[戻る]


07月31日 水  うるとら洋物

 例によって狸汗の濃縮された獣臭を漂わせながら帰穴すると、『THE BERMUDA DEPTHS』(1978)(テレビ放送時の邦題は『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!』)のDVDが、もうポストに届いていた。アメリカからの発送なので2〜3週間かかると聞いていたが、きっと地球温暖化で人類が滅びる前に、大至急で届けてくれたのだろう。しかし、たかだか本体1200円弱(あくまで注文時のレート)の商品を、たった340円の送料でアメリカから日本に届け、それでもあっちこっちで利益が出るような経済活動を続けていては、この先、やっぱり人類もう長くないかもなあ――そんな気がする。絶対無理してるでしょう、たぶん末端の労働者が。……あ、俺もや。

 閑話休題。
 モノはワーナーのオンデマンドDVD−Rで、メニューやチャプターもいっさいない。そのオンデマンド企画のCMだけが、冒頭に入っている。一定量プレスするだけの需要が見込めない、しかし死蔵してしまうには惜しい作品をデジタル化し、ダウンロードやDVD−Rで販売しているのである。戦前の作品なども、かなりのところまでデジタル化しているようだ。ハリウッドも斜陽気味とはいえ、さすが世界の商業映画の首都、心意気が違う。戦前のフィルムなど、よほどの名作でもない限り、プリントどころかネガまでゴミにしてしまった敗戦国としては、やっぱり「こりゃかなわんわ」と低頭するしかない。

 本編の映像は、シーンによって画質にずいぶんバラつきがある。もともと映画館で公開した作品ではなく、低予算のテレビ用長編だから、原版自体にバラつきがあるのかもしれない。それでも美男美女によるバミューダの海中ランデブーや特撮シーンは、ピカピカと言いたいほど良好な画質だった。
 トム・コタニ監督、もとい小谷承靖監督の演出は、アメリカ映画らしくない(あたりまえか)しっとりとした情緒で、まるで昔のフランス映画のようだ。あの方の東宝作品『はつ恋』(昭和50・1975)も、そんな感じでしたね。同じ頃に監督した、草刈正雄版『若大将』シリーズも、リリカルでかわいらしかったのよなあ。早くケーブルでやってくれまいか。
 そして佐川和夫さんが演出したと言われる特撮シーンは――うわあ、こんなちっこいミニチュアだったか。マイティ号以外のマイティジャック内メカと同程度のサイズか。しかし、けして年寄りの懐古趣味だけでなく、ちゃんと水をはったプールで操演でされたミニチュア特撮は、CGでは得られない物理的快感がある。スローモーションで味わうでっけー水しぶき、真夏の夜でも涼しいのなんの。
 さて、ストーリーに関しましては――梗概だけはなんとか理解したぞ、えっへん。『ウルトラQ』の中の『鳥を見た』、あれに近いシュールな海洋幻想譚に違いない、たぶん。
 ……どなたか英語に堪能な方、無料でDVDをお貸ししますので、どうかまるごと翻訳してやってください。


07月28日 日  雑想

 毎日新聞 7月28日(日)23時35分配信
 ソウルで28日行われたサッカー東アジア・カップ男子日韓戦で、韓国側観客席で歴史問題にからむ横断幕などが掲げられる一幕があった。応援時の政治的主張を禁じた国際サッカー連盟(FIFA)の規定に違反する疑いがある。
 試合開始から間もなく、2階から「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた巨大な横断幕が掲げられた。また、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺し、韓国で英雄視されている安重根(アンジュングン)の肖像画のようなものが登場すると、会場の大多数を占めた韓国人の観客から大きな歓声が上がった。いずれの幕も後半にはたたまれた。
 一方、日本側の応援席では、試合開始時に旭日旗を一時、掲げる場面があり、係員に制止された。旭日旗は韓国では戦前の日本による侵略の象徴とされている。韓国の聯合ニュースは、旭日旗についても「FIFAの規定違反の可能性が大きい」と伝えた。【ソウル 大貫智子】

 こりゃあ、どっちもどっちですね。サッカーという競技そのものが、属する土地対土地の、代理戦争的な色合いが強いし。
 SFでは使い古された趣向だが、いっそプロの兵士たちが、民間人を排したフィールドで、マジにツブし合ながら陣取り合戦をやるのはどうか。予選段階だと小規模な局地戦。で、決勝トーナメントともなれば、無人の極地とか南米の奥地とかに小国家規模のフィールドをこしらえて、戦術核の2〜3発も使えるようにすれば、かなりのカタストロフ、じゃねーや、カタルシスが得られるのではないか。

          ◇          ◇

 しかし人間というやつはアレである。たいがいの生き物は分相応の環境が整った時点でツブし合いをやめるが、人間に限っては、どんなに飽食してもツブし合いをやめない。これもSFでは手垢コテコテだが、実際、人間は地球に発生した癌細胞なのかもしれませんね。いわゆる先進国でも、小綺麗にエコエコなどと唱えつつ、地球を食いつぶすまでは、ずっと先進国やってるハラらしいし。
 エコなんて、もう古い。これからは、積極的な退化の時代だ。もちろん精神的な退化ではなく、物質文明としての退化である。
 とりあえず、晩御飯のおかずは納豆と玉子とお味噌汁と最小限の野菜くらいですませる。自家用車などとんでもない。電車にもなるべく乗らずに歩く。どうしても空を飛びたい人には、自力で崖から滑空してもらう。人間、やる気になれば、なんだってできる。
 ……できなかったらごめんなさい。

          ◇          ◇

 アブレ日。
 昼過ぎに目覚め、発酵しかけていた衣類を洗濯した後、買い置きの総菜パンと水筒を持ち、130円の切符を買って電車に乗る。
 秋葉原で山手線に乗り換え東京駅で降り、すっかり様子が変わったエキナカを徘徊して楽しむ。改札からは出ない。さらに山手線を2〜3周し、読書に耽る。
 こないだ図書館で借りた、高橋克彦先生の『ドールズ 月下天使』、噂どおりに高橋先生の老化が窺える筆致だったが、狸も負けずに老化しているので無問題。年寄りの愚痴だって、ここまでエンタメしてくれれば文句なし。ただ、トンデモの大風呂敷が次作まで続いてしまうのは、もはや高橋印シリーズ作の恒例とはいえ、少々残念だった。そういえば『総門谷R』の『将門編』って、いつ出るんでしょうね。
 続いて図書館物件『乙女のロマンス手帖』、初老の狸が電車の中で開くにはややアレなナニなのだが、面の皮が厚いので無問題。こ、これや。狸の幼少期はこーゆー感じでロリの国に逝ってしまったんや、と、あらためてあの時代に感謝する。
 夕方、隣駅で改札を出、狸穴まで歩く。これで電車賃は130円ポッキリ。
 冷房の効いた電車で、ずっぷし物質文明に毒されてしまったぶん、大いに反省して、晩御飯のおかずは納豆と玉子とお味噌汁と最小限の野菜ですませる。
 本日の出費、ゴールデンバットこみで330円なり。


07月26日 金  ようつべの海を泳ぐ

 おお、幼時の小鳩くるみさんの、こんなハジけた童謡が……。

     

 録音されたのは、この頃か。

     

 しかしまあ、YOUTUBEの底は深い。あまりの広さゆえ、深部を探すのは、なかなか難儀であるが。

07月24日 水  猫希望

 先だって、ローソン某店の冷蔵ケースに従業員が寝そべっている写真がネットにアップされ、本部にチクられてフランチャイズを解除されてどうのこうの、という件が話題になったが、今度はコンビニ内を自由に徘徊する猫たちの写真(含む『ねこ店長』)が、話題になっているらしい。
 昔、アルバイトで高級デパートの夜間清掃をしたり、社会人になってからも各地のショッピングセンター内でテナント勤務した狸としては、食品のあるところほぼ例外なく多数のゴキやネズミが棲息していると実感しているので、コンビニ弁当の横に馬鹿が寝ていようが猫が寝ていようが、今さら気にならない。しかしどちらかと言えば、人間の馬鹿よりは、猫のほうが格段にかわいい。だからむしろ双手を挙げて猫を推奨したい。
 猫はかわいいだけでなく、ゴキやネズミまで食ってくれる。だから不潔なんじゃねーか、と猫嫌いの方々はおっしゃるかもしれないが、正味の話、素性の知れない美女の舌と、素性の知れないかわゆい猫ちゃんの舌を比較した場合、どちらが危険か知れたものではない。ヒトのエイズはヒトに移る。猫のエイズはヒトに移らない。
 まあ美女は一般にゴキやネズミをナマで食わないにしろ、猫だって食った後ほどなく、口腔内は普通の状態に戻るのである。


07月21日 日  夢と現実

 参院選は、大方の予想どおり自民の圧勝。実は狸も自民の若い衆に投票している。事前に自民圧勝は確実だったので、いっそ、いつぞやのように、共産党にファンタジー票(なんだそりゃ)を入れようかとも思っていたのだが、近頃の共産党は、もはや『理想論』を越えて『狭義のファンタジー』に逝ってしまった気がする。狸の好むのは、あくまで現実をケムに巻くタイプの『広義のファンタジー』だ。
 しかし、ここまで自民が巻きかえすとは意外だった。マスコミの9割方が、スポンサーや官僚の顔色を窺って徹底的な『安倍下ろしキャンペーン』を張っていたにも拘わらず、この現実である。20年も昔だったら、マスコミ主導でさらに混乱が続いた可能性も充分にある。国民が利口になったのか、それとも単なる前政権への失望か。
 集団的自衛権、憲法改正問題等、ファッショ化のキナ臭さを警戒する世論も多いが、前政権のように、徹底的な日和見によって世界の右からも左からも完膚無きまでにナメられつくすよりは、『チョイ悪』程度のキナ臭さも、今は欲しい気がする。
 いえ、昔のような『侵略』は、絶対にいけませんけどね。あと『侵略なんてしてません』とか『みんな侵略してたのになんで俺らだけ責められるのよ』とか、厨房なみの言い訳も、甚だみっともない。勝ち負け、という現実からは、逃れられないのが大人の歴史だ。
 だいたい従軍慰安婦問題だって、軍として直接「女欲しい」とは言わなかったにしろ、民間の女衒連中と、きっちり暗黙の了解はあったわけですからね。もっとも、他国の女性以上に、きっちり自国の女性を大量動員していたわけですけど。

          ◇          ◇

 などともっともらしく語りつつ、投票の帰り、発作的に何もかも忘れて南海に逃れたくなって、コンビニでアマゾンのギフト券を買い、『THE BERMUDA DEPTHS』のDVDをネット注文してしまった狸。
 いつまで待っても日本語盤が出る気配はないし、直輸入盤が近頃エラく安くなっている。当然日本語字幕はないが、ストーリーは昔テレビ放映されたのを記憶しているし、もともと辻褄合わせを排した幻想映画だから、英語が解っても、話の辻褄など最後まで合わないのである。
 それでいいのだ。南の海の夢と、円谷直系アナログ特撮が見られれば。

     

     


07月19日 金  森の小径

 先だって図書館から借り出した本の中に、昨年の暮れに亡くなった小沢昭一さんの著作『流行歌 昭和のこころ』(新潮文庫)がある。
 電車の中で読み進め、戦前から活躍していた歌手の方々の人生や、それに絡んだ小沢さんの考察に、激しくうなずいたり、思わずウルウルしたりしている。
 その中の、灰田勝彦さんの項に、極めて意外なエピソードがあった。小沢さんは『
今ではよく知られていることでありますが』と前置きしているが、狸の耳目には、かつて一度も触れなかった事実である。『あの戦争の時代、出撃前夜の特攻隊の基地で、もっともよくうたわれた歌は、軍歌なんかじゃないんですよ。「旅の夜風」と「森の小径」、この二つなんだ。

『旅の夜風』――これはまあ、曲想として解る気がする。花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる道、ですもんね。
 しかし、――『森の小径』? あのハワイアンっぽい慕情歌?

     

 ……明日は死のうという若者たちが歌っている姿を想像するだに、瞼が熱くなる。
 悲しいと同時に、嬉しくもある。
 人間だもんね、みんな。


 
   ほろほろこぼれる 白い花を
    うけて泣いていた 愛らしいあなたよ

    憶えているかい 森の小径
    僕もかなしくて 青い空仰いだ

    なんにも言わずに いつか寄せた
    ちいさな肩だった 白い花夢かよ


07月17日 水  暑中鰻

 昨日はようやく最高気温が30度を割り、久しぶりに昼間でも汗の乾く間があったが、今日は気温こそ同程度だったものの、午後からすさまじいイキオイで湿度が上がり始め、とうとう100パー近くに達した。つまり、一度かいた汗は断固として永遠に乾かない、ということである。これは冷房無しの環境で働く奴隷にとって、たとえば気温35度・湿度50パーよりも、はるかに鬱陶しい気象条件だ。
 そんなこんなで、ダルダルと巣穴をめざす帰途、誘惑に負けて馬鹿をやってしまった。夕飯に、すき家の鰻牛を食ってしまったのである。
 いやあ、あそこの牛は甘いと知っていたが、鰻もあそこまで甘いとは思わなかった。電車賃余分に払っても、隣駅の吉野家に行くべきだった。あそこは牛も鰻も江戸前で、醤油が勝っている。
 しかしカレーといい牛といい、近頃の外食産業って、なんでクソ甘ったるいところばかり優位に立つんですかね。いやカレーは辛口もあるぞ、と反論されるかもしれないが、あれは単にスパイスという『辛味』=『痛み』を増やしているだけであって、砂糖の甘味はちっとも減らしていないのである。カーッとしたりヒリヒリするだけで、味覚のベースはまるでスイーツ。

          ◇          ◇

 鰻の稚魚が激減し保護対象にさえなろうという昨今、その高騰に目をつけて、いよいよ密漁が盛んらしい。困ったもんだ。
 どのみちいよいよ鰻のハイソ化が進むなあ、と嘆くいっぽう、自力で釣らない限り庶民の口になどめったに入らなかった時代に戻るだけ、という気もする。
 貴重な資源を、みすみすスーパーのクソ甘ったるい量産冷凍安蒲焼なんぞにしてしまうよりは、昔のように、少数の店が暖簾と価格に恥じない渾身の蒲焼を食わせる、それでいいのだと思う。
 でもそうなったらお前はもう死ぬまで鰻など食えんぞ、と、密猟者の方々や大手流通業者の方々は反論するかもしれない。
 ならば狸は、胸を張って答えるだけである。そのとおりだよ、えっへん!

     


07月14日 日  夏想

 アブレ日。

 洗濯する。
 暑い。

 図書館を徘徊する。
 暑い。
 外よりは涼しいはずなのだが、省エネのためか、狸にとって『暑くない』レベルに達していない。
 負けるもんか負けるもんかと口の中で呟きながら、昔の少女雑誌関係の書籍を漁る。付録とかグラビアとか、写真の多いやつ。胸の奥がキュンキュンと、涼しくはないが、爽やかになる。
 近頃の若い娘は、化粧が暑くていけない。化けるのは狐狸だけで充分だ。

 ヤケクソ級の夕立で、ショッピング・センターに足止め。
 涼しい。
 まだ化けていないろりを見て過ごす。
 涼しい。

 帰穴すると、洗濯物が干す前より濡れていた。
 このまんま乾かすと臭うだろうなあ、と思いつつ、そのまんまにする。
 暑い。

 録画しまくっていたケーブルの『特撮国宝』関係や『サンダーバード』関係を観まくる。
 樋口真嗣監督、近頃いい顔になった。芸も達者である。あれで映画本編の演出や脚本に関係せず、特撮やアニメに専念してくれれば、なんの問題もないのだがなあ。それにしても人形アニメ技術者の真賀里文子刀自、マジに人間国宝に指定するべきなのではないか。パルもオブライエンもハリーハウゼンも越えている。暑さが一気に退くほどクールだ。

          ◇          ◇

 ところで、ここ一週間ほどの天気予報、狸穴のある一帯は、常に「明後日からは暑さが一段落して30度を割るだろう」と言い続けているのだが、結局、連日30度を越えている。今日の予報も同じだから、きっと明日も同じ予報をやるのだろう。
「明日さえ我慢すれば明後日には……」
 明日への希望、ではなく、明後日への希望、というところに、周到かつ姑息な作為を感じる。
 暑い。


07月12日 金  人生変えちゃう夏かもね

 猛暑、酷暑、炎天、油照り――。
 のべつまくなし正直に「ぐぞむじあづいいいい!!」と絶叫しながら生きていると病院に入れられてしまうので、なるべく冷静を装うために、古今様々な表現があるわけであるが、『惨暑』という表現は、昔からあったのだろうか。近頃ネットで見かけて、言い得て妙だと思った。
 惨暑お見舞い申し上げます。
 皆様方におかれましては、融けたり気化したりしないよう、どうか御自愛を。

          ◇          ◇

「生活ができない」「俺の人生めちゃくちゃや。お前らが差し押さえるからこうなったんや。俺の答えはこれや」
 宝塚市役所の一階を、まるまる燃やしたおっさんの主張だそうだ。自宅マンションの固定資産税を滞納し、預金通帳を差し押さえられたらしい。
 あれ?
 差し押さえって、一定額の生活費は残せるはずだよな、法的に。
 そもそも、立派な自宅持ってて、なんで固定資産税払わなかったんだろうな。
 うーむ、自宅どころか、差し押さえ可能な物件を何一つ持たない狸には、そのおっさんの「生活」が想像できない。
 惨暑で脳味噌が融けただけではないのか。

          ◇          ◇

 派遣先にいるパートの人妻(インド系)が、恐ろしいほど美しい。インド系の若い女性というのは、何故あそこまで美形なのか。ロシア系と同じで、9割方は数年以内にズドドドドン方向へ突然変異すると知りつつ、今がここまで美しいなら、こっちの余生はもう捨ててもいい気がする。なまねこなまねこ。

 などと浮かれていたら、今度は最寄り駅近くのマックのレジで、胸がキュンとするような美少女を見かけた。あくまで狸の尺度による胸キュンだから、おそらくは昭和30〜40年代型のキュンであるが、それにしても、こんな感覚は何十年ぶりだろう。
 惨暑で脳味噌が融けたのではないか。


07月09日 火  渚にて

 朝、マイクロ・バスを降りたとたん、目前の東京湾から、むせかえるような磯の香りが流れてくる。
 正体不明の小魚たちが、蒼天を恋うように波間を跳ね回る。
 移ろう時代に祝福を。
 遠い昔、修学旅行で鼻をつまんだヘドロの海が、今は確かに生きているのだ。

 ……まあ、その前に立つ狸の現状などは、ちょっとこっちに置いといて。

     


07月06日 土  夏に蠢く

 こ、これはたまらん。
 外は炎天、かつ終日ヤケクソのような強風。トラック・バース付近での作業は、滔々と水平に流れ落ちる(なんだそりゃ)温湯の滝に打たれているような気分であった。冷水器のある現場でなければ、毛皮はぐしょぐしょで中身はカラカラの、狸の蒸し物になるところ。
 しかし今年は七夕前から、実に根性の曲がった夏である。
 殺す気だな?  誰だか知らんが、空の上から狸を恨んでいるな? 
 ……ふっ、首が飛んでも動いてみせるわ。

 ちなみに「首が飛んでも動いてみせるわ」というのは、かの『四谷怪談』における、田宮伊右衛門の末期近いキメ科白ですね。
 『東海道四谷怪談』の初演時(文政8年・1825年)には無かった科白らしいので、(C)が鶴屋南北さんなのか、他の座付作者さんなのか、あるいは役者さんなのかは不明らしい。いずれにせよ、田宮伊右衛門という色悪を形象する上で、あるとないとでは、かなり印象の変わる科白である。
 後の時代のおびただしい映画化作品でも、たとえば中川信夫監督は、伊右衛門役の天地茂さんにそこまで言わせず、悪逆非道に見える伊右衛門もまた一種の被害者である、そんな哀感のある演出をしていた。逆に森一生監督などは、あの佐藤慶さんにめいっぱいふてぶてしくそれを言わせ、痛快なまでに醜悪な『生』を体現させていた。
 まあ結局、どちらも因果応報で死んじゃうわけですが。

     

 さて、今年、怪談映画大会をやってくれる小屋は――ねえよ、今どき。
 世間は小洒落たシネコンばかりで、因果物の似合う小屋など絶滅寸前。

 仕方がない。録り貯めた旧作や、時代劇専門チャンネルの古いTVシリーズで我慢しましょう。


07月03日 水  タイム・トリップ

 アブレ日。

 取り寄せを頼んでおいた県立図書館の蔵書が3冊届いたとメールがあり、最寄りの市立図書館へ。
 またぞろ、ずっぷしの懐旧物件である。昭和43年発行の、国際アンデルセン大賞名作全集版『たのしいムーミン一家』と『ムーミン谷の冬』(講談社)。ちなみにトーベ・ヤンソン女史の作品は現在ほとんど邦訳されており、ムーミン物も絶えることなく出版され続けているが、狸世代の図書室族が初めてムーミンに接したのは、アニメが始まる以前、ほとんどこの国際アンデルセン大賞名作全集版ではなかろうか。コバルト・ブルーの素敵な装丁と、子供心を逸らさないよう目次やカット配置の隅々まで気を配ったデザインは、あらためて見れば、以降のどの造本よりも『愛』を感じる。けして狸の感傷ではない。正直、近頃の児童書の装丁は、大人のしゃれたセンスで妙にお上品ぶっていたり、逆に子供を侮ったハデハデだったりする場合が多い。
 もう一冊は、これも当時の狸がナメるように読み耽った、新書版『8ミリカメラ 特撮のタネ本』(円谷一著・芸術生活社・昭和45年)。8ミリのムービーカメラ(もちろんフィルムの時代)愛好家に向けられた、簡単なトリック技術の入門書だが、ムービーカメラなどという大それた贅沢品は、無論、狸の家やそのご近所に存在するべくもなく、むしろ円谷英二監督のご長男が著した特撮関係本ということで、ウルトラ命の子供たちにも、広く読まれていたのである。ガキとはいえど中学生にもなれば、架空の怪獣図鑑だけで好奇心を満たせるはずもない。あの頃が、おたくの萌芽期だったのだなあ。

 ことほどさように紙の『書物』は、情報ではなく『存在』として、物理的に時を越える。

          ◇          ◇

 五十嵐氏と、年賀以来の音信を交わす。
 出版不況は、ますます大変なようだ。
 業界自体が、愛よりも金、つまり読者=金、作者=金、そんな感覚で動いている限り、総体的な的外れは続くだろう。
 読者の愛と作者の愛を仲介して手間賃を得るのが、出版業のはずである。


07月01日 月  番猫たちの午後


     

 ミケ女王 「……この狸穴も、近頃めっきり寂しくなりましたねえ、ブチ下僕や」
 ブチ下僕 「はっ、女王様。ご慧眼のとおり、先々月までに比べ、お客様の数は、ほぼ半減いたしましたようで」
 ミケ女王 「まあ、無理もありません。毎日わらわの近影を拝めるならともかく、奴隷狸の、辛気くせー繰り言ばかりでは」
 ブチ下僕 「はっ、まったくもって仰せのとおり」
  狸   「何をみゃーみゃー言ってんだか知らんが、ほい、おやつ。いつもの豚コマとポリポリな」
 ミケ女王 「はぐはぐ、はぐはぐ」
 ブチ下僕 「ぽりぽり、ぽりぽり」

          ◇          ◇

 ちなみに改装後のカウンター回りの半減は、もーまったく予想どおり、予定どおりです。
 ほとんどスタンド・アローンの旧式HPのこと、この沈滞期に売り場縮小なんぞした日にゃ、よほどのお得意様しか残らなくて当然。
 しかしまあ、マジに隠居するつもりもございませんので――ぽこぽこ、ぽこぽこ。