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08月30日 金  雑想

 ネットのニュースで知った『出身地鑑定! 方言チャート』。
『東京女子大学 篠崎ぜミで作りました!』という惹句が、おぢさん心をくすぐりますね。
 のみならず、実際に狸が試してみたところ、「あなたの出身地は 山形県ですね!?」とズバリ当ててきた。末尾についつい「?」を付けてしまうところが、今どきの若い娘たちにしては、腰が低くてとってもラブリー。ちなみにその解答の下では、かわゆいサクランボの双子が、御飯と焼肉を食べながら「お米も♪」「お肉も♪」などとさえずっている。なかなかキュートな心遣いだ。
 ……ご想像のとおり、狸は自分より頭の良い女性に萌えるたちです。

          ◇          ◇

 狸の喉は快方に向かっているが、あいかわらず猛暑が続く。
 こないだ余分に休んでしまったので、今週は土日も働かないと自転車操業が転倒骨折破綻する。土日ともしっかり暑いそうだ。悪い予報は十中八九当たる。そーゆーキマリになっているのである。
 ここ何年か、毎年毎年「今年の夏は特別暑い」とマスコミで喧伝されるが、あれはお天道様のごきげんを取り結ぶための嘘だ。たとえば去年も、なんと10月に入ってから30度越えをカマしてきたりした。つまり日本の首都周辺は、6月中旬から10月初旬までが『ずっと真夏』と、ずいぶん昔にお天道様が決めてしまっているのである。
 地球温暖化がこのまま進めば、やがて東京湾沿岸は常夏の楽園へと変貌すること必至である。今のうちから広大な人工の砂浜をでっちあげて椰子を植えトロピカルなホテルを林立させ、半裸でジャパニーズ・ボン・ダンスを披露する踊り子さんなどを養成するのが吉。


08月28日 水  軽くダウン

 おとついあたり、ちょいと暑さが和らいだような気がしたのでエアコンを切って寝たら、なんのことはない目覚めれば汗びっしょりで、タオルケットもすっかりはいでしまっており、かえって風邪をひいてしまった。喉が痛い。少しだが熱もある。いちんちたっても回復の兆しがない。
 とゆーわけで、ちょうど血圧の薬が切れかかっていたこともあり、本日は大事をとって(怠け心に負けたともいう)自主アブレ。いつもの病院で、いつもの降圧剤といっしょにいつもではない薬をもらい、「わーい薬が増えた」と浮かれながら帰穴する。軽い抗炎症剤を処方されただけなんですけどね、薬好きの狸ゆえ、効く効かないよりも、増えた丸薬の数が嬉しいのである。
 ちなみに今回診察してくれたのは、やはり以前の女医さんではなく、こないだの痩せて無愛想な若い男性医師でもなく、なんじゃやらぶよんとしてしまりのないおたく状の若い眼鏡医師であった。対面しているだけで鏡を見るように暑苦しい。あちらもきっと「うわおっさんメタボで汗くせー」とか思ったに相違なく、これは勝ち負けなしの痛み分けである。

          ◇          ◇

 夜、録画しておいたNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』の、『宮崎駿・風立ちぬ編』を観る。
 なんという理想的な環境で苦悩しているのだ宮崎監督。その苦悩は極楽の苦悩である。
 でも宮崎駿だから許す。 
 さて、次は高畑勲監督の『かぐや姫の物語』も、メイキングをやってくれまいか。
 ――無理だろうなあ。天下のNHKだって、しょせんウケてナンボの世界だもんなあ。
 ちなみに狸としては、『風立ちぬ』はレンタル待ち、しかし『かぐや姫の物語』は、数年ぶりに劇場の銀幕で拝もうと思っている。
 大好きなんです、高畑さんの社会的苦悩。


08月25日 日  狸のさえずり遅々遅々遅

 じめじめじとじとむしむしながら、気温はやや控えめ。しかしやっぱり動くと毛皮びしょびしょ。
 結局この二日、徘徊や録画物件消化を主としながら、ちまちまと打鍵を進め……まだ原稿用紙換算で10枚ちょっとやがな。
 もっとも今回は、凶暑のドス黒さを字面で現そうと、最低限の改行で句読点も僅少だったりするため、ほとんど真っ黒けの10枚である。こまめに割ったら、たちまち2倍程度に膨脹するだろう。でもそれをやってしまうと、なんだかサワヤカな字面になってしまうので、やっぱり10枚。
 今年の夏はドス黒いのである。

 打鍵に詰まると、例の投稿板に逃避。なんじゃやら『白い手』とか『黒い手』とか『赤い手』とか『青い手』とか、お手々祭りが進行中のようだ。近頃めっきりサミしくなったかと思われたあそこにも、まだそんなノリが残っているのだなあ。もはや脳味噌レスポンス最低の狸としては、たとえば『ぐんじょ色の手』とか『なんだかよくわからない色の手』とかで参加したいと思っても、きっと冬になってしまうのだろうなあ。
 でも無言でいるとサミしいので、せいぜい感想を入れてみる。ウスラ爺いのネット依存、どうかご容赦、お若い方々。


08月23日 金  汗流れ 星流れ 時流れ

 本日もサウナでウォーキング。しかも無料。いや、逆有料。すげーぜ倉庫サウナ。

          ◇          ◇

 まあいろいろと憶測や推測が飛び交っているけれど、藤圭子さんの自死には、積極的な意思ではないにせよ、なんらかの形で、作詞家・石坂まさを氏の死去が影を落としていたのではないか。自死の翌日が、石坂氏のお別れ会の予定だったそうだし。同居中だったという若い男性との実質的な生活や、第一線を退いてからの長い数奇な人生はちょっとこっちに置いといて、いや、置いとけないかもしれないけれど、いくらご当人が「もう過去の藤圭子ではない」と主張しても、あのデビュー当時の巨大な隠花植物のごとき異様な底光りを引き出してくれた恩師の死は、藤さんが62歳という老いの入口をきわめて不安定な状態で迎えたとき、なにか退っ引きならない『区切り』を意識させてしまったのではないか。
 いずれにせよ、これでまた昭和の芸能の星が、ひとつ流れ落ちた。

          ◇          ◇

 まさかNHKスペシャルに心霊番組が登場するとは思わなかった。今夜たまたま観た『シリーズ東日本大震災 亡き人との"再会"  〜被災地 三度目の夏に〜』である。地味で粛々とした造りだけに、古来『怪談』の持つ代表的な一側面を、能く顕していたように思う。民放や映画が、こうした市井の平凡な霊魂たちをないがしろにしがちな現在、限りなくカラに近い口座から断腸の思いでNHKに受信料を払い続けるのも、けして無駄ではないのだろう。
 番組中、昨夜打ち始めた短編の脳内映像と、ほぼ同一の映像があったのは、いわゆるシンクロニシティか。その短編は、以前シノプシスだけ起こした震災ネタとは別物なのだが、これはもしや「今回はちゃんと打っとけよ」という白い狸の声か。まあ正直、今夏のダレダレ狸には、ややドス黒く聞こえたりもするのだが、
 明日明後日は連休になったので、せいぜい打ち進めたいと思う。あくまで思うだけである。あとは天然サウナの設定しだい。


08月22日 木  人生変えちゃう夏ですよ

 狸穴に帰ると、新聞受けに今月分の電気料金請求書が放りこまれていた。額面を見てびっくり仰天。狸穴史上初の1万円越えである。
 うあああああああ。

 確かにこのひと月は、夜間から起床までエアコンごんごんの生活を送っていたが、それにしても高い。何年か前、昼間も狸穴で居職をやっていた夏でさえ、7〜8千円ですんでいた。今年の快挙の理由は実に簡単、東電が、寒暖計の目盛りに負けじと、ごんごん料金を上げているのである。そして電気料金という奴は、元来、使えば使うほど割安ならぬ割高になっていくという、摩訶不思議なシステムになっている。
 なんでやねん。
 この温厚な狸に、どうしても世界を呪わせたいか東電。お天道様のせいだけだとは言わせんぞ東電。
 ……などと脳味噌が沸き立つのを抑えるために、今夜もエアコンごんごんの狸。
 もはや泥沼。

 などとぽこぽこ打鍵している隣の部屋で、いつのまにかご来駕あそばされたミケ女王様が、ふだんとは違った声でみゃんみゃん鳴いているので覗きに行ったら……なななんと、座椅子の上で女王様が聖水を!
 ……暑い夏には聖水プレイがお勧めですか女王様……。
 こんな事態も、狸穴では史上初である。

 あー、なんか、もうどうでもいいや。
 ――そんな気分を後世に残すため、真夏の短編を打ち始めました。秋までには打ち終えるでしょう、たぶん。

     


08月20日 火  発酵する狸(すでに腐敗?)

 生きるってクサい。
 ……自分のことです。
 特に夜の帰途は、日中の大量発汗が凝縮され生乾きになり、人間ではないことがバレて捕獲あるいは射殺されるのではないかと、我ながら不安になる。

 さきほどネットに繋いだら、『発言小町』という狸の知らないどこかで、「電車の中で隣の男性が扇子を使うと、汗臭い風が自分の顔にかかり、つい止めるように頼んでしまった。こんな自分は心が狭いのだろうか」、そんな意の発言が賛否両論を呼んでいると、MIXYの話題に上がっていた。「それくらい我慢しろ」から「臭いのだから当然だ」まで、反応は当然ながら様々だ。

 ああっ、すみませんすみません。
 いや、暑がりの狸も、さすがに冷房の効いている車内では扇子を使わないが、ホームではときどき使ってしまう。
 お願いですから鉄砲で撃たないでくださいね、ご清潔な街の皆様。

 ……でもなあ、たとえばある種の雌狸の皆様の、ハヤリのお目々パッチリ黒縁メークなんて、正直、顔に紙袋被って外出してほしいんだけどな、ぼそ。


08月18日 日  怪談三昧

 自主アブレ日。
 昼間っから薄暗い狸穴でごんごんと扇風機の強風を浴びつつ、例の時代劇専門チャンネルの『怪談』シリーズやら、別チャンネルの『地獄』やら、録画物件をひたすら消化する。

 言わずと知れた中川信夫監督の『地獄』(新東宝・昭和35年)は、過去に2度ほど観てとっくに殿堂入りしているが、先週放送分は総討ち死にだった『怪談』シリーズ、今週は一転して佳作が目白押しだった。成田三樹夫さんがニヒルな渡世人ぶりを遺憾なく発揮する股旅怪談『地獄へつづく甲州路』、白木万里さんや扇千景さんといったタイプ違いの熟女たちがきっちりと祟られてくれる『大奥あかずの間』は、あの『マイティジャック』や『魔神バンダー』なども手がけたベテラン職人監督・堀内眞直氏が担当していた。そして期待の中川信夫作品『新選組 呪いの血しぶき』は、中村敦夫さんや古谷一行さんら当時の実力派中堅男優が隊員として顔を揃えた、異色の幕末もの。菅貫太郎さん――知名度は低いかもしれないが、顔や演技は狸世代の邦画ファンなら強固に記憶しているはずの名脇役(ほとんど悪役)――が土方歳三を演じ、他の知名度たっぷりの面々を食いつぶすイキオイで凄愴に殺しまくり、かつ壮絶に祟られる。うんうんうん、これなら祟る側も、さぞ祟り甲斐があろうというものだ。

 とゆーよーなわけで、眼福や脳福(?)はたっぷり味わえたものの――『納涼』だけは、ちっとも味わえないのであった。
 ううむ、畏るべし狂暑。
 やはり日本の夏のお天道様には、いかなる怨霊も抗し難い。明るい昼間のほうが地獄っぽいんだもんなあ。


08月17日 土  敗戦記念日

 ……二日もズレてるぞ狸。

 
中韓の日本批判続く 「憤りを超えて哀れ」
 
15日の安倍政権の閣僚による靖国神社参拝や、全国戦没者追悼式で安倍晋三首相がアジア諸国への加害責任などを明言しなかったことに韓国と中国では16日も引き続き厳しい批判が続いた。ただ、韓国メディアでは、日韓関係の長期停滞を憂慮する声も出始めた。
 韓国の与党セヌリ党の報道官は16日、「日本が見せる極端な右傾化と侵略の歴史を否定し美化する姿はもはや憤りを超えて哀れに思う」と非難。同国メディアは安倍首相が加害責任などを明言しなかったことを「戦犯国の最後の良心すら捨てた」(東亜日報)などと一斉に批判した。
 中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は16日の社説で閣僚の靖国参拝を批判し、「中国は、中日首脳会談を拒否し続け、安倍首相が耐え難いほど焦らせなければならない」「日本を苦しませる手段をもっとつくり出さなければいけない」などと主張した。(共同)【産経新聞 2013/08/16 19:30】


 まあ安倍首相としては、あっちやこっちでその程度のバランスを取らなければ、国内外のそっちやこっちへの義理を果たせなかったのだろうが、それに対して過剰反応を延々と続行するのは、中韓のメディアだけ(まあ日本の左側もソノ気はあるが)だろうと想像する。今まで煽りに煽ってきた国民の期待を、今さら裏切るわけにはいかない。
 しかし「怒りを越えて哀れに思う」「耐え難いほど焦らせなければならない」「苦しませる手段をもっとつくり出さなければいけない」などというのは、国際政治に限らず町内会の内紛等で、とりあえず万策尽きた強行派が発しがちな言葉である。いかに強行派でも、正気である限り、駆け引きを越えた言動は避けねばならない。うっかり「ぶっ殺せ」と叫んだ瞬間から、公的には愚連隊の街宣車と同じ扱いになってしまうと悟っている。中韓ともに政治中枢のお偉方は、今さらまた日本がどーっと侵略してくるなどとは微塵も思っていない(煽られた国民の中のすなおな方々は思っているかも知れないが)わけで、といってあちらから宣戦布告する可能性も、それこそ盲目的な軍事クーデターでも起こらない限り有り得ないだろう。今どきの『先進国家』は、必要な戦費が世界経済の中に拡散している。世界最大の軍事国家アメリカさえ、すでに蓄えのある核兵器でも使って地球ごと滅びる覚悟でなければ、他の先進国相手の全面戦争など不可能だろう。
 てなわけで、国際政治であれ町内会の内紛であれ、胴間声で恫喝しながら地団駄を踏み続けるよりは、瞑目して「……もはや怒りを越えて哀れである」と頭を垂れ合い、恰好つけてたほうが、お互いに楽だ。万一、相手が「何様だあ!!」などとトチ狂って包丁でも振りまわしてくれたら、「おやめなさい! 話せば解る!」と真摯に諫めつつ、ついうっかり、煮たった天ぷら油でもぶっかけてやればいい。
 つまり、お互い常日頃から、お座敷天ぷらの準備だけは、しといたほうがいいのね。

          ◇          ◇

 狸だって、戦争はきらいだ。優しい方々の平和への祈りに、謹んで耳を傾けたい。
 ……しかしなあ。
 戦争映画のドンパチにもヤクザ映画の殺り合いにもお侍さんの斬り合いにも、なぜだか燃えてしまうのよ、どーしても。
 ここを覗いていらっしゃる推定数人の方々も、おそらく過半数が「うおうりゃあああ! やっちやえやっちゃえ!」などと、燃えてしまうはずだ。また男性であれば、「いいじゃないですか奥さん減るもんじゃなし」「ふっふっふ、ウブなねんねじゃあるまいし」「ああこの可憐に震える花の蕾を強引に散らすのがたまらん」、そんな一般対象HPでは詳述できない状況で、心ならずも元気に起立してしまう息子さんをお持ちのはずだ。

 つまり平和とは、自分と闘い続けることなのだな。


08月15日 木  ぷかぷか

 ぷかぷか。

 宮崎駿監督の『風立ちぬ』は未見だが(ビンボなので100円レンタル待ち)、なんじゃやら喫煙シーンがやたら多いとかで、巷の一部で物議を醸しているそうだ。結核の妻と喫煙しながら同室しているシーンもあるらしい。
 あるでしょう、そりゃ。当時の社会だったら。 

 ぷかぷか。

 だいたい、今どきハリウッドの娯楽映画だって喫煙シーンはない、などともっともらしく言う嫌煙者もいるが、あれはあくまで『商売第一の絵空事』だからの話だ。そうした商売物では、たとえば過去の黒人奴隷問題だって、きれいさっぱり無かったことになっている。西部劇で黒人ヒーローが大活躍したりもする。

 ぷかぷか。

 子供が真似をすると困る、そんな理由で、過去を描く映画の中でも絶対禁煙と言うのなら、子供が真似をするともっと困る自殺や暴力や殺人などは、どうか。自殺や暴力や殺人を肯定的に描いた映画など、いくらもある。殺人者より喫煙者のほうが有害だとでも言うのか。

 ぷかぷか。

 現在の喫煙者を白い目で見るのは、嫌煙者の自由だ。狸だって、自殺や暴力や殺人は好かない。
 しかし昔から、あるものはあった。あってほしくなかったことも、あってほしいことと同じくらいの頻度で、あった。あったものは、あったのである。

 ぷかぷか。

     


08月13日 火  狂暑と怨霊

 おう、ついに四万十あたりで日本最高気温更新! おめでとうございます! 四万十の住人の方々も「なにがめでたいんだこの畜生野郎」というような精神的余裕はとうに振り切って「ああ、なんか、もーどーでもいいや」になったり、「やったぜ四万十最高! 日本一上等!」などと自暴自棄で叫んでいると思われますが、くれぐれも茹だって死なないでくださいね、いやマジで。

 ちなみに狸がこの夏に働いている3か所ほどの現場では、しっかり冷房が効いたり、なんとか死なない程度に冷房が効いていたりもしますが、いっさい冷房を入れない楽●の通販の下請け現場はさすがにとんでもねー状態になっており、今月に入って若者男女計3名ほど、死なない程度にぶっ倒れております。さすが一流企業の下請けは根性が違うぜ。なんて、どこも上場企業の下請けあるいは孫請けなんですけどね、奴隷の扱いは各社各様なわけで。しかし、とんでもねー現場ほど時給がいいのも確かで、まあその差額が冷房代、そう割り切るしかないのでしょう。
 狸はヨレヨレですが倒れません。何年かぶりに「こんなに大量の汗をかくイキモノを見るのは生まれて初めてだ」と他の方々に褒められつつ、水道水を詰めたペットボトルを伴侶に、なんとか小動物なりの仕事をこなしております。

 成長期を山形で過ごした小動物は、暑さにも寒さにも強いのである。毎年ここに記しているような気もするが、観測史上、2007年に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市が40.9度を記録するまでの74年間は、狸の故郷・山形が1933年に記録した40.8度、それが公式な日本最高気温だった。地球温暖化もヒートアイランド現象も無縁な、昭和8年の記録である。

 もっとも――たとえば数日間炎天に晒された倉庫内なんてのは、なんぼでも40度を越えているのだろうなあ。あえて寒暖計など置かないのは、精神衛生上の措置だったりして。なまねこなまねこ。

          ◇          ◇

 で、『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』である。
 いやあ、怖かった。ここまで深く恐怖できる映画だとは思わなかった。
 オーソドックスな純英国怪談映画としても、ほぼ100点満点だが、要所要所に控え目ながらJホラー流のブキミ&ショッキング演出を加味して、洋邦怪談のいいとこどりになっている。狸はハリポタを一本も観ていないので、ダニエル・ラドクリフの子役時代はちっとも知らないが、今回の悩める英国紳士っぷりは、若さに似合わず実に自然であった。やっぱり怪談映画は、祟る側と祟られる側の、静かなるガチンコで怖さが決まる。
 以下はネタバレになるので、一部を反転。

 ラストのドンデンに、巷では賛否両論あるようだが、それはハッピーエンドともバッドエンドともつかぬ、重層的な展開だったからだろう。さらに、ラストカットでアップになる黒衣の幽霊の表情が、いくつもの相反する意味を感じさせてしまうため、途惑った観客も多いに違いない。
祟り殺したはずの主人公一家が結局は幸せに成仏(昇天?)することへの、救われようのない憧憬(つまり善意寄りの視線)であるのか、それとも救われようのない嫉妬(つまり悪意寄りの視線)であるのか。その祟りの結果に、幽霊自身は納得したのか失望したのか。実は狸にも、その表情の真の意味はつかめなかった。それもまた監督の意図、重層的な心理描写なのかもしれない。ただ、どちらにしても、あのときのあの幽霊ほど哀切な幽霊を、狸は近頃知らない。
 そしてさらに最後の最後――
成仏する一家を見守っていた幽霊が、ふと視線をずらし、カメラ(つまり観客の目)を見据えたときの怖さは、直前の表情の解釈から離れて、同じひとつの怖さになる。――「傍観は許さない。世間の傍観を永遠に怨む」――いや、実際、背筋がゾクリとした。

 しかしこの映画にJホラーの影響がなかったら、良質な純英国怪談映画の一本として終わり、ここまでの恐怖は生じなかっただろう。
 Jホラーはどうのこうのと不満を言いつつ、世界のホラー映画史上に恐怖の進化をもたらしたという意味で、狸も貞子さんや伽椰子さんに、深々と頭を垂れたい。
 こんど、真夜中に、お風呂でもごいっしょしませんか。おふたりいっしょだったりすると、すごく嬉しいなあ。


08月11日 日  心頭滅却すれば信楽焼の狸

 今月分の電気料金請求額が今から空恐ろしい今日この頃皆様方におかれましてはいかがお過ごしのことでございましょうや否や。

 セコい窓用エアコンを最強にしっぱなしでかろうじて正気を保つのが可能な狸穴ではあるが、エアコンはパソ部屋兼寝床部屋に1台しかなく、それ以外の空間は、ここ数日常に30度以上を保っている。建物全体が保温状態にあるため、夜間に風を通しても30度は下回らない。
 あー、なんか、なにもかも、もうどうでもいいや。
 ……などと捨て鉢になるのは、あくまで自分を含めたこの世界のすべてを嫌悪しないための、積極的な手段である。
 まずは形だ。
 全人類が、ぶよんとしてしまりのない裸姿になり、酒徳利を手に円らなお目々を宙にさまよわせていれば、そこはきっと楽園である
 にこにこ、にこにこ。
 ……どのみちいかなる生物もいずれは種の終焉を迎えるのだから、額に青筋立てて進化進化と叫びながら滅ぼし合うより、ごにょごにょと馴れ合いながら万策尽きて、「……やっぱり人類、ここまでですか」「……ま、世の中こんなもんでしょう」、そんな終焉を迎えたほうが、次の『なにか』のためには良心的な気がする。
 まあそれほど巨視的な視座に立たなくとも、この狂暑の中であいもかわらずネガティブ・キャンペーンに奔走する情報過多社会に身を晒しているよりは、等身大の瀬戸物の狸に化けて、安発泡酒をちびちびやっているほうが平和である。
 少なくとも狸穴の中だけは。

          ◇          ◇

 ……などと言いつつ、駅から遠くて客入りの悪いほうのツタヤから、準新作も1週間100円のメールが届いていたので、大汗を垂れ流しながら進軍した。『エクスペンダブルズ2』『ダーク・シャドウ』『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』。以上、さほど古くない3本で、300円ポッキリ。
 スタローンとお仲間たちは、前回に変わらず、ひたすら陽気に殺りまくっていた。前回のA級予算をさらに増やしても、絶対にB級の域を出ない能天気シナリオが、とってもラブリー。間違いなく死に値する悪い奴らを、大量に、それはもー力いっぱい、木っ端微塵にバラしてくれる。文字どおり、ぶっちんぶっちんとバラけるのである。精神衛生上、とてもよろしい。
 ティム・バートンは、このところの一般ウケ路線をかなぐり捨てたかのように、個人的趣味を全開している。古いテレビ・ドラマの映画化らしいが、ビジュアルもストーリー展開も、全編くまなくバートンらしいブラック・ユーモアと美しい歪みに覆われている。久々に、所有したい新作ゴシック・ホラー、良質のバンパイア映画に出会えた。バートンという方は、仮想世界観の造り込み能力において、今世紀最高の水準にあるのではないか。キャメロンもルーカスも敵ではない。
 そして、あのイギリスのハマー・プロが手がけたという、古式ゆかしきゴシック・ホラー(たぶん)は――くたびれたので、後日へ。

 だいたい、扇風機ごんごん浴びっぱなしでも、ちょっと動くと、すぐ汗まみれになるのである。
 あとはもう、何も考えまい。
 信楽焼だ信楽焼。


08月10日 土  怨霊萌え

 ぐみゅみゅみゅみゅう、うあづづづづういおおおおう。ぽたぽた、ぽたぽた……。
 ……生きながらカビそうだ。
 今年の夏は、湾岸から一度も富士を見ていない。スカイツリーすら、霞んで見えない日が多い。上空は晴れているのである。しかし湿気のせいだか大気汚染のせいだか、まるで下界は、やや黄色を帯びたトロミのある温製スープに浸っているようだ。
『惨暑』を越えた段階だと『凶暑』、そして最後は『狂暑』かな、などと、頭から膝までぐっしょり濡らしながら、トロけたような脳味噌の中で緩慢に模索したりする。で、こーゆー時に限って、仕事場には冷房も冷水器もなく、自前のヌルみきったペットボトルだけが頼りだったりするのね。

          ◇          ◇

 明日は自主アブレ日なので、帰途、古本屋や新古本店を、ゆっくり漁る。
 時節柄なのか『超・怖い話』シリーズの文庫本が、いくつも放出されていた。あのシリーズも、昨今の実話怪談ブームでずいぶん続投が続いたが、安藤君平氏名義による一冊目が出たのは、もう20年以上も昔、確か平成3年の初夏だった。『新・耳・袋』(まだシリーズになるまえの単発)は、その前年だったか。いずれも当時としては実にユニークな、オチや因縁をすっとばしたシュールな実話形式が、すこぶる新鮮だった。思えば稲川淳二さんが最初の怪談テープ(CDに非ず)を発売したのは昭和63年。あれが今日の、実話怪談隆盛の礎だったのだろう。
 自慢する訳ではないが、ネット情報もなんにもなかった当時、それらのいずれもを発売と同時に書店やレコード店の奥の棚から見つけ出した狸は、怪談おたくとして、なかなか最先端だったといってよいのではないか。いや、安藤君平さんあたりはゲームがらみで名が売れていたから、もう書店の平積みになっていたか。しかし『新・耳・袋』などは、それこそ無名も無名、書店の片隅のカルトなあたりに、1冊並んでいれば上等だったのである。
 当時の狸は、それらから十二分に夏の涼を得つつ、『オチも伏線もいらないショート・ホラー』という形式には、「こりゃ下手すると、あっという間にこの手の話の洪水になって、身も蓋もない刺激的な一発芸だけが世間に溢れてしまうのではないか」などと危惧したものだが、まあ世の中、そのとおりになってしまった。稲川淳二御大だけは、いっときその流れに溺れそうになりながら、やがてまた語りの正道に戻り、現在に至っている。

          ◇          ◇

 ケーブルテレビの、時代劇専門チャンネルの『怪談』シリーズが、ちっとも涼しくない。昭和の古い夏限定テレビ・シリーズで、山形では放送されなかったらしく、子供の頃から怪談野郎だった狸もまだ観ておらず楽しみにしていたのだが、もしかしたらあまりの出来の悪さに、山形放送や山形テレビでも買い付けなかったのだろうか。実際そうかもしれない。『日本名作怪談劇場』『日本怪談劇場』『怪奇十三夜』――系列局に関わらず、たいがいの怪談シリーズ物は、民放たった2局の山形(当時)でも、昼間や深夜の穴埋め枠できちんと流れていたのだから。どれも1時間枠の低予算ドラマ・シリーズ(実質50分弱の短尺)だが、3本に1本くらいは、中川信夫監督ら映画畑の叩き上げ名職人が登場し、低予算を逆手にとって、意外な手腕を見せてくれたものだ。
 しかし今回の『怪談』シリーズとやら、今週分の5本は、全部ハズレであった。古典怪談において、幽霊の次に、いや、場合よっては幽霊よりも重要な『祟られる側』の造型が、ただ欲深いだけのアホというか、スカポンタンばかりなのである。役者は昭和の実力派が揃っているのだから、明らかにシナリオと演出のミスである。こんなん祟り殺したって、ちっとも凄くないぞ幽霊。
 しかしまあ、検索によると次週は中川監督の『怪談 新選組呪いの血しぶき』とやらが控えているようなので、一縷の望みは繋げそうだ。

 ご存知のむきもあろうが、狸は、貞子や伽椰子系の無差別攻撃ホラーが、あまり好きではない。あの怖さは、往来で無差別に刃物を振りまわすシャブ中や前頭葉異常者と同じ怖さである。観客は、なんの落ち度もなく祟り殺される被害者の視線に立ち、その理不尽な状況から、恐怖のみならず、無意識の『癒し』を得ているはずだ。自分には祟られるような落ち度などなく、ただ相手がキ●ガ●だから殺されてしまうのであって、怖いのはみんな『あっち』のせいである――。
 ……そうかな?
 田宮伊右衛門、萩原新三郎、青山播磨――憎悪であれ執着であれ過失であれ、古来、祟られる側やその取り巻き連中たちが抱いていた同じ情動――憎悪や執着や過ちに充ち満ちた『猥雑な関係性』としての現世――それらに対し、彼岸からズブドロのガチンコで『純な関係性』をぶっこんで来るのが、お岩さんでありお露さんであり、お菊さんである。
『こっち』の心奥、人間性の肺腑まで抉りつつ、なお一途な関係を強いてくるような怨霊に、狸は油照りの盛夏などものともしない、漆黒の『萌え』を見るのだ。
 ……って、それって、ただの黴の生えたオヤジか?


08月07日 水  日々これ発汗

 ……生きるってカユい。

          ◇          ◇

 なんかもう今年の夏は湿気が多すぎて、大滝詠一さんや山下達郎さんくらいでは、防汗にもカユミ止めにならんのですな。
 こうした夏は、もう、この方しかあるまい。

     


08月04日 日  消火訓練

 滋賀県の田舎で、消火訓練の準備中に発火したアルコールが飛散し、重軽傷者が出てしまったというニュースに接し、特に全身火傷で重傷3人の内の2人が小学1年と2年の女児と知り、暗澹たる気分になった。傷痕が残らねばいいが。快癒を天に祈るのみ。無論、残りの重傷者、アルコール瓶を引火爆発させてしまった中年の消防団員男性にも同情するが、この陽気でただでさえヤバい可燃物を、不用意に扱ってしまった過失は否めない。

 狸も一応は店舗防火管理者の免状を持っているので、消防署でひととおりのレクチャーを受けている。ただ、その際にも、オイルパンやアルコールを扱ったのは、あくまで消防署員の方だった。あちこちの勤務店舗でたびたび行われた消防訓練の際も同様。つまり、その程度の免状を持っていても、消火器や消火設備や避難設備や通報装置の扱いを知っているだけで、訓練用オイルパンの取扱に関しては、ちっとも知らないのである。
 で、ここで問題になるのが、地域の『消防団』や『消防団員』の方々。あの方々は消防署員ではない。自治体によって実態は様々だが、ほとんど一般市民のボランティアである。今回重傷を負った男性団員さんにしても、定期的に消火訓練を繰り返したベテランであり、同時に良識ある市民でもあったのだろうが、推定30度Cを越えたアルコール瓶の中身を燃焼中のオイルパンに注ぐという行為において、ベテランであったとはとうてい思えない。
 結論。ただでさえザルっぽい消防法が、そのろりっこたちを犠牲にしてしまったのだ。即刻の改正が必要である。自ポ法の非実在児童適用などと、脳味噌のトロけたような世迷い言を胴間声で訴えるより、救える実在児童がはるかに増える。

          ◇          ◇

 アブレ日。
 目覚めれば午後4時。12時間近く寝た勘定だが、それでもまだ眠い。眠りすぎたための気怠さではなく、純粋に寝足りない感覚である。
 できれば死ぬまで眠っていたいが、買い物と洗濯くらいは済ませないと、明日からの人生を無事に続け難い。
 どこかに眠りながらできる仕事はないか。


08月03日 土  アカイ アカイ アサヒ ト ハナビ

 麻生副総理が世界史に疎すぎるという事実は、ちょっとこっちに置いといて――いや、天下の副総理がそーゆーレベルであることは十二分に問題なのだが、ここではやっぱりとりあえずちょっとちょっとこっちに置いといて――今回の国際的大舌禍騒動『ナチス礼賛国家日本!』の火付け役は、案の定、あの朝日新聞なのであった。なまねこなまねこ。

 いや正味の話、ここ数年の朝日新聞、目に見えて赤旗ビンビンだった。まあ昔からそのケが濃厚だったわけだし、そこがまた楽しいツッコミ甲斐にも繋がっていたのだが、特に今回自民党政権が復活してからは、エラいイキオイで左傾の坂を転がり落ちている。看板の『天声人語』などではあくまで中庸を装っているが、政治や国際欄は、民主党も北朝鮮ももはや擁護できる状況ではない反動か、さながら無政府主義の熱さ。「自民党など日本もろとも滅びてしまえ!」、そんな声が、行間からはっきりと聞こえてくる。
 まあ現在、朝日新聞に限らず、マスコミの大部分にそのケがムンムンなのだけれど、どうで『煽ってナンボ』『儲かってナンボ』の現代史上に生きる我々小動物としては、自虐にしろ他虐にしろ、脳味噌保冷のために自助努力するしかありませんね。

          ◇          ◇

 仕事が夕方早々に終わったので、帰途、だらだらと江戸川を遡上、花火大会の開始に間に合った。先週、開始後まもなく突然の大豪雨に見舞われてしまった隅田川関係の方々には申し訳ないが、今夜は晴天のわりに暑すぎず、そこそこの風が吹き、すこぶる快適な見物環境であった。
 去年同様、川面の屋形船は少なく、景気回復はまだまだの感があるが、河川敷や土手には、老若男女がもうノリノリでひしめき、たかちゃん系の幼児などは、昂奮してアドリブ舞踏を踊りまくっている。とてもかわいい。また明らかに朝鮮語と思われる歓声もあちこちから聞こえ、やはりマスコミが煽るほど、彼の国もひとり残らずアレではないのだろうと推測される。
 花火自体は、どでかい一発物よりも、小技の効いたアイデア物件がまとめてどどどどどどどと満艦飾に乱舞するシークエンスが大ウケだった。狸にはピンとこない小粒の芸能集団ABC69(ちょっとちがうか)とかも、若者にとっては、楽しい花火大会みたいなものなのでしょうね。

 近頃めっきり老化した狸は、立ちっぱなしの見物に疲れてしまい、途中で狸穴に這い戻ったのだが、出しっぱなしだった洗濯物を取りこもうと、まだ花火の音が聞こえるベランダに出て、びっくり仰天。ご近所の屋根屋根の上に、でっけー花火が丸ごときれいに開いていた。つまり、去年まで存在した障害物(推定老朽マンションあたり)が、たまたま不景気で駐車場になるかどうかして、花火打ち上げ現場の江戸川上空を、たった二階の狸穴からも直視できるようになってしまったのである。
 それが最後の大輪だったらしく、あわててデジカメを持ち出したあとは、シメの低空物件の上端しか覗けなかったが、それにしても、まさか自宅のベランダから、尺玉が拝める日が来ようとは。おまけに、比較対象のご近所家屋が間近にあるため、屋上に上がって見るよりも、さらにどでかく感じられる。
 もうマンション建つな。不景気よ続け。

      

      

 ――いや、すみませんすみません。景気も時給も花火のように上がってください。
 しかし、せめて来年の八月第一週までは、花火の見える狸穴でありたいものである。


08月01日 木  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」

 たかこ 「んでも、おもてのだしものは、こんげつも、ちゃあんとかわってるよー!」
 くにこ 「まあ、ちゅーぶるのやつを、ちょっといじっただけだがなあ」
 ゆうこ 「……くすん、くすん」
 くにこ 「なくんじゃあない、ゆうこ。にんげんもたぬきも、いきていること自体に意味があるのだ。いきてさえいれば、ちゃあんと、いきているじゃあないか」
 ゆうこ 「こっくし!」
 くにこ 「……あのなあ、ゆうこ。おまいは、もうちょっと、他人をうたがったほうが、いいぞ」
 ゆうこ 「?」
 たかこ 「はっはっは」