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12月31日 水  どうにかなるさ

 しかし、大晦日の朝(いや昼過ぎまで寝てたんだが)に見た夢が、日雇い派遣先で仕事に追いまくられ、いつまでたっても昼飯を食わしてもらえない夢ってのは、どうよ。
 どうも睡眠導入剤を飲むようになってから、夢と日常の乖離が乏しくなってきた。以前は、起きても記憶している夢は、かなり奇抜でぶっとんだシュールな体験が多かったものだが、近頃は、寝てるんだか普通に起きてるんだが区別できないような、ありきたりの夢ばかり記憶している。
 これは向精神薬の影響か、それとも単なる想像力の枯渇か。

          ◇          ◇

 今年の狸穴10大ニュース――色々あった。以上。
 願わくば来年以降も、狸穴に限らず世界中、凶事慶事問わず色々あってほしいものである。
 事故や災害だって、ぶっちゃけ戦争だって、狸類や人類がまだ滅びていない証拠である。
 先があるだけいいのである。
 出来事が何もなくなったら、それこそ大宇宙の終焉ですもんね。

     

 などと言いつつ、今年は今日から正月3日まで自主連休、どこにも旅立たず、徘徊や妄想や寄席中継でつぶれる予定。

          ◇          ◇

 紅白を録画しながら蕎麦を湯がいていたら、管理人さんが訪れ、缶ビールの6本パックをくれた。今年も番猫たちをかわいがってくれた、お礼なのだそうだ。
 いやいや、こちらこそ、いつもの狸穴ご愛顧、猫様たちに感謝です。
 しかしミケ女王様もブチ下僕も、近頃は目脂が目立つ。単に気候のためだけだといいのだが。
 外飼い猫の人生、じゃねーや、猫生は、えてして短い。
 できれば七生祟るイキオイで、長生きしてほしいものである。


12月27日 土  冬夜

 ……ウフ。
 澄んだ冬の夜、湾岸ロジの最上階から眺めるスカイツリーって、とってもキラキラ、きれいですわね。

 ……ウフ。
 そこの、粋なブランド作業着でキメた、シブい正社員の方々。
 どなたか、あのツリーのレストランで、わたくしにニューイヤーズ・イブの正餐など、腹ぁパンッパンになるまで、かっ喰らわせていただけませんこと?

 …………なぜ逃げる!!

          ◇          ◇

 掌の内側のヒビワレは、ニベアのおかげでかなり落ち着いたが、右手親指先の角質化した部分が、どうにもならない。指の腹や先端中央ではなく、爪の先端両側にあたる部分にヒビが入っているのである。どちらもほんの3ミリほどの亀裂で、内側奥に覗く赤身はそれこそ2ミリにも満たず、そう大した痛みではないのだが、常に爪と干渉する部分であるため、「あツっ!」程度の軽い痛みが、軍手をはめていても断続的に二六時中続くことになる。これはすっげームカつきますよ、いや正味の話。
 で、アレを買いました。って、どれだ。
 アレです。大昔、ビジネスシューズで終日動き回り続け水虫の絶えなかった日々、乾燥性の水虫でバックリ割れてしまった足の指の股を、いっときくっつけるために使っていた、肉体用接着剤。
 正式には液体絆創膏とかいうらしいが、チューブも匂いもセメダインそっくりだし、傷に浸みた瞬間「ぐああああああああ」などとのたうち回ってしまうところや、その代わり乾いてしまえば肉の間がくっついて水や風呂が平気になるところなど、いかにもセメダインっぽい。これを休憩ごとに指先に塗布すると、指先限定強化狸として雄々しく地球の平和を守れはしないが、ムカつきはなんとか抑えられる。
 しかし高い。ニベアクリームの倍以上だ。
 これだけ似ているのだから、実際、ダイソーの接着剤で代用できないかと真剣に思い惑う今日この頃、皆様方におかれましては、いかがお過ごしのことでございましょうや否や。


12月24日 水  クリスマス・デブ

 くたびれたので自主アブレ。
 午後まで寝倒して、「あーうー」などと呻きながら、いつもの降圧剤をもらうために病院へ。ちょっと色っぽくなくもない女医さんに、聴診器をあててもらってラッキー。でも血圧は高め。
 先月から、以前よりもちょいと強めの薬に変わり、一時的に下がったものの、近頃は元の木阿弥に戻っている。まあ寒さのせいもあろうとのことで、しばらく様子見。

          ◇          ◇

 昨年のクリスマスには買いそびれた駅ビル高級スーパーの『ロブスター・テルミドール』、今年は無事に入手できた。
 アベノミクスによって甲殻類もめでたくデフレ脱却を果たしたのか、一昨年に比べかなり値上がりしており、処分特価でも2000円近い大散財である。しかし、この店の、クリスマスから正月にかけてしか販売しない大ぶりのロブスターは、近年、狸が生き続ける理由のひとつになりつつある。個狸限定の縁起物ですね。子供の頃、ご近所におけるクリスマス限定大御馳走だった鳥モモ焼きが、日雇い親爺ですら一年中食えるようになった今現在、それに代わる歳末風物詩なのだ。
「ロブスターだっていつでも食えるじゃないか」などと気軽におっしゃる方は、今この瞬間「う」とか呻いて胸を押さえうずくまり、しめやかに昇天なさるのが吉。

     

 自分へのプレゼントとして、清水の舞台から飛び下りて真っ逆さまに地表をぶち抜き足首までめりこむ覚悟で、こんな本も買ってしまった。
 じゃじゃじゃ〜ん。
 これが無敵の『乙女のロマンス手帖』なのよ、ウフ。
 思えば出版されて10年以上、年に1〜2回は図書館から借り出し、吐息とともに添い寝していた(その姿は想像しないでくださいねたぶん気持ち悪くなるから)ろり関係資料である。たぶん死ぬまで嫁代わりに愛好し続けるのだろう。
 ならば自分専用を身請けしたほうが大吉。

          ◇          ◇

 しかし、ふだんから造物主や唯一神をボロクソに言っといて、いざクリスマスとなると浮き立ってしまうのは、社会デビュー時にカトリック系幼稚園でしっかり刷り込まれたためでもあろうが、長じひねこびた今となっても、キリストという一個人には、あくまである種の敬意を保っているからである。
 モーセだってムハンマドだって、人として充分敬意に値する。
 問題は彼らの大親分、同じ存在であるはずのナニが、世界を産みっぱなしで放置している点にある。兄弟姉妹が殺し合おうがツブしあおうが、親である自分さえ敬っていればオールOK――あの曲がった根性が我慢ならない。
 育児放棄は狸界でも外道ですぞ。


12月21日 日  今年もサンタのお手伝い

 今月後半は、クリスマス+お年玉需要で人手不足のため、ふだんより時給を5割増しにしてくれた玩具の物流現場に通っている。割増しは今年いっぱいの予定なので、ここを先途と稼がねばならない。引っ張る品物が主に童心物件のため、肉体的疲労はともかく、精神的には何かと楽だ。
 しかし、あの、ちょっと前まで乳児だったようなちっこいメルちゃんにまで、彼氏ができていたのはショックであった。リカちゃんくらいの年齢なら、今どきやむを得ない気もするが、なんぼ売るためのアイテムを増やすためとはいえ、幼女にまで男をあてがっていいものか。パパは心配で心配でたまらないぞ。……誰がパパや。
 また、でかい雪だるまのぬいぐるみがやけに多い多いと思ったら、よく見れば木魚頭、いや鈴頭のベイマックスなのであった。さすがディズニー、世間の見込み発注量がハンパではない。なんぼ大量に引っ張ってもちっとも重くないので、日雇いにも優しい。
 対して往生するのが、定番テーブルゲームの、ジェンガ。あれがぎっしり詰まった箱は、日雇いの腰を破壊するための凶器に他ならない。危険物として取り締まるべきだと思うが、どうか。


12月17日 水  ひびわれる季節

 冬になると膝から下に貨幣状湿疹が生じるのは、中年以降の高齢行事、じゃねーや、恒例行事となっているから仕方ないとして、今年は早くも掌があちこちひび割れ始めた。
 この現象は一昨年までほとんど経験がなく、確か昨年の厳冬期から始まった症状である。それが、大した寒さでもない(あくまで狸の主観)年内から始まってしまうというのは、やはり高齢化による恒例化なのだろうか。しかし顔面などは相変わらずギトギトとアブラ中年の様相を保っているのに、掌だけおしん化するのは間尺に合わない。痛いし。
 いつものようにダイソーのアロエクリームを塗ってみたが、ちっとも効果がないので、今夜、マツキヨでニベアクリームを買った。風呂上がりに塗ってみると、さすがに高価なだけあって、たっぷり塗りこんでもベトつかず、お肌自体が自然に潤った感じになる。ダイソークリームの真逆である。
 狸にとって一番大切なのは金ではないが、狸の掌のヒビに限っては、100円よりも300円を望んでいるようだ。


12月13日 土  夢の散歩

 昨夜、面白い体験をした。

 昼間は久々に初めての現場、それも湾岸ではなく江戸川区、新小岩から葛西行きのバスに乗って二十数分ほど先の家内制手工業っぽい小工場の粗末な倉庫で、釣り用の重りを袋詰めするというなかなか変わった現場であり、たった一人の社員さんと狸が一匹、日がな1日、発注書を見ながら営々と各種のビニール袋に各種の重りを計り入れてホチキス止めしつづけたりして、それはそれでなかなか興味深い体験だったのだけれど、それはこの際ちょっとこっちに置いといて、その日のノルマを早めに達成してしまい、残りぶんの時給はオマケということで、曇天ながらまだ陽のある江戸川区の裏町に解き放たれた狸が、「やったあラッキー」と喜びながら停留所に向かって歩を進めることしばし――翌日(つまり今日)が、アブレ日なのを思い出した。ならば、せっかく初体験の土地に紛れ込んでいるのだから、まんま無目的徘徊に移行してしまえばいいのではないか。見知らぬ街と言っても、しょせん総武線と東西線の狭間、どう迷ったって1里も歩けばなんらかの鉄道にぶち当たる理屈だ。地下鉄は地面の下なのでぶち当たれないが、都営線の駅に偶然たどり着く可能性もある。あるいは荒川か江戸川にぶち当たって、夜の土手をウスラボケっと彷徨ってもいい。
 そう決めて、曇天下の早い夕暮れの下、なるべく幹線道路に出ないように住宅街の裏道などを辿り、帰途を急ぐ高学年ろりなどを愛でる(いやあくまで見るだけよ見るだけ)うち、狸はなんじゃやら見覚えのある細々とした水路に行き当たった。一之江境川親水公園――ビル街や住宅街の間を、にょろにょろと無差別に縫って続く小公園――何年か前に都営線の途中で降りて徘徊したとき、たまたま行き当たってそぞろ歩いたことがある小松川境川親水公園、あれの親戚ですね。どっちも全長3キロを超える、水蛇のような散歩向き公園だ。
 よく似てるけど違う場所なんだよなあ。北に辿ると総武線側、南に辿ると都営線側だよな。どっちに行こうかな。ああ、でもなんか、ンコしたくなっちゃったな。おお、小綺麗な公衆トイレがあるではないか。うわ、すげー、洋式でピカピカでペーパー完備。江戸川区、しこたま儲かってんじゃないか――。
 などと思いを巡らせつつ、小休止をかねてゆっくりンコしたのち、すっかり暗くなってしまった水路沿いを、ほとほとと徘徊再開してまもなく――水路が大きく右に蛇行する内側に、なんじゃやら不思議な空き地が現れた。金網の内側が、なんと言いますか、狸が子供の頃の、正しい叢《くさむら》状態。つまり今風の住宅街にぽっかり空いたただの売り地ではなく、丈高い雑草に覆われた、本式の原っぱみたいなの。
 金網の外まで流れてくるむんむんとした土と草の匂いに惹かれ、どこか入りこめる隙間がないかと探してみれば、これがきちんと一角に入口兼出口を設けてあり、ちっこい看板も立っていた。なんと、コオロギを増やして虫の声を愛でるため、わざわざ腐葉土を堆積して拵えた、モノホンの叢《くさむら》らしいのである。
 その入口から、やや小高い叢の奥を見上げ、狸は強烈な既視感におそわれた。草の波の向こうに、瀟洒な二階建ての洋館の、一階半ばから上の部分が覗いている。
 これはもしや知る人ぞ知る、でもほとんど知らない人は知らない、あの茉莉花館――。
 ……なあんてね。
 でも実は、狸が何年か前に勝手に創作したあの合成建築物よりも、さらに意外な物件だったのです。
 それと瓜二つの光景を、狸は子供の頃、夢の中で見たことがあったのだ。それも一度ならず、何度も繰り返して。いやマジで。
 あの暖かそうに灯の点った二階の窓、あそこに住んでいるのは、たかちゃんでもくにこちゃんでもゆうこちゃんでもなく、もちろんチヨコでもなく、夢内名称・百合奈《ゆりな》ちゃん――脳内別称・黒たかちゃんに他ならない。子供の頃、狸が(夢の中で)学校帰りに密かに後をつけ、この家に住んでいるとつきとめた同級生(あくまで非実在)――昔から小説として形象しよう形象しようと思いつつ、ちょっと精神的にツラすぎて未だに形象できない、屈折の脳内ろりである。
 てなわけで、狸は、むんむんと草の匂い漂う寒空の下、その二階の窓を見上げ涙を流しながら、暗い叢に細々と続く踏み分け道を、うろうろと彷徨ったりしてしまったわけだが――。

 ――結局、煽ったわりには、ほんとつまんねーオチが付きます。すみません。
 そりゃそうだ。夢の中ならいざ知らず、あくまで日雇い帰りの江戸川区ですもん。
 公園の一部に設けられたちっぽけなコオロギ畑(?)の裏に、たまたま洋館っぽいデザインの立派な家が建っていただけなのですね。わざわざそっちの表に回って表札をあらためれば、しごく普通に『鈴木』さんとかの家だ。
 それにしても――純粋に自分の脳内妄想のみでぽろぽろ涙を流すなど、いったい何年ぶりだろう。
 チヨコの次は、百合奈ちゃんの出番ということか。

          ◇          ◇

 期日前投票で、結局、共産党の子持ちの人妻(ガテン系ギャル出身の筋金入り)に入れる。比例代表も共産党。もはやファンタジーの世界から下界に焦がれるしかない。ああ、感情右翼の狸ですらが、かぐや姫になってしまいそうです高畑先生。
 裁判官国民審査は、今回は不信任なし。みんな大なり小なり狸の気にくわない判決も出しているが、妥当な判決のほうが多かったようだ。

          ◇          ◇

 で、あの美味なペヤング焼きそばが、とうぶん食えなくなるらしい。でも、あのゴキ、ちゃんと油で揚がってたんでしょう。世界的に見れば、地域の食性によっては、揚げゴキも立派なスナックである。食品工場の中で暮らしてたんなら餌も限られ、けして不味くないはずだ。
 ちなみに某大手スーパーや高級百貨店の食品売り場で、ネズミやゴキが元気に暮らしているのを、狸はこの目で見ております。まあ十年前の話ですから、今は違うと言われれば反論できませんけど。


12月10日 水  『ルートヴィヒ』新旧

 映画『ルートヴィヒ』の、新しいほうを借りて観た。昔のビスコンティ監督作品ではなく、一昨年、ワーグナー生誕200年記念とかで、ドイツで制作された歴史映画ですね。

 昔のビスコンティ版は、開巻後30分ほどであまりに重厚な絢爛豪華に耐えかねて圧死してしまった狸の死骸を、さらに数百トンの絢爛豪華をもってミンチになるまで4時間以上もごりごりとすりつぶし続けるがごとき大作であった。それに比べ、今回の新版は長さが半分くらいだし、セットやロケに費やした予算も、ヴィスコンティ版の数分の一であろうと推測される。だから、ちょっと見、西欧超大作映画対NHK大河ドラマ2時間総集編、そんな風情がなきにしもあらず。しかし狸個狸としては――こっちの新作のほうに、萌え。ラブ。
 ビンボ太りの老狸が言うのもおかしいが、なんと言いますか、ほんとに他人事とは思えんのですよ。このザビン・タンブレア演じる、線の細いガラス細工のような若い王様が。
 ヴィスコンティ版で演じたヘルムート・バーガーの、凛々とした美丈夫っぷりにも、基本的には異議がない。
「卑賤な世俗など、高貴な美の底で腐ってしまえ!」
 いやそんなセリフはないのだけれど、そんな人に見えるんですね。狂的かつ能動的な美への惑溺、まあそんな感じ。
 対して今回のザビン・タンブレアは、美に焦がれるベクトルは同じでも、その推進力はかなり逃避的である。
「卑賤な世俗に折れてしまわないために、高貴な美の殻を纏うしかなかったんだボクは……」
 いやそんなセリフはないのだけれど、そんな人っぽいのです。ぶっちゃけ人間的には、極めて弱々しい。

 史実上のバイエルン王ルートヴィヒ2世は、昔から狸の大好きな人物だが、生まれ育ちがあまりに違いすぎ、その真意など想像するのも畏れ多い。
 しかしたとえば、
「おい狸、お前は生涯、儂と共にノイシュヴァンシュタイン城に引き籠もって夜に生きよ。いっさい外界と接してはならぬ」
 などと彼に命じられたら、狸は迷わず尻尾を振って従います。
 その頃だと、かつての若き美王も、ぶよんとしてしまりのないメタボ仲間になっているけれど、あの異様な人工美の迷宮内なら、死ぬまで夜でも無問題。

          ◇          ◇

 それにつけても――期待していたあの新作ハリウッド・ゴジラでさえ、結局、旧作価格になるのを待ってしまいそうな狸が、こーゆー映画だと、準新作価格でも迷わずレンタルしてしまう。
 おたくも老化すると、精神の腰が曲がるのですねえ。なまんだぶなまんだぶ。


12月07日 日  冬支度

 真冬用のダウンジャケットやセーター、それから仕事用のフリース類を、箪笥からひっぱりだす。
 北方亜種の狸ゆえ、今までは秋用の身支度で済ませていたが、最高気温が10度を割ると、さすがに日陰が涼しすぎる。

 師走だからというわけではないが、積年の知人関係の借金を、亡母の保険の残りで返せるだけは返した。
 ユニセフから届いていた2種の募金用紙(例年の発展途上国児童支援に加え、今年はエボラ関係がある)にも、それぞれ1万円ずつ寄付した。エボラのほうは、正確には亡母に出してもらったのだけれど。
 2万程度で世界の何が変わる、と言うなかれ。
 阿倍さんちのお坊ちゃまがたが、貧乏人に1万円も恵んでやればギリギリ1年間生きるための消費の3%に匹敵するはずだと信じるくらいだから、それはきっと大金なのだ。
 などと冗談だか皮肉だかを吐きつつ、この冬の食費をさらに切りつめればもう5千円くらいは出せないこともない狸自身が、月に一度の回転寿司や正月のおせち食いたさに、貧しいろりやショタに送る金を姑息にも節約している。
 ……すみません、偽善者なもんで。
 餓死やエボラに縁のない平和な国の日雇いでも、セーターの袖はほつれるしシャツの襟はすり切れるし、いやあ正直、善人ぶるのも楽じゃないですわ。それでもめざすは生涯偽善者。

 ところでVISAデビットカードは、ユニセフへの支払いのみならず、日々の何百円単位の買い物や楽天レンタルでも、手間や手数料がかからない。おまけにキャッシュバックまである。クレカのポイントよりも微々たる額ではあるが、おゼゼそのものとして口座に戻るのである。
 キャッシュカードでおゼゼ下ろすだけでも、夜間や休日だとしこたま手数料をとられるのに、対口座機能としてはキャッシュカードと変わらないデビットカードが、なんでお得になっちゃうんでしょうね。
 消費税も、そんな感じで還付してくれませんかね税務署さん。ほんのキモチ程度でいいから。大切なのはキモチです。


12月04日 木  伝奇狸は3Dプリンターの夢を見るか

 3Dプリンターの登場は、21世紀の産業革命なのだそうだ。
 なるほど、確かに成形分野において、無限の可能性を持っているのは間違いなさそうだ。

 近頃は個人向けの安価な商品も続々登場し、造形分野の趣味人や、新しもの好きのおたくにウケているようだが、それに関しては、どうも1970年代の末から80年代初期、いわゆる『マイコン』が普及し始めた頃や、パソコン界に『ウィンドウズ95』が鳴り物入りで登場した頃の社会的幻想フィーバー、あれらの風潮にちょっと似ている気がする。あくまで個人レベルの世界の話ですけどね。
 マイコンの導入によって事務員などいらなくなると錯覚した泡沫会社の社長が、出始めのマイコンを何百万もかけてリースし、結局、データ入力専業の事務員を増やす羽目になった話とか、95年の秋葉原で大行列を作った社会人の中には、『OS』という概念を知らないどころかパソコンにすら触れたことがなく、とにかく『ウィンドウズ95』というモノさえ購入すればなんか最先端のアレコレを駆使できると信じている輩が大量に混じっており、アキバの店員さんたちを往生させた話とか。
 過去に一世を風靡したパーソナル日本語ワープロ専用機だって、単に入力したデータを整った書面にしてくれるだけの話で、その機械になんぼ『文豪』だの『書院』だの立派な名前を付けても、機械自体が手紙や詩や小説の内容を考えてくれるわけではない。あれに何万何十万と払った購入者の大半は、結局、住所録を作って師走の年賀状に重宝したくらいが関の山のはずである。狸個狸の場合は、社内の報告書や趣味の創作で力いっぱい元を取った気がするが、ちょうど同じ頃に商売人に化けており、いたいけな市井の消費者をだまくらかして何百台と売りつけてしまったことを思うと、今となっては慚愧の念にたえない。まあ「夢を売っていたのだ」と言い張れば、言い張れないこともないけれど。

 現在、もし狸が金と暇をもてあましていれば、どこかからラムちゃんの3Dデータを拾ってきて虎縞ビキニを脱がせてみるとか、噂の樹脂製鉄砲を組み立てて仇敵の兎さんに復讐するとか、パーソナル3Dプリンターに手を出す理由も色々あろうが、どのみち元のデータをナニしようという強い欲求や確かな技量がなければ、出来合モノのコピーや、ちょっとしたアレンジくらいしかできない。昔、漫画を志していた頃のオリジナルキャラを必死こいて3Dデータ化しフィギュアにするとかは、個狸の資質において、どう考えても不可能なのである。

 ほんとに社会構造まで変革してくれますかね、産業用3Dプリンターのほうは。


12月01日 月  まだ

 たかこ 「やっほー! まーだだよー!」
 くにこ 「んむ。これは、まだだな」
 ゆうこ 「ごめんね、ごめんね」