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12月31日 木  まだ夕方ですが

 明日はちょっと早起きになりそうなので、今の内から除夜の腹鼓を打ち始める狸です。ぽ〜ん・ぽ〜ん・ぽ〜ん……。

 さて、爺いにとって大晦日といえば、やっぱり紅白。で、紅白といえば、やっぱりおこたにみかん。あと、あられやおせんべ、そして干し柿。
 蜜柑もあられも姉からの援助物資に含まれていたが、さすがに干し柿はない。急遽狸穴を出て、近所の農家の軒先に吊してある物件をこっそりありがたくいただこうとしたのだが、農家がない。軒先はなんぼでもあるんですけどね。仕方なくお店屋さんからいただくことにした。で、高価なのでできれば木の葉の紙幣を使用したかったのだが、近頃の大手スーパーのレジは、なんじゃやら紙幣も貨幣も「つんつん」とか「ころころ」とか専用投入口に入れると、下から「うにゅう」とか「じゃらじゃら」とか、お釣りが出てくる仕組みなのですね。セルフレジだけでなく、有人レジまでそうなってるのである。こりはびっくり。
 木の葉のお札やどんぐりの硬貨は、残念ながら相手が素朴な村人でないと通用しない。ハイテクな都会で使用すると、検出されて狸汁にされてしまう。しかたがないので、うみゅみゅみゅみゅみゅうと唸りながらモノホンの紙幣で購入した。
 まあ、購入できただけ、いいのである。年に一度の贅沢だもの、こんくらいの出費は仕方がない。
 しかし、明日には、お正月が待ち受けている。
 なんぼ元旦から労働に勤しむ貧乏狸でも、狸は山形産である。村山地方の亜種である。よって正月は、置賜亜種ともども、鯉の甘煮を食わねばならない。いつもなら帰省のときに調達するのだが、今年は中途半端な時期に帰省してしまったため、失念してしまったのである。これは困った。食わないと死ぬ。正月に鯉の甘煮を食わなかった狸は、たとえその後一年生きているように見えても、実は死んだ狸なのである。たぶん。
 で、死にたくないので最寄り駅から市川から船橋まで、ふんふんふんと鼻を鳴らしながら、懸命に池や沼やお店屋さんを探し回ったのだが――ないの。鰊や鮒や鯊や小鯛の甘露煮はあるのに、鯉の甘煮や甘露煮は、ないの。
 なぜ? 秋田のハタハタ寿司なんてローカルなクセモノ(米麹でベタベタの、いわゆる『馴れ寿司』。でもおいしい)まで置いてあるのに、鯉の甘煮はないの? んなもん山形なら近所の魚屋でなんぼでも売ってるのよ。まあそれはウン10年前の話だとしても、駅ビルやデパ地下なら、今でも真空パックが買える。
 と、ゆーわけで、来年の狸は、いっぺん死んだ狸です。あ、でもいっぺん鯉の甘煮食えば生き返るんで、大丈夫。

 それでは気を取り直して、引き続き、除夜の腹鼓を打ち続けさせていただきます。
 こんな、近頃愚痴ばっかりの狸穴を辛抱強く覗き続けていらっしゃる強靱な神経の皆様、どうか、良いお年を。
 ぽ〜ん・ぽ〜ん・ぽ〜ん・ぽ〜ん・ぽ〜ん…………。


12月30日 水  歳末言いたい放題大会

 さて、連休前半2日間は、不精な狸なりに洗濯やら掃除やらなんじゃやらで終わってしまったので、本日は夜行性の狸らしくもなく午前中から打鍵ポチポチに勤しんだのだが、なんと午後までかかって800字程度。狸は馬鹿になってしまったのか。物語と読者の誠実な仲介者であろうとすることの、なんたる難しさ。夜中に勝手にハイになるだけなら、まだ楽なんですけどね。

 午後、買い物に出たりなんじゃやら徘徊したりした後、いつもの板を覗くと、おお、なんとゆーことだ。ようやく全員シカトかに見えたS君の垂れ流しに、またP君が騙されて妙な高評価を入れているではないか。で、S君は例によって謙虚に、力いっぱいふんぞりかえる、と。
 今までそう思いたくはなかったのだが、やはりP君も躁病だったのだなあ。なんか、麻原に毒されてゆくオウム幹部を見るようで痛々しい。下手にインテリの自負があると、かえってウロンな世界にハマってしまうのですね。「なんだかよく解らないほどスゴいあの方を認めてやれるのは、選民の私だけだ」。
 いやはや困ったもんだと嘆きつつ、他をぽちぽち覗いていると、一度拙作に感想をいただいた方による、力いっぱい添削しがいのあるエンタメ志向クリスマス垂れ流し物件を発見。けっこう書き込んであるのに、いや、へたに書き込んであるからこそ、みんな呆れてしまったのだろう、さすがに羽堕様しか感想を入れていない。でも、ネタや部分的描写は好みなのよなあ。思わず自前のエディタにコピペして、勝手に添削したり構成しなおしたりして2時間以上も遊んでしまった。これは楽しいぞ。他人の褌で、思うさま独り相撲がとれる。しかしこれ、作者様に見せたらさすがに激怒するだろうなあ。ボツだわ。

 まあ、色々いて、いいのだろう。
 狸だって、躁ではないが立派な鬱だ。自前のテキストわずか800字、それも脳天気な絵空事の心理ひとつ描写するのに、4時間も鬱々としている。

     ◇          ◇

 神様なんていない。
 哲学なんて独り言だ。
 いないものや独り言のために苦悩するのなんて、みんな自慰行為なのである。どんなに苦悶の表情を究めようが、孤独なエクスタシーを求めての、文字どおり『ひとりヨガり』にすぎない。
 そのオナニーのキショクよさをなんとか自分以外の方々と共有しようとして七転八倒する、それが我々、創作しようなどと妙な欲望に取り憑かれてしまった凡愚にとっての創作行為、つまりナンパなのである。あ、水芭蕉猫様、我々のやってるのはきっちりナンパですからね。推敲ご苦労様でした。猫様の肉球がふにふにと求めているのは、あくまで『交歓』です。狸の右手がワシワシと求めているのも、あくまで皆様の●●●や●●●●です。自分の●●●は、できれば他の方に●●していただきたい。
 まあ、絶世の美形やほんとの天才なら、人前で何やってもいいんでしょうけどね。オナニーでも、それこそ強姦でも。その意味では、S君だって立派な『対象限定天才』なわけである。苦労してナンパしなくとも、せっせと人前で苦悶の表情を浮かべながらカイていれば、乗ってくる相手もちゃんといる。

     ◇          ◇

 姉より歳末援助物資届く。種々の保存食の中に、『とびきりそば』まで入っている。
 うわあ、明日の年越し蕎麦は、安い『霧そば』で妥協しなくていいのだ。あの黒くて太い、洗練とは無縁だがたくましい農夫のように腰の入った一物で、思うさま体内を満たせるのだ。
 うふ、おばちゃま、しっかりお化粧しとかなくちゃ。るんるん。


12月29日 火  星影のワルツ

質問 千昌夫はなぜ自己破産しないのですか?

千昌夫はなぜ自己破産しないのですか?
千昌夫は1000億円以上の借金があると言われてますが、どうやって返すつもりなんですか?


回答 No.1
「6年間の間に約1億5000万円を返せばOK」ということになっているからだそうですよ。
2002年に決まったそうで、現在ではほぼ返済が終わっているんじゃないでしょうか。
なぜ、こうなったかというと、1998年、千昌夫のメインバンクであった長銀(旧日本長期信用銀行、現新生銀行)が経営破綻で国有化された時に3000億円あった借金が棒引きされて1000億円まで下がり、その後の民事再生法の適用で、冒頭の「6年間で1億5000万円」になったそうです。
千昌夫は、98年の段階で「自己破産」も考えたそうですがあまりの膨大な借金で自己破産の意味もなく、その後の法律改正や国の救済に賭けた結果でした。
一種の「徳政令」に救われた形ですね。
・・・じゃ、誰が千昌夫の借金を払ったの?
私たち日本国民ですよ。7〜8兆円近い公的資金が投入されたのです。
これほどの金があったら、どれだけの障害者やお年寄りを救い、文化遺産の保護や地震被災者の救済ができたでしょうね。
現在、マスコミの追われていた(狸注・原文のまま)千昌夫は、大のマスコミ嫌いとなってテレビとかの表舞台に出てきません。
そりゃそうでしょう。自分のケツを拭かせた人たちの前には出れないでしょうから。
彼のコンサートには、たくさんのお年寄りが、なけなしの年金を握りしめて駆けつけます。
「千さん、がんばって」「冷たい世間なんかに負けるな」と声をかけます。・・・・
老人たちの「介護を受けられない、孤独死、生活苦からの自殺」。
そうなった原因の一端は、誰にあるんでしょうね。


 ――以上、ネットを徘徊して見つけた、某コミュニティーの質問コーナーからコピペ。
 いや、ふと『星影のワルツ』『千昌夫』をググっていたら、目についただけなんですけどね。もう2年も前のページだったのはご愛敬。
 で、困ってしまってわんわんわわん。
 そもそも質問に関係しているのは『
一種の「徳政令」に救われた形ですね』までであって、その後の話は、論理的に矛盾だらけの私見ばかり。
 面倒なので個々にはつっつかないが、ともあれ結論のみ述べれば、国民の税金は、国の経済政策大失敗の尻ぬぐいのために投入されたのであり、最終的には、あのバブル崩壊を『逃げ切った方々』の資産に回ったのです。
 こうした近視の方々が、もっともらしくうなずきながら、力いっぱい、バビロン・システムを維持する礎となっているのですね。

 ちなみに謹厳実直なる亡父は、なぜか千昌夫さんファンだった。狸も、いまだに好きである。
 確かに貧窮期も金満期も、田舎者の欠点をことごとく持ち合わせていた方なのだろうが、あの『星影のワルツ』は、田舎者にしかこめられない屈折した真心が溢れていると確信する。でなきゃ残った借金1億5千万、土地ころがしでなく、歌だけで返せるものか。田舎の爺さん婆さんも、ちゃんと解って応援してるわけだ。
 まあ、目立つ人間を嫉妬して鬱憤を晴らそうとする田舎者の気持ちも、解るんですけどね。
 愚民同士が喧嘩してても、世の中、上に吸い上げられるだけ。


12月27日 日  遙かなり約束の狸地

 うう、頭が痛い。とゆーか、後頭部。いや、首筋に近いか。
 また風邪がぶりかえしたのかと思ったが、熱はない。これはアレだな。単なる筋肉痛。本日は午後から6時間ちょっとの軽作業にすぎなかったのだが、雑貨のコンテナちょっと重かったし、歳だし。

 明日から4連休である。で、元旦と2日は働き、3がまた休みで、その後は未定。
 100円ショップで、年越し用の『霧そば』も、タイ産の立派な海老入りかきあげ(冷凍)も、新年用の昆布巻きも黒豆も伊達巻きも確保した。餅はこの前、姉にもらった。
 餓死も過労死もしない、恵まれた年越しと言っていいだろう。

 おお、なんかメマイがしているようだが、これはやっぱり、自覚しないうちに首筋を痛めていたのだろう。情けない。一昨年は倉庫作業でもビクともしなかったのに、以後約1年半の契約期で筋肉が鈍ったか。それとも夏のアレと、その後のダイエットのためか。

 ま、どのみち狸は、現実なんぞには負けません。
 死ぬときは幻想の凱歌を聴きながら、嘘とロマン溢れる約束の狸地に、勝手に赴くのである。

 で、今日のタイトル、なんかちょっとカッコイイと思いませんか?


12月26日 土  発泡酒を飲みながら


               

 ……クリスマスの次の夜に歌う歌でもないような気がするんですけどね。なんか、今日の食肉工場はそんな感じであった、と、そーゆーことで。
 しかしまあ、牛丼を300円前後で食うためには、そーゆーアレも必要なのですね。立派な自給自足かもしんない。自分の足を食ってる蛸、とも言いますね。

 ドカチンが嬉し泣きできる日など、おそらく永遠にこの地球の上には訪れまいと思うのだけれど、まあ当時から焼酎は飲めてたわけだし、当然ツマミも食っただろう。魚肉ソーセージとキャビアのどっちがうまいか、それだけの問題だ。
 あの頃、最下級の食材であった鯨など、今となっては高級食材である。あのギトギトしたアブラミばかりの鯨汁で暖をとっていた雪国の昔、しかしそれは確かに旨かったのだし、ついこないだ見た旅番組では、御馳走のごとく紹介されていた。魚肉ソーセージだって、100年後には高級食材かもしれない。
 ちなみに現在のドカチンさんが立派な雇用保険対象者であることは、だいぶ前に記したとおり。

     ◇          ◇

(毎日新聞 - 12月24日 20:33)
 過去1年間に経済的理由で必要な食料を買えなかった経験のある世帯が15.6%(07年時点)に達することが24日、国立社会保障・人口問題研究所が初めて実施した社会保障実態調査で分かった。厚生労働省が10月に初公表した相対的貧困率15.7%(06年が対象)と、ほぼ同じ割合。経済的理由などから医療機関に行けなかった世帯も2%あった。調査は07年7月1日現在で実施し、全国の1万766世帯から有効回答を得た。
 「過去1年間にお金が足りなくて家族が必要とする食料が買えないことがあったか」を尋ねると、77%は「まったくなかった」と答えたが、よくあった2.5%▽ときどきあった4.5%▽まれにあった8.6%で、計15.6%が食料が買えない事態を経験していた。母子家庭など「一人親世帯・2世代」に限ると、計38.4%が経験していた。
 相対的貧困率とほぼ同じ点について同研究所は「偶然だろうが、食料の側面でみると実際に約15%の困窮者がいると言えるだろう」と分析している。
 一方、過去1年間に世帯内の人が医療機関に行ったかを尋ねたところ、行かなかった世帯は11.5%。このうち「健康ではなかったが行けなかった」のは17.0%で、全世帯の2.0%を占めた。理由は自己負担割合が高いなど経済的理由が38.4%と最多。多忙など時間的理由27.0%▽健康保険に未加入14.2%−−などが続いた。【佐藤浩】


 ……たぶん、15.6%の中の多くの方々は、『家族が必要とする食料』という言葉の中の『必要』という概念を、他者の規定でとらえているのです。その証拠に、餓死者はほとんど出ていない。あなたがたが他者の規定に従っている限り、世界には50%の困窮者が存在し続け、無数の餓死者もまた存在し続ける。
 マジに病気で働けず医療費払えないなら、市役所の受付で寝こんでしまえばいい。保険対象医療に関しては、すぐに自己負担ゼロになれます。保険対象外の先端医療なんて、んなもん国保に加入してたって初めっから金持ちしか受けらんねーよ。

     ◇          ◇

 神様、もしいらっしゃるなら、狸の買った年末ジャンボの紙片10枚、3億円に換金してください。
 その際は、借金全部返して、母親の生存期間分の予想経費だけ残して、のこり全額、ユニセフと救世軍と国境なき医師団の事務局に振り込むことを、ここに誓約いたします。
 ……あ、でも、今まで打ったテキストぜんぶ自費出版する経費は、お目こぼしをお願いします。あと、その自費出版本、いっぺん全国の書店に平積みする経費、あと、主要新聞に全面広告打つ経費、それから全国の図書館にもれなく寄贈する経費、あと、あと、向こう50年くらい重版し続ける経費も――。
 今まで全人類シカトし続けたんだから、狸にそれくらいしてくれてもバチは当たらんと思うのだが、どうか。


12月25日 金  宇宙の町内

 谷口敬氏のHP日記で、こんなニュースを知った。

【ワシントン=山田哲朗】
 米国の素粒子物理学者のチームが17日、フェルミ国立加速器研究所(イリノイ州)などで講演、目に見えない謎の「暗黒物質」を直接検出した可能性があることを明らかにした。
 検出に使ったのは、ミネソタ州北部スーダン鉱山の地下約700メートルに設置したCDMS2と呼ばれるミネソタ大の装置。2007年から08年にかけ、暗黒物質の粒子がゲルマニウムの原子核と衝突したと考えられる現象2件を捕らえた。数が少ないため十分な分析ができず、ほかの粒子が引き起こした反応である可能性も否定できない。
 暗黒物質は、宇宙全体の質量の4分の1を占めるとされる未知の物質で、地上での検出が国際的な競争となっている。日本では、東大宇宙線研究所が、スーパーカミオカンデと同じ岐阜県の神岡鉱山地下に専用の観測装置を建設、検出を目指している。
(2009年12月18日12時10分 読売新聞)


 こうした話題が一般社会で大騒ぎにならないとゆーことは、昨夜、邦子ちゃんがボヤいていたとおり、「世の中とうぶんアレなまんま」なんでしょうね。間違っても東大宇宙研の予算が不景気を理由に削られたりしないよう、こめかみに青筋立てて、激しく星に祈ってしまう狸です。
 宇宙の真実に興味のない人間に、足元の地面を熟視できるはずもないと思うのだが、どうか。

     ◇          ◇

 現在、夜の7時半なのだが、ご町内の道筋から、子供たちの良く通る声が響いてくる。「ごちょーないのみなさま、ひのともに――ごにょごにょごにょ――ひのもとに、ごちゅーいを」などと、とてもかわいい。乾燥期の『火の用心』運動で、毎晩回っているらしい。
 さあて、そろそろ買い物に出るか。スーパーで処分価格の時間だ。去年は、確かフライドチキンのバケツみたいなクリスマスセット、半額でGETしたのよなあ。持ち重りのするようなでかい鮪の血合いの塊、150円で買えたのよなあ。わくわく。
 ……目先の欲求しか頭にない狸が、宇宙の真実など気にしても無駄だと思うが、どうか。


12月24日 木  邦子のXマス・トーク・ライブ

 うっす、邦子だ。花の中三モードだぞ、ねんのため。
 んでもって、今日はクリスマス・イブなんで、おニューの赤白ジャージでキメてみた。どーだ、美しい天使のよーだろう。サンタのよーだなんぞとぬかしやがったら、シメ殺すからな。

 貴子や優子は、今頃、きちんと家で、鳥の丸焼きや、でっけーケーキを食ってるはずだ。そこそこのプレゼントや、とんでもねー立派な舶来のプレゼントなんかも、きっちりもらうんだろーな。まあ、シヤワセな奴は、シヤワセにやっててもらうのがいちばんだ。でもおれんちは、あいかわらずビンボだ。こないだ親父が人間国宝になっちまったんだが、それでもやっぱりビンボだ。
 親父の奴、講演会やら若手職人の講習会やらで日本全国引っ張りだこなんだが、しょせん伝統和風履物業界、いっちまえば下駄職人風情の集まりだからな。アゴアシ代が出りゃ御の字だ。おまけに親父ひとりじゃ旅先でなんにもできないから、お袋までついてっちまう。まあ、おれが柔道で稼げるようになるまで、うちは当分ビンボなまんまだろうな。

 とーゆーわけで、おれは例によって、ぶよんとしてしまりのないかばうまそっくしの狸んとこに、こーしてタカりに来たわけだ。んでも、倉庫作業から帰ってきた狸の奴、マイバック抱きかかえて必死こいて抵抗するんで、しょーがなく、さっき風呂に沈めた。んでも、心配ない。風呂場から脳天気な鼻歌が聞こえてくる。狸なんてのは脳味噌ちっこいから、ちょっと前のこともすぐに忘れて、あったかい風呂しか、見えなくなってしまうんだな。明日は休みだそーだから、あと2〜3回はシメてもだいじょぶだろー。

 ――んでも、世の中、なんか、おかしいと思うんだ。むしゃむしゃ。
 このんまい鳥の腿焼きに、105円の値札が貼ってあった。むしゃむしゃ。
 クリスマスケーキの代わりに買ってきたらしいチョコケーキ、これなんか、税込たったの71円だぞ。ばくばくばく。
 このビールそっくしの輸入発泡酒だって、89円ぽっきりだ。ぐびぐびぐび、うーい。
 んでもって、さっき通ってきた駅前のスーパーなんか、びっくり仰天だ。店先で、鳥のまるやき、あれを698円で売ってたんだぞ。あの西洋のお伽話に出てくるよーな、まるのまんまの立派なまるやきだ。おれは夢かと思ったぞ。んだから、狸が風呂から上がったら、うまくだまくらかして買いにやろうと思う。まるやきくらいの大きさだと、軽いデザートにちょうどいいからな。

 まったく、この国は、おかしな国だ。むしゃむしゃ。
 たかだか日雇いの貧相な狸が、ほっときゃ、こーんな御馳走を毎日食ってんだからな。
 不景気だ不景気だと、どこのどいつもアブラ太りしながら大合唱してるが、しょーじき、おれに言わしてもらえば、この国じゃホームレスだって立派な搾取階級だ。なんせ道で500円玉いっこ拾えば、どっか外国の田舎で痩せ細った女工さんが必死こいてサバきまくってる鳥の腿焼きだの、内戦の鉄砲玉を避けながら奴隷のように焼かされたチョコケーキだの、涙混じりの発泡酒だの、そんなのを腹いっぱい食えちまうんだからな。
 ま、それもこれも、みーんなヤソのおかげだな。
 まあ別にヤソに限らんが、とりあえず一神教って奴ぁ、元の神様がどーんな立派な奴でも、現世では、結局なんもかもみーんな下賎なイキモノのやることだからな。一番エラい奴がどっかにいるっぽい、そんな精神的構図さえ確保できれば、いわゆるバビロン・システムは、この現世に知的生命体が存続する限り、未来永劫保証されるわけだ。はっきりゆって、お釈迦様やお大師様だって、いっぺん死んだらそれまでだ。なんぼ真面目に再誕したって、世の中のほうが『一番エラい奴』に祭り上げちまう。
 おれとしちゃ、そこんとこをなんとかアレしてくれるのが、いわゆるあの弥勒様なんじゃあないかと、近頃、思ってたりする。なにせ、ちゃきちゃきのニューフェイスだからな。でも弥勒様は、まだ何十億年も修行を積んだあとでないと、顕現してくれんからな。つまり世の中、とうぶんアレなまんまだ。

 なんてエラそーに、おれなんか、いっつも狸からタダ飯せしめてるわけだが、まあこれは、いつも狸にネタをやっている正統な報酬ってやつだ。むしゃむしゃ、ばくばく。
 ――げふ。
 ふう、ごっそさま。なまんだぶなまんだぶなまんだぶ。

 ところで、いつもここを覗いてくれてる兄ちゃん姉ちゃん。
 これからそっちに友子がお邪魔するはずだから、よろしく頼むぞ。
 弟たちは食が細いから、家のだいどこの残り物でとうぶん生きていけるが、友子はおれとおんなしで、すっげー腹へらしだからな。飯の一升や二升じゃ、とてもたんないのだ。
 と、ゆーわけで、兄ちゃん姉ちゃん、どーか、うちの友子に腹いっぱい食わしてやってくれ。
 ――ま、クリスマスの朝に未練がないなら、別に逆らってもかまわんがな。友子は近頃、おれと互角で張り合うぞ。


12月23日 水  キリスト様のおかげです

 本日は朝9時から夜の11時まで、クリスマスケーキを作ってきました。確か、何年か前にも行った工場。今回は、生クリームの中からビニール片も見つからず、狸の毛や寄生虫なども、極力混入を避けました。衛生管理だけは白い地獄のように徹底しておりましたので、食あたりの心配だけはありません。
 しかるに――狸は精一杯獣類愛をこめたつもりであり、人間の方々もたいがいヤケクソでハッピーに作業しておりましたが、ごく一部の方々は、明らかに社会に対する憎悪や殺意を瞳に浮かべながら、罪もないスポンジケーキ君やスライス苺ちゃんを虐待していた気がします。毒電波や呪怨に過敏な方は、東関東で販売される最安価の量産クリスマスケーキは、パスしといたほうが無難に思われます。
 なにはともあれクリスマス直前だけは、アブれる心配もなく残業もし放題の、日雇いに優しい季節。今日が祝日だったことなども、昼まで忘れてました。

 さあて、明日はサンタさんのお手伝い、電子玩具のピッキングだ。待っててね〜、良い子のみんな〜〜。かっこ、棒読み、かっこ。


12月22日 火  アブラっけ不足 → 続・ロンドンデリーの歌=ダニーボーイ

 今夜の八時頃、某ダイエーの乳製品売り場で、約10分、涎をたらしながらミモレットの一片を見つめ続けていた狸は私です。でも結局、山形の高畠産スモークチーズにしました。だってグラム換算で3倍も値段が違うんだもん。山形産チーズだって、たった一口ぶんで100円もするんですけどね。でもまあ、たまにはいいやな。なんか栄養つけんと、近頃北風で宙に飛んでしまいそう。

 とにかく今年の冬は鼻粘膜や気道粘膜がぐじゅけほと荒れっぱなしで、ここ2.3日は口内炎に加え唇まであちこち割れて血が滲み、体内体表ともにヒリヒリカサカサの狸なのである。のど飴やリップクリームでは追っつかない。特売のチオビタ飲んでも追っつかない。鰻を食っても追っつかない。しつこいようだがこれはもう、ダイエットのせいとしか思えんのよなあ。
 人間の場合だと、身長172の場合は60〜65キロあたりが適正らしいのだが、狸はやはり80キロくらいで丁度なのではないか。腹鼓だって、そのほうが明らかに良く響くのである。血圧だって、160で丁度――と言いきる自信はさすがにないが、まあ140くらいまで上げ戻してみたい気はする。しつこいようだが120台に落としてから、心身共に重くて重くてかなわんのである。そのうち体が慣れるかと思ったが、ちっとも慣れない。
 月一でかよっているお医者によれば、まあ血糖値やら血中脂肪やら悪玉コレステロールやらは、『ちょっとヤバイ』から『そろそろヤバイ』くらいまで順調に落ちているようなのだが、その好転をちっとも体感できないのでは、逆にストレスがたまる一方だ。
 ちなみに白血球は、あいかわらず賑やかめのようだ。つまりフクロの腫れはコロコロと残っているのだが、これはもうすっかり慣れました。逆に、これ以上縮んでほしくないような気もする。だって、なんか、このほうが立派なんだもん。

      ◇          ◇

 ところで、『ロンドンデリーの歌』あるいは『ダニーボーイ』の曲名で名高いアイルランド民謡に関しての思い出話を書き連ねたのは、今検索してみたら今年の5月だったのだが、その続報をば。
 なんとこんな歌詞で、こんな方もヒットを飛ばしていたのですね。

               

 一般的な日本語詞は、子を思う母の愛、男を思う女の愛、少女を思う青年の愛――そんな世界なわけだが、なんと、男と男の友情というか、今風に言えばボーイズ・ラブの世界に他ならない、こんな歌詞もあったのですね。
 訳詞、とゆーか、オリジナル日本語詞は、日本歌謡界の大御所・漣健児氏。そして歌唱は、今となっては水戸黄門の『うっかり八兵衛』のほうが看板になってしまった、往年のポップス界の人気者・高橋元太郎氏。狸の世代だと、むしろ『スリー・ファンキーズ』の一員として、ジャニーズ系アイドルの本家本元的印象があったりする。

 で、個人的な話としては――先月打鍵した短編『浮遊少女』(このHPでは『浮遊幽谷』と改題)が、あの5月の思い出話に一部触発されたものであることは、ほんの2〜3名くらいの方は、すでにお気づきのことと思われる。
 さて、続く短編復帰第二弾として打鍵中の『茉莉花館』だが、打鍵しながら「なんかムード作りにいい仮想主題歌はないか」と探すうち、奇しくもまたまた『ダニーボーイ』に行き当たってしまったのである。つまり、上で紹介した、男と男の叙情歌バージョン。
 あの謎の館の話が、なんで男と男の叙情話になるのか――たぶんひと月以内には判明するはずですので、あっちとこっちを両方ご覧の、推定ほんの数名の方々は、どうぞ楽しみにお待ちください。


12月20日 日  国境の長いトンネルを抜けるずっと前からもう雪国だった

 わっはっは。ご存知の方も多いだろうが、土曜はあっちこっち降るは降るは、高速は通行止めになるは一般道も渋滞だわ、そんなこんなで天童にたどり着いたのはもう夜の8時なのであった。
 写真は本日早朝、ホテルの窓から。

   

 狸家の菩提寺は、比較的マメに墓地の手入れをしてくれる良心的なお寺さんなのだけれど、さすがに本日の午前中はまだ雪かきが終わっておらず、現在名ばかり施主である長男の狸を頭に、続いて義兄と姉が横向きになってざくざくと雪を踏み固めながら、よりによって墓地の最奥付近にある当家の墓石まで気長に歩を進め、アルツ母はのんびりその後をついてきてもらう、そんなあんばい。いやあ、靴を新調して良かった良かった。それでも狸家のジンクス『墓参りの間だけは絶対降らない』は、今回もしっかり遵守されたのであった。たぶん現存する子孫の心がけとは関わりなく、先に墓に入った祖父だの父だのが、仏様好みの謹厳実直タイプだったからだろう。
 母親は今年で80歳をむかえたのだが、なぜだか前回見舞った時より若く見えた。失禁等も、そう悪化していないようだ。やはり現在の、いい意味で田舎らしいグループホーム環境が効いているのだろう。
 例によって墓参りの後は七日町の『染太』に寄り、念願の(文字どおり夢に見た)鰻を、もはや無言で、ひたすらはぐはぐはぐはぐ。

 他にも昨日から三度三度まともな飯を食い続けたので栄養満点、2キロも肥えて帰穴したのだが、足元や体の節々はもうヨレヨレ状態なので、明日は休養予定。


12月18日 金  鞄に下着を詰めながら

 さあて、今日も夜中近くまで残業、明日は東京駅近くの待ち合わせ場所に9時。でも義兄の車では、ずっと寝ていられるので無問題。

     ◇          ◇

 さて、狸の最後っ屁――と言っても明後日の夜には帰っているのだが、ちょっと、ここだけのひとりごと。
 ぶっちゃけ、あのSという方はどーゆー神経をしておるのだ? 狸が覗いただけでも、登竜門から作家でごはんから2ch文章アリの穴から、書き上がったとたんに同じ文章をハイテンションでバラまいているぞ。まあマルチ投稿が違法なわけではないし、とにかく褒めて欲しくて欲しくてしかたない気持ちも解るが、なにせあの内容で、感想返しもあの調子だからなあ。登竜門のP君も、以前のいきがかりでマメに感想を入れてあげているようだが、鏡に映る自分という天才しか見えない躁病患者に、何を言っても無駄だぞ。
 躁病は、恐いのである。鬱病は、間接的には家族や周囲に影響しても、直接的には自分を滅ぼすだけだ。しかし躁は、家族や社会にまで直で被害を及ぼすことがある。乱暴に例えれば、自殺と他殺の差だ。

 ともあれ今んとこ、あの過剰な自信の1割だけでも、狸に分けていただきたいところである。


12月17日 木  狸の冬支度

 今頃何言ってんだよ、とツッコミの入りそうなタイトルだが、当然衣類や布団や炬燵関係はとうに冬毛モードになっているのであって、本日、帰りに買ってきたのは、革靴とスニーカーである。双方、完全に水の漏らない物件が、狸穴にはひとつもなくなっていたのだ。今度の土日は雪国に向かうため、防水物件は不可欠である。庄内地方は異常な大雪らしい。狸の故郷は同じ山形でも内陸部だが、なんぼかは積もっているだろう。
 おとつい悪口を言ったばかりの長崎屋で、特価からさらに2〜3割引などという大盤振る舞いをやってくれており、コロリと評価を変えて「ありがとうございました」「いえいえこちらこそ」と、ホクホク帰宅する。皮のタウンシューズ約2100円、スニーカーは約2400円。これで雪道や突然の雨でも水が漏らない。スニーカーは仕事用なら1000円の投げ売り品でいいのだが、あれはさすがに新品でも雨の中をちょっと歩くと水がしみこむ。
 帰宅後、ばっくりと底の割れた靴を、2足ほど捨てる。底が割れても晴天には履けるわけで、事実この半年履き続けていたのだが、さすがに雨のみならず晴天の打ち水まで素通りするようになっては、年貢の納め時である。「ごくろうさんごくろうさん」と感謝しながら、燃えるゴミ袋へ。底皮が半分剥がれただけの物件は、ボンドで貼ればまだ晴天用に使えるので、当然捨てずに来年も使用。

     ◇          ◇

 板に上げた短編の第一場、なかなか好評のようで、かえって以降の気が抜けなくなってしまった。まあ、トーンががらりと変わりそうな布石は打っておいたから、本気描写芸から軽演劇調に移っても、違和感はないはずだが。
 ともあれ、狸なりに化かし続けるのみ。


12月15日 火  ぶつぶつ

 節煙のメリット。煙草代の節約。それ以外の効果は、何一つ感じられない。
 飯が旨くなった? いや、ちっとも変わらない。
 呼吸器の調子が良くなった? いや、軽い風邪が一週間たっても完治しないような現状だ。
 血圧が下がった? いや、降圧剤を飲み始めるまでは変わらなかった。
 寿命が延びた? 死ぬまで、いや、死んでも知りようがない。
 死亡率が下がった? いや、狸の死亡率は永遠に100パーセントだ。
 ……まあ、月に数千円節約できるだけでも、御の字なんですけどね。

     ◇          ◇

 仕事帰りに久しぶりに寄った近所の長崎屋が、なんかへんだ。
 マイバック持参者が会計前にカゴに入れる、あの「袋はいりません」の札が消え、じゃあCOOPのようにマイバックがデフォルトになったのかと思えばそうではなく、昔のように黙ってレジ袋をつっこんでくる。昔のようにわざわざ「いりません」と断らねばならなくなったのである。
 それから、ポイントカードがだいぶ前から廃止された代わりに、なんじゃやら特定の商品限定の割引クーポンとやらが発行される機械がエスカレーターの前にできたのだが、携帯電話で例の四角いバーコードを読み取らないと発券できない。狸の携帯に、そんな機能はない。今時そんな骨董携帯を、と笑ってはいけない。たとえばお年寄り向けの簡略化された機種には、今だってそんな機能はないのである。
 昔に戻ったんだか先端技術活用なんだか、言ってしまえば企業として完璧に迷走している現状なのだろう。あまり先が長くないようだ。いや、たしかここもいっぺんポシャってたか。

     ◇          ◇
 
 歳末の26・27に一泊で帰省し、母親の様子見や先祖の墓掃除を済ませてしまう予定だった。新幹線代節約のため、車で行く姉夫婦の都合に合わせたのである。正月明けだと、帰りの高速がとんでもなく混む。ところが昨夜、今週の土日に予定変更と連絡があった。なんじゃやら26・27のみ、例の土日祝日高速1000円が、中止になるのだそうだ。その代わり正月の4・5が1000円になるという。国交省によれば、26・27の帰省ラッシュ、2・3のUターンラッシュの双方を緩和する目的らしい。まあ10月の末にはすでに決まっていたらしいので、あくまでこっちの世間知らずと言われればそれまでだが――おいおい、26日から3日までしか休めない人間が、この国にはなんぼでもいるのだぞ。4日には姉も義兄も仕事なのだ。国交省の役人がどうかは知らんが。
 ……なんて、その気になればいつだって休める狸が言っても説得力もなにもないだろうが、まあ、特別手当を目当てに元旦も働く予定なのでかんべん。

     ◇          ◇

 鳩山さんは、ついにアメリカと沖縄の両方にツッパりきれず、トンズラを決めこむことにしたようだ。優しそうな人だから、どっちにも嫌われたくないのだろうが、先々どっちからも相手にされなくなるほうが、政治家としては一番情けない気がするのだが。おいおい小沢さんなんとかしてやれよ、という気もするが、まあ、前歴を考えればヤバイことはみんな他に流し終わってから、おもむろに真打ち再登場と行きたいのでしょうね。しかし民主党政権、それまで保つか。あとは次回のお楽しみ。

     ◇          ◇

 ともあれ短編の第一場、現状練るとこまで練った気がするので、板に上げてしまおう。今回の文体は、先月の短編のようなキャッチーな一人称でなく古典的三人称、しかもみっちり描写型だから、数十枚どーっと行くのは、あまりに読者を選びそうだ。そもそもこの導入部に食いついてくれる方がどれだけいるか、それをまず確認したい。


12月13日 日  鬱のち晴れ

 ぐじゅじゅるだるぼけ、緩慢に、しかし執念深く取り憑き続ける。
 本日は休みにしたので、じっくりと短編の第一場をいじくり直していたのだが、途中で「こんな凡庸な古っくせーヨタ話に残り少ない余生の中の貴重ないっときを費やしていてもいいのだろーか」などと、突然エア・ポケットに落ちこむ。夕方、明日の仕事に関するお誘いも入ったのだが、ちょっと気力や体力に自信を失っていたので、お断りしてしまう。買い物に出る気力もなく、ありあわせのビンボ食材でドンヨリと晩飯食いながら録画の『刑事コロンボ』など再見しても気が晴れず、だらだらとパソをいじり続けるうち、ふと、Wikiで『ホラー』を検索してみたら、唐突に気が晴れた。
 いつの間にやら、『ホラー小説』などという大それた項目を作った方がいる。忘年会にはまだ早い気がするが飲み過ぎたイキオイでやってしまったのか、あるいは日記帳と百科事典の区別のつかない子供なのか。当然ながら中身は無内容そのもので、もう近頃のホラー物件や角川のホラー大賞だのしか念頭にないらしい。そもそも、その短い無内容の中に不用意に記された『ゴシック・ホラー』や『モダン・ホラー』といった語句が、なぜWiki内にリンク項目の存在しない赤字であるのか、当人も悟っていないのだろう。そんな大それたシロモノを、仮にも『百科事典』の中で『定義』したり『解説』したりする自信と暇のある人間は、この有象無象の自意識過剰人間が群れ集うネット界にさえ、まだひとりも存在していないからだ。
 いやあ、脳味噌が煮つまったときには、やっぱり2ちゃんやWikiをさまように限りますね。
 うん。狸なんてまだまだ理性的。立派に知識階級。感性だって抜群。おまけに慎み深く地球に優しい。こんな狸が、王道的寓意に基づく古典的な怪異幻想譚を語るのだって、実に正統な化学《ばけがく》ではないか。思えばこの夏に陰嚢が巨大化したのも、もしや隠神刑部《いぬがみぎょうぶ》様のお導き――そこまで行くともはや単なる躁病中年、別名ヤケノヤンパチあるいは自暴自棄という気もするが、まあ、鬱よりはいいやな。

 ……今日の話題に直接関係はありませんが、くら様におかれましては、おちゃめもほどほどにね。なんぼなんでもWikiに『登竜門』は無謀だろう。まあ、Wiki名物の眉唾や誤謬じゃないから、別にかまわんのだが。


12月12日 土  ぐじゅぐじゅじゅるじゅる

 けほけほは、ほぼ治まったのだが、どうもバイキン君たちは鼻粘膜に移動しただけらしく、ぐじゅぐじゅのじゅるじゅるである。体温は微熱で安定、しかしなぜか関節がだるくて頭がボケて仕方がない。まてよ、昔から鼻水とだるさとボケは狸にとって不可分だったか。単にそーゆー風邪体質なのだな。ぐじゅぐじゅ。
 ともあれあいかわらず寝こむような状態ではなく、今週もそこそこ稼いで、短編は第一場の十数枚まで打てた。今回はシリアス三人称文体だから、ひと晩一段落進めば上等だ。ゆうこちゃん物件も、この短編も今年中に区切りをつけるのは無理っぽいが、まあ、今さら焦っても仕方がない。狸はもう若くないのだから、自分で化ける程度では足りないのである。赤の他人を化かさねばならんのである。じゅるじゅる。

     ◇          ◇

 おう、ウェンディーズがついに閉鎖か。近くのダイエーから撤退したとき、ああ、もう長くはないのかと諦めてはいたのだが。なにせ母体のダイエーがとっくにダイエーだか丸紅だかイオンだかわからないダイエーになってしまっているし、関連会社が片っ端から消えているのは皆さんご存知のとおり。
 しかし、よりによって一番お気に入りのハンバーガーが消えてしまうとはなあ。結局総菜パンのマックがあいかわらずナンバー1なんだもんなあ。ハンバーガーに限らず、たとえば近所のダイソーからは、狸が愛用していた入浴剤が、まさに狸の愛着順に姿を消し、狸の好まないアイテムのフェイスだけが増えてゆく。そんなに狸の好みは偏っているか。
 そういえば近くのダイエーが今年改装したとき、やはり関連会社と思われるちょいと高級めのミートショップも撤退してしまい、狸が何かがんばった時に自分へのご褒美としていた、三百数十円のうまいロティサリーチキンの切り身が買えなくなってしまった。代わりになんとかいう焼き鳥屋が出店し、『なんとかひな串』だの『かんとかひな串』だの、名前だけはろりっぽくてやーらかそうな、でも一本百円前後もするくせに試しに買ったらパサパサの作り置きを山積みにしており、それでもけっこう売れているようだ。おいおい、近所のちっこい焼鳥屋なんか、一本八十円で、はるかにうまいぞ。
 単なる判官贔屓かもしれないが、明らかに大手企業のこんじょは、近頃とみに曲がりがちである。たとえば狸愛用の食品系バッタ屋で、これまで重宝していた68円均一のタイ産ラーメンや岩手の『霧そば』、どうも近頃見当たらないと思ったら、いつのまにか近所の大手100円ショップやスーパーで、ちゃっかり導入しているのである。当然、いきなし5割増し近い価格になっている。そりゃ輸入会社や製麺会社だって、口さえかかればちょっとでも高く卸せるほうにホイホイ回すに決まっている。
 生き残りを賭けてんだかガイアが夜明けだかなんだか知らんが、最下層から最後の一滴まで吸い上げようとするのだけは、あんたらの品性がより最下層方向に落ちるだけだからやめとけよな。ぐじゅぐじゅ。

 ……おう、自分の言ってることが、いつのまにかまったく脈絡を失っている。こりはおもしろい。じゅるじゅる。


12月10日 木  ぶつぶつけほけほ

 けほけほ。しかし堂々と寝こむ言い訳にならない程度の風邪というのは、つくづく鬱陶しい。
 おまけにあいかわらずこーゆー表示が頻発し、それでなくとも少ない打鍵時間をさらに奪おうとするし。けほけほ、なんとかしてくれマイクロソフト、けほ。

            

 さらに、もう夜中だというのに前の工事現場から、うぃんうぃんうぃんうぃんとなんじゃやら低く唸るような機械音が響いてくるのだが、苦情を言えるようなレベルの騒音ではないだけに、なお気に障ってしかたがない。ぶつぶつけほけほ。
 ……やっぱり血圧が落ちたせいとしか思えんのよなあ、この我ながら狸らしからぬ、近頃の癇性。
 でも、ふつうは高血圧のほうがプッツンしやすいのではなかったか。いや、でもやっぱり低血圧の奴のほうが、朝無理に起こすと力いっぱい目覚まし投げつけてきたりするしなあ。
 平常心平常心――でも妙に我慢しているとかえって鬱屈するので、やっぱりぶつぶつけほけほ。


12月09日 水  けほけほ

 ああ、風邪をひいてしまった、けほけほけほ。
 などと哀れっぽく同情をひこうと大袈裟にふるまっても、熱を計ればほんの微熱しかなく、食欲もちっとも減らないから当然新インフルであるはずもなく、ただの軽い喉風邪らしい。今回は持病の扁桃腺もまったく疼かず、ただけほけほと咳きこむのみ。そのけほけほも、作業中なんかは呼吸に紛れてあまり起こらない。風呂や布団の中など、本来いちばんリラックスしたいときにけほけほけほけほ。いっそインフルのほうが自他共に心おきなく冬眠できていいけほ。

 以下、ひとりごとです。
 ……うわ、ただの躁病青年だったのかな。やっぱり黙っときゃよかった。けほけほ。


12月08日 火  天上の声

 水芭蕉猫さんが伝言板で教えてくれた、libera。

               

 ずいぶん人気があるんですね。世事に疎い狸はちっとも知らなかった。次回図書館に行くときは、CD借りてこよう。
 ボーイソプラノがメインとなる少年合唱団――狸が幼い頃には、少女雑誌のグラビアの常連でした。ウィーン少年合唱団、ウィーンの森少年合唱団、パリ木の十字架合唱団――ああ、懐かしや。って、今も元気でやってるわけだが。
 liberaは、なんか当世風のやんちゃ坊主っぽいルックスの少年が多いようで、それが昔ながらの天使の歌声でハモってくれるのがミソですね。元はサウスロンドンの少年聖歌隊なのだそうだ。
 しかし変声期前のボーイソプラノってのは、ほぼ例外なく脳味噌トロかし効果がありますね。こればかりは、ろりでは対抗できない。成人女性も、ほぼ対抗できない。男のソプラニスタに至っては、隣のマンション工事現場の基礎深くコンクリ詰めにしたいケースがほとんどだ(あくまで狸の嗜好)。

 成人男子で天上の声を思わせてくれるのは、やはり、近頃ようやく完全復帰してくれたっぽい米良美一さんだろう。いっとき高音が出なくなり種々の隘路を重ねていたが、今はまた往年の美声を取り戻しているようだ。ボーイ・ソプラノのような清水にも似た透明感はないが、なにか黒漆の光沢感のみを抽出したような、濃縮されたエキスの透明感を感じる。

               

 そして、女性ソプラノといえば、種々の著名なオペラ関係の方々がいらっしゃるわけだが、狸にとっては、やはり映画音楽の大家エンニオ・モリコーネがしばしば起用した、エッダ・デロルソさんの声が至上である。なんといいますか、透明感を通りこして、もう問答無用で天上界に拉致されちゃうのね。

               


12月07日 月  蕨野行、他

 BSで録画しておいた『わらびのこう 蕨野行』(恩地日出夫監督・平成15年・2003)を観る。充実した共感と驚きと、微笑と涙の2時間ちょっと。紛れもなく日本映画史上に残る名作である。本当です。制作も配給も非メジャーだったためか、マスゴミ等で派手にとりあげられることもなく、TV放映もBSのみだが、幸いDVDは発売されております。
 別に狸の故郷が制作に大きく関わっていたから贔屓するのではない。映画内で使われる江戸時代の田舎の方言(?)だって、たぶん原作者・村田喜代子氏の創作方言(というか創作古語)であり、山形弁とも東北弁とも無関係だ。しかし、あの珠玉のドラマの背景に、山形県各所の鄙びた田舎や自然が完璧にマッチしていたのは疑いがなく、名匠・恩地監督の演出も、超ベテラン・上田正治氏の撮影も、市原悦子さんら名優たちの力演も、すべてが程良く調和して、哀しくも美しく力強い生命観のシンフォニーを形成していた。そういえば『おくりびと』のロケ撮影も、地域はほとんどカブらないが山形県の各所でしたね。大自然の神秘的な美しさとか崇高さにはあまり繋がらない、あくまで地味で難儀な風土風景なのだけれど、それだけに人間の根源的な生死観には、似合う土地なのか。
 ともあれ知名度においては『おくりびと』の推定1パーセントにも満たないであろう映画で、狸もうっかりしていたら、死ぬまで見逃していたかもしれない。キネマ旬報のベストテンにはかろうじて入っていたが、商売物優先の日本アカデミー賞などでは完璧にシカトである。つくづくこまったものである。

 ところで、恩地監督の内藤洋子版『伊豆の踊子』(昭和42年・1967)は、もう一生再観できないのだろうか。ビデオは昔いっぺん出たようなのだが、とうとうレンタル屋では一度も見かけなかった。レーザーやDVDでは、てんから見当たらない。

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 ありゃ、あの板で、なにげなくいつもの狸節感想辛口バージョンを入れたら、あとが妙なことになってるなあ。えーと、狸が悪いんじゃないよな。あそこはあくまでオリジナル小説投稿板であって、宗教板とか哲学板とか、聖書2次創作板じゃないもんな。

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 さあて、明日は遅番だ。夜中まで残業できればいいが。


12月06日 日  わーい、連休だい

 明日も仕事のはずだったのに、ドタキャンくらってしまいました。こっちからドタキャン入れると病気でもないかぎりペナルティーとられるのに、あっちから、とゆーか、現場のほうからドタキャンくらっても、一銭ももらえません。あんがい派遣会社が違約金かなんかガメてんのかもなあ。

 昔、日雇い派遣でしこたま中間搾取の限りを尽くし、ちょっとヤバそうになると真っ先に日雇い部門をツブして逃げ切ったグッドウィルなどは、たとえば8時間就業の予定が現場の都合で4時間で終わったりすると、きっちり4時間分しか金をくれなかった。後で聞いたら、現場のほうでは8時間分グッドウィルに入れていたのですね。差額は当然ガメていたわけです。
 その点、今現在狸がメインでお世話になっているフルキャストなどは、まあグッドウィルに次いでピンハネ多めのわけだが、昔から8時間で契約すれば実働4時間でも契約分の金をくれたし、基本給自体もグッドウィルほど酷くはなく、現在ずいぶん縮小傾向とはいえまだまだ他に比べれば支店も多いし、残業手当や夜間割り増しもきちんと法律どうりに払ってくれる。何よりつきあいが長いのでなんかいろいろ融通がきくし、基本給もそれなりにランクアップしてもらっている。
 そもそも日雇い契約において、現場都合のドタキャンなんてのはめったにないはずなのだが、不景気続きの昨今、まあいろいろあるのだろう。今後も続くとなると、昨夜のアレなど、思わず「……あのう……まちがいでした。口座に返してもらえませんか」などとこちらでキャンセルしたくなったりもするのだろうが、アグネスが恐いしなあ。仮想物件大好き単純所持バリバリのろり野郎としては、せめてもの罪滅ぼしに、どこかの赤ん坊のほっぺたを、アグネスでも誰でもいいから代わりにつんつんしてやってほしいしなあ。

 まあ、今夜も無制限打鍵できるということで、良しとしよう。


12月05日 土  障碍偽善者

 本日は4時間残業できた。ラッキー。
 冬場になって、今日のように鬱陶しい冷たい雨の日など、例の夏の患部あたりがシクシク疼いたりもするのだが、それが当然らしいので気にしないことにする。

 帰穴すると、ユニセフから封書が届いていた。昔、なんぼか羽振りの良かった時代に何度か寄付したので、今も毎年お願いが届いてしまう。ここ数年は非情に黙殺してしまっていたが、今年は応じることにした。年末ジャンボなど生まれて初めて自分のために買っておきながら、他人様に対してロハの1クリック募金を日々つっついているだけでは、生涯偽善者を標榜する狸として言い訳がたたない。
 寄付額に下限上限はないようだが、封書の文面には、3000円から50000円まで段階的に、その金額で何ができるかの一例が記してある。狸が年末ジャンボに投資したのと同じ3000円でも、『
子供たちの免疫力を高め、感染症にかかりにくくするビタミンA(一年間分)を1500人の子供に投与でき』るのだそうだ。5000円だと、『下痢による脱水症状を和らげる経口補水塩(ORS)、子供714人分に』なる。今の狸の懐具合だとそのあたりがせいぜいだわなあ、などと思いながら、しかしやっぱり『子供たちを守るために、地域のお母さんたちが運営する育児サークルで、7人の乳幼児を1年間ケアできます』などという5万円コースに、やっぱり惹かれてしまうわけである。
 で、発作的に、例のデヴィットカードで5万円振り込んでしまった。
 例の入院の高額医療費割り戻し分が、国保から6万ちょっと入っていたせいもあるが、なにより発展途上国の赤ん坊、というより、一握りのとんでもねー億万長者や高価な弾薬をヤケクソで消費しまくる兵士たちによって、極貧の下層民が毟り殺されている地域の赤ん坊にしてみれば、ビタミンAや経口補水塩も無論現実的に有益だろうが、やっぱり日々ふにふにと自分のほっぺたを突っついてくれる母性に見守られて安心して眠ったりむずかったりしていられる状態が、たとえ全人生の中では刹那の享楽でも、いちばんキショクよさそうな気がしたのだ。しかし、振り込んでからつらつら慮るに、その説明文はあくまで一例であって、直接そっちに回るわけではないんでしょうけどね。
 さらに脳内で、「おいおい年越しだいじょぶかよ」とか「帰省資金にするんじゃなかったのかよ」とか「その前に借金返しとけ」といった理性的な白い狸の声も聞こえるような気がするのだけれど、現状、狸は、刹那の自己満足を勧める黒い狸の声に従おうと思う。先の心配や周りの迷惑より、目先の欲望やあてもない夢想のほうが大事なのである。
 こーゆー退嬰的心境を、まさに『障碍』というのだろうが、まあ、森羅万象広大無辺なサトリのほうはお釈迦様にお任せ、そんな狸の歳末です。生きていてすみません。

 まあ、あの無差別児ポ法強化論で、仮想も単純所持も十把一絡げにムショ送りにしようと絶叫していらっしゃるユニセフ親善大使のアグネス・チャンさんだって、結局、狸と同じ『障碍者』なのだろうなあ。


12月04日 金  ちょこっとトリビア(たぶん)

 くそ、夜11時まで残業やるつもりでいたのに、8時で仕分けるモトが尽きてしまったぜ。困るではないか。まあ、3時間は残業できたんですけどね。倉庫内作業だと、体力的にもこんくらいが爺いの限界かも。
 で、その倉庫の守衛さん(たぶん60代なかば)から、意外な話を聞いてしまった。信州の上田あたりでは、昔から、カラスを田楽にして食っていたというのである。

 食糧危機の論じられる昨今、カラスの食用化研究が進んでいるという話は、何年か前に聞いた。しかし過去においては、まあ非常時にやむをえず食った方はあろうが、一般的には不味くて食えない、他の野獣や猛禽類さえ不味いから襲わない、よって天敵がいないから田舎も都会もカラスの天下――そんな話を鵜呑みにしていた。敬愛する森敦大先生のエッセイにもそうあったし、森先生の晩年勤めていた印刷所は鳥類の図版が得意だったはずで、社長さんはその方面の碩学だったとも聞いていた。また、読み囓った他の自然関係のあれこれでも、それに反する記述にはお目にかからなかった気がする。
 ところが冗談でも何でもなく、そのお爺さんが幼い頃まで、上田あたりではカラスを食っていたそうなのである。味噌田楽にしたのは、やっぱり肉の臭みを消すためだろうか。
 まだ文献等には当たっていないが、念のため、今ネット検索したら――わはははは、食っていた
 さすがにメジャーな食習慣ではないようだが、江戸時代には狸の故郷あたりでも食っていたらしく、なんと、斉藤茂吉大先生の弟さんも食ったことがあるらしい。
 なんだ、ちゃんと食えるんじゃないか。もしかして、狸が知らなかっただけ?

 世界各地で御馳走扱いされる鳩も、日本で食うと奇人扱いだし、そもそも捕獲の段階で白眼視されてしまうが、あの傍若無人なカラスどもなら、とっつかまえて羽をむしっても、どこからも苦情は出るまい。
 明日は仕事が入っているが、日曜はアブれそうだから、例の緑地公園や江戸川畔で狩猟を敢行し、あの黒々と太った、野良猫の赤ん坊さえ襲って食ってしまうというにっくき天敵・カラスどもを――。いや、別に休みじゃなくとも、夜明け頃に街を歩けば、生ゴミを食い散らかす奴らがなんぼでも――。
 まあ半分は冗談としても、まだまだ身近に群れておるのですね、野生の動物性蛋白源。


12月03日 木  続・神話のない国

 のんびり雑想しているバヤイの現在時刻でも明日の起床予定時間でもないのだが、昨日アメリカの悪口っぽいのを記したばかりの今日には、BSの録画で『ピクニック』(1955)などという古き良きハリウッド青春映画を見てしまい、思わず「いやいや、この解りやすい現実主義だかロマンチシズムだか判別しがたいノリの田舎者集団であること自体が米国の底力なんだろうなあ」などと、いきなり肯定的に寝返ったりもする。
 カンサス州の田舎が舞台なのにひとりも黒人が出てこないとか(なにせ田舎娘たちが合唱するフォスターの名曲も、歌詞が「♪オールド・ブラック・ジョ〜」となる直前でカット割りされるほどの徹底ぶり)、主役の風来坊青年(あくまで設定上)と純情少女(シナリオでは19歳なのだそうだ)を演じるのが古き良きハリウッドの直流とも言うべきウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァクなので、確かに美男美女ではあるのだがどう見ても押し出しの良い中年男と完熟女性にしか見えないとか、ニューシネマ以前のハリウッド映画の「ありゃりゃ」な風合いがまんま色濃いわけだが、それでもなお、タイトル・ロールにあるピクニックとその晩の野外パーティーに集約される『映画感』とでも言いますか、流麗に垢抜けながらどこか土の匂いのする純朴さ、そしてなにより「見え見えの展開で何が悪い」と撮影技術や録音技術や編集技術やBGMの粋を尽くして納得させてしまう底力、あれには正直「……負けたぜ」と屈服せざるをえないわけである。
 とゆーわけで、敗北しました。白髪交じりのうらぶれた狸が、今夜シヤワセに眠れそうなのは、あのカンサスの夜会の思い出(あくまで妄想)のおかげであり、名曲『ムーン・グロウ』が、今も脳内でスイングしているおかげです。

               

 ……ちなみに狸としては、この完熟おねいさんキム・ノヴァクにパートナーを奪われてオミソになっていじけたりして、でも結局その恋を応援したりもする妹役のスーザン・ストラスバーグ嬢のほうが、むやみにかわいいと思うのだが、どうか。


12月02日 水  神話のない国→神話があるけどちょっとアレな国

 いや、別に文化人類学とか社会問題とか、難しいことは、野次馬レベルでしか解らないんですけどね。

     ◇          ◇

 先頃狸が多大なる感銘を受けた『崖の上のポニョ』、海外での評価をちょっと検索してみたら、各国の評価はおおむね高いながら、アメリカでの興行成績の悪さが目に着いた。なんじゃやら今回は全米で張りきって拡大公開し、新聞や雑誌の映画評でもずいぶん高評価が多かったのに、肝腎の集客には繋がらなかったようだ。
 まあ、これはやはり、配給するディズニーやピクサーといった企業の業界人が、あまりに宮崎監督を敬愛するがゆえの勇み足とも言えるだろう。そもそも、アメリカで集客を期待できるような性質の作品ではない。それはアニメに限らず、アメリカ製の大ヒット映画作品を観れば、一目瞭然だ。彼の国で大ヒットするには、『馬鹿でも理屈で解る映画』でなければならない。『馬鹿でも理屈抜きに感動できる映画』では、けしてないのである。無邪気な幼稚園児にウケるだけではだめなのだ。幼稚園児なみの大人にも『理解して』もらわねばならないのである。
 ……って、ひでーこと言ってるなあ俺、とも思ったりするのだが、たとえばNHKのBSで毎週火曜にやってる『クールジャパン』、これは日本ならではの風物や習慣や商品を、世界各国の在日一般人ゲストの方々になんかいろいろ体験してもらったり論じてもらったりするなかなか面白い番組なのだが、ここに登場するアメリカの方々、ハクいキャリアウーマンの方からゲテゲテのロック系おねいちゃんまで、とにかく自分のレベルでの『理屈』、それがすべての社会把握基準になっているようなのである。理屈の後で、感情を決めるらしいのだ。
 まあ、そういった国だからこそ、『スターウォーズ』のような史劇的名作も誕生するのだろうけれど、同じ米国産であるクトゥルー神話のような世界は、あくまでB級C級扱い、日陰の花なんですね。
 思えばあの『スターウォーズ』一作目が世界を席巻したかに見えた時代、事実日本でも大喝采を受け、邦画の便乗作『惑星大戦争』や『宇宙からのメッセージ』は制作国日本においてもマニア向けのキワモノというか徒花扱いになってしまったわけだが、たとえば中央アジア諸国ではなぜか『惑星大戦争』のほうがウケてしまったり、なんでだか『宇宙からのメッセージ』が未だにウケている欧州の国もあるらしい。両映画とも理屈の通った作品ではちっともないから、たぶん感性部分で共鳴したのだろう。
 言うまでもなく狸は理屈より感性を重んじてしまう性質であり、正直、自分の脳味噌レベルに合わせて勝手に取捨選択した理屈など、行動規範としては感情にも劣ると思うのだが。
 知性も感性も同等に豊かそうな、あのオバマ大統領も、あの国では最後まで苦労するのだろうなあ。

     ◇          ◇

「障害者」という言葉にマイナスのイメージがあるとして、大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。内閣府によると、「害」の字を避けて「障がい者」と表記する自治体は5年ほど前から増えているが、表現そのものを見直す試みは異例。「障害者と呼ばれるのは嫌ではない」といった声もあり、専門家は「行政の押しつけにならないようにすべきだ」と指摘している。
 障害者の「害」はもとは「さまたげ」を意味する「礙・碍」だが、当用漢字でないため「障害者」が使われるようになった。平成16年ごろから「障がい者」と表記する動きが広がり、20年度で10都道府県・5政令市(内閣府調べ)。市町村を含めるとさらに増える。吹田市も「障がい者」と表記してきたが、「『障害』は個人ではなく社会に存在する」として新しい表現を検討することに。10〜11月に公募したところ、「愛」や「友」の字を用いるなどした45件の応募があった。一方で、「私は障害者だが気にしていない」「言葉狩りではないか」など市の方針に反対する意見も複数寄せられたという。
 吹田市身体障害者福祉会の小西清会長(87)は「言葉を替えても体は良くならないのに、意味があるのか」と市の方針に疑問を投げかける。障害者や家族からは「障害者問題を考えるきっかけになれば」と期待する声も上がるが、「言葉を替えても偏見はなくならない」「言葉よりも先に障害児教育の施策を充実させてほしい」など、抵抗や反発も根強い。
 吹田市は「難しい問題であることは承知しており、いろいろな意見を参考にしたい」としている。
 市民からの応募をもとに、学識者や公募委員による検討委員会を経て、来春までに新しい表現を決める方針。
 峰島厚・立命館大教授(障害者福祉論)は「『障害者』の表現は当事者の間でも賛否が分かれるが、行政の押しつけではなく、障害者たちが自由に選択できるようにすべきだ。単に言葉を替えるだけではなく、障害者の実態を市民に啓蒙(けいもう)することが重要だ」としている。【12月2日15時33分配信 産経新聞】


 ……当用漢字を見直す、という選択肢は、未来永劫ないってことかな? 第一水準だの第二だの、当用だの常用だの、ワープロ専用機時代から頭を抱えて悶絶し続けて来た狸としては、『障碍』『障礙』といった代表的な仏教用語を、『障害』や『障がい』と表現しなければならない事態そのものが、末世的状態だと思うのだが。
 まあ『障碍』『障礙』だって、悟りへの道を妨げる困りものには違いないのだけれど、その本質はあくまで未だ悟れぬ者たちの抱く、種々の執着心としての『愛』、すなわち世俗的『愛』であって、お釈迦様でもなければ捨てきれるものではないし、狸だって全人類に障碍がなくなる日など、見たいとも思わない。お釈迦様にお任せしとけばいいのである。
 しかし『障害』となると、どうしたって『被害者』『加害者』といった、社会的対立概念に繋がって聞こえてしまうんだよなあ。お釈迦様でもない限り、人類みな内なる『障碍者』――そこんとこを、漢字制限者(?)の方々にも、よろしくお願いしたいものである。
 ところで現在は、マイクロソフトIMEでもATOKでも、きちんと『障碍者』が変換されるのだけれど、それがたとえクレーム防止感覚による選択だとしても、ありがたいことではある。

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 さあて、今週前半は定時きっかりの昼勤続きで楽をしてきたが、後半は年越し資金や帰郷関係のなんじゃやらで、みっちり稼がねばならない。
 来週もなるたけアブれませんように――でもやっぱりたまには夜明けまで無制限打鍵したいので、ちょっとはアブレたいかもなあ。


12月01日 火  もちつけ子猫にゃん

 朝日新聞の朝刊で、なんじゃやら小中高生の暴力行為が増えていると伝えていた。いじめ的な行為は減っているが、いきなり同級生を殴るとか踏んづけるとか彫刻刀を振り回すとか、プッツンする件数が増えているらしい。特に小学生の増加が目立つそうだ。「コミュニケーション能力の不足」「感情がうまく制御できない」「思考パターンが単純化され、深く考えられない」「気持ちを表現する言葉の幅が狭くなっている」等々、文科省や学者さんが分析しているが、いずれ問題の根本が『少子化』にあるという点では一致しているようだ。
 そうだよなあ。
 猫と人間をいっしょにしてはまずいかもしれないが、あの愛すべき猫たちも、たとえば4匹とか5匹とかいっしょに生まれた兄弟姉妹を、生まれてすぐに分散して別の家で育ててしまうと、ほぼ例外なく、わがままで癇性な猫が育つ。おおむねケモノという奴は、ちみっこ時代はぞろぞろ並んで親の後をくっついて歩き、たまには喧嘩っぽく噛み合いをしたり、でも夜はいっしょにひとかたまりになって暖をとったり、そんな環境で親の躾を受けてから、独り立ちしていくわけである。
 ちなみに狸は姉弟各一の家庭で育っており、お互い我が強かったために幼時もひとかたまりで寝た記憶はないが、まあ日々流血しない程度に引っ掻いたり噛みついたりして、それなりに修行を積んだわけである。で、現在、姉もやたら爪を立てたりはせず、落ちぶれた弟にたまに援助物資を送ってくれたり、落ちぶれた弟もけして昔のように姉にがっぷしと噛みついたりはせず、貧しいながらも姪っ子たちの写真をなんかいろいろしてあげたりしているわけである。
 無論、人間というケモノは猫よりもほんのちょっとだけ知能が高いから、ひとりっ子で立派に育つ個体も多いだろうけれど、総体的にはやっぱりケモノの一種にすぎない。

 だいたい、文明国の近代教育は、変に理屈が勝って、体に甘すぎると思うのですね。なにがあっても体罰はトラウマに繋がるから厳禁、そんな大原則のようなのだけれど、やっぱり子猫のうちは、流血しない程度に噛んだり引っ掻いたり肉球でころころ突っ転がしたりするのも、立派なコミュニケーションなのではないか。
 近頃よく街で、若い母親がちみっこ相手にがみがみと、子供に理解できるはずのない言葉で説教たれてるのを見かける。あんな不毛な、愛だか敵意だか幼児には判別しがたい理屈をこねられるよりは、「あうあう、おしりぺんぺん?」のほうが、よほど子供も楽だろうと思うのだが。