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06月30日 水  ワーキング・プア、愚痴る

 おう、今度は『微笑』や『女性セブン』なみの近親相姦私小説に宗教トッピングかい、ヨハネ印の哲人S君や。それをまた各所イッキにバラまき、結局好評にしかまともに反応しない――。でもまあ、ある意味これだけネットノベル界で知名度を得ているというのは、ある意味賢い戦略なのかもしれませんね。U嬢のような純粋培養タイプが、あっちこっちでコロコロと引っかかってるし。望むらくは、たった一度でもいいから、まともに文学的素養の窺える作品を書いてくれまいか。
 しかし正直、アレが出没するおかげで、近頃あの板を覗くのがつらい。昔の『風』よりタチが悪い。といって、どこを覗いてもアレが同じことをやっているので、狸の引っ越し先もない。まあ、古来、災難と教会はどこにでも転がっているのである。せいぜい避けて通るしかない。

          ◇          ◇

 明日からもう今年も後半戦に入るというのに、愚痴ばかりこぼしているのは情けないが、実は昨日から某大手スーパーの中元商品の拠点で、商品の結束という日雇いをやっており、疲労困憊状態なのである。朝8時から夕方6時まで、ただひたすら「ほりゃどっこい」「ほいっ」「ばしっ、ばしっ」「ほいっ」「ありゃどっこい」などと、ビンボな失業親爺同士、ふたり一組で結束機を挟み、軽い繊維製品からクソ重い飲料の詰め合わせまで、ただひたすら縛り上げ、ラインに流したり積み上げたりしているのです。
 と、ゆーわけで、本年のお中元にマ●エ●の商品を受け取った関東一円の皆様、そのうち50個に1個くらいは狸の怨嗟、じゃねーや、肉球跡が染みついておりますので、よろしくです。もし汗の跡があったりしたら、笑って許すのが吉。

『茉莉花館』の最終回とエピローグ、心算では100枚程度のうち、発表できそうな形に仕上がっているのは、数えてみたらまだ30枚ちょっとだ。まあいろいろやりながらであるにせよ、日暮れて道遠し。
 しかし、へとへとで帰穴してZ級グルメを肴に発泡酒飲みながら『ゲゲゲの女房』かなんか観て、風呂で溺れ死んでまた蘇って、寝る前の小一時間ほど、あーでもないこーでもないと自作をこねくりまわすのは、やはり楽しいのである。ある意味イッキ打ちよりも、趣味的にちまちまと充実した時間なのである。もしかしたら狸自身、キャラたちといっしょに、終わらない夢を見ているだけなのかもしれませんね。


06月27日 日  狸の休日

 本日は引っ越し以外の口がなく、日雇いはアブれ。
 久しぶりに目覚まし時計OFFで惰眠を貪ったら、夜の2時から午後の2時まで12時間、万年床で過ごしてしまった。
 若い頃と違ってこの歳になると、ただ昏々と眠り続けてはっと気づけば翌々日であった、などという健康な惰眠(?)は、どんなに疲れていても寝不足でも貪れない。午前中に一度は目が覚める。その時点で気持ちのほうはまあ満足しているのだけれど、体のほうが「うぐぐぐぐ」などと呻くばかりで起きようとしてくれず、「あーうー」などと唸りながら枕元のCDラジカセを肉球でぽんとやり、入眠時に聴いていたCDをまたとろとろと聴きながら、二度寝に入るわけである。
 現在の寝物語のお気に入りは、図書館で借りた『食味風々録』の朗読CDである。阿川弘之氏の著名なエッセイ集の一部を、娘の阿川佐和子さんが朗読している。なにせ元はハイカラな海軍士官でその後も文壇で功成り名を遂げた方の食味エッセイだから、たとえば米の飯ひとつ題材にしても、貧しい狸にも想像できる卑近な米の飯の話から、狸などには生涯縁のない世界中の米の飯まで話が発展してしまうので、狸にとっては半ばファンタジー・ワールドである。特に最終回の、拾遺的な美味羅列のくだりなど、もし嫌いな奴が目の前でそんな話をしていたら、思わず嫉妬に我を忘れてバールのようなものを振り上げ力の限りその頭頂めがけて振り下ろし四散する脳漿と吹き出す血潮を我が身に浴びながら物凄く「……ふぇ、ふぇ、ふぇっふぇっふぇっ……金持ちなんて、みんな死んでしまえ……」などと狂人の笑いを笑ってしまいそうなとんでもねー高級美味物件やハイソ的世界が紹介されるのだが、書いているのは阿川先生なのでオールOK。

          ◇          ◇

 さて、午後2時にようやく起き出してみたが、金がない。いや、今日食う金と明日の日雇いに出る金はあるし、明日の夕方になれば未受領4日分の日銭が入るが、明日の朝と昼に食う金がない。これはちょっとつらいわけである。で、例によって押し入れを漁り、換金可能な不要物件を探す。予備用に取っておいたウン年前の15インチ液晶モニターや、古ノートパソに収まっていた8ギガのCFカードや、HDDケースなどを引っぱり出して動作確認後、例によって『じゃんぱら』に電話してみると、合計2000円程度にはなるだろうと言う。アキバまでの往復交通費580円、差額は充分出る。
 で、ひさびさに秋葉原を徘徊してきたのだが――なぜだ。なぜ帰宅後の狸穴に、見慣れぬエロゲーのパッケージが存在する。……なんて、査定待ちの間にソフマップの中古ゲーム売り場を覗いて、ついつい買ってしまったからですね。もっとも当然処分品コーナー、ポイントも使ったので実質280円程度の出費である。題名は『ETERNITY』、ブランドは『Ange』、対応OSはWindows98まで、でも発売は2001年――うわあ、21世紀に入ってもまだ活動してたのね、アンジェ。とっくに消えたと思っていた。ボイスもないし、地雷の匂いがぷんぷんするが、なんじゃやら雪女をテーマにした伝奇物らしいし、DOS時代からの弱小エロゲーメーカーへの懐旧だけでも、280円なら元は取れるだろう。


06月26日 土  独り言です

 なんやかやで、『茉莉花館』も終盤に至ってから、没テキストがどんどん増えてゆく。
 たとえば、こんなパートである。

          ◇          ◇

 
芳恵が、別間から茶菓を運んできた。
「はい、朝倉さん、リクエストにお応えしましたよ。モロゾフで良かったかしら」
「ありがとうございます、奥さん」
 さっそくトリュフの丸々一個を頬ばり、
「いやあ、私、チョコさえあれば、一日二日は眠らなくとも平気なたちで」
 芳恵は微笑しながら、亮太朗の隣に腰を据えた。
 もてなしのためにいっとき座を離れていただけで、芳恵も、ほとんどの会話に同席している。失踪中の恋人だけでなく、息子当人の今後にも関わる問題を、これ以上母親に伏せておくわけにはいかない。
「もしかしたら、お前が一番、納得できる話なのかもしれんな」
 亮太朗が思わせぶりに言うと、芳恵は、はにかむようにうなずいた。
「あの、梶尾さん、それはどういった訳柄で――」
「いや、こいつは子供の頃、けっこうその手の物が見えていたらしいんですよ」
「は?」
 朝倉や曽根以上に、勇介も驚いていた。
「本当なのか、母さん」
「ええ。でも、そんなふうに覚えているだけで、それもせいぜい、幼稚園の頃までかしら」
「一遍も聞いたことないぞ、俺」
 不服そうな勇介に、亮太朗が芳恵に代わって応じる。
「俺が止めた。『子《し》は怪力乱神《かいりょくらんしん》を語らず』――梶尾家の家訓だ。これでも生粋の武家筋だからな」
 横で首をひねっている曽根に、朝倉が注釈を入れた。
「論語の一節よ。『子《し》』は孔子様のこと。要するに、まっとうな人間は、超自然的現象や怪しげな宗教に関して妄《みだ》りに口にするものではない、そんな感じ」
「耳に痛いというか、現状、少々困ってしまいますね。口にするどころか、渦中にいる」
「いっさい信じるなと言ってるんじゃないわ。それを自分の責任逃れや、欲の種にするなってこと」
 自己流に解釈してから、ふと亮太朗の真意が不安になった朝倉は、
「――ですよね?」
 亮太朗は首肯した。
「勇介も、母さんの実家には、夏休みに何度か泊まりに行ったろう。あの山奥の古刹で生まれ育ったんだからな。多少は浮世離れしていても仕方がない」
 勇介も不承不承、納得していた。
 子供の頃に母親からそんな話を聞かされたら、懐かしい思い出になった気もするのだが、片や父親独特の、虚実皮膜的な躾けも身についている。たとえば勇介が物心ついて最初のクリスマス、亮太朗は、いきなり「サンタクロースはいない」と断言した。幼い勇介が思わず泣きそうになると、「じゃあ、お前が大人になったら、自分でサンタクロースになればいい」――そんな父親なのである。
「奥様は、どちらのお生まれなのですか」
「朝倉さん、岩手の平泉はご存知?」
「はい。学生時代、奥の細道を巡ったときに」
「そのお隣の、胆沢群衣川村です。今は冬場でも道が通じておりますけど、母の時代はスキーで分校に通っていたような、山奥の寺でしたのよ」
「後学のためにお伺いしたいのですが、小さな頃、どんなものを見ていらっしゃったのですか」
「昔話と思って、聴き流してくださいね」
「はい」
「たとえば檀家の方がお亡くなりになると、たいがいご家族より先に、亡くなったご本人が挨拶にいらっしゃいました。父や母も、ときには気づいてお相手してさしあげたのですけれど、私や妹のほうが、まんべんなく見えていたようです。夜だとさすがに気味が悪いこともありましたが、昼間なら、ちっとも恐いようなお姿ではないので、私たちもふつうに挨拶したり、頭を撫でられたり」
「……ほう」
 朝倉は、一種羨望のまなざしになっていた。
「確か、神隠しにも遭ったとか言っていたな」
「それは、あなたの勘違いですわ。私もそこまでは浮世離れしておりません。私ではなく、昔、寺の幼稚園に通ってきていた、お友達の話です」
「そうだったか。俺は、てっきりお前が天狗に攫われた話だと思っていた」
「違いますよ。あの、結婚式にも出てくだすった、盛岡の登志子さん」
「ああ、あの人だったか」
 亮太朗も、すでに記憶の曖昧な話らしい。
「はい。あの方です。それに天狗なんて、日本昔話じゃないんですから。それは村のお年寄りが、天狗の仕業じゃないかとか、後で噂していただけですよ。ごめんなさいね、朝倉さん」
「いえ」
「でも、たとえば江戸時代に同じような出来事が起こったら、まちがいなく天狗の仕業にされるているでしょうね。つまり、その登志子さんというお友達が、午後遅くなっても家に帰らない、そんな知らせがあったのですよ。登志子さんの家は、実家の寺のすぐ裏山だったのですけれど、お父様はすでに亡くなり、お母様は一家の家計を支えるために盛岡の旅館に住み込みで働きに出ていらして、家には足弱のお年寄り夫婦と、孫の登志子さんだけが残っていたのですね。ですから送り迎えもままならず、目と鼻の先とはいえ、寄り道しているうちに山深く迷いこんでしまったか、それとも人さらいに遭ってしまったのか――駐在さんや村の大人たちが、総出で大騒ぎしておりますと、盛岡のほうから連絡が入ったのです。登志子さんが、お母様のお勤め先に姿を現した、そんな連絡でした」
 朝倉は、四年ほど前に訪ねた東北の地理を反芻していた。
「衣川と盛岡――車があれば三時間くらいでしょうか。でも、奥様が幼稚園の頃ですと、東北自動車道も新幹線も」
「はい。高速道路も新幹線も、まだ開通しておりません」
「その登志子さんがいなくなってから、見つかるまでは――」
「やっぱり三時間くらいですかしら」
「なるほど、半世紀後でないとありえない所要時間ですね」
「でも当時は、やはり誰か大人の車で運ばれたのだろう、そんな話で落ち着きましたけどね。登志子さんも、その、運ばれる間に何か悪い目に遭ったふうでもなく、元気そのものでしたから」
「登志子さんご自身は、どう言っておられたのですか。つまり、その道中について」
「はい。まあ、これもまるで日本昔話ですけれど、『お地蔵さんに手を引かれて山を歩いて行ったら、お母さんのいる街に着いた』、そんなふうに」
「お地蔵様――」
「はい。帰りの山道に、小さなお地蔵様が祀られていたのですわ。いつからあるのか、なぜあるのか、誰も知らないような古いお地蔵様です。長年の雨や風で、もう目鼻立ちも、すっかり丸くなってしまったような。そのお地蔵様に、登志子さんは毎日お願いしていたんだそうです。お母さんに会わせてください――」


          ◇          ◇

 ごく一部の方はお解りと思いますが、このくだりは、勇介発進の場からこっそり消えてもらった母親・芳恵さんの没シーンです。結局、父親・亮太朗の心霊体験に差し替えてしまったのだが、その理由は、ちょっとやそっとの心霊体験でこの芳恵さんが勇介の行動を容認してくれるはずはない、そう悟ったからです。ふんわり系の大らかな母親である以前に、あくまで良妻賢母であり常識人である。ここまでの息子たちの三角関係を知った上では、勇介が亜由美奪還に成功するにせよ失敗するにせよ、その後の亜由美や愛川家との関わり、母親としての息子への配慮など考えれば、亮太朗がなにを言おうと断固反対するに決まっている。納得させるには、この芳恵さんという人と、狸が一からおつき合いしなおす必要が生じてしまう。
 まあ、ストーリーのほうをどんどん転がしてしまえば、そんな脇役の心理部分など気にも止めない読者も多いだろうが、狸には、そうした化け方はできない。それを力業でガンガンやってしまうのが宮崎駿監督だとしたら、どうしても看過できずに、話の停滞覚悟で突き詰めてしまうのが高畑勲監督である。だから狸は高畑監督のほうが好きなのである。

 で、こんな没テキストもある。

          ◇          ◇

 
霧は刻一刻と濃さを増し、やがて車の流れが完全に停まった。
 勇介はカーナビを立ち上げ、ワンセグに繋いだ。
 バラエティーとも通販ともつかぬ番組の歓声が唐突にとぎれ、ニュース担当らしい女性アナウンサーの生真面目な顔が画面に浮かんだ。
『――先ほどお伝えした港区の局地的な濃霧によって、青山から南麻布にかけて、各所で追突事故が発生しております。お車で走行中のドライバーの方は、くれぐれも無理をなさらず、減速の上、充分に車間距離を保ってください。――ただ今、続報が入りました。気象庁は、港区の北部、および渋谷区の南部に、緊急濃霧警報を発令しました。繰り返します。気象庁は、港区の北部、および渋谷区の南部に――』
 勇介が、呻くように訊ねた。
「……この霧、みんな見えてますよね。俺だけじゃなく」
 ワンセグの画面が、空中撮影に切り替わった。
『それでは当社ヘリコプターからの実況をご覧ください。当社の報道ヘリも警報に従ってエリア外に非難しておりますが、可能な限り現地の状況を――』
 朝倉が、やはり呻くように答えた。
「たぶん世界中の人に見えてる」
 ヘリの視界自体は、あくまで薄曇り程度の鮮明さを保っている。


          ◇          ◇

 実はこの後も、えんえんハデハデな大騒動が続くのである。つまり、勇介が『あっち側』に突入するシーンは、現実の東京と過去の東京が、客観的にもぐちゃぐちゃになってしまうはずなのでした。
 しかし――自分で気がついてしまったのですよ。
 おい狸、お前、初心を忘れて暴走(暴化け?)してるぞ。まあ商業映画や漫画やアニメならそれも必要なサービスだろうし、やってて楽しいのも解るが、それは『小説・茉莉花館』に対する愛と誠意を忘れているぞ――。

 とまあ、物語そのものに関するそんなこんなや、私事のなんたらかんたらに紛れて、最終回でも順調に没原稿を重ねつつある狸なのであった。
 一見ぼーっとしているように見えて、狸もなかなか苦労性なのである。ちゃんちゃん。


06月25日 金  夜と朝の間やら昼やら午後やら午前やらの間に

 今夜は、夜と朝の間にも湾岸倉庫なので、静かに眠るのは明日の昼までお預けですが……。

          

 まあ、気持ちだけはこーゆーことである、とまあ、そーゆーことで。


06月22日 火  日常復帰

 で、とりあえずは日雇いに戻る。当分は最安時給の倉庫めぐりだが、他には引っ越しくらいしか話がないので仕方がない。何度も記した気がするが、引っ越しは時給が高いかわりに、非力な小動物にとってはバクチのようなもので、運が悪いと2〜3日腰が立たなくなる。

 表の伝言板(ゲストブック)も、ようやく復旧しました。やっぱりジオシティーズのシステムにバグが残っており、たまたまなんじゃやら条件が重なると、ゲスト様はカキコできても、HPの主人だけ、はぶんちょにされてしまうらしい。ゲストブック全体を初期化すると元に戻る。
 まあ前世紀のOSやネット環境を思えば、かわいらしい程度のバグと、受容するしかないのだろう。なにせ昔は、ちょいとつまずけば即OS再インストール、全環境を一から構築しなおしでしたもんね。


06月20日 日  その日暮らしの手帳

 わっはっは、レポート数枚、いちんちででっちあげたぜ。まあ下書きは毎日でっちあげてたんで、推敲と清書だけなんですけどね。しかし、今どき専用用紙に手書きのみのレポート。懐かしきローテクの世界。

          ◇          ◇

 新しい携帯を買った。いや、支払ったのはなんじゃやらオプション契約料の数百円のみで、本体はゼロ円の最下級機なんですけどね。音楽を聴いたり電子マネーみたいに使ったり、携帯用のバーコードを読んだりは、もーまったくできません。それでも200万画素のカメラがついている。液晶も旧機の4倍は広い。
 折も折、うっかり食いっぱぐれたらしい一階玄関の番猫(あくまで野良扱い。最近は『地域猫』とも言いますね)の片割れが、二階の通路まで上がってきて「誰でもいいからなんかくれ。くれないと泣くぞ」と訴えてまわっているので、餌付けしてテスト撮影。おお、ちゃんと写るではないか。しかしメモリーカードのスロットもなんにもない機械なので、いちいちメールに添付してパソコンに転送しないといけない。けっこうデータ量があるだろうから、あんまり撮ると通信料のほうがかさみそうだ。

          

 ちなみに、狸の夕食になるはずだったサンマを半分食ってしまったこのミケ猫は、今まで狸が懐こうとすると逃げ回ってばかりいたほうの奴である。ようやく慣れてくれたというより、もはやウロンな狸が相手でも「なんかくれたらもう好きにして」状態だったのだろう。ことほどさように、一見気ままな非正規番猫も、非正規労働狸同様、ギリギリの生を送っているのである。それでもお互い肥え太っているのはご愛敬。

          ◇          ◇

 とりあえず明日の予定は、『無制限に寝る』『食う』『封筒をポストに投函する』『洗濯する』『だらだらパソで遊ぶ』『食う』『風呂に入る』『寝る』、以上。


06月19日 土  特養その2

 本日、現場実習最終日。昨日と同じ施設だが、認知症の程度が若干軽く、しかし特養に入所するくらいだから心身ともに正常と異常の狭間ですっかりとっちらかった方々のフロアで修行する。修行などと言いつつ、入居者になんかあったら即裁判沙汰になりかねない昨今、実習生はほんのお手伝い、あるいは見学ばっかしなんですけどね。
 本日のフロア、狸が祖母や母のアルツに接した経験では、『最も始末に負えない段階』の方々がかなり多く、いきおい職員さんたちも、時としてやや殺気立つ。悪意ではない。たとえば狸も、おひとりの食事介助を受け持たせてもらったが、優しいだけだと永遠に昼食が終わらないのである。栄養失調だの脱水状態だのになってしまうのである。あくまで優しく、でも強引に給餌せざるを得ないのですね。職員さんたちが受け持つ、ちょっと精神状態の難しい方なんかは、しょっちゅう怒り出して職員さんにお茶を引っかけたりもする。修行の足りない狸は、横で見ていて、内心「早く寝たきりになってくれたほうが周りはかえって楽だわなあ」などと思ってしまう。でも、食後の口腔ケアのときには、同じ方がニコニコ笑ってたりするので、やっぱり同レベルで腹をたてるべき対象ではないのですね。

 以前、教室での実技講習の最終日、講師の女性は「現場実習の間は、毎晩美味しいものをお腹いっぱい食べて寝ること」とおっしゃった。つまり精神的ストレスは別の形で散らさないとやってけないぞ、そんな意味だろう。狸は、そうそう美味しいものを食う金はないし、その日ごとのレポートの下書きで睡眠時間もあまりとれなかったが、Z級グルメだけは毎日腹いっぱい食って過ごしたため、また体重が1キロ以上増えた。できれば明日からは節食したいのだが、なんかいろいろ清書して送らにゃならんので、少なくとも明日と明後日あたりは、過食のままに肥えて過ごすのだろうなあ。

 なにはともあれ、受講期限の今月中には、ギリギリ免状がもらえそうだ。ちゃんちゃん。


06月18日 金  特養その1

 特別養護老人ホーム――略して特養ですね。いわゆる世間一般の『老人ホーム』の中でも介護度の高い、終の棲家。
 といってもまさにピンキリの世界、なんかいろいろニュースの種になってしまうような零細物件もあれば、本日狸がお邪魔したような6階建ての大型ピカピカ物件もある。
 たまたま本日は、かなり病状の進んだ認知症の方々が集うフロアだったので、何を話しかけてもほとんど無反応の方から、狸の老母のような一事案永久反復の方まで、アルツ見本市状態であった。ほとんどの方が車椅子移動。ただ、寝たきりの方が集う最重篤のフロアも別にあるそうで、要は病状ごとに5フロアに別れ、最上階ではデイケアなど居宅サービスも扱っている。
 入浴介助見学では仰天した。寝たきりの方の機械入浴など、最新の介護機器の発達ぶりは聞いていたが、専用の車椅子で座ったまま入浴できるユニットなんてのまであるのね。車椅子ごとお湯に飛びこむわけではありませんよ。スロープ状の風呂桶に突進するわけでもない。空っぽのユニットに横扉から専用車椅子を乗り入れ、扉を閉めるとあら不思議、底からごぼごぼごぼごぼとお湯が涌いてくるのである。ハイテクなのである。
 しかしまあ、どんなにハイテク化しても体の不自由な方や認知症の方が自分で自分を介護できるはずもなく、せっせとお世話するのはやっぱり施設の職員さんであり、おむつ替えなど基本的な部分は当然昔ながらのアナログ介護である。まあ紙おむつの品質もたいそうハイテクっぽく向上しているが、自動で脱げたり穿かれたりするおむつはない。うんちそのものもどうやら昔ながらの天然素材である。
 やっぱアナログなのよ人間って奴は。心身ともに。

 さて、その最新施設に、嬉しい事実を発見。今どき喫煙所があるのである。そりゃ入所しているご老人にだって喫煙者はいるだろうし、職員にだって、狸のようなお邪魔虫たちにだって、まだまだ喫煙者は残存している。ところが近頃の病院や介護施設は、非情にも全館禁煙を謳うところが多い。
 でもやっぱりアナログなのよ人間って奴は。でなきゃ、生きてんだか死んでんだかわかんない老朽個体を、必死こいてコストかけて人間扱いしたりせんだろう。モノ食わして何の反応もなくとも、もしかしたら脳味噌の中では、んまいんまいと舌鼓打ってるかもしれんじゃないですか。理屈より気持ちなの。
 全世界が法的に禁煙化したとき、たぶん老人問題は『ソイレント・グリーン』の世界に突入するだろう。生き方と死に方の区別がつかなくなるのである。まあ、そのほうがいいって人もいるか。


06月17日 木  デイサービス

 33度……利用者様方を見送る午後も、ぎんぎらぎんのお見事な陽射し。しかしお年寄り方は、長袖でも汗をかかない。無論代謝の衰えなので、けして体にいいわけではないだろうが、全身汗まみれの狸は羨ましく思ったりもする。
 とはいえ、本日は大半、田端のデイホームの快適な空調の中、デイケアに集った十数人のお年寄りとリハビリっぽいゲームをやったりお歌を合唱したりしただけなので、肉体的には楽だった。でも精神的には、けっこう困った。なにせほとんど反応のないアルツの方から頭脳明晰な方、車椅子移動しかできない方から杖歩行可能な方、それら心と体のバランスの千差万別な方々と、適宜おつきあいしなければならない。アルツの各段階の見本市的な状況で、レクリエーション担当のお嬢様の、臨機応変の巧みなあしらい方など見ていると、ああ、狸はやっぱりひとりで化けるのがせいぜいの小動物なのだなあ、と自信を失ったりもする。
 などと言いつつしょせん狸のザル頭、けっこうまったり過ごしてきてしまったんですけどね。
 印象に残った利用者の方々など、少々。

          ◇          ◇

 『たえこちゃん』という小熊の縫いぐるみを、常に赤子のごとく抱いているお婆ちゃん。いつのまにか靴下を脱いでしまうのが趣味(?)。アルツで会話が億劫らしくほとんど意思疎通できないが、明らかに『たえこちゃん』を自分の赤ん坊として抱いているときもあれば、ふと、単なる縫いぐるみとして放り投げたりもする。幼女のようで、とてもかわいい。

 大正3年(1914)巣鴨に生まれ、終戦後の焼け野原時代に田端に越してきて、以降ずうっと田端に住みついている、もと交番のお巡りさん。つまり96歳である。歩行や手作業はおぼつかないが、頭脳はきわめて明晰。下町の話をいろいろ聞けた。昼食後の暇潰しに、狸とオセロを2回やって、1勝1敗。これで96歳だよ、おい。たぶん100歳になってもボケは来ないだろう。さすがに腰の曲がりは直角ですけどね。

 狸の老母と同様、会話好きで一見しっかりしているが、実はほとんど同じ身の上話しかできないお婆ちゃん。とはいえ、その身の上話が、なかなか味があるのである。生まれは浅草吉原田圃。あの遊郭・吉原の、古い引き手茶屋に生まれたのだそうだ。もっとも昭和7年の生まれだから、すでに引き手茶屋という業態ではなく、なんといいますか、芸者の置屋的な存在だったようだ。戦後の売春禁止法以降は蕎麦屋(兼雑居ビルオーナー)に転進、お婆ちゃん自身が代表取締役を勤めていたそうで、その当時の名刺までもらってしまった。今は息子がやっているから、この名刺を見せれば御馳走してくれるはずだとおっしゃる。狸もタダの蕎麦は食いたいが――見知らぬ狸がアルツ老母の名刺を持ってタダ蕎麦食いに来たら、息子さんも往生するだろうなあ。いやあ、他人事ではない。
 しかし同じ話の繰り返しとはいえ、当時の浅草や吉原近辺の、いいとこのお嬢さん(今では遊郭というと陰惨なイメージが勝つかもしれないが、戦前は立派な合法的商売、しかも天下の吉原だから富裕階級である)の、恵まれた子供時代の話などなんども聞けて、たいそう有益であった。

          ◇          ◇

 狸がもし介護職に就くとしたら、施設の立地がキモか。


06月16日 水  訪問介護

 傘持って出たら午後は真夏の陽射しかよ、おい。

 とゆーよーなお天道様へのツッコミはちょっとこっちに置いといて、訪問介護実習のために大久保へ。
 初めに心得を教えてくれたベテランのホームヘルパーさんは、もう70歳ちかいお婆ちゃんであった。身障者から高齢者まで百戦錬磨の現役ヘルパー、お歳に似合わずふくよかな体型のためか膝や腰は近頃さすがに辛いらしく、自己リハビリのための体操まで実演してくれたが、郷里のグループホームで介護される側に回ってしまった狸の老母の、同年齢時のボケ具合など思い出すと、やはり人間は『気力』=『行動力』だなあ、と、つくづく思い知らされる。
 それは午後の訪問同行時も同じことで、実際に引率してくれたのが子持ちの熟女ヘルパーさんならば、狸以外のふたりの実習生もまた子持ち主婦、つまり現在の日本で最も生命力に溢れている性別世代の方々である。あまつさえ、30代前半と覚しい、ひっきりなしに朗らかに喋っている女性などは、十年以上住んでいたジャマイカから去年帰ったばかりとかで、なんとゆーのか、あのチリチリボサボサのレゲェ女性型頭髪を、介護現場用に小山のような袋(?)で頭頂にまとめている。古狸は思わず「フランケンシュタインの花嫁かと思いました」などと正直に言ってしまった。あんな古いモノクロ怪奇映画を知るや知らずや、ご当人には大ウケしましたけどね。3人の子持ちで、ほんとうは4人目もいたのだが障碍を持って生まれてしまったためすぐに亡くなってしまい、そんなことも介護関係の資格取得に繋がっているらしい。もちろん主目的は、残り3人を育てるため、旦那の稼ぎだけでは心もとないからなのだろうけれど。

 で、向かった先は、新宿の戸山ハイツであった。高度経済成長期の落とし子、巨大団地群ですね。昔、狸が新入社員として新宿サブナードに配属されたとき、真夏にいちんちがかりでチラシを撒いて回ったこともある、懐かしの団地町である。マジに団地だけでひとつの町を形成しているのです。かの森敦先生も、ご母堂とともに暮らしていたことがあったそうだ。当然ハイソなどとは対極で、多くの建物は老朽化し、住民の60パーセントが高齢者になりつつある、そんな昭和の兎小屋の大集合地帯である。ちょっと見、小山のような団地が見渡す限り林立しているので壮観なのだが、中身は7階建ての棟でもエレべーターが存在しなかったりする。
 そして訪ねた、Oさんという現在68歳の男性のお宅は、まさに階段の果ての最上階。3年前にホームレスをしていた公園で、動けなくなっているところを警察に保護され、重度の糖尿病であるのが判明し、そのまんま生活保護が適用され、以後、戸山ハイツの一室で独居状態なのだそうだ。アルツはないが、前立腺にも異常があり、来月あたり手術の予定らしい。
 などと説明すると、皆様、かなり悲惨な生活状況を想像されると思うが――老朽化しているとはいえ、狸穴よりはよほど整った団地である。同じ2Kでも官製だから、間取りの日当たりもいい。おまけに最上階だから、真夏のような本日の午後も、部屋には爽やかな風が吹き抜けている。窓の外は空。眼下を見れば戸山ハイツをふんだんに彩る緑の木々。不快な虫などは、最上階までは飛んでこない。だから、痩せこけたO老人がベッドに座って日がな煙草を吸いながらテレビを見ている様などは、一種、仙人、世捨て人のような風情さえ感じる。さすがは東京都、重病のホームレスでも福祉によって、上り下りに一苦労の部屋とはいえ団地療養が可能なのである。ロハで手術も受けられるのである。Oさんに聞けば、たまには外食だってできるそうだし、煙草だって狸の『ゴールデンバット』より高価な『わかば』を吸いまくっている。不謹慎ながら、思わず狸も新宿公園あるいは花園神社あたりで行き倒れになってみようかと思ったりしかけたが――でもやっぱり「代わってください」という気分にはならないのですね。
 このビンボで疲れきった狸でも、暗くて臭い狸穴住まいの狸でも、実はまだまだ俗世への未練たらたらなのだなあ。つまり、かろうじてキラキラ女性軍と同じ側に属しているのだなあ。――そんなことを、改めて自覚させていただきました。

 さて、狸も微力ながらトイレ掃除や洗濯物の始末などに協力したが、やはり訪問介護という分野は女性向けの仕事が多い。またOさんだって半白髪の狸にのそのそとのたくられたり体を撫でられたりするよりは、活気あふれる30代のお嬢様方になんかいろいろしてもらったほうが嬉しかろうし。
 明日からの施設実習でなんか力仕事でもあればなあ、と、いささか忸怩たる思いの狸なのであった、まる、と。


06月15日 火  とたぱた

 お、やっと『Yahoo!ジオシティーズ(助け合い広場)』や『Yahoo!知恵袋』に、ゲストブックで狸と同様の症状に悩む方々が質問を始めたが、まだ解答は見当たらない。症状が出はじめたのも同時期のようだし、やっぱりジオシティーズそのもののシステム上の異常なのか。
 しかし、狸は様子見。
 実は明日から4連チャンで、例のヘルパー講座の最終段階、現場実習に入るのである。明日は訪問介護、明後日はデイケア、金曜と土曜は特別養護老人ホーム。それぞれの場所も時間もまちまちなのは、まあふだんから日雇いで慣れているので、毎朝都内各所どこにでも無事に惨状、じゃねーや、参上できるはずだが、問題は「テキストや実技講習の細部をすでにきれいさっぱり忘れてしまった」、その点にある。
 誠意で勘弁してもらえる現場だといいなあ。日雇いと違って、こっちが金を払う立場であるのは確かなのだが、そんなのはあくまで上のほうだけの問題で、介護現場の方々にしてみれば「ああ、またドンくさいシロトたちに邪魔されなきゃならんのね」、そんな気分に違いないのである。せいぜい誠意だけは認めてもらわんとなあ。


06月13日 日  やぎさんゆうびん(いや、読まずに食べてないんですけどね、お手紙)

 おや、どうも狸の伝言板(ゲストブック)に投稿できないのは狸自身だけのようだ。千尋様の新たなコメは、きちんと入っている。ところが狸が返信しようとすると、やっぱり『申し訳ありませんが、このホームページはしばらくの間使えなくなっています。利用しようとしているホームページは混雑しています。しばらくたってからお試しください。ご不明な点があれば、ヘルプをご覧のうえ、お問い合わせください。』のページに飛んでしまう。
 なんなんだろう。ヘルプを探しても、利用者同士の相談コーナーみたいなところを覗いても、これほど単純な問題の類例が見当たらない。もしやジオシティーズそのものの欠陥だったりして。
 まあ、狸のゲストブックにコメントをくださる方は、ほとんどがこの『雑想』も覗いていらっしゃると思うので、とりあえずここでお返しさせていただきます。

>2010/6/12 (Sat) 22:41:32 玉里千尋様へ
おう、呪いが解けた!?
狸自身が入れない伝言板に、千尋様が入れるということは……お狐様の霊験でしょうか。
やはりお稲荷様と信楽焼の狸では、御利益が違う。
しかし歌丸師匠も、晩年になって怪談噺に凄味が出てきたせいか、笑顔も超自然の世界に……。
さて、これで返信できたら一安心なんですが――ぽちっとな。


 とまあ、こんなお返しを記してぽちっとしたんですが、駄目だったわけですね。
 前日の猫様へのお返しも、ここに残しておきます。

>2010/6/11 (Fri) 22:11:42 猫様へ
にゃおぽん。
実は狸も「こりゃ別人によるアラシみたいだなあ」などと、今になって呆れつつ、まあ、相手によってなんかいろいろ化けてしまいたがる本性なのですねえ。
猫様がぎくぎくっとする必要は、毛頭ないと思いますよ。狸の高校時代のノートなんて、半分は毒電波ですもん。ただ、毒なら毒なりに、せめて相手を毒殺できるくらいの根性がないと、「うわあ、変な味」とか、吐き出されるだけですもんね。
狸が現在必死こいて発信しようとしているのも、ある意味甘美な毒世界だったり。


          ◇          ◇

 しかし、ジオシティーズから『ヘルプ・お問い合わせ』にリンクしても、既成のヘルプや、利用者同士の相談場所のようなところがあるばかりで、YAHOOやジオシティーズそのものに直で問い合わせできるアドレスが、まったく存在しない。まあそんなアドレスを載せてしまったら、毎日毎日何万もの質問と何百万ものスパムが殺到して仕事にならないだろうが、この現象が続くようだったら、本社に電話でも入れるしかないのかな。


06月12日 土  なんか呪ってる?

申し訳ありませんが、このホームページはしばらくの間使えなくなっています。利用しようとしているホームページは混雑しています。しばらくたってからお試しください。ご不明な点があれば、ヘルプをご覧のうえ、お問い合わせください。

 昨夜、表の伝言板にいただいた千尋様のお言葉にお返しのコメを入れ、続いて猫様にもお返ししようとしたら――上記のようなジオシティーズのコメントに飛ぶばかりで、今夜になってもカキコできない。もしや伝言板全体が容量を越えたかと思い、過去のコメントをアーカイブに移してみたが、やっぱり新規のカキコはできないようだ。
 YAHOOへの支払いは、ここんとこ滞ってないしなあ。システム異常の通知とかも、届いてないしなあ。もしかして――誰かこっそり呪ってる?
 そんなこんなで、猫様へのご返事は、猫様の住み家に直接届けさせていただきました。こっちの伝言板は、様子見状態。

 千尋様へのコメ返しでも、あんまり二井宿峠の名誉を貶めた気がして、ちょこっと追記しようと思ったのですが、あっちでできないので、ここで補填します。
 考えてみれば二井宿は、栗子峠よりよほど伝統のある宿場なわけだし、幼狸が車に乗せられて栗子峠を(福島経由で)宮城の白石方面に抜けたのは、二井宿を通った数年後なのですね。つまり昭和40年代。同じ30年代だったら、栗子峠もトラウマ級の難所だったに違いない。
 逆に北を遠回りして、関山峠を越えるという手もあったのだろうが――あそこは昔から幽霊が出てたからなあ。
 いずれにせよ、今は昔の物語ですね。


06月11日 金  その日暮らしの手帳

 本日はアブれたが、土日は日雇い先を確保したので無問題。

          ◇          ◇

 しつこく毎日視聴し続けている『ゲゲゲの女房』、ついに本日は水木宅の電気が止められ、ローソク生活に入った。
 恥ずかしいのでここには記していないかもしれない(そもそもここは毎日の日記ではなく、あくまで雑想である)が、狸もここ数年のうちに、2度ばかり電気を停められたことがある。ガスもいっぺん停められたことがある。 
 旅行に出かけたとか、忘れていたとかではない。フリーでフォトレタッチやって糊口をしのいでいた頃に、あてにしていたメインのクライアントが夜逃げしてしまったとか、現在のような日雇い生活時に、アブれ続けて金がなくなったとか、払いたくとも払えなかったのである。えっへん。……って、昭和30年代じゃあるまいし、飽食の時代にそんな自慢をしてどうする貧乏人。
 ともあれ、2〜3日電気などなくとも、狸は死にはしない。ただし、ガスが停まると風呂を沸かせないので、さらに銭湯代がかさんで餓死する恐れはある。狸は風呂のない生より入浴中の死を選びたいたちなのである。だから、以後ガス代だけはギリギリ払っているが、電気は状況次第でまた停まるのではないかと思う。
 で、ドラマ中の水木宅には、さらになんじゃやら貧乏人イジメのごとく災厄がふりかかり、きわめて一文無しに近い状況が続くようだが、まあ水木漫画の愛読者としては、そのうち雑誌『ガロ』からお呼びがかかり貸本よりはマシな原稿料で糊口をしのげるのは知っているし(もっとも、さすがに当時小学生の狸は『ガロ』など知らなかったが)、さらに別冊少年マガジンの読み切り『テレビくん』で大好評を得るはずだから(これは小学生の狸も、あまりの楽しさに何十回と読み返した記憶がある)、安心して観ていられる。
 しかし、今日の話で、なんじゃやらお役所の人間が登場し、家屋と土地の登記上の問題で、水木氏に立ち退きを迫るのには胸が詰まった。また、しばらく前の回で、水木氏の所得申告額のあまりの少なさを脱税と思いこんだ税務署員たちが、「こんな収入で人間が生活できるはずはない」などと迫り、水木氏が「おまえらに俺たちの暮らしが判ってたまるか!」と罵声を浴びせるシーンも、胸が痛んだ。

          ◇          ◇

 実は狸も最極貧時、懐中に一文もなくなって、途方にくれたことがある。直前まで財布に数千円程度は残っていたのだが、その財布を落としてしまったのである。銀行の口座はゼロ。身内や知人に借りようにも、借りに行く電車賃さえない。とにかく翌日の日雇いに出れば幾許かの金は入るが、その日雇いに出る電車賃がない。で、最寄り駅前の交番で紛失届を出すついでに、おずおずとお巡りさんに頼んでみた。
「あのう、明日の電車賃だけ、貸していただけませんか?」
 ――けんもほろろに断られました。
 決まりがあるので、事情に関わらずそうした話にはいっさい応じられない、その一点張り。
 まあ、恥をしのんで狸穴の管理人さんに500円借りて、翌日お返ししましたけどね。
 しかし、もし管理人のいないアパートに住んでる一文無しだったら、どうなるのでしょう。狸であれば、身内や知人に「借金するから狸穴まで来てくれ」などと臆面もなく恥の上塗りをする手もあるが、そうした知り合いがまったくいない人間だったら、どうなるのだろう。
 これはもう、コンビニ強盗でも決行するしかないのではないか。
 いや、狸なら、たとえ天涯孤独でも翌日市役所に行って窮状を訴えるくらいの良識(?)はあるが、気の短い一文無しなら、やっぱり犯罪に走るしかないのではないか。
 ことほどさように納税者は(年収100万以下だって消費税を払っている限り立派な納税者だ)は、税金で食っている方々に、過大な期待を抱いてはいけないのである。


06月10日 木  うわあ

 うわあ。
 いつもの板で、ついにあのSの馬鹿に、狸としては空前絶後の『忌憚のない』コメをさしあげてしまった。
 いや、作品(と称するテキスト情報)があいかわらずヌケ作なだけでなく、コメ返しであんまりうちのお嬢様にナメた口きくんで、ついつい逆上して。なまねこなまねこ。
 言いたいこと打って、思いっきりマイナス点入れて、コメント投稿ボタンをポチっとしてしまってから、思わず「こりゃかえって悪いことしたかな。いや、Sの馬鹿なんぞ鼻で笑うのが関の山だろうからどうでもいいけど、板自体の雰囲気がなあ。なんか爺いが増長してるみたいでみっともない気もするしなあ」などと、すばやく反省したりもしたのだが。
 まあ、いいやな。Sも例によって各所に同じズリネタばらまいて、自意識過剰板では自称天才仲間たちと褒め讃え合いながら楽しくザーメンの飛ばしっこをしているのだし、またクールな他所では、当然身も蓋もないカス扱いもされているのだし。世間全体のバランスとしては妥当だろう。

 しかし狸も修行が足りない。Sが精神年齢12歳なら狸は14歳程度。ただ、大人ガキなりの謙虚さだけは忘れたくないものである。


06月09日 水  氷雪の門

 田川氏のmixi日記で、なんじゃやらあの『樺太1945年夏 氷雪の門』が、細々とながら全国で再公開されるらしいのを知った。
 で、田川氏も狸と同世代の特撮オタだし、古い映画オタでもあるので、当然のことながら、その映画がけして『幻の映画』などではなかった点を指摘している。確かに昭和49年に大作として鳴り物入りで制作されながら、当時の旧ソ連からの圧力と日本政府の妥協によって全国公開中止(北海道と九州では劇場公開されたらしい)となった不運な作品ではあるが、その後もあっちこっちで草の根運動的に、小規模な自主上映会は全国で行われていたのである。ビデオもDVDも、かなり前から通販で発売されている。
 それがなんで今になって『
6年前の2004年、貴重なフィルムが発掘された。本作に助監督として参加していた新城卓氏が中心となり、“映画「氷雪の門」上映委員会”を結成。フィルムをデジタル化し、上映活動を展開。作品に出会った多くの方の熱い支持を受け、今夏、36年ぶりの劇場公開となる。』などと、公式HPで説明されるのか。なんか商売や権利問題でも絡んでいるのかな。それとも、今回のフィルムが『完全版』とか。
 ともあれ、反戦映画でもあり少女映画でもあり戦争特撮映画でもあり、狸にとっては高校時代のアイドル・栗田ひろみちゃんがとっても健気でかわいいあの作品が、デジタル化されて残るのは嬉しいことである。
 しかし、内容的には――感情右翼の狸から観ても、あまりにミエミエの『反ソ映画』であった嫌いはある。第二次大戦末期のソビエトによる火事場荒らしが紛れもない犯罪行為であるにせよ、殺されたのも人間ならば殺したのも人間であるという根本的な感覚が、あの映画からは抜けていたように思うのだ。

          ◇          ◇

 言うまでもなく、『戦争』とは『殺戮』『暴行』『略奪』の博覧会を意味する。まあ『暴行』の部分は、あんましマン・ツー・マン的に生臭いんで、先進国家の標榜する近代戦からは排除されつつあるようだが、まあヤラれる方にしてみれば、マン・ツー・マンで殴り殺されたり犯されたりするのも、ピンポイント爆撃が外れて焼かれたりミンチになったりするのも、苦痛として大差はない気がしたりもする。で、実はその『マン・ツー・マン』であることこそが、記録ドキュメントではない劇映画で過去の戦争を描く上での、キモでもあると思うのですね。
 たとえば、あのとき満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島あたりの火事場に、ドサクサまぎれにどーっと攻め込んできた旧ソ連のろくに初等教育も受けていない野郎どもは、確かに手当たり次第に殺したり犯したり奪ったりして、いかにも中央ヨーロッパ的な伝統的『戦争』を披露したわけだが――戦後、現地の日本人女性からは、こんな証言が少なからず出ているのである。「結婚していると言うと悪さはされなかったが、娘たちはみんなひどい目に合った」。
 えーと、このニュアンス、解りますよね。要するにあっちの感覚だと、『未婚女性=処女であるべき』といった、当時の日本的な貞操観念はない。その代わり『結婚したら旦那以外とやっちゃいけない』といった貞淑の概念は、根強かったわけである。つまり、あっちの野郎どもにも、ド田舎育ちなりの宗教的な(土俗的な?)道徳律は確かに存在しており、それは戦場ですら律儀に遵守されていたらしい。

          ◇          ◇

 確かに前線で電話交換手としての使命をまっとうし、犯されることを拒否して自決してゆく少女たちの姿には、狸も落涙を禁じ得ない。
 でもねえ、やっぱり、彼女らに「まっぴらいてトンズラこく」「処女膜の2枚や3枚ちょっとこっちに置いといて長生きする」といった建設的選択肢を与えられなかった側も、この歳になると、かなり度量不足だったように思ってしまうのですね。
 いや、みんなそうするべきだと言ってるわけじゃないですよ。少年時の狸だって、あの栗田ひろみちゃんがそんな役回りを演じたとしたら、別の意味で号泣したに違いないし。狸自身だって、もしソノ気のある毛むくじゃらの露助に童貞(?)を奪われるよりは、舌噛み切ったほうがマシだし。
 ただ、あっちもこっちも、人は様々だと言いたいだけで。


06月07日 月  歳なのさ

 例のまったり系の現場で、内股を痛めてしまった。
 いいかげんに動いていたわけではないのだが、やっぱり気が緩んでいたのだろう。移動中に段差を見落とし、ほんの10センチ程度、足の着地先が低かったのである。これが20センチも下に踏み外すなら、途中で「あ、地面がねーや」と気づき、なるべく痛くないように転ぶだけなのだろうが、10センチ程度だと転びもせず、かえって「あり?」と思った瞬間には荷物込みの全体重を無防備な足にかけてしまうわけで、今回はその負荷がモロに右の股関節に響いてしまった。
 普通に歩くと、ちょっと痛い。シャカリキで歩くと、かなり痛い。しかしガニマタで歩くと、速度を問わずほとんど気にならない。
 と、ゆーわけで、今後しばらくの間、もし皆様が東京湾岸でガニマタ歩きしている狸を見かけたら、それは私です。きゅうんきゅうん。


06月05日 土  わはははは

 いや、自称街宣右翼の連中の一部は初等教育を受けていないらしい、そんな事実がニュースになっていたので。

 
和歌山県太地町のイルカ漁を告発したドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」をめぐり、26日からの封切りを決めていた東京都内の映画館2館のうち1館が、上映中止を決めたことが分かった。映画を「反日的」と糾弾する保守系団体が4日以降、上映館に抗議活動をすることを告知しており、「近隣への迷惑」を考えて自粛したという。
 映画は隠し撮りの手法などが賛否の議論を呼んでおり、今後の動き次第では上映自粛が広がる可能性もある。
 上映中止を決めたのは、メーン館と位置づけられていた東京都渋谷区の「シアターN渋谷」。26日から最低6週間の上映が決まっていた。
 同館を運営する「日本出版販売」(千代田区)によると、2日に市民団体がホームページで上映阻止を求める「抗議活動」を予告。会員らを集め、4日に同社前、5日に映画館前で街頭デモを行うとした。同社は3日に社内で協議。警察とも相談し、「お客様に万が一のことがあってからでは遅い」と中止を決めた。同社のビルには病院も入っており、「他のテナントへの迷惑も避けねばならない」との判断もあったという。
 市民団体は「草の根右派」「新保守」などとくくられるグループ。4月以降、映画の配給会社「アンプラグド」(目黒区)に抗議活動を行っていた。同社前でプラカードを掲げ「上映は許さない」「日本人の精神を破壊するテロリスト」などと拡声機で数時間叫んだ。東京地裁から4月末、同社前での活動を禁じる仮処分も出されていた。
 この団体の代表の男性は取材に「欧米白人の人種差別映画に屈することはない。表現の自由など関係ない。今後も抗議は続ける」と語った。
 「コーヴ」は全国26館での公開が決まっているが、封切り2館のもう一つの「シネマート六本木」(港区)もこの団体の抗議予告の対象になっており、上映の可否を今後検討するという。その他の映画館の多くも「様子を見たい」という態度だという。
 ドキュメンタリー映画の公開をめぐっては2年前、「靖国 YASUKUNI」が右翼団体員の抗議などで上映を中止する映画館が続出し、社会問題化した。アンプラグドの加藤武史社長は「同じ事態にならないか憂慮している。映画館側と対策などの話し合いを続けたい」と話している。(石川智也)【Asahi.com 2010年6月4日3時2分】


 映画そのものに関しては、観ていないので何とも言えない。そもそも、あらゆるドキュメンタリーは、事実をネタにした創作行為である。特に映像作品は、ちょっとした編集やナレーションや音楽の工夫で、同じ映像ソースからでも、まったく別のテーマの作品を何本だって作れる。
 今回狸が大笑いしてしまったのは、その抗議団体の代表者のお言葉である。「欧米白人の人種差別映画に屈することはない。表現の自由など関係ない。今後も抗議は続ける」って……。つまりこの方は、自分のやっていることも他人には「関係ない」と思っているか、あるいは「他人の表現の自由を無視するのは私の表現の自由である」と思っているか、そのどちらでもないとすれば――まあ、世間に多い、声がでかいだけの大人ガキということになってしまう。
 まあ、その代表者の発言自体も、石川智也という記者さんによって編集されているのだろうけれど、そもそもこうした街宣に走ること自体、すでに「他人の表現の自由を否定するのは私の表現の自由である」と明言しているわけで、やっぱり未就学児童なみの社会認識である。なまねこなまねこ。


06月04日 金  休日

 まったり労働現場は、昨日でひとまず終了。本日はアブれ。明日は大汗かきながら、コンビニ弁当用の飯を炊く予定。この3日でずいぶん太ってしまったから、ダイエットにいいかもしれない。
 太ったといっても、別にチンタラやっていたわけではない。処理する荷物が多いから日雇いの増員をかけるわけで、それなりに1日中動き回っているのだが、現場の雰囲気さえ良ければ1日中軽い運動をしているのと同じだから、かえってストレスが発散される。いきおい健康的に食欲が増し、三度三度、腹いっぱい食べてしまう。だから太る。これが辛い現場だと、心身ともに疲弊するので食欲が減退し、逆に痩せられる。肉体労働量ではなく、あくまで精神的な食欲の問題なんですね。

          ◇          ◇

 さて、四角い狸穴も丸く掃いたし洗濯物も乾いたし、あとは打鍵中の『茉莉花館』、いよいよ大詰めを打ち出すわけだが――ちょっとお困り。
 展開に詰まったわけではない。エンディングへの流れが、何ルートも脳内で拮抗しているのである。いつもなら選択肢やエンディングが複数浮かんでも、「あ、やっぱり狸世界では、こっちがトゥルーエンドっぽい」と確信をもって判断できるのだが、今回は、話自体がなんかいろいろ狸らしくないドドメ色の恋愛要素があったりするし、なんだかよくわからない怪しげなモノたちも、いつも以上に直接ストーリーに絡んでいる話なので、トゥルーエンドやノーマルエンドが、狸自身判然としないのですね。いっそノベル系のエロゲーのように全部並べて、好きなものを読者に選んでもらうとか――って、そりゃ小説じゃないぞ。
 あ、でも、昔あったよな。ゲームブックというのだったか。途中で選択肢が何種類か出て、Bのルートを選ぶなら何ページから続きを読め、みたいな。
 まあ、いい。打ち続けているうちに、キャラたちが自分で動いてくれるだろう。どうせこっちで動かそうとしたって、狸ならぬ身の若者たちが、狸の指示どおりに動くはずもない。結果的に狸の求める着地点、というか『情動のニュアンス』というか『望ましい読後感』を、醸し出してくれればいいのである。そのためのお膳立ては整えたはずだ。

          ◇          ◇

 己を鼓舞するため、ちょっと原点に回帰。

               

 ああ、荒んだ心が洗われてゆく……。
 しかし、こうしたお嬢様方って、平成のテレビには出しちゃいけないキマリでもできたんですかね。一般世間から絶滅したわけではないと思うのだが。


06月01日 火  湾岸カフェ

 本日と明日は、時給わずかに830円という、初めての現場にやむをえず出ているのだが――ああ、なんか、ゆるくてとってもいいムード。おまけに建物は妙にスタイリッシュでトイレも最新式で、東京湾を望める休憩室だけでなく『カフェ』などというスペースがあり、コンビニまで出店している。こんな流通拠点(早い話が倉庫)は初めてである。やってることは、いずこも同じ荷物のピッキングやら棚入れやらなんですけどね。ちなみに今回の現場は、タカラトミーです。いままでも玩具系には多々お邪魔したが、タカラトミーの製品には、労働者の血と汗と涙の含有率が比較的少ないと思われ、お子様にも安心して与えられる気がします。
 まあ時給が安いのも、単純に考えれば労働者には痛手なのだが、安い現場でまったり労働するのと、時給が100円高い現場で精神的に痛めつけられるのとどっちがいいか、そんな問題ですね。たとえばユ●ク●の衣料品は確かに品質の割りには安価だが、そのぶん倉庫では(製造現場は知らないが)、かなりドス黒い電波をビンビン浴びてたりもするわけです。あと、ダ●エーの冷凍鮮魚の拠点とか、セ●ンイ●ブンのお弁当製造現場とかも、なかなか派遣哀史。
 ……えーと、念のため。あくまで狸穴のあるエリアの話で、全国的なものかどうかは判りません。また、同じ倉庫内や工場内でも、どこに回されるかで天国と地獄の差があったりもします。