[戻る]


11月29日 火  半置物狸

 なんとゆーことだ。昨日の晩飯に何を食ったか、マジに思い出せない。まて……主食がヤキソバだったのは確かだ。メガ・ドンキの総菜売り場の処分品。しかし発泡酒の肴は……やはり、まったく思い出せない。
 食ったこと自体を忘れないうちはまだマジボケではないとも聞くが、いかに毎日ヘロヘロで帰るとはいえ、さすがに脳味噌の硬化を感じる。また肉体のヘロヘロそのものも、何年か前まではしばしば脳内麻薬の噴出に繋がったわけだが、近頃は多くの日々、心身ともにヘロヘロになってしまう。まあ、歳を考えりゃ、それで当たり前なんですけどね。

 こないだ大昔のMSX2パソコンを天袋から引っぱり出したら、キーボードからキーがポロポロと剥落した。電源は入るが、フロッピーを読まない。例のカセット式のROMは売れる内にアキバで売ってしまい、残っているのは買取不可だった半端物のフロッピーだけである。モーターは唸っているから、大方駆動ベルトが切れたのだろうが、何年か前までのように、アキバでベルトを調達して、分解して直す気力がわかない。
 CPUは生きていても、入力機能や記憶メディアがイカれてしまったら、いかなる思い出の名機(いちおうビデオ映像の取り込みやタイトル編集ができる、MSX2の中では最高級品)も単なる置物、場合によっては粗大ゴミである。

 いつか狸が生ける屍と化したとき、これは粗大ゴミに出さないで記念にとっとこう、そう思ってくれる誰かが、果たして存在するのだろうか。
 とはいえ狸に限らず、また老若駄馬麒麟問わず、イキモノは死ぬまでは生きるているわけだから、とりあえず昨日何を食ったか思い出せなくとも、今日の飯は食ったほうがいいと思う。

          

          


11月26日 土  貯金箱

 今夜はお茶の水で、昔の漫研連中が飲むと聞いていた。
 狸も顔を出そうと思えば出せないことはなかった(今日は7時16時の現場だった)し、久しぶりに見たい旧知の顔々もあるわけだが、五十嵐氏は締切間際で出られず、他のメンバーは後輩さんばかりのようなので、歓談の片隅で貧相な先輩がウスラボケっと陰気に飲んでいても気詰まりだろうと思い、パスして帰穴した。
 けして奢ってもらう相手がいなかったからではありません、念のため。
 確かにここ数年、ほとんどタカりや割り勘のゴマカシで酒席をこなしてきた狸だが、実は先月から、500円玉貯金を始めている。
 つまり、長年あまりにも嗜好品(書籍含む)や遊興費に不自由し続け、精神的萎縮が甚だ嵩じているように思い、せめてどうしても欲しい新刊書やたまの酒席くらいは心おきなくクリアしたいと、ダイソーの貯金箱を調達したのである。500円玉を200枚10万まで貯められる、半透明のやつ。
 で、現在の貯蓄額、おおむね5000円。このデフレ時代、暴飲暴食しなければ、忘年会の一度くらいはこなせる勘定だ。

 しかし、ひと月半かけて気がついたのだが、あんがい500円硬貨って、財布に残りませんね。
 もともとワンコイン単位の生活を送る貧乏人、毎日必ず貯めようという気はさらさらなく、1日を終えて帰穴したとき、財布にたまたま500円玉があったら貯金箱に放りこむ、そんなスタンスである。無理に500円玉を残すような買い物はしない。でもまあ残るに越したことはないので、たとえば帰りがけに煙草の自販機に千円札を入れるときなど、「あ、これで今日は1個貯められる」と期待するのだが、なぜかほとんど100円玉しか帰ってこない。
 ふと思えば5千円札にも、同じことが言えるようだ。ダイソーやローソン100などで、「こんなチンケな買い物ですみませんすみません」と思いながら万札を出すと、かなりの頻度で「すみません全部千円札になりますが」と逆に謝られる。各種ATMも、そもそも初めから5千円札を出さないようにできているようだ。

 500円玉はともかく、きわめて諭吉先生に縁の薄い日雇いとしては、せめて一葉おねいさんの微笑くらい、年中拝んでいたいものである。


11月23日 水  アカイ アサヒ

 うわ、すげえ。朝日新聞の社説が、共産党とマルクス持ち出してる。
 そりゃマルクスの理想が俗人にも性根レベルで納得できれば、現在の資本主義世界(共産国家というものもあることにはなってるが、事実上独裁国家か官僚国家にすぎないことは、皆さんご存知ですね)の混迷や行き詰まりを打開できるのは確かだろうが、それができないのが『人類』なのも、すでに歴史が証明しているわけで――。
 しかし、なぜ感情右翼の狸がいまだに朝日新聞を購読し続けているのか、今さらながら自己分析できた。右翼の理想世界は、滅びの美学を含んでいるがゆえに、短期でも自己完結が可能なのである。しかし左翼の理想世界は、おそらくこの宇宙が終焉を迎えないことには、本質的に実現できない。この場合の終焉というのは、滅びるという意味ではない。今のところ膨張宇宙の最終型と考えられている、完全にエントロピーの拡散しきった、均等な粒子のみの世界ですね。しかし、すでにそこに意識体はない。つまり朝日新聞は、狸にとってもっともファンタジックな、『見果てぬ夢』を土台とした公器なのである。
 そうか……たかちゃんたちも、実は朝日新聞と同じスタンスで、この世にあるのかもしれない。ただし、もうひと皮、いや百皮も千皮もしぶといスタンスなのだが、それは大団円において表現……できるのか? まだ続きの10枚ちょっと、納得できずに、あーでもねーこーでもねーとこねくり回している状態だぞ。
 どなたがたか、朝日新聞社のように徒党を組んで、同じ夢を紡いでくれませんかねえ。宗教法人たかちゃん社中、とか。

 ところで、天声人語(まあ実質は朝日声雑想といったところだが)によりますと、今日は勤労感謝の日だったのですね。忘れてました。いえ、勤労は忘れずにしておりましたが、感謝するのは忘れてました。どうりで朝晩の電車が空いてると思った。祭日には正社員さんや固定パートさんが休みがちなので、狸ら非力な日雇い派遣でも、感謝されることはされたのだろうと思います。

 などとやくたいもない思いに耽っていたら、立川談志師匠の訃報。
 破天荒に見えるわりに理が勝った芸で、狸には苦手な芸風だったが、名人のひとりであったのは間違いない。またひとつ、昭和の名残が消えた。合掌。


11月22日 火  殺したもん勝ち → 知られざる恋歌

 まだ容疑者三人が逃亡中ではあるものの、オウム関係の刑事裁判がひととおり終結した。おおむね妥当な判決がおりたとは思うが、平岡法相の発言を聞く限り、例によって死刑囚も長いこと税金で食わせていくのだろうなあ。
 考えてみれば、明日殺されるかもしれないと日々怯えながら長年を過ごすのも、まともな感受性を持つ人間にとっては結構な制裁だろう。しかし冤罪の可能性がゼロではない死刑囚も同じ目にあうわけで、やはり善し悪しである。少なくとも、冤罪の可能性がない死刑囚、まともな感受性をもたない死刑囚などは、早めに来世の修行に回してやったほうが、何かにつけ好ましいと思うのだが。だって、被害者のほうだけ死にっぱなしというのは、明らかに不公平でしょう。
 また、加害者被害者ともに生き続けていても、被害者のほうが最低限の社会保障しか受けられずギリギリの生活を強いられ、加害者のほうが懲役すらなく日々ウスラボケ〜っと寝て食って、そこそこ風呂にも入って生きて行ける社会って、なんかおかしいと思いません? 前記のように激しく悩み尽くしてくれれば、確かに悔い改めたことになるのかもしれないが、そうした人間性の部分がスッポ抜けているがゆえに、殺しまくれる異常者もいるわけで。皆様ご存知のように、「刑務所に行きたい」「死刑になりたい」と希望して、赤の他人を殺しちまう馬鹿も。

          ◇          ◇

 殺伐とした話になってしまったので、力いっぱい方向転換。
 狸の大好きなある歌が、いつのまにか日本よりアジアの名歌になりつつあるらしいと知って、嬉しかったりアレだったり。

          
          
          

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、この嫋々とした恋歌は、小坂明子さん作詞作曲、南翔子さん歌唱により、1986年にシングル盤が発売された『泣きまね』である。『ホワッツマイケル』のオリジナルビデオアニメに挿入歌として採用されたのだが、後のテレビアニメと違って、主に原作の大ファンや猫好きやアニオタしかレンタルしなかったため、ほとんど巷間には流布しなかった。ちなみに狸は、その3要件をすべて満たしていたので、リアルタイムで一聴、たちまちメロメロに熔解した。南翔子さんは、すでに前年、テレビアニメ『うる星やつら』のOPテーマを歌い、アニオタには周知の存在だったが、狸が彼女の他のレコードやCDを買い漁り始めたのは、『泣きまね』を聴いてからである。

          

 さて、南翔子さんは、その後も一部の大ファン(ほとんどアニオタ)に支持され続け、後年は『ファルコムの歌姫』となって、その手のゲームおたくにまでファン層を広げたわけだが、今とちがって一般市民がオタに近づきたがらない時代だったため、とうとうマスコミ上で大ブレイクすることはなかった。
 狸にとっては、今でも聴き始めて数秒後には蒲団を敷きたくなる(おい)ような、しっとり艶やか、熟女と少女の魅力を併せ持つ、無二のハスキーボイスなのだがなあ。

          
          
          
          

『泣きまね』作詞作曲の小坂明子さんも、マスコミ上では『あなた』の一発屋みたいに扱われがちだが、その後の『もう一度』『ジューン・ブライド』などの自己歌唱、また他のシンガーへの提供曲で、忘れがたい恋歌を多数残されている。

          
          

 で、最後に、ぶっちゃけ女性シンガーは、大量露出に耐えるルックスを伴わないと、なかなかメジャー現場に残れない。
 でもね、正直言って、あの昨今あっちこっちのモニター上で踊り歌い狂いまくりのAKBだか少女ナントカだか、すくすくナイスバディーに育って今様の入念化粧でとっても元気でアレなお嬢様方、狸から見りゃ大手スーパーの生鮮品売り場と変わらんのね。
 やせっぽちの吊り目さん(おいおい)や、ぷくぷくメタボちゃん(おいおいおいおい)にしか形象できない恋歌こそが、狸にとっての腹鼓なのです。

 ……しかし激重の雑想になってしまった。引用動画も、いつまで残っていることやら。


11月21日 月  邯鄲の夢

 以前にも記したことのある『山形ハワイドリームランド』に関して、いきつけのHP『消えた山形』に、資料が追加されていた。
 これも以前に記したが、小学校時代の夏に、狸もただ一度だけ両親や姉と訪れたことがあり、まさに夢のような思いをしている。しかしその記憶すら、狸が長いこと別の遊園地と混同していたほど、短い営業期間の企画倒れな施設であった。昭和中頃の高度経済成長期というもの、特にそのマイナスの部分を、自然破壊や公害問題とはやや違ったニュアンスで、見事に象徴していた夢の砦である。
 杜撰にして拙速な、見果てぬ夢。
 しかし、少なくともそこでは、遊具の不備による事故などは起こっていないし、山国の短い夏の間だけは、確かに別世界を現出していたのである。
 あれは、近代のマヨヒガだったのかもしれない。
 ディズニーランドのように、当初から盤石の計算と資本に裏打ちされていないぶん、なおのこと、そんな気がする。


11月19日 土  許す

 強風大雨蒸し蒸しの街を、ぐだぐだ状態で帰穴中、通りすがりの車が路傍の溜まり水を力いっぱい跳ね上げ、今の狸には機敏に避ける気力などカケラもなく、左半身が買い物袋ごとびしょ濡れになった。
 一瞬、殺意と破壊願望の権化となったが、考えてみれば、誰が悪いわけでもない。このあたりの細道、車が水たまりを避けることなど不可能なのだし、さしてスピードを出していたわけでもない。強いて言えば道路行政が悪いわけだが、たとえば三丁目の夕日の時代に同じ目に遭ったとしたら、かぶるのは濁り水どころか、ぐっちょんぐっちょんの泥水である。
 いつの時代も、許さなければ生きていけない。だいたい、しこたま迷惑をかけた多くの人々に許されていなければ、狸など、とうの昔に屠殺されている。

 と、ゆーわけで(なにがや)、打鍵中断していた『ゆうこちゃんと星猫さん』を、ほぼ2年ぶりに再開する。
 世に出るための打鍵も、生きている限り続けねばならないが、あの『たかちゃんシリーズ』だけは、どこに出ようが出まいが、狸と一蓮托生である。

 馬鹿は死ななきゃ治らないのである。


11月16日 水  過ぎ去りし日々 過ぎ去れない日々

 来月5日は、父方の祖母の33回忌にあたる。喪主は、正しくは亡くなった長男の未亡人、つまり狸の母親なのだろうが、アルツが進行しているため、実質、狸自身である。
 わ。こりゃまいったね。
 ごく一部の方はご存知かもしれないが、狸は生前の祖母を、ほとんど憎悪していた。没後、その感情はご多分に漏れず徐々に『懐旧』へと組み込まれ、現在では、やや苦くはあるものの、「まあとんでもねー婆あだったのは確かだが、大正時代に若くして夫を失い、あの激動の戦前戦後、女手ひとつで息子達を育て上げたのだから、長男の嫁をイビリ尽くすくらいはやむをえないのかもなあ」、そんなニュアンスの脳内存在と化している。
 で、33回忌というのは、一般にシカトが常態化している17回忌から27回忌までの4回忌とは違い、故人の霊が完全に成仏したとされる節目である。本来なら13回忌と同様に、遺族が集まって法要を営むのが望ましい。
 しかし――生き残っている親戚筋の誰も、あの婆さんの回忌など覚えていない。かろうじて狸と姉のみが、帰省時に母を連れて菩提寺に参る関係で、お寺さんの廊下の檀家メンバー表(?)に附箋(?)された、その年のなんかいろいろ情報を確認しているわけである。
 姉との相談の結果、地理的にも経済的にもスケジュール的にも、命日までに一席設けられる状況ではないので、喪主たる狸がその旨を菩提寺に相談し、住職さんにお任せすることにした。花代や卒塔婆料など、種々の掛かりは事前に知らせてくれることになったが、まさかお布施そのものの金額まで、経を読む当人は教えてくれない。あくまで『お志』が立て前である。
 なんぼ包めばいいのだろうなあ。お車代や御膳料がフイになり、住職さん、がっかりしたかもなあ。
 などと生臭い懊悩にとらわれつつ、正直「あの婆さんが成仏するには100年や200年では足りるまい」などともつい思ってしまい、あわてて「いやいやどうかすなおに極楽往生してください」と、合掌したりする不浄の狸です。

          ◇          ◇

 本日は珍しく人並みに5時終了の現場だったので、船橋の巨大ダイソーに寄り、日用品とともに、例の入浴剤『世界三大美人湯』の、『楊貴妃』と『小野小町』を購入してきた。先だっての『クレオパトラ』には負けるが、なかなかインパクトのあるイラストである。

          

 で、これから購入を考えている方(いないか)に、ご注意。
 今夜さっそく桃色の湯『小野小町』に浸かり、白いタオルがピンクに染まるほどの威力に仰天しました。ふつうの入浴剤は、お湯全体こそ色づいて見えるものの、絞ったタオルにまだ色が残るほどの濃さはない。ローズレッドを謳う『クレオパトラ』も、そこまで赤くはなかった。
 いや、狸は大好きなんですけどね。垢や抜け毛が目立たないし、なんか赤狸に化けられそうな気がするし。『楊貴妃』の湯はライチ・グリーンとあるから、緑狸に化けられるかもしれない。これで黄色もあれば、狸式信号機も夢ではない。

          ◇          ◇

 帰途、最寄り駅のテナントのスーパーで、駅弁のデモ(?)をやっていた。時々チラシに入る『駅弁祭』の規模ではないが、定番『富山のますのすし』の他、2〜3の寿司物が試食できるのである。
 こーゆーのは、あまり物欲しげに覗きこんではいけない。身なり風体から、ホームレス寸前であることが発覚する恐れがある。どんなに空腹であっても、また懐中が極寒でも、「ほう、ちょっと面白げなことをやっているな」、その程度の顔でぶらぶら眺めていれば、パートのおばちゃんたちは張りきって餌付けしてくれる。
 ますのすし、おいしゅうございました。なんかブリとカブと昆布の入ったお寿司、おいしゅうございました。炙り鯖、おいしゅうございました。
 もちろん駅弁なんぞ買う金はないし、そもそもその高級スーパー(西友やメガ・ドンキより2割方高い)を利用できるような身分ではないのだが。
 いっぺん、在職中に買ったダーバンのジャケットあたりで武装して、都心のデパ地下の試食品をハシゴしてみようか――もはやシャレになってないな、これは。


11月13日 日  雑想

 野田首相がTPP加盟国会合に招かれなかった件で、なんじゃやらマスコミは一斉に『外交交渉の厳しい洗礼』などと騒いでいるが、昨日今日やっと腰を上げただけの、個々の関係国との挨拶も済んでいない首相が、いきなりのこのこ参加できるはずがないのは自明の理だ。
 つまり、日本のマスコミはTPP反対派に多く占められており、報道の中立性など念頭にない、とまあ、そんなところである。

          ◇          ◇

 オリンパスが、いよいよヤバそうだ。バブルのちょっと前までは、技術者主導の、いい会社だったんだがなあ。
 ちなみに、狸が小学生高学年になって以降のアルバム写真は、『オリンパス・ペンEES−2』によるものだし、狸が高校の入学祝いに買ってもらったのは、世界最少最軽量35ミリ一眼レフシステムとしてデビューしたばかりの、『オリンパスM−1』だった。どちらも測光系には電気が絡んでいるが、あとの9割以上は機械部品である。あの頃は、そもそも社長さんや幹部の多くが、過去の名機の設計者だったんだよなあ。
 どんな会社も、経営陣は金勘定に右往左往せざるをえないのが経済社会の宿命とはいえ、懐勘定のほうでも、せめてまともなメカが組み上がる製図を引いてほしいものである。現物合わせのバッタもんは、当時のソビエト製や中国製だけで充分だ。
 なんて、現物合わせのデッドコピーカメラも、メカなら大好きなんですけどね。ソビエトの『モスクワ』とか、中国の『海鴎』とか。

          ◇          ◇

 なんじゃやら、由紀さおりさんの歌声が、海外でブレイクしているらしい。
 まだ安田章子ちゃんだった時代から、お姉さんの安田祥子ちゃん共々、美声の童謡歌手として、狸には憧れだったおねいさんである。

          

 祥子ちゃんの歌声は、昔から、とにかく可憐に、和やかに澄んでいる。章子ちゃんのほうは、微かな湿気を含みながら、しかも明るく澄んでいる。

          

 老境(失礼)に入ってもそれは変わらず、姉妹で歌う童謡や叙情歌は、他のクラシック系美声自慢の方々にありがちな、クドさや押しつけがましさや自己陶酔感が、まったくない。いくらでも心地よく飲み続けられ、宿酔いもしないお酒――そんな歌唱だ。

          

 きっと海外のリスナーも、ここんとこ濃厚な強酒が続いて、胃潰瘍気味だったんですね。

          


11月11日 金  トラバサミ

 新聞の地域版に載っていた地域猫がらみの記事に、花見川区でトラバサミに足を挟まれてしまった飼い猫の話があり、首を傾げた。
 あの危険なバネ仕掛けの罠は、自宅敷地内に侵入した害獣を駆除する目的以外、法的に禁止されているはずである。それが仕掛けてあったのが具体的にどんな場所なのか(たとえば自宅の庭とか公道とか空地とか)記事には説明がないが、自宅敷地外ならその時点で違法だし、敷地内だとしても、花見川区は野犬が徘徊できるような環境ではない。野生の熊や鹿や猪や、性悪狸が出没するとも思えない。
 なんぼ猫嫌いでも、トラバサミで狩っちゃいかんがな。下手すりゃ脚がもげるぞ。
 仮にその罠の主が、職も金もなく極度の飢餓状態(極貧時代のC・W・ニコル氏のように)だったとしたら、まあ情状酌量の余地はある。しかし街中には野良だけでなく、外出中の家猫も多数徘徊しているわけで、やはりニコル氏のように、相手が性悪な野良であることを確認の上、一撃で撲殺するべきである。

          

 上の動画は、やや一方的な視線ながら、あの罠の怖さだけは適確に伝えている。
 三味線だって猫や犬の皮がなければまともに鳴らないし、他人の家にこっそり上がりこむ人間もあとを絶たないが、ともあれ不審や憎悪だけでトラバサミを使用するべきではない。猫も犬も、町内の人間も同じことだ。

 ……などと言いつつ、あの野放図で悪賢いカラスだけは、ときどき生きたまま捕獲して、陰湿にイジメまくりたくなる狸です。野良猫の子供を、集団で襲ったりするんだもん。


11月08日 火  浮遊層の生活と意見

 飛び石でアブれた。

 昨夜寝る前には、晴れたら例のスカイツリーを目指そうかとも思っていたが、昼頃、元同僚の某氏から連絡があり、夕方に新小岩で会わないか、とのこと。
 この雑想を何年も覗き続けている奇特な方ならご記憶かもしれないが、元・業務上横領犯にして自称・個人輸入代行業者の某氏である。大阪に逃げた(?)と思っていたら、商談(たぶんいかがわしい方向の)で上京したようだ。特に会いたい人物ではないが、なんかミヤゲをくれると言うし、こちらがあいかわらずの極貧者であることは知っているので、夕飯くらいは奢ってくれるはずである。
 で、スカイツリーを目指す事前調査もかねて、新小岩まで歩いてみることにした。

 問題は、まず江戸川を越すのにどの橋を使うか、である。狸穴からすなおに江戸川に向かうと、行徳橋も市川橋も同程度に遠い河原に出てしまい、どっちを選んでも2キロ程度の遠回りになってしまう。少々悩んだ末、根性散歩には邪道と思いつつ、都営地下鉄の一駅先、江戸川をまたいでちょっと先から、歩行開始することにした。
 散歩と言っても、のどかな河原の土手を柴又まで歩くのとは違い、何年か前に秋葉原から歩いて帰ったときと同様、排ガスたっぷり京葉道路が道筋の目安になる。しかし、せいぜい裏道を選べば、新中川の橋のたもとに咲き乱れるコスモスもあるし、近頃絶滅危惧種になってしまったパンツまるだしブランコ少女(おい)なども、住宅街の公園で堪能することができる。江戸川区は、まだまだ下町なのである。
 どうせ夕方までたどり着けばいいのだから、途中、小松川親水公園を含め数百メートル続く、境川のウソンコ渓流(住宅街やビル街の間の小川沿いを、細々と自然公園っぽく設えている)を遠回りしたりして、ひたすらウスラボケ〜っと歩く。
 妙な目的意識など持たず、ただウスラボケ〜っと歩いていると、いつのまにか同行二人、と言っても空海様や仏様ではなく、もうひとりの狸が脳内に生じ、これが黒くも白くもないニュートラルな自分そのものなので、無言の会話が無難に成立する。狸の旧作長編も、たいがいそんな環境で組み上げている。

 某氏とは、ほんの小一時間、マクドナルドで会話しただけだった。某国産の安精力剤もどきを法外な価格でネット通販したり、あいかわらず姑息に稼いでいるようだ。
 漢方と偽ってバイアグラぶっこんだドリンクや錠剤は、無論法的には禁止されているが、あいかわらず各国で(日本でも裏では)野放し状態らしい。しかしそれについては、狸も、特に咎めようとは思わない。高価でもなんでもない正規のバイアグラを、法外な診療費のっけて処方して、ありがたがられている正規の医者は無数にいる。偽のバイアグラで荒稼ぎする輸入代行業者も多いらしい。某氏の扱う商品は、少なくとも何年か前に狸が身をもって体験したように、ちゃんとモノホンのバイアグラ成分(シルデナフィル)を、ヤバいほどぶっこんでいる。ちゃんとバイアグラと同じ、健康上の注意書きもついてますしね。
 で、今回は『醒獅液』でなく、なんじゃやら小壜に収まった、得体の知れないスパイスのような粉をミヤゲにくれると言う。スッポンとマムシを丸ごと乾燥させて粉砕した粉だそうだ。ラベルは純国産養殖品。しかし中身はあっちのブツで、まあ近所の池のゼニガメやら草叢のヘビが混じっている可能性もあるが、例によってインド製(たぶん)のシルデナフィルは、確実に添加されている――。
 ――パス。
 いや、マジで。見栄や偽善じゃなく。
 現状、タダでもらえる物を断るなどという贅沢は許されない狸でも、さすがにアレは困るのである。勃起は手段であって目的ではない。たとえば某氏の隣に、見目麗しい『目的』が座っており、上目遣いに「うっふん」などとこちらを見つめており、そっちもいっしょにくれると言うなら話は別だが。
 さすがにそっちまで都合してくれる気はないようなので、マクドナルドのぶんだけ奢ってもらって、「んじゃまた」と駅で別れる。

          ◇          ◇

 ところで、某氏との会話の中で、例のTPPが話題に上がった。某氏は、はっきりと参加を支持していた。別件の普天間問題が、民主党政権である限り「主導的に進展させようがない」以上、アメリカとの関係改善において、とりあえずあちらを呑むしかない――。現実主義者(任された店の売り上げや商品を巧みに横領し続け、バレる寸前にトンズラこくほどの知恵はある)の某氏らしい意見である。また、中国製のブツで稼いでいるわりに、心情的には親米派らしい。
 狸も、このところなんかいろいろ考えるところがあって、某氏の意見に同調。

 そもそも狸は、すでに畜肉や魚介類で、国産品を選べる立場にない。また農産物に関しても、生鮮品はともかく加工原料など、輸入品が大半になっている。
 今さら食糧自給率を見るまでもなく、この国の戦後経済は、いや、明治以来の経済は、庭の畑や田んぼや山を次々と売り払い、ひたすら内職に精を出すことで成立している。結果、現在の国内農林水産業は、贅沢品、つまり嗜好品しか生み出していない。国内農業保護やら自給率やらを今さら問題にできる段階は、とうの昔に、自ら踏み越えてしまっているのである。主食の米さえ、税金で作っている始末だ。
 山国の百姓を先祖とし、それなりの愛国者にして感情右翼である狸でも、一度、年収200万以下で自己負担しなければならない扶養費もある、そんな生活水準を体験してしまえば、『自由競争』の弊害より、恩恵を期待するしかない。そして、そんな視野狭窄の狸から見れば、今の日本は、手先の器用な内職国家として、TPPを積極的に生かすしかないように思われる。
 霞を食っては生きられないですもんね。


11月06日 日  小糠雨

 アブれた。雨だ。寝ていた。

 とはいえ終日寝っぱなしというのもなんなので、でもやっぱり金はないので、例によって地元の古本屋を百均行脚。戦利品は、福田利子さんの『吉原はこんな所でございました』(現代教養文庫・平成5)、柳田国男先生の『雪国の春』(角川文庫・昭和46)、C・W・ニコル氏の『冒険家の食卓』(角川文庫・昭和61)。どれも狸の好奇心ずっぷし世界なので、大戦果といっていいだろう。
 パラ見した限りでは、老舗引手茶屋の女将の視線による吉原の変遷が、戦前から戦後の赤線時代、そして売春禁止法後の料亭時代まで懇切に語られているようで、これは狸が少しずつ構想を練っている『超時空娼館伝説・アリスのお茶会』の参考になりそうだし、ニコル氏による特製スパゲティ・ミートソースのレシピも、大いに有用そうだ。その主要食材である『死んだ猫』が入手できない場合、野生の兎、あるいは街で撲殺した野良猫でも可のようである。柳田先生の民俗学は、もはや物事の学問的考察意欲など閑却してしまった狸なので、ただ懐かしいエッセイとして、ゆるゆる読ませていただこうと思う。

          

          ◇          ◇

 現在夕方6時半、先刻まで隣の部屋で丸くなっていたブチは、もう帰ったようだ。ミケ女王様は小一時間前に軽食を済ませ、愛撫しようとする狸の手の甲を引っ掻いて帰った。けして撲殺しようとしたわけではないのだが。


11月04日 金  テレビ離れ

「若者のテレビ離れが著しい」「地デジ化を境に、主要視聴者である老人層までテレビ離れしている」「いやいや、若者は単に録画視聴やワンセグに移行しただけだ」「いやいやいや、そっちのアンケートでも割合は極微で、やはりテレビ番組自体を見ないのだ」――とまあ、巷には種々のデータや意見が飛び交っているようだが、地上波番組の8割方が惰性で製作されたクズであることはここ20年ほど明白で、そのクズのあまりの多さや志の低さに、「これはもはや地上波放送自体が暇つぶしにも値しない」と視聴者が20年かけて見限った、というのが実態だろう。
 自分自身が愛されていないことに気づいてしまった彼女あるいは彼は、よほど自分から愛していない限り、そうそう惰性だけでいっしょに暮らし続けられるものではない。まして家計はこっちもちである。視聴無料の地上波だって、ハードを含めた受信環境構築費用はこっちもちだ。
 志あふれる番組も、狸の見るところ2割方は残っており、そっちのほうは録画視聴やワンセグにも流れているのだろうが、そもそも志あふれる番組を探す暇がどんどん減っているので、視聴者としては偶然の邂逅にでも頼るしかない。バラエティーやドキュメントでなくアニメやドラマなら、良作はすぐにDVDになりますしね。BSやCSやケーブルは、もともと有料でも探して観るほどの好奇心、根性のある視聴者のための世界だし。

 モニターも銀幕も、印刷媒体も、知と愛の応酬がなければ無意味だ。よしんば憎悪の応酬の場となったとしても、媒体として無意味ではない。
 しかし、無知や無関心の『媒体』は、そもそも存在できないわけで。


11月02日 水  古い奴だとお思いでしょうが


          
          


          
          


 まあPS3などという高額嗜好物件など、今となっては到底購えない貧乏人の僻みかもしれないが、やっぱり音もキャラも、2010年版より1998年のオリジナル版のほうに萌えてしまう狸です。
 そもそも同じ原画家さんなのに、今様無難に整いすぎなんだ絵柄が。確かに1998年の段階ではデッサンの狂いも目立ったが、翌々年あたりには、個性的かつ乱れのない画風を確立していたではないか。なんぼ商売だからといって、ここまで個性を捨てることはない。
 そしてなにより――由綺ちゃんも理奈ちゃんも、尻の脂肪が足らんと思うが、どうか。


11月01日 火  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ   「やっほー! まーだだよー!」
 ゆうこ     「やっほー! まーだだよー!」
 たぬき        「よ〜〜よ〜〜〜よほほお〜〜〜〜」

 くにこ 「……うーむ、こんげつは、じかん差でハモってみたんだが、ここじゃあ、ほとんど意味ないな」
 たかこ 「ありゃ」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」
 たぬき   「ね〜〜ね〜〜〜〜ねへへえぇぇぇ〜〜〜〜〜〜」