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09月29日  火  面白い道

 2日続けてありついた日雇いは、中国製雑貨のシールの貼り直しであった。三丁目の夕日の頃だと、貧乏長屋のおかみさんが近所の玩具工場の下請けの手内職かなんかで、せっせせっせとやってそうな仕事ですね。10箇所貼ってやっと1円、そんな感じの。それを数人のパートさんやバイト君や日雇いが、倉庫の一角でせっせせっせと1日続けるわけである。
 モノは小猫ちゃんの紙製ハウスというか、なんらかのキャラクターグッズの一部なのだが、型くずれさせないために3箇所ほど貼られているちっこい透明シールが、半分はがれてしまっている。つまり、最初にシールを貼ったチャイナの女工さんたち(あくまで推定)が、まったく力を入れたりこすったりしていないため、シールの機能を果たしていないのである。しかしその手抜きのおかげで、狸ら日本の貧民たちが日銭にありつけるわけだし、そもそも日本人を多数雇って張り直してもまだ採算の合う原価なわけだから、あちらの女工さんたちにやる気がないのも当然という気がする。もっとも狸や同胞たちは、時給たったの850円で、ひたすら一所懸命ちまちまと一日数千個まじめにしっかり貼ってしまう。この国の貧民のモラルは、まだまだ健在なのだ。そーゆー要領の悪い百姓根性だからいつまでたっても被搾取階級なんだよ――そんな勝ち組さんからの揶揄は、ちょっとこっちに置いといて。
 だってねえ、どこかのちっこい女の子が、それで遊ぶわけでしょ? やたらバラけたらかわいそうじゃん。

     ◇          ◇

 で、面白い道の話である。
 この前の日曜に、謎の館からこそこそ退散したあと、とある用件で郵便局に寄った。日曜でも開いている大きな局は、狸がふだんは通らない、幹線道路の途上にある。
 用件を済ませて、そのあまりなじみのない道を散歩がてらにたどっていると、少し先の横道から、続々と車が出てくる。それこそ幹線道路の通行量よりも多いほどの車輌が、その細道からなんぼでも合流してくる。
 もっともそうした光景は、世にカーナビというものが普及して以来、さほど珍しいものではない。昔流行った『スイスイ抜け道マップ』、あれがリアルタイムで全国をカバーしてしまうわけですからね。しかしなんぼなんでもこんな細道が車両用の主要道路になってしまうとは、そもそも道路行政に根本的な問題があるのではないか――そんな問題意識にかられて、というのは大嘘で、単なる暇と好奇心と運動不足解消のため、狸はその細道に曲がり、どこへどう続くものやら確認しようとした。
 すると意外や意外、その住宅地を細々と縫っている曲がりくねった路地は、京成電鉄のS駅前から、狸穴の最寄り駅であるJRのM駅方面に繋がる、もっとも合理的なルートだったのですね。ううむ、カーナビ畏るべし。なんぼ幹線道路や広めの道を通ると大回りになるからといって、あんな信号もない一方通行の路地の出口から、車がびゅんびゅんだもんなあ。
 もっとも徒歩やチャリでの行き来は、当然昔から多かったのだろう、ほとんど商店などない住宅地の中に、古びた模型店が見つかった。看板には『鉄道模型専門店』とある。こんな場所でよく商売になるなあ、と感心しながら、ウインドーを覗いて仰天した。年季の入った鉄道写真やら、色褪せた非売品の組み立て済みプラモやらはちょっとこっちに置いといて、商品の値札が、みんな6ケタなのである。つまり一見さんお断りというか、たぶん、マニアのほうからはるばる訪ねてくるタイプの老舗だったのですね。

    

    

 ちなみに、ウィンドーの写真の右側に写りこんでいるのが、人間形態時の狸の一部です。店の中にいるのは、ウロンな狸の気配を警戒して奥から出てきた推定店主。で、近くの駐車場で遊惰に耽っていた猫が一匹、と。


09月27日  日  不思議な家・面白い道

 まずは私的な用件から。N村K太郎様、例の件、なにとぞよろしくです。

 で、不思議な家の話である。
 いちばんお金のかからない娯楽はなあに? と問われれば、それは図書館通いと徘徊である。本日も図書館に詣でて、北杜夫先生と埴谷雄高大先生の対談本やら、薩摩剣八郎氏(平成ゴジラの中身として有名な俳優さん)の芸談本やら、気の向くままに借り出してきたのだが、それだけだとまだ運動不足っぽいので、帰途、あちこちの道筋をあてもなく徘徊した。
 先だって訪ねた水木邸近辺の住宅街を彷徨っていると、とある洋館風のアパートらしき物件が目に止まった。そのあたりは、昔ながらの入り組んだ細道が前時代的にうねっている閑静な住宅街で、富裕な方々が多いのか、あんがい根性の入った洋風建築にもしばしば出会うのだが、多くはさほど古びの見られない、あくまで昭和後期以降の物件である。
 しかし、そのアパートらしい建物は、なんじゃやら横浜の山手あたりに何気なく佇んでいそうな、こぢんまりとした、木造白塗りの2階建てで、明らかに三丁目の夕日以前の物件と思われた。なかば蔦に覆われた壁は、白いペンキも斑に剥げ落ちて、すでに廃墟っぽいほど荒れている。細道に面した窓々も、大半カーテンすら下がっておらず、しかし窓ガラス自体が汚れきっているため部屋の中は覗けない。ただ、2階の北側の角部屋にだけ瀟洒な張り出し窓があり、白いレースのカーテンの間から、子供の背丈ほどはあろう大きな灰色の小熊の縫いぐるみが、外を覗いている。当初、そこにだけ住人がいるのかとも思ったが、良く見ればカーテンは汚れきり、小熊ももとから灰色だったわけではなく、水色だったのが陽に焼けて、色褪せてしまっただけらしいのである。
 こーゆー毛色の変わった空き家らしい物件を見ると、狸の行動は決まっている。上がりこもうとするのである。今回も、入口を探して横手の小径に曲がり、やっぱり空き家らしいので嬉しくなった。アパート名を記した、門と言うには小さすぎる木の扉が朽ちかかって傾ぎ、その奥には、荒れ放題の庭が覗いている。二階に上がる外階段も最奥に見えるが、そこまでの庭石はほとんど雑草に隠れ、伸び放題の庭木の枝々が被って垂れ下がり、身をかがめないと通れそうにない。身をかがめないと、ということは、身をかがめれば通れそう、ということである。さっそく狸は身をかがめ、枝々を避けながら、落ち葉の積もった庭石を奥へと辿った。
 辿りながら、一階の部屋部屋のドアを確認すると、やはり全室に住人の気配はなく、それぞれの郵便受けには、何度も雨に打たれたらしいチラシ類が、枯れた菜っ葉のように萎れ、反古になっている。奥の金属製の外階段は錆びだらけで、庭石ほどではないが落ち葉に覆われ、少なくとも何ヶ月かは、人の通った跡がない。
 馬鹿と煙は高いところに昇りたがる。例の熊さんの存在も気にかかる。なんであのでっかい小熊は、こんな廃墟に置き去りにされてしまったんだろうなあ、などと思いを巡らせながら、腐った落ち葉で滑らないように用心深く階段を上がり、やっぱり古チラシの萎れているドアをみっつほど横手にやり過ごし、他の部屋よりも広い造りらしい最奥の部屋の、そこだけ通路を遮るように直面しているドアの前に立ったのだが…………ふっふっふ、なぜかそのドアにだけ、チラシ類が貯まっていないのですねえ。
 そこにおいて、狸はかなり狼狽してしまった。だって、誰も通った形跡のない庭や階段や通路の最奥に、ひとつだけ手入れされているらしいドアが現れてしまったわけですからね。ドアノブに触れかけた手をあわてて引っこめ、きゅうんきゅうんと震えながら、もときた廃墟っぽい経路を退散しました。

 今にして思えば、なんとか合理的な説明はつくのである。実はその北側の部屋だけが二階建て構造の特別室、あるいは大家さんの住まいかなにかで、実際に出入りする玄関は、狸の見過ごしたどこかにちゃんとある、とか。しかしまあ、そこだけ誰かが住んでいるとしても、他の部屋部屋のみならず庭までがなぜ荒れ放題なのか、そもそもあの出窓のカーテンや小熊はなぜ汚れっぱなしなのか、等々の疑問はやっぱり残る。これは明らかに、再訪して調査を要する謎物件ですね。次回は夜に訪ねて灯りが点っているかどうか確認するとか、電気あるいはガスのメーターを探して検針してみるとか――しかしこれ、ただ無精な大家さんがアパート廃業して自分だけ住んでる状態だったりしたら、明らかな不法侵入なのよなあ。なまねこなまねこ。

 ――長くなってしまったので、面白い道の話は、また後日。
 明日の狸は、きちんと日雇いに出ます。


09月26日  土  狸のはらわた

 はい、大腸検診の結果が出ました。
 狸のモツ自体には、いまのところ悪いビョーキはなさそうです。
 主治医さんがおもむろにでかい封筒から多数のレントゲン写真をひっぱり出し、診療机前壁いっぱいのライトボックスにずらずらずらと並べ始めた段階で、狸自身もどきどきわくわくと己のモツを凝視し、テレビや映画で観るような不吉な黒い病巣などを探したわけである。で、それらしい黒い影は見当たらないものの、なんかあっちこっちの2〜3箇所にウロンなツブツブ状の突起があるように思われ、あ、これはもしや噂に聞くポリープではあるまいか、間が悪いと癌の種になったりするのではないか、などと大いに期待したわけだが、主治医さんによれば、それは単なる老化現象による『過形成性ポリープ』とやらで、癌とは無関係なのだそうだ。がっかり。
 しかし悪い病気こそないものの、一見人間のようだが正体は狸なので、やっぱりちょっと並の人間とは違っていた。

          

 一般に、牛モツで言うと『てっちゃん』、すなわち人間の白モツの中でも『大腸』と呼ばれる部位は、おおむね上図のような構造である。
 このうち、腹の両横に位置する上行結腸と下行結腸は、後腹膜にくっついているので、ほぼ移動しない。また、直腸があちこち移動したりすると肛門まであちこちウロウロして人生そのものがエラいことになるので、そのあたりもあんまし移動しない。したがって腹の中ででろんでろんと自由に揺れ動くのは、横行結腸とS状結腸ということになる。で、狸の場合、そのうちの横行結腸が、妙に長いのだそうだ。大腸の長さの個人差は、おおむね横行結腸とS状結腸が長かったり短かったりするらしいが、狸の横行結腸は、主治医さんが今まで診た中でもトップクラスの長さだそうだ。
 草食動物の腸は長いと聞いたことがある。昔の日本人が小柄で胴長だったのは、肉食主体の西洋人と違って草食(米食ですね)主体だったからという話もある。つらつら慮るに、日本人に限らず西洋人だって、19世紀、写真技術が発明されてほどない時期に撮られた山の写真など見る限り、妙に胴長短足で貧弱な農夫農婦がけっこう写っている。ジャガイモあたりが主食だったのだろう。ちなみに狸の主食は、やっぱり米なんですねえ。しかし狸の世代なら、たいがいみんな米で育っているはずだから、特に狸の腸だけが長いのは腑に落ちないのだが――やっぱり化けそこねたのかしら。でも狸汁にするときは、モツ鍋やモツ煮込みもたっぷり楽しめるので、とってもお徳用ですね。
 ともあれ、その人並み以上に長い横行結腸が、今回の人並み以上の内臓でろんでろんにつながったのではないか、そんな主治医さんの推論で、今回の騒動に、いったん幕が下りたのであった。
 もっとも帰り際、「こんどは左側に注意してくださいね」などと、しっかりパート2の予告をされてしまったのだけれど、なあに、左はまだ一度も出たことがないのだから、ちょっとでも腫れたら即病院に駆けこめば、一泊二日程度で済むはずだ。


09月24日  木  SM狸悶絶地獄

 タイトルの中に『狸』がある限り、ピンク映画でも日活ロマンポルノでも、SM小説でもないですね。
 本日、この夏の悲劇のしめくくりとして、大腸の注腸検査とかいう奴を受けて来ました。
 で、そーゆー路線の下ネタが苦手な方には、これ以降の反転をお勧めしません。

 すでに先日から、自宅において、ひそかに悶絶は始まっていたのである。
 朝食はちらほらとお麩のカケラが浮かんだ味噌汁と、小鉢に半分ほどの野菜の煮付け、そして限りなく重湯に近いおかゆにフリカケひとつまみ。昼食は4個のクッキーと、お湯のようにトロミのないコーンスープ。3時のおやつは、ちっこい飴玉2個。そしてディナーは、朝と同じ味噌汁に、さらに量の減ったおかゆとフリカケのみ――とまあ、この前、病院の売店で大枚2100円を費やした検査食とやらが超豪華なのは、まあ翌日までいっさい腹中に残滓を残さないという条件があるので、やむをえないのだろう。
 しかし、夜の9時にイッキ飲みした250mlのエグい液体と、さらに10時に2錠ほど飲んだ、なんじゃやらいつもより凶悪そうな色と味の錠剤は――説明書に『翌朝には
水のような便が出るのが普通です』などと確かに記されているのだが、すでに11時頃から非常にユルい便が大噴出、以降夜半過ぎまでトイレから出てはまたすぐ舞い戻り、その後もほぼ30分〜1時間程度の間隔でトイレに駆けこみ15分ほど滞在、ようやく寝に就いたのは午前4時過ぎ――『翌朝まで水のような便が出続けるのが普通です』と記さなければ、明らかな詐欺だと思うがどうか。

 で、本日は7時以降水さえ飲めず、7時半には自力で40mlの
浣腸――もはや体内に一滴の潤いもなし、狸の干物状態になったところで、ようやく病院に向かうわけである。もっとも9時に病院にたどりつくまでの途上、どこに残っていたものやらまだまだ水分を排泄せねばならず、西船橋と新浦安の駅でトイレに駆けこみ、これがまた通勤時間にカブるものだから大個室など空いているはずもなく、なかなかにスリリングな悶絶屋外プレイとなったわけである。
 そしていよいよ本番、幸いほぼ予約どおりの9時半、検査室に招じ入れられたのだが――これはマジにある種のSMですわ。
尻に穴の開いた検査用の衣類に着替え、大量のバリウムをいっきに肛門から注腸され、揺れ動く台にしがみついて「ぐむむむむう」などと呻きつつ延々と体をあっちこっちひっくり返され、その途中であろうことかあるまいことか腹がパンパンになるまで尻から空気を送りこまれ、それでもなお右やら左やら上やら下やらうつ伏せやら仰向けやら二転三転七転八倒、「うぬぬぬぬぬう」などと呻きつつ、言われるがままにポージングしなければならんのですね。ある種の女優さんなどなら「ああっ、出、出ちゃうう!!」などと絶叫しながら力いっぱい噴出させてしまえばDVDが売れるだろうし、主役がぶよんとしてしまりのない雄の狸でもそれなりの好事家需要があったりするらしいが、今回は狸自身、さすがにまだそこまで達観していない。
 正確な時間は覚えていないが、入室から退室まで小1時間だったから、そのうち20分ほどはSM状態であったと思われる。
 あとはなるべく水分を摂って、食事も普通に摂ってくださいね――そんな優しい言葉とともに、また下剤をもらって解放された狸であったが、喉はカラカラ胃袋ぺったんこにも関わらず、下腹はパンパンなのである。何も嚥下したくない。しかし脱水症状を避けるため、とりあえず好物の桃系ドリンクを1本だけ補給、食欲が復活したのは午後も1時を回ってからだった。無論それまでの間、行く先々でトイレに駆けこんでは、
空気やらナニやらをせっせと排出し続けたのである。

 この苦行に費やした自己負担、合計7750円。これで大腸癌、あるいはせめてポリープでも見つからなかったら、悔し涙にくれるところである。……ちがうぞ狸。
 ともあれ診断結果は明後日、主治医さんの診療時に教えてもらう予定。これで異常が出なければ、ようやくこの病院とも、いったん縁が切れる。


09月22日  火  おくりびと

 録画しておいた『おくりびと』を観る。なるほど評判どおりの名作だった。シナリオも演技も演出も音楽も、不満を抱く部分がほとんどない。これは狸がここウン十年、日本映画においてめったに経験したことのない事実だ。
 監督は、ピンク映画以来のベテラン職人・滝田洋二郎監督。実は昔のピンク映画もけっこうチェックしていた狸にとっては、先にピンクから一般映画に進んだ個性派・高橋伴明監督ほどのインパクトは感じられなかった方である。一般映画で定評を得てからも、あんがい当たりはずれが大きい。シナリオと企画しだいで、出来不出来にえらい差があるのだ。たとえば大ヒットした『陰陽師』は、日本の時代伝奇映画史上に残る佳作だったが、一転『陰陽師2』は頭をかかえてしまうほどの駄作で、これは明らかにシナリオ段階から駄作だったのである。
 この『おくりびと』がアカデミー外国語映画賞に輝いたとき、たぶん滝田監督自身は、あまりピンとこなかったのではないか。むしろ企画と主演を兼ねた本木雅弘さんのほうが、「……つ、ついにやった!!」と男の涙を流したに違いない。彼ならば、あのアメリカでも大ヒットした周防監督の『Shall We ダンス?』ではゲスト出演程度だったものの、それ以前の周防作品『シコふんじゃった』や『ファンシイダンス』等を通して、アカデミー賞選考委員の年輩映画関係者たちにとっても「いつかぜひ壇上に立ってもらいたい外国人」だったはずだ。滝田監督には大変失礼な話だが、たぶんアカデミー関係のお爺ちゃんお婆ちゃんたちは、『おくりびと』もスオウ監督だったら良かったのになあ、そんな意識すらあったと思う。東洋的なネタの生かし方など、ちょっと似た傾向もありますしね。
 ともあれ『おくりびと』が近来稀なる日本映画の佳作であり、滝田演出が職人として熟練しているのも間違いなく、今回はすなおに深々と頭を下げ、感謝の意を表したいと思います。いい映画を作っていただいて、本当にありがとうございます。
 ちなみに、本木さんが最初に惚れ込んで自ら作者の家を訪ねたという、青木新門氏の『納棺夫日記』、結局は宗教観の違いによって原作としては使用が許されず元ネタにとどまったそうだが、そもそもその本は、あの日本詩壇の大御所にして大怪人、いや失礼、快人・長谷川龍生先生の勧めによって執筆されたのだそうだ。きっと青木新門という方も変人、いや失礼、個性的な方なんだろうなあ。


09月20日  日  時空徘徊

 この街に越してきてからはや9年、その間の失業徘徊中、何度も門前まで行きながら非公開日で上がれなかった水木洋子邸に、今日こそ上がりこんでみる。お若い方は――いや若くなくとも、その名を知っている方はこの街以外の市井に多くないだろうが、こんな方ですね。明治の末に生まれ大正に育ち、その後の激動の昭和史を、舞台からラジオや映画そしてテレビドラマまで、文芸派のシナリオ作家として生き抜き、お亡くなりになったのはなんと平成15年、享年92歳。
 水木女史がこの町に定住したのは昭和22年からだそうで、その頃は、駅に降りると、なんと磯の香りを感じたという。確かに江戸川の河口まで10キロほどしかないのだけれど、今となっては当然、排ガスに満ちた街の匂いしかしない。しかしまあ、水木邸あたりは住宅街の奥だから、現在でもそこそこ緑の残る、閑静な雰囲気が味わえる。そういえば、以前上がりこんだ高台の邸宅(某実業人さんを記念して公開されている)からは、昔は海が見えたのだそうだ。もちろん現在は、彼方まで埋め立てられて見渡す限りの市街地、海などカケラも見えない。
 水木邸は、住宅街の限られた土地(あくまで当時の感覚ですね。今となってはそこそこ広い)に、ちょこちょこと増築を繰り返して現在の間取りに至っており、中がかなり入り組んでいるので、建坪よりもなんじゃやら迷宮的な広さを感じる。狸がごく幼時に感じていた、当時のけして贅沢ではない一般的日本家屋の、あっちこっちに『余白』というか『精神的空間』の点在する心地よさ、そんな懐かしさが漂っているのである。
 印象に残ったのは、書斎の床の間が、和室でありながらベッド状に改造され、文字どおり寝床になっていたところ。上のリンクから覗けます。凝り性の作家さんのこと、たぶん資料調べと執筆と睡眠は、人生の中で混然としていたのでしょうね。しかしさすがに風流心も大事にされており、書斎とすぐ外の庭を隔てるサッシの内側の障子戸は、きちんと雪見障子になっておりました。寝床に寝っ転がったまんま、庭の様子も楽しめたのですね。
 それから感心したのが、座敷に鎮座していた特注のどでかい電気蓄音機(レコード盤のオートチェンジャーまでついている)や、キッチンの隅の洋風飾り棚。どちらも50年以上前に設えたというから、かなりモダンな方でもあったのですね。

         

 帰途、葛飾八幡宮(柴又や寅さんとは無関係です)のあたりを通りかかると、なんじゃやら楽しげに露店が連なっている。例大祭を15日にやったばかりで、それから今日までが、農具市(ボロ市、とも呼ぶらしい)なのだそうだ。最終日の午後のせいか、露店はもう歯抜けになってしまい、農具の店にいたっては一軒しか見当たらなかったが、それでも団地や商店会のイベントなどとは違ってモノホンの香具師さんたちが中心だから、三丁目の夕日の名残は、充分に味わえたのであった。

    

    

 ちなみに今回の写真は、先だって1000円で落札した中古の300万画素デジカメで撮ったものを縮小したのだが、ジャンク寸前でもさすがにニコンのクールピクス、立派に使えますね。


09月19日  土  勤労復帰

 世間の皆様が忙しく立ち働いている間に狸寝入りを決めこんでいたので、そろそろ探食のため巣穴を出ないと、餓死しかねないわけである。で、本日から、昔馴染みの派遣会社の紹介で、日雇いに出ている。本日はレンタルDVDの封入、月曜はDM封入の予定。主に座ってできる作業でないとまだ不安なので、仕事はどうしても限られる。おまけにそうした体の楽な単純作業現場は、たいがいレギュラーの方々が占めてしまっている。臨時の空きは、どうも週に2〜3回しか望めないようだ。
 まあちょこまかと数をこなすのが肝要なので、内容物のチェックに気は使うものの、体力的にはほとんど疲れない。おまけに昨夜は姉夫婦と晩飯を共にし、昔よく仕事帰りに寄っていた西洋定食屋で、ニュートン(青リンゴの果汁入りビール)やリブステーキ(和牛だぜ!)など奢ってもらってしまったので、スタミナ的にも万全だ。

 それにつけても、下半身のもやもやとした疾病感(?)が治まるにつれて、後遺症とまでは言えない些細な違和感が、より気になり始めた。例の邪魔っけな痼《しこ》りは、耐えるしかない後遺症なので、ちょっとこっちに置いといて。
 まず傷口自体が、ときどき思い出したようにキリキリと痛む。傷自体はもう完全にくっついているのだから、やっぱり神経の問題なのだろう。戦争物や時代劇で、古参の兵が「季節の変わり目には古傷が疼きやがる」などと渋く呟いたりする、あんな感じでちょっと悪くない。
 それから、腹膜の奥に入れられた、例のクーゲルパッチの違和感。これも、患部全体がもやもやとしているうちは、それ単体としてさほど意識されなかったが、全体が治まるにつれ、独立した違和感として感じるようになってきた。特に、横向きに丸くなって寝ているときなど、やっぱり腹の中もよじれ気味なのか、「なんかヘン」としか言いようのない鬱陶しさを感じる。まあ、これこそがハラワタでろんでろんを防いでくれるスグレモノだと思えば、ちっとも苦にはならないのだが。
 で、ちょっと調べて判ったのだが、このクーゲルパッチ法だのメッシュプラグ法だの、鼠径ヘルニア治療に実に効果的な、腹の中に直接補強材を入れてしまう治療法は、実は本格的に普及したのは今世紀に入ってからなのだそうだ。形状記憶素材で縁取りされた樹脂製の薄膜を小さく折りたたんで、腹膜やら筋膜やらの小穴から挿入し、内部で元通り大きく広げて、ずれない程度にちょこちょこっと部分的に縫い合わせておけば、あとは腸そのものの圧力によって固定される――言うまでもなく、ハイテク素材が開発されたからこそ可能になった小技である。今にして思えば、10年以上前、群馬でいっぺんだけ腸が出っぱなしになって、病院で引っこめてもらったときなどは、単にその治療法がまだ普及していなかったから、あの指技に長けた老医師も、強く手術を勧めなかったのではないか。
 出っぱなしになっていない軽い鼠径ヘルニアなら、今では日帰り手術さえ可能だが、ほんの10年前までは1週間の入院が必要だったそうだ。まして今回狸がやらかしたようなハデハデの嵌頓《かんとん》ヘルニアだと、いっぺん手術してもじきに再発してしまい――つまり縫い合わせた小穴がまた開いてしまい、再々手術までやっても完治に至らず、死ぬまで脱腸帯のお世話、そんな羽目にも陥りがちだったらしい。脱腸帯というのは、今でも売られているようだが、腰から股にかけてボンデージ状態に細帯を巡らせ、下っ腹の患部のあたりにボールみたような物を固定して腸の脱出を防ぐ器具である。つまり、一日中外から押し返し続けるわけですね。
 狸の場合、十中八九再発すると脅されはしたものの、先月治療された部分がまた開くわけではない。そこにはすでにハイテク防御壁が存在している。だから正確に言えば再発ではなく、あくまで別の弱った部分から脱出するわけで、今回補強した部分は経過良好、どうやら一生保ちそうなあんばいだ。つまり現在の狸は、21世紀のハイテク仕様バリバリ狸でもある。

 さて、姉夫婦との晩餐中、当然のことながら狸の今後に関してもなんかいろいろ話が及び、なりゆきでホームヘルパーの資格取得など、マジに算段を始めている。狸穴近辺の事情はまだ調べていないが、たとえば姉夫婦の住んでいる横浜市では、ホームヘルパーの資格を取ってそれなりの雇用が決まれば、資格取得にかかった経費の半分を、市役所が援助してくれるのだそうだ。
 考えてみれば、狸も幼時から宿命だかなんだか、寝たきりの老人や正気を失った人などには慣れ親しんできたわけだし、そもそもこれからの日本、病んだ老人の世話をするのは元気な老人、そんな社会にならざるをえないわけだしな。いや、もうとっくになってるか。そもそも病んだ若者を元気な若者が世話するのと、なんら変わりはないわけだ。
 今月、大腸の精検が終わったら、そっちに本腰を入れてみよう。しかし狸の大腸、内側は大丈夫なんだろうなあ。


09月17日  木  読後観

『死霊』最終巻、ようやく読了。
 いやあ、長かった長かった。
 とはいえ、エンタメの対極にある難物を、けっこうぶ厚い文庫3巻ぶん読破したのだから、手を付けてから2ヶ月ちょいだと、むしろ速読すぎたくらいだろう。そのうち半月は、病院で狸寝入りしていたのだし。
 で、結局、全巻の内容の内、3割がたは何を言ってるんだか皆目見当もつかず、まあ曲がりなりにもなんとか文意が把握できたのが3割、うんうんうんと頷けた部分が2割、そして残りの2割は「あのう、すみません埴谷大先生、狸はそうは思わんです。むしろ正反対の認識で生きとるのですが」、そんな感じであった。
 もっとも、この大長編はあくまで未完である。「あうあう、殺生な。筋書きも思弁も、いよいよこれからが本番なのに」、そんなところで終わってしまっている。未完の大作というと思い出すのが、中里介山の『大菩薩峠』、国枝史郎の『神州纐纈城』――ジャンル違いのそれらと並べたら、埴谷大先生は頭を抱えるだろうなあ。
 もっとも『纐纈城』は明らかにギブアップ未完で、作者がイマージュをそれ以上脹らませきれなくなったための中断と思われる。要するに、大風呂敷を広げ尽くしてしまったのですね。その点『大菩薩峠』はあくまで作者死亡のための中断だから、『死霊』同様、作者の心残りは想像するに余りある。
 ちなみに埴谷先生は、亡くなる前に「続きは誰かに取り憑いて書かせる」などとおっしゃっていたそうだ。ご当人以外の誰にも続けられるようなシロモノではないから、マジに続編を書き継ぐ哲学青年などが出現したら、確かにそれは間違いなく埴谷先生の死霊に憑依されてますね。

 ともあれ、コミュニケーションのための表現行為、観客・読者のウケといった次元でなく、あくまで己自身の感覚や思弁を通して世界や宇宙を語り、語り尽くせないまま幕を閉じるという人生もアリなのだ、そんな、思索者や哲学者のみならず、真の芸人やおたくにも相通じる力強い光明に照らされたひと筋の道が、そこにあるのは確かだ。
 やはり今後の狸は、『萌え』を捨てて、狸なりの修羅を目ざさねばなるまい。
 禁・萌え。
 萌えこそが、おたくの墓場。心の商標化。
 思えばペコちゃんの孤高性やキティちゃんの普遍性、それらが生まれたとき、萌えなどという概念とは無縁だったはずなのだ。


09月15日  火  鼓舞

 この手のパフォーマンスがどんだけの方々を鼓舞できるものか、Youtubeでの再生回数が三百何十回などという情けない状況から見るとちょっとアレなのだけれど、狸ご贔屓の大槻ケンヂさんが筋肉少女帯を離れていた間になんかいろいろ活動した中のひとつ、パンク(なのか?)バンドの『特撮』、その曲の中でも狸が己を鼓舞したいときに好んで聴いている『ピアノ・デス・ピアノ』である。

               

 ライブ映像も楽しいのだけれど、やっぱりサウンド自体は荒れてしまうので、CD音源の奴も。

               

 ……大して変わらんか。
 ともあれこうした名曲を聴いていると、思わずまた頭の中でなんかいろいろシナプスが繋がり、父と子が新旧のろりを巡って繰り広げる幻想サスペンスの世界が展開されたりする。
 しかし、それは鼓舞と言うより、やっぱりただの現実逃避?


09月13日  日  雑想

【9月13日14時48分配信 時事通信】【ロンドン時事】
 進化論を確立した英博物学者チャールズ・ダーウィンを描いた映画「クリエーション」が、米国での上映を見送られる公算となった。複数の配給会社が、進化論への批判の強さを理由に配給を拒否したため。12日付の英紙フィナンシャル・タイムズが伝えた。
 映画は、ダーウィンが著書「種の起源」を記すに当たり、キリスト教信仰と科学のはざまで苦悩する姿を描く内容。英国を皮切りに世界各国で上映される予定で、今年のトロント映画祭にも出品された。
 しかし、米配給会社は「米国民にとって矛盾が多過ぎる」と配給を拒否した。米国人の多くが「神が人間を創造した」とするキリスト教の教義を固く信じている。ある調査では、米国で進化論を信じるのは39%にすぎず、ダーウィンにも「人種差別主義者」との批判があるという。
 今年はダーウィン生誕200年で、「種の起源」出版150年の節目の年。英国では関連イベントが盛り上がっている。


 ……のだそうだ。やはりある種の宗教は、それが馬鹿にも解りやすければ解りやすいほど、総体的な馬鹿レベルを高めてしまうのである。ならばダーウィンのご本家英国はと言いますと、あそこは本音とタテマエをきっちり使い分けられる国なので、米国よりは老獪なのでしょうね。しかし、その米国の一種の馬鹿さ加減が、全宇宙の知性体間で英語が通じるような話を、ファンタジーならぬ『ハードSFの名作』として成立させてしまう力業にも繋がっているわけで、まあ、世の中いろいろなのである。

     ◇          ◇

 日曜の駅前で、街宣車ならぬごく普通の民間団体っぽい風体の方々が、日の丸を立てて、『外国人参政権反対』の演説会をやっていた。
 狸自身、たとえそれが地方レベルの選挙権・被選挙権のみだとしても、日本国籍を持たない人間にまで参政権を与えようという民主党や公明党の主張は、そもそも非常識だと思う。
 念のため断っておくが、狸は先の何年かで、かなりの日雇い派遣を経験し、今の末端の労働現場が外国人労働者抜きに成立しないことは悟っている。たとえば狸穴近辺のセ●ン●イ●ブ●で売られている弁当やサンドイッチには、細菌やウィルスは極力含まれないが、外人のおばちゃんやおねいさんたちの怒号あるいは怨念は、常にじっとり含まれていると思ってまちがいない。ついでに狸の汗なんかも、ちょっと入ってた一時期があったりするのですみませんすみません。別に食品に限らず、手間のかかるわりに妙に安価な国産の商品は、製造においても流通においても、外国人労働者と非正規雇用のビンボな日本人が、ひーこら言いながら昼夜の別なくせっせと関わっているのである。狸にとっては、まさに一時期の同士。で、それらの外人さんの多くは、きちんと源泉徴収されて、住民票があって市民税も納め、公共的な福祉も狸と同程度には受けられる立場なのだから、当然選挙権だってあってあたりまえ――とは、残念ながら運ばないのである。別に差別するわけじゃないのですよ、いや、マジで。
 なんとなれば、彼らの大半は日本国籍を持っておらず、母国にきちんと国籍が残っておるのです。お隣の韓国のように、まもなく在日韓国人にも韓国国政選挙の選挙権を認めようとしている国さえある。これでたとえば在日韓国人さんに、日本の地方選挙権が与えられればどうなるか――はい、その韓国人さん個人を通して、韓国の国政と日本の地方行政が、なんらかの形で干渉するということになります。実害はともかく、独立国家同士の政治形態として、明らかに破綻している。また別の国の方で、日本に永住状態で母国の参政権などは捨てた方だとしても、民族的帰属性というものはなかなか失われるものではない。極端な話、なんか北の国から来ているなんか働くだけではないっぽいアヤしげな方々まで、狸といっしょにあの小学校で地方選挙に投票する――やっぱりまずいでしょう、これは。
 とまあ、狸の所感としてはそんなところなのだが、では、本日駅前でとっかえひっかえ演説をぶっていた一般市民らしき日の丸の方々のお話を、つらつらと伺ってみるに――いやあ、力いっぱい石ぶつけたくなりましたね。皆さん身だしなみも健康状態も上々そうな、推定年収600万以上、明らかに何不自由ない生活を送っておられるであろう方々ばかりなのだけれど、やれ当市の外人の生活保護世帯は日本人の5倍だとか、我々の税金で働く能力のない外人を食わせているだとか、●鮮の息のかかった市議が誕生してさらに生活保護バラまくとか、そんな話ばかりなのである。なんのことはない、金惜しさによる人種差別発言大会。
 あのさあ、生活保護で賄える生活なんて、ほんとホームレスにちょっと屋根つけたくらいのもんよ? それより年収数百万の同国同県民たちがよってたかって県庁で長年繰り広げた不正経理だの、あいかわらず厚顔の限りを尽くす年収一千万超の国家公務員天下り団体職員だの、日本人参政権保有者によるアレコレを弾劾したほうが、よほどあんたがたの税金を惜しめると思うのだが、どうか。


09月12日  土  重くヤバい

 いや、体の回復は順調なのである。問題はフクロより、フトコロ近辺に吹いている、例によって涼やかな風。

 本日の診察は、9時30分の予約時間で実際の診療開始は11時30分と、先週よりずいぶん待ち時間が短縮された。それでも2時間待ちですけどね。で、病院案内をよっくと見てみれば、真の『予約診療』というコースが存在するらしい。普通外来の『予約時間』は、単に「だいたい何時頃来て下さいね」という大まかな予定にすぎないのですね。で、人生を分刻みで生きているようなハゲしい渡世の方には、それ相応のコースがある。何日の何時何分と予約すれば、間違いなくお目当ての先生が「あ〜ら社長さん、いらっしゃ〜い」と登場してくれる。しかし、その指名料(違うぞ。いや、違わんか)は――わははははは、一般の診療費に加え、一万何千円ですって。やっぱり狸は2時間でも5時間でも待ちます。それだと560円ポッキリ。各種の薬はすでに前回ひと月ぶんを処方されており、そっちは千数百円。つまり国保の利く部分は、ビンボな狸にもけっこう優しいのである。
 しかし――一難去ってまた一難(あくまでフトコロの)、簡保請求のために郵便局でもらった『入院・手術証明書』に、ちょこちょこっと記入してハンコついてもらうだけで、かかった費用がなんと税込み6300円。次回の大腸検査のために買った検査食が税込み2100円。それらはあくまで狸の希望によるオプションだから、保険は利かない。そして次回の検査そのものは、3割負担でも数千円かかるのだそうだ。
 月末には家賃含め種々の払いもあるわけだし、簡保の給付は下手すると来月に食いこむし、だいじょぶか、俺?
 ……って、だいじょぶだいじょぶ。いざとなったら生活保護。

 などとゆーのは無論冗談で、実は国保の高額療養費支給に関して市役所に相談に行ったとき、生活保護に関してもちょっと訊いてみたのだが、あれはやはり、ホームレスまで追いつめられた状態じゃないと、お世話になるのは難しそうだ。贅沢品はすべて御法度なのは知っていたが、国保や簡保も解約せねばならんのである。
 まあ国保のほうは、解約してもまるまる生活保護の医療扶助対象になるので、3割負担どころかまさに0割負担、結構な話である。しかしたとえば、今回狸が入院したのは、電動リクライニング・ベッド付きで、ちっこい個人用冷蔵庫も使え、有料ながら個人用テレビもある4人部屋で、国保完全適用の5人部屋の、ひとつ上のランクである。1日の差額は自前で3000円。これが国保オンリーとなると、ベッドは平らのまんま、冷蔵庫も有料、テレビは各階にあるロビー(?)の大画面まで出張って、ということになる。別にそれでいいじゃん、という意見もあろうが、少なくとも狸の入院した部屋に、狸を含めて電動ベッド抜きで長期入院可能な患者はひとりもいなかった。なにせ、みんな外科的にどこかを切ったり貼ったりしているので、起きあがるのにも一苦労、中にはいちんち『横になれない』人さえいたのである。
 民間保険に関しても、弁護士さんやらなんやらサイドでは異説があるようだが、役所サイドではきっぱり「解約してください」と言う。つまり弁護士さんのお世話にでもならない限り、もし狸が母親より先に死んでしまった場合(冗談抜きでそうなりそう。母にはアルツ以外の持病がない)を考えて残した簡保(自分の入院や手術に関しては、これまでオマケ程度の認識しかなかった。まあ人並みの収入があった頃は、掛け捨ての共済まで入ってましたからね)まで解約しなければならない。自分の葬式代すら残せないのである。

 なにはともあれ、そのうちホームレス寸前に至ったら、なしくずしに生活保護のお世話になるしかないだろうが、狸もフクロがゴロゴロながらサドルにまたがれる程度には回復したので、とうぶん自転車操業は可能なわけである。
 風立ちぬ。いざ、生きめやも――。
 ……って、実はこの『風立ちぬ』の一文、正確に現代語訳すると、「生きようか、いや断じて生きない」、つまり「もう死んじゃおう」になるんですね。なまねこなまねこなまねこ。


09月10日  木  雑想

 おう、あの入院騒ぎの発端の日から、もうひと月が過ぎたのだなあ。そのうち半分以上は入院していたし、その後もしばらくは休みながらのヨチヨチ歩き状態、世間様のことなどにはちっとも意識が及ばず、月末の選挙も権利ではなく義務としてやむをえずヨチヨチと出かけただけで、頭の中には『現在の自分の体』に関するあれこれを除けば、ほんのちょっと母親の件が浮かぶ程度であった。それが、ようやく一昨日の餃子るんるんあたりから、感覚のベクトルが外に向きつつあるようだ。昨日から続けて食っているザッパ汁に、DHA(確かそんなアレだったよな)が豊富に含まれているからかもしれない。
 とはいえ、いきなり天下国家に思いを馳せるような狸ではないので、読んでるのはあいかわらず深井戸の底から宇宙に対する認識を極めようとするかのような『死霊』(しかしいつになったら読み終えるんでしょうね)だし、新聞やネットで見聞するニュースも、政局などはちっとも気にならない。

 大阪の中学校で、1年男子の悪戯に怒った2年女子が思わず砲丸を投げつけたら、間が悪く頭に当たってしまい、男子は全治約3週間の怪我を負ったそうだ。ネットの記事には『大怪我』とあったが、全治3週間なら大した負傷ではなく、頭としては外側のダメージで済んだのだろう。その点ではめでたいが、やっぱり気になるのはその女の子の、たとえ当てるつもりがなかったとはいえモノホンの砲丸を他人に向かって投げつけたという、ギャグと実生活の境界を失った感性、つまり現実的想像力の欠如である。また埼玉では、子供が通う中学校の生活指導が気に入らないと金属バットを持って乗り込み、教諭に暴力を振るった両親が逮捕されたそうだ。きっと中学時代あたりの生活指導に恵まれなかった両親なのだろうが、これもまたアホドラマや白痴映画と実生活の境界を失った感性、つまり現実的想像力の欠如が疑われますね。
 昔と違って社会や生活そのものにバーチャル的な要素の多い昨今において、人間が実社会における一介の中学生である自分、中学生の子を持つ親である自分、そうした立場をしっかり認識するには、もはや観察力や理解力だけでは足りないのである。なにせ観察し理解する対象が、そもそもアホドラマや白痴映画ずっぷしの『現実』だったりするので。だから、これからの世界をまっとうに生きるためには、『想像力』、それに尽きます。

 話変わって、2003年に前橋のスナックで銃を乱射した暴力団の件、狸は昔その近所の路面店に勤めたこともあって、その後の経過を気にしているのだが、実行犯の元組員に、本日2審でも死刑判決がおりたようだ。共謀した組長は1審死刑判決で控訴中。まあどっちも最高裁まで頑張り続けるんでしょうねえ。現場に居合わせた一般市民を4名も射殺して、本来の標的である敵対組織のふたりは殺りそこね――常人なら恥ずかしくて首を吊るところだがなあ。まあ昔から、そもそも恥を捨てないとできないのがヤクザ屋さんなんでしょうね。こちらはむしろ、昔の任侠映画の仮想世界にでも、どっぷりハマっていただきたいところ。


09月08日  火  ビンボーダンス

 消費期限切迫の処分特価品を命がけで追いかける昨今の狸にとって、本日、西友の処分コーナーに数パックも残っていた生餃子は僥倖であった。かなり旨いのに通常価格は100円程度なのだが、長崎屋の98円生餃子が9個入りであるのに対して西友のそれは6個だけなので、ふだんはついつい長崎屋のを買ってしまう。ローソン100に行けば21個入りチルド餃子なんてのもあるのだが、小さくて不味いのでさすがに買わない。で、本日は、西友の美味物件が68円。すべて本日の消費期限だったが、あるだけ全部、買い占めてしまった。なあに、冷凍庫に入れとけば、とうぶん腐りなどしない。で、晩飯時、豪勢にもそのうち2パックを一度に焼きながら、いつしかるんるんと軽くステップを踏んでいる自分に気づき、ああ、狸は今日になってようやく入院前の活力を取り戻しつつあるなあ、などと、安堵したりもしているわけである。
 ローソンの21個入りは、中身が野菜なんだか肉なんだかすでに判らないペースト状で、なんか怪しい。味自体も、なんか正体不明の味がする。長崎屋の物件は、野菜がシャキシャキしてなかなか結構なのだが、肉の面影がとても薄い。その点、西友の物件は、野菜も肉もバランス良く入っているので、それだけで栄養はOKな気がする。
 ちなみに朝飯兼昼飯は、先日ローソン100の処分価格80円で買った稲荷寿司が2パック(中身は計6個)だった。そんだけかよ、と言うなかれ、稲荷寿司というスグレものは、ビタミンCを除いて栄養素がひととおり揃った、珠玉の食品なのである。そこいらへんは、もう綿密に資料を集めて調査済みなのである。ビタミンCは、4個100円の冷凍ミカンを1個も食えば、充分摂れてしまう。
 金はない。まだ稼げない。しかしまた稼げるようになるまで生きねばならない。明日は京成ストアのザッパを漁りに行こう。


09月07日  月  中年サイクリング → ぷかぷか

 炎症による腫れというものは、炎症が治まるにしたがってしぼんでくる。あたりまえですね。おかげさまで狸のフクロ自体は、ほぼ快癒しつつある。しかし痼《しこ》りという奴は、筋肉だの組織だのが変化の末に固まってしまった状態だから、いつ消えてくれるか、そもそも死ぬまでに消えてくれるかどうかさえ判らない。痛むとか大きくなるとか、症状が出たらすぐに来いと医者は言ってくれるが、逆に、痛まず同じ大きさならそのまんま死ぬまでぶら下げとけ、とまあ、そーゆーことなのである。
 で、本日、またチャリでちょいと遠出を試み、先週よりも事態が悪化しているのに気づいてしまった。フクロ近辺が正常化するにつれて、中のタマからシラコにかけて斜めに貫くように残った硬い痼りが、サドルに直接当たってゴロゴロゴロゴロ、とにかく邪魔としか言いようがないのである。痼りそのものは痛くはないが、それが繋がっている横腹の腹筋が引っつれて、とても鬱陶しい。ちょっと前まで、座っていても横腹が痛んでいたのは、この引っつれが傷跡に響いていたのだな。ああ、狸の後半生のサイクリングは、すべてこのゴロゴロと共にあるのだろうか。

 ところで、電子タバコの欠点にも気づいた。本体(バッテリー部分)の充電中は吸えない。あたりまえですね。本体をもうひとつ調達すればいいだけの話だが、システム全体がまだ試用中なので、とりあえずモノホンの煙草も併用することにした。食後の一服や風呂上がりの一服は、やっぱり本物のくつろぎが欲しいですしね。入院前の2日で3箱ペースを考えれば、とりあえず御の字だろう。


09月06日  日  電子タバコ

 禁煙を思い立ってからネットや近所のドンキなどを覗き、どうも良さげな奴はやっぱり初期投資がかかりすぎて極貧の身にはキツイなあ、などと思っていたら、ある筋から、1000円ポッキリで入手してしまった。ある筋というのは、以前にも何度か記した某氏――大昔、狸が在職していた会社で売り上げや在庫をちょろまかして失踪し、その後アヤしげなブローカー(あくまでまっとうな『個人輸入代行業』と自称しているが)としてこっそり社会復帰した人物である。何年か前、醒獅液(中国製のバイアグラ入り強精剤)をくれたり、怪しげなドリンクを安く売ってくれた、あの方ですね。その取扱品目に、近頃ハヤリの電子タバコが入っていたのである。
 1000円というのは、この前のデジカメ同様、今の狸が発作的に嗜好品に使える最大限の予算がその程度だからであって、あちらから要求した代価ではない。それにしても、充電器付きの本体に、なんかスペアのような吸い口(それ一個で煙草なら20本ぶんくらい保つのだそうだ)を20個もつけてもらって、1000円である。現状の狸を憐れんで、なかばプレゼントしてくれたのかと思いきや、当人によれば、それでも仕入値は割っていないのだそうだ。ちなみに某氏がネットで販売するときは、本体が2000円ちょっと、スペアは10個で数百円とのこと。それでも良心的なほうで、同等品を数千円や千数百円で商うショップも珍しくないとのこと。わははは、エラい世界なのですね。狸には精神的にとても不可能な商売。
 以前ネットで検索したとき、安物は壊れやすいとか、水煙化する成分の安全性に不安があるとかいう話を聞いたが、某氏に言わせれば、あくまでかの国の電子玩具だから、一万円でも外れれば壊れるし、2000円でも当たれば壊れないそうだ。それに水煙の原料のほうは、もともと大した成分など入っていないとのこと。「蒸気だけなら水でも出るよ」――わははははは、考えてみりゃ、そのとーり。
 で、言われるがままに持ち帰り、無事に充電完了、試しにぷかぷかし始めたのだが――おお、立派に使えるではないか。
 かすかにメンソールやバニラの香りの混じる水煙は、当然ながら煙草の味ではない。しかし、喉に感じる温感や、目に見えるケムは煙草そっくりである。入院中にほとんどニコチンの抜けてしまった狸が、打鍵中など習慣的にぷかぷかやっているだけなら、なんら欲求不満を覚えない。これはいいものを手に入れた。おまけに某氏によれば、味なしのケムでよければ、マジに水道の水を補給するだけでなんぼでも出せるのだそうだ。さすがに壊れても保障はないが。
 問題は、充電器やらリチウムイオン電池やらがいつまで保つかだが、考えてみりゃもともと1000円しか払っていないのだから、10日で壊れても1日100円、ずいぶん節約になってしまうのであった。


09月05日  土  商売繁盛、笹もってこーい(おいおい)

 月曜に診てもらったときには、30分待ち程度で済んだのに、あれはあくまで平日の朝一だったからなのか。本日は午前10時予約(こっちで頼んだわけではなく、あくまで病院のスケジュールに従った)で、念のため9時半に出かけてみれば――なんと診療してもらえたのが午後2時半。ご、5時間待ち!? 『死霊』の第三巻が、3分の1も読めてしまったぞ。しかし、なんのための予約時間なんだろうなあ。まあ、土曜の朝一に、手間の掛かる患者がどっと集中してしまったと言われてしまえば仕方がないし、どうやらでかい大学病院の外来なんてのは、長時間待たされるほうがデフォルトらしいのだけれど。
 ともあれ術後の経過は順調で、今回の患部はどうやら落ち着いたようだ。フクロの中から横腹にかけて残ったでかいしこりは、なんじゃやら腹膜自体が変形変質してしまったもので、やっぱり短期的にどうにかなるものではないらしい。本来ちょっとした脱腸なら、そんな部分はチョン切ってしまうのだが、今回はあんまりでかいので切るに切れなかった、というか、その奥の穴さえ塞いでしまえば残しといても無害、そんなところらしい。ときどき起こる引きつれるような痛みは、多少はそのしこりのためでもあろうが、むしろサバいた跡の傷による神経痛、内側だと腸の出口を塞いだパッチによる異物感のためで、あって当然、慣れるしかないとのこと。
 本日は先生も忙しくてハイになっていたのか、その変形して膨れあがった真桑瓜大の腹膜から、中身のモツを引きはがして穴の中に戻し跡を整えるのがいかに大変であったか、などという話を聞かされた。入院中は、個々の回診などあっという間だから、かえってそう詳しい話は聞けなかったのである。ああ、その様子もビデオかなんかで見たかったもんだ、などと、つくづく思う狸はやっぱり猟奇ぎみ。
 とうぶん激しい運動は避ける、無理に体をよじらない、重量物を持ち上げない、一日立ちっぱなしは不可――とまあ、結局この前と同じ話に落ち着くのだけれど、普通の勤め人ならともかく、派遣は当分無理っぽい。
 さて、残るは、手術直後から言われていた、大腸自体の精密検査である。主治医さんとしては、めったに嵌頓(かんとん)しない大腸があれだけどーんと出っぱなしになったこと自体がやっぱり腑に落ちないらしく、念のため内科的に中身を調べたほうがいいとのこと。ちょっと先だが連休明けの24日ならそっちも空いているというので、決めてしまう。そんなに先まで検査もいっぱいということは、やっぱり大学病院は大繁盛、不況知らずなのだなあ。
 しかし、今日もらえるはずだった、保険請求のための入院・手術証明書が、コロリと忘れられていたのには往生した。ま、いいんですけどね。こちらの病院の入院費は、さすがに掛かりが大きすぎて一括払いできず、残金は保険が下りてからという話になっている。遅れて困るのは狸ではなく病院のほうだ。


09月04日  金  顛末、おしまい

 そして26日(水)の正午過ぎ、ようやく狸は、10日以来の病院生活に終止符を打ったわけだが、さすがにその時間だと、姉はパートがあるし義兄は仕事があるしで、車で迎えには来てもらえない。着替えやらなんやらのでかい袋を両手に下げて、狸は病院のロビーで考えこんでしまった。
 四階の病棟からそこまでのわずかな距離で、すでに息切れしている。外はまだ暑い。当初はフトコロ具合を考えて電車で帰るつもりだったが、どうも病院から駅へ、そして西船橋で乗り換えて、さらに最寄り駅から狸穴まで、大荷物をかかえて歩き通す自信がない。ならば適当なバスはないかと調べると、どのみち新浦安駅までは歩かねばならず、そこから狸穴方面に直行してくれるバスは一時間に一本程度、しかもバス停はさほど狸穴に近くない。駅での乗り換えぶんくらいしか、歩行距離が短縮できないのである。
 結局、断腸の思いでタクシーに乗ったのだが、その料金が、忘れもしない4040円。優に入院費の一日分であり、電車賃の20倍であり、狸穴なら4日は生きられる金額である。たとえ途中でヘバろうとも電車に乗るべきだったのではないかと、今になって後悔している。

 で、入院中に印象に残った事物の拾遺。
 なんといっても、夜9時消灯。これには最後まで慣れなかった。6時起床は問題ない。以前の仕事でも、5時半起床はザラだったからである。しかし、夜9時に寝てしまえというのは無茶だ。まっとうな人間や狸なら、翌朝5時起きでも午前1時頃まではキーボードやモニターに向かっているのが常識だと思うが、どうか。……違うか。
 そして退院後、もっとも後悔していることが、ひとつ。
 なぜ狸は、病院に駆けこむ前に、あの堂々たる真桑瓜大の物件を、自分で写真に残しておかなかったのだろう。愛用のデジカメはとうに壊れて新品を買う金もないが、ウィンドウズ95の頃の、1024×768の代物は、まだ動いていたのである。残念ながら接写機能はないが、80センチくらいまでならなんとかピントも合ったはずだ。
 しかし、もし次の機会があったら、せめて300万画素くらいで千畳敷を記録しておきたい――てな望みを、入院中見舞ってくれた五十嵐氏に話したら、「……それだけは俺に見せんでくれ」と強く言われてしまった。あの社会的良識が、我が友の漫画界における大ブレイクを妨げているのではないかと思うのだが、どうか。もっとも、そんな望みを捨てきれず、たった1000円の300万画素中古デジカメを昨夜ヤフオクで見つけて思わず落札してしまった狸の非常識、それこそが、いっさい世に出られない狸の『業《ごう》』でもあるのだろう。

 さて、話変わって、ぼちぼち打ちためていた『ゆうねこ』の続きを、某投稿板にアップしました。とてもおもしろい(あくまで狸の主観)ので、そっち方向の方は、お暇があったら覗いてやってください。


09月03日  木  お邪魔袋

 とはいえ一日中直立しているわけにも横になっているわけにもいかず、この生殺し状態に比べれば、今となってはあの破局の夜のヤケクソ彷徨さえ懐かしく、それ以前の勤労の日々はなお懐かしく、入院中の上げ膳下げ膳の日々はさらに恋しいわけである。
 ともあれ、昨日記した『フクロがアレでも楽な状態』に、いちばん楽な環境を書き忘れていた。風呂の中である。
 入院後期の数日は、あらかじめ予約すれば毎日シャワーが使えたのだが、残念ながら湯船はなかった。立ち上がれない状態の患者さんには、横になったまま洗ってもらえる台のようなものがあった。一般の入院環境がどうかは知らないのだけれど、今回のでかい大学病院では各フロアに数十名の入院患者がごろついているわけだから、感染症防止とかの衛生面を考慮すれば、共同の湯船など使えないのが当然である。入院当初の汗まみれネトネト状態を思い起こせば、シャワーだけでも極楽だろう。
 しかし退院後のここ数日、シャワーもない狸穴の昭和団地風湯船が、極楽を超越してキショクいい。狭い湯船にうずくまるような入浴ポーズでも、浸かっている間はフクロの重さをまったく感じないですむ。昔から風呂好きの狸だが、『浮力』というものがこれほどスグレモノとは知らなかった。湯に浸かっても、傷が痛むことはない。傷跡こそ派手に盛り上がっているものの、外側はもうすっかりくっついて、痛むのはあくまで内側の神経なのである。そしてその内側の神経も、浮力によって負荷が減少するようだ。
 となると、ぜひ今のうちに銭湯に出張って、でかい湯船で思いきりぶ〜らぶらとフクロを遊泳させてみたいのだが――陰毛の右はんぶん、はげちょろけなのよなあ。まあ、今さらその程度の異形を恥ずかしがるほどウブな狸ではないし、近頃の街の一般銭湯は老人客が多いから、手術の形跡を珍しがるほどウブでもないだろうが。


09月02日  水  男の苦しみ → 顛末7

 風に吹かれてぶ〜らぶら――そんな野性の狸であれば、退院後の生活はどんなに快適であったろうと、今さらながら思う。
 昨日のチャリはやっぱり多少無理があったらしく、患部のあたりが夜中にちょっと痛んだりしたが、痛み止めを飲めばなんてことはない。問題は、やはり日常生活万端において、手術前はなんら意識していなかったフクロそのものの存在が、やたら煩わしい点である。
 最も邪魔っけさを感じないですむのは、意外にも(当然か?)、直立している状態。ゆったりしたトランクスとチノパンで、風はなくともぶ〜らぶら状態にしておけば、腫れもしこりもほとんど気にならない。次に楽なのは、完全に仰向けになって寝ている状態。この場合、股も自然に開いているので、フクロはその間に自然におさまる。
 ところがぎっちょんちょん、大半ベッドに仰向けになって過ごしていた入院中と違い、現在の昼間は座っている時間が圧倒的に多い。自転車のサドルほどではないにしろ、けしてフクロと鼠径部にとっては、フリーな体勢ではないのですね。なにせ下半身が常に屈折している。
 そして睡眠時。悲しいかな、これも楽ではない。入院中から往生していたのだが、狸は中年以降、仰向けのまんまではほとんど自然入眠・熟睡できない。歳をとるに従って人間性が失われ、狸性がどんどん増しているためだろう、横向きに丸まっていないとなんだか安心できないのである。ところが手術後しばらくは、左右どっちに寝返っても患部がすぐに痛みだし、仰向けでうつらうつらしているしかなかった。そして現在も、あまり長く丸くなっていると、痛みというほどではなくとも、ひっつり感や鈍重感(?)で目が覚めてしまう。2時間に1度は「あーうー」などと呻きながら、ぶ〜らぶらの開放感を求めて、狭い狸穴をうろついてしまうわけである。まあ今のところ、そのぶん余計に横臥していられる失業者なので、生理的な睡眠不足はないんですけどね。しかし精神的には、かなり欲求不満気味。
 ともあれ、日々着実に回復していることは確かだ。早いとこ、フクロの存在などボケた頭の片隅にしまいこんで、枯れた老狸に戻りたいものである。

     ◇          ◇

 さて、8月22日(土)から25日(火)までの4日間は、なんだか「ありゃりゃりゃりゃ」という速度で過ぎ去った気がする。入院ボケといいますか、ぐうたらのたくっていれば飯は自然に運ばれてくるし、病院内を散歩するくらいなら患部もさほど気にならないし、有料ながら枕元に液晶テレビはあるし、ラジオやMP3プレイヤーは姉に運んできてもらったし、1階に図書コーナーはあるし、3階から7階までの病棟を渡り歩けば、各階のプチ・ロビーみたいなソファーのところに置いてある週刊誌やコミックスも読み放題――。
 まあ、いっきに気が緩んでしまったのですね。入院費用は保険やらなんやらでなんとか捻出できそうだし、退院後の生活費はほとんど残らないが、元来仕事にさえ出かけなければ(おい)1日1000円で暮らせる貧民だし、もーいざとなったら市役所に泣きついて一時的に生活保護という手も――わははははは、まさに負け犬の楽観。しかし、やはり負け犬根性は、狸にも人間にもペケなのである。本来、体や精神にあまり負荷のかからなくなったその時期こそ、脳味噌使って仮想遊戯や創作活動に励むべきなのに(そうか?)、ちっともその気が起きない。
 入院から一週間ほどは、寝ているだけで精一杯なのが当然として、体の回復と共に忽然と脳が活性化し、仮称『神州白鳥怪』とやら、貧困の中で非業の死を遂げた娼婦ろりたちが、婀娜っぽい九尾の狐の姐御だの、トボけた隠神刑部(いぬがみぎょうぶ、と読みます。『ゆうねこ』にも同名のキャラが老狸として登場するが、要は伝説上の化狸の親玉、『刑部狸』のフルネームですね)だのに魅こまれて白鳥と合体変身(なぜ白鳥なのかは、タイトルになるだけあって、きちんと伏線があるのですね)、辛く当たった田舎のお大尽たちからしまいにゃ政府のナマグサ要人たちまで、かわゆく血祭りに上げてゆく道中記――そんな物語を2〜3日かけて脳内構築したのもつかのま、いざ退院の目処がついてからは、入院呆けで、のんべんだらり――。
 いかんいかん、とゆーわけで、現在は己を鼓舞し、精神リハビリのためにせっせとあれこれ打鍵しているのだが――そろそろ本腰入れてハローワークに日参したほうがいいんじゃないか、おい。

     ◇          ◇

 ……などと、運命をナメたり真摯に受け止めたりしていたら、あだだだだだ、つっぱるつっぱる引きつれる。こりゃあかん。やっぱり仰向けになって狸寝入りに逃避します。


09月01日 火  ちゃりちゃり → 顛末6

 ああ、病院でごにょごにょとのたくっているうちに、今年の夏は終わってしまったなあ――などと、淋しく嘆息する狸を憐れんだ神の温情か、今日はまた真夏の日差しが蘇り、全身気持ちよく汗でベトベトに。ああ、神様、ありがとうございます――って、ありがたいわきゃねーだろオイ、さっさと秋にしろよ。

 なにかと気がかりな股間ではあるが、尾てい骨のシッポ側に重心を置けば、チャリのサドルにもまたがれるのではないか――そう判断し、本日は遠めのダイエーまでプチ・サイクリングを試みる。ちょいと揺れすぎて不安になるときもあったが、フクロにも傷にも大過なし。毎月『一の市』と、毎週の『木曜の市』には、ふだん高価っぽいダイエーにも目玉品がある。たとえば1枚100円弱の、ステーキ用合成牛肉とか。安物のモノホン一枚肉よりも、かえって肉の味がする。
 図書館に寄って、いよいよ『死霊』の最終巻を借りる。毒を食らわば皿までも。いや、別に毒じゃないんですけどね、なんか自作の文体にヤバい影響が出ている気もする今日この頃。

     ◇          ◇

 さて、入院初体験中、意外に思ったのだが、四人部屋に長く泊まっても、同室の患者間の交流なんてのはほとんどないのですね。昔の闘病物なんかだと、たいがい患者同士の身の上話とか病気自慢(?)とか、あるじゃないですか。たまたま狸の病室がそうだったのか、あるいは時代の流れなのか、内科と外科でも違うのか。
 もっとも狸以外の同室者の方々は、カーテン越しに聞こえる医師や看護婦さんや見舞い客との会話を漏れ聞けば、5時間もかかって腸のあっちこっちを切ったり貼ったりし、横臥すると傷が痛むのでいっさい横になれず、電動ベッドを背もたれ状に曲げたまんま二十四時間を過ごしている若い衆とか、狸の入院期間中いっさい食事ができず、腸に直接繋がったチューブからしばしば何かが漏れて看護婦さんに拭いてもらっていたお年寄りとか、まあ他人と交流どころの騒ぎではなかったのかもしれない。また、それらの方々には毎日のように彼女やら奥さんやら娘さんやらお孫さんがお見舞いに訪れ、若い衆には会社の同僚などもしばしば訪れており、わざわざ見知らぬ他人と鬱陶しい会話を交わす必要がなかったのかもしれない。
 ちなみに狸はご存知のように孤独死候補の非正規労働者だったので、2〜3日おきに来てくれた姉夫婦を除けば、五十嵐氏に一度見舞ってもらったきりである。今さら淋しくもなんともない、と言いきるほどハードボイルドな狸ではないし、呼びつければ見舞ってくれるであろう知人もないではなかったが、まあ、脱腸ですからね。かなり大物だったとはいえ、けして世間に広めたい話題ではない。
 ちなみに四人部屋のはす向かいには、脱腸仲間らしいおっさんや青年が出たり入ったりしたのだが、軽症らしくすぐに入れ替わってしまい、また位置的な問題もあり、会話は交わせなかった。
 しかし、そうした侘びしさを補って余りあったのは、なんといっても看護婦さんたちの存在である。
 今どきは性差別防止の観点から『看護師』と記すのが慣例のようだが、正直、ふたりほど当たった男性看護師は、狸が野郎だからという要素を除いてもやっぱりなにかと『慈愛』に欠けるきらいがあり、万事が事務的だった。その点、曜日や日勤夜勤で入れ替わりながらもいつしかみんな顔見知りになったうら若き看護婦さんたちは、狸の腫れ上がったフクロをちっとも嫌がらず優しくチェックしてくれたし、その横で休眠状態のチンケなサオなども、優しく見て見ぬふりをしてくれた。手術後しばらくは、どちらもタオル拭きさえできず、自分で見るのもうんざりな状態だったのだから、ほんとうに頭が下がる。
 そういえば、昔の会社でずいぶんお世話になった某先輩店長は、昔、腸閉塞で入院したときお世話になった看護婦さんを、そのまんま奥さんにしてしまったとのことだった。やっぱり天使に見えたのでしょうね。わかりますわかります。
 白衣の天使たちの未来に幸いあれ!