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03月31日 木  こだまじゃないよ

  「遊ぼう」っていうと
  「やだ」っていう。
 
  「ばか」っていうと
  「おまえがな」っていう。
 
  「もう遊ばない」っていうと
  「上等だ」っていう。
 
  そうして、あとから
  道で会っても、
 
  「…………」(ガンつけ)
  「…………」(シカト)
 
  こだまでしょうか、
  いいえ、相性。

          ◇          ◇

 いや、けして金子みすずさんの無垢な視線を貶めたいわけではないのだが、なんか近頃のCMやニュースが、もはや支離滅裂なので。
 あんたら、一億二千万同士で、ほんとに仲良くしたいの? 責任のなすり合いをしたいの? たとえば過去、福島原発の内の老朽化した1号や2号あたりなら、停止方向で動こうとした内閣もあったのよ? 結局できなかったのは、東電の事情とか、反原発側の新設反対とか、湯水の如く電気使いたがる国民とか、それらすべてが絡みあってるわけでしょう。

          ◇          ◇

  私がさびしいときに、
  よその人は知らないの。

  私がさびしいときに、
  お友だちは笑ふの。

  私がさびしいときに、
  お母さんはやさしいの。

  私がさびしいときに、
  佛さまはさびしいの。

          ◇          ◇

 念のため。上の『さびしいとき』は、原詩のまま引用。
 現実には、よその人はともかく、やさしい友もやさしくない母親もいるわけだが、最後の一行だけは疑うまいと思う狸です。


03月29日 火  みんなで萌えれば怖くない

 つまり、なんだ。
 結局、まあ自分はとりあえず放射性物質入りの水道水でいいから、アレには汚染前のミネラルウォーターを飲ませてやりたい、と、まあそれだけのことが、『萌え』の本質だと思うのですよ。その証拠に、自己中や自己愛といった概念は名実共に巷に溢れかえっているが、『ああ、じぶん、萌え萌え〜〜』なんて表現は聞いたことがない。また『お互いに萌え合う仲』なんてのも、聞いたことがない。

 たとえばサディストなどは、「ああ、この犠牲者、萌え萌え〜〜」と感覚しながら、相手を縊り殺したりはしない。そんな感情を抱いた時点で、サドの哲学とは無縁となる。でもマゾの人は、「ああ、この鬼畜、萌え萌え〜〜」とか実感しながら、シヤワセに縊り殺されることがあるかもしれない。
 あ、念のため、どっちもモノホンの場合の話です。擬似や遊戯じゃなく。

 ならば、もしや『萌え』というものは、エロスではなくタナトスが主体となっているがゆえの、客体への純粋なエロス希求であるのか。
 とすれば、エロスとタナトスが根源的には表裏一体とされる西欧的精神分析学から見事に逃れ得ているという意味で、アキバ発の『萌え』は、今こそ日本が誇るべき、独自のマゾ文化なのではないか。

 うん。
 この難局において日本の進むべき道は、正しい『萌え』の確立かもしんない。

          ◇          ◇

 久しぶりに8時間みっちりキツめの荷役に従事し、脳内麻薬出まくりの狸は、以上のような光明を得ました。ただし肉体は、ちょっとしかばね。


03月27日 日  酔想

 今もまた先刻の未来、ならば狸尽きるまで。
 よし狸尽きるとも、旅人尽きるまで。

          


03月26日 土  迷想

 まあさすがに50年近くもテレビ見てラジオ聞いて新聞や週刊誌や雑誌を読んでいると、あらゆる『報道』が、権力あるいは資本のフィルターを通してしか行われないことは、狸のちっこい脳味噌でも判断できる。いっぽう『世論』『市井レベルの情報』といった部分に目を向けると、これまた大量の妄想や流言飛語が含まれてしまっているという点で、長屋の井戸端会議もネットも、全量的には無慮ひゃくまん倍に増殖しているにせよ、本質はさほど変わらない。
 何を信じるかは、結局、狸自身のちっこい脳味噌に頼るしかないのだな。

 しかしまた、すでに自分がオヤジであるという点で、とっても脳味噌の疲れ具合に不安がある。
 たとえば今回の震災や原発事故に関する、日雇い派遣仲間や社員の方々の言動を見ていると、明らかに高齢者のほうが、妙にシラけていて気味が悪い。「暴動も略奪もないなんて言ってるけど、聞いた話じゃ、被災地なんて盗み放題なんでしょ」やら盛んに言い放ってくれるのは、狸より高齢のおっさんが多い。社会経験不足による不安混じりや、若者であるがゆえの斜に構えた発言ならまだ可愛いんだが、白髪交じりの顔で「どうせ世の中みんなそんなもん」みたいなことを言われると、「こ、このおっさんら、段ボール(特大)に詰めて福島に発送して、まとめて建屋に投下したろか」、そんな気にもなる。まあ狸が精神的に未熟なだけかもしれないが。

 ともあれ、実は狸は、高齢イケイケの団塊アプレゲール世代が早めに成仏なさり、その直下の狸世代はやくたいもない昔話や抽象論を語るだけだから適当に路傍の祠にでも安置しといて、もっと若い世代、つまり昭和から平成への転換を若者として乗りきった世代が早めに天下とってくれれば、この国ももうちょっとマシになるのではないか、などと、老後保身のためのお世辞やお追従抜きで、思っていたりもするのです。
 あ、でも、極度にネット依存の方々とか、マジにアキバ命の方々なんかはかんべんね。ツンデレなニーソに踏まれたがる惰弱な狸と、さほど変わらない気がするので。そーゆー方々は、狸らといっしょに道端に安置されてましょう。

          ◇          ◇

 ところでコロリと話は変わるが、黒澤明監督が度々問題提起していた原爆や原子力関係――たとえばヒステリックでエキセントリック過ぎると言わがちな『生きものの記録』、何を今さらと言われがちな『八月の狂詩曲』、そしていい歳こいて幼稚な夢をと言われがちなオムニバス作品『夢』の、『赤富士』から『鬼哭』に続くシークエンス――。
 やっぱり黒澤監督は、ヒューマニストにしてリアリスト、かつ無垢なドリーマーだったのである。

『赤富士』で、不可視レベルの放射性物質に色を着けて可視化するという趣向があったが、いっそ味も着けたらどうだろう。
「おう、今日の水道水は赤くて甘くて濃い」とか、「ああこのまったりとした乳黄色のセシウムの風味は、死ぬと解っていても食わずにおられん」とか。

『夢』の最終話『水車のある村』では、寺尾聡さんと笠智衆さんが、こんな会話を交わしてましたね。
「(電気がないと)夜は暗くありませんか?」
「暗いのが夜だ」

 ――明治生まれ、侮り難し。


03月25日 金  でも今は生きているから

 いろいろあって、明日から三連休になってしまった。でも今月の家賃は確保した。仕送りも確保した。なんとか米も買えた。
 預金口座はゼロだが、財布にはまだ樋口一葉さんが残っている。
 ならば静かに、応募用の梗概でもまとめていようと思う。

          

 ……ああ、みゆきの姐御は、いい。


03月23日 水  逃避願望

 なに? 放射能のことを、この爺いに語ってくれじゃと? ……ほうじゃのう……。
 などとアホなシャレを言っているバヤイでもなく、また風上に逃げる暇も金もないので、今夜もせめて精神的な逃避に走るわけである。
 えーと、念のため。以下、放射能にはまったく関係ない話です。

          ◇          ◇

 一昨年の初夏あたりだったか、『ダニー・ボーイ』あるいは『ロンドンデリーの歌』に関する個人的な思い入れについて記したことがあり、この国でも美空ひばりさんから佐藤しのぶさんまで、なんかいろいろ紹介したりもしたわけだが、まあ正直、舶来の節や詞のこと、やはり舶来の方々の醸し出す情感には、なかなか勝てないわけである。
 火曜は午後から夜11時まで働いて、帰って飯食って風呂に入ったらもう翌日の午前3時、「あーうー」などと微かに呻きつつ、気のむくままに英語でネット検索かけてみると、過去から現在までのあの名歌のカバーが、それはもう無限といってもいいほど大量に見出される。
 以下、その、ほんの一部。

          

          

          

          

          

          

 この国のアーティストの方々でも、たとえば五輪真弓の姐御自身による訳詞歌唱など、なんかいろいろ見つかったのだが、残念ながら、やはり英語圏のアーティストの方々が醸し出す情動には、太刀打できないようだ。
 ちなみに、直上の音源はサム・テイラーのサックスのアナログレコードで、それを好事家の方が真空管アンプで鳴らしたものらしい。
 ネットにアップしたからには当然デジタル圧縮されているわけで、すでにアナログもなにもないわけだが、そこはそれ気は心。
 深夜にこの調べを聴きながら、フトコロの許す限り高価なモルトかなにかをじっくり味わいつつ、発癌性たっぷりの紫煙を心ゆくまでくゆらせれば、髪が抜け落ちようが白血球が毛穴から流れ出そうが、とりあえずすべてを忘れて、まあ死ぬまでは生きて行けそうな気もするのです。


03月21日 月  あちら立てれば

 おう、セのオーナーたちのイキオイが、ずいぶんかわいくなっている。
 当初の発表は、いつものように『なーんも深く考えず』、昔のイキオイでブチ上げてしまっただけなんだろうなあ。
 いやもう、こんな時こそ過度な萎縮は避けよう、という理屈は解ります。
 ナイターやって景気つけたい気も解ります。
 ただ、東京23区からほんのちょっと外れてるだけなのに、狸穴近辺や、狸の探食テリトリーあたりは、計画停電が実施されると、その間は内需拡大しようにも『金やカードそのものが使えん』状態になってしまう。「開いてる間に買えばいいじゃん」と言われても、チョンガーは仕事休まん限り、「今日は朝から昼までの営業」やら「明日は昼から夕方までの営業」やらに、いちいち対応してられないのである。停電中はコンビニも松屋もマックも閉まる。自販機さえすべて止まる。開いてるのは、電気なしでも手計算で商売できる角の煙草屋とかだけになってしまうのである。信号も消えて危なくてかなわんのである。
 と、ゆーわけで、東京電力に対するキモチとはまた別の意味で、やっぱりナイターには、「……ほう。いい度胸しておるな。月夜ばかりと思うなよ」、そんなキモチも個人的に残ってしまうのである。
 しかし、たとえば電力が周波数違いの皆さん、特に阪神淡路の方々などは、かの大震災からみごとに復興したバイタリティーをもって、今こそ大阪遷都も夢ではないイキオイで、明るく元気に「もうかりまっか」「バリバリでんなあ」、そんな会話を大いに交わしていただきたいものである。で、首都圏はとりあえず素通りしていいから、もっと北方に向け、大昔なんかいろいろイジメまくってくれたのをちょっとだけ気にしてくれたりもして、どうかおこぼれしこたまお願いしまっせ旦那はん、そんな気分の狸なのである。

          ◇          ◇

 で、ブラック・ジョークの件だが、モンティ・パイソンには、さすがに津波ネタはない。しかし自殺流行りの日本では顰蹙必至の名作、これがある。

               

 また、ラストの使用映像で、広島や長崎から抗議の出そうな、こんなのもある。

               

 両者、確かに究極の不謹慎ではあろうが、スノビズムでも無神経でもない。すべてを等しく笑おうとしているのだ。

 次に、アニメ版『びんちょうタン』の最終回も、丸々紹介させていただく。最終回だけでは、ここに至る情動の静謐なうねりなどは把握しようもないので、未見の方は、できれば全編を通して、どこかでいっぺんご鑑賞いただきたい。
 一見、情の対極にあると思われる『モンティ・パイソン』と『びんちょうタン』が、なぜ狸にとって等しく仏性の世界であるかは、まあ、表の自作『たかちゃんシリーズ』あたりで、死ぬまでに語り尽くしたいとは思っているのです。以上、無名アマ作家の自己宣伝。
 ちなみに、『びんちょうタン』に入れあげれるほど、キャラ設定や細部の趣向に『たかちゃんシリーズ』とカブるところを見出してしまうのだが、物語設定はどうやらほぼ同時期の産物なので、いわゆる『共時性』、あるいは『物語原型』、それとも『原初的神話』、いずれにせよオマージュでもリスペクトでもありません。

          ◇          ◇

 被災地に救護犬だけでなく救護猫も送る、というアイデアには、狸も大賛成である。
 救護どころか乏しい食糧から餌をねだってなーなー鳴きまくったり、懸命に作業に勤しむ救護犬を遠目に居心地のいい場所で日がな丸くなって寝ていたり、まあ一部の気の短い方々、猫嫌いの方々などには大顰蹙をかうかもしれないが、犬もイキモノ、猫もイキモノ。……それに、いざとなったら猫は犬より滋養になるという説もある。
 ちなみに狸穴前の元野良は、あいかわらずマイペースで狸穴に侵入し、なかば崩れたままの放置現場を物色しております。

        


03月20日 日  明日はお休み

 本日の帰途も各スーパーは早々と閉店しており、明日の計画停電は、この付近では『あるかないか』すら決定していない。しかしもう、今日も命のある狸は、未練に生米なんぞ欲しがりません。買えれば買うだけの話です。調理済弁当や外食に毎日頼る金は到底ありませんが、近所の食品系バッタ屋で、なんと5食で98円のタイ産ラーメンを5袋もGETしました。お米のほうは、どうかマジに飢えてるところに、なんとか届けてやってください。
 しかし、この期に及んで消費期限まで吟味して買い占めに走る市井の方々も、結局なんのかんの言い訳しながらナイターやる気らしいセのオーナーの方々も、つくづくいい根性してるよなあ。どうか心おきなく長生きしてくださいね。日本の未来は、あなた方にかかって――いないかもしれないが、結局しぶとく生き残るのは、たぶんあなた方ですので。

          ◇          ◇

 どこかの海外の芸人さんが、大津波の報に接して、「日本は便利な国だ。自分で海岸に出かけなくとも、海岸のほうから近くに来てくれる」とカマしてしまい、ずいぶん顰蹙をかったようだ。ギャグ好きの狸としては、なかなか優れたブラック・ジョークだと思うのだが。
 ブラック・ジョークを表看板にするプロの芸人なら、今だけがそのジョークの『旬』であることは、本能的に察するだろう。世間から多大な顰蹙を買い、被災者や関係者の心を傷つけ、自分の人格が疑われることなど承知の上で、カマしてしまうのが芸人の業《ごう》だ。そのジョークの切っ先は、高見の見物を決めこむ人々、そして芸人自身にも、同じ鋭さで向けられているのである。
 運不運も優劣も勝ち負けも、愛も憎悪も生も死も平等に笑う、それがブラック・ジョークの本質だ。
 ほっとくと鬱に向かいそうな気分を和らげるため、これからゆっくり『モンティ・パイソン』でも見返そうかと思う。あるいは三代目円歌師匠の『中沢家の人々』。

          ◇          ◇

 ……でもやっぱり『びんちょうタン』にしよう。
 すみません。実はレンタルDVDからリッピングしました。でも貧しい孤独死候補なので許してください許してください。


03月19日 土  唯我

 それでなくともなんかいろいろ大変なことになっているこの国で、あの首相が超弩級の大ボケかましてくれるものだから、ますます脱力する。
 誰のいつ頃のコントだったか、ボケ役の頭をツッコミ役が荒々しくノックして、「おーい、起きてるかあ?」と、脳味噌に大声で問い質すギャグがあったが――『よりによって今』『こともあろうに自民党総裁に』『副総理兼震災復興担当相を依頼する民主党の総理』――マジに下顎が胸のあたりまでぶら下がった。あが。
 そうなのではないかそうなのではないかと日々疑いを深めつつ、この未曾有の国難に際し、あえて狸も必死に目を逸らそうとしていた事実――現総理はマジなアホだったのである。ボケだったのである。どうしたらいいのだ。責任は民主党に投票した国民にあるとはいえ、あまりに痛々しい真実である。
 何度でも言う。狸はかつて一度も民主党に投票したことはありません。

          ◇          ◇

 義援金を狙っての詐欺や窃盗も少なからず発生している。
「運転手が嫌がって日立や郡山で物資が止まってしまう。物流だけでなく行政機能もまひしてしまった。復旧にまったく手が出せない」「運送会社に病院関係者、市の業務を請け負う企業まで怖がって出て行ってしまった。復興だけに全力を挙げたいのに」――いわき市の市長が、そう嘆いている。
 福祉関係で働く義兄の話によると、あのあたりの特養からも、遠方出身の介護職員は次々と辞めているそうだ。もちろん入居者はどこにも行けない。

 いろいろあるさ、人間だもの。
 そりゃ他人より自分がかわいいもの。
 東電の社長、隠れて出てこない国だもの。
 総理大臣が、投げちゃうような国だもの。

 被災地の病人は陸続と死んでいる。
 餓死者も出始めているだろう。
 避難所も綺麗事ばかりでは済まされない惨状を露呈していくだろう。
 しかし、それでも、『自分』が大事だからこそ、他人に衣食を譲る者もあれば、ヤバい原発を果敢に鎮めようとする方々もいれば、医療支援に現地入りする方々もいる。諸外国の方々までが、身の危険を顧みず、各地で活動している。

          ◇          ◇

 問われるのは、奉仕の心でも、慈悲の心でもない。
 自分がいかにあろうとするか、ただそれだけだ。
 天上天下唯我独尊。

          ◇          ◇

 ……などと偉そうに言いつつ、ただ日々の糧を得るために、今日の狸は黙々と玩具を梱包していた。
 タ●ラ●ミーから、イ●ン各店へ。
 東北方面で、イ●ン仙台幸町店という送付先シールを見つけた。おお、新名取店も――それらの箱が無事に届くかどうかは、道路事情と佐●急便しだいとはいえ、とにかく営業はしているのだ。
 ……しかし、石巻店や気仙沼店は見当たらない。


03月18日 金  

 本日はアブレた。しかし週休2日は世間の常識だから、人並みに弛緩すればいいのである。精神的に萎縮していても、埒はあかない。

          ◇          ◇

 朝と夕方に二度実施される可能性のあったこの付近の計画停電も、夕方のぶんは回避された。つまり、狸穴で備蓄の切れた米を、探し歩く時間が増えた。
 結局、生米はどこでもきれいに売り切れていたのだが、干蕎麦もパスタも確保できたので無問題。
 しかし、調理弁当は売られており外食産業も動いているというのに、生米だけがまったく買えないのは、正直とても不思議で、悲しい。米どころ育ちの貧乏親爺にとって、生米は食のデフォルトなのである。
 でもやっぱり萎縮していては埒があかないので、せいぜい店頭にない米が、首都圏の買い溜め家庭だけでなく、多く被災地に向かっていることを祈る。

          ◇          ◇

 やはり萎縮していては埒があかないと発奮したのか、セ・リーグが東京ドームでナイターを強行するそうだ。マニアの域に踏みこんだセ・リーグ・ファンの士気は大いに高まろうが、狸としては、一生根に持って暮らすことになるだろう。昨夜は信号も点かない夜道を徒歩で帰宅したのだ。

          ◇          ◇

 今回の震災映像を、YOUTUBEの海外で見ていると、多くの驚きや励ましや祈りに混じって、「ザマミロ」「過去の所業の報いだ」「昔俺は日本にいて差別された。あんな人種差別者の国は災難に遭って当然だ」といったコメントも、けっこう散見される。
 その馬鹿たちが糾弾する『過去の所業の張本人である馬鹿』や、『その馬鹿を差別した馬鹿』は、今回の震災で、ほとんど圧死してもいなければ溺死してもいないはずである。
 せめて1+1=2くらいの教育は、全人類に行き渡ってほしいものである。

          ◇          ◇

 でもやっぱり、その前に、生米がほしい。


03月17日 木  祈る

 現時点でここに記すべきかどうか確信がもてないのだが、やはり宮城に近い東北出身者として、縁者知人のすべてが無事というのは、無理な相談だったようだ。
 八木山に住む知人と、同居しているその長男一家の無事は確認できており、別に暮らす次男も、仙台市街の低地ながら無事なのは知っていた。しかし、その次男の奥さんの実家が、名取なのだそうだ。いまだに連絡はつかず、地域的に、あの津波の直撃を受けた可能性が高いようだ。

          ◇          ◇

 ここの表のゲストブックに、有神論者の猫さんが暖かいカキコをしてくださったが、ほんとにそうならどんなにいいだろう、と狸も思う。高次の、そして善意の神々が、非業の死を遂げた故人の魂を逐一救済してくれるのなら、どんなにいいだろうと思う。
 しかし、今のところせいぜい『なんだかよくわからないもの』という表現でしか『仏』の存在を受信できない狸にとっては、未来仏・弥勒の顕現すらも、今後数十億年、この現世の森羅万象そのものがすでに備えている総体的・無意識的な仏性に、積極的意志としての知性(人類はそのほんの一部に過ぎない)が、どこまで『在り続けるべき現世』としての思念――矜持と言ってもいい――を蓄積してゆけるか、それにかかっていると思われる。

          ◇          ◇

 福島原発で活動する自衛隊員の皆様は、もはやカミカゼとして護国の礎にされそうな案配のようだ。
 いざとなったら自分でなんとか始末できないような事は初めからやるな――そういった常識的ツッコミが、歴史の中でいかに閑却されがちであるかは、過去の戦争やらなんかいろいろから明白なわけだが、いわゆる『原子力神話』にも、結局あてはまることになってしまった。

 弱きをくじき強きを太らせるのが本態である経済の世界では、人情とは無縁の信じがたい、しかし投機プログラムとしては当然の円高が起こっている。全世界の市井の人々がいかに真摯に日本を励まし援助してくれようと、弱味を見せた獲物には躊躇なく襲いかかるのが、ケダモノの世界である。その意味で、人間もまた無自覚な森羅万象から、総体的には一歩も踏み出せていない。

          ◇          ◇

 大自然なんて、ちっとも美しいもんじゃないのよ。仏もまたしかり。
 それを美しいととらえる感性が知性を産み、その知性の中で磨かれた真の知性が正しい祈りを産み、その先になら、いわゆる神はいるのかもしれない。


03月16日 水  続・からっぽ

 本日は人並みに朝から夕方まで働き、午後7時には最寄り駅に帰着したのだが、例によってスーパーはすべて計画停電のためシャッターを閉ざし、たくましく営業を続けるコンビニには、肝腎の食品がない。僅かに売れ残る酒とツマミと菓子類を除けば、それはもう、いっそ清々しいほど食うモノがない。
 幸い、本来24時間営業の西友の表に、停電予定時間後の夜8時以降は再開店すると告知があったので、行列に参加。そろそろ狸穴備蓄の切れつつある米などは入手できなかったが、とりあえず夕食のおかずのシャケや卵、明日の労働食になるお握りは確保できた。パン類は終日絶滅状態らしい。
 しかし、狸は幸福だ。狸穴はまだ飢えず、停電は留守中に終わっているので、夜の暖もとれる。
 飲まず食わずの方々が出始めているらしい北の国からは、湾岸までびゅうびゅうと冬の風が届いていた。そこに放射能が含まれているにせよ、狸も甘んじてその風に吹かれようと思う。まあ、厭だといって逃げ出す財力がない、というのが正味のところだが、逃げ出せないがゆえの情もあろう。

          ◇          ◇

 親類知人ネット縁者、存命の報が次々と知れるのはありがたい。しかし、やはりあの板関係の一部の方々は、現状が知れない。すでに板を離れた方々は、なおのこと判らない。
 便りがないのは元気な証拠、などとは到底言えない状況だけに、歯痒い。


03月15日 火  からっぽ

 同じ派遣会社から5人入るはずの現場に、たどり着いてみれば狸が一匹のみ。他のメンバーは、交通機関のなんかいろいろで、キャンセルしてしまったらしい。他の派遣会社からの方々も入っており、仕事中は淋しくなかったのだが、契約時間が違うため、集合時間に指定場所の休憩室で待っていたのはマジに狸が一匹のみで、さすがに孤独を感じた。
 作業現場に案内してくれるはずの正社員さんも、相手がたったひとりのためかなかなか来てくれず、たまたま休憩に現れた出向システムエンジニアさんとふたりっきり、震災や原発について15分ほどダベりにふけってしまった。
 ようやく案内された現場の作業も、例によって物流関係現場のため混乱しており、今日もまた、予定より3時間早くお開きになってしまった。もっとも、明日あたりからイッキに忙しくなるらしいが。
 帰途、買い物しようと思ったら、大甘だった。スーパーはことごとくシャッターを下ろし、コンビニには何もない。幸い松屋が開いており豚めしの大盛りは食えたものの、これからどうなることやら。

          ◇          ◇

 ……おお、余震だ。けっこう大きい。
 ……いや、あの日の大揺れを体験したからこそ怯えているだけであって、ふだんなら気にもとめない程度の揺れなのかも……いや、やっぱり大きいぞ。怖いよう怖いよう。

 ……おさまったようだ。
 静岡で震度6強、マグニチュード6と、ラジオの速報。うわ、やっぱりけっこう大きかったのだなあ。

          ◇          ◇

 ――で、街中の店がからっぽになっていたわけで、まあ物流拠点が混乱して毎日早々とお開きになってしまうくらいだから仕方がないのだが、いわゆる『買いだめ』に走る一般市民の方々などを見ていると、まあ略奪や暴動が起きないだけさすがに我が愛する日本の民度とは思うものの、今後の物資の高騰を見込んで出荷を抑えている卸売業者なども実はどこかに絶対いると思われ、まあ世界的に見ればまだかわいいレベルとはいうものの、本音を言えば、やっぱりバールのようなものを高々と振り上げて力いっぱい振り下ろし頭蓋骨を木っ端微塵に粉砕してやりたい、とも思ってしまうのである。

 東北は、冬のような冷え込みに向かっているらしい。なんということだ。

 もし『天罰』などというものがこれほど底意地悪く相手を選ばないものなら、天などというものは明らかに下界を蔑んでいるわけであるが、しかし有史以来のなんかいろいろを鑑みると、やっぱり天などというものは「別になーんも考えてない」と結論せざるをえず、したがって『天罰』などというものもない。
 
 現世のモノは現世のモノのために現世のモノ同士関わり合うしかないのである。その縁起が仏なのだ。


03月14日 月  乖離

 東電の計画停電発表で、どうせ昼間のJRはまともに動かないだろうと、いつもなら四十数分で着く現場に、二時間を見越して出かけた。大当たり。しかし結局、本日、この地域での停電は無かったようだ。
 契約では午後1時から10時までの派遣だったが、なにやらシステム上の都合とやらで、6時半には作業が終わってしまった。帰途の乗り継ぎが不安だったので、最寄り駅ではなく、西船橋駅まで30分ほどを歩く。総武線もワヤワヤだったが、幸いドンピシャで満員電車に押しこまれることができた。

 帰途のスーパーやコンビニは、軒並み品不足で棚ががらがら。昼間は休業していた店も多く、いまだに閉まりっぱなしの店もあるので、開いているだけ幸運なのだろう。狸穴においては、本日は野菜ジュースだけ補充すれば良かったのだが、今後、どうなることやら。
 食料にも水にも事欠く被災地の方々に申し訳ない申し訳ないと思いつつ、明日以降の停電を恐れ、冷凍中の賞味期限切れ安牛肉を、皆、食べてしまうことにする。200グラム超の牛肉入り野菜炒め――こんな贅沢してていいのだろうか。
 行きつけの銀行の義援金口座に、せめてもの罪滅ぼしを振り込んではみたものの、それとて僅か5千円である。50過ぎた大の大人が、たったそれだけしかひねり出せない。しかし母親関係の送金は続けねばならないし、狸自身の生活は、ホームレスにでもならない限り、これ以上切りつめられない。
 自分が生きていることと、天災を含めたこの世の森羅万象の間に、なにか巨大な隔壁でもあるような乖離感を覚える。

 その一方で、今後自分も『指輪一つ』のような設定の短編を実感をもって書けるのではないか、などと、ふと画策している自分がいる。
 そのときは、そんな自分の業《ごう》への言い訳に、せめて津波に流された死者の方々ご自身に読んでもらっても、夢の世界で穏やかに微笑できるような話にしなければ、とも思う。


03月13日 日  祈る

 遅番で11時まで働き、帰宅後一息ついたら、もう午前二時。しかし明日も遅番なので無問題。
 本日の現場は、某通販会社の流通拠点。
 一見何事もなかったかのように動きながら、北の国への梱包物は、ラインに乗ることもなく、ただパレットに積み上げられてゆく。
 低反発蒲団、健康枕、狸には理解不能なスグレモノ台所用品やアイデア満載の掃除用具――。頬笑む家族の写真に彩られた家庭用品の箱を、黙々とピッキングし梱包していると、それらを注文した北の方々が今どうしているのか、それらが届くはずだった和やかな海辺の家が今存在しているのか、考えてもせんないことと思いながら、ついつい考えてしまう。
 そこが廃墟でも海の中でも届けてあげたいでしょやっぱり気持ちとしては。

 余震にゆらゆらと揺すられながら、ちょっと泣く。

          ◇          ◇

 母親も親類縁者も無事だった。山形の村山地方は地震に強い。仙台にも親類知人はいたが、西の山沿いなのでたぶん無事だろう。
 投稿板関係の方々も、次々に無事が確認できて嬉しい。お狐様も無事。狸の生き別れの娘(あくまで仮想)、ゅぇ様も元気のようだ。ミノタウロス様は……ブログにコメントを書きこもうとしたが、なんか反映されない。ちょっと心配。

          ◇          ◇

 関東大震災以来の、万人単位の犠牲者が出たことは、もう確実なようだ。
 甘木様の日記や、くら様のブログによると、この未曾有の惨事を商機と捉えて逞しく張りきる商売人や、セコい支援詐欺に走る者たちも、世間には数多いらしい。
 商売人に関しては、過去、狸もその一味だったので咎められた義理ではないし、甘木様もおっしゃるように、復興という経済活動に利する一面もある。しかし姑息な詐欺野郎は、正直、即刻バールのようなもので力いっぱい脳味噌ブチまけてやりたい。

 関東大震災のときにも、死人の指を切って指輪を集めて回った奴がいたそうだ。
 その事実を、岡本綺堂は『指輪一つ』という、情と滋味に溢れた怪談話に仕立てている。寝る前に読み返してみよう。またちょっと泣くのだろうなあ。


03月12日 土  雑想

 アブレの一日なのだが、さすがに精神がざわついて、安眠も弛緩もできない。
 地理的に、またニュースやネット上の情報からも99パーは無事と思われる、母親を含めた故郷近辺の人々だが、やっぱり誰一人連絡が取れないので、落ちつかない。下手にアクセスすると、かえって東北方面の回線に負荷をかけそうな気がして、自重もしている。
 そんな午後、派遣会社からは、何事もないかのように、明日の駅前点呼依頼の連絡が入る。募集人数は半減してしまったようだが、仕事内容はどうなるのだろう。東北方面への物流など動くまいし、どこか散乱した現場の整理でもやるのだろうか。

          ◇          ◇

 投稿板関係の方では、やはり福島の彩様や宮城の千尋様が心配だったのだが、現在夕方時点で、彩様の無事は、猫様の板から確認できた。千尋様も、お住まい近辺はそう被害がなさそうだが、問題は、揺れたときにどこにいたかだからなあ。早くご無事を確認したいものである。

          ◇          ◇

 こうした甚だしい天変地異の報を追っていると、いつも思い出すのは、昔、石森章太郎先生が描かれた『そして……誰もいなくなった』という作品である。学園青春物や動物漫画やスパイ物などが、なんの関わりもないまま入れ籠式に進行し、最後には、すべての物語が未完のまま、突然、全世界規模の核戦争で、文字通り『誰もいなくなっ』てしまう。
 福島原発の異常事態も気になる。おいおい電力会社さん、あれって地震でも絶対大丈夫じゃなかったの? ……まあ、信じてたわけじゃないけれど。
 一分後の未来、果たして有りや無しや。全人類の消滅はなかろうが、個人レベルでは、まったく断言できない。

          ◇          ◇

 しかし、だからこそ、狸は今夜も粗末ながら晩餉の餌にありつき、風呂にも入る。
 一瞬にして消えた方々や、不安と不自由に耐える被災者の方々に対して一種の罪悪感を抱きながら、それでも飯はそれなりに旨かろうし、風呂は心地よいだろう。母や縁者は無事であると、ほとんど確信できるし、何より狸自身が、今この瞬間は無事だ。

          ◇          ◇

   
――年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山――  西行法師


03月11日 金  ぐらぐら

 同じ千葉の湾岸でも、爆発炎上しているあたりではないので、とにかく「おいおい、ついに来ちまったよ直下型!!」「日本沈没!」「関東大震災!」などと右往左往したわりに、本日の倉庫は被害軽微。もともと荷崩れするような現場でもなかったので、かえって事務所あたりのほうが、棚の書類やらが飛びだして大変だったようだ。現場のシューターやコンベアが止まってしまい、早帰りできたのは良かったのだが、当然鉄道は止まっており、湾岸から6キロほど、徒歩で狸穴に帰着。
 帰途、西友もドンキもダイエーも臨時閉店していたので、狸穴の中も大変な有様であろうことは覚悟していたのだが、一目見て「うげ」、一拍置いて「うげげ」、さらに「……うげげげげげげげ」などと立ちすくんでしまったわりに、倒壊したビデオテープの連山やら散乱するラックやらなんかいろいろを2時間ほどかけてざっと整理してみると、幸いにも物損はビデオラックのガラスと2枚のDVD−R、あとはつぶれた食玩くらいであった。狸も脳味噌ちっこいなりに臆病なので、マジに倒れると困る本棚や箪笥は、ちゃんとビニール紐で壁にくくりつけてあるのである。それをやっとかないと、夜中に直下型でも来たら即圧死してしまう。
 神奈川の姉からメールがあり、一家無事だが停電中とのこと。狸穴はガスも水道も電気も通っている。震源近くで被災した方々の惨状を思えば、なんだか申し訳ないくらいである。
 母親がいる天童市あたりは、ニュースによれば震度はこのあたりといっしょだが、やはり停電しているらしい。しかし現在、固定電話も携帯も繋がらない。しっかりした造りのグループホームで、周囲の環境も『市街地に遠くない適度な田舎』だから、衣食住に困るようなことはなかろうが、やはり心配は心配。
 さて問題は、今後の派遣である。明日はもともとアブレだが、それ以降は――まあ、鉄道さえ動いてしまえば、かえって片づけ仕事が増えそうな気もする。

 ……お、また揺れている揺れている。当分は余震が続くのだろうなあ。


03月09日 水  黙祷

 ああ、村野守美氏が亡くなられてしまった。享年69歳。早すぎるぞ。
 不生不滅、不増不減とはいうものの、悟りきれない狸には、やはり、ただ哀しい。
 真崎守氏は長生きしてくれるのだろうか。
 村野の『軟』と真崎の『硬』、そんなバランスの中で、青春時代の精神の一部を、なんかいろいろ育んでいただいた狸です。

          ◇          ◇

 例の『舌の傷んだ畜肉加工食品』は、もはや支離滅裂を通り越して、結局、居直るつもりらしい。
 もともと理論的な思考は『やってるつもり』だけの発作的人間だから、まあ『キレる』『居直る』『消える』のどれかになるだろうとは思っていたが、やはり過去の言動も考えると、何もかも思考停止の上でデフォルトにもどる、それしかできない子供なのだろう。痛々しくはあるものの、ネットのような顔の見えないコミュニケーション空間で、今後更生できるとも思えず、あとは現実空間での更生を祈るのみ。なんて、実生活上では、しっかり『良い子』やってたりしてね。可能性は低いだろうが。
 しかし、あの『どんなにみっともない状況であると自覚しても表面的には強がれる神経』だけは、ほんのちょっと、惰弱な狸にも分けてほしい気がする。あ、でも、あくまで、ほんのちょっとでいいです。隠し味程度。
 人間、『見栄』なぞドブに捨てても生きていけるが、『恥』を忘れてしまったら畜生以下だ。


03月07日 月  雪の降る街を

 本日はアブれたので午後遅く目覚めると、雪が降っていた。気温は昨日より10度くらい低そうだ。しかし狸としては快適温度なので、雪の中、地元の古本屋を渡り歩く。全4巻出ているはずの『びんちょうタン』の原作漫画を、探すためである。
 第1巻と第2巻は、幸い100円均一で見つかった。第3巻は、ちょいと高め設定の新古本屋でしか見当たらず、仕方なく360円、清水の舞台から飛び下りる覚悟で払った。第4巻は、どこでも発見できず。
 しかし、これだけイレコんでいるのに、著者様や出版社には1文にもならない新古本だけで全巻揃えるのは、いかに極貧といえども申し訳ない気がする。大感動という評判の高い最終巻だけは、新刊書店で購おうかとも思う。

          ◇          ◇

 いつもの投稿板の雑談板で、なんかあの『舌の傷んだ畜肉加工食品』の立てたスレが盛り上がっており、寝る前に狸もちょっとだけ参加したのだが、起きてからチェックしてみると、妙にしおらしいコメ返しがあって、やや拍子抜けした。
 今回の騒動の内、『古株の馴れ合い糾弾』だけに絞って考えると、騒動主の人格にも嗜好にもまったく共通性はないものの、何年か前にメイルマンさんが起こした問題提起の件など思い出し、ふと、あの超真面目人間のメイルマンさんが、無性に懐かしくなる。ブログも更新されないようだが、創作活動は続けていらっしゃるのだろうか。
 などと過去を懐かしんでいたら、おお、久々に中村様が投稿されている。天野様のSF短編も連作化しているようだ。他の常連の皆様も元気である。舌の傷んだ畜肉加工食品さんも、舌に火を通し直すなり、消費期限を偽装するなりして、作品を投稿すればいいのである。


03月04日 金  冗談冷蔵庫

 狸穴の冷蔵庫が、冗談のような故障を起こしている。
 冷凍室の氷や保存冷食がことごとく解凍されてしまい、冷たくはあるものの、氷結にはほど遠い。いっぽう冷蔵室のチルド食品や飲料類は、みごとに氷結している。つまり、それぞれの室温が逆転しているらしいのである。ならば中身を入れ替えれば実害はないのではないか――そうもいかない。もともとチョンガー向けの小型冷蔵庫だから、本来の冷凍室はちっぽけで、1リットルボトルすら入らない。また本来の冷蔵室の広さに見合った氷塊や大量の冷食など、保存する予定もない。温度調節ツマミをいろいろいじくってみたが、最弱にしても冷蔵室は氷結したままだし、最強にしても冷凍室は氷結しない。『切』で電源を落とせるだけだ。

 この冷蔵庫は、数年前、母がアルツハイマーを患ってケアハウスの世話になり始めたときに購入し、その後、2年ちょっとで病状悪化によりグループホームに入居したので、不要になったのを狸が譲り受けたものである。正常に使えたのは、たった数年。もともと最安価のサンヨー製、つまりメイド・イン・チャイナの中でも安物の部類とはいえ、最安価であるということは、すなわち貧困層が少しでも長く使えなければ困るのである。この製品より前に狸が使用していた、同じサンヨーの小型冷蔵庫などは、冷凍室はなく製氷室だけの昭和レトロ物件ながら、学生時代に購入して以来四半世紀、外見こそ錆だらけになったものの、中身はいっさいの故障なく、初期性能のままで作動し続けた。まあ、それが当時のメイド・イン・ジャパンの、デフォルトでもあったのですね。安くて長持ち。

 もちろん省エネだの多機能だので、新型のほうが寿命は短くとも経済的、という見方はできるのだろうし、今回の故障も、昔は存在しなかったマイコンっぽい回路がほんのちょっとイカれただけ、という見方もできるが――しかしやっぱり、現状の狸にとって、なんか笑えない『悪い冗談』ではある。
 今どき修理人を呼ぶだけでも、捨てるだけでも、けっこうな金がかかる。当分、この悪い冗談に、つきあい続けるしかない。


03月01日 火  ずっぷし

 地元ではあるが、ちょいと遠めの街道筋のツタヤから、ちょくちょく平日1日限定DVD旧作100円クーポンを、メールで送ってくる。至便の駅前店からは、ちっとも送ってこない。よほど集客が違うのだろうなあ、となかば同情しながら、アブれた本日、ありがたく遠い方のツタヤへ『びんちょうタン』のDVDを借りに行った。もう数年も前の作品だからだろう、きちんと全3巻並んでおり、まとめて借りても300円。びんちょうタン本人同様の、つましい日雇い労働者としては、とてもありがたい。
 すでにネット上の荒い画像でも、和みや癒しといった利己的な生暖かい感情を超越した、身も世も在らぬほどの愛しさによる涙を流し尽くしていたのだが、さすがにDVDの高画質・高音質だと、あらためてアニメ作品として脚本・美術・音楽・演出すべてが一流のものだと確信でき、その1話12分程度の全12話を見終わる頃には、なぜこれほどの珠玉のアニメシリーズに第二期や第三期が存在しないのか、諦念含みの寂寥も感じた。見てくれは姑息なまでの『萌えキャラ』でありながら、一見ありえないファンタジー空間でありながら、その世界観はすでに立派な仏教的現世観なのである。

 現代の多くの親も子供たちも、そしていわゆるおたくたちも、本質的には利他の情動など好まない。和みも癒しも、その中心に置くのは常に自分である。しかし、まだ読んでいない漫画版は知らず、このアニメの主人公は、ただ居るだけで、観る者の肺腑から無私の利他を喚起してしまう。外見のいわゆる『萌え』っぷりに、フィギュアなどは有象無象のおたくにも大人気のようだが、『萌え』というものを、まさに『客体の肺腑から無私の利他を喚起する主体』と定義する狸から見れば、「なんでおまいらはアニメ版『びんちょうタン』にも萌え尽くさないのか!」と、眥決して叫びたい気がする。

 ところで作中、びんちょうタンは一度もお風呂に入っていないようなのだが、これはあまりに可哀想ではないのか。漫画のほうでは、きちんと入っているのだろうか。びんちょうタンがひとりで暮らす山家には風呂がないにしても、あーゆーけなげな女児を水浴や清拭のみでほっといていいのか。狸としては、『びんちょうタンちの裏庭に温泉が出るまでひたすら穴を掘り続ける会』を結成したいと思うのだが、どうか。