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01月30日 水  続・冬の女王様

 その後も「へぷし、へぷし」を繰り返し、ご容態が懸念されたミケ女王様だが、一昨日あたりから「へぷし」が止み、今夜ご来臨になった折には、見違えるような健啖ぶりで、狸の夕飯をカツアゲなさった。体格も毛並みも、どうやら以前のお局様状態に戻りつつある。
 面白いのは、いや、面白がっちゃいけないが、入れ替わりでブチ下僕が「へぷし」を頻発している。人間も狸も猫も、やっぱり風邪って移るんですね。そりゃ同じ猫小屋で何日もミケ女王様の「へぷし」攻撃を受け続けたんだから、ウィルス性の流行り風邪でなくとも、直接黴菌自体を摂取してしまうだろう。しかしブチ下僕の場合、「へぷし」以外にはなんら憔悴の兆候もなく、ぶよんとしてしまりのない毛並みや平常心を保っている(ように見える)。さすがは下僕として鍛えた体である。

          ◇          ◇

 ふと、群馬の高崎に住んでいた頃、氷雨の晩に宿を貸した、野良猫の顔を思い出した。
 ミケなんだかブチなんだか判然としないほど汚れた、1歳に満たぬと思われるガリガリのチビで、以前からアパートの近所の河原に棲息していた野良の子供と思われ、とすればふだんは人間になど近づきもしない連中なのだが、そのときはもう完全な風邪っぴき状態だったし、空腹も限界に達していたのだろう、自暴自棄で狸の軒を頼ってきたのである。たぶん。
 こいつはほんとにかわいくなかったですね。
 だいたい猫というやつは、風邪をひくと目ヤニが出まくる。栄養失調のせいもあろうが、その目ヤニが痩せこけた鼻の横まで氷河状に堆積している。そんな窮状でありながら、部屋に入れてやった狸をなお警戒し、シャケなど奮発してやっても、狸が遠ざからない限り口をつけない。そのくせ狸が風呂から上がってみると、電気敷布の効いた狸臭い万年床に潜りこみ、「へぷし、へぷし」と蒲団を猫鼻水だらけにしている。
 しかしまあ、どうで猫のすることだから、怒ってもしかたがない。
「次はお前がきれいになる番だ」と、嫌がるガリをふんづかまえて、さすがに風呂で丸洗いはせずに顔だけ拭いてやると、「おまえはなんでそんなにおれをイジメるのだ」、そんな僻み根性丸出しで、しばらく部屋の隅でいじけていたりする。「まあ好きにしてろ」と言い残して狸が寝に就くと、夜中に「へっぷし!」とか、狸の顔に猫鼻水が飛散する。いつのまにか、枕の横で暖を取っていたのである。
 結局、朝晩2食腹いっぱい食って、風呂場に敷いた新聞紙に小と大を残して、雨が上がったら、あっさり逃げて行った。その後も近所の路傍でなんどか見かけたが、当然のごとくガン無視である。
 しかしまあ、どうで野良のやることだから、怒ってもしかたがない。むしろ好きだしな。


01月29日 火  ブーム

 いじめブームの次は体罰ブーム、世のマスコミはそう決めたらしい。
 ケース・バイ・ケースという言葉は、煩雑すぎて、売れる見出しにならないのだな。
 しかし橋下の馬鹿(もはや敬称放棄)は、どこまで馬鹿道を突き進むのだろう。
 狸個人に、一般大阪市民に対する偏見は無いのだが、そろそろ「あの椅子で単細胞生物飼っとくのはマズいんじゃないか」と、気づいてもいい頃合いなのでないか。まあ横山ノック府知事の例もあるし、芸として面白けりゃいい、そんなスタンスなのかもしれないが。

          ◇          ◇

 平常心平常心平常心。


01月26日 土  濃いいのお願い

 アブレ日。
 ケーブルで録画しておいた『幻の湖』を、ようやく腰を据えて鑑賞。噂に反して、まったく退屈も困惑もすることなく、しかし噂どおりに「……橋本忍さんって、本質的にはここまでブッ飛んだ方だったのだ」と痛感しながら見終える。脚色者としての技巧は一流、創作者としての主観はトンデモ。なるほど、この二律背反ゆえに、『砂の器』『八甲田山』『日本沈没』等、きわめて映画になりにくそうな社会派原作は、隙のない脚色技巧で映画としての結構を得るのみならず、原作を越えた異様な熱気まで帯びることになったのだな。しかし原作まで自前だと、異様な熱気のみが隙のない脚色技巧によって際限なく異形化する、そんな結果になってしまったのだな。
 まったく退屈はしなかったが心底くたびれてしまったので、頭の巻き戻しのため、昨夜録画したばかりの『エスパイ』を続けて見る。こちらは昔から大好きで、映画館でも繰り返し鑑賞しており、ツッコミどころも大拍手のしどころも、まるまる記憶してしまっている。まあ技巧的には穴だらけなのだが、そもそもテーマが「愛か……愛ゆえの超能力か……」、つまり浪花節だし、作劇に至ってはSFと言うより、戦前の科学探偵怪奇冒険恋愛活劇になっている。原作を大幅にスケール・ダウンされたにも関わらず、小松左京大先生が大喜びしていたのは、この『濃さ』というか『臆面のなさ』が嬉しかったのではないか。小松SFから知性を除いて視野を狭めればこうなる、そんな映画だ。もしも前述の橋本忍さんが『日本沈没』に続いて『エスパイ』も脚色されていれば、知性も広範な視野も、そして『濃さ』も『臆面のなさ』も兼ね備えた映画になったような気がするが、やっぱり予算的に無理だろうな。
 ともあれ現在の邦画に欲しいのは、これらの『濃さ』だ。空気嫁々の予定調和や神経症的な抉り出しは、どう粘っても『濃く』はならない。


01月23日 水  冬の女王様

 ちょいとまた扁桃腺あたりに違和感を感じたので、栄養をつけようと思い、帰りに西友で、すき焼きのひとり鍋を奮発した。通常価格395円が、処分特価で345円。あれ? 去年の処分価格より、ずいぶん高くないか? 確か前は100円引きで買えたような記憶があるのだが。しかしまあ、これで推定数十グラムの牛肉と、各種野菜類を摂取できる。それに溶き卵が加われば、栄養は満点だろう。
 帰穴して、るんるんとひとり鍋を煮ているところへ、例によってミケ女王様が、ナマモノを求めて御来駕あらせられた。肉はすでに煮えてしまったし、もともと3片程度しか入っていないので、さすがに献上するのはためらわれる。今日はドライフードでがまんしてもらおうと、ブチ下僕用の備蓄を皿で出したら、ミケ女王様は険しい目差しで皿を睨め回し、「にぎゃあ」とスルドい怒りのお言葉を――と思いきや、「へっぷし」などと、情けないクシャミを発せられた。お風邪を召されていたのである。やたら不機嫌そうに見えたのも、呼吸器がいがらっぽいかららしい。
 猫も風邪をひくと気が弱るのか、妙にしおらしくドライフードを囓りながら、しきりに「へぷし」「へぷし」を繰り返すミケ女王様は、なんじゃやらいつになく幼げで可憐に思われ、狸は結局、甘辛く煮えた牛肉の一片をお湯で洗い、猫向きの薄味に戻して献上することになった。卵も栄養があって良さげだが、ミケ女王様は卵を召し上がらない。
 やがてブチ下僕も姿を現し、ミケ女王様の食い残したドライフードを、いじましく片づけ始めた。
 両者の体格をつらつらと見比べるに、ブチ下僕の、いかにも厳冬モードらしくぶよんとしてしまりのない肉付きに比し、ミケ女王様は、いかにも華奢である。この時期の外飼い暮らしは辛かろう。
「おい」狸はブチ下僕の首筋の余り肉をぷよぷよとつまみながら言った。「このアブラミを相方にも分けてやれ」
 しかしブチ下僕は、首筋の余り肉をぷよぷよと弄ばれるがままに、「にゃあ」とか呟くのみである。やはり下僕は下僕の器でしかない。
 ならば狸としては、せめてミケ女王様のお躰をも、すりすりぷよぷよと温めてやりたいところなのだが――ミケ女王様は、おずおずと手を差し伸べる狸を無視し、わらわは下々の憐憫など受けとうないぞよ、そんなしかめっ面で、「へぷし、へぷし」と去って行くのであった。

 デレなしツンの冬は厳しい。


01月20日 日  帰っていく場所


     

     

 かつて自分がそこにいたことは一度もないものの、帰りたいときには迷わず帰って行けるような懐かしい場所――そこは当然、自分に属する場所では絶対にないわけで、ゆえにその場所に自分の力で帰ろうとする場合、力学的優越ではなく、『帰る』という確信だけが『帰る』ことを実現する。そして、互角の『共感』さえあれば、誰かと一緒に帰ることもできる。

 しかし、誰かに帰ってきてほしいような場所を自分ひとりで地ならしから始めようとすれば、『帰らせる』ための力学的優越が、必要不可欠なんだよなあ。


01月18日 金  雑想

 ああっ、アブレた。
 まあ午前中は例の歯の治療があったのだが、こんな日に限って、午後の遅番仕事や夜勤は、なかったり、すでにいっぱいだったりするのですね。
 で、歯医者の件、狸は勘違いをしていた。今日で終了するのは、あくまで歯髄や神経といった内部的アレコレであって、まだ冠を作って被せる過程が残っているのである。そりゃそうだわなあ。
 審美的な白い冠だと、保険適用外であるため2万円から数万円するそうで、もとより狸にとっては論外。「保険のきく一番安いのでお願いします!」と高らかに宣言したが、それでも3千円くらいはかかるとのこと。当然、通うたびに各種診療費もかかる。
 うああああ。
 などと呻きつつも、最下層民の狸が、最先端の歯科医療をなんとか3割負担で受けられてしまうこの国は、つくづくありがたい。停滞続きだの没落必至だの、日本人自身が日本社会をやたら低く見積もる風潮は、明らかに精神的逃避、というか自慰だろう。最下層民がまともな歯科治療を受けられる国など、世界には稀である。
 いやいや、お前は少なくとも最下層民以上の稼ぎがあるではないか、とおっしゃる方もあろうが、ぶっちゃけ狸が『自分という個体だけのために』使える金は、この地区の単身生活保護者よりも少ない。いっそアルツ母のアレコレなど、お国の最低限の世話に委ねてしまおうかとも思うが、下の世話までちまちまちまちま制限されるような厄介者扱いは御免だ。紙オムツをふんだんに使うためだけにでも、月に2万は自己負担が要る。

 ふと思う。
 昔治療した虫歯の詰め物がとれてしまい、大穴が開いたまんまの歯が、狸には1本ある。金属冠が取れてしまい、細々とした台座状態の奥歯もある。どちらもすでに神経を殺してあるので、慣れてしまえば咀嚼に不自由はない。ならば今回の歯も、この段階で治療を中止したところで、痛むことだけは生涯ないはずだ。
 ……まあ、あの女医さんに会いたいので、しばらく通いますけどね。

          ◇          ◇

 かつてあの投稿板を利用していた朝井リョウ君が、ぬわんと直木賞を受賞した。2〜3度メールを交わした間柄でしかないが、すばる新人賞受賞のときに覚えた嫉妬心などはすでになく、すなおに祝福の腹鼓を打ちたい。
 ぽぽんのぽん!
 今という時代に沿った力も、従来の大衆文芸の流れを汲んだ実力も、高校時代からほぼ体得していた彼だもんな。

 ところで、ただ軽くすれ違っただけの有名人を知己の如く自慢するのは、たいへんみっともないことだが――。
 狸は、たとえば山田詠美嬢と大学時代に同じ漫研で活動していたし、同じ頃、演劇科にいた天童荒太氏とも、なんじゃやら微妙な縁で、挨拶だけは交わしたことがある。今回受賞の朝井リョウ君は、顔こそ合わせたことはないものの、作品がらみで挨拶程度の接点はあったわけである。
 どうだどうだ! 狸は3人の直木賞受賞者を個人的に知っているぞ! あっちが覚えているかどうか、それはちょっとこっちに置いといて。
 ……いきなり部屋が暗くなった気がする。

 まあ冗談や負け惜しみはさておき――。
 狸にとって、『直木賞』の存在感は、筒井康隆先生や小林信彦先生が何度も何度も候補に上がりながらとうとう受賞できなかった段階で、実はずいぶん小さなものになっている。都筑道夫先生が一度も候補になっていないという事実も、きわめて不可解だ。
 狸がその作品群を心から愛する受賞者といえば、時代は離れているが、橘外男先生・半村良先生・景山民夫先生・高橋克彦先生、それくらいか。つまり伝奇や怪奇やSFや幻想に絡む方々なんですけどね。
 ちなみに小林信彦先生は、ジャンル分け不能の実力者で、芥川賞候補にも再三上がっているが、とうとう受賞できなかった。なんでやねん。


01月15日 火  女医さんビバ!

 一昨年の、背中のデキモノ切開の際は、とんでもねーバンカラ親爺医師によって無麻酔処置を施され悶死寸前に至った狸だが、今回、ネットの口コミを調べて選んだ好評価医院で、狸を担当してくれた推定三十路中頃の女性歯科医は、思わずノーベル平和賞をさしあげたくなるほど、人にも狸にも優しい名医であった。何年か前のキャンタマ大膨脹のときといい、狸は女医さんと相性がいいらしい。
 処置開始時は、患部を軽くコンコンと確認されるだけで「ひんひん」などと強張っていたものの、表面麻酔→レントゲン撮影→注入麻酔を段階的に施しながらの削り→同じく麻酔を追加しながらの歯髄処理→他にもあった虫歯候補を記録するための口腔内各所デジタル写真撮影→さらに麻酔を追加しながらの深部神経処理→最後に今回・今後の処置内容の懇切丁寧な説明――それらを1時間以上かけて入念に進めてくれる間、狸が激しい痛みを感じたのは、ほんの2〜3回だけである。それも日曜夜の超弩級痛覚に比すれば玄関口級の痛みで、ほとんど数秒も続かなかった。
 窓口で4610円を請求されたときには、さすがに経済的な痛みをどーんと感じたが、あの女医さんが与えてくれた安心感や、液晶モニターでほぼリアルタイムに表示される自分の口の中の有様や歯列のレントゲン写真、また『星に願いを』のメロディーを断続的に奏でながら徐々に徐々に麻酔を追加してくれる注入器等、最新歯科医療技術の粋を見せられては、「ごもっとも!」と深くうなずくしかない。思い起こせば十数年前、前回歯医者に駆けこんだときに施された、拷問級の一発歯髄麻酔ズブリ(もちろんズブリ時の「うぎゃあああ!!」は、麻酔の威力ですぐに消えるのだが)や、神経が死ぬ(?)まで何度も通って痛い思いをした経験――あれはいったいなんだったのだ、そんな感慨に、つくづくとらわれる。あの頃の何段階かを、ほとんど痛みなくイッキに済ませてもらったわけだから、財布がいったん空になるだけの価値は、充分あるのである。
 次回は金曜午前中の予約で、今回の処置が成功していれば、さらになんじゃやら最終処理を施すだけで、とりあえず問題の第一小臼歯の治療は完了だそうだ。運が悪くとも、その次で終わる。さて問題は、陸続と発見されてしまった『まだ傷まない程度の虫歯』、大量の歯垢・歯石、昔治療してその後はずれてしまった詰め物や金属冠だが――これはもう、財布と相談して考えるしかありませんね。

 教訓その1、望ましい女性とつきあうには金がかかる。
 教訓その2、歯髄を露出すると2日で2キロ痩せる。


01月14日 月  狸悶絶

 昨日、休日の夜、上顎右の第一小臼歯が割れた。
 無論、そうなる前になんらかの虫歯やらヒビやらは生じていたのだろうが、飯を食っている最中、安物の手ごねハンバーグ(当然のことながら期限切迫処分品)をガブリとやったとたん、何か硬い骨だかスジだかの欠片を爆噛(?)し、派手に欠けてしまったのである。
 じぬがどおぼいばじだよだぬぎは。
 昔、ダスティン・ホフマンが出ていたサスペンス映画で、麻酔無しで歯に穴を開けるという壮絶な拷問シーンがあったが、主観的にはそれに匹敵するインパクトであった。痛いなどという次元の感覚ではない。うずくまって泣きながら、畳にごんごんと額をぶつけまくらないと、正気が保てない。
 とりあえず、備蓄のあったバファリンを飲んでみたが、まったく効かない。ヤケになって、死なない程度に(あくまで推定)バファリンをむさぼり食うと、畳に額をぶつけまくらなくともすむ程度までは治まったが、うずくまって泣き叫びたい程度の痛みは、依然として続いている。日曜の夜間ゆえ、当然ふつうの医院は閉まっているし、休日診療も時間外だ。おまけに月曜も祝日で、どこも開いていない。
「あばばばばばば」などとのたうち回りながら、以前、脱腸騒ぎのときにお世話になった市の救急医療施設に電話してみたが、予想どおりペケ。明日の10時からなら、歯科的な応急処置ができると言う。つまり、それまでの半日、耐えるしかないのである。
 しかし、さすがにしばらく「あばばばばば」を続けていると、なんぼか理性が戻ってくる。子供の頃、放置した虫歯の歯髄が露出して、夜間泣きじゃくり状態になったとき、親は何をしてくれたか――そう、氷である。氷をしゃぶるのだ。
 とゆーわけで、狸はずるずると冷蔵庫に向かって這い寄った。この状態の歯に氷が吉と出るか狂と出るか、などという疑惑はきれいさっぱり念頭から追い払う。さらにど〜〜〜んと激痛に襲われ、「きゅう」と失神できたらかえってラッキー、そんな気分である。
 で、結果的には、冷水と氷を口に含んだとたん、「ありゃりゃ」と拍子抜けするほど速やかに、あれほどの激痛が霧消してしまった。
 なんだ、なんでもないではないか。
 などと、一瞬、シヤワセに鎮静する能天気な狸であったが――狸の口腔内温度は、人間なみに高い。口に含める程度の氷など、あっという間に融けてしまう。また、ご記憶の方もいらっしゃるだろうか、狸穴の冷蔵庫は、現在、チンケなビジネスホテル仕様である。冷凍庫もなく、氷の製造能力はとても低い。
 結局、夜中から9時過ぎまで一睡もせずに、冷水を口に含んでは30秒後に吐き出す、ただそれだけのために生きることになった。
 ありがたいことに、この時期の水道局はたいへん気が利いており、氷のような水を供給してくれる。おまけに超老朽マンションの外壁露出型配管は、ますます氷温に近い水を送ってくれる。これが夏だったら、狸は朝を待たず縊死を選んでいたかもしれない。
 そして本日の朝、1リットルのペットボトルに詰めた冷水と、ようやくできた氷のビニール袋を下げ、唾液混じりの廃水を道筋に垂れ流しながら、狸は吹き降りの雨の中を、市営の救急診療所に向かった。さすがに館内に入ると、口中の水を廊下に垂れ流すわけにもいかず、診療台に横たわったときには、腹がたっぷんたっぷんになっていた。
 その診療所では削りも詰め物もやらず、あくまで一般歯科が開くまでの応急処置しかできない。それでも、温厚そうな初老の医師がなんじゃやらちょいちょいと薬を塗ってくれただけで、死ぬほどの痛みは、ほどなくジンジン程度に和らいだ。思わず「そ、そのヤク一瓶ください!」と哀願したくなったが、処方してくれたのは、やっぱり鎮痛剤の頓服と化膿予防の抗生物質カプセルのみ。しかしバファリンよりはキツめの処方薬で、ひと安心。これで休日初診料を含め1710円なら妥当だろう。
 昼頃に帰穴してようやく就寝、夕刻にまた患部が疼き始めたが、頓服で無事に治まり、外が珍しい大雪になっているのも知らず、夜の8時まで爆睡してしまった。食欲はあるが、咀嚼は不可能である。歳末に姉から届いたレトルトのシチューに卵を入れ、流動食状にすりつぶしてすする。これがけっこう美味い。

 さて、今日の祝日も明日も、午後からの遅番仕事が決まっていた狸は、午前中、両日キャンセルの電話を入れた。昨夜一睡もしていないのだし、明日の歯医者で何をされるのかもわからない。
 いったん決まった仕事をこちらの都合でキャンセルするというのは、派遣稼業にとって今後なかなかリスクを伴う行為なのだが、行った先でドジを踏むよりは、まだマシだろう。
 しかし、正式な歯医者で、どれだけ臨時出費がかさむことになるのか――ああ、なまねこなまねこなまねこ。


01月12日 土  つぎはぎ&レタッチ

 なにをどう諦めたというわけではなく、むしろ何ひとつ諦められない未練なのだろう、かつて構築した長編や、ここ1〜2年に打った短編を、このところシコシコと切ったり貼ったり磨いたりしている。これが終わったら、幾つも溜まっている中断作や、梗概段階の端書きを見直し、新たな完成作を仕上げようと思う。
 たぶん同じような精神的アレコレで、表のHPをマジに模様替えしようとたくらみ、新しい玄関口の画像など、シコシコ加工したりもしている。とりあえず、タイプ違いを、ふたつ試作してみたのだが――さて、どっちにしようかな。

      


01月09日 水  化ける


     

 ……いや、あの紅白の中で『浮いていた』ことに間違いはないのだが、単独の『芸能』としては最高ですね。おこたみかんのお茶の間の方々や、小賢しいインテリだの批評家だののために歌っているのではない。ヨイトマケの母ちゃんや、鼻を垂らしたその倅『そのもの』のために歌っているのである。『そのもの』として歌っている、と言ってもよい。
 騙すのではない。憑かれたのでもない。化生しているのである。
 ちなみに、下の映画で披露している『うす紫』は、ゲイである自分そのものとして歌っている。こちらは化生のようで化生ではなく、当時の丸山明宏そのものである。世間の方で化生扱いしていただけだ。

     

 まあこちらのほうが、現在の紅白にはふさわしいのかもしれないが――やっぱり現在の美輪さんとしては、現代社会では易々と受け入れられてしまう『うす紫』でも『愛の賛歌』でもなく、あえてあの頃のヨイトマケの母ちゃんや、鼻を垂らしたイジメられっ子に化けるべきだと直観したのだろう。


01月06日 日  よく寝る狸

 アブレ日。2日働いただけでヨレヨレになり、半日以上、蒲団の中で過ごす。日中に何度も目を覚ますのだが、「あーうー」などと呻きながら水を飲んだり出したりしたのち、また蒲団にもぐりこんでしまう。このまま一生蒲団の中で過ごしたいと、切に願う。空腹などは、もはや気にならない。寝ているのに食う必要はない。
 それでも夕方には起き出し、山形で買ってきた芋煮のレトルトにドンキの安牛肉を加え、ひとり芋煮会をしながら、録画しておいた『ローカル路線バス乗り継ぎ旅』の正月特番を楽しむ。太川陽介さんと蛭子能収さんの絶妙タイプ違いコンビが、今回は田中律子さんをゲストに迎え、路線バスのみを乗り継ぎ、新宿から新潟まで4日間で踏破(?)する。大好きなのよ、このシリーズ。鉄道と高速道路に恵まれない人間が長距離移動することにおいて、今の日本列島がいかに難儀な国土となってしまっているか、つくづく実感できる。結句、要所要所で、二本の脚を頼りにするしかないのだな。
 満足して風呂に入っていたら、唐突に、クリスマス・ネタのアイデアが浮かんだ。
 思えば次のクリスマスまで、もう1年を切ってしまったのだなあ。


01月03日 木  さらば連休

 昨日の山形は、雪ではなく小雨だった。
 雨の正月というのは子供の頃からほとんど記憶がなく、地球温暖化のせいかと思ったが、お寺さんやホームの方々によると、近年でもやっぱり珍しいそうだ。たまたまのアタリだったらしい。なにせ義兄の車で1日の内に東京と山形を往復するのだから、雪だとかなり難儀なのである。
 母親は、こちらの名乗りや呼びかけには一応反応してくれるが、本当に狸たちを狸たちであると認識しているのか、いささか怪しい。ほとんど自分だけの世界で、唱歌やら懐メロやら判然としないメロディーを、ふんふんと口ずさんでいる。介助すればまだ歩行はできるが、自発的に移動しようという意思は失っているようだ。秋口にも一度訪ねた姉は、短期間でずいぶん衰えたと感じたようだが、暮れに軽く発熱して1週間ほど寝ていたためではないかとの話もあり、また体を動かし始めれば、意識も少しは明瞭になるだろう。いずれにせよ寿命という蝋燭の炎は、細くなったぶん、まだ当分は点り続けるようである。人類同様、しぶとい母親なのである。

          ◇          ◇

『染太』の鰻が、おそろしく高価になっていた。原料の高騰で、いわゆる『時価』のように変動しているらしく、メニューの価格も手書きである。
 秋口にも食ったという姉夫婦や母親は、安上がりな天麩羅やカツ重で済ませたが、1年以上夢に見続けていた狸は、あえて、1年前より1500円ほども値上がりしてしまった上重を、それこそ冥途の土産のつもりで、惜しみ惜しみ味わった。これがまた美味いから困ってしまうのである。
 狸としては、どうせ焼き加減もまちまちな田舎の蒲焼きなのだから(おいおいおいおい)、中国産のメタボ鰻でもアメリカ産の引き締まった野生種でも、なんでもいいからとにかく安い鰻を仕入れ、ただ独特のタレの味だけ、昔のままに保ってくれればオールOKなのだが――老舗の看板があるだけに、そうもいかないのだろうなあ。
 別に、いいではないか。東京の鰻屋だって、潔く休業してしまう頑固店や、遠慮なく値上げできる有名店はいざ知らず、商売っ気の多い一般店なら、とっくにアレやナニを焼いてるんだから。

          ◇          ◇

 コロンボやら幻の湖やら寄席中継やらで、非力なレコーダーがパンパンになっている。
 しかし明日からは、また仕事である。


01月01日 火  徘徊元旦

 起きたまんま夜明けを迎え、といって初詣の人混みに参加する気にもなれず、発作的に産卵繁殖のため江戸川を遡上する。って、狸はシャケか。
 結果的に柴又付近で力尽き、気分が変わって帝釈天の人混みにもまれ、昼過ぎに電車で帰穴して夜まで寝る。元旦からすでに生活時間帯が崩壊しているが、明日も夜明け前から帰省行動開始なので無問題。
 夜は、ささやかなお節で発泡酒ちびちび、雑煮むにむにしながら、録画しておいた『サンダ対ガイラ』と『波濤を越える渡り鳥』を鑑賞。いや面白い面白い。元旦からすでにケーブル依存症になっているが、予想どおりなので無問題。三丁目の夕日の頃なら、元旦から大にぎわいの常設館で、二本立て正月映画でも観ているところだしな。

 今年も希望はなさそうだ。しかし叶わぬ夢だけはある。叶わぬ夢だけは、今年も麗しいのだろう。