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11月30日 土  粋な別れにしようぜ

 アブレ日。

 まだチヨコと遊び続け、いや、別れ続けていた。例の物件の最終章をいじくっていたのである。
 別れるために3ヶ月も打ち続けていたのだから、やっぱり初投稿時のような浅いサヨナラでは、違うと思ってしまったわけである。天野様のおっしゃったように、内心は未練ズブドロなのである。しかし前半部のような退嬰感拘泥感を、あえて吹っ切るための後半戦でもあるわけで、情景描写を含め、ほんの数行を増やすにとどめる。
 それだけのために半日あーでもねーこーでもねーとテキストをいじくる自分が、とてもアホらしく、いじらしい。

          ◇          ◇

 例の狸穴付近路上未練殺人の容疑者は、以前にも市内の路上で「別れたくないよう別れたくないよう」と泣き叫んだりしていたらしい。
 愛する相手を殺して独占するという行為は、殺される側としても周囲の社会としてもたまったものではないわけだが、例の三鷹ストーカー殺人のように、自分を振った相手を社会的にも貶めて復讐してやろうというような鼻持ちならない自己弁護が感じられない点で、やはりナマで率直な人間の愛憎を感じる。
 今日も買い物の途中で現場を通ったが、無論そうした事件の痕跡などは、路上にも、行き交う人々の雰囲気にも、いっさい残っていない。
 この街は雑駁ではあるが、そう歪んではいない気がする。喧しい街宣車も、近頃はあまり見かけなくなった。
 残る気がかりは、東映Vシネマのヤンキーのごとくブチ切れる後期高齢者が、あいかわらず散見されることくらいか。確かに孤独な老人は、とても多い。狸穴のある建物も、独居老人だらけである。
 まあ狸もそのうちそうなる勘定だが、ブチ切れる前に、事切れる予定です。


11月28日 木  事件

 思えば18歳で故郷を離れて以来、同じ街に10年近く住んだのは、現在の狸穴が初めてなのである。
 そして、毎日のように歩いている路上で人が殺されたのも、今回が初めてである。
 容疑者は八丈島で逮捕されたそうだが、とすれば竹芝桟橋までの逃走ルートはほとんど狸の知っている鉄道路線か道路であり、ますますもって事件が身近に感じられる。
 先だっての三鷹の事件とは違い、どうやら昔ながらの『痴情の縺れ』による犯行らしいのも、いかにも猥雑なこの街らしい気がする。市名と同じ駅名の隣駅近辺は、閑静な文教地区の風情なのだが、たったひと駅離れただけで、狸穴近辺は実に人心が生々しい。
 もっともこれまで、どの土地に行っても、住んでいる間に、市内で殺人事件のひとつやふたつは起こっていた。

 いろいろありゃいいってもんでもないさ、にんげんだもの。


11月26日 火  和気藹々

 さて、本日の現場でも、中国からの出稼ぎの方と、何事もなく和気藹々といっしょに働いたわけである。倉庫の中には尖閣諸島がない。
 お上の方々や兵隊さんと違って、どこの国でも、ほとんどの市民は戦争で飯が食えない。死ねるだけである。

 ところで中国共産党、噂どおり断末魔状態なのだろうか。実際、狸にも「もーどーしたらいいのかわかんないんで、とりあえず全方向で居直ります」状態に見えるのだが。
 ただ、出稼ぎの方々を見ていると、「別に支配階級がどうなろうと、こっちはこっちで現実的に要領よく動くだけ」といった印象で、反日教育とかの気配は、ちっとも感じられない。在日の方々とは違い、あくまであっちの家族に楽をさせてやるために主にこっちで働く、純中国人の方々である。ここいらが大中国の大中国たる由縁、上が王朝だろうが共産党だろうが民は民、ホンマモンの個人主義というやつか。
 いつぞやの、大怪我をして路上で横たわっている幼女の横を通行人がガン無視で通過する動画なども、「他人の子より自分の子」、ただそれだけのことなのかもしれない。「進め一億火の玉だ!」のテンション民族・日本人としては、確かに薄情に感じられてしまうのだが、生物学的に突き放して見れば、どっちも種の保存の一形態にすぎないわけで。

          ◇          ◇

『特定秘密保護法案』、なぜマスコミのみがキ●ガイのように大反対して、一般国民がちっとも躍らないのか――ようやく一般国民も、マスコミの正体を冷静に分析できるようになってきたのだろう。
 あの民主党政権時代の『報道』にウンザリして以降、日本国民は確実に、民間の『報道』という奴がいかに自己保身のみに汲々としながら利潤ばかり追い求め、益体もない煽り合戦を続けてきたか、思い知ったはずである。何を報道し何を報道しないか、自分の懐都合で好き勝手に取捨選択する奴らにしてみれば、ネタ元の口が硬くなるのは、営業上、甚だ不都合なわけである。
 これで日本も、国家機密のダダ漏れ状態がなんぼか引き締まり、『スパイ天国』という国際的な物笑いを、少しは緩和できるだろう。


11月24日 日  たれる

 本日は終日、たれぱんだのように弛緩して過ごす。
 ああ、連休は、いい。

          ◇          ◇

 管理人さんが早朝からお出かけということで、昼から晩と、晩猫たちの餌の面倒を見る。
 冬場の猫は、良く食べる。夏場には、このまま痩せたら2匹揃ってツィギー化する(古い!)かと思われたミケ女王様とブチ下僕が、今はもうでっぷりと脂肪を蓄え、腹なんぞ狸と大差なく脹らんでいる。外飼いの冬を、その脂肪で乗りきるわけで、環境に合わせて本能のままに縮んだり脹らんだりする様を見ていると、やはり猫は野生動物なのだなあ、と感心する。

          ◇          ◇

 結局、市長選挙は共産党の人に、市議は元JAXAの方に投票する。
 どちらも保守系の現職を打ち負かす見込みは薄いが、どちらもタイプ違いにファンタジックではある。

          ◇          ◇

 ケーブルで予約録画していた特番『マイティジャックのすべて』を観たら、満田監督やら佐川特技監督やら錚々たるゲストが出ているのに、どこかの貸しスタジオでシロウトが録ったようなひどい音声で、おまけに司会役がAKB48だかABC69だか、ペラペラでテカテカの安っぽいMJ隊員コスプレをした、ろくに舌も回らない小娘なのであった。ファンの方々には申し訳ないが、あんな小娘を世間中で甘やかしていると、国家の品格を貶めるのではないか。
 思わずチャンネルNECOに安全カミソリを送りつけたくなったが、まあ今後、全作ロハで見せてくれるのだから、ここは我慢。
 ロハを前に、品格は無力なのである。
 ああ、貧民は哀しい。

          ◇          ◇

 で、狸がぼーっとしている間に、ついに中国軍は我が国に対して事実上の宣戦布告をカマしてきたようだ。
 まあ、今までもさんざん軍事レベルの領海侵犯とか、海保や海自相手にロックオンとかカマし続けたのに、ちっとも日本側が反応してくれないので、「どうだ! これならもうシカトしてらんないだろう!」と防空識別圏設定に踏み切ったのだろうが、日本は相変わらずぼーっとしており、さすがに戦争に慣れたアメリカあたりが「おいおい、マジかよ! マジ、ヤル気かよ!」と顔色を変えているわけである。
 さて、今回、きっちり日本は侵略される側に回ってしまったのだが、安倍さん、どうしましょう。乞うご期待。

 ……無責任のようだが、もう一国民レベルじゃ、どうしようもないもんね。あっちの国民も、どこまで上のやってることを解っているやら。


11月23日 土  勤労感謝の日

 ということで、世間様なみの2連休にしてしまった。
 本来、そんな悠長な懐具合ではないし、感謝してくれる人もいない(とゆーか、もう恍惚の世界にいる)のだが、勤労してる自分に自分で感謝しても別にいいよな、うん。

          ◇          ◇

 例によって午後遅くまで仮死状態、3時過ぎに起き出して例によって図書館に向かうと、街角で、明日の市長選や市議補欠選の演説をやっているのに遭遇し、ちょっと困ってしまった。
 今回の市長選は、前回の知事選同様、どこをどーやっても保守系の現職市長以外、決まりようのない状況である。まあ狸もそっちに投票するしかあるまいと思っていた。
 ところがですねえ、なんじゃやらその現職さんの応援団が、交差点の一角を借り切るみたいな形で、応援演説大会(?)をやっているのに遭遇してしまったのですよ。この場合、何を演説しているかは、もはや問題ではないのですね。たとえ短時間でも、4方向からの歩行者の通行を遮断した上で、上機嫌に演説大会をやってしまうという神経、それが理解できない。もちろん交通整理が出ているわけではないから、歩行者としては、応援演説をしている当人の目と鼻の先を知らんぷりして行き来すぎてもかまわないわけだが、ふつうの神経でできるか、それ。少なくとも狸にはできません。
 結局その場を迂回するため、本来待たなくてもいい信号を、2度待つことになった。
 ……そうまでして狸の票を共産党に入れさせたいか、自民党公明党。マジに困ったぞ。

          ◇          ◇

 野薔薇物件が思ったより好評で、N村様がここのゲストブックに残して下さった『無意識の土の中からひとつの幻想をそのまま形として掘り出したみたいな』という表現に、改めて「なるほどなあ」と、こくこくうなずいたりしている狸。
 ふつう、狸の創作上の思考過程は、『漠然とした全体像』→『キャラ』→『着地点』→『発端』→『打鍵開始』→『なんかいろいろ中間部』、おおむねそんな順番なのだけれど、今回は『発端=打鍵開始=キャラ』→『なんかいろいろ中間部』→『着地点』→『漠然とした全体像』、そんなリアルタイムの順番になってしまっている。ぶっちゃけ、ほとんど行き当たりばったりということなのだが、いざ出来上がったものを恐る恐る自分で精査してみると、ほとんど無意識に入れこんだ『なんかいろいろ』が、なんじゃやら奇妙なまでに矛盾なく、着地点に向かって作用している。まあ、成り行きに従ったのだから当然と言えば当然とはいえ、やっぱり無意識って、本質なのですね。
 いやもちろん、全体を整合させようと初めから意識していた趣向もあるのだが、その趣向自体、いつものような、物語全体のかっちりした楔としては打ち込まず、あちら任せに動いてもらっているわけで。
 あえて『化かす相手』を意識せず、チヨコと『俺』のためだけに化けたのが、幸いしたのかもしれない。

 しかし今回は、メインルートを想定しないで打っていただけに、打鍵過程で「いやいやそっちじゃない」とボツにした、いわば『選ばなかった選択肢』が、けっこう多い。中にはバッドエンドのみならず、『俺』まで山から下りずに引き籠もりハッピーエンドとか、チヨコブチ切れ大笑いハチャメチャルートとか、公園改装エンドとか、読者サービス的な意味では、かなり使えそうなベクトルのボツ選択肢もある。
 もしかして、こんなふうに行き当たりばったりで全方向に話を進めると、マルチ・エンディングのノベル・ゲームができたりするのかもしれません。


11月19日 火  ……ほっ

 えーと、上のタイトルは、安堵の吐息でございます。
 土曜日の夜に例の野薔薇物件を某投稿板にアップし、それからその表示画面を極力客観的に追いながら細部に修正をほどこし日曜早朝に更新、しかしなにぶん長くてクドい話だから感想をいただくまで一週間はかかると覚悟していたら、もう、ご感想を3名様からいただいてしまった。それも充分楽しんでいただけたようで、今回いつもの『お客様第一』を意識した語りではなく『自分の勝手気まま』を最優先にしてしまった狸としては、望外の喜びである。
 ありがたいのは、自分でも意識していた自分らしくない構造上の片輪っぷり、おっといけねー差別語だ、構造上のアンバランスをしっかり把握していただいた上で、それでも全体的には心を打たれたとのご感想、感謝感激雨霰、歓喜の腹鼓ぽんぽこぽこぽこ。
 皆様のご感想を参考に、ちょこちょこ手入れしつつある今日この頃の狸でございます。

          ◇          ◇

 さて、一年以上ほったらかしになっている星猫物件も、そろそろ最終章にとりかからねばなあ。
 などと言いつつ、そのために半年以上も前に図書館で借りてきた資料本の内容を、きれいさっぱり失念してしまっているアルツ気味の狸。

 ああ、シャブがほしい。
 アブレた日にいっぺん打つだけでいいの。
 週に一日、トぶだけでいいの。
 それなら中毒なんぞ、するはずないでしょう。
 世間では末端価格何億円の密輸とかなんとか大騒ぎしているが、単にヤクザ屋さんしか扱ってないから何億円になるだけで、あんなもん2キロ、せいぜい原価は何万円でしょう。

 ……まあ、一本何千円で薬局に並べてくれる日がきても、正直キツい今の狸なので、たぶん一生、自前の脳内麻薬に頼るしかないんでしょうけどね。


11月16日 土  いじわるばあさん

 アブレ日。

 今も人気の高い『サザエさん』の陰に隠れて、近頃は話題に上ることも少なくなった長谷川町子先生の『いじわるばあさん』の文庫版1と2を、古本屋の100均で見つけ、喜々として購入した。昭和41年から46年まで、週刊誌に連載された作品である。狸が姉妹社版の単行本を愛読したのは、中学から高校にかけてだったから、連載終了直後から読み始めたわけで、まあ、ほぼリアルタイムに大笑いしていたと言っていいだろう。
 爾来四十余年、再読してびっくり仰天。当時はなんの抵抗もなく笑い転げた意地悪の多くが、「……こりゃ今だとストーカー法で逮捕されるな」とか「……今これやったらネットで吊し上げ喰らうな」とか、そぞろ、いじわるばあさんの身を案じてしまうような過激行為ばかりなのである。つまり、今となっては怖くて笑えないギャグが過半数。
 理由は明白だ。当時、現実にそんなことを言ったりやったりしたら言語同断な本音の発露を、代わりに漫画空間でいじわるばあさんがやってくれるからこそ痛快至極の大笑いだったのが、平成の今は現実の人々によって、現実の空間で平然と実行されてしまうからである。
 昨今ギャグの多くが、脱力的な共感や、異様なシュール方向に逃げざるをえないのは、それだけ現実そのもののが、笑い飛ばしにくくなっているからなんでしょうねえ。
 仮想空間のいじわるばあさんをマジに取り締まろうなどというウスラバカの病巣は、すなわち現実のストーカーをはびこらせる社会の病巣なのだ。

          ◇          ◇

 おう、またリア不充親爺の、いつもの愚痴になってしまった。
 でもまったく懲りずに、いつもの愚痴のカタマリのような話を、そろそろどこぞにアップしようとしている困った狸です。


11月12日 火  雑想

 ひと頃、ダイエーの木曜の市などでよく購入した100円ポッキリの成形ステーキ肉、近頃見かけなくなって寂しい思いをしていたら、どうやら中流や上流の方々の外食に、こっそり回っていたらしい。無論、立派に分厚い形で供されていたのだろうが、どうか貧乏人のほうにも、ペラペラでいいから回してやってほしいものである。サイコロステーキ用とか、焼肉用味付け済みとかの成型肉は、今もスーパーで見かけるのだが、なぜかあまりお安くない。
 しかし近頃の金持ちは、舌力が甘いのではないか。もっともっと贅の限りを尽くし、貧乏人にも旨い残り物を、投げ与えてくれなければ。

          ◇          ◇

「天使すぎる」「可愛すぎる」と大評判だという福岡の女子中学生さんをテレビで見たら、確かに天然系のまあるいホッペで飾りけのない良さげなお嬢さんだったが、ふた昔前なら「普通っぽい」ことが、今は「天使っぽい」ことになるのだろうか。
 ちなみに狸が現存する天使を確認したのは、中体連の体育館で、レオタード姿の三浦優子ちゃんを見たのが最後だったような気がする。「清純」という概念を具現化できる環境が、市井からも教育現場からもほぼ失われてしまった現在、あのような、もはや直視するのもはばかられる神々しい少女は、もう二度と見られないのかもしれんなあ。

          ◇          ◇

 昨日の夕方、いつもより余分にドンヨリと濁った都心方向の空を、それはもう唐突に北風がぴゅーぴゅーと吹き渡り、イッキに富士山やら丹沢山塊やらが姿を現した。この夏から秋にかけて、台風一過以外の条件では一度として明瞭に目視できなかった彼方の山影が、ついに湾岸からも解禁されたのである。
 これぞ冬一番、正調木枯らし。
 まあ今日になったら、ただドンヨリと寒いだけに戻ってしまったのだが、とにかく久々に東京にも正しい空があるのが確認でき、これからの冬本番が待たれる北方性の狸なのであった、まる、と。


11月10日 日  また逢う日まで

 結局昨夜は完徹し、本日ほぼ正午、『野薔薇姫』の第一稿が完結。ああ、ついに終わってしまった。今後は、この話を読んだり直したりすることはできても、リアルタイムで体験することは、もうできないのだ。チヨコと初めて出会うことは、もうできないのだ。
 結局打ち始めてから約2ヶ月半、185枚ほどになったが、その内2〜3枚は森敦先生や小川未明先生のお作から引用させていただいた文章だし、他に歌の詞なども例によってあっちこっち引用しているので、正味は180枚といったところか。当初の目算の、なななんと2倍にも――いや、いつもそんな具合なんですけどね。

 午後から蒲団に潜りこんだが、体はグダグダなのに頭がキワキワして入眠できず、結局図書館に這いだし、北杜夫先生の没後に編まれたエッセイ集を2冊借りてくる。とにかくこの方の著作は、ひとつも余さず知っておきたい。小学校時代に『どくとるマンボウ航海記』を読み、中学時代に『幽霊』を読んでから、ほとんど心の『優しい恩師』になっている方である。まあ『厳しい恩師』も『オモロイ恩師』も、無数にいらっしゃるんですけどね。
 しかし今夜こそは早寝しないと、来週は狸自身が死ぬかもしれない。

          ◇          ◇

 島倉千代子さんは、亡くなる直前、新曲をレコーディングされていたそうだ。本来今月の15日に吹きこむ予定だったのだが、それまで待てないというご本人の意思で、10月30日と11月5日、自宅に機材を持ちこんで収録したのだそうだ。死期を悟っていらしたのだろう。曲名は『からたちの小径』、作曲は南こうせつさん、名曲『からたち日記』から想を得ているそうだ。
 正直、聴くのが怖い。
 狸にとっての歌の好悪は、あくまで詞と曲の出来、プラス歌唱力である。誰某の歌は全部好き、というようなファンであったことは、あのリリーズにぞっこんだった青少年時代を含め、一度もない。好きな歌手の歌唱力はなんぼ信用できても、歌の善し悪しはまた別の問題なのである。
 どうか、『からたち日記』同様、良い詞と曲に恵まれておりますように。

     

     


11月09日 土  人生いろいろ

 島倉千代子さんが過去帳に入られた。
 ちょうどチヨコの話のラストシーンを打っているところであり、そのキャラ名には若干ながら昔の島倉さんのイメージも投影されていたので、いつもより余分に寂寥を感じる。
 知人や先達の訃報を聞くたびに、人間なんていつかは死ぬのだからと居直りを繰り返し、今や本心を謀り居直ること自体に慣れてしまったということは、結局自分が死ぬまで未練に居直り続け、居直りきれないまま鬼籍に至ること必至である。今、打っている話だって、考えてみれば、その居直りそのものに他ならない。
 打鍵と云ふは未練事と見つけたり。

 狸が小学校の頃、島倉さんが歌っていた『あの波の果てまで』、確かテレビの昼メロの主題歌を聴きたくて仕方がないのだが、大ヒットには至らなかったせいか、現状、ネットの海からは拾い上げられなかった。売ってはいるが金がないので買えない。心の耳で聴けるのは、記憶にあるサビの部分だけだ。
 まあ、生きていればそのうち聴けるだろう。でも死んだら一生聴けないだろう。
 どなたかレコードをお持ちでしたら、狸に貸してください。
 大金持ちの人は、早急に何千円もする中古レコードか何万円もするCD全集を注文して、入手後ただちに狸穴に宛てて送ってください。
 お礼として、哀愁に満ちた腹鼓をお聴かせします。


11月05日 火  休日

 狸の場合、何曜日が休み、と決まっているわけではないが、全体的には世間様への憧れから土日に自主アブレを入れることが多い。
 しかし今週は、なりゆきで本日が自主アブレ、昨夜はヨレヨレで打鍵もせずに就寝、半日死んで午後2時に生き返り、カラリとした快晴を満喫しつつ図書館を目ざしたところ――休館でした、はい。
 基本的に毎週月曜が休館日なのだが、今週は昨日の月曜も、世間様では振替休日だったのですね。だから月曜でも図書館はちゃんと開き、翌日の火曜が休みになった、と。昔からそうだったし、そんなお約束は狸も知っている。
 しかし許さん。誰が悪い。責任者出てこい。
 ……俺か。
 そうか、それなら許す。

          ◇          ◇

 さて――ああ終わらせたくない。こればっかし。


11月02日 土  反原発ドツキ漫才

 山本太郎さんという芸人さんに関しては、こないだの選挙で「ちょっと左気味の自分もさすがに民主党はもう見限ったが、さりとて今さら自民党に投票するのもなんだし、でもまさか共産党にまではちょっと怖くて入れたくないからなあ」といったニュアンスの方々の応援と、タイムリーな反原発ネタによって議員になれたイロモノの人、そんな認識しかなかった狸だが、今回の天皇陛下おてまみ騒動には、さすがに驚いた。映像的には「ちょっといい機会なので、ついおてまみを渡してしまいました」、そんな感じだが、周囲の目には、コント55号の売り出し時代に、いきなり欽ちゃんがぽーんと舞台の宙を跳んで力いっぱい二郎さんを蹴り飛ばした、そんな衝撃だったろう。
 まあ当人は、あくまで自分としては自然な行動をしたと信じているようだから、背後のマネージャーに無断でやっちまったのか、なんらかの理由でマネージャーがもうこの人を見放しているのか、あるいはマネージャーが山本太郎という看板をカルト化させて少数信者相手のコアな人気を長持ちさせようと決断したのか。いずれにせよ、互いの合意も自覚もないドツキ漫才を、園遊会で天皇陛下を相方に始めてしまったという衝撃度において、今世紀の芸能史に残る出来事なのは間違いなかろう。彼が現在国会議員であるという一点において、政治史にもちょっとだけ残るかもしれない。
 しかし、相方の態勢を無視していきなり跳ぶんだもんなあ。避けなきゃ大怪我するし、避けられたほうも大怪我するぜ。

 ちなみに狸は、現状の技術で原発を使いこなすのは無理、というか、核兵器といっしょで実用化したこと自体100年早かった気がするので、あの方のネタ自体には反対しません。たぶん議員としては馘首になるでしょうが、ネタは今後も大切にしてほしいものです。ただし相手は選んだほうが吉。

          ◇          ◇

 例の打鍵物は、あと10〜20枚で終わりそうだ。ああ、終わらせたくない打ちたくない。
 終わらせたくない物語を打ち始めるなど、生まれて初めてではないのか。今年の夏の猛暑狂暑惨暑は、それほど異常だったのだ。

 ところで、これがチヨコ(誰?)の好物、むくり鮒です。

     


11月01日 金  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」
 ちよこ 「むくりぶな、すき?」
 たかこ 「……?」
 くにこ 「……?」
 ゆうこ 「……?」
 ちよこ 「きらい? むくりぶな」