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06月30日 木  下僕たち

 ミケ女王様は、日々順調に増長している。
 このところの狸穴は、暑気のため就寝時まで玄関が開けっ放しなので、狸がパソ部屋でぽこぽこと打鍵していると、女王様はいつのまにか隣の部屋まで上がりこみ、例の座椅子でご休憩あそばされている。腹が空いたときだけ、狸を呼びつける。しかし狸が触れようとすると、「無礼者!」と言わんばかりに威嚇する。あいかわらず完全な、やらずぶったくりである。
 さて、もう一匹の元野良、ドライフードしか食わないブチ君、これが微妙。
 ときどき女王様に従って狸穴を訪れるのだが、あいかわらずドアの内側には絶対に足を踏み入れない。中でナマモノを召し上がるミケ様を、じっとドアの隙間から見守っている。そしてミケ様の食後、ドライフードの餌皿をドアの外に出してやると、コリコリコリコリ喜んで食う。で、狸が頭やら顎やら撫でてやると、あんがい親しげに目を細めたりもするのである。
 もしや、狸とブチは、下僕同士なのだろうか。で、ミケ様がいちばん偉いから、ブチも遠慮して狸穴に入ってこないとか。

          


06月29日 水  フヤける日々

 四日前、ここを更新してまもなくの深夜、YAHOOモデムが「うっ」などと一声呻いて、それきりお亡くなりになった。10年前に契約してから、2度目の突然死である。出荷前の鍛え方が足りないのではないか。
 代替機が届くまでのネット難民生活は、やたら暇のある状況だけに、ちょっとサミしかった。

          ◇          ◇

 連日の『あだだだ勝負』には、すっかり慣れた。むしろ絆創膏まわりの痒さのほうがコタえる。そりゃいちんち中、汗でベタついてるんだもんなあ。
 で、背中には、まだ穴が開いている。穴の奥の肉が、なかなか表を塞げるような状態にならないようだ。体内の鍛え方が足りないのではないか。あるいは猛暑で弱っているのか。

          ◇          ◇

 姉からの支援物資や義援金が届く。「たまには美味しいものでも食べたら」というメールも届く。
 とたんに気の大きくなった愚弟は、久々に『かっぱ寿司』を訪れ、豊かに回転する100円寿司を思うさま飽食し、あまつさえ『河童のカブリモノを着こんで玉子のお寿司にちょこんと座っているキティちゃんの携帯ストラップ』などとゆー、寿司5皿分にも匹敵する高価な嗜好品を、思わず買いこんだりしてしまうわけである。脳味噌の鍛え方が足りないのではないか。
 しかし、何年か前に思わず買い込んでしまった『マグロの掛け布団と酢飯の敷き布団の間から顔を出している河童のカブリモノを着こんだキティちゃん』同様、あの殺人的な愛らしさには、小動物仲間として到底抗えるものではない。思わず軽い短編コメディーのアイデアが浮かんだりもする。

          ◇          ◇

 支援物資に入っていた、小川製麺所の『とびきりそば』を湯がいて腹いっぱい食うと、蕎麦風味の濃いゲップが出た。「ああ、マジに蕎麦だ」と、無闇な至福を感じる。
 食後、扇風機にあたりながら、しみじみ思う。――このまま死んだらシヤワセかもしれんなあ。
 しかし世の中、それほど甘くはないのである。きっと、お天道様がますます熱く燃え、地べたの小動物が「いーかげんにしろこのクソバカヤロウ」などと天に向かって絶叫しまくりたくなる頃、狸の背中の穴は塞がってしまうのである。


06月25日 土  おまかせします

 一昨年の嵌頓ヘルニアでは、入院手術したのが大学病院だったので、それはもう懇切丁寧に、なんかいろいろ説明してくれたわけである。それは情報開示の義務もあろうが、万一何かあった場合、責任はすべて『患者側の同意』にあると、明示するためでもあるのだろう。
 で、今回の老医師だが、マジに昭和の生き残りである。「黙って俺に任せとけ」と、最新医療現場では禁句に他ならないセリフを言わんばかりで、ちまちました説明などはいっさいない。ちなみに現在の状況は、「水が出尽くすのを待っている」のだそうだ。狸自身が姑息に検索しまくった、あっちこっちの小綺麗な形成外科関係HPによると、切開手術をした後の空洞に血液や体液が溜まるので、完全な縫合前に、ドレーンを通して2〜3日排出するらしい。とゆーことは、それをガーゼの交換という原始的な形で行っているのかな。
 まあいいや。痛いけど安いし。たかだか背中のデキモノだし。仮にこれが「末期癌です」とか言われたって、浅学非才の狸、「……ガ〜〜ン!」などと脱力ギャグを返すくらいしか、能がないのである。

 本日は幸い気温が下がったため、汗がブツブツ吹き出る程度で、滝汗は流さずに済んだ。明日は日曜で医院も休診。
 マジに舞茸弁当を食いに行こうか、などと現実逃避している狸は、心身共に、なりゆきまかせ。


06月24日 金  山場越え

 昨日あんだけ脅したくせに、激痛度は本日がMAXのようだ。つまり、ほじくるのはほとんどおしまいっぽい。あとは穴の中のガーゼを交換しながら回復を待つわけだが、なにせ穴の中はまだむき出しのお肉だから、この陽気だと毎回の大汗は避けられないだろう。ガーゼを引っぱり出すのはさほど痛くないのだが、詰めこむときはかなり応える。老医師が「ほら、一枚ぜんぶ入っちゃった」などと満足そうに言ってくれるので、なお応える。

 しかし一昨年の手術入院以来、久々の半月を超す長期休暇になりそうで、しかも通院時以外はほぼフリーなのに、創作意欲がちっとも湧かないのは困りものである。根性歩きもできないし安眠もできないので、脳味噌が萎えているようだ。本は読めるが、毎日図書館に通う気にもなれない。今日など、診療後、130円の切符だけ買って、電車を乗り継いで銚子まで行った。電車の中は涼しくて、読書に最適なのである。ただ銚子に着いても、駅から出るには往復4000円超の料金を払わねばならない。そのまんま引き返し、狸穴の隣駅で降りる。一駅ぶんは歩いて帰ることになるが、まったく歩かないと足腰が萎えてしまうので、丁度いい。
 ふと思えば、もう何年も、高崎駅の『上州舞茸弁当』を食っていない。群馬にいる頃は、週一で食っていた。もちろん栽培物の舞茸だが、調理が絶妙なのである。あれは確か1000円ポッキリだ。今となっては1食1000円なんて本来許されない贅沢なのだが――何時間かかろうと、高崎駅から出なければ、運賃はあくまで130円なのである。
 思いきって駅弁旅行――いいかもしんない。


06月23日 木  勝負は続く

 小雨で湿ったと思えば、雲間から太陽が燦然と輝く。その反復。つまり水と陽光が手に手をとって、アスファルトの都会を立派なサウナに調整してくれる。
 そして病院や医院は、もともと節電のいらない夏でも、健康のために適温ギリギリまでしか空調をやらないので、そこで汗っかきの狸がマジな勝負などしてしまうと、老医師や看護婦さんが驚嘆するほど、滝の汗を流してしまうわけである。
 本日も診療時間は数分で済んだのだが、ガーゼ交換の間の『ぷちぷちちまちま』が、日を経るごとに激痛度を増してゆくのはなぜか。あの初日の大勝負よりも、明らかに「あだだだだだだ」「あだだ」「あだだだ」な世界なのである。
 ちょいと気になって老医師に訊ねたところ、治療の進行具合や患部の現状を、詳しく教えてくれた。つまり狸の背中は、傷んだお肉をほじくり出したあとの穴が開いたままで、傷んだお肉という奴は当然健康なお肉からペロリと剥がれるようなシロモノではないから、まだちまちまと穴の奥に根を張っている。それを日々ちまちまとちぎり取っているのだから、日を経るにつれてより深いところをちぎりとることになる。よって、ますます痛くなる。保証付き。

 しかし、表のゲストブックに谷口先生が記された、『今でもその穴がまだ塞がってません』という意味が、本日はっきり解った。マジに大穴が開いているのである。肩胛骨が直下にある部分などというのは、ほんのちょっと肉と皮があるだけですぐに骨かと思っていたら、立派に穴を穿てるだけの肉があるんですねえ、惰弱な狸の背中でも。今はガーゼが詰まっているから脹らんでいるが、傷自体が治っても、中のお肉はなかなか上がってこないだろうとのこと。
 まあ背中のことだから、出っぱり過ぎているよりは、邪魔にならなくていいんですけどね。


06月22日 水  

 ぐぬぬぬぬう……暑。6月中から30度超はかんべんしてくださいませんかお天道様。

 昨日の話は、薬代を勘定に入れてなかった。本日の請求は690円。ほう、この抗生剤は2日分で340円か。扁桃腺のときにもらう薬より、やっぱり割安っぽい。お腹の下りぐあいだと、かなり腸内細菌も滅ぼしてる感じで、効きは良さそうなのだが。
 さて、当座の懐グアイは、例によって姉に泣きついて、なんとかしのげそうである。すでに一生頭の上がらなかった姉だが、もはや二世も三世も頭が上がらなくなってしまった。今後数世紀くらいは、生き変わり死に変わり頭を下げ続けるべきだろう。そのわりに、たまに会うとデカいツラしてタダ飯食ってばかりですみませんすみません。
 で、残る問題は――暑いぞオイ。歩いてるだけで絆創膏が剥がれそうになるぞオイ。絆創膏まわりが痒くてたまらんぞオイ。当分この昔懐かし絆創膏ベタベタ状態が続くらしいのだぞオイ。寝返り打つと痛いのは仕方がないが、汗疹はもっと鬱陶しいぞオイ。

 しかし、嘆くまい。
 胸から下と首から上は丸洗いできるし、今どきの清拭ペーパーは、脇の下の臭いまでしっかり消してくれるのである。


06月21日 火  居直る

 寝返りをうつたびにズキリとくるので安眠できず、結局午後遅くまで蒲団の中で「あーうー」などとのたくり、再診に赴く。
 さすがにほとんどの勝負は昨日でキマっていたらしく、本日はほんの5分程度、なんかお肉のほうはぷちぷちちまちまとつまみ出しただけで、あとは空洞化したところに薬たっぷりのガーゼを詰めこんでもらっただけであった。昨日はこっちも勝負に夢中で気が回らず、あんだけの傷んだお肉をほじくり出したにしてはまだ患部が出っ張っているなあ、などと思っていたら、代わりに薬を染みこませたガーゼが詰まってたんですね。本日回収したぶんは、当然ぐちょぐちょのまっかっかでした。できれば当分毎日これを交換したいから、なるべく毎日来い、そんな話。で、再診料は、驚くなかれたったの350円ポッキリ。マジに三丁目価格。
 いるんですねえ、こんな化石のごとき老医師が、裏通りの医院には今でも。古い町医者は毎日通わせて金を稼ぐのだ、などという世評もありがちだが、350円なら20回通っても7000円。初診料と合わせても、1万円でお釣りがくる。
 近代的外科クリニックをちょっと調べてみると、化膿していない良性状態なら「まったく痛くない日帰り手術。事前検査と手術当日と術後経過診療、たった3回の来院。傷跡もほとんど残りません」、そんな感じでやるわけである。相場は一万数千円か。化膿していた場合、期間も治療費も、当然その倍くらいはかかるだろう。
 もちろん、都心にしっかりとした職場のある事務職の方々などは、何万円かかってもそっちがありがたいだろうが、どのみち傷が塞がらない限り働きようのない無産階級にとっては、安ければ安いほどありがたいわけで。
 ああ、良かった。このペースなら、少なくとも今月中は寝て暮らせる――って、その後はどーすんのよ。家賃が勘定に入ってないでしょ。来月だって、すぐに大汗仕事に戻れる可能性は薄いぞ。
 しかし、うらぶれまい。
 なんとかなるさ、人間じゃないんだもの。

          ◇          ◇

 ところで、この方も立派な狸だと思うが、どうか。

          

          


06月20日 月  まいってしまった隣の神社

 異物感を生じた時点で、すでに敗北していたらしい。
 今朝目覚めると、肩寄り背中の瘤はかなり赤くなっており、中身も増えてパンパンになっていた。
 どうせ切るなら一日でも早いほうがいい日雇い暮らし、近所の鄙びた医院にのたくりこむ。皮膚科と外科をいっしょにやっているのは、駅近辺のなんか小じゃれた美容整形系っぽいチェーン医院(?)を除けば、そこしか知らなかったからだ。
「おお、よく腫らしたねえ」
 禿頭の老医師が、ぶっきらぼうに言う。
「これは脂肪腫じゃなく粉瘤腫。すぐ切ろう。でもこりゃ全治3週間はかかるね。10日も前に来てくれれば、1週間ですんだろうけど」
 しかし10日前は、痛くも赤くもなかったのである。
 その時点で、狸は思い悩むのを、きっぱりやめた。いったん化膿して切開する以上、大汗仕事はとうぶんできない。狸は、また破綻したのである。しかしとりあえず今、懐には、まだ諭吉先生がふたり居る。今月の母親関係は、すでに確保した。家賃の滞りは今のところないから、ひと月くらいは待ってもらえる。あとは狸の食い扶持だけの問題だ。
「はい、切るから、そのベッドに横になって」
「――は?」
 個人的に思い悩むのはやめたが、一般的な疑問は生じる。
 すぐ切る、と言っても、確か一昨年あたり脂肪瘤や粉瘤腫についてネット検索したときは、安定状態でも局部麻酔が必要な手術だったはずだ。化膿したときは、いったん薬で安定させてから切る、そんな手順だったはずだ。
 しかし老医師はなんの逡巡もなく、看護婦さんにちょこちょこと患部を消毒させただけで――メスを、ずっぷし。
「痛かったら言ってね」
 ……えーと、念のため。フカシではありません。全部事実です。
 そうか、そうくるか、爺さん――。狸は腹をくくった。
 俯せになっているベッドも、「おいこりゃ何世紀使い続けた診療台だ」と首を捻るような、昭和レトロのビニール物件である。つまりこの医院は、ネットに小じゃれたHPを設けているような今様の懇切丁寧キレイキレイ医療法人チェーンではなく、狸が子供の頃に同級生の盲腸手術を見舞いに行った田舎医院と同タイプの、『勝負どころ』なのである。
 ぶち、ぶち、ずるずる、ぶち――。
 鈍痛とともに、なんじゃやら瘤の中の肉質のものが引き出され、小刻みに、顔の横の皿(?)に貯められてゆく。
 化膿した皮下脂肪組織のはずだから、てっきり黄白色のでろんでろんか何だろうと思ったが、それはあくまで脂肪瘤の話で、粉瘤腫の中身はかなりグロい。冷蔵庫の奥で忘れ去られた霜降り肉のミンチの大盛り、そんな感じだ。このくらい臭ってしまうと、もはや餓死寸前の野良猫でも食うまい。
「痛かったら、やめるから言ってね」
 しかし……やめっぱなしで済むってもんでもないだろう。
 さすがに上半身は冷や汗まみれだが、耐えられないほどの激痛ではない。あくまで鈍痛の波である。
 人間の背中のことはわからないが、狸の背中は、感覚が鈍いらしい。いや、カユイとかコソバユイとかだけに敏感で、いわゆる痛覚が鈍い。昔、学生時代に風呂場で転んで、ガラス戸の破片で背中をざっくり切ったときも、消毒してくれた姉はビビっていたのに、当の狸は「おお、しみるしみる」などと、半分おどけていた記憶がある。
 ともあれ、さらに押したり出したり絞ったり千切ったり、およそ十数分。
「――まだ残ってるけど、最後までやると恨まれそうだから、あとは明日にしよう」
 なかなかいい勝負だった、とでも言いたげに、老医師は微笑した。
「2〜3日は、なるべく毎日通ってね」
 狸と同年輩の看護婦さんは、汗の滲む狸の背中に、ガーゼやら脱脂綿やら絆創膏やらを苦労して張りつけながら、なんじゃやら諦念の窺える声で、
「痛くなかったですか? ……痛くないわけ、ないですよね」
 しつこいようですが、脚色してません。全部事実です。
 しかも処方された薬は、抗生物質のみ。痛み止めなどは、勝負における根性の問題なので、省略してくれたのだろう。

          ◇          ◇

 さて、今回ひでー医院に行ってしまったのかどうかは、最終的に治療費がナンボかかるかしだいだが、初診でここまで勝負してもらって薬代込み2860円というのは、やはり今どきの相場より格安な気がする。高血圧で毎月通っている内科病院では、血圧測って問診して薬もらうだけで1630円、たまに扁桃腺を腫らして行く耳鼻咽喉科は、薬代別で初診2100円もする。
 ともあれ、懐の諭吉先生はすでにひとりに減り、一葉のおねいさんも、遠からず漱石先生に分化するだろう。
 一昨年の入院手術とは違い、セコい病の今回は、かんぽも適用外だし医療費還付もない。国保の3割自己負担分は、まるまるかかる。
 そして、今後の日銭予定は白紙に戻った。途中で抜けて医者に行ける日雇い仕事などない。そもそも、大汗もかかず肩も動かさないですむ日雇い仕事が、めったにない。
 しかし、うらぶれまい。
 風呂に入れないので、マツキヨで買った清拭ペーパーで全身ふきふきしながら、『鶴瓶の家族に乾杯』を見ていたら、数年前の中越地震で被災した小千谷市を、鶴瓶さんと石田純一さんが訪ねていた。そこには福島から避難してきた方々や、それを暖かく支援するかつての被災地小千谷市民の方々が、得も言われぬ人情模様を展開しており、ふと気づくと狸は鶴瓶さんや石田さん同様、パフォーマンスを越えた熱い涙で目頭を潤ませたりしているのであった。
 かつて目の前で家族が潰れたり家財を全損したりした方々が、今、目の前で家族や家財を流されたり放射能で故郷自体を失った方々を、親身に励ましているのである。とるにたらぬ狸が1匹、便利至極な大都会でいっとき飢えるくらい、なんでもない。


06月19日 日  雑記

 アブれたので地元の古本屋巡りをしていると、新古本屋の100均にはめっきり掘り出し物が減ってしまったものの、残り少ない旧態依然の古本屋だと、変色風化したゴミのような雑本の中に、まだまだ興味の種が混ざっている。
 本日の戦利品、計300円。
『青春の季節』、野田宇太郎・著、昭和28年、河出新書。文芸誌『スバル』を巡り、森鴎外を中心に、白秋や杢太郎や啄木や、吉井勇や平野萬里といった、若き詩人たちの青春群像を論じたもの。劇画『坊ちゃんの時代』シリーズあたりに時代がカブって、なんか面白そう。
『アイスランド』、山室静・著、昭和38年、紀伊国屋新書。今さらそんな時代の北海の孤島の歴史や文学なんか囓ってどーすんのよ。しかし山室先生の本が100円なのである。買うしかない。
『佛心』、朝比奈宗源・著、昭和42年、春秋社。昭和の禅僧として著名な方の、法話やエッセイ集です。書道も巧みで、テレビの『水戸黄門』や『大岡越前』のタイトル文字まで書いている。つまり肉筆漢字では、日本一ポピュラーな方かもしれない。

          ◇          ◇

 話は変わって――。
 以前から左の肩胛骨あたりにポコンと存在していた脂肪瘤が、先月あたりから、とみに脹らんできた。一昨年のヘルニア入院時に、ついでに見てもらったら、単なる皮下脂肪の塊なので放置してもかまわないという話だったが、あまり大きくなるようだったら、切除したほうがいいらしい。
 今も瘤自体は痛くも痒くもないのだが、場所がいけない。ぶよんとしてしまりのない部分ならなんの問題もないが、肩胛骨のあたりは、狸でもさすがにゴツゴツしている。でかくなってきたぶん、周囲の皮膚がひっつれて、異物感が生じている。大汗かいて働いた後などは、シャツに擦れて赤くなる。化膿でもしたら大事だ。
 当然、とっとと切除するべきなのだが――チンケな手術とはいえ、事前検査も局部麻酔も行う。つまり、金がかかる。また当然、切った当座は大汗仕事ができない。しかしこのままだと、どうも、立派なヒトコブラクダ、もとい一瘤狸になってしまいそうな気もする。
 まいったまいった隣の神社。


06月18日 土  夜想

 谷口先生のブログは、毎日チェックしている。しかし、もう狸の足跡を残せる状況ではないようだ。福祉関係者、あるいは担当医でもない限り、鬱病の方に他人が助力することはできない。
 とにかく覗き見し続けるしか、無力な狸には手段がない。

 それにつけても、戦前から戦後まで一般市販されていたアンフェタミン(製品名としては『ヒロポン』が有名)や、数年前まで鬱病にも処方されていたメチルフェニデート(製品名としては『リタリン』が有名)といった中枢神経刺激薬は、ほんとうにお上の言うような『悪魔の薬』なのだろうか。少なくとも戦前戦後の文献(特に市井の人々の記録)を読む限り、あれほど多数のアンフェタミン使用者のほとんどは、シャブ中にもならずに『超強力気付け薬』的な使用法を守っているし、『リタリン』だって、医師の処方に従って有効活用し、社会生活に対応していた鬱病患者は多いはずだ。
 また、昔から鬱病を含む一部の精神疾患において有効事例が山のようにあり、今でもちっとも違法ではない『修正型電気刺激療法』、いわゆる『電パチ』が、希にしか行われなくなってしまったのはなぜか。「ビジュアルとして拷問っぽい」「実際、虐待に使われることも多かった」等の理由はあろうが、きちんと使えば、劇的効果を見ることも多いのである。
 本当のところ、お偉い方々は、すべてを『ツッコミの入らない綺麗事』の範疇に収めたいだけなのではないか。そのほうが、自分たちはラクだしな。

          ◇          ◇

 話は変わって――。
『青葉城恋歌』の、さとう宗幸さんがメジャーデビューする前の素朴フォーク調バージョンと、『遠野物語』の、あんべ光俊さんがソロデビューする前、フォークグループ『飛行船』シングルバージョン。

          

          

 いや、単なる東北産古狸のアレです。


06月16日 木  リマスターなんてこわくない

 近頃ハヤリのDVD付き雑誌(?)シリーズで、『サンダーバード』や『謎の円盤U・F・O』など、英国のアンダーソン物が出るらしく、テレビCMを見たのだが……とにかく大昔の特撮物のリマスターが新しくなればなるほど、本編上でもミニチュアの『小ささ』が明瞭になってゆくのは、ちょっと怖い気もする。無論、子供の頃に、今となっては超低解像度のテレビで見たときよりも、「こんな小さなモデルで、よくここまで迫力を演出したものだ」と、ある意味驚愕度は増すのだが、やっぱり当時、たとえば劇場版を大スクリーンで観たときのような、銀塩フィルムの質感再現に由来する『幻灯感』は、まさに『綺麗に』失われている。それが現実だ、と言われてしまえば、それまでなのだけれど。

          

 しかし一方、精緻にデジタル・リマスターすればするほど、驚愕度や幻灯感や巨大感が増してゆく古い特撮映像も、昭和の東宝特撮あたりには、確かに存在する。それは円谷英二監督の黄金時代や、中野昭慶監督全盛期よりも、その中継ぎあたりで地味に健闘した、有川貞昌監督作品に顕著だ。中でも『ゴジラの息子』(昭和42年・1967)、これがすごい。
 下に引用させていただいた予告編からは、そのすごさの片鱗も窺えないので、物好きな方はぜひ最新のDVDを、目を皿のようにして、粘着質全開でご覧いただきたい。……まあ、ほとんどいらっしゃらないでしょうけど。

          

 実は小学校時代にリアルタイムで観たときには、大人側のあくまでシリアスなドラマ演出や、ミニラのあまり可愛くない造型に失望して、さほど熱中しなかったのだが、その後、高校時代の夏休みにわざわざ山を越えて仙台の長町劇場に出向いてやや認識を改め、さらに成人後、ビデオからLD、そしてDVDと、原版の特撮技術的クオリティーが精緻に再現されればされるほど、大人の狸として「うひゃひゃひゃひゃあ」の度合いが増してゆく。なんといいますか、体長数十メートルの怪獣たちがこの世にマジに存在しているとしか思えないシークェンスが、多々存在するのですね。
 最新のデジタル合成にはかなわないにしろ、平成初期ゴジラのハイビジョン合成を明らかに凌ぐ、一流職人芸としか言いようのない光学合成。そして怪獣やミニチュアを、『一見本物のように』でもなく、特撮ならではの『ありえねー迫力に』でもなく、人間の役者と同レベルの『実存』としてきっちり演出する、真面目の上に糞がつくような演出姿勢――。

 そう、幻想の世界ですら、最終的にキモなのは、外連でもウケ狙いでもない。その外連やウケ狙いを、実存としてどう描写し演出するか――つまり、やっぱり職人的技術と、地道な誠意なのであった。


06月13日 月  吹き替え声優さん男女交代

 ふん、失礼ったらありゃしない。あたしみたいな美猫の、どこがオスに見えるってのよ。
 いいこと? 今後そんな無礼を働いたら、顔面血みどろのササラになるまで、引っ掻いてあげるからね。
 ほうら、いつもの美味しくないビンボなお肉を持ってらっしゃい。仕方がないから食べてあげるわ。
 気安く「おいミケ」じゃないわよ! 女王様とお呼び!

          


06月11日 土  天然サウナ → 続々・退嬰

 きょうは、いちんち、さうなぶろのなかで、あそびました。とーってもたのしくあそんだので、たいじゅうが、1きろもへりました。
 あそこはさうなぶろではなくそうこだ、とか、あそんだんじゃなくてこくしされたんだ、とか、そーゆーことをゆーひともおおいみたいですが、なんかもーへろへろなので、たぬきには、よくわかりません。おわり。

          ◇          ◇

 でもまあ日雇い派遣を始めた頃は、1日2〜3キロぶん発汗した記憶もあるから、狸はあんがい熱中症には強いようである。腹回りなどのぶよんとしてしまりのない部分に、脂肪ではなく水を蓄えているのかもしれない。
 ともあれ昔とは違い、近頃の倉庫は仕事中の水分補給をむしろ推奨してくれるので、解放後にまとめて1リットルらっぱ飲み、といった、ある意味とてつもなく爽快な気分は、かえって味わえない。
 などと記すと、非常に能動的で健康な日々を送っているように見えそうだが、無論惰弱な狸のこと、毎朝嫌々ながら起き出して、「あーだるいつらい」と内心ぶつぶつぼやきながら仕事に出る。で、不謹慎にも「また震度5強が来て早帰りできんかなあ」などと思いながら、汗だくで午後を迎えるのである。それでも夕方、疲労や睡魔のリミットを振りきってしまうと、不思議に「ええい、もう矢でも鉄砲でも持ってこい」状態になれる。へろへろの足でも、帰途は電車賃節約のため最寄り駅ではなくターミナル駅まで2キロは歩く。ずばり、徹夜ハイ同様、脳内麻薬の力だろう。
 考えてみりゃ、たとえばサウナの本場北欧で、日々、かの人間蒸し焼き小屋から厳冬の湖水に飛びこんだりをくり返している方々というのも、早い話、自前のヤク中なのでしょうね。心臓や新陳代謝能力を鍛えるというけれど、あそこでも心筋梗塞で突然死する方は多いわけで、要はリスクを忘れて「ええい、もう矢でも鉄砲でも持ってこい」という刹那的快楽に惑溺しているのである。

          ◇          ◇

 まあ、なんであれ、狸の夜には、昭和の歌が今日も流れております。

          

          

          

          

 特に、最後の佐藤友美さんの歌は、マイナーなドラマの挿入歌として埋もれるには惜しい歌だと思うが、どうか。


06月08日 水  続・退嬰

 思えば、母親のアルツが尋常ならざる人格変化に達し、折りしも狸の職場もまた、名ばかり店長とはいえ疲労が心身共にピークに達しつつあった数年前――たぶんあの頃、狸の精神状態は『鬱』も『躁』もすっとばして、もはや『虚《うろ》』だったのではなかろうか、と、今にして思う。そうでなければ、やや下寄りとはいえ立派に中産階級を標榜できた職場で、誰にも相談せずにいきなり辞表など書くはずがなかったように思うのだ。

 その後の目論見はことごとく外れ、今は無産階級の最底辺、しかもその日銭の大半は家賃や光熱費や通信費、そして母親関係に割かねばならず、いきおい68円均一や100円均一に頼る生活を余儀なくされているわけであるが――しかしつらつら鑑みるに、今の狸はむしろ『躁』なのではあるまいか、と、改めて思う。
 ハンパ仕事を嫌々こなす日々でも、とりあえず明日食う物があれば、今日という日は確実に明日に続く。無論、明日はあっても来週食う物があるとは限らない。また突然の病魔に襲われたり、いよいよの東海地震で荷物の下敷きになり絶命する可能性もある。しかしそんな不安は、今日という日を生きていることの一部として許容するしかない。するしかない、と思って、なんとか実際にそうしてしまえる時点で、まあ『躁』ではないにしろ、少なくとも『鬱』ではない。ヤケより強いものはないのである。

 本日も夕方にはカゴ車押しながら熟睡しかけ、風呂に入った今も腰はぐだぐだだが、ダイエーで買った安物ブランド『TOPVALU』の『ビーフカレー甘口』が、たいへん旨かった。ふだんは甘口のカレーなど買わないのだが、レトルト袋の写真が何か子供の頃の食堂カレーのように薄黄色をしていたので、もしや倍以上の価格の『オリエンタル・マースカレー』と同じように昭和の味がするのではないかと、試しに買ってみたのである。これが大当たり。ウスターソースをたらして食うと、まさに三丁目の夕日の食堂風味。
 つまり、幼時の狸には『大御馳走』だった世界、それが今は、たったの88円なのである。これを退化と見るか進化と見るか、それは狸の心ひとつだ。

          


06月06日 月  退嬰

 歳のせいかビンボのせいか、とにかく現行の生活を送ることよりも、つかのまずっぷし退嬰に耽っているときのほうが、明らかに精神全体は能動性を帯びているのだな。
 本日はアブれたので、このところいじくり直していた旧作短編をオール讀物新人賞に宛てて投函したのだが、その投函自体には、何年か前までのような昂揚も、また不安すらも覚えないのである。先々月、日本ファンタジーノベル大賞に応募したときも、実は淡々としていた。どうせなるようにしかならないし、なるようにはなる。ただ、その送りつけたテキスト情報を脳味噌の中からずるずると引き出したり、それをあーじゃこーじゃといじくりまわしているときの、能動的な退嬰としか言いようのない情感だけが、今の狸が発せられる唯一の光だ。その光がどこまで届くかは、狸の決めることではない。

          

 爺いの退嬰は、希望という夢である。若者の希望もまた大半見果てぬ夢に終わる以上、それはたぶん、『今』を挟んでどっち側にあるか以外は、九分九厘同じものなのだ。

          


06月03日 金  ノンCG大特撮

 まずは、CG時代の今となっては永遠に対抗馬が現れないであろう、どでかいミニチュア(?)のスチル。

          

 そして、ネット上の低解像度映像で少々残念な、「どぉすこいっ!!」級の本編映像。

          

 原作者のクライブ・カッスラー氏が、映画の出来に激怒して封印してしまったと言われる、『レイズ・ザ・タイタニック』(1980)。
 確かに荒唐無稽にして穴だらけのB級海洋冒険映画だが、全世界にDVDやブルーレイ化を待ち望む、特撮映画マニアの多い作品である。
 なんとなれば――とにかく制作費の大半を、異様にどでかいミニチュアと、大御所ジョン・バリーのサウンドトラックに回してしまい、そのせいで他のスタッフやキャストがTVドラマ級の人ばっかりになってしまったのではないか、そんな感じの、アンバランスななりに異様な魅力を湛えた映画なのである。
 狸も古いビデオのダビング物件しか所有しておらず、昔、非シネコンの巨大スクリーンで観たときの「うひゃひゃひゃひゃあ」な驚愕が、懐かしくてならない。
 前記したように、同様なマニアは数多く、そのミニチュアの製作時から『その後の運命』までを、几帳面にフォローしてくれたりもする。

          

 もし本当に原作者の意思で封印されているのなら、ぜひ思い直していただきたいものである。だいたい、クライブ・カッスラー氏のトンデモ冒険小説群は、確かに全世界でベストセラーになっているのだろうが、たとえばトム・クランシー作品などとは違い、映像化されて成功したためしがない。映像化してしまうと、原作の持つギリギリの荒唐無稽さが、面白さよりも、アホらしさや脱力感に繋がってしまうのである。
 ならば一点豪華主義、いや音楽もいいから二点豪華主義でアプローチした映画制作者側の目論見は、けして誤ってはいないと思うのだ。


06月01日 水  近況

          

 うっす、元野良の三毛だ。
 今はもう立派な家が階下にあるんだが、ナマ肉やチクワが出ないんで、ときどき、ここに来る。          
 この座椅子は、狸臭くて正直好かんのだが、まあ、狸穴なんだから我慢するしかない。
 狸は、隣のだいどこで、泣きながら具のないタイ産ラーメンを煮ている。具になるはずだった豚肉は、俺が食った。
 猫は百獣の王で、狸は奴隷だ。さからうようなら、死なない程度に引っ掻けばいい。