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07月31日 木  アツいけどいい話

 渡辺謙、佐野史郎に激怒される…「お前は何だ!」【デイリースポーツ 7月30日(水)20時58分配信】

 俳優の渡辺謙(54)が30日、日本テレビ系のバラエティー番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」に出演し、俳優仲間の佐野史郎(59)から怒られたことを明かした。
 渡辺は公開中の映画ハリウッド版「ゴジラ」に出演中で、「僕の役名は芹沢猪四郎(博士)なんです。1回目の監督さんの名前なんですよ」と最新作について語り始めた。
 1954年に公開された「ゴジラ」第1作は本多猪四郎監督がメガホンをとった。渡辺の役名には本多監督へのリスペクトが込められている。
 渡辺は「猪四郎ってちょっと不思議な名前じゃないですか」と撮影時のエピソードについて語り、役名がアルファベットで「Ishiro」と表記されていたことから「Ichiroの間違いじゃないかと思ったんです」と明かした。「全然監督のことを存じ上げなくて」というのが思い込んだ理由だった。
 その話を佐野にしたところ「何だ?それ!」と怒られたという。佐野は「僕は芹沢博士をやるためにこの世界に入ったのに!お前はなんだ」ときつく渡辺に迫ったそうで、渡辺は同番組で共演した佐野に「失礼しました」と平謝り。佐野は「いやいやいや」と笑顔でとりつくろった。


 わかるぞ佐野さん! 佐野史郎の芹沢博士、ぜひ邦画で実現してほしいものである。
 ゴジラとは関係ないが、石井輝男監督の『ねじ式』も、その前の『ゲンセンカン主人』に続いて、つげ先生の役は佐野さんにやってほしかった。佐野史郎さんは、つげ義春作品にもぞっこんだそうだ。
 とはいえ渡辺謙さんの芹沢博士も、ぜひ劇場で見ねばなるまい。ちゃんとゴジラ映画になってるらしいからなあ。

          ◇          ◇

 で、本年も悪い予感どおり長期にわたる猛暑、いや、もはや超暑あるいは凄暑が約束されてしまったようだが、トロけそうな脳味噌をイッキにクールダウンしてくれる映画も、昔からちゃんとある。ズバリ、旭兄ィの『赤い夕陽の渡り鳥』と『大草原の渡り鳥』。
 他の『渡り鳥』もけして悪くないが、この2本だと、昔、まだ冷房もない田舎の映画館、茹だるような人いきれの中で確かに感じていた、汗だくが気にならないほどの爽快感を追体験できる。暑さを忘れるのではない。クソ暑くてクソ暑くてたまらんのだけどまあいいじゃん旭兄ィさえクールなら、そんな気分になれるのである。

     

     

 ちなみに怪談映画は、古親爺として『日本の夏』という季節は感じるけれど、『納涼』にはならない気がする。怪談による怯えや戦慄は、清涼感とは別物だ。


07月27日 日  蒸し狸

 このところ、なんかいろいろによって、完全に自分のためだけに使える休日はきわめて貴重である。しかし気温30度超の湿度90パー超に至っては、ただ路上を緩慢と歩くだけで息が上がり、図書館までの2キロ弱が冗談抜きで延々サウナ風呂である。食欲もなく喉もヒリヒリなのだが、それが病的な不調なのか、天然サウナによる当然の生理なのかも判別できない。てゆーか、判別したいという気さえ起こらない。
 こんな気候の中、少女の細腕で同級生を殴り殺し首を落とすなどという力技を、深夜とはいえなおクソ暑いはずの南国において実行できたとは、やはり若さゆえの底力か。いや、単に、狸穴とはちがい最新のエアコンがガンガン効く環境だったため、脳味噌まで過度に冷えこんでしまったのかもしれない。
 暑すぎても冷えすぎても、人や狸は道を外れがちだ。その証拠に狸は、図書館では何ひとつ新しい知識や情報や情緒を得ようと欲しないまま、既知の幽霊画集などをパラ見しながらただウスラボケっと冷房を享受し、その後、モノを購う金もないのに這いこんだショッピングモールでは、大量のろりたちのショートパンツのおしりをふんふんふんふんと慕いながら、小一時間も回遊してしまった。
 でも無問題。
 推定気温26度、推定湿度50台なかばのモール内でさえ、連日食欲もなく喉もヒリヒリな狸からは、目前の瑞々しく可憐なおしりたちに己の卑しく萎びた肉球をぷるぷるとさしのべる気力すら、もはや失われているのである。

 地上すべてが、サウナでいいのかもしれない。
 殴ったり切ったりする前に、ひとり残らずぐんにゃりとバテてしまうのも、なかなか平和っぽいと思うが、どうか。


07月23日 水  ソウルショーユ

 『あじさい茶屋』とか『開運そば』とか、店舗名は違っても品書きはほぼ同じソバ屋が、総武線各駅のホームや改札横あたりで旨くもなんともない餌のようなソバを商っているわけだが、今夏、ちょいと変わった季節商品を繰り出してきた。『山形芋煮つけそば(うどん)』。
 最初にポスターを目にしたときは、また何かいいかげんなキワモノをでっちあげたのかと疑ったが、キャッチコピーに『山形のマルジュウ醤油を使用』などとあり、どうやら本気らしい。
 しかし山形で芋煮と言えば、秋から初冬限定の季節料理である。里芋という奴は、いかに巧みに冷蔵しても、旬の旨さは保てない。だから山形では、観光客目当ての小賢しい食堂や、土産用のレトルトパックは別として、旬の季節以外に芋煮を食おうとしても、まともな料理屋では絶対に食わせない。だいたい今は夏だ。これは『あじさい茶屋』や『開運そば』を経営する外食産業が、最後の冷蔵残り芋をよほど安く買い叩いたと見て間違いないのではないか――などと小動物特有のいじましい邪推にとらわれながらも――芋はともかく『山形のマルジュウ醤油』は年中無休、秋でも夏でも同じ味のはずである。
 で、大枚450円、熟慮の末に、清水の舞台から昇天する覚悟で食券販売機にツッコんでしまいました。

 ……うわ、マジに『マルジュウ醤油』の味だよ。懐かしや懐かしや。

 芋煮としては味がしょっぱすぎるが、蕎麦のつけ汁だから仕方がない。芋も蕎麦も大味そのものだが、夏だし駅売りの餌蕎麦だし仕方がない。とにかく山形の味であることだけは確かだ。
 これは『マルジュウ醤油』さえ入手すれば、芋煮に限らず安いマスプロ豆腐の冷や奴なども、たちまちソウルフードに化けそうな気がするぞ。


07月20日 日  人として狸として

 だからよう雑踏で歩きスマホすんのやめろよ大人なんだからさあ車もろくに通らない昭和30年代の田舎道で漫画や児童書に没頭しながら通学する小学生かよおまいら、とか、どっちが悪いんだか知らんが他国の民間機を女子供ごと木っ端微塵にしといて平然と白をきってドンパチ続けてる連中ってのもつくづく魯鈍だよなあとか、50近くにもなって小学生ナンパして家に連れ込んでどーすんのよこの寸足らずなろり野郎とか、自分の怯惰や品性下劣などはきれいさっぱり棚に上げて唾を吐き散らしながら絶叫したいことどもは多々あるのだが、どうで狸の咆哮ゆえヒトの耳には「きゅうんきゅうん」程度にしか聞こえないはずで、「いやちゃんと聞こえてますよ」とおっしゃる全世界に数人のお優しい方々は、実はヒトではなく狸にちがいない。
 自分の至らなさを糊塗するために分福茶釜に化けようとする姿勢こそがヒトの世に生きる狸の正道であって、やくたいもないヒト科っぽい自我など膨らませれば膨らませるほど魯鈍に陥るのが関の山である。
 いつかこの地上が無慮何十億の分福茶釜で満たされる日を祈りつつ、きゅうんきゅううん。

     


07月16日 水  発酵する狸

 エルニーニョどうした! 冷夏どうした! 狸はもう生きながら腐りかけているぞ!
 ……とゆーわけで、晩方から夜にかけて、総武線の車中に小動物の死骸のような臭気が漂ったら、そこには上半身が生乾きの人に化けた狸が紛れこんでいると思って間違いありません。
 いえね、オムツで寝たきりの母親よりマジに匂うんですよね、ここんとこ、仕事帰りの自分の上半身って。しかしまあ、それが屍臭ではなく生きた発酵臭であることは、大いなる慶賀の至り。風呂上がりから翌日の午前中くらいまでは、発酵してないわけだし。

          ◇          ◇

 臭ったときのアンドレ・ギャニオン。

     


07月12日 土  右往左往

 昨夜、8時過ぎに仕事を終えると、携帯に姉からの着信。特養の母親が、また痰を喉に詰まらせて窒息状態になり、いっときは息が止まったとのこと。心臓マッサージですぐに息は戻ったが、短時間でも呼吸が止まった以上、脳になんらかの後遺症が残る可能性がある。慌てて仕事先から神奈川に直行。
 蘇生直後はかなりヤバげな昏睡状態だったらしく、すぐに駆けつけ見守り続けていた姉はかなり憔悴していたが、11時ちょっと前、いざ狸が到着した頃には、いつもの寝たきり惚け老人のレベルまで復活していた。つまり、なんだかよくわからないなりに目も動かせば片言も発する。ただし痰はあいかわらず多く、30分から1時間に1度は吸引しないと、また呼吸困難になりそうな案配。
 家庭持ちの姉はいったん帰宅、狸が泊まり込んで経過を見る。要は非常用ブザーの代理押し係ですね。病院と違って、どこかに計器によるモニター室があるわけではない。幸い朝までには痰の量も徐々に減り、2〜3時間に1度くらいの吸引ペースに戻った。
 で、本日、特養の職員さんの頭数も揃ったところで、いったん姉の家へ。朝飯やシャワーをいただいたのち、姉は再び特養へ。狸は帰穴し、洗濯等の雑事や睡眠をナニした後、明日また特養に顔を出す予定である。

 しかし我が母親は、たいへんにしぶとい。棺桶に片足どころか両足つっこんでも、きちんと蘇生してくる。戦前戦中を生きのびてきた体ゆえ、生命力の芯が丈夫なのだな。
 無論、慢性的な『いつなんどき』に変わりはなく、こちらもなかなか精神的にアレではあるが、まあ『それっきり』よりは上等ということで。


07月08日 火  死屍累々

 などとタイトルに記すと、たいへん物騒な話が始まりそうだが、なんのことはない、クラゲの話である。
 今朝、仕事先で送迎バスを降りると、目の前の浜辺一面が、なんじゃやら不思議な斑模様になっていた。浜辺と言っても、湾岸のロジのコンクリ護岸の一角に、干潮時だけ僅かな砂浜、もとい砂と砂利とゴミの浜が覗くだけなのだが、天気が良ければ、近所の公園から浜伝いに回ってきたらしい釣り師や、潮干狩りの親子なども散見できる。水鳥も遊べば、小魚の群れもぴちぴち跳ねる。でっかいエイが水底の影に紛れて回遊していたりもする。
 で、そのあんがい天然な東京湾の片隅に、見たこともない規則的な模様が生じていたわけである。直径30センチほどの、無数の薄黒い水玉模様が、半ば重なり合うように、ぎっしりとプリントされた感じである。初見、ただの黒っぽい地べたのムラとも思われたが、注視すればそれぞれの円の中央に、数本の淡い白線が放射状に規則正しくプリントされており、とどのつまり、全部、蒸発途上のクラゲさんだったのですね。
 まあ、そうと判ってしまえば、田舎の海岸などではさほど珍しい光景でもないが、その近辺では初めて見る光景だったので、見ていた一同、かなりビビりました。昼の休憩時にはすでに潮が満ち、朝の浜辺のあたりには、半透明のクラゲさんがうようよゆらゆらごにょごにょとたゆたっており、もともと極端に影の薄い方々ゆえ、なんだか朝の水玉模様が迷って出た、あるいは逆に潮を吸って復活した、みたいな。

          ◇          ◇

 話変わって、実は今月から、狸穴には読売と朝日の両朝刊が配達されている。誤配でも押し売りでもない。狸が社会情勢把握に突如鋭敏化したわけでもない。単に狸の勘違いで、7・8・9の3ヶ月のみ、契約がダブってしまったのである。
 半年ぶりに目を通す朝日新聞は、やはり、それはもう狸の目に緑の残像が焼き付くほど赤い。近頃、中韓擁護記事を社会面に張れる国際情勢ではないせいか、そのぶんの欲求不満を読者投稿欄や社説にこめて、ギリギリギリと左にネジを巻く有様は、ゾクゾクと鬼気迫るようだ。とても面白い。名物の天声人語だけは十年一日、毒にも薬にもならない中庸なんですけどね。で、読売は相変わらず全体的にちょい右の、実は日和見。
 しかし集団的自衛権うんぬんの話題になると、両者、もうまったく真っ向勝負、正反対の論陣を張っている。狸は過去、ふつうの稼ぎのヒトに化けていた頃も、継続的に朝日と読売を併読していたが、ここまで違いの際立つ時期はなかった。とても面白い。
 半年前までおよそ10年、朝日しか読んでいなかった狸は、なんじゃやら逆洗脳とでも言うべきあんばいで、右へ右へと偏りつつあった気がする。それがこの半年、読売だけを読み続けたおかげか、不謹慎な話だが、すっかり日和見に戻ってしまった。
 全世界の貧乏人の方々、右も左も生活に余裕のある方々に任せて、ごにょごにょと馴れ合いましょうね。まあ万が一、戦場で対峙することがあったら、お互い死んだふり死んだふり。


07月04日 金  ぶつぶつ

 都議会のセクハラ野次事件に負けじと、西の方の県会議員さんが、なんじゃやら錯乱号泣ショーをかましてくれたようだ。中卒以下の社会認識でも都議になれる東京に対抗し、関西なら小学校低学年程度の情緒でも県議になれることをアピールしたかったのか。もっとも狸には、純粋な精神疾患と見受けられたのだが。
 まあ平等社会って奴は、それくらいでナンボなのかもしれんな。大卒の日雇い親爺だってゴロゴロしてるし。

          ◇          ◇

 で、先行の都議会騒動に関しては、巷のクサレ週刊誌(大手も含めてこの四半世紀みんな腐り続けている)が、「イジメはされる側にも非あり」の尊大さで、「セクハラはされる側にも非あり」と言わんばかりに、された側のビッチぶりを掘り起こすのに余念がない。ならば娼婦は強姦してもかまわないとでもいうのか。
 腐った男は腐った女よりひゃくまん倍は臭い。そのことに多くの男が気づけない現状に、今世紀の社会の、混迷の元がある。近頃のAVがちっとも面白くないのも、きっとそのせいだ。ありがとうという感謝の心のないセックスは、繁殖行為ですらない、ただの野糞だ。まあ野山での糞なら土壌の栄養にもなろうが、コンクリやアスファルトの上では汚物でしかない。

 ……えーと、俺って、なんの話をしてるんだかな? まあいいや。金ないし。


07月01日 火  ピクったときのアンドレ・ギャニオン

 ひねくれ者の狸の場合、昔から、色々あってコメカミに青筋がピクピクしているようなとき、いわゆる『癒やし系』の曲がラジオから流れてくると、「え〜い、なにをチンタラチンタラとシケっぽい音を出してやがんでえ!」などと、思わず卓袱台返しを食らわせてしまい、逆にフルボリュームのヘヴィメタによる脳味噌震動療法で精神を鎮静させたりしていたわけだが、そんな狸ですら、いかなる状況下でも、その曲を聴くだけで心が凪いでしまう、阿片のような曲がある。
 近頃、エコカーかなにかのCMで、その曲がテレビから頻繁に流れて来、あいかわらず煮詰まりがちな日々が続く小動物の身には、とてもありがたい。

     

 妙な話だが、ウクライナとかイラクとか、とにかくこれからコメカミの青筋を治めるために目障りな連中をパーっと派手にブチ殺してやろうとお互い思い合っている方々は、交戦前にとりあえず各陣営で集合し、アンドレ・ギャニオンのピアノを流しながら、使用予定の兵器類を車両から航空機から機関銃類まで、全部ミルキーピンクでペイントしてみてはどうか。それぞれの御当地キティちゃんなど、適宜あしらってみるのもいいですね。
 その上で、なおコメカミに青筋がピクピクしているようだったら、たった今自分でペイントしたミルキーピンクの銃口を自分のコメカミに当てて、軽くトリガーを引けばいい。
 その際も、アンドレ・ギャニオンのピアノが流れていれば、きっとキティちゃんが祝福してくれます。