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10月30日 木  雑想

 ゾルピデム、昨夜まですでに3回使用。いい按配である。床に就いても輾転反側、「あ、こりゃ今夜は頭がキワキワ(?)して眠れんな」と自覚できる夜に、飲めば推定30分後には、いつのまにか眠っている。もっとも、入眠後3時間ほどで一度目が覚めてしまうが、それはヤクなしで寝たときも同様だし、そもそも入眠できない限り目は覚ませないのだから、ずっと眠れないよりは遙かにマシである。

          ◇          ◇

 狸穴に届く新聞が朝日オンリーに戻って、そろそろひと月たつ。
 あーじゃこーじゃ世間で騒がれた割には、ちっとも萎縮していないのが、なぜか近頃の狸には好ましい。狸として可能な限り客観的に見ても、他の日和見の新聞や週刊誌、よくまあ自分とこの無節操を棚に上げて、ここまで捏造捏造と大騒ぎできるものである。衆愚相手に売れそうな時流まかせの見出しを舌先三寸でコロコロと繰り出すよりは、「いやボクはあくまで左側を行くのだ」のほうが、潔くていい。「いやワシは断固として右に舵を取る」の新聞も、潔いと言えば潔いわけだが、どうも『はた迷惑』の度合いは、左に勝る気がするのだ。ぶっちゃけ、科学的社会主義は永遠に美しいファンタジーだが、欲や意地がらみのドツキ合いなど、ちょっと馬鹿なら誰にでもできる。
 えーと、念のため、狸自身は相変わらず感情右翼なのです。たぶん。ただ、正当防衛のドツキはやむを得ないが、欲や意地がらみのドツキは勘弁してほしい。

          ◇          ◇

 来月2日に故郷の菩提寺で、母親の納骨兼四十九日、および百か日(先行)の法事を営むため、土曜から帰郷の予定。
 多大な出費は、母の簡保のおかげで目処がついた。煩瑣さは長男ゆえ耐えるしかない。
 しかし――ああやりたくないやりたくない。
 我ながら「なんだかなあ」と呆れるしかないのだが――そして自分がいわゆるマザコンであると認めるわけでもないのだが――なんなんでしょうねえ。
 食後のデザートかなんかの代わりに、ポリポリ囓っちゃいけませんかね、壺の中の骨。
 まあそれは半分、いや99%冗談なのだけれど、これがたかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんの骨だったら、マジにこっそり食っちゃいますね。

     

 平常心平常心平常心……。


10月25日 土  不眠対策

 自主アブレ日。

 いつもの病院で降圧剤をもらい、ついでに近頃の睡眠障害っぽい状況について相談。いつものちょいと色っぽくなくもない女医さんではなく、たまに会うだけの絵に描いたようなガリ勉タイプの青年医師は、ゾルピデムとかいうヤクを処方してくれた。初心者(?)向きのキレのいい薬で、即効性に優れ、ただし2時間もすれば効力を失ってしまうそうだ。文字どおりの『睡眠導入剤』ですね。しかしすべてのヤクが飲む人しだいでなんかいろいろあるのも世の常、中には夢遊病っぽい行動に出たり、翌日までウスラボケっとしてしまう人もいるそうで、もしその際は、次は一錠ではなく半錠かじってみるとか、自分で調節しろとのお達し。初めて相談した狸にポンと出してくれるくらいだから、どのみち大したヤクではあるまいが、これで狸も、ついに向精神薬デビューか。わーいわーい。

 などと喜んではみたものの、妙なもんをやらずに入眠できればそれに越したことはないわけで、午後は、久しく怠っていた自由徘徊を試みることにする。まあ毎日体を使って疲れてはいるわけだが、仕事の疲れというものは、しばしば頭を覚醒させる。体が「眠いよう眠いよう」と泣いているのに、頭は「いやなんか寝てるバヤイじゃねーみたいな感じだぞさあアセるんだアセるんだ」、布団の中でそんな感じになるわけである。その点、過去の経験によれば、昼のあてどない無制限徘徊は、夜の安眠に繋がりやすい。

 病院を出、隣駅前の吉野家でアタマの大盛りをかっくらったのち、まずは、どこか隣駅の北方にあるという、未見の古書店をめざす。こないだネット検索で知ったばかりの、美術関係書やら玄人好みの文芸書やら洋書写真集やら児童書やら、いかにもクセのありそうな個人経営古本屋である。ネット上の地図の記憶を頼りにガンガン進んで行くと、なるほどシロウトには極めて入店しにくいたたずまいの店が、小洒落たビルの一階で、ツンととりすましていた。古株の古書店にありがちな老化した閉鎖性ではなく、そう、たとえば学生時代に住んでいた西荻窪あたり、いかにも「ここは杉並区ですよ江東区じゃないですよ」な個人経営古書店、つまり浮き世離れしたハーブ屋さんだかアンティークショップだかなんだか、そんな感じの店構えですね。田舎狸の僻みかもしれませんけど。
 で、入店したとたん、なんじゃやら密やかな、かつ和やかな若い男女の談笑が耳についた。奥のカウンター兼ショーケースの向こうで、店主とその妻らしい推定30ちょっとのカップルが、仲良く並んで店番をしているのである。これはやっぱり、浮き世離れしたハーブ屋さんだかアンティークショップだかなんだかに迷いこんでしまった感じ。田舎出の老狸としては、けして嫌いではないが、居心地はしこたまよくない。
 それでも、今どきこんな形態で存続している個人経営古本屋は、狸穴の近隣だと世界遺産に匹敵する。とうてい地代の払える収益など上がりっこないだろうから、たぶんその雑居ビルのオーナーに関係する若夫婦が、文字どおり『浮き世離れしている』状態なのではないか。ならば、いわゆる新古本チェーンに流れあぐねた趣味的な古書が、大挙して集っていても不思議はない。
 さほど広くない店をふんふんと嗅ぎ回ること小一時間、まだ未読だった季刊雑誌『幻想文学』の18号(昭和62年)やら、大昔に愛読していたものと同じ装丁の『どくとるマンボウ小辞典』(昭和43年の22版)やら、ちっとも希書ではないものの、現状の狸にとってはたいへん高価な2冊を購入敢行。合わせて1300円の大散財となった。

 その後はもーまったく無目的に、気の向くままに道筋をたどる。とはいえ、まったく明後日方向に進んだのでは埒があかないので、おおむね国府台緑地方向をめざし、見知らぬ町や畑中の道をでっこまひっこまと徘徊。やがて記憶にある里見公園の近くに出、公園内の野良猫の現状をチェックに向かう。十年くらい前までは、なかば地域猫として大量の猫が棲息していたのに、おそらく近隣住民の苦情によって排除されてしまったのだろう、数年前から激減し、今日はたったの2匹しか出会えなかった。捨て猫が減ったのなら結構なことだが、保健所行きが増えただけなら、世の中、いよいよ国民総小姑鬼千匹時代。
 里見公園から、緑地を抜けて県道に出ると、なんか民子さんが呼んでるような気がしたので、矢切方面に歩を進める。伊藤左千夫の『野菊の墓』に関係するあたりを、あっちへうろうろこっちへうろうろ。やがて畑の彼方に江戸川の土手が見えたので、死ぬまでに一度は渡っておこうと『矢切の渡し』へ。現状、つれて逃げてよとすがる女性も、ついておいでよと誘う女性も皆無の身、ヤング・ファミリーやバックパックの若い衆たちに紛れ、寅さんのように柴又に向かって江戸川を渡る。孤独なれども快晴爽風。
 そして寅さんシリーズのまんまの帝釈天、観光客で賑わう参道で、古っぽく設えた駄菓子屋を覗いたりしたのち、柴又駅から狸穴の最寄り駅へ――。

 てなわけで、本日は、つごう10キロ弱の徘徊に終わった。
 さて――ゾルピデムによる向精神薬デビュー、今夜は成るや否や。


10月22日 水  猫が顔を洗う

 吹き降りの中、上着からスニーカーまで、ぐしょぐしょにして帰穴。
 こう降っていると、管理人さんの外飼いの番猫たちは、裏の物置小屋に避難していることが多いから、今夜は狸穴まで上がってこないだろうと思いきや、まずはミケ女王様が訪れ、濡れた毛並みを入念に嘗め整え、いつものように狸の晩飯の一部を搾取したのち、入念に顔を洗いはじめた。猫が顔を洗うと雨が降るのか、雨が鬱陶しいから顔を洗うのか、そう狸が問うと、ミケ女王様は「にゃうにゃうにゃおん」とか厳かに答えてくださるのだが、猫語なので理解できない。濡れた毛皮を拭いてさしあげようとしても、あいかわらず爪つきの猫パンチで拒絶なさる。
 ミケ女王様が去りしのち、ブチ下僕も顔を出したので、欲求不満を解消すべく、タオルをもってわしわしと弄ぶ。ブチ下僕はなんだか哀しそうな顔で、しかし拒絶も逃亡もせず、わしわしと弄ばれるがままである。ただ耳から前の顔だけは、あくまで自分で洗う主義のようだ。猫が顔を洗うと雨が降るのか、雨が鬱陶しいから顔を洗うのか、そう狸が問うても、ブチ下僕は無言で、ただ哀しそうな顔をするだけである。

 このところ、どうも気力を失いつつある。仕事はけだるく、休むのもけだるい。で、一日中眠い。といって布団に潜り込んでも、寝つきが悪く、横になっていること自体が快くない。ここ何年か、狸の生きる理由のトップであった存在が、すこんと欠落してしまったためだろう。とうの昔に、情愛よりも重圧のほうが勝ってしまっていたわけだが、生きる理由であったことに変わりはない。

 ミケ女王とブチ下僕は、あと何年、生きてくれるか。


10月18日 土  雑想

 社員が発明した特許は会社のものか、個人のものか――。
 こんな、誰が考えてもケース・バイ・ケースの問題に、まとめて「さあどっちだ」と白黒つけねばならないのも、まっとうな法治国家として体面を保つための宿命なのだろう。で、当然、全体主義寄りの現政府としては、個人よりも企業優先に走る、これも理知を超えた宿命なわけである。
 結局、今回の法案改正を通そうとしている誰かさんたちは、本人たちが思うほど全体主義ではないのである。単に「俺の部下は俺のもの」という、生活感が身についてしまっているだけだ。無論、政治上の駆け引きにおいて、人心というものがそんな単純なものでないことは『知っている』だろうが、それに実感が伴っていない。だから、ろくに根回しもせずにイケイケで事を進めようとする。
 さあて、そんな法案が通れば、今後(いやすでに今もそのケがありますが)先進的な研究者は、個人主義大国アメリカあたりにガンガン流出して――。
 ――あ、なんだ、むしろそれを狙っているのか。そうかそうか。
 こっちで莫大な研究費かけるより、あっちが実用化した技術を買うほうが、なにかと確実ですもんね。そのために、あちらさんとはできる限り仲良くしとく、と。
 考えてみりゃ「俺の部下は俺のもの」=「俺は俺の上司のもの」だもんなあ。
 すみません。前言撤回。これってやっぱり立派な全体主義だわ、うん。

 でもなあ。
 社会における個人の『業《ごう》』や『宿命』の発露とも言うべき重大刑事裁判に裁判員制を採用しておいて、こうした社会における個人の『才能』や『関係性』の問題に、裁判員制を採用しない手はないと思うのですね。
 結局は上級裁判所で好き放題に裁定しなおされるにしろ、いきなり「はい、みんな全体のおかげだよ」と決めつけられるよりは、個人の精神的ストレスも緩和されるはずだし。

          ◇          ◇

 子供の声が騒音かどうか、などという論議も、近頃の巷ではかまびすしいようだ。
 わははははは。みんな順調にアルツが進んでいるのかな、高齢化社会。
 幼時の自分の傍若無人な振る舞いを、みんな忘れてしまったのか。
 いや、わたくしは道ばたのお地蔵さんのごとく寡黙な、いやまあそれほどではなくとも、実にすなおで大人しい幼児でありました――そう言い切って、それが過去の事実である大人など、大人全体の2割もいないはずだ。
 あるいは狸自身の幼時記憶のほうが、老化によって音量を増しているのか。
 いずれにせよ、泣きわめく子供をシメたり、保育園の喧噪を防音壁で囲うより、頭が子供のまんま大人になった大音声の方々を、残らず渡島大島あたりに隔離したいと切望する、今日この頃の狸です。
 老化すると気が短くなるもんでね。だいたい、根がろりぺどだし。


10月15日 水  奴隷の望む平和

 正しく『奴隷』であるためには、自由意思をいっさい認められず、純粋に他人の所有物であらねばならないから、狸などは奴隷気取りの鼻持ちならない日雇いフリーターに過ぎないのだけれど、命じられた仕事を正直に「いやです」と拒絶すれば「うん、いいよ。じゃあ帰っていいからね」、つまり日銭ゼロ確定となってしまうわけで、鉄砲で撃たれるか餓死するか、絶命までの長短こそあれ、生殺与奪が完全に他者に委ねられているという点では、やっぱり奴隷なわけである。日々のご主人様を自分で選べるという点では、ずいぶん恵まれた奴隷なんですけどね。そこはそれ、飽食の国に生まれた幸運ということで。

 戦前までにはこの日本にも厳然と存在した事実上の奴隷、昔のアメリカの黒人奴隷、もういないことになってるけれど事実上どうもあやふやなあっちこっちの国の不可触民や人身売買被害者などなど、ヒトをヒト扱いしないという意味での『奴隷』は、今はちょっとこっちに置いといて――近代におけるヒトにあらざる奴隷の代表的な例といえば、やっぱり化石燃料ということになるだろう。太陽光とか水力とか、いわゆる再生可能エネルギーは、お天気の都合でなかなかすなおに奴隷化してくれない。核分裂だって、けして資源として無限ではないし、大人しく働いているうちはいいが、一度キレたらヒト奴隷の反乱どころではない騒ぎになる点では、立派に再生不可能な奴隷だ。

 しかし近代社会を維持し続けるためには、どうしたって奴隷は不可欠である。近頃の中国の目覚ましい経済発展だって、再生不可能な資源を湯水のごとく消費するのみならず、一定以下の貧乏人を貧乏人のままエネルギーとしてフル活用しているからこそ可能なわけである。しかし我が国同様の少子化問題が存在する限り、彼の国の貧乏人だっていずれは死に絶えてしまう。今や貧乏人すら再生不可能エネルギーになってしまっているのである。その点、いみじくも「産めよ増やせよ地に満てよ」とおっしゃった某一神教の造物主などは、さすがに賢い。もっとも狸は大キライだし、今となってはモハメッド様同様、あまりに時代錯誤ですけど。

 そんなこんなで、今のところ狸としては、安全な核融合技術の1日も早い実用化を望むしかないのだが――どうも無理っぽいですね。
 ならばいっそ全世界を太陽エネルギーでまかなえるだけの人口と文明に規模縮小してしまう――これでどうだ。
 うん、全世界の早急なる平和のためには、それしかない。
 産むな増やすな地にちょぼちょぼ。

 ……えーと、いかに狸が畜生の身でも、「人間なんてひとり残らず滅びてしまえ」と願っているとか、「殺し合い上等」とか言い捨てているわけでは、けしてありません。
 でもやっぱりここまで増えてしまうと、お互いいっぺん思いきって積極的に減ってみるのも、平和への近道だと思うのだが、どうか。
 それがいやなら、やっぱり1日も早く制御可能な太陽を見つけて、奴隷にするしかないのよなあ。
 少なくとも他のヒトを奴隷にするのは、なんか「いやです」のでやめませう。


10月10日 金  雑想

 本年のノーベル平和賞、例の『戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民』が受賞を逸したのは残念、などと言いつつ当然、対象者を正確に特定できない受賞など、元来あり得るはずがない。しかしマララ嬢の受賞というのも、オバマ氏のとき同様、受賞者の実績評価と言うより、選考委員会の国際社会に対するメッセージの口頭発表代理人、そんな感じである。

 ところで、よその国からイスラム国参加を志望する男性の方々は、残らず『結婚さえすれば9歳の女児と性交OK』な方々であると解釈してよろしいですね。
 ……許さん。そっちの神が許しても、仏の国の狸は許さん。

          ◇          ◇

 申込書が不備だの手数料が足りないだのなんだのかんだので、母親の相続関係の手続きが遅々として進まない。母親が生涯の内に転々とした3箇所の『本籍地』のすべてからナントカ謄本やらカントカ謄本を、それも電話と封書に頼ってナニしなければならず、「……いいかげんにせんかおまいらあ!!」と電話口で絶叫したくなる。しかし法律でそうなってると言われてしまえば黙って従うしかない。神奈川の区役所や銀行関係を担当してくれている姉も、「いいかげんにせんかあんたらああ!!」と絶叫しそうになっている。「こんなの日本国民総背番号制にして、オンライン一発で済ませればいいじゃん」と、近頃、ふたりで電話口で言い合っている。狸も姉も前科はないし、思想犯になる予定もない。

 いっぽう話が早かったのは、以前にも記した、残金数万円の地方銀行口座。本日、平日を自主アブレにして、首都圏では唯一の新宿支店を訪ねたところ、ものの30分で解約手続きが済んだ。どうも額面が10万円を越すと、とたんに話が面倒になるらしい。極貧の狸ゆえ、いきなり数人の福沢翁を懐中にして頭がハイになったが、残念ながらそのうち1名たりとも狸の管轄下にない。とはいえ気だけでも大きくなるのは結構なことで、新宿駅南口近くに奇跡的に残存していた超マイナー牛丼チェーン『たつや』の関東風醤油味牛丼が、たいへん懐かしく美味であった。

          ◇          ◇

 韓国海洋警察が違法操業中の中国漁船船長を射殺、などというニュースを知ると、うわあまたファビョっちゃったのか、などと思わず心配してしまうが、こないだのサンケイ新聞支局長在宅起訴の件を鑑みるまでもなく、彼の国の官憲が、もーまったく民主意識に乏しいのは確かである。
 まあ戦後しばらくまで、事実上『民主主義』という概念を国家的にいっさい知らなかった国だから、仕方ないのも確かなんですけどね。未だに強烈に恨まれ続けている日帝の統治時代だって、じゃあその前はそんなに自由な国だったのかと思えばあにはからんや、ぶっちゃけ日本で言えば江戸時代どころか平安時代に近い社会体制であり人権意識だった国なのである。無論それは単なる隣国の過去の歴史であり、感情右翼の狸ですらが旧日帝支配の正当化に繋げたりはできないのだけれど、短いとはいえ『大正デモクラシー』を謳歌できた一時期もある日本と、同じ土俵で比較するのは無理があろう。などと偉そうにいうと、「その大正デモクラシーそのものが他国からの搾取によって得られたのだ」と、左側通行の方々から怒られてしまいそうだが――しょせん衣食足りて知れる礼節なのよ民主主義。

          ◇          ◇

 で、コロリと話は変わって、きゃりーぱみゅぱみゅが、二股かけてた現場をフライデーにスクープされたそうだ。別にいいじゃん、お年頃のお嬢ちゃんなんだから、彼氏の2人や3人、秤にかけたって。しかしあのフライデー、かつての競合誌だったフォーカスが硬派たらんとして敗北したのをいいことに、ひたすら軟派路線を突き進んで現在の繁栄に至るわけだが――韓国の警察が編集部に出張って一人残らず射殺してくれまいか。品性下劣にもほどがあると思うのだが民主主義。
 ちなみに狸は断固として、きゃりーぱみゅぱみゅの味方です。ぶよんとしてしまりのないろり親爺のために、小学生の頃からスクール水着やビキニで頬笑んでくれたろりが、長じてどんな女性に育ったとしても、狸は絶対に裏切りません。あの頃は、ほんとにどこにでもいそうな地味っ子だったのよなあ。でもそこがまたなんとも――遠い目。

 で、またまたコロリと話は変わって、もう一昔前に13歳でデビューし、その後も数年にわたって、しまりのないろり狸を悩殺しまくってくれたジュニアアイドル日美野梓ちゃん、引退しちまって寂しいなあ寂しいなあと嘆いていたら――おおお、なんと現在は劇団四季の若奈まりえさんになっておられる。

 正味の話、ろり野郎を50年近く続けていると、かつて憧憬した少女モデルたちの中には、成人後、名を変えて、グラドルやAVどころか、マジな裏ビデオにまで進出してしまった方がいらっしゃる。しかし、狸は絶対に彼女らの神性を疑わない。生まれてから死ぬまでの一切が、ろり姿に集約されて神化するのだ。


10月05日 日  平和賞上等

 来週、ノーベル平和賞が発表されるのを前に、予想を行っているノルウェーの研究所は、ことしの受賞候補として戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民など5つの候補を挙げました。
 これは毎年、平和賞の予想を行っているノルウェーの「オスロ平和研究所」が3日、発表したもので、女性が教育を受ける権利などを訴えているマララ・ユスフザイさんや、政権に批判的なロシアのメディアなど5つの受賞候補を挙げました。
 このうち、戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民をことしの最有力候補に選んだとしています。
 理由について、オスロ平和研究所のハルプビケン所長は、NHKの取材に対し「ウクライナや東アジアなど各地で緊張が高まっている今こそ、日本の憲法9条の価値が国際的に認識されるべきだ」と話していて、紛争の予防を目指すノーベル平和賞の趣旨に立ち返る意味でもふさわしいとしています。ただ、研究所は過去10年間で40余りの候補を挙げていますが、予想が的中したのは2007年だけでした。
 憲法9条を巡っては、神奈川県の主婦らの呼びかけで、ノーベル平和賞の受賞に向けた署名活動が去年から始まり、趣旨に賛同した国内の大学教授らが、「戦争放棄の憲法9条を保持している日本国民」をノーベル平和賞の選考委員会に推薦していました。
 平和賞は10日、ノルウェーの首都オスロで発表されます。【NHK】

 と、ゆーよーな興味深い報道が、朝日新聞系列などでも嬉々としてなされたのだが、オスロ平和研究所の予想が的中したのは過去十年で1回こっきり、これが気にかかる。

 そもそもノーベル賞の設立からして、ダイナマイト開発等々、あまりに卓越した破壊力を備えた『諸刃の剣』を世間に拡散してしまったノーベル先生が、自分がただの『死の商人』ではないと後生に訴えるため、そんなニュアンスもあるわけで、ノーベル先生自身、「自分はとんでもねーシロモノを世間に広めてしまった」といった自責の念は、常にあったに違いないのである。とはいえダイナマイトがなけりゃ、その後の土木工事の勇躍的発展もないわけで、優れた産業用技術のほとんどは、言うまでもなくまんま破壊兵器に転用できる。ぶっちゃけ鉄砲の先を何に向けるかだけの話だ。
 で、狸としては、ぜひここは一発、『戦争の放棄などをうたった憲法9条を持ち続ける日本国民』を、ノーベル平和賞に輝かせていただきたい。
 いえね、皆様ご存じのように、狸は、いざとなったら戦争も外交の一種、そんな腹蔵がしこたまあるかもしれない腹黒者なのだけれど、どうもこのまんま阿倍さんちのお坊ちゃまにズルズルとフヌケた外交を続けられても、納得のいく戦争から遠ざかる一方のような気がするのですね。
 ノーベル賞選考委員会の皆様の、老獪なバランス感覚に期待。


10月04日 土  ビンボは続くよどこまでも

 アベノミクスの限界が見えてきたとか、いや末端の消費動向への波及はこれからだとか、そういった大局的な経済などちっとも理解できない日雇小動物の狸ではあるが、たとえ狸穴近辺の最低賃金が時給777円から798円に上がったところで、実際に時給を上げてくれたのは元来超薄給の現場、つまり750円や780円だった現場が800円になっただけで、たとえば元来800円や850円だった現場は、そのまんまなのを承知している。つまり大半の薄給現場の労働者は、今年4月の消費税増税ぶん、なんの疑義の余地もなく『もっとビンボになっただけ』だ。
 ちなみに消費税増税に伴って、昨年の所得税がゼロの貧乏人には1万円のお涙金が役場からバラまかれることになっているらしいが、昨年所得税ゼロの日雇い仲間の話では、請求したが未だに手続きが終わらないのか振り込まれてこないとのこと。時給換算で日雇いの倍以上稼いでいらっしゃると思われる役場の方々も、時給相応、なかなか忙しいらしいのである。

     

 亡母の縁者たちの心遣いによって(「欲たかりの坊さんの言うことなんぞすなおに聞くこたあない」とかね)、故郷での四十九日の掛かりは、かなり節約できそうな案配である。これで母親の保険が下りれば、かなりの福沢翁が手元に残りそうだ。
 しかしそれは狸の使える金ではない。何年か前に無一文になったときの借金が、あちこち残っている。それが友人知人からの、借用書なしの好意借財だったとしても、狸自身の生命保険を待っていたのでは埒があかない。もし相手のほうに先立たれたりしたら、小心な狸のこと、己の心の闇が勝手に作り上げた亡霊たちに夜ごと責めさいなまれ、「ごめんなさいごめんなさい」などと涙しながら一生を終える恐れがある。
 そんなこんなで、ここをご覧になっている方々のうち、なんじゃやら身に覚えのある皆様、ウン万の方なら全額、今年中に返済可能と思われます。ウン十万の方にも、できる限り……とりあえずなんとか半額くらい……。


10月01日 水  喪中三人組

 たかこ 「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ……」
 くにこ 「おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらーまにはんどまじんばらはらばりたやうーん」
 ゆうこ 「アーメン……」
 たかこ 「……らーめん」
 くにこ 「こら、たかこ、まったくおまいとゆーやつは……ぽかすかぽかすか!」
 たかこ 「いたいいたいいたいいたい」
 ゆうこ 「おろおろおろ」