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05月29日 土  狸の独り言

 アブれたりアブれなかったり、その日暮らしに戻る。
 親の金で通学し、教室でこっそり読書や書き物に耽っていられた時代がいかに幸福であったか、あらためて痛感できたりもする。
 まあ当時は、ガキのことゆえ生意気に反抗期で親や社会に逆らったりもしたのだが、あれはやはり、若者を煽って稼ぐメディアの連中に洗脳されていた部分も少なくなかった。『狼生きろ豚は死ね』、などという言葉もあった。
 飼い主に従うことによって安穏を得るのは、なにも家畜という経済動物ばかりではない。そもそも確かに豚小屋の豚は、いずれ潰されて飼い主の食い扶持へと転化するだけの存在だろうが、それ自体に、とてもおいしいという無自覚の美点がある。また狩猟民族にとっての犬や、農耕民族にとっての牛や馬は、多く人間と対等の共生関係にあったわけだし、猫などに至っては、ある意味飼い主の無私の愛を徒に貪るだけの搾取者である。人間より偉いのである。
 まあ若者の視点から狼が格好良く見えるのは、単に人間に媚びないという部分を『孤高』と錯覚してしまうのだろうけれど、狼は狼なりに群れのヒエラルキーに従って生きているわけで、結局狼の世間では、強狼に従い弱狼を従えながら、明日をも知れぬその日暮らしを死ぬまで生きるだけである。豚を食えば豚よりかっこいいなら、狼よりかっこいいのは、その屍肉を養分とする微生物や植物ということになってしまう。「いや、自分の意思で弱者を屈服させること自体がかっこいいのだ」というなら、前述したように狼も屈服と君臨を適宜使い分けているだけなので、ある意味、豚より姑息でいやらしい。
 要は『気の持ちよう』、それだけである。
 尾崎豊だって、あと10年生きていたら、そしてシャブをやめていたら、それこそ大槻ケンヂのようにマイペースな猫になっていないとも限らない。

          ◇          ◇

 ちなみに狸は雑食の野良なので、狼さんとも豚さんとも、同じようには生きられません。といって牛馬にも猫にもなれず、結局なんだかよくわからないものに化けたがったりしながら、死ぬまで狸生を続けるのでしょう。


05月27日 木  徘徊

 本日もお休み、というより、大塚駅前のクリニックで検診の診断書をもらい、へルパー教室の事務所で現場実習の申込。

 先日は午後まで寝倒し、今朝は夜明けまでなんかいろいろしていたので、今日もまた午後まで寝倒したかったのだが、夕方から雨になるという予報が気になり、3時間ほど寝ただけで大塚に出向いた。都会のクリニックは夜まで営業しているため、昼休みが長い。午後1時から4時まで閉まってしまう。午後まで寝ていたのでは、夕方の雨に遭う確率が高い。
 で、昼前には用事を済ませ、天気もそこそこ良かったので、久々に気が済むまで徒歩徘徊することにした。土地鑑も地図もないのに、漠然とした机上の記憶に従って、見知らぬ裏道をひたすら縫ってゆくわけである。万一道に迷ったとしても、どうせ山手線の内側のこと、力尽きて死なない限り、都電なり地下鉄なりJRなり、なんらかの路線にはぶち当たる。大通りにはバスだって走ってますしね。

 とりあえず大塚から雑司ヶ谷霊園を目ざし、東池袋の高層ビル群に睥睨される路地裏をあっちに曲がりこっちに曲がりしていると、それこそ三丁目の夕日もビビりそうな廃屋じみた木造家屋がウヨウヨしており、その薄汚れた板壁の窓枠だけが最新のサッシに替えられてしぶとく現役民家を続けている様は、狸世代にとってつくづく懐かしい。そうして無事に雑司ヶ谷霊園にたどりつき、心ゆくまで墓見をする。次に回ろうと思っていた旧・雑司ヶ谷宣教師館への道のりは、霊園にきっちり案内板があったのでなんなく到達、こぢんまりと質素ながら古き良きアメリカのコロニアル様式っぽい木造洋館の内部を、ふんふんふんと嗅ぎ回る。明治大正の雑司ヶ谷あたりは、ほんとに畑だらけの田舎で、多少なりとも賑わっていたのは駅前くらいのようだ。宣教師さんたちも、畑仕事で苦労したのね。
 さて、次はどっち方向を嗅ぎ回ろうか、などと宣教師館の二階から外を見ていたら、いきなりの驟雨。まだ昼過ぎである。天気予報を鵜呑みにするほどアルツではない狸だが、それにしても当たらない。館内には狸がただ一匹だったので、一時間ほど館の主と化し、ぎしぎしと軋む黒光りのする床を肉球で叩いて回ったり、暖炉に鼻を突っこんだりして過ごす。こぢんまりとしていながら、ちょっとした廊下や踊り場といった『余白』も大事にされている古い建築物は、なんぼ周回しても飽きない。
 そのうち雨が上がったので、なにがなし小石川植物園方向をめざす。これも机上の記憶に従っただけで、どの道をどう歩くなどといった確信はまったくない。東に歩けばそのうち着くはず、そんな程度のノリである。途中でコンビニの100円お握りを買って、公園の水を飲みながら食ったり、また驟雨に遭って公園のトイレに足止めくったりしながら、小石川から本郷、そして上野まで徘徊したおした。
 さすがにヨレヨレになって帰穴し、パソのプロアトラスで距離を測ってみたら、10キロ程度しか歩いていない。大江戸は狭いのである。まあ、去年の徘徊(狸穴から柴又までの約8キロ)よりは歩いたので、良しとしよう。

          ◇          ◇

 ちなみに今回の徘徊は、写真が一枚もありません。なんとなれば、姉からもらったデジカメを、こないだ講習の帰りに秋葉原の『じゃんぱら』で売り飛ばしてしまったからです。安物とはいえさすが900万画素、6000円で買ってもらえました。はっはっは、これで何日食いつなげるか。などと言いつつ、明日からまた日雇い暮らし。
 今夜中には、あっちの板も更新しておきたいものである。


05月25日 火  実技修了

【レクリエーション体験学習】【共感的理解と基本的態度の形成】。
 ほう、昔、母親の認知症が今ほど悪化していなかった頃、デイケアの現場を見学させてもらったことはあったのだが、たわいないお遊戯会のように見えた種々のゲームも、やはり精神的な鈍磨や肉体的な運動不足を、ちょっとでも活性化するように考えられていたのですね。しかし今回、介護される側として、先生のリードで遊んだときは、内心「……俺ってアルツ?」と真剣に悩んでしまった。だって指や手の反応が、定年間近なおっさんよりも鈍いのである。あの頃の母よりもトロいのである。つくづく不活性化してしまった狸の今日この頃。まあ確かに、日々機械的な単純労働やってるだけだもんなあ。私物打鍵のほうも、指を使っているのだからなんぼかボケ防止にはなっているはずだが、臨機応変のレスポンスには無縁だ。脳味噌だって、あーでもーねーこーでもねーと、悩むばっかしですもんね。
 後半は受講生が6人のグループに別れて、それぞれが利用者(車椅子の頑固親父)、その老妻(介護疲れぎみ)、息子夫婦(別居)、近所の野次馬おばさん、そしてホームヘルパーに扮し、なんかいろいろロールプレーイング。狸は当然、車椅子で我が儘言ってるだけの役。しかし車椅子で愚痴をこぼすだけでも、厄介者扱いになってしまった老人の孤独は味わえるわけで、それもまたヘルパー側としての気配りに繋がるわけである。

          ◇          ◇

 これで教室での実技講習は修了、あとは明後日に健康診断の結果が出たら、いよいよ現場実習の申込――。
 昼の講習と夜の宿題(いちんちごとにレポートが要るのである)で、この一週間まったく日雇いに出ていない。当然懐には、恥ずかしい話だが万札一枚残っていない。実習までに稼いでおかないとなあ。でもとりあえず、明日はお休み。寝るぞ。


05月24日 月  しつこく実技

【食事の介護】【排泄・尿失禁の介護】。
 あ、きのう記した森敦先生の話は、今日やったほうが、ネタかぶって良かったかな。
 今のところあくまで教室内での実技なので、介護される側の役と介護する側の役をとっかえひっかえ演じるだけで、マジな糞尿に接するのは現場の実習に出てからなのだろうが、まあ、そのあたりの修行は幼時に済ませているので、近頃のハイテク素材のオムツ交換など、歯牙にもかけない狸です。チョンガーなので赤ん坊のオムツを替えたことはないが、祖母のオムツは替えたことがある。もちろん布である。洗って再利用するのである。昭和40年代の話だ。
 なんにせよ、イキモノが口からモノを食って尻から残滓を出すのは理の当然だし、長男の嫁への憎悪のためか内孫にも死ぬまで愛情らしい愛情を表してくれなかった祖母だって、彼女がいなければ狸もこの世に存在できなかったのだから、やっぱり今になってみれば、心底嫌々ながらでも、あのとき世話しておいて良かったという気はする。おまけに今後、赤の他人にそうすることによって生計が立てられるようになるなら、あれも立派な13歳のハローワークだったわけである。
 それよりも狸にとっては、むしろ【食事の介護】で、介護される役に回ったときの困惑のほうが大きかった。つまり、自分では手も足も出せずに、他人からちまちま給餌されることの悲哀。あるいは、アイマスクをかけて突然全盲となり、他人のナビゲーションで箸を使うことの、とんでもねー難儀さと焦燥感。
 やっぱり出すより食うほうが、今の野良狸にとっては大問題なのだな。


05月23日 日  日曜も実技

【介護者の健康管理】【入浴の介護】【身体の清潔(洗髪)】。
 まあ後ろのふたつはご想像のとおりの内容と思ってもらって間違いないと思うが、トップの対象が【利用者】ではなく【介護者】なのにご注目。つまり、ケアされる側のみならずケアする側も、自身のストレスマネンジメントや、ボディメカニクスにとことん気を使わないと心身ともにポシャるぞ、つまり鬱ったり腰いわしたりして脱落するぞ――そんな世界なのですな、マジに介護の世界って奴は。
 解ってます。祖母や母と、かなりズブドロに、何年かつき合いましたので。身内でさえ道端に捨てたくなったり風呂に沈めたりしたくなるような関係を、赤の他人と持たねばならないわけである。
 などと殺伐と煽るいっぽう、いざ入浴や洗髪といった実技に入ると――いやあ、やっぱり人間という奴は、果てしなく賢いイキモノである。少なくとも物理的な部分は、ハイテクやローテクを駆使して、まあなんとかしてしまうものなのである。
 そうなると、残るは結局お互いの精神的ななんかいろいろだが、これは全人類がマザー・テレサ化することが不可能な以上、やっぱり仏の道に歩みよるしかないと思われる。

          ◇          ◇

 狸の敬愛する故・森敦先生が、晩年かなり体が弱ってから、あるお寺の廊下で歩行中に失禁してしまったことがある。早い話が、突然の下痢を堪えきれず、着衣のまま力いっぱい垂れ流してしまったのである。で、それをお坊さんや知人の女性が後始末してくれたわけだが、そのあたりの描写(森先生自身のエッセイの)が、なんともいえず淡々として静謐、まさに『空』の世界なのですね。
 まあ、あなたもわたしも、人間も大便も、同じ存在なのですよ。この世界に『在る』ものとしては。


05月21日 金  本日も実技

【緊急時の対応】【衣類着脱の介助】、以上。
 本来ホームヘルパーは医師や看護師の領分にタッチしてはいけないので、なんかあったら即連絡が原則なわけだが、医者や救急車が来るまで、ただぼーっと突っ立ってるのもなんかアレである。突然心臓の止まったお年寄りがいたら心臓マッサージだってやらなきゃあかんわけだし、お餅を喉に詰まらせたら吐き出させる方法も知らなきゃまずいわけだ。と、ゆーわけで、他にも三角巾のフル活用とかなんかいろいろ、手先の不器用な狸には苦手な実技を経験してきた。あと、寝たきりの方の浴衣を寝たまんま替えてあげる手順とか、半身麻痺の方にパジャマ着せてあげる手順とか。
 昔、いわゆる等身大ドールなどもいっとき所有していた狸としては、全ての等身大ドールのユーザーに、ぜひいっぺんホームヘルパー2級講座を受けるべしと、強く推奨するしだいである。いや、なんぼマッサージしても心臓動きませんけどね、ソフビちゃんもシリコンちゃんも。でも、あの着せ替えという過酷な重労働が、格段に合理化できることは保証します。
 さて、明日は休みだ。さあ、寝るぞ打つぞ洗濯するぞ掃除する……いや、掃除はいいか、GWにやったばかりだしな。でもこの陽気だと、洗濯だけは、やらんとまずいわなあ。


05月20日 木  本日の実技

【体位交換と褥瘡への対応】【車イスでの移動の介護】【視覚障害者の介護の方法】、以上。
 まあ、こーゆーことを小学生の内に知っていたら、寝たきり祖母への対応なども、なんぼか楽だったろうと思われる。ボディーメカニクスの理論に従えば、身長150弱の細っこいお嬢さんでさえ、172センチ73キロ(近頃またちょっとビンボ太りしている)の半身不随狸を、ベッドでころころ転がしたり、車椅子に乗せたりできるのである。ただし、ちょっとしくじるとやっぱり腰がヤバそう。
 狸も『アルプスの少女ハイジ』に出演する自信がついた。クララの車椅子を押して、ハイジの待つアルムに連れて行ってやるセバスチャンの役がいい。で、ちょっとしくじって自分がギックリやって、寝たきりになって、ハイジにころころ転がしてもらったりするのね。


05月19日 水  にっぽん、ちゃちゃちゃ

 くら様のところでも詳しくやっているが、口蹄疫問題、ようやく一般マスコミでも解禁されたようだ。GW前からの大騒動は、東国原と宮崎が悪い、で済まされそうな気配。火事が燃え広がるまで、含むところあって放置していた鳩山政権は、火事場の後始末に気前よく1000億円投入するつもりらしい。頭おかしーんじゃねーか、おまいら。ここまで箝口令に従っていた、すべての報道メディアも同罪。
 しかし、あいかわらず朝日新聞社が面白い。さすがに朝日新聞も鳩山を褒める気力はなくなったようだが、週間朝日などは、いまだに必死で持ち上げようとがんばっている。何が悲しゅうて、現在の民主党を社会党以来の左仲間扱いしているのか。まさか、いまだに中国や北朝鮮も『共産主義国家』だと信じているわけではあるまいな。

          ◇          ◇

 本日の授業、【介護の心構え】【寝具の整え方】【身体の清潔(細部の清潔・清拭)】。寝たきり老人をベッドに寝かせたまま、15分でシーツ交換できるようになった。狸も進化しているのである。
 受講生の中に、日本の病院でヘルパーとして働いているカンボジアの方がおり、働きづめに働いて月給17万と聞いた。1日8時間労働に甘んじていたら、12〜3万にしかならないそうだ。それでも母国よりは格段の高給らしい。仕事は当然3K寄りである。うっかりするとギックリ腰をやりそうにもなるし、ひと晩40人のお年寄りのオシメを替えるそうだ。それでも日本の看護師さんは親切だから仕事がしやすいと言う。日本語の発音はぎこちないがいちおう話せる方なので、もとから親日なのかもしれない。
 鳩山さんや小沢さんも、いっぺん介護現場で模擬訓練でもやってみるといい。あと、近頃のヤワラちゃんなんかも。


05月17日 月  綱渡りは続くよどこまでも

 明日もアブれずに済んだ。しかし水曜からは、あっちの講座の実技授業の連チャンが始まる。ほぼ一週間(間に一日休みはあるが)の消費オンリー通学生活、どこまで切りつめられるか。それ以降の4回の現場実習も、すべての回のレポート提出も、6月中に済ませないと授業料が無駄になる。こまったもんだ、などと他人事のように言いながら、実は近頃、朝起き出すときに気が重くて気が重くて仕方がない。
 まあ、せいぜい自分が電車を止める側にだけは回るまいと思う。

          ◇          ◇

『傷ついた翼は飛びながら治す』――鬱の治療を受けている(いた?)という、某中堅漫画家さんのHPで見た言葉である。一般企業の正社員と違い、長期休暇をとって治療に専念するのが不可能な人間は、電車を止めたりぶら下がったりしない限り、あるいは生活保護生活にでも甘んじない限り、破れた翼で必死にはばたき続けるしかないのである。でも、重いながらに潔い言葉ですよね。『傷ついた翼は飛びながら治す』。過去にある程度のヒット作を輩出した方だからこそ、説得力がある。

          ◇          ◇

 もともと翼もなく、地べたを這い回るしか能のない狸の場合、せいぜい夜中にこっそり、でんぐりがえり続けるしかなかったりする。


05月14日 金  狸の綱渡り

 本日はアブれた。明日もアブれそうだ。
 日雇いの事務所に今週分の日銭を受け取りに行ったが、3日分しか溜まっていない。先月から滞っていた光熱費やら通信費やら、母親関係のなんたらに始末をつけたら、手元には約2千円しか残らなかった。日月とアブれなければ、月曜の夜には2日分の日銭が入るわけだが、それまで2千円ポッキリで暮らさねばならない。ことほどさように、敗残者の道は荊の道である。

          ◇          ◇

 S嬢から送られてきていた50枚ほどの児童短編小説を、じっくりと読んだ。『嬢』と言っても大学漫研の2年後輩だから、すでに立派な女史ですね。本業は主婦らしいが、すでに童話の本を出したり、小学生新聞に小説の連載を持ったこともある、立派なセミプロである。当然、万年アマの狸が今さら何を助言できるはずもないのだが、なにか公募に出す予定の作品らしく、事前に多くの人や狸や狐の意見も聞きたいのだろう。内容は、生霊君も出てきたりする、狸好みの現実生活密着型少年ファンタジーだった。さすがにプロなのでよく練られており、つっつきどころは僅少。演出や話運びに注文を入れたい所もあるが、ほとんどは狸の好みの問題だ。50枚にまとめるには情報量が多めにも思えたが、今どきのお子さんたちは、こんくらいポンポンと話を運ばないと、飽きてしまいそうな気もするし。だいたい、近頃の小学生高学年向けの児童文学の呼吸など、古狸はちっとも知らないのである。佐藤さとる先生のコロボックル物が、最後に読んだ児童文学だ。ムーミンは今でも読み返すが、あれは大人も子供も関係ない文学世界だしな。

          ◇          ◇

 ちょこちょこと打ち続けていた自作、勇介の母親が登場する部分を数枚、涙を飲んで捨てることにする。どう考えても、この母親に勇介の行動を容認することはできない。残念だが直前に旅行に出てもらい、出撃の場から消えてもらうことにした。ああ、お母さん、ごめんねごめんね、無茶な息子で。
 でも、これでようやくクライマックスに突入できそうだ。


05月11日 火  通学狸

 明け方に目覚めると隣に見知らぬ若い女性が寝ていたのでさっそく仲良くしようとしたらそれは懐かしきリアルタイプのマネキン人形であり愕然としたところでまた目が覚めたなどという情けない有様の狸に未来があるのかはどうかはちょっとこっちに置いといて、本日と昨日は、ホームヘルパー2級講座の実技授業に出るため大塚に出向いていた。
 最初の2日は、座りっぱなしの講義形式、まさに学生時代のような『授業』である。日曜も午後勤で働いていたので、月曜はほぼ一睡も出来ずに出席、本日も3時間程度しか眠れなかったのだが、このところ体内時計が完全に破壊されているせいか、不思議に睡魔に襲われなかった。講師の女性たちが介護現場バリバリの方々であり、テキストに沿って講義するというよりは、現場心得・現場裏話のような内容が多かったせいもあるだろう。つまり介護という職業も、不特定多数の人間に直接関わる職業である限り、生臭いサービス業なのである。まあ、キャバクラで野郎どものナニをコイてやるのも、寝たきり老人の排泄物を清拭するのも、利用者側から見れば同じ奉仕である。人が生きるということは、そーゆーことなのである。
 受講者が、また様々で面白いのですね。狸のような失業者もいれば、すでに介護ビジネスを始めているという茶髪のアンチャン(狸から見ればアンチャンに見えるだけで、実際は30過ぎてるのだろうが)もおり、また定年後の再就職のためというおっさん、母親が呆け始めてあわてて受講している奥さん、そんな方々が、むしろお若い方々以上に多く受講しているわけである。でも半数近くはお若い方々だったので、なんとなく安心したりもする。
 さて、来週はいよいよ模擬的な実技に入るわけだが――どうも、資格取得まで金が続くかどうか怪しくなってきた。受講する日は働けない。当たり前だ。しかしまあ、好奇心が満たされるという点においては、下手な映画など観るより、よほど面白いのも確かである。講師の女性たちが、実にドライにセクハラなど笑い飛ばしながら、合理性と不合理と奉仕性と損得勘定のバランスを取って生きる様は、狸には驚異的な仏性を帯びて見える。
 滅私奉公は、ある意味、鬼畜より仏に遠い。仏とは調和なのである。

     ◇          ◇

 で、久々にアンコの出そうな朝のラッシュというものを体験し、これにはつくづく疲れた。特に本日など、横須賀線の人身事故と、錦糸町の線路内立ち入り(つまり人身事故を志願して失敗したらしい)のダブルパンチを食らい、人間バッテラ状態で10分ほど総武線が止まった。ゴールデンウィーク明けで、会社に出たくなくなったおっさんやお兄さんが、ついついあの世にダイブしたくなる頃合いなのか。
 そう簡単に極楽には行けませんぞ。地獄から直行できる極楽などない。それより現世で寝たきりになって、ヘルパーさんに排泄物を清拭してもらおうではありませんか。


05月08日 土  消沈

小林薫死刑囚:新潮社に30万円支払い命令 名誉棄損訴訟
奈良市で04年11月に起きた女児誘拐殺人事件で死刑判決が確定している小林薫死刑囚(41)が「週刊新潮」の記事を巡って起こした名誉棄損訴訟の判決が30日、大阪地裁であった。揖斐(いび)潔裁判長は「記事は重要な部分で真実であると認められない」と小林死刑囚の訴えを一部認め、新潮社に対して30万円の支払いを命じた。判決によると問題の記事は「もっと生きたいと言い出した少女誘拐『死刑囚』小林薫」の見出しで08年1月3・10日号に掲載。 【毎日新聞 2010年4月30日 22時50分】

奈良・女児誘拐殺人:名誉棄損訴訟で小林死刑囚に尋問 大阪地裁、収監先の拘置所内で
奈良市で04年11月に起きた女児誘拐殺人事件で、1審・奈良地裁(06年9月)の死刑判決が確定している小林薫死刑囚(41)が起こした名誉棄損訴訟で、大阪地裁が今年1月下旬、小林死刑囚を収監先の大阪拘置所で尋問したことが分かった。機密性が高い死刑囚の尋問が明らかになるのは極めて異例。
名誉棄損訴訟は、週刊新潮08年1月3・10日号が「もっと生きたいと言い出した少女誘拐『死刑囚』小林薫」の見出しで記事を掲載し、小林死刑囚が08年12月、新潮社などを相手取り慰謝料計300万円の支払いを求めて大阪地裁に提訴したもの。
関係者によると、尋問は拘置所の講堂で行われ、大阪地裁の揖斐(いび)潔裁判長、原告、被告の弁護士らが立ち会った。小林死刑囚は尋問で「一転して生きる意欲を持ち出した」という週刊誌の記事に、「死をもって償う気持ちに変わりはない」と反論。さらに「記事を読んで不眠症や過食症になった」と、精神的被害を主張したという。
また自ら控訴を取り下げた後で再審請求した理由について、「女児を浴槽につけて殺したとする奈良地裁の判決に納得できない。睡眠導入剤を飲ませたら風呂の中でおぼれた」と訴えた。被告側弁護人が「それでは罪名が『過失致死』なので死刑にはならない。主張が矛盾しているのでは」と問いただすと、小林死刑囚は「判決が誤りと認められることが大事だ」と反論し、改めてまた再審請求する考えも示したという。小林死刑囚は06年10月、弁護人による控訴を取り下げた。しかし新たに選任した弁護人が07年6月に「控訴取り下げの無効」を申し立て、小林死刑囚も08年12月に再審請求。いずれも最高裁が訴えを棄却している。 【毎日新聞 2010年4月2日 日野行介】


 えーと、上記の人物というか鬼畜野郎に関する狸の所感は、2004年初冬あたり、リアルタイムでここでもさんざん嘆きまくったし、その後、表の『たかちゃんの逆襲』の最終章にて、謎のおんなせんせいやたかちゃんたちにM君ともどもキビしく鉄槌を下してもらっているので、今さら何を言う気力もないのだが――たとえ微々たるものとはいえ、狸の払った税金の一部が、この畜生の『人権』を守るために現在もせっせこせっせこ費やされているのかと思うと、改めて、つくづく生きているのが辛くなったりする今日この頃、皆様方におかれましてはいかがお過ごしのことでございましょうかしらねえねえ。

     ◇          ◇

 本日はアブれたにも関わらず打鍵もせずにただ鬱々と図書館を彷徨っていた。
 いったんクソ野郎の近況など目にしてしまうと、日々の探食に疲れた小動物の精神内では、夢も希望もすぐに澱の底に潜ってしまい、なかなか再浮上してくれない。おまけに天気が良すぎたせいか、館内のろり含有率も、いつもより少なめだ。
 そして、思えば今年の狸は、とうとう一尾の鯉のぼりも実見していないのである。

          

          

 ひとり狸穴で解凍サンマをはぐはぐしつつ、幼狸時の初夏に見上げていた遙かなる蒼天の遊魚たちと、緑の爽風を夢む。
 さらに思えば、鯉の甘煮も一年以上はぐはぐしてない気がする。
 ……結局それかよ。


05月05日 水  続・猫たちの午後

 ありゃ、昨夜紹介した猫動画って、けっこう批判(?)も出てるらしい。つまり、「これは単なる猫の習性、モミモミ行動」「いや、これは発情による交尾の催促」とかで、どっちにせよ「そうした獣の本能的行動を擬人化して美談に仕立て上げるのはどうか」、みたいな。
 ……そうなの? 狸も母方の実家で猫を飼っていたので、子供の頃は休みごとに長期滞在してつきあっていたし、自分で飼ったことはないが猫本は多読したのでモミモミ行動も知っているが……未だかつて、息絶えた牝に交尾を迫る牡猫とか、同族の死骸をモミネタにする猫なんて、見たことも聞いたこともないのだが。仮にあの猫にゃんが『相手の死を認識できていない』としたら、なおのこと、あの猫にゃんは『相手に生きていてほしかった』わけで。
 とはいえ、あの猫にゃんが心臓マッサージをしていたなどという話も、当然ありえない。たぶん、親しい猫と遊ぼうとしたら反応してくれないので一所懸命反応を求めていた、そんな状態ではないかと推測する。あるいは母親だったのか。
 まあ、なんにせよ、当の猫にゃんになってみないと判断のしようもないことを、人間の知識だけであーじゃこーじゃ断言するのは、それこそ人間の思い上がりに他ならないですね。狸としては、やっぱり小動物仲間として、遠慮なく同情させていただきます。


05月04日 火  猫たちの午後

 午後出勤時の、狸穴の番猫たち。連休で人の出入りが少ないのか、しごく、まったり。「無害な住狸なるも視認可能な限り警戒態勢」、そんな風情であった。

     

 で、YouTubeで、ちょっと話題になっている動画。

          

 恋人か肉親か親友か……まあ、猫だってひとりぼっちはサミしいのである。
 狸穴の番猫たちは、たいがい勝手にうろついているようだが、縁あって居付いた者同士、末永く仲良くやってほしいものである。


05月03日 月  夜明けのスキャット

 ♪ る〜る〜るるる〜〜 る〜る〜るるる〜〜 ♪ 
 ……現在午前5時。
 しつこく打鍵中のジャスミン物件を修正していたら、夜が明けはじめた。先日の投稿板更新分だけでなく、全体のあっちこっちを微修正。いつのまにかリトアニア大使館、引っ越しちゃってたのね。あのあたりは事前に現地を歩かないで打ってたからなあ。
 ♪ る〜る〜るるる〜〜 る〜る〜るるる〜〜 ♪ 
 まあ、このところ日雇いが午後勤続きだったので、だいたい寝るのはこんな時間なんですけどね。でも、今日はアブれたので、無理に寝る必要はない。午前中に冬物の洗濯や狸穴の春支度を済ませてから寝ようと思う。
 そう、狸穴は現在も冬装備のまんまなのである。掃除も洗濯も冬からしていなかったのである。いっそ通年冬だといいのに。

     ◇          ◇

 今、甘木様のHPを覗いたら、日記んとこに、なんじゃやら面白いパロ短編(あの板を古アパートに見立てたコメディー)が載っており、狸も出ていたので一気に読んだらかなり面白かった。日付はすでに今日になっていたから、きっとあちらも深夜ハイが降臨したのだな。伝言板になんか書こうと思ったら、容量がいっぱいらしくカキコできない。なので、ここに記しときます。えーと、実は狸穴司は、ロリの次に女学生が好きかもしれません。それから若い女性、年増、老女と続き、さらに美青年や美少年――男の年寄り以外なんでもいいんやないけ。でもやっぱりパンツは女児用が望ましいかもしれませんので、そうした洞察力を評価して座布団1枚に決定。もし『グンパン』とゆーキーワードが登場していたら、これはもー座布団2枚確実だったですね。

     ◇          ◇

 さて、クリーニング屋なんてブルジョワなところを利用できる懐具合ではないので、コートからセーターから、全部たらいで手洗いしなければ。でも靴下や下着はコインランドリー。さすがに冬から溜めこむと、手洗いできるような量ではない。夏場にこんだけ溜めこんだら、それこそサルマタケが群生するだろう。その点でも、やっぱりずーっと冬だといいのになあ。

     ◇          ◇
 夜の追加。
 夕刻、目覚めれば、毛糸のベストが2枚ばかり、強風で裏の地べたに落ちていた。でも他はフワフワに乾いてたから被害僅少。
 で、またぞろ、やってくれるか民主党。米軍基地移設問題でオハコの『なにもしない』に徹する覚悟を決めたと思ったら、口蹄疫問題でも『なにもしない』ことになったのだろうか。野党時代は、火付けと火事場の後始末をせっせとやってれば済んだんだろうが、今は与党なんだから、きっちり消化活動そのものに従事してもらわないと困るんだが……なまねこなまねこ。
 えーと、まあ今さら何を言っても遅い気がしますが、狸は民主党には未だかつて一度も投票したことがありません。いや、野党時代に投票する一歩手前まで行ったことがあるんだが、その候補者がいきなり投票直前に形勢不利と見たのか自民と握手しちゃったりして、「ああ、なんだ。やっぱり自民左派(なんだそりゃ)なのね」、そんな感じで。「だったら、まだ自民右派のほうが経験豊かなぶんだけマシか」などと言いつつ、結局そのときは、共産党に入れてしまった記憶がある。なんで右寄りの狸が共産党に入れなきゃならんの。だって、その人がいちばんマシそうな人間だったんだもん。
 ところで、かつて社会党バリバリだった現農林大臣・赤松さんは――ああ、やっぱし火事場の後始末に頑張るっぽい。その前に消してくれい。まだ消えてないぞ。


05月01日 土  まだ

たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
くにこ 「んむ。これは、まだだな」
ゆうこ 「……ごめんね、ごめんね」

くにこ 「んむ。こんげつも、りっぱなまんねりだ。ここの、かばうまっぽいたぬきも、そろそろ、じゅみょうかもなあ」
たぬき 「………ゐ」
たかこ 「おう、でもまだ、いきている。つんつん、つん」
たぬき 「………ゑ」
たかこ 「んでも、ほとんどしかばね」
たぬき 「………苦」
ゆうこ 「……おろおろおろ……なでなで」
たぬき 「ふんふんふんふんっ!」
ゆうこ 「きゃ」
くにこ 「……そーか。そーゆーことか。んじゃ、おれも、たっぷしとかわいがってやろう。――くぬ! くぬ!! くぬ!!!」
たぬき 「ぐええええええええ」
たかこ 「はっはっは」