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05月29日 水  神鷲愚連隊

 なんだ、例のヘイト・スピーチ・デモの方々、筋金入りの右翼さんは名義貸し(最高顧問とか)だけで、実質、ただの愚連隊だったのか。それじゃ仕方がない。まともな教育を受けていないのだからなあ。できれば解散後は、「ふっ、火遊びも若い内だけよ」などと寂しげに笑って、ふつうの下層市民に埋もれてほしいものである。今さら無理でしょうけど、人間、身の程ってもんが大事だぞ。
 しかしまあ、そのネーミング・センスだけは認めたい気がする。神鷲皇国会(しんしゅうみくにかい)。謎の右翼結社として、バイオレンス・アクションや伝奇小説に、まんま使えそうだ。
 昔の暴走族の『仏恥義理』とか『夜露死苦』も、洒落としては出色だった。センスは教育と無関係なのである。


05月26日 日  続・愛の高画質

 アブレ日。

 昨日、仕事先でこのところいっしょになっている若い衆から、パソコン用の外付けブルーレイ・ドライブを借りてきた。
 ツタヤで『ディアボロス 悪魔の扉』のブルーレイ・ソフトも借りてきた。1997年制作の、キアヌ・リーブスとアル・パチーノが見事な演技合戦を繰り広げるオカルト映画で、監督は『愛と青春の旅立ち』のテイラー・ハックフォード。ハリウッドらしい華やかさを充分に備えながら、いかにもの見せ場は抑え気味に演出する。つまり大人のためのエンタメである。狸はレンタル・ビデオ時代に観て瞠目したが、本編が長尺ゆえテレビ放映はバッサリとカットされ見るに耐えず、DVDはなぜかあんまり出回らず、ようやく今回ツタヤのリバイバル路線(?)で採り上げられたと思ったら、これがブルーレイのみ。DVDは再販されず、中古市場で高値のままなのである。
 なんでやねん。貧乏な狸をイジメるのがそんなに楽しいか世間。

 ともあれ、これでようやくノーカットの原版が再鑑賞できると、勇んでパソコンに接続したのだが――再生ソフトに拒否されてしまった。
「おいおいこんな薄汚れた前時代のパソコンで最新バリバリのメディア開けると思ってんのかよこの貧乏人」、そう言うのである。いや、正確には「お使いのコンピューターのナンタラがどーのこーの」と事務的に表示するだけなのだが、内心では、嘲笑しているに違いないのである。
 貧乏な狸をイジメるのがそんなに楽しいか世間。

 と、ゆーわけで、狸は夜を徹し、貧民なりにがんばってしまいました。
 しかし、艱難辛苦の末にウィンドウズXPでブルーレイを認識させ、オンボードのグラフィックをなんかいろいろおだてまくって木に登らせても、やっぱりガクガクと駒落ちし音声もズレた状態でしか再生されない。
 考えてみりゃ、当たり前なんですよね。いや、考えなくとも、もともとサポートされてないんだから。イジメではなく、単なる区別だ。

          ◇          ◇

 そして今、なんかいろいろここでは明言できないヤバげな過程を経て、画面の横上にあるどでかい謎のロゴと、ときどき不鮮明にダブる字幕がちょっと鬱陶しいながら、つつがなく『ディアボロス』のDVD(もどき)を鑑賞し終えたのだが――記憶に違わず第一級のオカルト映画であった本編の内容はちょっとこっちに置いといて――な、なんでここまで画像がいいのだ。これまで観たいかなるDVDソフトよりも鮮明で、階調もいい。
 ブルーレイだから当たり前だろうと言うなかれ、狸が視聴したのはあくまでDVD(もどき)、横720ドットに変換された動画なのである。ファイル・サイズなんぞ、一枚のDVD−Rでも余るくらいに縮小されている。
 やっぱり問題は量でなく質なんだよなあ、と、あらためて自前の『愛の高画質』論を、強く想起する狸であった。
 愛さえあれば、DVDでも、いやVHSでもノーマル8でも、美しい銀幕再現は可能なのである。


05月23日 木  731と原爆

 おおっとぉ、安倍首相の試乗したブルーインパルスの機体番号が、関東軍『悪魔の飽食』石井細菌部隊の部隊番号731に一致?
 なあるほど、日韓関係については一貫して被害妄想の道を貫く(まあそれがいちばん売れる理由なんだろうが)中央日報、キレても不思議ではない。なんて、今まであれだけ深読み逆ギレキャンペーンを続けてきた新聞社のこと、煽ってナンボ売れてナンボ、というのが本音だろうが。それにしても、そんな新聞が韓国最大の新聞社であるということ自体、在日コリアンの方々までが「困った困った」とおっしゃるのも、無理のない話ではある。
 しかし、アメリカのマスコミまで『731』を問題にしたというのは、本当だろうか。確か終戦後、石井細菌部隊の関係者をあえて戦犯にせず、その研究成果をちゃっかり自国に持ち帰ったのは、戦勝国アメリカだったはずだが。まあそれを言ってしまうと、原爆を落としたのも、神でもアジアの怨念でもなく、徹底的合理主義国家アメリカなのだが。
 しかし、狸や総理が『731』という数字の問題をきれいさっぱり失念していたのも、淡白すぎる日本人の、欠点であることは確かだ。

          ◇          ◇

 それにつけても、過去の加害にも被害にも比較的淡白な日本人気質、狸としては好きな性格なのだが、それが民族的優越感や他民族差別に繋がると、やっぱり困ってしまう。
 だいたい、狸は正直、南京事件や慰安婦問題うんぬん言う前に、日本人の民度だってちっとも信用できない。
 今年の大河ドラマでも絶対に触れないだろうが、明治維新時、会津戦争のおり、会津の田舎の婦女子を片っ端から強姦していったのは、同じ日本人の官軍兵である。いってしまえば、南のほうの、ふつうのおとっつぁんやあんちゃんがたである。狸の子供時代まで、東北あたりには、薩長人を無条件で忌み嫌う老人が存在していた。しかし東北にも、その後大陸各地で、いやがる姑娘を押し倒したおとっつぁんやあんちゃんは、現実に多数存在するわけである。
 言っちゃあなんだが、何国人だろうが何民族だろうが、チンポ生えてる限り、民度なんて知れたものだ。生えてない方に関しては、よく解らないのでコメントを避けます。すみませんすみません。

          ◇          ◇

 ところで、HPの構成変え準備に伴い、この『狸穴雑想』のURLも、近々変える予定でおります。今のところ、こっちこっちにほぼ同じ内容が反映されておりますが、ある日突然こっちだけになる恐れがありますので、今の内にブックマークして乗り換えていただけると大吉です。


05月21日 火  小さな恋のものがたり

 田川氏のMIXYでのつぶやきで、こんな本があるのを知る。
 生ある者は、すべて老いる。
 死ぬ者貧乏、という言葉がある。必ずしも長く生きた者が幸福とは限らないが、早く逝きそこねた者ほど、『刻』という余録を多く得られるのは確かだ。

 遠い目になってつらつら鑑みるに、小学校高学年から中学にかけて、モテ要素の極めて薄弱な大デブ狸が、同級の女子からほんのわずかでもポイントを得られたとすれば、男子のくせにこんな漫画本をこまめに揃えていたという希少性も、なんぼか荷担したのだろう。もちろんその希少性を、「男のくせにキモチ悪い」と、マイナス・ポイントに直結してしまう女子だって多かっただろうけれど。
 しかし不思議なことに、男子に関しては、それを揶揄されたり不気味がられた記憶は、ほとんどない。
 ウフ。男の子って、ホントはとってもリリックなのよね。

 1980年代に単発アニメ化され、その録画ビデオも繰り返し観たが、ベータで録ってしまったため、何度目かの引っ越しの際、200本近い他のベータとともに、不燃ゴミに出してしまった。VHSにダビングする暇すらない、「24時間働けますか」の頃だった。
 なんでDVDになってないのだろう。
 爺いや婆あだってけっこうリリックなはずだが、まあ巷のハヤリモノを見る限り、今どきの主たる購買層は、それほどリリックでもないんでしょうね。

     


05月19日 日  戦争映画


     

 まあ、子供のうちに、こうしてほどほどに発散しといたほうが、成人後のウスラバカ曲線は緩やかな弧を描くかなあ、と。
 きっちりしたスポーツは、あんがい効果が薄い気がするのですね。お仕着せの大人ルールだし。


05月17日 金  心は熱く、脳味噌は冷っこく

 お、維新の会、いよいよ年貢の納め時か。
 しつこいようだが、『腹芸=想像力』に欠ける人間が、長期的カリスマ性など獲得できるはずがないのであって、仮に法曹界に留まっていたとしても、おそらく話題性くらいしか維持できなかっただろう。いくらか腹芸に長けていた石原翁も、最後の最後で選択を誤った。まあ、お歳がお歳だからなあ。
 ところで、在日コリアンに対するヘイトスピーチ・デモもますます元気なようだが、これは以前にも記したように、正直者なんて馬鹿にもなれるという見本のようなもので、脳味噌が熱くなると心が冷えてしまうのが、古来、腹芸のできない『ウスラバカ』の特徴である。できもしないことを胴間声で主張することが恥ではない時点で、すでに脳が茹だっている証しだ。まあ「俺はウスラバカだ! 俺の脳味噌は寄せ鍋のシラコだ!」と人前で正直に絶叫するのも、確かに言論の自由ではあるのだけれど。
 心は熱く脳味噌は冷っこく――人も狸も、腹芸が大事なんだよなあ。同じ哺乳類じゃありませんか。

 いつか世界中のイキモノが、なまあたたかい、ぶよんとしたしまりのない心で、うにょうにょごにょごにょと馴れ合えますように。


05月14日 火  世界は丸い

 慰安婦制度は必要だった、とかなんとか、橋下さんの舌禍事件らしい見出しが朝日新聞に躍っていたので、おおまたやったか、と期待して本文に目を通したら、橋下さんはごく普遍的な戦場観を述べ、それに対していつもの団体等がいつもの反論を述べているだけの記事だった。兵隊さんの行くところ売春宿あり、という現実と、その売春宿の経営実態という現実は、同じ現実であっても、同一の問題ではない。橋下さんに問題があるとすれば、単に政治家としての腹芸が欠落しているだけのことだ。

          ◇          ◇

 日中関係あるい日韓関係の悪化に伴って、日本人の中にも順調にウスラバカが増加しているらしく、ネット上でも、信じがたいほどウスラバカな発言が増えてきた。その手の記事へのコメントなども、あまりのウスラバカさに即刻ログアウトしたくなる頻度が増し、とにかく知人関係以外の物件はなるべく覗かないようにしているのだが、知人の知人などにはウスラバカではないにしろかなり短絡的な人物もいるわけで、やはりこの世の中、友達の友達は友達だ、などと悠長にかまえているバヤイでもないのである。
 以前にも記したが、狸の仕事場の貧民仲間には、中国系も台湾系も東南アジア系も、たまには中東系も黒人さんも混じってくる。そして正直、「お前もう氏ね今夜氏ね」と言いたくなるような相手は、たいがい日本人である。南北朝鮮系の方とはなぜかまだいっしょに働いたことがないので断言はしかねるが、将来、万一、狸が憎悪によって人間に噛みつき血みどろにするような事態が発生するとすれば、その相手は、ほぼ間違いなく日本人だろう。
 愛国心は結構だが、単に『自国に生まれ自国に住んでいる』だけのことを『人種的優越』と勘違いしている奴は、いっぺん他国で奴隷になってみるべきである。

     


05月11日 土  雨だす

 アブレたので久々にウスラボケーっと徘徊できると思ったら、終日、鬱陶しい雨。
 歯医者と内科(血圧関係)の診療ハシゴで、四千円近い出費。火曜の派遣会社からの振込まで、千数百円で暮らさねばならない。
 あれ? なんだ、たった2日じゃん。楽勝楽勝。

 しかしまあ、正直、母親の口座に律儀に送られ続ける父親の遺族年金が、下手すりゃ今の狸の収入より多いのを見ていると、思わず「ぐぬぬぬぬう」と呻いてしまったりもする。いや、怒ってるわけじゃありませんよ。黒い狸を白い狸がねじ伏せる際の、ややフクザツな呻き声である。
 ま、しゃーねえわな。
 同じ自己満足なら、黒っぽいより白っぽいに越したことはない。


05月08日 水  濃いいのお願い

 今月は、なんだかケーブルテレビのチャンネルNECOが、たいへん男汁、とゆーか、濃ゆい刑事汁を垂れ流している。藤岡弘と伴淳三郎が親子刑事を演じる『野獣狩り』やら、あのダンディ田宮二郎が空手まで使ってしまう『怒れ毒蛇 目撃者を消せ』やら、西部警察の原型と言われる渡哲也の『ゴキブリ刑事』やら。いずれも1970年代前期、斜陽の坂を全速力で転がり落ちつつあった頃の邦画だが、それぞれにタイプ違いの『濃さ』を備えている。『野獣狩り』は渋くて熱い本格ハードボイルドとして、『怒れ毒蛇』は日活無国籍アクションの掉尾(松竹映画なのだが監督は元日活の井上梅次)として、『ゴキブリ刑事』は洋画『ダーティ・ハリー』以降の刑事物トレンド「俺が法律だ」を邦画に取りこんだ元祖として。
 いずれも狸は高校時代に劇場で鑑賞しており、『怒れ毒蛇』には「な、なんでダンディー田宮が中途半端なブルース・リーの真似など……」と脱力感が勝ってしまったものの、『野獣狩り』と『ゴキブリ刑事』は、上京してからも名画座で何度も追っかけたほど、愛着のある作品である。とにかく濃ゆいのだ。近頃の邦画にも、一見濃厚に見える作品はあるが、たいがい『濃ゆい』というより『粘っこい』あるいは『濁っている』感じで、コーヒー専門店のようには後味がさっぱりしない。
 とりあえず本日は、何十年ぶりで何度目かの『野獣狩り』を鑑賞。
 ……しかし見れば見るほど手抜きがない。それでいて、藤岡さんの肉体派アクションも、かなり強引で一部これ見よがしなロケも、撮影が自然体なのでとにかく渋い。要するにシナリオも演出も音楽も、あくまで大人の観客を想定しているのだな。
 斜陽期邦画、侮り難し。


05月05日 日  おっきい子供の日

 昨日今日と、また連休だった。世間並みの大型連休とは無縁だが、2週続けての2連休。
 昨日は、冬物衣類の整理(今頃やっているのである)以外はほぼ一日寝て暮らし、本日は、お散歩だらだらと、パソぽこぽこの日。
 休日即収入減の日雇い狸でありながら、なんだかやっぱり、おめでたい気分である。思わず柏餅まで食ってしまった。味噌味のやつ。

          ◇          ◇

 今年、ここの表を隠遁所っぽく改装するつもりでいるので、久々にホームページビルダーで『雑想』以外をいじろうとしたら、おお、なんとゆーことだ、きれいさっぱり操作法を失念している。現在の表玄関をどーやって作ったものやら、手順そのものが思い出せない。歳なのですねえ。
 それでも午後いっぱいいじくっていると、腐った脳細胞の奥から、なんぼか食えそうな脳細胞が顔を出し、現在のHPの、あまりにいいかげんでぐっちゃぐちゃなHTMLテキストに、大笑いしたりもする。古いホームページビルダーの『どこでも配置モード』で、適当に切ったり貼ったりした上に、ネットで聞きかじったタグを我流で突っこんだりしているから、正直、なにがどうなって現在の表示がなされているのか、自分でも理解できないのである。
 さあて、それではさらに、ぐっちゃぐちゃにしますか。それとも、腐った頭相応の、シンプルな画面がいいか。

          ◇          ◇

 神奈川の姉から、母親が所有していたアルバムの一部や、狸の古い成績表や、父親の仕事上の記念物など、古い紙物が段ボール箱で送られてきた。母親が、いよいよ過去と乖離してしまったため、残しておいた昔の荷物を、本格的に整理し始めているのである。
 まだ詳しくはチェックしていないが、小学校時代の狸の成績表だの、父親の古い給与明細だの、今となっては貴重な歴史的資料(現物)が入っているはずである。
 小説や雑想のネタになりそうで、嬉しい。


05月03日 金  兎さんの茶碗

 昨夜、長年使っていたご飯茶碗を、うっかり割ってしまった。で、今日の帰りにダイソーに寄ってみたら、どうもピンとくる柄がない。ひと昔前の100円均一物とは違って、どれも100円とは思えない立派な質感なのだけれど、いざそれを使って毎日毎日何年も飯を食うとなると、なにか『違う』感じなのですね。
 そういえば、割ってしまった茶碗も、今は無き実家の物置にしまってあった、何かの記念品をもらってきた奴だった。つまり安物ではなく、むしろ高級品と思われる。納豆ご飯だの玉子かけご飯だの、超庶民派メニューを気持ちよく食うには、それなりの『気分』が肝要なのである。
 ダイソーから、ふつうの食器売り場に移動し、ほどよく『違わない』感じの茶碗をみつけ、まあ300円くらいだろうと思って値札を見たら、これが680円。なんとダイソーの7倍弱。
 しかし――わっはっは、買ってやろうじゃないの。そんだけありゃ、吉野家で特盛り牛丼に味噌汁と野菜が付くけれど、今は、日々の粗餐を彩る『気分』が大事なのだ。
 などと大袈裟に騒ぎつつ、まあ、なんてことはない、渋い緑色の茶碗なんですけどね。白い内側の底んとこに、なぜか、ちょこんと日本画調の兎さんがいます。ひっくりかえすと、糸底の内側にも、同じ兎さんがいます。卯年の売れ残りかもしれませんね。
 でも、いいの。昔、故郷の山で背中を燃やされたりトンガラシ塗られたり泥舟で沈められたりした、あの日の兎さんが忘れられない狸なの。マゾなのかしら、うふ。


05月01日 水  まだ

 たかこ 「♪ まだ〜〜〜 ♪」
 くにこ 「♪ まだ〜〜〜 ♪」
 ゆうこ 「♪ まだ〜〜〜 ♪」
 女先生 「はい、それでは、日本全国津々浦々の良い子のみなさんも、ごいっしょに!!」
 みんな 「♪ まままだだだままだだまだぁ〜〜〜〜〜〜〜〜あ ♪」

          ◇          ◇

 くにこ 「…………ほう。このにっぽんで、いきのこっているよいこは、もー、おれたちだけか」
 たかこ 「はっはっは」
 ゆうこ 「くすん、くすん」
 女先生 「はいはい、ご心配はご無用ですよ。さあ、みなさん、ぐるりと狸穴のおもてにまわって、よっくとカウンターをご覧になってくださいね。ほうら、最低でも1日にひとり、多い日には10人ちょっとの良い子が、この狸穴を覗いてくださっている勘定です」
 たかこ 「おう。くるくるりん」
 ゆうこ 「……ほ」
 くにこ 「んむ。なあるほど、たった10にんか……。らくしょーだな。おれだけでも、ひとりのこらずシ●ツできるぞ。さあ、きなさい!」
 女先生 「……●すなよオイ」