[戻る]


09月28日 日  デイ・ドリーム・ビリーバー

 昨日の真昼の噴火直前まで秋晴れの観光地であった御嶽山頂付近では、今も30人以上の登山客が心肺停止状態になっているそうだ。
 そう、わが愛する母国・日本列島の地べたは、幾たびかの大震災を例に引くまでもなく、いつなんどき揺れたり吹っ飛んだり水浸しになったりするか、いかなる愛国者にもノンポリにも予測できないシロモノなのである。
 この上、たとえば原発まだまだ続けましょうとおっしゃる方々などは、自分では現実的愛国者のつもりなのだろうが、正直、明日をも知れぬ現在進行形のデイ・ドリーム・ビリーバー、橋の下のホームレスや日雇いの狸より黒っぽい。

          ◇          ◇

 忌野清志郎さんの日本語版『デイ・ドリーム・ビリーバー』の、哀感に富んだ叙情も充分に愛しつつ、いっときそこに陶酔できるのはそれが叙情歌という情動的昇華のための精神空間だからであって、やっぱり現世でシコシコ生き続けねばならない狸としては、元祖・モンキーズの歌う多分に苦々しい生活感の中に、普遍的にして不変の愛もロマンも、しみじみと感じてしまうのです。

     

 白馬の騎士も永遠のお姫様も、金のなる木も夢でこそ花。
 などと言いつつ自前の創作上では、多く、あきらかに日本語版『デイ・ドリーム・ビリーバー』寄りの狸なんですけどね。なんせ化けたがりなもんで。


09月25日 木  雑想

 結局先週は2日しか働けなかったので、今週はみっちり残業している。
 通常、倉庫労働は雑念を払うのに適しており、良きにつけ悪しきにつけ、なーんも考えないで時を過ごせることが多いのだが、今週はなんじゃやら意味もなく焦燥感にとらわれがちで、変だ変だと思っていたら、つまり先々週までの5ヶ月間、仕事中も母親関係の『いつなんどき感』を常に心奥に抱いていたため、その感覚が固着してしまっているのである。
 ことほどさように、小動物の性根は本当にいじましい。前回愚痴ったような諸事はまだまだ続くにしろ、母親の生死そのものは、もう心配しなくていいのである。仕事が終わって携帯を見たらそっち系のメールがてんこもりとか、夜中に突然容態が急変して始発で駆けつけるとか、そういった心配は永遠に終わったのである。
 もちつけ自分。

          ◇          ◇

 このところ、仕事場の休憩室から見下ろす汀に、同じ白鷺が毎日のように舞い降りて、魚を突っついている。勝手にシロと名付けてみた。
 遠くスカイツリーを望む近所の野鳥場の方向から湾岸道路を飛び越えて鮮やかに飛来し、日向ぼっこだか食事だか、気ままにうろうろつんつんする様は、休憩時間中ずっと眺めていても飽きない。
 いや、別に鳥になりたいとか鳥になったとか、そんな話ではありません。
 だいたい東京湾の、それも汚れた河口の小魚しか食えんのだからな、こんな街で白鷺になったって。

          ◇          ◇

 ニュースを見聞していると、例の神戸の生田美玲ちゃん事件が、いたましく、かつ歯痒くてたまらない。兵庫県警の捜査も当初から穴だらけだし、容疑者に関する情報も、なんじゃやら曖昧模糊としか発表されないし。
 失われたのは幼女の命なのだぞ。この世で最も尊い命なのだぞ。
 警察官の2〜3人は過労死する勢いで捜査するのが当然ではないのか。


09月21日 日  子狸うろちょろ

 まあ実際には、そんなかわいらしいビジュアルではなく、半白髪の肥大化した狸がよろよろと市中をうろついているわけだが、『子』であることに誤りはない。しかし、それを社会的に証明するのがなかなか難儀だ。
 葬儀屋さんなどは、電話1本と死亡届ひとつで、遺体の移送やら地元のお坊さんの手配やら、なにからなにまで厳粛に、しかし迅速に動いてくれる。そりゃそーだ。すべての仕事の見返りは、遺族による現金払いだ。しかしその遺族が、亡母の簡保から現金を調達したりしようとすると、これがそう簡単にはいかない。名義人が死亡した場合、死亡届だけでは話が進まないのである。名義人の戸籍謄本のみならずあっちこっちの除籍謄本まで揃えねばならず、また窓口で「は、早くゲンナマを!」と泣き叫んでいるウロンでビンボそうな狸が相続人の代表であることを証明するための様々な手続きも、なんじゃやらかんじゃやら、多々多々多っと必要になる。
 今のところすべてのかかりは、遺憾ながら姉の家に立て替えてもらっている。今後の仏事の出費なども、とりあえずは立て替えていただけそうなのだけれど、近県在住の身内だけ集まった小規模な家族葬だけでもすでになんやかんやで100万を越え、これからまだまだ納骨や四十九日、さらには百ヶ日など、故郷の菩提寺で父母の兄妹を集めねばならない仏事がてんこもりである。姉の家のフトコロ具合だってあくまで下寄り(失礼)の中流、早いところ200人の福沢諭吉さんに新規ご登場いただきたい。最低それだけはないと、一周忌までの仏事を消化できない。なにせできそこないの長男(俺や)が日雇い暮らしなもんで、亡母が無事に亡父と偕老同穴に至るための費用も、亡母自身の簡保に頼るしかないのである。
 ところで遺品を整理すると、母がまだアルツ化する以前、故郷で開いた地方銀行の通帳が出てきた。10年前の日付で数万の残高が記帳されているのだが、現在どうなっているか定かではない。ちっぽけな地方銀行ゆえ、最寄りの支店は、ネットで調べたところ新宿にただ一店。これも、いざとなったら仰山な書類揃えて、新宿と往復するしかないのかしら。
 喪中だというのにきわめてナマ臭い話ばかりで恐縮だが、人生も後生も諦めた自分自身のシマツならいざしらず、田舎育ちで世間体も気にし、人並みに信心もしていた母親に成仏してもらうには、郵便局の窓口で「は、早くゲンナマを!」と泣くしかないのである。

 ちなみに狸自身は、現在、最低限の簡保に加入している。でないと何年か前のような入院騒ぎを自前で越せないし、遠からずのたれ死んだとき、灰にはなれても墓に入れない恐れがある。
 本当のところ、自分としては、むしろナマの骸のままで富士の樹海あたりに放置してもらい、野獣にがふがふと食いちぎられたり、わらわらと虫にたかられたりしたい。つまり粛々と大自然に還りたいのだが、それは駄目なんですってね法律で。


09月13日 土  逝く夏

 本日未明、誤嚥性肺炎により老母死去。
 ずいぶんお待たせしちまったが、よろしく彼岸に迎えてやってくれ父ちゃん。
 じゃあまた、いずれ、そっちで。


09月10日 水  可視不可視

 デング熱の広がり具合も近県の住狸として心配であるものの、やはり西アフリカ諸国のエボラ出血熱が気にかかる。人間同士の軋轢などは、しょせん人間同士のことだから、人間に任せておけばドツキ合うなり妥協するなりで致死率50パー以下に収まるだろうが、ウィルスのやることに妥協はない。今のところ致死率は50パー以上、状況によっては80〜90だそうだ。
 まだ量産はできないにせよ抗体は存在するわけだし、富士フイルムホールディングス傘下の富山化学工業が開発したインフルエンザ治療薬がエボラにも有効らしいとか、いくつか新薬の候補も上がっているらしいから、いずれ危機は収束するのだろうが――基本的に空気感染はしないと言われるエボラウィルスがなぜここまで拡がりっぱなしなのかを思えば、どうもその地域の住民自身が、正しい病魔とのドツキ合いを知らないのではないかと推測される。衛生問題だけではない。ニュースによれば「エボラウィルスなんて存在しない」「支配者による情報操作だ」と主張して、医療活動を妨害する連中までいるそうだ。ドツく相手を間違えているのである。まあそこに至るまでの歴史問題をつっつけばキリがないのだけれど、ぶっちゃけ人や軍隊と違って目に見えないもんなウィルス。

 自分の目に見えないからと言って霊魂などの超自然を信じない方に、じゃあ貴君は酸素や空気の存在も信じないのか、と反論しても、相手が小学校で理科を教わっていなければ、問答そのものが成り立たない。見えない物を信じてもらうには、見た人間を信じてもらうしかないのである。結局、生きている人間同士の問題なのね。実は未だにダダ漏れであると噂される福島原発の放射性物質だって、狸の目には見えない以上、誰か信用できる人に教えてもらうしかない。
 悩みたくないからシカトする、という手もあるわけだが――さすがに小学校の理科くらいは、幸か不幸か覚えているからなあ、半畜生の狸でも。


09月07日 日  雑想

 昨日は絵に描いたような『狐の嫁入り』を体験した。
 神奈川の本郷台駅から、鍛冶ヶ谷カトリック教会を経て鎌倉街道に出、母の入居している特養へと向かう間、久々の炎天といってもよい日差しの下で、大粒の雨に見舞われたのである。周囲には薄い雲が見受けられるが、そんな雨脚に繋がりそうな暗雲はまったくない。それでも雨はたっぷり5分ほど地べたを濡らし、炎天によってたちまち蒸発、道筋は当然ながら真夏のサウナと化した。
 そうか、解った。どうしてもぐちゃぐちゃのへろへろになれと言うのだな。

 古来、狐は狸を好かないと聞いている。しかしここまでの嫌がらせは、さすがに心外である。

          ◇          ◇

 そんなこんなで、せっかく自主連休にしたにもかかわらず心身共に覚束ない狸は、先刻ついうっかり、備蓄の安豚コマの残り全部を、野菜と共にヤキソバに投入してしまった。
 直後、遅い晩餐の気配を察したミケ女王様がご来臨あそばされたわけだが、当然、すでにソースで真っ黒けになった豚コマしか献上できない。
「……なんですかこれは。あなたはわたくしを馬鹿にしているのですか。さあ早くナマモノを出しなさい」
 と、ミケ女王様はおっしゃって――いやさすがにしゃべりはしないが明らかにそんな目つきで睨みつけるので、狸はやむを得ず、まだ一玉残っていた生ソバの一部をちぎり、おそるおそる献上してみたが、
「…………」
 どうにも沈黙が黒っぽい。
 結局、狸は、加熱済みの豚コマのソースを口中で入念に嘗めとり、その肉片(プラス狸の唾)で、なんとか勘弁していただいたのであった。

 あいかわらずいっさい肌を許してくださらないミケ女王様ではあるが、間接キッスは無問題なのですね。これもきっと愛。


09月03日 水  初心

 種々の意味で、一度、狸は初心に返る必要があるように思う。

     

 澱んだ主観的既知の渦中にあっても、客観的未知は永劫に続くのだからな。


09月01日 月  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」