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01月30日 金  教化書

 昨日から、今日は雪だ雪だと騒がれていたので、念のため、いや嬉々として自主アブレにしてしまったが、昼過ぎに目覚めれば、未明に確認した窓外の小雪など、きれいさっぱり解けてしまっているのだった。
 まあいいや。おこた、ぬくぬくだし。

          ◇          ◇

 
女性の戦時体験のなかには、女性の社会的地位の向上や権利の拡張につながらないものもあった。日本軍は14歳から20歳までの20万人もの女性を、強制的に連行し、徴用し、「慰安所」「娯楽センター」などとよばれた軍用売春施設で働かせた。日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士に提供した。女性たちは、朝鮮、台湾、満州などの日本の植民地や、フィリピンの日本軍占領地など東南アジアの地域から連れて来られた。女性の多数は朝鮮と中国の出身者だった。
 ひとたび軍用売春施設に入れられると、「慰安婦」は、毎日20人から30人の男性の相手をさせられた。戦闘地域に所在していたので、女性たちはしばしば兵士が直面するのと同じ危険に遭遇し、多数の戦死傷者を出した。他の女性は、特に逃げようとしたり性病にかかったりした者は、日本兵に殺された。戦争が終わるころには、慰安所でやっていたことを隠すために、多数の慰安婦を虐殺した。日本の兵士のために慰安所を設置する動機となったのは、南京の惨事で、そこでは中国人女性への大規模な強姦事件が発生した。そうした暴虐行為の発生を避けようとして、日本軍は別の戦争の惨事をつくりだしてしまったのだった。戦争を生き延びた慰安婦の女性たちは、恥辱のどん底を体験し、自分の過去を隠すか、そうでなければ家族から遠ざけられたりした。戦争が終わっても、彼女たちにはいささかの慰安も平安も訪れなかった。


 以上、米国はロサンゼルスあたりの公立高校で広く使用されている、社会科教科書の一部だそうだ。
 ……すげーぜ大日本帝国陸軍。
 20万人という数字をどこから引っ張ってきたかは知らず、先の大戦期に大陸の戦闘地域において就業していた娼婦の総数ととらえれば、不自然ではないデータではある。しかし、その娼婦のすべてを『強制連行』し『徴用』するほどの戦闘外余力が大日本帝国陸軍にあったなら、今頃は立派な大東亜共栄圏(でもあくまで日本が組長)が仕上がっているはずだ。だいたい、それ以外の明確な数字があってしかるべきところは、『多くの』だの『多数』だの、データ不詳の常套句で済ませている。まるで狸の卒業論文である。
 すでに日本側から多くの抗議が入れられているようだが、教科書会社や執筆陣は、蛙の面に小便状態らしい。まあこの点は、庭に迷い込んだ近所の子供を撃ち殺しても謝ったら負けの米国社会、当然の対応だろう。あの自由な国のこと、日本嫌いの執筆者と編集者がタッグを組んだら、どんな教科書が仕上がったって不思議はない。だいたい、よその国の、昔の話だしな。
 それにしても、あの東京大空襲の絨毯爆撃でさえ10万程度の日本人しか焼き殺せなかったのに、20万人の娼婦を日本軍が直接ナニできたその手際を、ぜひ解き明かしてほしいものである。もっとも、黒人奴隷解放時には、全人口の12パーセントを超える400万人の奴隷がいたというから、彼の国にしてみれば、楽そうな数字なのかもしれない。
 などと、めいっぱい厭味を垂れつつ――明治から昭和戦中まで、時期的なイキオイの高低はありつつ連綿と続いた我が国の大陸侵攻が、かなりアレであったのも確かだろう。侵攻以前、維新時に官軍兵が同じ国の市民、たとえば東北人をイキオイに任せてどんだけ蹂躙したか、狸の世代にすら、教科書によらずとも、信頼に足る事実として伝わっている。まんまのイキオイで大陸進出した軍隊にだって、将官一兵卒問わず、鬼畜生野郎は少なからず紛れ込んでいたはずだ。

 だいたい文系の教科書なんて、どこの国だって、恣意的な教化書ですもんね。
 時流に合わせて煽ったり、時流が変わるとあわてて墨塗ったり、ウケを狙って妙にナウくしてみたり、また気が変わってレトロ調にしたり。
 しかし教化する側の恣意に関わらず、社会的閉塞感が高じてイスラム国に志願する若者が多数出現するような昨今の先進国、教化書を鵜呑みにして「うわ昔の日本すげえ」などと逆に感心してしまう腐りかけ野郎も多そうで、これまた怖い。

 これからの戦場は、プロの軍人とプロの娼婦だけで賄ってほしいものである。輝かしい21世紀を記録するために。


01月28日 水  策士・非策士

 プラン・ジャパンから、無事にマンスリー・サポートの手続きが済んだとの通知と、詳しいパンフレットを送ってきた。よしよし。これで、今晩ポックリ逝って地獄の閻魔様に尋問されても、姑息に弁解するネタが増えた。
 それにつけても解せないのは、ユニセフのカード選り好みである。これがまっとうな商売人なら、確実にオゼゼを吸い上げられる手段があれば、たとえ1銭ぶんでも見逃さないはずだ。海外の合法ろりサイトでは、為替云々のためかVISAデビットは通用しなかったが(試したんです御免なさい)、ユニセフ・ジャパンは純然たる日本の組織である。
 やっぱり噂どおり、ブルジョワ根性の大名組織なんですかねえ。まあいいけど、やることやってくれれば。

          ◇          ◇

 イスラム国に拉致された後藤さんは、ヨルダン側の捕虜とコミの扱いで、サジダ・リシャウィ死刑囚と交換になりそうだ。
 イスラム国にも冷静な策士がいる。殺しどころも生かしどころも誤っていない。何が自己責任で何が自己責任でないかも解っている。
 生死を相対的・客観的に計れる奴は、敵として手強い。『テロには絶対に屈しない』などという原則論が、初めから絵に描いた餅であることを、人として確信しているのだ。彼の地でも闇雲に暴力任せで勢力拡大したわけではなく、飴と鞭を巧みに操っているのだろう。まあ主張そのものが女子供にアレだから、今すぐ滅びてほしいのは山々だが――長い戦いになりそうだ。

 いいかげんに、自分の口で何かはっきり言ってくれまいか、唯一神。
 もっとも、正直に「なるようになる」とか言われたら、やりたいようにやり続けるしかないんだけどな、人も狸も。

          ◇          ◇

 あ、なんだ。今テレビのニュースを見たら、まだイスラム国の反応はないのか。
 ここまで今回の盤面の主導権を握っておきながら、まだ自ら盤面を乱すとすれば――やっぱりただの寸足らず自己中集団、そう評価せざるをえないのだが……。


01月25日 日  自己責任

 自己に対してでなく、他人に対して『自己責任』と言い放つことは、単に『俺にゃあ関係ねーよ』と表明しているだけのことであって、なんら相対的な発言ではない。聞くほうとしては、せいぜい苦笑いするしかないのである。

 狸は何年か前から医者に勧められて毎日降圧剤を飲んでおり、いっとき下がっていたのがまた上昇してきたので、去年の秋口からは、さらに強めの降圧剤を飲んでいる。最高血圧は日によっても時間によってもまちまちだが、おおむね130〜150の間を行ったり来たりで、「中年で130越すとヤバい」という説と「いや147でも健康」という説の境界付近を彷徨っているものだから、自分でも困ってしまう。
 降圧剤批判の医師不審論者や製薬会社陰謀論者は、加齢によって血圧が上がるのは自然の生理であり、不自然に下げるとかえって脳梗塞や脳軟化症の要因になると言う。確かに降圧剤を飲み始めてから、ただでさえウツロだった頭が、さらに海辺のクラゲ化したようにも思う。しかし、亡父が立派な本態性高血圧で、ちょっとした前立腺手術の直後に、いきなり心臓付近の解離性大動脈破裂に陥り、あっという間にポックリ逝ってしまったことを思うと、まあクラゲになっても生きてプランクトンを食い続けられるほうがまだましかと、すなおに薬を飲み続けている。
 こーゆー話を自分以外の人間に聞かせた場合、親しい知人や身内は、賛成反対どっち側にせよ、親身に血圧談義に付き合ってくれる。しかし相手が一過性の知人(?)の場合、相手も高血圧でないかぎり、明らかに『最終的に自己責任でしょう』、そんな顔である。そりゃそーだ。こっちの命だけの話だものね。

 しかるに――好きこのんで殺し合いに出向いた自殺志願者の命は確かに自己責任だろうが、殺し合いの不毛を見聞し拡散しようとした方の命は、それがたとえ好きこのんでの行動だったとしても、そっちの命だけの話だけではねーだろう寸足らずどもがよう。それともおまいら、自分だけ生きてりゃそれでいいのか? ちっとは相対的に自分を見ろよ。死ぬ覚悟は自分ひとりでできるが、殺す覚悟は自分ひとりじゃできんのだぞ。

 ……もちつけもちつけ。血圧が上がる。苦笑いで済ませるんだ。コメカミの血管ピクピクは人間に嫌われる。


01月24日 土  アマゾンジャパン家宅捜査

 マーケットプレイスの古書業者が児童ポルノにあたる商品を出品し、アマゾンはそれを知りつつ放置していたというのだが……。
 ニュース映像でボカシをかけられていた商品写真から判断して、その容疑対象は、清岡純子女史撮影の少女ヌード写真集である。
 ……清岡本までが『児童ポルノ』かよ、おい。ほんとうに司直という奴は、ときに信じがたいほど愚劣である。恥ずべきはあんたらの肉欲視線だ。
 いやアグ●ス的なグローバル・スタンダードに従っただけだ、とおっしゃるのかもしれないが、全裸で性器が写っている、ただその即物性のみを『児童ポルノ』の基準にするグローバル・スタンダードなど、どこにもありはしない。せいぜいアメリカくらいだろう。なんといっても、この近代において飲酒を違法とするなどというアホをしでかし、闇酒マフィアに莫大な収入を許した国だ。

 家宅捜査を受けたアマゾンジャパンの市川ロジスティクスでは、狸自身も何度か働いたことがある。
 大半の日用品のみならず、美意識のカケラもないヒモパンヒモブラで幼女が股を開き尻を突き出すDVDなどが、決壊したダムの濁流のように流通している。それを「おお、ワレメが見えそうだ」「水着にマンスジがくっきり」「アナルの周囲の黒ずみが見える」などとさえずりながら、幼女趣味のスケベたちが合法的に買いあさる。
 念のため、しつこいようだが、狸自身も唾棄すべきろりぺど野郎に他ならない。しかし人間ほどではないにしろ、狸としての矜持は失っていないつもりだ。実在のろりやショタは、穏健に慈しまねばならない。
 世界が日本を『児童ポルノ天国』などと評価するのは、アンダーグラウンドで法的未成年者(どんな海千山千の娼婦であれ18歳以下なら『児童』だからね)のポルノ動画が野放し状態であることに加え、明らかな実在児童の人権無視動画まで合法物件として許容されているからだ。問われているのは、法の遵守以前に、多く、人としての矜持なのである。

 しかし今回の報道に関して、その出品マーケットに、狸が怒りを覚えぬわけでもない。
 あの写真集が1冊35万って、なんぼなんでもボッタクリだろう、おい。
 確か狸は大昔、その新刊を2千ナンボで買ったぞ。それを数年前の限界貧窮期、神保町で泣き泣き売り払ったとき手にしたのも、だいぶ高騰していたとはいえ、確か2万ポッキリ。
 そりゃ稀覯本には違いないが……良書であるのも確かだが……この値付けは、なんぼなんでも人としての矜持に反するのではないか。
 美本10万が適正と、狸は見る。


01月22日 木  氷雨

      

 帰途、コンビニで煙草を買うわずかな間に、店の前の傘立てに入れておいた傘を盗まれ、仕方がないので店内に引き返し600円近くもする新しい傘を買ったら、狸穴近くの狭苦しい道を通る路線バスと交通標識の間に傘が挟まれ、あっというまに破れてしまった。
 死のう。
 ……まあ白寿に届く前にはな。

          ◇          ◇

 プラン・ジャパンの御指名ろり援助に関して、ちょっとWebで調べてみたら、どうも途上国のろりからおてまみをいただくには、こっちも励ましのおてまみを送らねばならないらしい。そのための詳しい手引き書やキットも送ってくれるようなのだが――ごめん、恥ずかしくてできんわ、特定の実在ろりにおてまみ書くなんて。とゆーわけで、個人を特定しないマンスリー・サポートに加入。これだとろりもショタも選べないが、狸の場合、いざとなれば性別にこだわらない無節操なぺど野郎なので無問題。どーゆー状況が『いざ』なのかは内緒です。お寺さんにでも問い合わせてください。
 ついでに、年に2回はDMの募金用紙でナニしているユニセフのほうも、毎月自動継続の低額サポートに切り替えようとWebでぽちぽちしたら、このカードは使えませんだの自動引落手続きには届出印が必要だの、おいおい今どき何をおっしゃる兎さんなメッセージが出てしまう。アマゾンでもヤフオクでも間髪を入れずオゼゼを吸い取ってくれるVISAデビット、口座直結の正直者を信用しないというのか。それとも、こんなカードしか持てないその日暮らしのペンペン草は年に2回しか幼児に関わるなとでもいうのか。つくづくア●ネスな根性してやがるなあ、おまいらはよう。
 などと、はあはあ息を荒げつつ、まあほっときゃDMを送りつけてくるわけだから、狸の偽善に支障はないのである。
 平常心平常心平常心……。

     


01月19日 月  なんとなく酔生夢死

 に向かってどどどどと転がり落ちているような気がする今日この頃、皆様方におかれましてはいかがお過ごしのことでございましょうや否や。
 いやね、本来の『酔生』は大望のためにシャカリキで頑張ることであって、それが結局かなわずに一生ウスラボケっと過ごしたのと同じ結果しか残さずポックリ逝くのが『夢死』であることくらいは解っているのだが、ここんとこの狸は、どうにも表層的字義としての酔生夢死っぽいのですね。
 つまり、なんやかやの義理人情とあさましい金銭欲の波状攻撃によって、昼に働いたり夜に働いたり昼と夜の間に働いたり夜と昼の間に働いたり、結果、医者には1回半錠〜1錠くらいにしとけと言われたゾルピデムをてんでんばらばらの時刻に2錠飲んで無理矢理眠ったりして、なんか人生すべてが夢の中、そんな感じなのである。
 こうして貧乏人はヤクの海に溺れていくのであろうか。
 まあ毎日飲んでいるわけではなく中1日くらいのペースだし、最大量も越えていないから大丈夫だとは思うんですけどね。

          ◇          ◇

 こんなときに限って、風呂上がりにネットを彷徨っていると、アマゾンのバーゲンブックで京都書院の玩具博物館シリーズ、図書館でしかおつきあいしていなかった定価2千ナンボもする大型本がたったの500ナンボでずらずらずらと投げ売りされていたりして送料も無料、思わずポチポチポチっと3冊もポチってしまったりしてこれがあっという間に狸穴に宅配されてくるわけだが、その箱にはピカピカのバーゲンブックのみならず、なんじゃやら頼んでもいないパンフレットが放り込んであったりするわけですよ。
 賢そうだけどちょっと哀しげな黒人ろりの写真に『学校に行けない理由は「女の子だから」』などというキャッチコピーが添えられた、ちょいとマララさんブーム便乗っぽいチラシだ。
 そのユニセフの凶悪さにも似たパンフレットの主は、公益財団法人プラン・ジャパン。つまり「発展途上国の恵まれないろりのために、マジなあしながおじさんになってみませんか。なってくれればそのろりから、お礼のおてまみやお写真がマジに届きますよ」とゆーよーな、鬼神もたじろぐ最凶の誘惑なのであった(ショタ希望者はそっちも選択可)。
 ……こーゆーのは、オゼゼの有り余っている偽善者に送ってくれよなあ。
 しかし、同じ箱で『女の子の玩具』などというシロモノを取り寄せ、いにしえの姉様人形ごっこに興じる女児たちを偲んでムフフなどとしまりのない笑顔を浮かべながらゾルピデムを貪る狸が、どのツラ下げて「ビンボだからヤです」と言えよう。おまけに最下層のろり野郎も釣ろうと(あくまで狸の邪推)月々たったの3000円ポッキリ、そんなコースまである。

 ……ねえ。
 一介の日雇いろりぺど狸が、他国のろりに栄養補助食送ったり、学資の世話したりできちゃう国なんですよ、この日本は。
 すごいよねえ、夢の偽善者天国。
 日々搾取されることによって企業や国庫を潤わせ大会社役員や政治家の三つ星レストラン通いに貢献し、同時に貧しい国のろりを育む――。
 まあそれぞれカケラ程度なのは、小動物ゆえ御愛敬。


01月16日 金  ダニー・ボーイ懐古

 おお、また新しいダニー・ボーイ、別名ロンドンデリーの歌、めっけ。
 新しいといっても録音は戦前の昭和10年、当時のレコードの邦題は『永遠の誓い』、まだ若き藤山一郎先生の歌唱である。

     

 むう……良うございますねえ。目頭が熱くなる。涙で視界が霞む。
 文語調の訳詞が、原詩のニュアンスを自然に漂わせてなんとも心地よく、訳者を調べてみれば、おお、あの大正ロマンを彩った『セノオ楽譜』の主、妹尾幸陽先生なのであった。今となっては、一般世間にもネットの海にも、その名を記憶する人は些少だろうが、世に好事家の種は尽きまじ、ちゃんと入れこんでいる方もいらっしゃる。

 いやあ、ネットって、本当にありがたいですね。一般世間に輪をかけて寸足らずが多いのは困りものですけど。


01月13日 火  続・生殺いろいろ

 少女ら自爆させるテロ相次ぐ 3人死亡 【NHK 1月12日22時34分】

 西アフリカのナイジェリアで、イスラム過激派が少女らに強制して自爆させるテロが相次いでおり、11日にも少女2人による自爆とみられる爆弾テロで3人が死亡しました。
 現地からの報道によりますと、ナイジェリア北東部ヨベ州の都市、ポティスクムにある市場で11日、爆発が2回起き、少なくとも3人が死亡し20人以上がけがをしたということです。
 爆発は少女とみられる2人が相次いで自爆したもので、目撃者は「最初の爆発を見てもう1人の少女が怖くなって逃げようとしたが、爆発が起きた」と証言しています。ナイジェリア北東部ではイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が、去年から警戒されにくい若い女性らに爆発物を身に着けさせ自爆させるテロを繰り返しています。
 前日の10日にも地元の市場で10歳ぐらいの少女による自爆とみられる爆発が起きて19人が死亡したばかりで、今回のテロも「ボコ・ハラム」が関与した疑いが強まっています。
 ユニセフ=国連児童基金のアンソニー・レーク事務局長は声明を出し「もはやことばではわれわれの怒りを表現することができない」として、「ボコ・ハラム」を強く非難するとともに国際社会の支援を訴えました。


 ……ううむ。
 これも21世紀の話なんだよなあ。

 ろり親爺の狸としては、ボコ・ハラムの野郎どもを残らず素っ裸で縛り上げて全身に『人外』の焼き印を押しまくってじゃりじゃりと塩をまぶして炎天下の砂漠に放置するべきである、と強く主張するしかないのだが、そうして死ぬまでのたうち回っている間にも本人たちは噴出する脳内麻薬に頼り「これで神の国に行ける」などと殉教の至福に酔ったりする恐れがあり、まこと勘違い野郎につける薬はないものかと、頭を抱えてうずくまるしかない。
 穏健なイスラム教徒の方々は、異教徒を殺してもいいなどとアラーは断じて言っていないとおっしゃるが、女子供を成人男性の隷属物ととらえる気風は遺憾ながら確かに存在するわけで、それは異教との関係性に属さない。
 もっとも、たとえば異教のいわゆる先進国だって、前々世紀末あたりまでは、子供を単なる『未熟で非力な人間』として安価に酷使したり、街角で花を売る子供が同時に春を売っていることなども、まったく珍しくはなかったわけである。さすがに女児に爆弾を括り付けて敵に投げつけた話は聞かないが。

 まだ下半身が元気な頃はしばしば美児との情交を夢想していたような薄汚いろりぺど野郎が、どのツラ下げてもっともらしく他国のクサレ男を糾弾するやら――。
 ――そんな非難は、甘んじて受けよう。
 しかし狸は、実在の美児をも芋児をも、絶対に迫害しない。
 たとえ明日世界が滅びると確定し、かつ周囲に誰の目もなかろうと、絶対に迫害しない。
 ……どさくさに紛れてこっそりお尻をなでるくらいは、するかもしれないが。


01月11日 日  生殺いろいろ

 ケニアの呪術師、死者蘇生に失敗 村人ら激怒 【AFP=時事 1月11日(日)11時34分配信】

 ケニアの村で8日、呪術師が死者の蘇生に失敗し、その理由として「疲れたから」と言ったことから待ちわびていた村人たちが1日を無駄したと激怒した。
 9日のケニア紙スター(The Star)によると、同国南東部クワレ(Kwale)地区の村人たちは8日、死者蘇生が行われると知り、「奇跡」を目撃すべく歌を歌いダンスをしながら呪術師のサミュエル・カヌンドゥ(Samuel Kanundu)さんのもとへ向かった。
 呪術師が儀式を始める前、村の長老ヌダロ・コトタ(Ndaro Kokota)さんは、「死者蘇生など今まで見たこともなかったから、直接見てみたかった」と話した。呪術師は集まった村人たちに対して、これまでに5人の死者を蘇生させたと自慢し、2013年10月に死亡した男性をその日の日没までによみがえらせると約束した。
 しかし死者はよみがえらず、呪術師は「疲れたから」と言って村人たちに待つよう要請。同紙によると村人たちは激怒し「本当のことを言え。私たちの1日を無駄にするべきではなかった」と呪術師に詰め寄ったという。
 しかし、同紙によると死亡した男性の遺族は、男性が「魔術師に殺され、バナナの木の下に遺体を隠されたため」、蘇生が難しくなったのだと思うと話しているという。 【翻訳編集】 AFPBB News


 ……ううむ。
 まこと、この世界は、種々の神秘に充ち満ちているのだなあ。

 近頃のビッグな各宗教は、あまりにも実利や物理に堕ちておりますね。
 鉄砲玉の代わりに丑の刻参り、おゼゼの代わりに言祝ぎ――貧富を問わず、それでいいのではないか。
 いや、富に属する方々には、おゼゼのほうだけ大いにバラまいて欲しいのだけれど。


01月10日 土  吉野家賛江

 最寄り駅近辺から長らく姿を消していた吉野家が、去年の秋から復活している。
 こと牛丼に関しては、一般食堂の味にも、他の大手チェーンの味にもなじめず、超マイナーチェーン『たつや』(昔はあちこちに数店あったが、今は新宿店のみを残し、他はそば屋に転向してしまったようだ)の江戸前の醤油味か、甘さを抑えた『吉野家』の味にしか執着のない狸にとって、まことに慶賀の至りである。こないだの値上げは痛かったが、それでも狸が産まれて初めて食った40年前と、さほど変わらないのはありがたい。
 さて、しばしばがふがふとかっ喰らい恍惚とする牛丼そのものは、ちょっとこっちに置いといて――。
 真冬に『鰻丼』が復活してるのは何故? 客単価アップの苦肉の策? 鰻高騰で専門店から離れた客を取り込む画策? 中国の養殖場との契約をなんとか維持するため? それとも夏に仕入れた原料が不景気で売れ残っただけ?
 なんにせよ、去年の法事で帰省したときにも、あまりの値上がりっぷりにビビって、例年の『染太』詣でさえ断念した狸である。舌に馴染んだ辛口の鰻をあそこで食おうと思えば、今どき法事の宴席コース以上の金がかかる。といって、数百円で買えるスーパーの安い鰻は、あいかわらずお子様向け、まるで鰻の飴煮だ。鯉の甘煮は大好物だが、あのアブラの権化とも言うべき鰻まで、飴まみれにされてはかなわない。その点、吉野家の鰻は、かろうじて江戸前の風味を残している。
 しかし皆さんご承知のように、養殖鰻も、ちみっこ時代はすべて天然シラス、世界的に資源枯渇が危ぶまれている。当然、吉野家とて、これが年間通しのメニューとして永続するとは思えない。あくまでなんかの拍子に芽吹いた冬の徒花、そんな気がする。
 で、アセって食っちゃいました。清水の舞台から飛び降りる、いや、さすがに牛丼の倍程度だから飛び降りるほどではなく、飛び降りる寸前で欄干にしがみつくくらいのイキオイで。
 ――OK。
 去年の夏より、さらに甘口にシフトしている気はしたが、牛丼同様、あくまで醤油が主役を降りていない。

 天然鰻の老舗だの、高級割烹だの三星レストランだの、もはや生涯再訪不可能であろう店々は知らず、万人向けの大手チェーンは、カレーから何から雪崩のごとく甘口(極辛メニューでもベースは砂糖まみれなのである)に傾く今世紀、せめて吉野家だけは、大人の味を保ってほしいものである。
 でも、つぶれない程度にね。


01月07日 水  あっ

 という間に今年も一週間が過ぎた。まだ4回しか仕事に出ていないのに、大晦日の紅白も、正月3日の『ローカル路線バスの旅』も、なんじゃやら、ひと月以上も前の視聴に思えてならない。
 大人になればなるほど時節の経過が加速するのは周知の事実だが、それにしても速い。このぶんだと、ちょうど1年後の今日あたり前期高齢者に突入し、再来年の正月は後期高齢者として言祝ぎ、その夏を待たずに、時の流れの果てにあるという滝壺の縁から、時間といっしょになって、どうどうと流れ落ちているのではないか。
 とはいえ五十路も深い今となっては、なんぼ「大人になんてなりたくないやい」と叫んでも無益である。子供のうちに死ななかった時点で、時との勝負にはもう負けているのだ。
 残された道は――時とは勝負しない――それしかないでしょう、もう。
 時の流れなんぞ、いや、何に限らず喧嘩相手を気にしていたら、自分の人生の主人公を見失うだけだ。
 そんなこんなで、狸の今年の目標は、『なるべく死なない』だけである。

 ここんとこ毎年、正月になると、おんなしような感慨を抱き、おんなしような目標を立てている気がする。
 でもまあいいや。
 それがすなわち『ノーマネー・ノーカー・ノーボクシング』、子供の頃に行きたかったムーミン谷の世界観なのだ、たぶん。


01月03日 土  新春雑想

 年越し蕎麦も食ったし、お節も雑煮も食った。
 あまつさえ本日は、姉の家で山形牛のスキヤキを食わせてもらった。
 もう何も思い残すことはない。
 死のう。
 ……まあ30年以内くらいにはな。

          ◇          ◇

 しかし今年、いや去年の紅白は、個狸的にほとんど興趣を感じられず、テレビ東京恒例の『年忘れにっぽんの歌』のほうが、よほど演出や構成が新しく思われた。
 もっともテレビ東京のほうに登場する歌い手さんには、今年いっぱい生き続けるだけで大喝采、そんな後期高齢者が多く、狸が幼時に聞き惚れたような声の艶はとうに失われているわけだが、紅白に登場する大御所クラスだって往年の張りは失われているし、若手に至っては聞き惚れるような声などほとんど出さず、わずかに淘汰済みの中堅が光っているだけだ。
 共感したいんじゃないの。同情してほしいんじゃないの。犯してほしいの妊ませてほしいのよワタシ。

          ◇          ◇

 ケーブルの日本映画専門チャンネルで、1940年(昭和15年)の『蘇州夜曲』を放映してくれるというので、楽しみにしていた。ただ、1940年に制作されたのは、あくまで『支那の夜』であり、『蘇州夜曲』は、それを戦後に再編集して再公開したバージョンである。だから正式なタイトルは、『蘇州夜曲('支那の夜'より)』だったりする。そこがやや不安であった。
 狸は学生時代、京橋のフィルムセンターで、オリジナルの戦前公開版『支那の夜』を観ている。中身はさほど巧みではない純エンタメであり、戦後に国策映画として非難されたような国粋的描写は、ほんのお飾り程度。でもまあ当時のことゆえ、あの長谷川一夫さんがモノホンの重機関銃を横抱えにして、ずどどどどどどと中国の匪賊たちを撃ち殺したりもする。当時からろり野郎だった狸には、お色気むんむんチャイナ服ぱっつんぱっつんの李香蘭こと山口淑子さんより、そっちの長谷川ターミネーターの記憶が強烈に残った。
 しかし――戦後ほどなく再公開されたバージョンに、はたしてそんな描写は残されているのか。あくまで中国の自国民も略奪対象とする匪賊とはいえ、中国の人を日本人が胸を張ってずどどどどどどのばたばたばたばただもんなあ。なんぼなんでも、まずかろうなあ。でもまあ、見せ場のドンパチ、まるまるカットということはないだろうなあ。それじゃ、ただの昼メロになっちゃうもんなあ。
 で、実のところ――戦闘シーンまるまるカット、ただの昼メロになってました。
 上海あたりの異国情緒と、ふんだんに流れる懐メロは、キモチ良かったんですけどね。


01月01日 木  喪中欠礼

 たかこ 「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ……」
 くにこ 「おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらーまにはんどばじんばらはらばりたやうーん」
 ゆうこ 「……あーめん」
 ちよこ 「なんみょーほーれんげーきょー」
 ゆりな 「……かみ《神》はしんだ。ほとけ《仏》などいない。せかい《世界》なんて、みんなみんなほろびてしまえ」
 たかこ 「おう、くろいの、でた。やっほー! ひさしぶりい!」
 くにこ 「んむ。こいつは、いつみても、くろいな。まるで、よもつしこめ《黄泉醜女》のよーだ。いちど、きっちり、せがき《施餓鬼》してやらずばなるまい」
 ゆうこ 「ぷるぷるぷる……」
 ちよこ 「ちよこ、くろいのも、すき。うなぎ、くろい。とんかつそーす、くろい。でも、おいしい。くろいの、なでなでなで」
 ゆりな 「………………いっちば〜ん! ゆりな、歌いま〜す!」

     

 たかこ 「はいはいはいはい! にばん、たかちゃん! 歌いま〜す!」

     

 くにこ 「んむ。なにがなんだか、さっぱりわからん。んでも、どーやらこんなのが、ことしの狸のもうそう《妄想》らしいな」
 たぬき 「……びみょう」