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12月30日 木  蛍の光

 ♪ ほ〜た〜る〜の〜ひ〜か〜あり〜〜〜 ま〜ど〜の〜ゆ〜う〜きぃ〜〜〜 ♪
 とまあ、一日以上早い気もするが、どうやら冷凍倉庫の中で除夜の鐘を聞きそうな(近くに大音量の梵鐘を装備したお寺があれば)あんばいなので、今の内に。年越し蕎麦も、すでに今晩食ってしまいました。ともあれ狸も皆様も、なんとか無事に2011年を迎えられそうな今日この頃、ほっとひと息。……もし、すでにお亡くなりになった方がここを覗いていらっしゃいましたら、すみませんすみません。
 大晦日から元旦まで跨ぐ日雇いというのは、さすがに初めて。しかしそれ以降は、世間様なみに(?)3日まで連休である。アブれたのではなく、自発的寝正月。目ん玉トロけるまで寝倒したい、ただそれだけが、疲れきった今の狸の望みなのである。まあ、たまにはいいやな。

 正月中に、例の縮小計画も完遂したいところ。
 先日、ついつい本音が出て激しく自画自賛してしまったが、それはあくまでカット前の書きたいだけ書いたモノに対する思いであって、遊びを削り枝葉を刈り、ただ縮めるがために泣く泣くカットした間《ま》も多い縮小版が、客観的にどこまでオリジナルの情動を保っているかは、我ながら疑問だ。しかしそうしなければ、そもそも日本ファンタに応募すらできないのだから仕方がない。
 もしかしたら、縮小版自体をまたあの板に投降し、ご意見を聞くことになるやもしれません。

 なにはともあれ、それでは皆様、よいお年を。


12月28日 火  年の瀬の独言

 今月から派遣会社のシステムが、不定期の日雇いでも、強制的に社会保険や雇用保険が適用されるようになった。当然、日銭から、今までの源泉徴収に加え、保険料の負担分も僅かながら差っ引かれる。しかるに、昔と違って社保が国保より気前がいいわけではないし、仮に一定期間経過してから完全失業したとしても、現在の平均収入の6割なんぞでは生活が維持できるはずもなく、どのみち体を壊したら生活保護か橋の下なのである。要は一定以上ビンボになると、生活保護を受けない限りひたすらイジメられ続けるしかない国なのだなこの国は。
 生活保護の不正受給者なども後を絶たず、なにかと肩身の狭い印象のある制度だが、そうなるしかないという厳然とした現実の中で、不本意ながら生活保護に頼る方々が圧倒的多数なのである。狸だって、いざとなったら素直に生活保護申請する。マジに野良狸化するほど根性ないし。

          ◇          ◇

 などと言いつつ、夕方までかかるはずだった倉庫作業が午後には終わってしまい、僅かながら不労所得を得た今日の狸である。気が大きくなって、今の内にと正月のお節料理を確保してしまった。もっともローソン100や例の食品系バッタ屋で、最低限のチョンガー用パックを揃えただけなのだが、極貧の狸すら形だけでも正月気分が味わえることを考えれば、やはりこの国は、世界的に見れば立派な富裕国なのである。最低処遇の労働者がイジメられ続けることで餓死者の増加を食い止められるとすれば、構造的には大いに問題であるにしろ、けして無意味な生ではない。もちろん富裕層の方々が、より偽善に目覚めてくれればベターなのだが、まあ一度フヤけた人間に「貪るな」と言ってもほとんど無駄なのは確かだし、なんぼ蟹工船の労働者が団結しても、彼ら自身一度フヤけたらアガリであることは、全世界の自称社会主義国家が明確に証明してしまっている。
 いつか全人類が偽善に目覚め、種としての穏やかな滅びをあえて受け入れたときこそ、人類という種は、初めて猿人から『進化』したことになるのだろう。スターチャイルドなんて、偽善ですらないただの夢だ。まあ夢だから美しいんですけどね。

          ◇          ◇

『茉莉花館』縮小計画、いよいよ40×30で170枚を割った。あと5枚、150行――なんだか正味2時間の映画をテレビの2時間枠に、つまり実質1時間半にカットする作業のようで、ただひたすら事務的で面倒な作業なのだが、それでも全体を読み返すたびに抱く「俺って、なんて面白くていい話を書いたんだろう」、そんな感慨が、不本意な行為をかろうじて続けさせてくれる。
 この世は夢よ、いざ狂え。


12月27日 月  雑想

 2歳の女の子を踏み殺した鬼畜のニュースを見た。同居していた女性の長女、という表現だったから、いわゆる内縁の妻の連れ子なのだろう。『内縁の夫』というやつがみんな馬鹿というわけではないだろうし、実の親だって子供を殺す場合もあるが、確かちょっと前に小学生の女の子をベランダに放置して衰弱死させたのも、血の繋がらない義理の父親だった。要は、もともと欲しかったのは妻本体だけで、余計なオプションはいらなかったのだろう。しかし最初からオプションこみなのを承知でくっついたのだから、それなりの誠意は保ってほしい気がする。そこいらのところをぜひ理解してもらうため、狸としては壮年期のアフリカ象に化けて、その内縁の夫を誠心誠意、力いっぱい踏んづけてやりたいと思う。そうすれば、きっと誠意の重さ大切さを、解ってくれると思うのだ。まあ、ほんの一瞬の理解にとどまるにせよ、何の理解もできないまま殺されてしまう子供よりは幸福なはずだ。

          ◇          ◇

 なにかと暗澹の気に沈みそうな歳末だが、すべてを吹き飛ばしてくれるようなギャグを久々に再見した。NHKで放送した、コロッケの、芸能生活30周年コンサート。
 黒々とした底光りを感じさせる種々の有名な持ちネタも面白いが、デビューしたばかりの頃の、『ブルース・リーの録音風景・「ドラゴン怒りの鉄拳」サントラ盤』という芸が、今も恐るべき破壊力だった。あのサントラ盤に収録された怪鳥音、つまり「アチョー!」とか「アタッ!!」とかを、沸騰したヤカンに触ったり手を突っこんだりしながら演じるのである。着想だけならありがちな一発芸だが、これを各種怪鳥音に合わせて絶妙に演じ分ける。特に、ヤカンにずっぷし手を突っこんだときの大怪鳥音(?)などは、あまりの演技力に抱腹絶倒し、炬燵の上の味噌汁をひっくり返してしまった。さすがは座長公演まで持てる芸人さんである。傾向は違うが、ボルテージとしては、竹中直人の『笑いながら怒る人』に匹敵する狂気と言ってよい。

               

               


12月24日 金  クリスマス慰撫

 今さら気づいたのだが、おお、昨日は祝日だったのか。どうりで、いつも残業できる現場が、定時前に早々と終わってしまったわけだ。

 で、クリスマスって何? それ美味しいの? ――などとお約束のボケをかましてみたり。ほんとは先週今週の日雇いが主にタカラトミーの流通現場だったから、一昨日までのプレゼント需要によるてんてこまいで、クリスマス前の季節感は身に染みて味わっていたんですけどね。狸も良い子たちのために、せっせとサンタの片棒を担いでおりました。まあ正直、子供の内からこんな完成度の高いパッケージ玩具群に溺れるよりは、もうちょい想像力を喚起する素朴な玩具のほうが情操のためにいいのではないか、などと、爺臭い思いも抱いていたのだけれど。なんか総てが妙にリアルで、付帯する夢さえもリアルっぽい。狸が幼時に心待ちにしていたような、月刊漫画雑誌の歳末号や新年号に挟み込まれてくる紙製の付録玩具が、キッチュではなく夢の種として、無性に懐かしかったりもする。……うわ、マジ爺臭い。
 しかし、たとえば、あの紙製の幻灯機に裸電球つっこんで、おいおいこれ焦げ臭いけどだいじょぶか、などと怯えながら、部屋の壁に薄ぼんやりと浮かぶ不鮮明な映像にときめく、あるいは印刷型抜きのセコいピストルで厚紙の弾丸を撃ち合って、正義の味方として殺してみたり悪漢として死んでみたりする、ああした状況が、今の狸の化け嗜好に直結しているのも確かである。ポイントは高濃度の脳内補完ですね。

          ◇          ◇

 結局ユニセフには1万振り込んでしまった。ますますもって金がない。いい歳こいたおっさんが、この歳の瀬に食うに困って、万引きして捕まったニュースなどを見聞すると、ただで食えるんなら万引きや食い逃げもいいか、などとついつい思ったりするのだが、万一捕まってしまうと生涯偽善者の道が閉ざされてしまうので、やっぱりパスするしかない。
 と、ゆーわけで、狸のクリスマス・イブのディナーは、珠玉の98円発泡酒と、
かの日本語の魔術師・内田百闔≠ェ、たまの御馳走として賞味していたという『シャアシャア』および『ジウバリ』である。もっともそれらが氏の『御馳走』だったのは、戦後すぐの食糧難時代の話。つまり単なる鶏肉のバター焼きと、油揚げの炙った奴。しかしどちらも、脳内補完の必要もないほど、しみじみ旨い。いつもの野良三毛も、油揚げはともかく処分特価の鶏肉に関しては、激しくはぐはぐと賞賛しておりました。もっとも、バター焼きより、ナマの切れっ端のほうが好みのよう。


12月22日 水  恥ずかしい告白

 わっはっは。録画しておいた『ラストコンサート』(1976)を観て、それはもーボロボロと落涙してしまった。念のため、こんな駄菓子屋の砂糖菓子のような映画で、本気で泣く人間はたぶんアレです。しかし狸はアレが大好きだ。
 まあひとくちに言えば、なんかいろいろ行き詰まって人生捨て気味だったムサいピアニストのおっさんが、白血病で余命幾許もないけれどやたら健気で明るい少女になぜか惚れられ、発奮して再起するが、少女はその復帰コンサートを舞台袖で見守りながらお亡くなりになってしまう、まあそんな身も蓋もない話である。映像もただひたすらミエミエに美しく、現在でもあちこちで耳にするシンプルで愛らしい主題曲と、ラフマニノフの最も甘い部分だけパクりまくったような協奏曲が、全編に流れまくる。舞台はフランス、役者は欧州各国混成、スタッフはイタリアの安価な娯楽映画職人たち、そしてお金を出したのは日本の会社。
 とまあ、あらゆる点においてツッコミどころ満載の商売物なのだが――とにかくすべてが直球なのです。直球を顔面で受けてしまうと、どーしても悶絶せざるをえない。バットで打ち返したり、咄嗟に避けたりするだけの脳味噌がないのですね、狸のような小動物は。
 まあそれ以前に、実は狸が幼少時よりずっぷし溺れてきた、『竹宮恵子や萩尾望都や山岸涼子が登場する以前の、そして太刀掛秀子も田淵由美子も陸奥A子も登場する以前の、西欧風メロメロ少女漫画』――ズバリそんな風合いなのであった。
 だから未見の方には、絶対にお勧めしません。四分六でシラけるでしょう。それでも狸はアレが好きだ。

               


           

               

 NHKの単発ドラマ、『続遠野物語』も録画していっしょに観たのだが、これは少々残念な出来であった。ヒネリすぎ。CGも、あの世界にはいらんでしょう。


12月19日 日  別にかまわんと思うのだが

 狸の数少ない人脈の中でこれを言うと、いろいろ反撥もありそうな気がするが――『「刑罰法規に触れる性交等」などを「不当に賛美・誇張」して描いたものを規制対象とし、書店に対して18歳未満への販売を禁止し、店頭での区分陳列を義務づける』とゆーことなら、別にかまわんのではないか。そもそも「描くな」とは言っていないんだし。もし問題があるとすれば、この国にありがちな民間メディア側の小心姑息な自主規制のほうである。
 少年ジャンプの集英社などはカッコつけてツッパっているようだが、あくまで商売でやってるとこですからね、もし金主の意向でも変わればコロリと変調するだろう。そもそも、少なくとも自社の少年誌に『「刑罰法規に触れる性交等」などを「不当に賛美・誇張」して描いたもの』を載せるほどの度胸は、今までもなかったはずである。まあ、青年誌のほうはほとんどドエロ野放し状態なので、どこの出版社も大変だろうし、コミケあたりでも全作品のチェックや年齢制限を徹底するのはなかなか骨だろうが、従来通りヤバい橋を渡って儲け続けるか、大人らしく「こっちは18禁」と割り切って欧米諸国のように販路を明確に分けるか、まあ『児ポ法』などというザル法をかつて容認してしまった国民としては、引き続き腹をくくり続けるしかあるまい。

『児ポ法』成立以降の出版界において、狸は、司直の石頭よりも、多くの出版社の小心姑息のほうが、よほど愚劣で腹立たしい。司直からもまったく文句の出ていない珠玉の少女写真集類を、性器が写っているというだけの理由で自ら封印したかと思えば、性器と肛門さえ隠れていればいいだろうと小学生のTバック写真集を量産し売りさばく――しょせん金と色しか頭にないのである。
 石原知事の全発言を容認するわけではないが、少なくとも個人の『美意識』においては、よほど筋が通っている。ならば創作者側も、自らの『美意識』を、世に問い続ければ済むことだ。
 泉鏡花の『夜叉ヶ池』で、池の主、白雪姫様もおっしゃっております。
「義理や掟は、人間の勝手ずく、我と我が身をいましめの縄よ。……鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言わるる私が身に、袖とて、褄とて、恋路を塞いで、遮る雲の一重もない!」
「ええ、煩いな、お前たち。義理も仁義も心得て、長生したくば勝手におし。……生命のために恋は棄てない。お退き、お退き。」


12月17日 金  そうなる前にハジけましょ

 17日午前7時50分ごろ、茨城県取手市のJR取手駅西口ロータリーで、「女性が刺され、血だらけになっている」と119番があった。県警取手署によると、江戸川学園取手中・高校の生徒らが乗る関東鉄道の路線バス2台に男が相次いで乗り込んで包丁を振り回し、乗客に切りつけた。男は現場に居合わせた複数の男性に取り押さえられ、駆けつけた署員が殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
 男は自称、茨城県守谷市在住、無職、斎藤勇太容疑者(27)。包丁1本(全長約20センチ)を所持していた。調べに対し「自分の人生を終わりにしたかった。不特定の人を包丁で傷つけたことは間違いない」と供述しているという。
 取手市消防本部などによると、けがをしたのは男性7人、女性6人の計13人。このうち4人は同校の中学生、7人が高校生。また、5人が顔などを切られたが、いずれも命には別条ない。他は打撲傷などで軽傷。
 関東鉄道などによると、被害に遭ったバスは西口と江戸川学園を結ぶ2台で、江戸川学園取手中・高校に通学する生徒の利用がほとんどという。斎藤容疑者は1台目の中央入り口付近に立ち、発車間際に生徒ら3人に切りつけたという。
 男性運転手(42)が車内に「逃げろ」と声をかけ、異常を知らせるためクラクションを鳴らすと、斎藤容疑者は逃走。後ろからきた午前7時35分江戸川学園発、西口着のバスに移り、降車中の女性らを殴ったり切りつけたりした。こちらのバスの男性運転手(44)と乗客らが斎藤容疑者を取り押さえた。1台目のバスは生徒で、2台目は一般乗客でほぼ満員だった。【中野秀喜】【毎日JP】

 7日朝、茨城・取手市のJR取手駅前で、刃物を持ってバスに乗り込み、通学中の高校生らを切りつけるなどして14人にケガをさせたとして殺人未遂で現行犯逮捕された住所不定・無職の斎藤勇太容疑者(27)は、警察の調べに対し、「自宅を出た後、数日間、路上生活をしていた」と話している。
 警察によると、斎藤容疑者は自らも手にケガをしており、診察のために病院へ行った後、17日午後3時頃に茨城県警取手署に入った。
 斎藤容疑者はこれまでの警察の調べに対し、「自分の人生を終わりにしたかった」などと話していることがわかっている。その後の警察の調べで、「茨城・守谷市の自宅を出て、数日間、路上生活をしていた」と話していることが新たにわかった。また、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認している。
 凶器の文化包丁の他に、斎藤容疑者の荷物の中からは、新たに果物ナイフのような刃物が見つかった。このナイフに血はついておらず、犯行には使われていないものとみられている。
 警察は、さらに詳しい動機などを調べている。【日本テレビ】

17日、茨城・取手市のJR取手駅前で、刃物を持ってバスに乗り込み、通学中の高校生らを切りつけるなどして14人にケガをさせたとして殺人未遂で現行犯逮捕された住所不定・無職の斎藤勇太容疑者(27)は、高校の卒業文集でクラスのランキングとして「ストレスがたまりそうな人1位・サイトウ」「事件を起こしそうな人4位・サイトウ」などと書かれていた。
 斎藤容疑者の印象について、高校の同級生は「1人でいることが多くて、おとなしめなタイプ。怒ったところは見たことがない。(事件を起こすような)タイプではないです」と話している。【日本テレビ】


 ――狸は取手の駅ビルと、その真ん前の東急の某テナントで、数年に渡り働いていた。アパートも駅から数分のところ。もう10年近く前の話だが、静かで住みやすい街だったので、それなりに愛着が深い。まあ昔もごくたまに殺人事件などはあったが、都内や、それ以前に住んでいた群馬の高崎や前橋などに比べれば、比較にならないほど平穏感のある地方都市、というか、ベッドタウンといった印象だった。今回は死者が出なかっただけ、胸をなで下ろしてもいる。
 あんな田舎の風情を残すところでも、ここまでストレスが溜まってしまうのだなあ。いや、昔から無差別大量殺傷事件には、都会も田舎も関係ないか。相対する世間のなんかいろいろが、薄すぎても濃すぎても、ストレスの質こそ違え、蓄積度はいっしょですもんね。

          ◇          ◇

 思えば取手に赴く以前の狸は、ほとんど酒が飲めなかった。仕事ではそこそこしゃべくり、社交辞令も言っていたが、それはあくまでカメラやプリント処理に関連する職業上の話題だったからで、ふだんはまさに「1人でいることが多くて、おとなしめなタイプ。怒ったところは見たことがない。(事件を起こすような)タイプではないです」と言われ続けていたのである。ところが、当時あそこの駅ビルのテナント会がとにかく陽性人の集まりで、何かにつけて連日のように『打ち合わせ』という名の酒宴に招集される。狸も名ばかりとはいえ店長を名乗っている以上、参加しないわけにはいかない。そしてアルコールという奴は、陽性人の集合体に投入されると、それはもうなんだかよくわからないほどの陽性電波を無尽蔵に出力する。ふと気づけば、夜ごと孤独にアニメやホラー映画に惑溺するばかりだったぶよんとしてしまりのない寡黙な中年おたくがフランク永井の『大阪ろまん』から及川ミッチーの『悲しみロケット2号』までを不気味に歌い、駅ビル全体の忘年会では他の中年男といっしょになってSMAPの『SHAKE』を踊り狂ったりしているのであった。アルコールの害毒、恐るべし。

 斎藤勇太容疑者は、きっと飲まない人だったと思う。酒なんて、今どきホームレスでも飲めるほど安い。先に飲んだくれてしまえば良かったのである。

               

               

               


12月14日 火  人身事故

 帰穴の電車が、また人身事故で停まった。しかしほんとうによく停まる。各駅のホームに投身用位置マークでも描かれているのではないかと思うほどだ。
 もっとも日本人の自殺好きが、昔から世界的に有名なほどなのも確かである。戦中の『カミカゼ』や、海外の日本研究者が好んで喧伝する『恥の文化』のせいでもあろうが、エンタメ系でも、たとえば日本を舞台にしたジェームス・ボンド物の異色作『007は二度死ぬ』。あれの映画版は、悪役ブロフェルドの秘密結社による人工衛星丸ごと拉致などという新奇で派手な話になっていたが、原作は、ブロフェルドとその妻が日本奥地の古城を買って隠棲し、広大な私有地内を毒性植物の森だの火山性毒ガス噴出口だので埋め尽くし、自殺好きの日本人が口コミで連日忍び込み死んでゆくのを愉しむ、そんな趣向だった。出版されたのは1964、昭和39年である。そんな頃から、ちょいと取材で訪日した作者イアン・フレミングも着目するほど、この国では日々自殺が多く報道されていたのですね。
 もっとも、たぶん当時の自殺は、急速な経済大国化に伴う馬車馬的労働についていけなくなったとか、ビンボが嵩じて一家心中に走るとか、受験で失敗したとか、あるいは学生が哲学的に悩んで厭世に走るとか――あれ? 成人層はおおむね今と変わってないのかな。もっとも若年層だと、昔のようにとことん哲学的に悩む以前に、早々と人生リタイアに走る青少年のほうが近頃は多そうだ。イジメとかは昔からあったにしても、当時イジメごときで簡単に首を吊るには、未来に未練がありすぎた。

 まあどのみち今も昔も、未来なんて生き続けない限り、明るいか暗いかさえ判らない。未練たらたらにあがきながら生きてても、少なくとも『自分の生』という見聞は増やせるわけで、結局は心身共にお徳用な気がする。


12月12日 日  雑想

 狸穴の番猫の内、人当たりはいいが狸の餌付けは成功していなかった白黒ブチが、今夜はいつもの三毛といっしょに飯を食って行った。事前にドアの前で、三毛となにやら鼻をつき合わせて会話していたのだが、あれは三毛が「ここんちの狸もあんがい使えるぞ」などと誘っていたのだろうか。三毛は例によって部屋に上がりこんで食って行ったが、白黒ブチはさすがに警戒が解けず外の通路で迷っているので、皿を通路に出してやったら、夢中でハグハグと食い始めた。3缶99円の特売モンプチでも、三毛の嗜好に合わせて獣肉系を選んだので、このあたりの野良にはウケがいいらしい。そのうち二匹揃って、畳を掻きむしろうとするのだろうか。

          ◇          ◇

 最寄り駅の近くに、御当地では四棟目の超高層建築物が建ち始めた。私鉄駅に付帯していたごちゃごちゃの古い商店街一区画を、まっさらにつぶしての新築である。どうせまた高級マンション主体の複合ビルになるのだろうが、正直、いいかげんにしとけと言いたくなる。狸などにはたいへん好ましいごちゃごちゃ商店街が、また完全消滅する。ほんとうにこの国は不景気なのか。こっちがビンボしてるぶん、あっちに回っているだけなのではないか。――なんて、この世に貨幣が出現して以来、世界中ずっとそんな感じなんですけどね。

          ◇          ◇

『茉莉花館』、ようやく40×30で180枚まで縮小する。応募規定の165にはまだ遠いが、当初の228枚を思えば、よくまあ縮めたものである。当然ストーリーが破綻しないように、遊戯的な趣向をカットしていくので、筋書きの進行は早まるが、全体の余裕というか、狸汁的な細かい具が失われる。まあ全体のクドい出し汁は残るわけで、それでもけっこう美味だとは思うのだけれど。


12月10日 金  セッション

 休日(アブレ)でも、遠出する交通費などは近頃きれいさっぱりないのだが、奮発して船橋のどでかいダイソーに出かけた。地元のダイソーもけして小さくはないのだが、たとえば下着や入浴剤などは品揃いが限定され、ドビンボのくせに好みのうるさい狸向きのアイテムは一般受けしないのか、初めから扱わないか、一度扱い始めてもすぐにカットされてしまう。船橋のダイソーは5階建てで、およそダイソーで扱える総てのアイテムが揃っている。狸の歪な体型でも快適に暮らせるブリーフや、ヤバいほどにクドい入浴剤なども100円で入手でき、近頃は新古本まで並んでいる。

 で、その帰途の電車で、面白いものに遭遇した。電車バカの二重連である。
 確実に座れる最前車輌に乗りこんだ時点で、すでにひとりが頑張っており、なんじゃやら電車の走行音を真似て奇声を発していた。ときどき見かける青年とは違い、整った言葉はいっさい発さず、ただ大声で呻いているだけなので、鷹揚な狸もさすがに往生していると、西船橋で、こんどはその馴染みの電車バカ青年が乗りこんで来た。こちらは発車と同時に、例によって車掌さんか運行解説者といったあんばいで、蕩々と語り出す。先客の電車バカは、一瞬、巌のように硬直して沈黙した。お互いに面識はないらしい。やがて、負けてはならじと発奮したのか、電車の揺れに合わせてひときわ大きな唸り声を発し始める先客に、後から乗った青年も仰天して数瞬沈黙したが――ベテラン運行解説者としての自負か、あるいは障碍者同士の連帯感によってか、唱和するように、高らかに解説を再開した。つまり走行音再現と運行解説のセッションが始まってしまったのですね。

 狸の幼時、山形の城南陸橋の上でがんばっていた汽車バカに関しては、以前ここに記したような気がする。あの陸橋も、すっかりそうした情景の似合わない近代的高架道路に変貌してしまったが、汽車が新幹線になろうがリニアモーターカーになろうが、日本中の電車バカには末永くがんばってほしいものである。


12月07日 火  雑想

 まあ別にカブキ者の、それも若い衆のすること、泥酔して愚連隊の若い衆とイザコザを起こすくらいは大目に見てやりたいと思う。
 のりピーさんは自己弁護的な告白本を出して顰蹙をかってしまったようだが、なんのなんの、角川のシャブ中坊ちゃんだってきちんとオツトメを終えれば堂々と返り咲けるキワモノの世界、あとは今後の女優としての底力しだい。
 古来、芸能などというものはヤクザや愚連隊と切っても切れない世界なのであって、喧嘩当然ヤク当然、自己中当然。問題なのは、芸能人を一般社会人の規範に閉じこめようとする戦後の世間なのであって、とんだ勘違いとしか言いようがない。だから芸能がどんどん矮小化してつまらなくなっているのだ。
 このところ、日雇い帰りにドンキで買い物していると、なぜか岡村靖幸の歌がガンガン流れてとても嬉しいのだが、思い起こせば、彼も今年の2月には出所しているはずだ。しかしまだ活動再開の話は聞かない。

               

 でね、でね、、おばちゃま思うのよ。シャブが抜けて大人しく隠棲しちゃったり健康に長生きしちゃったりする靖幸クンよりは、トリップ状態で歌い踊り狂いながらポックリ若死にしちゃう靖幸クンのほうが、おばちゃま、ぜ〜ったいクールだと思うの。
 なんちゃって、おばちゃまも靖幸クンのオツトメ中は、ついつい及川ミッチー様に浮気しちゃったりしちゃったけど、やっぱり、なんかド健康すぎて物足りないのね。きちんとハイにはなれるのよ。でも、このシワシワに垂れ下がったおなかの皮の奥の奥で、死ぬまで女であることを忘れてくれないおばちゃまの因果な子宮が、どーしても対岡村級に疼きまくってくれないの。くすん。

          ◇          ◇

 話はコロリと変わって、本日の日雇いに危うく遅れかけた。よりによって朝の満員電車の中で喧嘩が起こり、市川で電車を止めてしまったらしいのである。狸は危機一髪で西船橋発の送迎バスに間に合ったが、本日の日雇い仲間20人中4人ほどは、とうとう現場に間に合わなかった。喧嘩の原因は、満員電車の中で携帯で通話し始めた馬鹿らしいが、電車が止まるほど大騒ぎになったということは、嗜めた側もハンパな正義漢ではなかったのだろう。
 その馬鹿や正義漢(?)に日雇い4人分の日銭を請求しても、まさか払ってはくれないだろうなあ。なまねこなまねこ。


12月06日 月  日本の笑顔

 ようやく旧作扱いになったので、ツタヤの100円レンタルで『剱岳・点の記』のDVDを借りる。さすがに地上波で観たときよりも格段に画像が美麗。シナリオ・演出・演技ともに、地上波で観たとき同様たいへん結構で、とくに役者さんたちに関しては、あのとき同様「ああ、昨今の若い役者さんや壮年程度の役者さんでも、演出と撮りようによっては、立派に明治の風情や重厚さが出せるのだなあ」、と感心した。
 さて、そーすると――残るは、『笑顔』である。

          ◇          ◇

 まあ、えてして日本人の笑顔という奴は今も昔も、その背後に喜びだけでなく、なんじゃやらいろいろの悲しみも幾年月ぶん含んでいたりして、それはそれでとっても愛しいのではあるが、一方で、たとえば明治初期に来日した外人さんたちが一様に驚いたような、ある意味その腹中を邪推したくなるほどスコンと抜けた、なんの感情も読めないような純笑顔、といった笑顔は、この方を最後に絶えて久しい気がする。

               

 ほとんど健全一色の明るい笑顔のまま、例のジャンボ墜落で御巣鷹山に散った坂本九ちゃんも、実際は、けっこう複雑な家庭環境に育ったらしい。9人兄弟の末っ子として可愛がられたとはいえ、そのうちの6人は腹違いだったそうだし、育った家は裕福ながらマジな『娼家』、つまり遊郭のお女郎屋さんである。両親も後に離婚している。
 まあそうした環境で、あの純真な笑顔を堅持したまま育ちきれるということは、たとえ腹違いの兄弟姉妹すべて、そして離婚した両親さえもが最後まで密な情愛に繋がれていた、そんな奇跡的家族だったためでもあろうが、やはり社会自体が『家庭的な歪み』に対して大らかであったからでもあろう。

               

 ともあれ、九ちゃんの死後に出された永六輔さんの著書の中で、坂本スミ子さん(知らないお若い方のために念のため、同じ姓でも九ちゃんとは血縁のない、大阪の女優兼歌手さん)がこんな発言をしている。
「九ちゃんの笑顔というのは、その裏に淋しさとか苦しさのある笑顔ではなかったと思う。人は、笑顔の裏ということをよく言うけれど、九ちゃんのは、誰のためでもない自分のための笑顔で、その笑顔で自分を励まし続けていたんやと思います。」
 鬱病やら自殺者やらが量産体制になりつつある昨今の日本、その精神的な萎縮は、この国のメディアの多くが坂本九の笑顔を必要としなくなった昭和の終わり頃から、確実にそっち方向に歩みつつあったのかもなあ。


12月03日 金  雑想

 歳末恒例、ユニセフの封書が届く。狸のような意志薄弱な偽善者が一度手を染めてしまうと、なかなか抜けられないシャブのような世界である。
 確か去年は、夏の入院の高額医療費がちょうどこの時期に還付されて、発作的にほとんど送金してしまったんだよなあ。しかし今年は、きれいさっぱり余裕がない。パンフによれば、去年と同じ大盤振舞5万コースだと『最も死の危険性が高い生まれたての赤ちゃんを守る新生児救命キット8セット』とあるが、今年はどう頑張っても貧乏人向け3000円コースか。それでも『子どもたちをはしかの脅威から守る予防摂取ワクチン141人分』にはなるそうだ。日本とは違い、ソマリアの田舎あたりでは麻疹程度でも子供がコロコロ死んでしまうらしいから、それだってなかなか偽善度が高そうな気がするが――うう、やっぱしどちらかと言えば大台1万円コース、『深刻な栄養不良の子どもを治療する栄養補助食「プランピーナッツ」279袋』なんてのが、腹をへらしたちみっこたちにはウケそうな気もするんだよなあ。
 ともあれ師走は募金運動も大車輪、ビンボな偽善者には悩ましい季節である。死ぬまでに一度くらいは金余りの偽善者になって、ハイソな暮らしにフヤけながら、思うさま偽善に走れる身分になってみたいものだ。そこまでは無理でも、せめて昔のような平均所得くらいの偽善者に……無理?

          ◇          ◇

『茉莉花館』圧縮計画、身を削る思いでちまちまと細部を削り続け、なんとか原稿用紙換算500枚までダイエットできた。応募規定にギリギリおさまる。しかし同じテキストを規定のワープロ印字書式(40文字×30行)になおして見るととあら不思議、規定上限165枚のところが、現在193枚――だからこの妙な枚数規定ってなんなんですか新●社さん。小学校できちんと算数の勉強しましたかあ? ……いや、杓子定規に掛け算割り算一発の応募規定だから、こうなってるんだよな。
 いっそ筒井康隆先生の一部の作品のように、会話も地の文もほとんど改行無しのぶっ続け――なんて、あれはすでに功成り名を遂げた筒井先生だからこそ許される世界。あるいは純アマチュアにしか許されない世界。公募に出したら、封筒からシュレッダー直行間違いなし。


12月01日 水  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 
くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 
ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」

 くにこ 「……うーむ。まんねりに、いろをつければなんとかなるってもんでもないとおもうが、どうか」
 たかこ 「はっはっは」
 ゆうこ 「ぽ」