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02月26日 木  子供のすること

 例の上村遼太君殺害事件、大方の予想どおり非行少年グループによるリンチだったようで、今後、全容が明らかになれば、また寸足らずな方々が「もっと少年犯罪の厳罰化を!」などと戯言を垂れ流すのだろう。
 遼太君自身の無念やご家族の悲痛は重々察しつつ、近年の厳罰化が未成年者の重大犯罪減少に貢献していないのはデータ上でもまちがいなく、要は万引きだのなんだの、初歩的(?)な非行が減っただけだ。殺人・強姦などは、あいかわらず大人の世界と同じペースで推移している。早い話がここ四半世紀、凶悪犯罪関係のアレコレは、大人も子供もちっとも変わっちゃいない。子供だけ厳罰化するのは、片手落ちというものだ。
 だいたい、いつの時代も、成人刑法犯の再犯率より未成年刑法犯の再犯率が低いのは厳然たる事実であって、つまり若ければ若いほど悔悟の能力は高いのである。

 もはや盗まれる物とてない狸でも、悪意の人に殺されたり、死なない程度に刺されたり殴られたり、獣姦趣味の異常者にバックから襲われたりする可能性がないではない。相手が大人であれば、その可能性は子供より高い。
 まあ殺されてしまったらそれまでだが、刺されたり殴られたり、望まずしてホられたりした場合、相手が大人なら断じて許さない。もっともらしく謝ってくれたとしても、大人に化けている狸として表向きは「よしよし」などと頷きつつ、その実、生涯ウジウジと恨み続け、相手の不幸な末路を願い続けるだろう。しかし相手が子供なら、大人に化けている狸として、心身の成長による悔悟を期するにやぶさかではない。
 もっとも、大人になってもそいつが悔悟してなかったりしたら、夜道にこっそり落とし穴掘って、落ちたところに生コンクリ流しこんでやるけどな。そりゃもうミキサー1台分、どぼどぼどぼどぼ。


02月25日 水  光あれ

 セカイモンを通してイーベイで落札した、ステレオビューアー用のLED豆電球が、ようやく到着した。たかが豆電球1個に、手数料や送料を加算すれば、結局5千円近い大枚を費やしたことになる。あの広大なアメリカ大陸をトラック旅行したり、さらにジェット旅客機で海を越えたりしてきたのだから、当然といえば当然なんですけどね。狸のような小動物が数キロ先の湾岸倉庫に移動するだけでも、片道160円超えるんだもんな。アルファベットの文字列シールがベタベタ貼りまくられた梱包箱は、根が無口な段ボールゆえ何も語らないが、いかにも「ああくたびれた。おい茶ぁくれ、茶」とか言い出しそうな擦れ具合だ。
 で、大仰な説明書が付いているわりには小指の先ほどしかない御本尊の豆電球、これを説明書に従って(無学な狸でも『ビューアー本体の電池をプラスマイナス逆に入れ替えろ』くらいの英語は見当がつくのである)くりくりとソケットにねじこみ、「ごせんえんごせんえんごせんえん」などと天に祈りながら、スイッチをポチっとしますと――。
 うわすげーステレオビューアー用LED豆電球。なんか直後の「ドン」を警戒したくなるくらい「ピカ」なのである。しかもアキバあたりで見かけたLED豆電球とは違い、全方位まんべんなく散光している。古くさいベークライト製ビューアーの全視野が、ひゃくまん倍は鮮鋭化しているのである。
 ……負けたぜ、アメリカに。まあ原産国の明示はないから、中国の可能性も大だが、どのみち負けたぜ日本。これしきのモノが、どこをどう探しても存在しないんだもんなあ。
 単に銀塩フィルムによる立体写真趣味が一般化していないから、だけではあるまい。まだまだ使える『くりくり豆電球ソケット』を温存して、豆電球そのものの利点も保って、効果だけ発展させようという発想がないのだな。ソケットごと新しくしないと気が済まない。

 近頃、たとえば古民家や倉の再利用などを見ていると、日本もようやく文化的に熟成発酵しつつあるような気がしないでもないが、まだまだ『丸ごとツブして丸々新しくする』式の都市開発は多い。あれって一見、整然として明るい町になったように見えるけど、単に、昔の細やかな日向と日陰を丸々ツブしたところに、でっけー日向と日陰を乗っけてるだけなのね。

 温故知新への道、遠し。


02月21日 土  漂泊への想い止まず

 引き続き山下画伯の放浪に思いをはせる一方で、以前から好んでいたテレビ東京『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』シリーズの、録画保存してある数本を、あらためて見返したりしている。
 こちらは漂泊でもなんでもなく、明確な目的地に向かって、ひたすらバス停を辿っていくわけだが、今どきの日本、特に僻地の山間などにどんだけ『バス停』が残っているか、そこいらのアレコレが、レギュラー出演者・太川&蛭子の絶妙な性格的齟齬と相まって、やっぱり『先が見えない』という漂泊感を、めいっぱい醸し出してくれる。2007年の列島横断に始まり、爾来、回を重ねること19回、狸はその全部を一度は録画したはずなのに、なんで数本を残し消去してしまったか、今になって悔やまれる。あ、そうか。古いHDDレコーダーごと逝ってしまった回もあるんだよな。あああああ、無精しないで早めにDVDに焼いておけば良かったんだよ狸の馬鹿馬鹿。
 以前はYOUTUBEにも数多の良好な動画があったらしいが、今となっては、出演者の表情も判然としない極小動画しか残されていない。テレビ東京が著作権意識に目覚めた、というより近年の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』大ブレイクで、過去作もDVD商売に繋がると踏んだのだな。現に、何度も再放送してとっくに元は取ったはずのシロモノを、つくづくいい根性しとるなあおまいらな価格で売り出している。狸には人並みの根性がないので、とても買えない。
 それでもありがたいネット世界、一部の海外サーバーになら、そこそこの画質の、あるいはけっこうな画質の動画が残されているようだ。まあそっちのほうも、多く、テレビ局に輪をかけてつくづくいい根性しとるなあおまいらな世界だから、きっちり有料会員限定視聴になっていたりもするのだが、中には無料で掘り出せるものもある。
 無法者が常に悪とは限らない。いわんや義賊においてをや。


02月17日 火  兵隊の位でいうと

 古残ながら最下等兵に位置する狸としては、たとえば今朝の朝日新聞の1面にどーんと躍る『鈍い消費 景気足踏み』などという見出し、あるいはあちこちで頻出する似たような見出しに接するたんびに、「……時給は1円も増えないまま消費税だけ上がった人間や狸が、どーやったら消費増やせるんだオイ」と苦笑するしかないのだが、聞けば好況で賃金アップした企業なども、あることはあるらしいのである。
 ……使え! 金のある奴は、どんどん使え! 金持ちも貧乏人同様に、財産だの株価だの考えず、花街で芸者を総揚げしたり、宴席で万札をばらまいたりするのだ。そうしてくれないと、最下等兵の給金など永遠に上がらない。

          ◇          ◇

 で、なんでいきなり『兵隊の位』なのかと問われれば、近頃、狸は、故・山下清画伯に凝っているのである。言わずと知れた『裸の大将放浪記』、あのモデルになった方ですね。足代のかからない近場を短時間しか徘徊できない自分の欲求不満を紛らわすべく、画伯の足跡をうかがわせる諸々の画集、御自身の手になる放浪記、周囲の方々による考察本、そんなのを、図書館から借り出しては寝床で享受している。
 マスコミが作り上げた虚像と実像の違いとか、近代日本における精薄児福祉の歴史とか、そも絵画の本質とは何ならむ、とか、考えるべきことは多々多々多々っとあるわけだが、とりあえずそれはちょっとこっちに置いといて――。

 ルンペンなのですよ、社会の要は。
 今のホームレスとはちょっと違う、いわゆる『物乞い』だ。
 ルンペンがウスラボケっと放浪できる社会こそ、豊かな社会なのです。経済状態にとらわれない、戦前も戦中も戦後も問わない、社会的な『ゆとり』。『社会的余白』と言ってもいい。あるいは『慈悲』『施し』、必ずしも共感を伴わない『許し』。
 もちろん山下画伯とて、なかなかおにぎりやおかずをくれない土地で難儀したり、陰険なお巡りにイジメられたりもしたわけだが、その逆のそれらが勝っていたからこそ、長く放浪を維持できたわけである。

 慈悲はいいぞ。
 仏ならぬ衆生として、他者への施しは、姑息な優越感を得られる。
 本当は、それじゃあかんのだが、少なくともそこには、形ばかり余白が生じる。
 そこでさらに、他人のみならず自分自身をも、遠慮なく憐れめばいいのだ。
 自分を他人と同等に憐れめば、優越感と劣等感が相殺されてチャラ、つまり形だけは仏である。


02月14日 土  バレンタインデー&ディナー&ティータイム

 独狸である。愛狸はいない。雌狸との義理にも無縁。
 職場によっては人妻(パートのおばちゃんとも言う)で充ち満ちているが、みんな狸と不倫するキモチはなさそうだ。
 ふん、チョコなんぞ食わなくとも死にゃしねーよ。

          ◇          ◇

 近頃、麦飯に凝っている。
 刑務所定番の麦飯ではなく、いわゆる『もち麦ご飯』である。
 先月だったか、帰りが遅くなって飯を炊く暇がなく、駅ナカのスーパーで売れ残っていた処分特価のもち麦ご飯を買って食ったら、銀シャリよりも遙かに美味だったので、以降、病みつきになってしまった。
 しかし毎食、出来合のパックを買っていたのでは、狸庫が破綻する。そもそも出来合のパックの製造量が少ないらしく、なかなか処分特価になるまで売れ残らない。
 で、試しに1キロ500円弱の、食材状態のもち麦を買いこみ、袋に書いてあるとおりに白米に混ぜて炊いてみたら、なんのことはない、狸穴の再安価電気炊飯器でも、ウマウマのもち麦ご飯が、立派に炊きあがるのだった。
 納豆にも生卵にも完璧に合う。
 寒風の倉庫で冷えきった握り飯も、ちゃんともちもちしている。
 鮭茶漬けなど、もはや至福。

 しかし――やっぱり物入りなのであるな。10キロ2000円台の米で生きてきた狸として、もち麦3割の飯を毎日食うのは。
 なにせ1日の平均飲食予算は依然としてワンコイン、たまには吉野家やかっぱ寿司にも行かないと欲求不満が昂じて世間様に害意を抱きかねないから、もち麦のぶんをどこかで節約しないと、狸庫が破綻する。
 そこで、ティータイム予算を削ることにした。
 冬の夜には欠かせないインスタントコーヒー、とりあえずこれをギリギリまで節約するのである。レシピは簡単。コーヒーもクリーミングパウダーも砂糖も、従前の3分の1に減量する、ただそれだけ。
 実際に飲んでみるまでは、我ながら哀れな気もしたが、あにはからんや、これがなかなかいけるのである。コーヒー風味のあっさりしたお茶のようで、ちっとも不満を感じない。無論、もともとすべてが再安価品だから、大した節約にはならないが、そこはそれ、キモチである。

 食費がいきなり1日ツーコインにアップしようと、どうで50円玉1個、最悪100円玉が1個増えるだけだ。
 それで狸庫が破綻するほど、安穏な日々を送ってはいない。


02月11日 水  雑想

 今日は祝日だったのだそうだ。それも、けっこうメジャーな『建国記念日』。わっはっは、忘れてた。朝の乗り換え駅のホームで、いつものダークな老若男女でなく、ディズニーランドに向かうらしい華やいだ老若男女を見るまで、ちっとも気づきませんでした。まあ、神武天皇の人となりなんぞちっとも知らないから、仕方ないですね。仕事場だって、いつものとおりだし。

           ◇          ◇

 帰宅後、風呂でラジオを聴いていたら、なんじゃやらブキミな女性の笑い声が響いてきた。いつものラジオ深夜便で、『笑いヨガ』とやらの女先生が講演していたのである。笑うという肉体的動作自体が効果的な有酸素運動であり、また、別におかしくなくとも肉体的に『笑う』だけで、精神的なストレスまで軽減されるのだそうだ。聴いていて、思わず笑ってしまった。わははははは。
 ……やだよ。
 今回は聴いてておかしいから笑ったけど、それは無理に笑う様子がなんじゃやらウツロに響くからおかしいのであって、おかしくもないのに自分が笑うのは、まっぴら御免である。
 だいたい普通にテレビのニュースや新聞やネットをながめていたって、あまりのあさましさに怒りを通りこして爆笑したくなるような事物が、そこいら中に転がっているではないか。怒りや鬱憤は、それでなんとか解消できる。まあ、モンティ・パイソンのコント的な、しこたま腹黒い笑いではあるが、嘲笑だって立派な有酸素運動だ。


02月08日 日  豆電球をたずねて三千里

 貧しい狸穴に残されている趣味物件のうち、購入時の価格・希少性・愛着度等を総合的に考慮すると、間違いなくベスト3に入ると思われる、ビューマスタービューアーモデルD。製造修了から半世紀近い古物だが、銀塩フィルムによる立体写真愛好が今でも盛んな欧米では、常時オークションで出回っている。最高のコンディションだと3万円前後が相場か。
 狸が小学校の頃に買ってもらって、後生大事に楽しみ続けていたのは、お子様向け簡易型モデルGである。これは光源の代わりに半透明の乳白板がはまっているだけなので、昼間なら窓の外、夜なら天井の明かりとかに向けて覗かないと、当然、リバーサルフィルムのステレオペアは観賞できない。そもそもレンズ位置が固定で、拡大率も低いから、とうの昔にお子様視力を失ったド近眼プラス老眼初期の狸にとっては、もはや懐かしの置物と化している。
 対して、十何年前にイーベイで落札したモデルDの美品は、型は古いが立派な中高年対応高級機、光源内蔵だしピント調節もできるし、レンズ自体もアクロマート仕様で拡大率が高く鮮明だ。たとえば半世紀前のスエーデンの湖のボートで遊ぶ少女たちのはにかんだ笑顔などが、もはや伝説化しつつある当時のフルカラー銀塩フィルム(低感度コダクローム)のとんでもねー粒状性と耐久性によって、ついさっき最高級デジカメで撮影したように生き生きと観賞できる。しかも立体だ。その実在感は、いかなる最新デジタル3D映像をも凌ぐ。もっともスチル写真だから動きはしないが、動かないからこそ、過去のある瞬間をまんま凍結したように、光景も人々も、そのビューアーの中で永遠に輝き続けるのである。

 とまあ、ステレオ写真おたくとして、しこたま持ち上げつくした末に言うのもなんだが――肝心の光源が、実は乾電池2個と、くりくりネジコミ式の豆電球1個なんですわ。ビューマスターに限らず、当時の高級ステレオ・ビューアーの光源って。もちろんご家庭のコンセントから電線引っぱって交流式ランプを光らせるタイプもあるが、稼働品が少ないし、半世紀前のそれ用の電球を調達するのも楽ではない。だから狸穴では、市販の乾電池と豆電球を使っている。ただし小学校の理科で使うようなただの豆電球だと、なんかローソクの明かりで古写真を見ているような、懐かしくもサミしいグアイになってしまうので、ナショナルのハロゲン豆電球に、色温度変換用の写真用シート状フィルターを併用している。
 で――昨夜、その豆電球が切れてしまったわけである。
 大丈夫大丈夫。ナショナル、いや、パナソニックの電気屋さんに行けば、ハロゲン豆電球が買える。最悪、ヨドバシとかアマゾンとかでも――と思いきや、無いんだこれが。
 くりくりネジコミ式の豆電球など、近所の電気屋でもダイソーでも、もう置いていないのである。それどころか、ヨドバシでもアマゾンでもアキバでも、それこそ小学校の理科の実験や工作で使うような低照度物件しか売られていないのである。代わりに、くりくりネジコミ式豆電球ソケットでも使える懐中電灯用LED豆球なんぞはそこら中に転がっていたが、それじゃダメなの。電球のフィラメントみたく、四方八方まんべんなく散光してくれないと、半世紀前のステレオビューアーでは使えないの。
 とりあえずの対処法はある。たとえばビューアーの光源部を外してしまって、写真用のライトボックスに向けて観賞する――そんな手段もあるわけだが、それだと、もはやなんのためのD型なんだか、わからないわけで。

 と言うわけで、狸は久方ぶりに、ポチポチと太平洋を越え、イーベイの世界に旅立ちました。
 いい時代になりましたねえ。昔と違って、面倒な入札やら落札後のアレコレを、いっさい日本語で取り仕切ってくれる『セカイモン』などという会社がある。もちろん、しこたま手数料とられるけど。
 そうして国外オークションの海を彷徨うこと無慮数時間――。
 狸はイヤと言うほど悟りましたね。
 アメリカすげえ。ヨーロッパすげえ。中国もっとすげえ。
 アメリカは、事物の恒常的バリエーションにおいて。ヨーロッパは、とにかく物持ちの良さにおいて。そして中国は、売れるかどーかわかんないけど世界中広がってるネットでならもしかしたら売れるかもしんないからとりあえずえーい思い切って作っちまえ、そんなイキオイにおいて。それらの迫力の前では、日本など赤子、韓国は嬰児か。
 ――えーと、すみません。
 あくまで銀塩フィルムによる立体写真用品の世界の話ですからね。最先端テクノロジー関係や、車や家電や、戦車や潜水艦は見てません。
 つまりオゼゼさえ出せば、半世紀前の立体写真眼鏡の最新LEDバックライト改造物件とか、半世紀以上前にベルギーで試作された交流電源ビューマスタービューアーのプロトタイプとか、中国の3D関係企業が「おいおい今どきそんなもんばっかしシャカリキで開発して商売になんのかよ大丈夫か会社」などという狸の心配も知らずに製造し続ける業務用デジタル立体物件から駄菓子屋風アナログ立体物件まで、なんでも買えてしまうのですよ。
 いやあ、世界は広い。

 などと言いつつ狸には、円換算2千ナンボの米国製ステレオビューアー用LED豆球しか、ポチっとできません。それとて狸毛の下にダイナマイト括りつけて清水の舞台ごと自爆する覚悟。セカイモンで500円とられるし、国際配送で2千近くかかるらしいし。
 でもLEDだから、狸が死ぬまで、いや死んだ後まで、元気に明るく光っているはずだ。


02月06日 金  根性につける薬はない

 <名古屋モスク>脅迫・嫌がらせ 「後藤さん人質」で相次ぐ【毎日新聞2月5日(木)11時53分】【花岡洋二】

 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)による人質事件で、名古屋市中村区のイスラム礼拝所「名古屋モスク」へ脅迫や嫌がらせの電話が相次いでいる。モスクの代表役員で、パキスタン人のクレシ・アブドルワハブさん(57)は「イスラムは平和の宗教であり、過激派組織とは無関係だと知ってほしい」と訴えている。
 クレシさんによると、嫌がらせ電話は、後藤健二さんの殺害場面とされる動画がインターネットに流れた今月1日の5、6件がピークで、この時は電話線を抜いた。「日本から出て行け」「家族構成は分かっている」といった内容で、愛知県一宮市の別のモスクには「殺す」との脅迫もあった。名古屋モスクには「日本人の敵だ」と中傷するメールも送られ、警察に届け出た。
 こうした嫌がらせは、名古屋モスクが1998年7月に完成してから初めてという。2001年9月の米同時多発テロや04年にイラクで香田証生さんが過激派組織に殺害された際も無かった。今回は「過激派が『イスラム国』の名称を使っているから、イスラム教徒に矛先が向かう」と考える。今月2日には、モスクに通うパキスタン人が営業先の日本人に「来るな」と追い払われたという。
 以前から偏見は強いと感じてきた。数年前に次男が小学高学年だった時、級友に「お前、爆弾巻いてるの?」と聞かれ、クラスが笑いに包まれたが、教諭は放置したという。次男はこれを機に一時、不登校になった。クレシさんは「一気に『ヘイト(憎悪)』が向かってくるかも」と恐れている。
 クレシさんら国内10カ所以上のモスクの代表者は先月末、「イスラム国」という名称がイスラムのイメージを不当に損なっているとして、同名称を使わないよう報道機関などに求める運動を始めた。「『イスラム国』の名称を使えば、暴力的な宗教だとの偏見が助長される」と指摘する。英語の略称「ISIS(イラク・シリアのイスラム国)」や「ISIL(イラク・レバントのイスラム国)」、アラビア語の略称「ダーイシュ」などの使用を呼びかけている。
 クレシさんは、性風俗の業態名として誤用されていた「トルコぶろ」を「ソープランド」に改名する運動が80年代に成功した例を引き合いに、「名前による負のイメージは影響が大きい」と話し、使用名称の変更に期待を寄せる。同モスクでは見学を受け付けており、希望者にはイスラムについて説明したいという。


 ……ま、どこの国にも、根性曲がりの種は尽きないわけです。
 こーゆー蒙昧な寸足らずどもが集まって、ヘイトスピーチ・デモやらイスラム国拡大やら、憎悪の発散に尽力するわけですね。
 有史以来、外人に殺された日本人よりも、日本人に殺された日本人のほうがひゃくまん倍は多い――そこんとこ、よろしく。

 しかし――お願いだから、ろりやショタは殺さないでくれよう!!!!!!!!!!
 大人同士のツブシ合いよりも、そっち系のニュースのほうが、狸としては血圧ひゃくおくまん倍上がるんだわ。コメカミの血管ピキピキなんだわ。
 子供をイジメる大人は、今すぐ死ぬのが吉。
 まあ今晩、人生最後の風呂に入って布団に入って寝るくらいはかんべんしてやるが、永遠に起床不可。
 で、子供をイジメる子供は、これからひと月、毎朝、兎跳びで、山寺の石段を奥の院まで10往復。
 ……1000段以上あるから、兎跳びだと、根性伸びる前に死ぬかも知れんな。徒歩でもいいか。


02月03日 火  節分

 こないだの日曜は、柄にもなく国際情勢を憂うだけでつぶれてしまった(でも半日は寝てたんだけど)が、いつもの日雇いロジ作業に出てしまえば、上の方々や当座の発着便がご主人様である。テロリストも阿倍さんも、通常、通販や玩具やアパレルや無印良品のロジには出入りしない。ご主人様も奴隷も、世界の片隅で、成り行き任せにセコセコ生きるだけだ。
 思えば無辜の人民を殺すモノなど、世界中に転がっている。一例、飲酒運転の車とか。
 イスラム国の戦闘員たちが真にアラーに忠実(なつもり)なら、飲酒運転で人を轢き殺すことだけはないだろう。
 できればすべての人類、巣穴の外では、酒だけでなく神にも自分にも泥酔してほしくないものだ。
 とくに寸足らずな男はな。

          ◇          ◇

 節分なので、豆を買った。イワシも買った。北国育ちゆえ、かなり長じるまで知らなかった恵方巻というやつも、縁起物らしいから買った。いずれも、小袋や処分特価品だと、100円台で買えた。いいのか、奴隷風情がこんな贅沢してて。
 とはいえ貧しい奴隷のことであるから、景気よく豆を撒いたりはしない。キモチ数個ほど、玄関口に転がすだけである。イワシの頭も飾らない。頭までバリバリ食ってしまう。つかのま腹の中に飾るのである。恵方巻だけは、正式に扱って問題ない。

 玄関口で豆を転がしていると、隣でつぶやく者があった。
 ――あーあ、もったいない。
 見れば、襤褸を纏った老人である。
 ――ここんちは俺の管轄だから、鬼はいないよ。
 鬼よりも神のほうが偉いのだそうだ。
 ――ミケ女王様より偉いのか?
 そう狸が問うと、貧乏神は無言のまま、眼を細めて苦笑した。
 狸穴では、猫が一番偉いらしい。

 できればすべての人類、巣穴の外では、猫に泥酔してほしいものである。
 犬でも狐でも、ムササビやアライグマでも可。
 狸、なお良し。


02月01日 日  んでも

 うっす、くにこだ。
 かばうまっぽいたぬきは、まだ、おふとんのなかで寝腐っている。公園のベンチのホームレスよりは、なんぼもシヤワセそーだ。
 ゆうこは、けいこさんに連れられて、おピアノ教室に行っちまった。
 たかこは、おふくろさんにつれられて、銀河のかなた、スペシウム光線教室に行っちまった。
 だから、ここの冷蔵庫のなかのもんは、ぜーんぶ、おれのものだ。
 むしゃむしゃむしゃ。ばくばくばく。ぐびぐびぐび。
 ……ここでいっぱい食っておかんと、中近東まで泳いだり走ったりするための、しゅぎょーができないからなあ。

 かばうまっぽいたぬきは、寝る前、ずいぶん、ほとけさまっぽいことを言ってたよーだ。
 こいつも、もー、ながくないのだろー。
 ひともたぬきもかばうまも、ふつうに生きていれば、年をとるほど、ほとけに近づくのだ。
 んでも、おれは、これからの男だ。
 いや、おんななんだけども、キモチとしては、りっぱな男の子だ。
 こんじょーのまがったやつらは、どーしても、シメずばなるまい。
 でないと、いつまでたっても、おんなこどもをいじめたり、まともなやつをころしたり、あたりかまわずあばれたりする。
 だからシメる。
 あやまったら、ゆるしてやる。
 あやまらなかったら、あやまるまでシメる。
 シメおとすまであやまらなかったら、これはもー、病院にたたきこむしかない。
 病院でだめだったら、来世のしゅぎょーに送るしかない。
 どーだ、おれも、ちょっとは、ほとけさまにちかづいただろう。
 ちょっと前までは、いきなし、じごくにたたきこんでいたからなあ。
 んでも、おれも、そろそろ高学年のおにーさんだ。
 おねーさんかもしんないが、まあ、しゅぎょーのためには、ささいなことだ。 
 しゅぎょーは、だいじだからな。
 おピアノも、スペシウム光線も、ガチンコのドツキあいも、こんじょーまがりでは、らちがあかない。

 ……げふ。
 ああ、くったくった。
 はらが、しがらきやきのたぬきのよーに、パンパンになった。
 どーだ、すっげー、たのもしいだろう。
 男の子は、こうでなくちゃあ、いけない。
 さて、きょうは、かるく、ほっかいどうあたりまで走ったり泳いだりして、そいから、すもうでもとるか。
 恐水病のひぐまを10匹ばかし、病院にかつぎこんでやろう。


02月01日 日  もう

 せっかく真夜中にゆうこちゃんが歌ってくれたにもかかわらず、やっぱり寸足らずは寸足らず、朝を待たずに卓袱台をひっくり返してしまったようだ。
 ヨルダン側の希望したパイロットの生存確認を、とうとう受け入れなかったところを見ると、おそらくは彼も今回の事態以前に殺害されているのだろう。
 要するに、パワーゲームを繰り広げるつもりはないのだな。行動の根幹は、駆け引きでも利益でもなく、憎悪の発散なのだな。
 わかった。

 非力な一介の狸として、狂った犬には、到底対抗できない。
 しかし、食い殺されながら憐れむことはできる。
 いっそ、愛してやってもいい。
 背後で安らかに息づいている、たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんの寝顔が、徹夜ボケの狸に、そうしろと告げている。

 とりあえず後藤さんに、黙祷。


02月01日 日  まだ

 たかこ 「ごとうさん、まだ、かえってこない」
 くにこ 「んむ。やっぱしこれは、おれがあっちにいって、あっちのすんたらずを、のこらずフクロにしないとらちがあかんなあ」
 ゆうこ 「……だめだよう。きちんと、おはなしあい、するの」
 くにこ 「んでも、おれは、にほん語しかわからん。フクロにするのが、てっとりばやい」
 ゆうこ 「…………いちばん、ゆうこ、歌います」
 たかこ 「おう。こりは、びっくり」
 くにこ 「なんと、ゆうこが、じぶんから歌うとゆーのか。これは、よくよくのことだな。えりをただして、きっちり聞かずばなるまい」
 ゆうこ 「…………♪ 野にさ〜く花〜は〜〜」」