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08月31日 月  パンツの問題 → 顛末

 わざわざ浦安の病院まで出向く日に限って雨が吹き降りだよ、おい。
 しかしまあ、足腰のコンディションは日に日に良くなっていくようだし、下半身のひっつれ痛もずいぶん軽くなったし、回復は順調なのである。ただ、陰嚢の右から横腹にかけてしっかり残っている鬱陶しい腫れとしこりは、残念ながらとうぶん快癒しないようだ。まあそれは手術前から太鼓判を押されてしまっている後遺症なので、仕方ないのだけれど。
 入院中「また出た、というような感覚はありませんか?」などと回診ごとに訊かれてビビった腸自体の再脱出は、幸いその気配はない。今回パッチを当てた部分も、臓物のグアイによっては再手術の可能性もゼロではなかったのだが、どうやら免れたようだ。それでも腹膜だの筋膜だのには、誰にでももともと弱めの部分が何箇所かあり、狸の場合、一度出てしまったということは膜全体が弱っているわけで、今回補強した部分以外からまたずるぞろずるぞろ、その可能性も常にあるのだそうだ。うわあ、なまねこなまねこ。せめて現在の傷や腫れが、全治してからにしてほしいものである。
 しかし、以前に常着していたジーンズやブリーフをはけないのには往生する。はいてはけないことはないのだろうが、フクロ自体とその横っちょがまだ腫れているので、とても密着状態には耐えられそうにない。ブカブカタイプのチノパンは何着かあるが、下着としてのトランクスは、入院中に姉に買ってきてもらったユニーの奴(戸塚のアピタで買ってくれたのだろう)が4枚ほどあるだけだ。それだけでは心細いので、近所のスーパーで一番安い奴を買ってみたら、同じLL表示なのにユニーの製品より窮屈で、おまけにゴワゴワする。3Lは品揃えがない。狸穴の近所にアピタはないのよなあ。もっと高いの買わなきゃあかんのかなあ。
 なにはともあれ、痩せねばならぬ。入院中に5キロ体重が落ちたが、それでも狸はまだメタボだ。内臓脂肪による腹圧も馬鹿にならんのである。また手術以降ちっとも落ちなくなってしまった血圧(今は毎日降圧剤を飲んでいる)を下げるためにも、ダイエットと塩分の摂生は必要だ。ちなみに、当然のごとくお医者様には禁煙を推奨されており、それは血圧のためでもあるのだが、ヘルニア予防そのものにも禁煙が有効とまで言われてしまうと、内心「なんでやねん」とツッコみたくなってしまう。で、実際やんわりツッコんでしまったのだが、お医者様はのほほんと「いや、因果関係ははっきりしないのですが、データ上そうなってるんです」――わはははは、それはいつどこどんだけの期間の調査によるデータなんでしょうね。脱腸と喫煙の因果関係。
 ともあれ、千葉5区ではしっかり民主の嫌煙青年が当選してしまったし、狸自身入院中は完全禁煙状態だったわけだし、退院後もまだ一日数本しか吸っていないので、実は積年の習慣をあえて捨てようとも思っていたりする。
 ハヤリの電子タバコでも買ってみましょうかね。月単位で勘定すれば、確かに節約にもなるようだ。

     ◇          ◇

 さて、手術翌日12日の記憶も、あまり自信がない。午後まで点滴状態で、夕飯から通常の病院食を許されたのは覚えている。あと、そうだそうだ、麻酔から覚めてまもなく、尿管からチューブを引っこ抜かれたときの、まさに塗炭の苦しみ地獄の苦しみは、生涯忘れられないだろう。かれこれ20日近くを経た現在でも、尿道の奥に不快感が蘇るほどである。
 話は妙な方向にひん曲がるが、入院前の狸は多分に猟奇的趣向にも嗜好があり、臓物ギトギトのスプラッターや、非現実レベルのSM世界も『OK!』だった。しかし、どうも今回の入院を経て、そっちの嗜好はどうやら『やっぱり……NO?』くらいにシフトしつつあるようだ。特に、己の快楽のために他者を肉体的に蹂躙するのを『快感として容認する』タイプのイマージュは、たとえそれが精神性に基づく純粋な仮想物件であれ、はっきりと、許せない気がする。まあ、マルキ・ド・サド級まで、とことん思索された物件は別ですけどね。あれは埴谷雄高大先生の『死霊』と同クラスの、思索の世界ですから。
 閑話休題。
 2日ぶりに許された飲食とはいえ、いきなり食えるはずもなく、飯もおかずもほんの一口でパスした狸だが、姉に「桃が食いたい! 梨が食いたい!」と頼み込んだのはしっかり記憶している。そして翌日、やっぱりほとんど飯など喉を通らないのに、差し入れの桃だけはもはや天上の美味、そのまんま桃ちゃんを抱えて世界の果てまで逃避行に走りたくなるようなありさまであった。あれは確かに『愛』だったと思う。
 その翌日の朝飯も大半残しながら、食後にるんるんるんと梨の皮を剥いている狸を見て、看護婦さんはつくづく感心したように、
「……楽しそうですねえ」
 果物はなんぼ食ってもOKだったのですね。水分も繊維質も豊富なので。
 で、13日以降も、夜中に頭が割れるように痛くなってナースコールしたり、フクロ近辺に当てた氷嚢が溶けてしまってやっぱりナースコールのお世話になったり、降圧剤を倍にしてもらってようやく血圧が安定したり、なんかいろいろビョーキそのものの毎日を送りつつ、それでも傷や内臓の回復のためには少しでも歩き回ったほうがいいと言うので、14日には病棟内のコインランドリーで下着やパジャマを洗濯したり、一階の売店や図書コーナー(浦安市立図書館の、ちっこい出張所)にかよったり、ヨタヨタとうろついたりもしていたのである。
 で、委細省略、15日土曜に手術後初の排便、翌日16日にようやく洗髪、17日には傷を保護していたガーゼやシートがはがれ、19日の回診時に「はい、ちょっと痛いですよ。ぶち、ぶち、ぶち、ぶち」「あだだだだだだだ!!」などと情けなく、かつめでたくも傷から抜鉤、20日になって実に10日ぶりのシャワーを浴びて極楽極楽ぷるぷるぷる(それまでは、毎日蒸しタオルで体を拭くだけだった)、そして21日金曜朝には、忘れもしない久々の朝立ちを体験して、ひと安心(おいおい)――。
 さて、シラコやフクロの中や腸の動きはまだまだアレでも、横のムスコは無事に再起したことだし、傷も塞がったことだし体は洗えるし、そろそろ退院許可が出て自宅療養に移行できるのではないか――などとシロトの皮算用で期待する狸であったが、あにはからんや、術後2日おきに採血して白血球やらなんじゃやら、体内の炎症の推移を調べた限りでは、
「もうちょっと様子を見ましょうね」
 そんな主治医さんの鶴のひと声で、まだまだ怠惰な入院生活が続くのであった。


08月30日 日  ちまちまと生きる → 事の顛末、その4

 ちょい微熱が出たようだが、入院中も3日に1度は発熱していたので、まずはデフォルト状態。切って貼って即ケリがつくようなあんばいでは、もとよりなかったのである。
 しかし、本日起きてまもなく、すなおな便通があったのは嬉しかった。手術以降、なかなか大のほうの便通がなく、毎食後に一種の下剤(習慣性になりにくい、腸の水分再吸収を抑えるだけのもの)を多めの水といっしょに飲んでいたのだが、小のほうが近くなるばっかりで、肝腎の大きい方はちっとも出ず、結局3日に1度はキツめの下剤(腸を直接刺激する奴ですね)を処方してもらい、ようやく出していたのである。これはなかなか苦しかった。なにせ出口でカチンカチンになっている物件を、下剤で無理矢理勢いよく押し出す形になるので、肛門までいっしょに飛び出てしまいそうな苦痛がある。退院後も穏やかなほうの薬は続けて飲んでおり、それでもやっぱり出ないので一昨日あたりキツめのを使って出したのだが、本日めでたく、キツめのなしで開通いたしました。やはり歩き回ったのが良かったのだろう。
 それから小雨の中をヨタヨタと、近所の小学校に向かう。そこの図書室が投票所になっている。徒歩5分で行けるので、こんな体調のときには本当にありがたい。
 帰宅後は、ちまちまと打鍵したり、ツタヤの半額クーポンで借りてきた『戦争と人間』全三部作を観たり。いやあ、観れば観るほど山本薩夫監督作品というのは、反戦でも反体制でもなく、むしろ巨悪美の世界。
 私的打鍵は、例の『ゆうねこ』をぼちぼち進め、あとは入院中に脳内で組み上がった、明治時代(大正か昭和の戦前になる可能性もあり)が舞台の幻想ろり物語を、忘れないうちにシノプシス化しておく。題名は『神変白鳥怪』――うふふふ、とーってもお耽美で可哀想で、でもしまいにゃ悲惨さを突き抜けて明るく痛快になっちゃう、そーんなハードエロス伝奇物なのね。おばちゃま、わくわくしちゃう。
 しかし、夏の前に打ち出した『神津瀞妖譚』は、どうなるのだろう。なにせ入院中に精神的コンディションが豹変してしまった。あの『坊ちゃん』と『渡り鳥シリーズ』がいっしょになったような明朗青春伝奇世界には、どうも戻れそうな気がしない。結局『いつか見た蝶の峪』と同様、中断してしまうのだろうか。『ゆうねこ』を含むたかちゃんワールドだけは、もはや狸の存在と不可分の世界として、あいかわらず脳内に君臨しているのだけれど。

     ◇          ◇

 さて、昨日の続き、全身麻酔と腹部切開である。
 ……すみません。覚えてないです。寝てました。あたりまえですね。
 実はそのあたりのみならず、ここまでまことしやかに記しているそれ以前の経緯も、手術後意識がしっかりしてからの、追記憶とでもいうべき記憶を再現しているのであって、かなりいいかげんな部分も多いのです。
 たとえば手術が始まる前、狸はT字帯と呼ばれる手術前後用の越中褌に似た下着を、看護婦さんに頼んで売店から購入してきてもらったのだが、それはあくまで後日看護婦さんに訊いた話で、狸当人はまったく覚えていなかったりする。麻酔が覚めて最初の診療の時、おや、俺はずいぶん妙なフンドシつけてるなあ――てなもんで。また、手術直前のまだ意識があるうちに、陰毛の右半分を看護婦さんに剃られているはずなのだが、残念ながら(?)、その記憶もない。
 実際、後日、姉夫婦も、手術当日の11日や翌日12日には、狸の言動は明らかに混乱しており、まともになったのは14日金曜に見舞ったときあたりから、そう証言しております。やっぱり、かなりおかしかったのね。
 ともあれ、全身麻酔を受ける直前、もーどーとでもなれという開放感の片隅に、一抹の不安があったのも確かである。ありふれた前立腺肥大の手術だったはずなのに、結局それっきり二度と目覚めなかった、我が父親の例もある。手術直後に、解離性大動脈瘤破裂を併発してしまったのである。狸も父親の遺伝で高血圧気味だから、腹なんぞかっさばいてる間、何が起こるかわかったものではない、でもまあ、なんじゃやら「ちょっと痛いですよ」とどこぞに注射されたときにも、ちっとも痛かった記憶はないし、それからマスクでなんかのガスだか酸素だかを言われるがままに深く吸いこんだときには、「俺はここ数年間これほど速やかに心地よく入眠できた夜があったろうか」などと感動してしまうほど、一瞬に眠れてしまった。
 そして――いや、しかし、かな。
 今日になっても未だに強烈な、この歳になって一種の新トラウマと言いきりたいほどの不快な記憶が、麻酔から醒めたときの感覚なのである。
 もちろん横っ腹にどでかい切り傷が生じていたわけだし、鼻から口から尿道から、あっちこっちに不快なチューブが挿入されていたためでもあろうが、とにかくその覚醒は、「俺は生まれてからこれまで、これほど不快な朝を迎えたことがあったろうか」と絶望してしまうほど、ひたすら不愉快だった。「ああ、生きて戻れた」などという感慨は微塵もなく、はっきりと「ああ、このまんまずーっとあの暗闇の中で死なせといてくれ」、そう願ったことを覚えている。それはもうマジに、鬱勃たる思春期の頃読み漁ったやくたいもない書物の中から、デンマークの思想家キルケゴールの、こんな鬱格言が脳内に響いてきたくらいである。

  人は誰も、泣きながらでなくては、この世に入って来ない。
  一度出て行った者は、誰一人、死者達のところから戻らない。
  そして誰一人、入って来たいのかとも、出て行きたいのかとも、問われることはない。


 などと言いつつ、生きながらえてしまったものは仕方がない。もともとチンケな脱腸手術なのである。
 とはいえ、手術に要した時間は2時間と、鼠径ヘルニア手術としては最長と言っていいようだ。切開長も、手術以前の説明では数センチくらいとのことだったが、後日、抜鉤(今の手術は傷口を糸で縫わずに、ジョイントというかホチキスみたいな器具でプチプチと閉じるんですね)してから自分で実測したら、その倍はサバいてあった。それだけ開かないと押し戻せないほど大量のモツが、はみ出ていたわけですね。
 聞けば、脱出していたのは予想されていた小腸ではなく大腸で、これは嵌頓(かんとん)ヘルニアとしては珍しいことらしい。ふつう出っぱなしで引っこまなくなるのは小腸の場合が多く、たいがい血行が阻害されて活きが悪くなっているから、小腸全体がとても長いのを幸い、はみ出たぶんはあっさり切除して活きのいいとこを縫合し、さらに筋膜の弱った部分も切って、その内側にクーゲルパッチとかいう形状記憶素材の薄いフタを広げ、適宜ちょこっと部分的に縫いつければ、あとは腹圧で固定されるのでズレない――そんな段取りらしいのだけれど、狸の場合、幸いというかヘンな奴というか、小腸よりも太く短く傷みにくい大腸がはみ出ていたため、腸自体は切らずに済んだ、とゆーか、ちょん切るわけにもいかなかったわけです。そのわりにやたら手術時間がかかったのは、とにかく盛大にはみ出ていたので、中に戻すのが大変だったらしい。
 腹の外側は、後で縫えばくっつくんだから、手指をつっこみやすいように派手にサバけばいい。よほどマヌケな医療ミスで腹部大動脈をブチ切るとかしない限り、大して血も出ない(まあ事前の手術承諾書には、しっかり『出血』の可能性の項目がありましたけどね)。また患者が若い女性だったりしたら横腹の大傷跡は大問題になるだろうが、死に損ないの狸の腹にどんな傷跡が残ろうと、「はい、大丈夫。しっかり閉じといたからね」で済んでしまう(あくまで狸自身の見解)。しかし、パッチを当てて塞ぐ予定の筋膜だか腹膜だかにまで、どでかい穴を開けるわけには行きません。ちなみにひと昔前までは、クーゲルパッチなどという便利な代物は存在しなかったので、筋膜や腹筋を直接縫って補強したのだそうだ。もともと弱まった組織を縫い合わせるわけだから無理な負荷がかかり、再発率も高かったらしい。
 さて、そんなこんなで、狸の下半身はようやく人並みに――とは、残念ながら、とうぶんいかないのである。
 だいたい、手術前の説明同意文書の下の方に、きっちりこんな記述がある。

  後遺症の可能性 なし ○あり
  再発の可能性 なし 僅かにあり ○あり


08月29日 土  投票近づく → 事の顛末、その3

 うーむ、困った困った。
 いや、明日の衆院選の話である。
 狸穴のある選挙区において、自民の青年S氏は、どうも小泉やら麻生やら、その時々のいちばん偉そうな人に、ひたすら従順かつ元気いっぱいにわんわんわわんと付き従う、活きのいいシェパードにしか見えない。
 民主のやっぱり元気な青年M氏は、一見良さそうなインテリだが、なんでだか嫌煙問題になると理屈を忘れて発狂する。どうも事物の根幹を、『好悪』と『大勢の流れ』で判断してしまう人物と思わざるをえない。そもそも民主党自体、狸にはどうしても自民と大同小異の政治屋さんたちにしか見えないし、日教組がらみの言動などは、むしろ自民よりアブナイ気もする。
 そして幸福実現党は、もはや候補者の名を覚えようという気にさえならない。なにせ昨今の教祖様が、完全にイってしまっている。まあ昔からイきっぱなしなのだけれど、近頃はそろそろ●●●●病院に入院するべき段階に達している。
 と、なると――けしてその方が特に有能な政治家とは思えないのだが、狸と同世代の、小粒ながらきっちり正論を述べるT氏しか選択肢が残らないわけだが――ううむ、困った困った。狸にとっては、典型的な『誰に入れたくないか』の、ネガティブ選挙(あくまで勝手な分類名)になってしまうのだなあ。もっとも『ぜひこの人に入れたい』型のポジティブ選挙なんて、久しく経験していないのだけれど。

     ◇          ◇

 さて、行徳と浦安は目と鼻の先なので、タクシーはあっというまに順天堂病院に到着した。まあ行徳病院の方々も、こんな短距離だからこそ、自力移動に任せたのでしょうね。
 しかし、実は、その後が大変なのであった。そこそこの規模の(失礼)行徳総合病院とは違い、今度はどでかい大学病院である。総合受付から外科受診から入院手続きから心電図その他の各種検査から、股間に真桑瓜ぶらさげたまんま、昼に点滴ひっこぬいて以来水分補給もできずにあっちへうろうろこっちへうろうろ。狸としてはもはや半死半生なのだが、ここではまだ入院以前の単なる『外来患者』扱いの上、外見にもさほど異常が見られないためか、誰も介助などしてくれない。脳味噌は煮つまるは、全身鉛のように重くなるはで、狸は移動中の廊下でついに吐瀉してしまいました。直後に計った血圧が188、つまりプッツン寸前だし、下半身の臓物のほうも、いいかげん煮つまってたんでしょうね。幸い胃の中はからっぽだったから、ゲロといってもさらさらの半透明な液体だけで、周囲の方にはさほど不快を与えずに済んだのだけれど。
 しかしまあ、そうしたヤケクソの状況下でも、狸のことゆえ、どーしてもシリアスには徹しきれない。
 たとえば触診してくれた外科医さんが、昨夜診てもらった行徳の宿直女医さんとはタイプ違いの明朗快活な、さらに若い女医さんだったりして、おまけに会話中、そのふたりが同じ医大の先輩後輩であることが明らかになると、
「いやあ、先輩の方には、真夜中にずいぶんお世話になりました」
「私と違って冷静沈着、ほんとにかっこいい人だったでしょう」
「いやいや、先生も、こうして話しているだけで気分が落ち着きます。さすがは女医さん、並の若い女性とは違い、実に言葉がしっかりしてますねえ」
「いやいやいや、先輩と違って、なんかガサツでお恥ずかしい」
 こっちの女医さんは推定まだ30代前半、ちょっと童顔で下町娘っぽい物言い、狸にしてみれば「お嬢ちゃん」と呼びたいような様子なのだが、そこはそれ現役外科医だけあって、言葉の端々に確固たる成熟が感じられるのですね。しかしまあ、これらの会話が真桑瓜大のキャンタマブクロを触診しながら行われるのだから、客観的に見れば、すでにシュール・ギャグのような気もする。
 さて、そんなこんなでようやく『入院患者』に再昇格、夕方近く点滴引きずって入院病棟に運ばれるときは、いかにも重病人っぽくベッドに横たわったままカラカラと運んでもらえたのだけれど、いざ手術時間が午後7時半と決定した時点で、別の男性外科医から、「近親者や保証人にも施術説明した上で同意を得られないと手術開始できない」、そんな話を聞かされた。全身麻酔をかけるだけでも、今どきなんじゃやら面倒な承諾書が必要らしいし、臓物のグアイによっては腸そのものをちょん切ったりするわけで、どうも当人の承諾だけでは手術できないらしいのである。
 で、急遽、携帯で姉夫婦に連絡をとり、電話口でとりあえずお医者さんから手術内容の説明をしてもらい、同意を得た上で、手術開始には間に合わなくともとりあえず立ち会いに駆けつけてもらう――そんな段取りになりました。結局、手術開始の30分前には到着してくれ、直接「いやはやなんとも、すんまへんすんまへん」「大丈夫? 昨日のうちに電話くれりゃ良かったのに」「いやもう、とてもそれどころの状況じゃなくて」等々の会話を交わし、心おきなく手術室に向かったのでありました。
 さて、いよいよ狸としては生まれて初めての、全身麻酔、そしてハラキリへ――以下、次回。


08月28日 金  アホの徘徊 → 事の顛末、その2

 多大な未練を残しつつ、仕事場にケリをつけてくる。契約仲間は皆優しく、正社員の方だってそれなりに優しく、一部の方からはお見舞いまでいただいてしまったのだが、会社自体は、残念ながらあくまで非情。10日午後3時半までの時給が、月末に振り込まれるだけ。まあ、今どき生き残ってるだけ不思議な、絶滅寸前の恐竜のような会社なので、恨み辛みはちっともないんですけどね。ヨタヨタ歩きでも馘首にならないのは、それこそ『正社員』のみに残された最後の特権。

 さて、ヨタヨタ歩きながら、日々のお散歩などは内臓機能回復のためにしっかりやれと言われているので、元来徘徊好きの狸は、ヨタヨタと下総中山の法華経寺に向かったりする。日蓮宗の大本山だけあって、五重塔から大仏(実際は中仏くらい)まで一式揃っており、老狸の散歩に向いたコースなのである。また、野良猫も多数棲息しており、表参道にたむろする小綺麗で血色も良く人慣れした連中から、奥の方でヒネている痩せこけた無愛想な連中まで、各種の野良っぷりが楽しめる。今の狸には、当然表の元気な連中よりも奥の痩せ猫たちがひときわ愛しく、目ヤニだらけの栄養失調猫と、思わずタメ気分で交流してしまったりする。ふだんなら人が近づくと逃げる痩せ猫が、今日に限って狸に喉元を委ねて力なく喉をごろごろと鳴らしたりするのは、やはり『タメ心』が通じたのか。
 帰りにハローワークに寄って、今後生きていくためのなんらかの資格取得や職業訓練(たとえば介護関係とか)に関して話を聞くうち、いわゆる『日雇い労務者』(ドヤ暮らしのドカチンさんですね)は、日々仕事にありつくごとに日当に応じて何十円かの『印紙保険料』というものを払っておけば、アブレた日にもなんらかの給付を受けられるのに、改めて思いあたった。つまりドカチンさんは、立派に雇用保険の対象者なのですね。うわあ、おみそれしました。最末端のバイトや派遣や契約社員より、労働者としての社会的な立場は上だったのですね。なまねこなまねこ。
 そうして、まだ日の高いうちに狸穴に戻ってきたのだが――失敗でした。なんぼ休みながらのヨチヨチ歩きとはいえ、つい一昨日まで病院内の僅かな距離を散歩するだけだった病み上がりが、2日続けて常人なみに外出したのは、やはり無茶だったようだ。もはやぐったりたれ狸。ビールでもかっくらって寝てしまいところだが、薬の関係でアルコールは当分禁止だしなあ。ぶつぶつぶつ。

 で、昨日の続き、深夜の『行徳総合病院』である。
 暗い待合室のソファーに、全身冷や汗でぐしょぐしょのままでろりんと寝そべって、「ああ、なんか、もーどーでもいいや。このまんま死ぬまで寝ていよう」などと狸寝入りに逃避すること小一時間、ようやくお呼びがかかって診療室に這いこむと、そこに鎮座ましましておられる仏様のような外科医さんは、年の頃なら30代なかば、スリムで知的な、まさに『女医萌え』とでも言うべきお方なのであった。しかし狸も、羞恥心やら萌え心やら、人並みの感応にはすでに程遠い状態だったので、言われるがままに診察台に横になり、千畳敷物件をでろりんと露出し、その女医さんの白魚のような指に任せてしまったわけである。
「……大きいですね」
 えーと、あくまで患部の話です。患部の横のムスコなど、腫れ上がった袋に埋まるようにして、ほとんど頭しか見えませんでした。
 来る前の電話では、鼠径ヘルニアにも経験豊かな医師がいるという話だったから、その女医さんが感服したように「大きいですね」とおっしゃったということは、よほど大物だったに違いない。もっとも、改めて自分で患部をしっかり見さだめた限りでは、メロンだの西瓜だのはやっぱり感覚的な妄想で、せいぜい小ぶりの真桑瓜程度だったのだけれど。
 女医さんは、しばらくの間、それを腹の中に戻せないかとマッサージに励んでくれたのだが、やっぱり大物過ぎて無理っぽい。それから緊急入院が決まって、CTスキャンやらレントゲンやら、どのみち手術は避けられないので飲食禁止の点滴状態になるやら、もう細かいところは狸自身朦朧としてしまっているわけだが、CT画像の説明を受けたときの記憶だけは、あんがい鮮明に残っている。輪切りにされた我が下腹部には、思わず拍手したくなるような大瘤が盛り上がり、その中にはモツっぽいものがでろんでろんと詰まっていたのです。本来あるべきシラコだのタマタマなどは、もはや行方不明(あくまで狸自身の所見)。
 ただ、その女医さんも意外だったことに、不思議なほど痛みがない。本当なら激痛のたうちまわり状態のはずらしいのに、狸の自覚としては、あいかわらず『とてつもない違和感』と『とてつもない重苦しさ』が増すばかり。で、CT画像をじっくりと検分した女医さんは、「不幸中の幸いというか、脱出穴自体が大きすぎたため、かえって血液循環障害の兆候は軽微」、そんな診断を下してくださった。どのみち嵌頓ヘルニアの手術には、経験執刀医が2名必要ということで、その夜のうちのオペは不可能、翌朝以降に具体的な段取りを――てなわけで、狸は車椅子に乗せられ、入院病棟へと落ち着きました。もっとも、そのあたりの経過も、すでに記憶が曖昧なんですけどね。
 そして翌朝、11日。
 夜勤の女医さんに代わって訪れた若い男性医師は、ちょっと困っちゃったなあ――いや、そんな軽い表情ではないのだが、いずれにしろ俺にはどうしようもないもんね、そんなクールな表情で、
「この病院では、2日後でないと執刀医が2名揃わないことが明らかになりました。申し訳ありません。なるべく早く手術の可能な受け入れ先を探しますので、今しばらくお時間を」
 狸自身としては、このまんま二日間ぐったりと狸寝入りを続けていてもかまわないくらいの心境だったのだが、現在まだ重度の循環障害や壊死の兆候がないとはいえ、なにせ臓物でろんでろん、なるたけ早く腑分けしないと、今度何が起こるかは誰にも予測できない――そんな話なのですね。
 かくして『行徳総合病院』での入院はたった一夜に終わり、『順天堂大学病院』なら遅くとも今夜には手術が受けられるとのことで、即刻転院することになったのだが、その移動方法が、実はとっても「がちょーん」だったのである。
 あくまで自力歩行可能な現状なので、救急車なんぞは使わせてもらえない。つまり、手術に向けた点滴をいったんひっこぬいて、前夜脱いだままのくっせーシャツや湿ったズボンに再度身を包み、ひと晩の診療費と入院費の内金だけ納め(この時点で持ち金ぜんぶはたくのはヤバいような気がしたので)、「ではよろしく」と渡された紹介状や検査資料一式を抱え、自分でタクシー呼んで、
「あの、すみません。浦安の順天堂大学病院とゆーとこまで、お願いします」
 これはほんとに力いっぱい心細かったぞ、おい。なにせ股間には、あいかわらず真桑瓜がへばりつき、それをいたわりながらの道中なのである。
 で、次回、まだまだ前途多難の、再入院および手術編に続きます。


08月27日 木  事の顛末、その1

 さあて、行徳まで出張って残金も納めてきたし、あとは臍下丹田力をこめてリハビリを――って、臍下丹田力をこめるのが今のところ禁止だし、ヘルニアといってもいわゆる腰の破滅する『椎間板ヘルニア』や首の破滅する『頸椎ヘルニア』ではないから、特にリハビリのしようもないのである。もっとも、狸穴の管理人さんや、入院中にお払い箱になってしまった仕事先には、あえてなんか恥ずかしい語感の『脱腸』ではなく『ヘルニア』とだけ説明し、先方の誤解を狙っていたりするのだけれど。伝言板に励ましの言葉をくださった羽堕様なども、たぶん誤解してくれているようだ。
 今回狸が襲われた恐るべき病魔は、本当は、こんな症状である。以下、ウィキペディアより部分コピペ。
鼠径ヘルニア(そけいヘルニア)とは、上部の鼠径靭帯で鼠径部の皮下に出るヘルニアのこと。別名脱腸。
男性に多い外側のヘルニアの場合、陰嚢内で精巣が異常な状態で下降するとき先天的に発病する。その時、腫瘤ができ、発病が確認される。
ひどい場合、陰嚢に腫瘤ができる。
腸管がねじれ、嵌頓(かんとん)ヘルニアを併発する可能性があるため危険。
嵌頓ヘルニアは、脱出した臓器などが脱出穴で締め付けられた状態を指す。締め付けられた状態が長期に及ぶと、血液循環障害により脱出した部分が壊死ないし壊疽に至る場合がある。多くは激痛を伴う。

 とまあ、そんなような奴を、まとめてどーんとやってしまったわけである。
 長くこの狸穴を覗いてくださっている方ならご記憶かもしれないが、ちょうど昨年の今頃、いや、7月だったか、軽い症状が再発した話を記した。そのときは、あたかも幼時の軽い脱腸のノリで苦しくもなんともなく、ちょっと押すと引っこんでしまい、陰嚢自体にもなんら異常が見られなかったので、それっきりにしていたのだが――やはり、素人のあさはかさだったのですねえ。

 で、忘れもしない、おおむね半月前、8月10日の午後3時半頃。
 仕事中の狸の下半身に、文字どおり「ずるずるぞろぞろ」というような音(実際は音ではなく、あくまで感触だったのだろうが)をたてながら、なんじゃやらとてつもない違和感が生じてきた。ちなみに近頃の狸の仕事は、ひと頃あった個々の写真のレタッチなどは残念ながらほとんど口がかからず、単純なDPEの流れ作業を、一日中立ったり座ったりラボ機のメンテをしたり薬液補充したりしながら、どたばたとこなしていたのである。で、その時点では痛みや苦痛はまったくなく、まさに『違和感』の親玉としか言いようのない感覚に過ぎなかった。なんじゃこりゃ、と首をひねりながらしばらく働き続けていたら、いつのまにやら冷や汗まみれで顔面蒼白になっていたらしく、狸より先に同僚のあんちゃんから「狸さん、ものすごく様子がおかしいよ」と指摘され、初めて狸自身、はっきりと異常事態を自覚したわけである。で、トイレに行ってびっくり仰天。陰嚢の右側が、まるでテニスボールのように膨張している。ぶかぶかの作業ズボンをはいていたので、ちっとも気づかなかったのである。
 そこですぐに医者を探せば良かったのだろうが、昔、群馬にいた頃の脱腸とは違い、痛みや苦痛はまったく感じない。そして何より、あの頃と違って現状の狸は、予定外に職場を離脱することが即収入減に繋がってしまう貧民である。痛くはないのだから、しばらく横になっていれば事態は好転するのではないか――まあ、こーゆーのを、世間では『貧すれば鈍す』と言うのですね。
 さすがにそれ以上その日の勤務は続けられず、退社時間まで控え室で横になって、いくぶん楽になったような気がしたので、いつものように電車で狸穴へ帰還。で、熱もないし脳天気に夕飯まで普通に食って、明日も仕事だから大事をとって早めに風呂に入って寝てしまおう――などと、鈍しきった脳味噌で高をくくっていたら――またもや「ずるぞろずるぞろ」という感触音(?)とともに、今度こそ恐怖の大王が降臨してしまいました。テニスボールが、一瞬にして真桑瓜大に育ったと思っていただければ。
 うああああ、狸のキ○タ○、マジ千畳敷――などと感心しているバヤイでは、もはやないのである。さすがの脳天気狸も「イシャはどこだ」と慌てふためき、しかしそこまで運命をナメてしまった報いとして、どの医者もとっくに閉まってしまっている。やむをえず、千畳敷を抱えるようにしてよろよろと市川保険センターの夜間救急診療窓口までチャリを転がしたが、当然そんな外科的事態に即対応してくれるはずもなく、窓口で紹介されたあっちこっちの専門病院に電話相談してみても、どこも「夜間は対応できる医師がいない」と断られ、そうこうしているうちに真桑瓜が立派なメロンに育ってしまいそうな感触さえ覚え始めたものの、そうした状況を正直に訴えれば訴えるほど、電話の向こうの推定事務員さんたちはビビって「とにかく専門医がいない」、しまいにゃ保険センターの職員さんまで「明日まで我慢できませんか」などと言い出す始末。いや、やろうと思えば我慢はできますよ。今のところ激痛があるわけではなく、あくまで『とてつもない違和感』と『とてつもない重苦しさ』のために、冷や汗だらだら出まくるだけの症状ですから。しかしこのまんま放置して、メロンが西瓜まで育ってしまったりしたら、だれがそれを抱えて移動してくれるのだ。やっぱり救急車呼ばなきゃだめなんですか?
 こうなると、もはや自分の気迫しか頼る術はない。その日その日の救急外来受付先なんぞ、なんぼ医療制度上で決まっていても、そこに専門医がいてくれなければ話にならない。なんのことはない、あとはひたすら自力であっちの病院からあっちの病院へとたらい回しに紹介されて電話をかけまくること小一時間、ようやく「じゃあ診てあげましょう」と素晴らしい神の声を聞かせてくれたのは、『行徳総合病院』という珠玉の医療法人で、もはやヨレヨレ状態で総武線から地下鉄東西線に乗り継ぎ、行徳駅前の交番で道を訊き、そこから病院への僅かな距離を歩く間にも、数回へなへなと路傍に座りこみ――ようやく暗い待合室でぐったりと横になったのは、すでに夜半を過ぎようという頃なのであった。
 しかし――翌日の夜に緊急手術を受けたのは、さらに離れた浦安の『順天堂大学病院』だったりする。
 まだまだ続く、千畳敷を抱えた狸の彷徨――あとは明日のお楽しみ(たぶん)。


08月26日 水  よれよれながら

 とりあえず、狸穴に帰還いたしました。
 田川氏へ――伝言板への恥ずかしいカキコ、ありがとうございました。
 五十嵐氏へ――そちらもなにかと大変な中、物心ともに大いなる慰め、ありがとうございました。
 で、ここの存在はナイショの姉上様――このような愚弟の存在も前世の因果と諦め、なにとぞ今後ともお見捨てなきよう。
 そして、かんぽの職員様――あうあう、もっと早く、もっといっぱい保険金くださいませんか? 確かに手術自体はさほどの難手術ではなかったのですが、とうぶん狸は働けんのです。失業者なのです。雇用保険も適用外の非正規労働者なのです。おーいおいおいおい。……嘘泣き。
 そして、ここをご覧になっている、まだ見ぬ若き同志の皆様――路傍に倒れ伏す哀れな老狸に一片の憐憫をもって喉元こちょこちょ、そんな優しさが、きっとあなた方のオーラを狸色に輝かせ――まあそんな色に輝いてしまったら、かえって人としてアレでしょうが。
 最後に、狸自身へ――困窮の中、意地でも国保とかんぽ払い続けといて正解だったなあ、おい。でなきゃ今頃マジ道端で内臓腐って死んでるぞ、おい。

 さて、今回の悶絶の日々に関する詳細は――なにせまだヨレヨレゆえ、追ってボチボチと。


08月09日 日  時事狸談

 おお、のりピーさんも、岡村靖幸君なみの常習者であったか。なまねこなまねこ。しかし種々の報道を見聞して情けなくなるのは、やっぱりあの別居中の亭主の言動である。せめて「アレは私が置いといた吸引具です」とか「元はと言えば私が悪いのです」とか、よしんば嘘でもいいから発言できんものですかねえ。たぶん初めは実際旦那のお薦めだと思うし。まあいずれにせよ、旦那を選び損ねると女性は大変だ。もっとも、世の女房を選び損ねた旦那に関しては、「わっはっは、ざまーみろ」と哄笑するだけの狸であるが。ところでのりピーさんの弟さんも、組関係でしゃぶしゃぶしていたようだ。まあ血縁だけは、当人が選ぶわけにはいかないのだけれど。
 以前にも記したが、もし狸の身辺にメタンフェタミンやコカインがあったら、とっくの昔にお世話になっているだろう。しかしあれらは北朝鮮産にしろ北米圏経由のものにしろ、ほとんどヤクザ屋さんたちの専売らしいので、ヤクザ屋さんに家族や友のいない狸としては、ロハで入手するすべがない。68円とか100円なら出せるが、それで売ってくれる親切なヤクザ屋さんは、たぶんこの世にもあの世にもいないだろう。
 やっぱり貧乏人のヤク関係は、昔の軍隊にでも入らないかぎり、自分で大麻を採取したり育てたりが関の山なんだろうなあ。でも、そっち系はいらんのよ。ふわふわ夢幻の境地に遊ぶなんてのは、狸の場合ほっときゃそうなるわけで、要はその間のあれこれをどーっと成文化するための気力が欲しいわけである。まあ多少支離滅裂にトンだりしても、テキスト形式の原型さえ存在すれば、正気に推敲するのは、疲れていても断片的な時間しかなくともできる。こーした関係においても、厳然として貧富が問われてしまうのは、やはり哀しい。
 ところで狸は、とくに酒井法子さんのファンではありませんが、未だに岡村靖幸君の大ファンです。

 などと不謹慎な話ののちに記するのもなんだが、昨夜、風呂に浸かってラジオを聴いていたら、涙がぼろぼろ止まらなくなって往生してしまった。NHKで、広島や長崎の被爆者さん、あるいはその関係者さんからの手紙を、えんえんと紹介していたのである。妙な演出や煽りのない(まあ一部の手紙に紋切り型のあざとい表現があったが)淡々とした体験談だけに、それはもう慄然とするほど当時の地獄絵図が心身共に迫ってくる。
 アメリカでは、あいかわらず広島や長崎の被爆者関係イベントに横槍入りまくりらしい。ずいぶん昔のテレビドラマに、アメリカに原爆が投下されるという趣向の『デイ・アフター』(1983)というのがあり、皆さん顔にちょこっとケロイドのメーキャップをして地獄だ地獄だと大騒ぎしているビジュアルに、つくづく頭を抱えてしまったことがあった。近頃のハリウッドでも、トム・クランシーの小説『恐怖の総和』を映画化した『トータル・フィアーズ』(2002)で、アメリカのボルチモアで核爆発が起きるシーンがあったが、CGでド派手に吹き飛ぶ都市は描写されても、老若男女問わず一般市民が全身焼け爛れ「水を、水を……」と呻くビジュアルなどは、当然のことながらカケラも出てこない。アメリカにせよどこの国にせよ、大衆などというものは衆愚であったほうが、お偉いさんたちにとっては御しやすい。
 衆愚とは何か。
 自分がされて嫌なことは他人にもしない、というような道徳的なレベルの問題ではない。人間というロクでもない生物である以上、ときとして、意図的に他人を嫌な目に合わせてやろう、そんな感情からは逃れられない。問題は、『嫌な目』そのものに対する知識および想像力があるかどうかだ。それがないのを『衆愚』という。
 世界で唯一、超弩級の痛みと引き替えに、核兵器問題に関してだけは『衆愚』から抜けられる可能性を与えられたこの日本において、今さら「現実的見地から日本だって核武装するべき」などと発言する輩は、まあ衆愚のトップ・ランナー、殿堂入りの狂人と言っていいだろう。
 ……えと、念のため。狸はあくまで感情右翼なので、この世から軍人がいなくなる日は永遠に訪れまいと思いますし、軍人は殺してナンボ死んでナンボとも理解しております。しかし、戦闘員と非戦闘員の区別、それが難しいならせめて軍刀とウンコの区別くらいはつけとかんと、おちおち戦争もできんやな。


08月06日 木  幻の山、その他

 じょぢゅうぼびばいぼうじあげばずうみゅみゅみゅみゅうあづういいい。……すみません。蒸し暑くて一時的に発狂してます。
 
 本日は人並みに5時過ぎに職場を出て、ふと駅方向とは逆の南の空を見ると、ビルの谷間の彼方に蔵王の山並みが覗いており、思わずそっちに向かって5分ほど歩いてしまった。そっちの彼方に東京湾しかないことは知っている。知っていながらも、まるで故郷の街中から東の山並みを望むのと瓜二つの光景に、誘われざるをえなかったのである。ちなみに幻の山の正体は、ただ薄雲が化けていただけ。

 帰宅して、昨夜から窓の外に吊しっぱなしの洗濯物を取りこもうとすると、これがまだ湿っている。昼間、完全な晴天ではなかったものの、薄曇りと薄日の繰り返しできちんと風もあり、まさかまだ乾いていないとは思わなかった。とにかく湿度が高い。パソ部屋兼寝室の六畳は、ちっこい窓用エアコンがあるので寝るまでにそこそこ冷やせるが、食ったり観たりする四畳半は、じっとしていても汗がたらありたらありと滴るような温気である。

 裁判員制度が導入されて初の判決、妥当な線に落ち着いたようだ。懲役15年。情状酌量はほとんど認められなかったわけで、その後に被告は「裁判員が自分と同じくらい人生経験を積んだ人だったら、考えを分かってもらえたかもしれない」などと弁護士に話したと言うが、誰がどう見ても単なるキレやすい粗暴犯のおっさんが、状況はどうあれ人ひとり殺しておいて悪びれもせず、見ず知らずの人間に情状酌量を認めろと言うのは、そもそも了見が違う。神妙に罪を背負うべき。

 大原麗子さん死去のニュースに、しばし呆然とする。ああ、あの可憐かつ色っぽい方も、逝ってしまったのだ。病による孤独死だったらしく、発見されたときは死後数日から2週間程度経過――うああああ、その部屋がエアコン入れっぱなしであったことを、切に切に願う。この温気湿気の中で息絶えて、数日経過したあの方の姿など、狸はともかく他の誰の目にも晒したくはない。肉親である弟さんはともかく、警官もいっしょに入室してるんだからなあ。
 ともあれ、他人事ではないのである。チョンガー狸の我が身、この時期だけは、狸穴の外で死なねばならぬ。


08月05日 水  鬱勃たるパトス、でもたれぱんだ

 いやあ、ただたれているわけではなく、人並みにパタパタと生活してるんですけどね。それ以外の趣味的思索的部分では、やはりたれがちの狸の夏です。

 職場で休憩時間にいつも『死霊』を開いていたら(なにせブラックホールのごとく高密度のシロモノなので、解読するには無限の時が必要になる)、エロゲ仲間の若い衆に「なんかかっこいい」と言われてしまった。何がかっこいいやらうまく説明してくれないのだが、その若い衆も一応大学の文系を出ているので、『死霊』という書物が、革命やら哲学やらに関するなんかであるらしい、そんなイメージを抱いており、それを読むビンボそうな老狸から、どうも昭和レトロのインテリ無産階級、蟹工船的プロレタリアート像を連想してくれているらしい。わはははは。ありがとうありがとう。狸自身、近頃そんな気分を楽しんでおります。だって他にカッコつけるあてがないんだもん。なんて、本当は、このままだと死ぬときに残るはずの膨大な『悔い』を、なるべく他力本願で減らそうとしているだけなんですけどね。
 ともあれ埴谷雄高大先生ご自身は、無産階級どころか、父親の遺産で食いながら思索の道を貫いた方である。だからこそ、こんなやくたいもない(失礼、あくまで実利的な市民生活においては、という意味です)書物や、難解きわまる各種評論を営々と書き継ぐことができたわけで、それこそがインテリ有産階級の本懐ではなかろうかと思うのですね。食う心配のない有産階級の人々が、知的活動や芸術的活動そっちのけで貯蓄だの投資だのに血眼になっているばかりでは、『文明』はそのうちなんかとんでもねー壁にぶち当たってぺっしゃんこになるのが目に見えているし、『文化』などは餓鬼道への滑落を避けられない。もう半分がた、そっちに向かってる気もしますが。

 で、ノリピーこと酒井法子さんが、お子さんといっしょに行方不明になっているそうだ。旦那のシャブ騒動のほとぼりが冷めるのを待っているだけならいいのだが、くれぐれも妙な気を起こされないことを祈る。それじゃあ、あまりにマンモス・アンラッピー。
 有名人がらみの麻薬事件の報道に接するたびに思うのだが、ダウナー系の大麻にしてもアッパー系のシャブにしても、実生活においてその悪弊を効用に転化できるのは、一部アート系の方々を除けば、知的労働にせよ肉体労働にせよ、馬車馬のごとく働かねばならない立場の人間だけだろう。僅かな休養時間でストレスを緩和するために大麻、昼夜の別なく活動するためにシャブ。それなりに余裕をもって生きている人間の遊びに使われては、各種のヤクも浮かばれまい。
 生活に余裕のある人間こそ、自前の脳味噌や肉体をもって『遊ぶ』べきだと思うが、どうか。


08月02日 日  いろいろあるさ

 中国では、海外の航空会社に対し、空港内の国際線ラウンジでの乗客向け外国紙提供サービスを禁じたとのこと。一方、チベット自治区とチベット族居住区でチベット語版の『人民日報』を発行――。こうした記事に接すると、このところの市場経済拡大でなんかわけわかんなくなりつつあったあの国が、やっぱり『一度は革命やっちゃった国』なのだなあと再認識させられる。もっとも自由主義経済を謳歌する共産主義国家というのは理論的にありえないわけで、はっきり言ってもはやただの帝政国家。そういえば読書中の『死霊』にも、革命家が『上位』の存在を容認した時点ですでに革命家ではない、そんな意の言葉が何度か出てくるなあ。

 昨日、土曜変則シフト(まあ一年中変則といえば変則なのだが)で、午後四時ごろ最寄り駅に帰ってくると、なんじゃやら浴衣姿の男女が多数、駅前をうろついていた。スーパーの前では、ヤキソバだのフランクフルトだのツマミだの、珍しく屋台が立っている。江戸川の花火大会だったのですね。今年は心身共にキツキツで、すっかり忘れておりました。近頃は女性だけでなく、男も浴衣姿でキメるのが流行のようだ。
 狸は下手に浴衣など着ると、まんま温泉ホテル内をうろつくシマリのないおっさんになってしまうので、とうてい公の場には出られない。ふだん江戸川に出るときには、たいがいジーパンにチェックの開襟シャツと、おたくらしい姿である。しかし昨夜は疲労困憊状態で、いかに花火好きでも江戸川まで這い出す余力がなく、狸穴の屋上によろよろと這い上がり、同じ集合狸穴仲間の老狸たちに混じって、遠望するにとどめた。
 狸穴は、何度も記したように築40年になんなんとする廃墟状の物件だが、いちおうマンションと名の付く物件だけあって、四段重ねである。もっとも、もうちょっと駅寄りだと、多数の高層高級マンションに遮られて、江戸川方向の空は見えないだろう。駅から遠いからこその、花火遠望物件。不動産屋でも、空室の売り文句にすればいいのではないか。夜空に遠く開く大輪の花を眺めながら、2拍も3拍も遅れて届く音を聞いているのも、なかなかに風流なものである。
 しかし、年々歳々、花火の色が多彩になっていくのには感心する。今年は、薄いラベンダー色の光が印象的だった。ちょっと昔まで、花火にあんな色はなかったのではないか。日本の花火の形自体は、もう江戸時代にほぼ完成されていたと聞くが、当時は黒色火薬だけだから、オレンジ単色だったわけである。
 ラストあたりのヤケクソ連発大花火に、いつもながら恍惚としたのち、ふと現実に戻り、ずりずりと重い体を引きずって階段を這い下りながら、「……ま、一色よりは、色々あっていいやな」などと、力なく呟く狸なのであった。しょせん階級差が人類の本態ならば、イデオロギーだって、単色でありうるべくもない。