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11月30日 日  自撮り棒

 あるいはセルカ棒というのだそうだ。

 いや、昨日、五十嵐氏と久々に浅草で飲んだのだが、疲れ果てたおっさん同士の愚痴りあいは果てしなく盛り上がらないけれどもささやかな慰撫にはなる、とゆーよーなサミしい話はちょっとこっちに置いといて、狸は初めて見ました。雷門前に密集する外国人観光客の方々が、なんじゃやらぶっといロッドアンテナみたいな金属棒の先にスマホをくっつけて前方に突き出し、あーでもないこーでもないと、自撮り写真の構図を整えている姿ですね。
 ……うわあ、懐かしや懐かしや。
 つい遠い目になって、脳内タイムトリップしてしまった狸です。
 もっとも、それにそっくりなカメラ用品が30年以上前に存在したことを記憶している方は、もうほとんどいらっしゃらないだろう。

 カメラという機械がある程度小型軽量化してから今日に至るまでの長大な歴史を思えば、同じ発想のシロモノを自分(あるいは個人経営町工場レベル)で作った方なら、いくらでもいるはずである。ただし狸の知る限り、大手メーカーの量産品としてその形状の製品を見たのは、あれは確か狸が某写真用品チェーンの新宿サブナード店で、ちょうど社会人デビューした頃ではなかったか。
 これもどんだけの方が記憶にとどめていらっしゃるか定かではないが、当時、ディスクカメラという小型カメラの1ジャンルが、鳴り物入りで誕生した。もちろんデジタルカメラなんぞ影も形もない時代、アナログ銀塩フィルムカメラです。まだ必要以上に元気だった巨大国際写真用品企業コダックが、シロト向けのバカチョンカメラ市場をさらなる小型新規格によって席巻しようと、ディスクカメラ&ディスクフィルムというシロモノを量産化したわけです。こんなの。いわゆる『覇者の驕り』の典型ですね。
 莫大な開発費はほんの2〜3年で1セント残らず損失と化したわけだが、発表当初は、なにせ銀塩フィルム世界の覇者がブチ上げた新規格のこと、世界中のカメラメーカーが追随して、百花繚乱の機種を市場に投入した。そのすべてが、ほんの2〜3年で1台残らずジャンク扱いになってしまったのはご愛敬。蜃気楼を追って全力疾走できる、シヤワセな時代だったのですね。
 で、当時は日本の一流老舗カメラメーカーとして元気いっぱいだったミノルタ、ここが、ちょっと面白い工夫をディスクカメラの前面にほどこしました。ちっこい長方形の凸面鏡をレンズの横にくっつけて、三脚やセルフタイマーを使わなくても、鏡を見ながらうんしょと手を伸ばせば自撮りができるようにしたのである。しかし、自分の手を伸ばしただけでは、どうしても撮影範囲が限られる。そこでオプションとして、セルフタイマーと併用するロッドアンテナ状の自撮り棒を発売した。そのネーミングは……うう、思い出せない。近頃マジでアルツっぽい狸なもんで。
「うわ、なにこれ」
「ぐらぐらして使いにくいよね」
「でもほら安いから関連販売は楽でしょ。面白いし」
「そうそう。売ったもん勝ち」
 そんな当時の先輩方との会話が、懐かしく耳に蘇ったりもする。

 今となっては、カメラにブレ防止機能のない時代、室内でストロボでも使わないかぎり壮絶にブレまくるであろうシロモノを、シロト衆相手に無責任に薦めまくったもんだ(いやもちろん使用上のコツは伝授しましたけど)と頭を掻くしかないのだが、最新のスマホを使ったって、雷門前の外人さんたちの手つきを拝見するかぎり、手ブレを吸収しきれるとは思えない。
 要は、みんなでワイワイやるための楽しい小道具なんでしょうね。


11月28日 金  ヤクの功罪

 睡眠導入剤ゾルピデムを、すでに使用すること十数回、確かにストンと入眠できることと、ただしほとんどの場合3〜4時間でいっぺん目覚めてしまうことは、以前にも記した。その場合、特に副作用は現れない、とも。
 しかし、ごく稀に――たとえば本日のように――とんでもねー目に会ってしまうこともある。
 前夜は残業して10時頃に帰穴、それから自炊・入浴・なんかいろいろの始末などで、就寝はどうしても2時過ぎになった。で、今朝は7時に起きなければならなかった。当然、少しでも入眠時間を縮めるためゾルピデムを服用し、無事にストンと入眠できたのだが――疲れすぎていたのだろうか、いつものように早暁いっぺん目覚めることはなく、ズブドロで熟睡したまんま7時を迎えてしまい、目覚まし時計に叩き起こされた。
 ……いやあ、夕方までヨレヨレでした。初めて薬をもらった日、医師が言っていた副作用を、みごとに体験してしまった。つまり、起きてからしばらくは記憶が曖昧で、ようやく記憶能力を取り戻してからも、夕方頃までは、何をするにもウスラボケっとしたまんま。なんとか業務上のドジは避けられましたけどね。
 実は、ちょっと前にも同じような体験があり、単なる体調不良だと思っていたのだが、思い起こせば、そのときも前夜から当日朝までの経緯が、ほとんど今回と同パターンだったのである。
 で、結論。ゾルピデムを飲んだら、自然覚醒より前に無理に起きてはいけない。いちんちヨレヨレになります。

 疲れたら睡眠時間をたっぷりとればいいだけの話だろう――そんな勝ち組っぽい正論を口にする方は、ただちに爆発よろ。


11月24日 月  記憶と記録

 昨日、神奈川の姉の家を訪ね、29枚のDVD−Rを預かってきた。子供が生まれてからのビデオ記録である。
 何ヶ月か前に、近所の写真店の折り込み広告が入り、キャンペーン期間中は古いビデオテープを半額でDVDにダビングしてくれるというので、昔撮りためたVHSやVHS−Cのホームビデオをまとめて持ち込んだところ、29本のテープが29枚に焼かれてしまい往生しているという。まあ、普通の写真屋チェーンのダビングだから、中身をいちいち合体編集などしてくれないのは当然なのだが、元のテープは、2時間みっちり録画されたものなどほとんどなく、むしろ十数分で終わってしまっているものが多い。あくまで自分ちのスナップ的な記録ですもんね。それも、撮りっぱなしの未編集。
 パソコン上での動画編集など、ほとんど未経験の狸ではあるが、スチル写真のデジタル画像処理は昔の仕事だったし、市販のDVDから本編動画だけナニして(あくまで個人使用目的です)、ちょいと切ったり貼ったりしたことくらいはある。その程度のスキルでも、ほとんどパソコン難民の姉や、仕事とネットくらいでしか使わない義兄の目には、DVDの合体くらいお茶の子の、パソコンおたくに映るらしい。
 まあ、やりゃあできますけどね。近頃は、その手の高機能なフリーソフトも巷に溢れかえっているし、元がホームビデオなら法にも触れない。
 で、ぼちぼち、そのリッピングやら変換やらを始めてみたのだが――いやあ、いきなり亡父の熟年姿や、今は無き実家の前なんぞが映し出され、情動的に往生してしまった。姉夫婦が、孫の顔を見せに、里帰りしたときのビデオなのですね。

          ◇          ◇

 いやあ、なんでも撮っとくもんだよなあ、と懐旧に浸りつつ――近頃の自分は、遠出をするときにも、ほとんどカメラを持ち出さなくなってしまった。
 月初めに法事で帰省したときも、眼福と言うべき光景には何度か遭遇したが、それを画像や動画として記録しようとは、ほとんど思わなかった。
 これは、近頃アルツがかってきて、遠い昔の記憶などは、視覚のみならず触覚や臭覚、その場の情動まで克明に反芻できるにもかかわらず、ここ数年の出来事に関しては「何々があった」という大ざっぱな事実しか記憶していないことが、大いに関わっているらしく思われる。心が摩耗してしまっているのですね。光景と共に記録したい情動がなければ、とりあえず見るだけで充分なわけで。
 いや、今はただ情動を押し殺しているだけで、あと何十年か生きられれば、ここ数年の来し方も、遠い昔の記憶のように生々しく、脳味噌の奥からずるずると這い上がってくるのかもしれないけれど。


11月21日 金  雑想

『恋の花咲く 伊豆の踊子』は、残念ながらハズレであった。原作に登場する学生さんや踊子さん御一行が、ほとんどオリジナルのストーリーにはめこまれた脚本で、そのオリジナル・ストーリー自体には、狸としてまったく感情移入できなかった。
 川端先生はお気に召されたらしい田中絹代さんの踊子も、正直、狸には、後年の美空ひばりさんよりも原作から乖離しているように思われた。哀れさと可憐さは、あんがい同居が難しいのである。
 また、期待していた昭和8年の伊豆界隈、戦後の諸作のようにレトロっぽさが強調されないぶんだけ、逆に戦前でありながら戦後の田舎の中途半端に新しい山間や街道筋で撮影したような、無造作な風景に思えた。昔から、この国のリアルな『今の風景』は、必ずしも『時代としての今』を反映しないのかもしれない。

          ◇          ◇

 寒くなってきたせいか、ミケ女王様の狸穴滞在時間が長くなり、やや丸みを増した柔らかいお姿で、アクロバティックな毛繕い姿を、狸の傍らでえんえんと披露してくださる。体をこっちにむけたまんま、首だけほぼ半回転させて背中の毛を整える様などは、思わず襲いかかりたくなるほど婀娜っぽい。しかし依然として、あらゆる接触を許してくださらない。
 それでも、首を半回転させている間に、こちらの顔をそっと近づけ、向き直った瞬間に鼻先がすれすれになっても、昔のように「ぎにゃあ!」とか跳びすさったり引っ掻いたりはせず、「にゃおん?」などと目を丸くしたまま、和やかなニラメッコに移行してくださる。
 冬場は異種間の愛も、丸く、柔らかくなりがちだ。

          ◇          ◇

 楽天DVDレンタルで、ずっと貸出中が続いていた連続時代劇『日本巌窟王』の、1枚目と2枚目(第1話から第8話まで)を、ようやくレンタルできた。
 いやあ、面白いのなんの。思わず寝食を忘れて、でも途中で思い出して飯だけは食いながらぶっ続けで観てしまうほどのノリである。『モンテ・クリスト伯』という大筋の下敷きがあるとはいえ9割方はオリジナル趣向、また当時の綺羅星のごとき役者衆の魅力によるところも大とはいえ連続23回の長丁場をイッキに語る話芸=シナリオ構築技術は、日本連続テレビドラマ史上、一二を争う見事さである。
 どうしたら、こんなに面白い話を書けるのだろう。
 いやいや、狸だって、「どうしてこんな素敵なものが書けるのかしら。いいなあ。面白かったです。」などというお言葉を、お若い娘さん(推定)からいただいたことがあるのだ。
 ……そろそろ、また何か素適で面白いものに化けねばなあ。


11月16日 日  粘着狸

 それでもまだ映画『月山』への未練を振り切れない粘着質の狸ゆえ、ネット検索で、昔のVHSソフトを探してみた。すると、今どきDVDやブルーレイではなく、VHSをネット・レンタルしている店のHPが見つかった。品揃えは当然、VHS全盛期の、DVD化されていないマニアックなソフトが中心である。中にはすでにDVD化された映画もあるが、高価すぎたりレンタル禁止だったりすれば、VHSの需要もまだあるのだろう。
 で、そのHP内をちまちま検索してみると――『月山』のみならず、懐かしのエロビデオ『女高生・奥のうずき』(おいおい)などまでレンタルしているではないか。主演は、ろり親爺ならかつて一度はお世話になったことがある(なんのや)童顔貧乳系ピンク女優、蘭童セル嬢。本来アングラ演劇系の女優さんだったため、モニターやスクリーン上では、ほんの2〜3本のエロビデオやピンク映画や日活ロマンポルノに出演したのみで、中でも主役を張ったのは、この30分弱のオリジナルエロビデオ『女高生 奥のうずき』が唯一のはずである。当時は立派に18禁扱いだった作品だが、今となっては15禁よりお上品、せいぜいおっぱいとショーツほどの露出で、いかにもアングラ舞台女優さんのアルバイト的な作品。
 『恋の花咲く 伊豆の踊子』などというタイトルもあった。昭和8年(1933)、五所平之助監督のサイレント映画である。川端康成原作の、初めての映像化ですね。これをチェックすれば、狸にとって未見の映画『伊豆の踊子』は、昭和35年の鰐淵晴子版のみとなる。さすがにこれは在庫がないようだが、田中絹代さんの踊子だけでも観られれば御の字である。
 問題は、レンタル料が1本1000円、往復の送料が800円という高価さだが、これもビデオレンタル勃興期の料金を思えば、けして高すぎはしないだろう。と、ゆーわけで、またもや清水の舞台から北朝鮮のミサイルを迎撃するイキオイで発注してしまったところ、偶然同じ県内だったためか、翌々日の夜には届いてしまった。
 
 で、とりあえず『月山』。
 画像のグアイから判断して、まちがいなく、こないだ借りたDVDのマスター(?)である。しかもありがたいことに、ワン・オーナーの買取品らしく、レンタル専用品にありがちなドロップアウトや画像劣化がほとんどない。これならば、狸穴のSVHSデッキ――老いたりとはいえ往事のハイエンド機を使えば、手前勝手にデジタル調整できるだけ、元よりも見栄えのするオーサリングが可能だろう。
 ……ガッチャ!
 現行DVDよりも、はるかに良好な映像をゲット! まあ、昔の地上派深夜映画をエアチェックした程度ではありますけどね。
 ならば、さて、懐かしの蘭童セル嬢の疑似ろり姿は――ありゃ、こんなちんちくりんなお顔だったっけ。でも童顔だし貧乳だし、お肌の血管までうっすら見えるくらい画質良好だから、オールOK。
 『伊豆の踊子』はまだこれからだが、いやあ、VHSって、ほんとに馬鹿にできない実力だったのですね。狸穴の旧式ブラウン管テレビと、相性もばっちり。


11月12日 水  うれしいんだかうれしくないんだかよくわからない話

 財務省は、介護報酬を6%以上マイナス改定する算段のようだ。あくまで社会福祉法人の内部留保が過大だからであって、介護職員の賃上げを図る現行の介護処遇改善加算は拡充する方針だと言うが、それはつまり、安倍首相が従前から言っている「在宅介護へのシフト」(まあ阿倍さんが財務省にすなおな方なのか、財務省が阿倍さんにすなおなのかは知らんが、どのみちなあなあの仲には違いない)を現実化したいのだろう。特別養護老人ホームの多床室の室料を保険給付から外し、入所者の自己負担とすることも求めているそうだ。
 なるほど、貧乏人は自宅でアルツやってろ、ということだな。
 せっかく上げた消費税、福祉なんぞに回してたまるものか。召し上げた金はワシラのもんだぞわっはっは。
 ……まあ、そこまで腐ってはいまいが、名門一家でお育ちのいい方々も、苦労しすぎて根性の曲がった方々も、政治屋としてある程度偉くなってしまえば、みっともない老朽貧民などは裏長屋に閉じこめてしまいたくなるのが人情というものである。
 しかし財務省のお偉い皆さんも阿倍さんも、アルツ老人の自宅介護って、やったことあるんでしょうかねえ。
 あったにしても、常勤の看護師さんやら女中さんやら、しっかり自己負担で雇えたんでしょうねえ。
 ちなみに狸や姉が母親の自宅介護を断念したのは、かつて実家で寝たきりのアルツ祖母を自宅介護していた両親のとんでもねー苦労を、目の当たりにして育ったからです。もちろん女中さんはいませんでした。
 自分自身は、将来ヨレヨレの寝たきりボケ老人になったとき、老妻や子や孫に(どれもいないけどな)自宅介護を受けたり、特養の多床室に収まりたいとは思わない。なんとか歩けるうちに自分に引導を渡し、故郷・蔵王連峰の山深く、何処かの谷間にあるという狸の墓場を、粛々とめざすのみである。
 ……ウソです。ありません。でも冗談抜きで、どこか深山の病葉に紛れたいのが本音。
 つらつら考えてみりゃ、現政府は、それを後押ししてくれてるんですね。ありがたやありがたや。

          ◇          ◇

 楽天レンタルから『月山』と『遠野物語』のDVDが届き、さっそく試しに再生してみた。
 AMAZONの購入者レビュー等により、かなりお粗末な画質であるのは覚悟していたが――わはははははは、ここまで低画質とは思ってもみなかった。
 あまり需要の見こめないマイナー旧作は、昔のVHSビデオソフト製作時のマスターを流用して安上がりにDVD化するのが、邦画界のみならず大ハリウッドでも常套手段であるから、その程度なら御の字である。しかし今回の『月山』と『遠野物語』、明らかに、古いマスターどころか市販されたノーマルVHSのソフトそのものを、まんまDVDオーサリングしたような画質なのである。つまり、狸が図書館から古いVHSソフトを借り出して、自宅のDVDレコーダーにダビングしたのと同程度の画質。これは元々が低解像力であるのに加え、原版が古ければ古いほどアナログの磁性記録が劣化しているので、しばしば、昔の地上派を録画したVHSテープよりも甘い画像になる。それをデジタル変換する過程で、ノイズといっしょに細部情報まですっとんでしまうから、いよいよ甘くなる。それはもう、チクロとサッカリンをアスパルテームでこねたように、トロトロと甘くなるのである。
 なぜ、こんな状態のものが、今どき正規品として流通しているのか。販売会社は、仮にも大手のビクター・エンタティメントではないか。いやしかし、あそこはただ流通を仕切っているだけか。
 そこで製造元を当たってみると、いちおうはDVDメーカーのようだが、なんじゃやら、どうもウロンな弱小会社であった。村野監督の、独立後の個人プロダクション作品など、けっこうマニアックな文芸映画がラインナップされているいっぽうで、どーでもいいような叩き売りDVDも多数製造したり取り扱ったりしている。一般個人相手のDVDオーサリングまで商売にしているようだ。
 なんだかなあなんだかなあ、と、なお首をかしげつつ、それでも出ないよりは出してくれるだけなんぼかありがたいのだろうなあ、と、なかば諦めて、とりあえず『月山』のほうの全編を視聴し続けるうちに――さすが名画の底力、いつのまにかその作品世界内に、完全没頭している狸であった。
 そうなのよ、映画世界という奴は。そりゃ高画質に越したことはないが、たとえば大昔、狸が白黒の14インチしか持っていない時代に、カットだらけで放送される昼間の民放映画枠ですら、名画は厳然として名画であった。魂の問題ですね。

 で、結局、充分に酩酊しながら迎えた『月山』のエンディングの、さらに終了後の真っ黒い画面に、新たにちょこっとインポーズされた、ちっこい白文字。その文字列を見て、狸は仰天した。『(C)村野鐵太郎』――そうなっていたのである。
 ……いかに個人プロダクション制作とはいえ、俳優座まで協賛した、名優・名スタッフてんこもりの作品が、なぜか今は監督個人の著作権所有物となっている。こんなのはアリか。
 これはつまり、アレなのではないか。どれだ。いや、監督自身の意地による自費出版、じゃねーや、自費DVD化。あるいは、それらの佳作が映画史上の幻になってしまうことを惜しんだ弱小DVDメーカーが協力したとか。しかし今となっては、過去のマスターテープが存在しない。上映用のプリントはどこかに現存しているはずだが、それをデジタル・リマスタリングする資金がない。ならば、監督個人の所有していたコピーテープ、つまりノーマルVHSからオーサリングするしか、手はないわけである。
 ――以上、狸の推測にすぎません。あしからず。
 しかし、かつてVHSソフトの全盛期に『月山』を発売したのは、確か東宝だったはずである。ならばマスターテープくらい、保存しているのではないか。DVDに関しては大層欲深い会社だから、要求する使用料がハンパではないのか。まあ、これも狸の推測にすぎないけれど。
 なんにせよ狸の生きているうちに、日本映画専門チャンネルあたりで、しっかりデジタル・リマスタリングしてくれるのを、天に祈るのみである。
 もし狸が、そこそこ財力のある実業家だったりしたら、この『月山』とか、川島透監督の『押繪と旅する男』、それに石井輝男監督の『ゲンセンカン主人』あたりは、損得抜きで入念にブルーレイ化したいところなのだが。



11月09日 日  うれしい話

 限りなく無一文に近い、自転車操業MAX者であるため、久しくクレジットカードとは縁がなく、デビットカードすら縁遠かった狸であるが、母親の簡保で一時的に口座が膨れあがったため、新しくVISAデビットの使える銀行に口座を開いた。とはいえすでに7割がたは仏事等に消費し、種々の後始末を済ませ残りを借金返済に当てると年内にはカラになる勘定だが、それまでに、ちょっとくらいは自分を慰めたい。で、いつまでたってもレンタルされそうにない邦画DVDを、あっちこっちネット検索してみた。すると、なんとも意外なことに――おおおおお、いつのまにやら楽天レンタルで、村野鐵太郎監督の『月山』やら『遠野物語』やら、生きているうちにもう一度見たいけどもDVD買うほど金がないよう金がないようと嘆いていたシブい作品群が、なんと1枚たったの10円でレンタルされているではないか。
 念のためTSUTAYAやGEOやぽすれんも当たってみたが、そんなシブ好みの古物を扱っているはずもない。調べてみたら楽天レンタル、古いマイナーな映画も、かなり品揃えしているようだ。誰が揃えてくれたのか。爺いか、あるいはサブカルおたくの若い衆か。どっちにしても、同志よ末永くそこで生き残るんだぞと激しくエールを送りつつ、とりあえずその2枚、VISAデビットを使ってスポット・レンタル。送料コミでもたったの330円なり。
 ならば、もしや山本薩夫監督の『牡丹燈籠』も――残念でした。こっちのほうがジャンル的にレンタル回数を稼げそうな気がするのだが、どこにも見当たらない。それでもAMAZONで新品が値下がりし、2000円を割っているのが判明。これはもう所有するしかないでしょ、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』に肉薄する日本怪談映画史上の傑作なんだから、というわけで、イキオイに乗って購入敢行。

 さて、ここで自省せねばならない。
 いかにVISAデビットが便利とはいえ、買えないものは買えない。あたりまえだ。即座に口座から引き落とされてしまうから、クレカのように訴訟覚悟でウン十万のシロモノをポチっとすることはできない。オフライン店舗ならタイムラグがあるので可能らしいが、これ以上世間に恥をさらしては、ただでさえいてもいなくとも変わらない狸の存在が、世間において赤字になってしまう。いや、とっくに知人内では大赤字なんだけども。
 そんなわけで、頼もしいVISAデビットも、今後は楽天レンタル限定のカードになる可能性大だが、なんにせよ貧乏人には嬉しい話である。

          ◇          ◇

 話変わって、今、大ボケに気がついた。
 週なかばに一度更新していたはずのこの雑想、ホームページビルダーにだけ追記しておいて、ネットに上げるのをコロリと失念していた。
 こうして人も狸もボケを重ね、いずれは土に還るのだなあ。


11月06日 木  おいしい話

 9月の葬儀から今月はじめの法事にかけて、交際上やむをえない贅沢な食事に、狸自身も何度かありついた。
 一例を挙げれば葬儀当日、火葬を待つあいだの昼食時に、葬儀屋に頼んでおいた仕出し弁当。カタログには3000円からあったのだが、生前の母親のええかっこしいを考慮して、姉とも相談の上、中程度5000円のものを選んだ。横浜の、けっこう老舗っぽい料亭の作である。これは美味かった。ちまちまと仕分けされた容器に、名も知れぬ会席っぽい料理が、ちまちまと10種類以上も収まっており、そのことごとくが大変に美味であった。
 最前の法事の宴席に関しては、親戚たちの希望もあり、その食事処で下から2番目、4000円のコースにした。つまり、こちらが、たとえば亡父の四十九日のように、ええかっこしいの未亡人(母親ですね)のイキオイで身分不相応な宴席を設けてしまうと、親戚たちも、それに見合っただけの福沢諭吉先生などを、あらかじめ不祝儀袋に用意しなければならない。そんなのは気持ちだろ気持ち、というご意見もあろうが、田舎のつきあいという奴は、そう淡泊には行かないのである。たとえば今回、亡母の兄弟姉妹など、事前に合議の上で、代表者が「みんなほんのお花代くらいのことしかできないから、昼食は蕎麦の一杯も振る舞ってくれればOK」と伝えてきたほどである。後期高齢者の生活は、田舎でも楽ではない。しかしまあ、これも生前の母親の性格を思い、「なんでこんなみっともない飯を皆に食わせているのだ」などと宴席に化けて出られてはなおみっともないので、下から2番目のコースでお茶を濁したわけである。席料込みでその値段だから、あくまで普通の食事処の体裁だが、それでもちゃんと美味であった。
 前日に泊まった蔵王の旅館は、節約のためもあり、朝晩の食事コミでも福沢先生ひとりでお釣りがくる、そんな庶民的な宿を選んだところ、これが晩飯に山形牛のスキヤキまで登場する大盤振る舞い、次の法事でもリピート希望の大当たり。
 そして今回の話題の、真打ちにしてトリを務める美味は――山形到着直後の昼飯である。
 狸の実家のあった町あたりを丸々ツブしてどーんと建てられた、山形市一の高層物件『霞城セントラル』、その最上階にある中華料理店。
 窓から市内を睥睨できるショバ代がコミなので、チャーハンひとつでも千何百円という、なかなかアレな店だったのだが――これが美味かった。中華にしてはあっさりと薄味なのに、食えば食うほどしみじみとベロに染み通る奥深い味。昔、まだ狸がきちんと人に化けていた頃、店長会議の帰りに社長に食わせてもらった周富徳の弟のチャーハンなどより、はるかに上等な佳品であった。まあ周富徳さん本人の作なら、炎のごとく美味だったのかもしれませんけどね、弟さんのは、高価なだけで味は大したことないようです。
 ……などと贅沢な話を列記しつつ、今夜の狸穴の晩飯は、自分で炒めたチャーハンである。タマネギとピーマンと魚肉ソーセージと卵、それにローソン100の炒飯の素を混ぜ込んだだけの、ずいぶんシケっぽいチャーハンである。しかし、それとてけして不味くはない。自分の舌に合わせたぶんだけ、餃子の王将のヤキメシなんぞよりは上等である。ではあるのだが、来年の一周忌は――節約のため日帰りの可能性が大きいから、蔵王温泉の山形牛のスキヤキは無理にしても――せめて『霞城セントラル』には、またよじ登りたいと思う。それまでは日雇いらしく、妄想や記憶をおかずに、1日ワンコインの食費で生きるのである。

 でも毎日千円や二千円の昼飯を食う余裕のある人は、きちんと毎日千円や二千円の昼飯を食ってほしいですね。それが吉野家だの松屋だのに行っちゃうから、世の中、うまく回らんのですよ。


11月03日 月  狸通力

 ああ、終わった終わった。
 まあ田舎の法事という奴は、気の長い家系、いわゆる旧家・名家なら下手すりゃ百回忌、気の短いビンボな家でも十七回忌くらいまではきっちりやるわけだが、とりあえず四十九日(ついでに百か日)を終えてしまえば、あとは一周忌、来年の9月を待つだけである。あ、新盆もあるか。しかし狸の場合、ちょっと墓を洗うだけでも、ひとつの旅になってしまう。
 ともあれ無事に忌明けとなり、つつがなく納骨もできた。

 出かける前には妙に気が重かったわけだが、いざ法事が始まってしまえば本堂は狸の親戚ばかり、ウン10年ぶりに顔を合わせる従兄弟やら、しぶとく生き残っている叔母やら伯母やら叔父やら伯父やら、葬儀のときとは違って故郷土着の血筋ばかりだから、煩瑣よりも懐旧が勝つ。
 で、ぞろぞろと寺の墓場に移動し、墓石の前の花立と水鉢をずりずりどけると現れるちっこい秘密の石蓋、これをまたずりずりすっぽんと外すと暗い穴の底には、なかば朽ちかけた亡父の骨片たちが、漏れこんだ僅かな日差しを受けて「よ、ひさしぶり」とか言っているわけである。いやさすがにしゃべりはしないが、気持としてはたぶん。すると、狸が内心ちょいともったいないと思っていた今回の亡母の骨も、やはり夫に向かって「いやはあまんずまんず」などと言って以下略。ならばやはり遺族としては、ざらざらと両親を一室に混ぜこんでやるのが吉である。まあ、その夫婦の欠片たちの下には、嫁いびり最強姑の欠片や、母も初対面のはずの若死にした舅の欠片もほうりこまれているわけだが、どのみちとっくに仏様なので軋轢はあるまい。
 ちなみに故郷近辺の納骨は、骨壺単位ではなく、みんな欠片だけ小口から注ぎこみ、先祖代々同居させます。ですから、恋に狂った遺骨泥棒のストーカー野郎などは、ギックリ覚悟で墓石全部を持ち上げないと、目的の美女の欠片に手が届きません。また、墓内の湿度等環境条件によっては、娘さんをゲットしたつもりで、そのお母さんを迎えてしまったりします。

 で――今回のタイトル、『狸通力』とは何か。
 いや、なぜか快晴だったのですよ、法事の朝から、駅前の食事処で宴会が終わるまで。
 天気予報では、もう前々日から、「故郷方面の1〜2日の天気は雨で強風」、そんな予報ばかり流れており、現に1日、北に向かう東北自動車道は、雨こそパラパラ程度であるものの、周囲の山々は霧に霞んでいた。そんな中で、午後に市内に到着して菩提寺を訪ね、複数の法事ぶんのお布施や諸式をしこたまふんだくられた後(おいおい)、翌日の法事本番に備えて曇天の下で墓を洗い、その夜は狸自身と姉一家の慰労をかねて蔵王温泉に一泊、そこでも雨が降ったりやんだりだった。そして翌朝、やはり曇天と薄霧の下、うねうねと山道を下り始めたのだが――やがて眼下に広がった盆地一帯だけは、嘘のようにきれいさっぱり晴れ渡っていたのである。それはもう、盆地の真上のぶんだけ雲を切り払いました、そんな状態。
 以前にもここで記したことがある、狸一族の法事ジンクス――狸一族が墓前でなんかうろうろするときは原則快晴、よほど間が悪くとも絶対に雨や雪は降らない――が、今回も的中したのである。
 それなもう見事な天気予報無視だったため、法事の際の法話内で住職もそのことに触れ、冗談交じりに「お祈りが通じた」とか「神通力」とか表現していたが、「お祈り」はいいにしても「神通力」はまずいんじゃないでしょうか。お寺だし。なにぶん八十過ぎの老住職だから、「通力」を言い間違えたのでしょうね。
 いずれにせよ、時あたかも紅葉シーズン、蔵王中腹から下にかけて、あるいは途中で寄った霞城公園の内外など、晴天下の赤黄とりまぜた錦秋は、文字どおり目の保養であった。
 帰りの東北自動車道が、例によって連休渋滞みっちり、のろのろ状態だったのはご愛敬。

 ところで、数年ぶりに訪ねた蔵王温泉、天候のせいもあろうが、紅葉シーズンの連休にしては、ずいぶん活気が足りないように思われた。
 宿の女将さんに聞いたところ、あの震災以降、温泉の泉質が薄まったりして、今イチ調子が戻らないらしい。なるほど、昔は温泉場全体を包んでいたむせかえるような硫黄臭、今回はさほど感じられなかった。
 元来、冬場のスキー客が商売の半分以上を占める温泉なので、通年の経営が危ぶまれるほどではないらしいが、その若い客層に合わせてバブル期の方向性を誤り、妙に小綺麗な建物を増やしてしまったのが、夏場や春秋の年寄りを遠ざけているのではないか。
 だいたい今どき若い衆だって、昭和レトロに群がる時代でしょう。老狸の懐旧抜きで、むしろ昔の雑然とした風情を蘇らせたほうが――いや待てよ、近頃は海外からのスキー客も馬鹿にならないんだよな。西洋人はあんがい古和風好みとして、中国や韓国からの人は――ううむ、どっちがいいんでしょうね。