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05月31日 火  アカイ アサヒ

 性懲りもなく朝日新聞を購読し続けているので、時々、時代を越えた爆笑の朝を迎えられる。いや、『ののちゃん』はちょっとこっちに置いといて、普通の記事の見出しなんかでですね。
 たとえば本日39面社会欄、『ののちゃん』の反対側、右端の記事の大見出し。『自由への訴え 届かず』――。
 また何か冤罪事件の話かと思いきや、なんのことはない、1面にある最高裁判断の記事『君が代起立命令「合憲」』に関して、原告側を擁護する内容の、記事だか社説だか判然としない、昔ながらの朝日名物偏向読み物である。
 しかし、何十年か前、当時の中共や北朝鮮を礼賛していた頃――かの赤瀬川源平さんが『ガロ』に連載していた風刺イラスト『櫻画報』、あれで「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」とからかわれた頃から、まったく変わっていないのよなあ。ある意味、時代に流されない潔い社風なのかもしれないが、天声人語や娯楽覧では、めっきり中道に更生したかのような論調が目立つだけに、ときおりドーンとかましてくれる科学的共産主義風の理想色は、潔いのを通りこして、もはや生きる化石の感がある。
 ぶっちゃけ、そんなに国歌斉唱が厭で日の丸が嫌いだったら、そもそも国歌変更や国旗デザイン変更を主張し運動するべきなのであって、それが実現しない内は、公立校の教員として卒業式に列席していること自体が甘いのである。

          ◇          ◇

『みんな違って、みんないい』――いかにも日教組あたりの好きそうなお題目だが、世の中、実際は『みんな同じで、みんな普通』が8割方を占めないと、集団自体が崩壊してしまう。そして『違って』いる部分は、当然『良い』か『悪い』に振り分けられる。もちろん同じ人間が、ある1割の局面においては『良く』、ある1割の局面においては『悪く』、しかしまた残る8割方の局面においては『普通』、そんなこともあるだろう。
 ともあれ、もしストレートに『みんな違って、みんないい』世界があるとすれば、それは芸術家とか、初めからある種の孤高性を帯びた世界だけっぽい。まあ少なくとも、公務員や教師の世界でないことだけは確かだ。


05月29日 日  ご質問にお答えして

1.自分と容姿がそっくりな主人公が出てくるエロ媒体(映画、TVドラマ、アニメ、マンガ)があったとして、
  それを見たらどういう気分になると思うか?


  こんなさえないおっさんがどんな相手とカラむのか興味津々。いやマジで。

2.自分の本名(フルネーム)と同じ名前のキャラで小説を書けるか?

  書けるでしょう。一字追加しただけのキャラに、けっこう重要な役をやらせたこともあります。遠慮なくいじれるので快感でした。

3.小説・マンガ・映画・TVドラマ・CDドラマ等の媒体で、自分の本名(フルネーム)と同じ名前の登場人物(主人公でなくても
  構わない)が出てきたことがあるか? もし、あった場合はどう思ったか?


  きわめて平凡な名前なので、登場人物名としては未見です。
  ただ、同姓同名の、脇役としてはベテランの役者さんがいらっしゃいまして、昔からぶよんとしてしまりのない狸とほぼ同世代なのに、
  あちらはスマートなインテリふうなので、見るたびに運命の悪意を感じてしまいます。
  でも昔、狸穴を訪ねてきた統一教会のハクいおねいさんによると、それは同姓同名でも、狸の使用している印鑑の印相が良くないから不運に
  見舞われるのだそうで、正しい印相のハンコを作ったり、霊験あらたかな壷を飾ったり、健康飲料メッコールを常飲し続けると、あら不思議、
  たちまち運気が好転し……以下略。
  で、当時まだ定職があり懐の暖かかった狸は、フルネームの実印まで揃った高級印鑑セットを購入し、あの不可思議飲料メッコールを
  一夏飲み続け、そうして今はめでたく無一文まで堕ちました。壷を省略したのがいけなかったのでしょうかおねいさん。
  ……えーと、なんの話でしたっけ。

               ◇          ◇

 近頃は大衆小説系の大手で短編公募がほとんどないと思っていたら、あの『小説宝石』でも、また短編の新人賞を設けているのだな。『オール読物』と同じく50〜100枚、でも締切は9月か。……打ってみましょう。


05月28日 土  邂逅

 アブれた。
 しかし例によって昼前には目覚めてしまう。

「あーうー」などと呻きながら狸穴を這い出て、100円以下の安い餌を求めて雨天の下をうろついていると、ほとんど気にならない程度の小降りになってきたので、そのまま河原方向へ徘徊することにした。
 いつもとはちょいと気分を変え、知らない住宅街の道を、ほとほとと辿ってみる。どのみち江戸川に行き着くのだから、道に迷う心配だけはない。
 案の定、川の土手が見えた頃、道路の高架前に、築20年以上と覚しい、うらぶれたプレハブの商店が、ぽつんと建っていた。
 店構えは、ほとんど手入れの形跡がない。まるで閉店後久しい廃墟のようだ。
 それでも戸口の横のガラスケースには、細々と総菜のようなものが並んでいる。奥からは魚屋の匂いがする。そして錆びたトタン張りの看板には、『鰻・鯉・川魚』『卸・小売』とある。
 ――こんな店で鰻? 鯉ってマジかよオイ!
 一瞬、深山でマヨヒガに行き当たったような気がしたが、ガラスケースには冗談抜きで、鰻の蒲焼きや鯉の煮物が並んでいるのである。それも、スーパーの中国産なんぞよりは遙かに高級な、つまり妥当な価格設定で。
 さすがに国産鰻を買う金はない。しかし鯉の甘煮は一切れ600円、山形あたりと同じような価格設定である。まあそれとて今の狸には贅沢品なのだが、ネットではどんなに探しても近場に見つからなかった鯉の甘煮が、こんなところにあったのである。喜んで、思わず一切れ買ってしまった。
 店員さんは、店構えほど傷んでいない、ごく普通のおばさんであった。たぶん奥に主人のおっさんがいて、商売のメインも川魚一般の卸なのだろう。店先の小売は、周囲の住宅街の固定客限定サービス、そんな感じなのだろう。
 ともあれ、ネット検索などでは絶対に見つからず、脚で探さないと、あるいは電話帳で一軒一軒当たらないと終生巡り会えなかったであろう幸せの青い鳥、もとい千葉版鯉の甘煮が、狸穴からわずか3キロの地点に棲息していたわけである。

 大量消費社会の物陰に潜む、マヨヒガっぽい個人商店たちに、末永く幸あれ。

          

          注・上の映像は、宮城の鳴子温泉の有名鯉屋さんらしいです。


05月25日 水  夜想

 本日(もう昨日か)は隣駅のホテルで、夜7時から11時までの催事撤収作業――そんな半端仕事でも、今の狸の生活だと、数日の食費になる。

 で、先刻、隣駅から徒歩で狸穴に向かっていると、途中の公園前に、パトや救急車が停まっていた。歩行困難に陥ったホームレスを保護しているようだ。横のベンチに何かボトルがあったところを見るとアルコール中毒かもしれないが、わざわざ救急車が来たということは、危機的な状態だったのだろう。
 アル中にせよ急病にせよ、あの状況まで行けば、あとは自動的に福祉の世界に委ねられる。昨年、ホームヘルパー講座の実習時、元ホームレス老人の訪問介護に参加した。糖尿病を患って、新宿西口公園で行き倒れになったところを保護され、戸山ハイツに安住の地を得た老人である。ギリギリの衣食で、老朽化した公団団地のエレベーターもない最上階住まいだが、晴れれば爽やかな風に吹かれて、日がな一日『わかば』をくゆらせることもできる。

 50過ぎると、正社員の口など、事実上『ない』。例外は福祉現場くらいなので、義兄の勧めでホームヘルパーの資格も取ってみたが、養護施設で働く義兄の生活を見るかぎり、そこに『創作活動』や『自由な夢想』にさける時間は『ない』。
 見果てぬ夢などいいかげんに諦めろ、と狸を諭す白い天使狸は、とうの昔に黒い狸に駆逐された。予定どおり6月の短編公募にも挑戦しようと、とりあえず旧作をブラッシュアップした。新しい短編や長編も、シノプシスを構築したり、じわじわ発酵させたりしている。

 あの元ホームレス老人と同じ『わかば』を、今かろうじて自前でくゆらせている狸は、まだ、負け続けることができる。


05月24日 火  ヤクの話

 父親が薬科大出の県庁薬務課職員だったせいか、狸は薬好きである。
 現在は金がないので、毎月一度処方される降圧剤しか服用していないが、持病の扁桃腺が腫れればすぐに抗生剤をもらいに行くし、まだ金がある時代は、疲れたと言っては馬鹿高い精力剤を飲み、ちょっと風邪っぽいと思えばさっそく最新の市販薬を試し、憂鬱だと思えばセント・ジョーンズ・ワートをがぶ飲みしたりしていた。金が無くなってからも、怪しい系の元同僚の好意(?)で大量バイアグラ入り中国製精力剤を飲んでエラい思いをしたり、妙な合法ドラッグももらって試した。現在はその元同僚が大阪に去ってしまったので、そっち系は飲みたくとも高くて飲めない。まあ今さらバイアグラなぞ飲んでもナニのシマツに行く金がないし、『合法』ドラッグなんてちっとも効きはしないのだけれど。

 で、現在唯一継続服用している降圧剤だが、こないだ病院に行く時間が取れず2日ほど薬無しで過ごしたら、たちまち上の血圧が服用前の160超にしっかり戻り、なるほど医者が毎日飲めと言うからにはやっぱり飲むべきなのだな、と感心した。一昨年の入院時に高血圧が判明せず、まんまで過ごし続けたら、父親のように動脈瘤破裂で死んでいたのかもしれない。もちろん人間の血圧なんて、ちょっとアセればすぐに180越すものだし、常時最高血圧160でも長生きする人は大勢いるわけだが、まあ薬好きの狸としては、処方どおり飲んでさえいれば人並みの140以下に収まるので、やはりとってもいい薬だと思う。

          ◇          ◇

 谷口先生のブログを読んでいると、あいかわらず、かなり辛い思いをされているようで心が痛む。
 谷口先生はメイラックスを処方されているようだが、副作用で『ダルダルになる』という理由で、時により量を加減されているようだ。

 狸の母親が、アルツ初期のいっとき、メイラックスを処方されていた。激昂や、不安による不眠を緩和するためである。メイラックスというのはマイナー・トランキライザーであり、言ってしまえば『ダルくなることによって過剰な緊張を抑える』薬である。母親の場合、毎日定量服用、1ミリ錠を1日1錠の時期と、2ミリ錠を1日1錠の時期があった。確かに活気を失ってぐったりしたり、足元がふらついたりする時もあったが、不安による激昂や不眠は、明らかに治まった。

 無論、アルツと鬱はまったく違う疾患と知りつつ、狸としては、谷口先生の服用加減が医師の指示によっているのかどうか、そこがやや気になる。
 もちろん「状況によって自己判断で加減して服用」と処方されたのなら、なんの問題もないのだけれど。


05月22日 日  小動物な日々

 びく、と目が覚めると、やっぱり揺れているのだな、これが。
 本日は日曜なのでお休み(ほんとは偶然)だし、昨夜は昏倒しそうに疲れていたので半日以上眠ろうと思っていたのだが、揺れたあとは結局うつらうつらと熟睡できず、午前10時には離床してしまった。蒸し暑かったためもある。昨夜洗ってベランダに干しておいた下着類が、晴天下、生暖かい強風にびゅんびゅんと回転しながら、それでも乾いていない。あっぱれな湿度である。
 このところ夕方になると、立ったままでも眠れそうになる。しかし夜は熟睡できない。震災前の夜型期は昼間なら昏々と眠れたわけだが、近頃はそれも難しい。じゃあ休みの日に夕方から寝ちまえばいいじゃん、と思っても、まあなんかいろいろそーゆーわけにもいかないわけである。無神経に見えて、狸などというものはつくづく気が小さい。

          ◇          ◇

 しかし食欲があるうちは大丈夫。
 今週は世間が牛丼大戦争の渦中にあり、すき家で1回、松屋で1回、吉野家では並盛1回特盛1回、つごう4度も牛丼に淫した。今回の戦闘はハンパな苛烈さでなく、あの吉野家でさえ並盛270円という大盤振舞である。
 いつも思うのだが、あの業界は狸にとって、価格と満足度がきれいに一致する。すき家は常に一番安く、量も味も常に一番安っぽい。松屋は定食メニューは充実しているが、牛めしは少々甘すぎる。そして吉野家は、定食はあいかわらずやる気がなく、牛丼も特盛にして松屋の大盛に負けるようなボリュームだが――とにかくその牛丼の味が至高である。甘すぎずしょっぱすぎず濃すぎず薄すぎず、ワイン成分に由来するのか、微妙な酸味がなんともいえない。安い内にもう一度食っておこう。
 しかしこーゆービンボな大人客ばっかりだから、吉野家が一番苦労しているのだろうなあ。集客だけ狙うなら、近頃の大手外食産業に足並み揃えて、子供向きに砂糖を増やせばいいのである。

          ◇          ◇

 ひとり、またひとり……。いつまでも居てほしい人々が、宙《おおぞら》の彼方に旅立ってゆく。
 しかし、もう徒に悼むまい。

          

                 
『鷲の唄』
                    詞曲 ロシア民謡
                    訳詞 黒澤  明

                1、わが鷲よ 灰色の翼の鷲よ
                  どこを そんなにながく
                  飛んでいたのだ

                2、わたしは遠い 静かな山々の上を
                  ひとり どこまでも
                  飛んでいたのさ

                3、わが鷲よ 灰色の翼の鷲よ
                  どこへ お前は
                  行ってしまったのだろう

                4、わたしははるか 遠くの山々の上を
                  今も ひとり静かに
                  飛んでいるのさ

               ◇          ◇

 未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。
 ――どれ、また森敦先生の『われ逝くもののごとく』でも、図書館で借りてくるか。


05月19日 木  蹴りたい背中

 なかなかスキのない猫なのだが、今夜は珍しくぼーっと後ろ姿を見せていたので、仮性猫又の尻尾を撮ろうとした。

          

 しかし尻尾は尻に紛れて判然とせず、全身のフォルムも、なんじゃやらアンバランスで妙である。
 まあ実際妙な奴なのだけれど、妙なほうが狸穴には似合う気もするので、良しとしよう。


05月17日 火  その日暮らし映画劇場

 風呂上がりにこんなものを見つけ、最後まで観てしまった。でも明日はアブレだから無問題。

          

          

          

          

          

 戦前の和ロリの水着姿まで……YOUTUBEおそるべし。しかしそれも、正統派の成瀬巳喜男監督作品だからこそ今でも観られるのであって、ここに登場するロリのひとり、愛嬌勝負の子役『悦ちゃん』、その芸名の由来となった獅子文六原作の『悦ちゃん』などは、フィルム自体が失われているため今では観ようがないし、スチル写真さえほとんど残っていない。戦前の市井がけして『目指せ大東亜共栄圏』だけではなかったことを確認できる、明るい人情映画だったはずなのだが。
 ちなみに上の『まごころ』は、つまるところ、国策映画っぽい。著名な名匠であればこそ、その道は外せなかったのだろう。もっとも『悦ちゃん』も、ヒット後に作られた続編や続々編映画は、原作から離れて国策化してしまったそうだけれど。

          ◇          ◇

 話は変わって――。
 この能天気な狸ごときが、何を言っても力にならないとは思いつつ、やはり思う。
 ――谷口先生、たかが人生されど人生、まあなるようになります。
 そう居直れる狸のような無神経さを持たないがこその、先生のご病気であるとは重々知りつつ……。


05月16日 月  狸想

 何日か前、狸は谷口先生のブログに、「役所はあてにならないから福祉事務所へ」などとコメントした。しかし同じ組織名の『市役所』でも、それぞれ土地柄もあれば、勤めている職員さんも人様々であるという、もっとも基本的な『現実』を狸は忘れていた。先生が訪ねられた地元の市役所は、なかなか親切なところだったそうだ。よかったよかった。

 しかし年々歳々社会的閉塞の度を増してゆく狸も、実はまだまだ幸福なのだなと、改めて思う。
 まず、日雇い軽作業に出る体力と気力がある。アブれたら休み、そんな不安定な日々にも慣れた。
 そして、いいかげん腹の出た中年以降に無一文を経験したためか、本来萎縮するべき『借金の負い目』を、『感謝の念』という愛情に変換する術を心得ている。我ながら呆れた根性ではあるが、えてして根性というものは、曲がっていればこそ折れにくい。
 また、谷口先生は長年のお仕事の関係か、左右の視線と焦点を同調させる機能が衰えているらしい。その点も、狸は恵まれている。近視や老眼や乱視こそ年々進行しているが、眼球そのものの角度は、極端な寄り目にもロンパリにも自由に変えられる。昔から立体写真撮影・鑑賞に趣味があり、並行法も交差法も、訓練を積んだからだ。つまり両眼の視線を無限遠に向けてピントだけ近場に合わせることもできるし、瞬時に逆にもできる。そんな眼技(?)を会得したかなり後で、ステレオ写真の裸眼立体視は眼球周りの筋肉や焦点合わせの訓練になる、という説があるのを知った。

          ◇          ◇

 そして思うに、狸が狸自身の生も死も比較的大らかに捉えていられるのは――『生死一如《しょうじいちにょ》』という、狸のような非力な小動物にはたいへんありがたい仏教的生死観を、森敦先生の作品あたりから、漠然とでも学ばせてもらったおかげなのだろうなあ。
 などと言いつつ、近頃は精神が老化・乾燥・硬化して、冒頭のようなステロタイプな視野狭窄を起こしたりもしがちなので、生きているうちは、ただでさえちっこい脳味噌を、せいぜいぐにゅぐにゅとこねくり続けねばなあ、と思う。


05月14日 土  復興紫煙

 生物界の絶滅危惧種は、ほぼ全世界で手厚く保護されるのに、喫煙生物は、ほぼ全世界が根絶するべく努力しているようだ。
 原発などは、ここまでなんかいろいろ体に悪そうでも世界中で稼働し続けるらしいから、たぶん、放射線に耐性のない生物は地球に生きる資格がないので根絶しましょう、そんな人類の総意なのだろう。
 総意が正しいとは限らないし、永続的なものともまったく思いませんけどね、狸としては。

 ともあれ、こないだ発表された生産廃止確定煙草の銘柄一覧に、いっとき亡父が愛喫していた『チェリー』の名を見つけ、かなり寂しい思いをした。
 狸の私淑する純文学系文士・森敦先生や、その師匠・横光利一先生も、『チェリー』を吸っていたようだ。大衆文学系だと、池波正太郎先生とか。アニメの宮崎駿監督も『チェリー』だ。明治37年、この国で煙草が専売制になって以来、日本史上に連綿と在り続けた銘柄なのである。
 狸が震災前、主に吸っていた『ゴールデンバット』は、幸い廃止を免れたようだが、無論あの震災後、ほとんどの国産煙草とともに東日本から消えて久しい。11日から出荷再開された中にも見当たらなかったので、今日、いつも行く煙草屋の爺さんに訊いてみたら、「バットは8月の予定だね」と、けんもほろろ。今どき固定ファンも少ない最安価銘柄など、煙草屋もありがたくないのだろう。
 しかし『エコー』と『わかば』は入荷していた。10円高いが、ロングサイズの『わかば』を購入。予備校時代は、フィルター付きでいちばん安い『エコー』を吸ってたんだよなあ。

 ところで昨今、ビンボな煙草ほどヤニやニコチンがアレなのは、なんか、安い食い物ほど高カロリーなのに似てますね。
 無産階級は太く短く数多く、有産階級は細く長く限られた数で――そうした経済社会の大原則は太古から変わらないわけだが、まあ貧乏人も、それなりに居直りやすい時代ではある。


05月12日 木  きゃら話

 そしてまた――なにが『そしてまた』なのかなんだかよくわからないが、まあなんとなく――同じテーマの同じ話でも、どんなキャラが演じるかによって、紡がれる物語は、まったく異なる風合いになってしまうわけである。

 たとえば、『Ombra mai fu』という、ヘンデル作曲の有名なアリアがある。

   
こんな木陰は 今までなかった
   緑の木陰
   こんなに愛しく やさしく
   心地よい木陰は


 というような大意の歌詞を悠揚と歌い上げるわけだが、本来はカストラート(昔の西洋歌曲界で、有望な美声ショタの精巣ちょんぎって、ボーイ・ソプラノの声域を保ちつつ大人の声量や表現力を持たせたアレですね)のために書かれた曲らしい。
 しかしその歌曲にこめられた普遍的情動はあくまで万人の心に響くため、あらゆる声域の方々が、そこに己の魂を添加しようとする。

          

          

          

 狸は米良さんファンだし、昔のカストラートの声というのも最美声期の彼に近い声だったのではないかと思ったりするのだが、実際その木陰で憩うとしたら、優しいおねいさんの絹っぽいソプラノの木陰も、頼りがいのあるおとうさんの豊饒なバスの木陰も、ときとして望ましいと思われる。

 だから狸は、多作型大衆作家の方々が玉石混淆で次々と繰り出した、声違いの同じ木陰たちも、大いに楽しめる。
 ただしあんまり声がアレだと詞そのものが聴き取れないので、やっぱり昭和以前の発声に、好みが偏るきらいはある。
 歳なのさ。


05月10→11日 火→水  ノンストップ夜明かし雑想

 帰穴後、蒸し暑いので通路へのドアを開け放していたら、いつもの三毛ではなく、白黒ブチのほうが珍しく訪ねてきた。三毛ほど狸に慣れていないので、三和土には入らず、ただ物欲しそうににゃあにゃあないている。しかしこいつの好物らしいドライフードは、狸穴に常備していない。冷蔵庫に処分特価の生肉が残っているが、こいつは絶対にナマモノを食わない。仕方がないのでチクワをやったら、明らかに失望の色を浮かべ、それでも半分は食って帰った。管理人さんの帰宅が遅れ、よほど腹が空いていたのだろう。やはりドライフードも買っておくべきか。

          ◇          ◇

 YOUTUBEで、『Jane Brown's Body』のTVドラマ(1969)が、なんと全編確認できた。どうやら英国の幻想怪奇シリーズ(米国の『トワイライト・ゾーン』みたいな)の一編で、シンプルな話だから字幕なしでもストーリーは追えた。画質から見て元はDVDらしいが、入手する術も金もない遠国の狸にとっては、つくづくありがたい時代である。

          

 さて、内容はと言いますと――なんじゃこりゃ。
 確かに『原作・ウールリッチ』とエンド・クレジットに出るが、ほとんど原作無視。飛行機も飛ばないし死美人も腐らない。小綺麗なだけの小品である。したがって、拙作『月下美人』ともまったくカブらない。

 それと、もうひとつ。矢野徹大先生の翻訳版をもとに、昭和43年(1968)、NHKラジオでドラマ化されている事実も、ネットで知れた。「うわ、そりゃ子供時代に聴いてたかも」と一瞬警戒したが、よくよく調べればFM放送。これも狸が聴いてるはずはない。
 そもそも夜10時過ぎのテレビやラジオなんて、当時の田舎の小学生は、親に許してもらえなかった。例外は大晦日の紅白と、夏場の怪談物くらいである。まあ表立って許してくれなくとも、ラジオなら寝床でこっそりイヤホンで聴けるのだが、当時狸が寝床に持ち込めたラジオは、文房具屋で買った玩具的ゲルマニウムラジオのみである。だからAMを受信するのがやっとで、ピーピーザーザーガーガーとくり返し打ち寄せる遙かなノイズの波間から、『日曜名作座』や『夢のハーモニー』を拾い上げて楽しむのが関の山。
 しかしその『芸術劇場』というラジオドラマシリーズ、なんと同時期に『モロー博士の島』『73光年の妖怪』『火星年代記』までやっていたらしい。SF小説はすでにそこそこの市民権を得ていたが、あくまで物好きな読書家のための1ジャンルといった扱いだったから、むしろ映画界での第一次SFブーム、つまりそれまでSF映画など子供だましと思いこんでいた大人の目を覚まさせた、『2001年宇宙の旅』と『猿の惑星』の大ヒットに乗っかった企画なのだろう。ああ聴いてみたい聴いてみたい。音源はもう残っていないのだろうか。

 さて、残る問題は、ポプラ社の『歌う白骨』だな。
 しかし、何をパクろうがパクるまいが誰ひとり気にしてくれない無名アマの身で、何をしつこくこだわってんでしょうね、狸。
 いや、似たようなモチーフの物語で、他の方々がどんな脚色・演出をしているか、気になってしかたがないのである。

 ところで『Jane Brown's Body』というタイトルは、『John Brown's Body』の語呂合わせなんですね。つまり『リパブリック讃歌』、あるいは、「ゴンベさんの赤ちゃんが風邪ひいた〜〜♪」。検索していて気づきました。

          

          ◇          ◇

 夜中近くに煙草を切らして買いに出たら、今度はいつもの三毛が夜遊びから帰還、狸を見つけると嬉しそうについてきた。こっちはナマモノが何よりの好物である。夜の正餐は済んでいたようだが、生の豚コマを数片うにゃうにゃと喰らい、数分ほどくつろぎ、例によって礼の一言もなく帰って行った。

 ところで、猫にネギやタマネギは禁物、という話をつい最近ネットで読んだのだが、本当だろうか。赤血球が減少してヤバイとか、ページによっては、絶対禁止の毒のように表現している。
 思えばこれまで、狸は三毛にローソンのメンチカツをずいぶん食わせた。2個で100円のメンチのこと、当然、肉よりもタマネギが多い。しかしあの三毛は、まだ死んでいるようには見えないし、貧血で立ちくらみを起こす気配もない。むしろ必要以上に育っている。
 だいたい、子供の頃に母方の実家で飼っていた小型犬や猫は、長ネギやタマネギが入った味噌汁かけご飯を、日常的に食っていたはずである。しかし犬猫とも必要以上に元気で、日々熾烈な国境紛争を繰り広げていた。古い田舎の民家ゆえ、広い庭に面した長い縁側が、犬猫の敷地内テリトリーの境界だったのである。犬も猫も何代か入れ替わったが、当時田舎でも増え始めていた自動車による事故を除けば、寿命も特に短くなかった。

 まあネギ類も味噌も、過剰に摂取すれば、ああした小動物の体に悪いのは確かなのだろう。
 しかしまあ、この国で人間と共生する以上、ネギ類も塩も放射性物質も、犬猫としては、そうそう気にしていられないのだろう。

          ◇          ◇

 ケイタロウ様のブログに、自室の机の写真があった。なるほど、端正な文章を書かれる方の部屋もまた端正な部屋なのだな、と感心する。
 狸穴などは、他人様から見れば冗談抜きで、長屋の裏の掃き溜めである。
 机上もパソ前以外は、紙類や衣類や書籍や各種メディアが、クロスオーバー状態で山積している。前人未踏の山に見えて、実は一定の狸美学が適用された人工の堆積なのだが、狸の脳味噌はちっこいので、しばしば美学そのものが忘却の彼方に去ってしまう。しかし断じて単なる不精ではない。ほんとよ。
 なお、ケイタロウ様の部屋には猫物件が多いが、生きた猫はいないようだ。ふっふっふ、勝ったね。狸穴にはしばしばモノホンの猫がいる。もっとも元野良で、今も他人様の飼い猫だから狸に生殺与奪の権はないが、なかなか旨そうな猫である。

          ◇          ◇

 例の投稿板で記した感想に、一部作者様方からのコメ返しが届かない。とても寂しい。
 あの藤野様という方は、もともと自作投稿オンリーの方なのだろうか。だとしてもまあ感想を入れるのはこっちの勝手なのだが、あそこまでちょんちょんとつっついたのに何の反応もないと、投稿直後に死んでしまったのではないかと不安になる。
 エテナ様は、新たなご家庭を持って多忙なだけだろう。でもいつか板を覗いて、狸の感謝の念を知ってくれますように。

 雑談板のほうでは、なんじゃやら『魅力的なキャラ造り』を主体に、創作技術的な話が盛り上がっているようだ。
 魂の共鳴――それしかないと思うんですけどね。

 たとえば道端に転がってる石ころを主人公に、小説を書くとする。石ころは、何もしゃべらない。たぶん何一つ自分では考えていないし、起こす行動はただ転がってる(そりゃ行動じゃないですね)だけである。しかし作者は、その石ころと、地べたや街や人々や、地球や歴史や、世界や宇宙そのものの関係を描くことによって、その石ころがいかにドラマチックで壮大な物語の主人公であるか、あるいは石ころになる前にどんな抱腹絶倒の世渡りをしてきたか、なんぼでも証明することができる。つまり『魅力的なキャラ造り』などという、独立した技術は存在しない。その点では、やはり年長のケイタロウ様や天野様に、社会的な直観が見られる。
『創作技術』なんて、別に話し合わなくとも、過去の先達の作例が見本としてゴロゴロ転がってるじゃありませんか。読んで、好きなとこだけパクって、あとは実社会で育てた自分の魂を添加すればいいのである。そのやり方がわからないとすれば、その方はまだ真の『作者』に育つ階梯の途上にある、それだけの話だろう。もっとも単なる商売物としてなら、パクリだけで食える人もいるが。
 えーと、念のため。そのような自覚なしで自然に自ら作者になれてしまう羨ましい方々も、世の中には稀におります。直観力の特別強い方ですね。

          ◇          ◇

 本日帰途、ふと浮かんだアイデアの、狸式覚書。
 ジャンル ライト・ロリータ・ファンタジー(成年指定)
 仮題 『超時空娼館伝説・アリスのお茶会』
 テーマ 『ありがとうという感謝の心(を、全世界のろり野郎に、バールのようなもののイキオイで自覚させる)』

 主人公その1、少女A、14歳。ヤケ気味のハジケ系キャラ。
 小学校時代から、マイナージュニアアイドルとしての活動経験あり。はんぶん着エロ的に生半可に売れてしまったため、メジャーと非メジャーの間で勘違い的に増長し、またマイナー業界の甘言に弄されて親とも軋轢を生じ、結局、その幼稚でハデハデなギャルっぷりに注目したイロモノ系出版社から、中学生にして豊かな性体験など赤裸々に綴った日記を出版するという再起不能の勘違いをやらかしてしまい、話題どころか恥だけ残して、業界どころか全社会からホサれる結果に。
 物語冒頭の現在、某ビルの屋上で、「ああ、もうなんか、どーでもいーや」と、飛び下り自殺直前。

 主人公その2、少女B、16歳。陰を帯びた、いたいけ系キャラ。
 小学生低学年時代から、なんの自覚もなく親に売られて裏ビデオ業界で活躍。すでに精神的には離人症に近く、ただ曖昧な表情で周囲に従うしか自己表現ができない。年に一度ほど、発作的にリストカットする。一見ごく普通の高校生にして、もはや直立状態でも、なかば角質化した小陰唇が股間に覗く状態。
 物語冒頭の現在、都内某所で初アナル撮影中に肛門どころか直腸裂傷、その筋の病院に向かって首都高を疾走する車中。

 主人公その3、少女と女性の間くらいC、19歳。ツンデレ系キャラ。
 過去の10歳前後、児ポ法成立前に高貴系ヌードモデルとして活躍。その後も、ろり野郎の間では『伝説の美ロリ』として語られ続けている。しかし引退後はまったく普通の容貌に育ってしまい、ごく普通に短大まで進んだが、あまりの就職難にヌードモデル復帰。しかし当然ながらごく普通の19歳ヘア写真は鳴かず飛ばず、過去のノーヘア無修正写真集のみがアンダーグラウンドで無限の高値を呼んでいる現状。おだてに弱いため男性経験は豊富だが、過去のプライドが邪魔して長続きしない。
 物語冒頭の現在、過去に見切りをつけて、都内某所で、ええとこのボンボンとお見合い中。

 主人公その4、すでにおねいさんD、24歳。無敵の女将系キャラ。
 12年前は紛れもないメジャーで、ジュニアアイドルグループ黎明期の正式メンバー。しかし事務所に無断で無修正ヌードを披露してしまい、それはCの業界とは違って立派な大御所写真家の仕事だったもののグループからは放擲、多くのファンはナマぬるいマスコミ洗脳済み野郎ばかりだったためその後の援護射撃もなく、居直ってアメリカに渡ったもののドラッグを覚えてみごとに転落。しかし生活力だけは旺盛で、いつしか数十人の黒人相手のギャングバングもエンターティナーとして立派にこなす、アジアン・ポルノクイーンの座に昇る。
 物語冒頭の現在、ドラッグ抜きを決意し帰国する途中、成田着陸寸前の機内。

 さて、物語冒頭、それぞれのヒロインの頭上に、美麗な金箔文字の、黒い求人案内チラシが振ってくる。
 曰く『ゆるいおまたが世界を救う!』『貴女も聖女になってみませんか?』『日給史上最高保証!』『衣食住完全雇主負担』『但し勤務地僻遠のため全寮制』。
 なんなんだこれは――ヒロインたちが首を捻った瞬間に大地が鳴動、直下型地震が東海地方を襲い、Aはビルから振り落とされBの車は崩れる首都高からハイジャンプ、Cは高級ホテルの大シャンデリアの下敷きとなりDは旅客機ごと爆発炎上。
 そうして、4人が目覚めると、そこは天国でも地獄でもなく、連鎖的地殻変動による各地原発事故や核施設爆発や原油炎上で、なかば死の惑星と化した地球であった。
 なんであたしらだけがこんなとこに、と途惑いつつ、無人の廃墟で珍道中を始める彼女たちの行く手に、黒い紳士が現れる。「やあやあやあ、お待ちしておりました。まあまあまあ、なんとプリティーでキュートでエレガンスなお嬢様がた。ありがたいありがたい」。
 紳士が差し出した黒い名刺の金箔文字は、『――汝らここに入るもの一切の軛を棄てよ―― 有史上年中無休 アリスのお茶会』。

          ◇          ◇

 うわ、もう夜が明ける。でも次は夜勤なんで無問題。


05月08日 日  夏の汗に濡れて

 うわ、いきなり全身の毛皮がびしょ濡れの、夏が来た。
 まあ仕事中のヤケクソ感はかえってストレスを忘れさせる(なーんも考えなくなる、とも言う)し、帰宅後の風呂の快感が倍加するので、とりあえず甘受しよう。
 しかし、マジな夏の本番が、どうかヤケクソでないことを祈る。といって冷夏では農作物が心配だし、どのみち悩ましい。

          ◇          ◇

 しかし、ほんとにもう菅という奴(呼び捨てより悪化している)は……。
 一部、『英断だ』などと言っている方々もいるようだが、冷静な人間なら震災翌日にでも気づいて当然のことをやっと口にしたにすぎないし、なんの根回しもなく「悪いけど、そこだけ停めてね」といきなり発言するのを、政治とは言わない。「停めなかったら企業が悪い」とでも言うのだろうか。その判断を実現するために、なんかいろいろ根回しをするのが政治家の仕事である。「いままで気づきもしなかった」「俺は政治家としてなんの根回しもできない」と、自ら暴露しただけだ。

          ◇          ◇

 ともあれ狸は田所博士同様、この美しい弧状列島を、浮沈に関わらず死ぬまで愛します。

          

          

          

          


05月06日 金  そのうちなんとかなるだろう

 えー、江戸時代、『深草の元政坊』とおっしゃる乞食坊主の方がおりまして、気の利いた狂歌や発言で、ちょっと世間に知られておったようです。
 日蓮宗の名僧にして、歌人としても名高い深草元政上人との関連性は、わたくし浅学の狸の身、よくわかりません。
 でも、元政上人関係のありがたい資料には、俗な狂歌などいっさい見当たらないので、たぶん偽名の別人なのでしょう。

 ともあれ、

    ――
あら楽や人が人ともおもはねば
                 人を人ともおもはざりけり
――

    ――
松立てずしめ飾りせず餅つかず
                 かかる家にも春は来にけり
――

 などの狂歌が、『元政坊』の作として、今に残っております。

 で、狸としては、その方の辞世の歌が、なんともいえず好ましい。
 こんなのです。

    ――
深草の元政坊は死ぬるなり
               我が身ながらもあはれなりけり
――

 ……自分の末期も他人事かよ、おい。
 そうツッコまれながら、ちょっと口の端を上げたりして、黙ってこときれる乞食坊主――そーゆー人に、狸は化けたい。


05月03日 火  紅殻町博物誌


          

 以上のようなオープニング・ムービーだけ見れば、「お、ちょっと個性的で懐古趣味のエロゲーだな」、そんな感じで手を出すお若い衆もいらっしゃいそうだが、いざ中身となると……。

          

          

 こんな調子で、下手すりゃ数ページ、みっちりと情景描写テキストが続いたりする。一面に改行がない場合も多い。
 とどのつまり未開封品が山積み処分特価になったりしても当然な造りなのだが、このブランドはまだ潰れていない。ちゃんと次回作も出しているし、一定の顧客を掴んでいるようだ。
 1980年前後、いわゆるパソコンの歴史とともに市場に出現して以来30余年、エロゲー界の底はここまで深まった。
 狸が愛着するその世界の混沌に、相通ずると思われたエロ漫画やピンク映画(日活ロマンポルノ含む)は、残念ながら、骨の髄まで算盤勘定の世界となるか、あるいは飢えて滅びてしまった。コミケのような巨大同人市場も、王道脇道細道裏道、すべてがそれなりに交通整理されて久しい。
 整地しつくされ萌え絵に埋めつくされ、万人向けの未来に向かって情報管理しつくされてしまったようなアキバでも、前世紀の生きる屍たちが、仄暗い物陰に蠢き続けることを祈る。


05月02日 月  バニラダヌキ盗作疑惑検証(自演)

 ううむ、やっぱりウールリッチの悲観的哀愁や大衆的詩情や偶然の一致の多用は、物語のベースがリアルな社会であればこそ、そこをひと皮むいた次元での感銘として許容されるのだな――などという感想はちょっとこっちに置いといて――昨夜から本日未明にかけ『コーネル・ウールリッチ幻想小説集 今夜の私は危険よ』をイッキ読みし、たいへん困ってしまったことなど、ひとつ。
 実は、その作品集に収められている『ジェーン・ブラウンの体』(原題・Jane Brown's Body )という中編が、狸の旧作長編『月下美人』と、なんじゃやらあっちこっち、趣向がカブりまくるのである。
 まず、前半のあれこれはともかく物語の後半、生きる死骸として凄絶に腐敗してゆく娘と、それを狂的に愛し続ける青年の悲痛な行動に集約されていく、という展開そのものが酷似している。まあその手の趣向は、過去のホラーやファンタジーにおいてもさほど珍しくない(それどころか、昔実際にあった猟奇事件において、愛人の腐乱死体を生者同様に愛で続けた男など珍しくもない)からまだいいとして、問題は、細部のシチュエーションまでがけっこうカブってしまうのである。たとえばパイロットの青年(『ジェーン・ブラウンの体』では現代の無頼系フリーパイロット、『月下美人』では太平洋戦争前の陸軍航空士官)が嵐で山中に墜落し謎の娘とめぐり逢うとか、娘の腐敗が最初に顕著に表れる見せ場が、どちらも掌の描写でドーンとカマされる(『ジェーン・ブラウンの体』では手袋を外すと指先白骨状態、『月下美人』では手首から先の皮膚がズルリと脱げてナマ肉状態)とか、世間に対して腐敗姿をカモフラージュする手段が、ウールリッチでは全身を覆う衣装と緻密な仮面であり、狸の作では全身ラバースーツであるとか。
 実は狸の『月下美人』、何年か前にNFNに応募して一次選考を通ったのだが、NFN名物の『いきなり二次で最終候補作』には残れなかった。その原因は作品自体の完成度不足にあったのも確かだろうが、もし一次選考を受け持った下読みさんが『ジェーン・ブラウンの体』を過去に読んでいたら、一次すら通らなかったのではないか。そして、二次選考の段階では複数の方々が読んでいるはずだから、ウールリッチのファンに読まれてしまい「こりゃパクリか?」「パクリとまでは行かなくともオリジナリティーに欠ける」と思われた可能性はある。もっとも、似た設定に見えて、言わんとするテーマや結末は正反対どころか百億万光年離れているから、一次だけは通ったのかもしれない。

 さて、ここで問題です。
 狸はほんとうに『ジェーン・ブラウンの体』を、これまで読んだことがなかったのだろうか。
 正直、自ら若年性アルツを疑ってしまうような記憶ぬけまくりのここ数年、「お、これは使える!」と思ったアイデアが、つらつら鑑みればとっくの昔に読んだ先達作品のアイデアであったことなど、枚挙に暇がないのである。そして狸がウールリッチ=アイリッシュを愛好していたのは、まさに新旧問わずジャンルを問わずひたすら映画もTVドラマも漫画もアニメも文芸作品も鯨飲馬食しまくっていた中学高校予備校時代のこと。ウールリッチに限らず、その頃味わった作品の多くが、記憶の底で混ざり合い、カオス化してしまっている。しかもウールリッチ作品というのは、アンソロジー中の一編や、映画・ドラマの原作、またパクリの原型として、どこの何に混ざり込んでいてもおかしくないときている。
 と、ゆーわけで、ここはやっぱり、広大にして深いネットの海を、過去の事実を求めてサルベージするしかありません。

          ◇          ◇

 まず、今回読んだ『コーネル・ウールリッチ幻想小説集 今夜の私は危険よ』に関しては、過去、絶対に読んでいないと断言できる。なんとなれば、狸はこのハヤカワ・ポケット・ミステリというペーパーバック形式に、ほとんど馴染みがないのである。ポケミスで読んだ記憶があるのは、父親の蔵書にあった、同じウールリッチの『黒衣の花嫁』と、『死刑執行人のセレナーデ』のみ。それ以外に自分で買って読んだウールリッチ=アイリッシュは、すべて創元文庫か早川文庫である。で、ネットのどこをつっついても、この『コーネル・ウールリッチ幻想小説集 今夜の私は危険よ』が文庫化された形跡はない。
 なら、漫画や映画やドラマでは、どうか。――おお、1969年にアメリカでTVドラマ化されているのか。観たい観たい。しかし本邦では放映された気配がない。
 で、次に気になるのが雑誌。早川のミステリ・マガジンやSFマガジンに掲載されてはいないか。――おう、ありました。SF界の長老・矢野徹大先生が、かつて『死よ驕るなかれ』というタイトルで訳出なさっている。しかし昭和37年SFマガジン8月号――これも狸は読んでいないと断言できる。さすがに幼稚園の狸がリアルタイムでSFマガジンを読んだはずがないし、高校時代の古本屋でも、せいぜい大阪万博以降の号しか買っていないはずだ。同訳が単行本に収録された形跡もない。
 そして最後に、これがちょっとクセモノの、児童向けリライト本。今も昔も、ミステリーやホラーは大人のみならず子供の大好物、いくつもの児童出版社から抄訳シリーズが出ている。狸の記憶だと、あかね書房の少年少女世界推理文学全集。これは小中の図書室に全巻揃っていたので、残らず読んだはずだ。しかし、ウールリッチ=アイリッシュの収録作は――『恐怖の黒いカーテン/アリスが消えた』だけらしい。それでは、乱歩先生の『少年探偵団』や横溝先生の『怪獣男爵』等でずいぶんお世話になった、老舗のポプラ社。しかし、ここの海外物件は、先生に頼んでも確か中身がいいかげんすぎるとか言われて、小中の図書室では置いてくれなかった。
 でも世間では――うわ、出てるじゃん出てるじゃん。ポプラ社ジュニア世界ミステリー、1968年発行の中の一冊。これの元ネタが『Jane Brown's Body』だ。タイトルは、『歌う白骨』とある。リライトしたのは、なんと『死よ驕るなかれ』と同じ矢野徹大先生。しかし――タイトルが『歌う白骨』? フリーマンのソーンダイク博士物でもないのに『歌う白骨』? 『ジェーン・ブラウンの体』では、そんなシーンはなかったようだが、もしかして、あの死美人が哀しく歌ったりしちゃうの? ならば狸の『月下美人』は、さしずめ『踊る白骨』か。矢野版ウールリッチ『歌う白骨』、読みたい読みたい! 思わず復刊ドットコムで投票! ……でもやっぱり、昔、読んだ記憶は皆無なのである。

          ◇          ◇

 などとまあ、おたくの狸ゆえ長々と検索に耽ってしまったが、結局、よくあるパクリ騒動の当事者同様「そんな作品は知らなかった」と言うしかない。いや、「つい昨夜知ったばかりでして」と、居直るしかないのであった。
 ところで、『ジェーン・ブラウンの体』そのものの、小説としての具合は――『黒衣の花嫁』『幻の女』『喪服のランデブー』等、珠玉にして永遠の叙情サスペンスを多数残されたウールリッチ大先生に対し、なんとまあ厚顔不遜、いけずうずうしいとは思いつつ――哀愁の腐爛娘を愛しきることにおいては、ちょっと狸のほうが勝ったかもしんない。
 つまり冒頭で述べたように、『ウールリッチの悲観的哀愁や大衆的詩情や偶然の一致の多用は、物語のベースがリアルな社会であればこそ、そこをひと皮むいた次元での感銘として許容される』のであって、始めっからミステリーでなく幻想怪奇設定、つまり『ありもしないホラ話』の中では、ほとんど説得力がないのである。特にキャラの心理が「おいおい、ここでそりゃねーだろ」的に空転してしまうのである。ウールリッチ先生ご自身、かなり「ハズミで打ち飛ばしちゃった」気配も感じられる。
 だが、しかし――ネットを覗くかぎり、どうやら多数の方にトラウマ的感銘を残しているらしい矢野徹先生の児童向けリライト『歌う白骨』。これが、もしやこのホラー風味をフルに生かした珠玉の脚色なのではないかとも思われ、負けを覚悟で読んでみたい気がするのです。


05月01日 日  連休

 G・Wは無関係、などと言っていたら、どうも今日から3連休になりそうである。金もないのに困ったものである。
 昨夜(今朝?)は明け方まで夜更かし(徹夜?)し、さあ、これから半日は寝てくらすぞ、と蒲団に潜りこんだのだが、例によって昼には目覚めてしまった。つくづく困ったものである。貧乏人が少しでも豊かに生きるには、即物的な面から言えば、働いている時間と寝ている時間を極力増やし、遊ぶ時間や食う時間を極力減らすに限る。まあ、精神的な豊かさは、まったく別の話になるが。
 ともあれ、「あーうー」などと呻きながら起き出して、ラジオをつけると国会答弁をやっており、例によって菅(もはや呼び捨てにさせていただく)が、具体性の何一つないのらりくらりをくり返しており、「どうせなるようにしかならんのだ」「でも逃げるとみっともないからとりあえず居座る」という、菅の不動の積極的居直りを確認させられる。
 今、もし、菅を暗殺する志士が出現したら、狸は支持する。それが単なる目立ちたがり屋の馬鹿だったとしても、結果オーライ、ということは、歴史上無数にある。少なくとも、これ以上物事は停滞しないだろう。震災前はずいぶん張りきっていた、市井の「死刑になりたい」方々、あるいは「刑務所に生きたい」方々、さあ、今が花道だ。

          ◇          ◇

 昨夜、消極的に居直ることにしたせいか、精神状況は悪くない。といって曇天下に徘徊するまでの元気はなく、久々に図書館に出かける。といって何かを積極的に知ろうとする気力もなく、「あーうー」などと呻きながらなんかいろいろ端末検索していると、『コーネル・ウールリッチ幻想小説集』などという昔のハヤカワミステリが見つかった。コーネル・ウールリッチ=ウィリアム・アイリッシュは大好きである。てっきり陰影系情動サスペンスミステリー(?)が専門のエンターティナーだと思っていたが、幻想系も書いていたのか。大傑作から愚作まで多作した人気作家のこと、期待と不安をもって借り出す。

          ◇          ◇

 さて、久々に、例の投稿板の諸作もチェックしてみよう。買いっぱなしのエロゲー『紅殻町博物誌』の、難読大量テキスト世界にも分け入ってみよう。自分がこれまで書いた短編や、シノプシス段階・アイデア段階の短編候補もチェックしてみよう。
 とにかく消極的に居直るのだ。金はないが、2日半の暇が残っている。