[戻る]


01月31日 土  理屈になってませんが

 本日午後2時30分頃から約30分間、錦糸町駅ビルの食堂街にある『銀座つばめグリル』の前にたたずみ、ショーケースの料理サンプルをひとつひとつじっくりと睨め回しながら、よだれを垂れ流していた狸は私です。いや、なんか、自家製ソーセージとか牡蠣のオーブン焼きとか肉とジャガイモの北欧風ナントカとか、いかにもビールに合いそうなサンプルばかりで、店内でビールを運んでいるウエイトレスさんやウエイターさんのファッションや身のこなしも『当店はマジなグリルで〜す。そこいらのフヤけたファミレスチェーンといっしょにしないでくださいね〜』という感じで、立ち去り難かったのですね。ならば入店して飲んだり食ったりすればいいでしょ、とおっしゃるあなたが私はキライです。ふん、お金持ちキライ。などという冗談はちょっとこっちに置いといて、狸がビンボなのは厳然たる事実である。ちょっとしたツマミでも一品800円近い店でビールなど飲み始めたら、本日の狸穴の経済は即刻破綻します。そんな狸がなぜ錦糸町の駅ビルなどうろついていたか――今年成人した姪っ子の晴れ着写真の複製を頼まれ、ヨドバシカメラまで写真台紙を見つくろいに出たのですね。
 狸には姪が二人おり、今回は妹のほう。姉が3年前に成人したときも、写真館で撮った立派な写真を、何枚か複製してあげた。営業写真館ではネガを絶対くれないし、焼き増しを頼むと、それこそ一枚何千円も請求されてしまう。台紙に貼ればたちまち万単位だ。そこで、いつもはなんの頼りにもならない叔父の廃物利用が可能になるわけです。おまけに狸なので、首筋のシワだのおでこのテカリだの、目立たないように化かしてくれたりもする。

 で、その『銀座つばめグリル』に未練をたらたらたらと残しつつ、結局駅前のてんやで500円の天丼を食いながら、狸も狸なりに深く考えこんだりするわけである。いや、けして己のビンボを思い悩むわけではありません。
 今日もどこぞで派遣切りにあった若者が電車に飛びこんでいたようだが、その懐中には現金が2200円しか残っていなかったそうだ。まあ2200円も残っていたなら『つばめグリル』で一杯やってから飛びこめばいいのではないかとも思うのだが、それはあくまで、懐中に樋口一葉さんを抱いており、来月の食も屋根もなんとか確保している現在の狸の感性であって、実際無一文になってしまったときの無力感がいかばかりであるかは、狸自身良く解っている。
 しかしそれでも、たとえば嫁探しの暇もなく新登場日本語ワープロを導入しても仕事関係の書類しか打つ時間がなく心身ともに過労死寸前の日々を送る代償として、たまに街に出るときは常に何人かの福沢諭吉さんが懐中に待機しており、良さげな店があったらいつでも入って飲めた過去の狸、あるいは、おかしいなあ、昔は妻も娘たちもずいぶん「おとーちゃんおとーちゃん」となついてくれて可愛かったはずなんだがなあ、なんで近頃は俺をこんなにないがしろにしやがるかなあと首を傾げながらも、でもまあみんな体だけは元気だからこれまで養った甲斐はあるんだろうなあと自分自身を慰められる義兄などに比べ、今の孤独死候補の貧しい狸が、果たして社会的に惨めな負け狸であるのか。

 たとえば、無声映画時代のチャップリンの演じる浮浪者と、その仮想を具現することによって富も名声もろりも充分に味わった現実上のチャップリン自身、その軽重を誰が計れるか。世の中には『実力不足であの浮浪者を演じきれず無名に終わったチャップリン』が掃いて捨てるほどいるだろうし、『一般社会のだれにも知られることはないが、実はあの仮想浮浪者と同じ精神を持っている現実の浮浪者』だって少なからずいるだろう。

 たとえ無一文の日々が死ぬまで続くとしても、自ら電車に飛びこむまでは、誰も負け犬などではない。


01月29日 木  寿司とろり

 日曜の雑想を記しながら、どうも過去に似たような夢の話があったような気がしていたのだが、4年も前のやはり1月に、回転寿司の夢を見たようだ。そのときのネタは、あくまでろりではなくカンガルーだったのだが、関連事項として、徳本佳寿美ちゃんの名前も出てくる。
 常日頃、寿司が食いたい寿司が食いたいと言ってばかりいるから、寿司屋の夢を見るのにはなんの不思議もないのだけれど、なぜそのたびにろりが絡んでくるのか。やはり昨今の立て前とは別状、内心ではろりを食いたがっているのか。
 佳寿美ちゃんの場合、当時すでに高校生であり、間もなく大学進学と同時に引退してしまったのだけれど、4年前の夢に関係していたのは、あくまでデビューした15歳当時の彼女らしい。ふと思えば、新実奈々子ちゃんも現在それくらいのはずである。夢というものが無意識の願望を反映するとしたら、狸のろり嗜好は、すでに終わっているのかもしれませんね。ろりの変態野郎を卒業して、ただの援交願望に燃える狒々親爺へと、無事に成長したのである。いやあ、めでたいめでたい。
 まあそれはあくまでただの冗談であって、自覚的には相変わらずろりぺどの変態野郎なのだけれど、考えてみれば寿司がこれほど好きになったのもここ数年の話で、それ以前は魚より肉、刺身よりステーキが御馳走だったのである。
 やっぱりただの老化なのだろうなあ。なまねこなまねこなまねこ。


01月25日 日  

 そんなタイトルであっても、人生の折り返し点をとうの昔に過ぎた狸のことなので、お若い方々のように『将来の希望』といったニュアンスの含有率は推定1%程度であり、例によって、眠っている間に見る、ただの夢の話である。
 他人の夢の話なぞ退屈なだけだからやめてくれ、と言う方も世間には多いようだ。確かに電車の中などで見ず知らずの他人が仲間相手に、さも面白げに自分が見た夢の話を語っているのを聞いたりすると、あまりに浅薄で退屈で、殺意さえ覚えることもあるが、各界著名人あるいは個人的知人など、狸が多少なりとも興味を持つ人々の夢の話は、その人のひととなりが計れるような気がして、なかなか面白い。
 ことに、あれは数億年ほど昔だったか、ある後輩の少女をしつこく追いかける狸に、その少女が話題に困って(なにしろ相手が人間ではなく面妖な狸でおまけに先輩だったりするから無下に無視するわけにもいかない)話し始める夢の話や、あるいは確か2〜3億年ほど昔、ある部下の女子社員をしつこく追いかける狸に、その娘が話題に困って(なにしろ相手が上司でおまけに面妖な古狸だから恐くて猟師も呼べない)口にする夢の話などは、たいそう興味深く、かつ面白かった記憶がある。ああ、昔は良かったなあ。パワハラで訴えられる心配もなく、セクハラで解雇される恐れもなく、かなりしつこく食い下がっても『男の純情』で通ったもんなあ。――なんの話をしているのだ狸は。
 まあ、何の話をしていたんだか判らなくなるくらいだから、今朝方、いや、昼過ぎに見た夢も、そう大した夢ではないのだけれど。
 久しぶりにフンパツして『かっぱ寿司』(たぶん)に行き、回転するレーンを前にわくわくと好物が流れてくるのを待っていると、なんじゃやらいつもの安旨ネタではなく、奇妙に脹らんだ寿司の皿ばかり流れてくる。皿ごと手元に取ってしまうと、その正体にかかわらず食わねばならないので、なんとか流れていく状態でそのネタを見届けようとすると、なんじゃやら、それらの寿司はこちらに向かって、しきりに何か訴えるような視線を発しているようだ。数皿目にして、ようやくその正体が判った。新実さんちの菜々子ちゃんなのである。個々のシャリとネタの間に、極小の、例の河童のカブリモノを被った新実奈々子ちゃん(たち)が寝ているのである。シャリはあたかも白いベッドのようで、ネタはふっくら掛け布団のようだ。
 さすがに狸もこれまで新実奈々子は食ったことがない。思わず逡巡したままでいると、その奈々子ちゃんたちは次々と回転通過しながら、例のJr.アイドルというにはあまりにも庶民的なお目々で、こう訴えているらしい。「わーい、食べて食べて!」。見れば周りの他の客たちは、老人からちみっこまで楽しそうに旨そうに、菜々子寿司をほおばっている。しかしなんぼ旨いからといって、新実奈々子をナマで食ってしまってもいいものだろうか。和やかな客たちの談笑の中、食べて食べてと流れ続ける菜々子寿司を前に、いつまでもためらい続ける狸なのであった。
 で、目が覚めてから思い出したのだが、確かそんな菜々子寿司、いや、ハローキティ寿司を、最近どこかで見かけたことがあるのですよ。会社の誰かのキーホルダーだったか、あるいは電車で隣にいた女の子の携帯ストラップだったか。本日は食料備蓄が残っているので外食しないが、こんど『かっぱ寿司』に行ったら、一度も覗いたことのない例のグッズ・コーナーを確認してみたいと思う。考えてみりゃ、あれはすっげーかわいいぞ。
 しかし、なぜ夢の中でキティちゃんが新実奈々子だったのか、我ながら不思議である。確かに最近のろりの中では、ほんと隣にいそうな感じで好感が持てるのだが、特に注目しているわけでも、食べたいほど可愛いわけでもないんだがなあ。

 ところで、先日例の投稿板に記した、彩様のご感想へのお返しコメントを読み返してみたら、なんか優子ちゃんの話が恐い話系であり、邦子ちゃんが大袈裟に怯えているようにも見えるのに気がついてしまった。ト書きなしのセリフのみで状況まで見せるというのは、なかなか難しい。あのトリオがしゃべくるまんまを記しただけではどうしても舌足らずで、やっぱり狸なりにアレンジしてやるか、せんせいの説明が要るんだよなあ。で、今回は……せんせい、お願いします。

 はーい! こちらではもーしこたまお久しぶりの、陸自出身質実剛健誠実一途、でも良妻賢母の口はちっともかからないのよねえなんでなんで〜、な二代目せんせいでーす。ちなみに、もーおととしからちっとも終わりの見えない『ゆうねこ』は、実はあの節操のない初代ズベ女せんせいと、清く正しいわたくしが、ギャラの関係で心ならずも交互に語らせていただいておりまーす。
 で、年明けに語られた優子ちゃんお目覚めシーンは、本来ならあの初代ケバ娘が担当する予定だったのですが、例によってあの拝金欲深ズベのアマ、去年引っかけたどこぞの株屋の旦那と深入りしてしまい思うさま享楽に耽りきっていたところ、下半期の株暴落で突如全てを失った旦那に無理心中を仕掛けられ、ふたり青酸カリ入りクリスマスケーキをかっくらって旦那は即死したものの初代せんせいはその強烈な俗世への妄執によってアワ吹きながらもしつこく生き延び、でも半死半生仮死状態でとうていモノを語れる状態ではない――というのは大嘘で、実は入院先の有能な外科医・財前五郎先生に早速目をつけ例によってたぶらかすべく、歳末から年が明けた今も退院を見合わせ鋭意ブリの限りを尽くしているため、冬期休暇にもかかわらず知床の原野で陸自の越冬訓練に特別講師として参加していたわたくしが急遽ガッコに呼び戻され語りを勤めた――そんな経緯となっております。
 閑話休題。
 ――さて、優子ちゃんのお祖母様のお話でしたね。
 優子ちゃんの母方のお祖母様は、ずいぶん前の『奥州たかちゃん伝奇』においてかばうまさんがちょっとだけ触れたように、財閥系ではなく徳川時代から続く旧家の育ちで、古い武家屋敷に住んでいたりしたのですが、優子ちゃんが小学校高学年のころ、残念ながら先立ってしまいました。で、父方のみならず母方にもずいぶん可愛がられていた優子ちゃんは、毎年お盆になるとそのお屋敷に泊まりに行って、お祖母ちゃまのお墓参りをしたり、お祖母ちゃまのお部屋で、ちっちゃい頃昔話を聞かせてもらったりしたおんなしお蒲団に寝たりして、お祖母ちゃまを偲んでいるのですね。
 で、そのお祖母様は実はとってもハイカラさんな一面があり、太平洋戦争末期、出征直前のお祖父様と結ばれるときにも、文金高島田のみならず、当時禁制品と言ってもよかったゴージャスなウェディングドレスなどもあつらえ、その清く正しく美しい姿に二度惚れしてしまったお祖父様は、新妻恋しの一念で過酷な南方戦線の飢餓を耐え抜き無事帰還した、そんな過去があります。そのウェディングドレスは、やがて優子ちゃんのママが三浦財閥の末息に嫁ぐときにも――もはやだれ一人そんな設定をご記憶の方はおられないでしょうが、優子ちゃんのパパは、末っ子でありながら実力で三浦財閥の総帥に抜擢された方です――幸福な家庭への道しるべとして受けつがれ、やがては美しく成長したお孫さん、つまり優子ちゃん自身の花嫁姿をも飾るのだろう――まあ、そんな背景があるのですね。
 したがって、彩様へのコメント返しを先日夜中に下書きなしで綴ってしまったオマヌケな作者のぶよんとしてしまりのない狸野郎が先ほど読み返して心配しているような、優子ちゃんが寝ているお蒲団に夜な夜な花嫁姿のお祖母様が出現して形見分けをする、とゆーよーな話ではけしてありません。邦子ちゃんも怯えて叫んでいるわけではなく、貴ちゃんも恐くて泣いているわけではなく、あくまで情にもろいがゆえに、もらい泣きしてしまっているのですね。
 ……で、どーでもいーことなんですが、そこのぶよんとしてしまりのない狸さん。すでに午前4時を回って、明日、じゃねーや、今朝も8時出勤なんですけど――大丈夫なんでございましょうね、今後のわたくしのギャラは。いえ、わたくしは鍛え抜かれた若い体躯を維持しておりますから、完徹でも北朝●兵の一個小隊や二個小隊は殲滅してみせますが、狸さんに、なにか、契約切り級のドジでも踏まれてしまうと……。


01月23日 金  VHS賛江

 と、ゆーわけで、故障したHDD+DVDレコーダーは、未修理返却と決定。新作映画のレンタルや、録りためたDVDはパソで観られるし、どうしてもTV画面で観たければ、今どきプレイヤーだけなら新品でも5千円でおつりが来る。HDD録画の利便性にやや未練は残るものの、DVD録画保存には、なぜだかほとんど未練が残らない。歳末からこっちの録画生活が、従来のS−VHSビデオデッキで充分事足りてしまったからだろう。テープ自体のコストに関しても、昔録画して二度と観ないであろうレンタルダビング物件が山のように眠っているので、たぶん死ぬまで足りてしまう。また、つらつら鑑みるに、VHSビデオテープというメディア自体、たぶん狸が死ぬまで社会に在り続ける気がする。仮に録画用としては滅びたとしても、再生器機は在り続けるはずである。
 CDやデジタルオーディオプレイヤーの大海の中でも、オーディオカセットテープはしぶとく生き続けているし、アナログレコードなどは、逆に趣味物件としての気韻をかえって高めつつある。過去の歴史がハンパではないからですね。いっとき一世を風靡するかに見えたMDなどは、かえって風前の灯火だ。で、VHSビデオという奴も、たとえば図書館で蓄積した膨大な映像資料など、簡単には他のメディアに置き換えられない。新し物好きで、過去にうっかりレーザーディスクなどに税金を注ぎ込んでしまった地方図書館などは、かえって他への移行に逡巡しているのではないか。ちなみに狸がよく利用する市立図書館は、去年ようやくDVDソフトを導入し始めたばかりで、映像資産の大半はもちろんVHSだ。
 保存性の問題も大きい。狸が数年前に録画したDVD−R物件の中には、早くもブロックノイズだらけになったり、視聴不能になってしまったものがある。それも安い輸入品に限らない。いっぽう、もう四半世紀も前に初放映を録画した『Dr.スランプ アラレちゃん』や『うる星やつら』は、当時の懐かしのCMとともに、今でもきっちり再生できるのである。当時のデッキや生テープはたいへん高価だったからか、画質はともかくモノとしての造りは実にしっかりしており、ドロップアウトもほとんどない。
 まあ二度と入手できない可能性のある『わが青春のマリアンヌ(ドイツ版)』(VHSとレーザーディスクで発売されたのが最後)や、玉三郎さんの『夜叉ヶ池』(海外でVHSが出ているらしいが、日本では地上派でいっぺん放送されたっきり)などは、さすがにDVD−RAMにダビングして保存しているのだけれど、いずれもテープは未だにピンシャン元気なのである。


01月21日 水  温故知新

 渡辺氏より拝借したドライブやソフトで、古いTV録画DVD−RAMのデータもパソで読めるようになった。
 しかしまあ、そのデータを読み出すにも新型機には無い紆余曲折があり、詳述は省くけれども、久しぶりに『2ギガの壁』という言葉など思い出し、無性に懐かしくもあった。昔、たとえばウィンドウズ95が登場して、それまでほぼプロとマニアとヲタの世界に限定されていたパソコンが一般にもようやく市民権を得た頃、ハードディスクは1ギガあれば上等で、普及機は640メガとか、今のCDなみの容量のHDDしか積んでおらず、2ギガ以上のHDDは、そもそもOSが認識できなかったのである。まあ急速なハードの進化で、1〜2年で何十ギガの世界が到来してしまったのだけれど、肝腎のOSはウィンドウズ98の出現まであいかわらず『2ギガの壁』が存在し、でかいHDDを安く買っても、わざわざ2ギガ以内にパーティションを分割して、複数のHDDとして扱っていた。2ギガに収まらないデータもまた、当然分割して処理していたのですね。どうも今回の、狸のテレビ録画したDVD−RAMがパソで読めなかった件は、渡辺氏も推測していたが、それと関係しているのではないかと思われる。なにしろ狸のHDD+DVDレコーダーは、パナソニックの第2号機。一応2002年製とはいえ、設計は世間にまだまだウィンドウズ95も98も生きていた時代だ。おまけに何かと面倒見のいい松下さん、どんな匙加減を加えていないとも限らない。
 ともあれ渡辺氏に、多謝多謝。

 古本屋の100円ワゴンで、瓜生忠夫氏の『駅弁マニア』(1969、昭和44)を発掘。瓜生忠夫氏といえば、まだ狸が生まれる前から岩波新書での著作などもある硬派の映画評論家だが、駅弁ラベルのコレクターとしても昔から有名な方だ。で、今回のこの本は、文章中心の新書でカラー写真も口絵数ページのみ、よって駅弁そのものの写真やラベルはあまり楽しめないのだけれど、そのぶん文章情報量は、駅弁本としてはたいへん多いわけである。
 その内容は、まだ読み始めたばかりだからちょっとこっちに置いといて、文中に『ゲゲゲの鬼太郎や妖怪が大好きな現代っ子たちは』という表現があり、そこにおいて『ゲゲゲの鬼太郎』は、あくまで珍奇・新奇への好奇心に富むもの、そんな軽い例えに使われているのが興味深かった。ニュアンスの中に、けして懐古や郷愁は含まれていないのである。そうかもしれない。当時子供だった自分を思い起こしても、初めて水木しげる先生の『墓場の鬼太郎』に触れたときは、古臭さだのノスタルジーとは無縁で、むしろ「おおおおお、こ、こんな世界もアリなのだ」、そんな新鮮感覚だった気がする。もちろん『土臭さ』はしこたま感じたのだけれど、その土俗感すら、田舎とはいえ高度経済成長期の子供にとっては、すでに『新奇』だったわけですね。つまり鬼太郎の世界は、もしかしたらウルトラ関係などよりも、『永遠に新しい世界』なのかも知れない。下手すりゃ人類の誕生期から。
 まあ鬼太郎の前に、水木先生がどん底の極貧貸本漫画生活からいっきに浮上するきっかけとなった一般誌デビュー作『テレビくん』、あれの登場に大注目した子供のひとりでもあったので、その先入観も手伝っているかもしれませんが。

 彩様のお祖母様、甘木様のお義母様と、なにか新年に入って訃報が続くようだ。甘木様はハードボイルドおたくのようなので(ハードボイルド系に対するおたくではなく、おたくとしてはハードボイルド、そんな意味ですね)精神的にも強靱そうだが、彩様などはまだまだ多感なお年頃だし、お祖母様と仲も良かったようなので、その傷心が気にかかる。
 今現在の慰めにはちっともならないだろうけれど、近頃めっきり白髪の増えた狸には、もはや人の死というものも、我々の未来における温故知新のため、先人が残してくれる大いなる遺産に思われます。


01月18日 日  悲喜

 ご近所のショップQQが、ローソン100に変わってしまう。同系列会社で取扱商品の多くも同じでありながら、全てのアイテムが1円値上がりするわけである。たかが1円、されど1円。中流の安定した方々は歯牙にもかけないであろうペラペラのアルミ貨1個、これがいかに『1円を笑う者は1円に泣く』であるかは、マジに無一文を経験したことのある狸のような貧乏人、あるいは大規模に株を扱ったりするお金持ちなら、つくづく実感できるはずである。その値上がりだけでなく、あのQQパックおでんが今後遠出しないと入手できなくなるのが痛い。ローソン100のパックおでんは、同一製造会社でありながら、狸の好物であるシラタキが入っておらず、代わりにペラペラの昆布の断片が浮いているだけだ。また店舗構造や品揃えに関する思想の違いにより、棚数と取扱品目が確実に減少する。とても哀しい。

 先だってのDVD−RAMがらみの雑想に関して、渡辺氏より表の伝言板で懇切丁寧な助言をいただき、オマケにパソ用の外付けドライブひとつ、拝借できることになった。狸穴のパソの韓国製最安価内蔵ドライブと違って、パナソニック純正品と言うから、きっとレコーダー録画のRAMも読んでくれるだろう。ああ、またひとつ増える、知己の恩。

 ところで、いつのまにか表のカウンターがキリ番を越えておりますね。30000を踏んだお心当たりの方がいらっしゃいましたらただちに自首しなさい、じゃねーや、ご一報いただければ、夜な夜な狸が夢枕に立って、感謝の腹鼓を打たせていただきます。ぽこぽん、ぽこぽん。


01月15日 木  ううううう、おおおおお

 HDD+DVDレコーダーの修理見積、なんと22000円なり。ううううう。いや、解るんですけどね。修理代と言っても、要はパナソニック純正の内蔵式DVDマルチドライブおよび組付手数料だもんなあ。諦めて返却してもらっても、見積手数料が6000円。ううううううう。しかし現在手元に残っているDVD−RAM物件は、DVD−Rなどと違い、事実上パナソニックのディーガでしか開けないらしいのである。高いんだこれが。TV録画したDVD−RAMって、メーカー間の互換性はないんですってね。皆さん知ってました? 狸は知りませんでした。ううううううううううううう……ちょっと保留。

 フラットベッドスキャナーのほうは、あっさり諦めた。こちらは、一応フィルムの連続スキャンもできる2400DPIの機械だが、古物だし、もともと2万いくらだし、修理見積だけに数千円を出す価値はない。無論新品を買う金もないので、日曜の夜、発作的にネットオークションで、それと同じ頃の最初級機(1200DPI)の古物を、500円で落札してしまった。宅配代が740円で計1240円と、品物のほうが安いわけですね。で、出品者さんの迅速な対応により、火曜にはもう届いてしまったわけだが、無論ノークレーム・ノーリターン条件、XP用ドライバをメーカーサイトからダウンロードして、どんなあんばいかと接続してみると――おお、なんだなんだ、紙物のスキャンなら立派に使えるではないか。オプションの35ミリフィルム1コマ用スキャニングユニット(ただの超小型ライトボックスに過ぎない外観)も一応付属しており、残念ながらフィルムキャリアは欠品していたが、そんなものは単なる位置合わせの道具にすぎないのだから、やはりダウンロードしたマニュアルの図を参考に、ボール紙をぱっぱと切り抜いてでっちあげ、わくわくと試してみたら――残念、こちらはさすがにオマケ程度の粗々画質。まあ、もともと「HP用のちっこい画像ならなんとか作れるでしょ」、そんなオマケなのだろう。1200DPIのフラットベッドスキャナーで、35ミリフィルムをまともに読もうというほうが無茶なのである。
 さて、そうなると、今後、昔のフィルムをスキャンしたくなったらどうするか。カメラ屋さんでフジカラーCDに――残念ながら、あれは解像度が低すぎる。では高解像度のフォトCDに――そんな金はないぞ。ならば現職場でこっそり無料でごにょごにょと――いかんいかん、バレたら即、契約切りにあって公園か橋の下か富士の樹海行きになる。大体、すべての作業がきちんとバレるようになっとるわけで。
 とまあ、思い悩みつつ、お蔵入りにしていたニコンのフィルムスキャナー(10年も前に買ったスカジー接続の奴で、現在のXPパソ+USBスカジーコンバーター環境では、どうやっても認識してくれなかった。アキバで売り払おうにも、ジャンク扱いにしかならない)をなんとか復活できないものかと、あっちこっちネットを彷徨ったら、いつのまにかコンバーターのドライバもスキャナー用のソフトやファームウェアもバージョンアップされており、いっさいがっさい最新の奴をインストールしたら、おお、ちゃんと認識してくれるではないか。驚喜して、さっそくテストしようとしたところ――おう、今度はなんじゃやらハードウェアのエラーコードが出て、ちっとも動かない。ニコンに訊こうにもすでに夜だし、HPにも、そんな古物のエラーコードなど載せているはずもない。再びネットの海を彷徨い(単にググっただけですけど)、海外の掲示板みたいなところでエラーコードの大意をつかみ、スキャナーの外装を開けて、たぶんフィルムの位置検出に関係しているミラーのヤニを拭いたり、駆動部分の硬化したグリースを塗りなおしたりして(ここいらは、古カメラの修理なんかも自己流で結構やったので、あんがい得意な狸なのである)――おおおおお、完璧に作動するではないか。ぽこぽん!(歓喜の腹鼓)

 とまあ、なんかいろいろ、悲喜こもごものうううううやおおおおおなのであった。


01月12日 月  晴れ着の街

 連休中はほとんど引き籠もって、正月に録画した『昭和なつかし亭』だの『新春東西寄席』だのを観まくったり、仮想世界でタカちゃんたちと遊んだり、昼夜の判然としない、人間として駄目な生活を送ってしまった。
 本日も午後遅くに起きて買い物に出ると、晴れ着のお嬢様方が多数、きゃぴきゃぴと街を彩っていた。成人の日だったのですね。そんなことさえ忘れておりました。
 いやいやお嬢様方、そうして和服で華やいでいらっしゃいますと、いつもと同じアーパーな会話も、なにがなし耳に心地よい気がしますなあ。あ、でも、そちらのお嬢様、晴れ着姿でそんなに猫背になって、脱色した髪をぼわぼわ脹らませておりますと、獅子舞に間違われますよ。って、獅子舞はひどいか。でもおめでたいからいいか。でもやっぱり鏡獅子くらいに言ってあげないと可哀想か。――とまあ、一部アレな晴れ着姿も混じっておりましたが、やはり和服姿のお嬢様方というのは、近年の狸にとって、夏の薄着姿よりも目の保養だったりする。
 しかし、明日の狸はきちんと起きられるのだろうか。いや、そもそも今夜は眠れるのだろうか。寝ないで出勤するのも、この歳になると辛そうだ。しかし歌の文句にもあるが、『辛』という字は、ほんとうに『幸』に似てますね。『明日』もきっと、明るい日だ。うん。


01月10日 土  狸ももちつけ

 まあ、夕方目覚めてつらつら鑑みるに、各種メディア上に現れる世評なんてのは、ネットも含め、あくまで意図的に露出された、商売っ気あるいは自己顕示欲、どっちにしろ多分に近視眼的な『欲』を含んだ部分だけなのだから、なにも裁判員制度絶対廃止論者に転向する必要はない。大多数の目立たずに営々と生きる市民はかえって理性的である可能性もあるわけで、狸自らの手で鬼畜を吊せるかもしれないというすばらしい可能性を、ゼロに戻すこたあないわなあ。

 実は昨日付けの雑想を更新したのは、本日午前4時過ぎなのである。
 昨日は、正月休みでなまっていた心身を5日間の労働でクタクタにして帰宅、早めに寝てしまおうと思ったのだが、風呂に入っているうちに、まだ全体の流れに引っかかり感を抱いていた年末年始打鍵分『ゆうねこ』(『ゆうこちゃんと星ねこさん』のこと)の優子ちゃん復活シーンが、ようやく頭の中ですんなりと整い、慌ててその36枚分ほどをいじくり直しているうちに、脳味噌の中だけが活況を呈し、芋蔓式に既投稿ぶんにもちまちまと修正が必要になり、とうとう徹夜してしまったのである。まあ、単なる徹夜ハイですね。昨日の雑想は、その小休止中の打鍵。休憩中にもキーボードを叩いているのだから世話はない。で、すがすがしい朝の光を浴びて快く澄みきった、でも実際は脳内麻薬でシャブ漬けになった頭で例の投稿板を更新、その後死んだように昏倒、目覚めればすっかり陽の落ちた夕方5時半でした。なまねこなまねこ。

 で、昨日の雑想なのですが、なんか、半分優子ちゃんが憑依していた気がします。いや、いつもの独善的論調進行法のことではなく、その母親を想う視線の持ち方、見ず知らずの他人に対するときの立ち位置ですね。実は狸も、職場でその出来事が話題に上ったときには、むしろ短絡正義バカの若い衆に同調しておりました。
 もし狸が裁判員に選ばれる機会があったら、優子ちゃんといっしょに裁判に赴きたいと思います。けして人を貶めたり吊すために行くのではなく、人を理解しに行くのですから。でもあくまで鬼畜は力いっぱい吊すぞ(オイ)。


01月09日 金  おまいらもちつけ

 先だって、狸穴と同じ県内の松戸で、留守番中の幼い子供3人が焼死した痛ましい火事があり、当初「病院に行っていた」と事情説明した母親が、実は男友達といっしょにパチンコ店に入り浸りだったと判明し、マスコミでずいぶん感情的に叩かれた。狸の職場でも話題に上り、若い衆などは声高に憤慨していた。離婚による母子家庭で、母親は無職。慰謝料で食っていたのか生活保護を受けていたのかは定かではないが、母親は昼間からパチンコ三昧で子供は全員焼死とは、なんという母親だ――マスコミも、職場の若い衆も、まあそんな理屈で声高に母親を弾劾している。しかも実名入りです。
 でも、それって社会的に、そんなに人前で晒し者にされなきゃいけない話ですか?
 確かに褒められた話ではない。しかし、このケースにおいてその母親は、子供の『焼死』に、どこまで『責任』があるのでしょうか。また自分の生活を恥じたからこそついてしまったひとつの『嘘』、それって、そんなに卑劣なことですか?
 ちなみに狸は、皆様ご存知のとおり、子供に弱い。ショタにも弱いし、ろりにはひゃくおくまん倍弱い。煙に巻かれて窒息死してゆく三人の幼い兄妹の姿など、想像するだに、いもしない神を雲上から引きずり下ろして有無を言わせず殴り殺しくなる。しかし、それとこれとは話が別である。もしその子供たちが、暖房、炊事、あるいは火遊びから出火させてしまったのなら、それは母親がパチンコを打つのではなく、一日中せっせとパートで働いていたとしても、やはり起こってしまったはずである。そして、事情聴取の際に母親が嘘を言ってしまったからといって、それは刑事事件の捜査中でもなければ、裁判における偽証でもない。これほど大々的に報道され世間からの糾弾を浴びるような反社会的行為では、絶対にない。あなたや狸が日常的についている、あくまで弱い人間の、羞恥心上の嘘に過ぎないのではないか。
 彼女は確かに愚かで、自堕落なのだろう。しかし、そんな女性はこの時代、掃いて捨てるほどいる。あくまで市井の、ただの人間である。また幼い子供だけで留守番を余儀なくされる家庭も、事情を問わず無数にある。それをもっともらしい顔をした報道陣は、まるで真夏のパチンコ中に赤ん坊を駐車場の車に置き去りにして熱中症で死なせてしまった馬鹿親(立派な過失致死)や、赤子を虐待死させてしまった鬼畜親(言うまでもなく殺人者)と同列に扱い、一方的に煽っている。例のイオンの死体汁入り飲料水事件などは、結果的に被害者が出なかったのをいいことに、きれいさっぱり『見ざる言わざる聞かざる』に徹した、あのマスゴミが、である。
 狸が報道してほしいのは、ただひとつ――その母親が今、三人の子を失って慟哭しているかいないか、ただそれだけである。しかし、男友達といっしょにパチンコしていたことは百万遍繰り返すのに、ただ母親として最も狸の知りたい一点を、ニュースは伝えてくれない。おそらくは、イオンの幹部連中が姑息にほくそ笑んでいるのを報道しないのと同じ報道感覚、あるいは摩耗した精神レベルによって。
 で、このニュースに関するネット上の市民の皆様のブログなど検索してみると――お、おまいらその図体ばっかし野放図に育った大人顔(あくまで推定)で、マジに脳味噌に『想像力』『相対的思考』といった成人に必須の要件は一片も養っとらんのか!?

 本日これより、狸は裁判員制度絶対廃止論者に転向いたします。この国には、まだ早すぎ――いや、もう遅すぎるのかもしれません。


01月06日 火  アンネの日記、鳥取の蒲団の話、あるいはマッチ売りの少女

 で、職場のある建物には、正式な喫煙室はただひとつしかなく、休憩室横に設けられた猫の額ほどの密室で、どでかい空気清浄機がうぃんうぃんと頑張っているが、なにせ休憩時間には社内の喫煙者のほぼ全員が集合するから、なんじゃやらケムの中でおしくらまんじゅうをしているような有様になる。いわゆるガス室ですね。
 少々遠いが階下の裏口まで歩けば、露天のベンチと灰皿もあるのだが、この時期は当然カラカラの北風さんの天下で、冬の斜光も午後のほんのひとときにしか、ビルの谷間までは届かない。ロッカー室まで上着を取りに行く暇などはないので、降りてきた少数派の野郎たちが、ぷるぷる震えながら「あんちゃん、寒かろ?」「おっちゃん、寒かろ?」などと哀しくいたわりあう、なんじゃやら小泉八雲の『鳥取の蒲団の話』のごとき情景が展開してしまう。これで雪でも降ったら、気分はすっかりアンデルセン、みんなで天国のおばあさんに、シヤワセな再会(あくまで錯覚)ができてしまいそうな。

 煙草税が上がらなくとも、この時期は職場禁煙しないと扁桃腺がヤバいのではないか――まあ、ただそれだけの話である。


01月04日 日  猫不足 時不測

 年末年始休暇中の外出が、臨時バイトと日々の買い物だけではあまりにサミしい、そんなわけで、遅ればせながら真間の手児奈神社あたりを徘徊、久しぶりに緑地公園まで足をのばす。冬場はどうしても野良猫の姿が足りない。日だまりで丸くなっている奴が何匹かいたから、他の連中もどこかで暖を取っているとは思うのだが、例のヨチヨチ時代は猫おばさんの養子になっていた元チビや、片目の茶縞を確認できなかったのは残念。
 その後アキバに出て、これまたずいぶん久しぶりに処分価格のエロゲを漁ってみたが、残念ながら掘り出し物と思える物件は見当たらず。昔、メルクリウスの『在りし日の歌』を見つけたときのような、500円以下で無名の佳作に出会える時代は、もう終わってしまったようだ。

 あっちの世界で、優子ちゃんが、昨夜ようやく目を開けた。しかしこっちの世界では、明日から世間様なみに仕事が始まる。ずっと先のあれこれの下書きは増えたのだけれど、11月に更新してからの続き部分でなんとか発表可能な状態に仕上がったのは、わずか30枚程度である。
 もはや、焦るまい。15歳だろうと50歳だろうと、現在生きている狸類がこの先いつまで生きるかなんてのは、その個体の運命しだいだ。


01月03日 土  七草

 スーパーで七草のパックを目にし、発作的にカゴに入れてしまった。398円と、まあ正月予算としては、迷いながらも許容できる価格だったし。で、本来なら7日に七草粥をいただくのがお約束なのだが、待ちきれずに本日、雑煮に入れて食ってしまった。七草雑煮――季節感としては間違っていないのだろうが、お約束としては無茶苦茶である。しかしなかなか滋味があり、おいしゅうございました。
 子供の頃から青年時代にかけては、七草など見向きもしなかった。そもそも野菜嫌いだったし、お節の昆布巻きや伊達巻きも、季節感の一部として形ばかり食うだけで、正月二日になればもう焼肉やカツやカレーを欲しがる、三丁目の夕日としてはあきらかに落日間際の、あくまで現代っ子だったわけである。それが今になって、郷愁とか懐旧とかとは無縁に、青物も昆布巻きも伊達巻きも、むやみに旨い。
 単なる生理上の変化なのでしょうね。


01月02日 金  馥郁

 おう、『ふくいくたる香り』の『ふくいく』って、こんな漢字だったのか。まあ実際に使われるときは『〜たる〜の香り』という文法上の形に相場が決まっているから、ルビがなくとも読めることは読めるのだろうが、『馥郁』単独で出されたら、まず読めんわなあ。いや、なんで正月早々そんな話を始めたかというと、単に本日、姉からの歳末援助物資に含まれていた二つの大瓶を開けて、「おお、まっとうなインスタントコーヒーとクリーミングパウダーとゆーものは、こんなに馥郁たる香りをはなつものであったか」と、思わず感嘆してしまったのである。
 昨年中の狸は、駅前の某ビルに入っている、ダイソーやQQではない無名の100円ショップで売っているアフリカ製のインスタントコーヒーと、アメリカ製のクリーミングパウダーしか味わっていなかった。どちらも100円にしては実に気前のいい容量を誇っており、味もけして悪くはないのだが、いかんせん、容器を開けた瞬間の芳しき香りといった底力は、残念ながら備えていない。姉が送ってくれた製品とて、言ってしまえばスーパーの最お徳用商品だから、実際どこの国の工場で生産されたものかは判ったものではないが、少なくとも国内の大手ブランド商品である、それだけで、最安価品でも、こんなに豊かな香りを愉しませてくれるのですね。
 で、ほくほくとそれをすすりながら、おこたで今さら紅白歌合戦など、なかば義務的にあちこち早送りしながらチェックして、「ああ、今回も線の細い若い衆とマンネリの大御所の、可もなく不可もない歌番組か。でも去年よりは演出構成頑張ってるみたいだから、まあいいか」などとまったりしていたら――初出場ミスチルの『GIFT』で、なんじゃやら、心が熱くわなないてしまった。それがNHKの北京オリンピック関係テーマソングであることすら、本日初めて知った穴奥の狸には、彼らの背後に投影されるオリンピック映像が、正直かえって歌唱の邪魔者に見えた。あの歌は、ただの名もない虫けらから、同じような名もない虫けらに向けられた歌のはずである。無論歌っているのはもはや大御所と言ってもいい青年たちなのだが、そうした非凡な存在感に負けない普遍性を、歌唱演奏を通して野辺のぺんぺん草の葉脈にまで拒絶反応なしに流し込めてしまえる、そこんとこに、なにか、たとえば美空ひばりさんなどにも似た、真の歌心を感じたのですね。
 和田アキ子さんも氷川きよしさんも悪くはないのだが、今回、精神的な大トリは、明らかにミスチルだったと言っていいだろう。何年か前のマツケンサンバ以来、実に久方ぶりに、「ああ、色々あるけど、まだまだこの国は捨てたものではない」、そう思える紅白のひとときでした。


01月01日 木  新春かしまし娘

「はいはい、おめでとーございまーす! 片桐さんちの貴ちゃんでございまーす! 年の初めのためしとて、いつもよりよけいに回しておりま〜す! くるくるくる〜〜」
「んむ、貴子、みごとな芸だ。いつもの茶碗だの土瓶だの毬だの枡にまざって、近所の野良猫が3匹ばかり、それはもーくるくるくるくると、いつもよりよけいに回っている。脳天気だけがウリの貴子も、年々歳々、確実に成長しているのだなあ」
「くるくるくる〜」
「ふんぎゃー」
「ふんぎゃー」
「ふんぎゃぎゃぎゃー」

「――さて、今年は元旦から狸が労務者に化けて日銭稼ぎに出てしまったんで、代わりにこうして晴れ着に着飾った俺たちが、備蓄のお節や雑煮を食い尽くしてやっているわけだが――おんや? おかしーな。狸がお屠蘇代わりに買っておいたワンカップが、いつのまにやら、空になっているぞ」
「くす、くすくす、くすくすくすくす」
「……ありゃ、優子ちゃん、全部飲んじゃった」
「げふ。……ぽ」
「おお、なんとゆーことだ。優子、おまい、またイッキ飲みしちまいやがったのか」
「くすくすくすくす。――
お正月、と、かけて
「――は?」
「――は?」
お正月、と、かけて
「……なんかすっかり、くせになっちゃったねえ。優子ちゃん、なぞかけじょうご?」
「んむ、これはもー、黙って聞いてやるしかあるまい」
「くすくすくす……
お正月、とかけて、谷啓さん、と、とく」
「おう――」
「んむ――しかして、そのこころは?」

♪ 賀正〜〜ん ♪