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11月29日 日  雑想

 唐突ですが、米沢在住のみほとこうじ氏は、マジにカタギの道に進まれてしまったのだろうか。MIXYのほうもHPのほうも、ここ何年かまったく更新がないようだ。
 何年か前に、某成年コミック出版社からイラスト集が出るような噂もあり、出ればコアなファンが飛びつくのは目に見えていたのだが、結局流れてしまったのはなぜか。編集と喧嘩でもしちゃったのか。とうとう一冊の単行本も残さずに、得難い達人ろり絵師が、またひとり市井に紛れてゆくのか。おじさんは悲しいぞ。
 下のリンクは、みほと氏の旧作を、どこぞのマニアが編集してニコ動にあげてくれたもの。ろりではなく百合作品で、各所に他の漫画家さんのコマを使った一発ギャグなども混じっているが、みほと作品への愛と敬意は、充分にはらわれているように思う。

        


 なんといいますか……やっぱり描く世界に『愛』がありすぎるのですね。己にとっての『愛』というものを、ある程度商売物と割り切れない創作者は、生き残りにくい業界なのだろう。
 最困窮期にも売り飛ばさずに大事にとっておいた『漫画ホットミルク』の何冊かと個人同人誌2冊を抱えて、それでも狸は死ぬまで氏の再起を祈り続けます。
 いっそ上の動画のオリジナル素材を同人誌からスキャンして、ノーカットでここにあげてしまいたいところだが、なんぼなんでもそれはまずかろうなあ。

     ◇          ◇

 本日は、市長選挙である。
 前回4年前の市長選挙では、投票率25パーなどというとんでもねーシラケっぷりをカマしてくれた地元なのだが、今回はそれに輪をかけてシラケ鳥の大群が街を覆い尽くしている感じである。なにせ自民党が完全に事前ギブアップしてしまい、まともに選挙運動をやっている候補者はたった3人(もうひとり冗談候補の変人がいるようだが論外)、当然いずれも大なり小なり民主党がらみ、おまけにそのうちふたりはまだ童顔の青年だったりする。なんすかこれ。あ、ちょっとは老獪そうな年配者がいると思えば、政治は素人の実業人だったり。こんな市長選挙があってたまるか、おい。
 狸は基本的に、どんなマイナス選挙であっても棄権はしない主義なので、いちおう投票はしてくるが――いやあ、盛り下がることシベリア寒気団のごとし。

     ◇          ◇

 ここまで記して、いったんここを更新したのが、実は日曜になって間もない午前2時頃。
 で、その後、いつものテキスト・エディタを開き、「あうあう、『ゆうねこ』のノア・サイド、どうしてもピンとくるビジュアルが固まらないよう」などと、ここふた月ほどと同じ愚痴を脳内でこぼし続けていたら、突如としてまた短編むけの言霊様が降臨、仮タイトルを『茉莉花館《ジャスミンハウス》』などとつけて、冒頭を打ち始める。以前ここでも紹介した、狸穴と同じ街のちょっと遠方にある、謎の白い廃洋館をモチーフにした、例によっての現代幻想狸節になる予定。
 狸には珍しい二か月連続短編創作なるか――などと他人事のようにぽこぽこと打鍵していたら、面白いもので『ゆうねこ』のほうのビジュアルも忽然と脳内出現し、あわててそっちもテキスト化していたら、あっというまに夜が明けて、朝の8時になってしまった。ああ、仕事にアブれるということは、ほんとうにありがたいことだなあ――って、違うぞ狸。
 で、いったん就寝し、午後2時半に目覚めて、ぽこぽこと近所の小学校に向かい、市長選の投票。午後3時の投票率、驚くなかれ、たったの16パーセント。おお、市長選投票率日本最低記録を、ついに自己更新か。わくわくと経緯を見守ると、現在午後7時でも24パーに達していないようだ。ううむ、微妙な数字ですね。最終8時までには25に達してしまうか。だとすると、4年前の最低記録を更新できなくなってしまうなあ――期待している方向が違うぞ狸。
 ところで選挙の帰りに、西友で850円のジーンズを買って(これまで穿き古したジーパン、軽作業を再開したとたんに、内股後方ケツ寄りの部分の劣化が加速し、大穴が開いてしまったのである。狸体型の場合、ジーパンで労働すると、なぜかそこだけ擦り切れる)、帰りに駅ビルに寄ると、駅弁大会が開かれていた。米沢の『牛肉どまん中』もある。食いたい。でも金がない。旨そうな、しかしふたつ食わないと満腹できないようなちっこい弁当が、どれも1000円以上するのである。せめて包装紙だけでも目に焼き付けておこうとうろつくことしばし――おお、豊橋駅の『稲荷寿し』もあるではないか。これなら480円で満腹できてしまう。栄養もたっぷりだ。喜び勇んで買いこむ。

     ◇          ◇

 間もなく、フライ級タイトルマッチ、内藤・亀田興毅戦が始まる。
 狸は爺いらしく内藤贔屓である。あの顔は、いい。以前にも記した気がするが、実際、古寺の十二神将像のひとつに貼り付けて、永久保存したいようなご面相だと思う。亀田君のほうは、まあ若いから仕方がないが、まだまだコンビニ前でウンコ座りしていてもおかしくない面構えだ。しかし内藤もベテランとはいえ、すでに現役としては限界の歳である。若さという奴は、悔しいながら不可逆的なベクトルとして、何よりも強い加速度を持っている。スタローンのロッキーでさえ、その壁は越えられない。
 ともあれ、試合開始の前に、風呂に入ってしまおう。

 で――ああ、いい試合だった。
 試合前も試合後も、使用前でも使用後血まみれヨレヨレ状態でも、揺るぎない克己心に充ち満ちた内藤の顔。そして試合開始後しばらくは何か途惑ったような表情のまま変化に乏しく、しかし試合後半、焦りと楽観を繰り返しながら他人と見紛うように刻一刻変化してゆき、最終ラウンド、ヤケクソのマジ顔を経て、試合後は、旅立ちの凛々しさをきっちり備えたような亀田君の顔。両者、文句なし。狸は思わず涙ぐんでしまったぞ。
 勝ち負けではない。中継中、浅薄に繰り返された『問われるのはどちらが強いかだけ』などという、ガキなみの煽り文句の世界でもない。そこにあるのは世代交代をめぐる正統派ドラマそのものであった。
 うん。近来稀なる、いいドツキ合いだった。
 ただ、勝利後の亀田君が、「亀田家のファンの皆さん」への感謝を口にしていたのは、まあ長男であるから当然の言葉なのだが、狸としては、お父さんや弟君たちに関しては、今のところもーどーでもいーです。総領息子として何かと大変だろうが、興毅君には今後もがんばってほしいものである。
 さて――内藤選手、今後はぜひそのご面相を生かして味のある役者を目指してほしいところなのだが、どうか。

     ◇          ◇

 ちなみに今回の市長選の最終的な投票率は、あと一歩で30パーセントのところまで追い上げたようだ。なんだかよくわからない選挙だけに、真剣に悩んでしまった方が多く、そのぶん投票へも駆り立てられたのだろう。


11月27日 金  超高層のあけぼの

 ビンボ、ビンボ、ビンボ! ウ〜〜、ビンボッ!! などとマンボのリズムで踊り出しそうな、末世的『ええじゃないか』状態であるにも関わらず、日雇いの間を縫って『ダイゴロウ対ゴリアス』やら日美野梓ちゃんやら『田園に死す』やら新実菜々子ちゃんやら、無料期間のうちにせっせとネットレンタルDVDを観まくり、なかなかに恵まれた飽食の国の狸なのである。
 そして、あの『超高層のあけぼの』も、田川氏のご厚意によって圧縮avi画質ながら無事に内容再確認できた幸福な狸なのであったが――す、すっげーおもしれーじゃねーか、これ。小学校高学年時の狸の印象記憶という奴も、我ながら改めて信頼できるもんだなあと感心してしまったり。こないだ再見した『富士山頂』の、当社比、じゃねーや、他社比数十倍の盛り上りっぷりなのである。
 題材自体のプロジェクトX度というか、地上の星度が高いせいもあろうが、改めてクレジットを確認すれば、監督は、あの鉄ちゃん御用達の名作『大いなる旅路』(昭和35年・1960)を撮った関川秀雄、原作はあの黒澤組で名高い菊島隆三、そして脚本には、あの硬派活劇の実力派・工藤栄一監督まで参加しているのである。さらに、当時の学者さんや企業人や現場労務者たちを演ずるのが、主役級から脇役級まで、日本映画黄金期を支えてきた錚々たる実力派たち。トドメに音楽は伊福部昭ときたね。これで盛り上がらなかったら嘘である。ある意味明らかに『黒部の太陽』を凌ぐ高揚感なのであった。
 しかし、伝説的スターが出ておらず、霞ヶ関ビルという今となっては両隣よりもチンケな物件が主役のせいか、どこのDVDレンタルにも品揃えされない現状――これは由々しき問題であると思うが、どうか。役者の演技を観てるだけでも、平成の人気演技者たちの多くがいかに実在感に乏しく薄っぺらであるか、痛感させられてしまうのである。昨今の昭和レトロブームを単なる郷愁に終わらせないためにも、この作品は、今こそ再評価されねばなるまい。
 ちなみに『ダイゴロウ対ゴリアス』も古臭いながらやっぱり面白く、『田園に死す』(昭和49年・1974)の寺山修司ワールドときた日にゃ、悶絶級の大衆性と芸術性の混淆するズブドロ土着っぷりなのであった。やっぱりすげえぜ昭和。

 あ、でも平成も、けして捨てたもんじゃないです。日美野梓ちゃんは、無事にU15アイドルから脱却して立派なストリッパーになれそうなフェロモン系ボディー(いや、脱がないんですけどね)に育っているし、なんの芸もない新実菜々子ちゃんだって、あの健やかなミドルティーン・ボディは3代続いた欧米型食生活の賜物に他ならないわけで、両者やっぱり昭和には存在しえなかった、新世代の娘さんたちなのである。


11月25日 水  アブレゲール

 本日はお休み。前の2日で3日ぶんくらいは稼いだので、バテ防止のためにはアブれるのもいいだろう。
 午後まで寝て、京成ストアにアラを漁りに行くと、まあもともと余り物のことゆえ、ほんとうにバラつきがありますね。1パック200円は固定だが、日によって同じお魚でもずいぶん量がちがう。この前はてんこもりだったブリのアラが、今日はほんの4片しか入っていない。そのかわり、マグロの血合い主体の部分が、ずっしりどでかい切り身ふたつの大盤振る舞い。鯛のカブトもまるまる1個200円。目玉周りがとても美味なのは、ご存知のとおり。しかし現状、狸は質より量が肝腎なので、マグロにしました。

 いっとき70を割っていた体重は、早くも72までリバウンド。働けば働くほど肥えてしまうのは、貧乏人の宿命ですね。シャリバテ防止のため、ついついきっちり3食摂ってしまう。これで以前のように米や麺類も好きなだけ食ってしまうと、あっというまに80キロに近づいてしまうわけである。なまねこなまねこ。でも、80キロ近かった体と現在の体、ちっとも軽くなった気がせんのよなあ。持久力など、明らかに落ちている。慣れの問題もあろうが、やっぱり長年80キロ弱の肉塊を大量のケム吹かしながら高血圧のイキオイで動かし続けてきた狸体は、70キロの体をケムを抑えて普通の血圧で動かす状態だと、ちょっと無理があるのではないか。
 大デブ状態で大汗かきながら元気に徘徊し続けて早死にするのと、人並みの体で細々と長生きするのとどちらがいいか――でも、スリムな体で摂生していたって、亡父のように死ぬときゃ死にますからね。

 ところで、狸は本日、生まれて初めて、発作的に年末ジャンボ宝くじを買ってしまいました。わっはっは、これで億万長者になる可能性が、100パーセント生じました。『億万長者になる可能性』はバクテリアの涙ほどしかなくとも、『億万長者になる可能性がある』ことにおいては、マジ100パーセントだぜ、えっへん。
 なんて、もはや藁にでもすがるしか『希望』という概念そのものを脳内に維持できない、そんな精神状態なのですね。でも買ったのはたったの10枚。だってお金ないんだもん。


11月24日 火  勤労感謝の日(って、昨日じゃん)

 おかげさまで、勤労感謝されながら(誰にや)、昨日も今日も残業で稼がせていただきました。これで今月も、なんとか越せそうだ。早いもので今年もあとひと月ちょっと、なんとか越せそうな予感。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって、また、いやあないやあなニュースを見てしまった。どこぞの橋の下に、バッグ詰めで乳児がふたり、死体遺棄されていたのだそうだ。だからなんでそーゆーことするかなあもうおねがいだからやめてくれようとにかく鬱ぎみの狸の脳味噌がどんどんどんどん萎縮してうじうじうじうじ引き籠もっちまうじゃんかよう。
 だいたい、ひと頃喧伝されていた、あの『赤ちゃんポスト』はどうなった。正式名称『こうのとりのゆりかご』に比して、いかにも当節のマスコミらしいとんでもねー大馬鹿なネーミングではあるにしろ、せっかく存在するのだから、生みっぱなしのバカ女や生ませっぱなしのバカヤロウの腐った頭でもしっかり思い出せるように、せっせと喧伝し続ければいいではないか。また、のっぴきならない事情で必ずしも望まずに産み捨ててしまう思考閉塞の母親だって、「あ、そうそう、ちょっと電車に乗ってけば、あそこにポストがあったんだ」と気づければ、投函しに行くかもしれないではないか。いっときさんざん話題にしただけで、目新しさがなくなったらもうシカトだもんなあマスゴミさんは。あんまり派手に広めると気軽に捨てる親が増えるなどという批判もあったが、死ぬまでほっとかれて捨てられる赤ん坊のほうがずっと大変だろうよ本当の話が。

               


11月22日 日  なんかいろいろ

『超高層のあけぼの』に関しては、さっそく渡辺氏や田川氏から伝言板にカキコをいただき、そのうち観られる目処がついた。つくづく、持つべきものは、もの持ちでおたくの後輩であるなあ、と痛感する。

 田川氏からのメールで知ったのだが、明日、明大漫研の何十周年だかのパーティーが、あの馬鹿高い母校ビルで開かれるのだそうだ。狸は卒業後の度重なる転居によって、とうの昔にその手のお知らせなど届かなくなっている。しかしどうやら正式な催し物らしく、偉大なる先輩諸氏から末端の漫画職人まで業界人の社交場となりそうな感じもするので、現状、狸の出る幕ではあるまい。明日の仕事は決まっていないが、午後勤や夜勤の口がかからないとも限らないので、とりあえずパス。同年代の飲み会かなんかだったら、ぜひ気晴らしに出たいんですけどね。あと、小説関係の業界の方もうろついてるとか。

          ◇          ◇

 改築中の隣のマンション、ようやく解体や下準備を終えて、新規物件の建設に入るらしい。そのお知らせが郵便受けに入っていたので、どんな下層民睥睨物件が屹立するのかと、楽しみに(?)目を通したら――『木造3階建て共同住宅』――な、なんなんだ? 3階建てのアパートというのは、セコいながら不景気ゆえ許すとして、いまどき木造? しかし、けっこう地べたを掘り下げてあるぞ。秘密の地下室かなんか作って、なんか貧乏人を集めて陰謀でも巡らすのか?
 しかし『3階建て』とは微妙。狸穴は4階建ての2階に位置しているから、個室としてはまた南西以外完全日陰に戻るが、屋上に上れば「ふっふっふ、隣の愚民どもが足元で蠢いておるわ」と見下ろせてしまうわけである。いっそ2階建ての民家でも建ててくれれば、なんぼか日当たりが良くなるんだがなあ。

          ◇          ◇

 買い物ついでに図書館に出向き、まだ読み切れていない『アマゾン河』を貸出延長してもらい、ついでになんかいろいろ物色していたら、今年コーナーができたばかりでほとんど貸出中のDVD棚に、妙な物件が残っていた。『アポロ11号月面着陸の疑惑』――わはははは、誰のリクエストに騙されて、こんなの税金で揃えた市立図書館。しかし、これもまたトンデモ関係としては、本日返却した大藪春彦氏の『餓狼の弾痕』に負けずとも劣らない存在なので、喜々として借りてしまう。
 で、帰穴後さっそく観てみたら、わははははははは、人間、物を知らないということがいかに恥ずかしいことであるか、痛感させられる。なんて、実はそう偉そうに言ってるバヤイでもなく、着陸捏造説派の主張する矛盾点とやら、その多くは無知な狸にとっても「おうおう、こりゃ確かにもっともらしい矛盾ではないか」などと思えてしまうのだから、困ったものである。しかし、いかんせん、写真に関する『矛盾』と称する部分――アメリカの荒野やスタジオで撮られた証拠と、捏造説派が主張する部分だけは、一応そっち系で人生の3分の1近くを食ってきた狸なので「おいおい、それちっとも矛盾じゃねーぞ。そう写っても当然だぞ」とツッコまざるをえず、当然、他の『矛盾』にもずいぶん『無知』が混じっているのだろうなあ、と判断せざるをえないわけである。
 まあ、今となっては、しっかり月面に残っている種々の置き土産が確認されているので、あのアポロ11号に寄せた狸ら当時の小学生の限りない憧憬と希望は、しっかり裏打ちされているわけである。それでも捏造説派の方々は、その新しい証拠自体が捏造、などと言い張り続けるわけだが、「人間が月に行けるはずはない」と信じ続けるあなたも人間なら、「月に行きたい」と思ったら釈迦力で行っちゃう方々も、やっぱり人間なのですね。
 ともあれ、いっしょに借りてきた、ドレスデン少年合唱団によるクリスマス・ミサの敬虔な合唱や、軽快なポール・モーリアのクリスマス・アルバムなど、しみじみ聴き入っている日和見の狸です。創造主の言うように地球がまっ平であろうがなかろうが、少年たちの声は美しく、ポール・モーリアさんは能天気だ。

 さて、例の久々の新作短編、とりあえず今んとここんなもんか、そんな感じまで推敲できたので、今夜中にここの表に上げてしまおう。


11月21日 土  明日への希望

 せっかくロハで多少マイナーな作品も観られるのだから、と、DVDを色々物色しているわけだが、アレがどこにもない。映画『超高層のあけぼの』(昭和44年・1969)が、どこでもレンタルされていない。公開当時は、かの『黒部の太陽』の対抗馬として、けっこう話題になった難工事映画なんだがなあ。黒四ダム同様『プロジェクトX』の大ネタにもなった、日本初の超高層建築・霞ヶ関ビル建設をめぐる苦闘物語ですね。
 映画的には『黒部の太陽』よりも男汁成分が薄かったかもしれないが、都会が舞台なだけに企業ドラマや高度技術ドラマとしては時代の先端をゆくイキオイというか、地べたに穴を穿つのと対照的に空へと屹立してゆく感覚で、当時小学6年の小狸も、なかなか手に汗を握った記憶がある。しかし、今回契約できたTSUTAYAにも、渡辺氏に教えてもらったDMMやぽすれんにも、品揃えがない。巷のレンタルショップには、なおのこと見当たらない。
 まあ、未だにド迫力の巨大構造物感覚で観光資源にもなっている黒四ダムとはちがい、いまどき36階建てのビルなど珍しくもなんともないから、品揃えする側から見れば、需要薄のイメージなのか。しかし、昭和レトロブームという奴は、当時の高度経済成長に対する憧れと不可分の風潮なのだから、ちょっとPOPやなにかで煽れば、街のレンタル屋でも充分回転すると思うのだが。確かに東京タワーやオリンピックで盛り上がった30年代の話ではないが、あの昭和45年の大阪万博を高度経済成長期のピークの象徴とすれば、霞ヶ関ビルは、まさにそのゴール直前、どどどどどと最加速していた頃の物件なのである。
 もはやノスタルジーばかりにどっぷりと脚を絡め取られている狸とは違い、お若い方々はこれからも先へ先へと進まねばならないのだから、地べたに穴を掘り進めるのと同じボルテージで、ぜひ天空方向も目ざしてほしいものである。
 などと言いつつ、狸も昔を良がっているばかりでは仕方がないので、とりあえず『ダイゴロウ対ゴリアス』や『脱走山脈』といった懐かし物件だけでなく、このところビンボに負けてフォローできていなかった日美野梓ちゃんのグラマラスな高校生姿や、中学生らしくすくすくと育ちつつある新実菜々子ちゃんのスリムなスク水姿なども、明日への希望をこめて、きっちりと予約したのであった。
 ……ますます爺い根性が泥沼化しているような気もするが、うん、気のせいだな。気のせい。


11月20日 金  狸の執念

 で、一見のほほんとした顔をして実は大変根に持つタイプのヤな奴である狸は、昨日呆れにまかせて引用した例の『ダイゴロウ対ゴリアス』レビューに関し、ちょっとあっちこっち(早い話が2ちゃんあたり)を徘徊してみたら、やっぱり呆れられた方が多いようで安心した。この日本、まだまだ正気な人間が多いのである。また、そのレビューが、論法や文体からして、かの有名な書斎魔人様の仕業ではないかと推理している方もあり、なるほどなあ、と笑ってしまった。
 書斎魔人、あるいは書斎魔神――今も有名なのかどうかは知らないが、今世紀初頭には、ネットのあちこちで独断と偏見をふりまき顰蹙を買いまくっていた、自称・高等遊民様である。ミステリーやホラーが専門かと思っていたのだが、特撮にまで手を広げたのかな。それとも狸が寡聞なだけで、もともとそっちも語る方だったか。ともあれ、狸の愛するM・R・ジェイムスの古典的怪談作品を『逝ってよし』で片づけるような、情緒欠落型の方だったことだけは記憶している。情緒欠落型の人間が、大真面目にゴシック・ホラーについて語ったりするものだから、それはもう的外れの恥ずかしい発言が山のように海のように多かったわけである。もちろん昨日引用したレビューが同一人物によるものとは限らないわけだが、なるほど、そうと想像するだけで、やっぱり大笑いしてしまう狸なのであった。自分の好悪を『社会的事実』にしちまっちゃあかんがな。

 さて、そんなこんなで、どうしてもあの『ダイゴロウ対ゴリアス』、生きている間にもう一度観賞しておきたくなったわけだが、ご近所のレンタル屋には無論のこと在庫していないし、中古も高くて買えない。ネット・レンタルなら在庫があるようだが、昔は重宝していたあのシステムも、それを貸出封入する現場の日雇いに出る側に回ってしまってからは、借りる側の契約は切ってしまっている。
 で、今回目をつけたのは、TSUTAYAのネットレンタルである。HPを見れば、入会後ひと月は、1回2本のレンタルで4回計8本までは無料とある。これなら、入会して大慌てて8本借りてひと月以内に解約すれば、早い話がまるっきりロハなのである。いやいやこーゆー甘い話にはきっとなんかワナがある、などと、小心な狸が目を皿のようにして契約要項をチェックしても、やっぱりそれでいいらしい。しかし――支払い方法はクレジットカードのみ、それも入会時の必要条件だ。
 ああ、やっぱり駄目か。現在の狸は、自慢じゃないが立派なカード難民なのだ。数年前は長財布にぎっしり並んでいたクレカの群れも、銀行預金が尽きるとともに無効カードの群れと化し、現在一見それっぽくて有効なのは、VISAのデヴィットカードのみ。これは銀行のキャッシュカードと兼用で、一文なしでも無職でも、口座さえあればOKですからね。要は小売店頭用単発自動引落カード。しかし――まてよ、かつて一度も買い物に使ったことはないが、確か発行時、VISA端末のある店ではクレカと同じように使えると聞いたような気がする。ならばネット上の契約だって――。
 ――ぴんぽーん。みごとにオンライン契約できてしまいました。これで、ひと月以内に借りまくり返しまくり即解約すればオール無料。TSUTAYAにしてみれば最も望ましくないパターンだろうが、駅前の系列店ではいつもちゃんと(半額クーポンの時だけですけど)現金でレンタルしてるんだから、やましくもなんともない。
 さあて、これで近所のレンタル屋にない物件も、ばんばん観られるぞ。でも8本だけ。


11月19日 木  でもやっぱりぐちぐち

 それにしてもしばしば頭を抱えてしまうのは、ネット上の情報の90%を占めるのではないかと思われる、ガセネタの嵐である。
 まあ近頃は、見るだけネット・ユーザー(ROMという呼称は、今も通用するのだろうか)の意識が多少は高まっているので、昔ほど鵜呑みにして躍らされはしないようなのだけれど、なにせ目立ちたがりの若きカキコ屋さんたちが年々歳々自信を持って恥を忘れて行くものだから、やっぱりハラハラしてしまう。

 お金はないが物欲はあるので、貧しい狸もしばしばヤフオクやAMAZONあたりを徘徊する。主に立体写真関係の古物や、昔のアニメや漫画や特撮関係のブツを漁り、「あ、こんなの、あったあった」と楽しんだあと、リリースしてしまう。だって持って帰るとお金かかるんだもん。
 さて、今し方AMAZONを徘徊していたら、『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(昭和47年・1972)のDVDのレビューに、こんな世迷い言をカキコしているアホがいた。
特撮TVの円谷プロが劇場映画進出を狙い見事にこけた作品。内容は幼稚すぎて大人の鑑賞に堪えないどころか小学生の鑑賞にも堪えない。しかしそれが製作者が意図したものであることが、この作品の評価を難しくする。製作者は対象を4歳児ぐらいに定めていると思われる。怪獣の造形は童画そのもので、ダイゴロウの腹やゴリアスの腕は子どもの目に映った怪獣の姿の具象化と言って良く、つまらないギャグの繰り返しは4歳児が最も好むものである。一般公開されたことが不幸だったのであり、怪獣版テレタビーズだと思うとその完成度は決して低くはない。』――などとまあ、独断と偏見と捏造を垂れ流し、★ひとつの評価を入れているのである。理性的な鑑賞眼や分析力も、おたく魂を磨くために当時の資料を漁ろうというような克己心もなく、といってすでに童心のカケラもないところを見ると、たぶん知ったかぶりの20歳前後、CG以降のSFX関係ヌルおた、そんなところだろう。
 だいたい、あれはあくまで『円谷プロダクション創立10周年記念作品』としての破格な予算による劇場作品であって、初めから2匹目や3匹目の劇場用を狙ったのではないし、『コケ』てもいない。映画産業斜陽期とはいえ1972年冬の『東宝チャンピオンまつり』、当時としては立派に元がとれてます。そもそも『ダイゴロウ対ゴリアス』だけの興収なんて、誰にも算出できるはずがない。同時上映が『ゴジラ電撃大作戦』(4年前の『怪獣総進撃』の短縮版ですね)、そしてあの高畑・宮崎コンビによる、ジブリアニメの原型とも言われる『パンダコパンダ』――この3本立ての熱気が、お子様たちでいっぱいの劇場に、混然と渦巻いていたのです。もっともその状況は、昭和47年歳末、山形宝塚劇場における冬休みの一齣に過ぎず、また当時高校受験を控えた中学生でありながら昭和後期ゴジラのみならず昭和ガメラさえ最後まで追いかけ続けていた一匹の少年狸による見聞だから、必ずしも日本中の劇場がそうであったと言いきる自信もないんですけどね。
 ともあれ、4歳児どころか小学校中学年くらいまでの子供には、あの『ウルトラQ』における子供視点の作品群を当社比10倍に増幅したような特撮児童人情映画『ダイゴロウ対ゴリアス』はきっちりウケておりましたし、中学三年のヒネた始原特撮おたくさえ「おうおう、日本の光学合成職人芸もついにここまで来たか!」などと、感嘆しきりでした。で、『ゴジラ電撃大作戦』では小学校高学年まで精神的にカバーし、あの『パンコパ』と来た日にゃ、幼稚園児から付き添いの親御さんたちまで、世代を問わず、マジに大ウケ状態だったのである。

 まあ人間、身のまわりだけながめてシラケたふうに解ったような顔をしたり、逆に断定的プロパガンダを絶叫したりするのが大人っぽいと思っているうちは、やっぱり子供なのである。……なんて、半分子供の狸が言えた義理でもないような気もするが、でも半分は爺いってことで、いつもの懐古ネタでした。

 さあて、今日も夜勤だ。倉庫もめっきり寒くなってきたから、厚着と汗っかきのバランスが難しいのよなあ。


11月18日 水  またよれよれ

 ふっふっふ、真夜中から夕方まで、ほぼ18時間働いてきたぜ。
 ボケていたので、夜勤の後に昼勤を入れてしまったんだぜ。
 ふっふっふ、古傷がピクピク疼きやがるぜ。
 もー季節も時代もなんも無関係にただひたすらおすがりしたいので、昭和53年(1978)夏のリリーズ大明神、お願いします。

               

     ◇          ◇

 ところで日本の司直は、まだこんな暇潰しに人手をさいているのだなあ。鳩山さん、これって完璧、前時代的悪弊による税金の無駄遣い、ぶっちゃけ「今どき頭がおかしいんじゃねーかおまいら」だと思うんですが、いかがなもんでしょう。

 ヌード写真集の撮影をめぐり、公然わいせつ容疑で写真家篠山紀信さん(68)の事務所(東京都港区)などが家宅捜索を受けた事件で、篠山さんが任意の事情聴取に対し、屋外で撮影したと認めていることが15日、警視庁保安課への取材で分かった。
 同課によると、篠山さんは昨年夏ごろ、都内の屋外数カ所で、自ら女性のヌード写真を撮影したと認めているという。
 同課は今後、押収資料を分析し、撮影時間や場所などを特定した上で、本格的な事情聴取をする方針。
 同課は10日、発売された写真集「NO NUDE by KISHIN 1 20XX TOKYO」(朝日出版社)をめぐり、昨年8月に港区の都立青山公園で女優(21)のヌード写真を撮影した疑いがあるとして、篠山さんの事務所や自宅など3カ所を家宅捜索していた。【11月15日16時9分配信 時事通信】


11月16日 月  ぽこぽこの世界

 ぐちぐちでもよれよれでも生きている限り腹は減るので、ぽこぽこと餌をあさりに山を徘徊する狸です。基本的には、あくまで昨日にも明日にも感じの鈍い個体なのである。今しか見えないとも言いますね。
 やはり座り仕事は空きが少なく、終日うろうろのピッキング関係が主になってしまうのだが、千畳敷の気配は日々薄れ、逆に「あ、今のこの下半身の感触だと、昔ならモツが出ているな」といった場合でも、しっかりとガードされているのが解る。ただ、3ヶ月で10キロ近く減量したためか、医者に言われて毎日服用している降圧剤のせいか、おそらくその相乗作用なのだろうが、以前よりシャリバテしやすく、気が短くなった気がする。そのうち道端にへたりこんでひとりぶつぶつと愚痴をつぶやき続ける、立派な爺いになれそうだ。

 まあ人間も狸も歳くえばくうほど、やたら過去にばかりこだわるようにも見えようが、それはただ、若者よりも過去が多く未来が少ないから、必然的に話題がそっちに向くだけのことだ。古代エジプトの石板にも「ああ、昔は良かったなあ」とか「まったく近頃の若いもんはぶつぶつぶつ」とかしっかり掘ってあるそうだし、文字のない時代から、年寄りはおおむね似たようなことをぼやき続けていたはずだ。
 しかしまあ、それだけに甘んじていると、老人になればなるほど若者より仏性に劣ることになりかねない。一期一会ということの本質は、『今が良ければそれでいい』に他ならないのである。だから狸もシャリバテやビンボなんぞ気にせず「まあこんなもんこんなもん」と、道端にへたりこんで笑っていればいいのである。
 でも全人類がそうなった場合、人類の歴史の終焉は遠くなるのか、近くなるのか。
 どうもしこたま終焉に向かって加速しそうな気もするが、そのときは、みんな狸になればいいのである。パックス・ラクーナ。――おお、なんか気楽で良さげな世界。


11月14日 土  よれよれ

 歳なので、どうにも無理がきかない。
 お若い方の中には、不正規雇用をも酷薄な時給をもものともせずガンガン働き、たまの余暇には好きな高級車を乗り回しているような、パワーに溢れた方も存在する。明日なき走り屋とでも言いますか、アリさんのように働いて、キリギリスさんのように消費する、イソップ寓話では語りきれない方々ですね。昼夜黙々と労働し、しかし先の心配もいっさいしない――キリギリスよりなお始末が悪いだろう、とおっしゃるアリさんやキリギリスさんもいらっしゃるだろうが、狸としては、まあ人間として問題はあるがケダモノとしては真っ当、そんな気がする。
 若い女性は近頃縁がないので知らないが、中年のパートさんたちも実に強い。昼は工場夜はコンビニ、それでも家事や休日の行楽までしっかりこなしていたりする。
 しかし狸は弱い。山ではそれなりの狸なのかもしれないが、人間に化けて都会に住むと弱い。2日ギッシリ働いて2日休むのがいいか、それとも3日そこそこ働いて1日休むのがいいか、そんなペースで体と頭が相談することになる。5日ギッシリ働いて2日休むとか、6日そこそこ働いて1日休むとか、人間なみの思考ができない。その言い訳として、今回の2年ぶり短編が、狸としては異例な短期間で仕上がったのかもしれません。
 その証拠に、比較的サラリーマン寄りの生活ができた夏までの契約仕事の間は、年中きちんと人並みに働いてます、みたいな逆の言い訳が脳内でハバをきかせ、2ヶ月で半分遊びの長編を数十枚分進めるだけ、そんなペースが続いていた。もっとも、半分は遊びでも、残り半分はあくまでマジなのだが。
 どのみちこれからも食ったり食わせたり(まあ食わせる方は亡父分の年金や福祉のおかげで、息子の負担はずいぶん軽減されているのだが)しなければならない以上、打鍵のほうは、やはり半分遊びのほうでも大野望長編でもなく、現実的な短編、つまり中間小説誌あたりにこまめに応募できそうな線を狙ったほうが、やっぱり効率的なんだろうなあ。でも短編、苦手なんだよなあ。ぶつぶつぶつ。

     ◇          ◇

 隣の工事は、狸が夜勤から帰って布団に潜りこんだとたん、土曜日だと言うのに律儀に開始された。幸い騒音のほうは、昨日のごんごんごんごんは終わったらしく、耳栓でしっかりカバーできる程度。そりゃそーだ。あの轟音仕事を2日も続けてやったら、隣近所から告訴されるに決まっている。だから昨日中に、しゃかりきで終わらせたのだろう。朝方帰宅時に覗いてみたら、あちこち曲がりくねった鉄筋の突き出たコンクリ塊が、山のように積み上げられていた。眠っているうちにそれも撤去され、今度はパワーショベル(のようなもの?)が二台、ひたすら穴を掘り下げているようだ。
 あの地下の掘り下げ具合だと、前の建物よりよほど高層の物件が立ちはだかりそうだが、夏の花火とは逆方向なので無問題。できれば色白の物件に仕上げてほしい。ほとんどガラス張りでも歓迎。以前の建物は赤茶色の煉瓦もどき外装で、狸穴のそっち方向にある小窓からは、昼でも赤黒い光しか入ってこなかった。まあ現在障害物のない状態でも大した光は差さない小窓なのだけれど、赤黒い光と白い光では気分が違う。
 しかし、南西側の、一般住宅の庭に面した唯一日当たりのいい6畳、もしその向こうにマンションでも建ったら、狸穴は昼でも薄暮のままになるのだなあ。家賃が下がるなら、それでもいいが。

     ◇          ◇

 で、なんじゃやら私の恥ずかしい写真送ります級の恥ずかしい愚痴を記してしまった昨日のぐちぐち、今現在見ると種々の意味ですっっげー恥ずかしがりまくりで消去したいのだが、この『狸穴雑想』は社会的に問題のある『誤謬』以外は後日修正しない原則なので放置、ただ笹井君の名誉(?)のため、ちょっと補填しておきます。

 あのロリータ物件に関する致命的欠陥というのは、笹井君も打鍵時にしっかり気づいていたのですね。
 具体的に言えば、密室に緊縛幽閉されている少女の、排泄に関する描写がひとつもない。緊縛幽閉した父親側の、排泄処理に関する工夫も、まったく描写されていない。まあ初めっから全体が子供の作文レベルであればスルーしてシカトなのだが、なにせ狸がてっきり社会人が執筆していると思ったほどの文章力である。人間の行動に関しても、触覚や味覚を通して心理まで語る、そこまでできている。そんな世界において、その排泄処理描写がないということを、後に『その状況はあくまで父娘の淫靡な遊戯であった』という『ドンデン』の伏線とするつもりなら、誰が見てもおかしいのだからすでに失敗である。それとも狸が想像したように、『美的でないから故意に省略した』『うまい方法が思いつかないから省略した』なら、それは純エンタメ小説の中でなら容認されても、リアル系と言うか純文学寄りというか、社会的問題意識、あるいは人間の業に関わる耽美、そうしたものを目ざす小説なら、あってはならない欠陥である。
 そんなこんなで、まだその連載もなかばだったころ、他の感心している読者様方に水をささない程度に、『排泄処理』を思わせる言葉もいっさい使わずに、遠回しな感想を入れてみたわけである。
 で、さすがは超高校生笹井君、あ、もしやそこを突っつかれるのではないか、とすぐに気づいてメールをくれたのですね。つまり彼としては、あくまでその不自然さを解っていながら、連載を続けていたわけです。高校生らしい言葉で色々書いてあったが、『美的でないから故意に省略した』『うまい方法が思いつかないから省略した』、その両方だったのだろう。しかし問題は、そこにあるのではない。『それでも作品としてさほどの欠陥にはならないはずだ』、そう判断してしまったこと自体が、超高校級の文章力を持ちながらも、精神的にはやっぱり高校生の限界だったのですね。
 狸としては、相手が大人だったら、上記の「それは純エンタメ小説の中でなら容認されても、リアル系と言うか純文学寄りというか、社会的問題意識、あるいは人間の業に関わる耽美、そうしたものを目ざす小説なら、あってはならない欠陥である」とゆーよーなことを偉そうに説教たれようと思っていたのだが、でもやっぱりメールの文面から実は無邪気な少年であると判明したので、精神年齢も同程度のことだし、同内容を冗談まじりに軽く返したのであった。
 で、結局、その作品はとりあえず最終話までそのまんま投稿され、少女のオトイレを気にしてくれた読者は狸以外にいなかったようで多くの読者から絶賛され、狸も事前承認していたからあえて水をさすような感想は最終回にも入れず、遠回しに「彼の才能なら現在は妙な背伸びをせずに自分に見える世界をその抜群の描写力でモノしたほうが絶対いい」とゆーよーなことを記したはずである。まあ実際そのとおりになってしまって、畜生わるやましいぜこの早稲田野郎…………恥の上塗りしてるぞ俺。
 ともあれ、もともとこんなとこ見てるはずもない笹井君、執念深い狸は「とりあえず投稿は現在の形で済ませるが、完成品ではしっかりそこんとこもなんとかする」と書いてきた君の言葉を忘れてはいないぞ。どうか賞金や印税が入ったら、父親に幽閉され陵辱されしまいにゃ充実感さえ感じながら死んでいく可哀想なろりに、緊縛状態専用トイレとか、きちんと特注してやってくれ。それが大人の義務というものだ。…………論点が変わってきてるぞ狸。

     ◇          ◇

 以前にも記したと思うが、狸の知る限り、高校生の身で客観的に社会を認識できている小説が書けたのは、わが高校文芸部の大先輩、岡崎英生氏くらいなものではなかろうか。……マテ。大先輩も、確か早稲田に。……やっぱり明治が早稲田に手を上げたら、手が腐ってしまうのだろうなあ。うう、ごめんなさい。


11月13日 金  ぐちぐち

 夕方まで寝倒してから夜勤に出よう、などと思っていたら――8時半には轟音によって叩き起こされてしまった。
 実はひと月ほど前から、狸穴の隣のマンションが改築を開始している。改築、といっても補修的なレベルではなく、要は完全解体後、一から建て直すわけですね。で、解体している間は、まだ良かったのである。狸が昼に寝ているような日でも、耳栓をすれば微かに音が響く程度だった。ところが――今朝っから、アレが始まってしまったのである。あの削岩機みたいな凶悪な機械で、コンクリの基礎をごんごんごんごん粉砕する奴。なにせ狸の部屋から横3メートル下方4メートルあたりでアレをやってくれるものだから、音だけでは済まない。震動自体が鼓膜に響いてくる。まあ昼に働く日は問題ないが、現状、狸は労働の昼夜を贅沢に選んでいられる身分でもないので、一日も早く、その作業が終わるのを祈るしかないのである。なまねこなまねこ。

     ◇          ◇

 で、本日ようやく知ってビックリ仰天、あの投稿板で早熟な才能を披露していた高校生・笹井リョウ君が、なんとまあ、本年度、小説すばるの新人賞に輝いていたのですね。現在は早稲田に通っているのか。年齢20歳……うう、わるやましい……だから早稲田野郎は嫌いなんだよ。明治の狸が2年がかりでオトした娘を横から引ったくりやがるしよう、ぶつぶつぶつ……って、違う話になってるぞ俺。
 実は何年か前、彼が珠玉作『僕らの地面は乾かない』の前に、あの若気の至りのロリータ監禁近親相姦物件を書いたとき、狸がその作品の致命的欠陥に関する思わせぶりな感想をつけたら、心配になったらしい彼からメールが来て、2度ばかりメール交換したことがある。狸としてはふだんそうした早熟少年のフライングにケチをつけたりはしない(というか、そうした作品はそもそもシカトする)のだが、その早熟な文章力にぶっとんだのと、内容がろり陵辱にからんだりしていたものだから、プラス感情とマイナス感情があいまって、ついついちょっかいを出してしまったのである。大人の社会に虚構を重ねるには、ある程度の実年齢、社会経験がどうしても必要だ。特に狸はろり関係にうるさい。
 まあその後も彼は何度か、社会派狙いのフライング玉砕を展開したのだが、それだって社会に疎い読者にはきっちりウケていたわけだし、また自分の世代をきっちり描いた作品では、狸から見てもすでに立派な純文学寄り大衆作家として通用する技量を見せていたわけで、まさにあの『すばる』の読者傾向には、ぴったりだったわけですね。受賞作も、あの板で発表した青春物『桐島、部活やめるってよ』だったようだ。
 で、老狸としては、当然大いなる祝福の感情とともに、くそくそいいなあコノヤロコノヤロ、『すばる新人賞』だったら、確実に出版してもらえるわなあ。あの図抜けた文章力だったら、あと2作くらいまでは、売れなくとも確実に編集にフォローしてもらえるだろうなあ。そのまんま食えるかどうかはわからんが、とにかく「プロです!」と一生胸を張れるもんなあ、とゆーよーな万年アマ爺いの僻みによる瞋恚の炎が胸奥で轟々と音をたてているわけだが、まあ息子のような歳の少年相手にみっともないので、ここだけの話ですよここだけ。笹井君はたぶん狸穴には一度も寄ってないと思うので、見られる心配もないし。
 さて最後に、これは必ずしも嫉妬だけで言うのではなく、あの受賞作、確かに『小説すばる新人賞』には完全適合しておりますが、もし応募要項のプロフィールに『早稲田大学在学中・20歳』ではなく、たとえば『日雇い・52歳』とでも記してあったら、最終選考では確実に落選してます。
 若さという武器は、もってもあと数年だろう。笹井君があの早熟な文芸感覚をどこまで大人の大衆文学まで高められるか――いつかあの玉砕作『永久ロリータ12号』が、珠玉の社会派問題耽美作として成立する日を祈りつつ、狸は今夜も日雇いに出かけます。

     ◇          ◇

 しかし、一方のラノベ系の雄であった高校生(当時)神夜君は、もう書かないのかなあ。ひたすらウケをエネルギーにしてる感じだったから、ちょっとウケないとめげるたちなのかなあ。笹井君のように唯我独尊感覚を保ちつつ、一度ウケなかったら次はどうやったらウケるか姑息に算段しながら技量を上げる――そんなのが、純エンタメでも純文学寄りでも、創作少年の大事な資質だと思うのだが。


11月12日 木  痩せゆく夜行性狸

 ふう、拘束14時間、実働12時間30分、基本時給920円、8時間を超えると25パー増、最後の1時間は22時を越えたからさらに25パー増額。電卓立ち上げてポチポチしてみると――12785円。うむ、本日は一日あたり、晩年の森安なおや先生よりもずいぶん稼いだようだ。先生は確か日当8000円の解体現場だったはずである。でも先生は飲み屋で毎日飲んでたみたいだからなあ。そりゃ心筋梗塞で孤独死もするわなあ。なまねこなまねこ。

     ◇          ◇

 夜中に駅についても、ローソン100はきっちり開いているし、TUTAYAでは『崖の上のポニョ』と『樹氷悲歌《エレジー》』(1971、昭和46年、昭和ガメラの湯浅監督による、蔵王を舞台にした、関根恵子&篠田三郎コンビの青春映画ですね)が、合計300円で借りられる(半額クーポン使用)。ありがたいありがたい。
 で、遅い晩飯を食いながら、宮崎駿御大の大ヒット、でも賛否両論作『崖の上のポニョ』を、透明な頭で(ぐったりして先入観など維持できなかったともいう)じっくりと観賞させていただいたのだが――うわあ、つ、ついにここまで来たか、宮崎大先生……いや、しみじみと大絶賛しているのである。

 現在理屈を言える頭ではないので、落涙の跡も消えないままに断言させてもらうが、『もののけ姫』以降の諸作が大先生の模索の表象だったとすれば、『ポニョ』はまぎれもなく、その模索の到達点である。これほど純粋な近代の『神話』を、狸はかつていかなる映画作品でもファンタジー小説でも観たことがない。
 思えば『パンダコパンダ』から『アルプスの少女ハイジ』で、盟友高畑勲先生とともに『童話』の真髄を究め、やがて単独で『未来少年コナン』『カリオストロの城』など『少年冒険物語』の真髄を究め、『となりのトトロ』で『民話』を究め、それから長い長い道程を経て、ついに『神話』へ――。これはまさに、狸のようなハンパなピーターパン症候群罹患者から見れば、『伝説的英雄』の一生に他ならないではないか。
 黒澤明先生が、それと似た道を歩みながら途中で挫折し、『寓話』を語る『賢老』に終わってしまった日本映画界において、これはやはり不世出の巨匠の道と言ってよい。ああ、生前の淀川長治先生に、ぜひこの映画を深く語ってもらいたかった。

 ……充分理屈っぽくなってますね。飯食ったんで、頭にカロリーが回ってきたようだ。

     ◇          ◇

 ころりと話は変わって、狸は心筋梗塞や脱腸の危険度を、順調に低めつつあります。あの最安価バネ式体重計の目盛りが、ついに連日70キロを割るようになりました。狸はもう、ぶよんとしてしまりのない昔のかばうまさんではありません。
「おう、かばうまさん、なんか、よれよれ。おびょーき?」
「んむ。これはまちがいなく、えいようしっちょー、というやつだな。そのしょーこに、ほれ、このとーり」
「ひっ」
「んむ。ゆうこがおびえるのも、むりはない。きったねーシャツをめくってみると、へそまわりだけが、いよう《異様》にふくらんでいる。これは、ぶっぽー《仏法》でいう、『がき《餓鬼》』のそう《相》だな」
「おう。こりはおもしろい。つんつんつん」
「こらこら、たかこ。がきのへそまわりであそんではいけない。へたにちょっかいだすと、おまいもへそまわりだけが、いようにふくらんでしまうぞ」
「だいじょーぶ! つんつんつん!」
「……そーか、たかこ。……おまいのへそまわりも、たしか、むかしから、いようにぽんぽこだったなあ。もしか、おまいも、うまれつき、がきだったのだな。……なんとゆーことだ。これはもー、ありがたいねんぶつにおすがりするしか―― ♪おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらーまにはんどまじんばらとらばりたやうーん」
「おろおろおろ」
「つんつん、つん。きゃはははははは!」

     ◇          ◇

 しかし実際、顎やほっぺたは明らかに痩せてきているのに、腹回りだけはあまり変わらない。処分特価の肉や魚も、安い冷凍野菜もちゃんと食ってるから、栄養バランスはOKだと思うのだが――って、単なる中高年体型だな、これは。
 さて、明日は夜勤だ。夕方まで寝るぞ。
 しかしその前にやるべきことが、凡夫の人生には多々あると思うが、どうか。


11月11日 水  雨の西麻布


         

 狸は故郷の山に帰りました。
 嘘です。
 あ、なんだ、このタイトルでは初めから嘘だと解ってしまうではないか。でもタイトル変えるのも面倒だからもういいや。
 実は有栖川宮記念公園ですね。本当は西麻布ではなく南麻布。
 しかし、もしかして『雨の西麻布』という曲名自体、極端にお若い方々には、すぐにはピンとこないかもしれない。まして、その末尾で冗談のように歌われる「♪双子のリリ〜ズ〜〜」――そのおちゃらけフレーズを初めて聴いたときの、予備校時代から大学時代にかけてザ・リリーズの現役ファンだった中年男が感じた懐かしさと虚しさの交錯する複雑な心境など――。

                 

 閑話休題。
 ようやくホームヘルパー2級の受講料の目処がつき、今日は昼から雨の中を大塚の講座まで出向いて、日雇いでコツコツと貯めたしわくちゃの福沢諭吉さんを5人ほど――すみませんやっぱり嘘が入ってます。しわくちゃというのは昭和30年代レトロ風に演出しただけで、ATMから出てくる福沢さんは、すでにATM普及時から、たいがいパリっとしてますね。本当は郵便振込の用紙も前にもらっていたのだが、どうせ今日はアブれたし、申込ついでにテキスト類も受け取ってしまおう、そんなとこで。
 打鍵していた短編は昨夜ようやく第一次推敲を終えて投稿板に放流したし、雨もだいぶ小降りになったようだし、明日の仕事はもう決まってるし、あわてて帰穴することもあるまいということで、実に30ウン年ぶりに、南麻布を徘徊してみた。
 新宿御苑や代々木公園は、在職中も自主失業後もけっこう立ち寄ったのだが、さすがに麻布あたりはなんだか敷居が高く、そもそも大学入学直前にいっぺんお上りさん丸出しで徘徊したときから、それはそれは東京タワーの特別展望台の物理的高度と同レベルの精神的高度(あくまで狸の僻み)だったのである。なんか閑静な超高級住宅街っぽく、各国大使館が集まっているからパリっとした外人さんの姿が多く、公園で遊んでいるガキでさえ多くが西洋人形のような愛らしさで流暢な外国語ペラペラ(あたりまえだ)状態。その上有栖川宮記念公園と来た日にゃ、親王様の元御用地だぜオイ。って、それを言ってしまえば新宿御苑だって昔は畏れ多くも宮内省管轄だったわけだが、周囲の雰囲気がアレですからね。まあ、どのみちどっちも江戸時代には信州や東北の大名の住まいだから、そう萎縮する必要もないだろうけれど。大名を食わせていたのは狸のご先祖様たち、すなわち田舎の水飲百姓である。あれ? つらつら思えば親王様も――いや、やめとこうやめとこう。狸はあくまで感情右翼です。
 ともあれ、昨夜打ち上げた短編に赤坂のバブル景気など背景に使わせていただいたことからふと懐かしくなり、ウン10年ぶりに訪れた麻布――ずいぶん変わりましたねえ。精神的にも、物理的にも。
 精神的には、上京時にはしばしば道端に平伏したくなるようなハイソ住宅街の風合い(あくまで田舎物の僻み)だったのが、今歩けばあのでっこまひっこました地形はまぎれもなく上野や神田あたりと同じ武蔵野台地の起伏そのものだし、入り組んだ細道をたどれば、夕陽の三丁目物件がウヨウヨ残っている。昔、上京したばかりなのにいきなり山形郊外の山に帰ったような気がした有栖川宮記念公園の渓流も、今見ればやっぱり良くできてはいるが人工の自然にすぎない。そして物理的には、何より当時はほとんど聞こえなかった車の走行音が、公園のかなり奥まで届いている。これさえなければ、現在でも深山気分に浸れたかもしれない。
 ともあれ、やはりあのあたりの情緒は、道行く若奥様や外国語学校帰りのちっこいろりたちの風情を見れば(結局それかよ)、千葉あたりの高台では太刀打ちできない、根のあるハイソが感じられるのであった、まる、と。


11月09日 月  一寸先は闇だか青空だか

 アブれないだろうと思うとみごとにアブれ、アブれると思うとたいがいやっぱりアブれ、しかし、なんにも考えないで打鍵などしていると向こうから口がかかったりするのが、日雇い派遣の面白いところである。昨夜は結局眠れず(夕方4時まで寝ていたのだからあたりまえだ)朝の8時頃までポチポチしたり、ラストシーンで引っかかり「うみゅみゅみゅみゅう」などと呻いたりしていたら、口がかかって午後からピッキングに出ることになった。あわてて3時間ほど眠って出勤、買い物籠を抱えて倉庫内をあっちこっちひたすらお散歩、ダイエットに努めた。フクロのしこりはあいかわらずコロコロと邪魔になり、たまに横腹がキリリなどと引きつれるが、もうすっかり慣れた。どのみち慣れるしかないのだし、モツ自体は幸い引き籠もりに戻って、外に遊びに出る気配はない。
 結局10時までお散歩し続け(レギュラーの若い衆は、朝8時からずっと散歩していたそうだ)、送迎バスで隣駅まで運んでもらったら、回転寿司がまだ開いていたので、つい這いずりこむ。100円均一だから、ビンボでも自分にご褒美をあげる予算内なのである。しかしさすがに450円の生ジョッキは現在予算外なので、お茶でがまんしながら好物のエンガワやアンキモをはぐはぐしていたら、目の前に流れて来たマグロが、なんかおかしい。赤身のはずが、妙に色白なのである。といって安いビントロほど白くはなく、どう見ても中トロの色だ。しかし一般に100均で回転する際の中トロは、たいがい紙とまでは言わないが厚くとも5ミリ程度で、それも一貫しか皿に乗っていないものである。なんかおかしいなんかおかしいこれには絶対なんかワナがある、とは思いつつ、もしやもしやに引かされて、ふだん赤身は食わない狸も、ついその皿に前足を伸ばしてしまったと思ってください。
 で、やっぱり中トロだったのである。
 見えない調理場にいるのが、なんぼ寿司ロボットと半分ロボット化したようなバイト君だけだとしても、赤身と中トロを間違えるはずはない。しかし初めから分類を間違えて『赤身』として送られて来た中に混じっていたなら、ロボットや半ロボットだけに、バーコード通り『赤身』に分類するだろう。あるいは閉店間際なので、もう明日には出せない消費期限の中トロを大盤振る舞いしたとか――いや、マニュアル命のチェーン店で、それはないか。
 いずれにせよ、今夜の狸は立派な中トロを6貫も食って、精神的には晴天の潮風の中を帰穴したのである。
 どうせなら以降全部中トロにしときたかったが、結局3皿しか流れてこなかったのです。オーダー端末で頼むという手もあるが、あんまし欲張ると、シヤワセすぎてバチが当たりそうじゃないですか。
 まあそうした小心さが狸の小動物としての行動限界であり、と同時に生きる知恵でもあると思うのだが、どうか。


11月08日 日  腐っても鯛

 わっはっは、目覚めればもう午後4時なのであった。14時間も眠りこけてしまった。すぐに打鍵に入らないと、とは思ったのだが、派遣会社に電話したらどうも明日もアブレそうだし、安食物の備蓄も尽きかけていたので買い物に出かけ、いざ外に出るとなんか図書館の方角からしきりに「うっふん寄ってらっしゃいよ」などという嬌声が聞こえてくるので結局誘惑に負けて「うっふん」してしまった。
 日曜は図書館が6時に閉まってしまうのであまり時間が無く、神田錬蔵というお医者さんによる中公新書『アマゾン河 密林文化のなかの七年間』と、大藪春彦氏の『餓狼の弾痕』を持って帰った。前者は、打鍵中断中の半魚娘物がそっち方向に絡んでおり、1954年からの体験記という時代設定も良さげだったから。後者は、超人気作家の晩年のアルツ疑惑作品として以前からトンデモ本扱いされており、話の種にいっぺん読んでおきたかったからである。
 で、安晩飯を食いながら、まずは軽そうな後者に目を通してみたのだが――うわあ、ほんとにアルツ。たいした長さのない同じシークェンスが、人名や小道具のブランドのみ差し替えながら、えんえんと反復するだけのようだ。ただのトンデモではなくトリップできる怪書であるとか、一部で伝説化しそうな気配もあるようだが、断言します。これはただのアルツです。また、大御所の原稿なので角川書店も仕方なく刊行したのだろう、などという噂もあるようだが、それも誤りですね。『作・大藪春彦』とカバーに印刷してあるだけでどんな中身でも確実に一定数売れるのだから、そりゃどこの出版社だって喜んで刷ります。――ここで念のため、狸は高校時代、かの『野獣死すべし』を読んで熱狂しました。もっとも他の大藪作品はとうとう読まなかったから、やっぱり根っこのほうでは体質に合わなかったのだろうが、あれが名作であることに変わりはない。
 狸は未だに北杜夫先生のエッセイ集の新刊が出ると、みんな昔の話の劣化反復と知りつつ、喜々として通読する。生きていてくれることが嬉しいのだ。よしんば同じ一冊の中に同じ話が載る事態になっても、生きていてくれる限り読み続けるだろう。それと同じ次元で、アルツ化しても死してもなお作品の売れ続ける大藪春彦氏もまた、単なる流行作家を越えた存在に違いないのである。

 ところで昨夜の打鍵中、二度も電子タバコの先にライターで火を着けた狸は、北杜夫先生より先に逝きそうだと思うが、どうか。


11月07日 土  やっぱ俺じゃん

 明日は休みだが(ほんとにしつこいようだがアブれたとも言う)ゆっくり睡眠と打鍵にあてたいので、帰穴後、今夜中にコインランドリーで洗濯を済ませておこうと、汚れ物をまとめていて仰天した。パンツの一枚が血まみれなのである。やっぱりおとつい出血したのは貞子さんや伽椰子さんでなく、狸だったのですね。てっきり打鍵中の話で幽霊娘なぞコメディ・タッチで描いているから、祟られたのかと思ったぜ。いや、出血自体が祟りなのかも。なにせ昨夜など、別のドラム缶コンクリ娘が主役を張るモンティ・パイソン風のブラック・コントまで、着想してしまったからなあ。しかし不謹慎などという自覚はさらさらない。世の中には、部外者として自ら断罪できない以上、歌舞かなければ(傾かなければ)唾棄嘲笑しきれない鬼畜だって存在するのである。あ、これはあくまでそのコントのほうの話で、短編小説のほうはいつもの(?)のほほんファンタジーです。
 ちなみに出血したのはなんとケツでした。痔ではありません。尻たぶのちょっと内側、感覚の鈍いあたり。おそらく以前の仕事中になんらかの衝撃をうけ、血豆かなんかできていたのが、時を経て破れたのだろう。連休以降あんまり寝ていなかったから、もーまったく気づきませんでした。なんかにケツ打ったり挟まれたくらいで気にしていては、派遣も打鍵もできませんもんね。
 さあて、のほほん短編、なんとか明日中には打ち終えたいものである。


11月06日 金  狸の部屋で血を流したのは誰?

 本日はちょいと埃っぽいのを除けば楽な現場だったのだが、帰宅してさっそく風呂を沸かしてその埃を落とし、うおーい、極楽極楽、などと親爺臭くつぶやきながら風呂場を出て、いつものバスタオル掛けに前足を伸ばし――狸は思わず一歩引いてしまいました。どす黒く固まった血痕らしいものが、バスタオルの半分にどーんと付着している。
 落ち着け落ち着け、きっと何か合理的な理由がある――そう気を取り直して、じっくり検めることしばし、でもやっぱりそれは醤油でもソースでもなく、どう見ても大量の固まった血である。となると、当然、昨夜風呂場を出た狸が、どこかから大出血していたことになるのだが――そんな自覚はまったくないぞ。
 で、あわてて陰毛を掻き分けて例の傷跡をチェックしたり、頭髪を探って隠れた怪我の跡でもないかと検めたりしたのだが、やっぱり何もない。かろうじて傷っぽいものと言えば、太腿の内側にちっこい吹き出物ができて、ちょっととがめているだけである。
 うん、このデキモノが、昨夜の段階では人面疽クラスのイキオイがあり、呆け狸が気がつかないうちに、なんかやたら根性入れて血を吹いたのだな、と、無理矢理納得するしかありません。まさか狸の留守中に、血まみれの誰かが入浴しているわけはないのである。
 ……でもまあ、もしシンク下の奥とか納戸化している押し入れとか天袋に、血まみれで隠れているどなたかがいらっしゃるのなら、早めに自己申告していただきたいものである。怒らないから出てらっしゃい。バンドエイドのパチモンもあるぞ。よしんば貞子さんや伽椰子さんクラスの方でも、女性ならお背中お流ししちゃいますよ、うふ。

 ちなみに順調に打鍵中(と言ってもまだ30枚くらいだが、50枚くらいで収まりそう)の『浮遊少女』は、ご想像の通り、狸よりは貞子さんや伽椰子さん寄りの娘さんです。でもアッパー系。


11月05日 木  被害妄想

 初冬は暑いから嫌だ。
 と言っても、狸のような毛皮(ふだんは人間に化けているので見えないが)を備えていない、一般の方々にはピンとこないだろうか。
 戸外や一部の派遣現場がそこそこ寒くなったので、着衣を一枚増やしたわけだが、電車の中や商店の中は、ついこないだまで入っていなかった暖房でいきなり気温が上がっており、上着を脱いでもまだ暑い。下手に動くと汗だくになる。汗だくになって外に出ると、今度は下着が気化熱で冷め、上着を着てもまだ寒い。
 ……わかったぞ。どーあっても狸に風邪をひけとゆーのだな、無情の世と神よ。

 なんかいろいろせこせこ生活の間を縫って、ようやく降りてきてくれた言霊様(たかちゃん関係でなく、終わるあてのない長編でもない、普通の短編の言霊様)に身をゆだね、夜のいっときポコポコ打鍵に努めていると、しきりに妙な表示が出て、何度も何度もパソを止めようとする。やかましい。マイクロソフトのウツケ者たちは、使いこんだWindowsXPの再起動にどんだけ時間がかかるか、知らないわけではあるまい。そんな悠長なことをしていたら、せっかくの言霊様が逃げてしまうではないか。そもそも年がら年中アップデートしないとウィルス拾いまくりになるような半端なOS売るんじゃない。
 ……わかったぞ。どーあっても狸に打鍵するなとゆーのだな、無情の世と神よ。

             

 などといいつつ、『浮遊少女』、微速ながらモノになりそうなあんばいです。インスピレーションを与えてくれたお若い方々に、謹んで御礼申し上げます。


11月04日 水  PC辞書機能優秀診断バトン

 ◆ルール◆

 ※パソコンの辞書機能が、どれだけ優秀なのか試すバトンです。
 ※書かれている文章を「一度だけ」変換して、下に書いて下さい。
 ※( )の中は読み仮名です。( )の中の言葉を入力してください。


 ◎神は死んだ (かみはしんだ)


   神は死んだ   ――おう、やっぱり。みんなそう思っているんだなあ。

 ◎十一時二十八分九秒 (じゅういちじにじゅうはっぷんきゅうびょう)

   十一時二十八分急病   ――それは大変だ。あなたも千畳敷ですか?

 ◎君も鏡見に来たの? (きみもかがみみにきたの?)

   君も鏡観に来たの?  ――狸は『みる』の変換を使い分けるからなあ。

 ◎分かったろ離婚は日本の文化だ (わかったろりこんはにほんのぶんかだ)

   解ったロリコンは日本の文化だ  ――いや、あれはむしろ西洋のほうが根深いぞ。

 ◎ラーメン紫陽花亭 (らーめんあじさいてい)

   ラーメン紫陽花亭  ――な、なんで? そんな店は登録しとらんぞ。すなおに『味最低』にしてもらわんとなあ。

 ◎豚角煮丼 (ぶたかくにどん)

   豚角煮丼  ――な、なんで? そんなドンブリは登録しとらんぞ。ATOKは外食産業と提携してるのか?

 ◎見猿言わ猿聞か猿 (みざるいわざるきかざる)

   覧ざる言わざる聞かざる  ――ほう、狸が以前に『みざる』を変換したときは、『覧』にしたのか。

 
◎ノリノリで恋したい (のりのりでこいしたい)

   ノリノリで恋したい  ――ほう、ATOKも20年前に比べると、ずいぶん腰が軽くなったなあ。

 
◎ホリエモン大好き (ほりえもんだいすき)

   ホリエモン大好き  ――ほう、ATOKも20年前に比べると、ずいぶん腰が甘くなったなあ。

 ◎ジミヘン (じみへん)

   ジミヘン  ――ほう、ATOKも20年前に比べると……いや、こ、これは古いだろう、オイ。

 ◎浅香唯 (あさかゆい)

   朝霞唯  ――こっちのほうがなんか清純派でかわいいっぽい気もする。

 ◎二往復 (におうふく)

   匂う服  ――ほっとけ。

 
◎福袋買った (ふくぶくろかった)

   福袋買った  ――その前に餅をくれ。

 
◎怪盗ルパン(かいとうるぱん)

   怪盗ルパン  ――これは出るわな。

 
◎委託内容(いたくないよう)

   痛くないよう  ――うそつき。くすん。しくしくしく。

 
◎結婚・・・したい (けっこん・・・したい)

   結婚・・・死体  ――ふっふっふ、狸の猟奇性を見抜いているな。

 
◎彼女のですます口調 (かのじょのですますくちょう)

   彼女のデスマスク調  ――ぎく! ……そ、そこまでバラしますか?

 ◎4年2組 (よねんにくみ)

   余念憎み  ――あうあう、これ以上俺の心を読まんでくれ。

 
◎岡山県玉野市田井 (おかやまけんたまのしたい)

   岡山県玉野市田井  ――ふう、わかってくれたようだ。

 
◎黒うさぎちゃん (くろうさぎちゃん)

   黒ウサギ張  ――ほう、中国の兎さんだったのね。


 以上、あちこちでお見かけしたバトンを持ち帰ってみました。


11月03日 火  ふたりふさおとめ

 魚沼産『コシヒカリ』や、生まれ故郷の『はえぬき』の旨さは重々知りつつ、懐の都合もあり、いざスーパーで購入するのは、現在の狸穴の地場米『ふさおとめ』が多い。8月末の退院直後、あまりの経済危機にドンキで最安価のまぜこぜ米を買ってみたものの、ほぼ毎日食う物だけにやっぱり後悔して、それを食い尽くしたあとは、また『ふさおとめ』に戻った。まぜこぜ安価米よりもほんのちょっと高いだけで、ふつうに旨いのでなく、ちゃんと旨い。もっとも、古米入りを不当表示で新米と謳ったりしていない限り、今どきの日本の銘柄米に、まずい米などというものは存在しない。貯蔵条件によっては、古米や古々米入りの不当表示米だって、新米と信じてくえばそこそこ旨い。実際『ふさおとめ』より安価な特売品も、さほど不味いわけではないのである。
 ならば、なぜ『ふさおとめ』なのか。
 ご当地関係の方や、ご当地キャラおたくの方などには、とっくにネタバレしてますね。そう、かわいいの。

               

 ここいらのスーパーでおなじみの『ふさちゃん』は、上の子である。きちんとしたイラストレーターさん、しかも非おた非萌えの方の家に生まれたので、アキバではイマイチ受けなかろうが、ご家庭ではお婆ちゃんからお孫さんまで親しまれるタイプの、いい娘さんなのである。いや、そんな気がするだけなんですけどね。きちんと千葉の農協で働いている、正規雇用のお嬢ちゃんです。

               

 そして、上の子は、もうひとりの『ふさちゃん′』。あまり出歩かない内気な娘らしく、狸穴周辺では稀にしか出会えない。ちょっと気になって、ある日の帰り道、こっそり後をつけてみたら、鎮守の森あたりで見失ってしまった。農協に聞いても、勤めていないようだ。
 コミケで『ふさちゃん本』が出たり、フィギュアまで造られているのは、先のふさちゃんである。
 でも、下のふさちゃん′の、なんかちょっと垢抜けない、ワケアリげな細面が、狸にはなぜだかとっても気にかかるのだが、皆さんどう思われますか。


11月02日 月  狸の三連休(たぶん)

 今日の仕事は結局派遣屋さんからお誘いがなく、明日のぶんもまだ引っ越し系の重労働しか空きがないようだ。
 明日、軽労働系の臨時遅番や夜勤の口でもかからない限り、わーい、めでたく3連休だ――しつこいようだが、アブれたとも言う。

 昨夜は結局、あれから風呂の中で短編のアイデアが浮かび、『浮遊少女』と命名して冒頭3枚くらい打ってしまい、その先のストーリーに疑念が生じて明け方まで「うみゅみゅみゅみゅう」などとコネコネしながら、投稿板のお祭のほうも、ボチボチ読ませていただいた。読んでいる内に、ふと、以前『冷蔵庫の少女』というタイトルでメモした梗概があったのを思い出し、そっちの冒頭の一段落も打ったりする。こっちはアイデア・ストーリーではなく一種の叙情短編なので、掌編くらいの量におさまりそうな気がするのだが、そのぶん文章そのものが大変そうだ。『浮遊少女』のほうは、文体がいつもの『俺』っぽい一人称なので文章は楽だが、話のつごうで、どうしても短編の量になる。どのみち狸の疲弊しきった脳味噌や指だと、どちらかが打ち上がる頃には、あそこの祭も終わっているのだろうなあ。
 祭のほうは、投稿順に読み進めて、甘木様の『残像少女』まで感想を入れて、力尽きて引きあげた。もうとっくに朝を迎えていたのである。まあ、夜勤の日の生活パターンとしては、正常なんですけどね。今のところ、やはり中村様の『半透明少女』が、狸的には一等賞のようだ。

 午後遅くまで惰眠を貪り、目覚めるとなぜか自作『浮遊少女』の後半がストンストンと脳内で展開し、話だけは最後まで組み上がる。どうも、寝る前に読んだ甘木様の『残像少女』、あれに入れた狸の感想が、脳にフィードバックしたようだ。ありがとうございます。
 で、話が組み上がったのだから、せっかくの連休、そのまんま打ってしまえばいいものを、すみませんすみません、やっぱしアキバに出かけてしまいました。
 先日の夏からいきなり冬になった小雨の中、中古レコーダーを求めて彷徨うことしばし――おおおおお、予想を遙かに下回る5380円で、昔の愛機の二代後のディーガをGET! ジャンクではなく、1ヶ月保証が付いている。豪儀なソフマップ様、ありがとうありがとう。また、なんぼ今どきHDDがたったの60ギガでアナログ地上波オンリーだとしても、まだまだ使えそうなDVD・HDDレコーダーを二束三文で下取りに出してくださったどこかのどなたか、たとえ捨てるのにさえオゼゼがかかる世の中だとしても、謹んで感謝の意を表させていただきます。なにせ狸なんて、去年の歳末まで20ギガの古物を使っていたのです。
 帰宅後、設置接続、そして快調に駆動。わっはっは。再び補佐役に降格した旧友のS−VHS君には申し訳ないし、画質だけならむしろ旧友の滑らかさのほうがマジで好みなのだが、やっぱり録再同時タイムシフトは無敵だ。おまけに今年の年末年始は、HDDやテープの残量を気にせず、『年忘れにっぽんの歌』も『紅白』も、BSで8時間くらいぶっ続けの『昭和なつかし亭』も、予約するだけで確実に視聴できる。
 こうなると――あのとき渡辺氏からいただいたパナソニックの外付けDVDドライブ、なんだか申し訳ない気もするのだが、DVDドライブがふたつあると何かと便利なので、引き続きパソ用に有り難く使用させていただきます。

 さあて、今夜は、自前夢想打鍵メインの、自己中な夜を過ごそう。
『ゆうねこ』のほうも、実はタカ・クーニ・優子ちゃん、新トリオ揃ってお風呂に入る、おもしろかわいいシーンなどもできているのだが、その前に挿入されるべきノア初登場の場が、このひと月、ぱたりと止まってしまっている。熟考する時間がないため、どうしても既成品的イマージュしか浮かばない。ここをなんとかクリアしないと、そもそも更新できないからなあ。


11月01日 日  日本の長い夜→狸の休日

 なにかしら煮つまると、狸はろりに逃げると思ってください。
 で、小学校高学年の頃の高見エミリーちゃんに会いたくなって、『黄金バット』実写版の古録画テープを引っぱり出したと思ってください。
 映画自体は昭和41年(1966)の制作だが、録画したのは平成5年(1993)の深夜映画枠のようだ。別にこまめにメモしていたわけではなく、番組の間に『ロボコップ3』のCMが流れていたので、そう判断できる。
 今や鳩山邦夫氏の夫人として、すっかり肝っ玉母さん化してしまった高見エミリーちゃんも、モニターの中ではあいかわらず11歳の可憐ろりなので(あたりまえですね)、なんか心から「うんうんうん」などと安心してしまうのだが、ときおり挿入されるCMの中に「おいおいおい」物件がかなり混じっており、こっちはかなり脱力する。
 たとえば、どこぞの高級(たぶん)ブティックのCM。なんじゃやらハクい外人女性がキャリアウーマンっぽい高そうなスーツに身を包み、なんじゃやら宮殿のようなインテリアの建物に出勤し、膨大な蔵書の収まる部屋の机でてきぱきと書物を繰りながら、向かいにいるらしい誰かにてきぱきとなんじゃやら指示あるいは説明している。で、「遅刻しても服に迷う女でいたい。キャリアファッション、ブティックなんとか」とか、ナレーションが流れる。つまり、インテリ・キャリアウーマンの、大名出勤風景を描いているらしい。
 わはははは、そーゆー頭のあったかいこと言ってたから、あの頃のバブル経済、みごとにハジけちゃったんだねえ。フリーター君やらバイト嬢ならいざ知らず、キャリアウーマンがナリに迷って遅刻しちゃいかんがな。おめかしぶん、きちんと早起きしてくださいね。

 それにしても平成5年といえば、すでにバブルは崩壊に向かい、ほどなくバッタバッタと銀行が破綻し始めた時期である。CMというものが、いかに過去も現在も未来も見据えていないか、痛感させられる。いや、制作するのは一流大学出の策士様方なのだから、実はこっそり見据えているのにあえて無視して、「とにかく大丈夫だからとりあえずどんどんモノ買って」と叫び続けているわけである。
 ふと気になって、ちょっとネット上をながめてみたら、「定時出勤よりもおめかし優先」という意見は、今もけっこう多いようだ。『ゆとり世代』ならぬ『バブル世代』の方々なのだろうか。
 などといいつつ、モロ高度経済成長期に幼少時を過ごした狸も、イケイケの末にすっかり破綻しているわけである。
 結果、現在、こだわるほどの服も買えず、遅刻をすれば即ダイレクトに日銭が減るとゆー現状で――おう、勘定、合ってる合ってる。

             

 ……何かもっともらしいオチを付けたいのだが、夜中にちょっと働いて朝方帰ってきて風呂に入ってエミリーちゃん観賞したらもう10時、さすがに眠くてなんにも浮かばない。すなおに万年床に潜りこみます。
 あ、でもおまけに、純和ろりの、この方も。

                 

          ◇          ◇

 ……うーい、暑くて目が覚めた。お外はしっかり夏の日暮れ時――おいおい、もう11月だぞ。どーゆー天気じゃ。おまけに、寝ている間に腕やら額やら4ヶ所も蚊にさされ、台所の流し台ではゴマ粒のようなゴキの赤ん坊が3匹、元気に遊んでいる。しつこいようだが、夏はまだだぞ。
 で、寝る前に朦朧頭で更新したここをチェックしてみたら、おう、なんじゃやらCMのナレーションやら描写やら、誤謬の嵐ではないか。人間の記憶というものは、むしろ睡眠中に定着されるというが、本当ですね。慌てて修正しました。今日の日中、ここのタイトルが『日本の長い夜』だけだった間に覗かれた方には、つつしんでお詫び申し上げます。

 ゴキの赤ちゃんたちを非情に殺戮しながら、ふと、往年の名脇役、故・浜村純(浜村淳にあらず)さんのゴキまみれ死体姿を再見したくなり、『押繪と旅する男』(監督・川島透 平成6年・1994)のテープを引っぱり出す。宇野重吉さんと同期でプロレタリア演劇研究所に入った浜村純さんの、以後63年に渡る芸歴の内、唯一の映画主演作品である。江戸川乱歩の原作とはかなり違った脚色で、少年時代に押絵に同化してしまった兄を最後まで慕い続ける老残の弟を演じるのだが、これがもう慄然としてしまうような絶品。しかし、乱歩生誕100年に乗じて同時企画で映画化された実相寺監督の『屋根裏の散歩者』がしっかりDVD化されているのに、監督も出演者もヌルいおたく御用達でなくマジおた限定ウケ作品であるせいか、いっぺんビデオで出ただけで、以降はほぼ忘れられつつある。
 こうなると、やっぱり自力でデジタル化して保存するしかない気もして、ビンボのくせに恐る恐るネットのオークションや中古を検索してみると――おお、地上波アナログ専用タイプの古いDVD・HDDレコーダーが、雪崩のように値崩れしている。なんぼ地デジ化が近いからといって、使い道はいくらもあるだろうに。去年の歳末に愛用のDVD・HDDレコーダーが壊れ、あとは死ぬまで旧友VHS君と共に生きると覚悟した貧しい狸であったが、いちんちぶんの日給でお釣りが来るなら、捻出できないことはない。こんど、アキバあたりの中古屋を覗いてみよう。

          ◇          ◇

 なんぼか気分が良くなると、こんな心温まるニュースも聞こえてくる。

「天国で遊んであげて」愛犬の死を悲しむ少女の手紙に“神様”から返事
(ナリナリドットコム - 10月31日 19:53)
 例え動物であっても、ペットは今や家族同然の存在と感じる人も多い時代。しかし、人間よりも寿命の短い動物を飼い始めたら、いずれ訪れる永遠の別れは定められた宿命でもある。大人でさえ、その悲しみからうつ状態に陥る人もいるペットとの別れ。そんな時、周囲の人の手助けがあれば、前向きな気持ちになれるのかもしれない。
 米国の4歳の女の子が愛犬の死を受けて、神様に手紙を送ったという話が米ニュースサイトのニュースバインで紹介された。このエピソードに感動した読者からは、多くのコメントが寄せられている。
 このエピソードは、女の子の母親から送られてきたメールを見た記者が「伝えずにはいられない」と思い、紹介したもの。それによると、この母親の家ではアビーという14歳になるメス犬を飼っていたが、先月、病気で亡くなってしまったそうだ。ずっと一緒に生活を送っていた4歳の娘メレディスちゃんは涙を流し、「どんなに寂しいか」を母親に訴えていたという。
 そして、アビーへの愛情を忘れられないメレディスちゃんは、母親にこんなことを言った。「神様に手紙を書いたら、アビーが天国に着いたとき、神様はちゃんと『アビーだ』ってわかってくれるかな」。母親はメレディスちゃんが話す言葉を書き留め、手紙をしたためた。
 その中身は「神様、アビーがいなくなり、とても寂しいです。どうか天国でアビーと遊んであげてください。アビーはボール遊びと泳ぐのが好きです。神様がアビーを見つけたとき、すぐに私の犬だと分かるように、写真を送ります」という内容。幼いメレディスちゃんの精一杯の愛情が込められた手紙だ。
 手紙と写真を入れた封筒には「天国の神様」とあて名が書かれ、ポストに投函された。手紙が届いたか心配する娘に、母親は「きっと届いたよ」と励ましていたそう。すると10月27日、家の玄関前に金の紙で包まれた「メレディスへ」という小包が置かれていた。中には「ペットが死んだ時」という本。そして、そこには“神様からの手紙”が添えられていた。
「親愛なるメレディス。アビーは天国につきました。写真が入っていたので、すぐにアビーと分かりましたよ。もうアビーは病気ではありません。アビーはあなたと居るのが好きでした。天国では体を必要としないので、写真を入れておくポケットがありません。だから、あなたがアビーを思い出せるように、この本と一緒に写真を返します。素晴らしい手紙をありがとう。それから、手紙を書くのを手伝ってくれたお母さんにお礼を言ってください」
 ニュースバインの記事の最後は「誰が答えたかは分かっていません。でも、米国郵便公社の配達できない手紙を扱う部署には、美しい魂があります」と結ばれ、読者からは「少女とこの犬との愛情を超えるものはない」「返事を書いた人がとても素晴らしい」「記事を伝えてくれてありがとう。泣きながら読み返してる」など、賛辞の声が多々寄せられている。


 ……人の心の中だけに、神は存在するのである。まあ、悪魔もそうなんですけどね。

          ◇          ◇

 例の小説投稿板で、くら様の『透明少女』というショートに対抗して、甘木様が『不透明少女』を投稿したのをきっかけに、常連の皆様がなんじゃやら『〜〜少女』という題名のショート祭を初めてしまったようなのだが、なんか狸がおふたりの最初のガチンコに入れた感想が少々火に油を注いだケもあるのかなあ、などと思い、自分も『半透明少女』というタイトルででっちあげようと思っていたら、中村様が先にそのタイトルを使ってしまったようだ。まあいいか。どのみち狸の着想は、例によって脳内で際限なく脹らんでしまい、大長編ポリティカル・ファンタジー(なんじゃそりゃ)になってしまっている。
 それ以外にも現在の板は『〜〜少女』のオン・パレードのようで、少女好きの狸は嬉しくてたまらないのだが、まだゆっくり読んでる暇がなかった。明日はどうやらアブれそうなので、これから入浴後に、ひととおり目を通したいと思う。
 しかし、現在の自分とゆー狸は、いちんち2本も映画見て、2回も入浴しているバヤイの人生、もとい狸生なのであろーか。