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08月30日 日  童心

 昼間の気温が25度を割っても、仕事の日は相変わらず汗だくである。連日、湿度が80パーやら90パーやら、下手すりゃ98パーとか水中に近い数字になるので、一度かいてしまった汗は休憩まで乾かない。ひと頃のように一日中だらだらだらだらではないが、たらたらぽたぽたなのである。
 それでもキーボードをぽこぽこしているくらいなら、体表も脳味噌の表面も、糸を引かなくなった。おかげさまで、某板で進行中の木馬物件も、なんとか月末更新を維持できた。主役の子供たちも無事に再登場できた。
 そのうち、内臓や脳味噌の内側も糸を引かなくなったら、少しはペースも上がるだろう。

          ◇          ◇

 楽天レンタルから、DVD旧作10枚無料とか20枚無料とか、しばしばメールでクーポンが届く。ただし送料は1枚当たり100円を超えるので、そっちのほうでゴニョゴニョと儲けるのだろう。それでも駅前のツタヤの旧作と同程度だし、品揃えにおいては比較にならない豊富さだ。おまけに狸のような愚か者は、メールに釣られてポチポチとリンクを開き、無料の旧作を見繕う間に、割引のない新作まで、ついつい欲望に負けてポチっとしてしまったりもする。
 今回は、新旧の実写版トム・ソーヤー関係を見比べたくなり、3枚の古物と共に、新作の『トム・ソーヤー&ハックルベリー・フィン』もポチってしまった。
 本当は、中学の頃に山形のシネマ旭で観たハリウッド・ミュージカル版『トム・ソーヤの冒険』(子役時代のジョディー・フォスターが、とてもかわいい。主役のジョニー・ホイッテカーも、やたらやんちゃ坊主っぽい面構えで良かった記憶がある)を再観賞したかったのだが、残念ながら国内盤は出ていないようだ。
 以前にビデオで観た、子役時代のイライジャ・ウッドの『ハックフィンの大冒険』も借りた。記憶どおり、やや大人向けの良作だった。しかし、あれにはトムがほとんど出てこないし、原作自体がシリアスすぎるきらいもある。
 他にトムが主役の1枚、ハックが主役を1枚借りたが、どちらも低予算の子供向けドラマっぽく、ミシシッピー河の雄大さや、古いアメリカ南部の風情は、ほとんど感じられなかった。
 で、新作『トム・ソーヤー&ハックルベリー・フィン』である。これが、大当たりなのであった。狸ご贔屓の、臍曲がり個性派俳優ヴァル・キルマーが、老境の原作者本人、つまりマーク・トウェインを演じ、語り手としてプロローグとエピローグに登場したりもする。本編のトムやハックは、少々二枚目すぎる気もしたが、演技は上々だし、ちょっとおすまし気味のベッキーがかわいい。そして何より、ミシシッピーの大自然が、美しすぎるほど美しい。
 昔のミュージカル版を再見していないので断言できないが、結局、この新作『トム・ソーヤー&ハックルベリー・フィン』が、狸の脳内『トム・ソーヤーの冒険』に一番近いのではないか――そう思ってネット検索してみたら、なんとこれが実はアメリカ映画ではなく、ドイツ映画なのであった。おまけにロケ地はブルガリアときた。劇中の雄渾な大河はミシシッピーではなく、ブルガリアの河だったのである。
 しかし――なるほどなあ、と、心から納得できたりもする。
 日本の狸が、遠い異国で童心に思い描いていたアメリカ南部を、この映画で脚本・監督を兼任したドイツのおっさん(あくまで推定)もまた、遠い異国で、童心に思い描いていたのだろうなあ。


08月26日 水  真っ黒

 前科2犯どころか、少年虐待の常習者……。
 なるほど、ちょっと怪我させてちょっと盗むくらいなら、何遍やってもOKなのだなあ、日本という文明国は。

 しかし今の狸が真に知りたいのは、完全黙秘を続ける変態中年容疑者が真犯人であった場合、何を思って黙秘しているのか、である。
 死刑になりたくないという理由なら、死刑制度の犯罪抑制効果は確実にあることになる。人間、この馬鹿ほどの馬鹿ばかりではない。殺したのがバレると自分も殺されるからここは殺さないでおこう、その程度の理屈は、よほどの馬鹿でないかぎり解るはずだ。
 単に自分の馬鹿さ加減が日本中に露呈してしまうのを恥じて黙秘しているのなら、顔さえ隠せば何をやってもかまわないという、一般世間に珍しくもない馬鹿と根本的には同じわけだが、陰険な狸としては、正直、たとえ全世界の人口が激減しても、そうした馬鹿は『この世にいないほうが吉』と思っていたりする。
 念のため、あくまで『いないほうが吉』ですよ。人類の半数を占めると思われる珍しくもない馬鹿を、けして全員吊したいわけではない。大吉と大凶の間が無段階に絡み合ってこの宇宙が成立していることくらいは、狸ごとき小動物でも理解している。ぶっちゃけ自分だって、この世にいないほうが吉かも――そこまでヒドくはないか――まあ小吉くらいか。

 ともあれ警察には、1日も早く物的証拠を確保していただきたいものである。その上で吊すのが大吉なのは間違いない。
 ただし、自白も物的証拠も出ないのを、例によって情況証拠だけで吊したりしたら、大凶ですからね。
 この国の司直、そして一般世間に珍しくもない馬鹿たちは、恥知らずな変態と同程度の快楽殺人を、ときどき合法的にやらかすから困る。どのツラ下げてテロリストを糾弾するやら。


08月24日 月  暗澹

 結局、少年も殺害、捕らえてみれば前科2犯、中年の寸足らず……。

 そろそろ成年犯罪の厳罰化を考えるべき時期なのではないか。
 というより、犯罪内容における加害者と被害者の『身体的能力差』の問題なのだが。
 たとえば、大人が乳児を投げ殺すような犯罪は、絶対に抵抗できない弱者をあえて楽々と殺害しているという点で、人として最も卑劣な犯罪と言ってよい。子供社会におけるイジメなんぞの比ではない。
 イジメっ子なんてのは、しょせん自己顕示の歯止めを失っただけのバカガキだから、イジメラレっ子の慎み深さを反撃力の欠如と侮っているだけで、イジメラレっ子だってその気になれば、通学中に物陰に隠れて様子を窺い、隠し持っていた柳刃包丁でイジメっ子の背後から襲いかかり心臓をひと突きにしてやるとか、そんな人として正当な反撃が可能である。
 対して、正常なガタイをした大の大人が子供を拘束して傷つけるという行為には、人として一片の正当性もない。初犯でいきなり無期は無茶でも、再犯で無期は現実的な対処だと思うが、どうか。
 そのためなら、貧しい狸も、これ以上の課税を厭うまい。


08月21日 金  雑想

 寝屋川の女子中学生殺人事件(プラス男子中学生行方不明事件)、ようやく容疑者が浮かんだようだ。
 女児の魂が安らかであらんことを、そして男児が存命であることを祈る。
 実は、打鍵中の木馬物件のクライマックス前に、中学生ふたりが夜間に他県をめざすシーンがあるかもしれない。あまつさえ、あくまで昼間だが、物語上なんの伏線もなく、唐突に女子中学生が少女趣味の犬畜生の悪意に晒されかけるシーンまであるかもしれない。いずれも、春に打鍵開始したときからの構想であり、今回の事件となんら関わりはないのだが。
 巷では、放任した親が悪いの、夜中に出歩く子供自身が悪いの、そんな意見も多々あるようだが、幸いにして、やっぱり襲うほうが悪いという当たり前の意見が勝っているようで、胸を撫で下ろしている。
 赤の他人を自分の欲求によって傷つける行為は、あくまで一方的な悪である。自業自得と他業自得(?)は、あくまで別物だ。自己責任だけですべてが済むのなら、この世界には、自分ひとりしか住めない。

 各種刑事犯のニュースを見ていると、巷に設置してある防犯カメラという奴が、なぜろくに感度もない寝ぼけたような画面ばかりなのか、しょっちゅう首をひねってしまう。中にはまともな映像もあるが、過半数はトイカメにも劣るような画像である。どうせプライバシーなど無視したところにしか完璧な防犯は成立しないのだから、せめて車のナンバーくらい、即座に特定できないものか。

          ◇          ◇

 今上陛下が、駅弁の『チキン弁当』を好まれ、機会あるごとに召し上がっているそうだ。さすがである。
 狸が生まれて初めて自分で買って食べた駅弁が、そのチキン弁当だった。高校一年の初夏、山形から東京に、プチ家出を試みたときのことだった。当時の奥羽本線は上野が終着駅だった(東北への玄関口とも言う)ので、当然、上野駅で買った。上野はオイラの心の駅だ。今でも、稀に新幹線で帰省するときなど、東京駅か上野駅で、いつも購う。安価だからである。安価なだけでなく、味覚も視覚もほぼ昔のままで、なんと言いますか、程々かげんが好ましいのですね。
 巷ではいかにも美味げに紹介している記事を見かけるが、狸のビンボ舌だと、お世辞にも『美味』とは言えない。まあ程々である。陛下だって、美味を求めて召し上がっているわけではなかろう。なべて世の中、程々が望ましいからと思われる。
 願わくば、いつかこの世界が、そこそこ程々に治まりますように。

 昭和天皇がご存命の頃は、那須御用邸で避暑を過ごされるときなど、黒磯駅の『九尾ずし』を御一家で召し上がっていたとのこと。
 あの駅弁も姿を消して久しかったが、近頃の復刻ブームで再登場したようだ。もっとも駅弁ではなく、高速のSA弁当である。
 高速道路も、程々で走るのが吉ですよね。

          ◇          ◇

 自分自身スマホに縁がないため、巷でつるつるしている方々がどうやって日本語入力するのか、長いこと疑問に思っていた。
 こないだ日雇い仲間の若い衆に見せてもらったら、フリック入力というシステムを使うのですね。あれには感心した。要は、狸が十年も前のHDD・DVDレコーダーで日々タイトル入力しながら「えーい! こんなまだるっこしいクソ入力やってられっか! キーボード繋がせろバカヤロウ!」などと、孤独に泣き叫んでいる原始的五十音入力を、ほんとにつるつるとやってしまえるのである。
 先程ネットを見ていたら、そのフリック入力がキーボード入力よりも若者に定着しつつある、そんな記事があった。
 そりゃそうだわなあ。思えば狸がウン十年前に初めて日本語ワープロを入手したとき、どんだけキーボードからのローマ字入力に往生したか。自前の小説を活字っぽく印刷するという目的がなければ、いまだにデジタルで日記すら打てない化石爺いになっていたに違いない。
 でもまあ、その後は携帯メールすらまともにポチポチできない老狸、今さらフリック入力で創作に挑むのは無謀であろう。などと言いつつ、あのつるつるならボケ防止にいいかもしんない、などと思いつつあるのも確かである。完全にボケる前にガラケーが滅びたら、たぶん、自分もつるつるしはじめるのだろう。

 しかし、未だに人混みを歩きながらつるつるしている野郎女郎がいるのは、困ったものである。
 カーナビならぬ自分ナビとして、スマホを頼りに雑踏で歩を進める奴も多いようだ。それこそ自業自得のカタマリである。地図くらい覚えろよ。それが無理なら、せめて道端に避けて見てくれ。


08月18日 火  ぶよんとしてしまりのない夏

 今日も一日、無事にだらだらだらだら大汗を流し続けて帰穴したところへ、だらだらだらだら大汗を流しながら、ぶよんとしてしまりのない青年が訪ねてきた。読売の勧誘の人である。お互いだらだらだらだら大汗を流しながら、世代こそ違うものの気弱そうな風貌や物言いに著しい親和感を覚え、来年頭の3ヶ月だけ契約する。そろそろまた、いつもの朝日と読み比べてみたい気もあった。
 青年は、だらだらだらだら大汗を流し続けながら何度も頭を下げ、米やら缶ビールやらトイレットペーパーやら、例によって大量の景品を運び入れた。狸もだらだらだらだら大汗を流し続けながら、快くそれを受け取った。
 この時期、だらだらだらだら大汗を流し続けるぶよんとしてしまりのない者同士は、何事も軋轢を好まない。お互い脳味噌や体表がトロけてしまっているので、ついつい納豆のように糸を引きがちである。
 嗚呼、爽やかな夏の交歓。

 ぶよんとしまりのない者たちがだらだらだらだら流し続ける大汗は、大地の夏草を潤し、やがて蒼天の下、そこかしこに静謐な湖沼を成すだろう。

   ――
人呑みし沼静かなり雲の峰 ―― (平井呈一)


08月15日 土  あづい

 全世界でもこの国でも狸穴周辺でも巨視的にも微視的にも社会的にも個人的にも歴史的にも今日一日だけでも、とにかく日々、多々多々多々っとなんかいろいろあるわけだが、今の狸に言えることは、ただ毎日がぐぞむじあづい、それだけである。
 ミケ女王様も食欲がないらしく、狸穴を訪れても、台所の床にべったりとはりついたまま、ほぼ平面猫化している。ブチ下僕も、いつものような狸腿すりすりを控え、扇風機の風が通るように数センチ距離を置き、猫生のすべてを諦めたような顔で端座している。しかし両者ともに、狸と違って、自分から毛皮を脱ぐ気はないようだ。見ているだけで暑苦しい。夏場は、あの毛を全部剃り落としてやるのが正しいのではないか。病気で全身脱毛してしまった猫の写真を見たことがあるが、あれはたいそう涼しげだった。まあ、すでに猫だかなんだかわからず、あまりのブキミさゆえに、見ているこちらの背筋が冷えただけのような気もするが。

          ◇          ◇

 今日明日は連休である。勝手に盆休みにしただけ、ともいう。
 とりあえず本日は、神奈川の姉の家に行って昼飯をたかったり、帰りに発作的に有楽町で途中下車して銀座の歩行者天国をぶらついたりしたのだが、とにかく屋外は、どこもかしこもやっぱりただひたすらぐぞむじあづがっだ。
 異様に思ったのは、狸がハンカチをびっしょりにして汗を拭きまくっているのに、他の銀ブラの方々は、ほとんどハンカチを使っていないのである。中には長袖の方や、ベストを着ている方までいらっしゃる。
 あの誇り高きミケ女王様までが、ぺしゃんこになって薄暗い台所の床にへばりついていらっしゃるような盛夏でも、銀座のヒトの顔面は、多く無汗なのであった。さすがに都会人とは違ったものである。


08月11日 火  順番

 去年逝った母親の、新盆の準備を始めているところへ、叔母の訃報が届いた。享年72、律儀に順番を守るタイプの叔母なのであった。末期癌だったそうだから、当人は苦痛から解放されて、むしろほっとしているだろう。
 彼岸で母親がいそいそと帰省準備をしているところへ、いきなり妹が川を渡ってきたら挨拶に困るだろうなあ――などと、呑気に想像している場合でもない。猛暑の中で葬儀一切を取り仕切る、狸と歳の近い、つまりくたびれ盛りの従弟が、ダウンしないのを祈るばかりだ。正直、自分の懐だって心配しなければならない。
 まあ、悼む側だからこその心配、生きているだけで御の字なんですけどね。
 ともあれ狸自身の順番も、律儀に回ってきつつある今日この頃、脳裏に浮かぶのは、呼べど戻らぬ幼き日の走馬燈ばかりです。

     


08月07日 金  八月の萌えた砂

 海女萌えキャラ「女性蔑視」と批判…反対署名も 【2015年08月06日 17時18分 Copyright c The Yomiuri Shimbun】

 伊勢志摩サミットの会場に決まった三重県志摩市で、海女をモチーフにした市公認の萌えキャラの賛否を巡り、波紋が広がっている。
「女性を蔑視するデザインだ」と主張する市民らは、市公認の撤回などを求めて署名運動を展開。13日には、現役海女ら約170人分の署名を市長と市議会議長に提出する予定になっている。
 萌えキャラは、クール・ジャパン戦略として注目されている“萌え文化”を背景に、同市の観光や海女文化を国内外へPRしようと、四日市市のイベント企画会社「マウスビーチ」が制作。昨年11月に名前を公募し、約2000通の中から「碧志摩《あおしま》メグ」に決まった。
 しかし、キャラクターの磯着姿は「前裾がはだけ、胸の形もわかる」と、市民の一部から批判する声が上がった。
 反対署名の発起人になった、現役海女で志摩市志摩町の女性(65)と、娘の同市阿児町、主婦(39)は「初めて見た時はびっくりした。若い女性の体だけをアピールしているポスターで不快だった」と話す。
 2人は、市に公認の撤回とメグ企画の停止などを求める意見書を提出したが、認められなかったため、「伊勢志摩サミットで訪れる外国人に海女がこんな風だとは思ってほしくない」と、署名運動を始めたという。
 一方、碧志摩メグのフェイスブックやツイッターには、それぞれ900人を超すフォローなどがあり、今年5月上旬に販売した無料通話アプリ「LINEライン」のスタンプは、2週間で10か国計約1万5000人が購入。ポスターを配布した際の市民アンケートでは「かわいい」「コスプレイベントを開いてほしい」という若者からの反応があった。
 また、今年6月には、伊賀市で女忍者をモチーフにした「伊賀嵐いがらしマイ」が碧志摩メグの親友という設定で誕生。今月1日から志摩市内で配布されている第2弾の「賢島バージョンポスター」でも、サミット会場となる同市の賢島を背景にメグとマイが描かれているが、メグは斜め向きの姿で脚は描かれていない。
 萌えキャラを制作した「マウスビーチ」の浜口喜博さん(39)は「忍者と海女をモチーフにしたことで、特に外国の若者からの反応が良い。三重のPRにつなげたい」と話す。
 志摩市には約250人の海女が暮らしているが、萌えキャラを巡っては、海女の中でも「海女をバカにしている」(志摩市志摩町御座、65歳)、「架空の存在なので、そんなに目くじらを立てることはない」(同町和具、66歳)と意見が分かれている。
 署名活動について、同市観光戦略室は「反対の意見があることは制作会社に伝えており、一部デザインの変更につながっている。ただ、市が公認を撤回することはない」と説明している。(中村和男)


 ……いいんじゃないかな、毎日暑いし。
 なぜ毎日暑いと碧志摩メグちゃんでいいのか、もはや脳味噌がトロけているので論理的に説明するのは難しいが、たとえば狸の所有する、昭和40年代初期に撮影されたと覚しいビューマスターのリール『伊勢志摩』(今となってはレア中のレア物件)には、御尊顔や体型や髪型や帯の色に差異はあれ、おおむねこんなファッションの海女さんたちが写っている。そのさらに10年前の紀行本だと、場所は違うが、腰巻きだけで上半身裸の海女さんも大挙して写っている。前者は外国のカメラマンによる観光写真だから、海女の方々のファッションは、むしろ全世界に公開されることを意識した正装と思われる。後者は日本の記者によるスナップ写真、つまり日常の海女さんたちである。
 しかしそりゃ何十年も昔の、それこそ女性蔑視の産物だろう――そんな意見も現在では多かろうが、狸の目には、それらの海女さんたちが、現代の女性アスリートの方々同様、極めて健やかで魅力的な職業婦人に見える。
 などと言いつつ……脳味噌がトロけているので、邪念も、たっぷり流れ出しているような気がする。
 しかし、絶対に蔑視ではない。むしろ、ひれ伏して、お願いしたいくらいである。
 何をお願いしたいのか、それをつまびらかに記すほど、脳味噌はトロけていない。とりあえず、夏の光に揺らぐ澄みきった海の中、海女さんに銛でツンツン突っつかれながらヒンヒンと逃げ惑いたい――そんなところでしょうか。


08月04日 火  日本の夏

 真夏の夜の納涼といえば、やっぱり、こんなの。

     


08月01日 土  八月の濡れた花火

 アブレ日。
 まあ今さら嘆いても詮無いことであるが、とにかく暑い。
 例によって朝までぽこぽこして、午後遅くに起き出し、図書館に行こうと狸穴を這い出ること数メートル、もうすべてを諦めて駅前のマックにのたくりこんだ。まんま夕方まで、アイスコーヒーのSとチキンクリスプと無料の水を大事に大事に摂取しながら、例の『吸血鬼ドラキュラ』を読んですごし、いったん帰穴、それから江戸川の花火大会へ。
 花火に関しては、もーまったく文句なし。年々歳々、色も形も多彩になってゆく。
 しかし、夜に入っても、気温は例年に増して熱帯のまんまである。狸の毛皮は全身びしょ濡れであり、しまいにゃ前足の肉球までがしとどに濡れて、てらてらと光る有様だ。でもまあ、濡れたドーム状の肉球に映る夜空の花火も、美しいことは美しい。両前足の先に、縮小された夜空と花火を宿して、ウスラボケっと熱帯の夜に佇む。人ならぬ狸の特権である。

 俳優の加藤武さんが亡くなられたそうだ。今夏の濃密な温気に融けてしまったのか。今頃は、先に逝った小沢昭一さんや北村和夫さんと、どこかでダベっているのだろう。その談笑を、どこか隅っこの陰から窺うために、狸もいっそ夏に融けてしまいたい。
 でも、花火もやっぱり捨てがたいので、とりあえず来夏までは、融けずにいたい。

 ふと思う。ミサイル一機ぶんも花火改良に費やしたら、どれほど美事な花火が上がるか。戦場における火器のすべてを花火仕立てにしてはどうか。大陸間弾道弾も、非戦闘地域でのテロもしかり。
 どうせ死に絶えるまで続けるのなら、人として傍目くらいは繕うべきだ。