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08月31日 火  ハイ・ハイ・ハイ

 さすがに今年の夏の太陽に関してはそろそろボコりまくってコンクリ詰めで東京湾に沈めないことには例年の太陽たちに対してしめしがつかないと思うのだがあなたどう思われますか一万文字以上で答えられるものなら答えてみなさいわっはっは。
 ……落ち着こうね落ち着こうね。夜勤明けでおまけに茉莉花館の推敲やってるううちに頭がハイになって眠れなくなってすっげーくそ暑くてたまらんのだがまあ日雇いのハシタ金が入ったからもう清水の舞台から飛び下りる覚悟で涼しい涼しいかっぱ寿司に進軍して思うさまうまい寿司食ってでも絶対8皿以上食っちゃだめだからねまた週末には欠食寸前になるんだから落ち着こうね落ち着こうね。

          ◇          ◇

 さて、いつもながら真っ先にご感想をいただいたお二方には、思わず五体倒地して感謝の念を表させていただきますとともに、本格推敲前の文章でお目汚しをさせてしまい、数回の五体倒地程度では許されないほど慚愧の念に堪えない狸です。まあ、少々の打鍵ミス修正と十行程度の追加と語句の調整なので、全体の感興にはさほど影響はないとは思うのですが、美男美女に化けたつもりなのに実は狸の尻尾が隠しきれていなかったわけで、やっぱりすみませんすみません。
 あれを応募するなら内容的に日本ファンタジーノベル大賞がむいているのではないか、などという嬉しいお言葉もいただいたりしてしまったわけだが、すでに他作(封印中)で前科があるのよなあ。確か400ナンボの応募作から40ナンボに絞られる第一次選考は通ったものの、そこからいきなり4〜5作に絞られる第二次選考で敗退――あの賞は、他の公募よりも選考が一段階少ないのである。二次通過数が他社の三次なみで、次がいきなり最終選考。三段階しかないのである。己のレベルを把握しにくい。だからとっても精神的にキツい。
 まあ、どこに応募するにせよ、どのみち推敲はまだまだ必要である。まだ仕上がったばっかりですもんね。必ずあるのよ。何度読み直しても見落としてるアラが。


08月29日 日  タカリの日

 先日の夜は、駿河台で明大漫研のOB連中、20人近くといっしょに飲んだ。
 近頃徹底的に金がないので、本来顔を出せる状況でもないのだが、五十嵐氏のお誘いを断るには、あまりに心がサミしかったのである。土日とアブれてもいたし。
 卒業以来初めての顔、その後もけっこう会っていた顔――しかし、卒業以来でも女性軍の顔と名前はしっかり覚えていたのに、野郎に関してはほとんど失念していた。狸はそーゆー奴である。現在児童文学主婦(?)のS嬢――今さら『嬢』と言うのもおかしいが――などは、娘さんをふたり同席させており、つくづく歳月の流れを感じた。
 徐々に男どもの顔と名も一致してきたが、一部必要以上に元気な奴を覗けば、肺癌で化学療法を始めるだの脾臓を摘出しただのなんのかんの、50前後にしてくたびれきったおっさんばかり。ああ、和みます。みんなヨレヨレで、でも生きている。
 で、本来四千なにがしの割り勘になるところを、姑息に千数百円でごまかしてしまった狸は人非人。だって火曜の入金までをしのぐ僅かな金銭すら、それ以上出すと怪しくなってしまうのである。まあとっくに人間やめてるとはいえ、いつもながら五十嵐氏にはすみませんすみません。でも酒はうまいし、いにしえのネーチャンの方々だって酔ってしまえば綺麗なような気もしないではない。野郎どもより格段に元気だし。
 ところで、今さらお世辞を使うわけではないが、けして売れっ子とは言えなくとも、今どきの漫画業界、オリジナル作品だけで四半世紀も生き残っているというのは、五十嵐氏もやはり大した実力なのである。今アクションに不定期連載しているSFだって、まるで大学時代の同人作品のようなストイックで媚びのない作風なのに、けっこうアンケートでは善戦しているそうだ。同人活動すら媚びだらけの売れ線に走る小僧っ子が多い昨今、末永く、頑固に頑張ってほしいものである。

          ◇          ◇

 近頃めっきり酒に弱いので(単に金欠)、大して飲んではいないのだが、帰穴すると酔い覚めの脳味噌は妙に活性化、打鍵中の『茉莉花館』に、イッキにかたを付けてしまった。ひととおりの推敲ののち、あっちの板で更新。
 結局540枚前後に落ち着いたようで、実は狸の紡ぐ長編は、なぜか判で押したようにその分量になる。映画一本、そんな感覚でまとめると、どうしてもそうなってしまうのですね。一時間枠のドラマをやろうとすると200枚前後、三十分ドラマをやろうとすると数十枚から100枚くらい――やっぱりクドいのでしょうか。


08月26日 木  死屍累々

 アニメ監督の今敏さんがお亡くなりになったそうだ。46歳。仕事人としては、まさにピークまっただ中の夭折である。
 思えば、あの業界で50を迎えずに亡くなった方は、狸の記憶にも数多い。狸の好みに即するだけでも、ハイジ、ラスカル、ペリーヌ、そしてアンの美術監督・井岡さんとか、懐かしきパンコパからジブリ諸作まで原画や作監でがんばってくださった、近藤喜文監督とか。
 まあ、なんであれ、ありもしない絵空事に生命を吹き込むのは、体に悪い作業なのだろう。

          ◇          ◇

 ようやく自作『茉莉花館』の、山場を打ち終えた。あとはエピローグ、推定十数枚程度――なんつって、それがまた実際何枚でどんだけかかるか、わかったもんじゃないんですけどね。推敲もまだまだだし。でも終わりが見えたからには、さっさと済ませたいものである。歳だし。
 しかし、短編ネタのつもりで着想したのに、結局五百数十枚の長編に――。困ったもんだ。時間ないし。未来ないし。


08月24日 火  狸穴猫飯店

 先週から狸穴群の管理人さんが長期旅行に出ており、管理人さんが番猫たちの餌の主力供給源だったためか、あの若い方の番猫が、毎日のように狸の部屋で食事をする。管理人さんも一階の親しい老嬢たちに留守中の餌など頼んで行ったわけであるが、イマイチ人当たりの悪い一匹は、どうも食いっぱぐれがちになるらしい。
 狸は日によって居宅時間帯が千変万化する。ともあれ夜間あるいは早朝のどちらか、帰宅してしばらくの間、窓を全開し玄関も半開して穴中に風を通す。そして風呂や飯の準備をしていると、いつしか「な〜」などとしおらしく啼きながら、あの猫が登場する。以前は三和土までしか上がってこなかったが、最近は台所まで上がってくるようになった。で、お魚をくわえて逃げ出したりするとサザエさんが追いかけて愉快でみんなが笑ったりするのだが、狸穴には生魚もサザエさんもいないので、孤独な狸が餌を分け与える。
 以前はチクワや魚缶やチーカマなどを分け与えていたのだが、しだいに餌を共にするのが面倒になり、100円ショップで猫用ササミ(これは狸でも食えるくらいうまい)を買ったり、100円でふたつ買える猫用魚にしたり、食品系バッタ屋で3缶140円の猫缶(牛や鳥が原料の)にしたり、今日は6缶200円の猫缶(カツオ系の安物)を与えてみた。どんどん予算が削られていくのは、けして猫を軽視しているのではない。狸自身の懐具合に比例しているだけである。経済的にも栄養的にも、本当は管理人さんや老嬢たちが与えているドライフードが正解なのだろうが、まあ狸に期待されているのは主食というより間食っぽいので、傾向と対策を考えてやっているのである。主食もドライ、おやつもドライでは、人間のホームレスより哀れだ。
 猫用フードの中でいちばんうまそうに食っていたのは、牛肉系猫缶、猫用ササミあたり。やはり高い物ほど美味いらしい。もっとも、かつて狸と同じ物を食べていたときは、チーカマ、そして意外なことに、ローソン100のメンチカツ(2個パックのやつ)を、はぐはぐはぐと夢中で貪っていたようである。ローソン100では、キャットフードコーナーにもメンチカツを並べればいいのではないか。一個あたり50円で、そうそう高価でもないし。もっとも、あんまり体に良さそうではないので、ペットの健康には良くないかもしれない。人間は世界中に余っているし、狸も猫ほどかわいくないから、何を食ってもかまわんようなものだが。
 しかし今日の特売猫缶は、明らかに食いっぷりが悪かった。主成分はカツオの血合い、それに白身、そして鳥のササミが少々。食い残しを見ると、どうもササミを好んで、選って食ったらしい。この近辺の野良は、獣肉系嗜好か。考えてみりゃ、近所に魚なんて泳いでませんもんね。鼠や雀は豊富だが。

 扁桃腺はほぼ消炎、鼻風邪レベルで洟や痰を少々残すのみ。しかしこの猛暑がまだ続くとなると、油断は禁物。


08月20日 金  お久しぶり扁桃腺

 おお、ちょっと涼しくなったかな、などと半日だけ油断させておいてまた猛暑に戻ったり、それでなくとも体のほうは30度と零下を行ったり来たりしてなんだかよくわからない近況だったりしたせいか、実に久しぶりに持病の扁桃腺が疼きだした。思えば去年の千畳敷入院手術以来、同じチ●コでも喉チ●コまわりのほうは、一年近く腫れていなかったわけである。あらためて股間をまさぐれば、あの臓物と睾丸を繋ぐように残っていた痼りもほぼ消失している。下のあっちが完治したので、「あ、じゃあ上のこっちでまた腫れさせていただきますね」とか、扁桃腺が気を利かせたのか。
 ここは問答無用で抗生剤を処方してもらおうと、かかりつけの(と言ってもここ1年はご無沙汰していたが)耳鼻咽喉科に行ったら、改装のためお盆をはさんで長期休業中だった。仕方がないので、月イチで血圧を診てもらっている総合病院へ行くと、こちらもすでに顔なじみの医師が「これはみごとに真っ赤っ赤ですね」と感心してくれ、すぐに抗生剤を処方してくれた。近頃は命に関わらない病気だと、強めの薬を控える良心的な病院も多いので、見た目が派手な状態だと話が早い。
 しかし、明日と月曜に冷凍倉庫が控えてるのよなあ。今からキャンセルすると、1回500円の違約金取られるのよなあ。代わりの現場も引っ越しくらいしかないのよなあ。
 まあ、抗生剤飲んでれば大丈夫だろう。外で大汗かいて重労働するよりは、零下でそこそこ働いているほうが、自覚としても体は楽なのである。


08月17日 火  ありがたきネット様


               

                      風が運んだ花のにおいに
                      酔ってしまった僕なのさ
                      すきとおる桃色の小さな耳に
                      そっと噛みついてしまったのさ

                      あの夏の日の午后から
                      ぼくはずっと酔っぱらいぱなし
                      いつも心臓がドキドキするし
                      頬っぺたは真赤で恥ずかしい 

 そ、そうか。昔から折に触れ脳内に蘇るこの歌は、『南風』という歌だったのだなあ。NHK少年ドラマ『ぼくがぼくであること』(昭和48年・1973)のテーマソングである。そうか、作詞作曲歌唱は佐藤博さん(同姓同名でもナウくないフォークのほうの)で、今もCDが入手できるのか。で、佐藤博という方は――な、なんと、手塚治虫先生の『バンパイア』、あの水谷豊少年が主役を演じた実写とアニメの融合作品で、ロックを演じた俳優さんでもあったのですね。いやあ、知らなかった知らなかった。ふとした検索から芋蔓式にこうした情報を得られるのは、まさにネット様々である。

          ◇          ◇

『ぼくがぼくであること』の原作者・山中恒氏は、言わずと知れた児童文学作家――いや、確かご本人がそうした呼称を嫌っているので、児童よみもの作家ですね。氏のこの作品と、佐藤さとる先生の『だれも知らない小さな国』、そして今江祥智先生の『山のむこうは青い海だった』、それから敬愛する三浦哲郎先生の『ユタとふしぎな仲間たち』――いずれも思春期前後の狸が、くりかえし堪能した日本の児童文学作品である。
 三浦先生の『ユタとふしぎな仲間たち』もNHK少年ドラマになっており、後年発売されたビデオを、狸は今も愛蔵している。ご存知のおたくの方も多かろうが、NHK少年ドラマシリーズのビデオカメラ撮影作品は、現存していないものが多い。ビデオテープ自体が高価な時代だったため、放送後、マスターテープを別の番組の録画に再利用してしまったのである。しかし『ユタとふしぎな仲間たち』は、初めから芸術祭参加作品として企画されたからかフィルム撮影されているので、今に残ったわけである。
 佐藤先生の『だれも知らない小さな国』は民放でアニメ化されたが、原作の詩情とは無縁の、なんだかいかにもウケねらいな脚色だった。
 そして『山のむこうは青い海だった』は、一度も映像化されていない。ああした話を、真摯な児童番組にしてくれるようなテレビ局は、NHKを含め、もう二度と現れないのだろうなあ。


08月13日 金  なんかいろいろ

 昨夜は零下33度と聞かされて、期待と不安ともども出勤してみたら、厳寒のブースに出入りするのは1時間に5分程度で、大半は摂氏3度の現場での作業であった。故郷の冬(昔まだ都市熱のなかった頃)に比べれば大した寒さではなく、むしろ暑がり狸の活性化する気温である。
 しかし零下33度はやはり強烈であり、そこから3度のブースに移動するたび、眼鏡が真っ白に曇る。つまり、この時期、冷房の効いた室内から屋外の30何度空間に出ると結露するように、極寒から並寒(?)への移動でも、同じように結露するのですね。小学校の理科もとうの昔に忘れてしまった狸には、新鮮な体験であった。
 ところで、さすがにどこのどんな店と記すわけにはいかないが、まったく別の寿司チェーンで、価格差が倍もあるシャケや茶碗蒸しを注文しても、正体はまったく同じ中国の冷凍製品(原料ではなく加工食品そのもの)だったりすることがあることを、今回学習しました。まあ、職人さんが握るか寿司ロボットが握るかとか、器とかインテリアとか、そこいらの価格差はあって当然だが、腹に入れば皆同じ。これがグローバルスタンダードというものか。……違うかもしんない。

          ◇          ◇

 夕方久々に、数年前に辞めた某カメラチェーンの店長仲間と合って、まだ明るい内からちょっとだけ飲んだ。あちらはまっとうな妻子持ちの正社員だから、陽のあるうちに飲むというのは怠惰な話のようだが、実状はまったく逆。出店しているSCによっては、24時間営業なのである。退社後クダまく時間帯もシフトしだい。
 まああちらの話題と言えば昔同様に職場や家庭の愚痴ばかりである。景気のいい話などない。小説や漫画やエロゲーの話も当然出ない。それでも狸にとってはやはり懐かしい世界の話だし、あちらはあちらで、定職も一銭の貯金もなくホームレス寸前の孤独死候補と話をするのは、いわゆるひとつの気分転換として好適なわけである。こちらがまだ小説なんぞ打っているというと、あちらは、遠く夢見がちな瞳になって「いいなあ」などとつぶやいたりもするわけだが、お互いツブシの利かない学部を出て中小企業にしか就職できなかったレベルの中高年同士、それなりの家庭と年収を選ぶか、やくたいもない夢に逃げるか、ふたつにひとつなのである。
 無論世の中には仕事と趣味を両立させている方がたくさんいらっしゃるが、少なくとも狸が在職中に創作なんぞやる気力があったのはせいぜい20代、サブの頃までで、店長になってしまってからは、そんな気力も体力もなかった。ここに記しているようなアホな独り言なら、話すのと大差ない速度で打てるかもしれないが、まっとうな創作を目ざすとなると、そうは行かない。狸の場合、化けるのに手間暇がかかる。そして化けなければ打てない。
 で、飲み代は当然の如く、あちらに一任。すまんすまんと言いつつ、こーゆー時だけは貧乏人の勝ちである。貧者が富者を慰めているのだからなあ。……いや了見が違うぞ狸。

          ◇          ◇

 さて、連休だ。と言っても日曜の夜から、また夜勤。


08月12日 木  あんまし有名でもない映画音楽名曲覚書

               『ペイネ 愛の世界旅行』(1974)
               フランスのイラストレーター、レイモン・ペイネの人気キャラを
               モチーフにした、イタリアの長編アニメですね。
               音楽は、マカロニ・ウェスタンで有名な、エンニオ・モリコーネ。

               


               『幸せはパリで』(1969)
               ぬるくてなんかとってもいい感じの、アメリカ製欧風コメディ。
               とにかくバート・バカラックの音楽が酔える。

               


               『バラキ』(1972)
               かなり血生臭いアメリカのギャング内幕物なんですけどね、監督が
               英国のテレンス・ヤングなので、なかなか渋い。
               音楽はイタリアのリズ・オルトラーニ。正調オルトラーニ節の甘味。

               

                        ◇          ◇

               さあて、狸は今夜も冷凍倉庫だ。涼しくていいぞ。……ほんとは厳寒。

08月09日 月  劔岳 点の記

 木村大作監督の『劔岳 点の記』(2009)の録画を、ようやくじっくり鑑賞する。昨年公開したばかりだというのにロハで地上波放送してくれるというのは、まあ放送局が制作に絡んでいるからだろうが、やくたいもないCMを早送りする手間さえ惜しまなければ、やはり貧乏人にとってはありがたい。
 木村大作といえば、言わずと知れた映画カメラマンであり、邦画黄金期に修行を積んで、一本立ち後は斜陽邦画界で種々のヒット作を手がけた撮影監督である。しかしあくまでカメラマン、役者の演技自体を演出したことはないはずだし、しかも撮る映像自体はどちらかと言えば硬派。見え見えの大スケール感で煽るとか、情緒纏綿たる美的映像で酔わすといったタイプではない。だから、まあ手堅い映画を見せてもらえば充分といった期待度で観始めたわけだが――いやあ、脱帽しました。本当に昭和遺産的な名作になっている。近頃の役者さんのクラシカルな使い方もうまいのなんの。特に、えーと、宮崎あおいさんですか、実は狸はあのお嬢ちゃんの演技と声がダメで、あの大人気だったNHK『篤姫』もダメだった口なのだが、この映画では、大して変わり映えした演技でもないのに、きちんと明治の若奥さんに見えてしまうんですね、これが。それも、すっげーかわいいの。つまり撮り方が正しいのだな。まあ当時の登山装備とか、松田龍平さんの滑落シーンとか、多少ハテナの部分もあるのだが、そこいらも充分、銀幕の嘘として許容できる範囲である。
 何はともあれ、頑固な職人親爺が丹誠こめた地味な男泣き映画、久々に所有欲にかられる邦画ではあった。

               

               


08月06日 金  歳なのさ

 冷凍倉庫の夜勤で凍傷の心配をするかと思えば次の夜には冷房なしの倉庫で滝の汗――何年か前まではさほど苦痛を感じなかったパターンなのだが、今年はかなりこたえる。節々が『がりごりぎし』などと軋んだりする。猛暑で寒暖差があまりに極端なせいもあろうし、去年の入院で体が少々変わったせいもあろうが、実のところ単なる加齢という気もする。ともあれ、昔より寒さにも暑さにも適応しにくくなっているのは確かだ。
 いっぽう歳と共に快感が増すのは、なんといっても温かい風呂である。猛暑でもとにかく温湯である。夜勤からへろへろと帰って、午前中からぶくぶくと風呂に沈潜すると、『がりごりぎし』がダイソーの入浴剤に溶けてゆくのを実感できる。それはもうそのまんま寝こんで体ごととろとろと溶解してしまい、人肉シチュー都市伝説を現実にしてみたくなる。もっとも狸のことゆえ狸汁になるわけだが。

          ◇          ◇

 降圧剤が切れるので、夕方かかりつけの医者に行ったら、「夏痩せですか」と訊かれた。先月より頬がコケて見えたらしい。血圧も、いつもは130台後半で、疲れた日には140を越すのに、今回は120ちょっとしかない。毎日薬を飲んでいるのだから本来そのくらいが当然なわけだが、いつもより低ければ低いで医者は気にする。結局、猛暑続きのせいだろうということになる。
 かつて大デブで悩んだ身、他人様に痩せて見えれば嬉しいので、帰穴後じっくり鏡を見たら、確かに頬の肉がちょっとだけ落ち、代わりに白髪がエラく増えていた。眉毛にまで白毛が目立つ。この暑さが続けば、立派な白狸になれそうな気がする。

          ◇          ◇

『茉莉花館』の打鍵、微々。それでも進んでいることは進んでいる。
 ふと思えば前回更新分には、早くに感想を下さったおふたり以外、まったく感想が増えていない。幻想よりもアクション寄りになっているので、好みでない方が増えたのかもしれない。また、思えば「あと2回」だの「次回は最終回」だのと嘘八百(すみません、悪意はないのです)を繰り返し、春からずるずる引きのばしているのだから、あきれられて当然かもしれない。
 それでも白狸になる前には打ち終えたいものである。


08月03日 火  番猫失格

 し、死んでいる。自転車に轢かれて。……ちがう。

   

 ついにこちらの若猫も、暑さのためいっさいの警戒任務を放棄、チャリ置き場で生ける屍と化しております。狸が横のチャリを移動しても、「……あーもうなんか私もう一生寝て暮らしますのでどうぞあなたも好きにやっててください」と、薄目を開けるばかり。

 本日アブれた狸も、狸穴という蒸し風呂の中で生ける屍と化し、十数年も前に録画した『日本列島・夏の味』やら『各駅停車と駅弁の旅』やら、やくたいもない旅番組を眺めながら、だらだらと脳内無銭旅行に逃避しておりました。
 しかし今年の夏は根性が入っている。いや、そんなレベルは通り越し、すでに根性が曲がっている。
 来年あたりは、プッツンとキレるのかもしれませんね。


08月02日 月  逃げ切るための夏映画

 こないだ話題にした『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター』に続き、やっぱり現在この国では幻の懐かし映画となってしまっている『チコと鮫』など思い出してしまったので検索してみたら、やっぱり多数の年輩の方々が「もう一度見たいよう見たいよう」と身もだえしていらっしゃるようだが、映像はYOUTUBEでも唯一これしか見つからなかった。

               

 なぜか資料によって制作年度が1962年から1964年までバラバラなのだが、とにかくその頃のイタリア映画である。現在ソフトが出ているのはイタリア本国だけらしい。狸が劇場で見たのは確か1970年前後だから、リバイバル公開されたのか、あるいは当時山形市で唯一の旧作名画座『山形宝塚小劇場』の、2本立て200円ポッキリで観たのだろう。どのみち小6か中1の頃にいっぺん観たっきりだから、正直、ストーリーの記憶は曖昧なのだが、とにかく子供心に「うわあ! こーゆーのもアリなのだ! ろくでもねー現実なんぞ見限って海の彼方に逃げ切っちゃってもいいのだ!」と、すなおに涙した記憶がある。
 えーと、こんな話なのです。当時のキネマ旬報より引用。

 神秘的、童話的であり、時には夢のように非現実的でさえある南海の楽園タヒチ。昔からここの漁夫たちにとって、人食い鮫は最大の仇敵とされていた。
 ある時、少年チコは海岸に迷い込んでいた人食い鮫の子供を見つけた。チコは、女友だちディアーナと一緒に浜辺に水たまりをつくり、餌を与えて小さな鮫をひそかに育てていった。ある日、だいぶ成長した鮫は、チコとディアーナを豊かな色彩に満ちた大洋の海底深く、あるいは珊瑚礁の間を次々と案内して、すばらしい風景の浜辺へつれ出すのだった。が、突然、海底深くもぐり、二人の視野から姿を消した。それ以来、鮫は毎日海岸で待つチコのもとには帰って来なかった。
 十年たち、チコ(アル・カウエ)はたくましい若者に成長していた。仲間たちと漁に出たチコは、ある日、海底で五メートルもある巨大な鮫と再会した。鮫に対する友情は、チコを現実の社会からだんだん引き離していった。が、タヒチにも文明の波が押しよせ、チコと鮫がかつてのように楽しく暮すことはできなくなってきた。
 チコは将来を約束した美しい幼な友だちディアーナ(マルレーヌ・アマング)と鮫をつれ、二人と一匹が平和に暮せる島を求めて、タヒチを出て行く決心をした。長年アメリカで暮し文明生活を身につけてきたディアーナは、チコの愛情と、文明と近代が彼女に与えた生活との二者択一に悩んだが、潔よく文明を捨て、人間性の回復を求めて、チコとともにタヒチの波間に消えていった。


『バミューダの謎』では、美しい娘も時を越えたロマンスも、しょせん哀しい別れに終わる。いっぽう、たとえば『スプラッシュ』(1984)のように、主人公が色っぽい人魚と手に手を取り合って海の底の別世界に逃げ切ってしまう映画もあるのだが、あれはあくまで人魚ネタの純メルヘンだ。
 しかし『チコと鮫』に関しては、舞台こそ当時としては『夢の』タヒチだが、社会観はあくまでリアルなのですね。だから、当時思春期の入口にいた狸などは、「あー、こりゃフランダースの犬っぽい泣かせになるのかな、それとも娘か鮫の二者択一かな」などと、斜に構えて観ている。ところがぎっちょんちょん、ラストでは、3人、じゃねーや、2人と1匹、仲良く海の彼方に旅立ったりしちゃうのね。脳味噌まで茹だるような盆地の夏には、信じがたいグッドトリップなのであった。
 まあ人食い鮫の一見インケンな目つきも、見慣れれば蛇や蜥蜴の目と同様、なかなかかわいいものなのですね。



08月01日 日  平常心平常心

 いや待て。
 この国の行く末を儚むには、過去、愛しいものが多すぎる。
 ならば今もこれからも、愛しいものは、この国に在り続けるにちがいない。