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02月27日 金  雪の昼、夏の夜

 10時休憩のガス室の、ヤニで曇ったサッシ窓から、ビルの谷間に舞うおびただしい雪片が見えた。今さらの大降りである。これが昼休みにも続いていた。下界の駐車場もすっかり白くなっている。確か千葉では降らないという予報だったので、喫煙者皆、なにがなし叙情的な昂揚を覚え、狸も「明日の休みは思う存分庭駆けまわり炬燵で丸くなろう」と皮算用したのだが、3時休憩のときにはすでに雨に変わっており、皆で「これで帰りの電車は大丈夫」などと強がりつつも、実は一様にサミシげな表情を浮かべていたりしたわけである。初夏になったり真冬に戻ったり、三寒四温と居直るにはあまりにヤケクソな天候不順で体調を崩している者も多く、かく言う狸もいつもの扁桃腺が赤く色づきつつある。微熱で毎日かったるい。いっそ純白の雪に埋もれて、永遠の寝たきり生活を送りたいところである。凍死とも言いますね。

 などと言いつつ、実は体調不良は天候不順のためばかりではなく、さきおとついの晩に突如として気まぐれな言霊様が降臨し、昔から自作したい自作したいと思っていた『夏ゲー+田舎ゲー+伝奇ゲー+青春ゲー』、そんな狸好みのエロゲーなどにありがちなパターンの話を打ち始めてしまったためでもある。当然、寝る時間を使っているのです。おまけに『ゆうねこ』も、一日数行程度にしろ、全速力のでんでんむしのように進行だけはしている。したがって脳味噌はけして永眠を望んだりしないのだけれど、目と指以外の器官すべてが、「あなた、もう寝ましょうよ、うっふん」などと、一日中色っぽいおネグ姿でおねだりしてくるのですね。そのうち職場あたりでなんじゃやら決定的破局が訪れそうでとっても恐いの私。

 等々の理由で、『キングコング』はギラーミン版が意外に美味であるとか、『緯度0大作戦』の海洋ミニチュア特撮は明らかに最新CGなど歯牙にもかけぬほどミューズに愛されているとか、そうした話題はとりあえずちょっとこっちに置いといて、今夜の狸はもう寝ます。……でも、やっぱり、デスクトップの雪山の中腹あたりから「コマゲン! 今夜も血へど吐くまでトースティングだぜ夜は長いぜラスタマン! ヘイ!」などと、暑苦しい打鍵中フォルダのショートカットの呼び声が聞こえてくるような気もするのでとっても恐いの私。


02月24日 火  膨張する顔面

 ……ヴァル・キルマー様のご尊顔が果てしなく膨張してゆく。あらまあどうしましょ。しかし、思えば『天才アカデミー』(1985、とても面白いおたく向けコメディー。なぜか日本ではDVD化されていない。キルマーがあくまで脇役だからか)で狸が大注目した頃からすでに四半世紀、当時シャイでチャーミングだった青年キルマー君もすでに50近いのだから、多少の中年化はやむをえないのだが、それにしても顔が膨張している。まるで最も太っていた頃のジョン・トラボルタかスティーブン・セガールの顔のようだ。でかくてまあるい輪郭の中央部に、個性的な目鼻立ちが密集している状態。
 出る映画によってかなり出来不出来に波があり、撮影現場でのノリによってはきれいさっぱり役作りを放棄してしまうようなやんちゃ坊主っぽい俳優さんではあるが、ノリさえすれば役作りに徹底的に入れ込むタイプでもある。で、今回の『ゴッド・ランド』、あくまでB級アクションの体裁ながら、いかにもキルマー好みのキャラ設定である。イラク戦争で心身ともに傷を受け、なかば人生を放棄していた元・精鋭海兵隊員が、帰国後失踪した戦友を巡って、死の商人と対決――ありがちな設定だが、全体のトーンは一筋縄ではいかない。戦争の後遺症も心身ともに半端ではないのですね。なにしろ、現地で近寄ってきたかわいい幼女の背負っていたリュックが実は敵の爆弾で、何も知らずに頬笑む幼女ごと遠隔操作で大爆発、キルマーの片脚がふっとんでしまったりする。片脚義足になった上、心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDを背負ってしまった主人公は、緊張するとあたりかまわず突然嘔吐してしまったりするのである。もしかして、そうした役だからこそ、あえて太ったのだろうか。事件に巻きこまれる前は、自堕落に食って寝るだけの生活を送っていたキャラなわけだし。
 ともあれ映画自体は十二分に狸好みの男汁アクションであり、膨張キルマーも丸いなりに渋くて良かった。このまま膨張したまんまだと、いささか辛い気もするが――別のノレる役が回ってきて、それが痩せた中年男だったら、きっとまた顔面も縮小してくれるに違いない。


02月23日 月  半額映画劇場

 今回届いた半額クーポンは、先週末から一週間続きの大盤振る舞いなので、一日おきにTUTAYAに寄るとゆーよーな、まさにあちらの思うツボのユーザーになってしまっている。なにせ準新作でも200円でお釣りがくる。お子様向けに分類された旧い特撮物に至っては、たった120円だ。まあ自前の脳味噌内物語がなかなかまとまらないので、外部刺激を求めているためでもあるのだが。
 借りる物件は、すっかり時流から外れてしまった老化狸なので、おとつい記した物件以外に、先だって地上波放送されたのを録り逃したルー・ダイアモンド・フィリップスの近作『レッド・ウォーター/サメ地獄』(2003)やら、ご贔屓ヴァル・キルマーの『ゴッド・ランド』(2008)やら、何を今さらの『キングコング』三点セット――元祖(1933)、ギラーミン監督版(1976)、ジャクソン監督版(2005)――やら、近頃話題の新作などは、ほとんど含まれない。だって半額じゃないんだもん。東宝SF円谷特撮の総決算とも言うべき『緯度0大作戦』も、また借りてしまった。

 とりあえずルー・ダイアモンド・フィリップス、思いのほか老化に歯止めがかかっており、映画自体もまあそこそこのB級アクションに仕上がっていたので、ちょっと安心する。彼の独特の精悍なシワシワお猿顔(あくまで褒めている。母方からフィリピン、日本、中国、スペインの血を受け継ぎ、父方からはアイルランド、ハワイ、チェロキーの血を受け継いでいるのだそうだ)には、『ラ・バンバ』(1987)で夭折したロックスター、リッチー・ヴァレンスを演じた頃から大いに愛着があり、その後『ヤングガン』『ヤングガン2』あたりで大活躍、順調に若手としてのキャリアをのばして行く様はとても嬉しかったのだが、その後、なんじゃやら急速に人のいいおっちゃん顔にシフトして、そのためかBからZまで仕事をまったく選ばなくなってしまい、特に1990年代後半は、細々とビデオ化される未公開作品群をチェックするたび、思わずもらい泣きしていたものである。特に『ルート666』(2001)などという、しょーもねー超低予算学芸会風Z級ゾンビ映画で、おそらく食っていくだけのために、しかし自分の演技はきっちり勤めている姿を観たときなどは、このままルー・ダイアモンド・フィリップスのおっちゃんをつれて富士の樹海に旅立ちたくなったほどである。しかし――人間、諦めてはいけない。とゆーか、本当に役を選んでいないだけだったのですね。実はその間もブロードウェイの舞台『王様と私』でトニー賞にノミネートされたり、A級映画の脇をしっかり勤めたりしていたのであった。で、『レッド・ウォーター/サメ地獄』あたりでは――おう、けっこう精悍な個性派中年に出来上がっているではないか。このままなんとか頑張って、個性派老優まで育ってほしいものである。
 なんだかルー君の話だけで徹夜してしまいそうな精神状態になってきた。一度ホレた役者さんには、とことん執着してしまう狸なのだなあ。このままヴァル君の話まで続けてしまうと明日は地獄を見そうなので、後日に持ち越し。

 しかし、こうしてビンボにもかかわらず旧作映画三昧の夜を重ねていると、ふと思い出すのは、中高生だった山形時代、せっせと通ったちっこい名画座、今は無き『宝塚小劇場』の饐えた臭いのする暗闇である。旧作洋画二本立てで200円。封切館でも800円の時代だったが、それにしても安かった。そのぶん極小スクリーンで尻も痛かったが、つらつら鑑みるに、今のシネコンで一番客数の見込めない作品などが回される一番ちっこい部屋、あれに匹敵する広さは充分あったのよなあ。古くて暗めの銀幕とはいえ、どんな大型ハイビジョンテレビよりも大画面だったわけだし。
 現在ひとり穴の中で勝手気ままに好きな映画を視聴しながらも、はっきりと「ああ、あの日に帰りたい」、そう思ってしまう狸なのであった、まる、と。


02月21日 土  違いのわかる狸 でも理屈はわからない

 以前BSで録画した、往年の西部劇『帰らざる河』を再見しようと思ってDVD−Rを探し回ったが、どうしても出てこない。半アルツの頭をカラカラと振ってレバーを回すと、悲しい記憶のガチャポンが転がり出た。あれは、まだディスクに焼いていないのである。電器屋さんに置きっぱなしの壊れたレコーダーのHDDに残っているのである。とゆーことは、またどこかで再放映してくれない限り、永遠にロハでは観られないのである。うるうるうる。
 などとサミしく泣いていると、捨てる神あれば拾う神あり、TUTAYAから半額クーポンのメールが届いた。で、さっそく本日帰途、駅前のTUTAYAに寄ってみると、あるもんですねえ。往年の名画などチョボチョボの棚に、しっかり『帰らざる河』は在庫されておりました。やはりマリリン・モンローのご尊顔や歌声、加えてバストやヒップの威力なのだろうなあ。少なくともプレミンガー監督やロバート・ミッチャムの威力でないことだけは確かだ。
 で、帰宅後、喜々として再生してみると――ありゃ、なんだか画質がおかしいぞ。冒頭のカナディアン・ロッキーの、それだけで恍惚としてしまうような雄大な光景が、なんだかBS放送よりも精彩に欠ける。無論、大昔のテレビ放送やレンタルVHSなどに比べれば驚異の高画質なのだが、色乗りはどう見てもBSより浅い。時々、腑に落ちない荒い画面もあるし、フィルム状態に起因する明暗のムラなども残っているようだ。特典映像のほうでは、テープやレーザーに比べてここまでブラッシュアップしました、などと、わざわざ比較映像を収録したりしているのに。プレーヤーのほうが安すぎるのか――いや、そんなことはないぞ。いっしょに借りてきた『妖星ゴラス』は極めて安定した画質で、むしろ画質をもうちょっと落として欲しいくらい、ミニチュアのアラやピアノ線まで再現されている。やはり元のソースが、製造元で言ってるわりには手抜きとしか思えない。それとも、販売用ならもうちょっとマシとか? でも今どきそんな差別化はかえって面倒だよなあ――等々、ちょっとがっかりで悩んでいると、そう言えば以前録画したのは、BS−Hiのほうだったのを思い出した。きっとハイビジョン仕様のマスターだったのだろう。しかし、あくまで録画したのは狸穴のビンボに合わせたただのコンポジット信号なわけだし、モニターに至っては化石級の球面ブラウン管だ。
 それこそVHS勃興期、あるいは懐かしの8ミリビデオの時代から、常々感じていたのだが――ご家庭の記録再生機材の解像度ナンタラも確かに上がるに越したことはないのだろうけれど、やっぱり大切なのは、大元の誠意ですね。大元で何かが欠けてしまうと、その『何か』はどんな高性能器機をもっても、絶対に再生されない。あたりまえだ。ところが半面、物理的に再生不可能なはずの末端安物器機でもなぜか再生できてしまう、そんな『何か』が、誠意なのです。
 しかし、そんな話とはまったく関係なく――ああ、万が一、狸が木の葉をお札に変える芸を身につけ、豪邸にブルーレイだのハイビジョンだのを揃えられる日が訪れたとしても、『帰らざる河』や『妖星ゴラス』の元フィルムをシネラマ大銀幕で拝める日は、永遠に帰ってこないのだろうなあ。……あ、劇場そのものを建てるくらい、葉っぱ集めてくりゃいいわけだ、うん。


02月18日 水  やっぱシャブでしょう

 中川財務相に関しては、個人的に好きなキャラだったので誠に残念なのだけれど、まあ看板役者が花道で居眠りした段階で、引退は必然なのである。職業的資質の問題だもんなあ、病気や薬の件も含めて。酔っぱらった志ん生師匠が、口座でろれつが回らなくなりそのうち眠ってしまう、観客は酔いつぶれた志ん生を面白がってそのまんま鑑賞――まあ落語家ならば、それはそれで立派な資質なんですけどね。
 そもそも、あの檜舞台であそこまでの体調不良なら、事前に同行のお役人たちからチェックが入ってしかるべきで、それがなかったこと自体、周囲のお役人たちに、すでに見放されてしまっているのではないか。誰かアンフェタミンでも打ってあげられなかったものか。シャブだって医者が打てば立派な薬だ。違法でもなんでもない。ああいった外交上の重要な局面で、要人に医者くらいひっついていないでどうする、と思うのだが。いつなんどき脳の血管がプッツンするかわからない大酒飲みなのだから。
 かく言う狸自身、近頃シャブが欲しくてしかたがない。打鍵において脳内麻薬を噴出させる暇がないからだ。脳内のイマージュが、なかなか望ましいテキスト情報に変換されないときでも、眠らず食わず24時間も打鍵し続ければ、それはもう噴水の如く脳内にアッパー系のナニが吹き出し言霊の虹がかかるのは、過去の経験上悟っているのだが、現在、たとえ休日でもそれを実行してしまうと、休み明けに失職することになるのは避けられないだろう。狸は中川さん同様、すでにずっぷしの中年なのである。二十代の頃のような無茶はきかない。
 考えてみればシャブなどというものは、戦前戦中とお国のための増産現場や戦闘機乗りの間で使われまくったわけだし、戦後しばらくは大衆薬として、疲弊荒廃したこの国の復興に、物理的にも精神的にも、たいへん貢献したわけである。飲んだり打ったりしたのは大半市井の人だが、廃人になったり無差別殺人通り魔になったりした例は、当時ほとんど聞かない。使用目的が正しければ、つまり志さえ保っていれば、シャブで人間を辞める者などほとんどいないのである。まあ多少の幻聴や幻覚などは、「必要がないときは摂取しない」、その使用法を守りさえすれば、さしたる実害はないのである。いや、マジで。角川春樹さんだって、ムショでシャブっけ抜いたら、依然同様ピンシャン仕事しているではないか。酒飲みの休肝日と同じ事だ。アル中でない大酒飲みだって、この世にはなんぼでも存在するのである。
 と、ゆーわけで、100円ショップの栄養ドリンクに、誰かアンフェタミン混ぜてくれませんかねえ。あんなものは、処方薬あるいはヤーさん専売品だから高価なだけで、製造コストなど微々たるもののはずだ。
 ……すみません。なんだかちょっとハイになってますね。昨日もあんまり寝てないもんで。こーゆー垂れ流しの打鍵なら、ちょっと睡眠をセーブすれば、なんぼでも可能なんだがなあ。ぶつぶつぶつ。


02月15日 日  雑想

 猫見徘徊二日目、例の緑地公園に出陣。しかし、やはり土日祝日はどうしても猫が足りない。人出が多く、そのぶん犬出も多く、ふだん猫おばさんたちの努力でけっこう警戒心の薄れた野良猫たちも、どこかに隠れてしまうのである。片目の安否も本日は確認できず。といって、もう平日に怪しく徘徊できる身分ではないのよなあ。いっそ河川敷の青いビニールハウスに住んだほうが、野良づきあいを深められるのだろうが。ついでに上野公園まで出てみたが、飼い人間や野良人間ばかりで、やっぱり猫不足。

 帰途、地元駅前で、いきなり「『もとやおや』ってどこだかわかります?」と、おばさんに道を訊かれる。たまたまそのスナックの場所は知っていたので教えてあげたが、ふつう、出会い頭の通行人に訊いてわかる場所じゃないよなあ。狸にしても、そのスナックに入ったことがあるわけではない。もとが八百屋であり、最寄り駅が本八幡だから『もとやおや』、そんな安直なネーミングセンスから記憶していただけである。記憶にとどまるという意味では、堅実な店名なのだろうけれど。
 そういえば群馬の高崎に住んでいた頃、『きちがい部落』などというとんでもねー店名のスナックがあった。あっち方向やそっち方向から怒鳴りこんできそうなネーミングだが、過去に同じタイトルの書物や映画があるので、一般名詞と主張できるのだそうだ。しかし、電話帳にも堂々と『きちがい部落』だもんなあ。いい度胸をしている。

 夜、半額キャンペーンで借りた『クローバーフィールド』を観る。五十嵐氏が純愛映画だと評していたので観てみたわけだが、なるほど、グロで元気なCG怪獣HAKAISYA君は、あくまで主人公カップルの純愛の引き立て役でしかないのであった。その志は正しく、あの全編ブレブレの素人ビデオ趣向さえなかったらB級モンスター映画史上に燦然と光を放ったように思うのだが、いかんせん、かつて商売上、ご家庭ビデオ映像の目眩に耐えながらお世辞を言いまくっていた狸としては、久しぶりに「お願いですからいっしょに売ったシネ三脚も使ってくださいね」と、満面の笑顔で内心泣きながら懇願したくなってしまった。すみません。マジに乗り物酔いと同じムカムカを催してしまうのです。映っているお宅のお子さんたちは、とっても狸好みでかわいいんですけどね。


02月14日 土  春の休日

 冬という季節が四季の中では最も好ましい狸なので、昨日のようにヤケクソの春一番に吹かれてしまうと、おまいらもーちょっと控えめに慎ましやかに春できんか、などとぼやいてしまったりもする。夜遅く帰って洗濯した仕事用の上着(色々な薬液で、けっこう汚れる)が、目の前で夜空に飛んで行ったりするのである。まあ無事に回収できたから、いいんですけどね。
 しかし本日は休みだから、春、歓迎。中二日仕事しただけなので疲労もあまり溜まっておらず、珍しく正午頃に目覚めて近所の団地群の間を徘徊していると、アスファルトの私道のど真ん中に、たまに見かける老猫が、どーんと丸くなっていたりする。良く肥えた薄茶の縞猫で気立ても温順、喉元をくすぐろうが耳をつまもうが、「まあ私ゃ人生なんてこんなもんだと思っておりますからお好きにいじってくださいね」とでも言いたげに、薄目を開けるばかりである。単にボケてしまっているだけかもしれないが。
 さらに歩を進めると、二人のちみっこが、せっせと路面に白いチョーク(?)でお絵描きをしている。私道と言っても世間の車道なみの体裁なので、そこに力いっぱい大作を描いているのを見ると、なんじゃやら三丁目の夕日の世界に戻ったような郷愁を覚える。車が通らない、ただそれだけで、味気ないアスファルト道路も、ただ二次元上を額に青筋立ててA地点からB地点まで高速移動するためだけのものではなく、時を離れた夢っぽいところになんぼでも続いてしまうのである。山形市をご存知ない方々にはピンとこないだろうが、たとえばあの現在立派なハイウェイの一部と見紛う城南陸橋。あそこを幼時の狸仲間は右から左へ追い駆けっこしたり、冬にはちっこい橇で滑り降りながら通学していたのである。幹線道路にガードレールすら必要なかった、昔の田舎の話だ。

 あちこち徘徊しまくって夕方帰宅、それから写真台紙にプリント貼り貼り。姪の成人式の写真、ようやく使えそうな仕上がりになった。狸穴のスキャナーとプリンターを使えば色合わせは簡単だし、双方二束三文のわりには画質も悪くないのだが、なにせ安物の染料系プリンターなので長期保存ができない。写真館でも今どきプリントそのものはデジタル処理なのだから、その元となった推定6×7フィルムのスキャンデータを直接いじくれれば、職場のフロンティアで一発なんだがなあ。まあ写真館でも、飯の種のネガや元データを手放すわけにはいかないのは当然なのだけれど。

 のんびり入浴後、『ゆうねこ』をいじりまわす。前回更新分に続く10枚ちょっと、何気ない会話や動作が主体の、文学的でも思索的でもまったくないたった1シーン、これを納得のいく形にするのに、今の環境ではひと月かかってしまう。読む立場から見ればただのシナリオの一部でしかないであろう、せいぜい2〜3分の読み流し部分、そうしたパートが狸にはいちばん手強い。すべての役者は狸の脳内にしかおらず、しかも狸本人ではないし、ストーリーの傀儡でもない。これ見よがしにブンガクできるような主観的部分や、波瀾万丈エンタメ部分のほうが、まだ進めやすいのである。


02月09日 月  壁一枚の向こう側

 狸穴の隣の穴に住んでいる老人については、すでに何度も記した。どこかの部屋で夜中に水音をたてれば怒鳴り込み、近所の犬がうるさいと言っては窓から怒鳴る、神経質で難儀な爺いである。猫嫌いらしく、勝手に門の横に水の入ったペットボトルを並べたりもする。
 その隣人が、なんだかよくわからない状況にあるようだ。一週間ほど前の帰宅時、隣のドアに『●●さん、帰られましたら管理人にご一報ください』などという貼り紙があるのに気づき、そのときは預かり物でもあるのかと思っただけだったが、その貼り紙は、翌日もそのまんま貼られていた。狸の知る限り、かつて盆暮れにも外泊などしたことのない孤独な隣人なので、ありゃ、まさかマジに孤独死してしまったのではあるまいな、この季節だからすぐには傷まないと思うが、などと冗談半分に思っていたら、昨日、いきなり隣からごごごごごとエラい音が響きだした。覗いてみればリフォーム工事中なのである。台所の床を、そっくり張り直している。例の貼り紙は翌々日に剥がしてあったから、管理人さんのほうでは事情を把握しているのだろうが、なんだかわざわざ訊きに行くのもはばかられる。急に引っ越した、あるいは夜逃げした? しかし、集合ポストの名札は残っているし、ベランダを覗いてみると、以前のまんま爺さんの靴が陰干ししてある。
 ともあれ、現在隣室が無人であるのは確かである。その証拠に、夜半過ぎに入浴しても、爺さんは怒鳴り込んでこない。冬場はやっぱり就寝直前に入浴して、あったまったまんま蒲団に潜りこみたいものだから、これはこれでとてもめでたいわけだが――いったい今どうしてるんでしょうね、あの大都会の寂しい独居老人は。病気あるいは事故で一時入院している、そう考えるのが妥当だろうが、わざわざ部屋をリフォームするってのもなあ。
 まあ、なんであれ同じ孤独死候補の狸としては、他人事ではないのも確かである。

 BSの手塚治虫氏の特集を観ながら、あらためてあのとんでもねー存在を、驚異をもって回顧する。実際、氏の登場から現在に至るまで、巷に溢れるストーリー漫画の8割方は、「ああ、手塚さんがそんな話を描いてましたね」、そのひと言で済んでしまうのである。いや、ストーリー漫画に限らない。ロリだろうがショタだろうが萌えだろうがズブドロの鬼畜だろうが、その根源的な部分は、あの膨大な手塚作品群のどこかで、とっくに表現済みなのである。うーむ、困ったものだ。漫画界で真にオリジナルを目ざそうと思ったら、やはりギャグ漫画しかないのではないか。このところマンネリ気味とはいえ、ギャグ系なら赤塚先生以降も、何度か飛躍的な進化を遂げておりますからね。


02月06日 金  永遠の夜に抱かれたい

 一昨日、ドンキで最安値のDVDプレーヤーを買った。3980円。中国製の見るからにヤワい外観だが、輸入元で1年保証、さらにドンキで2年目も保証するというから、自信作なのだろう。実際、再生画質もしっかりしている。これでレンタルDVDや、これまで録画したDVD−Rの視聴はバッチリ――と言いたいところだが、あにはからんや、まだファイナライズしていない多数の録画物件が再生できない。さっそくググりまくって種々のDVD関係フリーソフトをダウンロードしまくり、模索を繰り返す。まあパソのほうで動画を抽出するのはしごく簡単なのだが、DVDプレーヤーで再生できる形にするのは、なんじゃやら録画機のわけのわからんデータ仕分けが絡んで、頭がウニ。やはり当時のパナソニックの録画機は、必ずしも世間様の常識どうりには記録していないようだ。間違いなく一番組まとめて予約録画した物件なのに、データの定量分割のみならずタイトルデータまでふたつに別れてるってどーゆーことよ。そんな仕組みは聞いたこともないぞ。
 などとDVDの山を前にウニりつつ、姪の成人式の写真4枚も、シワ消去は今どきフォトショで一瞬だが、顔のテカリをとるのがなかなか難儀。コントラストを落とせば済むといった単純な話ではない。肌の色がちょっとでも残っていれば楽勝だが、白トビしてしまっている部分は、なんぼ暗くしてもグレーにしかならないのである。でもまあそのあたりは、かつて鍛えたアイコラ技術の応用で(おい)、手間さえかければなんとかなる。モノクロ化してからコントラストをいじって彩着色し、元の肌色と馴染ませる、単純に言えばそんな感じですね。この手を巧く使うと、無地の水着ならたいがい脱がせられ――おいおいおい。
 で、そんなウニ物件の合間に、『ゆうねこ』もジワジワと進行させねばならない。たとえ全世界にふたりの読者しか残っていなかろうと、かつての放置物件と違って、肝腎の優子ちゃんやタカやクーニがあまりに元気なのである。それはもー仕事先まで乱入して狸の脳内を支配するくらい、お茶の子の元気さなのである。

 ちなみに狸は幸い契約切りにもあわず、きちんと昼間はあいかわらず働いております。よって当然、今週は1日あたり最長でも3時間くらいしか寝てません。おいおいおいおい。
 明日も仕事なのだが、できうればこのまま未来永劫朝の来ない、夜の世界に沈潜したいものである。……でも眠い。


02月03日 火  鬼は外、福は内

「やっほー! まーだだよー!」
「んむ。今夜の狸は、どーしても帰りが遅くなるだろー。鬼に化けて、あっちこっちの家を回っているのだな。豆をまかれて逃げるふりをしながら、こぼれた豆をこっそり拾って食う。豆とゆー奴は、とても栄養がある。植物蛋白やらビタミンやら、てんこもりだからな。これで今夜の晩飯が、ロハになるとゆー寸法だ」
「……狸さん、かわいそう」
「ん? 優子、何がかわいそうなんだ? 豆はとってもんまいぞ。ぽりぽりぽり。ほら、俺もさっき、鬼のお面をかぶって近所を一回りして、こーんなにいっぱい拾ってきた。よっくと洗って炒め直したから、ちっとも汚くないぞ。ほらほら、おまいらも、腹いっぱい食うといい。遠慮するな。ぽりぽりぽり」
「ぽりぽり。――おう、こりは、なかなか」
「……ぽり、ぽりぽり、ぽりぽりぽりぽり」
「優子ちゃん、ほんとキャラ変わったねえ。ぽりぽり」
「んむ。よく寝たあとで、しこたま食う。これで優子も、これからはりっぱに育ってゆくだろー。ぽりぽり」
「ぽりぽり……ぽ」


02月01日 日  まだ

「やっほー! まーだだよー!」
「んむ。これは、まだだな」
「……ごめんね、ごめんね」