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04月27日 火  目糞、鼻糞を罵る

 児童虐待がハヤっているのでアタシもやってもみようと思ったのかどうか定かではないが、19歳の母親が2歳の子供を熱湯につけて遊んだそうだ。しかし計算してみれば、産んだのは17歳。昔の17歳と違って今の17歳といえば、環境に恵まれず自前の認識力も弱い個体だと、まだ子供なみの世間知しかないはずだから、要は子供が子供を産んで育てていたのであって、これはあきらかに当人が異常というより、社会環境の寸足らずぶりが問題の主軸なのである。先だっての児童死体遺棄事件と同じ次元では論じられない。その場しのぎの嘘を言いつつも、あわてて病院に運んだところなど、子供としてはまだ救いがある。
 ところが、この件を報じる記事に寄せられた一般の皆さん(正確に言えば一般なのかどうかもわからない仮面の皆様)のコメントや、関連付けされたブログ等を覗くと、やれ「同じように熱湯につけてやれ」とか、果ては「死刑にしろ」だとか、これまた子供の落書きと同じレベルの反応がてんこもりなわけである。てめえら一般市民(しつこいようだが、正確に言えば一般人なのかどうかもわからない、顔を隠してしかモノを言えない方々)が寸足らずだからこそこんな事件が起こってしまうのだということを、ちっとも自覚していないらしい。困ったものである。

 舞鶴高1女子殺害事件は、先だっての毒入りカレー事件とまったく同じような経緯をたどっているようだ。情況証拠オンリーで早々と起訴である。この事件は被害者がひとりだけだから、昭和中期あたりまでならいざ知らず、今どき何年かかっても最高裁で無罪判決が出るのがオチだろう。怪しいなら怪しいで、起訴する前にもっとやることがあるのではないか。
 そもそも容疑のひとつである『強制猥褻致死』など、確実なのは被害者が着衣を除かれていたという『状況』のみで、加害者の毛髪・体液など残留物は何一つ発見されていない。これは『情況証拠すら存在しない』ということだ。「ええい、これ以上捜査しても、何も見つける自信がない。面倒だから起訴してしまえ」と言っているのと同じである。あなたがた、本当に自分の仕事に責任持ってますか。

 まあ、救いになる話もある。ここでも何度か詳しく取り上げた、刑事事件としてはすでに時効となってしまった、ある殺人事件の民事判決だ。
 
1978年に殺害された東京都足立区立小学校教諭石川千佳子さん=当時(29)=の弟2人が、公訴時効成立後に自首した元同校警備員の男(73)に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は28日、「被害者の死亡を隠し続けた加害者が賠償義務を免れれば、著しく正義に反する」として、20年で請求権が消滅する民法の除斥期間を適用せず、被告側上告を棄却した。男に約4200万円の賠償を命じた二審東京高裁判決が確定した。
 除斥期間の適用除外を最高裁が認めたのは、98年の「予防接種禍訴訟」判決以来で、2例目。
 遺体を自宅の床下に26年間埋めたまま、被害者の死亡を隠し続けた行為に対し、除斥期間を適用すべきかどうかが争点となった。同小法廷は「被害者の死亡を相続人が知り得ない状況を、加害者があえて作り出して20年が経過した場合に、相続人が一切の権利を行使できなければ、正義、公平の理念に反する」との判断を示した。――4月28日15時10分配信 時事通信――

 この加害者が、どれほど姑息に自分の老後の安泰を画策してから自首したかは、以前にも記した。
 民事の判決など、私財に対する強制執行以上の実力行使手段はなく、そうなっても加害者の人権や最低限の生活レベルはきっちり保たれる。しかしまあ、そこそこ蓄財のある安楽な余生を画策していた糞野郎が、死ぬまで貧乏人に堕ちると思えば、たとえ僅かでも千佳子さんやご遺族の無念が晴れようというものだ。

 ちなみに、今日のタイトルの『目糞』には、当然狸自身も含まれております。すみませんすみません。


04月27日 月  狸地獄狸閻魔

 ほうほう、内縁の妻の連れ子をベランダに軟禁し食事も与えず衰弱死したら、『しつけの範囲内』であるのがバレるのを恐れてこっそり山に埋めますか。非人間性というか寸足らず度において、その男は、かつての女子高生コンクリート事件の主犯格少年に勝るとも劣るものではない。
 馬鹿や寸足らずの特徴のひとつとして、『著しい往生際の悪さ』が挙げられるわけだが、たぶんそれは己がまともに往生できずに地獄行きになることを、しっかり自覚しているからなのだろう。ならばさっさと地獄に堕ちてもらって、早めに悔い改めてもらうのが吉。もー先例がどうであろうと殺意がどうであろうと、狸法廷は死刑を宣告します。 
 狸は基本的に臆病で、ちょっと驚くと狸寝入りに逃避するようなヘタレ小動物ですが、肉も食べるし中にはババ汁作ったりするワルもいるくらいなので、いざとなったら寸足らずの喉笛くらいは噛みちぎってやれるのではないか。
 ああ、その寸足らずの全身を赤ムケになるまでちまちまちまちま噛みちぎり、唐辛子を塗りたくって人間キムチにしてやりたい。で、ひと晩くらいのたうちまわって悶死してゆく様を、狸仲間といっしょに見物するのである。死んだらもちろんおいしくいただく――と言いたいところだが、そんな奴の肉など不味くて食えるものか。放置。蛆に食ってもらって元気な蠅に育ってもらえば功徳。


04月26日 日  地上より永遠に

 もう2年も前の6月の雑想に、以下のような記述をした。

 
ところで、その番組を観ながら、99円ショップで買ったシスコのココナツサブレをポリポリと囓っていたのだけれど、これがまたエラく美味い。狸の幼少時から『ちょっと贅沢系のおやつ』として有名だったが、あの頃より数段洗練された味になり、しかも一枚当たりに換算したら駄菓子以下の価格になっている。「♪シスコ〜 ココナツサブレ〜 アロハ〜♪」――当時ひっきりなしにTVで流れていた、そんなCMソングの歌詞とメロディーをご記憶の方ならお解りだろうが、当時は「ココナツ」も「アロハ」も、見果てぬ南国への夢のキーワードだったんだよなあ。『フラガール』のスパリゾートハワイアンズが、まだ農協御一行様御用達的キワモノ大浴場施設『常磐ハワイアンセンター』だった頃の話である。それとて山形の一地方公務員の家庭では子供がせがんでも連れて行ってもらえず、代わりにご近所の『山交ランド』のほんのちょっぴりトロピカルっぽく設えられたプールでがまんして、それでも内心「おう、アロハ! アロハ〜」などと喜んでいた頃の話である。

 ところが本日、徒然なるままに故郷関係のHPをさまよっているうち、その記述にある『山交ランド』はまったくの勘違いで、実は『山形ハワイドリームランド』という、ほとんど幻のとんでもねー物件であったことが判明した。小学生の狸が「おう、アロハ! アロハ〜」と浮かれて腹鼓を打ったのは、確かにこの、今となっては跡形もない、山形人の記憶にすら僅かな痕跡しか留めていない、不思議の国のハワイっぽい建造物だったのである。爺いの記憶など、まったくあてにならないという好例ですね。
 しかし、お若い方にはぜひ上記リンクをつっついて、高度成長末期の、この国のイケイケぶりをご堪能いただきたい。わずか5年で瓦解するほど無計画な夢の砦が、もー日本全国あっちこっちに存在していたのである。なんじゃやら激しい無常観にとらわれてしまいそうなので、狸はこれより山下達郎さんの『メリー・ゴー・ラウンド』に逃避します。ありゃ、埋め込み無効なので、これもYouTubeにリンクのみ。

 数十年の時を経て、幻の遊園地で初めて結ばれる、幼い少年少女の想い――そんな幻想的短編のアウトラインが、思わず脳内に成立してしまったり。


04月25日 土  トイレ奇譚

 母親の介護に疲れた清水由貴子さんの自死(親子心中を図って自分だけ逝ってしまったらしい)に関して、記したいことは山ほどある。しかしキリがないのでひとことだけ言わせてもらえば、やはり真面目すぎたのだ。狸などは不人情だから、昔なんども母親を道端に捨てて自分だけ逃げ帰ろうと思ったことがあるが、いっしょに死のうなどと思ったことは一度もない――あ、すみません、実はいっとき思ったこともあったのだ。まあ、ともあれ結局今はグループホームまかせである。
 大阪の児童死体遺棄事件の続報、見聞きするほどにもうハラワタが沸騰して口からゲロゲロでてきそうでそれでも殺意がなければ畜生にも劣るそのクソ男もたいした罰は受けずにムショでお遊びのような懲役こなしてタダ飯食って出てくるはずでありまたなにがあったか知らないが我が子の死体の始末を手伝った実の母親もどうせ執行猶予なのを考えるとこうしてキーを打っていてもこめかみの血管がピクピクピクピク痙攣してブチ切れそうなのでいったんここで風呂に入ることにする。

 で、トイレの話である。
 幸いなことに契約切りにもあわず、不幸な低賃金ながら、狸は毎日同じ職場にかよっている。
 会社には、女性がわずか3名しかいない。事務系の正社員さんで、狸ら職工とはほとんど関わりがない。
 ちなみに狸らの立場は、格好つけて「なんとかかんとかオペレーターでーす。クリエイティブなビジュアル関係のお仕事でーす」などと外で言いふらしても詐欺にはならないが、社内的には、早い話が臨時雇いの職工である。けして卑下するわけではない。漫画のアシさんや末端アニメーターさんたちなども、今どきみんな臨時雇いの職工だ。
 閑話休題。
 で、その女性社員さんたちの中に、中年ながら婀娜っぽいワケアリの未亡人などが含まれていれば、狸の世代が休憩時間あたりに思いきって接近しても無下に鉄砲で撃たれるようなことはなかろうが、皆さん20代前半なので、やはり気楽に接近する職工は屈託のない若者に限られ、狸ら世代は、彼ら彼女らのきゃぴきゃぴ会話を、ある種の苦い、しかし甘酸っぱい胸の疼きとともに、横から聞いているだけである。

 さて、トイレの話である。
 女子トイレのいちばん奥の個室に、定住者がいるのだそうだ。
 それが見えるのは女子社員のうちのひとり、自称『見えるヒト』だけなのだけれど、彼女は娘たちの実質リーダー格で仕事もよくこなすから、たしなめたりする上司はいない。そうした話題をふりまいても、きちんとTPOに即した節度があれば、かえって味気ない職場の潤滑油にもなるのですね。
 狸は未熟者なので女子トイレというものを一度も実見したことはないが、要は男子トイレで昼休憩時など奪い合いになりがちなたったふたつの個室、あれが贅沢に数室並んでいるのだろう。女子社員の多い職場ならば、数室あっても奪い合いになりそうだが、先に述べたようにそのフロアではたった3人が利用するのみだから、ほぼ常時、とても寂しい場所であると思われる。
 それが気に入ったのか、あるいはビルの立地に関わる因縁なのか定かではないが、いつからかそこに小学生くらいの女の子が住みついてしまった。私服の野暮ったさから推測すると、ワカメちゃん世代にまでは遡らないが、ちょっと昔風の子供だそうだ。その子がいつも奥の個室に座っているので、『見えるヒト』である女性社員は当然その個室を使わない。しかし悪意や敵意はちっとも感じないので、他の個室でオトイレするのは平気とのこと。いっぽう『見えないヒト』なのにそうした話が大好きで、何よりリーダー格を信頼しているため『見えないけどいる確定』となった他の女性社員ふたりは、その個室を使えないのみならず、絶対にひとりではオトイレできない状態だそうである。
 そんな面白い話を、かよって1年以上になるのに今まで狸が聞けなかったのは、当然狸がオスであり、またその少女の存在が今さら話題に上らないほど会社の常識(?)となっていたからのようだが、今回それが聞けたのは、先日、ある来訪者があったからである。
 どこか別の会社から、なんらかの社用で訪れたその女性は、年の頃なら30前後、いかにもキャリア・ウーマンっぽかったそうだ。で、この人、当社の地味な事務服のお嬢様方を、いかにも目下っぽく、ぞんざいに扱ってしまったらしい。いわゆるタカビーだったのですね。
 そのタカビーさんが帰り際にオトイレを所望してきたので、『見えるヒト』ちゃんが案内したわけだが、社外の他人に奥の定住者の件を教えてかえって馬鹿にされてもなんなので、それには触れずに案内した。まあ内心では、いけすかないオババがどんな目にあおうと知ったこっちゃない、そんなところだろう。しかしさすがにちょっと気になって、間を置いて中を覗いてみたところ、タカビーさんは、しっかり最奥の個室に入ってしまっていた。どうやら他に誰もいない女子トイレでは、そこがいちばん居心地がいいらしい。
「笑っちゃった」と、見えた彼女は、午後の休憩室でけらけら笑う。いつもの場所を奪われてしまった例の女の子が、しかたがないのでドアの外に浮かんで、天井とドアの間からしげしげと中を覗きこみ、なんだかとっても楽しそうに、るんるんとリズムをとって頭をゆすりながら、お客さんの様子を観察していたのである。
 女の子は、その後もちゃんとそこに座っているそうだ。ちょっと昔風の小学生といえば、狸にとってはまさにろりのツボ、ドンピシャである。ふだん『見えない』狸にもそのお姿が拝見できるかどうか、ぜひいっぺん試しに覗きに行きたいものだが、万一その場を発見されてしまったらどうなるか。いきなり狸汁はないまでも、確実に職は失うだろう。ろりの幽霊か、生活の糧か――なかなかに難しい選択ではありませんか。
 ちなみに、職場のビルの大トイレはぜんぶ洋式です。ウォシュレットも完備。近頃はデパートやSCの快適なトイレを、雨の日のホームレスさんのみならず、一般市民の方まで携帯タイムに利用したり、飲食物を持ち込んで読書スペースにしたりするそうだから、昔からの便所おばけさんたちは、さぞ困って――いや、喜んでいるのかな。

 職場のトイレに関しては、もうひとつ話がある。こちらは男子トイレでの出来事である。
 2〜3年前、狸と同じように契約で入ったおじさんが、じきに解雇されてしまった。仕事ができないというより、どうも挙動不審というか、早い話ちょっと統合失調の気味があったようだ。そのおじさんが、解雇後もしょっちゅう出社してくる。たいがい勤務前に見つかって追い返されるが、ときには隙を見て作業着に着替え、現場まで入ってくることもあったらしい。ここまでは、狸がかようようになる前の話。
 さて、何年か見かけなかったそのおじさんが、先月、ある日の午後に出現し、すぐに見つかって男子トイレに逃げこみ、そのままたてこもってしまった。警官が呼ばれてほどなく保護したが、最後まで「お願いですから働かせてください」と、繰り返し哀願していたそうだ。そのとき、フロアの違う現場の狸らは、そんな出来事が進行中とはまったく気づかずに、黙々と働いていた。会社でもそんな後味の悪い話は公表しない。後日他のベテランの契約さんが正社員さんから聞きこんで教えてくれたのだが、むしろ公表したほうが、現在就業中の契約社員は、低賃金でも文句を言わずにせっせと働き続けるのではないか。なにせ後がない。正気でも日雇いくらいしかないのである。

 そんな男子トイレでの哀しいドタバタの最中も、通路の向かいの女子トイレでは、例の女の子が永遠のお昼休みをのんびり満喫していたのかと思うと、いつしかこめかみの血管も落ち着き、ああ、なんかもうどーでもいいや、そんな心地よい脱力感に身をゆだね、思わず長風呂につかってしまう今日この頃。いつかこれらの職場トイレネタを使って、奇妙な味の短編にまとめてみたい気もする。


04月23日 木  草g君はじける

 わははははは。狸はこーゆー人が大好きです。へべれけに酔って夜の公園ですっぽんぽん。そこまで正気を失っても、虚飾を脱ぎ捨てひとりで裸踊り(?)するだけで日頃の鬱屈を発散できてしまう人柄というのは、むしろ深い人間性を感じさせてくれる。今どき貴重な人材ではないですか。評判どおりの善人なんだろうなあ。
 警察が彼の自宅を家宅捜索して、露出狂嗜好に関わる物件等を探したけれど何も出てこなかったという話には、腹を抱えてしまった。当然ヤクを探したのだろうなあ。そもそも通常、泥酔してすっぽんぽんになったくらいで、いきなり逮捕はない。多少手荒く保護されて、トラ箱にひと晩ほうりこまれ、説諭くらうくらいが関の山だ。現場に駆けつけた警官さんたちは、てっきりシャブきめてると思いこんでしまったのだろう。しかし草g君は、大麻もシャブもいらない人だったらしい。
 テレビ・映画・CM関係者の方々には、くれぐれも過剰反応を控えていただきたいものである。てめーらが銀座や赤坂でふんぞりかえって飲んでる有様よりは、よっぽど絵になるっつーの。


04月22日 水  霞状権力

 例の毒物入りカレー事件、最高裁は林被告の上告を棄却、つまり死刑判決確定だそうだ。なんのことはない、「あいつはなんか怪しいから念のため殺してしまおう」、そう言っているのである。しかし、仮に被害者がひとりであれば、「あいつは怪しいだけだから今んとこ無罪」となっていただろう。事件自体の悪質さや世間の注目度と、「あいつが怪しい」は、なんの関係もないんですけどね。

 この国の司法は、官僚主義的な調和整合ばかりに囚われて、本来『法』の根幹となるべき知性がない。十年一日のごとく、社会的面子という調和整合のための、冤罪事件をふりまいている。今回の判決が冤罪であるかどうか、それは無論、林被告自身ならぬ狸には断言する術もないのだけれど、ただ「冤罪ではない」と言いきるだけの、つまり「殺してしまおう」と叫ぶだけの確信は、状況証拠だけではどうしたって抱けない。無論それだけで、「まだ殺すべきではない」と言いきることはできる。絶対に、まだ殺すべきではない。

 人倫は常に知性の上に築かれる。だからこそ、知性に欠ける司直のもとで、昨今のこの国の人倫は、全き整合などありうるべくもない人間社会の調和を徒に希求して疲弊混迷し、しまいにゃ精神が崩壊して、次々と、とんでもねーありえねー社会的行為を現出させてしまうのだ。
 中世の魔女裁判なども、まさに整合を求めて知性を閑却した結果である。オウムのサリン撒きと大差ない。今回の最高裁判決も、社会現象としては魔女裁判同様、オウムのサリン撒きと同じ次元の、欲求と現実の混同にすぎない。
 問題は、狸自身が、そのオウム同様の日本の司直のもとに生きていることだ。狸としては殺すだけの確信を持てない人間が、司直に吊されるのを阻止する術がない。どこで何を言っても暖簾に腕押し、ただ言論の自由というお題目において放置されるだけである。仮に裁判員としてその審議に参加できたとしても、どのみち最終判決にはタッチできないのだから、実質ほとんど意味がない。具体的な攻撃目標は、官僚主義の中で霞のように拡散してしまっている。裁判長を襲撃したところでなんの意味もない。

 戦時中、政府や皇室関係者による東條英機暗殺計画があったそうだ。現在、それを断行できるクラスの知者は司直内部にもいてくれるはずなのだが、肝腎の効果的な暗殺目標が特定できないのではお手上げだ。
 戦前戦中に、戦争反対を唱えて弾圧・投獄された市民の方々が、いっそ羨ましく思える今日この頃。


04月19日 日  ざっぱ汁うまうま

 ようやく喉も耳も全快したようで、心おきなく晴天の徘徊。隣駅まで歩き、いつもの古道具屋兼古本屋を何も買わずにじっくり覗いたあと、真間の手児奈霊堂から弘法寺、木内ギャラリーにお邪魔してから里見公園で猫見。8キロほども歩いたろうか、力尽きて帰りは京成線に乗る。金がないので途中では缶コーヒーを一本と公園の水を補給したのみ。
 高台にある弘法寺の境内のはずれから眼下の市街を見下ろし芒洋と煙草などふかしていると、空腹のためもあってか頭がすっからかんになり、ただ生きていることが無性に心地よくなる。なにはともあれまだ死んではいないのだから、そのうちお迎えが来るまでは、無責任に余裕こいてりゃいいのである。本来ガイアにおけるイキモノなどというものは、栄養学的にも精神的にも自転車操業でその日その日を送るのがデフォルト仕様なのであって、将来の保障だの明るい未来だの進歩発展だの、妙な欲を抱けばこそ肥え衰えてしまうのだ。願わくば丘の上にて春死なむ頭の上を雲がふわふわ。
 などと言いつつでもやっぱり腹は減るので、下車ついでにいつもは買い物しないリブレ京成を覗いてみると、おお、これは盲点だった。鮮魚コーナーの隅っこというかほとんど裏側で、こっそり魚のアラを商っている。キンメの頭やらアトランティックサーモンの切れっ端やらミナミマグロの残骸やら、どれも中くらいのパックにてんこもりで200円均一だ。悩乱の末に、ブリのアラを購う。でね、でね、大根が半分で98円でしょ、人参も1本98円。お味噌は狸穴にあるもんね。うわあ、400円弱でおいしいブリのアラ汁が2日は食えちゃうるんるんるん。
 ……こんな脳味噌だからいわゆる負け組に堕ちるのだとは思いつつ、しかしあらゆるイキモノは、この世でもっとも不幸な個体であると同時に、もっとも幸福な個体でもあるのだ。上だの下だの言ってるうちはしょせん餓鬼道、お空の雲さんに笑われちゃうぞっ。


04月17日 金  狸心の歌

 思えば以前にも似たような経験をしたのだが、本日も仕事中、睡魔に負けがちな昼下がり、眠った自覚はまったくないのにいきなり夢の世界からふっと現実社会に帰還して、一瞬、自分の現況を把握するのに往生してしまった。それまでいた世界では、自分はまだ小学校高学年の子供であり、嘘のようだがリアル三浦優子ちゃん――たかちゃんシリーズの中のゆうこちゃんではなく、そのモデルとなったモノホンの超美形女子児童――と、なんじゃやらありえないほど親密に、純朴な三丁目の夕日的学校生活を営んでいたはずなのである。それが、いきなりフィルムがガンガン流れるプリンターの前に座っており、流しているのは当然小学生の自分ではなく肥え衰えた(『肥え衰えた』という表現はたった今浮かんだ言霊なのだが、先進国の現代語としてやけに適確だと思うがどうか)狸である。このときの当惑と悲痛は、百万言を費やしても余人に伝えるのは不可能と思われる。それはもうそのまま働く手を止めて悄然とうなだれたまま終業時刻までぽたりぽたりと落涙し続けていても不思議ではないほどの胸の痛みなのである。 ♪ どうせ私をだますなら〜〜だましつづけて欲しかった〜〜 ♪

               


04月14日 火  我が身かわいやほーやれほ

 北野誠というタレントさんがどんな方かはほとんど知らず、今回のネットでの大騒ぎだけきっちり楽しませていただいている、偽善者の狸です。
 まあバーニングの社長さんがヤクザでホモなどというのは、前者は周知の事実で後者は事実かどうかは不明だが昔から有名な噂だから、今さらそんなネタが社長本人の逆鱗に直接触れたわけでもなかろう。そんな単細胞の馬鹿が牛耳れるほど世の中も芸能界もヤクザ社会も甘いものではない。またタレントさんがらみの創価学会批判云々も、その程度の批判ならとっくに有名どころの司会者さんなどがラジオどころか大手テレビ番組でも堂々と発言しているし、学会自体すでにその程度の悪口など屁でもないほど要塞堅固と化し、会長さんの偶像化も金さんなみに完璧であるところが、むしろオコマリなのである。しつこく仏教を標榜しないで、すなおに『新興池田教で〜す』と自覚してくれれば、まあ信教自体は個人の自由なんですけどね。
 結局、北野誠という方が、その本来のフィールドにおいてあまりにお友達が少なかった、それだけのことなのではないか。よしんば芸能ヤクザ関係の方や学会さんの誰かから多少コワモテの苦情が入ったにしろ、ここまで完璧に箝口令が機能するということは、北野誠さんを我が身同様に尊重してくれる人間がマスコミ関係や芸能界にただのひとりもいなかった、それだけは確かだ。はっきり言ってしまえば、ほとんどの関係者に嫌われていたのである。
 誰だって、嫌いな奴よりは自分がかわいい。かくいう狸だって、我が身と同列にかわいいイキモノは、血縁者なら母と姉だけだし、知人でもふたりくらいしか思い浮かばない。まして嫌いな奴の不幸など、蜜ほど甘くはないまでも、あえて放置するにやぶさかではない。
 しかしまあ、北野誠さんも今回これだけ名が売れたのだから、愛や友情のためでなく金の匂いのために、日和見芸能プロもヤクザも巨大カルト宗教も敵に回してくれる救い主が、あんがい出現するかもしれませんね。


04月13日 月  頭ホカホカ

 結局、中耳炎も扁桃腺炎も自然治癒しそうにないので、土曜の仕事帰りにいつもの耳鼻科医院に行ったのだが、カルテの病名にしっかりと『習慣性』をくっつけていただきました。さすがに季節の変わり目ごとに何年も通っていると、若先生、のどちんこ覗く前から「いつもの右側ですね」などと、もはやツーカー。そうでーす。右のあのあたりが熱く熱く燃えてるんでーす。あんましほっとくと枕が血まみれになったりするんで、速攻、いつものキツいヤクをくださいね。
 で、ヤクさえもらえばこれ以上悪化する心配はないので(あくまで希望的観測)、日曜は久々に緑地公園に猫見を敢行。休日ゆえ例によって人と犬ばかり多く野良猫は不足気味だったが、今回はローソン100でしっかりキャットフードを仕入れて行ったので、かなりいじくれました。でも、片目の茶縞はやっぱり出てこない。最後に見かけたのは、去年の晩夏だったか秋口だったか。やっぱりお亡くなりになってしまったのだろうか。それでなくとも野良の寿命は短いからなあ。
 鶏のササミをまんまの形で加工したキャットフードを、適宜むしって猫たちに配布するうち、いつぞや水芭蕉猫さんの日記や掲示板で、どこそこのペット用ササミが自分で食べてもおいしいと教えてもらったのを思い出し、そうしたブランド品はどうせ高価なのだろうから、今回のローソン100のブツをためしてみる。これがあっさり味で程度に歯応えもあって、なかなかいけるのよ。まあ猫があれだけうまそうに食うのだから、狸にだって不味いはずはない。ただ、ビールや発泡酒のツマミにするには、このままだと薄味すぎますね。ワサビ醤油が合いそう。

 以前にも記した『声の花束』という音訳(朗読とは違うのだそうだが、まあそのようなものである)関係のHPに、狸ご贔屓の音訳ボランティアさん・ガーネット老嬢による、岡本綺堂作品が追加された。今回は、いよいよ『近代異妖篇』――『青蛙堂鬼談』と並ぶ、実話形式怪談文学の白眉とも言うべき作品集――からの作品選択で、それも狸の大々ご贔屓、『木曽の旅人』や『指輪一つ』である。こうした代価をいっさい要求しない珠玉の活動が、まさに代価を要求しないということにおいて、つまり世間に広めても金にならないという一点においてマスメディア上ではちっとも話題にならないことが、資本主義国家の逃れられない『低民度』を象徴していると思うのだが、どうか。

『新耳袋』や『ひぐらし』等の神経症的ホラー物件を、物の道理の未分化な子供に大声で売りさばくのもそれはそれで文化だが、おばあちゃんの炉端話などに含まれる社会的お出汁というか旨味、それがきれいさっぱり抜けているのが気にかかる。
 あのね、鏡に映る自分や潜望鏡ごしの世間ばっかり見てないでふつうに世の中散歩してりゃね、恐怖も愛も友情も、正気のまんまできちんとゴロゴロ転がってるのよ。


04月10日 金  ヲタの極北

 まあここまで来ると筋少のパフォーマンスとは言えなくなってしまうのかもしれない。水木一郎さんや神谷明さんや宮村優子さんが存在しなければ成立しない世界だからだ。でもやっぱり、一見メジャーになったかに見えるアニメの世界を己のカルト的世界に引きずりこんでしまいながらその本質を底までズブドロにかんまわしてみせるありさまは、真のヲタの仕業と見ていいだろう。

               

 熱苦しい(暑苦しいぐらいでは不足)、粘りつくほど濃い、したがってとても臭い――まあ世俗的表面的にはある種の無気力さや軽さを伴いながらも、内面は常にそうしたドロドロ状態まで煮つめているのが、正しいおたくであろう。
 しかしこの曲も、すでに干支でひとまわり過去のものなのだなあ。
 熱苦しくて粘りつくほど濃くてとても臭くてしかもうなずける歌、近頃の街ではあんまり流れないですね。


04月08日 水  小康

 春のポカポカとともに、ここ数年おさまっていた持病の中耳炎(扁桃腺炎の親戚ですね)がポカポカと疼きだし、同時になぜか精神は平常心を取り戻しつつある。つまりこの狸人生デフォルトともいうべき肉体不健康状態が、デフォルトの心をも伴っているのだろうなあ。
 で、本日はなぜか筋肉少女帯をお招きし、狸の気持ちを代弁していただきます。インディーズの頃の混沌をお好みのファンも多いようですが、狸としては、やはりメジャーデビューしてからいったん解散に至るまでの模索や迷走こそが、彼らの『自己表現』から『自己実現』に向かう階梯だったと思うのですね。Xジャパンと正反対方向の、みたいな。
 できれば歌詞の全てを最後の一句まで飛ばさずに味わっていただきたい熱い歌どもであると信ずるのだが、どうか。

               

               


04月05日 日  もちつけ

 なんじゃやら精神状態が危機的に波打っている。以前にも記したが、仕事中に脳内がキャラの声で充満してしまうかと思えば、いざキーボードに向かえる状態になった頃には精も根も尽き果てぐったり放心するか、昨日の雑想のような軽口しか打てない。おまけに本日など、遠くのダイエーに花見がてら自転車で買い物に出て、買い物が済む頃には自転車で来たことを忘れ、無料送迎バスで駅前に着いてからまたバスで引き返す始末である。ついでに図書館に寄ろうと思っていたことなど、今こうしてキーボードに向かいながらようやく思い出した。さらには買い物中に動悸息切れ目眩に襲われ、いや、正確に言えば動悸息切れ目眩に襲われそうだなあという切羽詰まった感覚に襲われ、階段の途中で立ち止まり、腰の曲がった老婆に追い越されてしまうありさまである。ところがぎっちょんちょん、外に出て、今どき希少な喫煙スペースのベンチに腰を下ろすと、たちまち神尾君(新キャラ)や優子ちゃんが、狸を置き去りにして脳内を駈けめぐり始めるのですね。ああもうどないせえっちゅうねん。でもまあ太平洋めがけて人工衛星を飛ばすどこぞのくたばりぞこないに比べれば正気な気もするのでもちつけもちつけ狸。
 もーこーゆーときには、すでにシャブ入ってた可能性のある岡村君に助けを求めるしかありません。

               

 ああ、でも、やっぱり天然の脳内麻薬と冷静沈着な自己演出によって歌舞くのが、男の本懐かもなあ。

               

 まてまて、ここはやっぱり推定未シャブの『原点』に戻ったほうが……。

               


04月04日 土  恐怖の無差別通り魔

加害者・狸(50過ぎ)の自供
「もう今週使える金が980円しかなかった。なのにプリンタのインクが切れた。地元の店では金が足りず買えないが、ヨドバシに出ればポイントが使える。どうせ錦糸町に出るなら秋葉原まで足を伸ばしても電車賃はさほど変わらない。そこで何ヶ月かぶりにアキバに降りた。失敗だった。あまりの人出に目眩を覚えた。それも、昔のぶよんとしてしまりのない汗っくせー屈折した狸仲間たちではなく、奇妙なまでに明るい笑顔の、『含羞』という言葉を知らぬげな人々ばかりだ。そして街を飾る看板やポスターに躍る当節のキャラたちが、みんな同じ顔に見えた。多少のタッチの差はあっても、骨格の歪みまでが『ハヤリ』のエピゴーネンに見えた。かつて狸が愛した、群雄割拠でありながらマイナーな個性派もけして排他されずぐつぐつと闇鍋のように煮つまっていたヲタ文化のカオスは、いったいどこの暗渠へと流され洗われてしまったのか。新作のエロゲ群にも絶望し、『ゲームショップ紙風船』付近の裏路地で、狸は思わず歌い始めてしまった。♪
若く明るい歌声に雪崩も消える花も咲く青い山脈雪割り桜♪――なぜ『青い山脈』だったのか、自分でもわからない。昭和と共に消え去った数々の情緒の中でもひときわ清透な藤山一郎先生の声に、現在の一見明るいアキバ文化――『自己表現』というきわめて曖昧な定義において正当化された時代あるいは国家文化のマスターべーション志向――とは対極的な、時代あるいは国家への個人的関与の正しいありようを模索する『自己実現』への希求を見ていたのかもしれない。しかし、フルコーラス歌い続けようとして三番目の歌詞にさしかかったとき、狸は愕然とした。『♪雨にぬれてる焼けあとの名も無い花もふり仰ぐ青い山脈♪』――そのあとの歌詞が口から出てこない。幼い頃から歌いこみ、中年になってからも一度としてカラオケでつかえたことのない歌詞が、どうしても出てこない。ポケットにはもう690円しか残っていない。脳味噌の中の記憶すら日々滅びてゆく。――もうだめだ、と思った。他人をわしづかんで、狸汁《しけい》になりたいと思った。わしづかむ相手は誰でも良かった。ひとりでも多くの人間を思うさまわしづかんでから、狸汁《しけい》になろうと思った――」

事件当日 被害者のひとり・片桐貴子さん(仮名・4歳)の証言
「やっほー。あたし、たかちゃん。んーとね、きょうはね、パパとママといっしょにね、ぷりきゅあのこすぷれ、かってもらいにきたの。んーとね、パパはね、おたくなの。ママはね、もりゆきのこすぷれ、とくいなの。んでもって、いきなし、わしづかまれたんだよ。ほっぺ、むにゅう〜〜。こーんなふうに、たぬきさんに、ほっぺ、わしづかまれたんだよ。だからね、おかえしに、たぬきさんのおなか、わしづかんであげたの。ぶよんぶよん〜〜。パパのおなかよりも、たぬきさんのおなか、おっきかったよ。ほらほら、パパのおなかも、こーんなにおっきいの。ぶよんぶよん〜〜」

事件の数日後 被害者のひとり・小森和子さん(仮名・88歳)の次男Aさん(仮名・64歳)の証言
「……あの狸のおかげで、私の母の余生は崩壊しました。あの日、田舎から上京した母を連れて靖国神社に眠る父を参り、千鳥ヶ淵で花見をしたあと、最新型の電動マッサージ器が欲しいという母の希望を入れて秋葉原に立ち寄ったのが、大きな誤りでした。あの狸にわしづかまれてしまった母は……老い先短い、痩せ細ったお尻をわしづかまれてしまった母は……翌日田舎に帰ってから、人が変わったように放蕩に走り、髪をソバージュにするのみならず金銀のメッシュに染め上げ、モンペを脱ぎ捨ててストーンウォッシュのリーバイスを穿きこみ、夜毎男友達を誘っては朝方まで遊び歩き……昨日、ついに、携帯サイトで知り合った男子中学生を駅裏のホテルに連れこんでその貞操を奪い、児ポ法違反で現行犯逮捕されてしまったと、さきほど田舎の兄から知らせがありました。真面目一方でササニシキを育て続けてきた兄の涙声が、今も、うう、この耳に……なんであの優しかった母親が、こんな目に合わなければならないのか……お願いですお願いです……あの狸を、一刻も早く狸汁《しけい》にしてやってください」


04月01日 水  モンラーバトン(『モンラー』がなんだか気づくのに一日かかった狸はアルツ)

 遅まきながら、ぽちぽち、と。

1.小説を書きはじめたのは何歳くらいのころでしたか?
中学一年、確か13歳になってからではないかと。

2.登竜門には何年ほど前から通っていますか?
えーと、2004年の初夏……だったよなあ。

3.登竜門に初めて投稿した作品は何でしたか? また、初めて感想を書いた作品は何でしたか?
『ママはおでかけ』。たかちゃんデビュー! 感想を書いたのは……確かメイルマンさんのSFファンタジー作品でした……と思います、たぶん。

4.登竜門に投稿した作品の中で、一番の自信作は?
それぞれに大いなる自負も不満もあったりするのですが――強いて言えば『たかちゃんとさんた』がすごい。ちょっとしたきっかけでいきなり打ち始め、いっさいの楽譜なしに、アドリブのみでたかちゃんトリオと幸福なセッションができてしまった気がします。

5.登竜門に大好きな書き手さんはいますか?
過去現在が入り乱れ、また感想も書けたり書けなかったりなのですが、とっさに思い出せる範囲でアイウエオ順に――晶様・甘木様・有栖川様・エテナ様・笑子様・影舞踊様・和宮樹様・キイコ様・京雅様・神夜様・昼夜様・ドンベ様・中村ケイタロウ様・春一様・水芭蕉猫様・夢幻花彩様・村越様・メイルマン様・明太子様・模造の冠を被ったお犬さま様・夜行地球様・ゅぇ様――他にも打率を問わなければ多数。

6.大好きな読み手さんはいますか?
もー読んでくださる方はひとり残らず愛してます(アラシ除く)。

7.もしも登竜門でオフ会パーティーなどが開かれたら、参加しますか?
難しいところですね。むしろ物陰からこっそり覗いてみたい。表に出てしまうと、実は正体がぶよんとしてしまりのないビンボな老狸ではなく、水も滴る美中年しかもハイソであることがバレてしまうので(今日はなんの日?)。

8.最近新しく来た書き手さんの中で、注目の書き手さんはいますか?
うーむ、精神疲労で電波検出力が落ちているせいか、最近はちょっと。

9.登竜門生活、楽しんでますか?
このところ読み書き双方なかなか時間が取れず恐縮しております。

10.このバトンに答えてほしい人はいますか?
有栖川様とかドンベ様とか明太子様とか――お仕事で忙しそうだから無理?