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04月27日 土  愛と希望の国

 どこがや、と問われれば、あなたに今見えていない日本のすべて、と。
 あ、俺なんか今もちゃんと愛や希望が見えてるもんね、とおっしゃる方には、謹んでお詫びいたします。すみませんすみません。
 ともあれ、日々、新聞の見出しや電車の中吊り週刊誌広告に踊る惹句を見ていると、なんじゃやら日本中がマスゴミによる辛気くさいネガティブ・キャンペーンに洗脳されつつあるようなので、ついつい次の駅で快速電車にダイブしようと決心してしまう方などがいるやもしれず、念のため。
 大丈夫大丈夫。
 たまの休みに、遠出する電車賃もない日雇い狸ですら、納豆ご飯や卵かけご飯を腹いっぱい食って、鉄砲で撃たれる恐れもなく自由に徒歩圏内を徘徊できるこの国が、絶望の国などであるものか。
 郷里のアルツ母に、こんどはパーキンソン病まで出てしまったが、少なくともその周囲に、母を用済み扱いする人間はひとりもいない。それが数多の偽善の集積であるにしろ、偽善を偽善として通せる社会は、立派な上流社会である。紳士淑女の定義に経済状態は無関係だ。
 絶望の国、などと煽る連中にしたところで、大半は偽悪が金になるからそうしているだけで、その金で自分らの愛と希望を維持しているのである。
 結局、すなおに洗脳された善人が、愛と希望に盲目する。
 さあ、みんなで、ひねくれましょう。愛と希望のために。

          ◇          ◇

 田端義夫さんが、お亡くなりになった。ある意味、美空ひばりさんの死去以上に、戦後の終わりを感じる。

     

     

 ちょっと前にここでも紹介した『赤い花』、音源が手に入ったので、その後、しばしば口ずさみながら仕事をしていたわけだが、自分で歌うとどうにもならない歌であることに気づいた。どんなカラオケ名人でも、あのシンプルな曲と詞から、バタヤンのような抒情味を醸し出すのは不可能だろう。おそらく美空ひばりさんでも不可能だろう。
 市井の中で飄々と歌い続けた孤高の抒情人、あの人の持ち歌を歌い継げる歌手は、たぶん誰もいない。


04月26日 金  昔はよかったなあ

 うらぶれた爺いへの道をいよいよ深めるにあたって、徒に懐旧には走るまい走るまい、と何度も何度も自省したわけだが、こりゃもう諦めたほうがよさそうだ。
 やっぱり昔はよかったのだ。
 なんかいろいろしこたま不都合を含みつつも、一度として世界が滅びたこともなければ、狸が死んだこともない。身内や知人も、元気な人はみんな生きていた。また、狸が生まれる前に死んでしまった方々の中に、狸がその死に直面し懊悩した方はひとりもいない。
 ……あたりまえやないけ。
 つまり理屈にもなんにもなっていないわけだが、まさにこのことが、古代文明の遺跡からさえ「昔はよかったなあ」とか「まったく近頃の世の中は」といった爺いの愚痴が出土したりする、根本的な理由なのではないか。「まったく近頃の若いもんは」も、同じことだ。爺いが若い頃苦楽を共にした者の中に、現在の若者はひとりもいない。

          ◇          ◇

 今日は歯医者の日。で、明日もアブレ。その後の連休? なにそれ、おいしーの?。
 ようやく最後の虫歯、というか十何年前のヘボ治療の後遺症(膿袋とか)が消え、あと2〜3回で、とりあえず通院はお開きになるらしい。
 思えば、通いはじめて3ヶ月以上が過ぎたのだなあ。ああ痛かった。いや、物理的に痛かったのは最初の回くらいで、あとはずうっとフトコロのほうがシクシクと。

          ◇          ◇

 ノーカット版『黒部の太陽』、じっくり鑑賞。
 未見の方には、とにかく生きているうちに一遍は観てほしい。
 熊井啓監督作品は、ときに生真面目すぎてちょっと恥ずかしかったり(『忍ぶ川』とか『朝焼けの詩』とか)、あるいはあまりの生真面目さゆえに世間の箍からスコ〜ンはずれてしまったりする例(『海と毒薬』とか)があるのだが(そこがまた好きなのだけれど)、この作品に関しては、その巌のごとき生真面目さが、ことごとくプラス方向に働いているといってよい。社会派大作としても企業映画としても、なにより人情映画としても。
 そもそも昔、小学校高学年の自分が3時間以上の大人映画を見せられて、ろくに内容を覚えていないにせよ退屈した記憶だけはないことを考えれば、シナリオの緊密さ、演出の手堅さ、そして役者さんの巧さは、保証付きだったわけである。
 ちょっと気になるのは、イベント上映やBS放送で使用されたという、短縮版の存在。この緊密な映画の、いったいどこをカットしたのだろう。情緒的な長回しはあるべくしてあり、不必要なダレ場は見当たらない。ストーリーが最低限成立するよう、機械的にちょこちょこと中抜きしたのだろうか。それとも、工事に直接関わりのない、背後の人間ドラマ部分をカットしたのだろうか。いずれにせよ、事前にそんなものを観なくて、つくづくよかった。「ああ昔はよかった」の気分が、ぶちこわしになるところだった。
 などと言いつつ、ほんの何年か前に観たドラマ版新作も、ケレン味たっぷりで良かった記憶がある。育ちのよさげな裕次郎さんと違い、いかにも土建屋の倅っぽい香取慎吾さんを、また観てみたくなった。こんどツタヤで旧作100円の日に借りてこよう。

          ◇          ◇

 それでもやっぱり、今より昔が、より好ましいのは避けられない。
 いっそ狸の生まれる前の世界が、懐かしくなってしまうことも多い。
 たとえば先日、仕事帰りに100円ワゴンでGETした『西蔵遊記』(青木文教著・中公文庫)。大正初期のチベット旅行記(探検記?)だが、土地から土地へ移動するくだりに、こんな一文があった。
『払暁駿馬に鞭うてば夕景到着することができる』
 いい文章だと思いませんか?
「フツギョウシュンメニムチウテバ――」
 なんだか講釈師の名調子を聞いているようだ。


04月23日 火  愛の高画質

 駅前ツタヤの火曜日限定サービス、新作200円ポッキリで、待望の『黒部の太陽』ノーカット版を借りてくる。なにせ3時間越えの大作だし、できれば明日の目覚めなど気にせずじっくり没頭したいので、とりあえず画質確認のため、冒頭10分ほどチェック。
 タイトル・バックの音楽、思わず『ジャイアント・ロボ』が始まるのではないかと思ってしまった、などとゆー冗談はちょっとこっちに置いといて、画質は狸穴の前世紀球面ブラウン管でも、「おお、頑張ったね、偉いね偉いね!」と両手で肩を叩いてあげたい(誰のや)レベル。良かった良かった。

 いえね、けっこうあるでしょう。『初公開時の感動が蘇る! デジタル・リマスター高画質!』とかなんとか謳ってあるのに、ネムくて色も冴えないDVDが。ぶっちゃけ『砂の器』の最新盤とか。無論、直接の責任は変換業者にあるのだろうが、それで発売してしまう松竹もいい度胸だ。宣伝文にカメラマンの方が「撮影時の色が蘇った」などとコメントを寄せていらっしゃるのは、きっと、しこたま彩度やコントラストを調整したモニターで、仕上がりを見せられてしまったのだろう。そう言えばジブリのDVDでも、商売上「いやこれが正しいのだ」とバックレきった、夕焼け色のアニメがありましたね。

 とにかくフィルム映画のテレシネ(この言葉も古いのだろうなあ)は、それに関わるいくつもの現場の、機材だけでなく誠意、言い換えれば『愛情』ひとつで勝負が分かれてしまう。
 たとえば昔から狸ご贔屓の男泣き西部劇『夕陽のギャングたち』など、何度見ても、監督セルジオ・レオーネの息子さんの会社が所持していた業務用ベータのテープ(当然古いレターボックス記録)を借りて制作したというイタリア語完全版DVD(日本で初めてDVD発売された奴)が、その後発売されたいかなる英語盤よりも鮮明なのである。レオーネ監督が父親として愛されていた証しでもあるし、またそんなテープを借りてきて、当時大して売れもしないであろうマニア向けDVDを必死こいて制作したオタクDVD会社の、愛の証しでもある。

 今は亡き裕次郎さんも、あの奥さんに、とことん愛され続けているのだろうなあ。
 ああ、この日本に、たとえば『シェーン』のデジタル・リマスターDVDを発売してくれるような、映画愛に富んだメーカーは、もう現れないのだろうか。
 たとえそれがレンタル不許可で、何種類も出ているパブリック・ドメイン便乗ワゴンセールDVDの10倍の価格だったとしても、狸はせっせと残業して、狸穴に迎え入れるであろう。


04月19日 金  許す

 アブレ日。
 ヤフーの料金引き落とし口座に、入金しそこなう。
 忘れたのでも、夜まで寝ていたのでもない。歯医者代を払ったら、明日明後日と仕事場に出るための金しか残らなかったのである。
 許す。
 あそこは3ヶ月ぶんまで繰り越してくれるはずだ。

          ◇          ◇

 ケーブルで録画しておいた『エクスペンダブルズ』を観る。
 わははははは。アホによるアホのためのB級殺戮映画やないか。
 でも許す。
 BC級アクションに、超A級予算をぶっこむことの悦楽。狸もアホだ。

 ケーブルで録画しておいた『超高層のあけぼの』を観る。
 それなりに盛り上がったものの、以前、田川氏の好意で圧縮avi動画を見せてもらったときほどの昂揚は覚えず。やっぱり本質は企業PR映画なのであった。もっとも、かの『黒部の太陽』などとは違い、ハナっからPR企画なのだけれど。
 でも許す。
 自社PRに、当時の邦画界で最高のキャストとスタッフを揃えたそのセンスが、鹿島建設や三井不動産を、いまだに斯界の巨頭たらしめているのだろう。覇者には奢るためのセンスが要るのである。金だけ出せばいいというものではない。

          ◇          ◇

 図書館で、『軌道エレベーター 宇宙へ架ける橋』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)と、『明治風物誌』(柴田宵曲著・ちくま学芸文庫)を借りる。それぞれ方向違いのネタのため。
 まだパラ見段階だが、『明治風物誌』の中に、こんな話があった。
 明治3年、若き高橋是清が、はじめて吉原に連れて行かれたとき、花魁の部屋の床の間に、ウェブスターの大辞書やガノーの窮理書など、洋学者の垂涎の的である原書が並べてあった。仰天して「お前これが読めるのか」と問うと、花魁いわく「私にはわかりません。でもお客さんのなかには読む人がありますから、置いてあるのです」――。
 ううむ、許す。
 さすが大江戸以来の吉原、ヌケればいいという世界ではない。


04月18日 木  イケナイコトカイ

 本日は10時からの仕事だったので、8時ちょっと前に起床しNHKラジオを聴きながら洗顔していたら、岡村靖幸という名前が聞こえ、一瞬、またシャブでパクられちまったのか岡村さん、と焦ってしまったが、そうではなかった。彼よりも若いミュージシャンが番組に出演し、岡村さんのライブの話をしていたのである。よかったよかった。さすがに4度目の逮捕で3度目の服役(最初の逮捕では執行猶予)となると、シャレにならないもんなあ。
 しかしNHKラジオは、無事に服役を終えたヤク関係の人間に、なかなか鷹揚なようだ。何年か前には、あの角川春樹さん本人が出演し、コカインが抜けても常用中とほとんど変わらないハイテンションな誇大妄想的発言を、楽しそうに披露していた。
 岡村靖幸さんは、角川春樹さんほど有名ではないが、1980年代後半から1990年代前半にかけて、シンガー・ソング・ライター&ダンサーとして多くの固定ファンを持っており(狸もそのひとり)、川本真琴嬢のデビュー曲をプロデュースしたりもしている。だから1度目の服役を終えて復帰したときには、マスコミでもある程度話題にしてくれたが、さすがに2度目のムショ帰り以降は、ライブを再開しても、ほとんどシカト状態だった。無論、音楽雑誌などでは話題になったが、たとえば夜中の民放の若者向け音楽番組あたりでは、すでに腫れ物として不可触扱いだったようだ。まあ今どきネットさえあれば、ファンが情報に不足することはないし、しょせん今どきの民放なんてのは、スポンサーの靴を嘗めるのが厭さに自分の靴を24時間嘗め続けているようなものだから、大した情報は期待できない。
 結果、真面目に刑期を勤め上げた、つまり社会的に更生を遂げた者の人権をタテマエとして平等に扱わねばならない公共放送だけが、カットもせずに「岡村靖幸さんのライブはいいぞ」という情報を、電波に乗せて全国に拡散してくれる。
 なんのかんの言いつつ、やっぱりNHKは、無いと困るわけである。

     

 しかし、上の映像の頃は紅顔の青年であった岡村さんも、そろそろ50近いはずだ。それでもまだ青春を歌い踊り続けるのだろうか。だとしたら、せめてライブの日くらいは、コナを許してあげたい気がする。


04月15日 月  諸行無常と言いつつも


        

 これこのように、存在のコピーは存在し続けるわけだしな。


04月12日 金  被害妄想

 どうも近頃、ヤフーにログインすると、まだ見ていないニュースや、行ったことのないサイトへのリンク文字列が、例の閲覧済みの色になっていたりする。狸のIDでログインしている方が、どなたかいらっしゃるのだろうか。それとも、この色変わりがあくまでブラウザのキャッシュだけの問題なら、狸の留守に、こっそり狸穴のパソコンを立ち上げている方がいらっしゃるのだろうか。いやいや、いっそ、狸のパソコンはすでにどなたかに遠隔操作されており、狸がこうしてブラウザを閉じてキーをぽこぽこしている間にも、実は密かにネットに繋がれて、あんなことやそんなことを、されたりしたりしているのだろうか。
 まあ、いやらしい。
 って、なにを想像しとるねん。
 ともあれ、心当たりは、ありまくりである。一応ナントカガードやカントカチェックのアプリも入れてあるし、ファイル交換ソフトなどという欲の河に投身するほど馬鹿ではないが、それ以上にヤバげな海外のアンダーグラウンドサイトも、あいかわらずつっつきまくっている。うっかり某国司直や潔癖団体の囮ページに出てしまい、これマジに申し込むと海を越えて桜田門までチクってくれるのかな、などと思ったりもする。

 そんなこんなで、万が一、ネット上で狸のIDを騙ったり、このパソコン自体を遠隔操作している方がいらっしゃいましたら――どーぞ、ごゆっくりお楽しみくださいね。使えるカードが1枚もなくてすみませんすみません。いつ覗いてもこれ以上減らしようのない口座残高にご不審がおありでしたら、煙草代とか缶ビール代とか、ほんの気持ちでけっこうですので、なんぼか振り込んでいただけると大吉です。
 あ、でも、外部HDの奥深く隠匿されている不審なフォルダなどは、くれぐれもコピペなさらぬように。別件逮捕に繋がったら大変です。もちろんあなたが逮捕する側の立場なら、その限りではありません。お仕事、ご苦労様です。狸としては、むしろ官費で長期宿泊飲食できたら嬉しいかな、みたいな。


04月09日 火  踊子

 恩地日出夫監督・黒沢年男&内藤洋子主演『伊豆の踊子』(昭和42年)を、ケーブルの録画で再鑑賞。レンタルビデオ全盛期にVHSで出たらしいのだが、狸のテリトリーではついに発見できず、LDやDVDでは、てんから無視されていた不運の映画である。

     

 高校時代、山形の宝塚小劇場(名前は立派だがシネコンの最小スクリーンよりちっこい古びた三番館)でいっぺん見たのだが、あまりに階級社会を強調した社会派風味だったため、そのときはけして良い思いを持たず、しかし内藤洋子嬢の可憐さと、他の映画化作品とは一線を劃した静謐な風景描写、そして武満徹氏の深い音楽には、ずっぷし浸った記憶がある。その後、平成五年に、同じ監督が同じシナリオでテレビドラマ化したが、こちらは踊子のタレントさんが、内藤洋子嬢に似ていながらもなんだか地味地味で固さばかりが目立ち、背景映像も、当時のビデオカメラゆえ、ロケ・セットともに今一歩深みがなかった。ただ意外にも、キムタク演じる一高生がみごとに決まっており、当時から、ただのアイドルを抜けた底力を見せていた。

 で、昔から、クールな知性で情を描く、みたいな作風の多かった恩地演出、いいかげん爺化した狸の視線であらためて鑑賞すると――いいのだなあ、これが。ガキの頃感じたような『社会派』では、ちっともないのですよ。世の中に厳しい視線であることは確かなのだけれど、そこにおける階級描写が、なんといいますか、あくまで個対個の宿命においての、やっぱり『自然な情感』なんですね。原作の、あえて社会性を排した、明らかな欺瞞をも容認する青春叙情美学、そんな風味を真っ向から否定しているようでありながら、やっぱりこれはこれで、クールで知性的な青春抒情美学なのである。
 もっとも原作者の川端先生は、生前に発表されたたいがいの映画化作品を(あの美空ひばり版さえも)鷹揚に認めていらっしゃるにも関わらず、この恩地版だけは、あからさまに嫌っていたそうである。なにせ先生があえて曖昧に流したところに、他の映画化作品のような浪花節的お涙頂戴路線を超えて、キリキリ切りこんでくる。

 ああ、どっちも好きなの好きなの、と、無責任に身をよじらせていられる外野は、ほんとうに気楽でいい。
 これが自分で書いた話だったりしたら、怒るか打ちひしがれるかのどっちかだもんな、やっぱり。


04月06日 土  雑想

 ふう、風雨が激化しないうちに帰穴できて、よかったよかった。しかし天気予報で昨日から脅され続けたわりには、夜半に至っても、まだ台風なみの悪天候にはなっていない。明日はアブレにしといたので、槍が降ろうが、蝗の大群が飛来しようが無問題。でも北のミサイルはかんべん。

          ◇          ◇

 ここだけの話だが、本日をもって、狸はまたひとつ齢を重ねてしまった。
 まだ「50代なかばです」とバックレることはできるが、ぶっちゃけヒトケタで四捨五入すると、去年から、とっくに60である。
 うーむ。そんな自覚は、ちっともないぞ。
 まあ自覚があったら、こんな明日をも知れぬ生活はしとらんか。
 もっとも、晩飯を食いながらラスト数十分だけ観た『土曜スペシャル』によれば、山間の某限界集落では、80にならないと老人扱いされないそうだ。村民の平均年齢が60を越えているからである。
 うん。
 この日本には、昔から、『四十五十は洟垂れ小僧』という美しい格言(?)もあるしな。
 だいたい、今日は生きているが明日は死んでいるかもしれないという点で、小学生のろりも白寿の老婆も同じである。今日明日死にそうであるかどうか、そこがちょっと違うだけだ。
 ……ちょっとか?
 いやいや、たとえばアルカーイダ作戦実行部隊の元気いっぱい青年カジム君17歳(仮名)と、日本で本日元気に白寿を祝われたばかりの村山乙吉さん99歳(仮名)を比較した場合、無事にこの夏を越せる確率は……。

          ◇          ◇

 ところで、狸にとって長編完結第一作にあたる少年少女ロボット冒険活劇ロマン(表の『書斎』にも旧バージョンがありますね)の最終ブラッシュ・アップが、このほど完成いたしました。そのうち、このHP自体を模様替えする腹づもりなので、そのために組みなおした最新版です。よって、今のところ表からはリンクしておらず、ここからしか覗けません。なにせ狸が生きることのみに汲々としている昨今、いつHPごと消滅するかも定かではないので、保存するなら今の内、ってことで。例によって原稿用紙換算だと五百数十枚の分量、すぐに読んでくれとは申しません。

 思い起こせば確か9年前、あの投稿板で連載させていただいたおりには、うんとお若いライト系の方々から、明らかに純文学志向の社会人層の方々にまで多数の声援をいただき、また回を重ねるごとにありがたいツッコミをごんごんと入れていただき、終了後、あっちから引き揚げてこっちに移してからも、少数ながらたいへん有益なご感想をいただき、さらに推敲してあっちこっち大それたところに送りつけ、顰蹙をかったり、あるいはかなりいいとこまで行ったり――。
 まあ結局、タダで本にしてもらえるには至らなかったわけですが、作者として誇れるのは、ネット界の読者の方々に、年齢・読書歴問わず「これはオモロイ」と言っていただけたこと、そしてプロの編集の方からも「確かにイッキ読みできる面白さなんだが、読者対象が絞れないので『商品』にはならない」と言っていただけたことでしょうか。
 で、結局、作者としては、最後まで『対象読者』など絞っておりません。なんとなれば、これは当時40代後半の狸が、14歳の少年狸や70代の老狸や年齢不詳の講釈狸に次々と化け変わりながら、『全年齢対象ひとり四重奏』を試みた話だからです。
 そんなこんなで、投稿板発表時の初稿と大差ないようにも見えますが、実はけっこう手を入れております。たとえばclown-crown様、こんな感じなら、構成的にも納得していただけるでしょうか。それとも、もう狸穴なんか覗いてないかなあ。それから、前日譚における京言葉をチェックしていただいた中村様、どうもありがとうございました。


04月03日 水  一面トップ

 近頃の朝日新聞朝刊の一面が、なんだかおかしい。
 必ずしも悪い意味ではない。
 たとえば本日は、先月の北海道の異常雪害に際し、父親が小学生の娘さんを庇って凍死したあの出来事の続報、退院した娘さんのその後を取材した記事だった。
 いやあ、朝日の一面で目頭を熱くするなんて、生まれて初めてではないか。
 ともあれ、何か編集方針の変更でもあったのか、新聞のトップ記事というより、週刊誌のような『近頃の話題』が、このところ頻繁に続いている。
 それでいいのかもしれませんね。
 毎日毎日大事件が起こるわけでもなし、どうでもいいような昨日の出来事に大仰な見出しをつけて釣るよりは、人情コラムで朝の気分を和らげてくれるほうが、狸には功徳だ。

 ちなみに、その記事の隣には、諸外国から赤十字に寄せられた東日本大震災義援金の国別ランキングが、ど〜んと載っていた。
 アメリカが1位なのは、国交的にも経済規模的にも当然として、なんと台湾が第2位、アメリカとほぼ同額の29億円に達している。
 たくさん援助してくれたとは聞いていたが、いかに親しい隣国とはいえ、九州ほどの面積しかない小国である。はるかに巨大な中の国さんはその3分の1以下、韓の国さんに至ってはベスト20にも入っていない。台湾同様、隣国なんですけどね。
 まあ、額の多寡より気持ちの問題ではあろうが――やっぱり恩讐って奴は、過去のなんかいろいろ以上に、国民性に寄るところがつくづく大きいのだなあ、と。
 そりゃ個人同士の喧嘩だって、理屈より相性の問題ですもんね、ほとんど。


04月01日 月  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー! エイプリル・フールだけど、うそじゃないよー!」
 くにこ 「んむ。わざわざ、そうことわるってことは、じつは、うそなんだな」
 たかこ 「ぎく」
 くにこ 「うそは、いくないぞ。さあ、ほんとーのことを、いえ」
 たかこ 「じつは、あぶりだし」
 ゆうこ 「あぶりだし?」
 たかこ 「こっくし。こんげつの『狸穴雑想』は、ぱそこんのもにたーを、おだいどこのガスレンジであぶると、でてくるの」
 くにこ 「ほう。それは、すごいな。――どれ、どっこいしょ」
 たかこ 「あ」
 くにこ 「――かっちん、ぼっ、と」
 ゆうこ 「ひ」
 くにこ 「――じりじりじり。……おう、なんか、狸のもにたーが、きなくさいけむりを吹きながら、するめいかのよーにのけぞっているぞ」
 ゆうこ 「あわわわわ」
 たかこ 「まさか、ほんきにするとは……」