恩になんら報いえていない旧来の知己の皆様、新年のご多幸を心よりお祈りいたします。
 なお、昨年の大晦日は、夜っぴて感謝の腹鼓をぽ〜んぽ〜んと百八つ叩いたりしたわけですが、来年は元旦早朝から湾岸の倉庫でナイショの餌漁りに励みますので、どうか気持ちだけで許してやってください。


12月30日 火  狸穴暮色

 姉から歳末援助物資が届いた。ラーメン、とびきり蕎麦、餅、お節っぽい総菜類、レトルト食品などなど。ああ、これで食の心配なく歳を越せる。なまんだぶなまんだぶなまんだぶ。

 昔登録し、一時期は収入のメインになっていた日雇い派遣会社からは、あいかわらず毎日毎日メールが届く。世間では派遣・契約切りにあって無一文になり炊き出しに行列する方々のニュースなどがひんぱんに流れ、姉も電話で心配してくれるが、それにしちゃあ、きちんと毎日毎日、日雇いのお誘いは届くのよなあ。元旦は2000円程度の特別手当が付く仕事場が多いようなので、思わず久しぶりに申し込んでしまった。実は契約先は名目上他のバイト禁止なのだけれど、こっそりなんかすれば、確実に自由になる金が増える。一万円にも満たない日銭にせよ、今の自分には貴重な臨時収入だ。年が明ければ、HDDレコーダーの修理代も必要になる。
 おまけに、なんとこの年の瀬にきて、フラットベッド・スキャナーまでイカれてしまった。まあレコーダーもスキャナーも、現在単なる趣味物件だから、動かないなら動かないでほっときゃいいのだけれど、狸の精神生活においては、やっぱり貴重な安定剤であり、資料蓄積用具なのである。たとえば先日、新聞屋さんが集金時に置いていった朝日の月刊小冊子には、美麗な雪の結晶の写真多数と、各パターンの生成条件が解りやすく記されていた。四年前に打鍵がらみで調べた時には、ネットや図書館でもなかなかお目にかかれなかった、貴重な資料である。電子的スクラップブックに保存しておけば、一生の財産になる。

 何ヶ月ぶりかで、部屋に掃除機をかけた。子供用の枕なら充分作れそうなほどの綿が出た。綿と言っても、その正体は全部ホコリである。それでも、なにがなし、捨ててしまうのがもったいない。殺菌すれば綿として転用可能なのではないか。ほんとフカフカしてるし。

 しかしいつもの投稿板も、めっきりサミしくなってしまいましたね。まあネット上の掲示板であるかぎり、流行り廃りは時のさだめなのだけれど、やっぱり先頃のトラブルで過去の感想がきれいさっぱり消滅してしまったのも、大いに影響しているのでしょうね。昔のようなお祭り気分は、もう味わえないのだろうなあ。

 雑事の間にぽちぽちと、優子ちゃん物件を打ち続ける。とても楽しい。休み中に話の区切りまで進むかどうかは怪しい打鍵スピードだが、現在の狸の魂放出度だと、それでも仕方がない。たとえたったおふたりでも、たかちゃんトリオの行く末を案じてくれる方がいる限り、狸として、化かし魂の含有量を減らすわけにはいかないのである。


12月28日 日  正気か狸

 表のゲストブックで、甘木さんのコメントへのお返しに白日夢の経験を記したが、どうも睡眠時の夢までが現実を侵食し始めたようだ。本日は久々に半日以上ぶっ続けで眠り、午後遅くに起きだしたのだが、目覚めてから数分、自分がなぜ現在の狸穴にいるのか、マジに認識できなかったのである。
 目覚める直前まで、夢につきもののシュールさが微塵もない、実にリアルな過去のある時期を追体験しており、その夢の中で、自分は大学二年生として、当時姉と一緒に住んでいた西荻窪の小綺麗なアパートで就寝し、そして当然、その同じアパートで、大学二年生として目覚めたはずだった。ところがぎっちょんちょん、そこはなんじゃやら薄汚れて散らかりきった、異臭さえ感じるような老いた狸の巣穴に変貌しており、寝床から起きだしても皆目事態が把握できず、呆然と台所に立って鏡を覗いた時点で、初めて自分の現在の境遇や生活環境を思い出したのである。今こうして記していると、まったくの笑い話だが、いやあ、ほんとに「ここはどこ? 私は誰?」状態だったのですよ。
 年末のドタバタで疲労が溜まっていたためでもあろうし、飲み続けているヤクの作用もあろうし、また昨夜から本格的に打鍵を再開した優子ちゃんの境遇に、精神が同化していたのかもしれない。まあ優子ちゃんはとても賢い子なので、自分がクライオニクス処理を受けたことは完全に記憶しており、ただ『いざ目覚めた今、どれだけの歳月が経過してしまっているのか』に関してとっちらかってしまうだけだから、まったくの正気なんですけどね。現実の狸のほうが、よほどアブナい。
 いよいよアルツが近いのかもしれませんなあ。


12月25日 木  聖夜の誓い

 メリー・クリスマス! ――とまあ、この世にハッピーな方がひとりでも多いに越したことはないのだが、少なくともその中に、狸や飯島愛さんが含まれていないのは確かだな。いや、狸などはこうして無事に息だけはしているのだから、不幸などと言ってはバチが当たるか。
 しかし、ひと昔前にAV関係で活躍した女性たちは、精神的に脆い方が多いのだろうか。狸が知るかぎりでも、かつて三人の方が自死を遂げている。狸が贔屓にしていたくらいだから、いずれも小柄で可憐なろりっぽい方々で、ターゲット層の厚かった飯島さんなどとはちがい、その後タレントとしてブレイクすることもなかったので、あくまで業界内の風の噂でしか流れなかった訃報なのだけれど。
 いっぽうで、さらに古いピンク映画や日活ロマンポルノで活躍した女優陣は、主役級も脇役連も、なかなかしぶとく生きていらっしゃる方が多いようだ。中年となった今でも水商売等のみならず、一般映画やドラマや舞台で、けっこう脇を勤めていたりする。
 一見同じような艶技に見えても、やはり演技者として観客に夢を売っていたか、あるいはただナマの人生の一部をあからさまに露出するだけで稼いでいたか、その精神性が根本的に違うのだろうなあ。
 とゆーわけで(何がだ)、きっと来ない君にも、幻のサンタにも、永遠の沈黙を守りっぱなしの主にも何一つ期待できないこの現世、あえて狸は、引き続き仮想の相対的具現に励もうと思います。


12月24日 水  クリスマス・イブ

「うっす、邦子だ。んでも幼稚園や小学校のくにこじゃなくて、中三モードの邦子だから、この狸穴の奥では、皆さんお初かもしんない。なんかここんとこ、ちっともかばうまからお呼びがかかんないんで、ちょっと様子を見に寄ってみたら、あいつはもう、イキモノとしてだめなようだ。もー化ける気力も使い果たしたのか、すっかり狸の正体を現して、今、死んだよーに風呂に浮かんでいる。いや、なんかぶつぶつ歌ってるから、かろうじて生きてはいるらしいな。何々? ♪きっと君は来な〜い〜 ひとりきりのクリスマス・イブ? ――何を今さら、昨日今日の孤独死候補じゃあるまいし」
「おう、でっかいきん●ま」
「こらこら貴子、年頃の娘が、雄狸の入浴姿を覗いてはいけない」
「……ぽ」
「おいこら優子、おじょーさまのおまいまで、なんとゆーことだ。――んでも、さすがは狸だなあ。狸のき●たま千畳敷とは、よくいったものだ。湯船いっぱいにぷかぷか浮かんで、もー狸が風呂に入ってんだか●んたまが風呂に入ってるんだか、わけがわからん」
「くすくすくす」
「……おい、優子、おまい、なんかキャラが変わっとらんか? まあ、2年近く凍りっぱなしで、ようやくこの年末年始に融け出す目処が立ったくらいだから、ちょっとくらいおかしいのは仕方ないかもしれんが」
「くす、くすくす、くすくすくすくす」
「ありゃ、優子ちゃん、全部飲んじゃった」
「げふ。……ぽ」
「飲んじゃった? おい貴子、おまい、優子にいったい何を――おお、なんとゆーことだ。狸の秘蔵エビスビールを、一瓶イッキしちまいやがった」
「くすくすくす……
クリスマス、と、かけて
「――は?」
「――は?」
クリスマス、と、かけて
「……なぞかけ?」
「んむ。どーやら、解凍記念に大喜利をやろうとしているよーだな」
クリスマス、と、かけて
「はいはい」
「んむ、これはもー、黙って聞いてやるしかあるまい」
「くすくすくす……
クリスマス、とかけて、おじいちゃんがサンタにキッスした、と、とく」
「おう――」
「んむ、爺いがサンタにキスしたのだな。――しかして、そのこころは?」

♪ でっもっ そのサンタ〜は〜 バ〜バア〜〜 ♪


12月23日 火  アナログ気分

 で、先日無事にヤクをもらって、本日はぐったりと安静にしながら、S−VHS録画したBSの黒澤特集の『影武者』『乱』を断続的に鑑賞していたのだが――うーむ、さすが黒澤天皇と呼ばせていただこう。この面白いというか美しいというか凄いというか、こうした感覚は、黒澤映画でしか味わえないですね。けして小難しいわけではない。話も映像も実にキャッチーでスタイリッシュで解りやすく、まあ浅い世界を解りやすく表現できる監督や深い世界をなんだかよくわからないありがたさで表現できる監督はなんぼでもいるのだが、世界の『深さ』さえも解りやすく表現できる監督というのは、ほとんどいないわけである。やはり神棚に祀って拝むしかないだろう。
 ところで、中級機以上のS−VHSに画質的な不満はほとんどないものの、やはりHDDレコーダーの利便性はつくづく恋しい。あの、録画しながら再生できてその間スチルもできるという特性があれば、おとついっからずいぶん視聴時間の節約になったのよなあ。


12月21日 日  ヤクをくれえ

 やはり一度腫れだした扁桃腺というものは、市販の鎮痛消炎剤を飲んだくらいではどうにもならず、最寄りの市営の健康センター(年中無休で急病の一般外来受付がある)に行ってみたのだが、やはりこれも過去の体験どうり、ヤバいパンデミックでもない限り、ほんとにヤワな薬しか処方してくれない。ゆっくり休みなさいと言われても、ゆっくり休めないからみんな日曜だというのにこんなとこまで出向くんだろう、え、お役所さんよ。四の五の言わんとシャブ出せやあ! じゃなかった、お願いですから某医院の耳鼻咽喉科の若先生みたいに、キツめの抗生物質や、かなり胃にキビしいが扁桃腺にはもっとキビしい消炎剤なんか、もっと軽いノリで処方してくださいな。ワシらのシノギに、有給なんぞありゃせんのじゃ。
 まあ幸い明後日も祝日なので、明日の夕方あの医院に駆けこんで翌日一日安静にしていれば、いつものように峠は越せるはずなのだが――こんなときは、薬剤師の資格を持っていた医務役人の父が、つくづく懐かしい。顔の利く薬屋に行って、たいがいの薬は買えたもんなあ。


12月19日 金  歳末トラップ

 HDD+DVDの録再機が壊れた。ごく普通に電源を入れ、昔録画してDVD−RAMに待避させておいた『やかまし村の子供たち』を観ようとセットしたら、何がどうトラブったものやら、うぃんうぃんと小刻みに回転するばかりで読み込まず、おまけに2〜3分たつと電源が落ちてしまう。その間、他の操作はいっさい受け付けない。電源入れ直しても、同じことの繰り返し。ためしに電源コードを抜いて一日放置してみたが、結果は同じ。どう考えてもDVDがらみのトラブルと思われるが、電源が強制的に落ちてしまうものだから、HDDのほうもいっさい使用できない。まあ、S−VHSのビデオデッキが元気なので、年末年始はアナログ時代に戻ればいいだけの話なんですけどね。

 寒暖のめまぐるしい変化のためか、持病の扁桃腺が疼き始めた。本日の仕事帰りにかかりつけの医者にかかろうとしたが、5分遅れでアウト。明日も仕事でおまけに医院は早じまいだし、日曜は休診だし――月曜の夕方なら間に合うか。それまで本格的に腫れ上がらずにいてくれるか。まあ、どのみち28日からは休みに入るので、年末年始にまとめてぶっ倒れればいいだけの話なんですけどね。

 パソ使用中に、マイクロソフトのメッセージをつい信用して、インターネットエクスプローラーを更新したら、なんじゃやら隠しも動かしもできないぶっといメニューバーが増えてしまい、邪魔で仕方がない。おまけに、一日一度はフリーズする。まあ昔のウインドウズのようにシステムごとフリーズしないだけ、向上はしているのだろうが。

 悪い話ばかりでもない。姪の保証人がらみで印鑑証明が必要になり、以前の経験から「ああ、ここの市役所って水曜しか夜間窓口開いてないんだよなあ」と思ったら、例の住基カードがあれば、駅前のなんとかプラザの自販機(?)で、夜8時まで簡単にセルフサービス出力できるのであった。住民票だってすぐ出せるのよなあ。まあ国民総背番号制だの個人情報ナンタラだので、依然として鬼っ子扱いの住基カードだが、今さら逃げ隠れするにも橋の下とか富士の樹海くらいしかアテのない狸としては、背番号さえもらえばお役所の行列を待たないで済むのだから、ありがたい限りである。


12月16日 火  がんばれQQ

 ショップQQに、ハムカツ2枚99円などという大それた総菜パックが新登場したので、さっそく買いこんでみると――う、薄い。衣はともかく、中身のハムが、それはもう海苔のように薄い。2枚ぶん合わせても、ハム自体の量は通常のスーパーの100円物に満たないのではないか。その代わり衣が2枚ぶんあるから、総重量ならかろうじてトントンか。いずれにせよ、狸の幼時、三丁目の夕日の下でもお目にかかれなかったほどの極薄ハムカツである。いやあ、QQもついに『食は精神的な行為である』といった高次の段階に達しましたね。確かに、質はどうあれ『2枚』である、それだけの要素で、米のおかずとしてのパワーは確実に増すのである。
 ところで『三丁目の夕日の下でもお目にかかれなかった』と記したが、たった今、もっと薄いハムの記憶が蘇った。あれは確か昭和40年、家族で東京旅行をした時のことである。狸や姉は東京どころか県外に出るのも生まれて初めて。そもそも遠隔地への何日にもわたる家族旅行(親の里帰り等を除く)などという行為自体、少なくとも当時の狸の地元では、よほどの『いい家』でない限り、数年に一度のきわめて大それた贅沢行為だった。で、その汽車(文字どおりの汽車ポッポですね)の中で、狸はやはり生まれて初めて外売りのサンドイッチを食べ、味覚的にはそれまでの食性になかったマスタード入りバターの風味にたいそう感動したのだが、それに挟まっていたハムは、やはり紙のような薄さであった。それでもふだん魚肉ソーセージにしか縁のなかった狸には充分なハイカラさであると同時に、「ああ、人間というものは、これほどまで薄くハムを切れるものなのだなあ」などと、別種の感慨にふけってしまった記憶がある。
 さて、こうなると、ぜひQQにお願いしたいのは、ズバリ、トンカツですね。面積だけは一人前の、でも極限までペラペラの。QQの企画力と執念とコストダウンのノウハウをもってすれば、充分可能だろう。それを99円のQQ大盛りレトルトカレーと併用すれば、精神的には立派なカツカレーが得られるのではないか。まあ栄養ウンヌンは、ちょっとこっちに置いといて。


12月13日 土  視聴の日々

 打鍵の暇がない暇がないと嘆きつつ、日々2時間くらいはきっちり古テレビの前で飯を食ったりぐったりとたれたりしながら録画物件を視聴しているわけで、その時間を打鍵にあてればいいのではないかと思われる方もいらっしゃるだろうが、そこまで人生を煮つめてしまったら、たぶんマジで富士の樹海を目ざしてしまうのではないかと思うのですね。

 NHKのBS−Hiで、小沢昭一さんが幼い頃をすごした蒲田の町を歩く姿を拝見し、ああ、この人は狸が昔から予想していたとおり、本当に貴重な『小言幸兵衛』として老いてくれたなあ、と、嬉しくなった。若者に媚びへつらいながら自らもガキのような精神性に甘んじる老人の増えた昨今、芸能界ではこの方と、それから永六輔さんくらいですかね、伝統的な口やかましい町内の隠居像に、きっちり到達された方は。まあ永さんは若い時分から自分にも他人にも世間にもやたら口やかましかったわけだが、小沢さんの場合は、一見庶民的でユーモラスで人情味のある世渡りのところどころで、目立たずにしかしスルドく一刺ししてみせる、そんな感じだったから、老境に達してのお小言感に、とても凄味がある。老優として間違いなく『使い時』なのだけれど、どうせ今の蒟蒻ゼリーのようなドラマ界や映画界では、使おうと意欲できる人もいないのだろうなあ。

 まともな道もないチベットの山深い村々で、映画の巡回上映に従事する方のドキュメントを、同じくNHKのBSで観た。もう20年もその仕事を続けているという、実にいい顔の中年男性と、まだ中学生みたいな初々しい表情の19歳の見習い君が、馬や徒歩で16ミリフィルムや映写機材や自家発電機を運び、まだ電気も通っていない奥地の小村に銀幕の夢を届けて回るのである。そもそもは中国共産党のプロパガンダ映画を僻地まで広めるために置かれた職業らしいが、その男性が親方から仕事を引き継いだ頃には、中国製カンフー映画やコメディ映画主体の、純娯楽路線になっていたらしい。
 いいんだ、これが。いや、上映する映画そのものはまあアレなのだけれど、それを待ちわびて華やぐお祭り気分の村人たちや、大草原のただ中や村の広場に張られたちっぽけな銀幕に投影される16ミリフィルムの質感、そこらへんが、なんとも言えず、古狸にも幼時の『映画感』を蘇らせてくれるのである。チベットの山々を縫って旅するふたりの師弟関係や、村人たちとの交流も、なんとも素朴でようございましたねえ。特に、みごとに洟をたらして、ちょっと恥ずかしげにはしゃぎ回る子供たちなど、ひとり残らず拉致して洟をふいてやっていっしょに狸穴近くの銭湯に繰りこみたいほどかわいい。色の黒さをのぞけば、目鼻立ちや表情は、もうすっかり大昔の日本の村里のガキたちといっしょなのである。
 思えば狸やそのガキ仲間たちは、いちおう町中に育ったのだけれど、皆の袖口が拭った洟でテカテカに光っていた頃、つまりまだちっこい白黒テレビしかない時代、冬休みと春休みと夏休みの年3回しか見せてもらえない怪獣映画やアニメやディズニーの実写物、それから年に1回くらいしかない学校の映画教室、たまに児童館で上映される16ミリの教育映画など、ただ『映画』という存在そのものが、大いなる異界の夢そのものだったのよなあ。
 チベットの巡回映画技師さんは、一年中山にばかり入っているので奥さんに逃げられてしまったそうだが、あの信じがたいほど初々しい表情の見習い少年など、いつまでその仕事を続けてくれるんでしょうね。


12月11日 木  死ぬまでロックンロール

 ラウドネスのドラマーの樋口宗孝さんが、先月末に肝細胞癌でお亡くなりになっていたのを、今頃になって知った。ロック関係の雑誌などここウン10年買っていないので、氏が闘病中であることすら知らなかった。無念である。少なくとも第二期ラウドネスまでは、CDみんな揃えていたのよなあ。本邦ヘヴィメタ界の草分けで、世界的にもかなりのところまで成功したラウドネスといえば、高崎氏の超人級リードギターが象徴のように思われがちだけれど、狸的には、むしろあの独特のドラムや、二井原氏の黒板を爪でひっかくような甲高いボーカルが好みだった。だって高崎さん、なんか、ルックスがずっこいんだもん――いかんいかん、当時の狂騒を思い出すと、ミーハー姉ちゃんレベルになってしまう。
 それにしても49歳の若さで、再起を目ざし闘病中に、無念の死とは――。Xジャパンのヒデ氏のときなどに比べれば、一般世間ではニュースにもならない訃報だが、身につまされてならない。ふと思えば、渡辺氏や田川氏と、もしや同い年なのではないか。もっと若かったヒデ氏が自殺であるか事故死であるかは不透明なわけだが、狸としては現場の状況からして、あれはやはり潜在的な鬱病による自死なのではないかと推測する。その思うところの深さは別にして、やっぱりハードロッカーが自死しちゃいかんと思うのよなあ。二転三転七転八倒、死ぬまで転がり続けてこそのロックンロール、みたいな。

 昔、20代後半から30代前半にかけて、一日中駆けまわるように働いてへとへとになって当時の狸穴に帰り、ぐったりとビールをすすったあとで「あーうー」などと呻きながら風呂で眠って溺れかけたりして、いざ蒲団に潜りこみ眠りにつくまでの間、聴く音楽は癒し系でもなければレトロ叙情系でもなく、フルボリュームのラウドネスだった。昂揚のためではない。思えばあれは、そこまでの速度感や轟音や絶叫の中でないともはや鎮静できないくらいの、ストレスてんこもりの日々だったのである。
 耳元がじんじんと鬱血するような密閉型ヘッドフォンの震動を感じながら、ぐったりと横たわり足先だけでドラムスに合わせリズムをとっていると、いかなる癒し系も与えてくれない恍惚とするほどの叙情と静寂感が、ようやく脳味噌の奥まで染み込んでくる。あれらの叩きつけるような曲どもは、間違いなく、底深い心の芯へのハイウエイだった。

 樋口氏に、合掌。


12月08日 月  とりとめもなく

 脳内で渦巻くイマジネーションは、ゆうこちゃんがらみでも他の小物でも大物でも多々あるものの、それを成文化して打鍵する暇がまったくない。まあこれが普通の人間の生きる道なのだろうけれど。

 鉄筋の狸穴のガスレンジで、正月でもないのに餅を焼き、雑煮を作って食いながらふと思うに、幼い頃の田舎では、餅は練炭火鉢で焼いてたんだよなあ。給食の残りのパサパサした食パンなんかも、火鉢であっためて砂糖かなんかまぶして、けっこうご満悦で食ってたんだよなあ。古い木造家屋の暗い台所や、木枠の窓のすきま風ともども、今となってはかえって贅沢な、もはや死ぬまで得られないであろう、柔らかな光とゆるやかな刻の思い出である。

 師走に入っても嫌なニュースばかりが耳目を蝕み、また例のイオンの件などは煽り好きの下卑た週刊誌すらいっさい見出しにせず、鬱々と歳が流れる。
 しかしまた、あの『デルス・ウザーラ』のごとく美しい、高校時代に観たときと今現在の感銘が寸分違わないような希有な作品も、監督の自殺未遂という鬱の極みを経てこそ生み出されたものなのだから、鬱もまた生き延びれば何かを産んでくれるのだろう。

 ところで『デルス・ウザーラ』のフィルムの状態がずいぶん劣化しているように見えたのだが、天下のNHKのBSであの状態の放送となると、やっぱりそもそもソ連製フィルムの質が悪かったのか。しかし、もっと根性入れてデジタル・リマスターくらいしてくれてもいいのではないか。ひと昔前までザラザラの放送ばかりだった戦前のハリウッド作品など、近頃はぴかぴかの鏡面のごとく磨きなおされているというのに。

 某投稿掲示板に、『なんだかよくわからないものの聖夜』を再アップ開始。デジタル・リマスターとまではいかないが、フィルムの傷はせいぜい修正し、若干のトーン補正なども加えてあります。正直、狸の魂、削って練り込んでます。聖夜の晩餐のデザートとして、ぜひお試しください。


12月06日 土  生きる

 生まれて半世紀を過ぎると、もはやどなたがご存命中でありどなたが死去されたか記憶が曖昧になるほど、かつて尊敬したり注目したりしていた方々が消えていく。市井の人も著名人も。
 先頃、特撮の高野宏一監督の訃報に接して、かつてイレコんだウルトラ関係の思い出が走馬灯のように古色を帯びて蘇ったと思ったら、今度は作曲家の遠藤実先生も亡くなられた。幼少時からの狸の情操を豊かにそしておたくに育んでくれた昭和のメロディーやビジュアルの担い手たちは次々に鬼籍に入り、いっそ狸も早めにそっちに移ったほうがもはやシヤワセなのではないか、などと、味気ない昨今のメディア状況の中でまんざら冗談ばかりでもなく独りごちたりしてしまうが、郷里のケアハウスに訊けば、母親は近頃オムツ常用になったもののアルツに目立った進行はなく足腰も相変わらず達者のようで、愚息としてはまだ先に逝ってしまうわけにもいかない。

 イオンは結局、大嘘をつき通したまま、情報操作に成功したようだ。2チャンの騒ぎを受けてさすがにネット以外の一般メディアでもニュースに取り上げたものの、「もう大丈夫ですからね」「ホント大したことない話題だったんですよ」、ほとんどそんな感じだ。馬鹿が。金と虚栄の亡者どもが。恥を知れ。
 狸はもう死ぬまで金にも名誉にもいっさい執着しない。元来惰弱なたちなので、下手にそーゆーものを持ってしまうと、あれらのような馬鹿になってしまう恐れがある。まあ、そもそも持ってないんだから執着したくともできないわけだが、そのことをこれほど幸福に思える世の中であること自体、むしろ自分には生きやすく思われる。


12月03日 水  あなたの知らない世界

 昨夜、この国に対する絶望感が、なんかちょっとまた増殖してしまった。
 きっかけは、甘木さんのHPのゲストブックに神夜さんが書かれた、『
そうそう。三重の松坂のイオン「マーム」の貯水槽で水死体が見つかったらしい。でもそれが完璧に情報規制されてる。面白そうだから今いろいろ調べてる。 』という一文である。
 おや、なんかミステリー小説っぽい事件なのかな、と興味を抱き、さっそく『イオン 貯水槽 水死体』でググってみたら――わははははははは、2チャン用語(?)の『マスゴミ』という言葉がまさに真理と思われるような、資本による報道管制の、絵に描いたような一例なのであった。畏るべしイオン、畏るべし民主党。まあ民主党そのものがどこまで絡んでいるかは憶測の域を出ないが、広告料の心配のないNHKまでいっさい沈黙を守っているとなると、なんらかのアレがあるとしか思えない。
 なにせ広告収入命の資本主義国家におけるメディアのこと、親方や巨大資本の意向で報道自粛するくらいは日常茶飯事なのだが、それにしてもこの出来事、発端から展開までのすべての要素が、もはや正気を失っているとしか思えない。まさに金の亡者と駄犬の世界。あらゆる意味で情けない。
 しかし神夜さんのカキコがなければ、狸もこの出来事をまったく知らずにいたのだろうなあ。これでもし来週以降のB級C級週刊誌までが沈黙を守るとしたら、以前からなんべんも言っているように、この国の『報道』の大半は、単なる『売り物』にすぎないのである。今回の件に関し、精神厨房の戯言が大半をしめる2チャンの騒ぎをつらつらとチェックしながら、一部、営利に関わらない非常に冷静な真理を含んでいるという点で、今度ばかりは「ああ、ネットがあって良かった良かった」と、心底痛感してしまった。たとえ『愚』を多分に含んでいるにせよ、やはり社会の主は『衆』であらねば。


12月02日 火  かんぱちの甘味、しまあじの滋味

 上司に寿司と酒を奢ってもらった。上司といっても、要は現場責任者の正社員さんで、歳は狸より十数歳若い。しかし月収は狸の推定2倍、不景気ながら暮れには2ヶ月分のボーナスも出るようだ。それとてけして世間様に比較すれば高給ではない業種なのだが、狸ら契約社員は、ボーナスも無ければ有給休暇もない。日雇いではなく年雇いなだけで、派遣と同じようなものである。一般の正社員さんとおんなし仕事してるんですけどね。それを気の毒がってくれたのかどうか、狸ともうひとり、狸よりさらに年上の契約仲間(離婚チョンガー)が、なんかいろいろ御馳走になってしまったのである。
 で、好物のかんぱちである。日頃、かっぱ寿司で充分などと強がりを言っているものの、やはり一年ぶりに味わうまともな寿司(いちおう回転している店だったが、100均や120均ではなく、大トロなどはきちんと数百円とられるクラスである)は想像以上の破壊力で、狸はそのあまりの美味さに、思わずはらはらと落涙しそうになってしまった。なんという微妙霊妙な風味であることか。さらに好物のしまあじに至っては、しばしカウンターに顔を伏せてぷるぷると肩を震わせてしまうほどのインパクトである。
 たかだかひと皿380円や480円と言うなかれ、それは狸や契約仲間――はんぶん親がかりとか、すでに持ち家があるとかの恵まれた方々をのぞく、なんかいろいろワケありの――にとっては立派な飽食価格、そもそも晩酌を含めた晩餐予算そのものがワンコイン程度なのである。同席した仲間のおっさんとふたり、あまりにもシヤワセそうに飲み食いしていたからか、若い上司さんはかえって恐縮ぎみで、しかし機嫌よくお勘定をすませてくれたわけだが、三人合わせて1万ちょっと、その万札をピラと何枚かの万札の中から取り出す光景に、枯れススキのごときオマケのおっさん2名、雁首そろえてなんじゃやら奥深い微笑をたたえてしまいましたよ。きっともうひとりのおっさんも、呼べど戻らぬ己の過去のある季節など、ある種の諦観をもって回想していたのだろうなあ。
 ちなみにこの一年、家賃やお寺さん関係や母親がらみは別にして、狸が1万円以上の金をいっときに使ったのは、記憶にある限り、新幹線の切符を買ったときだけである。