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02月27日 日  雑想

 おいおいまだやってたんか、と言われてしまいそうだが、『茉莉花館』短縮版、さすがに本編にこれ以上手を入れる箇所は見つからず、応募のための梗概やら何やらを、まとめ始めようと思う。しかしもともと寸足らずな狸のこと、ここまでしつこくやってもまだ穴はあると思われ、現につい3日ほど前にも、我ながら「……俺ってマジにアルツ?」と独りごちてしまうような、勇介と慎治の動作の齟齬を発見している。それはもうビジュアルとしては大洗海水浴場級の齟齬なのだが、クライマックスのアレに紛れて、作者のみならず、読者様のどなたも気づかれなかったようだ。仮に気づかれたとしても、イキオイで許して下さったのか。

          ◇          ◇

 妙な夢を見た。
 推定大学時代の若い狸が、女性といっしょに(夢の中では恋人同士という設定のようだが、現世では見知らぬ方である)信州旅行をしており、その帰途、信越本線の横川駅で、『おぎのや』の『峠の釜めし』を購う。「昔より味が落ちたなあ」かなんか言いながら食い進めていると、鶏肉の下からちっこい子供が顔を出し、「やっほー」と元気に挨拶する。箸でつまみ上げると、二寸ばかりの、つんつるてんの赤い和服を着た、ちょんちょん頭の女児である。つまり明らかにそれは、おなじみ『たかちゃん』の変形キャラなのだが、今回はなんじゃやら座敷童っぽい扮装で、『峠の釜めし』のアタリのオマケらしいのである。で、そのオマケは、狸と女性の同棲するアパートに住みつくことになるのだが――続きは所詮夢のこと、なんの脈絡もない過連想世界に突入してしまう。

 目覚めた後、まあ、ありがちな短編のネタにはなるな、などと思いながら、その釜めしから登場するシーンを反芻していたら、過去の類似するビジュアルに思いあたった。何年か前、ネットで見つけて保存しておいた、アニメの一齣である。頭に備長炭をのっけたちっこい女の子が、白飯の真ん中から顔を出してるカット。
 あれは確か、『びんちょうタン』とかいう萌えキャラだったような――そう思い出し、改めてネット検索してみると――。
 おおおおお、こ、こんな珠玉の作品世界だったのか。ミエミエの『萌えキャラ』は、かえって敬遠してしまうマイナー指向の狸ゆえ、今まで愚かにもその世界を知らずにいた。
 な、なんとゆー殺人的な『萌え』世界。
 おまけにそこは、孤独な地方出身非正規労働者の、心の故郷でもあったのである。
 ああ、俺の躰に、こんなにも暖かい涙が、こんなにもとめどなく残っていたか。
 五十過ぎにしてきゅうんきゅうんと疼きまくるこのろりぺど心を、ああもう、どーしていいやらこーしていいやら。
 ……と、ゆーわけで、しばらく狸は狸本来のろりぺど世界、たかちゃん時空に戻ろうかと思ったりしています。

 まあ粗い動画とはいえ丸々アップのYoukuも色々問題アリなのだろうが、貧しい狸が金を払ってDVDレンタルするためのサンプルとしては、やはりありがたい。


02月24日 木  人生いろいろ

フィリピンで児童買春容疑、64歳男逮捕
TBS系(JNN) 2月24日(木)12時48分配信
児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕されたのは、調布市の会社員・高上裕孝容疑者(64)です。
高上容疑者は2005年、フィリピン・ミンダナオ島のホテルで現地に住む当時15歳の少女におよそ6000円を渡す約束をしてわいせつな行為をした上、デジタルカメラで上半身の裸を撮影した疑いがもたれています。
「客室に入り監視するようなことはできません。誰かの叫び声でもしなければ不可能です」(現場のホテル)
高上容疑者は、数年にわたってフィリピンに行っては同様の行為を繰り返していたとみられるほか、自分のブログに「フィリピンでは簡単に買春できる」などと書き込んでいたということで、警視庁は児童買春の国外犯規定を適用して逮捕に踏み切りました。
「買春被害は10万人くらい」(日本ユニセフ協会 中井裕真広報室長)
取り調べに対し高上容疑者は「若い子と遊びたかった」と容疑を認めているということで、警視庁はほかにも複数の被害者がいるとみて調べています。


 こうした所業も人間の『業』であり、歴史上、犯罪視されるようになったのはごく近年にすぎないことも認めつつ、実名・本人動画を晒しての『逮捕』、やはりザマミロである。わざわざフィリピンまで常習的に買いに行っていた以上、さらに幼い少女たちも買っていたのは明らかだ。とうていそんな金のない狸としては、正直に「このわるやましい奴め!!」と憤るしかない。
 まあ自分に金があったとしても度胸はないし、偽善者としての姑息な矜持もあるので、めっきり精力の衰えた昨今、以前のように未成年っぽく見えるプロの方を探し回る気力もなく、ユニセフあたりに送るのが関の山か。……その前に借金返せよオイ。

          ◇          ◇

 クライストチャーチでは、行方不明者を巡る時間との戦いが続いているようだ。
 狸の姪は五体満足だし、半ば現地人化しているから彼氏の家族など知人も多いので、とりあえず生活に困ることはなさそうだ。
 しかし瓦礫の下で救助を待つ方々(見込み薄とは聞いているが、いてほしいものである)はもとより、かつかつで暮らしていた自称留学生、つまり流れ者の方などは、明日、いや、今日の糧にも苦労しているだろう。なんとかたくましく生き延びて欲しいものである。
 あの街は、人心・気候ともに、穏やかで暮らしやすい土地と聞いている。しかし、いわゆる天変地異は、時と場所を選ばない。なぜ強欲カダフィ親爺だの金一族だのが、瓦礫の下に埋まらないのか――まあ、やっぱりお偉い神様なんてものは、下々のイキモノのことなど、いちいち気にしていられないのだろう。


02月22日 火  大地震

 ニュージーランドのクライストチャーチ、震災自体は午前中だったそうだが、狸が知ったのは帰途後、夜のNHKニュース。
 クライストチャーチといえば、まさに狸の姪が暮らす街なのである。精神的にも経済的にも世話になりまくりの実姉、その娘のひとりだ。
 泡を食って姉宅に電話すると、姉もパートの後に姪本人からのメールを見て、ようやく震災を知ったとのこと。本人からのメール――つまり本人は無事で、ひと安心。あっちで同棲している現地人のアンちゃん(一昨年の帰国時に同伴したほどだから、まあ事実上の夫婦ですね)も無事だったようだ。
 姪の勤めるショッピング・モールは、幸い近年の鉄筋物件だったので大きな被害はなかったらしいが、屋根の一部が崩落し、死ぬかと思ったそうだ。しかし煉瓦の建物も多い古都だから、崩壊した大聖堂のニュース映像のように全体的な『惨状感』は甚だしく、姪のアパートも、電気は復活したが水道は止まったままとのこと。もし日本の下町などに同じ揺れが来たら、阪神淡路以来の大惨事になっていたのではないか。
 ニュージーランド南島では一応首都的な街のこと、シャカリキで救助も復興も進むだろうが、日本の救援隊もぜひ即行し、最先端地震国(?)の底力を見せてほしいものである。


02月21日 月  実験と分析


          

 とまあ、こんなハクいおねいちゃん方による果敢な実験により、狸が最も好むところの女性の部位が、やはり最強であると推断できるわけだが……念のため。この動画を紹介してくれたmixiの記事などでは、どうもこの実験結果を、このおねいちゃん方の容姿や年齢に、多く関連付けてしまっているようだ。
 しかし、それは正しくないと思うぞ。
 仮に、世の女性すべてが、老若問わずヒップラインの明瞭なパンツルックで同じ実験を試みれば、その大多数において、近似の結果が出るはずだ。
 それが女性の尻である――ただそれだけで、それはすでに大地母神の豊饒そのものなのである。ふんふんふんふん。


02月19日 土  ジェームス・ボンドとヒースクリフ

 いつもながら「昔は良かったなあ」と愚痴るばかりで申し訳ないのだが、好きな映画俳優の話を、ひとつ。
 英国のティモシー・ダルトンの話である。

 ティモシー・ダルトンというと、狸にとっては、映画においても小説においても重要なヒーロー達のうち、『007シリーズ』のジェームス・ボンドと、『嵐が丘』のヒースクリフを、ほぼ狸の脳内イメージにドンピシャの形で演じてくれた偉大な俳優である。純エンタメと純文学、両極端の映画化だが、共に狸が思春期を迎えた中学から高校にかけて、ずっぷしイレコんでいた2大ヒーローなのである。
 もっとも1970年の、ロバート・フュースト監督版『嵐が丘』は、ホラー畑の監督による低予算作品だったせいか、日本ではビデオもDVDも出ていない。よって若き日のダルトン版ヒースクリフも、ごく一部の愛好家に熱狂的に支持されているに留まる。また、充分に成熟してからようやく実現したダルトンのジェームス・ボンドも、1987年の『リビング・デイライツ』と1989年の『消されたライセンス』の2本のみで、シリーズ制作自体が中断してしまい、数年後に復活したときには、もうピアーズ・ブロスナンに交代していた。

               

               

 さて、この1970年の『嵐が丘』、低予算のわりには、音楽をフランスの大御所ミシェル・ルグランが担当しており、これも知る人ぞ知る結構なスコアなのだが、本編のゴシック・ホラーの風合いを強調したシナリオや演出には、やや上品で大人しすぎる印象もあった。
 のちの1992年、ピーター・コズミンスキー監督による『嵐が丘』、これは原作の長大なストーリーを2時間程度でこなしてしまうという無謀な脚色だったため、全編が総集編的に浅いのが残念だったが、音楽は、あの坂本龍一教授による入魂のスコアで、狸は「ああ、この音楽が、あのロバート・ヒュースト版で流れていたら、どんなにずっぷしと盛り上がっていただろう」などと、夢想してしまったものである。同じ感想を抱いたマニアは他にもいたらしく、わざわざ合体させた映像が、YuoTubeで見つかった。

               

 この調子で全編やってくれる、暇な『嵐がオタ』はいまいか。


02月16日 水  革命、そして日和見の狸穴

 革命とは、 客を食事に招くことでも、詩を作ることでもない。 絵を描いたり、刺繍をすることでもない。 そんな優雅で上品なものではない。革命とは暴力行為なのだ――。
 と、ゆーよーな毛沢東の言葉のテロップが、狸のご贔屓映画『夕陽のギャングたち』の冒頭に提示されるわけだが、なぜか米英公開版ではカットされているのだそうだ。エジプトで群衆に暴行された(性的な行為を含む、とニュースでは表現されていた)米女性記者には同情するが、暴動も革命もテロも維新も戦争も、暴力行為以外の何物でもないことは自明の理で、それを取材するには相応のリスクが伴う。死ななかっただけ幸運、としか言いようがない。
 たとえば明治維新の際、『勝てば官軍』の名の下に、無教養な即席官軍兵たちがどれほど破廉恥な所業を繰り広げたか――きちんと教科書にも載せて欲しいものである。

          ◇          ◇

 ころりと話は変わって、めでたく狸穴のガスが復活した。
 久々に浸かる狸穴の湯は、窮屈ながら、やはりくつろぐ。
 おまけに晩飯は、なんと『魚沼産コシヒカリ』だったりする。新聞の契約を更新したら、2キロ袋をオマケにくれたのである。それはもうモチモチと舌に心地よく、コメってこんなに甘いものだったかと、心底感服する。韓国海苔と生卵、そして味噌汁に納豆があれば、至福の御馳走だ。
 と、ゆーよーなわけで、なにはともあれ平和な現代日本を言祝ぎ、発泡酒でひとり乾杯してしまう、無自覚かつフヤけきった狸なのであった。


02月14日 月  ケダモノたちの晩餐

 番猫たちの食性の、共通点や差異が日に日に明らかになり、元は同じ野良猫なのにずいぶん好みが違うものだと感心する。
 管理人さんが毎日与えているのはドライフードであり、これは両者、主食であることを認識しているらしく、文句を言わずに同じように食っている。他の一階の爺婆が与えているのは、どうやら魚系の猫缶で、これも両者食うことは食うのだが、どうも空腹をしのぐため仕方なく食っているように見受けられる。
 で、狸が一日おきくらいの頻度で与える夜食、これはあくまで『おやつ』ということで、獣肉系の猫缶やら2本98円の猫用ササミやらチクワやらメンチカツやら、バラエティーを持たせているわけだが――たまにしか来ない白黒ブチは、やはりチクワしか食わない。獣肉系モンプチもササミも、匂いをかいだだけでスルー。明らかにドライフードが一番の好物なのだ。万人に対する人なつっこさから見ても、野良になる前は、やはり幸福な家猫だったのだろう。そして狸穴侵入の常連、あの猫又もどきの三毛は、やはり純野良として生まれ育ったに違いない。とにかくなんでも食うだけでなく、獣肉嗜好がハンパではない。

 先日、備蓄していた処分特価の安輸入牛コマが、うっかり冷凍庫で日を経るうちにアヤしげな臭いになってしまい、解凍物件を前にどうしたものかと逡巡していると、例の三毛が現れ、そのアヤしげな臭いに妙に昂ぶって、盛んに催促し始めた。生の鶏肉を好むのは知っていたが、それより幾層倍も激しく催促する。腐りかけの獣肉臭に反応しているとしか思えない。試しに何切れか与えてみると、これがもう飢えた獅子のごとく、ガフガフと貪り喰らうのである。結局、二百グラムちょっとのパックの、三分の一ほどをたいらげてしまった。
 ああ、やっぱりなんか、そんな卑しい育ちの奴なんだな、お前は――などと親近感を募らせながら、安心して、残りの肉はバター焼きにした。
 無論、狸が自分で食ったのである。ガスが止まっていても、オーブントースターで焼ける。塩胡椒して焼いてしまえば、ナマのときのアヤしげな臭いなど、美味の一要素にすぎない。腐敗寸前、すなわち熟成の極限である。


02月11日 金  雪の降る街を

 湾岸倉庫から舞浜駅へ、雪の夜道を辿っていると、派遣仲間のひとりが追いつき、話しかけてきた。朝の集合時にも幾許かの会話を交わした、ごく最近派遣仕事を始めたという、狸よりやや年下の、しかし立派に白髪の目立つ、でも痩せているのでとっても羨ましいおっさんである。
 太めと細めのうらぶれたおっさん同士、雪のディズニーランド方向に歩き続け、とりとめのない話を続けるうち、この狸は与し易しと見たのか、相手が奇妙なパンフレットを渡してよこした。『数秘術・占星術・タロット占い』――。食うに困った占い師のヒトだったのである。いやあ、ワーキング・プアにも色々いるもんだ。
 無論、最安価コースでも2000円というその正式な占術など、受ける金はない。今週はガス代さえ払えないのである。あちらも当然、派遣仲間の懐具合は想像できるだろう。パンフはあくまで名刺代わり、そんなニュアンスで、狸の生年月日を訊ね、嬉しそうになんかいろいろロハで占ってくれた。普通の会社勤めは無理な、たとえばミュージシャンなどに多いパターンだそうだ。どのみちその『ミュージシャン』の頭には『挫折した』とかがくっつくはずだし、まあなんとなく心当たりのあるようなないような、説得力のあるようなないような、どのみち『狸の心ひとつ』的な『狸の人生』が、これまでもそしてこれからも続くようであり、先々の確固たるビジョンなど、明示されるはずもない。

 占い師の世界も、結局は実力以上にネーム・バリュー、そして演出力だそうだ。そりゃミュージシャンも小説家も漫画家も、同じだわなあ。

 まあ、いいや。
 今宵降りしきる雪たちは、ネーム・バリューも演出力も立派に備えているような気がするが、それが何に値するかどうかは、所詮雪自身の知るところではない。

               

 『雪の降る街を』は、確かすでに高英男さんの歌唱を紹介した気がするので、今夜はお気に入りの冬ゲー『雪影』より、主題歌『雪催い』など。
 いきなり柳田国男で始まるエロゲーだったりするんですね、これが。


02月09日 水  狸の湯

 ものすごく恥ずかしい話をひとつ。
 実は月曜から、ガスを止められてしまった。
 いや、督促状を忘れていたわけではない。蟄居して衰弱死を待っているわけでもない。ただ、滞っていた古い月のぶんから先に払い込むべきところを、何を間違えたか新しい月の請求書で入金してしまったのである。これを間違えるとエラいことになるかんね、と督促状にも明記されているのに、である。ウブなネンネじゃあるまいし、今さらそんな初歩的なミスを犯すとは――数年来のビンボが何一つ知恵に繋がっていない狸。なまねこなまねこ。

 まあ電気は止められていないから調理はできるし、頭も洗えるし体も清拭できる。来週になれば残りのガス代も払えるだろう。しかしこの寒空に、一週間風呂なしはキツい。いちんち立ちっぱなしの脚の疲れも、足先を洗ったくらいでは癒されない。
 と、ゆーわけで、ご近所の銭湯はみんなつぶれてしまった今日この頃、徘徊記憶を頼りに寒風の中をチャリで近げな銭湯に向かったわけだが――ガッチャ! なんかいかにも自然の草色っぽい『よもぎ湯』なんて浴槽があり、たっぷり一時間くらい、思うさまフヤけてしまいました。以前ご近所にあった銭湯でも、お醤油のように黒い『ラベンダー湯』などというけっこうな天然薬湯があったが、やはり一般市販の入浴剤とは違って、天然の汁っぽさが極楽極楽なのであった。

 しかしガス代すらも滞っているというのに、イカ缶や卯の花を肴に発泡酒を呑み、銭湯で420円払う程度の日銭はある――この不合理が、いわゆるワーキング・プアの世界。

 
貧乏をすれどこの家に風情あり 質の流れに借金の山 ……落語の『掛取万歳《かけとりまんざい》』ですね。


02月06日 日  昔、チョコで鼻血は出ていた

 ……バレンタインデーって何? それおいしいの?

 と、ゆーよーな悲しい話はちょっとこっちに置いといて、この季節になるとあっちこっちで必ず話題に上がる、『チョコ鼻血』の件。
 お医者や学者さんがたは「チョコを食べ過ぎても鼻血は出ない」とおっしゃるんですけど――すみません、子供の頃、狸も友達も鼻血出しまくってたんですけど。チョコ食って。
 まあ、それはあくまでチョコのせいではなく、イッキに摂取した過剰な栄養やカフェインの影響で、一時的に血圧が上がったため毛細血管がどうのこうの――そんな理屈もあるようだが、狸の幼時、チョコ以外にそんな影響をもたらす食品なんて身のまわりにほとんど無かったのだから、やっぱり『チョコで鼻血』は、時代的な真実だった。他に、ギンナンの実も食い過ぎると鼻血が出るという話があったが、そっちは大量イッキ食いした経験がないので不明。
 もっとも、狸がチョコで鼻血吹きまくったのは、確か小学校の中頃、3〜4年生あたりである。昭和40年代のとっかかり頃だ。それ以前も、それ以降も、ほとんど記憶にない。そもそも、それ以前の昭和30年代まで、「チョコを腹いっぱい食べる」などとゆー贅沢は、狸の実家の経済力では不可能だった。つまり、突発的過栄養摂取もカフェイン摂取も、それまでの庶民のガキには、食性上ほとんど考えられなかったのである。その後の経済成長に伴ってチョコの相対的価格が下落し、また父親がパチンコの景品として大量に取ってきてくれるようになり、舞い上がった子狸たちは思わず一枚も二枚もイッキ食いして鼻血ブー、そんな構図だったと思われる。
 しかし、過栄養にもカフェインにも、体はすぐに慣れてしまう。その証拠に、狸はじきに鼻血を吹かなくなっただけでなく、そのぶんの栄養を順調に皮下脂肪として蓄え始め、また外で遊ぶより図書館でウダウダするような時間が多くなったため、小学校高学年の狸は際限なくコロコロと丸くなりぶよんぶよんと膨れ上がっていったのだが――それはまた別の悲しい話である。


02月04日 金  誠意の問題

 甘木様も日記に書いていたが、狸も大相撲はそもそもスポーツではないと思うので、なんかいろいろアレするのは、当然伝統的にあっただろうし、それはそれでいいのである。ただ、携帯のメールで手軽にぽちぽち相談しあってバレバレ、というのは、客の親近感に依存する昨今の芸能界同様、ショーマンとしてのプロ意識が薄れすぎではないか。朝青龍のような得難い実力派ヒールさえ、ただ鬱陶しがって追い出してしまうような環境も、もはやプロ集団ではなく同好会レベルに思える。
 狸は力士が嫌いではない。今どき流行らないあの異形の体躯を、一般人相手なら張り手ひとつでブチ殺せるほどに鍛え上げ、土俵から富と栄光を穿り返そうとするその心意気には胸が躍る。もちろん内心では「俺はテキトーに貯金できりゃいいもんね」という力士も多かろうが、せめて観客だけは、プロらしく騙しきってほしいものである。


02月03日 木  駄菓子屋民俗学

 新古本屋の100円コーナーで、池田弥三郎氏の河出文庫『たべもの歳時記』掘り出す。何年か前、食うに困っていっぺん売ってしまった『私の食物誌』の、文庫版である。まあこのあたりの比較的新しい絶版文庫は、専門の古本屋でも100円から千円以上まで、店主の価値観によってまったく値付けが変わるわけだが、駅前の新古本屋でなんの労もなく100円で入手できると、とてもうれしい。
 とりあえずぱらぱらと目を通し、あらためて興味を引いた駄菓子屋ネタが、ふたつ。

 池田氏が子供時代(氏は大正三年、銀座のお生まれである)、小銭をもらって駄菓子屋に行くと、男の子は「くださいな」、女の子は「ちょうだいな」と店の人を呼んだそうだ。ちなみに同じ銀座でも、大根河岸あたりの子供は、ただ「おくれ」とどなっていたらしい。もっとも池田氏の師にあたる折口信夫先生は、「くださいな」も「おくれ」も、いやらしいと顰蹙したそうで、つまり商人にへりくだって相手の好意を期待するのは客としていやらしい、ということらしい。折口先生の故郷・大阪では、大人なら「買いまっさ」、子供なら「買うわ(コーワ)」だそうな。
 さて、じゃあ北のド田舎、山形では――男の子も女の子も、ただ「買〜う」でした。狸の記憶なので、昭和30年代中頃の話ですが、どうやらはるか戦前より続いていた挨拶(?)のようで、もしや最上川水運によって江戸文化よりも京大阪文化の流入が盛んだったという大昔の名残り――なんて、ただ無愛想なだけかも。それともズーズー弁一般のように、冬場があんまし寒いんで少しでも口を開きたくなかったとか。

 そして、もうひとつ、昔読んだはずなのにコロリと忘れていた、あるいはうっかり読み飛ばしていた驚愕ネタ。
 どうも大正の銀座あたりの子供は、駄菓子屋を『五銭みせや』と呼んでいたらしい。
 マジかよ、おい。山形では戦後まで『一銭みせや』だったぞ。幼時の狸も、かつて『1銭』などという貨幣単位があったとは知らぬまま、『いっせんみせや』と呼んでいた。宮城および北海道出身の同世代知人にも、『一銭店屋』だったと聞いたことがある。
 大正から昭和戦前にかけては、銀座と東北以北で、幼児の経済格差が五倍あったのだろうか。京大阪では、どうだったのだろう。


02月01日 火  まだ

 ゆうこ 「『やっほー! まーだだよー!』」
 たかこ 「『んむ。これは、まだだな』」
 くにこ 「『ごめんね、ごめんね』」

 くにこ 「……うーむ。まんねりの、役をかえればなんとかなるってもんでもないとおもうが、どうか」
 ゆうこ 「えーと、あの、あの……『はっはっは』?」
 たかこ 「『ぽ』。――あ、ぽっぽっぽ〜♪ はとぽっぽ〜〜♪」