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01月31日 日  人間(およびイヌ科タヌキ属)失格

 恥の多い生涯を送ってきました――。
 って、何を今さら。
 こんなとこを覗いている方々ならば、太宰のような繊細さも厭世観も無縁の能天気狸、これからもずるずると恥の多い生涯を孤独死するまで未練に送り続けるであろうことは、とっくにご存知ですね。

 それにしても今日は、午前4時から午後10時まで、18時間、寝て暮らしてしまったのである。
 まあその前は、毎日4〜5時間睡眠で4日ほど暮らしたし、おまけに金曜の夜から自前の脳内麻薬が出てしまい(アドラフィニルはまだ届いていない)打鍵やら通信講座のお勉強やらでずっと寝ていなかったので、週間睡眠時間に均せば、そう恥じることはないのかも知れない。しかし恥ずべきは、寝ていた理由にある。
 病気ではない。
 ずうっと夢を見ていたのである。
 夢の中で、狸は駿河台の学舎に戻っていた。打鍵している私物の舞台に、深層心理が影響されていたのかもしれない。しかし、ならば当然大学生のはずだが、なぜか狸は高校生だったのである。しかも男女共学。
 念のため、実際の狸が過ごした田舎の高校は、野郎が95%を占め、残り5%の女生徒も、その魅力が脳味噌の中にのみ凝縮されているタイプの、事実上男子校だった。まあ人間も狸も、大人になれば女性の脳内魅力もなかなか侮れないと悟るわけだが、ガキのうちは渋さより甘さ、脳味噌より顔と乳と尻である。その証拠に、そんな女干魃《ひでり》状態でありながら、狸の在学中、校内で大それた異性間問題は一度も起きていない。他校の女生徒を妊ませて追い出された奴はいたが。
 閑話休題。
 で、夢の中の高校では、狸が大学時代に交際していたT嬢が、なぜか紺ジャンスカ制服で同級生をやっていた。当然、狸とは恋仲である。そこに、三浦優子ちゃんが転校してくる。あのゆうこちゃんである。狸が小学校を卒業してからは、同じ学舎にいられたことがない。実物を視認できたのは、確か中2の中体連大会で、それはもう完璧なろり体操服姿を拝んでしまって、思わず地にひれ伏して念仏を唱えてしまって以来である。それが、完璧な乙女モードで転校してくるのである。17歳の吉永小百合さんと、畏れ多くも正田美智子さんを、足して2で割らないような高貴さ可憐さだと思ってやってください。
 さらに、あろうことかあるまいことか、優子ちゃんが狸に好意を持ってくれたらしく、なにかと接近してくるのである。しょっちゅうプレゼントをくれたりする。そのプレゼントが、なぜか綺麗な色ガラスのビー玉だったり、あるいは江戸時代の作と思われる根付けだったりするのは、今にして思えば不思議なのだが、まあ夢の中ではちっとも不思議ではないので、ありがたく頂戴する。狸の宝物箱は、たちまち、ちまちましたプレゼントでいっぱいになる。高校生の狸が、なぜ学校の机の中に、古い菓子箱を『宝物箱』と称して保管しているか、これも夢の中では当然なので気にならない。
 当然、T嬢は嫉妬する。ちなみにT嬢は、優子ちゃんよりはずっと庶民寄りの、とてもちっこい、高貴感の代わりにフシギ感が多めな娘である。そのT嬢と優子ちゃんが、狸をめぐって、三角関係青春ドラマをえんえんと繰り広げるという…………。
 こ・の・夢・か・ら・覚・め・ら・れ・る・と・思・い・ま・す・か!?
 いや、何度も目を覚ましかけた記憶はあるのである。少なくとも朝飯時、正午、午後のおやつどき、そして夕飯時――今考えると妙に腹具合に合ってますね――あたり、うつらうつらと正気に戻りかけたはずだ。しかし、あえて現実に帰還するつもりはさらさらなく、夕方など、すでに外が暗くなったのに気づいても、「いや、まだまだ!」と根性を入れて、夢の世界に舞い戻った記憶がある。
 で、ようやく「ここは甘美な青春世界ではなく、うら寂しくて狭苦しくて獣臭漂う狸穴なのだ」と諦念し、あーうー、などと呻きながら起きあがってみたら、夜の10時。
 それから買い物に出たり飯作ったり風呂に入ったり毛皮を乾かしながら録画物件をチェックしたり。

 そして今は、もう月曜の午前4時である。2月1日である。当然、朝の出勤まで、もう眠らない予定。
 板の更新分にいただいたご感想など参考に、打鍵物をちまちまいじくっておりますので、あちらのコメ返しは帰宅後までお待ちください。姑息に修正しながら、言い訳を練る小心な狸です。


01月29日 金  いろいろあるさ

 来月は、低賃金だが体の楽な仕事が多くなりそうだ。ますますビンボになるが、まあ、打つ時間や通信講座に回す時間が増やせるので、良しとしよう。

 サリンジャー氏が、お亡くなりになられた。言うまでもなく、あの永遠の青春小説『ライ麦畑でつかまえて』の作者である。91歳だったそうだ。合掌。
 昔、『ライ麦』のパクリ扱いされた、庄司薫氏の『薫君シリーズ』を読み返してみたくなる。狸から見れば、訳文の文体の影響は確かにあったが、精神的には立派なオリジナルの青春小説だった。狸穴からはとっくに失われてしまった(売り払ったとも言う)が、図書館にならあるだろう。
 そういえばサリンジャーさんも庄司さんも、早くに作品発表を控えられましたね。『青春』は、それをエンタメやノスタルジーと割り切れない限り、なかなか大人に語れるものではない。リアルタイムのうちに、己の青春を大人にも通じる形で描ける才能など、めったに現れない。たいがい、若者同士でうなずきあう内輪話か、目新しい売れ筋商品で終わってしまう。

 Yahooのモデムの回線がおかしい。生きることに疲れ果てたカタツムリのようだ。メールを受けるのに数分を要し、谷口敬先生がピクシブに上げられたという絵物語も、ちっとも開かない。

 いろいろあるさ。ひやといや、にんげんや、つうしんかいせんだもの。


01月28日 木  夢のお城

 NHKのBS−hiで夜中に放送している、海外の城と王をめぐるドキュメント連作のうち、ルートヴィヒ2世を扱った回を観て、なんじゃやら魂がもうずごごごごごごごごと疼きまくって往生した。
 ご存知ない方もおられるといけないので、念のためWikiにリンクしておく。こんな方の話である。例によってWikiらしく、いきなり『童貞王』などというウロンでキャッチーなコピーをカマしてくるが、まあ以降の記述は大雑把ながら妥当だろう。
 で、こんなお方の数奇な生涯と、あの美麗で謎めいたノイシュヴァンシュタイン城やら、ヘレンキームゼー城(湖上の島に再現されたヴェルサイユ宮殿の壮大なパチモン)やらにまつわる話が、狸ご贔屓の美輪明宏さんの典雅な語りにのって展開するのだから、もはや情動を抑える術もないのである。
 もっとも、建築業界では有名なのかどうかは知らんが、やたら語彙に乏しい現代建築家のあんちゃんがときどき登場し、やくたいもない私見をアンチャン語で披露するのには辟易した。あーゆー現代に過適応した似非ハイソ相手の建築家を、悩めるバイエルン王や、見果てぬ夢想の迷宮に絡めてどーする、と思うのだが。

 ともあれ、ぜひここは、かのルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ/神々の黄昏』(1972)を再見したいものだと思い、ちょいと検索かけてみたら、狸未見の4時間完全版が、近頃DVD化されているのですね。ところが、どこでもレンタルされていない。
 わっはっは、こんだけ巨大チェーンのレンタル屋やネット・レンタルが溢れていながら、ほんとにこの国はよう。ヴィスコンティ作品くらい全作いつでも観られないでどーすんのよ。まったくビンボのしがいのない国だよなあ。
 しかし、今だって西洋の美青年貴族やらが跋扈するコミックやアニメも多いと思うのだが、若手の皆様は何を参考に『空気感』を描いていらっしゃるのだろう。少なくとも24年組の皆様は、最低ヴィスコンティくらいは観ておられるはずだが。
 あ、そうか。今のお若い方々は、今の狸ほどビンボではないのですね。そりゃそーだ。買ったって5000円そこそこだもんなあ。うう、でも狸は買えない。


01月26日 火  ヤバイ薬

 秋口に電子タバコを安くわけてもらった、個人輸入代行業(自称)の某氏より連絡があり、本日、日雇い帰りに船橋で会う。なんじゃやら、一身上の都合で大阪に引っ越すのだそうだ。昔、店の売り上げや商品を横領して行方をくらましたときのような、夜逃げではないらしい。どのみち狸は氏から悪い思いをさせられたことはないし、そもそもだまし取られる金品がない。
 悪いが餞別など一文も払えないと言うと、逆餞別(?)に、なにかくれると言う。電子タバコの予備はあるし、昔もらった中国製バイアグラ入り栄養剤は今さら使う予定もないし、あの恐ろしく生臭い胎盤入り栄養剤は二度と飲みたくない。
 で、半分冗談で言ってみた。
「じゃあ、シャブ」
「……さすがに、そこまでヤバイ橋は渡ってない」
 業務上横領も、充分ヤバイ橋だったと思うんですけどね、まあ、若気の至りということはある。
 ヤクザ屋さんに縁はないが、スマートドラッグ類の中に多少ヤバめの奴があるというので、遠慮なくもらうことになった。代行価格は4千円程度だそうだから、餞別としては妥当だろう。……だから逆だ、逆。
 ともあれ、これで、半月もすればアドラフィニルとかいう、多少ヤバめのヤクが狸穴に届くはずである。ためしに今ググってみたら、うわあ、リタリンの代わりに使ってる人も多いのね。こりはヤバい。でも効きそう。
 飲み過ぎや常用は肝臓を壊すと某氏も言っていたが、そもそも副作用のない薬品はない。砂糖だってなめすぎれば糖尿で死ぬ。真水だって飲みすぎれば中毒死する。
 ……でも、ちょっとコワいの。うふ。

 ちなみに狸が大阪に対して抱いているイメージは、多くこの歌に拠っている。

               



01月24日 日  縮みゆく千畳敷

 ああ、しんど。
 本日はたまに入るアパレル商品のピッキングで、10時まで残業があれば無料のお弁当も出るいい職場なのだが、今夜は早々と8時に終わってしまった。お買い物カゴを下げてただひたすら倉庫内をお散歩しているようなものなのだけれど、間が悪いと、頻繁に階段を上り下りしなければならないのである。やっぱり明日は休んでおこう。

 ところで、昨夜ふと気づくと、キャタマブクロの痼りが、あらかた縮んでしまっている。まだ若干の腫れがコロコロと残ってはいるのだが、サオの根元寄りで、ほとんど目立たない。
 そのまんま残る可能性もあると聞いていたので、無くなってみると、なんだか寂しい。あの夏の立派な真桑瓜状態が、無性に懐かしくなったりもする。
 でもやっぱり、二度と御免ですけどね。


01月23日 土  か、かわいいじゃねーか、おい

 今日も封入、明日は倉庫、あさっては未定。そろそろ休ませておきましょうかね、老狸体。

     ◇          ◇

 ちょっと前、板の拙作にミノ様からいただいたご感想の中に、『はいからさんが通る』などという懐かしいフレーズがあって、あのブームからかれこれ20ウン年、懐かしくなった狸が、またぞろYouTubeを検索しますと――げ、2005年に復活してたの? いや、原作関係ではなく、昔大ヒットした南野陽子ちゃんの映画主題歌(昭和62年・1987)のほう。
 埋め込み無効だったので、クリックすると別窓が開きます。

               

 ……か、かわいいじゃねーか、おい。2005年といったら、ナンノちゃんはすでに38歳。
 アイドル脱皮後、汚れ役もしっかりこなし、中堅女優としてすっかり出来上がりつつある熟女の、このおそるべき乙女力。この方はきっと60を過ぎても、元気にこの歌を歌えるに違いない。なまんだぶなまんだぶなまんだぶ。

               

 で、上が映画公開当時、20歳のお姿である。
 いや、ほんとの話、衣装とか振り付けとか抜きでも、上のナンノちゃんと下のナンノちゃん、どっちといっしょにお風呂に入りたいかと問われれば、狸は迷わず上を選びますね。女性には、年齢や経験によって増す可憐さもあるのである。
 まあ、小学校以前のナンノちゃんが出てきてしまったら、話はちょっとアレですが。


01月22日 金  新妻鏡

 ああ、楽な封入仕事は、いい。仕事場に加湿器まであるので、けほけほも出ない。でも、いちんち7000円弱にしかならない。でもやっぱり、アブれるよりはましだ。

 とーとつですが、昨日は本間千代子さんだったので、今日は島倉千代子さんに歌ってもらいます。

               

 チヨちゃん、おチヨさん……なんか昭和っぽくて、いい名前ですね。

 しかし狸は小学校時代、夏休みや冬休み、こんな昼メロを毎日きっちり観てたのよなあ。『あの波の果てまで』とか。あれも島倉さんが歌ってたような。
『新妻鏡』も『あの波の果てまで』も、薄幸のヒロインが一度は意に染まぬ相手と結婚してしまうのがミソですね。もー冬ソナどころではないズブズブの社会的泥沼や家庭地獄から這い上がったヒロインが、ついに宿命の男性と結ばれる最終回の感動。で、その男性のほうは、なんかいろいろの渦中でも社会の垢などちっとも身につけず、終始高潔に生きてるのね。
 んな奴ぁいねーよ、と言うなかれ。結局、アブラ中年男の処女願望と大差ない、日常に倦いた奥様方の、永遠の夢物語。


01月21日 木  春遠からじ

 真冬の夜に餌探しに出て帰穴するときは春の朝だったり、春先の朝に出て帰りの夜は真冬だったり、それぞれの朝と夜が入れ替わったり、もはやなんだかよくわからない季節を生きている狸です。歯茎の腫れは治まったが、けほけほが復活してけほけほけほ。それでもけほ以外の身体症状はまったくない。
 大昔、やせっぽちで一冬中けほけほしながら、でも喘息というほどではなくお医者さんから「百日咳」などという病名をいただいて、普通に小学校に通っていた幼狸時代があったのを思い出す。いよいよ夕日の三丁目の貧乏人様を呈してまいりましたね。
 まあそのうち、こんな歌の似合う、明るい季節もやってくるだろう。

               

 ところで狸は、なぜだか、バスガイドさんとゆーものは必ずこの歌を歌うものだと、長く信じていた。『東京のバスガール』とセット感覚だったのである。たぶん最初に乗った観光バスかなんかのインプリンティングだったのだろうが、小学校1年くらいの頃の歌なのに、それこそ中三の東京修学旅行や高三の岩手研修旅行の時までしつこくリクエストし、ガイドさんもきっちり応じてくれたものである。
 さすがに就職後の社員旅行となると、歌えないガイドさんが多かったが、それでも「ふっふっふ、昨日今日の雛っ子じゃあございませんのよ」「んむ。おぬし、できるな」といった目と目の会話を交わしながら、応じてくれる年輩のガイドさんも残っていた。
 いつかまた貸し切り観光バスに乗る機会があったら、しっかり要求してみようと思う。で、「なに? 本間千代子の『若草の丘』が歌えんとな? ふっふっふ、お嬢ちゃん、まだまだじゃのう」とか――ヤな客だわなあ。


01月20日 水  なんかいろいろ

 日勤午後勤夜勤入り乱れ、もはやなんだかよくわからない時間帯を生きている狸です。

『その男ヴァン・ダム』は、噂どおり身につまされる自虐ギャグのシュール作に見せて、人情や気概はしっかり押さえてあり、往年のヴァン・ダム=B級アクション・スターのファンにも、しみじみ共感できる佳作であった。
 ところで、『禅』に関して肝腎なことを記し忘れていた。主演の中村勘太郎さんのご尊顔と立ち居振る舞い、それだけでも、ごはん3杯イケてしまうくらいの底力があります。また、ちょっと検索してみたら、『映画』というものを自宅の鏡と勘違いしているブロガーの方のとんでもねー大馬鹿な酷評レビューや、「大河ドラマの総集編のようだ」などと映画文法音痴まるだしのご意見を吐かれるプロの映画評論家と称する方々も目立つようだが、まあ、ごく普通の方々は素直に感動してくださっているようなので、ちょっと安心。

 昨夜から本日未明まで続くはずだった倉庫夜勤が、予定時間の半分も働かないで解放されてしまい、「わーい、時給4時間半ぶんと深夜手当2時間ぶん濡れ手で粟!」などと喜んだものの、夜中の3時では当然電車もバスもなく、湾岸から歩いて帰穴。何年か前にも同じ倉庫で同じようなラッキーな目に会った記憶があるが、この不景気でも鷹揚なもんです。でもさすがに、倉庫前の駐車場でラジコンカーを走らせている正社員さんはいなかった。もっとも前回は確か真夏、単に冬は寒いので、中で遊んでるだけなのかもしれない。ちなみに帰穴までの所要時間、前回は汗だくで1時間半だか2時間だかかかったはずだが、冬場はさすがに空冷が効くので、6キロ1時間、不動産屋の『駅まで10分』のイキオイで歩いてしまった。

 帰宅後メールを開いたら、ななななんと、かの谷口敬先生より、マイミクのお誘いが……当然、畏れ多くもふんふんふんと鼻をこすりつけて恭順の意を表す。狸は出腹なので、仰向けに寝っ転がって恭順の意を示すのは不得手なのである。なんて、こんなとこの素顔も時々は見られていたそうなので、出腹どころか狸の千畳敷をうりうりと晒しているのといっしょなんですけどね。
 ちなみに狸が夏の入院の際に脳内構築していた『神変白鳥怪』という伝奇物のシノプシスは、実は谷口先生の絵柄を念頭に発想したものなのである。なにせ主人公の薄幸ろりたちは、バレーを踊ったりもする。それでいて時代は明治やら大正やら昭和戦前やらだ。つまり美ろりもバレーも歴史風俗も、となれば、想像できる絵柄(つまりどれもきっちり描ける方)は限られてしまうのですね。

 で、投稿板で久々に感想入れて、朝の8時から夕方まで寝て、次の仕事は明日の朝――ぼーっとしてないで、ちょっとでも自作も打ちませう。


01月19日 火  きのうの続き

 しかし『おくりびと』の時にも思ったのだが、滝田監督も高橋監督もまったくタイプ違いの作風ながら、共に狸が一般映画のみならずピンク映画もせっせとカバーしていた昔から、あっち方向でフル操業していた方々である。その頃から、若々しい知性と映画根性を、今で言えばアダルトDVDなみの低予算で実現しようとしていたのだけれど、あくまでピンク映画界で多作できたということは、当然『ドエロ』でもあったのですね。滝田監督はどちらかといえば軽妙人情系エロ、高橋監督はバイオレンスな問題系エロが多かった記憶がある。ただ、どっちにしても、ポルノ作品の陥りがちな(いや、そっちがポルノとしては正しいのかもしれないが)男の一方的マスターベーションツールではなく、男女の愛憎やら人生やら人間の業やら、そんなもんが匂い立つドエロであったのは確かだ。
 ならば、人間の生死観というものは、まともにSEXの描ける方に語ってもらうのが、やっぱり吉なのではないか。
 ぶっちゃけ道元禅師の教えなど死んでも実現不可能な凡俗でも、きっちりSEXやってれば、あんがい生も死も正しく受諾できそうに思えるのですね。あの哀川翔さん演じるゴロツキ亭主みたく。
 まあセンズリのほうがオマンコよりキショクのいい場合が多いのも事実なのだけれど、心身ともにみっちりくっついていっしょにイク瞬間はまた格別であるという感覚、やっぱりあれが根本にないと、凡人に森羅万象の正しい相対感は感覚できない気がする。ちなみに強姦は、狸も常々やってみたいやってみたいとは思いつつ残念ながら実際やったことがなく、これからやる予定もないので員数外(おい)。
 つまりたとえばポニーとクライド、あの周りに死体や迷惑だけふりまいて、結局150発の鉄砲玉を喰らって肉片と散った希代の強盗殺人バカップルだって、実質的和姦経験のない情緒欠乏系犯罪者よりは、なんぼか仏度は高いわけである。

 ……えーと、年齢の関係でまだそっちにお目覚めでない方がいらっしゃいましたら、気にしないでくださいね。
 あるいは「私は大人ですが異性にも同性にも自分にもいっさい欲情しません」とゆー方がいらっしゃいましたら、すみませんすみません。どうぞ清らかな生涯をまっとうしてください。


01月18日 月  禅、遙かなり狸

 駅前のTUTAYAから半額クーポンが届いていたので、日雇い帰りに旧作を物色する。しかし本日は懐のつごうで教養娯楽予算は400円が上限、とゆー情けない状態なので、駅前店だと半額でも2本しか借りられない。熟慮の末に、高橋伴明監督の『禅』(去年のお正月公開)と、ジャン・クロード・ヴァン・ダム主演の『その男ヴァン・ダム』(これも去年のお正月公開――いや、一昨年の12月からだったか)という、なんでもあり名画座的2本立てを選択。どっちもBSですぐに放映ということはなさそうだし、地上波だと永遠に無理っぽい。

     ◇          ◇

 で、さっそく鑑賞したのが『禅』。
 これは道元を描いた宗教映画としても、生臭い人間を描いて定評ある高橋監督作品としても、一級品であった。けして狸が曹洞宗門徒だから褒めるのではない。
 まあぶっちゃけ曹洞宗が音頭を取って制作した作品であるのは確かだが、もともとハッピー科学だのブツダン学会だのとは違って、シヤワセな妄想世界に旅立ってはいないし、現世における権勢拡大が命でもないから、作品内ではキャッチーでド派手な奇跡もいっさい起こらないし、一般庶民の共感を得ようと道元禅師が解脱前にわざとらしく煩悩に悩んだりもしない。
 ならばただの優等生志向教化映画と思えば、これがとんでもない。高橋監督はあくまで高橋監督、己のフィルモグラフィーに通底する、煩悩まみれのしょーもない庶民に対する肯定も、揺るぎなく描いている。なにせ一般映画デビュー作『TATOO<刺青>あり』(昭和57・1982)では、その3年前に起きたあの陰惨きわまりない三菱銀行人質事件の犯人にすら(事件そのものはともかく彼のそこまでの人生において)共感を隠さなかった猛者である。それ以前のピンク映画(残念ながらタイトルは忘れてしまったが)でも、高校生の娘に売春させたのを咎める教師に、あの朝霧友香さん(往年のピンク映画界の実力派女優)演じる母親が「あたしゃ12の時から客とってたよ!」とくってかかるシーンなど、今でも鮮明に記憶に残っている。(えーと、念のため、前者の強盗犯も後者の母親も、飽食日本中流家庭の育ちではありません。)

 つまるところ道元禅師の説く『只管打坐』とは、天皇陛下も乞食も犯罪者も、等しく『仏』であることを、現世において自覚、とゆーか、体得するための修行法なのである。
 仏の本態は、すなわち森羅万象等しく『在るがまま』である。無論、ひたすら座禅を組んで『在るがまま』に達する人間など、よほど仏っぽい資質がない限り、ふつう、いない。ただ、その己の『在るがまま』を最後まで自覚できずにのたれ死にしたとしても、同じ『仏』を内在していることに変わりはないのである。
 しかしそのことを、「信ずる者は救われる」だの「ひたすら念仏唱えてあの世で成仏しましょうね」などという惰弱な甘やかしで済ませてしまうと、皆様ご存知のとおり畜生以下の人間社会は、ごらんのとおりのすっげーみっともないありさまで存続し続けてしまうわけである。そこで「死んで仏に会ってどうする」と言いきり、ちょっとずつでも現世での『在るがまま』に近づこうとしながら生きるのが正道なのである、と、説いているだけなのです。
 この現世が、すでに『在るがまま』を内在した仏の世界であり、己も仏、他人も仏――そのことに、終わりなく気づき続けるための手法、それが『只管打坐』なのですね。

 ……ああっ、道元様、好き勝手に講釈してすみませんすみません。あくまで狸レベルの世迷い言です。

     ◇          ◇

 ところで、まあこれは、あの映画に関わった曹洞宗の方々の中にも気づいておられない方が多いのではないかと思うが、映画『禅』のすばらしいラストにおいて高橋監督は、あの己の色欲を恥じて永平寺を去った若い僧のみならず、女房に客とらして遊んで暮らして結局捨てられて乞食に身をおとし、おまけにその女房の得度した雲水姿に気づきもしないゴロツキ亭主(哀川翔さんが名演)さえ、実は道元と同等の存在として扱っているのですね。叡山のナマグサ僧兵連中などは、ことさら皮相のみの悪役表現で戯画っぽくコケにしているのに、なぜあの人間のクズとも言うべきゴロツキ亭主は、道元レベルに清々しく描かれているのか――はい、それは己の『在るがまま』を、社会常識でも共同幻想でも見栄でもなく、己の内から導き出し、それに従って生き続けているからですね。
 見栄贅沢のために強盗やるのも人間、最低限生きるために乞食やるのも人間、しかし後者のほうが仏度は高し。


01月17日 日  木の葉のお札、木の葉の船

 ……まだ17日になったばっかりなんですが。

 精巧な偽中国100元、国内で発見 記番号以外は「本物」
 1月16日1時52分配信 産経新聞

 
精巧に偽造された中国の100元(約1400円)紙幣「スーパーC100」が日本国内で6枚発見されていたことが15日、捜査関係者への取材で分かった。紙幣はすべて記番号が「BX08540356」。同じ番号が複数あることから偽造と分かるが、紙質やインクは鑑定の結果、本物と同じであることが判明した。換金目的で作製されたとみられ、東南アジアでも複数枚発見されたとの情報もあり、組織的に偽造された可能性が高い。警視庁は実態把握に乗り出した。
 捜査関係者によると、偽造された6枚の100元について、紙幣鑑別機の開発・製造会社「松村テクノロジー」(東京都台東区)に鑑定依頼があったのは昨年10月上旬。同社の鑑定士である松村喜秀社長が鑑定したところ、紙質の手触りや硬さなどは本物と酷似しており、記番号だけが薬品につけるとはがれた。粘着シール状のもので張り付けられていた疑いが強いという。松村社長によると、記番号を偽造した紙幣が発見されたのは世界初で、これまでに発見されたスーパーノート(精巧な偽札)とは性質が異なる。
 記番号部分だけが張り替えられたため、鑑定では偽札と判定された。ところが、この偽札は光を当てると図柄や文字が浮かび上がる真正の100元と同じ特殊インクを使用していることも分かった。このため、6枚は精巧に偽造されたものではなく、本物の紙幣と同じ製造工程で作られたとみられる。
 北朝鮮では朝鮮労働党や軍幹部が、偽100ドル札の製造・流通への指示に関与しているとされているが、日中外交筋は「中国でも軍が関与している可能性がある。本物の紙幣を勝手に作製しようとしたものの記番号だけが通し番号にできなかったため、張り付たのではないか」と軍関係者の関与を指摘する。
 中国国内では2008年末から昨年初めにかけて、偽100元札が大量に出回った。この時も紙質や精巧な印刷から本物と見分けがつかないといわれ、記番号「HD90」で始まるものが多いとされた。昨年には中朝国境付近で透かしやホログラムがあり、識別機でなければ判別できないような精巧な偽一万円札も見つかっている。この紙幣をもとに、さらに精巧な紙幣も作られているとの専門家の指摘もある。
 スーパーC100について、松村社長は「一般の偽札鑑別機では本物と認識されるため、99・9%の確率でATMやCD(キャッシュディスペンサー)を通過する。これまでに見つかった偽札と同様、換金のために日本などに持ち込まれたのだろう。世界各国でかなりの量が出回っている可能性がある」と話している。


 うわあ、北朝鮮特産のスーパーノートに関しては、さすがに北の首領狸様は化けっぷりが違うと感心したりもするのだが……まさか狸でないはずの軍人さんが、モノホンといっしょにこっそり刷ってるとはなあ。さすがは悠久の大中国。木の葉やどんぐりで苦労している狸仲間には、とうてい真似のできない至芸である。

     ◇          ◇

 うわあ、他の国心配してるバヤイじゃねえよ。
 宗男さんはあのキャラであの立場だから、何を言ってもかまわんわけだが、しゅ、首相自身が小沢さんに、検察庁と『闘ってください』って……。だめだこりゃ。やっぱり鳩山さん、『民主党小沢派』やってるだけで、国政やってる自覚はまったくなかったのね。やっぱり政権交代は10年早かった。小沢さんも、やっぱり権力者センスは角栄さんの推定5割引か。


01月16日 土  その日暮らしの手帖

 ……さっき昨日の分を更新してから、まだ5時間しかたっていないのだが、まあ16日にはなっている。
 日曜の仕事はもう決まっているのだが、明日のぶん、いや、今日のぶんが未確定で、どうやらアブれたらしい。ことほどさように日雇い暮らしは、文字どおり『その日暮らし』なのですな。しかし、下手に期間契約で寮に入ったりすればこそ、切られたとたんに派遣村あるいは橋の下か公園、そんな羽目にも陥るわけで、まあ巣穴さえ死守しておけば、2〜3日食わなくとも狸は死にません。人間も、たぶん。
 狸は定職時代からのなりゆきで、2Kなどという贅沢な穴に巣くっているが、もう四畳半一間に移ろうにも、引っ越しするためのオゼゼがそもそもありません。それに、自前の穴を中心に日雇い暮らしが成立するような地域だと、四畳半一間だって風呂付きなら月に最低4万はかかる。風呂なしだと2〜3万で済むようだが、ご存知のように狸はなかば入浴のために生きている存在でもあるので、風呂屋などに日参したら結局金がかかる。そもそもご近所から銭湯が消えた今、冬場に自転車通いするのはごめんだ。

     ◇          ◇

 おう、ついに石川知裕議員、逮捕。そりゃそーだ。結局鳩山さんはなんにもやらないで小沢さんの出番待ってるだけで、そんなの待ってたらアメリカさん方向がどうなってしまうか解らない。外国人地方参政権への固執だって、あの公明党ですらが、そんなに早急に表立って強行すべき事案とは思っていないはずだ。国民の大雑把な雰囲気も、「なーんだ、政権交代なんてやっても、ちまちま足踏みしてるだけじゃん」になりつつある。旧勢力がここでイッキに巻き返しに出るのは理の当然で、ナメていた小沢さんが大甘なのである。だいたい、自分が表に立ったとき、マジでアメリカと喧嘩して、同時に中国や韓国や台湾とのバランスも取る策が、本当にあるのか。自分が一花咲かせたかっただけではないのか。
 昔、中国寄りだった田中角栄さんがなかばアメリカにハメられて表舞台から失脚したときには、たとえ裏金まみれの土建屋さんでも、例の『日本列島改造論』でどこまで日本列島を引っかき回してくれるか見られなくなってちょっと残念、という気がしたものだが、今の民主党政権は、狸としてはなんの未練もない。だって本質的には自民と変わらんのだもん。だいたい、勝つあてもないのにマニュフェストがらみで仕方なくアメちゃんに喧嘩売って、結局、どうするつもりだったのよ。アメちゃんに嫌われた日本なんぞ、中国だってまともに相手にしちゃくれんぞ。朝日新聞系や左翼系評論家だけは褒めるかもしれんが。狸が子供の頃、夢中で旧ソ連や北朝鮮を誉めていた方々ですね。
 ……いかんいかん。狸の感情右翼がバレてしまう。って、とっくにバレてますね。

     ◇

 などといいつつ、今、いつもの投稿板を覗いたら、おお、なんとゆーことだ。ちまちま修正していた部分に気をとられ、ふたりの主人公の名前がまた入れ替わったりしていた。なんてことはない打ち流しの部分だからこそ、ミノ様に指摘されなかったら、とうぶん気づかなかっただろう。なまねこなまねこなまねこ。
 恥を忍んでまたまたまたまた修正し、続きを打って――いやいや、まずは通信講座のほうを進めねば。


01月15日 金  老狸の妄念

 うう、頭が晴れない。歯茎はまた腫れてきているのに、頭は晴れない。本日は予定より1時間も早く目覚め、頭がぐじぐじして二度寝もできず――まあこれは単なる老化現象かも――この前の板の更新部分を、発作的に修正してみたり。彩様から好意的なご感想と種々のご意見が届いていたのがとても嬉しく、一時間かけてお返しのコメなど打っていたらギリギリの時間になってしまい、あわてて出勤。
 本日は楽な封入仕事だったのだが、温かい場所で単調な小手先作業をえんえん繰り返していると、頭はぐじぐじと別のことを考えてしまい、定時で帰宅したとたんに、また板をしつこく修正してみたり。上げてから毎日のように修正し、あまつさえ今日は2回も修正してしまった。初めっからちゃんとやれよ、とツッコミが入るかもしれないが、毎日「あ、このほうがいいかも」と迷ってしまうのだから仕方がない。

 たとえば高校時代などは、ありがちな学園殺人事件物だのを、1年間脇目もふらずにこまごまとした文字で大学ノート2冊ぶんびっしり埋めたりもしていたわけだし、何年か前の完全無職期にも、ひと月半で500枚打ったりしていたわけである。もっとも前者は、今見ればストーリーそのものや語彙等はけっこうイケているものの、精神的にはやっぱり子供の作文で「はい、全部書き直し」としか言いようがないし、後者は、板で連載中にはお若い方々から好評をいただけたものの、その後の公募などで一応まともな評価をいただけるような形にするまでは、結局2年かかった。
 結果、今現在は、一章ごとになんとか納得できるまで練ってから先に進む、そんな進行状況である。まあ打鍵時間が小刻みにしかとれないためもあるが、やっぱり50を過ぎてしまうと、イキオイだけでどーっと猪突猛進するのは、体力的にも精神的にも不可能なのですね。

 まあ、それもよし。今さら原石っぽいものを闇雲にせっせと掘り出して山のように積み上げるよりは、良さげなどんぐりや綺麗そうな石ころを選んでちまちまと磨き上げているほうが、やがて狸自身は穴の中で白骨化、あるいはしゃっちょこばってる木乃伊になっても、どんぐりや石ころのほうだけは、「お、なんかツヤツヤして良さげ」と、拾ってくれる別の狸や、狐や栗鼠がいるかもしれませんしね。


01月13日 水  木枯らしに立つ狸

 まあ世間ではとっくに木枯らしなんぞ吹き終えた時候なわけだが、都市熱バリバリの地域で出稼ぎをやっていると、そうそう寒風に吹きさらされることがない。それでも久々に開けっぴろげな倉庫などで活動すると、いやあ、これがサミいのなんの。もともと暑がりの汗っかきなので動いている間はいいのだが、ひとしきり台車を搬送口に並べ終え、荷積みを待つ間が冷えて冷えてもうぷるぷるぷる。
 でも、負けません。このくらいで嘆いていては、ヒマラヤ高所の氷壁で今日も必死こいて獲物を追いかけている雪豹さんたちに笑われちゃうぞっ。狸は帰穴すればほかほかのお風呂、それも入浴剤でほんのり桃色のお湯につかり、思うさまフヤけられる。雪豹さんたちは一生お風呂に入らず、ごつごつの岩穴で過ごすのである。もっともあのあたりも、晴天の日中は暑いくらいになるらしいが。
 なぜいきなり雪豹の話になるのか――実はNHKのBS−hiで再放送している『プラネットアース』のシリーズを、毎日録画して眺めているのである。もちろんビンボな狸が見るのはアナログ信号変換された昭和レベルの球面ブラウン管映像だが、それでも充分ものすごいドキュメントなのである。生物も非生物も、とにかくこの世の森羅万象すべてが、ただ『在る』ために『在る』べくして『在る』、そんなことを実感させられる。なぜそんなものが『在らねばならぬ』のか、その意味は、『在る』ことにおいてすでに無意味なのである。『在る』ものは在るしかないのである。(じゃあ鬼畜野郎や人非人も『在るしかない』のか――いやいや、あれらは己の『在る』以上に他を『在らざる』とする存在ですからね、食物連鎖などとは訳が違う。ほっとくと森羅万象そのものが目減りしちゃうので、やっぱりナニするのが吉。)

 さて、打鍵中の『茉莉花館』も、あっちの板で細々と在り続け、ちょっと増えたりもしておりますので、よろしくです。
 でもそろそろ、ずうっと脳内に在りっぱなしの『たかちゃんトリオ』も、続きを語ってやらねばなあ。


01月11日 月  うろうろ

 結局昨日は朝から仕事が入った。本日はまた世間様なみの祝日になり、明日もどうやらアブれそうで、結局連休がとれそうだ。

 昨日の帰途、駅周辺にお嬢様方の晴れ着姿が目立ち、ようやく「あ、世間ではもう成人式なのだなあ」などと気づいたのだが、やっぱりあのぎこちないちょこちょこ歩行や色とりどりのナウい獅子頭は、なんか新手の和風カーニバルみたいですね。まあ、おめでた感は充分あるので吉。
 本日は自作打鍵物のロケハンのため、六本木から青山霊園へ、さら有栖川宮記念公園から白金台にかけて徘徊する。当初の予定では、いいかげんに記憶だけで打ち流す予定だったのだが、打っているうちに、西麻布交差点や都立中央図書館など、客観的確信が必要になってしまったのである。冒頭部のように主観的に細密描写するんなら、かえって地図や写真やテキスト情報から脳内構成できるんですけどね、エンタメ・パートの背景用にほんの一行で客観的に打ち流そうとすると、逆に自前の確固たる脳内イメージが必要になる。俳句といっしょですね。正式には今日が成人の日だから、土地柄、ハイソなお嬢様方の晴れ着姿など拝めるかと期待したのだが、どこも催事は昨日の日曜のうちに済ませてしまったらしく、ちょっと残念。

 帰宅後、いつものブラウザを開いたら、動画ニュースの見出しに『今年も大荒れの成人式』などとあり、心配して再生したら、なんじゃやら中学生のように無邪気な目立ちたがりの荒れ具合で、拍子抜け。二十歳にもなってあの幼稚さはちょっとアレな気もするのだけれど、昔の暴走族のようにマジで火炎瓶放りこもうとするよりは、よほど平和でいい。
 火炎瓶とか爆発物とか、そうしたギリギリを越えた社会的破綻は、きっちり『日陰の虫』化しているのだろう。夜中に公共施設の窓ガラスを大粉砕するとか。まあ昼日中にやらないぶんだけ、大人といえば大人ですね。


01月09日 土  明るい世界

【日本の未来、8割「暗い」=自分については6割楽観−新成人調査】
日本の未来について、新成人の8割が「暗い」とする一方、自身の未来は6割が「明るい」と思っていることが9日、インターネット調査会社「マクロミル」(東京)の調べで分かった。同社は昨年も新成人への意識調査を行っているが、数字はほぼ同じだった。
調査は昨年12月下旬、今年成人式を迎える男女を対象に実施。男女半数ずつの計516人の有効回答を分析した。
日本の未来に関しては、17.8%が「暗い」、61.4%が「どちらかといえば暗い」と回答。理由としては「景気が悪くなる一方で、年金問題などの解決のめどが立たない」や「政権交代でも、特に大きな変化がない」などの声が寄せられた。
一方、自分の未来については「明るい」が8.9%、「どちらかといえば明るい」も51.4%を占め、全体の6割が楽観的な見通しを示した。理由として挙げられたのは、「これから何でもでき、可能性がいっぱいある」「明確な目標がある」などだった。
【1月9日16時7分配信 時事通信】


 ――おう、おじさんはちょっと安心したぞ。そう、世の中なんぞなんぼ暗くても(まあほんとは暗い情報のほうが手軽にウケるので多めに垂れ流されてるだけなのだが)、自分まで律儀に暗くつきあういわれはない。この満ち足りた国で、どうしても暗すぎて周りが把握できないという若者がいたら、それはたぶん自分の認識能力を過小評価しているのだ。

     ◇          ◇

 若者よりは先の短い狸さえ、日々種々の鬱要素に蝕まれながらも、たとえば今日のような晴天下に巷を徘徊していると、この世界はやはり光の世界である、と確信できる。
 たとえば、女性たちのおしりである。
 思わず拉致していっしょにお風呂に入りたくなるようなろりの清らかなおしり。あるいは「うああああ、お、奥さん、あなたのおしりは菩薩様のおしりです」などと心でつぶやきながら思わずしばし後をつけてしまうような豊饒なおしり。それとも年の頃ならろりと奥様の狭間くらい、「こ、これはもーこの一瞬を逃さず種付けするしかないでしょ!」というような優良牡馬的曲線美――これこのように、世間は無慮数のまばゆい恵みの光に充ち満ちているのである。
 問題は、かなりの覚悟をしないとそれらの光源の温感や触感を確認できない、という点にあるのだけれど、日雇いだってちょっと根気入れればそこそこ体感できる光もあるし、仮に無一文のホームレスに堕ちたとしても絶望する必要はない。生きている限り光は楽しめる。三重苦のヘレン・ケラーさんにだって、光を認識する手段は立派にあったのである。
 これで世間から男の尻というものがなくなれば、もっともっと日本も明るくなると思うのだが、まあ、そっちのほうが明るくて温かいという意見も少なくないので、おおらかに接しながら明るく生きよう、とまあ、そのように心に定める狸なのであった、まる、と。


01月08日 金  我は膿の子

 いきなし黴菌だらけの不快なシャレで、すみませんすみません。いや、昨夜、寝る前に歯を磨いてたら、歯茎が腫れ上がってるのに気づいたんですね。触ってみたら、ぷよぷよ。はい、きっちり膿んでる感触ですね。
 実はその部分、ウン10年前に茨城県は取手市の某駅ビルで某テナントの某店長やってた頃、歯医者に行く暇もなくてめいっぱい神経むき出しになった虫歯に、はんぶんアルツの老歯科医によって恐怖の治療を施されてしまった跡である。すでに神経は根こそぎ薬殺されて痛くもなんともないのに、奥の黴菌君たちは細々と生き残り、何年かに一度しっかり繁殖してくれるという。一度じっくり根治するべきなのだろうが、なにせその老医師、手先をぷるぷるさせながら二度も詰め物に失敗し、3度目は業を煮やして歯の大半を削り、どーんと全体に金属を被せてしまった。つまり、もう金属ごと引っこ抜くしか治療法はない。
 とにかく何をやっても痛くないのが取り柄なので、手持ちの精密ピンセットを熱湯消毒して、豪快に突き破ってしまう。当然トロトロと血膿が流れ、あっけなく歯茎はもとどおり。まああまり気持ちのいい話ではないが、膿なんてのは黴菌の『死骸』ですからね。生きてる黴菌よりはまだ始末がいい。で、今日もいちんちしっかり働いて、特に腫れが復活する兆しはない。でもまた腫れるようだったら、抗生物質もらってこないとなあ。近頃、持病の扁桃腺が腫れないと思っていたら、こんなところが腫れてたのね。やっぱり去年後半のなんかいろいろで、体質が変わったのかもしれない。
 ところで、甘木様は鼻孔の奥あたりが化膿して苦労してるらしいが、そこらへんは神経殺すわけにもいかないだろうなあ。どうか若さでのりきってください、などとやくたいもないエールを送る、先のない老狸が一匹。

 さて、明日は休みだ。打つぞ。でもその前に、あっちの勉強もせんと受講料が無駄になるぞ。つくづくシャブかなんか一発キメたいよなあ。前にも愚痴った気がするが、シャブだのクサだのは、暇な遊び人でなく、多忙な貧乏人が計画的に使用してこそ、社会的に生きるんですけどね。


01月07日 木  無償の愛

 安かろう悪かろう、という表現は、まあおおむね万事に適合するアレなのだが、これが無料となると、また話は違ってくる。
 おとつい紹介した、青空文庫さんなども良い例ですね。人間というものには、無償だからこそ、ある行為に無限の愛を惜しみなく注げる、そんな特性がある。その証拠に、いわゆる『商品』として流通するモノ、およびその販促関連物は、物質にせよ情報にせよ結局コストや需要といった条件に縛られてしまうので、絶対にパーソナルな無限の愛はこめられない。

 ご存知の方も多いと思うが、Windows付属のメディアプレーヤーとか、リアルプレーヤーとか、アップルやソニーのダウンロード関連プレーヤーとか、世の中には企業サイドの配布する有償無償の音楽ファイル再生ソフトは多々あるが、まず、まともな音は出ない。音質向上ナントカ機能を使おうが、イコライザーをいじくりまわそうが、そもそもデフォルトの音がカサカサなので、どうしようもないのである。もちろん大多数の方々が、それらのソフトで楽しいミュージックライフを営んでいらっしゃるのだから、狸の耳のほうがまともでない可能性はあるが、狸としては親にもらったこのかわいい狸耳を、勝手にとりかえるわけにはいかないのである。で、ビンボのくせに執念深い狸は、ネットの海に漂う種々のフリーソフトを試して、もー力いっぱいCPUパワーを必要とするけれどやたらアナログっぽい音を聞かせてくれるマニアックなスグレモノを探し当て、じっくり音楽を聴きたいときは、他のパソ作業を中止して、そのソフトだけ立ち上げて鑑賞していた。
 ところが先日、その再生ソフトが使用できなくなった。いきなり音が割れ始めたのである。理由は不明。別に新しいソフトやドライバーは入れていないから、そっちの競合ではないだろう。まあ、例のWindows自動アップデートで、また環境が変わってしまったのではないかと思われる。こうして古いフリーソフトは、どんどん滅びていく。作者様がこまめに対応してくれるのを期待するしかない。
 で、とりあえず、また新しい(古い?)スグレモノを探し回ること、しばし――。はい、めでたく見つかりました。『MP3Deck』という、MP3ファイル再生以外にはほとんど機能のない、それもドラッグ・アンド・ドロップ再生さえできない、今どきとんでもねー旧弊なフリーソフトである。ところが、その音を聴いてびっくり仰天。たいしてCPUも食っていないのに、以前使っていたスグレモノよりも快適な音を出すのである。まあ音の分離感などは少々劣る気もするが、文句なしに艶やか。たとえば国府田マリ子さんのアニソンなど再生した日にゃ、あのトロトロと丸みをおびたボーカルの潤いが、昔の高級MDデッキに到達する寸止め、そのくらい艶やかに再現できる。音源は何分の一にも圧縮されたMP3だし、音源ボードを変えたわけでもなんでもないのにですよ。
 そこんとこの技術的な詳しい理屈などはちっとも解らないのだけれど、ともあれ、パーソナルな無限の愛がそのソフトにこめられているのは間違いないだろう。

 ああ、自分もせっかくアマなのだから、己の打鍵物にも『フリー』な無限の愛をこめねばなあ――などと痛感させられる、新年早々の出来事であった。
 真のおたく道は、やっぱり無償の愛の道でしょ。


01月05日 火  正月や 冥土の旅の一里塚 目出度くもなし目出度くもあり

 歳月が流れるということのありがたい例を、ひとつ。
 ここをつっついてみてください。
 いや、アヤしいページではありません。何度か話題に上げた、青空文庫さんです。著作権の切れた文学作品を、せっせとテキスト化してくれる、ありがたいボランティアの方々の梁山泊ですね。
 で、ついに橘外男先生の作品が、公開され始めたのである。50年前に他界されてしまったこと自体は哀しいが、50年後にこうして多くの作品が再び公の場に広く紹介され、先々まで誰でも読める存在となる、これもまた歳月のなせる業に他ならない。狸が小学校時代に子供向けにリライトされた『亡霊怪猫屋敷』を読んで以来なんとなく愛着し続け、高校時代に怪奇小説アンソロジーで『蒲団』を読んで「ううむ、この惻々とした語り口は、岡本綺堂の怪談を越えている!」と確信したり、『逗子物語』を読んで「うああああ、真の怪談は、やっぱり愛に帰結するでしょ愛!」などとハゲしく目覚めてしまったり、何かと勝手にお世話になりつづけた橘先生物件が、ついに広大なネット空間に復活するのである。
 まあ正直、敬愛する狸の目から見ても、確かに万人にとっての名作と言いきれる作品は多くなく、上記した短編『蒲団』や『逗子物語』が、古典的名作として種々のアンソロジーで絶え間なく採り上げられ続ける以外は、ほとんどやっぱりレトロ伝奇マニアにとっての愛玩物なのだが、それだけに他の作品を現在読もうとすると、とんでもねー値段になってしまっている古書を探すしかない。よって、ここ数年の貧しい狸は、ただ垂涎しているしかなかったのだが――ふっふっふ、こーゆータイプの作家こそ、まさに青空文庫にジャスト・フィットなのですね。
 とりあえず、あの『人を呼ぶ湖』が作業中なのはありがたい。うふふふふ、あの狸の記憶の底でなんじゃやら昔からうにうにとアヤしげに蠢いてやまない話を、ようやく実物で再確認できるのだ。どうやらあの作品は、昔の少女雑誌に別名で発表された物件らしいから、再確認して「ああ、こんなもんだったのか」と拍子抜けするのか、それとも「うああああ」になるのかまだ解らないが、ともあれロハ、しかも自分でなんぼでも構成分析したり加工できたりするデジタルテキストが入手できるのである。こりはものすごいことなんですよ、どんだけの方々が実感してるかわかりませんけど。
 しかし現在レトロ・マイナー扱いとはいえ、昔は立派な売れっ子直木賞作家、やっぱり全作品はフォローしきれないだろうなあ。とりあえず、あの、揃いで何万円にもなってしまっている前世紀末発行の選集数冊ぶんだけは、フルにデジタル化していただきたいものである。

     ◇          ◇

 ああ、やっぱり座り仕事のDM封入は楽だった。こんな職場で直接の長期契約でも結べればいいのだが。
 日雇いはいちんち8時間やっても7000円程度だが、直のパートさんや契約のお爺ちゃんは、1万円以上もらっているらしい。しかし、それだけに、その方々は「今どきこんなボロい仕事を失ってたまるか」とばかり、もー特攻隊級のイキオイで封入の鬼となっている。あの方々が集団食中毒あるいは一酸化炭素中毒かなんかで総倒れにならない限り、やっぱり無理ですね。


01月04日 月  おこたでいろいろ

 録画しておいた10時間超の寄席番組を、耳だけで聴いたり瞥見したり熱中したり「ケッ」とか馬鹿にしたり「うわあ」とか驚いたり悶絶級に笑い転げたりなんかいろいろしながら、みかんを食ったり、ノートパソコンをぽこぽこしたり、昨年受講料払ったまんま放置状態だったホームヘルパー2級講座の通信教育分テキスト(これを進めながら、大塚でぼちぼち実技講習を受けたり、最終的にはどこぞの施設で実習するわけですね。タイムリミットは6月)をようやく勉強し始めたり、まあ新年2日目(世間では4日目ともいう)らしい、正しいおこたライフにいそしむ。

 狸もビンボなわりには、メインパソの他にノートパソコンも持っているわけで、私物打鍵も、通信講座の筆記問題のレポート下書きなどもおこた作業が可能なのだが、メインがいまだにXPなくらいだから、古いノートなどはなんとWindows98である。2000以降の何台かは換金可能だったのでとうに売り飛ばしてしまった。残りのゴミにしかならない98物件は、さすがにネットには恐くてもう繋げないが、使用頻度が少ないのでまだピカピカだし、メモリも64しか入ってないのに、エディタで大長編を扱ってもサクサク動く。USB端子もあるので、メインパソとのデータ交換に不都合はない。それに、入れっぱなしの古エロゲ(『恋姫』とか『リフレイン・ブルー』とか『魄冬』とか『腐り姫』とか)も、XPではまったく動かないか、メーカーのパッチ当てれば動くはずなのにやっぱりなぜか途中で固まったりするので、結局、ノート最古参のシンクパッドが、いまだにかわいかったりするのである。さすがにワードなどは、大きな文書を開くと遅くて遅くて使い物にならないが。

 昼飯はインスタントのチャンポンをいただき、おやつはお汁粉、夕飯は2日続けて鶏肉とみつばのお雑煮、発泡酒もあればつまみに焼き豚やチーズもある。雑煮の鶏とみつば以外は、すべて姉からの援助物資である。持つべきものはやはり物をくれたり金を貸してくれたりする身内そして友人知人である。『人』という字が、両側から支えあってできているように、『狸』という字も、狸と狸が支えあって――いねーよ、おい。狸は一方的に支えられているだけなのですね。まあ『人』だって、ほんとはひとりぶんの象形文字だ。金八先生、大嘘つき。

 さあて、明日からしばらくは、封入関係の楽な仕事が続くはずである。しかし楽なぶん収入は少ない。せいぜい金を使わないで、打鍵や勉強を――まあ気持ちだけは、そーゆー新年なのであった。


01月03日 日  今さら紅白

 起きがけに明るい晴天を見てしまうと、やはりいちんちおこたでみかんという気にもなれず、結局、下総中山の法華経寺に、初詣に出かけた。正月も3日になると、さすがに晴れ着姿は絶滅寸前、人出があるぶん猫出が少なく、少々サミしい。人間なんぞ年中無休でどこにでも群れているのだから、休日くらいは大量の猫が見たかったのよなあ。
 午後、早々に帰宅、自前の打鍵物をいじくり、板で他の方の物件も拝読。

     ◇          ◇

 で、じっくり再見した去年の紅白、矢沢さんのひとり勝ち、と言ってしまうのは少々酷か。
 紅白名物の美川VS小林キワモノ合戦も今回はかなり面白かったし、矢沢御大のそろそろ美空ひばり先生とタメ口たたけそうな桁違いの芸能力を見せつけられた直後、けして臆せずマイペースで歌いきったコブクロもおみごとだった。狸ご贔屓のSMAPも、マイケルの物真似コーナーでも持ち歌でも、あいかわらず健在だった。東方神起も、解散騒動でくたびれていた感はあったが、おばちゃまとしての「じゅるり」感はしっかり保っていた。他の方々は、それぞれのファンの方には申し訳ないが、狸から見ると、ベテランも若手も子供紅白も、あまり魂が共鳴しなかった。なんか薄味なのね。だいたい、あの声量そこそこで音程も不安定なスーザン・ボイルおばさんが鳴り物入りで出るってのは、そもそもおかしいでしょう。紅白は、素人のど自慢大会ではないはずだ。あの方は、単に『逆方向ルックス・パワー』がうけているだけなのではないか。もっともそれを言ってしまうと、日本のお若い女性陣だって、大半『正方向ルックス』頼みのシロト芸なのだけれど。

 その後、大晦日に録画しておいたマイケルの特集を見る。改めて絶句してしまうほどの、圧倒的体技。しかしオーラだけなら、矢沢御大も負けていない気がする。


01月02日 土  おこたでみかん

 ふう。やっぱり白物家電はシンドいわ。でも昔より時給が100円上がってたのは、やっぱり派遣会社も民主化されつつあるんでしょうね。この不景気に、ピンハネ前の元が上がったはずはないのである。
 さて、明日から2連休決定。はりきって打ちませう。などと言いつつ、『紅白』も『年忘れにっぽんの歌』も、まだざっと飛ばし見しただけだし、録画しっぱなしの『昭和なつかし亭』が約7時間、よさげなハイビジョン特集再放送の録画2本、さらに明日は『初笑い東西寄席』が3時間半――少なくとも丸一日は、おこたでみかんになるものと確信する。

               

 ほどよく脱力したところで、狸の、今年の目標。
 大巨獣ガッパになって熱海に上陸し、力いっぱい熱海城を粉砕する。
 理由は、宝くじが当たったからである。年末ジャンボ連番10枚買って、みごとに300円も当ててしまった。これが当たらないのは、抽選前に死んだ狸だけである。つまりたった2700円で、自分はまだ死んでいない狸だということが、白日の下に証明されたのである。この喜びを体で表現するには、あの正月早々ぬくぬくとフヤけきった温泉街を、思うさま破壊しつくすしかあるまい。
 ……でもその前に妻一匹と子を一匹作らないと、正しい大巨獣ガッパにはなれないと思うのだが、どうか。

           


01月01日 金  新春かしまし娘

たかこ「やっほー! いつものやさしいおねーちゃんやおにーちゃん、あけましておめでとぅお〜〜とうぉぉ〜〜〜とぅぉおぉぉ〜〜〜〜〜」
くにこ「んむ。たかこ、みごとにこぶしのきいた、りっぱな、ひとりこだまだ。おもわず、ふじさんのてっぺんにいるよーな、けーきのいいきぶんになったぞ。まるで、こうはくのちびっこコーナーでうたった、さくらまやのようだ」
たかこ「えっへん!」
くにこ「……んでも、ありゃあやっぱし、むじゃきなこどものうただな。ますこみのやつらも、あれを、へいせいの美空ひばり、なんつってると、美空せんせいのばちがあたるぞ。なんか、10さいにしてすでにまんまる天童よしみ、そんなカロリーまんてんの、こどもらしいのうてんきさしか、かんじないのだ。美空ひばりせんせいは、こどものころから、すでに夢や希望ではなく、深いあいしゅうをおびたじんせいの、みはてぬ『希求』に、たっしていたものだ」
たかこ「むー。……こほん。 ―― ♪ りんぐぉおぉおぉぉぉ〜〜〜ぬぉ〜〜はなぁあぁ〜〜びらぐわぁあぁぁ〜〜〜〜♪」
くにこ「うあああああ、や、やめてくれい、たかこ。なんか、おれのりょうの目から、ぬるまゆが、滝のようにながれて、とまんない。わかったわかった。おまいはたしかに、ひばりせんせいの、こころの弟子だ」
たかこ「こっくし!」
くにこ「んむ。しかし、もーこうなっては、おれも、だまってはいられないぞ。うたわねばなるまい。んでも、さすがのこのつよいおれでも、ただひとり、こぶしでたかこにたいこうするじしんは、ない。おい、ゆうこ。こっちに、くるのだ。あいかわらず、すみっこにちまちまひかえとらんで、おれたちもまけずに、いっしょにハモるのだ」
ゆうこ「こくこく……ぽ」
くにこ「おうし、んじゃ、いくぞ。 ――♪ はあぁあぁ〜〜〜るばる〜〜きたぜ はあ〜こだってぇうぇえぇぇぇ〜〜〜〜〜〜♪」
ゆうこ「…………」
くにこ「……なぜだ、ゆうこ。なぜ、ハモらない」
ゆうこ「――こほん。――あ〜あ〜、てすてす。――――♪ あぁ〜めにぬぅ〜れながらよご〜とに〜〜〜 ここ〜ろも〜とめあうまち〜か〜ど〜〜〜 ♪」
くにこ「……なぜだ、ゆうこ。なんでおまいは越路吹雪、『雨のしのび逢い』なのだ」
ゆうこ「♪ ふ〜りそそ〜ぐあめてのひ〜ら〜に〜〜 く〜ち〜び〜る〜をつけて〜すおぉおぉよぉぉ〜〜 ♪」
くにこ「お、おしえてくれ、ゆうこ。きょねんのあいだに、おまいに、なにがあったのだ。おろおろおろ」
ゆうこ「ぽ」
たかこ「はっはっは」