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08月30日 火  なんかいろいろ

【ワシントン=中島健太郎】民主党新代表に野田佳彦財務相が選ばれ、次期首相になることについて、米国務省のヌーランド報道官は29日の記者会見で、「日米同盟はどの首相の下でも着実に進展してきた。次の首相とも緊密な協力を継続していく」と語った。
 会見では、質問に答えようとした報道官が、米メディアの記者に「また同じコメントを読み上げることになった」と混ぜ返され、コメントを読み上げながら、笑いをこらえきれなくなる場面もあった。【読売新聞 8月30日(火)10時21分配信】

【ワシントン時事】「知らないわ。何人目の首相になるの」。米国務省で29日に行われたヌーランド報道官(女性)の定例記者会見で、民主党の新代表に選ばれた野田佳彦氏はこの数年間で何人目の日本の首相になるのか質問され、報道官が苦笑混じりにこう問い返す一幕があった。
 ヌーランド氏は、野田氏の新代表選出のコメントを求められ「日本政府や次期首相と幅広い課題について緊密な連携を続けていくことを期待している」と回答。これに対し、米国の記者が「それは(近年)何人目の首相だ」と突っ込みを入れた。【時事通信 8月30日(火)10時43分配信】


 ……ごもっとも。
 野田佳彦氏という政治家には、これまでちっとも興味の無かった狸なので、反小沢派らしいことしか知らなかったりする。「こりゃ当分民主政権内のゴタゴタが続くのだろうなあ」と吐息する一方、野田総理はこれまで財務相を無難にこなしていたようだから、菅ちゃん(ちゃん付けかよオイ)よりは、まともに官僚を動かせることを切に祈る。

          ◇          ◇

 本日ついに、老医師から、背中の穴の完治宣告が出た。まだちっこい防水絆創膏が貼ってあるが、これが自然に剥がれたら、あとは放置でいいそうだ。最後の最後まで、例によってアバウトなご託宣だが、毎回300円でお釣りの来る診療代、狸に遺恨のあるはずもない。老医師にも看護婦さんにも丁重に謝辞を述べ、やや感慨深く、うらぶれた外科医院を後にした。
 さて、念のため絆創膏が剥がれるまではお湯浴びや清拭で我慢しておいて、それから溜まりに溜まった欲求不満の大解放に走りたいと思う。思えば実に2ヶ月超、狸の本態とも言うべき全身入浴を断たれていたのである。それを狸穴の窮屈な風呂桶で解禁する手はない。できれば蔵王高湯の露天風呂あたりで三日三晩フヤけっぱなしになりたいところだが……近所の銭湯でも御の字だよな、うん。

          ◇          ◇

 背中の穴の塞がりを祝って、久々に仕事以外の電車賃を使い、都内徘徊に繰り出す。おめでたいのだから、ここはやっぱり皇居である。
 残暑の中を東京駅に降り立ち、大手門から二重橋、ぐるっと回って千鳥ヶ淵から九段へ。で、靖国神社に詣でたあと、神保町を経由してお茶の水駅へ。おおむね7キロほど歩いたか。さすがに午後の陽射しはキツかったが、いっときの凶悪湿気炎天を思えば、むしろ爽快だ。また皇居まわりには、都心ながら一服できる木陰の灰皿も、清潔な水場もある。
 内堀通りあたりから望む皇居の森は、都心にありながら実に原始の森の香りを漂わせ、「ああ、生まれ変わったら天皇陛下になって御所に住みたい。でもやっぱしあんまり畏れ多いから、せめてマジな狸に生まれ変わって、あの森に棲息したい」などと、思わず願ってしまった。

 神保町で雑本棚やワゴンを漁り、僥倖とも言うべき事態に遭遇した。
 露天の雑本棚に、民俗写真家として名高い故・薗部澄氏の写真集『ノスタルジア 懐かしの最上川 昭和二十九年夏』を見つけ、「定価5000円近い大型本だし民俗資料的価値も高いから、なんぼ露天に回っても2000円はするだろうなあ」と、なかば諦めつつ手に取ったところ――なんだかじっとりと湿っぽい。のみならず大変黴臭い。見れば本の下端が明らかに水に浸かった形跡があり、今はほとんど乾いているものの、一部に黒黴さえ出ている。つまり水濡れ品なのである。
 古本好きの方ならご存知だろうが、よほど歴史的な稀覯本でもない限り、古書店において水濡れ本は廃品扱いだ。50円均一や100円均一になれば、まだいいほうである。ならば『ノスタルジア』も100円ポッキリ――と思いきや、やっぱり甘かった。もとが良書のこと、そんな状態でも値付けは500円。
 しかし迷わず買ってしまいましたよ、いつもなら100円均一ですらさんざん逡巡してしまうほどビンボな狸が。なんとなれば、もう今後背中の穴関係の出費はないわけだし、なによりその写真集には、山形の最上川流域のみならず、たとえば狸の生家近辺の、狸が生まれた頃の写真なども多数含まれている。正しくは生まれる3年前だが、あの頃の田舎は今ほど変化が急速ではないから、狸の原初記憶にある山形駅前や七日町が、しっかり記録されているのである。霞城公園内の旧連隊跡まで写っている。
 あとの問題は、点在する黒黴をどこまで除去できるかだが、いざとなったらスキャンしてレタッチする手もあるし、とりあえず、甚だしい黴の匂いさえふんふんと快く嗅いでしまう、ノスタル爺いの狸なのであった。


08月27日 土  懺悔の値打ちもない

 推定小学5年生くらいの松井八知栄ちゃんと遠足先の千歳山でディープ・キスする夢を見てしまった狸はもはや生きている価値がないような気もするがそのとき狸は河童の三平になっていたのでなんとか情状酌量の余地を認めてもらってやっぱり死ぬまでは生きることにしようかな――と、まあ、そーゆー所存の狸です。

 ちなみに八知恵ちゃんのベロが明らかに成人式近いボリューム感であったのは、狸が今んとこ偽善者の道を踏み外していない証拠ですね。えっへん。


08月25日 木  再液状化狸

 看護婦さんの防水シート(?)張りつけが不充分だったものやら、あるいは狸の発汗量が常軌を逸していたものやら、久々に下着の背中が、体液やら血液やら消毒液やらの溶け出した汗で、エラいことになった。
 しかし切開後2ヶ月以上立っても、傷が塞がらないのは困ったものである。老医師が実はヤブなのか、狸自身の快復力が非力であるのか――いや、これは十中八九、この時期の狸の発汗量が問題なのではないか。現場の社員の方が「これほど滝のように汗をかく人は生まれて初めて見た」と驚愕するほどである。ああ、膿む前に切ってすぐ縫っときゃ良かった、と、今にして痛切に思う。

          ◇          ◇

「え? 前原さんってそんなに人気あった? けっこうドジばっかり踏んでる腰の軽い方じゃなかった? なんかまたマスコミさんが情報操作してるんじゃないの?」などと首を捻りつつ、現状の民主党に首相向きの方は心当たりがないので、まあ当分、ヌルい政治が続きそうである。

          ◇          ◇

 世間の悪評に反して狸はけっこう好きだった島田紳助さん、あの人の引退に関しても、理由の詳細がなんだかちっとも判らないので、ただ首を捻るしかない。結局、吉本の損得勘定の秤がそっちに傾いた、そんなところなのだろう。今さら芸能人とヤクザ屋さんの繋がりがどうのこう言われても、もともと伝統的に不可分の業界だしなあ。
 たとえば不世出の昭和の歌姫・美空ひばりさんも、生前は一貫して田岡会長やその筋とのつきあいを非難され続けていたわけで、NHKに干されてしまったり、一部のマスコミにコテンパンに叩かれたり、まあいろいろあったわけである。しかしレコード会社にとっては文字通りの稼ぎ頭だったから、あえて問題視されなかったし、大病を押して歌い続ける姿にいつしかマスコミも同情し、さらに死という『禊ぎ』によって、栄光だけが残った。
 紳助さんも、ここでお亡くなりになればかえって名声が高まるのかもしれないが、まあ司会という芸と天才的歌唱力は別次元のものだから、ご自身もそろそろ引き際と納得されたのだろう。

          ◇          ◇

『オール讀物』新人賞の選考過程が、なんでだか例年よりひと月も早く、今週発売の号で発表されていた。わはははは、一次にカスりもしねーでやんの。
 しかしまあ正味の話、あの雑誌にファンタジー系の話を応募する狸のほうが、どうかしているのである。
 どこかにライトではない広義のファンタジーを相手にしてくれそうな短編公募はないか。

          ◇          ◇

 現実も未来も忘れてしまいたい狸に、過去からの贈り物が、ひとつ。
 ああ、いつかきっとどこかの誰かがアップしてくれると信じつつ、ただひたすら待ち続けておりました。
 昭和40年、小学生の狸が毎週楽しみにしていた、ドラマ『風と樹と空と』の主題歌です。

          

 ついでに、こんなのも。
 昭和49年、高校生の狸が毎週お世話になっていた(なんのお世話や)、シェリーの『オズの魔法使い』ですね。

          


08月23日 火  翻訳

 アブレに呼応するように、地元の図書館から、リクエストしておいた他図書館の蔵書のうち、1冊が届いたと連絡が入った。偕成社文庫版『ジェニーの肖像』。言わずと知れたロバート・ネイサンの小説(古典的幻想映画の原作でもある)を、山室静先生が児童向けに訳したものである。

          

 で、なにか河野一郎という翻訳家の方が、『誤訳をしないための翻訳英和辞典』という著作の中で、この訳本を「各ページに10カ所以上大きな誤訳のあるこのY氏の訳は、誤訳史上間違いなく筆頭に残る記念碑的なもの」と評しているそうだ。少なくともアマゾンの読者レビューにはそう記されている。アマゾンのレビューを鵜呑みにするほど馬鹿でもないし、狸自身はその河野氏の著作を読んでいないので、対象としているのが本当にこの偕成社文庫であるのか、文庫化前に出された児童向け単行本であるのか、あるいは昭和23年の映画公開に合わせて他の訳者といっしょに超特急でなさったという大人向け仕事の話であるのか、今は判断できない。
 いずれにせよ、そもそもドイツ文学と北欧文学を専門とする古典派の山室先生が、慣れない現代英語など訳されたのだから、口語的表現や俗語的表現や風俗描写などは、かなり勘違いが含まれていても仕方がないだろう。狸は英語などちっとも判らないし、アメリカに住んだこともない。よって、翻訳の正誤などどうでもいい。山室先生の文章になってさえいればいいのである。
 さっそく読み始めてみたところ、実に懐かしい古風な文体で、まさに狸が小学校の頃に慣れ親しんだ児童向け世界名作全集、それも岩波あたりの生真面目な風合いである。以前に読んだハヤカワ文庫の井上一夫氏訳よりは、ずっと、しっくりくる。井上先生の翻訳文の平明さも、007の原作でずいぶんお世話になったので、かなり好きなのだけれど。

 どのみち英語もドイツ語もスエーデン語もまともに知らない狸にとっては、翻訳結果の日本語文章に酔えるかどうか、それが眼目だ。

          ◇          ◇

 以下、それぞれ原稿用紙で80枚超という、とんでもねー長い引用になるが、もしお暇な方がいらっしゃったら、試しに読み比べていただきたい。
 ゴーチェの怪奇小説『クラリモンド』を、芥川龍之介岡本綺堂が訳したらどうなるか――。
 どちらもフランス語からの直訳ではないだろうから、元が違うのかもしれないが、それにしても別物すぎるぞ。


08月20日 土  ぷかぷか

 いきなり気温が下がって、狸の液状化にも歯止めがかかったわけだが、来週にはまた残暑が厳しくなるとのこと。この手のヤな予報に限って、きっちり当たるのよなあ。

          ◇          ◇

          

 震災の影響で久しく生産中断していた『ゴールデンバット』、今月初旬に復活したことは前にも記したが、品切れ中に代用していた『わかば』に比べ、やはり旨い。両切りなのでフィルター付きの『わかば』より50円も安く、そのくせ風味がマイルドである。フィルター付きだと、ついついストレートに煙だけ吸引してしまうが、両切りだと、咥え方に慣れれば自由に空気をブレンドできるからだろう。その証拠に、ヤニ取りパイプなど併用すると、とたんに味も刺激もトンガってしまう。
 直咥えの問題点は、うっかりすると葉っぱが舌にくっついてしまうことである。昔、フィルター付きがはびこる以前に両切り煙草に添付されていたという紙製の吸い口、いわゆるマウスピースという奴を、どこかで安価に再生産してくれまいかと、つくづく思う。
 昭和レトロのトレンドがすっかり定着した今なのだから、チクロ入りベタ甘菓子、人工着色料で満艦飾の量産食品、本来のヤニ臭が馥郁と漂う煙草、そんなのも復活していいのではないか。大気中の放射性物質だって、冷戦時代なみに戻りつつあることだし。

          ◇          ◇

 谷口先生のブログによると、今月末の退院に向けて、一時帰宅されたそうだ。退院後もどうか気長に、ゆったりと自宅療養を続けていただきたいものである。
 ちなみに狸の背中は、なぜか未だ完全には塞がらず、三日に一度は消毒に通っていたりする。まあ空気が抜けたり煙が漏れたりするわけではないから、穴くらいあってもいいんですけどね。


08月18日 木  扇風機復活

 明日からは天気が崩れて気温も下がるという予報が出ているが、気温が多少下がったところで、湿度が上がれば狸の液状化継続は避けられない。

 昨夜、ミニ扇風機にギリギリまで顔を寄せて大汗かきながら晩飯を食い、部屋の隅で粗大ゴミと化している大型扇風機を恨めしげに眺めるうち、ふと、物事をややこしく考えすぎている自分に気づいた。IT機器にあらず、たかだか扇風機、七面倒くさい基盤など、もともとオマケなのである。あれは風量調節だのお休みタイマーだの間欠そよ風モードだの首振り速度だのを制御しているだけであって、本来、電源とモーターさえあれば、なんぼでもくるくる回るのが扇風機だ。
 本日の倉庫帰りにダイソーで絶縁テープを買いこみ、さっそく全コード類を基盤からブチ切る。モーター部方向に数本出力しているコードのうち、ストレートに電流を送っているだけと覚しいコードを選りだし、電源コードと直結してしまう。たったそれだけで、当然のことながら、粗大ゴミは原始的扇風機として立派に復活を遂げた。ON・OFFはコンセントの抜き差しで行うという、まことに明解な単機能機である。
 いっさいの煩雑な軛をかなぐり捨てて、ごんごんと元気に風を送り続ける扇風機――ああ、狸もコンセントに指つっこんでるだけで、ごんごんと元気に生きられればなあ。
 しかし狸の場合、煩悩という基盤をとっぱらってしまうと、もはや狸ではなく生ける屍なってしまうわけで、やっぱり脳味噌が焦げつかない程度に、なんかいろいろ制御し続けるしかないのであった。

 ところで、遠方にある県立図書館各館の蔵書も、検索してリクエストすれば近場の市立図書館に取り寄せてもらえるという事実に、今頃になって気づいた狸はやっぱりアホだろうか。ロハで脳味噌に供給できそうな物件が激増し、ちょっと加熱気味の狸です。


08月16日 火  液状狸

 昨日は力いっぱいだらけてしまったので、本日は徒歩で下総中山の法華経寺を訪ねてみた。
 車ばかりの街道を避け、真間川沿いや住宅街の細道をくねくねと縫うこと、約5キロ。

   

 ……やめときゃよかった。
 暑かった、という感想しか浮かばないのである。
 まあ、全身ぐしょぬれでぬとぬとと徘徊するのも、旨味が倍加する夜の発泡酒や冷や奴を想えば、けして無益ではないのだけれど。

   

 ここまでアホな狸は救いようがない、と、匙を投げる日常上人。うわ、異臭を放つ狸が来やがった、と、顔をそむける参道の猫。


08月15日 月  半熟狸

 世間とはなんの関わりもなく働いたり働かなかったりの半野良狸だが、今日明日はアブれたので連休である。
 本日は、背中と血圧の医者をハシゴするともう休日予算が尽きてしまったので、ぐぞむじあづい狸穴で温泉玉子のようにどろりと半寝半座し、白濁した眼でただひたすら録画物件を消化したり再吟味したりしていた。
 近頃ちっともTUTAYAの旧作100円クーポンが届かず、新しい映画はテレビ放映に頼るしかないが、吉永小百合さんの『母べえ』とか『おとうと』とか、けっこう珠玉の作品がロハで観られる。時代的尺度では立派に老婆のはずの小百合さんが、あくまで美老婆ではなく美女で在り続けているのはもはや奇跡と言ってよく、感動のあまり、大昔の『伊豆の踊子』やら、大々昔の『まぼろし探偵』やらまで引っぱり出し、惑溺してしまった。特に『伊豆の踊子』における少女度というか生命感、これがハンパではない。こっちが老いれば老いるほど実在感を増すありさまで、このぶんだと狸の末期は、この映画を観ながらモニター内の天城峠あたりに首をつっこんで失血死、そんなグアイになろうと思われる。

          

          ◇          ◇

 66歳の美女に気後れしたか、テレビ部屋の大型老扇風機が息絶えた。確か高崎のダイエーで買った奴だから、四半世紀は生きたことになる。家電としては長寿なほうだろう。しかし、この陽気で突然扇風機に逝かれるのは痛い。舌打ちしながら台座を分解してみたら、基盤が焼けていた。これだからマイコン制御の家電はよう、ぶつぶつぶつ。
 パソ部屋には窓用エアコンがあるが、まさか狸穴中かついでまわるわけにもいかない。もうひとつ、玩具のようなミニ扇風機もあるにはあるが、この時期25インチブラウン管テレビが発する高熱には、到底歯がたたない。台所で煮炊きするときも。
 扇風機くらい買えばいいじゃん――そんな言葉が通用するほど甘い狸生を送っていないことは、皆さん、ご存知ですね。
 歯がたとうがたつまいが、今夏の四畳半と台所は、ミニ扇風機、それと団扇でしのぎます。


08月13日 土  幽霊ちゃちゃちゃ

 暑いですね。お盆ですね。怪談の季節ですね。
 子供の頃は、邦画の2番館3番館で、毎年恒例になっていた怪談映画大会。テレビでも、夏季限定の怪談ミニ・シリーズが放送されたり、普通の連続ドラマがお盆前後だけ怪談ネタになったりして、幽霊が本気で怖く、なおかつ怖いの大好きな子供には、どきどきの季節であった。

 

 最後のは、ちょっと違うか。
 ともあれ、あの頃は普通の幽霊さん(?)が、気軽に出やすい時代だったのですね。夜は暗く、蚊帳越しの部屋は朧に翳んで見え、何より因果応報の概念が強固だった。愛憎と善悪の軋轢が怪談になっていた。たいがいの幽霊は、被害者が転じて復讐者になるのであり、あるいは愛が生死というリミッターを振りきってしまって取り憑く。そのどちらもが『迷う』と称される。見境無しに無差別に祟るなんてのは、神クラスの御霊でないと許されなかった。
 言っちゃあなんだが、昨今のJホラーの異形たちは、単なる自意識過剰のキ●ガ●が多く、ホラーというよりテラーなのですね。
 ともあれ今年も夜中に部屋を暗くして、お岩さんやらお露さんやらお菊さんやら豊志賀さんやら化け猫さんやら、ひととおり仲良くしたいと思います。

          ◇          ◇

 京都の大文字焼きで岩手の薪がどうのこうのと、巷では大騒ぎしているが、狸は東北産ながら、ちっとも京都に対して怒っていない。中村様のブログにもコメしたように、そもそも、地域社会や家系という範疇を越えてお盆という行事をとらえることが、ズレているのである。
 今回の企画だって、初めはなんじゃやら京都にも岩手にも関係のない芸術家の方だかNPOだかが発案し、双方を言いくるめて実現したらしい。正直、その方々が非常識、というか、何か自分たちの着想に酔って、勘違いしているのである。
 狸も、お盆に送り迎えするのは、あくまで狸の身内とご先祖様方だけです。あの震災で亡くなられた幾万の方々も、どうかご自分の故郷や生家で、ゆっくり骨休めしてください。もし家がなくなっていたとしても、故郷の誰かの心には、きっと帰れるはずです。


08月11日 木  心の汗

 涙は心の汗だ――というフレーズは、『飛び出せ青春』の主題歌だったか。いや、『われら青春』だったか。
 ともあれ、ああいった若く熱い涙の世界にはすっかり縁遠くなってしまった中高年狸にも、心の汗は残っている。

          ◇          ◇

 体のほうの汗でぐちょぐちょねとねとになって帰穴すると、室内の物皆はじっくり加熱されており、古くてセコい窓用エアコンなんぞ、すぐには効きださない。せめて水を浴びようとしても、老朽化した狸穴の内部配管はとうに朽ち、給水のすべてが屋外の壁面に張り巡らされたパイプを経由するため、もはや給水ではなく給湯状態になっている。それでもねとねとさえ流し落とせば、いくぶん気が晴れ、心まで汗を流すには至らない。
 しかし、さらに気を晴らそうとして、ふとYOUTUBEで『祭囃子』というキーワードで検索したところ――とんでもねーアニメに行き当たってしまった。
 ああ、心の汗が顔面滝状態。

          

 どうやら、いろいろな意味で有名な作品らしい。鬱アニメ、などとも言われているらしい。
 しかし狸にしてみれば、これは春頃に嵌った『びんちょうタン』と表裏一体を成す、生をつきつめた叙情に他ならない。

          ◇          ◇

 生の歓喜も、豊饒の祈りも、鎮魂と不可分なのが祭囃子だ。


08月09日 火  ストレス

 ここを覗いて下さる方々に貧窮感はともかく萎縮感や陰鬱感は与えまいと、常々気を大きく持とうと努めている狸ではあるが、根は臆病な小動物でおまけに中高年、生きることそのものに、正直、疲弊してしまうことも多い。ことに3月のあの震災には、巨視的な生死観の部分でかなりドツかれたし、さらに6月以来の背中の大瘤切開関係には、自分自身の存在という微視的な部分で、かなり締めつけを喰らった気がする。
 そんなこんなで、実はこのところしばしば腹部に膨満感や鈍痛を覚え、ときおり突然下痢もし、どうもこれは過去にも経験したストレス性のナンタラに似ているように思え、本日、通院ついでに例の老医師に訊ねてみたところ、
「私は外科だよ。血圧で通ってるとこに相談すれば?」
 ごもっとも。
「でも、腹を切ることもある」
 そうだろうなあ。もし狸の腹を切るときは、しっかり麻酔をお願いしますね。
「あなた、体重、落ちてる?」
「いえ、増えてます」
「じゃあ心因性。たぶん」
 マジな胃腸疾患だと、ふつう痩せるらしい。 

 ちなみに背中の穴のほうは、もう23日で完全に塞がるだろうとのこと。
 ああ、良かった。これで毎日きちんと風呂でフヤけられる。……もしや、単に長いこと風呂に入ってないから、ストレスが溜まっただけか。


08月07日 日  掘り出し物

 ニコンの300万画素デジカメは壊れてしまうし、姉から譲り受けたフジの900万画素機は食うに困って売り飛ばしてしまうしで、このところ狸が使用していたデジカメは、遙か昔にウィンドウズ・パソコンを導入した頃の骨董品、エプソンの80万画素機(最大記録画素1024×768!)であった。2年前にようやく買い換えた携帯電話第3号にも200万画素のカメラ機能はついているのだが、最安価品ゆえ単焦点でストロボなしで記録メディアさえ使えず、パソに送るにはメールで転送するしかないシロモノだから、通信費がかさんで実用にならない。まあどうせ縮小加工してこの場所に貼るだけだから80万画素でも充分なのだが、仮にも写真屋のオヤジに20年以上化けていた狸としては、かなりサミしいフォト・ライフを余儀なくされていたわけである。

 さて、アブレの本日、徘徊ついでに隣駅近くの古本屋兼古道具屋を覗いてみたら、以前あった古いフィルムカメラのコーナーが姿を消し、代わりにデジカメが数台、1000円均一で転がっていた。ああ、こんな鄙びた古道具屋まで、とうとうデジタル一色になってしまった、などと爺いっぽく嘆きそうになったが、転がっているのは大半200万画素や300万画素、デジカメの世界では立派に骨董級の後期高齢者である。ジャンク扱いなのに、一応すべて作動するところがこの店の大したところで、思えば昔並べていたフィルムカメラも、ガラクタ然としていながら動くだけは動いていた。日本の高齢者はシブトいのである。
 で、1000円均一である。今の狸は、たとえば夜道で強盗に「万札出せ! 出さないと殺すぞ!」と刃物を突きつけられた場合、堂々と「ありません」と言いきって無惨にも刺殺されるしかないが、千円札ならば、なんとかならないことはない。
 店番のあんちゃんを呼んで棚のガラス戸を開けてもらい、数台の作動ジャンクを、しつこくしつこくいじくりまわすこと、しばし。
 ――やったぜ、SONYのDSC−92の完動品GET! 500万画素だぜ。単三電池で動くぜ。なんと256のメモリースティック・デュオまで入ってるぜ。

   

 さっそく近所の神社や、狸穴の番猫(ミケ女王様はご不在だったので下僕のブチ君)を撮影してみたら、これがなかなか立派な写り。特に色再現が、いわゆる記憶色のまんまと言うか、鮮やかすぎず地味すぎず、初級機には珍しい自然さである。
 でも考えてみりゃ、良く写って当然なのですね。狸が退職するちょっと前まで、5万円で売っていた機種なのである。

          ◇          ◇

 煙草屋には、ゴールデンバットが復活した。
 YOUTUBEには、日々、リリーズの懐かしい動画が増えてゆく。
 親爺もまだまだ生きられる。

          


08月05日 金  汗は涙か溜息か

 まあ政局に関してはもはや変なのが常態化しているのでちょっとこっちにおいといて、どうも天気予報が変すぎ――いや、「明日は曇り時々雨で最高気温27度」が「ほとんどピーカンの31度」になったりするのも常態化しているのでちょっとこっちにおいといて、天気予報ではなく、結果的な気象記録そのものが、なんか捏造というか、勘違い化しつつあるのではないか。たとえば本日の狸穴近辺、気温はともかく空の雲行きに関しては、一日中曇りだったことになっている。しかし狸は、確かに炎天下を大汗かいて過ごした記憶がある。
 午前中に例の医者に行ったところ、回復過程で生じた『汚いとこ』とかを久しぶりにちまちまと除去されてなかなかキツい勝負となり、おまけにこのところ使用していた一枚物のでかいバンドエイドっぽい奴が、防水性があるだけにムレやすく、傷の周囲がハンパなくカブレてしまったため、本日はそっちの薬も塗られて、ガーゼや油紙(?)を被せ普通の絆創膏で止める、そんな原始的な形になった。当然ながら、防水性はない。で、病院を出たあとは、いちんち涼しい場所で休養――てなわきゃいかないわけで、炎天下、買い物もすれば図書館にも行けば、狭いベランダでは干せないシーツやタオルケット類をコインランドリーで洗濯したりもする。当然、ガーゼの血液や体液が汗に溶け出し、久々に下着まで汚れた。まあそれらの焦熱地獄に関しては、お天道様のやることなので耐えるしかない。
 しかし日も暮れた今、ふとネットで気象情報を見ると、なぜか今日の狸穴近辺は、毎時間ずーっと雲マークが並んでいる。昨日の予報じゃありません。本日の記録が、そうなっているのである。
 あんまり毎日ハズれるんで恥ずかしくなって、こっそり記録を誤魔化してるんじゃあるまいな、気象予報士の方々。

          ◇          ◇

 東電のドジも、それに関わる銀行の融資責任も、株主責任も、無事に国民全員の責任へと転嫁された。
 近頃すっかり夢見る人と化した菅さんが、なんかまたドリーミィな理想論でもカマしてくれたら面白いと思っていたのだが、残念ながら、この件に関しては左派も右派も仲良しさんらしい。負担は平等に、ただし既得権は大切に――なるほど、どっちも矛盾せんわ。
 しかし戦後数十年、また一億総懺悔かよ。確かに原発に断固反対しなかった狸にも原発事故自体の責任はあるだろう。しかし、なんで一介の狸も、張本人たちと同じ土俵で懺悔しなきゃならんのよ。なんぼ小心な狸でも、しまいにゃキレるぞオイ。

          ◇          ◇

 ……平常心平常心平常心。

          


08月03日 水  じとじとうろうろぽたぽたぽた

 本日は通院の後(まだ1日おきに消毒しているのである)自由徘徊の予定だったのだが、病院を出たとたんに突発的豪雨。
 豪雨は「いやーヤケクソに降りまくってスッキリしたスッキリした」と言わんばかりに小一時間で治まったが、湿度が急上昇してイッキに100に近づき、例によって街中がサウナと化す。気温自体は30度に満たないだけに、理屈では納得できても体が納得できない。なんで真夏日でもない曇り空の下を、大汗だらだらで徘徊せねばならんのか。このジトジトとムレる全身の毛皮の不快感は、いったい誰の責任か。
 などとめいっぱいムカつきつつ、まあそんな日に徘徊している狸自身の因果なので誰に噛みつくわけにもいかず、里見公園方向に行方を定めて、まだ歩いたことのない住宅街やら畠中やらを、無闇に進軍する。
 もはや楽しんでるんだか苦しんでるんだか、「あーこのまた登りかよチクショー」とか「うっわーでっけー古屋敷。これだから有産階級の奴らはようぶつぶつぶつ」とか「ほう、ここが国分の農協か」とか「おうおう、なんかよくわからんが道端の薄暗い階段登ったらいきなり明るい別の町。こりゃ棚田じゃなく棚町だな」とか、でっこまひっこました谷地や台地の道筋になんの脈絡もなく狸臭い汗を滴らせ続け、いつしか見覚えのある国府台緑地にたどり着く。
 なんて書くといかにものどかな田舎を歩いているようですが、7割方はただの今様住宅街なんですけどね。

 さて、少なく見積もっても10キロ以上歩いたはずなのに、帰穴後目方を計ってみたら、ちっとも減っていないのはなぜだ。
 そりゃ汗かいたぶんガブガブ水飲んでるし、途中で68均の菓子パン2個だの豚めしの大盛りだの、しっかりかっ喰らってんだもんなあ。
 でもまあヤケクソ方向に気は晴れたので、良しとしよう。


08月01日 月  湖水を夢む


          

 ああ、誰か――。
 ――誰か、疲れきった狸を優しく胸に抱きながら、美しい山の清らかな湖畔を、爽やかに逍遥してください。……そこまでの旅費はそっちもちで。

 ちなみに上の動画のロケ地は上高地ですね。大正池あたり。

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 ところで、夜道で痴漢に襲われた女性が、「ああっ! いやっ! やめて! いやっ!」と激しく抵抗するうち、「いやっ……いや…… ♪イヤ〜〜〜ッ! ホ〜〜〜ッ! ホ〜〜トランランランッ♪」と明るく歌い出し、痴漢も思わずいっしょに踊りだしちゃうコントって、『シャボン玉ホリデー』だったかな。