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06月27日 金  文庫本の少女

 少女、と言っても、狸からは少女に見えるだけで、都心に向かう会社員っぽいスーツ姿だから、二十歳は越えているのだろう。ともあれ久々に朝の電車で、紙の文庫本(そりゃ紙だから本なのだが)を読み耽っている娘さんを見かけた。
 ラッシュのピークは過ぎていたが、その娘さんは、まだまだ混んでいるドアのすぐ横に立っており、そのさらに奥側に立っていた狸は次の駅で降りる予定だったので、ドアが開くまで、少々心配していた。
 つまり、ふだん通勤電車でその位置に立っている若い衆が、次で降りる予定がなく、かつスマホ等に熱中していた場合、ほぼ十割の確率で他の客の心配などしてくれない。『スマホのむこう側と自分だけの世界』に根を生やし、悪意とも善意とも無縁の石地蔵になって、降りる客・乗る客の双方を妨害し続ける。十割は言い過ぎにしても、まあ九割は石地蔵だ。
 しかし今朝の場合、心配は杞憂に終わった。ドアが開くと同時に、娘さんはすかさずホームに移動、待っていた乗車客の列に並び直し、後ろから降りる狸らに道を譲ってくれました。

 それだけの出来事から、文庫本とスマホと若者の関係についてなんじゃややらくどくど爺いの繰り言を始めるつもりはないが(ほんとはあるんだけどな)、たとえばラッシュ時の駅の階段を、文庫本読みながら歩いている人はさすがにいない。しかし、後ろ頭に爺いのケリが入る寸前であることも知らず、フヌケのように無自覚に歩を進めるスマホ野郎やスマホ女郎は相変わらず多い。
 つまりだ。
 今朝の文庫本と娘さんは、満員電車という悪条件の中、両者きっちりサシで勝負しつつも、きちんと直近の社会に属した関係性を保っている。対して多くのスマホ野郎やスマホ女郎は、もう自分もスマホも『スマホのあっち側』にしか属してないのね、液晶つるつるしてる時点で。

 結論として、ああ、やっぱり本はいいなあ、とまあ、それだけの話なのです。
 本を読んでる娘さんは、もっといいんですけどね。


06月23日 月  雑想

 今日は遅番だから余裕で出勤、などと気を抜いて駅に行くと、休日明けにありがちなホーム・ダイビングで総武線が止まっていた。東中野で『人身事故』だそうだ。ダイビングそのものは、狸が駅に着くかなり前に決行されていたらしく、20分ほどの待ち時間で運行再開の報が流れたが、電車が着く前に、こんどは新小岩で『お客様が線路に立ち入った』とのアナウンスがあり、またそこで止まってしまった。『お客様が線路に立ち入った』という状況が、よくわからない。まさか、電車が来ないのに業を煮やして線路を歩いて行こうとしたのだろうか。それとも、東中野の人に続いてダイブしたけれど、電車がトロくてブチ当たれなかった、ということか。

 土日と休んで、いざ月曜、会社になんぞ出たくないという気持ちは重々お察しするが、できれば通過快速に飛び込む代わりに、方向違いの各停に乗って西の山を目指す、あるいは東の海を見に行く、そんなのを試してはどうか。その上で、山の頂から大空に舞う、あるいは初夏の海に沈む、そんな道を選ぶかどうかは、ひと休みしながら決めればいい。
 ちなみに狸はギリギリ遅刻を免れ、大過ありませんでした。

          ◇          ◇

 おとついの土曜は、例によって母親の様子見の後、特養と同じ鎌倉街道沿いにある、古民家公園を歩いてみた。
 郊外の住宅地に残された小山ひとつを丸々ハイキングコースっぽく整備してみました、そんな感じで、元々は富士塚らしい。
 どこぞから移築されて売り物になっている古民家は、江戸時代以来の名主の家らしく実に立派な門構えで、母屋も広い。
 しかし内部造作は素朴そのもので、思わずチヨコを探したくなるようなたたずまいなのであった。

   

   


06月20日 金  マジかいな

【女性都議へヤジ、抗議1千件 自民、発言者特定せぬ意向】
 東京都議会で晩婚化や晩産化の対策について質問した塩村文夏(あやか)都議(35)が、「自分が早く結婚すればいい」と男性都議からヤジを飛ばされた。ウェブ上で「セクハラだ」と議論が高まり、都議会には1千件を超す批判が殺到した。最大会派の自民は、発言者を特定せず幕引きを図ろうとしている。
 「議会の品位をおとしめるヤジは無いよう注意して欲しい」。各会派の全女性都議25人は19日、吉野利明議長に申し入れた。塩村氏が所属するみんなの党は19日、発言者の処分を求める申入書を議長あてに出す方針を決定。発言者が不明のままの場合、録画映像の音声から声紋分析する準備も進めている。
 問題のヤジがあったのは18日の都議会。晩産化について質問した塩村氏に「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」とヤジが相次いだ。議場に笑い声が広がるなか、働く女性の支援を掲げる舛添要一知事も笑みを浮かべ、塩村氏は議席に戻ってハンカチで涙をぬぐった。
 塩村氏は自身のツイッターに「心ない野次の連続」と投稿。翌19日までに約2万回のリツイート(転載)が広がり、「企業なら懲戒処分だ」「都議会は腐敗している」「都議会は、女性の社会進出と言っているが、結局は建前だけ」などの声が相次いだ。19日、塩村氏は「同調するように面白おかしく取る方たちがいた。不妊で悩む人の顔も浮かんだ」と声を落とした。【後藤遼太、前田大輔 2014年6月19日23時09分 朝日新聞デジタル】


 一読、仰天いたしました。直後、背筋に零下の震えが。
 ……おいおい、東京都では、議員に中坊以下の男児が混ざってるぞ。
 これはぜひ発言者を特定し、せめて中学くらいは卒業させてやらねば。
 もし義務教育を終えていたとしたら、こんどは精神鑑定が必要となる。狂人には自分が病んでいるという自覚がないから、周りでなんとかしてやらないといけない。
 ところで舛添要一という方は、確か中学出てるよなあ。生徒会の役員は、やったことないのかな。


06月18日 水  チコと鮫

 映画『チコと鮫』に関する愛着は、もう何年も前の夏に、この雑想で吐露した。以下、その日の雑想をコピペ。

          ◇          ◇

 こないだ話題にした『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター』に続き、やっぱり現在この国では幻の懐かし映画となってしまっている『チコと鮫』など思い出してしまったので検索してみたら、やっぱり多数の年輩の方々が「もう一度見たいよう見たいよう」と身もだえしていらっしゃるようだが、映像はYOUTUBEでも唯一これしか見つからなかった。

     

 なぜか資料によって制作年度が1962年から1964までバラバラなのだが、とにかくその頃のイタリア映画である。狸が劇場で見たのは確か1970年前後だから、リバイバル公開されたのか、あるいは当時山形市で唯一の旧作名画座『山形宝塚小劇場』の、2本立て200円ポッキリで観たのだろう。どのみち小6か中1の頃にいっぺん観たっきりだから、正直、ストーリーの記憶は曖昧なのだが、とにかく子供心に「うわあ! こーゆーのもアリなのだ! ろくでもねー現実なんぞ見限って海の彼方に逃げ切っちゃってもいいのだ!」と、すなおに涙した記憶がある。
 えーと、こんな話なのです。当時のキネマ旬報より引用。

 神秘的、童話的であり、時には夢のように非現実的でさえある南海の楽園タヒチ。昔からここの漁夫たちにとって、人食い鮫は最大の仇敵とされていた。
 ある時、少年チコは海岸に迷い込んでいた人食い鮫の子供を見つけた。チコは、女友だちディアーナと一緒に浜辺に水たまりをつくり、餌を与えて小さな鮫をひそかに育てていった。ある日、だいぶ成長した鮫は、チコとディアーナを豊かな色彩に満ちた大洋の海底深く、あるいは珊瑚礁の間を次々と案内して、すばらしい風景の浜辺へつれ出すのだった。が、突然、海底深くもぐり、二人の視野から姿を消した。それ以来、鮫は毎日海岸で待つチコのもとには帰って来なかった。
 十年たち、チコ(アル・カウエ)はたくましい若者に成長していた。仲間たちと漁に出たチコは、ある日、海底で五メートルもある巨大な鮫と再会した。鮫に対する友情は、チコを現実の社会からだんだん引き離していった。が、タヒチにも文明の波が押しよせ、チコと鮫がかつてのように楽しく暮すことはできなくなってきた。
 チコは将来を約束した美しい幼な友だちディアーナ(マルレーヌ・アマング)と鮫をつれ、二人と一匹が平和に暮せる島を求めて、タヒチを出て行く決心をした。長年アメリカで暮し、文明生活を身につけてきたディアーナはチコの愛情と、文明と近代が彼女に与えた生活との二者択一に悩んだが、潔よく文明を捨て、人間性の回復を求めて、チコとともにタヒチの波間に消えていった。


『バミューダの謎』では、美しい娘も時を越えたロマンスも、しょせん哀しい別れに終わる。いっぽう、たとえば『スプラッシュ』(1984)のように、主人公が色っぽい人魚と手に手を取り合って海の底の別世界に逃げ切ってしまう映画もあるのだが、あれはあくまで人魚ネタの純メルヘンだ。
 しかし『チコと鮫』に関しては、舞台こそ当時としては『夢の』タヒチだが、社会観はあくまでリアルなのですね。だから、当時思春期の入口にいた狸などは、「あー、こりゃフランダースの犬っぽい泣かせになるのかな、それとも娘か鮫の二者択一かな」などと、斜に構えて観ている。ところがぎっちょんちょん、ラストでは、3人、じゃねーや、2人と1匹、仲良く海の彼方に旅立ったりしちゃうのね。脳味噌まで茹だるような盆地の夏には、信じがたいグッドトリップなのであった。
 まあ人食い鮫の一見インケンな目つきも、見慣れれば蛇や蜥蜴の目と同様、なかなかかわいいものなのです。

          ◇          ◇

 コピペ、以上。
 で、粘着質の狸ゆえ、その後もしつこく本編映像を探し続けて幾星霜、本日ついに発見いたしました。
 と言ってもYouTubeには、もう去年の春からアップされていたらしいのだが、イタリア語オンリーなので、今まで気づけなかったのである。

     

 狸はイタリア語など片言も解らないし、元がVHSソフトらしく色も画質も良くない。
 でもまあ記憶どおり、2人と1匹はニコニコと(いや鮫は笑わないが)能天気に海の彼方に旅立ってくれたので、オールOK。
 ふと思えば、同じ頃に見た『小さな恋のメロディー』なんてのも、2人仲良くトロッコで旅立っちまったんだよな。
 あんなヨットで南太平洋をどこまで行けるのか、とか、そもそもタヒチですらコレモンなのに原始的楽園なんてどこかに残ってるのかとか、手こぎトロッコでギコギコ走ったところでレールが尽きたらおしまいじゃん、とか、訳知りぶって明日の心配をしても無意味なのである。安全パイを求めてタヒチの労働者生活に落ち着いたところで、いつ近所のリサイクルショップのサイコパス夫婦あたりに殴り殺されるか判ったものではない。学校の先生や両親の言いつけに従って、大人になるまで禁ラブラブを誓ったところで、いつ少年が酒気帯び運転の車に彼岸まで跳ね飛ばされたり、少女が変態親爺の車に連れ込まれてしまうか判らない。
 現実を甘く見てはいけない。現実べったりだって、なかなかアブナイのである。
 ならばせめて今日だけは、美しい明日に向かうのが吉。


06月14日 土  小康

 母親の容態がようやく安定し、病院から元の特養に戻っている。やはり胃瘻が功を奏したようだ。人間、栄養に勝る薬はない。入院前は、これ以上身体機能を衰えさせまいと通常の食事を続けていたことが、かえって裏目に出、栄養不足による衰弱に繋がったのだろう。
 口からの食事という行為自体の楽しみは失われたが、当人はいたって顔色も良く、自分から「……いいあんばいだ」とか呟きもする。無論、連続した会話ができるわけではないのだが、断片的に言葉を発するだけで上等なのである。介護士嬢の話だと、民謡まで歌うことがあるそうだ。
 本日は、久々に認識した息子に「……どごばうろづいっでんだと思た」などと、イヤミまで言っていた。あのな、ここんとこ毎週来てたんだけどな、かーちゃん。
 
 特養に同行した姉と義兄に、帰途、バーミヤンで中華を奢ってもらう。狸の出腹にアブラっこい栄養は薬ならぬ毒なのだが、ビールのみならずデザートまで、しっかり詰めこんでしまう。
 自分以外のフトコロから出る外食は、狸にとって腹のアブラになる以上に、向精神薬として機能するのである。

          ◇          ◇

 今年も日本ユニセフ協会から、春夏ギフトのダイレクト・メールが届いた。例の発展途上国幼児写真満載の、ペド心をくすぐるカタログである。もちろん、送金しても発展途上国の幼児は送ってくれない。ワクチンやら食料やらを、幼児のほうに送ってくれるのである。
 やっぱ栄養だよな、とゆーことで、今期は『プランピー・ナッツ』とやらにしようと思う。150包ぶん、7100円で1口。狸の懐具合では、1口送るのが精一杯だ。できれば写真の幼児本人に送ってほしいものである。かわいい女児なのだ。
 でっぷり肥え太った中年のろり野郎として、『生涯偽善者』の旗だけは、死ぬまで降ろすまいと思う。

「『日本ユニセフ協会』なんて本家のユニセフとは別物、ただの搾取団体だから騙されてはいけない」などと喧伝する団体も、マスコミやネット上に散見されるが、機構的には別物であっても、協賛しているのは確かである。だいたい、狸が1日分の日銭を『日本ユニセフ協会』ではなくその批判組織に送金したところで、そのうちの1円たりとも、発展途上国の幼児には届かない。この飽食の国で、批判活動に使われるだけだ。本家のユニセフも、直接の募金活動はしていない。ならば、たとえ9割を手数料として吸い上げられるにしても、1割くらいは実際に届けてくれそうな窓口に、頼るしかないではないか。
 けしてア●ネス・チャ●が怖いからではないぞ。


06月10日 火  大人買い・大人捨て

【不法投棄:応募券欲しさにポテチ1000袋…容疑の男逮捕】
神戸市や兵庫県明石市の雑木林に大量のポテトチップスを不法投棄したとして、兵庫県警明石署は10日、明石市魚住町清水、会社員、福元一輝容疑者(25)を廃棄物処理法違反(不法投棄)の疑いで逮捕した。
逮捕容疑は5月4日ごろから23日ごろの間、神戸市西区や明石市の雑木林など計6カ所に、ポテトチップス計約1000袋が入った段ボール箱89箱(重さ約208キロ)を不法投棄した、としている。「大量に購入したが、処理に困って捨てた」と容疑を認めているという。
同署によると、ポテトチップスには声優の水樹奈々さんのコンサートチケット応募券が付いており、福元容疑者は応募券を切り取って中身を食べずに箱に詰めて捨てたという。応募の締め切りは5月末だった。
【井上卓也】【毎日新聞 2014年06月10日 12時12分(最終更新 06月10日 17時44分)】


 ……あれは狸が小学何年生だったか、田舎の小学生(高学年)の小遣いが、おおむね1日10円だった頃。
 あるキャラメルを何十箱だか買って応募券を集めると、鉄人28号の玩具(非売品)が必ずもらえるというキャンペーンがあって、級友のひとりが、何をトチ狂ったんだか2ヶ月分の小遣いを全額同じキャラメルに投資し、「この学校でこの鉄人28号を持っているのはオイラひとり!」な栄光に、酔いしれようと企てた。
 確かに酔いしれたんですけどね、まあ1週間間くらいは。
 しかし残りの2ヶ月弱、彼は「あいつんちに遊びに行っても同じキャラメルがバラで入ってる大袋しかおやつが出ない」と、皆の生ぬるい微笑に包まれながら、サミしく生きることになったわけである。
 でも、みんなでせっせと嘗めてやったんだよな。彼の気持ちだけは、痛いほど理解できたんで。
 あのちっぽけな鉄人の人形も、もし現在箱付きで残っていたとしたら、非売品の希少価値から、きっと何十万もの値が付くのだろう。当時、彼と同程度まで脳味噌のあったまってしまった子供は、そうそういなかったはずだ。少なくとも狸の小学校では、彼ひとりだった。

 小学生で、でっけー紙袋いっぱいの同じキャラメルを、嘗め尽くしてくれる仲間がいる。
 会社員で、208キロのポテチを食い尽くしてくれる仲間はいない。
 時代も歳も、量も保ちも違う話だから、なんの比較にもならないけれど――サミしさの度合いも、比較にならない話である。


06月07日 土  誰がためにヤホはある

 ちょっと前の話だが、この狸穴を掘ってあるYahoo!ジオシティーズから、こんな通知が来ていた。
【Yahoo!ジオシティーズリニューアルにともない、2014年6月8日をもちましてジオログ、ゲストブック、日記ツール、アクセス解析、掲示板、カウンタ、素材集、クイックページの提供を終了いたします。
 で、リニューアルのウリは何かというと、
【ファイルマネージャーがより便利で使いやすく】【「MyStore」(店舗向けのホームページ作成ツール。最短約5分でお店のページを作成できます)が新登場】【CGIのバージョンアップ】――以上、3点ポッキリ。
 現在のファイルマネージャーになんの不満もなく、ネットショップなど開店する気概は毛頭なく、骨董級のホームページビルダー8で組んだhtmlを転送しているだけの狸にとっては、早い話が『放置プレイ開始』である。

 まあYahoo!さんとしては、「今どき個人の非商用HPなんて、もう面倒くさくて細かく世話してらんないのよ。外部の無料ブログでもカウンターでもアクセス解析でも、お好きに導入してくださいな」といったところが本音だろう。確かに外のネット上には、無料のそれらがなんぼでも転がっている。ただし、すべての機能に広告が表示される。狸の場合、それが疎ましいばかりに、わざわざ今までYahoo!ジオシティーズ内の非力なツールを使っていたのである。
 結局、カウンターとアクセス解析機能は、あっさり放棄することにした。もともと超簡易版のオマケだったし、ここ1年ほどは、一日平均4名程度の同じお客様方と、月にお一人程度の通りすがりの方しか絶対に訪れない、マヨヒガのごとき巣穴になっていたのである。参考までに、今ちょっと覗いてみたところ、去年の6月に改装してから現在までのカウンターは『1786』、それ以前のページは9年ちょっとで『53308』になっていた。昔は、この雑想以外の創作物もちょこちょこ更新していたから、なんぼか人出があったのですね。
 しかし伝言板まで撤去してしまうのは、あまりに寂しい。たとえ年に一度でも、どなたかのお言葉がほしい。といって今さら山の麓の表街道に這い出して、胸を張って狸汁にされるのも願い下げだ。

 てなわけで、こっそり外の掲示板を導入しました。なんか下の方に広告が出るのは、サミしく笑って許してやってください。


06月04日 水  雑想

 ああ咳が止まらん痰が切れんと己が脆弱を嘆きつつ、本日も母親関係のなんかいろいろで仕事を休み、狸がこれまでの狸生において出会った人間の内、不快度において一二を争うと思われるソーシャル・ワーカーのあんちゃんと出会ってしまったりして、あらためて大変に世をはかなんだりしてしまったのだが、まあつらつら鑑みるに、職業的に人間の末期前後に携わる方々とゆーのは、おおむね仏タイプと鬼タイプに大別されてしまうわけで、それも内容的にはほぼ同じようなことをしているにすぎず、ただそのことを『美意識をもって非事務的に修辞できるかできないか』だけの差なのである。

 それにつけても金の欲しさよ。
 綺麗事抜きで、自分の余命などもうどうでもいいが、たとえどんな状態であれ親の余命を金で自由に買えないのは、さすがに子として忸怩たる思いだ。

          ◇          ◇

 ……ころりと話は変わりまして。

 そうですね。遠藤周作先生だと、狸の好きなところでは『沈黙』や『青い小さな葡萄』等の純文学作品を除けば、中間小説もエッセイも、とうの昔に賞味期限を過ぎているだろう。昭和の末でも、もう古かった。あの方は明らかに、純文学以外の作品を、そのときどきの戯れ言と割り切っていた気がする。
 いっぽう狸の大ご贔屓、北杜夫先生となりますと――全作品に対する狸個狸の愛着を度外視すれば――純文学作品で後生に残ると断言できるのは、実は『楡家の人びと』一作くらいか。若書きの『幽霊』や、その続編の『木精』も、一部の愛好家によって長く読み継がれるとは思うが、いわゆる『日本文学史上』での長寿が期待できるのは、特異性において唯一無二の『楡家の人びと』しかないだろう。ところが北先生のエッセイとなると――下手すりゃ小説以上に賞味期限が長そうなのですねえ。
 いわゆる『どくとるマンボウ』シリーズの第一作『どくとるマンボウ航海記』は、狸も小学校6年くらいのときに文庫で読んでハマりまくったが、これが未だに現役で版を重ねている。狸も数年に一度は読み返し、そのつど新鮮な何かを感じ、懐旧とは無縁の『視線の深み』を享受している。そして、初版時からいかにも賞味期限の短そうだった『どくとるマンボウ途中下車』。一見『航海記』のバカ売れに便乗した拙速本、東海道新幹線試乗体験やら時事ネタ一発芸の羅列に見えながら、今読んでもちっとも視線の古さを感じさせず、事実、これまた未だに文庫で版を重ねている。
 北先生の場合、小説にしてもエッセイにしても、とにかく客観性がハンパではないのである。遠藤先生のユーモア部分が『彼我の馴れ合い』にあるとすれば、北先生のユーモアは『彼我の乖離』にあると言ってよい。描く対象が時事ネタであっても、視線に不動の作家性があれば、作品自体は古くならない道理だ。
 ところで『どくとるマンボウ昆虫記』って、やっぱりエッセイなんでしょうかね。あれほど豊穣な文章世界は、他に類を見ない。小説だかエッセイだか博物学だかなんだかよくわからないんだけどもとにかくスゴいわ、ああその世界に一生アタシを遊ばせてちょうだい、そんな感じで、やっぱりトーマス・マン経由のドイツ文学の系譜が、色濃いのかもなあ。シュティフターとか。


08月01日 金  暑中お見舞い申し上げます

 たかこ 「あろは〜〜! はわいあ〜〜ん! ふらだ〜〜んす! たのしいなつやすみ〜〜♪」
 くにこ 「んむ、そのとーりだ、たかこ。にんげん、かれんだーなど、しんじてはだめだ。こんなにくそあつい6月1日が、にっぽんにあってたまるものか。いかにも、きょうは平成26年8月1日だ。おれたちはいつのまにか、ことしのなつやすみのまっただなかに、とつにゅーしていたのだ。ほら、ゆうこ、おまいもなまっちろい顔でシケってないで、腰蓑いっちょで、おれたちといっしょにおどりくるうのだ。あろは〜〜♪」
 ゆうこ 「あ、あ……あろは〜〜♪」
 くにこ 「んむ。みごとな腰のキレだぞ、ゆうこ」

 たかこ 「たぬきさんも、いっしょにおどろー! あろは〜〜♪」
 たぬき 「けほ? ……ごほごほ、ごほ! ……ぜいぜい、ぜい。……あろば〜〜! ……げほ……がばげべごぼげべごぼ! あろば〜〜♪」
 くにこ 「んむ。おまいの腹のユレも、なかなかみごとだ、たぬき。……んでも、踊るか血を吐くか、どっちかにしといたほうがいいんじゃないか?」