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10月30日 金  逝く秋の思い

 五代目三遊亭圓楽師匠、逝去。
 生き物だものいつか世を去るのは当然のこと、とは言いながら、寂しいですね。
 その昔、人気演芸番組『笑点』でレギュラーを張る若手落語家さんたちは、ほとんどタレント扱いで、実際たまに落語をやっても半分イロモノのようだったけれど(それはそれで面白かったんですけどね)、円楽師匠と歌丸師匠は、その後、生粋の古典や人情話にも腕を上げ、昔は多かったテレビの本格落語番組に、たまに出るたびどんどん巧くなっていくので、『笑点』から落語ファンになった狸などは(なにせ田舎育ちなので寄席に入ったのは上京後)、なんだか我が事のように嬉しかったものである。あ、談志師匠は昔から図抜けて古典が巧かったか。でも、人情話には向かないしなあ。
 さて、あとの問題は、歌丸師匠がいつまで生きてくれるか。もともと痩せていたのが、老いてますます痩せ細り、昔はやや貧相に感じた怪談噺なんかも、今では鬼気迫るものがある。
 500歳くらいまで死なない落語家(もちろん巧いの)とか、バイオ・テクノロジーで生み出せないものか。
 今さら「神を冒涜する行為」がどうのこうの言うのは、的外れな気がする。もともといないものを、冒涜できるわけがない。
 生まれてきたものさえ冒涜しなければ、仏の道には悖らないはずだ。


10月28日 水  顔で笑って

 なんじゃやら、今週は昼勤と夜勤のお勧めが、イレコにぼちぼちと。
 夜勤だと時給はいいのだが、昼のお仕事とのバランスが難しいのよなあ。今日明日のように、昼勤の翌日が夜勤ならなんら問題ないが、うっかり夜勤の翌日に昼勤を入れてしまうと、当然、寝る時間がなくなる。
 お若い日雇い仲間の方々は、夜勤明けでも「次はどこそこの冷凍倉庫です」などと、アブラっぽい顔に空元気っぽい笑顔を浮かべて去って行くが、50過ぎの狸には、ちょっと無理。

          ◇          ◇

 話はころりと変わって、狸のご贔屓番組『なんでも鑑定団』の司会を勤める島田紳助さん、別の番組中に若手を叱りつけたとかで、ネット上の話題になっているようだ。前にも吉本関係の女性社員(だったよな?)を怒鳴りつけたやら暴力を振るったやらで訴えられ、叩かれておりましたね。
 思い上がっているとか、何様のつもりなのかとか、まあ特に若い衆には評判が悪いようだが、狸はあくまで島田紳助さんを擁護したい。なんとなれば、あの方に匹敵する『司会芸』を見せてくれる芸人さんが、ほとんどいないからだ。芸人だもの、芸さえ良ければ、人格上の真実などは二の次である。

 昔から、お笑い系や人情系の実力派芸人さんが、実生活上で難儀な性格であるケースは多々あり、往々にして難儀な性格のほうが、芸の上では『笑い』も『人情』も巧みに表現できたりする。狸と郷土を共にする往年の名喜劇役者・伴淳三郎さんなども、実生活上では壊滅的な性格破綻者だったらしいが、たとえば映画『飢餓海峡』(1965・昭和40年)などでは、執念と哀愁の老刑事を、えもいわれぬ奥深い人情味で演じていましたね。
 また、往年の『てんぷくトリオ』で活躍し、トリオ解散後は主に司会業で実力を発揮した三波伸介さん、この方は性格的な悪評もなく、常に円満なイメージを保っていたが、円満なだけでは『司会芸』など勤まらない。根は些事にこだわる神経質な人だったに違いないのである。実際、昔、三波さんが司会を勤める生中継のファミリー向けバラエティー番組を見ていて、狸は慄然としたことがある。
 三波さんが、満面の笑顔で番組を仕切り終える。画面はステージ全体のロングになって、エンディングの音楽が終わり、次回予告へ――いつもならそのはずなのだが、生中継であるがゆえの手違いなのだろう、最後の最後、ほんのコンマ何秒、司会を終えた三波さんがアップになってしまった。三波さんは、スタジオの上方向を、なんじゃやら悪鬼のような形相で睨みつけていた。そっち方向にディレクター・ブースがあったのか、あるいは天井方向に照明さんでもいたのか、いずれにせよ視聴者には解らない、進行上のドジがあったのだろう。まあ、そんな顔の三波さんを一瞬でも放送してしまったこと自体、ファミリー番組の放送現場としては、どこか弛んでいたわけですね。

 ことほどさように、なんであれ、仕事は難儀。


10月27日 火  D級グルメ

 夜勤明けに食った、缶詰の『イワシカレー』が、むやみにうまかった。
 例の食品系バッタ屋にある缶詰で、168円という単価だと、現在の狸にはC級くらいにノミネートしてもいい商品に思えるが、最近は中村屋のレトルトカレーが200円台で買えることもあるので、ひとつ下に設定してみました。いや、狸個人の懐具合と味覚による以外、なんの根拠もないランク付けなんですけどね。
 この『イワシカレー』、銚子の特産品らしいのだが、千葉ではふつうのスーパーでも、兄貴分の『サバカレー』と並んで、198円で売られているようだ。千葉限定、あるいは関東限定なのかは未確認。『サバカレー』も以前に食ってみたのだが、でかい鯖のカタマリがゴロゴロ入っているわりには意外に生臭くなく、かえって物足りない気がして、グルメには分類できなかった。
 今回食った『イワシカレー』は、お魚さんのガタイの都合でカタマリが細かく数で勝負しているためか、モロに鰯の風味である。鰯以外のカレー部分まで鰯味である。好悪の別れそうな商品ではあるが、牛さんの姿も風味もほとんど認知できない68均コーナーのビーフカレー(当然非グルメ)に比べれば、価格差を考慮しても実に潔いではないか。
 ちなみに68均コーナーでも、『シーフードカレー』あたりは、立派なZ級グルメだろう。外観的には海の生き物さんたちのカケラも認知できないのに、きちんと海っぽい風味は備えている。海産物系の化学調味料を大量にブチこんでいるだけかもしれないが。あるいは生け簀の水で作ってあるとか――んなわきゃねーか。
 ともあれ、身も心も、じゃねーや、身も味も鰯そのもののカレーを楽しみたい方には、『イワシカレー』、お勧めですのよ。


10月25日 日  正午大黒屋

 夜中から明け方までゆうこちゃんたちと遊んで(遊んだ記憶だけはしっかりメモ、ただし作品としての成文化はほんの数枚)、正午過ぎに目覚めると、無性にカツ丼が食いたかった。このところ食欲がなく衰弱しているらしい甘木様などには申し訳ないが、退院後ダイエットに努めている狸は、一日の空腹時間が睡眠時間よりも長い。飽食日本の現代狸は、必ずしもビンボのために飢えるのではないのである。

 さて、この地でカツ丼と言えば、大黒家である。
 かの永井荷風先生が、晩年毎日のようにカツ丼を食べていた店で、その証拠に『断腸亭日乗』の最後あたりは、連日『正午大黒屋食事』、しまいにゃ『食事』も省いて、『正午大黒屋』とだけ並んでいる。亡くなる前の昼も食べていたようだ。胃潰瘍のくせに毎日カツ丼を食い続けて、夜間に吐血して孤独死――いかにも荷風先生らしいマイペースな末期である。
 正しくは『大黒家』という屋号のその店は、けして丼物や定食くらいしか食わせない食堂ではなく、鰻や天麩羅から会席料理までカバーする老舗の料理屋で、狸も昔、某社の正社員だった頃は、時々そこで晩飯を食っていた。味そのものは、ごく普通の料理屋のそれであり、鰻は江戸前風の細身で醤油の勝ちすぎた味だし、他の一品料理も、今風に言えば『フツーにうまい』レベルである。……えと、念のため、あくまで狸の舌による評価ですので、万が一、いや、ひゃくおくまん分の一くらいの確率でここを覗かれてしまった大黒家関係の方がいらっしゃいましたら、お気を悪くなさらないでくださいね。
 で、その店に、粋人で味覚も貧しくないはずの荷風先生が、なぜカツ丼だけを求めて日参したか。
 それはたぶん、それが昔ながらの『ごく普通の店屋物』だからこそ、明治生まれの老人の舌が、懐かしがったのではないかと思われる。
 種々のグルメ関係メディアに登場する、なかばファンタジー化したカツ丼のように、肉はナントカ豚のカントカ部位がどーのこーの、衣の揚げ具合はあくまでカリっと200度のラードとナントカ油の割合がどーのこーの、卵はあくまでトロリと半熟が命でどーのこーの、などと、通ぶってやかましく言い立てない、たとえば狸が幼い頃に、日々晩餉の魚肉ソーセージ入り卵焼きやメザシやコロッケをそれなりにおいしくいただきつつ、たまの日曜に七日町の大沼デパートで食べさせてもらうのを心待ちにしていた、今にして思えば豪華でもなんでもない食堂カツ丼、あれの風味質感を、まんま保っているのである。実際、荷風先生に出した味をその後もいじっていないそうだし、昔風にグリーンピースまで嬉しく散らしてある。だから、狸が、今となっては懐中に吹きすさぶ寒風のため鰻なんて到底食えないその店に入り、一大決心の末に大枚840円を費やして並カツ丼を頼んでも、投資したぶんの見返りは、しっかり舌と胃袋に、多分の懐旧まで連れて帰ってくるのだ。
 現在でも荷風先生がらみで他所の方々が多数来店し、味の感想も『とってもおいしかった。さすが』から『ふつうじゃないの』『家の嫁のほうがうまく作るぞ』といった意見まで勢揃いしているようだが、それは当然、食べる側の世代や環境が大きく影響しているはずだ。たとえばファミレスや定食チェーンの、半工場生産カツ丼クローンに比べれば間違いなく美味だし、個人食堂でもちょっとウルサ型の店主が理想を追って刻苦研鑽した味などに比べれば当然劣るだろう。ご家庭内調理物件に関しては、お互いの舌よりもお互いの腹の内のほうがアレだったりするので、赤の他狸として突然上がりこんで横からひったくって食わせてもらわないと、客観的判断はもとより主観的判断さえ困難だが。
 まあ、どのみち狸は、別にほどほどでいいと思う。

 何年か前、狸がこの地に越してきて間もない日の午後遅く、荷風先生がらみの野次馬根性で初めて大黒家に入り、並カツ丼にお銚子やお新香のついた『荷風セット』を頼んだとき、店内の客は狸がただひとりだった。不規則シフトの狸が休日でも、世間様は平日だからだろうと思いながら、貸し切り状態でそのほどほどの味覚を楽しみ、勘定を済ませて表に出て、初めて暖簾が端に寄せてあるのに気づいた。平日の午後、その時間帯は本来休業だったのである。食ってる間に時間が過ぎたわけではなく、とっくに休業時間を迎えているのに気づかず、堂々と入ってしまったのである。どうりで狸一匹しかいなかったわけだ。
 ちなみに荷風先生は、店が定休日でも平気で訪れ、いつもの荷風セットを食って帰ったそうだ。
 そんな懐かしい『ほどほど』ぐあいが、『正午大黒家』の羅列の由縁ではないかと思うのだが、どうか。


10月24日 土  雑想

 めでたく3連休を獲得した。アブれたとも言う。なぜか派遣会社が土日と連休なので、臨時の口がかかる可能性も、月曜までない。まあいいか。下腹部の傷そのものは、その後生えそろってきた陰毛に隠れ、もうほとんど目立たないのだが、日雇いを再開してから、その内部のちょっと上あたりが、ときおり疼くようになった。ここいらで体を休めておけとの、狸神の思し召しかもしれない。

          ◇           ◇

 ところで昨日の雑想に、無知な誤謬を記していたようだ。
 本日の朝刊で気づいたのだが、今どきの高級新築マンションのチラシには、ほとんど価格など明記しないのですね。ふだんスーパーの安売りチラシとか、求人広告などにしか目を通さないので、ちっとも知りませんでした。
 しかし、『価格未定』のまま大々的に美麗なカラー広告で内覧会に人を集め、豪華なパンフレットを無料で配り、顧客候補者たちから『ご予算』だの『自己資金』だのをきっちり情報収集した上で、ようやく価格決定するわけだ。つまりボッタクリも投げ売りも、業者の胸先三寸――やっぱりあきんどの世界は、今も昔もシビアなのだなあ。隣駅前の愚民睥睨物件(あくまで狸の妄想)などは、初めから億ションであることを謳っているぶんだけ、潔いのかもしれない。まあ、それ以下で売ったら商売にならないだけ、という見方もあろうが。

 朝日新聞の土曜オマケ版は、なかなか面白い。
 狸が子供の頃は、土曜はあくまで半ドンだったので日曜にオマケ版が付いた。まてよ、ついこないだまで『日曜版』だったかな。――すみません。半アルツなので思い出せません。
 いずれにせよ昔は娯楽記事や教養記事や芸能記事だけでなく、当時の人気作家による一回数十枚の週刊連載なども掲載されたものだが、活字離れの進んだ昨今は望むべくもなく、代わりに漫画ネタが面白い。『ベルばらKids』『サザエさんを探して』、それから『家計診断』に添えられる山科けいすけ氏の保険ネタ4コマ。
 毒気と笑いのツッコミどころ、社会と個人の絶妙なバランスにおいて、山科氏は平成における風刺漫画(古いか)の天才であると思うが、どうか。

 今週の『サザエさんを探して』では、1954年、昭和29年の作品が採り上げられていた。
 外で仲間と遊んでいて脚をすりむき、「立てないよう」などと泣いて帰ったワカメちゃんが、サザエさんの取り出したオキシフルを見たとたん、元気に逃げ去ってしまう。そんな4コマ作品に、現在の無色無痛消毒薬が普及する前の、家庭用消毒薬事情(赤チンからオキシフルへの転換)に関する記事が添えられている。
 おや、と思うのは、狸の生まれる3年も前に、すでに東京では、赤チンに代わってオキシフルが普及し始めていたらしいという事実である。
 狸の幼少時、山形の一般家庭では、町場でもほとんどオキシフルを見かけなかった。家庭用消毒薬として薬箱に常備されているのは、ほとんど赤チンのみ。あれは確かに傷周辺がまっかっかになってみっともないが、塗っても痛くないし、特に男の子というものは膝をすりむこうが手を切ろうが、すぐに外に出て、友達といっしょくたに遊びほうけなければならなかったので、『ここんとこは乱暴に触るの禁止』という目印としても最適だし、傷口も早めにカサブタ化してくれるので重宝だった。
 他に薬箱に常備されていた外傷用物件といえば、火傷用のチンク油と、ガーゼや絆創膏や包帯。当時は魔法瓶もまだ普及しておらず、二六時中ヤカンや鉄瓶でお湯を沸かしていたので、大人も子供もしょっちゅう火傷していたのですね。
 そして特別ゲスト、オキシフルどころではない悶絶級の激痛を伴う、ヨードチンキ。これは赤チンより歴史が古いようだが、家によっては、強力な殺菌力を期待して常備していた。
 狸がオキシフルという文明の利器(利薬?)のお世話になったのは、小学校に上がってから、つまり昭和30年代も末である。そのオキシフルが、10年も前から東京あたりで珍しくなくなっていたとすると――やはり当時の日常的生活文化の伝播速度は、新幹線に対する蒸気機関車よりも、遙かにのんびりしていたわけですね。
 よって、田舎の狸的感覚では、ワカメちゃんが見て逃げ出す薬瓶には、『ヨードチンキ』と記してある方が自然なのである。

 さて、以来ウン10年、透明サラサラの消毒液や、大小様々のバンドエイドや、果ては医療用接着剤さえ一般化した現在、狸穴の薬箱には何が収まっているか――実は外傷用物件は、100円ショップのバンドエイド類似品の小中セット1箱、それから特大が1箱、それだけである。ちょっとした切り傷ならペロリとなめて小中のバンドエイドもどきを貼るだけ、大きめの傷でも水道の水で洗って特大を貼るだけで、一度も化膿などしたことがない。
 母さん、僕のあの黴菌たち、どうしたんでせうね? ――♪ ままぁ〜 どぅ〜ゆぅ〜り〜めんば〜〜〜 ♪

          ◇           ◇

 で、唐突ですが、『ままぁ〜 どぅ〜ゆぅ〜り〜めんば〜〜〜』のご本家。
 1978年(昭和53年)公開の角川映画第二弾、『人間の証明』ですね。

               

 この映画の段階では、佐藤純彌監督も、春樹さんのシャブパワーに染まっていなかったんだよなあ。
 いや、ラストあたりでは、もう染まり始めてたか。


10月23日 金  ぼちぼち・完結編

 この前の日曜によじ登った高い城、あの展望物件の、マンション部分の大々的な広告が、今日の朝刊に折り込まれていた。
 さて、おいくらくらいあれば、あの城に住めるのか――おやおや、ざっとながめたところでは、他のマンション広告ならばどーんと明記しているはずの価格帯が、どこにも見当たらない。
 チラシに値段書かないでどーすんねん、と首をひねりながら、いちばんちっこいフォントの面倒な詳細部分をじっくり目で追うことしばし――ありましたありました。もう「あなた価格なんて気にしなくていいじゃないですか」というか「そもそも価格なんて些細な事柄が気になるようなあんたはこのチラシ読んでも無駄だからね」とばかりに、みっちりした詳細の中に埋没している。
 いちばんお安いお部屋、5000万ちょっと。――ほっほっほ。
 いちばんお高いお部屋、一億ちょっと。――おーっほっほっほ。
 つまり、あの展望階の1階下のゴージャスなスイートルームで、毎日『ふっふっふ、愚民どもが蟻のようだ』ごっこを楽しむためには、たかだか狸穴の家賃の150年ぶんも払えばいいのである。てっきり千年ぶんくらいかかると思ってた。
 マテ。仮にショバ代全額現金でぽーんと買ったとしても、管理費やら駐車場代やら諸経費万端、毎月毎月、狸穴の家賃と同じくらいのプラスアルファが要るようではないか。とゆーことは、狸がホームレスやりながら貯金しても、やっぱり未来永劫、一億円ちょっと足りない勘定ですね。うーん、惜しいなあ。ここんとこ、ちょっと不景気だからなあ。なんとか一億ちょぼちょぼ、まけてもらえまいか。
 閑話休題。
 まあ貧乏人がどんなに不景気不景気と騒いでいても、あるところにはあるらしいので、ちょっと安心。

          ◇          ◇

 さて、甘木様のご質問への回答、その完結編である。

7.あなたが敵に回したくないと思う人物は(現実・架空どちらも可、人類でなくても可)? その理由は?

 ●うさぎさん。
 かわいいふりしてあの子ちょっとヤルもんだから。
 ●丹波山の猟師。
 狸を鉄砲で撃って煮て焼いて食って、それを木の葉でちょいと隠したりするから。
 ●正社員。
 根は良さげな人でも、うっかり敵に回すと、その日だけは地獄の鬼になるから。
 ●斉藤茂吉。
 「自分に逆らうものは必ず破滅する。お前もそろそろ覚悟せよ。」で有名な、郷土出身の近代大歌人。
 伝記等を読めば、どうやらただの癇癪持ちで可愛い気さえするのだが、やっぱり尊敬する人に破滅予告されたくはない。

 さてここいらで方向性を変えよう
8.あなたが着てみたい服は(現実・架空どちらも可)? 似合う似合わないは問いません。例を挙げるなら織田信長の南蛮甲冑とか、第二次世界大戦時のギリシャ陸軍士官服とか。


 ●大日本帝国陸軍軍衣。
 小野田少尉がルバング島から帰還したとき着ていたのは――あちこち自力で修繕した、九八式だったか。
 ともあれ、多少中身がアレでもスッキリ見えてしまう海軍とは違い、あの泥臭い陸軍軍衣、それもツギハギだらけの姿で、あそこまで潔い敬礼のできる中身に、ちょっとでもあやかりたい気がする。

9.歴史上の物品で一つだけ手にはいるとしたら何が欲しい?

 ●小野小町の直筆生短冊キスマーク付。
 現存は確認されていないが、きっとあったに違いない。
 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを――かなんかしたためたのち、瞳を潤ませながら、そっと余白に唇を寄せる、白系ロシアの血がちょっと混じった(あくまで推定)色白の秋田美人。
 ……じゅるり。

10.あなたは歴史に名前を残したいですか?

 ●いまさら気取っても仕方がないので、正直に断言する。
 残したい。
 残せるかどうかではなく、残したい。


10月22日 木  続々・ぼちぼち

 さて、続々の前に――誰か英語ができて、海外でも使えるカードをお持ちで、しかもコテコテの特撮おたくの方、以下の物件を購入し、いっぺんでいいから狸に貸してくれまいか。
 いや、以前にも何度か記した、円谷プロがらみのウルトラQ風アメリカ映画『The Bermuda Depths 』(1978・日本未公開・『バミューダの謎 魔の三角海域に棲む巨大モンスター』としてテレビ放映のみ)なんですけどね、いつまで待っても日本版DVDが出ない。おたく需要は確実にあるはずなんだがなあ。
 輸入DVD店で出回ったり、個人輸入してヤフオクあたりで売りさばく商売人がいても不思議ではないのだが、どうもアメリカ版のジャケットがアレすぎて、おたくでない方々は、需要そのものに気づけないのではないか。なにせ商品のジャケットから、きれいさっぱり映画の中身が想像できない。幻想海洋特撮映画を売るのにこのジャケはなかろう、とつくづく思うのだが、おそらく現在の米国で社会的認知(非おたく知名度)を保っているのが、この女優さんだけなのだろう。
 近頃精神的に、地の底でモグラといっしょにメメズ食って生きてるような狸は、もはや呼べど帰り来たらぬ昔日の青天井イマジネーション群を、切に欲しているのです。ただし500円以下、できれば100円くらい、高くても1000円、でもやっぱしロハで。

          ◇          ◇

 で、ようやく続々である。

6.あなたが相棒にしたい人物は(現実・架空どちらも可、人類でなくても可)? その理由は?

 まずは現実の人物。
 ●ビル・ゲイツ。
 言わずと知れた、大金持ち。
 理由は、ズバリ大金持ちだから。ただの知人でなく相棒なら、バンバン奢ってくれるだろう。相棒の母親だって、養ってくれるかもしんない。
 ●山下清
 言わずと知れた、『裸の大将』のモデル。
 貼り絵や絵画もいいが、著書がまたいい。一語一句、同意できる。ちなみに無一文で放浪している間(裸でない時)も、常に体や衣類の清潔を保っていたそうだ。狸の徘徊仲間として最適な人物に思われる。

 以下、架空や非人類。
 ●ワトソン君。
 言わずと知れた――しつこい?
 シャブ中の友人のトンデモ理屈にも、きっちり調子を合わせてくれる、本当にできた男だ。
 ●トム・ソーヤー。
 言わずと知れた、田舎の元気坊主。
 こいつは絶対、大人になったら、ちゃっかり出世してると思う。好悪で言うならハックルベリー・フィンのほうが上だが、どうもあいつは、腹がへったら狸など焼いて食ってしまいそうな気がする。
 ●くまのパディントン。
 ムーミントロールもスヌーピーもいい奴だと思うが、相棒にするなら、やっぱりこいつだろう。いちばんフカフカしてるし。
 ●カッレ君。
 これは知らない方も多かろう。『長靴下のピッピ』や『やかまし村』で著名な児童小説作家、リンドグレーン女史の創作したシリーズ・キャラのひとりで、『名探偵カッレくん』『カッレくんの冒険』『名探偵カッレとスパイ団』の主役。あくまで子供ながら、ローティーンなりにちょっと大人寄りの、信頼に足る知性派児童です。いにしえのHNK児童ドラマ『名探偵カッチン』(昭和42〜43)、あれの原作ですね。
 ちなみに原作に登場する、脇役レギュラーの少女エーヴァ・ロッタは、特に『カッレくんの冒険』あたりで、思春期の入口ろりとしてたいそうリアルに活躍してくれるのだが、『名探偵カッチン』でエーヴァに相当するチコタンを演じたのが、なんと子役時代の平野文さんだったりする。そう、後のアニメ『うる星やつら』の、ラムちゃん(の声)なんですねえ。いやあ、重ね重ね、お世話になりました(なんの世話になったとゆーのだ)。

          ◇          ◇

 万年床が呼んでいるので、今夜は問6のみ。
 本日は、なんか仕事が幸せでなくちょっと辛かったので、ちょっと精神的に、いつもより余計に退行している気がする。
 今さらながら、『幸』と『辛』は、ほんの一本の違いだ。
 でも、『明日』という字は『明るい日』と書くのである。
 あなたとわたしの明日は明るい日なのである。
 信じてもいいですね、アン真理子さん。
 ……でもやっぱし若くないと駄目ですか?


10月21日 水  続・ぼちぼち

 闘病中の南田洋子さんも、ついにお亡くなりになった。合掌。
 狸は『太陽の季節』世代ではないので、南田さんの活躍は、主に中年以降の実力派バイプレーヤーとして記憶しており、晩年のアルツハイマー発症なども、むしろ自分の母親に重ねて、あくまで『自然の時の流れ』と見ていた。だから、訃報も粛々と受け止められるのだが――残された長門さん、大丈夫だろうなあ。
 一般に愛妻家は、妻に先立たれると、いきなり老けこんだりするからなあ。『湯煙りスナイパー』のQ役が様になる俳優さんなんて、めったにおらんのよなあ。

 ――で、昨日の続きである。

          ◇          ◇

4.あなたが好きな世界史上の人物は? その理由は?

 世界史そのものに疎いので、ジャンルが限られますが――
 ●チャーリー・チャップリン。
 言わずと知れた喜劇役者。
 ロリコン野郎として、自他共に理想的な生をまっとうした、希有な人物のように思われる。
 ●ルイス・キャロル。
 言わずと知れた数学者兼小説家。
 ロリコン野郎として、自他共にちっとも理想的ではないが、実に正統な生をまっとうしたように思われる。
 ●トーマス・エドワード・ロレンス。
 言わずと知れた『アラビアのロレンス』。
 その時代、ネガティブに傾きがちな変態野郎としての資質(ホモとマゾ)を、きわめてポジティブに生かし得た軍人のように思われる。
 ●ロアール・アムンセン。
 言わずと知れた、南極点に初めて到達した探検家。
 偉人の伝記などは幼時から眉唾で接した根性曲がりの狸だが、アムンセンの伝記では、ラストで男泣き(男の子泣き?)した記憶がある。確か北極を飛行機で探検中、なんか絶交中の友人(もと探検仲間で、その後喧嘩別れしていた)も別口の船で探検しており(アムンセンに張り合った?)、そっちの船が先に遭難して、アムンセンは単身捜索に向かい、結局自分だけ行方不明になってしまうのである。……これは泣いたぞ。

5.あなたが好きな架空世界の人物は誰ですか? その理由は?

 ●キャサリン。
 言わずと知れた『嵐が丘』のヒロイン。
 確か中学2年生の頃だったか、吹雪の夜に原作を読んでいて、ああ、こんな難儀な女にだけは関わりたくないもんだなあ、などと思いつつ、でもやっぱり、こんな女の亡霊がこんな雪の夜に窓の外から呼んでくれたら最高だよなあ、思わずいっしょに行っちゃうよなあ、などとも思った記憶がある。同じ『難儀系ヒロイン』でもスカーレット・オハラなんかだと、迷わず扼殺して、アトランタならぬシベリアの永久凍土あたりに埋めてしまいたくなるのだが――ああ、なぜかキャサリンは、いい。
 ●スナフキン。
 言わずと知れた、北欧系放浪青年。原作では、むしろ少年っぽいんですけどね。
 ムーミントロールやムーミンパパも愛しいが、それは自己投影の結果であって、好きなのは、やっぱり無頼派スナフキン。
 ●名無しの探偵。
 いっとき日本でも人気のあった、ビル・プロンジーニのミステリー『名無しの探偵』シリーズの主人公。
 ハードボイルドと呼ばれる形式のシリーズなのに、これがもう女々しくうじうじ悩みがちな傷つきやすい探偵で、特に初期の作は、「もしウィリアム・アイリッシュがハードボイルドを書いたら、こんな不思議な味になるのではないか」、そんな感じだった。日本でウケたのも、ハードでもなんでもない湿っぽさが土壌に合ったのだろう。ちなみに狸自身、常にじめじめ湿っておりますし。
 その陰影に富んだ悩める主人公が、シリーズが進むにつれて、結婚して生活安定して禁煙して中年太りになって老後の心配して――日本での人気は当然どんどん下落したが、アメリカではどうなんだろう。まあ、リアルであることは確かなんですけどね。

 ――明日も幸い仕事なので、以下、次回。


10月20日 火  ぼちぼち

 甘木さんの日記にあったバトン、じゃねーや、あくまで任意解答の質問ですね、あれがけっこう反応してみたいネタなのだけれど、日々の餌を漁りながら10問いっきにこなすのは大変そうなので、ボチボチと小出しに答えてみようと思います。

          ◇          ◇

1.あなたが好きな戦国武将は? その理由は?

 ●明智光秀。
 狸が好きでない織田信長という人物を討った、という理由が第一かもしれない。
 また毛利元就による「才知明敏、勇気あまりあり。しかし相貌、おおかみが眠るに似たり、喜怒の骨たかく起こり、その心神つねに静ならず。」という評とか、当時としては珍しい一夫一婦の愛妻ぶりとか、射撃における動物的な勘の良さとか、いい意味での『狼』っぽさを感じる。惰弱な狸は、狼タイプの雄に憧れるのである。
 実は秀吉軍に討たれず、生き延びて天海になった、なんて伝奇ネタ的伝説も、奥行きがあってたいそう興味深い。

2.あなたが好きな幕末明治期の人物は? その理由は?

 ●鞍馬天狗。「桂さん、日本の夜明けです」。
 というのはもちろんチャンバラ時代劇上の話であって、実際の歴史上だと、北の狸は、どーしても敗者側、たとえば会津あたりに同調してしまう。会津藩士・秋月悌次郎などが、特に好ましい。激動の維新期において、北から西へ南へまた北へ、疾風怒濤の前半生を送り、無論血生臭い騒動にも多数関わったわけだが、人物像の根底には、あくまで『誠実』『実直』『熟慮』、そんな北の匂いが感じられる。
 なんて、本当は、狸が憧憬している小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、熊本第五高等学校教師時代、同僚教師(といっても遙かに年上の老教師)である秋月を「神のような人」と評した、そのあたりが好意の根拠だったりもするのだが。
 あの好悪の激しい行動派浪漫詩人、またコテコテの懐旧人間にして大苦労人でもあるハーンがそう感じたとしたら、秋月という人物は、やっぱり誠実にして実直、維新時も熟慮の末に憤死ではなく含羞の生を選んだ、北国タイプのラスト・サムライなのだろう。

3.あなたが好きな日本史上の人物は? その理由は?

 ●崇徳天皇。
 あの出生の歪みや環境的僻みに由来する、壮絶な化けっぷり魔王っぷりには、北の僻みに生きる狸にとっても、抗しがたい魅力がある。単なる伝説と言うなかれ。あそこまで化ければ、立派に民族の心の歴史だろう。
 たとえば信長も魔王扱いされる場合があるが、そもそも僻みのない合理主義者の『魔』など、あるべくもない。それはただの『人』である。崇徳院、菅原道真、平将門――みんな僻みに僻んで、立派な『魔』になったのである。
 ところで『帝都物語』の加藤保憲って、どうしても北の首領様レベルの、ただの『人』にしか見えんのよなあ。教養界の怪人・荒俣宏氏が、あそこまで『魔』をモチーフとしながら今ひとつ伝奇作家たりえないのは、『僻み』に欠けるからだと思うが、どうか。

 ――以下、次回。


10月18日 日  高い城の狸

 馬鹿と煙は、高いところに昇りたがるという。
 確かに煙は、いかなる状況下でも、基本的に昇りたがる。
 しかし、イキオイの足りない馬鹿は、ほっとくと地べたに穴を掘って隠れてしまったりするので、テコ入れのために、ときどきは高所からの展望が必要になる。
 狸穴の最寄り駅周辺にも、馬鹿高い高層物件は不景気など何処吹く風とばかりに次々と林立しており、馬鹿な狸は常々てっぺんまで昇ってみたい昇ってみたいと願っているのだが、なにせ中身が分譲マンションなので、貧乏人はエントランスにすら入れない。
 きっとあーゆーところの高層階の窓辺では、舶来のガウンかなんか着こんだ鼻持ちならないお金持ちが、舶来の葉巻かなんかくわえて、高級ブランデーかなんかのグラスを揺らしながら、「ふっふっふ、愚民どもが蟻のようだ」などと、ふんぞりかえっているに違いないのである。ひと昔前なら、ひとたびビル火災や直下型地震でも起これば、そーゆー高い城の金持ちたちは皆焼け死んだり墜死したりして、たいそう小気味のよい惨状を呈したわけであるが、昨今は耐震技術やらなんじゃやらの進歩のおかげで、安普請住まいの貧乏人や、屋根もなく地べたに這いつくばっている貧乏人ばかりが炭になったり挽肉になったりしてしまい、安全な金持ちが生き残るわけである。まったく困ったものである。
 などと、僻み荒んだ狸の眼差しを、厚いガラス越しのエントランスに向けたりしていると、駅方向から、ハイソ系私立校の制服に身を包んだ電車通学のちっこいろりが現れ、本革のランドセルをお上品にカタカタ鳴らしながら中に帰って行ったりして、これがもう経済的にも精神的にもすなおに育っているものだから、ビンボなガキに比べると明らかにゆうこちゃん寄りの澄んだ香気を漂わせており、まあやっぱり世の中、金持ちは金持ちなりにしっかり金持ちやっててもらわんとなあ、などと、節操のない狸は、たちまちに日和ってしまうわけである。
 もちろん、昭和テイストの貧相な銭湯で、くにこちゃん寄りの豪快な大股開きを見せてくれるろりなども、絶滅して欲しくないんですけどね。

           ◇          ◇

 さて、隣駅に、貧乏人でも追い払われない官民複合の高層ビルが出現し、その最上階の展望スペースは市の所有なので狸でも射殺されない、そんな噂を聞きつけ、本日、狸はぽこぽこと、狸穴の彼方に聳える威容をめざしたのであった。徒歩なら無料だ。
 JRでひと駅ぶん離れていても、こんだけ目立つということは、確かに並大抵の物件ではない。20分も歩き続けると、近辺に高層建築のないあたりのこと、圧迫感さえ感じる。そんな立派なガタイで建ってるだけでも大変でしょうが、もし疲れて貧血起こしたりしても、お願いだからこっちには倒れてこないでくださいね、そんな圧迫感である。

   

 手前にあるのはザ・タワーズ・イースト(37階建130メートル)、奥に見えるのがザ・タワーズ・ウエスト(45階建160メートル)。隣駅の駅前再開発で、つい何年か前までごみごみした懐かしのアーケード街などが密集していた南口方面を、いきなしナニしてしまったのである。中身は市政関係の立派な出張所(ビジネス書が主体だが図書館の分家もある)や各種商業施設、でもやっぱり大部分を占めるのは高級分譲マンション。
 イーストの上層階には、残念ながらマンション関係者しかよじ登れない。どうも屋上は、いざと言うときのヘリポートっぽい。これだから高い城に住む金持ち連中はぶつぶつぶつ。
 しかしウェストの最上階と屋上は、前述したように、狸にも解放されている。
 で、そのウェストの3階から、壁面に据えられた展望エレベーターでイッキに昇り、終点45階で降りますと、まずはなんじゃやら写真展っぽい展示スペースが広がっており、ありゃ、確かに四方はガラス張りだけど、これじゃ良くある展望ラウンジ、山形の霞城セントラルと変わらんなあ、などと思いきや――さらに上階に続く階段があったりして――お、おい、マジ屋上に出たぞ、おい。
 つまり青天井の、吹き晒しなのである。これには感心した。もちろん四方はぶ厚いガラス、天井もきっちり組んであるのだけれど、その一部は、あくまで吹き抜けなのである。中年以降、高所恐怖症気味の狸は、思わずビビってしまいました。

   

 これでも昔は妙義山あたりで、中判カメラを片手に、片手で滑落防止のチェーンを握り、岩場から身を乗り出して下界の写真撮ったりしてたんだけどなあ――などと往事の血気を懐かしみつつ、ちっこい1000円の中古デジカメ片手に、奥の壁伝いにおっかなびっくり四方を巡り、北の江戸川上流方向を見下ろせば、しょっちゅううろつき回る真間あたりの緑地が、ありゃ、こんなもんかと拍子抜けするほど、ちまちまと連なっている。
 残念ながら、今日も都会の空はもやもやと霞んでおり、南西にあるはずの東京タワーや、西寄りの新宿高層ビル群や池袋サンシャインまでは見えない。しかし、たとえば台風一過の空とか、冬の乾燥空なら、筑波、奥多摩や丹沢、富士山までも望めそうだ。これはすばらしい場所ができたものだ。おまけに電車賃さえかからない。
 思わず奥の壁面から離れ、空と我とを隔てるガラスにふんふんと鼻をあてて、直下を睥睨したりもする高い城の狸。
 城主気分で「ふっふっふ、臣民どもが蟻のようだ」などと、ほくそ笑もうと思ったのだが、いかんせん地上遙か160メートル、臣民はすでに蟻というよりミジンコあるいは細菌サイズ。ちょっと顔を上げれば、もう一面の街模様の絨毯上に人の姿なんぞ判別できず、やっぱり民などとゆーものはインフルエンザ・ウィルスのごとく、高い城からでも御しがたいシロモノなのであった。
 まあ、北の金さんくらい消毒を徹底し、自他共に孤高妄想を徹底させれば別なんでしょうけどね、狸はやっぱり民なりの拮抗を信じたい。ウィルスだって、できれば気ままに生きていたいのです。

 以前はしょっちゅう働きに出た東京湾沿岸、江戸川河口付近も、もやの彼方にかろうじて窺えた。なるほど、水木洋子先生や永井荷風先生が闊歩していた頃には、磯の香りも届いたのだろう。
 そして最後に、日曜なので多数棲息していたちみっこたちのうち、仲良し兄妹を1枚。などと言いつつ、お母さんのお尻もフレームに入れるのを忘れない、高い城でも志の低い狸であった。

   

 山形の、狸の生家あたりをぶっつぶして建った霞城セントラルも、こんな青天井の展望台があれば最高なのだが――雪が積もるから無理か。いや、超高層の屋上で雪合戦なんてのも、けっこうウケる気が。

          ◇          ◇

 ところで、この最上階、市が張りきって確保したにもかかわらず、未だにテナント・スペースが一軒も埋まらず、ちょっと問題になっているらしい。市はあくまで「不景気だからね」と居直っているようだが、大丈夫なんだろうなあ。かつて狸も愛着していた、ビンボくさい昭和レトロ商店街をつぶして建てたのだから、末永く、貧民にも開放し続けてくださいね。


10月17日 土  いいなあ

 加藤和彦さんが縊死を遂げたそうだ。一見元気に活動していたようなのだけれど、やはり鬱病だったのだろう。
 いいなあ。
 ニュースで見聞する限り、大人の自殺も子供の自殺も、後を絶たない。
 いいなあ。
 前途を悲観するとか、将来に希望が持てないとか、現状が辛すぎるとか、鬱病による無力感とか――正直、その程度のことで人生をリタイアできる立場の人間が、近頃羨ましくてしかたがない。自死する当人や関係者の方々からは、何を無神経な不謹慎な、と罵られるかもしれないが、それでもやっぱり羨ましいのだから仕方がない。
 いろいろあって、狸なんか、おちおち首も吊れません。ぶっちゃけ、このひと月くらい、精神的に底の底まで堕ちようとするのを、釈迦力でふんばっているありさまです。

 釈迦力といえば、なんかCMで、取り澄ました声が「我、再誕す」などとしつこくしつこく繰り返しているのだけれど、たぶんなんか教祖様の人違いだと思うから、やたらに降りてこないでくださいね。なまねこなまねこなまねこ。

          ◇          ◇

 うわあ、何ひとりで暗がってんだ、今夜の狸は。今週は4日も楽な日雇いにありつけたのに。
 ――光あれ。

               


10月15日 木  失踪航路

 珍しく2連チャンで楽な日雇い仕事にありつけた。いつもの封入関係である。よって、特にこの場を更新するネタはないのだが――ちょっと気になる記事を、ふたつ。

 まず先月初旬、
<行方不明>東京の80歳、船から海転落か 八丈島行き航路
2009年9月2日21時12分配信 毎日新聞
 静岡・下田海上保安部は2日、東京から八丈島行きの定期船に乗ったとみられる東京都世田谷区の無職の男性(80)が行方不明になったと発表した。海に転落した可能性もあり、第3管区海上保安本部が捜索している。
 同保安部によると、男性は1日午後10時20分、東京・竹芝桟橋発の東海汽船「かめりあ丸」(3837トン、乗客237人)に、経由する三宅島までの乗船券で乗ったとみられる。しかし翌朝、三宅島や八丈島での下船は確認できなかった。男性は1日早朝、妻に「ちょっと出かけてくる」と言って外出したという。【山田毅】

 そしてつい先日、
<行方不明>男女2人 東京発八丈島行きの定期船から転落か
2009年10月14日19時45分配信 毎日新聞
 下田海上保安部(静岡県下田市)に14日入った連絡によると、東京発八丈島行きの定期船に乗った東京都立川市在住の70代の夫婦とみられる男女2人が行方不明になった。2人は途中の三宅島で下船する予定だったが、下船を確認できなかったという。同保安部は海へ落ちた可能性があるとみて、巡視船など11隻とヘリコプター1機を出動させて捜索している。
 同保安部によると、行方不明になっているのは夫(76)と妻(72)で、13日午後10時20分に東京都港区の竹芝桟橋を出発した東海汽船「さるびあ丸」(4900トン、乗客99人、乗員25人)に乗船したとみられる。乗船時に2人の名前や住所などが書かれたチケットの半券を回収していた。
 ところが、14日午前4時50分ごろに到着した三宅島で下船を確認できず、八丈島までの船内でも見つからなかったため、東海汽船が同保安部へ通報した。【山田毅】

 つまりこの東京発八丈島行き定期航路では、船こそ違え、この2ヶ月に3人の老人が失踪しているわけである。偶然の事故が重なっただけとか、あるいは先月の事故(あるいは投身)が今月の夫婦の心中場所決定を促したとか、様々な推測が成り立つわけだが――どっちにしても、続報がちっとも届かない。これが未成年者の失踪の連鎖だったりしたら、大騒ぎになっているところだろう。

 いや、別に狸がろりぺど親爺からフケ専親爺に転向したわけではないのだけれど(美老婆を除く)、少々気になりましてね。


10月13日 火  都電に乗って

 いや、行きはJRオンリーで直行したんですけどね。場所が山手線の大塚と、ちょい遠めだったので。
 先週説明会を聞いた大手の講座は、狸穴の最寄り駅から、たった3駅。当然そちらが望ましいのだけれど、ぶっちゃけ大塚の講座より4万5千円も受講料が高い。地域の関係で、ホームヘルパー2級だけでなく障害者ヘルパー2級の免状も取れるから得だと言うのだけれど、どうもその『障害者ヘルパー』という資格そのものが、介護保険上では曖昧なようだ。求人する施設の求める資格にも、ほとんど見当たらない。要は、地域の福祉環境によって、なんじゃやらいろいろあるのですね。その大手の講座が高価なのは、むしろその会社自体がヘルパー講座のみならず介護事業そのものを広く営んでいるので、ウチで資格をとればウチ関係の職場にコネができますよ、そんな意味合いが大きいのではないかと思われる。資格さえ取れば働き口はよりどりみどり、給料もバッチリ――そんな楽観的な話も、ポジティブな講座内容説明とともに、さかんに披露していたし。
 で、本日訪ねた、大手ではない講座のほうは――ありゃ、なんかここは、ハ●ビきもの教室の関連会社なのだろうか。偶然社名が一致しているだけかと思っていたら、同じビルに入っているではないか。で、介護事業そのものはやっていないが、介護職員の紹介や派遣はやっているようだ。障害者ヘルパー2級の免状は、オマケしてくれない。説明内容は事務的かつシビア。
 もしあなたが就職のために資格をとるなら、そもそも資格不問の現場も多いし、資格はあくまで事前の経験と心構えを示す条件のひとつであって、現場で長続きするかどうかはあなた個人の適正と意思しだい。つい半年前あたりまでは、確かに介護現場も人出不足一方だったが、近頃になって就業希望者が増えだし、かならずしも売り手市場ではない。給料安いのも覚悟の上――。
 なんだか講座を『売る』側としては、ずいぶんネガティブな発言のようだが、狸としては、先週の超現場順応おばさんによる熟練の技と人情話よりも、なぜか本日のお愛想そこそこ中年男性の話のほうに、より心が動いてしまいました。
 そう、介護する敵、じゃねーや、相手の正体や現場の状況は、この狸、ある程度知っているつもりです。それはおそらく世界中どこのどんな現場でも同じ、人と人による、人が相手の、陰陽せめぎあう世界。ポジティブなベテラン先輩が、ちょっとした行き違いで面倒な敵になってしまうこともあれば、助けているつもりの相手から、一方的な罵詈雑言を浴びたりもする。しかし、自分だって、自分ではない誰かから見れば、面倒な敵であり無神経な忘恩の徒かもしれず――結局、己で己の善意を高め、認めるしかないのよ。悪意なんぞほっといても他人任せで高まるけど、善意は自分の意思でしか高められんもんね。これを自己中心主義と言わずして、なんという。
 そして、何よりも――4万5千円も安いんだもんなあ、今日の説明会の講座だと。

          ◇          ◇

 で、ようやく(こればっかしや)都電に乗るのである。
 説明会の後、まだ陽も高かったので、大塚駅前から、三ノ輪行きの都電に乗った。早稲田と三ノ輪を結ぶ、あの荒川線ですね。一両こっきりのチンチン電車で、大都会の路面も、下町のセコい住宅街の裏も、思いっきり遠慮なくのんびり走るやつ。
 終点の三ノ輪で降りたら、いきなり薄汚れたセンベ屋の軒先が陰々滅々と迎えてくれ、そういったビンボ臭い風情の大好きな狸は、いきなりときめいてしまった。

    

 そのまんま昭和通り(日光街道ですね)に抜けては面白くもなんともないので、横っちょの狭っ苦しい裏路地に入ると、とても人間の住み家とは思えない崩壊寸前賃貸物件の二階にもきちんと洗濯物が下がり、おやおやと感心しながら横を除くと、とても人間が昇れるとは思えない、段々が錆びまくって傾いた崩壊寸前の外階段が、その二階に続いていたりする。
 また直下型地震でも起こったら壊滅必至の下町風情は、とても愛しい。

           

 結局、三ノ輪から下谷、入谷から上野と、裏道に入ったり昭和通りに出たり、コンビニ前に座りこんで100円おにぎり食ったりしながら、夕暮れの道を、京成上野までぶらぶらと歩く。
 歩くだけなら、さほど金はかからない。


10月12日 月  昭和の隠れた名曲

 おう、またまた派遣会社から、夜勤のお誘いが。狸って、もしかして近頃あの会社の人気者? などとゆー冗談はちょっとこっちに置いといて、現場を訊けば、ああ、あそこは今の狸にはちょっとアブない。ウン年前に何度か行きましたが、軽作業の時給で、間が悪いと力いっぱい洗濯機や冷蔵庫やエアコン一式をピッキングさせられます。まあ半ニートの身で仕事を選べる身でもないのだけれど、昨日までの下痢腹痛や夏以来のアレがらみで、当分どすこい作業は避けたい。それでなくとも明日は、先週とは別口の、ちょっと安価なホームヘルパー資格講座の無料説明会に予約してあるので、今晩の夜勤はパス。

          ◇          ◇

 で、ようやく本題です。Youtubeで懐メロ関係を漁っていると、『昭和の隠れた名曲』などというタイトルが目についた。
 なあるほど、ザ・タイガース・ファンの姉を持っていた狸にとっては生涯の愛唱歌、いや、愛聴歌でも、当時のシングル・レコードのB面である限り、一般社会では『隠れた』存在なのだろうなあ。もっともA面の『美しき愛の掟』も、タイガースとしては、そこそこのヒットだったわけだけれど。むしろこっちをA面にしといたほうが、歌謡曲兼叙情歌のスタンダードとして、世間に定着したのではないか。音楽の教科書や副読本に採用されても不思議ではない出来である。
 それでは、狸の小学校高学年から中学高校と、折に触れ、多感な青春期の懊悩を和らげてくれた名曲、ザ・タイガースの『風は知らない』を、じっくりとお聴きください。

               

 ……うう、何百回聴いても、ちっとも飽きない名歌ではないか。

 さて、タイガース繋がりで、じゃあ、やっぱり狸の生涯の愛聴歌であるあの歌は、現在のYoutubeでいかに扱われているか、と調べてみると――これがなぜか、日本人よりも外国の方々が、多数、曲や動画をアップしてくださっているのであった。『スマイル・フォー・ミー』。昭和後期のアイドル・河合奈保子さんの同名曲ではありませんよ、念のため。
 この歌は、なぜか東南アジアでポピュラー化しているらしい。それと、欧米圏では、どうやらビージーズ繋がりで『知る人ぞ知る』歌っぽいですね。つまり作詞作曲が、あのビージーズのギブ兄弟、歌詞も英語のままなんですね。ビージーズのヒット曲をカバーしたわけではなく、あくまでタイガースのためのオリジナル。ならばいい歌でも当然なのではないか、と言うなかれ。ジュリーの声と歌唱力あってこその名曲という気が、狸にはしてならない。
 確かに英語の発音は一部ぎこちないかもしれないが、ビージーズのボーカルでこれをやったとしても、この、いっとき離ればなれになってしまう恋人たちの悲しみを、破壊的な『甘さ柔らかさ』でトロかしてしまうような説得力を、醸し出せるかどうか。Youtubeのコメントにも、初聴らしい方々の英語での賞賛が、多数寄せられている。
 それでは、タイガースなのに英語のためか、当時の日本では大ヒットに至らなかった永遠のラブソング『スマイル・フォー・ミー』、お砂糖たっぷりのバニラシェイクにトロける覚悟でお聴きください。英語といっても日本の中学教科書くらいの語彙で、しかも当時の日本式発音なので心配は無用です。

               

 ……ふう、ええわあ。それにつけても、若き日のジュリーの『甘さ』たるや、やっぱり凶器なみ。

 で、今日の最後に、告白するだに恥ずかしい、名曲かどうかも自信をもって断定できない、しつこいようだがひたすら気恥ずかしい『白夜の騎士』をお届けします。
 つらつら慮るに、狸の紡ぐ仮想物件の底流を成す情動は、おおむね『吸血鬼ドラキュラ』(平井呈一先生訳の創元文庫)と『真珠郎』(横溝正史先生ですね)と『白髪鬼』(乱歩大先生)あたりで下味をつけ、それに『黒部の太陽』(この前再入手した木本正次先生の講談社版)の社会派大人エキスを混ぜ合わせ、さらにムーミンとパディントンからとったメルヘンのお出汁も惜しみなく投入、あまつさえこの『白夜の騎士』を高らかに歌いながら丸1年ほどぐつぐつと煮こんだ――そんな節操のない環境に、端を発しております。
 でも、これもB面ソングだからといって、もうちょっといい音源でアップしてくれる好事家はおらんものか。

               

 てなことをボヤいていたら、おお、こんな素晴らしい好事家の方がいらっしゃった。ようし、明日はこのカラオケで高らかに歌いながら、介護の世界に進軍だ。……いや、この歌だけはやめとけ。シメがちょっとアレだ。

               


10月11日 日  なんかいろいろ

 今週は2回しか働けなかった、などと記した翌日に例の派遣会社から電話が入り、昨日の午後は、お肉を切ったり計量したりして過ごした。食肉加工会社の日雇いですね。立ち仕事だが、この際仕方がない。脱腸は病院に行けば治るが、餓死すると病院にすら行けない。
 幸い重量物の運搬はまったく無く、無事に勤め上げたが、食品関係はとにかく衛生上の管理が厳しいので気を使う。何度も何度も使い捨てのゴム手袋を取り替えては、手指をアルコール消毒する。白くフヤけた両手の皮が、狸穴に帰る頃には、乾いてポロポロと剥げ落ちる。剥げ落ちたあとはツヤツヤになるので、美容にはかえっていいのかもしれない。
 で、その夜中にいきなり腹が痛みだし、計ってみたら微熱もあり、うわあ、よりによって食品工場の食堂で黴菌もらったか、それとも狸のほうが潜伏期のインフルエンザ・ウィルスでもばらまいて来たか、などと心配したが、今日いちんち寝ていたら、ほぼ回復した。昨夜の晩飯でパスタと炒めた、冷凍シーフードミックスが悪かったのか。思い起こせば、あれは先月なかばの使い残りだった気がする。冷凍だから大丈夫のはずなんだがなあ。

          ◇          ◇

 ショボい話ばかりでもなんなので、またネットから拾ったネタを。ちょっと古いですけど。

[ロンドン発 1日 ロイター] 英国の10歳の少女が米オンライン競売最大手イーベイに自分の祖母を出品したものの、イーベイ側が競売を中止するという出来事があった。
 英国南部に暮らすゾーイ・ペンバートンさんは、61歳の祖母マリアン・グドールさんを「うっとうしくて愚痴が多い」と形容。最低落札価格を設定せず、イーベイで売ろうとした。
 イーベイのスポークスマンは「グドールさんに相当な値がつくだろうことに疑いはなかったが、イーベイは人身売買を認めていない」と述べ、この取引を中止したと明かした。
 出品停止となる前に27件の入札があったという。

[ロンドン発 1日 ロイター] 英国立近現代美術館のテート・モダンは1日、米女優ブルック・シールズさんが10歳のころに撮影されたヌード写真の展示を中止したことを明らかにした。
 写真は1983年に米写真家リチャード・プリンス氏が撮影した作品で、濃い化粧をしたシールズさんがバスタブに入っているというもの。
 同日から展示予定だったこの写真について、警察当局ではわいせつ性に問題がないかを調査。警察は声明で、わいせつ発行物取り締まり班の係官が9月30日にテート・モダンを訪問したと明かし、「係官はこの分野の専門知識を持っており、美術館が不注意で罪を犯したり来館者の感情を害したりしないよう協力している」と説明した。
 一方のテート・モダン側は、シールズさんの写真のみを展示した部屋は一時的に閉鎖したが、それ以外の性的な作品については通常通り展示するとしている。


 とまあ、ろり関係の記事にはマメに目を通している、あいかわらずろり親爺の狸です。
 上の記事は、煽り好きの評論家だと「昨今の児童の情操はこのように荒んでどうのこうの」などと言いだす可能性があるが、狸は大笑いしてしまいました。そのゾーイちゃん、よっぽどお婆ちゃんの愚痴に閉口していたんでしょうね。入札した方々のジョーク感覚にも、イーベイのコメントにも大笑い。世の中、笑って流せば丸く収まる出来事とそうでない出来事は、大人がきっちり区別しなけりゃならない。
 で、笑って済ませたくないのが、二番目の記事。
 ブルック・シールズさんに関しては、かつて彼女がブルック・シールズちゃんだった頃に狸が抱いていたなんかいろいろの感情と、実は彼女が成人後もしばらくは「ああ、こんないい女とひと晩ごにょごにょごにょ」などと思っていたことに対する責任として、現在もその挙動にしっかり気を配ったりしている狸です。
 で、彼女が10代初期に披露してくれた数々のお色気物件なのだけれど、今さらあんな審美的上品物件をどうこうしてどーすんのよ。だいたい、あの時代、欧米諸国の一部でも児童ハードコア物件を堂々とポルノショップで売りさばいていたのだし、今になって大騒ぎしているわりには、ネットやDVDで裏物件がちっとも減らない。表では『合法着衣児童ポルノ』が逆に大増殖するありさまだ。
 隠蔽する対象は、大人としてきっちり選ばねばならないと思うが、どうか。


10月09日 金  ワンコイン・タイムトリップ

 おお、オバマ大統領がノーベル平和賞? 巷で言われるように、まだお題目段階で、なんにも実現していないと思うのだが。これはやっぱり巷で言われるように、今後腰砕けにならないための期待賞なんでしょうね。それと、なんといっても現役大統領がバンバン撃ち殺されたりするお国柄なので、そんな反対勢力に対する国際的牽制の意味合いも、こっそりありそうだ。
 狸的には、オバマ大統領が今後の来日時に広島や長崎に立ち寄ってくれたとき、初めてその受賞を名実共に認めたいと思う。現役中が無理なら、元大統領としてでもいい。現役中、自国の南部あたりを訪問中に撃ち殺されたりしたら、元も子もありませんからねえ。まあ、黒人の身で米国の大統領になれた時点で、もう大丈夫だとは思うのだけれど、とにかく物理的にも精神的にも、だだっ広い国だからなあ。

          ◇               ◇

 結局、今週は、月曜から火曜にかけての夜勤、木曜の日勤と、2回しか働けなかった。座り仕事ばかり選んでいるのだから、完全ニート化しないだけマシか。それらの楽な仕事だって、以前の日雇い専業期から顔見知りの派遣会社のおねいちゃんに頼みこんで、優先的に回してもらっているのである。そろそろ軽作業系も引き受けようと思っているのだが、引っ越しのような重労働系しか空きがない。やっぱり慢性不景気なんですねえ。
 で、またぞろ売り食いの画策である。
 大量の書籍やらカメラやら、昔は違法でなかった少女ヌード写真集の歴史的作品をほとんど網羅したコレクションやら、PC88からウィンドウズに至るエロゲの数々やら、以前狸穴にあった換金可能な物件は、何年か前にほとんど食物や家賃や公租公課に変えてしまい、すっからかんの裸狸になったと思っていたが、実はまだ売れる物が多少残っているのを知った。
 ちょっと前のバージョンのフォトショップやら、買ってはみたもののちっともいじる才能のなかったコミスタやら、ちょっと前のATOKやら素材集やら、あるいはOSそのものまで、ゲーム以外の古いソフトをけっこう良い値で引き取ってくれる業者さんが見つかったのである。こちらがそれらのソフトを使用中のまんま元パッケージだけ転売すれば犯罪だが、パソからアンインストールして二度と使用しなければ、元パッケージは古物として流通させても違法ではないのである。さっそく不要なソフトを見つくろい、列記してメールで問い合わせたら、合計で20000円ちょっとにはなると言う。きゅうんきゅうんと尻尾を振りながら、段ボールにまとめてすぐ近所のヤマトに持ちこみ、着払いで送付する。
 そうしてちょっとでも気が楽になると、そこはそれ畜生の浅ましさ、まだ陽は高いし天気はいいし、久しぶりに100円ワゴンを求めて神保町に出かけてしまったりする。で、ようやく本日のタイトル、『ワンコイン・タイムトリップ』になるのですね。もっとも途中の駿河台で、異様に高層化してしまった母校に初めてよじのぼり、学食と呼ぶにはあまりにも立派なラウンジでカツカレーを食ったりしているから、正しくはワンコインでもなんでもないのだけれど、そこはそれ、しょせんタイトルはキャッチコピーということでごかんべん。

 まずは、500円玉1個のタイムトリップ。
 書泉グランデの横手の道で、雑本のガレージセールをやっており、3冊500円のPOPが目についた。100円ワゴンよりはちょっと高いがまあいいか、そんなノリで発掘を開始しますと、おお、なんじゃやら懐かしい装丁のハードカバーが、ぎょうさん並んでいるではないか。最終的に選んだ3冊は、北杜夫先生の『どくとるマンボウ途中下車』、木本正次氏の『黒部の太陽』、そして『くまのパディントン』。
 何を今さら、そんな稀覯本でもなんでもない、ちょっと狸を知る方なら目新しくもなんともない物件に、あえて感激したのか――それはその3冊が3冊とも、ズバリ、小学5年生だった狸がわくわくと購入して大事に大事に読みふけった、そのときのまんまの物件だったからである。つまり、昭和43年に流通していた版。その後のだらだらした人生の流れの中で、バラけてしまったり従弟に進呈してしまったり実家と一緒に消えてしまったりした、今となっては貴重な郷愁物件。特にパディントンは、次の版では箱なしの紙カバーに変わってしまい、箱入りにお目にかかるのは、人生で2度目である。
 思えば、何年か前に蔵書をほとんど売り飛ばしたとき、意外にもほとんど痛痒を感じなかったのは、それらが自分にとって『情報』にすぎない、いわば青空文庫のテキスト物件と同じ存在だったからなのですね。たとえばムーミン谷関係の全集にしても、それはあくまで狸が成人してから買いそろえた版であって、小学生時代から高校時代まで、何度も何度もしつこく図書館から借りだした、グレー基調の地味な装丁の版ではない。つまり成人後に再確認のため入手した情動の便《よすが》であって、情動そのものではない。だから、手垢にまみれた粗末な文庫本や青い鳥文庫版さえ残しておけば、保存用のハードカバーのほうは、売り払ってもちっとも困らなかったわけですね。

 そして、100円玉1個のタイムトリップ。
 どこぞの100円ワゴンから拾い出した、大竹新助著『武蔵野 ―文学風土記―』(保育社のカラーブックスで、発行は昭和40年。写真も著者撮影)。書名は『武蔵野』だが、中身は東京を中心に関東一円、文学者・文学作品ゆかりの地を、浦安やら三崎やら箱根やら、しまいにゃ湯沢までカバーしている。ちなみに大竹氏は、紀行作家兼写真家、そんな感じで、そんなような本を多数出されているようだ。
 帰宅後に気づいたのだが、狸穴に残した郷愁物件の中にも、手垢でヨレヨレの『名作の旅 石川啄木』という、やはり保育社のカラーブックスがあり、同じ著者の仕事である。えーと、この本は、確か高校3年の秋、岩手山麓にある『青年の家』とやらで宿泊研修をやった直後、岩手繋がりで買ったんだよなあ。あんとき土産に買ったミニ番傘やちっこいランプ、やっぱり実家といっしょにゴミになったのかなあ。……母さん、僕のあの番傘とランプ、どうしたんでせうね? ♪ ままぁ〜 どぅ〜ゆ〜り〜めんば〜〜 ♪ 
 ……閑話休題。
 さてこの『武蔵野』の書中、こんな一文がある。
吉祥寺駅南口から、深大寺に行くバスがある。いまは大きな工場などもあるが、まだ村落のおもかげを残した、屋敷林のうっそうたる部落もてんてんとある街道を走る。(中略)そうかと思うと、大きな自動車工場やゴム工場の建っているところもある。いかにも、武蔵野が消え、新しい工場地帯に変貌してゆく――いまの武蔵野――がそこにあった。
 で、狸の知る吉祥寺や深大寺は、上京後、昭和51、2年あたりが初見なのだが――ど、どこが『
いまの武蔵野』やねん。どこが『工業地帯』やねん。
 干支がたった一回りのうちに、東京近郊は、『
いま』という概念さえいくつも時の中に置き去りにしてしまうほど、次々と変貌していたのですねえ。
 さらにこの書物には、狸が今日歩いたばかりのお茶の水近辺や、夏に入院していた浦安近辺の情景も、いくつかの文学作品との絡みで、写真とともに記述されているのだが……まあお茶の水は、聖橋やニコライ堂があるからいいとして、浦安の沿岸って……明治時代の写真かと思ってしまいましたよ、余所者の狸は。

               


10月07日 水  狸の目方

 昨夜の風呂上がりに体重計に乗ったら、いきなり体重が79キロに戻っており、仰天した。前日までは、73キロ台をキープしていたのである。デジタル式体重計なので、新しい電池に変えたり接点を掃除したりしてみたら、76キロまで落ちた。それでもまだ腑に落ちないので、多少手荒に2〜3回体罰を加えたら、改心したのか、ようやく74キロまで落ちた。
 しかし体罰によって一見更生したかに見える不良生徒は、ただ体罰を恐れて媚びている場合も多い。つまり体罰そのものが、真実を歪めてしまうのである。……なんの話をしてるんだ狸は。

 つらつら鑑みるに、狸はこれまでの狸生において、自前で体重計を買ったのは、たった2度に過ぎないのである。
 山形の生家にも、上京当初姉と住んだ西荻窪のアパートにも、体重計は自然と風呂場の前に転がっていた。その後、上井草で六畳一間風呂無しトイレ共同の一人暮らしを始めてからも、近所の風呂屋に行けば立派な体重計があった。だから自前で調達したのは、26年前、偶然同じ数字の26歳の頃、ほとんど風呂屋のない埼玉の田舎に転勤となって、やむをえず風呂付きアパートを借りたときが最初である。
 当時1000円でお釣りがきた純アナログ体重計は、その後も転勤を繰り返しながら着実に肥えてゆく狸の体重を、思えば実に十数年間、がちゃがちゃゆらゆらと計り続けてくれたのである。そしてそのバネがついにイカレたとき、ようやくデジタル表示のナウい物件に買い換えて、それもまた爾来およそ10年、さらにぶくぶくと肥え太ってゆく狸を、健気にも支え続けてくれたのである。中身までエレキ仕掛けの感圧素子だとすると、10年保ったら上等の部類で、不良呼ばわりしてはかわいそうだ。感謝、合掌。

 で、本日、最安価な体重計を求めて駅前を彷徨うことしばし、西友でも長崎屋でもマツキヨでも、なんじゃやら体脂肪だの筋肉量だの推定骨量だの、おみくじ程度の信憑性しかなさそうなオマケ表示てんこもりの高価なデジタル物件を横目でやりすごしつつ、ようやくドンキで見つけたのが、999円のバネ式アナログ表示物件である。外観も、プリントの柄以外は当時のまんまで、ただ当時の日本製が中国製に変わっただけのようだ。
 ああ、なんか、若い頃の痩せていた狸に戻った気分。
 いや、気分だけでなく、実際その体重計をゼロ合わせしたのち、風呂上がりに乗っかってみたところ、うわあ、71キロまでダイエットできてるじゃん、こんなアブラ中年狸でも。
 しかし――ここで問題です。
 狸の体重は、入院前は79キロ台でした。あくまで古い体重計による計測ですけど。で、退院時には、病院の立派な体重計で72キロ台。そして入院中に高血圧がバレてしまったため、退院以降、こっそりカロリー計算などやってダイエットを心がけたにもかかわらず、このところちょっとリバウンドして、おおむね73キロ台。それもあくまで古い体重計での計測ですけど。
 さて、本日の数字、旧体重計74キロVS新体重計71キロ――狸はどっちの数字を信用すればいいのでしょうね。
 まあ、実は新しいほうの説明書にも、「60キロ以上の重量を計る場合、プラマイ2キロまでの誤差はかんべんね」、そんな意の不穏な記述が、しっかりあるのだけれど。

 でもそれなら、いっそ真実は69キロの可能性だって――ないってば。


10月06日 火  夜勤明け

 昨夜は、ここを更新した直後に派遣会社から電話があり、到着時から翌朝4時までという臨時の夜勤を頼まれた。翌日アブれそうだったので、もっけの幸いと承諾。仕事は例のDM封入、何か昼間にドジがあって、人出が足りなくなったらしい。結局5時間半しか働けなかったが、夜間は時給がいいし場所も近いのでOK。
 仕事は例によって小手先だけフル操業、しかしそれ以外は座ったまんまである。気力はともかく体力など使うはずもないのだが、久々の夜勤だったためか帰宅時には心身ともにハイになっており、例の板を覗くやら、この前N村様にチェックしてもらった旧作の京都部分を修正するやら、結局寝たのは朝の9時。目覚めた頃には、雨天のためもあってすでに日が陰っていた。
 ああ、この完全な昼夜逆転は、実に久しぶりだ。どうせ明日もアブれそうだし、今夜は『ゆうねこ』の続きに惑溺してしまおう。前回更新ぶんには、結局お二人からしか感想が入らなかったが、まあ、あんな長ったらしい続き話、普通は見捨てられて当然だろう。まして、あんな、数年前に遡らないとキャラの正体すら定かでない話を、新しく読み始めたボランティア精神に溢れる方が、かつておひとりいたこと自体、奇跡に近い。有名な作家の、どーんとぶ厚い立派な出版物ならいざ知らず、有象無象のシロト作家が、ただでもいいから誰か読んでくださいとネット放流したシロモノなのである。
 まあ、シロトでも、その正体は狸なので、毛ぐらいは生えているはずなんですけどね。

 なんか私的でビンボ臭くて鬱陶しい繰り言だけでは申し訳ないので、ここで気晴らしを、ひとつ。
 狸の愛するモンティ・パイソンの膨大なコントの中でも、ナンセンス・ギャグとしては一二を争うと思われる作品です。

               


10月05日 月  福祉の地域差

 昨日、田川氏は無事にマイミクさんと飲み会に参加できたそうだ。このあたりにも、あの業界の方々はけっこう住んでいらっしゃるのですね。

 さて、定職のない狸は本日あえて日雇いに出ず、すぐお隣の船橋市に出張り、ホームヘルパー2級資格取得講座の説明会に潜りこんでみた。そちらの業界では最大手の会社だからか、システムも先生もしっかりしていた。
 実技の一部も披露してくれ、たまたまその場に雄は狸一匹だけだったので目立ってしまったのか、それとも「介護は肉体労働ではない。人体メカニズムさえ知ってしまえば、力はほとんどいらない」という理論を実践するのにガタイがふさわしかったためか、狸は介護される役を命じられてベッドに横たわり、小柄で痩せた講師のおばさんに、ほんとに易々と抱き起こされたり、ころころとひっくり返されたりした。
 なるほど、こうした技術は介護する立場にはもちろん、自分が介護される立場になったときも、たいへんに役立つことなのだなあ。たとえば起こし方だけでも知っていたら、我が幼時、寝たきりのアルツ祖母(当時はあからさまに『老人性痴呆』と呼んでいたが)を、床擦れ軽減のためひっくり返したり風呂に入れたりするのに、どんだけ楽ができたか。そしてこの前の手術直後、自分自身が起きあがるときに、どんなに助かったか。
 しかし、相場とはいえ資格取得までにかかる費用は9万以上、講座自体に魅力は感じたものの、即決までには至らない。帰宅して別の会社を検索したら、ちょっと遠くの東京方面まで出張れば、数万で済むところもあるようで、一応資料を請求してみた。ちっこい会社のようだから、安値で勝負しているのか。まあテキストやら先生の質やら実地訓練を行う施設やら、元手とコネが物を言いそうな講座ではあるので、安ければいいというものではなかろう。受講となればどのみちまた姉に借金せねばならぬのは必定、やはり信用度重視で進めるべきだろう。ちなみに今日のちっこい講師のおばさんは、巧みな実技だけでなく、自閉症の男の子との交流話で満場の涙を誘ったりもして、かなりの手練と見た。

 で、福祉の地域差の話である。
 姉の住んでいる横浜市では、ホームヘルパー2級の資格取得後、きちんと介護現場に就職すれば、取得費用を半分助成してくれる。もともと姉がそんな話を耳に入れたことから、この前晩飯を奢ってもらったときに話題となり、現在のこんな流れに至ったのである。念のため横浜市のHPを覗くと、『
平成21年4月1日から、横浜市民で提携養成機関のホームヘルパー2級を取得し、横浜市内の福祉施設等で就業された方に受講料の半額(4万円を限度)を助成いたします。また、住民税非課税世帯の方等一定の条件を満たす場合には、全額助成をいたします』とある。つまり極貧の市民ならロハである。
 そして本日狸が説明会に出張ったお隣の船橋市では、住民税額を問わず、10万円まで助成してくれるという。なんと貧乏人でなくともロハになるのである。ただしこっちには『先着50名まで』『本年度内に船橋市内で介護関係の職に就くこと』といった、駆け足ぎみの条件がつく。まあ競馬場で儲ける土地柄だから、どーしても競ってしまうのか。
 当然それらの福祉には、市の財政状態のみならず、その市内での要介護人口や介護施設数や人手不足状態が大きく絡んでいるのだろうが――さて、狸穴の属するI市では――うふふふふふ、なーんも出ませんのよ。市役所で直接訊いたんだから間違いない。
 確かに商業圏や工業圏が多く、他市より介護施設は少ないのかもしれない。巷を闊歩する不良老人の多さから見て、高齢者も足腰だけは達者な土地柄なのかもしれない。でも、ひっそり自宅で訪問介護を待っている方々だって、今どきけして少なくないと思うんですけどねえ。


10月04日 日  俺とねこにゃん

 ねこにゃん話の先に、まずは私的な用件から。
 N村K太郎様、かさねがさねのご指摘ご意見、ありがとうございました。今後とも、どすえ関係のナニが狸に生じましたら、よろしくお願いいたします。
 ……いえ、旧作内の京都弁のチェックをお願いしたところ、地域事情等にまで、懇切丁寧なご教授を賜りまして。

          ◇               ◇

 さて、噂をすればなんとやら、唐沢なをきさんのサイン会が、最寄り駅の真ん前のビルにある書店で開催された。ほりのぶゆき氏と合同で、それぞれの新刊『俺とねこにゃん』や『東京お侍ランド』、あるいは旧作でも、サイン会の整理券を配り始めた後にその書店で買った本ならばサインの対象である。
 昼過ぎに田川氏から、こんなサイン会があるとのメールをもらったが、狸はすでに唐沢さんのブログでその開催を知っていたので、昨日『俺とねこにゃん』を購入し、整理券を入手していた。
 もっとも狸は、ほりのぶゆき氏の時代劇パロにはなじみがない。それに唐沢さんの旧作は過去に買ってしまっているので、『俺とねこにゃん』しかサインしてもらう本がない。もっと早くから知っていたら、『ヌイグルメン』の2巻あたりは、買わずに待っていたのになあ。ぶつぶつぶつ。
 会場では意外に年輩のファンも多く、頭のてっぺんがすでに薄くなっている方々さえ散見され、くたびれた古狸でも、まったく浮かないで済んだ。20年以上も第一線で商業漫画家を続けている方々のサイン会なのだから、当然か。
 順番待ちの間、列の後ろからサインの様子を覗いていると、皆さんたいがい唐沢さんの例のまんまるトマトのような自画像と、猫の正ちゃんを描いてもらっているようだ。狸はひねくれ者なので、唐沢ファミリー(ご本人と奥さんと正ちゃん)の顔を並べてもらい、奥さんのサインまでいただいてしまった。奥さんも、旦那さんの後ろに立っていらっしゃったのです。
 その後、ほくほくと駅前やら古本屋やらをうろついていると、田川氏からまたメールが届き、今サイン会の列に並んでいるという。ちょうど帰り道なのでまたその書店に戻り、「やっほ」「いやいや」などと、軽くご挨拶。田川氏のマイミクさんが、そのサイン会の設営等に加わっているのだそうだ。もっとも実際に顔を合わせたことはないらしく、閉会後に会う予定だが探し出せるかどうか、そんなのんきな話である。もし会えなかったらこっちとお茶でも、と別れたが、その後連絡がないところをみると、無事に顔合わせできたのだろう。

    

 ちなみに左が本日ゲットしたサイン、そして右は、帰宅時、狸穴の門の奥で侵入者を警戒していた番猫たち。
 そう、近頃の狸穴は、すっかりねこにゃんたちに警護されているのです。


10月02日 金  飽食の国の狸

 めでたく簡保の入院・手術保険金が振り込まれた。しかし家賃と入院費の残金を払ってしまえば、手元には諭吉さんが三人半くらいしか残らない。国保からも高額療養費の払い戻しという奴で、諭吉さんがまだ数人くらいは帰って来てくれるはずなのだが、それは年末になりそうなあんばいだ。とゆーわけで、狸は今日も自転車操業を続けている。
 本日の日雇いは、何度目かのネットレンタルDVD封入。いやあ、ほんとに8割方がエロ物件である。レンタルではまだ少数派のブルーレイでさえ、需要の半数はエロである。DVDというメディアは、歴史上、VHSテープなみの長期存続を約束されたといっていいだろう。卵子という深窓の令嬢めざして、馬車馬のように盲目的に、わらわらとあさましく他を掻き分けながら突き進む数億の精子――おおむね歴史というものは、その構図によって輪廻する。
 シフトの都合で3時過ぎに昼食に出たら、近くのマクドナルドで、なんとコーヒー無料のタイムサービスをやっていた。ハンバーガーとマックポークとコーヒー、そんな高栄養かつけっこう旨い昼食が、なんと200円ポッキリ。で、夜8時まで残業し、晩飯も外食で済ませてしまおうと王将に入って餃子と焼き飯を注文、お会計は100円割引券を使って551円。さすがに野菜が足りない気がしたので、帰途100円ショップで濃いめの野菜ジュースを補充――。結句、一日計856円で外食生活が成立し、ダイエットとは縁遠い高栄養が摂取できてしまう。帰途の道すがら瞥見するネットカフェのメニューには、100円ポッキリのカレーや丼物まで載っている。
 まあ、生活保護を切られて「おにぎり食いたい」などと書き残し衰弱死してしまう方も中にはいらっしゃるとはいえ、それはあくまで気力や要領の問題であり、ほんとうに貧乏人でも肥え太れる結構な国なのですねえ



10月01日 木  自負ある人

『電脳なをさん』『ヌイグルメン!』などで知られる漫画家・唐沢なをき氏が、漫画紹介番組『マンガノゲンバ』(NHK衛星第2)の密着取材が誘導尋問的だとして取材を途中で打ち切り、放送が中止となった件で、NHKが同番組の公式ホームページで正式に謝罪した。「取材相手との信頼関係を築くことができなかったということを重く受け止め、改めて取材者としての基本を徹底していきたいと思います」としている。 
 唐沢氏の妻でエッセイスト・唐沢よしこ氏が9月12日付のブログで、番組の取材を中止したことを報告。ドキュメンタリー形式の密着取材にもかかわらず、ディレクターが勝手に作った"ストーリー"を押し付け、別の答えを要求するなどの誘導尋問があったと吐露した。ブログでは「自分の“ストーリー”に即した答えを言うまで許してくれないんですよ。自分のインタビューに対する答えを、質問する前から想定してるんです」と怒りをあらわにしていた。
 唐沢氏の告白はインターネット上で反響を呼び、大手メディアもこの事実を取り上げた。その後、唐沢氏の元に『マンガノゲンバ』のプロデューサーが改めて謝罪に訪れ、今回正式に同番組公式ホームページで謝罪文を掲載した。「担当ディレクターは、唐沢氏への事前取材を通して得られた番組の企画意図を説明したものの努力不足もあり、コミュニケーションを十分とることができませんでした」と説明している。
 唐沢氏は、作家で『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)などにも出演する唐沢俊一氏の実弟。パソコン雑誌『週刊アスキー』(アスキー・メディアワークス)に10年以上にわたって連載されている『電脳なをさん』、漫画雑誌『イブニング』(講談社)連載の『ヌイグルメン!』などを連載中。 【10月1日9時2分配信 オリコン】


 ――ほう、そんな事があったのか。
 以前にも記したが、狸は、唐沢なをきさんのデビュー初期に「こ、この人は、日本のギャグマンガ界に、赤塚不二夫大先生そして山上たつひこ先生以来の、第三の革命を起こそうとしているのではないか!?」と刮目したりした。狸が未だに全作品を追いかけている数少ない漫画家のひとりであり、奥さんとの共著であるエッセイ集も、2冊しか出ていないけれど、繰り返し読んで楽しませていただいている。当然そのブログもしょっちゅう覗いていたのだが、先月の千畳敷関係のドタバタ以来ちょっと覗き忘れているうちに、上記の騒動が起こっていたようだ。
 言うまでもなく、創作者としてのプロの漫画家に対して対等の立場でモノを言っていいのは、身銭をきってそれを受けとる真摯な読者だけであり、担当編集者ですら多くの場合、無責任な仲買人に過ぎない。近いところでも、『ガッシュベル』の件とか『バガボンド』の件とか、色々ありますしね。まして、そんな市場を外からの視線で報道しようとする、いや、別のメディアのネタとしようとする人間なんて、まったくアテにはならないわけである。おそらくその若いディレクターさんも、自分は『創作者』であり、唐沢さんを『ネタ』だと思っていたのでしょうね。
 悪意の有無の問題ではないのである。過去、売れっ子の小説家の方が、漫画界を舞台にしてあくまでシリアスな(つもりの)ミステリーを著し、でもそれを読んだ漫画家や漫画愛読者はあまりのハズシっぷりに大笑い、なんてこともあった。しかしその小説家のファンや、漫画界を知らないミステリー愛好家などは、あんがいその大笑いな世界を、感心しながら真に受けたりもしたのではなかろうか。
 いっぽう、唐沢なをきさん自身が現在ノリにノって描き続けている『ヌイグルメン!』、あれは、特撮ヒーローTV番組の制作現場をパロディー化して完膚無きまでに笑い飛ばしながらも、氏の特撮おたくとしての膨大な知識と、多大なる愛情と綿密な取材によって、自身の創作者としてのレベルをさらに一段押し上げるほどの好著となっている。当然、特撮ヒーロー業界およびその周辺のおたくたちからも、しっかり支持されている。それほど真摯で技量に長けた創作者であればこそ、NHKのお若いディレクターの独善的でいいかげんなネタいじりには、我慢ならなかったに違いない。

 狸の私事、それも30年も昔の話で恐縮だが、現在でも発行されている漫画情報誌『ぱふ』が、まだ極めて真面目な情報誌だった頃(いや別に現在の編集傾向が真面目でないというわけではないんですけどね)、各大学の漫研から漫画論っぽい雑文を募り、狸も、鉄腕アトム時代の少年漫画(児童漫画)に関する雑文を載せてもらったことがある。しかし載せてもらったのはいいのだが、実際に印刷されたその文章にはなんじゃやらずいぶんと狸の記憶にない部分が増殖しており、ありゃ、ちょっと困るけど載せてもらったんだからまあいいか、などと卑屈に納得していたら、まさにその増殖してしまった部分を、明漫OBのいしかわじゅん大先輩からエラく怒られてしまい、ちょっとどころか大変に困ってしまったことがある。
 改心した狸は『ぱふ』の編集にクレームを――などとゆー覇気はまったくなく、その後も漫研の同人誌に描いた作品の一コマを同人誌評欄に転載してもらってふんふんと喜んだり、なんかいろいろきゅうんきゅうんとシッポを振ったりしていたのであった。
 そーゆー根性だから、いまだに負け犬、じゃねーや、負け狸なんですねえ。