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05月31日 日  へへえ〜、お役人様にはかなわねえですだ

 副作用もある医薬品がネットや通販で販売されるのは危険、よって対面販売以外は処罰の対象に――まあ一見ごもっともな厚生労働省のお役人様のお達しではあるが、じゃあ厚労省が日本全国津々浦々にまで薬剤師を派遣し国営薬局を開店してくれるのか、などと期待すればもちろんそんなはずもなく、僻地の無医村同様「あとは他人の善意と自分の運にまかせてください」、つまり国政からの切り捨てなのである。また日本各地に江戸時代、いや物によってはもっと昔から連綿と続く続くいわゆる伝統薬というものが存在し、漢方レベルで息の長い需要があり、しかし零細家内制手工業製品ゆえ、このマスプロの時代に薬局に卸すほどの生産量はなく店頭売りも微々たるもの、よって大半、昔ながらの信用による通販で細々と存続しているわけだが、当然、それらの物件の長い歴史は、省令改正をもって消滅する。
 そうした問題を取り上げたニュース番組を見ていて、思わず大笑いしてしまった。つまり、これまで狸は、お役人様たちはそうした現状を承知の上で、「そんな不便な土地に住むのは、国政上不便だからやめなさいね」「そんな時代遅れのコマモノは、国政上管理が面倒だから作るのやめなさいね」、そう断言しているのだと思っていた。明治以降少なくとも昭和あたりまでは、まあ明言はしないまでも暗黙の内にそう断言しながら、この国は切り捨てられる物は常に切り捨て、ないがしろにしたいものはあっさり見捨てながら発展してきたのである。ところが、今回の省令改正にからむドタバタ経緯を見る限り――わははははは、知らねーんでやんの。いや、皆さん東大出なのだからたぶん知ってはいたのだろうが、少なくとも最初の改正案作る段階では、きれいさっぱり念頭からすっとばしてやんの。
 ううむ、おそるべし昭和戦後生まれの平成お役人様たち。とんでもねー僻地にもまだ人が住んでいるらしいとか、世の中には地理や歴史の教科書に載らない特定地域限定の歴史的文化もあるとか、そうしたことを、知識としてはともかく、実感としては失ってしまっているのですね。まあ今回の改正の立役者・全国薬害被害者団体連絡協議会の方々が感情に走って理性を失うのは、立場上やむをえない気もするにしろ、お役人がアレでは困る。舛添厚労大臣は好きな方なんだけど、やっぱり暖かい地方の町育ちだからなあ。なんて、狸も北の山国とはいえ県庁所在地の駅前育ちバリバリなんだが、それでも母方の実家あたりでは、冬になるとスキー通学やってましたからね小学生が。温暖な地に育った方は、おおむね脳味噌が大らかに育つ。北の人間は寡黙だが内心では重箱の隅までクドい。知能や善悪には関係なく、あくまで情報処理における傾向が、ですね。
 さてこれからは、いっそ富山の置き薬の人に富山以外の伝統薬も引き受けてもらって、南の島は椰子の葉陰から北は氷雪のオホーツクまで、がんばってもらうしかないのかもなあ。あれは対面販売だし、車の入れない奥地でも、自前の足なら行けますもんね。


05月30日 土  懺悔その他

 すみませんすみません。図書館で借りたちくま文庫『圓生の録音室』をぷよぷよにしてしまったのは狸です。
 このところなんかここには書けないたぐいの煩悶がいろいろあってちょっと睡眠障害っぽくなり朦朧としていたため、ウィンドブレーカーのポケットに入れたまんま、コインランドリーにぶっこんでしまいました。は、と気づいてすぐさま引っ張り上げたのですが――ううむ、よっくと乾かしても、やっぱり端っこはワカメの束っぽい。返却日までにまだ1週間あるので、力いっぱい重しをかけてみようと思います。洗剤の匂いもちょっとするのですが、まさかすすぎなおすわけにもいかないし、かえって清潔感があっていい――わきゃねーだろおい。ともあれ、高価なハードカバーでなかったのがせめてもの救い、最悪弁償ということになっても、水濡れ本のほうはもらえるだろうしな。何度も読み返したい好著でもあったし。
 ちなみに内容は、CBSソニー(当時)の制作者・京須偕充氏が、今のところ落語界最後の名人と思われる六代目三遊亭圓生(これからの落語界にも『人気者』はいるだろうが、『名人』と呼ぶべき人材が出現するとは思われない)とともに、あの驚異の『人情噺集成』や『圓生百席』を録音したときのドキュメンタリー。筑摩のHPの紹介文をまんまコピペしますと、
【落語ブームと言われる中、「古典」は生き続けている。昭和の名人、六代目三遊亭圓生。その精緻な話芸は『三遊亭圓生人情噺集成』、『圓生百席』として残された。このレコードをプロデュースした若き日の著者が、圓生を初めておとない、録音室での制作、そして名人との突然の別れに至るまでの濃密な日々を描く。愛惜をこめて描かれる“稀代の芸の鬼”の情熱と素顔。】、こんな感じです。
 六代目三遊亭圓生という方は、以前にも記したがとにかくフラのない精緻な心理描写に固執する方で、あまりの生真面目っぷりに疲れてしまうような面もあり、また一見冷酷にも見える人となりのせいか、古典落語ファンの中にもあまり好まない人が多いようだ。しかし、けして教科書的な論理で組み立てた演出ばかりではなく、同じ演題でも演じるたんびに細かい科白や仕草は変わっており、人間味、という意味でのライブ感は、実は豊饒なのである。
 しかしスタジオ録音の落語って(もちろん制作者や演者の思想にもよるのだろうけれど)、ここまで部分再録音・編集・修正が成されているとは知らなかった。寄席や落語会でのライブ音源とは別物、あくまで音声オンリー作品としての完成度を目ざしているのである。まあ比べるのも妙な話だが、昔のアイドル歌手さんの一部(浅田美代子ちゃんとか)の歌が、ライブだと糠味噌腐敗物件なのに、レコードだとまあまあかわゆく聞けてしまうのは、あれはアナログ録音技術者さんたちの職人芸だったのですね。
 しかしそうなると、レコードですら糠味噌がナニしそうだった、たとえば栗田ひろみちゃんの元歌って……想像するのが恐い。彼女は本来役者だったので、ステージ歌唱はほとんど披露していないだけに、なお恐い。


05月27日 水  やっぱ少女でしょ

 その女の子の愛称がなぜに『お菊ちゃん』なのか、判明いたしました。おかっぱ頭から『お菊人形』を連想したのだそうです。「いちま〜い、にま〜い」のお菊さんではなく、あの、どこぞのお寺さんで供養しているという、髪の毛の伸びるお人形さんだったのですね。もとはおかっぱ頭だったのに、いつのまにか髪が肩の下まで伸びており、散髪してあげてもまだ伸び続けているという。もっとも実態は、あれはどうやら初めからロンゲのお人形さんだったらしい。怪奇特集扱いの記事や番組でなく、普通に撮られた写真を見ると、ごく普通のかわいい日本人形である。ちなみにトイレのお菊ちゃんは、自称『見えるヒト』さんが初めて会ったときから、ずうっとおかっぱのまんまらしい。そういえば、いっとき日本全国津々浦々で活躍し、今も一部で根強くがんばっている『トイレの花子さん』も、たいがいおかっぱですね。
 いずれにせよ、そうしたなんだかよくわからないものが、いつまでも語り続けられることによってきちんと存在し続けられる、そのことに、人の心の闇ではなく、むしろ光を感じる狸です。

 ところで『少女の友』、良うございますねえ。川端康成先生も、大人エロ系お耽美文豪に見えて、実はやっぱりとことん少女のヒトだったんですねえ。で、それとはまったく関係なく、TUTAYAの半額クーポンで借りてきた『ゲゲゲの鬼太郎・千年呪い歌』、ずいぶん乱れきったシナリオでしたけど、やっぱり猫娘は最高ですねえ。田中麗奈さん、もう30近いのに、ヒロイン役の学芸会娘さんなんかと比べても、やっぱり少女なんですねえ。
 ああ、少女、萌え。


05月26日 火  とりとめもなく

 北朝鮮、もとい首領の金さんは、いよいよ自爆テロの様相を呈してまいりましたね。正確には『狂言自爆テロ』か。親が悪いと言ってしまえばそれまでなのだけれど、自分の家でしかエバれない寸足らずな引き籠もりが、二階の窓から道行く人に糞小便をまき散らす様など連想してしまい、いっそ悲哀を覚える。神も仏もないものか。せっかく一度は成仏しかけたのに、なお生き恥を晒し続けるのは、あまりに酷ではないか。早くそっちに迎えてあげていただきたい。

 大山鳴動して鼠一匹、などと軽く見てはいけないのだけれど、当節空港で水際対策などなんぼ行ってもウィルスの入国を防げるはずがないことは自明の理で、「それでも国内での感染を遅らせる意味はあった」という意見もあるものの、今度はいざ国内感染が起こった場合のウンヌンはちっとも徹底されていなかったことが明らかになり、結局「大した病気ではありません」キャンペーンに落ち着いたようだ。はい、拍手。
 しかし、有給休暇などない不正規雇用で例の定額給付金すらほとんど生活費に回ってしまうような貧乏人にとって、季節物と同程度の毒性だとしても、免疫ゼロの新インフルエンザは痛いのよなあ。仮に1週間寝てしまったら、どこかの休みを7回間引かねばならないのである。あるいは日割り計算の7日分、収入が減るのである。なまねこなまねこ。などと言いつつ、給付金が振り込まれた直後に『少女の友 創刊100周年記念号』などという物件が忽然として狸穴に出現しているのはなぜですか。答えなさい狸。

 お菊ちゃんをおちょくったつもりはないので祟りでもないと思うのだが、先日の明け方、久々に金縛り(のような現象)を経験した。狸がうつ伏せで寝ている布団の上に、なんじゃやら覆い被さるように乗っかって、ぶるぶるぶるぶる震えていたのである。狸や布団が震えているのではなく、あくまで乗っかった何かだけが震えているのですね。内心「あ、これでとうとう狸も、なんだかよくわからないものとお知り合い!」などと喜びかつ怯えつつ、いっしょうけんめい首を回して見ると、残念でした。やっぱりどなたもいらっしゃいません。
 そうなんだよなあ。昔の金縛りで、仰向けに寝ている足の先を宙に持ち上げられたときも、必死こいて目を向けてみれば、そこには布団ごと45度の傾斜で浮き上がっている自分の腰から下が見えただけで、足を持ち上げている何物かは見えなかった。まあ、今回のぶるぶるも昔のぐいぐいも、狸自身の筋肉が見た夢なんでしょうね。

 アヤシゲな話つながりで、甘木様の日記にあった質問に答えてみよう。
1,あなたが寝ようとした時、ぷーんと蚊の羽音が。電気をつけても蚊は見あたらない。念のために殺虫剤を散布。改めて寝るため消灯したら羽音が……どうやらこの蚊は幽霊のようだ。あなたはどうする?
答・刺されないなら放置。
2.山沿いの温泉旅館にあなたは宿泊した。なんと客はあなたひとりしかいません。夜温泉に入って身体を洗っていると誰もいない浴槽の方から不明瞭な声が幾つも聞こえてくる。振り返っても誰もいない。あなたならどうする?
答・声の性別と年齢を確認したのち、逃げるなりシカトするなり混浴するなり、ふさわしい対処をする。
3.あなたはひとりで夜中の山道を車で走っています。人家も外灯もなくただただ深い山が続くだけの山道です。ふとルームミラーを見ると後部座席に見知らぬ女の姿が……あなたはどうする?
答・年齢と容貌を確認したのち、車を捨てて逃げるなり家に誘いこむなり、ふさわしい対処をする。
4.あなたは車で寂しい海岸線の道を走っています。人家もなく外灯すらない夜道です。ふと前を見ると道の脇に真っ白なワンピースを着た女性が立っています。あなたはどうする?
答・車を寄せて止め、まずは邪念を隠してから、「お送りしましょうか、おじゃうさん」……って、お婆ちゃんだったらどーすんねん。
5.あなたはビジネスホテルに泊まりました。チェックインしてドアを開けたらベッドの上にピンク色のブラジャー(70B)が置いてありました。あなたはどうする?
答・胸も大事だがお尻はなお大事なので、ピンク色のショーツを探し、サイズを確認する。
6.理由が分からないが、どうしても気持ち悪くて(怖くて)近寄りたくない場所がある。あなたはその場所に対してどう対処する?
答・そこが視認できる限りの遠方に拠点を置き、御符やお経で防備しながら、一日観察する。
7.あなたはスパリゾート・温泉・銭湯・プール・海水浴などで全裸or半裸状態にあります。年上の同性が近付いてきて、あなたのすぐ隣に座り『いい身体しているね』と粘り着くような視線を送ってきます。あなたはどうする?
答・「かわいそうに、目が不自由なのだな」と憐れむ。
8.幽霊というものが実在すると仮定します。なぜ縄文人や北京原人の幽霊が出ないのでしょう? 理由を述べよ。
答・特になーんも考えず、なりゆきで生きて、なりゆきで死んだからではないでしょうか。迷う必要がない。
9.幽霊が実在すると仮定します。なぜ幽霊が怖いのでしょう?
答・いるとはっきり判れば、人間と同じ。ヤクザの幽霊や性根の腐った幽霊は恐いが、ふつうの幽霊ならふつうにつきあいます。
10.幽霊を見る状況になったとします。血だらけの幽霊を見るのと、パーツ(首だけとか大腸だけとか)の幽霊のどちらがいいですか?
答・どーしても、どっちか選ばなきゃいけませんか? どうせなら両方見てみたいのですが、強いていえば男の幽霊なら血だらけ、女性の幽霊ならパーツ(胸だけとかお尻だけとか)。


05月23日 土  今日も元気に死んでいる

 職場の事務フロアの女子トイレに、ワカメちゃんくらいの歳のろりが住んでいるという話を、以前記した。いちばん奥のトイレにいつも座っている子ですね。
 で、本日の休憩室で、いつのまにか彼女に名前がついているのを知った。ワカメちゃんではない。なぜか『お菊ちゃん』なのだそうだ。な、なぜにお菊ちゃん。古風なファッションとは聞いたが、あくまで昭和レトロの小学生ルックのはず。番町皿屋敷の井戸の底で江戸時代から鬱っている女中さんと同名というのは、ちょっと時代錯誤な気がする。しかし正社員のお嬢様方は、確かに『お菊ちゃん』と呼んでいる。どうも直接当人に聞いたわけではなく、勝手にそう呼んでいるだけのようだ。
 まあ、三丁目の夕日の下のみならず、平成の現代にだって菊子ちゃんとか菊江さんはきちんといるわけだから、別にいいんですけどね。ただ、ときおり見かけるお若い方々の制作したレトロネタのアニメやゲームやコミックで、おいおいそこは江戸時代の遊郭かよ、みたいな風俗スペースが、大正ロマンや昭和の戦後ネタに紛れこんだりするので、ちょっと気になっただけです。
 ところで、そのお菊ちゃんを、結局いくじなしの狸は一度も覗いていないのだが、たまには男子トイレに遊びにきたりしてくれまいか。幼いとはいえ女の子だから、そんなはしたないまねはできないのだろうか。ならば男子トイレにも、何か面白い物が住みついてくれないか。
 とはいえ、たったふたつしかない大個室のひとつをカツオ君が占拠したりしたら、たぶんおっさんやおにいさんたちが血相変えて、すぐに窓から放り出しますけど。四階だけど平気だよね、死んでも元気だ昭和の子供。


05月20日 水  まさかの時にスペインの宗教裁判!

 というタイトルの、モンティ・パイソンのコントがあった。レストランで談笑している夫婦だの、隠居しているお婆ちゃんだのの前に、突然、中世の魔女裁判ルックに身を包んだパイソンのメンバーたちが躍り出て、惨たらしい拷問で自白を強要するのである。たとえば、お婆ちゃんを安楽椅子にくくりつけて揺らすとか、それでも自白しないとなると羽根枕まで追加するとかですね。何で責めても気持ちよさそうにしているお婆ちゃんを前に、「な、なぜこのおぞましい拷問が通用しない!」みたいな反応を繰り返し、あわてふためく司教や裁判官が、とてもおかしい。

 とまあ、中世の魔女裁判ですら、状況証拠(もとより直接証拠はない)以上に、『自白』が重要だったわけです。だから、なにがなんでも有罪にするにするためには、拷問によって自白を引き出すしかないわけだ。ところが現在の日本では、魔女らしいのを見つけても、人権社会なので拷問するわけにはいかない。で、どうするかというと――簡単明瞭、自白がなくとも『この状況証拠は限りなく直接証拠っぽい!』と断言してしまえばいい。『推理』を『現実』にしてしまえばオールOK! ……って、わはははは、どこの小学生が書いた推理小説やねん。
 何度も言うが、狸は林真須美被告にはなんの好意も抱いておりません。むしろクロだろうと思っております。しかし、今回の上告棄却・死刑確定に際しての裁判長の言葉は、いつもの冤罪事件パターンと、実にまあそっくりな話の流れですね。おいおい、結局あんたも司直としての『面子』で『常識』をねじ伏せてしまうんですか? 『疑わしきは罰せず』とか『推定無罪』とか、近代の刑事裁判の原則、耄碌して忘れちゃった? なんか、痴漢冤罪バラマキ癖が、すっかり裁判所のトレンドになっちゃった? おーい、頭ん中、しっかりなんか詰まってますか? こんこん。

 とゆーわけで、まさかの時に現代の日本国最高裁! でも小林康浩被告は、やっぱり懲役7年くらい? もはや泣くより笑うしかないのか?


05月17日 日  ぼたもちのような猫、ひたむきな亀

 打鍵を始めて2年近くたつのに、『ゆうねこ』は、終わる気配もない。もはや自分にとって、トーマス・マンの言う『呪い』のような創作物になりつつあるが、まあ呪ってくるのがなにせあのろりたちなのでしかたがない。
 星猫さん、別名にゃーおちゃんを、究極のメタボ猫として描写しているので、その実在の可能性を求め、『デブ猫』でYouTubeを検索すると、フェイク画像や、それほどデブでもない豊かなだけの猫や、顔は普通の猫のまんま体だけ太った奇形的猫(あるいは推定もともとそうした種類なのか)の猫が多く、顔も体も威風堂々と太った猫というのは、あんがい少ないようだ。
 で、こいつを白毛にして体長を5割増にすればなんとか星猫になりそうな、そんな実在の猫は、とりあえず1匹しかみつからなかった。

               

 しかし検索中、なかなか味のある亀に遭遇した。実は『ゆうねこ』の今後の展開に、亀型のパワード・スーツを着こんでうろちょろするタカ、という趣向が待っている。きっと、こんな根性のある亀になりそうな気がする。
 埋め込み不可なので、リンクだけしときます。投稿タイトルは、なんと『The killer tortoise』――おお、人を襲って噛み殺す亀――のはずもなく、ただひたすら猫を追いかけ回すだけ。

 で、まったく関係ないが、2メートルはある巨大なアロエ(天然のまんまではなく、あくまでフルーツ缶にはいっているような、ぷよぷよ薄甘加工の)を、おいしく食べる夢を見た。今度あの食品系バッタ屋さんに寄ったら、ぜひ68円のアロエ缶を探そうと思う。


05月16日 土  ぶつぶつ

 泣いたところで己の不可触な問題に関する悲憤など晴れはしないのだが、泣いたあとで連休なのをいいことに朝まで『ゆうねこ』をいじくっていたら、肉体的疲労に応じて脳味噌が自前のヤクを無料放出してくれ、夜明けの散歩にまで出てしまい、その後半日昏々と眠って、夕方目覚めた頃には気が晴れていた。どのみち鬼畜や外道などという人外に気を使って疲れていては人生本末転倒なのであって、そっちは地獄の責め苦にまかせ、こちらは聖香ちゃんをはじめとするちっこい魂のために、地蔵菩薩にしっかりお願いしておくしかないのである。でもやっぱり機会があったらきっちり始末しといたほうがいいと思うんですけどね糞野郎は。

 食品系バッタ屋さんで88円でGETし再冷凍しておいた露天山積みの元・冷凍餃子(これがローソン100の物件よりも格段にうまい。野菜の食感も肉の食感も保たれている。元値が高いのだから当然で、袋には再冷凍しないよう記してあるが、別に味だって変わらないし、すでに十数回食った狸は一度も死んでいない)をおかずに夕飯(まあ朝昼夜兼用だが)をハグハグしながら、以前録画した旅番組を流していると、タレントの若衆がこごみの胡麻和えだの姫筍の味噌焼きだの岩魚の塩焼きだのを食っていて、さすがに嫉妬羨望する。く、くれ。その程度の台本丸読み感想しか出ないんなら、狸にくれ。君たちは若いんだからマックのダブルクォーターパウンダーでもガフガフしててください。あれなら感想もグローバルスタンダードのマニュアルどおりで済むでしょ。……ちっとも気が晴れてねーじゃん狸。

 まあ、あながちその若い衆の舌が悪いとは限らず、ただボキャブラリーが不足しているだけなのかもしれない。また食味などというものはしょせん個人の育ちしだい、たとえば年に一度食えるのが狸の生きる理由のひとつになっている山形の『染太』の鰻、あの豊饒な味覚食感を『田舎の味だから期待するな』などと評する自称グルメが、狸に言わせてもらえば天然物だかなんだか知らんが貧相な細身の鰻ばかり選んで醤油の味ばかり利かせている東京の老舗(まあ店名は書かないが)を『これぞ江戸前の鰻』と絶賛していたりするのである。しかし、実は池波正太郎先生だって褒めているのだから、やっぱり狸のほうが田舎舌なんでしょうねえ。


05月15日 金  慟哭

 あの事件の詳細が見えてきた。

 
大阪市西淀川区の小学4年松本聖香さん(9)が遺体で見つかった事件で、同居していた小林康浩被告(38)=死体遺棄罪で起訴=が、聖香さんが死亡したとみられる日の前日、足げにするなどの暴行を加えた上、一晩中ベランダに放置していたことが15日、大阪府警西淀川署捜査本部への取材で分かった。
 捜査関係者によると、小林被告は聖香さんが死亡したとみられる4月5日の前日夜、聖香さんだけを残し、母親美奈被告(34)、知人杉本充弘被告(41)=いずれも同罪で起訴=と長男の4人で外食。帰宅後、それまでの暴行で衰弱し、玄関前に倒れ失禁していた聖香さんをけるなどした上、ベランダに閉め出した。
 聖香さんは死亡が確認された5日夕方ごろまで、10数時間ベランダに放置されていた。また、小林被告による聖香さんへの暴行の激しさから、杉本被告が止めに入るほどだった。聖香さんは普通に食事が取れないほど衰弱し、美奈被告はおかゆを食べさせたと話しているという。【時事通信社 - 05月15日 12:01】


 
――で、コレ絶対に死刑にならんのよ。無期懲役にもならんのよ。いいとこ数年、楽な仕事して税金で飯食ってくるだけ。仮に狸がコレの件で裁判員になり(大阪なので不可能だが、あくまで仮に)、『コレ絶対死刑!!』と言い張っても、もちろん地裁のしかも参考意見などという扱いではクソの役にもたたんのだが、その場に座りこんで絶叫し続けたら、少なくとも「そんな意見もある」ことだけは、全国報道されるだろう。その場で割腹するのもいいかもしんない。
 もはや被告などと一人前の表現をしたくないので、今後、死ぬまで、小林康浩は『コレ』扱い。仮に改心して出所したとしても、己を恥じて自決しない限り、死ぬまで『コレ』扱い。「あ、あいつ、アレだアレ」と、死ぬまで後ろ指をさし続けてやるのもいいですね。それを苦に自決してくれるようなタマではないだろうが、そのうちプッツンして狸を狸汁にでもしてくれれば、無期くらいはくらうだろう。
 この世界には絶対に殺すべきでない者がいる。そしてこの世界には早急に殺すべき者がいる。しかしこのクソったれな世界では、後者が前者を殺すのである。

 ……通常、こうした事件に対する狸の激昂は、言いたいほうだい打鍵すれば落ち着くのだが、今回ばかりは、アレに殴られ蹴られて死にかけながらも、おかゆを食べさせてくれる母親にはきっとまだ『愛』などという幼い夢も残していたであろう
聖香ちゃんのかすかな微笑を想像するだけで、もはや嗚咽をこらえるのも困難である。
 だから泣く。



05月13日 水  雑想

 小沢さん、辞任遅すぎ。そもそも今の日本の、一定以上の地位にある政治家で、裏金に無縁の人物などひとりもいないのだから、小沢さんの金権政治手法は確かに当然の流儀であって特に恥ずべきではないのだけれど、問題は、党代表の身でそれを大々的につっつかれてしまった時点で、自分の見栄に拘泥し、党まで道連れに人気を下げてしまった点にある。その点のみで、代表の器などありはしないのである。まだ政権交代うんぬん言っているようだが、断言します。もう無理。少なくとも再び歴史の波が大きくうねりなおさないと無理。あなたが無理にしたのです。
 小沢氏と同様――まあケタがひとつもふたつも違うが――地方に根を張った金権政治家として、過去に大いに名を馳せた田中角栄元首相の、ロッキード事件に際しての引き際と比較すると、人間の器の違いが明確になる。角栄さんは、これはもうアカンと判断したとたんに自民党を離脱して、世間の騒ぎはきれいさっぱり自分ひとりに集中させましたもんね。それが自民党への世論の延焼を防ぐことになり、自分自身もしっかり党からの人望を確保して、後々まで『闇将軍』として権勢を誇ったわけである。そこいらの人心掌握に関する機微が、高等小学校を出たっきりで総理まで登りつめた苦労人の底力なのですね。

 ころりと話は変わって、狸はようやく優子ちゃんという少女と、精神的に共鳴できたような気がする。えーと、すみません、モデルとなった実在のろりではなく、自作のキャラの話です。とゆーことは、これまでは、自作のキャラの言葉や行動や心理であるにも関わらず、狸自身その内奥を理解できないまま、ただ脳内で優子ちゃんが話すがまま行動するがままに打鍵しているだけで、心理面の解説も、狸の感性というよりは、脳内語り部の女先生にお任せしていたわけですね。
 たかちゃんとくにこちゃん(貴ちゃんと邦子ちゃん、タカとクーニも同様)は、以前から理解できたのである。これはたぶん、実在のモデルであるろりたちが、中学の隣クラスの女子とか小中の同級生とか、親しい会話もあれば何かの用事で手を触れることもあり、現実の少女として肉体を持っていたからだろう。
 ところがゆうこちゃん(優子ちゃん)は、実在のモデルが、当初から偶像化されてしまっている。小学校の入学式から卒業式まで常にどきどきと眺め続けていたにも関わらず、あまりの畏れ多さに、とうとう指一本触れたことがないのである。
 思えば、小学校でスカートめくりが流行っていた頃、いちおう狸は児童ながら紳士でもあったので「やめたまえ! 君たち!」などとカッコつけて止める立場(ヤなガキ)だったのだが、無論内心では、日本全国いや全世界の女子ことごとくのスカートをめくり、億単位の真っ白パンツを心ゆくまで鑑賞してみたいとも思っていた。狸は小狸時代から立派な偽善者だったのである。ところが、そんな頃でさえ、三浦優子ちゃんのスカートだけは、まくるなどという大それたことを想像するだに畏れ多く、まして真っ白パンツともなれば、もーちらりと盗み見るだけで確実に神の怒りに触れ失明する、いや、間が悪いと即死さえ免れぬ『禁忌』だったのである。
 それが、近頃ようやく狸同様の『ただの人』――いやまあ狸よりは格段上等なお嬢様なのだが――として、書き進められそうな段階に至ったのは、やっぱり狸が老いたからなのだろうなあ。モノホンの優子ちゃんだって、あくまで狸と同い年、あいかわらずの美貌を誇る知的中年婦人であるにしろ、天知真理さんのようにとんでもねーおばはんに変態しているにしろ、少なくともすでに偶像ではないはずだ。


05月11日 月  文化と商売

 しかし、YouTubeというところは、凄うございますねえ。懐メロ好きの狸が現実逃避を求めてなんかいろいろ検索すると、大昔のSP盤を中心に比較的最近の歌謡曲(推定CD音源も)まで、すでに数百を超えるコレクションを、手間暇かけてアップし続けている、77歳のご老人がいらっしゃる。先に埋めこませていただいた高英男さんの『雪の降る町を』も、その方のご厚意だったのである。
 で、狸の愛する懐メロのひとつである、岡本敦郎さんの『高原列車は行く』(1954、昭和29年)、狸は岡本さんが中年の坂にさしかかってから再録音したEP盤しか持っておらず、NHKのラジオ深夜便などでオリジナル音源が時々かかるのも間が悪くいつも録音しそこね、悔しい思いをしていたのだが――あるではありませんか、若き日の岡本さんの、あの美声が。それも、楽曲誕生にまつわるエピソードや貴重な写真までついて。

               

 こうした無償の文化的活動も、多くの同好HPを覗けば、著作権という錦の御旗を掲げて賤しく稼ぎまくるJASRACに食い荒らされ、痛ましい限りである。
 akiraplastic2御大におかれましては、もーそーゆー世間のしがらみはきれいさっぱりちょっとこっちに置いといて、100まで生きて、所有するコレクション全てをご開帳いただきたいものである。

               


05月08日 金  冤罪の意味

栃木県足利市で1990年、同市内の女児(当時4歳)が誘拐・殺害された「足利事件」を巡り、殺人罪などで無期懲役が確定した菅家利和受刑者(62)が、裁判のやり直しを求めた再審請求の即時抗告審のDNA鑑定で、女児の下着から検出されたDNA型が、菅家受刑者のものとは一致しなかったことがわかった。鑑定書は8日までに鑑定人から東京高裁に提出され、同高裁が同日、検察、弁護側双方に提示した。【最終更新:5月8日17時40分 YOMIURI ONLINE】

 ――当時まだ実験段階だったDNA鑑定を唯一の証拠として、矛盾だらけの自白を強引に押し通した結果である。菅家受刑者の言うように強制された自白であることは、逮捕以前の捜査の、べらぼうなまでな強引さを見るだけでも推察できる。警察側の強引さには、実は理由があった。過去に同市内で同様の事件が2件も起こっており、いずれも未解決。つまり警察は『連続女児誘拐殺人犯』を追っていたのである。三度目の正直、などと言ってはあまりに女児たちがいたましいが、とにかく警察側は、今回はどうしても『被告が必要』だったのだ。
 問題は、菅家受刑者を自白に追いこんだ時点でも、過去2件の事件に関しては、なんら関連性を見いだせなかったことである。菅家受刑者が『無期懲役』なのは、めいっぱい強引に捜査を進めても、結局被害者ひとりとしか関連づけられなかったからに他ならない。要するに警察側は、『連続女児誘拐殺人犯』を特定するという『意地と面子』のために強引な捜査を行って、なんかいろいろ暗躍しているうち、『引っ込みがつかなくなってしまった』のですね。

 さて、菅家受刑者には申し訳ないが、狸としては、無実の者を刑務所に叩きこんだこと以上に、ハラワタが煮えくりかえってしかたのないことがある。警察側は、菅家容疑者を起訴した時点で、当然その事件に対する捜査は打ち切っているわけだ。しかし数年後、すぐ隣の太田市で、4歳の女児が謎の男に連れ去られた。過去の3件の事件にきわめて似た状況で、である。そしてその女児は、いまだに見つかっていない。無論、連れ去った男も、である。
 真犯人追求の放棄、それが冤罪の一面なのだ。意地も面子も水の泡、ただの職務放棄。真犯人累犯の可能性無視。
 せめて、真犯人が大いなる天網にかかり、こよなき苦痛と共に惨死を遂げんことを。

 いずれにせよ、そのちっこいろりたちは、きっと今は彼岸の愛に包まれて、楽しく遊んでいるに違いない。もう狸がそう決めた。


05月05日 火  アブ連休

 おお、こっそりバイトの予約はすべてハズレか。このぶんだと、明日のドタキャン需要も期待できないんだろうなあ。やっぱり不況なのだろうか。
 GWに動いている現場などというものは、不況でも活況でも、たいがい連休前にバイトもレギュラー派遣もシフトを組んでしまうものである。つまりバイト君やレギュラー派遣君が「やっぱり遊ぼう」になってくれないと、臨時の日雇い需要は生じにくい。それが少ないということは、やはり一昨年よりは皆さんの懐がサミしいのだろう。去年はわからないが、一昨年のGWには、確かに連日、日雇い需要があったのである。談志師匠の言うように、そのうちホームレスさんも焦って働き始めるのだろうか。
 まあ、東京ドームの売り子さんやら、引っ越し便の臨時雇いの話はあったのだが、売り子さんのほうはやっぱりイキの良さやグッズの知識が多少なりとも欲しいようだし、引っ越しのほうは特にアチラから条件は求められないのだが、こっちの腰のほうが破滅して、連休明けに動けなくなる恐れがある。結局、臨時の小遣い稼ぎは、できずに終わりそう。
 こんなことなら最初から連休モードにして、昼夜の別なく自堕落にキーを叩いていれば良かったとも思うが、『航海先に発ったら船が沈んで死んじゃった』とフーテンの寅さんも言っているように、まあ、世の中なるようにしかならないのである。
 と、ゆーわけで、今夜は自堕落に指まかせ脳味噌まかせ――といいたいところだが、いったん昼型労働生活が定着してしまうと、なかなか徹夜頭の脳内麻薬噴出は期待できないんですよねえ。どうしても夜は寝てしまうのです。昼は出歩いてしまうのです。ただ歩くのは文字どおりタダだし。


05月04日 月  雪の降る町を

 ……シャンソン歌手・高英男さんも、ついにお亡くなりになってしまった。肺炎だったそうだ。病死とはいえ享年90歳の大往生であり、枯れ葉の散るように老衰で亡くなられたといっていいだろう。昨年暮れまで仕事をしていたそうだ。
 以前にも記したことがあるが、高さんは、日本にシャンソンというジャンルを初輸入したといっても過言ではない、歴史的な方である。また、日本の叙情歌として今後も長く歌い継がれるであろう『雪の降る町を』(1953、昭和28)の、オリジナル・シンガーでもある。

               

 さらに男性歌手としては当時珍しく、きんきらきんの衣装や化粧も有名だった。なにせビジュアル方面の面倒を見たのが、あの超乙女チック挿絵画家・中原淳一である。しかしご当人は、伊達男のわりにちっとも気取らない方だったらしく、ギャング映画の脇役なども楽しそうに演じており、特に松竹映画『吸血鬼ゴケミゴロ』(1968、昭和43)の主役で、我々ロートル特撮おたくにも縁が深い。まあその作品でもストーリー上の主役は別にいるのだが、あの最初に宇宙生物に憑依されるスナイパー役は、誰がどう見たって事実上の主役である。初代『ゴジラ』の主役が、宝田明さんかそれともゴジラか、そーゆー次元の問題ですね。

               

 この映画の同時上映作が、忘れもしない、あの江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚色の名舞台を映画化した『黒蜥蜴』だった。主役は当然、若き日の美輪(当時は丸山)明宏さん。つまり、この二本立ては、今はなきシャンソン喫茶『銀巴里』を根城とする、多分にゲテモノっぽい(いや、あくまで当時の世間では、という意味です)ふたりの歌手を、二本立てで見せようという企画でもあったのですね。
 撮影所の楽屋で、旧知のふたりが顔を合わせたときは、こんな会話が交わされていたそうである。

 高 「何、女演ってんだい」
 丸山「な〜に、そっちこそ、オバケ演っちゃって」


 ……ところで、以前、ニコニコ動画やYouTubeにあった『黒蜥蜴』の映像が、削除されてしまっている。権利者の方からクレームが入ったらしい。昔はテレビ放映されたりビデオ化されたりしていたのに、現在国内ではどこかの再上映でしか観られない。残念なことである。

 さて、時は流れ流れて幾星霜、1990年の高さんのステージが見つかった。ありがたやありがたや。さすがに声は嗄れているが、もうすぐ70歳ですよ。ちょっと前に心筋梗塞で死にかけたこともある、70近い爺いのステージがこれだ。我々おっさん世代にも、まだまだ未来があるのかもしんない。

               


05月03日 日  雑想

 とりあえず、明日のバイトはアブれたようだ。おとなしく『ゆうねこ』の続きを打鍵することにしよう。先日あちらで更新した田舎物『神津瀞妖譚』の2回目も、今朝ちょっと修正しましたので、未読の方はよろしくです。

 忌野清志郎さん死去。合掌および黙祷。
 フォーク勢と違って、ロック野郎は早死にするケースが多いですね。不摂生と肉体労働の重なる仕事ゆえ、精神より先に体力を使い切ってしまうのか。

 図書館で、打鍵用の資料を漁る。林業関係書や、四次元がらみの講談社ブルーバックス。打鍵しているのはあくまでヨタ話なのだが、ヨタにもヨタなりのもっともらしい雰囲気がないとつまらない。

 図書館を出て隣のコルトンプラザに行くと、改装オープンとやらで、すさまじい人出。今まで露天だった部分に建物が延長され、どでかいピーコックストアが出店していた。すぐ隣が、もとからあったダイエーの食品売り場。昔は高級食材狙いだったという(今も場所によってはそうらしい)ピーコックも、ここでは安売りメインのようで、商品の多くはダイエーとダブっている。共倒れにならないのかしら。ともあれオープンセールは、小綺麗な家族連れで大変なにぎわい。この国が『不況』とは、とうてい思えない。
 そういえば、先日BSで見た立川談志師匠のロング・インタビューで、寄席の高座でのマクラを集めたコーナーがあり、毒舌で名高い師匠は、こんな意のギャグを飛ばしていた。
「やれ不況だ失業だホームレスだと騒いでいるが、まだ外国人労働者頼みの職場はたくさんある。つまり日本人は働かなくとも食っていけるからホームレスをやっているので、その程度では不況とは言えない。ホームレスが食えずに働き始めたら本当の不況」


05月02日 土  ロンドンデリーの歌=ダニー・ボーイ

 先夜、話の流れで『弱音ハク』おねいさんをググったら、あまりの人気ぶりに「なんだ、こりゃミクに次ぐ大人気じゃん。ちっとも弱音なんぞ吐く必要ないじゃん」と思ってしまった。そもそもボーカル入りDTMソフトとしての『初音ミク』を使いこなせないヘタレユーザーの自虐キャラとして産まれたはずなのだが、今はもう、立派な実力者がわざと声を乱したり音程を狂わせたり、単なるウケ狙いとしての弱音が多いのですね。なまねこなまねこ。
 で、そうした話とはまったく脈絡なくコロコロコロコロと話題は変わり、ハクおねいさんの弱音を探すうち、本家・ミクちゃんの、こんな動画が見つかった。

          

『ロンドンデリーの歌』といえば、アイルランドの古代音楽として名高く、敬虔な賛美歌から情緒纏綿たる叙情歌から甘ったるい歌謡曲(最後の場合は『ダニー・ボーイ』とタイトルが変わったりする)まで、世界各国に現在100以上の歌詞が存在するという、珠玉のメロディー・ラインである。ちなみにここでミクちゃんが歌っているのは、昭和初期から日本で広く歌われている、近藤玲二氏の訳詞の二番目ですね。一部現代語風に変えられているのは、誰の仕事なのだろう。ミクちゃんもなかなかかわいく、ロボとしては声もかなりできております。

     
さ霧降る 港の町は
     リンゴの 花咲く町
     いつの日も 匂い優しく
     夢にぬれて 漂いぬ
     黄昏に 頬すりよせて
     リンゴは 何を語る
     誓いせし あの夜の君の
     香りゆかしき 姿


 さて、狸がこのメロディーにもっとも惑乱したのは、忘れようとしても思い出せないほど昔、新宿のサブナードで働いていた頃である。社会人になって2年目だったか、学生時代から長くつきあっていた恋人(ここでも何度か触れた、演劇科の子ですね。この話とはなんの関係もないが、彼女が所属していた演劇サークルで生硬なシナリオを書いていた青年が、現在の直木賞作家・天童荒太氏だったりするから世の中はとてつもなく恐ろしい)を、早稲田の好漢(いい奴だっただけに恨みきれないのがなお辛かった)に奪われてしまい、ほぼ自暴自棄になっており、なにせ職場のすぐ上が歌舞伎町だから「異性関係で自暴自棄の皆さ〜ん、いっらっし〜ゃい。もーとことんよりどりみどりで堕ちるとこまで堕ちましょうね〜、うふふ〜」的な環境だったわけで、こらえ性のない狸は、のちに尻ぬぐいしてもらった父親から「この事は俺と母さん以外、他の誰にも言ってはいけない。身内にも言ってはいけない。誰にも信用してもらえなくなる」と言明されるようなズブドロの不始末をしでかしたのだが、委細は父の遺言に従い省略。などと思わせぶりに記しても、あくまで巌のような堅さを誇る我が父親の言葉なのであって、実際は、珍しくもない若気の至りなんですけどね。
 ともあれ、ある日の昼下がり、歌舞伎町の今はなき名曲喫茶。当時は、アナログ高級オーディオ機器を完備してクラッシックのレコードを聴かせるのがウリの、なんじゃやら薄暗くて穴蔵っぽいレトロな喫茶店が、あちこちにあったのである。で、狸の前には、なんじゃやらシロトっぽくない女性の方がワケアリげに座っていたと思ってください。自慢するわけではないが、狸の主観では、とてつもない美女である。ならば自慢しまくっても良さそうなものだが、やっぱり自慢できないのである。なんとなれば、夜のみならずそのまんま昼間になっても彼女に会い続けるまでに至るには、とてつもない先行投資が必要であったからである。まあ中小企業の若いサラリーマンにとってはとてつもないだけで、大会社の社用族とかモノホンの社長さんとかなら、歯牙にもかけない投資なのだろうけれど。
 で、そのけだるい午後、壁際の暗がりに壁そのもののように広がっている大スピーカーから、『ロンドンデリーの歌』の演奏が流れてきたわけです。クラシックのオーケストラではなく、マンドリンの合奏に小規模のポピュラーっぽいストリングス、そんな構成だったから、常連さんの持ち込みレコードだったのかもしれない。ともあれ、これが名演だったのですね。あのメロディーラインの、どうにもこうにも辛抱たまらんような盛り上がりを、複数のマンドリンがいっきに掻き鳴らすというのは、洗脳に近い、アルコール度数にして50を越える脳味噌トロかし効果がある。狸はもう何度も身も世も有らず全身をゆらゆらとくねらせてしまい、お向かいのクールな美顔も、取りつくろいの苦手な昼間の顔であるにもかかわらず、なかなか溶解ぎみだったように思う。
 今となっては、その女性の記憶などは、「高価な稀酒のようだった」のひと言と共に、狸穴の天袋の奥深くに押しこんでしまえるが、なぜあのとき、曲間の解説を自演していたアナウンサー上がりの女性主人に、そのレコードの詳細を聞いておかなかったのか、つくづく悔やまれる。その後、サミしく田舎回りをしている間もしつこく探し回ったあの演奏を、二度と聴くことができないのは、生涯の痛恨事である。



05月01日 金  あっ

 というまにGWになってしまいましたが、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでございましょうや否や! ……何語や。
 狸も人並みに5連休――と言いきりたい。ここはぜひとも言いきりたい。しかしてその実態は狸ゆえに人並みではないので、正月同様ないしょのアルバイトを企てております。まあ、この不況にGW中の日雇い派遣はどの程度募集があるものか――前日になってみないとわかりません。下手すりゃ当日までわからないのが日雇いの世界なのですね。月曜と火曜に予約を入れてみたのだが、どう転ぶかはギリギリまで不明。

 本日の職場では白昼夢を見ないかわり、なぜか脳内で、さくらと一郎の『昭和枯れすすき』(昭和49年・1974)が繰り返し流れておりました。CDを買ったこともなくカラオケで歌ったこともないのに、なぜかフル・コーラスきっちり流れ、狸もいっしょに、まったくつっかえずに歌える(もちろん声なし脳内歌唱)のには感心した。『青い山脈』は忘れてしまっていたのに、暗記した覚えもないあの歌詞が意識の底から全部出てくるとは――状況親和力とでも申しましょうか。まあ、あれが大ヒットした頃は世間で四六時中流れていたから、潜在記憶に染み着いていたのだろう。

               

 しかしビンボへの共感はともかく、あの歌のふたりって、恥ずかしいくらいラブラブではないか。その上まともな経済力まで望むというのは、贅沢すぎるのではないか。……なんだか考えているうちにムカムカしてきた。

 世の中には暇な人が多いらしく、こんなのも見つかった。弱音ハクのおねいさんと、亞北ネルのお嬢ちゃんが、デュエットしております。

               

 ちなみにここをご覧いただいている数名〜十数名(カウンターの回り具合から推計)の方々は、狸同様半世紀前後生きてしまった古物から推定十代の方まで幅広く少数精鋭がそろっているはずなのだが、中には「『弱音ハク』さんや『亞北ネル』ちゃんって誰?」と首をひねる、非おたくの方もごく少数存在すると思われます。たぶん10〜20代のお嬢様方あたり。……いますよね? ……おーい。 ……お願いですからいると言ってくれえええええ!!
 はあ、はあ、はあ……。……失礼しました。まあ、要するに『初音ミク』の分家筋と思っていただければ。
 ちなみに狸は、『亞北ネル』ちゃんはともかく、『弱音ハク』さんを見ていると、どーしても他人とは思えません。おたくっぽいものを嫌悪する健常者の方も、『弱音ハク』をググってみれば、きっと皆さん心のどこかで兄弟姉妹。